2026年4月18日 (土)

『真の保守とは何か』を読み終えて

ローマ教皇レオ14世が「世界は、ほんの一握りの暴君たちによって荒らされている」と直接名指ししていませんが、トランプ大統領らを痛烈に批判しながら「戦争の主導者たちは、⁠破壊はほんの一瞬でなされるが、再建には一生かかっても足​りないことが多いという事実を知らないふりをしている」という言葉を発していました。

宗教的な立ち位置を問わず、この言葉には世界中の多くの人々が共感を覚えたのではないでしょうか。前々回記事「新年度に入り、多忙な日々」の冒頭で、大地震や感染症など自然界の脅威とは異なり、戦争は人間の「意思」によって抑え込めることを記していました。このような意味合いから教皇の言葉が痛切に身にしみています。

前回記事は「高市総理に願うこと」でした。その最後には「高市総理がトップリーダーである限り、最適な答えを出し続けて欲しいものと願っています」と記していました。当たり前な願いであり、暴君が引き起こした不当な戦争に加担し、高市総理の「意思」によってイランとの間に培ってきた伝統的友好関係を壊すことのないよう願わざるを得ません。

今週末に投稿する新規記事のタイトルは「『真の保守とは何か』を読み終えて」としています。これまで「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」「『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて」「『鬼滅の刃』を読み終えて」「『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えて」など「…を読み終えて」というタイトルの記事は相当な数に上っています。

ここ数年、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事に絡んだ内容が中心となっていました。今回の著書は連載記事と関連していませんので締切を気にせず、機会を見て当ブログで紹介しようと考えていたところです。実は前回記事の中で取り上げるつもりでしたが、高市総理に願うことが多くなったため(💦)今回に至っています。

真の保守とは何か』の著者は昭和史研究家の保阪正康さんです。副題は『近代日本の地下水脈』で、著書の帯には「高市政権圧勝、参政党躍進・・・・・  日本人の選択をいま問う」と書かれています。帯のとおり今年2月の衆院選挙後に綴られているため、歴史を振り返りながら最新の政治状況を考察した内容となっています。

保阪さんの最も訴えたい問題意識は『はじめに「真正保守」の再興を求めて』の冒頭の「新しい国家主義的右派と向き合う」という小見出しの付けられた箇所に凝縮されています。著書を紹介する際、著作権やネタバレ等に注意しなければなりませんが、リンク先の「ためし読み」の内容の一部をそのまま掲げます。

いま日本を、保守と呼ばれる潮流が席巻している。「保守と呼ばれる」と書いたが、実際にこの勢力は保守であることを自称し、メディアもそのような政治的色合いのもとに彼らを描き出す。だが、私はそれに強い違和感を覚えるのである。彼らの実態は「国家主義的右派」と評するべきであり、そのありようは「真正保守」からは程遠い。

むしろ対極にあると言っていいと思う。私は、日本近現代史を通じて培われてきた「真正保守」の地下水脈、それを担った政治家や思想家、そして彼らの哲学と実践を再興すべきだと考えてきた。日本社会に「国家主義的右派」が擡頭するいま、その考えは危機感に裏打ちされて、さらに切実なものとなっている。

本書は、「国家主義的右派」が勢力を増す現代と向き合いながら、「真正保守」たる資格を有する存在を歴史の地下水脈のなかに辿り直そうとするものだ。現代との対峙にも力点が置かれるという意味で、私としてはとりわけアクチュアルな危機意識が込められた一冊ということになる。

保守を考えるとき、私が特に重視してきたのは戦争観である。軽々に戦争を語ったり、戦争を煽りながら自らの立場や信条を強めようとする者は、真の保守と呼ぶに値しないと考えている。本書で取り上げた石橋湛山や池田勇人、前尾繁三郎、後藤田正晴といった政治家は、決して戦争をそのように論じなかったのである。

本論に入る前に、まず直近の政治状況に目を向けてみよう。高市早苗政権が自己都合によって仕掛けた、解散・総選挙は、2026(令和8)年2月8日に投開票を迎え、自民党が圧勝する結果となった。高市政権の勝利に至る過程に、私はこの国への深刻な思いを抱いた。

高市はまず記者会見で、「高市早苗に国家経営を託していただけるのか、国民の皆様に直接ご判断をいただきたく思っております」と、解散・総選挙を自らへの人気投票とみなすかのような認識を示した。人気投票的な選挙を経れば、権力を恣意的に行使することができるというポピュリズム的構えをとったのだ。

「国論を二分するような政策」とは、軍事拡大のための増税なのか、核保有に向けての地ならしなのか、憲法改正と緊急事態条項の新設なのか分からない。ただ、そこに、戦争への警戒心はまったく感じられなかったのである。

この紹介だけで終えてしまうと『SNS・ブログの引用ルール完全ガイド  著作権法32条と文化庁の5要件』に説明されているとおり引用部分と自分の文章との主従関係が問われる恐れもあります。したがって、上記の引用箇所を「従」とし、ここから「主」となる私自身の感想や意見を書き進めていくため、いつも以上に長文ブログとなることをご容赦ください。

著書を通し、保阪さんは「真正保守」について次のように説明しています。そもそも保守とリベラルという二分法で語られがちな点を問題視されています。保守は改革や進歩を否定し、排外主義や軍事偏重、さらには対中強硬姿勢が保守と見なされるような事態を憂いています。

保守とは、現存の社会秩序を維持しながら漸進的、部分的に社会改革を調和的に実践しようとする政治思想であると説いています。反動とはまったくの別物であり、保守という思想には、革新やリベラルをも含み込んだ節度ある運動性が備えられていることを保阪さんは説かれていました。

  1. 小日本主義(帝国主義否定)
  2. 非軍事志向(軍事で物事を解決しようとしない)
  3. 論理的基盤(共同体的な情緒を克服し、個の意思を明確に示す)

上記は著書の中で紹介されている石橋湛山元総理の「湛山精神」です。この三つの柱は、現代の「真正保守」の知識人や政治家が持ち合わせるべき認識であると保阪さんは唱えています。第2章『軍部と闘う石橋湛山』の中には「戦場体験の意味」と小見出しの付けられた箇所があります。

反面教師だった歴史上の人物として、東條英機元総理が登場します。東條元総理は本格的な戦闘体験を持たず、軍官僚として机上のみで戦争を思考してきた軍人でした。戦場体験のない東條元総理が政権を握り、歪んだ戦争の時代をつくってしまったとし、保阪さんは次のように記しています。

東條と湛山の隔絶は、国家や天皇にひたすら帰依する東條に対して、国家や天皇を絶対視せず、それらを私たちの存在を保障する機関とみなす湛山ということになるだろう。それは帝国主義国家に忠誠を誓う態度と、民主主義国家を建設しようとする構えの違いに行き着く。

保阪さんは二人の元総理を対比し、石橋元総理が「帝国主義的な世界秩序を、独立自尊の各国が尊重し合う関係に変えることを、現実的に志向していた」と語っています。さらに帝国主義の時代、軍国主義が色濃い社会の中での石橋元総理の考え方を、保阪さんは次のように紹介しています。

列強の傲慢を「膺懲」せざるを得ないとき、必要なのは、軍事ではなく、「戦法の極意は人の和にある」と言っている。これを私たちは現実乖離の平和主義と捉えるべきではなく、軍事に頼らず、外交と国際世論によって対外関係を平和的に構築しようとする今日的態度と響き合わせるべきだろう。

他に石橋元総理が「列強の帝国主義に追随して、アジア民衆の恨みを買うことがないように」という願望を持っていたことも紹介しています。この著書にはアメリカのベネズエラ攻撃まで触れられています。その後、イランへの攻撃もあり「平和的に構築しようとする今日的態度」を真っ向否定する現在進行形の暴挙が続いていることに保阪さんの心痛は高まっているはずです。

第1章は『高市自民党は本当の保守なのか』でした。保阪さんの著書を読み終え、高市総理が「真正保守」でないことは明らかだろうと思っています。殺傷能力ある武器の輸出原則容認、改憲に向けた動きなど「戦争への警戒心」に対する距離感の相違を感じざるを得ません。第6章『日本の保守はなぜ親米なのか』の「戦争をしない文化」という小見出しの箇所には次のように書かれています。

いまアメリカの転換期に向き合う私たちは、アメリカとの新しい関係を結び直す好機を手にしているとも言える。「真正保守」の立場からすると、それは反米姿勢を強めるというようなことではあり得ない。

まず私たちのアメリカ観を歴史から客観視して問い直し、そして、日米安保条約と軍事と基地について、また日米地位協定と独立国のありようについて、過剰な情念によってではなく、他ならぬアメリカ的プラグマティズムによって、冷静に見つめ直すべきだろう。組み替えるべき点は、調整をはかりながら漸次の改革に踏み出す。

プラグマティズムとは実用主義と訳され、理論や信念よりも「実際に役立つかどうか」で物事を判断する実用的な思想です。確かにローマ教皇からも痛烈に批判されるトランプ大統領のアメリカに追随していくことが、果たして日本国民にとってどうなのか、率直に問い直していく時機を迎えているのではないでしょうか。

前述したとおり長文ブログとなっていますが、最後に、著書で取り上げられていた後藤田正晴元副総理に絡む当ブログのバックナンバーを紹介します。このブログを開設した直後、2005年9月に「後藤田元副総理との偶然」という記事を投稿していました。現在の自民党に対し、後藤田元副総理が健在であれば、どのような言葉を発せられるのか興味深いところです。

これまで自民党を支持したことはありませんが、今の自民党から比べると昔の自民党の方が筋の通った政治家が多かったように感じられてしまいます。一昨日亡くなられた元副総理の後藤田正晴さんなどは、今のような政権与党に懐深さがなく、国全体が一気に右傾化しそうな時代において、たいへん貴重な方だったと思います。

最近の後藤田さんの発言を紹介します。郵政民営化法案反対者へ対立候補を立てたことに「政治は厳しい闘いですが、もう少し情味のあるやり方がないかなという気がします」と、さらに「官から民へ」のキャッチフレーズに対して「これは非常に危険。ここまでは官がやらなきゃいかんという分界点を真剣に議論する必要があると思います」とテレビ番組で話されていました。また、自民党護憲派の重鎮として、これまで自衛隊の海外派遣などに慎重な姿勢を示してきていました。

上記に紹介した後藤田さんのお話や姿勢は、この「公務員のためいき」で訴えてきたポイントと偶然にも見事に一致しています。政界から引退して10年近くたちますが、まだまだ発言力や影響力に重みがあった方でした。日本の行く末が難しい局面を迎えている中、後藤田さんのような方が亡くなられたことはたいへん残念に思います。

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