平和への願い、届く言葉は?
前回記事「プラグマティズムと穏健保守」の冒頭で「ゴールデンウイークの初日にあたる土曜日、連合の三多摩メーデーに参加」と記していましたが、祝日の4月29日からゴールデンウイークと称している声のほうが多いようです。暦通りに働く私自身にとっては本日の土曜から5連休となります。
連合の中央メーデーは4月29日に開かれ、高市総理も来賓として呼ばれていました。前々回記事「『真の保守とは何か』を読み終えて」からプラグマティズムという言葉を多用しています。理論や信念よりも「実際に役立つかどうか」で物事を判断する実用的な思想です。
連合と政府との関係が良好であり、メーデーに高市総理が出席されることで、総論的な方向性として広く労働者のメリットにつながっていくことを期待しています。このようなプラグマティズムの視点からは高市総理の出席に違和感なく、受け入れられる立場だと言えます。
つい最近、高市総理陣営が野党政治家や自民党総裁選での対立候補に対し、SNSで中傷動画を立て続けに投稿していたことが明らかになっています。週刊文春の編集部が高市総理に質問状を送付すると「ネガティブな情報を発する、あるいはそのような動画を作成して発信するといったことは一切行なっておりません」と否定しています。
最近の傾向として、高支持率の高市総理を真正面から批判するマスメディアが少なく、週刊誌のスクープは後追いされることなく、いつもボヤ程度にとどまっていきます。マスメディアの特性を取り上げた過去の記事「卵が先か、鶏が先か?」を思い出しながら、最近の記事「高市総理に願うこと」に託しているような問題意識は強まりつつあります。
前回記事の中で、考え方や立場の異なる方々に「なるほど」と思ってもらえるような言葉を探していく試みこそが極めて重要であると記しています。「戦争反対!」という訴えの後に「それでは、どうすべきなのか」という言葉が、よりいっそう必要な局面を迎えています。
プラグマティズムに沿った平和主義のあり方について、憲法記念日を迎える今週末の記事で改めて掘り下げていきます。明日、有明防災公園で「2026憲法大集会」が開かれます。執行委員長時代、ほぼ毎年、その大集会か、地元で開催される憲法集会のどちらかに参加していました。
4年前はオンラインでの参加でしたが、リアルタイムで視聴した後に「日本国憲法施行から75年」という記事を投稿しています。同じような考え方の人たちが多く集まった会場内では、自民党政権や総理大臣らを批判する舌鋒鋭い言葉は喝采を浴びます。
ただ運動の広がりと実効ある成果を見出していくためには、その会場に足を運ぶことのない人たちに向けた言葉が必要です。そのような意味合いから上智大学教授の中野晃一さんの言葉が私自身にとって最も共感し、4年前のブログ記事を通して中野さんの発言内容の一部を紹介していました。
政府が旗を振り「抑止」一辺倒ですが、安全保障政策は武力だけだと誤解されています。安全保障政策は「安心供与」と「抑止」がセットでないと不充分です。戦争を未然に防ぐためには「先に攻めるつもりがない」というメッセージが重要です。
9条をなくせば無限の軍拡競争につながりかねず、「安心供与」を疎かにする政治こそ日本本土が標的にされてしまうリスクを高めかねません。9条を守って「安心供与」を維持することで、初めて安全保障政策として成立することも合わせて伝えていきたいと思っています。
このブログのバックナンバーには「広義の国防、安心供与の専守防衛」という記事があり、中野さんの問題提起を詳述した内容です。そもそも「憲法9条を守れば平和が続く」という言葉は短絡的すぎて批判を招きがちです。守るべきは「平和主義の効用」であり、これまで「憲法9条の論点について」という記事も投稿しています。
それぞれの内容の主旨にあたる箇所を掲げていくだけで、たいへんな長さの記事になってしまいます。関心を持たれた方はリンク先の記事を参照いただければ幸いです。ここでは「平和への願い、届く言葉は?」という記事タイトルを踏まえ、なるべく簡潔な言葉や参考となる事例に絞って紹介していきます。
これまで多用してきている言葉として、大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めませんが、戦争は人間の「意思」によって抑え込めるという見方があります。さらに脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。
中野さんの言葉のとおり安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立させることが重要です。戦争を未然に防ぐためには「攻めたら反撃される」という抑止効果とともに「先に攻めるつもりがない」という相手方を安心させるメッセージとのバランスが求められています。
抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。
国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと考えています。
アメリカとイスラエルによるイランへの攻撃が象徴的な事例だと言えます。イランにとって抑止力を強化するための核開発が、攻められる前に先制攻撃というアメリカ側の身勝手な口実を与えていました。付け加えれば、トランプ大統領が返り咲いていなければ、このような理不尽な「意思」のもとの戦争はあり得なかったはずです。
現在、高市政権による抑止力強化や日本国憲法の平和主義を変質させていく動きによって、中国からの身勝手な批判のトーンが高まりつつあります。中国側に問題が多々あったとしても、高市総理の「意思」は結果的にプラグマティズムにつながる平和主義のあり方から遠ざかっているように思えてなりません。
安倍元総理とプーチン大統領が友好関係を築いていた時、ロシアからの脅威が取り沙汰されることはありませんでした。2019年8月の記事「平和の築き方、それぞれの思い」の中では、北朝鮮のミサイル発射に際してJアラートを鳴らすことなく、安倍元総理がゴルフを続けていたことを伝えています。
アメリカと北朝鮮での対話の扉が開かれ、北朝鮮側の「意思」の変化を確かめられた後であり、脅威が減少していたからです。外交努力、ソフト・パワーを尽くすことで脅威は変動する事例として紹介していました。
数日前には『出光タンカーはなぜ海峡通過できたのか… イランの思惑は? 日本政府の動きは?』という報道に接しています。「IDEMITSU MARU」が通過するタイミングで駐日イラン大使館は、出光興産がイランからの石油製品を輸入した1953年の日章丸事件について「友情の証し、遺産だ」という言葉をSNSに投稿していました。
このような日本とイランとの伝統的友好関係がありながら、日本がパキスタンのような役回りを果たせないことが残念です。いずれにしても権力者の「意思」を左右できるのも、民主主義社会であれば国民一人一人の「意思」の積み重ねによる結果だと考えなければなりません。
簡潔な言葉でまとめるつもりでしたが、やはり長文なブログとなっています。考え方や立場の異なる方々に「なるほど」と思ってもらえるような届く言葉かどうか分かりませんが、今回、とりわけ強調して伝えたい言葉を赤字にしてみました。
最後に、私の住む自治体の「市議会だより」で目にした画期的な動きを紹介します。『非核三原則の堅持と「5類型撤廃」による武器輸出の全面解禁の中止を求める意見書』が可決され、高市総理らに提出しています。平和国家のあり方を変えるものであると批判し、現在の高市政権の志向性を真っ向から否定する内容でした。
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