2026年5月16日 (土)

組合脱退申出への対応案

アメリカのトランプ大統領が中国を訪問し、習近平国家主席と会談しています。「中米の間には相違よりも共通の利益のほうがより大きい。ライバルではなく、パートナーとなるべきだ」という習主席の言葉に対し、トランプ大統領は「米中関係はかつてないほど良好になるだろう」と応えています。

前々回記事「平和への願い、届く言葉は?」の中で、大地震や感染症などと異なり、戦争は人間の「意思」で抑え込める、外交努力を尽くすことで脅威は変動する、このような思いを記していました。そのため、それぞれ国益や私益を念頭に置いた思惑があったとしても、両超大国同士の対話を心から歓迎し、イラン情勢の沈静化に向かうことも願ってやみません。

前回記事は「連休中に読み終えた書籍」でしたが、時事の話題も差し込む内容でした。週1回、週末に更新するペースは多面的な情報を提供する場として気に留めたニュースに触れることが多くなっています。今回は私どもの組合に関わるローカルな話題となりますが、自治労に所属する組合にとって共通の悩みだろうと考えています。

組合員数が減少している問題です。新入職員の全員加入が難しくなっている現状、組合を脱退したいという申出が目立つ現状を憂慮しています。かなり前から加入率は100%を切っていましたが、未加入者の数はわずかでした。ブログを始めた翌年4月には「組合に入らないデメリット」という記事があり、次のように記しています。

以前の記事「組合の魅力アップへ暗中模索」でも取り上げましたが、ここ数年で片手ほどの未加入者を出しています。全体的な加入率は99%を維持していますが、ここ数年の新規採用者だけ見ると加入率は95%を割り込む計算です。

その記事から20年ほど経っています。私どもの組合に限りませんが、残念ながら加入率の低下は右肩下がりです。私が執行委員長を務めていた時、毎年3月に機関誌を発行し、特集記事「春闘期、情勢や諸課題について」を担当していました。

その際、何年か続けて「役に立たない組合はいらない?」という見出しを掲げてきました。一歩間違うと大きな誤解を招き、組合をつぶそうと考えているような言葉です。決してそうではなく、組合員の皆さんに「何だろう」と関心を持っていただくための見出しの付け方でした。

そもそも組合員の皆さんに対し、まったく役に立たない組合であれば、私自身も「いらない」と思います。しかし、いろいろ力不足な点もあろうかと思いますが、一定の役割を果たしていることを確信しているため、組合は必要という認識を持ち続けています。

ただ組合役員がそのように考えていても、組合員の皆さんと認識にズレがあるようでは問題です。そのようなズレを少しでも解消するための一助になることを願いながら毎年、その特集記事に向き合ってきました。その願いがかなうかどうかも誌面に目を通していただかなければ意味がありません。

「役に立たない組合はいらない?」という見出しは、ある程度目を引いたのかも知れません。それでも委員長を退任する最後のほうでは「組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」という見出しに変え、6年前にはその見出しをタイトルにしたブログ記事を投稿していました。

ここ数年、さらに組合を脱退したいという申出は増えています。その都度、脱退申出者と対応されている委員長や書記長らのたいへんさに心を痛めています。昨年11月もう一歩前へ、特別執行委員に就任」という記事のとおり特別執行委員を引き受けています。時計の針を戻さない範囲で、役に立てることがあれば、いろいろ力になれればと考えています。

そのような手助けの一つとして「組合脱退の申出を受けた際の対処方法ついて)」という資料をまとめ、直近の執行委員会に提案していました。前述したとおりローカルな話題ですが、自治労の組合役員の皆さんらに向け、その内容を参考までに紹介させていただきます。本文のゴシック体が脱退申出者に伝えたい内容の参考例です。

    ◇          ◇

1 はじめに 

組合を脱退したいという申出を受けた際、最初に名前と職場を伺います。その後、本人から脱退したい理由が述べられた場合、まず耳を傾けます。話を聞いた後、プライバシーに関わるような踏み込んだ質問は避け、メモを取ることも控えます。本人から具体的な話が切り出されない場合も下記のような要旨を同じように説明します。

理由についてわかりました。たいへん恐縮ですが、少し私どもの考えを説明させていただいてよろしいでしょうか。

ご存じだと思いますが、公務員の組合加入はオープンショップ制で、組合加入の有無に関わらず、給与や休暇などの労働条件は同じです。組合員でなくても不利益を受けることはありません。

そのため、ここ数年、残念ながら〇〇さんと同じように組合の脱退を考えられる方が少なくありません。ただ皆さんこぞって組合をやめられてしまった場合、組合そのものが存続できません。

力不足な点もあろうかと思いますが、組合があることの大事さは皆さんからお認めいただけているものと考えています。したがって、たいへん心苦しいところですが、組合脱退のお申出があった際、このようにお時間を頂戴し、お手間を取らせてしまうことをご理解ご容赦ください。

2 組合に加入していることのメリットなどについて(参考例)

組合加入することで共済や福利厚生面でのメリットが多くあります。最も組合の重要な役割としては、労働条件の問題を労使対等な立場で交渉していけることです。このような原則のもとに現行の賃金水準や休暇制度の改善をはかってきています。

また、パワハラなど働き続ける上で困った時、組合員であれば必要に応じて組合が表に立つこともできます。このような役割を発揮できるのも市役所に働く多くの皆さんが組合に加入いただけているからです。ぜひ、組合の必要性について改めてご理解いただき、今回のお申出についてお考え直しいただけませんか。

3 脱退の意志が固いと判断した場合

慰留に努めても組合を脱退したいという意志が固いと判断した場合、直接対応した組合執行部役員がその場で次のように伝えます。

たいへん残念ながらご意志は固いようであり、申出について承知しました。脱退に関わる用紙は別途送らせていただきます。※すぐ用意できる場合はその場で渡します。

なお、脱退日を本日として承る場合も、組合規約等の絡みから今月の給与からは組合費を徴収させていただくことになる点をご容赦ください。

最後に、お願いが2点ほどあります。ぜひ、状況やお考えが変わりましたら、いつでも再加入できますので、お気軽にお申出ください。もう一つは、先ほど説明させていただいたとおり労働組合そのものの必要性については引き続きご理解賜れるよう何卒よろしくお願いします。

執行委員会の承認が必要という話は控えます。直接対応した組合執行部役員の判断を尊重し、執行委員会では氏名と職場名のみの報告を受け、追認する運びとします。このような対処方法への変更は、脱退者の再加入を願い、ことさら印象を悪くした場合の風評を避けることを目的としています。

4 組合費徴収手続きに絡む補足事項について

月末までにチェックオフ停止の手続きがされれば翌月の給与から徴収しないように対応できます。5日頃までの手続きでも対応でき、すぐ組合加入された新人の方は4月分からチェックオフが始まっています。規約上、組合費は後払いではありませんが、早めに加入されたことによる不公平感が生じないよう今後は加入日の翌月から徴収開始するように改めるべきものと考えます。

    ◇          ◇

この後「【参考】関連する組合規約」も掲げていますが、このブログ記事では省かせていただきます。ちなみに組合の脱退は規約上「執行委員会の承認を受けなければならない」とされています。そのため、入る時は簡単、ただ一度入ると簡単にやめられない、そのようなイメージを持たれがちです。

このような煩わしさが、ある面では脱退に対する抑止効果を持たせているのかも知れません。しかし、そのような見られ方が新規採用者の組合加入に対し、一つのネックになってしまっていたとしたら残念なことです。

記事タイトル「組合脱退申出への対応案」のとおり提案した段階で、次回以降の執行委員会で最終的な確認をはかる運びとしています。この対応案がベストだとは思っていませんが、特別執行委員として関わるようになっていたため、私自身の問題意識を託した資料を提案しているところです。

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2026年5月 9日 (土)

連休中に読み終えた書籍

昨年1月年末年始に読み終えた書籍」という記事を「Part2 」にかけて投稿していました。9連休の年末年始だったため5冊ほど読み終え、いつもの「『◯◯◯』を読み終えて」という記事タイトルとせず、それぞれの書籍のサワリのみ紹介しています。今回もそれにならい「連休中に読み終えた書籍」として書き始めています。

最初に読み終えたのは『風と雅の帝』で、著者は荒山徹さんです。書籍を紹介する際、いつもの「『◯◯◯』を読み終えて」と同様、 著作権やネタバレ等に注意しなければなりません。そのため、まずリンク先に掲げられている書籍の紹介文をそのまま転載します。

皇位継承が持明院統と大覚寺統で交互に行なわれていた鎌倉時代後期、量仁(光厳天皇)は持明院統の期待を背負って即位した。しかし、幕府が倒される際、六波羅探題軍とともに京都から逃れるも追い詰められ、目の前で六波羅探題ら四百名以上の武士が自刃。

捕えられた光厳は、前帝・後醍醐によって即位そのものを否定されてしまう。その後、後醍醐と敵対した足利尊氏に擁立されることで、一度は“治天の君”の座につくも、尊氏の裏切りにより、南朝の囚われの身に――。

彼を慕っていた鎌倉武士の死、宿敵・後醍醐との泥沼の闘い、吉野での幽閉の日々……南北朝の動乱の中、「天皇とは何か」を真摯に考え続け、現在の“象徴天皇”にも繋がる生き方を貫いた、“忘れられた天皇”を描く、著者渾身の歴史長編小説。

鎌倉幕府滅亡後、南朝の後醍醐天皇から「お前は天皇ではなかった」と言われた北朝の光厳天皇の視点から語られている物語です。それでも史実を下敷きにしているため、教科書等でしか知らなかった南北朝時代を生きた著名な人物の息づかいを生々しく感じ取れる歴史小説でした。

南北朝時代、平穏な世を願いながら武士たちの争いが絶えないことを憂いていた光厳天皇は、その火種の中心に天皇という御旗が常に掲げられていくことに苦悶していました。天皇はどうあるべきかと悩みながら、武力によって覇権を争う武家政権に雅と祈りで抗った光厳天皇の姿から現在に至る天皇制のあり方を考えさせられます。

以前昭和天皇物語』を紹介したこともあります。絶対的な権力者とされていながら、天皇という権力者の「意思」だけで戦争に突き進む時代の流れを止められなかった昭和天皇の苦悶が描かれています。『風と雅の帝』の最後には、光厳天皇からの流れが「令和の今上陛下へ脈々とつながる」と記されていました。

この言葉に触れた時高市首相、昭和100年祝賀式典で見せた周囲との温度差  昭和ソングの演奏でノリノリの首相に対し、宮内庁職員は一切手拍子なし』という記事が伝える場面を思い浮かべていました。主催者である政府側の判断で、臨席された天皇からのお言葉はありませんでした。

翌日、側近を通じて「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切との思いで式典に臨まれた」という所感が発せられたことを紹介した記事の中で伝えています。一方、高市総理の式辞は下記のような言葉から始まり、天皇の所感に込められている基調との相違が明らかでした。

私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代を顧み、わが国の伝統や歴史の重みをかみしめながら、将来に思いを致す機会としたいと思います。昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有の変革を経験した時代でした。

この後「先の大戦の後、昭和天皇は、全国各地を巡幸され…」と続きます。高市総理にとって、戦前、戦中は忘れるべき忌まわしき歴史とされているのではないかと疑ってしまいます。式典を高市総理の望むカラーにしたかったため、あえて天皇からのお言葉を賜らなかったという見方は穿ちすぎでしょうか。

前回記事「平和への願い、届く言葉は?」も同様でしたが、どうしても重い責任と権力を抱かれている高市総理に対する論評が多くなります。さらに私自身の正しいと信じている「答え」と相違しがちな高市総理に対しては、おのずから批判的な言葉が並んでしまいます。

ただ「批判ありき」とせず、必ず具体的な言動を例示しながら批評するように努めています。いずれにしても「答え」の押し付けではなく、このような見方もあったのかという多面的な情報を提供する場として、背伸びしない一つの運動として当ブログの週末更新を重ねています。

このような意味合いから次に紹介するプロパガンダゲーム  偽情報戦』は、たいへん興味深い記述が多々ありました。著者は根本聡一郎さんです。前作の『プロパガンダゲーム』も読んでいましたが、TVドラマは見逃しています。リンク先に掲げられている新作の紹介文は次のとおりです。

2025年TVドラマ化した『プロパガンダゲーム』の著者による、待望の最新作! 新聞記者をしている春名に、日本政府から奇妙な取材依頼が届いた。政府が大手広告代理店の電央堂と組んで、新組織「内閣情報局」を立ち上げるらしい。内閣情報局といえば、戦時下の日本でプロパガンダを主導した組織の名。

きな臭さを感じつつ取材へと向かった春名を待っていたのは、内閣府の採用担当者と、かつて電央堂で行われた曰くつきの採用試験「プロパガンダゲーム」だった!? AIとSNSで無限に拡散される偽情報との戦いを描いた社会派サスペンス!

あくまでもフィクションですが、「瀧内さゆり」という名前の総理大臣が登場し、郵政民営化を争点とした解散総選挙など実際の出来事や人物が重なり合っています。「実在の人物、団体などには一切関係ありません」という但し書きが、建前に近いようなリアリティさを感じながら一気に読み終えていました。

今回のブログ記事ではストーリーの本筋から離れますが、SNSを駆使した「情報戦」において登場人物が発していた言葉や考え方をを中心に紹介していきます。フェイク動画を投稿した後「やっぱり、動画のほうが写真よりも見られますね」「文字より写真が強く、写真より動画が強い」という会話が交わされます。

「日本の識字率は100%と言われていますが、それは嘘です。実際には文字を見ているだけで、文章を理解できない方が大量にいることを覚えていてください」という極端な持論を展開する人物も出てきます。そのまま真に受けるものではありませんが、文字ばかりの当ブログのアクセス数が低迷している昨今を省みてしまう見方だと言えます。

小澄慎一郎総理による郵政解散「劇場型選挙」は300議席に迫る圧勝という設定で描かれています。その勝因について「先の大戦で日本が侵略したアジアには謝罪の姿勢を取るのが当然で、それ以外の態度は許されない状態だった」という見方が示され、小澄総理は「他のアジアに謝らなかったからだ」と説明している場面があります。

信憑性の疑義はありますが、そのような要素があったことを頭から否定できないのかも知れません。このような見方を一定程度受け入れた時、高市内閣の高支持率や2月の総選挙での歴史的勝利を読み解く鍵を手にしていけるのでしょうか。さらに昭和100年の式典に際した高市総理の姿勢に喝采する方々も多いのだろうと思い返しています。

過去の戦争の謝罪は済んでいる、これ以上謝る必要がないという声は確かに少なくありません。しかし「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切」という言葉のほうこそ、プラグマティズムな平和への道筋につながり、多くの方々から支持されていくことを切に願っています。

ディリー新潮の『「皇室典範」「憲法」改正に意欲も支持層の“高市離れ”じわじわと…勇ましいアピールのウラで囁かれる「高市早苗首相は本当に“保守政治家”なのか」』という記事も興味深く、高市総理の思惑が伝わってきます。保守政治家かどうかという問いに対しては、最近の記事「真の保守とは何か』を読み終えて」のとおりだと言えます。

5連休の最後の日には高一事変』を読み終えています。著者の松岡圭祐さんの著書は数多く手にしてきました。この『高校事変』シリーズは全作、実在の人物や団体と重ね合わせることはなく、小説として面白く読んでいました。『ヒトラーの試写室』『八月十五日に吹く風』は史実に沿った小説で、リンク先には当ブログの記事を掲げています。

今回の記事で『高一事変』は紹介しませんが、前掲した2作品は知らなかった戦争の実相を取り上げたブログ記事に仕上げています。興味を持たれた方はリンク先を参照いただければ幸いです。「第2次世界大戦中、スイスがドイツからの侵略を免れていた事実関係」や「キスカ島からの日本兵5千人の救出作戦」を書き留めていました。

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2026年5月 2日 (土)

平和への願い、届く言葉は?

前回記事「プラグマティズムと穏健保守」の冒頭で「ゴールデンウイークの初日にあたる土曜日、連合の三多摩メーデーに参加」と記していましたが、祝日の4月29日からゴールデンウイークと称している声のほうが多いようです。暦通りに働く私自身にとっては本日の土曜から5連休となります。

連合の中央メーデーは4月29日に開かれ、高市総理も来賓として呼ばれていました。前々回記事「真の保守とは何か』を読み終えて」からプラグマティズムという言葉を多用しています。理論や信念よりも「実際に役立つかどうか」で物事を判断する実用的な思想です。

連合と政府との関係が良好であり、メーデーに高市総理が出席されることで、総論的な方向性として広く労働者のメリットにつながっていくことを期待しています。このようなプラグマティズムの視点からは高市総理の出席に違和感なく、受け入れられる立場だと言えます。

つい最近、高市総理陣営が野党政治家や自民党総裁選での対立候補に対し、SNSで中傷動画を立て続けに投稿していたことが明らかになっています。週刊文春の編集部が高市総理に質問状を送付すると「ネガティブな情報を発する、あるいはそのような動画を作成して発信するといったことは一切行なっておりません」と否定しています。

最近の傾向として、高支持率の高市総理を真正面から批判するマスメディアが少なく、週刊誌のスクープは後追いされることなく、いつもボヤ程度にとどまっていきます。マスメディアの特性を取り上げた過去の記事「卵が先か、鶏が先か?」を思い出しながら、最近の記事「高市総理に願うこと」に託しているような問題意識は強まりつつあります。

前回記事の中で、考え方や立場の異なる方々に「なるほど」と思ってもらえるような言葉を探していく試みこそが極めて重要であると記しています。「戦争反対!」という訴えの後に「それでは、どうすべきなのか」という言葉が、よりいっそう必要な局面を迎えています。

プラグマティズムに沿った平和主義のあり方について、憲法記念日を迎える今週末の記事で改めて掘り下げていきます。明日、有明防災公園で「2026憲法大集会」が開かれます。執行委員長時代、ほぼ毎年、その大集会か、地元で開催される憲法集会のどちらかに参加していました。

4年前はオンラインでの参加でしたが、リアルタイムで視聴した後に「日本国憲法施行から75年」という記事を投稿しています。同じような考え方の人たちが多く集まった会場内では、自民党政権や総理大臣らを批判する舌鋒鋭い言葉は喝采を浴びます。

ただ運動の広がりと実効ある成果を見出していくためには、その会場に足を運ぶことのない人たちに向けた言葉が必要です。そのような意味合いから上智大学教授の中野晃一さんの言葉が私自身にとって最も共感し、4年前のブログ記事を通して中野さんの発言内容の一部を紹介していました。

政府が旗を振り「抑止」一辺倒ですが、安全保障政策は武力だけだと誤解されています。安全保障政策は「安心供与」と「抑止」がセットでないと不充分です。戦争を未然に防ぐためには「先に攻めるつもりがない」というメッセージが重要です。

9条をなくせば無限の軍拡競争につながりかねず、「安心供与」を疎かにする政治こそ日本本土が標的にされてしまうリスクを高めかねません。9条を守って「安心供与」を維持することで、初めて安全保障政策として成立することも合わせて伝えていきたいと思っています。

このブログのバックナンバーには「広義の国防、安心供与の専守防衛」という記事があり、中野さんの問題提起を詳述した内容です。そもそも「憲法9条を守れば平和が続く」という言葉は短絡的すぎて批判を招きがちです。守るべきは「平和主義の効用であり、これまで「憲法9条の論点について」という記事も投稿しています。

それぞれの内容の主旨にあたる箇所を掲げていくだけで、たいへんな長さの記事になってしまいます。関心を持たれた方はリンク先の記事を参照いただければ幸いです。ここでは「平和への願い、届く言葉は?」という記事タイトルを踏まえ、なるべく簡潔な言葉や参考となる事例に絞って紹介していきます。

これまで多用してきている言葉として、大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めませんが、戦争は人間の「意思」によって抑え込めるという見方があります。さらに脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。

中野さんの言葉のとおり安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立させることが重要です。戦争を未然に防ぐためには「攻めたら反撃される」という抑止効果とともに「先に攻めるつもりがない」という相手方を安心させるメッセージとのバランスが求められています。

抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。

国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと考えています。

アメリカとイスラエルによるイランへの攻撃が象徴的な事例だと言えます。イランにとって抑止力を強化するための核開発が、攻められる前に先制攻撃というアメリカ側の身勝手な口実を与えていました。付け加えれば、トランプ大統領が返り咲いていなければ、このような理不尽な「意思」のもとの戦争はあり得なかったはずです。

現在、高市政権による抑止力強化や日本国憲法の平和主義を変質させていく動きによって、中国からの身勝手な批判のトーンが高まりつつあります。中国側に問題が多々あったとしても、高市総理の「意思」は結果的にプラグマティズムにつながる平和主義のあり方から遠ざかっているように思えてなりません。

安倍元総理とプーチン大統領が友好関係を築いていた時、ロシアからの脅威が取り沙汰されることはありませんでした。2019年8月の記事「平和の築き方、それぞれの思い」の中では、北朝鮮のミサイル発射に際してJアラートを鳴らすことなく、安倍元総理がゴルフを続けていたことを伝えています。

アメリカと北朝鮮での対話の扉が開かれ、北朝鮮側の「意思」の変化を確かめられた後であり、脅威が減少していたからです。外交努力、ソフト・パワーを尽くすことで脅威は変動する事例として紹介していました。

数日前には出光タンカーはなぜ海峡通過できたのか… イランの思惑は? 日本政府の動きは?』という報道に接しています。IDEMITSU MARU」が通過するタイミングで駐日イラン大使館は、出光興産がイランからの石油製品を輸入した1953年の日章丸事件について「友情の証し、遺産だ」という言葉をSNSに投稿していました。

このような日本とイランとの伝統的友好関係がありながら、日本がパキスタンのような役回りを果たせないことが残念です。いずれにしても権力者の「意思」を左右できるのも、民主主義社会であれば国民一人一人の「意思」の積み重ねによる結果だと考えなければなりません。

簡潔な言葉でまとめるつもりでしたが、やはり長文なブログとなっています。考え方や立場の異なる方々に「なるほど」と思ってもらえるような届く言葉かどうか分かりませんが、今回、とりわけ強調して伝えたい言葉を赤字にしてみました。

最後に、私の住む自治体の「市議会だより」で目にした画期的な動きを紹介します。『非核三原則の堅持と「5類型撤廃」による武器輸出の全面解禁の中止を求める意見書』が可決され、高市総理らに提出しています。平和国家のあり方を変えるものであると批判し、現在の高市政権の志向性を真っ向から否定する内容でした。

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2026年4月25日 (土)

プラグマティズムと穏健保守

ゴールデンウイークの初日にあたる土曜日、連合の三多摩メーデーに参加しています。2年前には参加した後「三多摩メーデーに絡む個人的な思い」という記事を投稿していました。地元の会場での開催ですが、今年も私どもの市長のお姿を式典のステージ上で見かけることはできません。

2年前の記事は、連合の政治方針について必要に応じて幅広い切り口から検討して欲しいという主旨の内容でした。「組合員にとってどうなのか」という実用的な視点から政治的な関係性による垣根は低くしていくことの必要性を提起した内容だったと言えます。来年に向けては柔軟な検討が進められていくことを願っています。

前回記事「真の保守とは何か』を読み終えて」の最後のほうでプラグマティズムについて触れています。実用主義と訳され、理論や信念よりも「実際に役立つかどうか」で物事を判断する実用的な思想です。このような考え方を基本にしていくことで政治的な垣根の問題は乗り越えていけるようにも感じているところです。

前回記事で取り上げた真正保守はプラグマティズムを重視し、現存の社会秩序を維持しながら漸進的、部分的に社会改革を調和的に実践しようとする政治思想であることを昭和史研究家の保阪正康さんが説明しています。そもそも保守という思想には、革新やリベラルをも含み込んだ節度ある運動性が備えられていることも説かれていました。

そっくりそのまま賛同できる考え方です。私自身の立場性はリベラルに位置付けられていくものと受けとめていますが、このような考え方が保守とされるのであれば、こちらのほうに近いように思えてしまいます。

穏健保守という言葉もあります。極端な右派と左派の主張を避け、現実的でバランスの取れた政策を志向し、急激な変化を避けながら少しずつ改善を積み重ねていくことが穏健保守の特徴です。リベラルを包み込むという関係性で考えれば、私自身の立場は穏健保守という言葉が馴染みやすいかも知れません。

実は今回の記事タイトルを決めるまで少し悩みました。結局「プラグマティズムと穏健保守」としていますが、三多摩メーデーから始まる近況報告のもと気ままに書き進めています。記事タイトルに並べた二つの言葉を真正面から切り込んでいくような内容には至らないことをご容赦ください。

先週のサンデーモーニング『【風をよむ】反戦はお花畑? なぜ平和の声は伝わりにくいのか  トランプ氏ら為政者の「平和の悪用」の現実 平和の“曖昧さ”と戦争の“単純化”の危うさ』の中で「SNSで発信すると、そんなのお花畑だよ」と侮蔑され、戦争への率直な反対表明が批判の対象になってしまう現状とともに、侵略を正当化する為政者の次のような身勝手な言葉を伝えていました。

為政者は、「平和」の曖昧さを逆手にとって、しばしば「平和のための戦争」といった大義を掲げてきました。今回のイラン攻撃で、トランプ大統領は「今や『平和』が訪れようとしている。我々が徹底的に叩きのめしてやったからだ」と発言。また、ウクライナ侵攻に際し、プーチン大統領は2023年、「ロシアが目的を達成すれば、『平和』が訪れる」と話しました。

このブログでは随分前に「荒地よりもお花畑」という記事を投稿しています。現在の国際社会が「荒地」だったとしても、「お花畑」にしていこうというポジティブな発想も絶対大事なことだと考えています、このような言葉でその記事を結んでいます。ますます今、国際社会の「荒地」化が進み、深刻で切実な願いとなっています。

そもそも誰もが戦争を避けたいと考えているはずですが、平和を築くための道筋や手法に対する各論に及ぶと、その評価は人によって大きく相違していく現状があります。より望ましい「答え」を見出していくためには、極端な右派と左派の主張を避け、プラグマティズムを重視し、現実的でバランスの取れた政策を志向していくという穏健保守の立場性が欠かせないように思っています。

いろいろな「答え」を認め合い分かり合えなくても他者を見下さず、いがみ合わない関係性を維持していくことが肝要なはずです。もし感情的な溝が深まっていた場合、それぞれの言葉が受け入れ難くなります。このような点を意識しながら、考え方や立場の異なる方々に「なるほど」と思ってもらえるような言葉を探していく試みこそが極めて重要なことだろうと受けとめています。

「戦争反対!」という訴えの後に「それでは、どうすべきなのか」という言葉が、よりいっそう必要な局面を迎えているのではないでしょうか。平和主義のあり方について話は広がりつつあるため、ここから先は憲法記念日を迎える次回以降の新規記事で掘り下げていければと考えています。

プラグマティズムと穏健保守という言葉を軸にして書き進めていく中で、昨年10月17日、101歳で逝去された村山富市元総理のお顔が思い浮かびます。社会党委員長の時、自民党、社会党、新党さきがけによる3党連立政権のもと、現存の社会秩序を維持しながら元従軍慰安婦基金の設立、被爆者援護法制定、水俣病の政治解決などに尽力されました。

社会党の独自性が薄れ、その後の党勢低迷や衰退を招く一因となったというネガティブな見方があります。しかしながら私自身は村山元総理の訃報から連立の話」という記事に綴っているとおり村山元総理の政治的な判断を肯定的にとらえています。つい最近、村山元総理のお別れ会が執り行なわれています。

お別れ会に参列された朝霞市議の黒川滋さんのブログ「きょうも歩く」はブックマークし、定期的に訪問しています。最近の記事「故村山富市元首相のお別れ会に参列しました」を拝見したところ次のようなご遺族の言葉が紹介されていました。たいへん胸を打つお話であり、穏健さが際立っていた村山元総理の人柄が改めて偲ばれます。

ご遺族のあいさつの、富市さんの妻の代役や秘書のようなことをしてきた娘の中原ゆりさんの話が心を打つものでした。「お父さんは怒らんのかと聞きましたが、怒ってもいいことなかろう、怒ると自分も傷つくじゃろ、といわれた」「人が失敗したときには、その弱みをつくのではなく、よりそえ、弱さによりそうことが信頼関係だし、話を聞いてやれ」などなど。昔から「怒らんかったのか」と聞いたら「訓練したんじゃ」とも答えたそうです。

ここから先は余談のような話となります。黒川さんのブログは「公務員のためいき」と同じココログで、画面上のアドレスバーに「セキュリティ保護なし」と表示されています。このブログでも最近まで同じようにその警告が表示されていました。

新年の記事「2026年、60年に一度の丙午」のコメント欄で、通りすがりのIT技術者さんから対処方法について親切なアドバイスをいただいていました。ただ誠に申し訳ないことにSSL対応のことをはじめ、私自身が不勉強で認識不足だったため、すぐ対処していませんでした。

その後、身近で閲覧されている方からも「その表示があると少し不安ですね」という声を耳にしていながら、現状で「特に問題ない」という手前勝手な思い込みと怠慢から数か月放置していました。ようやく最近、手がけたところ思った以上に簡単に対応でき、アドレスバーから「セキュリティ保護なし」というネガティブな表示を取り除けています。

通りすがりのIT技術者さん、もうご覧になっていないかも知れませんが、遅ればせながら改めてありがとうございました。ご指摘くださったとおりアクセス数は増えつつあります。自分自身のブログを手直ししたことで、他のブログの「セキュリティ保護なし」という表示に目が行くようになっています。

やはりブックマークし、「『賃金とは何か』を読み終えて」という記事で取り上げていた「EU労働法政策雑記帳」のアドレスバーにも「セキュリティ保護なし」と表示されていることに気付きました。それぞれ即座に問題が生じるような心配はないはずですが、その表示を気にされる方はアクセスを控えていくのかも知れません。

せっかく有為なご指摘をいただきながら、その意味合いをしっかり理解できていないと「宝の持ち腐れ」にしかねません。「プラグマティズムと穏健保守」というタイトルを付けた記事の最後に、幅広い立場や視点からの様々な声に耳を傾け、実用的な判断を重ねていくためには、多様な情報を的確に受けとめられる自分自身のスキルの向上も大事な点であることを思い返しています。

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2026年4月18日 (土)

『真の保守とは何か』を読み終えて

ローマ教皇レオ14世が「世界は、ほんの一握りの暴君たちによって荒らされている」と直接名指ししていませんが、トランプ大統領らを痛烈に批判しながら「戦争の主導者たちは、⁠破壊はほんの一瞬でなされるが、再建には一生かかっても足​りないことが多いという事実を知らないふりをしている」という言葉を発していました。

宗教的な立ち位置を問わず、この言葉には世界中の多くの人々が共感を覚えたのではないでしょうか。前々回記事「新年度に入り、多忙な日々」の冒頭で、大地震や感染症など自然界の脅威とは異なり、戦争は人間の「意思」によって抑え込めることを記していました。このような意味合いから教皇の言葉が痛切に身にしみています。

前回記事は「高市総理に願うこと」でした。その最後には「高市総理がトップリーダーである限り、最適な答えを出し続けて欲しいものと願っています」と記していました。当たり前な願いであり、暴君が引き起こした不当な戦争に加担し、高市総理の「意思」によってイランとの間に培ってきた伝統的友好関係を壊すことのないよう願わざるを得ません。

今週末に投稿する新規記事のタイトルは「『真の保守とは何か』を読み終えて」としています。これまで「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」「『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて」「『鬼滅の刃』を読み終えて」「『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えて」など「…を読み終えて」というタイトルの記事は相当な数に上っています。

ここ数年、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事に絡んだ内容が中心となっていました。今回の著書は連載記事と関連していませんので締切を気にせず、機会を見て当ブログで紹介しようと考えていたところです。実は前回記事の中で取り上げるつもりでしたが、高市総理に願うことが多くなったため(💦)今回に至っています。

真の保守とは何か』の著者は昭和史研究家の保阪正康さんです。副題は『近代日本の地下水脈』で、著書の帯には「高市政権圧勝、参政党躍進・・・・・  日本人の選択をいま問う」と書かれています。帯のとおり今年2月の衆院選挙後に綴られているため、歴史を振り返りながら最新の政治状況を考察した内容となっています。

保阪さんの最も訴えたい問題意識は『はじめに「真正保守」の再興を求めて』の冒頭の「新しい国家主義的右派と向き合う」という小見出しの付けられた箇所に凝縮されています。著書を紹介する際、著作権やネタバレ等に注意しなければなりませんが、リンク先の「ためし読み」の内容の一部をそのまま掲げます。

いま日本を、保守と呼ばれる潮流が席巻している。「保守と呼ばれる」と書いたが、実際にこの勢力は保守であることを自称し、メディアもそのような政治的色合いのもとに彼らを描き出す。だが、私はそれに強い違和感を覚えるのである。彼らの実態は「国家主義的右派」と評するべきであり、そのありようは「真正保守」からは程遠い。

むしろ対極にあると言っていいと思う。私は、日本近現代史を通じて培われてきた「真正保守」の地下水脈、それを担った政治家や思想家、そして彼らの哲学と実践を再興すべきだと考えてきた。日本社会に「国家主義的右派」が擡頭するいま、その考えは危機感に裏打ちされて、さらに切実なものとなっている。

本書は、「国家主義的右派」が勢力を増す現代と向き合いながら、「真正保守」たる資格を有する存在を歴史の地下水脈のなかに辿り直そうとするものだ。現代との対峙にも力点が置かれるという意味で、私としてはとりわけアクチュアルな危機意識が込められた一冊ということになる。

保守を考えるとき、私が特に重視してきたのは戦争観である。軽々に戦争を語ったり、戦争を煽りながら自らの立場や信条を強めようとする者は、真の保守と呼ぶに値しないと考えている。本書で取り上げた石橋湛山や池田勇人、前尾繁三郎、後藤田正晴といった政治家は、決して戦争をそのように論じなかったのである。

本論に入る前に、まず直近の政治状況に目を向けてみよう。高市早苗政権が自己都合によって仕掛けた、解散・総選挙は、2026(令和8)年2月8日に投開票を迎え、自民党が圧勝する結果となった。高市政権の勝利に至る過程に、私はこの国への深刻な思いを抱いた。

高市はまず記者会見で、「高市早苗に国家経営を託していただけるのか、国民の皆様に直接ご判断をいただきたく思っております」と、解散・総選挙を自らへの人気投票とみなすかのような認識を示した。人気投票的な選挙を経れば、権力を恣意的に行使することができるというポピュリズム的構えをとったのだ。

「国論を二分するような政策」とは、軍事拡大のための増税なのか、核保有に向けての地ならしなのか、憲法改正と緊急事態条項の新設なのか分からない。ただ、そこに、戦争への警戒心はまったく感じられなかったのである。

この紹介だけで終えてしまうと『SNS・ブログの引用ルール完全ガイド  著作権法32条と文化庁の5要件』に説明されているとおり引用部分と自分の文章との主従関係が問われる恐れもあります。したがって、上記の引用箇所を「従」とし、ここから「主」となる私自身の感想や意見を書き進めていくため、いつも以上に長文ブログとなることをご容赦ください。

著書を通し、保阪さんは「真正保守」について次のように説明しています。そもそも保守とリベラルという二分法で語られがちな点を問題視されています。保守は改革や進歩を否定し、排外主義や軍事偏重、さらには対中強硬姿勢が保守と見なされるような事態を憂いています。

保守とは、現存の社会秩序を維持しながら漸進的、部分的に社会改革を調和的に実践しようとする政治思想であると説いています。反動とはまったくの別物であり、保守という思想には、革新やリベラルをも含み込んだ節度ある運動性が備えられていることを保阪さんは説かれていました。

  1. 小日本主義(帝国主義否定)
  2. 非軍事志向(軍事で物事を解決しようとしない)
  3. 論理的基盤(共同体的な情緒を克服し、個の意思を明確に示す)

上記は著書の中で紹介されている石橋湛山元総理の「湛山精神」です。この三つの柱は、現代の「真正保守」の知識人や政治家が持ち合わせるべき認識であると保阪さんは唱えています。第2章『軍部と闘う石橋湛山』の中には「戦場体験の意味」と小見出しの付けられた箇所があります。

反面教師だった歴史上の人物として、東條英機元総理が登場します。東條元総理は本格的な戦闘体験を持たず、軍官僚として机上のみで戦争を思考してきた軍人でした。戦場体験のない東條元総理が政権を握り、歪んだ戦争の時代をつくってしまったとし、保阪さんは次のように記しています。

東條と湛山の隔絶は、国家や天皇にひたすら帰依する東條に対して、国家や天皇を絶対視せず、それらを私たちの存在を保障する機関とみなす湛山ということになるだろう。それは帝国主義国家に忠誠を誓う態度と、民主主義国家を建設しようとする構えの違いに行き着く。

保阪さんは二人の元総理を対比し、石橋元総理が「帝国主義的な世界秩序を、独立自尊の各国が尊重し合う関係に変えることを、現実的に志向していた」と語っています。さらに帝国主義の時代、軍国主義が色濃い社会の中での石橋元総理の考え方を、保阪さんは次のように紹介しています。

列強の傲慢を「膺懲」せざるを得ないとき、必要なのは、軍事ではなく、「戦法の極意は人の和にある」と言っている。これを私たちは現実乖離の平和主義と捉えるべきではなく、軍事に頼らず、外交と国際世論によって対外関係を平和的に構築しようとする今日的態度と響き合わせるべきだろう。

他に石橋元総理が「列強の帝国主義に追随して、アジア民衆の恨みを買うことがないように」という願望を持っていたことも紹介しています。この著書にはアメリカのベネズエラ攻撃まで触れられています。その後、イランへの攻撃もあり「平和的に構築しようとする今日的態度」を真っ向否定する現在進行形の暴挙が続いていることに保阪さんの心痛は高まっているはずです。

第1章は『高市自民党は本当の保守なのか』でした。保阪さんの著書を読み終え、高市総理が「真正保守」でないことは明らかだろうと思っています。殺傷能力ある武器の輸出原則容認、改憲に向けた動きなど「戦争への警戒心」に対する距離感の相違を感じざるを得ません。第6章『日本の保守はなぜ親米なのか』の「戦争をしない文化」という小見出しの箇所には次のように書かれています。

いまアメリカの転換期に向き合う私たちは、アメリカとの新しい関係を結び直す好機を手にしているとも言える。「真正保守」の立場からすると、それは反米姿勢を強めるというようなことではあり得ない。

まず私たちのアメリカ観を歴史から客観視して問い直し、そして、日米安保条約と軍事と基地について、また日米地位協定と独立国のありようについて、過剰な情念によってではなく、他ならぬアメリカ的プラグマティズムによって、冷静に見つめ直すべきだろう。組み替えるべき点は、調整をはかりながら漸次の改革に踏み出す。

プラグマティズムとは実用主義と訳され、理論や信念よりも「実際に役立つかどうか」で物事を判断する実用的な思想です。確かにローマ教皇からも痛烈に批判されるトランプ大統領のアメリカに追随していくことが、果たして日本国民にとってどうなのか、率直に問い直していく時機を迎えているのではないでしょうか。

前述したとおり長文ブログとなっていますが、最後に、著書で取り上げられていた後藤田正晴元副総理に絡む当ブログのバックナンバーを紹介します。このブログを開設した直後、2005年9月に「後藤田元副総理との偶然」という記事を投稿していました。現在の自民党に対し、後藤田元副総理が健在であれば、どのような言葉を発せられるのか興味深いところです。

これまで自民党を支持したことはありませんが、今の自民党から比べると昔の自民党の方が筋の通った政治家が多かったように感じられてしまいます。一昨日亡くなられた元副総理の後藤田正晴さんなどは、今のような政権与党に懐深さがなく、国全体が一気に右傾化しそうな時代において、たいへん貴重な方だったと思います。

最近の後藤田さんの発言を紹介します。郵政民営化法案反対者へ対立候補を立てたことに「政治は厳しい闘いですが、もう少し情味のあるやり方がないかなという気がします」と、さらに「官から民へ」のキャッチフレーズに対して「これは非常に危険。ここまでは官がやらなきゃいかんという分界点を真剣に議論する必要があると思います」とテレビ番組で話されていました。また、自民党護憲派の重鎮として、これまで自衛隊の海外派遣などに慎重な姿勢を示してきていました。

上記に紹介した後藤田さんのお話や姿勢は、この「公務員のためいき」で訴えてきたポイントと偶然にも見事に一致しています。政界から引退して10年近くたちますが、まだまだ発言力や影響力に重みがあった方でした。日本の行く末が難しい局面を迎えている中、後藤田さんのような方が亡くなられたことはたいへん残念に思います。

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2026年4月11日 (土)

高市総理に願うこと

前回記事「新年度に入り、多忙な日々」の冒頭でも、アメリカとイスラエルによるイラン攻撃に関わる緊迫した情勢について触れていました。何とか2週間の停戦が合意され、とりあえず安堵したところですが、次のような報道のとおり予断を許さない緊張状態が続いています。

米国とイランの戦闘終結に向けた協議が11日、仲介国パキスタンの首都イスラマバードで開かれる。トランプ米大統領が停戦の条件としたホルムズ海峡の即時開放が実現しない中、事態打開に向けて双方が歩み寄れるかが焦点となる。イランはレバノンが停戦対象から除外されているのは合意違反だと反発しており、予定通りに協議が開催されるか予断を許さない状態だ。

米国はバンス副大統領が代表団を率い、スティーブン・ウィトコフ中東担当特使、トランプ氏の娘婿ジャレッド・クシュナー氏が参加する。イランはモハンマドバゲル・ガリバフ国会議長、アッバス・アラグチ外相らの出席が見込まれる。米側は協議が現地時間11日午前に開始予定と説明している。

米国とイランで合意した2週間の停戦は、双方の主張が食い違い、揺らいでいる。停戦合意がレバノンに適用されるかどうかを巡り、「含まれない」と主張する米イスラエルに対し、イラン側は合意違反と反発。ホルムズ海峡の「再封鎖」に言及するなど揺さぶりをかけている。協議では停戦の認識をすりあわせ、着実な履行に向けた方策を話し合うとみられる。

米側は敵対関係を終わらせるための包括的な合意を目指している。最大の要求はイランの核開発計画の放棄だ。第1次トランプ政権は2018年、イランの核開発を制限する合意から一方的に離脱した。今回はそれに替わる、より強力な合意を交わしたい考えで、ウラン濃縮の完全停止や核施設の解体などを要求しているとされる。

イランが事実上封鎖しているホルムズ海峡の扱いも議論される見通しだ。トランプ氏は9日、自身のSNSで、封鎖状態が続く海峡について「我々の合意とは違う」と不満を示した。イランが船舶から通航料金を徴収している「報道」があるとし、「あってはならないし、もしそうなら今すぐやめるべきだ」と主張した。【読売新聞2026年4月10日

今回の記事タイトルは「高市総理に願うこと」としていますが、イラン情勢を巡る問題は極めて密接な事例として取り上げていくことになります。少し前の記事「高市総理のカタログギフトの問題」で伝えているとおり当ブログでは「誰が」ではなく、「何が」問題なのか、具体的な言動や事例を指摘した上で「批判ありき」ではない丁寧な説明を加えていくように心がけています。

例えば、このブログでは安倍元総理に対する批判的な論評を数多く投稿してきています。それでも率直に評価すべき点は肯定的に綴っていました。より望ましい「答え」を見出すためには「誰が」に重きを置かず、二項対立的な発想は避けるべきものと考えているからでした。

2月に投稿した記事「36年ぶりの真冬の総選挙 」の中では「総理の座に返り咲いた第2次政権以降、安倍元総理は中国との関係をそれまでよりも柔軟な対応ぶりに変えていたように受けとめています」と評価し、中国に対しては頑なな姿勢を貫きがちな高市総理との違いを記していました。

2019年6月、 トランプ大統領の要請を受け、安倍元総理は緊迫するアメリカとイランとの関係の仲介役としてイランを訪問しています。現職の総理大臣としては1978年の福田赳夫元総理以来41年ぶりで、1979年のイラン革命後は初めてのことでした。日本とイランとの伝統的友好関係を活かし、緊張緩和と武力衝突回避をめざした訪問でした。

今回、パキスタンが仲介役として2週間の停戦合意などに尽力しています。『「日本の船舶はホルムズ海峡を通過させるよう調整」イラン駐日大使が語る―戦争を終わらせるために友好国・日本に求めること』(読売テレビ)という報道のとおり本来であれば、1953年の「日章丸事件以降イランと友好関係を築いてきた日本ならではの役割を発揮して欲しいところでした。

高市総理が安倍元総理を信奉されていることは有名な話ですが、決定的に異なる資質が浮かび上がりつつあります。ディリー新潮の『高市首相と「安倍元首相の側近」大ゲンカが勃発! 官邸の内幕をレポート「秘書官たちは、総理を支える気がなくなっている」』という見出しの記事の内容が衝撃的です。

側近とは内閣官房参与の今井尚哉氏のことです。経産省出身の今井氏は安倍元総理の懐刀として知られ、総理秘書官や総理補佐官を歴任し、内政のみならず外交の重要政策にも関与して「影の総理」と評されてきました。

その記事の中で、先月の日米首脳会談を前に高市総理がトランプ大統領への手土産として、ホルムズ海峡に自衛隊派遣を行なう腹積もりだったことを伝えています。それを知った今井氏が総理執務室に怒鳴り込んで猛反対し、激論の末に派遣は見送られていました。この結果に高市総理は恨み節を吐き「つらい」と弱音を漏らしながら退陣をほのめかしたことまで記されています

これまでも今井氏は高市総理に対し、昨年秋の台湾有事を巡る存立危機事態の総理答弁の明確な軌道修正を求め、アメリカによるイラン攻撃が発生した直後には首都テヘランに特使を派遣して親書を渡すよう進言してきたそうです。しかし、高市総理から一切無視されていることを今井氏は嘆かれていました。

安倍政権時代から一貫して今井氏は自らの意見をハッキリ主張し、政策判断に関与するタイプの人物だったそうです。安倍元総理は聞く耳を持っていましたが、高市総理は強い意見をぶつけてくる人物を好まず、ことごとく今井氏の進言を黙殺し、邪険に扱ってきているようです。その記事では、秘書官ら官邸官僚とまったく会話がないことも伝えています。

FRIDAYデジタルには『”令和の女帝” 高市早苗首相  ″能面の笑顔″に隠された「不安と孤独」』という見出しの記事がありました。高市総理が同僚議員や官僚とあまり交流、話さないのは自身の能力や知識レベルを知られることを懸念しているのではないかという辛辣な見られ方もささやかれ始めています。

より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に触れていくことが欠かせません。そのような意味で、高市総理には今井氏の進言や部下である秘書官らの声にも率直に耳を傾けて欲しいものです。2年前の記事「総理をめざす政治家に望むこと」の最後には次のように記していました。

総理をめざす政治家に対し、「あらゆる人を “敵” と “味方” に分断する政治」とは真逆な政治的な姿勢や立場性を望んでいます。寛容さであり、包摂さです。自分自身の「答え」の正しさに自信を持っていたとしても、異なる考え方や立場も認め合いながら、最適な「答え」を見出す努力を尽くして欲しいものと願っています。

今回、自衛隊のホルムズ海峡への派遣を見送った判断は妥当だったはずです。日本のトップリーダーに上り詰め、衆院選挙に大勝した高市総理に直接苦言を呈せる人物は希少化しています。したがって、今井氏が内閣官房参与を更迭されないよう願わざるを得ません。

長い記事になっていますが、もう一つ、高市総理に願うことを書き添えなければなりません。正直であって欲しいという当たり前な願いです。高市総理は総務大臣時代「私の放送法に関する発言が事実だった場合は議員を辞める」と述べながら事実を裏付ける公文書が見つかると、その文書は「捏造」だと決め付けていました。

高市総理の「捏造」という見方を支持された方々も皆無ではなかったようですが、つい最近、既視感のある報道に接しています。高市総理はXで「参議院予算委員会の集中審議に応じない意向を示していた」と伝えられていたことなどを「事実とまったく異なる報道が増え過ぎている」と批判していました。

ただ関与を否定している「サナエトークン」の問題をはじめ、高市総理は一方通行となるXでの情報発信にとどめ、記者会見を開くなどして公に説明を行なう場は設けていません。高市総理が一貫して正直に事実関係を説明しているのであれば、このように疑惑の目を向けてしまうことは甚だ失礼なことだと猛省しなければなりません。

しかし、最近の報道全般に言えることですが、火のない所に煙は立たないという言葉があります。さらに朝日新聞の記者だった政治ジャーナリストの鮫島浩さんのブログ『高市首相、SNSでブチギレ!でも本当にヤバい報道はスルーした理由』に綴られている「反論できる案件だけを選んで否定」という見方のとおりだとも言えます。

紹介した鮫島さんのブログの最後に「高市政権は、総選挙で大勝し、高い支持率を維持している。外から見れば盤石に映る。しかし、その内実では、党内の不満や官邸内の緊張が蓄積しているとの指摘も少なくない」と書かれています。そのような現状だったとしても、高市総理がトップリーダーである限り、最適な「答え」を出し続けて欲しいものと願っています。

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2026年4月 4日 (土)

新年度に入り、多忙な日々

数日前、トランプ大統領のアメリカ国民向けの演説がイラン攻撃の終息に向かうメッセージであることを期待しました。しかし、極めて残念ながら「イランを石器時代へと逆戻りさせる」という言葉があるように戦闘終結の道筋や時期は明示されず、ますますイランとの戦争は激化する様相です。

大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めませんが、戦争は人間の「意思」によって抑え込めるはずです。その「意思」決定に対して強大な権限を持つ究極のトップリーダー「私に国際法は不要」と語るトランプ大統領であることは痛恨の極みだと言わざるを得ません。

ホルムズ海峡の事実上の封鎖による原油輸入停滞の長期化は、私たちの生活に直結する深刻な問題です。今後、節電や節約が求められていくことも考えられます。韓国では車両使用の規制が強まっています。私自身、自家用車で通勤し、市役所から徒歩10分弱の有料駐車場を利用しています。

これまで週4日勤務だったため駐車場の定期券は購入していませんでした。前々回記事「2026年の春闘期、気ままに思うこと」の中で伝えていたとおり4月から週5日勤務に変わっています。この機会に定期券を購入したところですが、自家用車の使用が制限されてしまうと手痛い出費となる最悪なタイミングでの切り替えだったことになります。

このような個人的な事情の話はともかく、武力での応酬が続くことによって、これからも多くの尊い人命が失われていくことに心を痛めています。中東やウクライナでの戦争をはじめ、あらゆる地域での戦火が消えることを願ってやみません。さらに本来であればイランと伝統的友好関係を築いてきた日本ならではの役割を発揮して欲しいところです。

昨年4月の「これからも『公務員のためいき』」という記事の中で、フルタイム再任用として務めていた収納課を離れ、くらし相談課に異動し、おくやみコーナーを担当することになったという近況を伝えていました。新年度に入り、くらし相談課のままですが、おくやみコーナーの担当を外れています。

今年4月1日から終活相談とともに「おくやみ・終活あんしん窓口」とし、業務を行政書士会様に委託しています。前担当者の立場から行政書士の皆さんへの業務引き継ぎにあたりながら、自分自身の新たな任務における事務等を覚えていかなければなりません。

同じ課に所属していましたが、これまで1階と3階に分かれていたため、市民相談を中心とした業務にはまったく関わっていませんでした。机の移動も含め、任務内容がガラッと変わり、実質的には2年続けて人事異動したことになります。

使用するパソコンも変わり、初期設定等が必要とされています。初期設定用の手順やパスワードが頭に入っている訳ではなく、なかなか時間を取られる時があります。おくやみコーナーの業務は来庁者や電話がかかってくる数に大きな波があり、不急な事務作業や資料作成等にあてられる時間が日常的にありました。

4月1日と2日、久しぶりに一瞬も息つく暇のない忙しさに追われました。あっという間に正午、あっという間に午後5時という肌感覚でした。退勤時間は5時15分から5時に変わっていましたが、両日とも5時30分頃まで自席から離れることはできませんでした。

2日の夜は執行委員会にも出席しています。前回記事「労使の信頼関係について思うこと、2026年春」の最後に記していた宿題、労使関係に関する執行委員会用の資料は無事提出できました。箇条書きにした事項を参考までに紹介します。

  1. 労使対等原則のもと労働条件の問題は労使対等な立場で協議する。
  2. 労働条件の変更を伴う事項については従前通り事前協議し、合意に至らなければ一方的に実施しない。
  3. 労使の信頼関係のもと充分な協議期間を保障する。
  4. 組織改正そのものは管理運営事項だが、改正に伴う職員配置の変更は労使協議の対象とする。
  5. 行政改革に絡む計画策定やその実施に関しては当局責任の範疇となるが、それぞれの施設や事業に携わっている職員の働き方に影響を与える変更の場合、従前通り労使協議の対象とする。
  6. 人事そのものは当局のみの責任事項であるが、賃金水準に直結する人事制度や給与制度の問題は労使協議の対象とする。
  7. 職員採用に関しては当局責任の範疇であるが、欠員問題等に関わる場合、必要に応じて組合に情報提供する。
  8. 職員の安全衛生は労使の課題とし、安全衛生委員会等を通して必要な協議を進める。
  9. ハラスメント防止に向け、対策委員会の活動が中心となるが、必要に応じて労使で情報交換等に努める。
  10. 確認した事項は文書に残し、労組法上の法的拘束力がなくても信頼関係に基づき労使双方が誠実に履行する。
  11. 信頼関係を維持するためには「約束したことは守る」という土台が欠かせず、労使合意した後、著しい状況変化がない中で合意内容を覆すような対応は慎む。
  12. 約束が守れない場合、変更しなければならない場合、相手方に事情を丁寧に説明し、納得を得られるように努力する。
  13. これまでの労使確認や労使慣行から外れる可能性のある新たな案件の取扱いについては事前に協議する。
  14. 情勢の変化等によって、これまで労使協議の対象だった事項の取扱いを変える場合、対象としないという事情や理由を組合側に説明した上で同意を求める。
  15. 労使の信頼関係を維持する上で何か疑義が生じた場合、すみやかに指摘し、指摘を受けた側は真摯に対応し、お互いが納得できる対応をはかっていく。

それぞれの項目について、具体的な事例等も示しながら私から説明を加えています。今回の新規記事のタイトルは「新年度に入り、多忙な日々」という近況報告を中心としていますので、その説明内容等に関わる話は機会を見ながら次回以降の記事で取り上げていければと考えています。

3日金曜日も同じように忙しく、積み残した仕事を翌週に送らざるを得ませんでした。ただ初めて5時を過ぎ、すぐ席を離れています。午後6時30分から組合主催の新人歓迎会があり、組合関係者は早めに会場に向かう必要があったからでした。

ブログを開設した翌年4月に「新入職員の皆さんへ」という記事を投稿していました。その後「新入職員の皆さんへ 2014」「新入職員の皆さんへ 2017」「新入職員の皆さんへ 2019」という記事があります。コロナ禍となった2020年の歓迎会は中止し、再開後は委員長を退任していたため、今回7年ぶりに特別執行委員の立場で参加しています。

参加者は全体で60名ほどでした。市長にも来賓として開会から最後の記念写真まで参加いただきました。市長のご挨拶の中では組合の役割の大切さについて触れていただき、参加された新人の皆さんに向けて説得力のある言葉になっていたのではないでしょうか。

両隣同士で会話を弾ます趣向として、テーブルの右隣の方を他己紹介していく時間がありました。私の右隣は市長でした。市長の趣味がオペラ鑑賞やツーリングであることを紹介し、奥様がオペラ歌手で、その奥様が250㏄ほどのバイクを乗りこなしていた姿を以前拝見した話などにつなげさせていただきました。

たいへん盛り上がった新人歓迎会が終わった後、執行委員二人と近くの居酒屋に立ち寄っています。どうしたら執行委員の担い手を広げられるかどうかなど、この場もたいへん盛り上がりました。多忙だった日々の最後、タクシーで帰宅しています。レシートの時間は「23:32」、かろうじて金曜の夜のうちに帰れていました。

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2026年3月28日 (土)

労使の信頼関係について思うこと、2026年春

今回の記事も長くなりそうですので、時事の話題等には触れず、すぐ本題に入ります。前回記事「2026年の春闘期、気ままに思うこと」の最後のほうで、市側に最も伝えたかったのは「省みることは省みながら労使の信頼関係が損なわれないよう努めていく考えです」という言葉だったことを記していました。

労働組合という組織に限らず、誰もが日常の中で間違ったことはしていないと考えているはずです。そのため、正しいと認識していた「答え」が間違っていると指摘を受けた時、反発してしまうこともあるかも知れません。もし厳しい言葉でのやり取りになった場合、感情的な応酬につながる恐れもあります。

したがって、自らの「答え」に誤りがあるかも知れないと考え、指摘を受けた時、謙虚な姿勢で省みていくことが重要です。その結果、誤りがあれば率直に反省し、すみやかに改めていくことが欠かせません。ただ自分自身の「答え」に誤りが確認できなければ、そのことを指摘された側に説明していくことも必要です。

信頼関係を維持していくためには、このような当たり前な関係が大切だろうと思っています。すると奇遇にも数日前、プレジデントオンラインの『怒鳴ってきた相手が一瞬で大人しくなる…仕事ができる人が"厄介な反対勢力"を手懐ける「戦略的なひと言」』という見出しの記事を目にしていました。

仕事ができる人は、相手に対して「これをやらないと、こういう事態になってしまうと私は思っているんです」と冷静に伝えることで、相手の認識が変わる可能性について書かれていました。知らなかった新情報を教え合うことで、相手に対して抱いていた対立心も和らいでいくという説明の後には次のように記されています。

どちらにしても、自分が相手と対立しているのには理由があり、無意味に感情的になっているわけではないことを伝えることができます。一番いけないのは、言わないことです。自分が考えていることを相手に伝えず、相手に漠然とした嫌悪感を抱くことです。

このような心得について共感しています。指摘すること、説明すること、対話していくことの大切さに思いを巡らしています。私どもの労使関係の現状が対立気味というものではありませんが、執行委員長を退任した翌年、3年前の6月に労使の信頼関係について思うこと」という記事を投稿していました。

今回、その記事の続きにあたる内容としてタイトルに「2026年春」を付けて書き進めています。労使のOBが懇親の場を持つことになったエピソードなどについて、興味を持たれた方はリンク先の記事をご参照ください。ここでは労使関係に関わる法的な位置付けなどに絞って再掲します。

団体交渉は憲法第28条及び労働組合法第6条に定められた労働組合の権利であり、正当な団体交渉の要求を使用者側は拒否できません。私どもの組合は厳密にとらえれば職員団体で、協約締結権が認められていません。

労組法に照らして一定の制約のある組合ですが、これまで労働組合としての正当性について市側から疑義を示されたことはありません。このような労使関係の出発点となる信頼関係があり、そのことから派生する重要な確認事項がいくつかあります。

労働条件の問題は労使対等な立場で協議し、合意に至らなければ一方的に実施しないという原則です。このことについてはブログを開設した頃の記事「なぜ、労使対等なのか?」をはじめ、「労使交渉への思い」や「組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」などを通して詳述しています。

事前協議の原則は、民間委託や指定管理者制度など行政のアウトソーシングに関しても同じように対応しています。5年前には組合からの要請書に対する文書回答で、行革計画の中で「労働条件の変更を伴う事項については、従前と変わらず事前協議していく」「労使の信頼関係を損ねないように取り組んでいく」ことを改めて確認していました。

かつて市議会の委員会で「行革課題を進める上で組合との協議が必要なのか?」という質問がありました。このような質問に対し、当時の副市長は「労働条件の変更が伴う場合、労使協議は必要」と答弁しています。その時の副市長が今回の会食に参加された懐かしいメンバーのお一人でした。

労使関係に関わらず、信頼関係を維持するためには「約束したことは守る」という土台が欠かせません。約束が守れない場合、変更しなければならない場合、相手方に事情を丁寧に説明し、納得を得られるように努力しなければなりません。

労使協議の対象とすべきかどうかなど、もしかすると情勢の変化によって変わる場合もあり得るのかも知れません。しかし、これまで労使協議の対象だった事項の取扱いを変えるのであれば、対象としないという事情や理由を組合側に理解を求め、同意を得ることから始める必要があります。

労使対等の原則について少し補足します。労使交渉に限らず、それぞれ考え方や立場の異なる者同士が話し合って一つの結論を出す際、難航する場合が多くなります。両者の力関係が極端に偏っていた場合、相手側の反論は無視され、結論が押し付けられかねません。そのようなケースは命令と服従という従属的な関係に過ぎず、対等な交渉とは呼べなくなります。

その意味で労使対等の原則は非常に重要であり、労使交渉の場では対等に物申すことができ、労使合意がなければ労働条件の問題は市側の思惑で一方的に変更できないようになっています。ただお互いの主張から一歩も踏み出せないようであれば交渉は成り立ちません。お互いの主張に耳を傾け、労使双方が決断を模索し、納得できる解決策を見出す努力も心がけていかなければなりません。

私の委員長時代の反省点があります。労使交渉を通して決めた事項について、押印を交わした文書を逐次残していませんでした。3年前に就任された市長と直接お話する機会があった時、そのことについて不思議がられてしまいました。もちろん団体交渉の議事録は残り、組合側は組合員に向けてニュース等で労使確認した内容を伝えています。

ちなみに口約束でも当事者の意思表示が合致すれば民法上有効な契約として成立します。そもそも法的拘束力がない中、取り交わした文書内容の履行も信頼関係が前提となります。このような考え方があり、労使確認に関わる文書の少ない事情を市長に説明させていただきました。とは言え、交渉当事者が変わっていくことを踏まえれば、重要な労使確認事項は文書として残していくべきものだったと反省しています。

実は次回の執行委員会に向け、労使関係に関わる資料をまとめる宿題を引き受けています。今回のブログ記事は、その資料を想定しながら書き進めていました。結局のところ以前の記事内容の紹介がメインとなっていますので、木曜の執行委員会に提出する内容は改めて白紙から手がけていくことになりそうです(😞)。

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2026年3月21日 (土)

2026年の春闘期、気ままに思うこと

6回目となるWBC、日本は初めて準決勝に進めませんでした。三冠王でベストナインに選出された大谷選手は、優勝したベネズエラとの試合でも先頭打者ホームランを打つなど活躍しています。まさかの準々決勝での敗退、特に決勝の水曜は週休日でリアルタイムで応援できる絶好の日程だったため重ねて残念なことでした。

4月以降も市役所で働き続けられますが、週4日勤務から週5日勤務に変わります。したがって、その日はラス前の水曜週休日でした。前回記事「『自治体は何のためにあるのか』を読み終えて」でお伝えした季刊誌「とうきょうの自治」の原稿をまとめ、昼過ぎにメールで入稿しています。やはり1300字程度に絞りこむ作業には苦労しました

その日のニュース番組は春闘の集中回答日であることを伝えていました。自動車や電機などの大手企業が労働組合の要求に回答を示しています。物価上昇や人手不足を背景に組合側は昨年に続き高い水準の賃上げを求め、企業側からは基本給を底上げするベースアップを含めて満額回答が相次いでいました。この後、中小企業の労使交渉が本格化します。

公務員の賃金交渉は8月に人事院勧告が示された後、秋から年末にかけて本格化していきます。春闘で賃金を決定する交渉はありませんが、私どもの組合では2月から3月にかけて次年度に向けた人員確保交渉の山場を迎えます。自治労や連合関係の春闘集会等も続くため、執行委員長時代「季節は春闘、多忙な日々」という記事があるとおり連日、この時期は組合活動に関わっていました。

当たり前なことですが、その頃に比べれば体力的にも精神的にも穏やかな日々を過ごせています。ただ特別執行委員を引き受けていますので昨年よりも負担が生じています。私が担当した資料の説明もあり、週休日にも関わらず、夕方からは執行委員会に出席していました。

今回の記事に際し、自分自身や私どもの組合に関わるローカルな話題だけでまとめることも考えていました。しかし、やはり前々回記事「イラン攻撃から思う日本の立ち位置」から前回記事の冒頭でも触れている時事の動き、特に高市総理とトランプ大統領との会談について取り上げない訳にはいきません。

朝日新聞の記事『「我々が始めた戦争ではない」ドイツ、ホルムズへの艦船派遣を否定』で、ドイツのメルツ首相が「この戦争のリスクはあまりにも大きい。軍事的な解決はなく、政治的な解決しかない」と強調し、「NATOは防衛同盟であって『介入同盟』ではない。同盟内で互いに敬意を持って接することを願う」と述べていることを伝えています。

EUの外相にあたるカラス外交安全保障上級代表は「欧州の戦争ではない」とし、加盟国海軍の派遣に否定的な考えを示しています。戦闘に巻き込まれる事態への懸念からイギリスやフランスも慎重姿勢を崩していません。それぞれ至極真っ当な立場声明だろうと思っています。

このような中、高市総理はトランプ大統領とどのように相対するのか、内外から注目が高まっていました。高市総理に対し、このブログでは批判的な論調が目立っています。ただ「高市総理のカタログギフトの問題」にも記したとおり決して「批判ありき」ではなく、具体的な言動や事例を指摘した上で、何が問題なのかという論点を示しています。

3年前には「放送法での政治的公平性」という記事を通し、高市総理の虚偽答弁やその後の不誠実な対応ぶりを綴っていました。訪米前の日刊ゲンダイDIGITALの記事『高市早苗首相、外務省のレクには耳を傾けず? トランプ大統領との"口約束"に懸念』では「外務省の熱心なレクに総理は耳を傾けず…」という高市総理の特異さを伝えています。

場合によって「脱官僚」という面でプラスに働くことがあったとしても、より望ましい「答え」を見出すためには多面的な情報等に触れていくことが欠かせないものと考えています。松本洋平文科相の不倫スキャンダルの報道に驚いていましたが、「高市さん、大っ嫌いなんだよ」と発した理由にはうなづける気がします。

高市総理が松本文科相の党務における上司だった時、部下にはパワハラ的なきつさで接し、自分よりも立場が上の人物に対してはガラリと態度を変え、媚びを売る姿を見てきたからでした。そのような振る舞い方が事実だった場合、一般的に言って嫌われる上司の筆頭に上げられる素性ではないでしょうか。

「なんでダメなの?」「私に恥をかかせるな」高市首相の言葉遣いが起こす大きな波紋』という報道のとおり閣僚らに対する言葉遣いは現在も厳しめであるようです。「立場が上の人物に対して」という事例では、真っ先にトランプ大統領との接し方が思い浮かびます。とは言え、たいへん気難しいトランプ大統領に対し、高市総理だからこその良好な付き合い方ができているのだろうと評価しています。

さて、注目を集めていたトランプ大統領との会談は『日米首脳会談、中東情勢安定へ緊密な連携で一致…トランプ氏は日本評価「NATOとは違う」』という読売新聞の見出しのとおり無難に終えることができたようです。会談の冒頭、トランプ大統領は高市総理を「選挙で勝利した偉大な女性」と持ち上げていました。

この言葉の後、高市総理は「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだと思っています。そのために私は諸外国に働きかけて、しっかりと応援をしたいと思っています。今日、私はそれを伝えに来ました」と伝えています。額面通りであればトランプ大統領を過剰に持ち上げる言葉ですが、なかなか練り上げてきた様子を深読みしています。

国際法に沿って違法の疑いが明らかなイラン攻撃を始めたトランプ大統領への皮肉は込めていないのかも知れませんが、戦争を終わらせられるのは「ドナルドだけ」というメッセージだったとも理解できます。現時点で真意は明らかにされていませんが、そのようなメッセージを込めていたことを信じたいものです。

トランプ大統領からは日本の対応について「非常に素晴らしい支援を受けている。NATOとはまったく違う」と持ち上げられています。高市総理は日本の法律で「できること、できないことを説明した」と述べていますが、その言葉をトランプ大統領がどこまで理解されたか、今後、不当な戦争に荷担させられないことを切に願っています。

会談の最後のほうで台湾問題を巡り、武力による一方的な現状変更の試みに反対することで一致したようですが、ベネズエラやイランへの攻撃との矛盾が照らし合わせられていない点には強い疑念を示さなければなりません。いずれにしてもアメリカとの関係が、この問題を通して極端に悪化しなかったことに関しては安堵しています。

訪米前、高市総理は「したたかな外交を実現する」と意気込みを示していました。厳しい会談になるとの警戒感が強かったため、政府高官が会談終了後「大成功だ。トランプ氏も満足していた」と語った言葉もその通りだろうと思っています。そこで考えてしまうことは、なぜ、中国の習主席との首脳会談でも国益を重視した「したたかな外交」を意識できなかったのか、残念でなりません。

ここまでで随分長い記事になっていますが、トランプ大統領との会談から私どもの組合のローカルな話題につなげます。昨年11月の記事「3年ぶりの団体交渉 Part2」の最後のほうで触れていた組合の定期大会を庁舎内の会議室で開催した問題です。経緯について市側に文書で報告する運びとなっていました。

委員長が文書の案を執行委員会に示した時、出席していた私がいくつか意見を述べていました。結局のところ先週、多忙な委員長から私が依頼され、改めてまとめることになりました。執行委員会で確認した翌日、委員長名で市長あてに提出しています。その文書「組合の定期大会を302会議室で開催した経緯について」の内容の全文は最後に紹介します。

内容を確認した時の執行委員会では「少し謝りすぎではないですか」という意見も出ていました。そのような点も意識しながら、かなり時間をかけて練り上げた文章であることを私から説明していました。そもそも今後の開催について、正式に承認を得るための交渉の仕方があったように思っています。

それでも定期大会以外は今まで通り使用可能と確認できているため、あえて争点化せず、早々に市側の結論を受け入れていました。他に労使で争点化されがちな重要な課題が山積しているため、この使用問題で軋轢を生むような対応は避けるべきものと考えました。文書の提出まで求められたことに違和感がありましたが、約束したからには答えなければなりません。

約束したことは守る、当たり前なことであり、労使の信頼関係の大事な基盤だと思っています。このようなことも考え、たいへん多忙な委員長と相談し、私が文書を仕上げることになりました。せっかく手がけるのであれば、いろいろな思いを込めた内容としています。最も伝えたかったのは「省みることは省みながら労使の信頼関係が損なわれないよう努めていく考えです」という最後の言葉です。

    ◇          ◇

日頃から市政運営に対してご尽力されている貴職に心から敬意を表します。まずもって求められていた本文書の提出が年度末の時期まで遅れてしまったことをお詫びしなければなりません。たいへん申し訳ありません。

組合の第80回定期大会は昨年11月7日、本庁舎302会議室で開催しています。これまで長い間、市民会館大ホールで開いてきました。組合員全員の出席を呼びかけた重要な会議であり、組合員数に見合った相応の会場規模を必要としていました。500人以上集まった時もありましたが、年々出席者数は減少していました。組合予算の負担軽減等も考慮し、2017年11月の第72回定期大会から会場を小ホールに変えていました。

コロナ禍での2020年11月の第75回定期大会は事前予約制とし、出席者を100人以内に制限しました。コロナ禍後も予約制としていますが、100人以内という制限は外しています。しかしながら出席は100人以下で推移し、第79回定期大会の出席者数は73人でした。

このような出席者数の現況を踏まえ、組合執行部は定期大会の開催を本庁舎の101会議室、もしくは302会議室に変更することを検討しました。会場使用料の負担軽減よりも本庁勤務の組合員が出席しやすくなる利便性等を重視した判断でした。

それぞれの会議室の予約状況を確認し、使用予定だった関連部署等と調整をはかりながら昨年9月8日に302会議室を予約しています。予約後、9月30日発行の組合ニュース第23号で定期大会の開催場所等を組合員に周知しました。

この組合ニュースを目にされた総務文書課長から組合に申し入れがあり、10月6日に委員長が直接お話を伺いました。定期大会での会議室利用は初めてのケースであり、庁舎管理規則に沿って使用を認められるかどうか疑義を呈されていました。1か月後に迫った今回についてはそのまま使用を認めていただきましたが、今後の使用については適否を改めて労使で協議するよう申し入れを受けました。

第80回定期大会開催後の11月21日の事務折衝で、庁舎管理規則から外れる定期大会での使用は認められないということを確認しています。その際、定期大会以外の職場委員会、職場懇談会、学習会などは今まで通り使用可能ということも確認しています。この確認を受け、12月2日の執行委員会で第81回定期大会は駅周辺の会場で開催することを決めています。

これまで職場委員会や職場懇談会等は予約状況を実務的に確認し、空いていた場合、会議室の使用を認めていただいてきました。このような労使慣行を前提に組合側は定期大会の開催をとらえていました。しかしながら確かに定期大会での庁舎会議室の使用は初めての試みでした。職員を中心とした会議とは異なり、来賓として他の組合関係者や市議会議員らも訪れるため、事前に担当部局や人事当局と相談する必要がありました。

初めて取扱う事案として、あらかじめ適否について労使協議を通して確認できなかったことを省みています。決して庁舎管理規則等を軽視していた訳ではありません。これまで認められてきた会議室使用の範疇として、定期大会の開催を考えていたことからの行き違いであることをご理解ください。いずれにしても貴職に対し、余計な心配やお手を煩わせてしまったことをお詫び申し上げます。

今後、このようなことが繰り返されないよう注意していきます。もし認識の相違や至らない点があった場合、今回のように率直にご指摘いただければ幸いに存じます。真摯に受けとめ、省みることは省みながら労使の信頼関係が損なわれないよう努めていく考えです。よろしくお願いします。

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2026年3月14日 (土)

『自治体は何のためにあるのか』を読み終えて

前回記事はイラン攻撃から思う日本の立ち位置」でした。3月中に高市総理は訪米し、トランプ大統領と会談する予定です。1月末の記事「36年ぶりの真冬の総選挙 」の中で伝えていましたが、 中国の習主席との初めての首脳会談で高市総理は香港や新疆ウイグル自治区などの人権問題について少しも遠慮せず正論を述べていました。

この後、台湾有事に関する高市総理の国会発言があり、その時の首脳会談が現状のような悪化した日中関係に至る伏線となっていました。同じように正論となる「法の支配」から逸脱したイラン攻撃の問題性を指摘できれば、トランプ大統領は激怒するはずですが、日本に対する国際的な評価は高まるはずです。

トランプ大統領との関係性が悪化したとしても不当な戦争からは距離を置け、これからも問題点を率直に諫言できる深化した日米関係に高められる機会になり得るかも知れません。このような立ち位置こそ日本国憲法の平和主義に軸足を置いた対応であり、国際社会と連携しながら今回のアメリカの不当さを指摘していくことが、長期的な意味合いでの国益につながっていくのではないでしょうか。

ただ残念ながら「法的評価は差し控える」という言葉を繰り返す高市総理にそのような期待を託すことは「ないものねだり」なのだろうとも思っています。せめて不当な戦争に荷担させられるような「宿題」だけは負わされないことを切に願っています。

緊迫化した時事の動きを受け、記事タイトルとは離れた内容が広がりがちですが、今回は定番化している「『〇〇〇』を読み終えて」というタイトルを付けた新規記事としています。実は今回の書籍自治体は何のためにあるのか』は2週間以上前に読み終えていました。

前々回は高市総理のカタログギフトの問題、前回はイラン攻撃に接し、そのことに絡む内容を先に取り上げてきました。ようやく今回、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の締切が3月末に迫っているため、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めています。

これまで『足元からの学校の安全保障  無償化・学校教育・学力・インクルーシブどうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義公営競技史』『承認をひらく官僚制の作法 賃金とは何か自治体職員の「自治体政策研究」史』『新しいリベラル』『首長たちの戦いに学ぶを紹介し、次号は『自治体は何のためにあるのかを取り上げます。

それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」「『官僚制の作法』を読み終えて」「『賃金とは何か』を読み終えて」「『自治体職員の「自治体政策研究」史』を読み終えて」「『新しいリベラル』を読み終えて」「『首長たちの戦いに学ぶ』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。

ちなみに季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありません。先にブログ記事をまとめるパターンは、いつも気ままに書き進めるため3000字以上の長文となりがちです。その内容を基本に入稿用の原稿に移す訳ですが、1300字程度に絞るこむ作業には毎回苦労しています。

今回の著書『自治体は何のためにあるのか』 の副題には『〈地域活性化〉を問い直す』と掲げられています。著者の今井照(あきら)さんは福島大学行政政策学類教授だった方で、現在、地方自治総合研究所の特任研究員を務められています。表紙カバーの袖やリンク先の著書の紹介文には次のとおり記されています。

地方自治の空洞化が加速している。「地方創生」の名のもとに、「稼ぐ」ための地域活性化を煽られ、コンサル会社による行政の“分捕り”や、国からの新たな統制が広がっている。人口の縮減、デジタル化の進展など、社会が大きく転換するいま、自治体の存在意義を根本から考える。市民が自治体を使いこなすために。

著書のはじめに「身近で遠い自治体」という小見出しが付けられています。「日頃はあまり、自治体や地方自治のことを考えたことがない方に向けて、現在はこんなことになっています、どうしましょうか、と関心を持ってもらうために書いています」という言葉から始まっています。

第1章は「稼ぐ」地方創生の末路として、福島県国見町で起きた企業版ふるさと納税が悪用された事件を伝えています。ある企業グループが町に4億円ほどを寄付し、税制優遇の恩恵を受けていました。企業グループは町のコンサル的業務にも関わり、その後の業務受注で資金を回収していたという不公正な関係性が問われた事例です。

官製談合の疑いをかけられた事件ですが、著者の今井さんは「完全に法に反していると疑われる点は、ごく限られた行為だけなのです。むしろ概ねは、現在の国の政策や制度を最大限利活用している」とし、「仮に事件の真相が明るみに出なければ、町も事業者も、国政の先端を担っていると高く評価されていたかも知れません」と語っています。

この事件を報道した河北新報の記者は『過疎ビジネス』という自著を通し、過疎にあえぐ小さな自治体の苦悩と「地方創生マネー」をビジネスチャンスとしてとらえている企業との関係を「コンサル栄えて、国滅ぶ」という言葉で問題提起しています。

このような構図があることを今井さんは認めながら「不正は不正として批判されるべきですが、町や人々、あるいは事業者を貶める意図は毛頭ありません」という立場であることを述べています。国がお金を用意して、自治体に「稼ぐ」ことを求めれば、このようなことが起こる可能性の高くなる構造的な問題を批判しています。

自治体側の必然性や不可避性から立ち上げられた事業ではなく、国からくるお金を使うために編み出された経緯や背景を今井さんは問題視しています。ノウハウのない小規模な自治体は計画策定からコンサル会社に依存することになり、そもそも地域社会を維持するために「稼ぐ」ことを求めている国の政策や価値観に警鐘を鳴らしています。

入稿用の原稿は1300字程度にも関わらず、第1章だけで相当な分量の内容を紹介しています。それだけ今井さんの著書の中味が濃く、掘り下げていくと非常に重要な問題提起に気付かされるからだと言えます。自治体に関心のない方々に向けて書かれているとされていますが、私自身をはじめ、自治体職員にとって必読の書であることに間違いありません。

駆け足となるかも知れませんが、第2章以降も興味深い箇所を紹介していきます。2000年の分権改革で国と自治体は「対等」の関係になったはずです。しかし、その後の三位一体の改革、市町村合併、東日本大震災の復興過程や地方創生政策などを経ながら「自治・分権」は制約されてきていると今井さんは見ています。

機関委任事務制度の時代は通達による行政統制が中心でしたが、自治事務と法定受託事務に移行した後、立法を介した自治体に対する計画策定要請によって国からの統制が強められています。このことを今井さんは「計画統制」と名付け、国が自治体の活動を実質的に制約し、特定の方向に誘導している現状を憂慮されています。

国の地域政策は「地域活性化」から「地域再生」を経て、近年の「地方創生」に至っています。「地方創生」という造語はアベノミクスの成長戦略を大胆にパワーアップするという文脈で出てきました。今井さんは成長戦略のテコ入れとして地方を利活用することを明確に否定し、次のように説明しています。

自治体の中には、大都市部のように、自治体が関わらなくても、経済活動が自律的に「稼ぐ」地域もありますが、「稼ぐ」環境に恵まれていない自治体のほうが圧倒的に多いのです。こうした条件の差を調整して、どの地域にいても最低限の生活を維持できるようにするのが国の役割なのです。

今井さんは「人口減少」→「地方消滅」→「自治体消滅」というロジックそのものが間違っていると提唱されています。このロジックに至るまでの国の進めてきた政策の問題性を著書の中で綴っています。

自治体側が使途を国に制約されない財源を望んだ結果、2002年から2006年にかけて国税の一部を地方税へ移し、補助金交付金と地方交付税は削減するという三位一体改革が進められました。増えるべき税収の少ない自治体にとって、財政面で深刻な不安を強いられることになりました。

同じ時期、国が市町村合併を促進させていたため、三位一体改革によって動揺していた少規模な市町村は合併を受け入れる動きを活発化させていきました。この「平成の大合併」は地方自治にとって相当に歪な構造を生み出しました。

合併は、まるで地域社会から役所が逃げ去ったかのようでした。なぜなら、合併によって広域化し、周縁地域になってしまった旧市町村では、市民生活を見守り、地域課題に対処するべき役所も議会も中心部に行ってしまったからです。合併後、このような地域の多くで人口減少が加速します。

著書の中には「合併すれば効率化するという理屈は、経済活動では成り立つかも知れませんが、自治体の行政活動では成り立ちません。自治体の行政活動は、そこにいるすべての人を対象にしなければならないからです」という記述もあります。今井さんは「稼ぐ」という発想をはじめ、一般的な経済活動のロジックを自治体の政治行政に持ち込もうと企図しがちな国の動きを一貫して危惧されています。

長いブログ記事となっていますが、もう少し続けます。2024年に地方自治法の一部が改正されました。2000年の分権改革によって「上下・主従」が「対等・協力」という関係となり、この改正では「協調・連携」という言葉に置き換えられています。今井さんは改正の柱として次の3点を上げています。

  1. デジタル化(全体の「最適化」)
  2. 国と自治体との関係の特例(「補充的」指示権)
  3. 公共私連携(指定地域共同活動団体制度)

それぞれ問題性が指摘されていますが、ここではデジタル化についてのみ紹介します。私自身、マイナンバーカードを所管する部署の近くで執務しているため、今回の著書に接し、肌感覚で最も共感を覚えた箇所でした。今井さんはデジタル化そのものは社会の趨勢であることを認めながらも、国の進めているデジタル化のチグハグさを指摘しています。

たとえば、マイナンバーカードは、暗証番号の更新のために、少なくとも5年に1回は老若男女を問わずに役所の窓口に出向くことが大きな負担になっています(代理人手続きもありますが、相当に煩雑です)。デジタル化によって、役所に出向く回数が増えるとは、何かが間違っているとしか思えません。

当然、市町村にとっても新たな負担となり、作業量の増加はもとより、人員や財源の確保が必要になっています。しかもこの事務は導入期の一時的な増加ではなく、現在の制度が続く限り永遠に続く事務量の増加です。したがって、市町村によっては、新しい組織を作り、別に事務所を借りて対応しているところもあります。これらを国全体で積み上げたら、相当大きな負担増になっているに違いありません。

2024年の改正で住民基本台帳や固定資産税など自治体の基幹20業務のシステムを、国が作成する標準仕様書に基づくシステムへリプレイスする義務を自治体に課しています。国全体では膨大なコスト増となり、マイナンバーカードと同様「デジタル化による行政の効率化や最適化」から程遠くなりがちな動きを今井さんは懸念されています。

今回の著書を読み終えて、今井さんの明確な危機意識がヒシヒシと伝わってきていました。それでも全体を通して抑制的な論調であり、他者を厳しく非難するような言葉は見当たりません。あくまでも具体的な事例や政策の方向性等に対し、ご自身の考え方に照らして論評するという立場で綴られています。

まだまだ紹介したい内容が多くありますが、そろそろまとめます。本来であれば国のやるべき仕事を、自治体が執行していることの多い「融合」状態であるため、海外比較から日本の自治体の事務量は多すぎると今井さんは説いています。このような現況の中、いっそう自治体の事務量を増やしがちな「分権」を問題視し、決定権の分別を進めることこそ重要であると訴えています。

「自治・分権」が社会のめざすべき理念として自治体関係者は考えてきました。しかし、今や地方自治を所管する総務省の中にも「自治・分権」を制約する考え方が広がりつつあるようです。このような現状を憂慮されている今井さんが、著書の中で強調されてきた思いを最後に紹介させていただきます。

自治体のミッションとは、何度も繰り返してきたように「今日と同じように、明日も暮らし続けられる」ことを市民に保障することです。その資源を用意するのは国の責務です。どの地域で暮らしていてもナショナル・ミニマムを享受できる条件が整っていなくてはなりません。たまたま暮らしている土地では、小学校に通えない、介護サービスを受けられない、といったことが起こっていいはずがありません。

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