2018年9月15日 (土)

自民党総裁選と改憲の動き

沖縄県知事選が木曜日に告示され、9月30日に投開票されます。在日米軍基地の問題に深く関わる選挙戦だと言えます。このブログのコメント欄でのやり取りを踏まえれば、記事本文の題材として取り上げるべき話題なのかも知れません。それでも今回は改憲の動きに直結しそうな自民党総裁選について取り上げてみます。

もちろん私自身には無縁な選挙ですが、国民の実質的な代表である総理大臣を決める重要な選挙戦であることも間違いありません。安倍首相が圧勝するという大勢は揺るがないようですが、国民の一人として関心を抱きながら改憲の動きに絞った話を書き進めてみるつもりです。

前回記事「障害者雇用率の問題」のコメント欄に記した問題意識ですが、個々人が正しいと信じている「答え」は千差万別だろうと思っています。その上で、より望ましい「答え」に近付くためには多様な「答え」や情報に触れていくことが大切です。このような問題意識のもとに私自身、いわゆる左や右の立場に限らず、いろいろな視点で綴られている書籍やネット上のサイトを閲覧しています。

ブックマークしているサイトの中で、自民党総裁選を取り上げた興味深い記事をいくつか拝見しています。このブログ自体、ニッチな情報を提供する場であり続けたいものと考えているため、幅広い情報を拡散する機会として対象的な内容の記事を2点紹介させていただきます。まず産経新聞の論説委員兼政治部編集委員が綴っているサイト「阿比留瑠比の極言御免」の記事『国民から憲法改正の権利奪うな インタビューで強調した安倍晋三首相』です。

「国民には貴重な一票を行使していただきたい。国民が(憲法改正の是非を問う)国民投票をする権利を奪うことは、国会のサボタージュ(怠業)となる」 安倍晋三首相は、1日の産経新聞のインタビューでこう強調した。現行憲法が施行されて71年余がたつが、国会はいまだに一度も憲法改正の発議をしておらず、国民は固有の権利をいまだに行使できずにいる。首相はそうした不正常な現状に対し、改めて問題意識を表明したといえる。

憲法は改正条項(96条)を備えており、社会の必要や時代の要請に応じた改正を当然の前提としているにもかかわらず、国会審議は遅々として進んでいない。ここ数年にわたり、野党からは「安倍政権の間は憲法改正の議論はできない」との意味不明な主張が繰り返し聞こえる。だが、国の根幹をなす憲法の議論を、属人的な理由や単なる好悪の情で忌避してどうするのか。首相は、そうした無責任な態度をこう牽制した。

「安倍晋三が嫌だとかではなくて、議論すべきは、憲法のどの条文をどういう必要性があって変えるかということのみだ」 国民の権利や国の義務にもかかわる憲法の論議が、国会運営の駆け引きや政敵批判の材料に利用される現状にも警鐘を鳴らした。「それ(憲法の議論)が政局のために、この政権を倒すとか自分たちが政権を取るということで行われるのは避けるべきだ」

ただ、憲法9条の条文を残した上で、自衛隊の存在を明記するという首相の提案には当初、自民党内にも異論が少なくなかった。現に総裁選を争うことになる石破茂元幹事長は、戦力の不保持を定めた9条2項の削除を求めているほか、9条改正自体について「緊要性があるとは考えていない」とも主張している。この点に関して首相は、次のように説明した。「激動する安全保障環境の中にあるからこそ、憲法に自衛隊を明記することで、国民のために命をかける自衛隊の正当性を明確化し、誇りを持って任務に専念できる環境を整える」

8月には、埼玉県の共産党市議らが、子供用迷彩服の試着体験などの自衛隊イベントを中止させたり、自衛隊の航空ショーの中止を求めたりしたことが議論を呼んだ。首相は、憲法に自衛隊を位置づけることで「そういう議論に事実上、終止符を打つことにつながっていく」とも述べた。9条2項の削除は一つの道理ではあるが、連立を組む公明党が受け入れることは考えにくい。公明党抜きでは、衆参両院で国会発議に必要な3分の2の議席は確保できない。

昨年5月、石破氏が2項を残す首相案を批判した際、首相は周囲に「だったら石破さんは、公明党を説得してから言えばいい」と語っていた。1日のインタビューで首相は、改めて石破氏にこう反論した。「そもそも昨年10月の衆院選で自民党は、9条2項を削除する案ではなく、自衛隊の明記を公約に掲げて国民の審判を仰いだ」 首相は最後に「政治は現実であり、具体的な結果を出していくことが求められている」と決意を示した。

「誰が」ではなく、「何を」訴えているかという関係性を重視しています。そのため、発信者の名前や立場を伏せて紹介するほうが望ましいのかどうか少し迷いました。とは言え、そのような紹介の仕方はネット上のマナーを失することになり、あらかじめ「誰が」訴えているのか明らかにさせていただいています。続いて、「澤藤統一郎の憲法日記」の記事『「安倍9条改憲」を阻止するために』からの抜粋です。

昨年・2017年の5月3日憲法記念日が「安倍9条改憲」策動の始まりでした。彼は、志を同じくする右翼団体の改憲促進集会と、これも志を同じくする読売新聞の紙面とで、2020年までに、憲法を改正したいと期限を切って具体的な改憲案を提案しました。

「安倍9条改憲」の内容は、憲法9条の1項と2項は今のままに手を付けることなく残して、新たな9条3項、あるいは9条の2を起こして、自衛隊を憲法上の存在として明記する、というものです。安倍首相は、「全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整えるということになるだけで、この改正で実際は何も変わらない」と繰り返しています。

もし、本当に何も変わらないのなら、憲法改正という面倒で巨費を要する手続などする必要はありません。「自衛隊員が誇りを持って任務を全うできる」か否かは、国民が判断することで首相がしゃしゃり出ることではありません。

実は、「安倍9条改憲」で、憲法の平和主義の内容は明らかに変わるのです。現行憲法9条の1項と2項は、戦争放棄・戦力不保持を明記しています。これをそのままにして、戦争法(安保法制)が成立しました。このことによって、法律のレベルでは、自衛隊は集団的自衛権行使の名目で、海外で戦争のできる実力部隊と位置づけられたのです。しかし、憲法はこれを許していない、今ならそう言えます。

安倍9条改憲を許せばどうなるでしょうか。戦争放棄・戦力不保持の1・2項と、新たに自衛隊を書き込んだ憲法の新条文とが矛盾することになります。その矛盾は、新たな条文に軍配を上げるかたちで収められる危険が高いのです。「後法は新法を破る」(※)という法格言があります。集団的自衛権行使可能な自衛隊の明記が、9条1項・2項を死文化させかねないのです。 ※「後法は前法を破る」の誤りだと思われます。

弁護士である澤藤さんのブログ記事は長文であり、全文を読まれたい方はリンク先をご参照ください。上記の記事に続く澤藤さんの言葉として、石破茂候補が、「理解ないまま国民投票にかけちゃいけません。誠実な努力を着実にやっていく上で、初めてそれが俎上に上るもの」と、クギを刺しています。軍事オタクで、タカ派イメージの強い石破さんをハトに見せる安倍首相の前のめりの姿勢です、とも記されています。

澤藤さんのブログは以前からブックマークし、時々、参考になる記事内容を当ブログの中で紹介してきました。今年5月に投稿した記事「日本国憲法が大きな岐路に」の中では、澤藤さんの講演に直接足を運んだことも報告していました。だからと言う訳ではありませんが、どうしても澤藤さんの訴える内容のほうに「なるほど」と思える箇所が多くなりがちです。

私自身の考えは「改憲の動きに思うこと」「改憲の動きに思うこと Part2」などを通して訴えきています。いつ憲法9条の行方が問われたとしても、幅広く正しい情報のもとに判断できる環境を整えていくことが重要です。その結果、自衛隊を正式な軍隊に改め、戦争ができる「普通の国」に戻ることを国民が選択するケースもあり得るはずです。そのような選択に至った場合、それはそれで厳粛な国民投票の結果として受けとめていかなければなりません。

絶対避けるべきことは不誠実で不正確な選択肢のもと憲法の平和主義が変質していくような事態です。集団的自衛権の行使は認められない、後方支援も含め海外での戦争参加はできない、専守防衛までを認めていた現憲法9条の解釈を有効とし、それに見合った平和活動や国際貢献に徹するべきという「答え」を当ブログを通して訴えてきています。仮に国民投票で憲法9条の文言を見直す場合、名称はともかく自衛隊を軍隊と認めた上、役割や任務を明示すべきものと考えています。

安倍首相が提起した1項と2項はそのまま、つまり軍隊ではない自衛隊を憲法に明記する、安保法制の施行前であれば一定評価できる発想だったものと思います。しかし、戦場に出向きながら後方支援しか担わないという限定的な集団的自衛権の範囲は必ず見直しを迫られるはずです。さらに軍隊ではないまま自衛隊が海外で武力を伴う活動に従事することの矛盾や危うさも数多く指摘されています。

このような考え方に照らした時、安倍首相の提起している発想には疑念を抱いています。新たな矛盾や憲法論争の火種を残したままの改憲への道筋であり、現状が何も変わらないのであれば不必要な発議だと言えます。「政治は現実であり、具体的な結果を出していくことが求められている」という安倍首相の決意が紹介されていますが、状況によってはまったくその通りだと思っています。

しかし、本当は自衛隊を国際標準の軍隊にしたいけれど、そこまでは一気に変えられないから「憲法に明記するだけ」という発想だった場合、いかがなものかと危惧しています。それも国柄を象徴する憲法をどのように改めるのかどうかという極めて重大な選択肢を国民に示す際、この程度のハードルであればクリアできるという「現実的な判断」が誠実な姿勢なのかどうか私自身は疑問に思っています。

将来的に自衛隊を軍隊に位置付けたいとする石破候補の考えは支持していません。しかしながら「9条は国民の理解なくして、改正することがあってはいかん」という言葉には強く共感しています。ただ真っ先に改憲すべき事項は参院選の合区解消という石破候補の訴えには違和感があります。総裁選の応援を得るために必須な公約なのかも知れませんが、優先順位の例示としては説得力を欠くように感じています。

自民党総裁選の討論会で、安倍首相は、ロシアのプーチン大統領が「前提条件なしの平和条約締結」を提案したことについて、従来の政府の方針を維持する考えを示した。安倍首相は、「日本の立場は、領土問題を解決して平和条約を締結する立場。(プーチン大統領が)平和条約の意欲を示したのは間違いない」と述べた。これに関連し、立憲民主党は「反論せずに黙ったままでいる総理の姿勢は、看過できない」として、予算委員会を開催するよう自民党に求めた。【FNN PRIME 2018年9月14日

長い記事になっていますが、上記の話題についても触れてみます。東方経済フォーラムの壇上で、安倍首相が反論しなかったことについて私自身は問題視していません。沈黙が同意だという誤解を与えるような場だった訳ではなく、即座に反論したとしても領土問題の解決に向けて物事が劇的に動き出すものでもありません。ただ安倍首相としては、その場の雰囲気を壊さない程度に一言添えるべきだったと悔やまれているのかも知れません。

ロシアは東方経済フォーラムと同じタイミングで、中国軍とモンゴル軍も初参加した冷戦後最大規模となる軍事演習を極東やシベリアの地で実施しています。アメリカとの対立が続く中、ロシアと中国が政治経済や軍事の面でも緊密な連携をアピールするための一連の動きだと見られています。この軍事演習について安倍首相が話題にすることはなく、約束の時間に2時間以上待たされても苦言を呈することもなく、忍耐強くプーチン大統領との良好な関係を築いています。

言うべき時に言うべきことは毅然と言わなければなりません。それ以外の場面で安倍首相がプーチン大統領の性格を気遣いながら低姿勢で接していることを責める気持ちは一切ありません。首脳同士の良好な関係が私たち国民にとって最良の結果を引き出していただけることを期待しながら、私自身は安倍首相の今回の沈黙も含めてロシアとの関係性を評価しています。

領土問題の解決は悲願ですが、容易でないことも確かです。仮に安倍首相の手腕で解決できなかったとしても、掌を返して「良好な関係は何だったのか」と批判するつもりはありません。核兵器を保有する軍事大国であるロシアから攻撃されるという脅威や危機感だけは取り除いた関係性を築いているからです。脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まり、このように「意思」は外交交渉によって取り除くことができます。

領土問題を解決した後に平和条約を結ぶことがセオリーです。「戦争の火種を残す平和条約」というのは原理的矛盾だとも説かれがちです。9月20日、安倍首相が自民党総裁に選ばれることは確実視されていますが、今後、このような外交問題をはじめ、たいへんな難問が山積しています。安倍首相に望むことは改憲に向けた明確な選択肢の提示であり、相手を選ばずにロシアとの関係性と同じような寛容さを重視し、近隣諸国と良好な外交関係を築いていって欲しいものと願っています。

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2018年9月 8日 (土)

障害者雇用率の問題

もはや災害レベルと言える猛暑から猛烈な台風による被害が続き、木曜の朝には北海道を襲った震度7の大地震、日本列島の各所で甚大な痛みが強いられています。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。非日常の労苦に直面されている方々が多い中、恐縮する思いがありますが、いつもと同じように今週末も新規記事を投稿させていただきます。

前回の記事は「ネット議論の悩ましさ Part2」でした。その記事の中で、どうしても自分自身の正しいと信じている「答え」に沿って折り合えない限り、暖簾に腕押しのような平行線の議論だと感じがちであることを記していました。いみじくもコメント欄で、おこさんから「疑問を持っている人に理解を求めるのは困難」、下っ端さんから「永遠に噛み合わないという過去からの流れは、今後も続いていくのでしょうね」という言葉が寄せられていました。

私からすれば、私なりの言葉を尽くしてお答えしているつもりですが、その「答え」自体が一つの答えとして認められていないような手応えのなさを感じています。いろいろな「答え」を認め合った場として、このブログを位置付けています。この言葉は文字通り個々人の判断基準からすれば異質で理解不能な他者の「答え」だったとしても「そのような考え方もあるのか」という認め合いを推奨したものです。

もちろん理解不能な「答え」に対し、疑問や批判意見を投げかけることがあっても当然です。しかし、自分自身の「答え」の正しさを絶対視する余り、異質な「答え」を発する他者を見下すような関係性だけは避けていければと願っています。おかげ様で当ブログのコメント欄では、そのような関係性が際立つことは稀であり、いつもたいへん感謝しています。

いずれにしても当ブログを通して「答え」を一つに絞ることを目的にしていませんので、パネルディスカッションのような場として幅広い視点や見識からの多様な意見に触れ合っていけることを望んでいます。「コメント欄の限界と可能性」という記事を投稿していましたが、何かの言葉に反応し、「なるほど」という気付きがあり、それまでの考え方を大胆に改める可能性があることも頭から否定できないはずです。

そのような意味合いから久しぶりにベンガルさんに登場いただき、たいへん有難く思っています。最近の傾向として、コメント欄では私自身の主張に対する反対意見の数々という構図が多くなっていましたが、やはり幅広い立場や考え方に基づく意見が交わせることを願っています。当初、このような話を中心にした新規記事も考えていましたが、今回は記事タイトルに掲げた通り障害者雇用率の問題を取り上げさせていただきます。

中央省庁が雇用する障害者数を水増ししていた問題で、厚生労働省は28日、各省庁を再点検した結果、計3460人分が国のガイドラインに反して不正に算入されていたと発表した。障害者数の約半分が水増しだったことになる。雇用の旗振り役である中央省庁自らが数値を偽っていたことになり、制度の信頼が大きく揺らいでいる。

水増しは内閣府や総務省、国土交通省など全体の約8割にあたる27の機関で発覚した。法務省や財務省、外務省、気象庁、公正取引委員会などでも見つかった。実際の雇用率は大きく減少し、公表していた2.49%から1.19%に落ち込む。障害者数が最も減るのは国税庁で1000人超のマイナスになる。雇用率が0%台なのは総務省や法務省、文部科学省など計18機関になった。

加藤勝信厚生労働相は28日の閣議後の記者会見で、「障害者施策を推進する立場として深くおわびを申し上げる」と頭を下げ、「今年中に法定雇用率に満たない人数を雇用するよう努力してもらう」と述べた。水増しの原因については「故意か理解不足によるものか、今回の調査では判断しきれない」とした。障害者雇用促進法は、企業や公的機関に一定割合の障害者を雇うよう義務づけている。

現在の国の法定雇用率は2.5%。厚労省は国の33行政機関の障害者雇用数について昨年6月時点で約6900人とし、当時の法定雇用率(2.3%)を達成したとしていた。厚労省のガイドラインでは障害者手帳などの確認を算定条件にしている。しかし、多くの省庁が手帳などを確認せず障害者として組み入れていた実態が明らかになった。就業できるはずだった障害者の雇用機会を奪っていた可能性がある。

企業の場合は法定雇用率を下回ると、不足数1人当たり月額5万円の納付金を求められる。ペナルティーがない行政機関が不適切な算定をしていたことに対し、民間などからの批判が高まるのは必至だ。水増しは全国の自治体でも相次いで発覚している。政府は28日、障害者雇用の水増し問題を巡り、関係閣僚会議を首相官邸で開いた。

菅義偉官房長官は加藤厚生労働相を議長として再発防止策などを検討する関係府省連絡会議を設置すると表明。「10月中をメドに政府一体となった取り組みのとりまとめができるように検討を進めてほしい」と指示した。同連絡会議のもとに弁護士など第三者による検証チームもつくる。【日本経済新聞2018年8月28日

上記の報道の通り官公庁の多くの職場で障害者雇用率を満たしていないことが分かり、強い批判を浴びています。民間企業に対して強要し、取り締まる側であり、率先垂範が求められる官公庁側の杜撰さは猛省しなければなりません。幸い私の勤めている市では「水増し」のような実態はなく、雇用率を満たしていることが確認できています。

民間企業の場合、法定雇用率を下回ると不足数1人あたり月額5万円の納付金を求められます。そのようなペナルティが官公庁側には課せられていないという制度面の不公平感も取り沙汰され、「水増し」と非難されるように意図的な操作まで疑われています。なぜ、このような際立った官民の隔たりが生じたのか、次のような解説に接すると少しだけ疑問は解けていきます。

あらかじめ強調させていただきますが、「だから仕方なかった」という情状酌量につなげるための紹介ではありません。あくまでも多面的な情報に触れることで、物事を評価するためのモノサシの幅が広がるという趣旨の一例として取り上げています。その解説は「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」の記事『障害者雇用率「水増し」問題の法制度史的根源』の中に綴られていました。

詳しい内容はリンク先のサイトをご参照いただければと考えていますが、要点は次の通りです。もともと雇用率制度は1960年に制定された障害者雇用促進法で官公庁は義務、民間は努力義務として始まっていました。1976年の改正で民間も義務化され、この時に民間については雇用率未達成企業に納付金制度が導入されました。

「しかし、その際に障害者の範囲が変わったということは、詳しい人でないとあまり知られていないでしょう」とも記されています。その法改正の詳細を官公庁側が「知らなかった」という釈明は決して許されません。ただ「なぜ、ここまで官民での隔たりが生じてしまったのか」という理由や背景についての理解は進みます。さらに当該の記事には次のような問題意識も示されています。

障害者の範囲というのは、実は障害者雇用政策の根幹に関わる大問題でもあるのです。雇用率制度という一つの政策においては、今日新聞を賑わしているように、ほぼ障害者手帳所持者とイコールというかなり狭い範囲の人々の限られていますが、同じ障害者雇用促進法でも差別禁止と合理的配慮というもう一つの政策においては、手帳を持たない精神障害者や発達障害者、難病患者なども含まれます。さらに福祉的就労の対象となる総合支援法の対象はもっと広くなります。

このブログでも2年前に「障害者差別解消法が施行」という記事を投稿し、対象となる障害者は「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」とし、障害者手帳等の所持者に限らず、見た目で分からないこともあるという記述を残していました。今回のような報道が注目を集めてしまい、その結果、障害者手帳を持っていない方々に対する職場における合理的配慮が欠けていくようでは問題です。そうならないためにも障害者差別解消法の理念にもっとスポットライトが当たらなければならないものと考えています。

8月5日に投稿した「平和の話、インデックスⅢ」以降、安全保障に関わる論点を提起してきています。それぞれの記事に対し、多くのコメントをお寄せいただいています。基本的に私からのレスは記事本文を中心に対応しています。問いかけすべて網羅した対応に至っていない中、今回、これまでの流れを変えた題材になったことをご容赦ください。決して意識的に流れを変えようと思っている訳ではなく、お寄せくださったコメントは一つ一つ拝読していますので、今後投稿する新規記事を通して私なりの「答え」を少しずつお返しできればと考えています。

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2018年9月 1日 (土)

ネット議論の悩ましさ Part2

前回記事は「ネット議論の悩ましさ」でした。コメント欄までご覧にならない方も多いようですので、そこに記した私からのレスをいくつか取り上げさせていただきます。まず三多摩すごいね(凄いね)さんから「自分(管理人である私)は公平だ」というスタンスで当ブログを綴っているような見方が示されていました。そのあたりから「何故こうも批判が偏るのか、ダブルスタンダードなのか」という見方にもつながっているようですが、大きな誤解があります。

このブログにおいて私自身の立場が「公平だ」と発したことは一度もありません。基本的な立場や考え方を明らかにしながら、自分自身が正しいと信じている「答え」に照らし、それぞれの事象に対して個人的な論評を加えています。もちろんネット上での発言という重さを受けとめ、言葉や表現は常に注意しています。

それでも個人的な立場で運営している場ですので縛りや忖度もなく、ブログのサブタイトルにある通り「雑談放談」的な意見を気ままに書き込んできています。その結果として、現政権に対しては辛口な論評が多くなり、三多摩すごいね(凄いね)さんらとの問題意識にズレが生じているのだろうと考えています。

「過去にこの掲示板に来訪していた方も、私と同じような印象を抱いてここを去ったのではないでしょうか」というご指摘もありました。確かにそのような方も多かったはずです。どうしても自分自身の正しいと信じている「答え」に沿って折り合えない限り、暖簾に腕押しのような平行線の議論だと感じがちです。それでも批判意見を忖度し、自分自身の意に反し、その場だけ繕うような対応をはかるほうが不誠実なことだろうと考えています。

それぞれ培ってきた経験や吸収してきた知識のもとに自分自身の正しいと信じている「答え」に行き着きます。何かの言葉に反応し、「なるほど」という気付きがあり、それまでの考え方を大胆に改める場合もあるのかも知れません。そのような機会は極めて稀だろうと思っていますが、このブログを通し、立場や視点の異なる者同士がお互い言葉の競い合いによって切磋琢磨できることを願っています。

安倍は次の臨時国会に自民党改憲案を提出すると表明した。この秋は改憲と戦争を阻止する大決戦になった。9・9革共同集会に集まり、この攻撃に立ち向かう固い団結をつくろう。改憲阻止の闘いの場は、労働現場・職場にある。安倍はUAゼンセンを手先に連合を改憲勢力に取り込むとともに、労働組合を解体する攻撃を強めている。

その最先頭に立っているのが、JR東労組さえ解体の対象としているJR資本だ。JR東日本がたくらむ乗務員勤務制度の改悪は、労働組合を解体した上で、労働者の雇用と権利を破壊しつくすものだ。だが、動労千葉・動労総連合はこれへの総反撃を開始した。「労組のない社会」を強いて戦争に向かう安倍のたくらみを覆す闘いは、改憲阻止闘争そのものだ。

上記はネット上で閲覧できる『前進』ブログ版の最新記事の冒頭に書かれている内容です。それぞれの立場から正しいと信じている主張を堂々と発せられることが健全な民主主義社会の基本です。したがって、上記のような主張があることを理解し、批判しませんが、私自身のとらえ方とは異なる点が多く散見しています。批判しないことで、その組織の運動を支持していると見られた場合、悩ましさの一つにつながります。

さらに前回記事に綴った通り当ブログを通して発信している主張が上記のような主張と同じカテゴリーで見られていたことに悩ましさを感じていました。「誰が」ではなく、「何を」という言葉が公平さを標榜しているような誤解を招いたようですが、あくまでも物事を評価するための心構えとして記しています。個々の事案に対し、安倍政権だから支持する、逆に反対する、そのような関係性に陥らないようにいつも心がけています。

前回記事の中で記していましたが、私自身が「左派」と見られ、私自身の正しいと信じている「答え」の中味が下っ端さんらから批判されても仕方ありません。その上で、私自身の結論は変わらない中、「なぜなのか」という説明について一人でも多くの方から共感を得られるように努めていきたいものと考えています。よりいっそう「何が正しいのか」という問題提起を重視した記事内容に向け、これからも頭を悩ましていくつもりです。

さて、自治労や平和フォーラムが在日米軍基地に対して抗議行動に取り組む一方、なぜ、中国大使館に向けた抗議行動には取り組まないのかという問いかけが頻繁に寄せられています。当初、新規記事のタイトルは「在日米軍基地の問題」としていました。書き進めていくと、前回記事のコメント欄に書き込んだ内容の紹介がたいへん長くなってしまいました。そのため、途中から「ネット議論の悩ましさ Part2」に変えています。

初めに思い描いた記事内容の広がりは避けながら、できる限り要点を絞ってまとめてみます。たいへん有難いことに前回記事のコメント欄でベンガルさんから、この件に関する詳しい説明となるコメントが寄せられていました。私自身の言葉に置き換えて説明するよりも、ベンガルさんのコメントから関連する箇所を抜粋し、そのまま紹介するという形を取らさせていただきます。

国民、住民の抗議行動(集会、デモ、座り込みなど)のスタイルは国によって様々ではあると思いますが、少なくとも日本の労働組合が行ってきた抗議行動のスタイルは、日本政府や自治体に対するものです。課題が日本国内の課題は当然のことですが、在日米軍や安保についても文脈として米軍批判をしながらも最終的に求めているのは日本政府に対する問題提起だったり、政策の転換、米国への抗議(日本政府が)など、一方自治体に対するものは、それらを政府に対し働きかけるよう求めたり、県民、市民の安全性の確保を求めるものであったりします。

例外としては、在日米軍基地の兵隊が日本国内で事件、事故を起こした場合など、米軍に対し、日本の法律で裁くため身柄を引き渡すよう求めた行動ははありましたね。これも根本的には、日米地位協定の問題であり、基本的には日本政府に対する抗議と要請を同時に行った経緯があると思います。

変化があるとすれば、ここ近年、「核兵器廃絶の世界的な潮流」の中で、核実験を行った国に対しては、どの国であろうが(当然、中国、北朝鮮も)各国大使館あてに抗議を行っているようです。これは全世界的な動きであり、日本の労働組合もこの動きに呼応しています。

「米国は批判するけど、中国、北朝鮮は批判しない日本の平和団体」という批判は、日本会議などが発端だったかと思いますが、かなり前から言われています。ただ、日本の労働組合が取り組む平和運動というのは、戦後のGHQによる統治から朝鮮戦争、日米安保、在日米軍基地問題などをスタートとして、あくまで日本国内問題として、日本政府が取ってきた外交政策や安全保障政策に対し、日本国民として抗議や反対の意を表明するというものですので、他国に対する直接的な抗議行動というのは違和感があると言うか…。また、日本の労働組合が単独で抗議したところで、「何言ってるの?」ってことにはならないでしょうか?これは、良し悪しは別として一貫していると思います。

上記の文章に対し、特に私から補足することはありません。私自身の認識と基本的に一致しているため、たいへん恐縮ながらベンガルさんのコメントのほぼ全文を転載させていただきました。もちろん反論や批判が加えられた場合、そのまま転載した私自身の責任で対応させていただきます。要するに自治労や平和フォーラムが取り組む在日米軍基地に対する抗議行動は「国内問題」という位置付けになります。

このブログでは以前「普天間基地の移設問題」や「横田基地にオスプレイ」という記事を投稿しています。民主党中心の政権に交代した直後、普天間基地移転を巡って迷走した際には「約束を踏まえた先に広がる可能性」という記事を投稿していました。アメリカとの約束を優先すれば、国内向けの約束を破る結果となるため、鳩山元首相らは相反する約束があることを踏まえ、下記のような関係性に充分配慮しながら対応する必要性があることを訴えていました。

アメリカ政府との関係で言えば、政権交代という非常に大きな国内事情の変更があったことを訴え、まず交渉のテーブルに着いてもらうことが重要でした。その際、「辺野古への移設の約束は白紙」と日本側が先に述べてしまうのは適切ではありません。あくまでもアメリカとの約束は生きている中で、改めて交渉の席に着くことを依頼しているのが日本の立場だからです。

すべての事象に対して当てはまることですが、「このようにしたい、こうあるべきだ」という理想的な姿を思い描くことも多いはずです。しかし、思い描いたからと言って一足飛びに理想的なゴールにたどり着ける訳ではありません。現状からスタートして、一つ一つ乗り越えるべき課題をクリアしながら、理想的なゴールにたどり着けるかどうか努力していかなければなりません。

在日米軍基地の問題で言えば、目の前にある地元の基地の取扱いと日米安全保障条約の見直しという総論的な課題が内包しています。理想的な姿は在日米軍を必要としない安全保障環境の構築です。そのような姿が実現できれば、沖縄をはじめ、在日米軍基地による各地域の負担感は劇的に解消されていくことになります。到底一足飛びにたどり着けるゴールではありませんが、理想を思い描きながら直面する課題に向かっていくことも欠かせないのではないでしょうか。

このような言葉に対し、痛烈な「お花畑」批判が寄せられるのかも知れません。それでも国際的な枠組みの中で軍縮の流れを高め、近隣諸国との関係改善に努めることで脅威を逓減化させ、アメリカ政府とも協議しながら軍事力に依拠した安全保障環境を見直していくことも決して絵空事ではないはずです。実際、安倍首相も中国や北朝鮮とも対話していく道を選びつつあります。このような対話をできる関係性こそ、武力衝突を回避する「安心供与」の広義の国防だろうと考えています。

たいへん重く難しい話を要約しすぎているため、言葉や説明が不足している箇所が目立っているかも知れません。機会があれば不充分な点は補足させていただきます。なお、このブログでは「答え」を一つに絞ることを目的としていません。記事本文に書かれた内容や閲覧された皆さんから寄せられるコメントに対し、個々人がどのように受けとめるのかどうかという関係性を重視しています。

最近の傾向として、コメント欄では私自身の主張に対する反対意見の数々という構図が多くなっています。前回、ベンガルさんからお寄せいただいたようなご意見が示されることで、コメント欄においても幅広い考え方や情報に触れられる機会につながるものと思っています。ぜひ、一人でも多くの皆さんからお気軽にコメントがお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2018年8月25日 (土)

ネット議論の悩ましさ

8月10日、人事院は今年度の国家公務員の月例給を平均で0.16%(655円)引き上げ、一時金を0.05月分引き上げて年間4.45月分とする勧告を国会と内閣に対して行ないました。月例給と一時金、ともに5年連続での引き上げ勧告となりました。前回記事「平和の話、サマリー Part2」の中では外交面で安倍首相を評価できる点について記していました。

人事院勧告は民間の給与水準を反映したものであり、少しずつでも5年連続で引き上げられている結果は評価すべき点です。加えて、これまで安倍政権は人事院勧告の骨格となる内容はそのまま実施してきています。公務員の労働基本権制約の代償措置としての人事院勧告ですので、当たり前と言えばそれまでですが、公務員給与の引き下げが政治的な思惑の中で取沙汰されるケースの多さを考えると素直に評価しなければなりません。

東日本大震災の復興財源に充てるため、国家公務員の給与が2012年度と2013年度に限り平均7.8%カットされました。安倍政権になった後、それまで独自な給与見直しを進めていた地方公務員全体にも同様な給与削減を要請したことは問題だったと考えています。それでも民主党政権時代の幹部の一人は「これだけひどい財政状況を考えれば、2年間でまた元に戻すことができるはずがない」と発言していました。

そのような見方もあった中、安倍政権はあくまでも特例の臨時的措置として削減は2年間にとどめました。デフレ脱却をめざす安倍政権の経済政策に照らし、一貫性のある判断であり、率直に評価できる点だと言えます。アベノミクスそのものの評価は難しく、「劇薬」を投与中という認識です。日本の経済や財政を致死させるリスクを危惧する一方、劇的に回復させた試みだったと評価される日が来ることも願っています。

さて、人事院勧告は毎年8月初旬に示されます。「人事院勧告の話、インデックス」という記事もありますが、やはり8月は平和や戦争について考える題材の投稿が多くなっています。今年は3週続けて「平和の話」をタイトルの頭に付けた記事を投稿していました。2012年の春頃から寄せられたコメントに対し、しっかりお答えすべき内容は記事本文を通して対応しています。

そのため、難しい論点を含む題材だった場合、「Part2」として続け、前回記事の内容を補っていくことが多くなっています。「平和の話、サマリー Part2」もそのような流れの中で投稿していましたが、私自身の悩ましさが深まる経過をたどっています。かなり前に「ネット議論への雑感」という記事を投稿し、3か月前には「再び、ネット議論への雑感」という記事を綴っていました。

それらの記事では主に「難しさ」を書き残していましたが、今回は「ネット議論の悩ましさ」というタイトルを付けました。SNSを利用した意見交換の「難しさ」から、今、直面している「悩ましさ」の理由を探ってみます。まず私自身が「悩ましさ」を深めた言葉を紹介させていただきます。そのような言葉が示された発端となっている具体的な事例に関しても、充分な理解を得られていないようですので補足できればと考えています。

いわゆる、極左的な活動をしている方々が主張していることと、管理人さんが書いていることがいつも重なって見えてしまう。そして、自治労の活動自体も、多くが重なってしまっている。 「あっ、結局は自治労も管理人さんも、左派的思想のもとに活動をしている団体や人なんだな」 それが、ここに色々と書き込みをする人達の、受け取った認識であります。

このブログを開設した頃から閲覧いただき、コメント欄での常連である下っ端さんからの言葉でしたので余計ショックでした。「極左的な活動をしている方々が主張していることと、管理人さんが書いていることがいつも重なって見えてしまう」という言葉に何とも言えない無力感や徒労感を覚えていました。

私自身、自治労の基本的な方向性を支持し、いわゆる右か左かで言えば、左に位置するように見られていることを否定しません。しかし、そこまで極端なカテゴリーの中で、同じように見られていることに非常に驚き、物凄く残念な気持ちを強めています。普段から「誰が」という色眼鏡は外し、「何を」訴えているのかという中味を評価しなければならないものと考えています。

このブログで発信している内容に関しても、そのように見て欲しいものと願っていました。その上で、基本的な視点や考え方が異なる方々にも届くような言葉を探し続けています。このような自分自身のこだわりを考えた時、「公務員のためいき」と長くお付き合いいただいている下っ端さんから極端な見られ方が吐露され、本当に力が抜けてしまいました。例えれば次のような場面が思い浮かんでいました。

新しく開発した自社の車の性能や装備などを詳しく説明し、その車の素晴らしさを懸命にアピールした後、「やっぱりM社の車は買う気がないから」と言われた営業マンの気持ちと重ね合わせています。どれほど画期的な車が開発でき、その点を的確に伝えたとしても「M社の車だから」というカテゴリーのみで判断され、切り捨てられてしまっては非常に無念な話だと言えます。

念のため、私が主張している内容は素晴らしく、画期的であるという例えではありません。下っ端さんから「左」という大きなカテゴリーの中に一括りにされ、十把一絡げに評価されているような印象を受けたため、上記のような話に例えてみました。とは言え、このような理解は間違いであり、過剰反応だったのかも知れません。その後、下っ端さんからは次のようなコメントが寄せられていました。

スタートの視点が違うんです。管理人さんは、フラットな目線での意見を述べていることに、異論はありません。しかし、その一方で、所属する組織のトップでもあり、そのことをある程度公表している以上、個人的な見解とは見てくれないんですよ。いくら個人的な見解であっても。その点をもう少し考慮してお書きになれば、いわゆる「心外」な指摘は減少すると思われます。私の突っ込みも、半分はそういう要素を加味していることをお気づきください。

私が無力感や徒労感を覚えたことは過剰な反応であり、下っ端さんの指摘の真意を正しく理解できていない、そのようなメッセージであることは伝わってきています。しかし、逆に私自身が、なぜ、これほどショックを受けたのか、理解いただけていないことも感じ取っていました。今回の記事本文に取り上げた例え話も含め、何に対して悩ましさを深めたのか、分かっていただくことは容易でないのかも知れません。

愚痴っぽい話が続き、たいへん申し訳ありません。ただネット議論の悩ましさを強調するだけで、後ろ向きな話のまま終わらせるつもりはありません。下っ端さんをはじめ、せめてコメント欄常連の皆さんとは「スタートの視点」を近付けたいと願っているため、今回の記事を書き進めています。言うまでもありませんが、それぞれが正しいと信じている基本的な「答え」が違うことを前提にした上での「スタートの視点」のすり合わせです。

「批判を受けている」と感じるか(イコール、左派と認める)、「そうじゃないんだ。まだまだ誤解が存在するからもっと議論をしていきたい」と思うか(リベラル?) どちらを感じるのかは、管理人さん次第と思ってます。

上記の言葉も下っ端さんからの問いかけです。もちろん、もっともっと議論をしていきたいと思っています。それがリベラルという立場なのかどうか分かりませんが、もう少し私自身の問題意識を理解いただき、かみ合ったネット上での議論につなげられればと願っています。なお、上記のような問いかけからもお互いの「スタートの視点」に大きな隔たりが存在していることを感じ取っています。

私自身が「左派」と見られ、私自身の正しいと信じている「答え」の中味が下っ端さんらから批判されても仕方ありません。そのことでショックを受けることはありません。大きなショックを受けた理由は「極左」の主張と同一視されてしまっている点です。どこまでが「極左」かどうかも分かりませんが、いわゆる「左」と見られている方々の主張や論調も個々人によって差があり、簡単に一括りできるものではありません。

外国人からすれば「日本人の顔は皆同じ」と見られるような話を耳にしたことがありますが、下っ端さんからすれば「左」に位置付く主張は「皆同じ」に見られてしまっているのかと思い、たいへんショックを受けてしまった訳です。このような話も「どうでもいいじゃないか」という叱責があるのかも知れません。確かに「極左」「左派」「リベラル」「右派」「極右」、どうでも良いのです。それぞれの立場の方々がそれぞれの言葉で主張している内容を色眼鏡を外して評価してもらえれば、カテゴリーはどうでも良いのだろうと考えています。

実は前回記事のコメント欄でのやり取りを見た組合員から「なるほど」と思う指摘を受けていました。「憲法9条は変えるべきではない」などという結論が、結局は皆同じだから「極左的な活動をしている方々と主張が同じ」という見られ方をされてしまうのではないのですか、という指摘でした。個々の結論の中味が必ずしもすべて一致している訳ではありませんが、基本的な方向性で言えば「皆同じ」と見られてしまうのかも知れないと気付かされました。

自分たちの「答え」が絶対正しく、「〇〇に反対しよう!」「□□には反対すべきだ!」という結論を押し付けるような主張は避けるべきものと考えています。そのため、「なぜ、反対しているのか」「なぜ、その行動に取り組むのか」という説明を加えながらの訴え方を重視しています。しかし、そのようなこだわりも「結論が間違っている」と考えている方々にとって、同じカテゴリーの一員に分類されてしまうのかという思いに至りました。

さらに私自身の説明の仕方や言葉の使い方が立場性をぼかすための手法だととらえられた場合、逆に姑息さや悪質さを醸し出しているのかも知れません。組合員からの率直な指摘は、このような思いを巡らす機会につながっていました。コメント欄に寄せられる指摘や批判が私自身に対するものなのか、自治労という組織に対するものなのかという問いかけに関しては、めざしている結論が同じだから、どちらにも当てはまるという答えになってしまうことも理解できました。

このような関係性の理解は深まりましたが、ネット議論の悩ましさが解消に向かうものではありません。かえって悩ましさは深まったような気がしています。私自身の個人的な見解、私自身の責任範疇の問題、自分なりの線引きを保ちながら当ブログと向き合ってきています。しかし、そのような線引きは理解を得られず、多くの方々から「自治労=公務員のためいき」という舞台設定のもとに見られ続けていくとしたら、それはそれで悩ましい話です。

KEI さんからの「いーや、OTSUさんがええかっこしいで大ボラを吹いているだけで、違いなんか無いと思うね!」という言葉も、自治労の中で実際に起こっている事実、だから私どもの組合も同じだと見られてしまうという悩ましい関係性の一つだろうと理解しています。このような関係性について今まで以上に意識していくつもりですが、だから何かを大きく変えようという考えが現時点でまとまっている訳ではありません。せめて「何が正しいのか」という問題提起を重視した記事内容に向け、よりいっそう頭を悩ましていこうと考え始めています。

以上のような理解も的外れな点があるのかも知れません。それでも個々人の正しいと信じている「答え」に沿った結論に至らない限り、「なぜなのか」という丁寧な説明もあまり大きな意味を持たない、そのような悩ましい関係性であることの理解を一歩進められたものと思っています。その上で「スタートの視点」をはじめ、まだまだ分かり合えないことが数多くあるものと見ていますが、これからも「悩ましさ」を抱えながらも下っ端さんらとのネット議論を続けていけたら幸いなことです。

たいへん長い記事になってしまいました。冒頭に掲げた下っ端さんの言葉の発端となった具体的な事例とは在日米軍基地の問題でした。自治労が中国大使館に向けた抗議行動に取り組んでいないことの話と絡め、補足説明を加えようと考えていました。「ネット議論の悩ましさ」という内容だけで相当な長さとなっていますので、恐縮ながら次回以降の記事で取り上げることとしますが、ご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。

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2018年8月18日 (土)

平和の話、サマリー Part2

前回の記事は「平和の話、サマリー」とし、これまでの記事内容の一部を転載しながらまとめてみました。つながりを考えた文章の挿入や最近の情勢を踏まえた内容を追記したため、必ずしも以前投稿した「平和の話」の要約(サマリー)という記事ではなかったかも知れません。さらに今回、その傾向が顕著になりそうですが、前回記事のコメント欄に寄せられた意見を踏まえた内容を考えているため、記事タイトルに「Part2」を付けて書き進めていきます。

総論的な問題意識から言葉の使い方

まず私自身の総論的な問題意識を改めて説明させていただきます。それぞれの正しいと信じている「答え」に照らし、他者の考え方や振る舞いが理解できず、納得できない場面は多々あるはずです。自治労をはじめ、いわゆる左に位置すると見られている団体が、例えば人権問題や覇権主義を危惧されがちな中国大使館前で抗議行動を展開しないことへの違和感もその一つに数えられがちです。

騒音や墜落の危険性等の絡みから在日米軍基地に反対する運動方針がある中、優先順位の付け方が問われることはやむを得ないものと考えています。ただ世界中には様々な問題視すべき事例があります。それら一つ一つに対し、批判する声を上げなければ「容認している」という見方は短絡的であるように思っています。

批判すべきと考えている方々が、表立って批判していない不充分さを指摘し、非難することは自由です。自治労が中国大使館に向けて抗議デモを行なっていないことは事実であり、そのことを個々人の「答え」に照らしながら批判される方々が多かったとしても仕方ありません。しかし、そのことをもって中国の影響力に置かれた団体であるような極端な見方につなげてしまっては問題です。

前回記事の中で訴えた「推論や思い込みによる批判は絶対避けなければなりません」という言葉は、このような推論や思い込みだけは自制すべきという趣旨でした。ただ私自身の思考自体、推論や思い込みを完全に排除しているかどうかで言えばそうとも限りません。自省を込めた言葉でもあり、推論に近い論評だった場合、せめて断定調な言い方は慎もうと心がけているところです。

下っ端さんから『「私もそう思います。委員長として自治労本部に伝えます」、と言えないのでしょうか?真に平和を求めるなら、当然の行動と思いますが、違いますか?』という指摘があり、KEIさんからは『無理を言っちゃいけませんて。そんなの「独裁になるから出来ない」と突っぱねられるのがオチじゃないですか。でも「バランスを欠いているとの指摘が有ることについて、総意を確かめるべく執行委員会/総会に諮ります」とは言えるハズだ。そうでしょう?』というコメントが続いていました。

このような「こうあるべきだ」と決め付けられた意見は正直なところ違和感があります。ただ私自身の言葉の使い方に曖昧な点があるため、誘発している流れであることを反省しています。前段にqurさんと四国人さんからのコメントがあり、一例として中国大使館前での抗議デモの話が提起されていました。二人へのレスを通し、自治労が取り組んでいないことについて、私自身も強く問題視しているような印象を与えていたのかも知れないと省みています。

要するに「取り組む必要がない」と記していれば、紹介したような下っ端さんとKEIさんからのコメントは異なる内容になっていたのかも知れません。中国大使館前での抗議デモの是非が論点ではなく、あくまでも前述したような問題意識が主軸だったため、あえて明記していませんでした。「取り組む必要がない」とまで考えている訳ではなく、だからと言って今のところ「積極的に取り組むべきだ」という強い問題意識も持ち得ていないからです。

ちなみに当ブログに掲げている内容は必要に応じて実際の会議等の場面でも訴えてきています。「自治労都本部大会での発言」という記事を通し、自治労内部の会議の中で下記のような問題意識を前面に出した内容を訴えていることも紹介していました。下記のような発言に至る後押しは、このブログを通して忌憚のない幅広い声に普段から触れることができているからでした。

安倍首相が「戦争をしたがっている」と批判した場合、あくまでも抑止力を高め、戦争を未然に防ぐための法整備であるという反発を招きがちとなります。自治労組合員の中にも少数ではないはずの安保関連法案賛成派や安倍首相を支持する方々にも届く言葉、そのような言葉を意識していくことが大切だろうと思っています。いずれにしても多岐にわたる情報があふれる中、個々人の価値観は多様化しています。

そのため、組合の活動方針と組合員一人ひとりとの問題意識に溝が生じないように注意していかなければなりません。その溝が広がっていくと組合活動全体に対する結集力の低下につながりかねません。そのような事態を避けるためには特に政治的な活動の必要性や意義について、日頃から丁寧な情報発信に努めていくことが非常に重要です。よりいっそう「なぜ、取り組むのか」「なぜ、反対しているのか」という説明が欠かせないのではないでしょうか。ぜひ、自治労都本部の運動の中でも、このような問題意識に留意していただけるよう願っています。

上記のような発言以外にも反戦平和の運動の進め方、脱原発、拉致問題など、このブログで提起している内容はネット上だけの発信にとどめず、実生活の中でも必要に応じて訴えてきています。このような経緯がある中、総論的な話として「自治労が進めてきた平和運動は偏っている」と見られがちな点について、上記のような発言の趣旨に加えていく必要性があることも受けとめ始めています。

私自身からすれば「誤解なく伝わるはず」と考えている言葉や表現も、もしかしたら意図を適確に伝え切れていない場合があるのかも知れません。より望ましい「答え」に近付くためには幅広く、一方に偏らない多面的な情報や考え方に触れていくことが欠かせません。このブログがコメント欄を含め、そのような場の一つになり得ることを願っています。前回記事の中でも記した言葉です。

このブログの記事本文の内容が「一方に偏らない多面的な情報」であるという意図を説明した言葉ではありません。記事本文の中で必ず両論併記するような構成に努めている訳ではなく、あくまでもメディアやネット上から知り得る全体的な情報を通し、私自身も含めて心がけていくべき大事な姿勢として記している言葉でした。そもそも個人的な思いを自由に綴っているブログですので「偏っている論調だ」と指摘されても否定するつもりはありません。

大事なことは「誰が」や「どこの団体が」ではなく、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのかという一つ一つの判断の積み重ねだろうと思っています。この言葉も前回記事で記していましたが、2018年8月14日 (火) 00時50分に投稿された方から『と言われる割には、ここまでブログで書かれてこられたことは非常に恣意的に安倍政権全体の批判となる点ばかりとりあげられていますね アメリカは批判し、中国は批判しないことにも全く答えていませんし あえてレッテルを張らせてもらいますが、あなたを含め、「左派」の方たちは保守系の政治家への認識が30年前のまま止まっていると思います』と批判を受けていました。

「誰が」に関してはレッテルを貼って物事を見ないように私自身も含め、やはり心がけていくべき大事な姿勢として記している言葉です。オールorナッシングでの決め付けた評価は避け、まして「批判ありき」や「批判のための批判」にすべきではありません。冒頭に記した推論や思い込みによる批判と同様、一例として「安倍首相は戦争をしたがっている」と決め付けた場合、誹謗中傷の類いの言葉となってしまいます。

そのような言葉は安倍首相の判断を支持されている方々を不愉快にさせ、冷静で理性的な議論から距離を置かせてしまうはずです。 このような点を心がけているつもりですので、安倍首相も戦争を防ぐため、平和を守るため、安保関連法を成立させたものと理解しています。その上で、その判断が正しかったのかどうかを問い続けてきています。さらに安倍首相に限りませんが、批判的な意見を綴る際、ご本人を前にしてもそのまま訴えられるような言葉使いにも注意しています。

必ず肩書きを付け、呼び捨てや「アイツ、コイツ」というような呼び方は一度もしていません。最高権力者という立場上、ある程度辛辣な言葉で批判されてしまうことをやむを得ないものと覚悟されているはずですが、やはり批判する側にも守るべき一線はあるのだろうと思っています。余計な話ですが、できれば当ブログを安倍首相にも目を通していただければ本望だと考えています。そのような夢想的な可能性も踏まえ、批判する相手に対しても礼を失しない言葉使いに努めています。

「誰が」ではなく、「何が」という心構えは安倍首相の具体的な言動に対し、私自身の「答え」に照らし、評価や批判を加えているという意味合いです。決して「批判ありき」ではないのですが、結果的に「安倍政権全体の批判となる点ばかり」を取り上げがちな現況が続いています。その際、自分自身の主張を補強する目的で他のサイトから事実関係を中心に関連情報等を紹介しています。したがって、「恣意的」の意味合いが「自分なりに、意図的に」であればその通りであり、「必然性がない、論理性がない」という意味合いであれば不本意な指摘だと言わざるを得ません。

■「平和の話」の中で安倍首相を評価できること

このブログを定期的に閲覧されている組合員から「安倍首相を評価できることがあれば、そのようなことを書き加えたほうが批判意見に説得力も増すのではないですか」という指摘を受けていました。これまでも評価できる点は率直に評価した記述を残してきていますので、この機会に「平和の話」の中で安倍首相の振る舞いを評価した事例を紹介させていただきます。その際も、私なりの要望を添えがちですがご容赦ください。

『総理』を読み終えて Part2」の中での記述です。2013年8月、アメリカのオバマ大統領(当時)は「シリア国内で化学兵器が使用され、子どもを含む多数の一般市民が犠牲になった」と説明し、シリアへの軍事攻撃を行なうことを表明しました。国際社会に支持と協力を訴え、日本に対しても様々な外交ルートを通じて「空爆に着手したら即座に支持を表明して欲しい」と要請していました。オバマ大統領は安倍首相に直接電話をかけ、「アサド側が化学兵器を使った明確な証拠がある」と伝えて支持を求めました。

それでも安倍首相は「化学兵器を使用した明確な証拠の開示が必要」という対応を貫き、オバマ大統領からの要請を拒んでいました。大量破壊兵器を所有していると決め付けてサダム・フセイン政権を攻撃したイラク戦争、そのアメリカを即座に支持した小泉元首相の轍を踏みたくなかったからでした。武力によって容易に平和が築けないこともイラク戦争の大きな教訓の一つだったものと考えています。そのため、オバマ大統領の要請に対し、毅然とした対応をはかった安倍首相の判断は筋が通ったものとして率直に評価していました。

2017年2月、安倍首相が訪米し、当選した直後のトランプ大統領と会談しました。テロ阻止を名目にイスラム圏7か国の国民の入国を制限する大統領令について、内外から批判の声が高まっていました。内政干渉云々以前の問題として、アメリカの司法も差し止めを認めている通り7か国からの入国を一律に制限する大統領令は問題だと思っています。そのようなタイミングで、日米首脳会談を持ったこと自体に賛否が分かれていました。

何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか」という記事の中で「私自身、大きなリスクが伴う可能性を覚悟した上、日米首脳会談を急いだ安倍首相の判断を批判するつもりはありません。今後、会談したことによる成果や影響は日を追って明らかになっていくはずです。その結果責任は安倍首相が負うことになりますが、首脳同士が信頼関係を高めていくために直接相対する機会を持つこと自体、私自身は肯定的にとらえています」と記していました。

その記事には「G7を分断という見られ方に反しながら安倍首相がロシアのプーチン大統領と会談を重ねていることも評価しています」とも記しています。一方で「それでは、なぜ、中国との関係では原則的な強硬姿勢のみが際立ってしまうのでしょうか」と訴え、「安倍首相は日米が足並を揃えて強硬路線で中国と対峙したいという思惑だったのかも知れませんが、アメリカ側には過度に中国を刺激しないよう日中のバランスを取ろうとした姿勢がうかがえました」と記した後、次のような記述を残していました。

トランプ大統領は「今、中国と良い関係を築く過程にあり、それは日本の利益にもなるだろう」と発言しています。いずれにしても中国の脅威に対し、武力を整えて対抗すべきという考え方があります。しかし、中国を仮想敵国とし、際限のない防衛力強化に走ることの問題性や限界性も留意していかなければなりません。それこそトランプ大統領の発言の通り中国との関係性が融和されていけば安全保障面の脅威も、財政的な負担も、沖縄の基地問題も緩和されていくことになります。

中国との関係で、そのような話は絵空事だと一喝される方も多いのかも知れません。しかし、かつて仮想敵国としたソ連、現在のロシアとは友好的な関係を築きつつあります。将来、同じような関係性を中国と築ける可能性もゼロではないはずです。ロシアの場合、冷戦が終わったからという見方もありますが、北方領土の問題は無人島である尖閣諸島とは比べられないほどの主権や元島民の皆さんの強い思いがありながらも、対話を土台にした外交関係を築いています。

その後、アメリカと中国との融和ムードが加速したかどうかで言えば必ずしも肯定的にとらえることはできません。一方で、日本と中国との関係性は改善する方向性で進んでいます。つい最近、次のようなニュースを耳にした時、驚くとともに対話できる関係の大切さに改めて思いを強めていました。「この程度のことで安堵すべきではない」という指摘もあろうかと思いますが、対話できる関係、すなわち武力衝突を避けられる関係であることは間違いないことだろうと考えています。

中国が16日、尖閣諸島を含む東シナ海エリアでの漁を解禁し、大量の漁船が一斉に漁場を目指した。2年前には、300隻ほどの漁船が日本の尖閣諸島周辺に押し寄せ、領海内に侵入するなど、海上保安庁が対応に当たったが、今回は中国当局が尖閣諸島に近づかないよう指示している。10月の開催も視野に首脳会談の調整が進むなど、日中関係の改善が進んでいることが背景にあるとみられている。【テレ朝NEWS 2018年8月16 日

中国との関係改善に対し、率直に安倍首相らの外交努力に敬意を表しています。同時に北朝鮮との関係においても前回記事の中でも記した通り平和国家というブランドイメージを活用しながら、安倍首相こそ韓国の文大統領のような役回りに努めて欲しかったものと願っていました。それでも今後、北朝鮮との対話が進めば、それこそ安倍首相が唱える地球儀を俯瞰する外交の想定以上の完成形に近付くのではないでしょうか。

改めて憲法9条に対する私自身の「答え」

たいへん長い記事になっていますが、もう少し続けます。偶然の閲覧さんの問いかけに対し、納得いただける「答え」になるのかどうか分かりませんが、私自身が正しいと信じている「答え」を改めて説明させていただきます。憲法の施行当初、吉田茂首相は自衛権まで含めての戦争放棄を国会で答弁していました。しかし、1950年の朝鮮戦争勃発という事態を受け、警察予備隊が発足し、保安隊から自衛隊に改組されていきました。

憲法9条の2項に「前項の目的を達するため」という一文があるため、憲法9条は自衛権行使以外の武力行使を禁じているのであって、自衛のための「必要最小限度の実力」を保有することは憲法9条に違反しないと解釈されるようになりました。その上で歴代自民党政権をはじめ、内閣法制局は「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使は認められないと明言してきました。

私自身、そのような解釈を支持し、前回記事にまとめた通り日本国憲法9条の持つ「特別さ」は守るべき効用があるものと考えています。集団的自衛権まで認める解釈に広げることは無理があり、集団的自衛権まで行使できるということは国際標準の「普通の国」になることだと理解しています。個別的自衛権の枠内から逸脱する必要性が本当に迫られているのであれば憲法96条のもと、そのことを明確な論点にした上で国民の意思を問うべきものと訴えてきています。

今回の記事内容に対しても様々な指摘や批判の声が示されるのかも知れません。それぞれの「答え」の正しさについて、不特定多数の方々に「なるほど」と思わせるような言葉を駆使し、少しでも共感を得られるのかどうかが大切な試みだと考えています。私自身、基本的な考え方や立場が異なる皆さんにも届くような言葉を探しながら、このブログと向き合っています。不充分さは反省しつつ今後も続けていくつもりですので、ぜひ、一人でも多くの方にご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2018年8月11日 (土)

平和の話、サマリー

前回の記事は「平和の話、インデックスⅢ」でした。その記事の中で翌週に投稿する新規記事のタイトルは「平和の話、サマリー」と予告していました。これまで「Part2」として続けることを予告する場合は数多くありました。ただ別なタイトル名を事前に予告することはあまりなかったものと思います。

原爆忌から終戦記念日に続く時期、「平和の話」をまとめてみようと少し前から考えていました。記事タイトルも要約という意味の「サマリー」を付けることをスンナリ決めていました。この時期に「平和の話、サマリー」という記事の投稿を先に決めていた中、インデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えて随分たっていたため、まず過去の記事を紹介する機会につなげてみたところです。

そのため、翌週に投稿する新規記事のタイトルは「平和の話、サマリー」とあらかじめお伝えする流れとなっていました。ちなみに予想していた通り「平和の話、インデックスⅢ」に加えるべき記事は相当な数に上っていました。この機会を逃せば、さらに対象記事の投稿数は積み上がり、作業量の多さから「Ⅲ」の投稿はずっと見送られることになっていたかも知れません。

余計な話で3段落も費やし、たいへん恐縮です。さて、前回記事の最後のほうで、なぜ、このブログでは「平和の話」の投稿が多いのか、そのような点について説明を加えさせていただきました。今回はこれまで「平和の話」に綴ってきた内容を要約した記事の投稿に取りかかってみます。いつもの話ですが、長い記事になることが見込まれるため、久しぶりに小見出しを付けながら書き進めていきます。

誰もが戦争は避けたい、防ぎ方に対する認識の違い

国際社会の中で原則として戦争は認められていません。例外の一つに自衛のための戦争があります。集団的自衛権もその名の通り自衛のための戦争に位置付けられます。国連加盟国は侵略戦争を放棄しているため、建前上は日本と同様、すべて「平和主義」を希求している国だろうと思っています。

できれば誰もが戦争は避けたいと考えているはずです。戦争を防ぐため、平和を守るため、抑止力を高めることが大事だと考え、安保関連法等を評価されている方々が多いことも理解しています。残念ながら戦争の防ぎ方に対する認識の違いから対立しがちな現状があります。そもそも物事の評価は〇か、×か、単純に決められない場合が多いはずです。憲法9条に対する評価も同様です。

憲法9条を守っていれば日本の平和は守れる、そのような見方は一面で正しく、別な一面で誤りだと言えます。自衛隊創設前、朝鮮戦争の際に海上保安庁の日本特別掃海隊が機雷除去に携わりました。このような歴史を忘れてはいけませんが、憲法9条という歯止め、集団的自衛権は行使できないという憲法解釈のもと日本は戦争に直接参加せず、他国の人の命を一人も奪うことなく戦後70年以上乗り切ってきたことも事実です。

これまで「セトモノとセトモノ、そして、D案」をはじめ、数多くの記事を通して平和の築き方安全保障のあり方について自分なりの「答え」を綴ってきました。私自身、憲法9条さえ守れば平和が維持できるとは思っていません。重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。

憲法9条を守ろうとしている人たちの中でも考え方は様々なのかも知れませんが、『カエルの楽園』に登場するナパージュのカエルたちのような硬直した考えの護憲派は皆無に近いのではないでしょうか。寓話に目くじらを立てても仕方ありませんが、集団的自衛権に反対する人たちは愚かで、国を滅ぼすという見方はあまりにも短絡的すぎるものと思っています。

歴史を振り返る中で、広義の国防や安心供与について

広義の国防と狭義の国防という言葉を『ロンドン狂瀾』という書籍を通して知りました。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことをその書籍で知りました。

軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義を改めて理解していました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができるという話です。

加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。

広義の国防と狭義の国防、同様の意味合いとして「外交・安全保障のリアリズム」という記事の中でソフト・パワーとハード・パワーという対になる言葉も紹介していました。国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っていることを綴っていました。もう一つ、抑止に対し、安心供与という言葉があります。

安心供与という言葉は「北朝鮮の核実験」の中で初めて紹介しました。安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立し、日本の場合の抑止は自衛隊と日米安保です。安心供与は憲法9条であり、集団的自衛権を認めない専守防衛だという講演で伺った話をお伝えしていました。安心供与はお互いの信頼関係が柱となり、場面によって寛容さが強く求められていきます。相手側の言い分が到底容認できないものだったとしても、最低限、武力衝突をカードとしない関係性を維持していくことが肝要です。

抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。それこそ国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと私自身は考えています。

ヒトラーの試写室』という書籍を読み、このブログで紹介した記述があります。ナチスドイツが「武力侵攻すれば占領は困難ではないが、こちらの損害も大きい。戦争を継続する消耗は避けられず、スイス侵攻は得られる成果が見合わない」と判断し、スイス国内には「平和」が広がっていたことを記していました。ここで付け加えるべき記述として、仮にスイスがドイツの敵対国だった場合、攻め込まれてスイス国民や国土は戦火に見舞われていたはずです。

中立国という立場は広義の国防の一つであり、侵攻されない限り軍事力は行使しないという安心供与がスイス国内の「平和」を守ったと言えます。その際、相手国を凌駕する軍事力がスイスにはありませんでしたが、個別的自衛権としての軍備も整えていたため、ナチスドイツ側の発言の通り一定の抑止力が働いたようです。専守防衛を柱にした安心供与が日本国憲法の平和主義であり、私自身、必要最低限の自衛権の必要性とともにスイスと対比した日本の「特別さ」を感じ取る機会となっていました。

平和主義の効用のもとの国際貢献

安心供与、ソフト・パワー、それぞれの言葉に共通している点は、どちらが正しいのかという二者択一の問題ではないことです。あくまでもバランスの問題であり、抑止力を軽視せず、非軍事的な「人間の安全保障」の取り組みも強化していくことが重要です。国民の安全と安心を担保するため、どのような選択が望ましいのか、その重要な選択肢として日本国憲法の「特別さ」を維持していくことが有益なのか、もしくは弊害があるのかどうか、私たち一人一人が問われているものと認識しています。

このような問題意識を数多くの記事を通して綴ってきています。改めて端的な言葉で語れば、守るべきものは日本国憲法の平和主義であり、個別的自衛権しか認めないという「特別さ」です。この「特別さ」を維持することで平和主義の効用があり、広義の国防、安心供与の専守防衛につながっているものと考えています。詳しい説明はリンク先の記事をご覧いただければ幸いですが、憲法9条の条文を一字一句変えなければ日本の平和は維持できるという発想ではありません。

憲法9条があるからと言って、国際社会の中で戦火が消える訳ではありません。しかし、武力によって憎しみの連鎖は絶ち切れず、戦争やテロの抑止につながりません。9条を守れば戦争が起きないのではなく、専守防衛という平和主義を守ることで、海外での戦争に関わる可能性の低い国であり続けられたことも事実です。さらに攻め込まれない限り、戦わないという専守防衛の考え方は前述した通り安心供与という抑止力の一つとなっています。

「日本だけ平和であれば良いのか、国際社会の一員として果たすべきことがあるのではないか」という指摘があります。もちろんすべての国が平和であることを心から願い、日本が国際社会の中で汗をかくことも欠かせません。その上で日本国憲法の制約があることを国際社会の中で理解を求めながら、日本ならではの非軍事面での国際貢献に力を尽くしていくことが必要だろうと考えています。

実際、アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された伊勢崎賢治さんは、平和国家である日本のイメージは良く、「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」と語られています。そして、このブランドイメージは余計な恨みを買わないため、狙われる可能性が減り、これまで日本人の安全面に寄与し、日本人だからこそ関われる国際貢献の選択肢を広げていました。

外交の場でも同様です。平和国家という日本のブランドイメージを活用しながら、日本ならではの国際平和の構築に寄与して欲しいものと願っています。緊迫化していた北朝鮮情勢の中で日本政府こそ、率先して平和的な外交努力での解決に汗をかいて欲しかったものと考えていました。しかし、残念ながら日本政府からは「対話のための対話では意味がない」という言葉が繰り返され、安倍首相からは安全保障を強い言葉で語ることが目立ち、安心供与とは真逆な標的になるリスクを高めているように危惧していました。

韓国の文大統領の努力、トランプ大統領の決断によって、幸いにも一触即発の事態だけは回避できた現況だと言えます。局面が動いた後、8月3日にはシンガポールで河野外相が北朝鮮の李外相に「日朝間で話し合う用意がある」と立ち話形式で伝えていました。安倍首相も首脳間の直接対話に強い意欲を示しています。ただ北朝鮮側の反応は鈍く、足下を見られているような関係性に陥っています。もし日本政府も文大統領のような役回りを追求していれば、この局面で日朝の対話は加速化していたのかも知れません。

8月7日、イラン核合意からの離脱を表明していたアメリカがイラン経済制裁の部分的な再開に踏み切りました。原油価格の高騰など世界経済に悪影響を及ぼす懸念があり、中東地域の不安定化を招く憂慮すべき事態です。北朝鮮に示した融和姿勢とは真逆なトランプ大統領の判断ですが、オバマ前大統領の「政治的遺産」の否定を主目的にしているのであれば極めて残念な動きだと言わざるを得ません。

中東地域で平和国家であるという日本のブランドイメージはそれほど棄損されていないようであり、イラン政府とは対話できる関係性を築いています。今回のアメリカの離脱が国際社会の中で強く批判されている中、今こそ日本の出番があるのではないでしょうか。トランプ大統領との良好な関係を誇示している安倍首相が「トランプ大統領のため、アメリカのためにも判断を見直すべき」と説得し、結果を示せるようであれば日本に対する評価は急上昇するものと思っています。

憲法の「特別さ」を維持するのか、国際標準の「普通の国」になるのか

安倍首相が「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べ、改憲への動きが急速に強まっています。私どもの組合も「憲法を生かす全国統一署名」に取り組み、このブログでもいくつか論点を提起してきました。繰り返しになりますが、憲法9条を変えなければ「ずっと平和が続く」という単純な考えではありません。個別的自衛権しか認めてこなかった平和主義は国際社会の中で誇るべき「特別さ」であり、日本のブランドイメージを高めていました。

仮に集団的自衛権の行使を認めたままの改憲だった場合、その「特別さ」を外し、国際標準の「普通の国」になるかどうかという重大な選択であり、このような動きに反対しています。一方で、とりまく情勢の厳しさから改憲の必要性を説く声も耳にします。ただ9条の見直しは周辺国を刺激する動きであることも押さえなければなりません。あえて他国を刺激しないという「安心供与」や「広義の国防」を重視する道こそ、日本の進むべき道であって欲しいものと強く願っています。

北朝鮮情勢の緊迫化を受け、今年度の防衛予算は過去最大規模の5兆2千億円に及んでいます。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入費用は2基で総額6千億円以上となるという試算が示されています。北朝鮮との対話の道が開かれた今、本来、この計画は見直すべきなのではないでしょうか。防衛審議官だった柳沢協二さんは、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと話されています。

情勢が緊迫化していた最中、日本が考えるべきは「ミサイル発射に備える」ことではなく、「ミサイルを撃たせない」ことであり、米朝の緊張緩和に向けて働きかけることが何よりも重要であると柳沢さんは訴えていました。現在、北朝鮮の「意思」が変わりつつあり、将来的には「能力」を放棄することも約束しています。それこそ「骸骨が砲車を引くような不条理な事態」を避けるための転機につなげて欲しいものです。

いろいろな「答え」を認め合い、いがみ合わないことの大切さ

過去の記事に残した記述を転用しながら、ここまで「平和の話」をまとめてきました。まだまだ掲げたい内容がありますが、そろそろ一区切り付けさせていただきます。前回の記事の中でも強調した点ですが、あくまでも私自身が正しいと信じている「答え」の数々であり、異論や反論を持たれる方々も多いのだろうと思っています。このブログを長く続けている中で、いろいろな「答え」を認め合った場として個々人の「答え」の正しさをそれぞれの言葉で競い合えることを願っているところです。

「平和が大切だったら、アメリカばかりでなく組合を使って中国にももっと抗議したらどうですか?」という問いかけもあります。どこの国の事例であろうと非人道的な行為はもちろん、国際社会のルールを破る理不尽な行動は許されません。個々人や各団体の判断のもとに批判や抗議をすべきものと思っています。しかし、そのような対応がはかれていないからと言って「問題視すべき行為を容認している、もしくは批判できない関係性だ」という短絡的な見方につなげてしまっては問題です。

それぞれの正しいと信じている「答え」に照らし、納得や理解できない他者の振る舞いに対し、推論や思い込みによる批判は絶対避けなければなりません。いわわる左と右、立場に関わらず心がけるべき点だと考えています。「ブサヨ」や「反日」、「ネトウヨ」や「権力のポチ」などという言葉を使った途端、冷静で理性的な議論から遠ざかってしまうはずです。

大事なことは「誰が」や「どこの団体が」ではなく、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのかという一つ一つの判断の積み重ねだろうと思っています。そして、より望ましい「答え」に近付くためには幅広く、一方に偏らない多面的な情報や考え方に触れていくことが欠かせません。このブログがコメント欄を含め、そのような場の一つになり得ることを願っています。私自身にとって当ブログのコメント欄は、おかげ様で充分そのような場として受けとめさせていただいています。

最後に、自分自身の「答え」の正しさを前提に他者を蔑むような批判の仕方は控え、立場や視点、考え方の違いがあっても、いがみ合わないことの大切さを繰り返し訴えてきています。このような思いは現実の場面や国際社会の中でも同様です。相手側の言い分にも耳を傾けることで対話につながり、武力衝突という最悪な事態だけは絶対避けることで、世界中から戦火が消えることを切望しています。

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2018年8月 5日 (日)

平和の話、インデックスⅢ

8月6日は広島、9日は長崎の原爆忌です。15日には終戦記念日を迎えるため、毎年、8月に入ると戦争について取り上げるメディアが増えています。戦争を体験された方が少なくなる中、この時期だけでもメディアが力を注ぐことは意義深いものと受けとめています。このブログでも戦争を顧みる機会とし、今回と次回にわたり、平和への思いを託した記事の投稿を考えています。

実はカテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めています。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめていました。

これまで投稿したインデックス記事は「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックスコメント欄の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「春闘の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」「いがみ合わないことの大切さ、インデックス」「憲法の話、インデックスⅡ」のとおりです。なお、「Ⅱ」 以降がある場合は最新のインデックス記事のみを紹介しています。

そのようなインデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えて随分たちますので、今回、まず過去の記事を紹介する機会としてみました。直近のインデックス記事を確認してみたところ「平和の話、インデックスⅡ」を投稿したのは2014年3月のことでした。あれから4年以上が過ぎ、その間には安保関連法の成立や北朝鮮情勢を巡る動きが緊迫化していました。予想していた通り「平和の話」として加えるべき直接的な題材の投稿は数多くあり、ブログ開設当初の記事から並べると下記のような長さの一覧となっています。

余計な話ですが、普通に文章を書いている時よりも過去の記事を探し、リンクをはっていく作業のほうが手間暇かかります。閲覧されている皆さんからの要望があって始めた訳ではなく、あくまでも自分自身の発案ですので作業にそれほど負担感はありません。ただ今回、かなりの数の記事のはりつけ作業を進めた後、下書き保存を試みた時、インターネット接続に一時的な不具合が生じました。

その結果、下書き保存できず、費やした労力は水の泡となりました。このような不具合が起きることも想定し、ブログ投稿に限らず、文章などの入力作業時、なるべく短い間隔で下書き保存するように心がけています。たまたまその時は作業に集中し、いつもより長い時間下書き保存しないままでした。リカバリーできる類いの話ですが、同じ作業を二度繰り返すことの徒労感は極力避けたいものです。

特に伏線がある訳でもない本当に余計な話でした。さて、冒頭に今回と次回にわたり、平和への思いを託した記事の投稿を考えていることを記していました。今回は「平和の話、インデックスⅢ」とし、これまで投稿した記事の一覧を紹介しました。それぞれの記事に私自身の安全保障に対する考え方などが綴られています。お時間等が許され、少しでも興味を持たれた記事があった場合、ご覧いただければ誠に幸いです。

次回はそれらの記事の中に綴った内容の一部を紹介しながら私自身の問題意識をまとめてみるつもりです。平和への思いを要約する機会とするため、記事タイトルを「平和の話、サマリー」とするつもりです。あくまでも自分自身が正しいと信じている「答え」の数々であり、異論や反論を持たれる方々も多いのだろうと思っています。このブログを長く続けている中で、いろいろな「答え」を認め合った場として個々人の「答え」の正しさをそれぞれの言葉で競い合えることを願っています。

単に以前の記事を紹介しただけで終わらせていないのも、これまでのインデックス記事のパターンでした。今回ももう少し続けます。「平和の話」の中味に入る前、よく問いかけられる点について書き加えてみるつもりです。なぜ、このブログでは「平和の話」の投稿が多いのか、そのような点について説明を加えさせていただきます。長い説明の文章は分かりづらいという指摘を受けがちですので、「平和の話、インデックスⅡ」の時のように要点を箇条書きしてみます。

  • 組合活動は組合員一人ひとりのためになることを第一の目的としています。組合の平和運動もそのような目的の一つとしています。自分たちの職場だけ働きやすくても、社会全体が平和で豊かでなければ暮らしやすい生活となりません。そのために私どもの組合や自治労は平和に関わる運動方針を掲げています。
  • これまで「自治労は平和運動から一切手を引くべき」という意見が寄せられがちでした。それに対し、労働組合の本務と主客逆転することなく、無理のない範囲で取り組むという私自身の「答え」があります。そして、取り組むのであれば、組合員の皆さんをはじめ、不特定多数の方々に向けた主張の発信も欠かせないものと考えています。
  • 上記のような問題意識があるため、このブログで取り上げる題材として「平和の話」が多くなっています。しかし、日常的な組合活動の中で平和に関わる活動の占める割合はわずかです。ブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していないことは機会あるごとにお伝えしてきています。
  • 「公務員のためいき」というブログのタイトルを付けながら政治的な話題の発信が多いことに対し、疑念の声が寄せられる時もあります。主に労働組合役員の立場からの発信が多いため、確かにブログのタイトルと日常的な投稿内容にアンマッチ感も目立つようです。このタイトルに決めた理由は「秋、あれから2か月 Part2」の中で説明していました。
  • 今回のような「平和の話」に関するインデックス記事に対しても違和感を持たれた方が多いのかも知れません。それでも私自身、このブログは日常生活に過度な負担をかけないSNSを活用した一つの運動として、たいへん貴重なツールだと考えながら長年続けてきています。
  • デリケートな問題をネット上に掲げるリスクも承知していますが、そもそも狭い範囲でしか理解を得られないような内向きな運動方針に過ぎないのであれば、即刻見直しが必要だろうと思っています。そのような意味でコメント欄は幅広い意見を伺える貴重な場であり、多様な見方があることを把握しながら実際の組合活動につなげていける機会だと考えています。 

もう一つ付け加えれば、その時々に私自身が取り上げたい話題や主張を当ブログを通して発信しています。あくまでも個人の責任による運営ですので、このような自由さがブログを長く続けられている理由だと考えています。その積み重ねの中に「平和の話」が多くなっていることも確かです。次回は「平和の話」に綴ってきた内容を要約(サマリー)した記事の投稿を予定しています。ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2018年7月28日 (土)

ギャンブル依存症の対策

気象庁は「命に危険があるような暑さで災害と認識している」とし、熱中症予防の必要性を強く訴え続けています。今では信じられないことですが、かつて運動部の活動中は真夏でも「水を飲むな」と言われていました。少し前までは就寝の際、冷房を朝まで付け放しにしておくことが、あまり推奨されていませんでした。このように今までの常識が時とともに変わっていく事例は数多くあります。

さて、競輪、地方競馬、ボートレース(競艇)、オートレース、この4種類の公営競技事業に従事する皆さんらは1961年に独自な産別組織として全国競走労働組合(全競労)を設立していました。単位組合の連合体だった全競労は組合員数減少の影響を踏まえ、2002年に自治労と組織統合しています。

私どもの自治体は競輪事業を営んでいます。そのため、私が所属する市職労と競輪労組の皆さんとは昔から友好的な関係を築いてきています。さらに同じ自治労の一員となってからは、よりいっそう連携を強めながら様々な課題に対処してきています。これまで「減収に苦しむ公営競技事業」「競輪労組の大きな成果」という記事を投稿し、その一端を紹介していました。

前回の記事は「カジノ法案が成立」でした。上記のような関係性がある自治体職員の一人として、機会があればギャンブル依存症の問題にも触れてみたい旨を前回記事の中に書き残していました。nagiさんからは前回記事を投稿した意図のお尋ねがありました。その問いかけにもお答えする機会としながら、さっそく今回の記事を通してギャンブル依存症の問題を取り上げてみることにしました。

まず前回の記事が単なる政権批判の内容だったのかどうかという補足です。西日本豪雨災害に見舞われた直後、国民の多くが反対している法案の成立を急いだことに関しては疑問を抱いています。その点で言えば今回の政権与党の判断を批判していたことになります。しかし、とにかく安倍政権を批判したいため、カジノ法案の審議のあり方などに疑義を示していた訳ではありません。

このブログでは安倍政権を批判的に論評することが多いため、「カジノ法案が成立」という記事も政権を批判するための記事内容だと理解されてしまったのかも知れません。逆な見方として支持している安倍政権だから、参院定数を6増とする公職選挙法改正案やカジノ法案に対する審議の進め方などに疑問を示さないという方がいた場合、それはそれで問題だろうと思っています。

いつも訴えていることですが、「誰が」や「どの政党が」という主語を外し、取沙汰されている案件の正否を判断していくことが大事な心得だと考えています。実際、IRやカジノの是非について民主党政権の時にも検討が加えられていました。その頃から民主党内も含め、カジノの合法化に対する賛否は分かれていました。今回のカジノ法案に関しても同様であり、自民党の山本一太参院議員は「成長戦略としては極めて筋の悪いカジノ法」などとご自身のブログの中で酷評されていました。

賛否が分かれているどころか、世論調査で先日閉幕した国会中にカジノ法案を成立させるべきかどうか尋ねたところ「必要ない」が76%に及んでいました。場合によって世論調査の動きに左右されず、国会が急いで判断しなければならない事例もあろうかと思います。しかし、カジノ法案がそのような性格のものなのか、まして西日本豪雨災害に見舞われた直後に国民との合意形成を置き去りにしたまま強行すべき法案だったのか、個人的には強く疑問に思っています。

加えて、個々の振る舞いに対する評価と内閣支持率との「ネジレ」を感じてしまいがちな点を前回記事の中で記しています。この言葉の底意は野党側の不甲斐なさを憂慮しながら、もっと多くの国民から期待される対抗軸になって欲しいという願いを込めています。最後に記した「来年の選挙戦のころには批判は消えている」という有権者が見下された言葉を忘れないためにも、という言葉の意味合いも補足させていただきます。

与党側の驕りや不誠実さを表わした不遜な言葉ですが、今回のカジノ法案に限らず、私たち国民はその時々に問題視した出来事を忘れないようにすべきという自省を込めた意味合いでもありました。長い文章で説明することで逆に分かりづらくしている傾向があるかも知れません。端的に表現すれば、前回記事を投稿した意図はカジノ法案自体の正否よりも、個別課題に対する民意を軽視した与党側の国会運営を疑問視したものです。

「取り沙汰されている案件の正否を判断していくことが大事」と言いながら、結局、法案の中味を二の次にした「政権批判のための批判ではないか」という指摘を受けてしまうのかも知れません。分かりづらい説明で恐縮ですが、安倍政権だから「批判ありき」という意識はありません。どのような政党の政権だったとしても「不人気な法案だから説明が不足していても大型選挙から離れたタイミングで成立させてしまおう」という振る舞いに対しては強く疑問視していくつもりです。

以上のような問題意識を前面に出した上、カジノを合法化するのであれば次のような論点の掘り下げが不足しているものと考えていました。公営ギャンブルの違法性を阻却している8要件のような位置付けが不明確な点を指摘し、すでに合法化されているギャンブルにカジノが一つ加わるだけという見方に疑問を示した記事内容を綴っていました。既存のギャンブルとカジノとの対比を表現するため、「持って行ったお金がなくなり、自分の預金をATMから引き出さない限り、負けたら終わり」とも記していました。

この記述に対しては現状でも「自分のお金以外にいくらでも借りられる」という指摘を受けています。前段に紹介した大王製紙の井川前会長の言葉を踏まえ、「負けたら終わり」と表現していました。確かに現状でも身の丈以上に借金を重ねている方々が多いのだろうと思っています。ただカジノ法案で、事業者自身が利用客に直接賭け金を貸し付けられる仕組みを取り入れた点は従来の合法ギャンブルと一線を画しています。

前回記事を閲覧した組合員から「日本人は一定の預託金をカジノ事業者に預けないと借りられないようですよ」という情報提供がありました。貸金業法は返済能力を考慮し、利用者の借入金額を年収の3分の1に制限しています。それに対し、カジノの貸付は貸金業法の規制対象外となります。とは言え、その組合員はカジノ事業者も「貸し倒れになりそうな相手には必要以上に貸さないのではないですか」と指摘されていました。

確かにその通りです。ただ預託金の額は法成立後、カジノ管理委員会規則で定めることになります。額の設定次第では、借金ができる層が広がります。事業者は信用機関を通じて利用者の資産などを調査し、返済可能とみられる額を個々に設定でき、貸付金の額は預託金の額とは無関係に決められる見通しです。仮に年金収入しかない高齢者でも、退職金などのまとまった資産があれば、事業者が多額の賭け金を貸し付ける可能性もあります。

リスクの可能性を指摘していけば切りがありませんが、カジノ合法化が新たなギャンブル依存症の懸念を生じさせていることも間違いありません。そのような懸念を最小化し、カジノが解禁された後、いろいろ懸念したことが「杞憂だった」と安堵させるような手立てを講じていくことが政治の責任だろうと考えています。もともとギャンブル依存症の問題は深刻だったため、カジノ法案によって依存症対策の切実さが焦点化されたことは望ましい動きだったものと受けとめています。

その一つとして、カジノ法案に先立ちギャンブル等依存症対策基本法が成立しています。ここで改めて私自身のギャンブルに対する認識を説明させていただきます。実生活においてマージャンは昔からの趣味とし、今でも馴染みの人たちと交流をはかっています。JRAから地方競馬、競輪、ボートレース、totoまで、インターネットから購入できる環境を整えています。頻繁に利用しているのはJRAだけですが、それもローリスク・ハイリターンとなる楽しみ方に徹しています。

幸いにも依存症にまで至ったことはありませんが、「負けたら、負けた分を取り戻したい」という気持ちはよく分かります。いずれにしてもギャンブルそのものを害悪だと決め付けていません。以前の記事「減収に苦しむ公営競技事業」に記していましたが、連合地区協の政策要請書の中には「オリンピックの種目となっている競輪のイメージアップに努め、幅広い層をひき付けるための一つの集客施設への転換をめざすこと」という一文を掲げる立場です。

同じ記事の中で、組合機関誌のクイズの一つに「競輪グランプリ」という設問があったことで組合員からお叱りを受けた話を紹介していました。時は流れ、今、職場のイントラネットを通して競輪の開催をPRするチラシ等が掲げられています。公営競技事業を担当する部署の職員が全職員に向けて宣伝しているものです。このようなPRに対し、「ギャンブルを薦めているようであり、納得いかない」という批判の声は耳にしていません。

冒頭に記した通り「今までの常識が時とともに変わっていく事例」の一つとして数えられる話なのかも知れません。それでも私どもの市の特殊事情から許された話でもあり、まだまだギャンブルに対する視線は厳しいものがあるようです。自治労都本部の青年部が平和島競艇場を紹介するイベントを9月に企画しています。私どもの組合員に向けて組合ニュースを通して案内するかどうか直近の執行委員会で議論になり、やはりギャンブルに絡むイベントを宣伝することに懐疑的な意見も示されています。

アルコールやタバコも合法化されている嗜好品ですが、度が過ぎると健康を害します。アルコール中毒になると家庭生活そのものを壊すリスクまであります。ギャンブルも同様です。自制心を持って楽しむのであれば何も問題はないはずです。言うまでもありませんが、闇の資金源となる野球賭博などとは一線を画して論じています。これまで日本社会でカジノは闇の中でしたが、今回の法案成立によって合法化されたのですから公営ギャンブルと同じ視点で論じていかなければなりません。

「ギャンブル依存症の対策」という記事タイトルを付けながら、具体策の話に入る前の内容が相当な長さとなりました。記事タイトルをそのままとするためにも、もう少し続けさせていただきます。ギャンブル等依存症策基本法の第1条で、ギャンブル依存症は「日常生活及び社会生活に様々な問題を生じさせるおそれのある疾患」とし、その対策のために国や自治体の責務を明らかにすることを目的としています。今後、都道府県がギャンブル等依存症対策推進基本計画を策定し、具体的な施策を検討していくことになります。

まだ基本法ですので理念的な内容にとどまっていますが、ギャンブル依存症の対策に向けて国としての一歩を踏み出したものと評価できます。正式な法律名に「等」が入っている訳は前回記事でも説明した通りパチンコやパチスロは「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」上の遊技であってギャンブル(賭博)ではないためです。マージャンも遊技であり、その遊び方やパチンコの景品買取システムなどは社会通念上の幅の中で認められる範囲があるようです。

前回記事の中でも繰り返していた問題意識ですが、カジノ法案の動きに関わらず、ギャンブル依存症の対策は求められていました。バランス良い食事を啓発していても、高血圧や糖尿病になる人が必ずいます。仮に法律で禁止すれば闇が横行することになるのかも知れません。完璧な防止策は難しく、ギャンブル依存症になる人は必ず現れることを前提に対策を講じていかなければなりません。

依存症は「否認の病」と言われ、本人にギャンブル依存症であることを自覚させることが容易ではありません。そのため、家族がいる場合、まず家族にギャンブル依存症に対する理解を深めてもらい、家族を支援していくことが欠かせないようです。本人が病気であることを自覚した後は専門の医療機関に受診し、同じ悩みを抱える人たちが相互に支え合う自助グループに参加することも必要です。

家族が借金の肩代わりすることは本人の立ち直りの機会を奪ってしまうと言われています。このような話はネット上の多くのサイトから確認でき、ギャンブル依存症を考える会の田中紀子代表の『「まるで覚せい剤のよう…」 どっぷりハマった夫婦の実話』などを参考にしながら綴っています。最後に、消費者庁のサイト『ギャンブル等依存症でお困りの皆様へ』の「本人にとって大切なこと」の一番目に掲げられた言葉を紹介させていただきます。

小さな目標を設定しながら、ギャンブル等をしない生活を続けるよう工夫し、ギャンブル等依存症からの「回復」、そして「再発防止」へとつなげていきましょう(まずは今日一日やめてみましょう)。

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2018年7月21日 (土)

カジノ法案が成立

前回記事「西日本豪雨の後に思うこと」のコメント欄で、下っ端さんから「はて、今回の記事は、何に対する何の批判なんですか?」という問いかけがありました。その記事の中で提起していた「至らなかった点があった場合、指摘を受け、率直に反省することで次回から同じような失敗を繰り返さないことが重要です」という思いを前回の記事には託していました。

その上で幅広い情報を提供する場の一つとして、いろいろな見方があることを紹介しています。そのような内容に対し、どのように感じられるのか、何を批判している記事なのかどうか、読み手の皆さん一人ひとりの受けとめ方は一律ではないものと考えています。何か一つの「答え」を押し付ける意図はなく、私自身の率直な思いを発信しているブログだと言えます。

さらに「もっと切迫した危機感を伝えるメディアの報道や政治の働きかけがあれば、救える命が多かったはずという痛恨の思いを私たちは共有化しなければなりません」という言葉は、当然、地方自治体職員の役割や責務を強く認識しながら「私たちは」につなげていたつもりです。尾木さんのツイートを紹介した流れからメディアと政治を並べた記述となっていましたが、ことさら国の初動体制だけを批判したものではないことを改めて補足させていただきます。

加えて、どの党にとって有利か不利かという政局的な視点から離れ、もし多くの国民が望み、国民生活にとって不可欠な重要な法案だった場合、どのような災害に見舞われようとも粛々と審議は進めるべきものと考えていることを前回記事の中に書き残していました。この言葉は災害を利用し、国会での審議を拒み、廃案に持ち込むような手法に向けても問題提起しています。

要するに審議対象の法案が本当に国民にとって望ましいものなのかどうか、何が問題なのか、論点を明らかにしながら徹底的に議論し、政局的な視点からは離れて判断して欲しいという願いを込めた言葉でした。とは言え、与野党の現有議席の差が歴然としている中、淡々と審議に応じていたら問題点をアピールすることもできず、数の力で押し切られてしまうだけという見方があることも悩ましい点です。

問題のある法案のゴリ押しを続けていけば選挙で国民からの審判を受け、政権与党は手痛いダメージを与えられるという関係性が健全な民主主義の姿だと思っています。しかし、個別の政策や対応が国民から不評を買っていても、内閣や自民党に対する支持率は極端に下がらないという傾向が最近の世論調査から読み取れています。これからも「今の野党には託せられない」という消去法によって現政権が続くのであれば、決して国民にとって望ましいことではないはずです。

もちろんトータルな意味で、安倍政権を高く評価されている方々が多いことも認識しています。オールorナッシングで物事を見ている訳ではありませんが、どうしても個々の振る舞いに対する評価と内閣支持率との「ネジレ」を感じてしまいがちです。今回の記事では全体的な話を事細かく論じられませんが、機会を見て何が問題なのか、個人的な思いを提起させていただくつもりです。

今回は個々の問題点の一つだと言えるカジノ法案について触れてみます。昨日、多くの国民が反対、もしくは慎重な審議を求めていたカジノ法案が参院本会議で可決、成立しました。IR(統合型リゾート)実施法案と呼ぶべきという指摘もあろうかと思いますが、現政権寄りと見られがちな読売新聞もカジノ法案と称していましたので当ブログでもそのように記しています。なお、すでに法案は成立した訳ですが、今回のタイミングではカジノ法案と呼ばせていただきます。

さて、ご縁があって当ブログをご覧くださっている方々に対し、今回の記事でも幅広い情報や見方を提起する機会につなげさせていただければと考えています。前述したとおり一つの「答え」を押し付けるものではありません。物事それぞれ何が正解なのか、容易に論じられないものと考えています。カジノ法案も同様なのでしょうが、より望ましい評価や判断につなげるためには幅広く、多面的な情報に触れていくことが欠かせません。

IR(統合型リゾート)実施法は「特定複合観光施設区域整備法」が正式名称です。IR施設の延べ床面積のうちカジノが占める面積は政令で「3%以下」に抑えられる予定です。そのため、IR実施法案の全体像を理解しないまま「カジノ法案」と煽りながら批判しているという論調を耳にしていました。フリーアナウンサーの長谷川豊さんがその一人で「今IRの批判している連中のスクショを絶対に残しておこう」というブログ記事を投稿されていました。

そのブログ記事の中で長谷川さんは「カジノを作ったらイソンショーがーだそうです。バカバカしい。日本人は何十年も前からとっくの昔にギャンブル漬けです」とし、「依存症が問題なのであれば、まずパチンコ規制でしょ」と訴えています。確かに依存症の問題が深刻であればカジノ法案の動きに関わらず適切な対策を講じていかなければなりません。だからと言って、カジノ法案の問題性を掘り下げずに容認していく理屈にはなりません。

そもそも長谷川さんはカジノとIRは完全に別物と説明しています。当たり前なことですが、IR実施法案の中にカジノが盛り込まれていなければ批判の声は高まっていないはずです。面積比率の問題ではなく、カジノそのものの是非が問われていたものと理解しています。長谷川さんは海外の成功例を紹介しながらIR法案の有益さや健全さを説明していますが、果たして「答え」は一つなのかどうか疑問に思っています。

カジノは刑法185条の賭博罪に当たります。一方で、刑法35条は「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」と定めています。例えば、医師は手術で患者にメスを入れます。本来は傷害罪ですが、医師には正当な理由があるため犯罪になりません。違法性阻却事由として、他に正当防衛や緊急避難などがあり、公営ギャンブルは競馬法や自転車競技法などによって合法化されています。さらに公営ギャンブルは違法性を阻却する要件として次の8点が考慮されています。

  1. 目的の公益性
  2. 運営主体の性格
  3. 収益の扱い
  4. 射幸性の程度
  5. 運営主体の廉潔性
  6. 運営主体の公的管理監督
  7. 運営主体の財政的健全性
  8. 副次的弊害の防止

ちなみにパチンコ・パチスロに関しては「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」上の遊技であって賭博ではありません。パチンコ業は刑法の賭博罪が例外として定める「一時の娯楽」(刑法185条但書)の範疇を超えないように、常にそのギャンブル性(射幸性)がコントロールされながら合法的に存在しているそうです。したがって、上記8項目を満たした正当行為(刑法35条)として違法性が阻却されているものではありません。

今回、カジノはIR実施法のもとに例外的に合法化しました。しかし、公営ギャンブルと同様、上記8項目が完全に満たされるのかどうかは不透明です。カジノ事業者が国などに納める収益の30%は地域振興やギャンブル依存症対策に充てられるため、政府は「収益の社会還元を通じ、目的の公益性は実現する」と強調しています。ただ運営主体は民間のカジノ事業者、それもノウハウを持つ外国の企業が参入できるようになっています。

「射幸性の程度」に関してはカジノの設置数を最大3か所に抑え、日本人の入場回数を「週3回かつ月10回」までとするなど、「重層的・多段階的な依存症対策」を通し、「副次的弊害の防止」にはかっていけると政府は説明しています。しかしながら最大の懸念点はカジノの場合、事業者が利用客に賭け金を貸し付けられる仕組みを認めたことです。しかもカジノ事業者は貸金業者ではないため、年収要件など貸金業法の総量規制が適用されません。

「いずれカジノで勝って返せると考えていました」、カジノにのめり込み、ファミリー企業から総額106億円を借り、有罪判決を受けた大王製紙前会長の井川意高さんの言葉です。ダイヤモンド・オンラインのサイトで「カジノで106億円熔かして服役、大王製紙前会長のオーナー経営者論」という記事を閲覧できます。「カジノで地獄を見るのは、負けたときに現地でお金を借りるからなのです」という言葉の重さは真摯に受けとめなければなりません。

持って行ったお金がなくなり、自分の預金をATMから引き出さない限り、負けたら終わりとなる競馬やパチンコなどとは異なる質のギャンブル依存症の懸念はくすぶったままだと言えます。前述したとおりギャンブル依存症の問題はカジノ法案の動きに関わらず深刻であり、カジノ法案に先立ち対策法が成立しています。これまで「減収に苦しむ公営競技事業」「競輪労組の大きな成果」というブログ記事を投稿している自治体職員の一人として、今後、機会があれば依存症の問題にも触れてみたいものと考えています。

土曜の朝、自宅に届く読売新聞の政治面に「カジノ法 公明に配慮 自民、今国会成立に固執 来年選挙 切り離し図る」という見出しが掲げられていました。ネット上にその記事自体は見つけられませんでしたが、同様の内容を西日本新聞が報じていました。最後に、その西日本新聞の記事を紹介させていただきます。「来年の選挙戦のころには批判は消えている」という有権者が見下された言葉を忘れないためにも。

西日本豪雨の被害が拡大する中、与党が統合型リゾート施設(IR)整備法案の成立を急ぐ背景に、カジノ解禁に反対する支持者の多い公明党の意向がある。来年の参院選や統一地方選への悪影響を避けるため、選挙戦までの期間をできるだけ空けておきたいという思惑だ。「推進法で決めたことだから、その通り成立させることが重要だ」。公明の山口那津男代表は18日の会合で、IR整備法案に賛成する理由を強調した。

整備法案は、2016年に成立したIRの「推進法」に基づく。同法は政府に対し、施行後1年以内をめどに整備法をつくるよう求める内容だ。当時、公明の支持母体の創価学会はカジノ解禁に強く反発し、党は衆参の採決で異例の自主投票に追い込まれた。山口氏や井上義久幹事長ら、複数の幹部が反対した。「既に成立した推進法に従うのは当然だ」−。公明幹部は、整備法案について学会員をそう説得してきた。

ギャンブル依存症対策法の先行成立も、公明は強く主張した。学会員に「依存症対策は万全だ」と理解を求めるためだ。自民党は、森友、加計問題や財務省のセクハラなどで国会審議が暗礁に乗り上げた3〜5月、同法の審議を後回しにすることを検討したが、自民国対幹部によると、公明が絶対許さなかったという。同法は今月6日に成立した。

それでも公明の中堅議員は「整備法成立が選挙に近づくのはどうしても避けたかった」と打ち明ける。同党は昨年の衆院選で議席を6減させ、比例代表の得票は2000年以降で初めて700万票を割った。統一地方選の勝敗は、3千人の地方議員を擁する公明にとって党勢に直結する。野党は「豪雨対策よりカジノを優先している」と批判するが、公明幹部は「来年の選挙戦のころには批判は消えている」と意に介さなかった。 【西日本新聞2018年7月20日

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2018年7月14日 (土)

西日本豪雨の後に思うこと

西日本を中心に降り続いた記録的な豪雨は各地に甚大な被害をもたらしました。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。このような災害を未然に防げる対策が最も大事なことですが、科学が進歩している現在においても残念ながら自然災害を人間の手で制御できるようにはなっていません。

したがって、「災害は起こる、災害は避けられない」ということを前提に様々な対策を講じる必要があります。災害が起きた際、いかにダメージを軽減できるか、できる限り犠牲者を出さず、被害を少なくできるかどうかが欠かせません。つまり防災対策においては減災という視点が重視され、災害が発生しても被害を最小限にとどめるための対策を立て、日頃から準備することが求められています。

今回の西日本豪雨災害を受け、安倍首相は外遊を取りやめました。法案審議にも影響を及ぼすのかも知れないと思っていましたが、参院の定数を6増とする公職選挙法改正案やカジノ法案と呼ばれているIR(統合型リゾート)実施法案は予定通り審議が進められています。さらに下記報道の通り「赤坂自民党亭」の開催が物議を醸し、与党側の危機意識のあり方が問われる事態にもつながっていました。

豪雨による被害が各地で拡大する中、参議院の委員会では、与党が強行する形でカジノ整備法案が実質審議入りしました。西日本豪雨の被害が拡大する中、国会では、迅速で万全の対策を政府に求める決議を全会一致で採択。「被災者へのきめ細やかな支援は急務です」(安倍首相) 政府は被災自治体の要請を待たず、国が率先して支援物資などを供給する方針を打ち出しました。 

平成に入り最悪の被害を出した豪雨災害。その豪雨が迫る夜に自民党議員たちが開いた会合が、問題視されています。5日の夜、国会議員宿舎で開かれた「赤坂自民亭」という懇親会。しかし、この時、記録的な豪雨により、多くの地域で避難指示などが出されていたのです。懇親会に出席した小野寺防衛大臣は・・・「防衛省からは随時連絡が来ておりましたし、その都度、指示を出していたので、特に支障は無いと思っております」(小野寺五典防衛相) 

表向き、政府側は災害対応に問題はなかったとしていますが、与党内からも疑問の声が上がっています。 「またちょっと、気が緩んできているよね」(与党幹部) 「センスの問題だ。どう取り上げられるか、考えてみれば分かるでしょ」(自民党大臣経験者) 参議院では10日、「カジノ整備法案」の実質審議が始まりました。この法案の担当大臣は、豪雨被害の対策で中心的な役割を担う石井国交大臣です。そもそも「カジノ整備法案」に反対の野党側は・・・「石井大臣が、人命よりギャンブル優先の審議を、自ら選ぶというのはちょっと信じられない」(立憲民主党 蓮舫副代表) 

さらに与党側は、参議院の定数を6増やす公職選挙法改正案も、今の国会での成立を目指す方針です。しかし、JNNの世論調査で、この2つの法案について、今の国会で成立させるべきかどうかを聞いたところ、いずれも「反対」が「賛成」を上回りました。成立を急ぐ与党側の姿勢に、野党側は反発を強めています。「火事場泥棒じゃないか。災害に乗じて、どんどん法案を通そうとしている」(野党幹部) 未曽有の災害は、会期末が迫った国会にも大きな影響を与えています。【TBSニュース2018年7月10日

多面的な情報を提供する機会として、立憲民主党も同日に所属議員の政治活動25周年を記念するパーティーを開いていたことにも触れなければなりません。与党と野党では災害対応を巡る責任の重さが違うとは言え、自民党を批判することで「ブーメラン」化することを警戒している可能性もありそうだ、とリンク先の記事には書かれています。

至らなかった点があった場合、指摘を受け、率直に反省することで次回から同じような失敗を繰り返さないことが重要です。「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹さんは「やっぱりおかしかった豪雨災害報道と政治家さん」というタイトルを付けてツイートしていました。「豪雨災害の真っ最中に政権はさかもり懇親会!多分、報道がNHK以外はあまりに日常的に流れているため 気が緩んでいたのではないでしょうか?」と綴っていました。

民放キー局の災害報道の少なさとの関連性を指摘し、「反論の余地が無い大失態ではないでしょうか?今回のような失態をメディアも政治家もしないようにすることが大事ではないでしょうか?今となっては国を挙げて救済と復興の為に取り組んでほしいと思います!」と尾木さんは提言されています。まったくその通りだと思います。

気象予報の初期の段階で、もっと切迫した危機感を伝えるメディアの報道や政治の働きかけがあれば、救える命が多かったはずという痛恨の思いを私たちは共有化しなければなりません。そのためにも前述した通り率直に反省すべき点は反省していく必要があります。どの党にとって有利か不利かという政局的な視点から離れ、メディアや野党が「赤坂自民亭」について問いただすことは当然だろうと考えています。

自民党の竹下総務会長は記者会見で「もう開いてしまっておりますので、どのような非難もお受けしようと思っております」と答え、「正直言ってこれだけ凄い災害になるという予想を私自身は持っていなかった」と釈明しています。若干居直った印象も受けますが、正直な気持ちを示されたものと受けとめていました。

一方で、「赤坂自民亭」の写真をツイッターで公開した西村官房副長官は参院の委員会で次のように謝罪しています。「災害発生時に会合をしていたかのような誤解を与えて、多くの方が不愉快な思いをされたということで、私として反省をし、お詫びを申し上げたい」という謝罪です。質問されたのは自治労組織内議員の相原久美子さんでした。相原さんは「誤解を与えたという問題ではない」とし、大雨の情報が出てきた段階での危機意識について問いただしていました。

いつも安倍政権に辛口な『日刊ゲンダイ』は西村副長官の謝罪の言葉に対し、「豪雨災害時に乾杯で謝罪 西村官房副長官は誰に謝ったのか」という見出しを付け、「西村氏はまるで国民が勝手に誤解したために、安倍首相をはじめ飲み会参加者に迷惑をかけたから謝罪しますと言っているようだ」と指摘する声が上がっていることを紹介していました。弁護士の澤藤統一郎さんはもっと辛辣にご自身のブログの中で次のように批判されていました。

「会合をやったのが、まるで大雨の被害が出ている最中のことであるかのような誤解」と言いたいのなら、この政治家は相当にタチが悪い。何の反省もしていない。誰も、「大雨の被害が出ている最中」の宴会とは言っていない。大雨予報が出ているさなか、豪雨の警戒を要する時期での宴会を問題としているのに、意識的な論点すり替えが悪質なのだ。印象操作だけが問題で、何を反省すべきかを真剣に考えてはいないのだ。

「結局、政権を批判したいだけ」というお叱りを受けそうですが、「あの夜、あのメンバーでの酒席は問題だった。その後、SNSに投稿したことも軽率だった」という率直な反省がないようでは同じ過ちを繰り返す可能性も否定できません。加えて「それほど重大視する話ではなく、きっと国民の多くは容認してくれる。逆に揚げ足を取るばかりの野党のほうに批判の矛先が向かうはず」というような意識があるようであれば、澤藤さんの指摘の通りだと思っています。

実は澤藤さんの上記の批判意見には「これが、自民党の政治家らしくもあり、安倍政権の一員らしくもある」という言葉が続いていました。「AだからBだろう」という批判の仕方は避けるため、いったんは切り離していました。それでも自民党の衆院議員だった早川忠孝さんがご自身のブログ「これで、災害対応に問題なし、などと言えるわけがないのだが…」で下記の通り語っていますが、「安倍政権の一員」という属性批判も的外れではないような気がしてきます。

安倍総理は初動の遅れを否定されているようだが、さて、どうだろうか。未だ被害の全容が分かっていないから、政府がいつの時点でどう動くべきだったか等について議論をしても何の役にも立たないとは思うが、安倍総理や官邸の皆さんが、自分たちはやるべきことはちゃんとやった、ノープロブレム、などとこの段階で開き直られてしまうとちょっと鼻白んでくる。

自民党の法案審議への対応についても少し触れなければなりません。野党側の「火事場泥棒じゃないか。災害に乗じて、どんどん法案を通そうとしている」という言葉には違和感があります。もし多くの国民が望み、国民生活にとって不可欠な重要な法案だった場合、どのような災害に見舞われようとも粛々と審議は進めるべきものと考えています。しかし、カジノ法案や参院定数6増とする公職選挙法改正案は国民の多数が反対し、野党が猛反発している法案です。

もともと大きな意味がなかったという見方もあるようですが、安倍首相が外遊を取りやめるほどの非常事態だという認識を政府は示したことになります。そうであれば国民からの反対の声が強い法案審議にも慎重な対応を示して欲しかったものと思っています。ちなみにカジノ法案の問題点は次回以降の記事を通して掘り下げてみるつもりです。最後に、公職選挙法改正案の国会審議の中で参考人として呼ばれ、反対意見を表明された自民党の参院幹事長だった脇雅史さんの言葉を紹介させていただきます。

「選挙制度は国民のためにあるのであって自民党のためにあるのではない」。元自民党参院幹事長の脇雅史氏は9日、参院政治倫理確立・選挙制度特別委員会に国民民主党推薦の参考人として出席し、古巣の自民党が提出した公職選挙法改正案をこう批判した。脇氏は「原点に立ち返って考えてほしい」と述べ、再考を強く促した。

脇氏は、現行法の付則に書かれた「2019年参院選に向けた抜本的な見直し」が先送りされてきた経緯に触れ、「自分たちがつくった法律を守らないのは、ゆゆしきことだ」と与野党の姿勢を批判。定数6増の自民党案に関しては「本当に抜本改革なのか。とても信じられない」と非難した。【JIJI.COM2018年7月9日

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