プラグマティズムと穏健保守
ゴールデンウイークの初日にあたる土曜日、連合の三多摩メーデーに参加しています。2年前には参加した後「三多摩メーデーに絡む個人的な思い」という記事を投稿していました。地元の会場での開催ですが、今年も私どもの市長のお姿を式典のステージ上で見かけることはできません。
2年前の記事は、連合の政治方針について必要に応じて幅広い切り口から検討して欲しいという主旨の内容でした。「組合員にとってどうなのか」という実用的な視点から政治的な関係性による垣根は低くしていくことの必要性を提起した内容だったと言えます。来年に向けては柔軟な検討が進められていくことを願っています。
前回記事「『真の保守とは何か』を読み終えて」の最後のほうでプラグマティズムについて触れています。実用主義と訳され、理論や信念よりも「実際に役立つかどうか」で物事を判断する実用的な思想です。このような考え方を基本にしていくことで政治的な垣根の問題は乗り越えていけるようにも感じているところです。
前回記事で取り上げた真正保守はプラグマティズムを重視し、現存の社会秩序を維持しながら漸進的、部分的に社会改革を調和的に実践しようとする政治思想であることを昭和史研究家の保阪正康さんが説明しています。そもそも保守という思想には、革新やリベラルをも含み込んだ節度ある運動性が備えられていることも説かれていました。
そっくりそのまま賛同できる考え方です。私自身の立場性はリベラルに位置付けられていくものと受けとめていますが、このような考え方が保守とされるのであれば、こちらのほうに近いように思えてしまいます。
穏健保守という言葉もあります。極端な右派と左派の主張を避け、現実的でバランスの取れた政策を志向し、急激な変化を避けながら少しずつ改善を積み重ねていくことが穏健保守の特徴です。リベラルを包み込むという関係性で考えれば、私自身の立場は穏健保守という言葉が馴染みやすいかも知れません。
実は今回の記事タイトルを決めるまで少し悩みました。結局「プラグマティズムと穏健保守」としていますが、三多摩メーデーから始まる近況報告のもと気ままに書き進めています。記事タイトルに並べた二つの言葉を真正面から切り込んでいくような内容には至らないことをご容赦ください。
先週のサンデーモーニング『【風をよむ】反戦はお花畑? なぜ平和の声は伝わりにくいのか トランプ氏ら為政者の「平和の悪用」の現実 平和の“曖昧さ”と戦争の“単純化”の危うさ』の中で「SNSで発信すると、そんなのお花畑だよ」と侮蔑され、戦争への率直な反対表明が批判の対象になってしまう現状とともに、侵略を正当化する為政者の次のような身勝手な言葉を伝えていました。
為政者は、「平和」の曖昧さを逆手にとって、しばしば「平和のための戦争」といった大義を掲げてきました。今回のイラン攻撃で、トランプ大統領は「今や『平和』が訪れようとしている。我々が徹底的に叩きのめしてやったからだ」と発言。また、ウクライナ侵攻に際し、プーチン大統領は2023年、「ロシアが目的を達成すれば、『平和』が訪れる」と話しました。
このブログでは随分前に「荒地よりもお花畑」という記事を投稿しています。現在の国際社会が「荒地」だったとしても、「お花畑」にしていこうというポジティブな発想も絶対大事なことだと考えています、このような言葉でその記事を結んでいます。ますます今、国際社会の「荒地」化が進み、深刻で切実な願いとなっています。
そもそも誰もが戦争を避けたいと考えているはずですが、平和を築くための道筋や手法に対する各論に及ぶと、その評価は人によって大きく相違していく現状があります。より望ましい「答え」を見出していくためには、極端な右派と左派の主張を避け、プラグマティズムを重視し、現実的でバランスの取れた政策を志向していくという穏健保守の立場性が欠かせないように思っています。
いろいろな「答え」を認め合い、分かり合えなくても他者を見下さず、いがみ合わない関係性を維持していくことが肝要なはずです。もし感情的な溝が深まっていた場合、それぞれの言葉が受け入れ難くなります。このような点を意識しながら、考え方や立場の異なる方々に「なるほど」と思ってもらえるような言葉を探していく試みこそが極めて重要なことだろうと受けとめています。
「戦争反対!」という訴えの後に「それでは、どうすべきなのか」という言葉が、よりいっそう必要な局面を迎えているのではないでしょうか。平和主義のあり方について話は広がりつつあるため、ここから先は憲法記念日を迎える次回以降の新規記事で掘り下げていければと考えています。
プラグマティズムと穏健保守という言葉を軸にして書き進めていく中で、昨年10月17日、101歳で逝去された村山富市元総理のお顔が思い浮かびます。社会党委員長の時、自民党、社会党、新党さきがけによる3党連立政権のもと、現存の社会秩序を維持しながら元従軍慰安婦基金の設立、被爆者援護法制定、水俣病の政治解決などに尽力されました。
社会党の独自性が薄れ、その後の党勢低迷や衰退を招く一因となったというネガティブな見方があります。しかしながら私自身は「村山元総理の訃報から連立の話」という記事に綴っているとおり村山元総理の政治的な判断を肯定的にとらえています。つい最近、村山元総理のお別れ会が執り行なわれています。
お別れ会に参列された朝霞市議の黒川滋さんのブログ「きょうも歩く」はブックマークし、定期的に訪問しています。最近の記事「故村山富市元首相のお別れ会に参列しました」を拝見したところ次のようなご遺族の言葉が紹介されていました。たいへん胸を打つお話であり、穏健さが際立っていた村山元総理の人柄が改めて偲ばれます。
ご遺族のあいさつの、富市さんの妻の代役や秘書のようなことをしてきた娘の中原ゆりさんの話が心を打つものでした。「お父さんは怒らんのかと聞きましたが、怒ってもいいことなかろう、怒ると自分も傷つくじゃろ、といわれた」「人が失敗したときには、その弱みをつくのではなく、よりそえ、弱さによりそうことが信頼関係だし、話を聞いてやれ」などなど。昔から「怒らんかったのか」と聞いたら「訓練したんじゃ」とも答えたそうです。
ここから先は余談のような話となります。黒川さんのブログは「公務員のためいき」と同じココログで、画面上のアドレスバーに「セキュリティ保護なし」と表示されています。このブログでも最近まで同じようにその警告が表示されていました。
新年の記事「2026年、60年に一度の丙午」のコメント欄で、通りすがりのIT技術者さんから対処方法について親切なアドバイスをいただいていました。ただ誠に申し訳ないことにSSL対応のことをはじめ、私自身が不勉強で認識不足だったため、すぐ対処していませんでした。
その後、身近で閲覧されている方からも「その表示があると少し不安ですね」という声を耳にしていながら、現状で「特に問題ない」という手前勝手な思い込みと怠慢から数か月放置していました。ようやく最近、手がけたところ思った以上に簡単に対応でき、アドレスバーから「セキュリティ保護なし」というネガティブな表示を取り除けています。
通りすがりのIT技術者さん、もうご覧になっていないかも知れませんが、遅ればせながら改めてありがとうございました。ご指摘くださったとおりアクセス数は増えつつあります。自分自身のブログを手直ししたことで、他のブログの「セキュリティ保護なし」という表示に目が行くようになっています。
やはりブックマークし、「『賃金とは何か』を読み終えて」という記事で取り上げていた「EU労働法政策雑記帳」のアドレスバーにも「セキュリティ保護なし」と表示されていることに気付きました。それぞれ即座に問題が生じるような心配はないはずですが、その表示を気にされる方はアクセスを控えていくのかも知れません。
せっかく有為なご指摘をいただきながら、その意味合いをしっかり理解できていないと「宝の持ち腐れ」にしかねません。「プラグマティズムと穏健保守」というタイトルを付けた記事の最後に、幅広い立場や視点からの様々な声に耳を傾け、実用的な判断を重ねていくためには、多様な情報を的確に受けとめられる自分自身のスキルの向上も大事な点であることを思い返しています。


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