言葉の難しさ、言葉の大切さ
小学校で先生が児童に教えた。「ひとの嫌がることを進んでしなさい」。ある男の子は女の子のスカートをまくって歩いたという。日本語はむずかしい。スカートをまくって叱られた男の子も訳が分からなかったろう。
木曜の朝、読売新聞朝刊の「編集手帳」に記されていたエピソードです。文化庁「国語に関する世論調査」に絡んだ話として「噴飯もの」の意味が誤解されがちなことなどと合わせ、言葉のややこしさを紹介していました。ちなみに「噴飯もの」を「腹立たしくて仕方ないこと」と誤解していた人が49.0%、「おかしくてたまらないこと」と正しく理解していた人は19.7%だったそうです。
このブログのコメント欄を通し、これまで幅広い立場や視点をお持ちの方々と言葉を交わす機会に数多く恵まれてきました。ただ対面した会話においても行き違う時が多い中、言葉だけで意思疎通をはからなければならないインターネット上での意見交換の難しさは倍加していました。上記の話のように言葉の意味そのものが共通認識に立てない場合などもあり、養老孟司さんの著書を頭に浮かべながらネット議論での「バカの壁」も頻繁に感じてきました。
前回記事「汝、隣人を愛せよ」に対しても、私が訴えた内容とは間逆の意味に解釈され、「キリスト教イコール平和なんていうのは、キリスト教系女子学校に通う世間知らずな中高生ぐらいかと思っていたが、ここにもノー天気な馬鹿がいるんだね」というコメントが寄せられていました。さらに別な方からは「何が言いたいの。自分の出来んことを何の意味があってこんなとこに綴るの?コーム員。組合。関係ないやん。なんか自分の贖罪の最中なの?」という指摘もありました。
書かれていた記事内容全体を読まれれば、最初の方と私自身の現状認識が同じであることは分かるはずです。理想や理念と現実は程遠いことが多い、そのことを述べながら自分自身が心がけている話に繋げた記事内容でした。「贖罪の最中」とか難しい話ではなく、誰も完璧な「聖人君子」になれるものではなく、できる限り、できるところから他者を思いやる気持ちを忘れないようにしましょう、そのように訴えたつもりでした。
できるところの一つとして、このブログのコメント欄をいつも頭に浮かべています。そのため、改めて今回の記事を通し、皆さんにご理解ご協力を得たい点をいくつか綴らせていただきます。まず基本的な立場や見方が異なる方々とも議論を尽くすことで、できる限り歩み寄りや相互理解が進むことを願っています。しかし、それが容易ではない場面に数多く接してきたため、「分かり合えなくても」「再び、分かり合えなくても」という記事の投稿に至っていました。
自分自身の主張や考え方の正しさを確信している場合、その「答え」から遠く離れた他者の意見は頭から否定する対象になりがちです。それはそれで当たり前なことなのかも知れませんが、せめて分かり合えなくても、いがみ合わないことの大切さを強く認識するようになっています。極論でとらえれば、いがみ合いの延長線上にテロや戦争などの対立があるものと考えています。いがみ合いを防ぐためには他者を思いやる気持ちが大切です。さらに異なる立場や考え方だったとしても、相手を敵視しないという姿勢が欠かせないのではないでしょうか。
以心伝心、アイコンタクトなどもありますが、基本的に自分の思いは言葉に表わさなければ相手に伝わりません。言うまでもなく、ネット上では言葉のみ、お互いの文章だけでコミュニケーションをはかることになります。そのため、ますますネット上では言葉の使い方に慎重にならなければなりません。中には日頃の鬱憤を晴らすため、自分の思うことを気ままに書き込んでいる方も多いようです。ただ匿名という安心感から自制心をなくしてしまうと下記のニュースような致命傷を負うことになります。
復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいい――。2年前、匿名ブログに書き込まれた一文が、ここ数日、インターネット上に広まり、騒ぎになっている。閲覧者らが身元を割り出し、筆者が経済産業省のキャリア男性官僚(51)であることがばれたためだ。事態をつかんだ経産省も「遺憾であり、速やかに対応する」として、処分を検討し始めた。この男性は経産省の課長などを務め、今年6月から外郭団体に出向している。復興に関わる部署ではないという。
ブログでは匿名だったが、過激な書き込みが目立ち、仕事にかかわる記述から閲覧者らが身元を割り出したとみられる。24日午後から、実名や肩書がネット上にさらされた。「復興は不要だ」との書き込みは、2011年9月のもの。被災地が「もともと過疎地」だというのが根拠だ。今年8月には、高齢者に対して「早く死ねよ」などと書き込んだ。同7月には「あましたりまであと3年、がんばろっと」などと、天下りを示唆する内容も記した。【朝日新聞2013年9月26日】
この官僚には停職2か月の懲戒処分が下されています。復興庁参事官(停職30日)のツイッターでの暴言問題の時よりも下劣な書き込みが目立っていたようです。安倍首相を「おなかこわしまくり下痢そーりのやべ総理」、鳩山元首相には「くるっぴぃ」というあだ名まで付けていました。そもそも匿名であろうとなかろうと、ネット上は不特定多数の方々が触れ合う公衆の場です。普段、人前で話す言葉を基本にすべきものと私自身は心がけています。
誹謗中傷は論外ですが、他者を見下すような言葉も慎むべきものと考えています。他者の意見に対し、批判すべきことは厳しく批判しても、相手の人格否定や罵詈雑言の類いは慎む、そのような点を意識していくだけで前向きで建設的な意見交換に高まっていくものと思っています。その逆に処分を受けた経産省の官僚のような言葉が飛び交うようであれば、殺伐とした雰囲気の場になってしまうものと危惧しています。
幸いなことに当ブログのコメント欄の常連の皆さんからは、このような点についてご理解ご協力いただけています。ただ最近、気になったことで呼称の問題がありました。団体や個人が公認している略称や呼称があり、一般的に広まっている愛称があります。それ以外、他者が勝手な名称を使うことは非礼な行為で、当事者や関係者が目にすれば不愉快に感じるはずです。悪意や他意がなくても、人の名前を間違えれば、たいへん失礼な話となります。それが悪意や蔑みを込めて、本来の名称以外で個人や団体を呼ぶ行為は間違いなく他者を不快にさせます。
安倍首相をアベちゃん、大阪市の橋下市長をハシシタ市長、鳩山元首相をハトポッポなどと呼べば、たいへん無礼な話だろうと思っています。ちなみに当ブログは歴史上の人物以外、必ず敬称や肩書きを付け、その本人を前にしても発言できる言葉で綴っています。いずれにしても憂さ晴らしや批判ありきの感情的なコメント投稿を目的にしていない限り、幅広い立場や考え方の不特定多数の皆さんから「なるほど」と共感を得られるような言葉の選び方が大切なはずです。
どれほど説得力のある文章でも、他者の呼称を勝手に変えたり、下劣な言葉が含まれていた場合、周りへの発信力や影響力は削がれていくのではないでしょうか。看板に偽りがあると思うのであれば、なぜ、そのように思うのか、言葉を駆使しながら批判すべき点は批判していく、ぜひ、このような点について改めて多くの皆さんからご理解ご協力いただければ何よりです。
楽天がリーグ優勝した翌日、ZAKZAKのトップページで“ノムさん「星野監督の手腕じゃない…”という言葉が目に入りました。また野村元監督の毒舌かと思い、その小見出しをクリックし、記事内容を開くと“楽天、創設9年目で初優勝 ノムさん「星野監督の手腕じゃないか」”でした。野村元監督の談話は次のとおりですが、小見出しの「か」が省かれていたため、記事が掲げられた画面を開くまで正反対の内容を想像していました。
星野監督の手腕じゃないか。私の時の選手は田中と嶋くらいしかいない。自分が監督の時も社長や球団代表に、中心なき組織は機能しないと口酸っぱく言っていた。野球はエースと4番がしっかりできれば後は枝葉だから、それが今はできている。
このように1文字、あるかないかで他者に与える意味合いや印象は大きく変わってしまいます。言葉の使い方や文章の書き方は難しく、一言一句に注意を払う必要があります。しかし、言葉にしなければ、自分自身の考えが他者に伝わることはありません。このブログを通して皆さんに訴えている内容が、どのように受けとめられているのか、コメント欄に言葉が書き込まれない限り分かりません。いろいろ「お願い」を重ねていますが、幅広い立場や視点からのコメント投稿を心から歓迎しています。今回、言葉の難しさとともに言葉の大切さを書き進めてきましたが、決してコメント欄の敷居を高くするための記事内容ではないことも最後に強調させていただきます。
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