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2026年4月25日 (土)

プラグマティズムと穏健保守

ゴールデンウイークの初日にあたる土曜日、連合の三多摩メーデーに参加しています。2年前には参加した後「三多摩メーデーに絡む個人的な思い」という記事を投稿していました。地元の会場での開催ですが、今年も私どもの市長のお姿を式典のステージ上で見かけることはできません。

2年前の記事は、連合の政治方針について必要に応じて幅広い切り口から検討して欲しいという主旨の内容でした。「組合員にとってどうなのか」という実用的な視点から政治的な関係性による垣根は低くしていくことの必要性を提起した内容だったと言えます。来年に向けては柔軟な検討が進められていくことを願っています。

前回記事「真の保守とは何か』を読み終えて」の最後のほうでプラグマティズムについて触れています。実用主義と訳され、理論や信念よりも「実際に役立つかどうか」で物事を判断する実用的な思想です。このような考え方を基本にしていくことで政治的な垣根の問題は乗り越えていけるようにも感じているところです。

前回記事で取り上げた真正保守はプラグマティズムを重視し、現存の社会秩序を維持しながら漸進的、部分的に社会改革を調和的に実践しようとする政治思想であることを昭和史研究家の保阪正康さんが説明しています。そもそも保守という思想には、革新やリベラルをも含み込んだ節度ある運動性が備えられていることも説かれていました。

そっくりそのまま賛同できる考え方です。私自身の立場性はリベラルに位置付けられていくものと受けとめていますが、このような考え方が保守とされるのであれば、こちらのほうに近いように思えてしまいます。

穏健保守という言葉もあります。極端な右派と左派の主張を避け、現実的でバランスの取れた政策を志向し、急激な変化を避けながら少しずつ改善を積み重ねていくことが穏健保守の特徴です。リベラルを包み込むという関係性で考えれば、私自身の立場は穏健保守という言葉が馴染みやすいかも知れません。

実は今回の記事タイトルを決めるまで少し悩みました。結局「プラグマティズムと穏健保守」としていますが、三多摩メーデーから始まる近況報告のもと気ままに書き進めています。記事タイトルに並べた二つの言葉を真正面から切り込んでいくような内容には至らないことをご容赦ください。

先週のサンデーモーニング『【風をよむ】反戦はお花畑? なぜ平和の声は伝わりにくいのか  トランプ氏ら為政者の「平和の悪用」の現実 平和の“曖昧さ”と戦争の“単純化”の危うさ』の中で「SNSで発信すると、そんなのお花畑だよ」と侮蔑され、戦争への率直な反対表明が批判の対象になってしまう現状とともに、侵略を正当化する為政者の次のような身勝手な言葉を伝えていました。

為政者は、「平和」の曖昧さを逆手にとって、しばしば「平和のための戦争」といった大義を掲げてきました。今回のイラン攻撃で、トランプ大統領は「今や『平和』が訪れようとしている。我々が徹底的に叩きのめしてやったからだ」と発言。また、ウクライナ侵攻に際し、プーチン大統領は2023年、「ロシアが目的を達成すれば、『平和』が訪れる」と話しました。

このブログでは随分前に「荒地よりもお花畑」という記事を投稿しています。現在の国際社会が「荒地」だったとしても、「お花畑」にしていこうというポジティブな発想も絶対大事なことだと考えています、このような言葉でその記事を結んでいます。ますます今、国際社会の「荒地」化が進み、深刻で切実な願いとなっています。

そもそも誰もが戦争を避けたいと考えているはずですが、平和を築くための道筋や手法に対する各論に及ぶと、その評価は人によって大きく相違していく現状があります。より望ましい「答え」を見出していくためには、極端な右派と左派の主張を避け、プラグマティズムを重視し、現実的でバランスの取れた政策を志向していくという穏健保守の立場性が欠かせないように思っています。

いろいろな「答え」を認め合い分かり合えなくても他者を見下さず、いがみ合わない関係性を維持していくことが肝要なはずです。もし感情的な溝が深まっていた場合、それぞれの言葉が受け入れ難くなります。このような点を意識しながら、考え方や立場の異なる方々に「なるほど」と思ってもらえるような言葉を探していく試みこそが極めて重要なことだろうと受けとめています。

「戦争反対!」という訴えの後に「それでは、どうすべきなのか」という言葉が、よりいっそう必要な局面を迎えているのではないでしょうか。平和主義のあり方について話は広がりつつあるため、ここから先は憲法記念日を迎える次回以降の新規記事で掘り下げていければと考えています。

プラグマティズムと穏健保守という言葉を軸にして書き進めていく中で、昨年10月17日、101歳で逝去された村山富市元総理のお顔が思い浮かびます。社会党委員長の時、自民党、社会党、新党さきがけによる3党連立政権のもと、現存の社会秩序を維持しながら元従軍慰安婦基金の設立、被爆者援護法制定、水俣病の政治解決などに尽力されました。

社会党の独自性が薄れ、その後の党勢低迷や衰退を招く一因となったというネガティブな見方があります。しかしながら私自身は村山元総理の訃報から連立の話」という記事に綴っているとおり村山元総理の政治的な判断を肯定的にとらえています。つい最近、村山元総理のお別れ会が執り行なわれています。

お別れ会に参列された朝霞市議の黒川滋さんのブログ「きょうも歩く」はブックマークし、定期的に訪問しています。最近の記事「故村山富市元首相のお別れ会に参列しました」を拝見したところ次のようなご遺族の言葉が紹介されていました。たいへん胸を打つお話であり、穏健さが際立っていた村山元総理の人柄が改めて偲ばれます。

ご遺族のあいさつの、富市さんの妻の代役や秘書のようなことをしてきた娘の中原ゆりさんの話が心を打つものでした。「お父さんは怒らんのかと聞きましたが、怒ってもいいことなかろう、怒ると自分も傷つくじゃろ、といわれた」「人が失敗したときには、その弱みをつくのではなく、よりそえ、弱さによりそうことが信頼関係だし、話を聞いてやれ」などなど。昔から「怒らんかったのか」と聞いたら「訓練したんじゃ」とも答えたそうです。

ここから先は余談のような話となります。黒川さんのブログは「公務員のためいき」と同じココログで、画面上のアドレスバーに「セキュリティ保護なし」と表示されています。このブログでも最近まで同じようにその警告が表示されていました。

新年の記事「2026年、60年に一度の丙午」のコメント欄で、通りすがりのIT技術者さんから対処方法について親切なアドバイスをいただいていました。ただ誠に申し訳ないことにSSL対応のことをはじめ、私自身が不勉強で認識不足だったため、すぐ対処していませんでした。

その後、身近で閲覧されている方からも「その表示があると少し不安ですね」という声を耳にしていながら、現状で「特に問題ない」という手前勝手な思い込みと怠慢から数か月放置していました。ようやく最近、手がけたところ思った以上に簡単に対応でき、アドレスバーから「セキュリティ保護なし」というネガティブな表示を取り除けています。

通りすがりのIT技術者さん、もうご覧になっていないかも知れませんが、遅ればせながら改めてありがとうございました。ご指摘くださったとおりアクセス数は増えつつあります。自分自身のブログを手直ししたことで、他のブログの「セキュリティ保護なし」という表示に目が行くようになっています。

やはりブックマークし、「『賃金とは何か』を読み終えて」という記事で取り上げていた「EU労働法政策雑記帳」のアドレスバーにも「セキュリティ保護なし」と表示されていることに気付きました。それぞれ即座に問題が生じるような心配はないはずですが、その表示を気にされる方はアクセスを控えていくのかも知れません。

せっかく有為なご指摘をいただきながら、その意味合いをしっかり理解できていないと「宝の持ち腐れ」にしかねません。「プラグマティズムと穏健保守」というタイトルを付けた記事の最後に、幅広い立場や視点からの様々な声に耳を傾け、実用的な判断を重ねていくためには、多様な情報を的確に受けとめられる自分自身のスキルの向上も大事な点であることを思い返しています。

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2026年4月18日 (土)

『真の保守とは何か』を読み終えて

ローマ教皇レオ14世が「世界は、ほんの一握りの暴君たちによって荒らされている」と直接名指ししていませんが、トランプ大統領らを痛烈に批判しながら「戦争の主導者たちは、⁠破壊はほんの一瞬でなされるが、再建には一生かかっても足​りないことが多いという事実を知らないふりをしている」という言葉を発していました。

宗教的な立ち位置を問わず、この言葉には世界中の多くの人々が共感を覚えたのではないでしょうか。前々回記事「新年度に入り、多忙な日々」の冒頭で、大地震や感染症など自然界の脅威とは異なり、戦争は人間の「意思」によって抑え込めることを記していました。このような意味合いから教皇の言葉が痛切に身にしみています。

前回記事は「高市総理に願うこと」でした。その最後には「高市総理がトップリーダーである限り、最適な答えを出し続けて欲しいものと願っています」と記していました。当たり前な願いであり、暴君が引き起こした不当な戦争に加担し、高市総理の「意思」によってイランとの間に培ってきた伝統的友好関係を壊すことのないよう願わざるを得ません。

今週末に投稿する新規記事のタイトルは「『真の保守とは何か』を読み終えて」としています。これまで「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」「『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて」「『鬼滅の刃』を読み終えて」「『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えて」など「…を読み終えて」というタイトルの記事は相当な数に上っています。

ここ数年、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事に絡んだ内容が中心となっていました。今回の著書は連載記事と関連していませんので締切を気にせず、機会を見て当ブログで紹介しようと考えていたところです。実は前回記事の中で取り上げるつもりでしたが、高市総理に願うことが多くなったため(💦)今回に至っています。

真の保守とは何か』の著者は昭和史研究家の保阪正康さんです。副題は『近代日本の地下水脈』で、著書の帯には「高市政権圧勝、参政党躍進・・・・・  日本人の選択をいま問う」と書かれています。帯のとおり今年2月の衆院選挙後に綴られているため、歴史を振り返りながら最新の政治状況を考察した内容となっています。

保阪さんの最も訴えたい問題意識は『はじめに「真正保守」の再興を求めて』の冒頭の「新しい国家主義的右派と向き合う」という小見出しの付けられた箇所に凝縮されています。著書を紹介する際、著作権やネタバレ等に注意しなければなりませんが、リンク先の「ためし読み」の内容の一部をそのまま掲げます。

いま日本を、保守と呼ばれる潮流が席巻している。「保守と呼ばれる」と書いたが、実際にこの勢力は保守であることを自称し、メディアもそのような政治的色合いのもとに彼らを描き出す。だが、私はそれに強い違和感を覚えるのである。彼らの実態は「国家主義的右派」と評するべきであり、そのありようは「真正保守」からは程遠い。

むしろ対極にあると言っていいと思う。私は、日本近現代史を通じて培われてきた「真正保守」の地下水脈、それを担った政治家や思想家、そして彼らの哲学と実践を再興すべきだと考えてきた。日本社会に「国家主義的右派」が擡頭するいま、その考えは危機感に裏打ちされて、さらに切実なものとなっている。

本書は、「国家主義的右派」が勢力を増す現代と向き合いながら、「真正保守」たる資格を有する存在を歴史の地下水脈のなかに辿り直そうとするものだ。現代との対峙にも力点が置かれるという意味で、私としてはとりわけアクチュアルな危機意識が込められた一冊ということになる。

保守を考えるとき、私が特に重視してきたのは戦争観である。軽々に戦争を語ったり、戦争を煽りながら自らの立場や信条を強めようとする者は、真の保守と呼ぶに値しないと考えている。本書で取り上げた石橋湛山や池田勇人、前尾繁三郎、後藤田正晴といった政治家は、決して戦争をそのように論じなかったのである。

本論に入る前に、まず直近の政治状況に目を向けてみよう。高市早苗政権が自己都合によって仕掛けた、解散・総選挙は、2026(令和8)年2月8日に投開票を迎え、自民党が圧勝する結果となった。高市政権の勝利に至る過程に、私はこの国への深刻な思いを抱いた。

高市はまず記者会見で、「高市早苗に国家経営を託していただけるのか、国民の皆様に直接ご判断をいただきたく思っております」と、解散・総選挙を自らへの人気投票とみなすかのような認識を示した。人気投票的な選挙を経れば、権力を恣意的に行使することができるというポピュリズム的構えをとったのだ。

「国論を二分するような政策」とは、軍事拡大のための増税なのか、核保有に向けての地ならしなのか、憲法改正と緊急事態条項の新設なのか分からない。ただ、そこに、戦争への警戒心はまったく感じられなかったのである。

この紹介だけで終えてしまうと『SNS・ブログの引用ルール完全ガイド  著作権法32条と文化庁の5要件』に説明されているとおり引用部分と自分の文章との主従関係が問われる恐れもあります。したがって、上記の引用箇所を「従」とし、ここから「主」となる私自身の感想や意見を書き進めていくため、いつも以上に長文ブログとなることをご容赦ください。

著書を通し、保阪さんは「真正保守」について次のように説明しています。そもそも保守とリベラルという二分法で語られがちな点を問題視されています。保守は改革や進歩を否定し、排外主義や軍事偏重、さらには対中強硬姿勢が保守と見なされるような事態を憂いています。

保守とは、現存の社会秩序を維持しながら漸進的、部分的に社会改革を調和的に実践しようとする政治思想であると説いています。反動とはまったくの別物であり、保守という思想には、革新やリベラルをも含み込んだ節度ある運動性が備えられていることを保阪さんは説かれていました。

  1. 小日本主義(帝国主義否定)
  2. 非軍事志向(軍事で物事を解決しようとしない)
  3. 論理的基盤(共同体的な情緒を克服し、個の意思を明確に示す)

上記は著書の中で紹介されている石橋湛山元総理の「湛山精神」です。この三つの柱は、現代の「真正保守」の知識人や政治家が持ち合わせるべき認識であると保阪さんは唱えています。第2章『軍部と闘う石橋湛山』の中には「戦場体験の意味」と小見出しの付けられた箇所があります。

反面教師だった歴史上の人物として、東條英機元総理が登場します。東條元総理は本格的な戦闘体験を持たず、軍官僚として机上のみで戦争を思考してきた軍人でした。戦場体験のない東條元総理が政権を握り、歪んだ戦争の時代をつくってしまったとし、保阪さんは次のように記しています。

東條と湛山の隔絶は、国家や天皇にひたすら帰依する東條に対して、国家や天皇を絶対視せず、それらを私たちの存在を保障する機関とみなす湛山ということになるだろう。それは帝国主義国家に忠誠を誓う態度と、民主主義国家を建設しようとする構えの違いに行き着く。

保阪さんは二人の元総理を対比し、石橋元総理が「帝国主義的な世界秩序を、独立自尊の各国が尊重し合う関係に変えることを、現実的に志向していた」と語っています。さらに帝国主義の時代、軍国主義が色濃い社会の中での石橋元総理の考え方を、保阪さんは次のように紹介しています。

列強の傲慢を「膺懲」せざるを得ないとき、必要なのは、軍事ではなく、「戦法の極意は人の和にある」と言っている。これを私たちは現実乖離の平和主義と捉えるべきではなく、軍事に頼らず、外交と国際世論によって対外関係を平和的に構築しようとする今日的態度と響き合わせるべきだろう。

他に石橋元総理が「列強の帝国主義に追随して、アジア民衆の恨みを買うことがないように」という願望を持っていたことも紹介しています。この著書にはアメリカのベネズエラ攻撃まで触れられています。その後、イランへの攻撃もあり「平和的に構築しようとする今日的態度」を真っ向否定する現在進行形の暴挙が続いていることに保阪さんの心痛は高まっているはずです。

第1章は『高市自民党は本当の保守なのか』でした。保阪さんの著書を読み終え、高市総理が「真正保守」でないことは明らかだろうと思っています。殺傷能力ある武器の輸出原則容認、改憲に向けた動きなど「戦争への警戒心」に対する距離感の相違を感じざるを得ません。第6章『日本の保守はなぜ親米なのか』の「戦争をしない文化」という小見出しの箇所には次のように書かれています。

いまアメリカの転換期に向き合う私たちは、アメリカとの新しい関係を結び直す好機を手にしているとも言える。「真正保守」の立場からすると、それは反米姿勢を強めるというようなことではあり得ない。

まず私たちのアメリカ観を歴史から客観視して問い直し、そして、日米安保条約と軍事と基地について、また日米地位協定と独立国のありようについて、過剰な情念によってではなく、他ならぬアメリカ的プラグマティズムによって、冷静に見つめ直すべきだろう。組み替えるべき点は、調整をはかりながら漸次の改革に踏み出す。

プラグマティズムとは実用主義と訳され、理論や信念よりも「実際に役立つかどうか」で物事を判断する実用的な思想です。確かにローマ教皇からも痛烈に批判されるトランプ大統領のアメリカに追随していくことが、果たして日本国民にとってどうなのか、率直に問い直していく時機を迎えているのではないでしょうか。

前述したとおり長文ブログとなっていますが、最後に、著書で取り上げられていた後藤田正晴元副総理に絡む当ブログのバックナンバーを紹介します。このブログを開設した直後、2005年9月に「後藤田元副総理との偶然」という記事を投稿していました。現在の自民党に対し、後藤田元副総理が健在であれば、どのような言葉を発せられるのか興味深いところです。

これまで自民党を支持したことはありませんが、今の自民党から比べると昔の自民党の方が筋の通った政治家が多かったように感じられてしまいます。一昨日亡くなられた元副総理の後藤田正晴さんなどは、今のような政権与党に懐深さがなく、国全体が一気に右傾化しそうな時代において、たいへん貴重な方だったと思います。

最近の後藤田さんの発言を紹介します。郵政民営化法案反対者へ対立候補を立てたことに「政治は厳しい闘いですが、もう少し情味のあるやり方がないかなという気がします」と、さらに「官から民へ」のキャッチフレーズに対して「これは非常に危険。ここまでは官がやらなきゃいかんという分界点を真剣に議論する必要があると思います」とテレビ番組で話されていました。また、自民党護憲派の重鎮として、これまで自衛隊の海外派遣などに慎重な姿勢を示してきていました。

上記に紹介した後藤田さんのお話や姿勢は、この「公務員のためいき」で訴えてきたポイントと偶然にも見事に一致しています。政界から引退して10年近くたちますが、まだまだ発言力や影響力に重みがあった方でした。日本の行く末が難しい局面を迎えている中、後藤田さんのような方が亡くなられたことはたいへん残念に思います。

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2026年4月11日 (土)

高市総理に願うこと

前回記事「新年度に入り、多忙な日々」の冒頭でも、アメリカとイスラエルによるイラン攻撃に関わる緊迫した情勢について触れていました。何とか2週間の停戦が合意され、とりあえず安堵したところですが、次のような報道のとおり予断を許さない緊張状態が続いています。

米国とイランの戦闘終結に向けた協議が11日、仲介国パキスタンの首都イスラマバードで開かれる。トランプ米大統領が停戦の条件としたホルムズ海峡の即時開放が実現しない中、事態打開に向けて双方が歩み寄れるかが焦点となる。イランはレバノンが停戦対象から除外されているのは合意違反だと反発しており、予定通りに協議が開催されるか予断を許さない状態だ。

米国はバンス副大統領が代表団を率い、スティーブン・ウィトコフ中東担当特使、トランプ氏の娘婿ジャレッド・クシュナー氏が参加する。イランはモハンマドバゲル・ガリバフ国会議長、アッバス・アラグチ外相らの出席が見込まれる。米側は協議が現地時間11日午前に開始予定と説明している。

米国とイランで合意した2週間の停戦は、双方の主張が食い違い、揺らいでいる。停戦合意がレバノンに適用されるかどうかを巡り、「含まれない」と主張する米イスラエルに対し、イラン側は合意違反と反発。ホルムズ海峡の「再封鎖」に言及するなど揺さぶりをかけている。協議では停戦の認識をすりあわせ、着実な履行に向けた方策を話し合うとみられる。

米側は敵対関係を終わらせるための包括的な合意を目指している。最大の要求はイランの核開発計画の放棄だ。第1次トランプ政権は2018年、イランの核開発を制限する合意から一方的に離脱した。今回はそれに替わる、より強力な合意を交わしたい考えで、ウラン濃縮の完全停止や核施設の解体などを要求しているとされる。

イランが事実上封鎖しているホルムズ海峡の扱いも議論される見通しだ。トランプ氏は9日、自身のSNSで、封鎖状態が続く海峡について「我々の合意とは違う」と不満を示した。イランが船舶から通航料金を徴収している「報道」があるとし、「あってはならないし、もしそうなら今すぐやめるべきだ」と主張した。【読売新聞2026年4月10日

今回の記事タイトルは「高市総理に願うこと」としていますが、イラン情勢を巡る問題は極めて密接な事例として取り上げていくことになります。少し前の記事「高市総理のカタログギフトの問題」で伝えているとおり当ブログでは「誰が」ではなく、「何が」問題なのか、具体的な言動や事例を指摘した上で「批判ありき」ではない丁寧な説明を加えていくように心がけています。

例えば、このブログでは安倍元総理に対する批判的な論評を数多く投稿してきています。それでも率直に評価すべき点は肯定的に綴っていました。より望ましい「答え」を見出すためには「誰が」に重きを置かず、二項対立的な発想は避けるべきものと考えているからでした。

2月に投稿した記事「36年ぶりの真冬の総選挙 」の中では「総理の座に返り咲いた第2次政権以降、安倍元総理は中国との関係をそれまでよりも柔軟な対応ぶりに変えていたように受けとめています」と評価し、中国に対しては頑なな姿勢を貫きがちな高市総理との違いを記していました。

2019年6月、 トランプ大統領の要請を受け、安倍元総理は緊迫するアメリカとイランとの関係の仲介役としてイランを訪問しています。現職の総理大臣としては1978年の福田赳夫元総理以来41年ぶりで、1979年のイラン革命後は初めてのことでした。日本とイランとの伝統的友好関係を活かし、緊張緩和と武力衝突回避をめざした訪問でした。

今回、パキスタンが仲介役として2週間の停戦合意などに尽力しています。『「日本の船舶はホルムズ海峡を通過させるよう調整」イラン駐日大使が語る―戦争を終わらせるために友好国・日本に求めること』(読売テレビ)という報道のとおり本来であれば、1953年の「日章丸事件以降イランと友好関係を築いてきた日本ならではの役割を発揮して欲しいところでした。

高市総理が安倍元総理を信奉されていることは有名な話ですが、決定的に異なる資質が浮かび上がりつつあります。ディリー新潮の『高市首相と「安倍元首相の側近」大ゲンカが勃発! 官邸の内幕をレポート「秘書官たちは、総理を支える気がなくなっている」』という見出しの記事の内容が衝撃的です。

側近とは内閣官房参与の今井尚哉氏のことです。経産省出身の今井氏は安倍元総理の懐刀として知られ、総理秘書官や総理補佐官を歴任し、内政のみならず外交の重要政策にも関与して「影の総理」と評されてきました。

その記事の中で、先月の日米首脳会談を前に高市総理がトランプ大統領への手土産として、ホルムズ海峡に自衛隊派遣を行なう腹積もりだったことを伝えています。それを知った今井氏が総理執務室に怒鳴り込んで猛反対し、激論の末に派遣は見送られていました。この結果に高市総理は恨み節を吐き「つらい」と弱音を漏らしながら退陣をほのめかしたことまで記されています

これまでも今井氏は高市総理に対し、昨年秋の台湾有事を巡る存立危機事態の総理答弁の明確な軌道修正を求め、アメリカによるイラン攻撃が発生した直後には首都テヘランに特使を派遣して親書を渡すよう進言してきたそうです。しかし、高市総理から一切無視されていることを今井氏は嘆かれていました。

安倍政権時代から一貫して今井氏は自らの意見をハッキリ主張し、政策判断に関与するタイプの人物だったそうです。安倍元総理は聞く耳を持っていましたが、高市総理は強い意見をぶつけてくる人物を好まず、ことごとく今井氏の進言を黙殺し、邪険に扱ってきているようです。その記事では、秘書官ら官邸官僚とまったく会話がないことも伝えています。

FRIDAYデジタルには『”令和の女帝” 高市早苗首相  ″能面の笑顔″に隠された「不安と孤独」』という見出しの記事がありました。高市総理が同僚議員や官僚とあまり交流、話さないのは自身の能力や知識レベルを知られることを懸念しているのではないかという辛辣な見られ方もささやかれ始めています。

より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に触れていくことが欠かせません。そのような意味で、高市総理には今井氏の進言や部下である秘書官らの声にも率直に耳を傾けて欲しいものです。2年前の記事「総理をめざす政治家に望むこと」の最後には次のように記していました。

総理をめざす政治家に対し、「あらゆる人を “敵” と “味方” に分断する政治」とは真逆な政治的な姿勢や立場性を望んでいます。寛容さであり、包摂さです。自分自身の「答え」の正しさに自信を持っていたとしても、異なる考え方や立場も認め合いながら、最適な「答え」を見出す努力を尽くして欲しいものと願っています。

今回、自衛隊のホルムズ海峡への派遣を見送った判断は妥当だったはずです。日本のトップリーダーに上り詰め、衆院選挙に大勝した高市総理に直接苦言を呈せる人物は希少化しています。したがって、今井氏が内閣官房参与を更迭されないよう願わざるを得ません。

長い記事になっていますが、もう一つ、高市総理に願うことを書き添えなければなりません。正直であって欲しいという当たり前な願いです。高市総理は総務大臣時代「私の放送法に関する発言が事実だった場合は議員を辞める」と述べながら事実を裏付ける公文書が見つかると、その文書は「捏造」だと決め付けていました。

高市総理の「捏造」という見方を支持された方々も皆無ではなかったようですが、つい最近、既視感のある報道に接しています。高市総理はXで「参議院予算委員会の集中審議に応じない意向を示していた」と伝えられていたことなどを「事実とまったく異なる報道が増え過ぎている」と批判していました。

ただ関与を否定している「サナエトークン」の問題をはじめ、高市総理は一方通行となるXでの情報発信にとどめ、記者会見を開くなどして公に説明を行なう場は設けていません。高市総理が一貫して正直に事実関係を説明しているのであれば、このように疑惑の目を向けてしまうことは甚だ失礼なことだと猛省しなければなりません。

しかし、最近の報道全般に言えることですが、火のない所に煙は立たないという言葉があります。さらに朝日新聞の記者だった政治ジャーナリストの鮫島浩さんのブログ『高市首相、SNSでブチギレ!でも本当にヤバい報道はスルーした理由』に綴られている「反論できる案件だけを選んで否定」という見方のとおりだとも言えます。

紹介した鮫島さんのブログの最後に「高市政権は、総選挙で大勝し、高い支持率を維持している。外から見れば盤石に映る。しかし、その内実では、党内の不満や官邸内の緊張が蓄積しているとの指摘も少なくない」と書かれています。そのような現状だったとしても、高市総理がトップリーダーである限り、最適な「答え」を出し続けて欲しいものと願っています。

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2026年4月 4日 (土)

新年度に入り、多忙な日々

数日前、トランプ大統領のアメリカ国民向けの演説がイラン攻撃の終息に向かうメッセージであることを期待しました。しかし、極めて残念ながら「イランを石器時代へと逆戻りさせる」という言葉があるように戦闘終結の道筋や時期は明示されず、ますますイランとの戦争は激化する様相です。

大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めませんが、戦争は人間の「意思」によって抑え込めるはずです。その「意思」決定に対して強大な権限を持つ究極のトップリーダー「私に国際法は不要」と語るトランプ大統領であることは痛恨の極みだと言わざるを得ません。

ホルムズ海峡の事実上の封鎖による原油輸入停滞の長期化は、私たちの生活に直結する深刻な問題です。今後、節電や節約が求められていくことも考えられます。韓国では車両使用の規制が強まっています。私自身、自家用車で通勤し、市役所から徒歩10分弱の有料駐車場を利用しています。

これまで週4日勤務だったため駐車場の定期券は購入していませんでした。前々回記事「2026年の春闘期、気ままに思うこと」の中で伝えていたとおり4月から週5日勤務に変わっています。この機会に定期券を購入したところですが、自家用車の使用が制限されてしまうと手痛い出費となる最悪なタイミングでの切り替えだったことになります。

このような個人的な事情の話はともかく、武力での応酬が続くことによって、これからも多くの尊い人命が失われていくことに心を痛めています。中東やウクライナでの戦争をはじめ、あらゆる地域での戦火が消えることを願ってやみません。さらに本来であればイランと伝統的友好関係を築いてきた日本ならではの役割を発揮して欲しいところです。

昨年4月の「これからも『公務員のためいき』」という記事の中で、フルタイム再任用として務めていた収納課を離れ、くらし相談課に異動し、おくやみコーナーを担当することになったという近況を伝えていました。新年度に入り、くらし相談課のままですが、おくやみコーナーの担当を外れています。

今年4月1日から終活相談とともに「おくやみ・終活あんしん窓口」とし、業務を行政書士会様に委託しています。前担当者の立場から行政書士の皆さんへの業務引き継ぎにあたりながら、自分自身の新たな任務における事務等を覚えていかなければなりません。

同じ課に所属していましたが、これまで1階と3階に分かれていたため、市民相談を中心とした業務にはまったく関わっていませんでした。机の移動も含め、任務内容がガラッと変わり、実質的には2年続けて人事異動したことになります。

使用するパソコンも変わり、初期設定等が必要とされています。初期設定用の手順やパスワードが頭に入っている訳ではなく、なかなか時間を取られる時があります。おくやみコーナーの業務は来庁者や電話がかかってくる数に大きな波があり、不急な事務作業や資料作成等にあてられる時間が日常的にありました。

4月1日と2日、久しぶりに一瞬も息つく暇のない忙しさに追われました。あっという間に正午、あっという間に午後5時という肌感覚でした。退勤時間は5時15分から5時に変わっていましたが、両日とも5時30分頃まで自席から離れることはできませんでした。

2日の夜は執行委員会にも出席しています。前回記事「労使の信頼関係について思うこと、2026年春」の最後に記していた宿題、労使関係に関する執行委員会用の資料は無事提出できました。箇条書きにした事項を参考までに紹介します。

  1. 労使対等原則のもと労働条件の問題は労使対等な立場で協議する。
  2. 労働条件の変更を伴う事項については従前通り事前協議し、合意に至らなければ一方的に実施しない。
  3. 労使の信頼関係のもと充分な協議期間を保障する。
  4. 組織改正そのものは管理運営事項だが、改正に伴う職員配置の変更は労使協議の対象とする。
  5. 行政改革に絡む計画策定やその実施に関しては当局責任の範疇となるが、それぞれの施設や事業に携わっている職員の働き方に影響を与える変更の場合、従前通り労使協議の対象とする。
  6. 人事そのものは当局のみの責任事項であるが、賃金水準に直結する人事制度や給与制度の問題は労使協議の対象とする。
  7. 職員採用に関しては当局責任の範疇であるが、欠員問題等に関わる場合、必要に応じて組合に情報提供する。
  8. 職員の安全衛生は労使の課題とし、安全衛生委員会等を通して必要な協議を進める。
  9. ハラスメント防止に向け、対策委員会の活動が中心となるが、必要に応じて労使で情報交換等に努める。
  10. 確認した事項は文書に残し、労組法上の法的拘束力がなくても信頼関係に基づき労使双方が誠実に履行する。
  11. 信頼関係を維持するためには「約束したことは守る」という土台が欠かせず、労使合意した後、著しい状況変化がない中で合意内容を覆すような対応は慎む。
  12. 約束が守れない場合、変更しなければならない場合、相手方に事情を丁寧に説明し、納得を得られるように努力する。
  13. これまでの労使確認や労使慣行から外れる可能性のある新たな案件の取扱いについては事前に協議する。
  14. 情勢の変化等によって、これまで労使協議の対象だった事項の取扱いを変える場合、対象としないという事情や理由を組合側に説明した上で同意を求める。
  15. 労使の信頼関係を維持する上で何か疑義が生じた場合、すみやかに指摘し、指摘を受けた側は真摯に対応し、お互いが納得できる対応をはかっていく。

それぞれの項目について、具体的な事例等も示しながら私から説明を加えています。今回の新規記事のタイトルは「新年度に入り、多忙な日々」という近況報告を中心としていますので、その説明内容等に関わる話は機会を見ながら次回以降の記事で取り上げていければと考えています。

3日金曜日も同じように忙しく、積み残した仕事を翌週に送らざるを得ませんでした。ただ初めて5時を過ぎ、すぐ席を離れています。午後6時30分から組合主催の新人歓迎会があり、組合関係者は早めに会場に向かう必要があったからでした。

ブログを開設した翌年4月に「新入職員の皆さんへ」という記事を投稿していました。その後「新入職員の皆さんへ 2014」「新入職員の皆さんへ 2017」「新入職員の皆さんへ 2019」という記事があります。コロナ禍となった2020年の歓迎会は中止し、再開後は委員長を退任していたため、今回7年ぶりに特別執行委員の立場で参加しています。

参加者は全体で60名ほどでした。市長にも来賓として開会から最後の記念写真まで参加いただきました。市長のご挨拶の中では組合の役割の大切さについて触れていただき、参加された新人の皆さんに向けて説得力のある言葉になっていたのではないでしょうか。

両隣同士で会話を弾ます趣向として、テーブルの右隣の方を他己紹介していく時間がありました。私の右隣は市長でした。市長の趣味がオペラ鑑賞やツーリングであることを紹介し、奥様がオペラ歌手で、その奥様が250㏄ほどのバイクを乗りこなしていた姿を以前拝見した話などにつなげさせていただきました。

たいへん盛り上がった新人歓迎会が終わった後、執行委員二人と近くの居酒屋に立ち寄っています。どうしたら執行委員の担い手を広げられるかどうかなど、この場もたいへん盛り上がりました。多忙だった日々の最後、タクシーで帰宅しています。レシートの時間は「23:32」、かろうじて金曜の夜のうちに帰れていました。

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