新しい公共
前回記事「四字熟語からの四方山話」の内容は、当初、鳩山前首相と櫛渕万里さんの挨拶の中に出てきた「新しい公共」を中心に書き込むつもりでした。いつものことながら、出足の箇所が膨らんでいったため、途中から四字熟語をキーワードにした四方山話に切り替えたことを最後の箇所でお伝えしていました。今回は余計な前振りを省き、さっそく本題に入らせていただきます。
民主党の衆議院議員である櫛渕さんの「くしぶち万里同風の集い」に参加した時、鳩山前首相と櫛渕さんのお二人から「新しい公共」という言葉を聞きました。いろいろ感じるところがあったため、少し掘り下げてみようと考えていました。すると絶好のタイミングで、東京自治研究センターが発行している季刊誌『とうきょうの自治』の中で、「新しい公共」について特集記事を組んでいました。
山梨学院大学の今村都南雄教授が『あらためて「新しい公共」を考える』、地域生活研究所の林和孝事務局長が『「新しい公共」と市民政策の課題』という記事を寄稿されていました。それらを参考にしながら、自分なりの理解を整理する意味合いで書き進めてみます。そもそも「新しい」という形容詞が付いていますが、「新しい公共」の議論は1990年代後半から始まっていたようです。
改めて脚光を浴び出したのは、昨年の政権交代後に開かれた第173回臨時国会で鳩山前首相の所信表明演説の中に「新しい公共」という言葉が入っていたからでした。鳩山前首相は、人と人が支え合い、役に立ち合うことを「新しい公共」の概念であると述べていました。翌年1月の第174回通常国会の施政方針演説では、「新しい公共」によって支えられる日本と謳いながら、次のように強調されていました。
今、市民やNPOが、教育や子育て、街づくり、介護や福祉など身近な課題を解決するために活躍しています。(中略)人を支えること、人の役に立つことは、それ自体が歓びとなり、生きがいともなります。こうした人々の力を、私たちは「新しい公共」と呼び、この力を支援することによって、自立と共生を基本とする人間らしい社会を築き、地域の絆を再生するとともに、肥大化した「官」 をスリムにすることにつなげていきたいと考えます。
この方針を受け、政府は「新しい公共」円卓会議を発足し、今年6月4日に「新しい公共」宣言を発表していました。鳩山前首相が退陣し、その後を引き継いだ菅首相も6月11日の所信表明演説の中で、「鳩山前総理が、最も力を入れられた新しい公共の取り組みも、こうした活動の可能性を支援するものです。公共的な活動を行なう機能は、従来の行政機関、公務員だけが担う訳ではありません。地域の住民が、教育や子育て、まちづくり、防犯・防災、医療・福祉、消費者保護などに共助の精神で参加する活動を応援します」と述べていました。
さらに10月1日の第176回国会における所信表明演説で、菅首相は経済成長に向けて雇用を増やす重要性を強調し、そのためにも「新しい公共」の取り組みが欠かせないことを訴えていました。「消費も投資も力強さを欠く今、経済の歯車を回すのは雇用です。政府が先頭に立って雇用を増やします。医療・介護・子育てサービス、そして環境分野。需要のある仕事はまだまだあります。これらの分野をターゲットに雇用を増やす」という論理展開でした。
端的にとらえれば、「旧い公共」は主に「官」が独占してきたものであり、「新しい公共」は「民」にも開放していくイメージとなるようです。このような発想が高まっていく中、1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)が成立し、制度面での「新しい公共」の第一歩が切り開かれたと評されています。その後、住民と行政とのパートナーシップという言葉が持てはやされ、小泉元首相の得意のフレーズだった「官から民へ」という流れが強まるなど、「行政のアウトソーシング」一辺倒の時代を迎えていきました。
今村教授は「行政が住民サービスの一部を担うものでしかないことに必要以上の力点がおかれるようになり、行政の役割の再定義に不可欠の“ありうべき行政責任についての開かれた議論”も不充分なまま、ひたすら行政の役割を縮減する方向でアウトソーシングの成果を競い合うような風潮すら生み出されるようになってしまった」と前述した特集記事の中で嘆かれていました。
さすがに公共サービスを市場メカニズムにさらしていく危うさも指摘されるようになり、昨年、公共サービス基本法が成立していました。そのため、民主党政権の「新しい公共」は市場主義から脱却した理念の中で語られていることを理解しているつもりです。ただNPOや個人のボランティアによる「新しい公共」に異議を唱える訳ではありませんが、今村教授の指摘のとおり行政のスリム化のみが前面に出てくるようでは問題だと思っています。
特に菅首相は「新しい公共」と雇用の創出を結び付けています。その観点を踏まえた場合、一定の責任と役割を背負った担い手に対しては、ボランティアだから低賃金という構図を押し付けることはできません。言うまでもありませんが、福祉や教育などの公共サービスは安定的な供給、要するに継続性が最も求められています。したがって、公共サービスを提供していた事業所の倒産や、担い手が突然いなくなるような事態は避けなければなりません。
先日、櫛渕さんの集会で聞いた鳩山前首相らの「新しい公共」は、一人ひとりの「善意」で支えていくことが主眼であるような印象を持ちました。繰り返しになりますが、その発想を頭から否定するものではなく、決して「旧い公共」への回帰を望んでいるものでもありません。「新しい公共」と雇用をリンクして考えるのであれば、担い手側の労働条件の問題も軽視できないという点などをこだわっています。今回のテーマ、まだまだ言葉が不足しているものと思いますが、このブログそのものは次回以降も続いていく趣旨をもってご理解ご容赦ください。
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