2021年3月 7日 (日)

緊急事態宣言が再延長

緊急事態宣言が再延長されました。3月7日までだった東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏1都3県に発令していた緊急事態宣言の2週間延長が3月5日夜、正式に決まりました。菅総理は3月2日の予算委員会で「ギリギリまで見極め解除可能か判断する」と答えていました。

その際、菅総理は「解除について、私が一存でできる話でもない。諮問委員会の意見を十分に踏まえ、総合的に判断させてもらうし、感染状況や医療提供体制のひっ迫状況などの基準が決められているので、そこがいちばん、大事なことだ」と説明を加えていました。

しかしながら下記報道のとおり菅総理は3日夜に「私自身が判断したい」とし、5日午前に予定された新型コロナウイルスの基本的対処方針等諮問委員会(尾身茂会長)の議論を待たずに延長を決めたことをアピールしました。

菅首相は3日、緊急事態宣言の2週間程度の「再延長」に言及し、自らの政治決断を演出した。宣言解除に難色を示す東京都の小池百合子知事の機先を制する狙いもあるとみられる。首相は約8分間にわたり、立ったまま記者団の質問に答える「ぶら下がり取材」に応じた。

東京など4都県での延長に触れ、「最終的に私自身が判断したい」と2回、繰り返した。「私自身がそういう日にち(2週間)が必要じゃないかと表明させてもらった」とも述べ、5日の正式決定を待たずに延長を事実上決断したことをアピールした。

首相は当初、7日で宣言を全面解除し、経済活動の再開に道筋を付けたい考えだった。宣言はすでに1か月延長しており、これ以上長引けば、「経済で追い詰められて自殺する人が増える」ことを懸念した。

だが、4都県の感染状況は期待していたほどには改善しなかった。期限直前になって解除を強行すれば、「感染が再拡大した際に全部、政府の責任にされる」(自民党幹部)という恐れがあった。【読売新聞2021年3月3日

前日までの説明を踏まえれば唐突で違和感が生じる動きでした。政府内の関係者からは「小池氏の術中にはまっただけ。本来なら7日に断固解除すべきだった」との声が上がり、自民党の閣僚経験者も「専門家の意見を聞いていない判断だ」と批判していました。

菅総理には4都県知事の圧力に押され、1月7日の宣言再発令決定に追い込まれたことが苦い記憶となっているようです。今回も小池知事らの要請を受ける形で方針転換すれば指導力が問われかねないとの懸念から、あえて要請を待たずに表明に踏み切ったと見られています。

前回記事「マスコミの現状と期待したい役割」の中でBLOGOSをブックマークし、頻繁に訪問していることを記していました。多面的な情報に接していくことの大切さを受けとめているため、BLOGOSで知った興味深いサイトを当ブログを通して紹介しています。

評論家の近藤駿介さんは『緊急事態宣言延長 ~ 総理は国民に一体何を詫びているのか』の中で「国民が踏ん張っている中で政府が無策だったことを詫びているのだとしたら、どんな策を打てばよかったと考えているのかを明らかにしなければ意味がない。何はともあれ詫びて謙虚な姿勢を見せることで支持率低下を防ごうという魂胆だとしたら、総理の言葉が国民の心に響かないのは当然のこと」と菅総理を批判しています。

一方で、参院議員の音喜多駿さんは『小池百合子知事の耐え難い不誠実さ。公言した目標と「謝罪の言葉」はどこへ行ったのか』と小池知事を手厳しく批判し、元衆院議員の深谷隆司さんも『緊急事態宣言延長』の中で「緊急事態宣言というと、何時もしゃしゃり出て、自分の手柄のような顔をする小池知事の厚顔に、うんざりしていただけに、私は大いに結構と思った」と綴っています。

国民や都民から「どのように見られるか」という判断基準を重視しながら振る舞うことは政治家の習性として、ある程度やむを得ないものと思っています。しかし、かつて経験したことがなかったレベルでの緊急事態において、そのような判断基準が優先されたことで致命的な判断ミスにつながるようであれば深刻な問題です。

緊急事態宣言が再び発令された後、「危機管理下での政治の役割」「東京五輪の行方と都政の現場」「コロナ禍での野党の役割」という記事を投稿してきました。改めて政治家の皆さんへのお願いです。ぜひ、手柄の奪い合いのような発想は避け、政府と自治体は緊密に連携し、国会の場では与野党双方が大局的な立場から実効ある政策判断を重ねて欲しいものと願っています。

もし少し今回の記事は続けさせていただきます。『世界各国へのワクチン普及、G7一致』という報道を目にしました。菅総理はワクチン共同購入の国際的枠組み「COVAX(コバックス)」に日本が2億ドル(約211億円)を拠出する方針を説明し、「保健分野の保護主義」への反対を訴えています。

このような動きは強く支持すべきものです。パンデミツクの完全な終息は自国優先主義では解決できず、何よりも国際協調が欠かせません。菅総理の「途上国も含め公平なアクセスを確保することが不可欠だ」という言葉もまったくその通りです。

しかし、その言葉は日本国内のワクチン接種が計画通り進まない可能性も覚悟したものでなければ重みを伴いません。東京五輪を間近に控えた日本は早期に大量なワクチンを購入しても然るべきだと考えていた場合、保護主義に反対したとしても「途上国も含め」という言葉が必要だったのかどうか疑問です。

同日のG7での意見交換の際、菅総理は東京五輪について「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」として開催するという決意を表明していました。これまで多用してきた同じ言葉を繰り返している訳ですが、ワクチンの供給体制一つ取っても今年の夏までに打ち勝てるとは考えられない時期に差しかかっているはずです。

開催に向けた決意を示すとしても、せめて「新型コロナウイルスに負けずに」という言葉程度が妥当だったのではないでしょうか。「アクセルとブレーキを同時に踏むこともある」という言葉にも驚いていましたが、菅総理の言葉の使い方に疑問を持つ時が多々あります。きっと誰からも一切指摘を受けない現状なのだろうと推察しています。

『日刊ゲンダイ』の記事『菅政権またも後手後手 山田広報官“ゴチ”辞職で崩壊へ一気』の中で「最近の総理はいつもイライラしていて怒鳴り散らすので、誰も近づきたがりません。官邸内もイエスマンばかりで、総理に厳しい意見を言う人が周囲にいないことが、後手対応を招いている一因でしょう」という官邸関係者の話が紹介されています。

ささいなことかも知れませんが、本来、言葉の使い方一つから指摘を受けることで、より望ましい言葉に改まっていくことのほうが菅総理にとっても有益なはずです。それどころか国民の命や暮らしに直結するような重大な政策判断を下す際も、幅広い情報は届かずに菅総理が決めているとしたら官邸の機能として非常に危うい現状だと言えます。

危機管理血液内科医の中村ゆきつぐさんは『ワクチンの供給 まあ慌てても仕方ないし、日本はそこまで心配しなくていい』の中で「ワクチンがまだ投与されていない今の日本でもしっかり急所を抑えればPCR陽性者数が今しっかり減っている」とし、「しつこいですが油断はいけません。でも節度をもって急所を抑えることでさまざまなことが今後できるはずです。1年前とは違います」と記しています。

1都3県の緊急事態宣言が2週間延長されましたが、私自身の問題意識も中村さんの考え方に近いものがあります。もともと「ウィズコロナ」という言葉には違和感がありましたが、立憲民主党が提唱した「ゼロコロナ」という言葉や発想にも懐疑的な立場です。

新年早々の記事「平穏な日常に戻れる2021年に」の中に掲げた通り「すぐに終息しないことを覚悟し、長丁場の闘いとして持続可能な対策を心がけていくことが欠かせないのだろう」と考えています。例えればアクセルは踏まず、車を止めないけれども、ゆっくり走行していく「エンジンブレーキ」という発想です。

枝野代表は「ゼロコロナ」という言葉を政府との違いを際立たせる対立軸として打ち出したようですが、党内から「感染者ゼロが独り歩きして誤解を招かないか」と懸念する声が示されていました。「まずは感染を徹底的に抑え込み、経済活動の再開はその後にする」という考え方に対し、与党は「そこまで待てば日本経済は死ぬ」と見ています。 

このように評価が分かれる方向性を見出す際、立憲民主党内で丁寧な議論が積み重ねられなかったようです。党中堅の参院議員の「立民は下から議論を積み上げる政党ではなく、上から方針が下りてくる政党だ」という言葉が漏れ聞こえていました。ぜひ、枝野代表には官邸機能の問題を反面教師とし、 このような声が党内から示されていることを重く受けとめて欲しいものと思っています。

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2021年2月28日 (日)

マスコミの現状と期待したい役割

前回の記事は「『鬼滅の刃』を読み終えて』でした。その最後のほうで、過去の記事「卵が先か、鶏が先か?」に綴っていたマスコミが世論を決めるのか、世論がマスコミの論調を決めるのかという問題意識について紹介していました。

その記事を投稿した当時、まだ国民からの支持が高かった鳩山政権に対し、マスコミが政権批判する論調は抑え気味でした。どうしてもマスコミの活動は多くの人に「見てもらう」「買ってもらう」ことが欠かせない目的となるため、そのような傾向があることを書き添えています。

一方で、世論を作り出す影響力がマスコミにはあるため、世論の潮目が変わった時、一気に鳩山政権は苦境に立たされるのかも知れないという言葉も書き残していました。予想は当たってしまった訳ですが、このような関係性を「卵が先か、鶏が先か?」という話に重ねていました。

安倍政権で加計学園の問題が取り沙汰されていた頃、「マスコミの特性と難点」「マスコミの特性と難点 Part2」という記事を投稿していました。同じ事実を伝える際、例えばコップの中に水が半分ある時、「半分しかない」と書くのか、「半分も残っている」と書くのでは読み手の印象が変わります。

つまりマスコミも客観的な事実だけを淡々と伝えている訳ではなく、記者や編集者、コメンテーターらの意見や主観を添えた報道の仕方が主流となっています。マスコミ報道は決して無味乾燥ではなく、そのような特性があるという現状を「Part2」にわたった記事を通して綴っていました。

だからこそ、より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことの大切さを認識しています。このような認識を深める機会として、今回の記事では最近読んだ小説や時事の話題を紹介しながら書き進めてみるつもりです。

つい最近、本城雅人さんの『傍流の記者』を読み終えています。リンク先のサイトでは下記のとおり紹介されています。小説という形を取っていますが、東都新聞は読売新聞を連想させ、実際の出来事を下敷きに描かれているように見受けられます。

「新聞記者とはどんな人間なのか、真の特ダネとは何か、組織の中でどう生きるべきかが描かれている」 大手新聞社の社会部、鎬を削る黄金世代の同期6人。組織の中で熱く闘う男たちを描く痛快企業小説。警視庁の植島、調査報道の名雲、検察の図師、遊軍の城所、人事の土肥、そして社長秘書の北川――。

東都新聞社会部に優秀な記者ばかりがそろった黄金世代の同期6人。トップに立てるのはその中のただ一人。貫くべきは己の正義か、組織の保身か。出世か、家族か、それとも同期の絆か――。中間管理職の苦悩、一発逆転の大スクープ、社会部VS政治部の熾烈な争い……火傷するほど熱い新聞記者たちの闘いを見よ。痛快無比な企業小説。第159回直木賞候補作。

今回の記事タイトルは「『傍流の記者』を読み終えて」ではありませんので、マスコミの現状を生々しく映し出した場面に絞って紹介します。紙面作りにおいて東都新聞の社会部と政治部は、しばしば対立していました。その背景となる象徴的な次の記述が特に印象に残っていました。

新聞社は権力を見張るだけが役割ではない。この国を良くするにはどうすべきか考察し、論を発する役目もある。前者の中心になるのが社会部なら、後者は政治部の仕事だ。政治部にとっては、大塚首相の息子が病院の理事長から資金を受け取ったことや首相が閣議に30分遅れてきたことより、東アジアの国際情勢や外交、消費増税、憲法改正の方がよほど重要なのだ。

この記述の後、「だがその政治部でさえ、今朝は大塚首相を攻撃する側に回った。もう政権は守れないと判断したのだろう」と続きます。つまり小説の中では国民からの支持という潮目の変わるタイミングも描かれていました。

解説は元読売新聞記者の清武英利さんが寄稿していました。解説の冒頭の「新聞や放送記者は熱心であればあるほど、かつ利口であればあるほど真実を書けなくなる。権力に近づきすぎると、しばしば秘密の共有者となるからだ」という言葉も印象深いものでした。

このような特性があることを改めて認識した上で、マスコミからの情報に接していくことが重要です。幸いにもインターネットを利用すれば幅広い情報に素早くアクセスできます。私自身、情報源の一つとしてBLOGOSをブックマークし、頻繁に訪問しています。

BLOGOSで知った興味深いサイトなどを当ブログで紹介することも少なくありません。多くの方々が多面的な情報に接して欲しいものと願っているからでした。その際、なるべく筆者のサイトにリンクをはるように努めています。

今回、ジャーナリストの安倍宏行さんの『霞ヶ関高級官僚接待の系譜』、経産省の官僚だった古賀茂明さんの『菅総理長男の接待官僚の行く末』、政治団体代表の鈴木しんじさんのブログ『首相長男の接待は政権を揺るがす大問題に発展』、ジャーナリストの元木昌彦さんの『「またも看板キャスターが降板」 NHKは"忖度人事"をいつまで続けるのか』を紹介します。

それぞれの記事にあるとおり総務省の官僚が東北新社から接待を受けていた問題は、まったく信じられないレベルの異様な話だと思っています。しかしながらマスコミからの情報に限った場合、なぜ、東北新社に限って接待を受け続けたのか、このような理由を垣間見ることも難しい現状です。

特に読売新聞は「首相長男接待 総務省11人懲戒・訓告 山田広報官 給与返納」という見出しを1面で報じた時、トップに位置する見出しは「高齢者接種4月12日開始 コロナワクチン 下旬に本格化」のほうでした。『傍流の記者』に書かれているとおり政治部の記者が主導した結果なのだろうと想像しています。

ワクチン接種に関する見出しの付け方も前述したコップの中の水を「半分しかない」と書くのか、「半分も残っている」と書くのかと同様な恣意的なものを感じています。4月にスタートし、6月までに完了する見通しだった高齢者への接種計画が大幅に遅れることを報じた内容の見出しとして適切だったのかどうか疑問です。

読売新聞側の意図がにじみ出た紙面でしたが、事実関係の概要は伝えていたものと受けとめています。しかしながら一連の報道を通し、事実関係のすべてを正確に伝えていたのかどうかで言えば、紹介したブログ記事の内容と比べた場合、あえて書いていない事実関係があるように見受けられます。参考までに鈴木しんじさんのブログから一部を抜粋して紹介します。

正剛氏は父が総務相在任中に大臣秘書官を務め、父の威光によって同省に顔が利くことから、総務省への交渉担当として東北新社の中で重用されてきたようです。接待は2016年7月から少なくとも13人が延べ39回に渡って行われてきたとのことですが、東北新社が放送事業の認可を融通してもらうために、総務省幹部に接待攻勢を行っていたことが窺われます。

2016年12月14日に、当時大臣官房審議官だった吉田眞人氏が東北新社側と会食をおこなっていたことが明らかになっていますが、2017年1月24日に総務省は同社を4K放送の事業者に認定しています。週刊文春の報道で接待現場を押さえられた昨年12月は、東北新社の子会社が手掛けるBS放送「スターチャンネル」が5年に1回の認定の更新を受ける直前です。

また、2018年4月に総務省は東北新社の子会社「囲碁・将棋チャンネル」のCS放送業務を認定しましたが、同年にCS放送業務として認定された12社16番組のうち、ハイビジョン未対応で認定されたのは「囲碁・将棋チャンネル」だけだった一方で、ハイビジョンに対応していても落選した番組もあったとのことで、明らかに不自然な取り扱いだったと言われています。

ここで、当時、認定判断の最高責任者たる総務省情報流通行政局長だったのが、NHK「ニュースウオッチ9」の有馬嘉男キャスターの菅首相へのインタヴュー内容に関して圧力をかけたと言われている山田真貴子現内閣広報官でした。なお、山田氏が総務審議官だった2019年11月6日、飲食代だけで7万4203円になる高額接待を東北新社から受けていました。

最後に、スクープ報道という点では『週刊文春』など週刊誌が際立った役割を発揮しています。ただマスコミによる後追い報道がない限り、世論への影響は限定的です。インターネットが普及していても、まだまだ大手の新聞やテレビからの情報の影響力が大きいものと思っています。

マスコミが世論を決めるのか、世論がマスコミの論調を決めるのかという問題意識に戻りますが、マスコミの情報が世論を左右していくことは間違いありません。国民一人一人が政権に対し、公正な評価を下せる関係性を築くためにも、マスコミ関係者の皆さんが政権との距離感を適切に保ちながら事実関係のすべてを正確に伝える役割を発揮されることを期待したいものです。

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2021年2月20日 (土)

『鬼滅の刃』を読み終えて

昨年末に『千と千尋の神隠し』の記録を抜き、公開から73日間で324億円に達した映画『鬼滅の刃』が興行収入歴代1位となっています。コロナ禍の中、昨年1年間の興行収入は前年から半減し、1400億円ほどにとどまっていましたが、『鬼滅の刃』だけで全体の2割以上を占めていました。

人気漫画『鬼滅の刃』を原作にした劇場版「無限列車編」は大正時代の日本を舞台に主人公の少年が敵の鬼たちと戦いを繰り広げる物語で、前年に放送されたテレビアニメの続きが描かれています。

作品自体の面白さやアニメーションのクオリティーの高さなどに加え、「正義が貫かれるという前向きな物語が、コロナ禍で沈んだ気持ちの中で非常に受け入れやすかったのではないか」と評する声もあります。

「鬼滅の刃」ブームはどのように広がっていったのか?ツイートから分析』という記事に『少年ジャンプ』で連載の始まった2016年当時から人気があり、他の作品よりもツイートの数は多かったことが記されています。2019年のテレビアニメ化によってツイート数は伸び続け、2020年10月の映画公開が「大きな話題の山を生み出した」と分析しています。

ある一定のラインを超えるとマスコミが連日大きく取り上げるようになり、多くの人たちが話題にし、よりいっそうSNSや口コミで広がっていきます。『ダルビッシュ有が「鬼滅の刃」にドはまり、あっという間に全巻読破』という話などを耳にすると、まったく関心のなかった人たちも興味を示すようになります。

そのうちの一人が私です。ただ昨年の11月頃、店頭で手に入れることは難しく、注文しても「いつ入荷できるか分かりません」と告げられていました。手に入れることをあきらめかけていた時、通勤帰りに立ち寄った書店に全巻並んでいました。迷わず1巻から22巻まで「大人買い」しています。

12月1日、火曜の夜でした。平日に読み始めるとダルビッシュ投手のように寝不足になる心配もありました。最終巻の23巻が12月4日金曜に発売されるため、ぐっとこらえて週末まで待ち、全巻を揃えてから一気に読み進めようと考えました。

金曜の朝、すぐ売れ切れることも予想されたため、通勤途中の早い時間に近所のコンビニに寄りました。幸運にも1冊だけあり、すぐレジに運んでいます。やはり賢明な判断だったようであり、その日のうちに売り切れた書店が多かったことを夕方のニュースで伝えていました。

と言う訳で昨年12月、多くの人の関心を集めていた『鬼滅の刃』全巻を一気に読み終えていました。確かにストーリーは面白く、個性的な登場人物が多い中、ギャグ漫画の風味もあり、人気の高さをうかがい知ることができました。実は昨年末の記事「コロナ禍の2020年末」の最後に次のように記していました。

2020年末、『週刊金曜日』最新号の特集記事は「『鬼滅の刃』メガヒットの理由」でした。硬派な週刊誌の表紙に意外な見出しを目にして少し驚いていました。その内容についても触れてみるつもりでしたが、いつものことながらたいへん長い記事となっています。年明け、機会を見て「『鬼滅の刃』を読み終えて」という記事を投稿させていただくかも知れません。

『週刊金曜日』の特集記事に触発され、このブログでも「『鬼滅の刃』を読み終えて」という記事を投稿するつもりで下書きに取りかかっていました。それが年明け、緊急事態宣言が再発令されたため、コロナ禍に関わる話を先に取り上げてきました。

前回が「コロナ禍で迎えた節目の900回」となり、ようやく今回、『鬼滅の刃』を話題にした新規記事の投稿に至っています。前置きのような話が長くなりましたが、『週刊金曜日』のサイトでは特集記事を次のように紹介しています。

『鬼滅の刃』メガヒットの理由 公開中の『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の興行収入が300億円を突破し、コミックのシリーズ累計発行部数も1億2000万部を超えるなど、まさに社会現象となっている『鬼滅の刃』。映画産業の危機や出版不況が叫ばれる昨今、なぜここまで爆発的な人気を得ることができたのか、その要因を探る。

●「『鬼滅の刃』を、私はこう読む 現代人が求めている生き方の教科書」井島由佳 漫画は生き方や考え方の参考となり、生き方の教科書になると考える。すべての漫画がそうであるとは言えないが、『鬼滅の刃』はその一つとなり得る作品である。この物語は復讐劇でも単なる勧善懲悪でもない。

井島さんの他に渡辺水央さんの「時代の気分との符合」、内田樹さんの「街場の『鬼滅の刃』論」という記事も掲げられています。『週刊金曜日』本誌も手にし、それぞれの記事に目を通しています。執筆者の皆さんは『鬼滅の刃』をしっかり読み込んだ上で論評していることが分かります。

『週刊金曜日』の特集記事の中から興味深い記述を紹介していくと、ますます長い新規記事になってしまいます。そのため、ここからは私自身が『鬼滅の刃』を読み終えて、いろいろ感じたことを「全集中の呼吸」で書き進めていきます。 

まず作者の呉峠 呼世晴さんのことです。「ごとうげ こよはる」と読み、男性だと思われていましたが、昨年春に女性であることが公表されています。『鬼滅の刃』が初めての連載作であり、作者自身、ここまでのメガヒットをまったく想像されていなかったようです。

第1巻のカバーのそでには「本を出していただきました。ありがとうございます」と作者からの率直な感謝の言葉が添えられています。巻が進むたびに同様な感謝の言葉があり、4巻には「夢のようです。もう腹痛です」とも書かれています。

2月7日の読売新聞の社説にも『鬼滅の刃』のことが取り上げられていました。『メガヒットをどう生み出すか』という見出しのもと「漫画界の特色は、若い才能の発揮に力を入れてきたことだ」「他の分野でも、新しい世代を育てる姿勢は大切にしてほしい。長期的に見れば、文化産業の発展につながるはずだ」と綴っています。

特に『少年ジャンプ』編集部は昔から新人を育て、メガヒット作品を世に送り出してきていることを思い出しています。昨年末に『鬼滅の刃』を手にし、新しい巻が出るたびに添えられている呉峠さんの初々しい感想と社会現象と呼べるほどの熱狂的な支持を得ている現状とのギャップを興味深く感じていました。

続いて「コロナ禍だからこそ、よりいっそう人気が高まった」という見方についてです。本作の舞台だった大正時代、スペイン風邪が全世界で猛威をふるっていました。ウイルスと鬼を重ね合わせ、時代の気分とマッチしたタイミングだったため、ヒットしたという論評を目にしています。

そのような見方を一概に否定しませんが、あまり難しく考えず、たいへん面白い物語だったものと思っています。例えればドラクエのようなロールプレイングゲームと同じ面白さを感じていました。最初、まったく歯が立たなかった相手だったとしても、主人公が経験値を積むことで撃破していける爽快感や成長の物語に面白さを見出しています。

このように個人的な感想を記していくと際限なく続きそうですので、次に最も訴えたかった特徴点に触れていきます。作品全編を通し、主人公である竈門炭次郎の優しさや正義感が伝わってきます。仲間や鬼となった妹に対しても、ひたすら信じ続けていく姿勢を崩しません。

敵である鬼を倒した後に「鬼であることに苦しみ、自らの行ないを悔いている者を踏みつけにはしない、鬼は人間だったんだから、俺と同じ人間だったんだから」という言葉を炭次郎は訴えます。人間を喰らいながら生き続ける鬼に対し、鬼になった事情や背景があることを作者の呉峠さんは丁寧に描いています。

炭次郎の言葉の奥深さが示すとおり短絡的な勧善懲悪ではない物語であり、そのような関係性に感情移入できるため、多くの人が『鬼滅の刃』に魅力を感じているのではないでしょうか。このような関係性について現実の問題に照らしながら語ることもできますが、話が広がりそうですので別な機会に譲らせていただきます。

最後に、前述した「ある一定のラインを超えると」というキーワードに改めて着目してみます。どのように素晴らしいコンテンツだったとしても、広く認知されなければ人気は出ません。マスコミが注目し、SNSや口コミでの話題が広がり出した時、『鬼滅の刃』のようなメガヒットが生まれるものと思っています。

一方で、バッシングも同様です。マスコミで取り上げられ、SNSや口コミでの話題が広がり出した時、より強い批判の嵐にさらされることになります。過去の記事「卵が先か、鶏が先か?」に記したマスコミが世論を決めるのか、世論がマスコミの論調を決めるのかという問題意識にもつながります。

さらに選挙戦の最終盤におけるバンドワゴン効果という言葉も頭に浮かんでいます。バンドワゴンとは行列の先頭の楽隊車のことであり、先行者に同調する傾向が強まる効果を指します。勝ち馬に乗るという言葉と同じ意味合いとなります。『鬼滅の刃』を読み終えて、政治の場面をはじめ、様々な事象において生じがちな傾向を感じているところです。

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2021年2月13日 (土)

コロナ禍で迎えた節目の900回

このところタイトルの先頭に「コロナ禍」を付けた記事の投稿が続いています。記事タイトルに掲げたとおり今回、節目の900回を迎えました。新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言の期間中というタイミングでの節目の記事となります。

このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新が定着し、現在に至っています。

実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、土曜日か日曜日に更新するようになってから「週刊」を習慣化できていました。元旦に新規記事を投稿しようと決めているため、年末年始だけ変則な投稿間隔となっています。

来月11日、東日本大震災の発生から10年が過ぎます。発生直後の週末も、ためらいながら「東日本巨大地震の惨禍」という記事を投稿し、被災された皆さんへのお見舞いの気持ちなどを表わしていました。

そのようにつながってきましたが、2年前の3月1日に母が亡くなり、一度だけ新規記事の投稿を見合わせていました。母が亡くなった直後、とてもブログを更新する気にはなれませんでした。深い悲しみと落胆に沈み込んでいたことはもちろん、そのような時にブログに関わることの不適切さを感じていました。

再開した際の記事「母との別れ」は自分自身の気持ちの整理を付けていくための通過点とし、苦労を重ねてきた母親を偲びながら母と過ごした年月をずっと忘れないためにも初めて私的な内容を前面に出した記事でした。

普段の色合いからは離れた私的な内容が中心となった記事もその一度きりです。これまで100回という節目で記事を投稿する際、次のような言葉を添えていました。

もし定期的な更新間隔を定めていなければ、日々の多忙さに流され、いわゆる「開店休業」状態が続いていたかも知れません。それでも年月は過ぎていくことになります。一方で、投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。

800回の時、不慮の事態に遭遇しても数字は滞ることを付け加えていました。健康上の問題、大きな天災などに直面した場合、自分自身の意欲や労力云々以前の問題としてブログの更新どころではなくなります。

そのような意味で、改めて記事の回数が100を刻んだ時のメモリアルさをかみしめています。いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも多くの皆さんが訪れてくださるからであり、いつも感謝しています。これまで100回を節目とし、次のような記事を投稿してきました。

100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。

そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができています。

訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知しています。それでも節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。

以前の記事「このブログを始めたイキサツ」に記したとおり真実は一つでも、情報の接し方によって善悪の印象がガラリと変わります。ちょうど世の中は大阪市役所の厚遇問題などで、公務員への厳しい視線や声が強まっていた頃でした。当然、公務員やその組合側も改めるべき点は即座に改める必要があります。

ただ主張すべきことは主張する必要性を強く感じていた時、誰でも簡単にインターネット上で意見を発信できるブログと出会い、これまで900回の記事を積み重ねてきました。あくまでも個人の責任によるブログですが、私どもの組合員の皆さんに向け、時々、このブログのことを組合機関誌等を通して宣伝しています。

不特定多数の方々へ公務員組合側の言い分を発信するとともに、一人でも多くの組合員の皆さんにも読んでもらいたいと思いながら投稿しています。つまり組合活動を身近に感じてもらうための一つのツールとしても位置付けています。二兎を追うブログだとも言えますが、これまで自分自身としては難しく思わず運営してきています。

その中で一貫して注意している点は、不特定多数の方々に見られることを常に意識した記事内容の投稿に努めるという心構えです。不確かな情報や知識での断定した書き方はもちろん、賛否が分かれる問題についても結論を押し付けるような書き方は極力避けるように努めています。

誰もが閲覧できるブログでの発言の重さをいつも念頭に置きながらパソコンに向き合っています。 このような意味合いから週に1回の定期更新は自己啓発の機会であり、自分自身の主張を広く発信できる自分なりの一つの運動として位置付けています。

そして、何よりもブログを始めて良かったと思うことは本当に幅広く多様な考え方や意見に触れられたという経験です。コメント欄には辛辣な批判意見が数多く寄せられてきましたが、インターネットを介した匿名の場だからこそ触れることができた飾らない声の一つ一つだったものと考えています。

これまで多様な声があることを受けとめ、日常の職務や組合活動に臨める意義深さを感じ取ってきています。ネット上で不特定多数の方々に発信している当ブログの内容は誰が目にしても説明責任を果たせる前提で投稿していますが、組合の方針や私自身の考え方に誤りがあれば再考しなければなりません。

さらに基本的な立場や考え方の違いから批判を受ける場合もありますが、そのことも含めて貴重な機会だととらえています。どのような点が批判されるのか、どのように説明していけばご理解いただけるのか、いろいろな意味で「気付き」の機会につながっているからです。

少し前の都政新報』の紙面で人事院公務員研修所客員教授の高嶋直人さんの次のような言葉が目に留まりました。高嶋さんは新人研修で「公務員だけでつるんではいけない」と指導し、「公務員組織は本来的に同質性の高い集団であり、いくら交流を重ねても視野を広げるには限界がある」という点を伝えているそうです。

その後に続く「公務員に限定せず、自分と属性が全く異なる人々にもネットワークを広げる努力が必要です」という言葉を特に注目していました。そのような意味で当ブログのコメント欄は公務員以外の方々の率直な声を伺える非常に貴重な場だったと言えます。

視野が広がったかどうかは自己評価しづらいところもありますが、多様な「答え」があるという基本的な認識や立場を培われたものと思っています。自分自身が正しいと信じている「答え」に対し、異なる「答え」があることを受け入れ、なぜ、そのような「答え」に至っているのか思考を巡らせるようになっています。

事案によって絶対的な「正解」は容易に見出せません。そのような場合、幅広い視点からの多様な「答え」を突き合せることで、より望ましい「答え」を見出していく努力が重要なことだと考えるようになっていました。

平和の課題を一例とすれば「平和の築き方、それぞれの思い」という記事があり、「平和への思い、自分史」「平和への思い、自分史 Part2」を通して自分自身の問題意識の変遷を綴っていました。

ただ私自身の立ち位置や正しいと信じている「答え」が基本的に変わらないため、批判的なコメントを寄せられる方々に対し、徒労感や失望感を与えがちだったようです。

このような点が直接的な理由ではなく、単に関心を失われてしまわれたのか、もしくは別な事情がお有りなのかも知れませんが、nagiさんをはじめ、コメント欄の常連だった皆さんがご無沙汰になっている昨今を寂しく思っています。

500回目の頃と比べ、コメント欄の雰囲気が大きく様変わりしています。500回目の記事の中に「普段のアクセス数は千件から2千件ぐらいの幅で推移し、コメント数が100を超えた記事も数多くありました」と書かれています。

現在、コメントが1件も寄せられない記事の数も多くなっています。記事本文の更新が週1回で、コメント欄での動きが少なくなっているため、日々のアクセス数も当時に比べれば大きく減っています。そもそもスマホが主流となり、多種多様なSNSが普及している中、文字ばかりの長文ブログはガラパゴス化しつつあるのかも知れません。

それでも組合員の皆さんをはじめ、このブログをご注目くださっている方々は決して少なくありません。このような手応えがある限り、たいへん大きな節目である1000回をめざしていくことができます。ぜひ、出入り自由な場として、これからも少しでも興味を持たれた時にご覧いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2021年2月 6日 (土)

コロナ禍の中、労使協議は推進

前々回の記事「東京五輪の行方と都政の現場」の冒頭で、森元総理が本音をそのまま言葉にしてしまう正直な性格であり、ご自身の発する言葉の重さや影響力に無頓着な政治家の代表格だったという見方を記していました。そのように記した矢先の失言、東京五輪組織委員会の会長という立場での女性を蔑視したような発言の波紋は日を追って大きくなっています。

謝罪会見での記者とのやり取りも火に油を注ぐ結果となっています。なぜ、問題視されているのか、ご自身が充分理解されていないまま大事な会見に臨んでいるように見受けられました。『IOC「この問題は終了」発言に疑問の声「五輪憲章って何?」』という内外からの声と乖離した対応にとどまるようであれば組織的な体質や土壌の問題性も問われかねません。

適切なリスクマネジメントは一国のトップリーダーである菅総理に最も求められています。国会の場で森元総理の発言問題を問われた際、菅総理は最初「詳細は承知していない」と答えていました。最後のほうで「あってはならない発言」と答えていたようですが、この問題が間違いなく質問されることを見通した場面の臨み方として適切だったのか甚だ疑問です。

それ以上に菅総理の長男が総務省幹部4人を接待した問題を問われた際、「週刊誌報道写真見ても長男かどうかわからない」「(長男とは)普段ほとんど会っていない。完全に別人格だ。そこはご理解いただきたい」というような答えが続いていることに強い違和感を抱かざるを得ません。菅総理の長男でなければ会食自体あり得なかったはずであり、リスクマネジメントとしていかがなものかと思っています。

さて、今週末に投稿する内容は記事タイトルに掲げたとおり労使協議に関わる話を考えています。一言二言、触れるつもりの時事の話題が思ったよりも長くなりました。そのまま記事タイトルを差し替えることも頭をかすめましたが、やはり予定通り久しぶりに労使課題を中心に取り上げさせていただきます。

緊急事態宣言が再発令され、引き続き職場委員会の開催は見合わせています。そのため、来週発行する組合ニュースとあわせて職場委員会(延期)参考資料も職場回覧します。今回のブログ記事はその資料等に掲げた内容から課題をいくつか絞って書き進めてみます。

昨年9月の記事「コロナ禍での組合活動、2020年秋」を通し、コロナ禍の中、日帰りバス旅行や職員家族クリスマスパーティーなどを取りやめた一方、組合予算の還元策も別途工夫していることを伝えています。さらにコロナ禍の中でも多岐にわたる職場課題の解決に向け、労使協議は推進していることを伝えていました。

昨年11月11日の団体交渉で、年間一時金を0.1月引き下げて4.55月分とし、再任用職員は0.05月引き下げて年間2.4月分とする都人勧の内容を労使合意しました。一時金を先行して決着した後、12月18日に東京都人事委員会は月例給の水準を据え置く報告を示していました。その報告を受け、私どもの市職員の月例給も改定しないことを1月26日に確認し、今年度の賃金交渉を最終合意しています。

当面する労使課題について」「継続中の賃金・一時金交渉」の中で触れていたとおり賃金交渉の中で最も厳しい判断を迫られたのは会計年度任用職員の期末手当0.1月分引き下げの問題でした。会計年度任用職員の場合、東京都人事委員会の勧告内容(都人勧)の反映は翌年度とすることを確認しています。

都人勧は年間一時金を0.1月分引き下げる内容ですが、期末手当部分に限る引き下げ勧告でした。勤勉手当が支給されない会計年度任用職員にとって削減率は常勤職員の倍に相当します。そのため、自治労都本部統一闘争の指標として会計年度任用職員のマイナス改定の阻止を掲げていました。しかしながら都内の自治体は軒並み今年度から0.1月分削減を受け入れています。

このような情勢の中、たいへん残念ながら来年度の期末手当について0.1月分削減することを合意せざるを得ませんでした。そもそも期末手当に限る支給自体「同一労働同一賃金」の考え方に反していることであり、今後、自治労全体の取り組みとして法改正等が必要な勤勉手当や生活関連手当(扶養手当や住居手当等)の支給をめざしていかなければなりません。この点について、もう少し補足します。

以前の記事「働き方改革への労組の対応」の中で2018年6月1日に示されたハマキョウレックス事件と長澤運輸事件の最高裁判決について触れていました。ハマキョウレックス事件は正社員と有期雇用労働者の待遇の格差について、長澤運輸事件は正社員と定年後再雇用された嘱託社員(有期雇用)の待遇の格差について争われた事件でした。

ハマキョウレックス事件は労働者側が勝ち、長澤運輸事件は会社側が勝つという結果に分かれていました。ハマキョウレックス事件では有期雇用労働者と正社員との間に職務内容に差がないのにも関わらず、待遇に差があったことは労働契約法20条に違反すると判断されました。一方で、長澤運輸事件の有期雇用労働者は定年後に再雇用された高齢の労働者だったため、待遇差が不合理ではないと判断されたようです。

2020年10月にも非正規雇用の「同一労働同一賃金」を争点にした最高裁判決が立て続けに出されていました。大阪医科薬科大学事件とメトロコマース事件は原告側の敗訴、その2日後に出された日本郵便の契約社員に対する判決は原告側の勝訴と明暗が分かれました。

厚労省が「同一労働同一賃金」の具体的なルールを示す指針(ガイドライン)を示していましたが、 このように裁判で争われる事件が続いています。判決の明暗が分かれた傾向として、手当支給に関しては待遇差の不合理性が認められつつあります。一方で、賞与・退職金については、いわゆる有為人材確保論が大きく考慮され、使用者の広い裁量が認められ、待遇差の不合理性を否定する傾向があるようです。

不充分な点も見受けられていますが、民間の非正規労働においては「同一労働同一賃金」に近付けようとする動きが目立っています。しかし、公務員はパートタイム労働法の適用除外とされ、パートタイム会計年度任用職員の場合、地方自治法の改正によって期末手当以外の支給は法律上難しくなっています。

会計年度任用職員制度が施行される前は地方公務員法との解釈面から救済される裁判例もあったという話を耳にします。たいへん残念な現状として、勤勉手当や生活関連手当(扶養手当や住居手当等)を支給させるためには法改正が必要とされています。一単組の力で解決できる問題ではなく、自治労全体の運動として位置付けていくことになります。

会計年度任用職員制度の課題は多岐にわたり、雇用継続のあり方などが論点化されています。組合は人事評価制度において評価3段階の見直しを求めています。見直し自体は難しいままですが、任用不可となるC評価が極めて例外であることの周知徹底を各評価者(所属長)に対し、しっかり行なっていることを改めて確認しています。

仮にC評価のまま報告された場合、当該の評価者に対して人事課から改めてその理由等について確認した上で決定するという説明も付け加えられています。時間外勤務の割増が原則となる会計年度任用職員の代休制度についても、直近の労使協議を通し、前向きな回答を引き出しています。

これまで必要な職場には予算が確保されてきています。今後、同じように必要性が認められる場合、主管課で予算要求して欲しいとの回答です。予算がないから振替を強いるという回答ではなく、代休の必要がある勤務形態であると認められれば予算を付けるという回答です。なお、主管課で予算措置がされていない年度においても、必要であれば人事課の予算での対応を検討することも確認しています。

今年も自治労都本部統一の春闘要求書を市当局に提出します。3月19日を全国統一行動日とし、諸課題の解決をめざしていきます。この春闘期、私どもの組合の重点課題は新年度に向けた人員体制の確立です。他にも新学校給食調理場の課題、住居手当見直し提案などに対し、精力的に労使協議を進めます。

来週発行する組合ニュースを通し、いくつか労使協議の成果を報告します。不妊症・不育症に係る休暇の新設、新型コロナウイルス感染症に係る特例として結婚休暇とリフレッシュ休暇の取得期限の延長などを労使合意しています。さらに組合が長年要求してきた昼食時の私物ゴミ処理の問題が解決します。これまで組合は私物ゴミの持ち帰りの中で衛生面等を考慮した見直しを求めてきました。

ゴミを減らすという方向性や分別廃棄の徹底を大前提とし、水分を含むゴミ等を峻別すべきではないかと訴えてきています。組合側の要請を受けた検討結果が示され、職員の昼食時等のごみの処理ルールを個人による処理から市に変更する方向性が確認され、事業系廃棄物として処理する費用が予算化される予定という報告を受けています。

「その程度のことが成果?」と思われる方も多いのかも知れませんが、組合が要求したことで変化を見出せる、このような結果を重ねていくことが組合の役割を組合員の皆さんにアピールできる機会につながるものと思っています。ローカルな労使協議の話が長くなりましたが、最後までご覧になっていただき、たいへん感謝しています。ありがとうございました。

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2021年1月31日 (日)

コロナ禍での野党の役割

緊急事態宣言が再発令され、Zoomでの会議が続いていました。木曜夜に連合地区協議会の幹事会、土曜には自治労都本部春闘討論集会に参加しています。休日に自宅から参加できるスタイルは組合役員の負担の軽減化につながるという利点もあります。

久しぶりのZoomでしたが、ミュートや映像のオンオフには慣れてきました。ただ手を挙げる機能が分からず、討論集会での質疑応答の際は画像から司会の方に気付いていただきました。その後「挙手」はリアクションボタンの中から見つけることができました。

さて、最近の記事では「危機管理下での政治の役割」「東京五輪の行方と都政の現場」というコロナ禍での政治の話題を取り上げてきています。今回は時事の話題を紹介しながら野党の役割に焦点を当てた記事を書き進めてみるつもりです。

菅義偉首相は27日の参院予算委員会で、野党の批判を受けて気色ばむ場面があった。立憲民主党の蓮舫氏から、自宅療養中に亡くなったコロナ患者数が昨年12月以降、全国で27人に上ったことについて問われたが、「大変申し訳ない思いだ」とのみ答弁した。

蓮舫氏は「そんな答弁だから、(国民に首相の)言葉が伝わらない」と迫ると、「少々失礼じゃないでしょうか」と色をなして反論。「緊急事態宣言が『後出しだ』とかいろいろな批判がある。迷いに迷って、悩んで悩んで判断をした。言葉が通じない(ことは)私に要因があるかもしれないが精いっぱい取り組んでいる」と理解を求めた。毎日新聞2021年1月27日

この後、蓮舫さんは「その精一杯は否定しません。ただ伝える努力が足りないと言っているんです」と返していました。いつも感情を表に出さない菅総理が珍しく気色ばんだことで注目を集めた場面でした。この場面をニュースで見た時、菅総理のほうの懸命さが伝わり、蓮舫さんの好感度が下がる質疑だったように思っていました。

やはりMCの坂上忍さんらから「正直、失礼だなと思いました。あの言い方は」という声が上がっていました。蓮舫さんも質疑を終えた後のツイッターに「いつも反省するのですが、想いが強すぎて語気を張ってしまうことを。提案した内容がきちんと皆さんに伝わるよう、引き続き取り組みます」と反省の弁を書き込んでいたようです。

テレビからの国会中継のニュースは注目を集めた場面が繰り返し映されます。要するに前後の場面は切り取られてしまう訳ですが、その瞬間のやり取りが事実であることに間違いありません。このような特性を充分理解し、質疑に立つ皆さんは緊張感を持続しながら一言一句に注意していかなければなりません。

政治家の皆さんは日頃から適切な言葉を繰り出せるように「言葉の反射神経」を磨く努力も必要です。しかし、それ以上に普段から幅広い知識や情報を取り入れながら頭の中で整理していく習慣化が重要です。様々な事象に対する見識を高め、政策に精通し、語彙を増やした質疑の中からこそ実のある国会論戦が生み出せるのではないでしょうか。

実は蓮舫さんが指摘した菅総理の「そんな答弁」の伏線は次のような質疑の中にありました。27日の参院予算委員会で立憲民主党参院議員の石橋通宏さんが蓮舫さんの前に質問の場に立っていました。刺激的な見出しの記事『菅首相の“最終的に生活保護”発言に戦慄の声「政治に殺される」』の中の一文を紹介します。

「政治は誰のためにあると思いますか」という質問から始まった。この問いに、菅首相は「国民のためです」と答弁。続く「社会的に弱い立場の方々のためにあるとお思いになりますか」との質問にも、「そのように思います」と返答した。さらに石橋議員は、新型コロナウィルスの影響を受けた生活困窮者への対策をめぐってこう追求した。

「収入を失って路頭に迷う方々が多数にのぼっています。命を落とされた方が多数にのぼっています。政府の政策は届いているのでしょうか」すると菅首相は、「例えば大事なのは、私は雇用と暮らしだと思っていました。やはり雇用を守り、暮らしをしっかり支えていく」と回答。そして、「政府には最終的には生活保護という仕組みも、そうしたセーフティーネットを作っていくのが大事」と答えたのだ。【女性自身2021年1月28日号一部抜粋】

最終的なセーフティーネットとして生活保護、菅総理の言葉は間違いでありません。しかし、コロナ禍という緊急事態の中で生活保護という選択肢の前に何か対策が必要ではないのか、このような質問の趣旨にかみ合った答えに残念ながら至っていない場面だったと言えます。

単なる言葉や説明が不足した答弁なのか、もしかしたら生活保護制度に精通していないのか、そのような疑念も生じかねません。野党議員の質問から菅総理の姿勢や資質を垣間見ることができる場面でしたが、テレビのニュースで多く取り上げられた映像は蓮舫さんの質問のほうでした。

コロナ禍の中で菅総理が精一杯取り組んでいることは理解しています。ただ一国のトップリーダーとして菅総理には、より望ましい結果を出し続けていく非常に重い責任が課せられています。そのような意味で『「菅さん、あなたに総理はムリだったね」全国民が思っていること』という記事などを目にすると非常に残念な思いを強めざるを得ません。

「小池が、犬と猿と雉を連れて来るんだって?」 2021年の新年は、コロナ禍とともに明けた。もはや隠しようもない。この国の為政者としての、菅による大失敗である。菅は、東京都の小池百合子知事が緊急事態宣言を要請すべく、1月2日に神奈川、埼玉、千葉の知事と共に官邸に乗り込んでくると聞いた際、冒頭のように吐き捨てた。

「菅さんは『小池のパフォーマンスにやられた』と地団太を踏んだ。ただ、その後の世論調査でも『緊急事態宣言が遅すぎる』という声が圧倒的多数を占めているように、先手を打てなかった総理の判断ミス。これまでのコロナ対応はすべて裏目に出ていて、焦る菅さんは官邸で怒鳴り散らしています」(官邸関係者)

菅は普段、小池のことを「おてもやん」と呼んで揶揄している。おてもやんとは熊本民謡などに登場する、白塗り厚化粧で頬に丸い紅という、滑稽で奇妙な容貌をイメージさせる女性像だ。「おかめさん」のような女性と言えば分かりやすい。

小池のことをその「おてもやん」に喩えて笑っているという話は、菅の周辺では有名な話だが、こんなことが小池の耳に入ったら、ただでさえ軋轢が噂される両者の関係が、ますます険悪になってしまうことは確実だ。【現代ビジネス2021年1月28日一部抜粋】

この後、政権の中枢を知る政府関係者の言葉が紹介されていきます。「官邸がまったく、機能していない」「菅総理に直接、進言をする人間が誰もいない。総理が話すのは、側近の和泉洋人補佐官だけ。菅さんは、自分の意に反する意見を聞くとキレて激怒してしまうから、誰も何も言えなくなった」

「田村厚労相が『コロナの感染状況が危機的だ』という報告をしたら逆鱗に触れ、同席した官僚が渡したペーパーを机の上に投げ捨てられたほど。田村大臣は精神的にかなり追い詰められ、心身ともに参っています」と続きます。このような生々しい話が漏れてくること自体、菅総理が周囲からの信頼を失っている表われだろうと思っています。

菅本人が宣言した通り、現在は緊急事態、日本にとっての国難だ。コロナの感染拡大は止めなければならない。だが、経済を崩壊させるわけにはいかず、同時に国民の生活を守らなければならない―。そこに明確な「正解」はない。そんなことは誰もが分かっている。だからこそ、国のトップは多種多様な意見に耳を傾け最善策を探り、その中で決断を下し、結果には責任を負うという、強い覚悟を示す必要がある。

だが、菅にはそれができない。「Go Toキャンペーンは感染拡大と関係ない」と強行しながら、批判を浴びると折れて中断する。「緊急事態宣言は必要ない」と言っていたのに、知事や世論の突き上げを食らうと、緊急事態を宣言する。「柔軟」なのではない。菅の場合、支持率の急落(1月9~10日、共同通信社調査で前月比9ポイント下落の41・3%など)といった「世間の顔色」を窺い、その場しのぎで泥縄式に対応をコロコロ変えているだけだ。【現代ビジネス2021年1月28日一部抜粋】

『現代ビジネス』の記事は上記のとおり手厳しい批判を加えています。菅総理の率いる政権与党の示す方向性に問題がある場合、より望ましい「答え」に軌道修正させる役割が野党に求められています。コロナ禍の中、よりいっそう国会の場で健全なチェック機能を果たせる野党の存在が欠かせないはずです。

ライターの石戸諭さんが『罰則規定なぜ求める?新型コロナとポピュリス』の中で問題提起しているとおり新型コロナ対策において罰則を強めることが有効なのかどうか疑問視する声は数多くあります。そのため、与野党の協議のもとに新型インフルエンザ特措法と感染症法の改正案が修正され、刑事罰を撤回したことなどは望ましい対応だったと思っています。

そもそも『菅政権がコロナ専門部会の議事録を隠蔽 刑事罰反対が大多数だったのに「専門家も賛成」と嘘! 菅の官房長官時代からの隠蔽改ざん体質』というLITEAの記事のとおり専門家の多数も反対だったのにも関わらず、偽りながら押し通そうとした政府の姿勢には驚いています。さらに罰則規定の必要性を要望した知事会側も刑事罰まで明確には求めていなかったようです。

本来、政権に対する信頼が低下し、内閣支持率が下降線をたどるような場合、対抗する野党側の支持率が上昇傾向に転じて然るべきです。残念ながら現状はそのような構図になり得ていません。消去法の選択肢として自民党が勝ち続けるようであれば政権運営に対する緊張感を高めることは望めません。

昨年9月の記事「新しい立憲民主党に期待したいこと」に託したとおり最大野党の立憲民主党には多くの国民から幅広い支持を得られるような奮起を願っています。先日、頻繁に訪問しているBLOGOSの中で、そのような願いに答えていただけるような兆しを感じた記事を目にしていました。

立憲民主党衆院議員の山内康一さんの『自民党に政権担当能力があるのか?【前編:安倍・菅政権のコロナ対応】』『自民党に政権担当能力があるのか? 【後編:立憲民主党は?】』という記事です。コロナ禍の中、野党として果たしてきた役割を伝えながら民主党政権時代の反省点を率直に綴られています。最後に、その記事の中で最も注目した山内さんの言葉を紹介させていただきます。

民主党政権の反省としては、初めての政権運営ということもあって、いわば「幼児的万能感」に包まれたスタートを切り、大人の対応ができなかったことがあげられます。たとえば、霞が関の官僚機構は、敵ではなく、それぞれの分野の専門家集団であり、協働作業をすすめるパートナーです。官僚主導の弊害が現れたり、役所の既得権化した事業が継続していたりといったことがあれば、それを正すのは政治の役割です。

しかし、そういう事例ばかりではなく、国家公務員を「悪らつな既得権集団」と見なすべきではありません。政治家と行政官は政策課題を解決するためのパートナーです。大臣や副大臣になった政治家は、緊張感をもって行政を監視しつつ、行政官を指揮監督するのが役割です。官僚を敵視していては、チームプレーができるはずがありません。

民主党政権でも官僚機構と適切な距離感をもって仕事をしていた大臣もいましたが、そうでない大臣がクローズアップされて目立っていました。菅総理のように官僚機構を人事権で強権的に支配するのも問題だし、官僚機構を敵視するのも問題です。

「政と官」の適切な距離感と関係性は政治学や行政学でも重要なテーマですが、その点で優れていたのは片山善博総務大臣だったとと思います。私は、民主党政権では片山大臣が「ベスト大臣」だったと思います。片山大臣のような仕事のやり方をモデルにして政権運営できれば、立憲民主党政権はいまの菅政権以上に機能すると思います。

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2021年1月23日 (土)

東京五輪の行方と都政の現場

「人の良い村役場か町役場の助役さんという感じ」、森元総理が菅総理を称した言葉です。1月3日の読売新聞朝刊に掲げられていたインタビュー記事の中で目に留まった言葉でした。「菅さんという人は本当にぼくとつな人ですね。あんなに真面目な人はいないですよ」という言葉の後に続く例えで、親しみをこめた文脈でした。

森元総理が菅総理を好意的に見ていることは分かります。ただ最近、よく耳にするマウントをとった語感が伝わり、菅総理が目にしても、助役さんたちが目にしても、あまり愉快な印象を抱かないのではないでしょうか。あえて例えなくても充分意図は伝わるため、要するに余計な一言だったように思っていました。

総選挙前の「無党派層は寝ててくれ」など森元総理の失言の話は数多くあります。本音をそのまま言葉にしてしまう正直な性格なのかも知れませんが、ご自身の発する言葉の重さや影響力に無頓着な政治家の代表格だったと言えます。その森元総理が東京五輪組織委員会の会長を務めています。

ちなみに「五輪」とはオリンピックのみを指す言葉で、パラリンピックを含めていません。メディアの多くがパラリンピックも含めた意味合いとして「東京五輪」と表記しています。本来、東京オリンピック・パラリンピックと記すべきなのかも知れませんが、このブログでも同様な意味合いで表記していくことをご容赦ください。

新型コロナウイルスの感染拡大によって緊急事態宣言の再発令が決まった1月7日、東京五輪の開催の可否について問われた際、森元総理は「不安?まったくありません」と語っていました。さらに「今の時点で何でやるやらないって議論するの。やるのは7月でしょ。今、オリンピックの準備は、ほとんど全部できている」と付け加えていました。

確かに「やるのは7月」ですが、入国制限の緩和時期の問題などが直面しています。7月までにワクチンの効果で日本国内では収束に向かっていたとしても世界中の国や地域で同じように足並みを揃えられているのかどうか分かりません。このあたりの事情を把握していないとは考えられないため、森元総理としては本音を隠した発言だったようです。

プチ鹿島さんの記事『菅首相が五輪開催をしたい本当の理由は… “強行開催”唯一の解決策は「森漫談」の中にあった?』の中で、森元総理の「私の立場では、今年難しいとは口が裂けても言えない」という言葉が紹介されています。結局、このような本音を示唆した言葉を漏らしてしまっては1月7日の発言が建前に過ぎなかったことになります。

坂井学官房副長官は22日の記者会見で、日本政府が東京五輪・パラリンピックの中止を結論づけたとする英紙タイムズの報道を否定した。「そのような事実はないときっちり否定したい」と述べた。同じ報道を巡り、2032年の開催を目指すとした内容についても否定した。

英紙タイムズは日本政府が非公式ながら東京五輪を中止せざるを得ないと結論づけたと報じた。与党幹部の「総意は(開催が)難しすぎるということ」との発言を紹介した。

坂井氏は新型コロナの感染拡大で東京五輪の開催が危ぶまれているとの指摘に「今年夏からの大会の成功に向けて政府として一丸となって準備に取り組んでいる」と強調した。一方で「当然、海外の状況等もあるし、どこかの段階で実際に開催するかの判断を行う」と発言した。

内閣官房は22日、「東京大会にかかる本日の報道について」と題した文書を公表した。「日本政府が東京大会の中止を非公式に結論付けたとの旨の報道がございましたが、そのような事実は全くございません」と記した。【日本経済新聞2021年1月22日

上記の報道から読み取れることとして、違約金の問題などがあり、日本側から中止や延期を言い出せない事情があるのかも知れません。しかし、決断が遅れれば遅れるほど避けられる出費や混乱が増していくはずです。そして、何よりも感染症対策の観点から東京五輪開催の可否を判断すべきではないでしょうか。

英紙タイムズの報道を受け、小池都知事は「私は一切聞いておりません。抗議を出すべきではないだろうか、このように思っています」と語っていました。この言葉を耳にした時、開催地の知事にも関わらず、蚊帳の外に置かれがちな現状に対する苛立ちを感じ取っています。

さらに森元総理と同様、本音と建前を使い分けなければならない立場だろうと斟酌しています。ただ昨年、開催延期が決まった以降、一転して新型コロナウイルス感染拡大の脅威を訴え始めた小池都知事の変わり身の早さを思い出し、「抗議を出すべき」という言葉の空虚さも感じています。

昨年7月の記事「都政の現場、新知事へのお願い」の中で、石井妙子さんの著書『女帝 小池百合子』について触れていました。コロナ禍の局面でも小池都知事は記者会見とテレビ出演を重ねて危機管理に「強いリーダー」を演じていると石井さんが指摘していたことを紹介しました。

都民に危機意識を広め、結果が伴っていけば批判されるものではありません。しかしながら小池都知事の場合、「自分がどう見られるか」を重視しがちとなり、本当に「都民ファースト」なのか疑問に思う時があります。『小池百合子都知事が緊急事態宣言前に放った“悪手”…東京都の感染者が減らない本当の理由』という記事などを目にすると本当に残念なことです。

前回の記事「危機管理下での政治の役割」を通し、より望ましい政治の役割を発揮するためには部下が直言しやすい懐深さを示し、多様な声に耳を傾ける姿勢を菅総理に要望していました。都政の現場においては、よりいっそう小池都知事に対して要望すべき点であるようです。

小池知事の指示に振り回され… 東京都「コロナ対応部局」で大量退職』という記事を紹介していましたが、週2回発行されている都政新報』からは様々な具体例に触れる機会を得ています。これまで目に留まっていた象徴的な事例の記事内容をいくつか紹介させていただきます。

小池都政では新しい取り組みを先に公表し、内容を詰めていく傾向があります。事業局の部長が公表方法について「おかしい」と問題視しても小池都知事に面と向かって苦言を呈することは難しく、耳に痛い忠告をすれば逆鱗に触れて人事異動の際に飛ばされてしまう懲罰的な人事が警戒されているそうです。

「知事を怒らせないように短期間で検討し、一定の成果を出すしかない」と嘆き、担当職員は多忙を極め、体調を崩すケースも出ています。『都政新報』の記者は「職員が疲弊して仕事の生産性が著しく下がれば、都民サービスの改善や向上も遅れてしまうことを知事は肝に銘じるべきだ」と指摘しています。

コロナ禍に見舞われた昨年、本庁部長の一人は「マシンのようだった」と振り返っていました。「トップダウンがここまできつかった都政は過去にない」「指令が突然降ってきて、都民の役に立つ感じがないまま仕事をさせられる」と語っています。現にやりがいやモチベーションを理由に退職する職員が続いています。

モチベーションの維持が難しいようでは良質な仕事につながらず、指令に従うだけの「思考停止」に対しては組織にもたらす長期的な悪影響を心配する声が上がっています。職員の声を「ごく少数の声」「アンチ」と切り捨てて耳を傾けないようでは、組織を改善に導くチャンスを失うことが『都政新報』の紙面を通して訴えられていました。

東京五輪の行方について、東京都だけで決められる問題ではありません。同様に新型コロナウイルス対策も東京都だけで進められるものではなく、国との連携を強めていく必要があります。ぜひ、政治的な思惑は横に置き、職員の力を適切に引き出しながら「都民ファースト」の都政の実現に向けて小池都知事には奮起して欲しいものと願っています。

年頭の記事の中で「コロナ禍から平穏な日常が戻り、世界中が歓喜に沸く夏になることを願っています。その一方で、専門家が五輪は無理と見通した場合、早めに決断することも賢明なことだろうと思っています」と書き添えていました。今回の記事を書き進めながら、ますますそのような思いを強めています。

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2021年1月17日 (日)

危機管理下での政治の役割

昨年6月末に「政治の現場での危機管理」、7月初めに「都政の現場、新知事へのお願い」という記事を投稿し、新型コロナウイルス感染症に対する国政と都政の現場での危機管理の現状について取り上げていました。今回、当時より深刻化しているコロナ禍での政治の現状について思うことを書き進めてみます。

前回記事「緊急事態宣言、再び」のコメント欄では、ぱわさんから交代制勤務を望む問いかけがあり、私から次のようにお答えしていました。このブログを訪れている方が必ずしもコメント欄までご覧になっていないものと思っていますので内容の全文を紹介させていただきます。

労使で考え方が異なり、真っ正面から論戦する課題も多くあります。その中で緊急事態宣言の再発令に伴い、交代制勤務を必須としない判断は対立案件となっていません。

ぱわさんの訴えに対応できず申し訳ありません。今回の記事本文に記したとおり人と接触しないことが最も効果的な感染対策であることは間違いありません。したがって、自宅から一歩も外に出ず、誰とも接触しなければ移すことも移されることもありません。

しかし、行政の仕事の大半はテレワークになじまず、エッセンシャルワーカー的な立場などがあります。完全な在宅勤務が難しい中、交代制勤務は感染確率を下げる次善の策だと理解しています。

4月に発令された頃は、一人でも感染者が出た場合、庁舎の広範囲で閉鎖しなければならない事態を危惧していました。そのため、交代制勤務は感染者が出た場合の業務継続のための対策にも位置付けていました。

その後、感染した職員が出た後の保健所の指示は次のとおりでした。マスクを付けている時間のみの接触であれば感染者と席を隣接していた職員は濃厚接触者に当たらないというものでした。

感染確率を下げる対策を軽視している訳ではありませんが、それ以上にマスク着用や消毒等による対策を徹底化することに重きを置いています。業務が多忙な時期だから交代制勤務は行なわないという発想だった場合、職員の安全や健康を二の次にした考え方だと見られかねません。

都政新報』にH市の労務課職員の「4月の時はコロナの全貌が全く分からない状況で感染抑止する必要があったため、全庁的な勤務体制をとったが、この1年間で職場での感染防止のノウハウがある程度ついてきた」という見解が掲げられていました。

このような経緯や考え方を踏まえ、組合としても交代制勤務を必須としない判断を受け入れています。私自身の思いは年末から年始にかけて投稿しているブログ記事に託しているとおりです。

一日も早く平穏な日常が戻ることを願っていますが、一方で長丁場の闘いになることも覚悟しています。だからこそ持続可能な対策の必要性を認識しています。今後、ロックダウンに近い緊急事態宣言に切り替わる場合などもあるのかも知れませんが、現時点での考え方を改めて説明させていただきました。

前回の緊急事態宣言直後に比べて人出の減らないことがしきりに報道されています。「午後8時以降、不要不急の外出自粛」という要請内容だったため、菅総理が主導した政府の狙い通りの行動変容の結果だろうと思っていました。

上記で紹介したH市の労務課職員の見解にある「感染防止のノウハウがある程度ついてきた」という経緯のもとにメリハリを持たせ、前回の緊急事態宣言とは一線を画した政治的な判断を下したものと見ていました。

しかし、当初から政府全体の意思としては「全日、最大限外出は控えて」というものであり、「特に午後8時以降は」という宣言内容だったようです。国民に誤解を与えたというレベルではなく、ジャーナリストの尾中香尚里さんの『これは本当に緊急事態宣言なのか「最後の切り札」無力化した菅政権の責任』という論評にうなづくばかりです。

そもそも「GoToイート」なる経済振興策を打ち出して、国民に会食するようあおってきたのは、当の菅首相自身である。その人がいきなり、つい先日まで訴えてきたのと正反対のことを、何の総括もなくいきなり打ち出す。菅首相はこれで本当に「国民はついてくる」と考えているのだろうか。

上記は尾中さんの嘆きですが、菅総理には国民の心に響くような発信力どころか、最低限の説明能力にも問題が多々見受けられています。『迷走の菅首相 言い間違え、質問に答えず…西村、尾身両氏がフォロー』という報道記事にあるとおり重要な場面で「福岡県」を「静岡県」と言い間違えています。

記者会見で国民皆保険の見直しを示唆するような答えに至っては記者の質問内容を正確に理解できず、『<新型コロナ>病床は世界最多、感染は欧米より少ないのに…なぜ医療逼迫?』という現状を的確に把握していない証しだと言われても仕方のない場面でした。弁護士の郷原信郎さんは『緊急事態宣言拡大、菅首相発言が「絶対にアカン」理由』と手厳しく批判しています。

菅総理には私たち国民の命と暮らしを守るため、最も重い責任と役割の発揮が求められています。そのため、至らない点があれば厳しい言葉を浴びせられる局面が続くことも覚悟願わなければなりません。感染の再拡大がなく、GoToの推進によって経済が立ち直っていれば菅総理の評価は高まるばかりだったはずです。

新型コロナという未知の問題について結果論で批判するのはフェアでなく、「これ以上うまくできる政治家が誰かいるかって考えると見当たらない」と菅総理を擁護する声もあるようです。しかし、危機管理下での政治の役割として、残念ながら結果が出せなければ国民の命と暮らしを守ることはできません。

平時であれば「やってる感」の政治でも一定の支持は得られていたのかも知れません。コロナ禍という深刻な危機の中、一国のトップリーダーとして菅総理には、より望ましい結果を出し続けていく非常に重い責任が課せられています。決して結果論からの要望ではなく、菅総理とその周囲の皆さんに奮起して欲しい点があります。

昨年10月の記事「菅総理へのお願い」の最後に「ぜひ、国民のためにも多様な声に耳を傾ける姿勢を強め、官僚や有識者が手厳しい話を萎縮せずに訴えられる懐の深さを示されるよう切に願っています」と記していました。ここ数か月、そのような思いがますます強まっています。

「尾身さんを少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」“やり手”のはずの菅首相、新型コロナで無力な理由』『頑なにコロナ対策の失敗を認めない菅首相 ブレーンの心も折れたか』という記事に示されているとおり菅総理が謙虚に専門家の意見に耳を傾けてきていたのかどうか甚だ疑問です。

朝日新聞の記事『コロナ対策迷走、強すぎた官邸 元次官「知恵集められず」』の中では人事権を掌握した「強すぎる官邸」を前に官僚たちは直言や意見することを控えるようになっていたことを伝えています。「官邸に行きたいが、菅さんの機嫌が悪いようだ」という言葉が交わされるほど官僚たちは官邸を恐れ、萎縮している現状と元事務次官の下記のような言葉も紹介しています。

官邸を恐れて遠ざかる官僚。そして知恵を出さない官僚たちを信頼できず、トップダウンで指示を出す官邸官僚。布マスクの全戸配布などの迷走したコロナ対策は、官邸主導の負の側面が凝縮したかのようだった。元事務次官の一人はこう残念がる。「新型コロナの対策は未知のことばかり。こんな時こそ、霞が関の知恵を結集させるべきだが、それができていない」

今、緊急事態宣言は迷走しています。前回記事に「全面的な休業を求めない理由が財源的な問題だとしたら極めて中途半端で不誠実な政治判断だと言わざるを得ません」と記しました。このように休業補償の問題が不充分なまま罰則のみ強化されていくのであれば、それはそれで極めて不信感の高まる政治の動きです。

「出勤者7割減をめざし、テレワークを推進」という要請内容も結局のところ国が直接補償しなくて済むため、安易に打ち出しているように見受けられます。出勤者の抑制もビジネス街の飲食店等の経営を圧迫しています。経済に打撃を与えながら感染を抑制できなかった場合、虻蜂取らず、このような言葉が思い浮かびます。

たいへん長い記事となっています。都政の現場についても書き進めるつもりでしたが、機会があれば次回以降の記事で取り上げてみようと考えています。その上で最後に、文春オンラインの記事『小池百合子都知事が緊急事態宣言前に放った“悪手”…東京都の感染者が減らない本当の理由』も紹介させていただきます。

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2021年1月10日 (日)

緊急事態宣言、再び

新年早々の前回記事は「平穏な日常に戻れる2021年に」でした。昨年末には「迷走するGoTo」「コロナ禍の2020年末」という新型コロナウイルス感染症に関する記事を立て続けに投稿しています。

そろそろコロナ禍の話題から離れた内容の投稿も考えていましたが、今週末、やはり新型コロナウイルスに絡む時事の話題を取り上げることになりました。1月8日から2月7日までの1か月間、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県を対象に緊急事態宣言が再び発令されました。

前回の宣言時と同様、行政の文書では「発出」とし、メディアは「発令」という表記が多いようです。国民に対する要請が中心であり、命令するという意味合いではないという理由をはじめ、宣言自体が国から下部行政組織への通達の範疇であり、正式な行政文書は「発出」とされています。

これまで当ブログでは表記を特に統一していませんでした。今回の記事タイトルは「再び」とし、本文中は「発令」と記していくつもりです。今回、法的な位置付けは昨年4月に発令された宣言と同じですが、要請内容と国民側の受けとめ方に大きな変化が見られています。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が再発令されて初の土曜日となった東京、埼玉、千葉、神奈川の9日正午時点の人出は、前回の緊急事態宣言直後の土曜日(昨年4月11日)より多かったことが、スマートフォンなどの位置情報から滞在人口を推計するNTTドコモの「モバイル空間統計」のデータでわかった。今回の宣言でも「不要不急の外出自粛」が呼びかけられているが、前回より効果は限定的となっている。

東京都内の新宿、銀座、渋谷センター街や、周辺3県の主要駅(横浜、千葉、大宮)周辺の正午時点の人出について、感染拡大前の土曜日(昨年1月11日)と比較した。銀座、渋谷、新宿では、前回宣言時はいずれも感染拡大前より人出が7割前後減少していたが、9日は3割台の減少にとどまった。横浜、千葉、大宮各駅でも、前回の減少幅は6~7割に上ったのに、9日は1~3割しか減らなかった。

一方、スマホの位置情報を利用するソフトバンク系のIT企業「アグープ」のデータを分析すると、宣言初日の8日、午後8時以降の人出は、前日の7日と比べて渋谷センター街で2~3割、新宿・歌舞伎町でも1~2割減っていた。ただ、昨年4月の宣言後の平日と比べれば、いずれの場所も人出は増えていた。【読売新聞2021年1月9日

前回の宣言直後よりも人出が多く、感染拡大前の土曜日よりも減っている、このように報道されています。今回の要請内容に沿えば当然の結果だろうと思っています。「午後8時以降、不要不急の外出自粛」とされているため、土曜の昼間、必要な買い物等で外出する方々が多いことについて特段驚きません。

逆に昼間の営業を認めていながら繁華街から人出が消えてしまうような事態に至った場合、店を開けている事業者の売り上げは皆無となります。万が一、全面的な休業を求めない理由が財源的な問題だとしたら極めて中途半端で不誠実な政治判断だと言わざるを得ません。

宿敵・菅首相が自滅…緊急事態宣言発出で“不戦勝”小池都知事は高笑い』という記事にあるとおり今回の宣言は小池知事に菅総理が押し切られて発令したように見られています。もともと菅総理は移動そのもので感染は拡大しないと考え、マスクを外さなければならない会食時が最も注意すべき場面だと訴えてきています。

とりわけ酔いすぎると注意を怠りがちとなるため、午後8時までという営業時間の短縮が効果的な対策の一つだと考えられていたようです。緊急事態宣言の再発令を求める国民からの声が高まる中、感染者数の急激な拡大を受け、菅総理は経済への影響を憂慮しながら宣言に踏み切ったものと見ています。

菅総理は「アクセルとブレーキを踏みながらやっている」という言葉を多用していました。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるように映っていることを懸念していましたが、菅総理自身、元旦に放送されたテレビ神奈川の番組で「アクセルとブレーキを同時に踏むこともある」と語っていました。

この話を知って「えっ!」と驚きました。ネット上の掲示板等でも「あり得ない例え」と指摘されているとおり言葉の使い方としても、総理大臣の国民に向けた発信の仕方としても非常に不可解なメッセージだと思っています。

当初、緊急事態宣言が再発令される動きを耳にした時、飲食店に午後8時までの時短営業を要請するための法的根拠として発令するのだろうと推測していました。加えて、感染拡大する中、改めて個々人の対策に向けたマインドを高める機会につなげることも意識した判断なのだろうと考えていました。

つまり小池知事らの要請を受けた判断だったとしても、菅総理自身の「経済を急激に止めない」という軸足は大きくずらさない宣言内容が中心になるものと見ていました。そのような意味合いで見た時、1都3県の知事の「全日、最大限外出は控えて」という言葉と「午後8時以降、不要不急の外出自粛」という要請内容とのギャップに戸惑いを覚えています。

さらに「出勤者7割減をめざし、テレワークを推進」という要請内容も非常に悩ましい思いを強めています。人と接触しないことが最も効果的な感染対策であることは間違いありません。しかし、業態としてテレワークになじまない、もしくは対応できない事業所等がどれだけあるのか把握した上での要請なのか疑問です。

特に私ども自治体の業務は個人情報の問題、エッセンシャルワーカー的な立場などがあり、7割減は到底難しい数値目標です。官公庁は直接的な対象となっていませんが、今後「率先垂範」という考え方のもとに交代制勤務等を取り入れる可能性もあり得ます。

ぱわさんから前回記事「平穏な日常に戻れる2021年に」に切実な訴えのコメントが寄せられていました。昨日の朝、そのような訴えに直接応える判断を下していない組合執行部としての悩ましさをお答えさせていただいています。

話が広がりがちで恐縮です。もう少し続けますが「国や医師会に憤りを感じる。このままでは医療崩壊だけでなく“居酒屋崩壊”だ」緊急事態宣言の再発出を前に、厚労省の元医系技官が訴え』『元厚労省医系技官 コロナ対策で経済止めれば医療ではなく社会が崩壊』という専門家らの声もあります。

新型コロナウイルス感染症の向き合い方として絶対的な正解を絞りきれない現況です。政治家が戸惑い、迷いがちな局面が続くことも仕方ないのかも知れません。それでも政治家のリーダーシップで望ましい結果を出している国もあります。昨日『報道特集』でも新型コロナ対策の成功国としての台湾を取り上げていました。

再び、発令された緊急事態宣言によって感染拡大が減少傾向に向かうことを誰もが願っています。宣言の延長の可能性を問われた際、菅総理は「仮定のことについて私からは答えは控えたい。とにかく1か月で何としても感染拡大防止をしたいという思いで取り組んでいきたい」と述べていました。

菅総理には結果を出さなければならない重い責任が課せられているため、このような言葉の不充分さを感じています。思いや決意表明だけでは国民に安心感を与えることはできず、1か月で効果が上がらなかった場合の答え方にも頼りなさを感じさせています。

確かに発信力では菅総理よりも小池知事のほうが上かも知れません。その小池知事も「都政の現場、新知事へのお願い」に記したとおり残念な点が多々見受けられ小池知事の指示に振り回され… 東京都「コロナ対応部局」で大量退職』という現状です。最後に、コロナ禍の中で奮闘しているリーダーや自治体の事例があることも紹介させていただきます。

「歌舞伎町のホストクラブが危ない」と極めて局所的な話をしていた頃が遠い昔のようだ──。いまや全国津々浦々、あらゆる場所が新型コロナウイルスの「感染拡大地域」となっている。

しかし、地域によって、死亡者数や重症者数に大きな差があるのも事実。その背景には、自治体ごとの「対策」に差があるとも言われている。血液内科医の中村幸嗣さんはいう。

「日本は感染症の流行が少なく、感染症対応の経験がある医療従事者も少ないため、病院単独での準備は難しい面もある。それでもこの冬までに地域としてどういう対策をしてきたかが“結果”に表れています」

鳥取は平井伸治知事のリーダーシップのもとで「疑わしきは検査する」との方針を貫き、PCR検査が可能な数を人口当たり全国最多水準の1日約4800検体まで増やし、感染者全員がすぐ入院できるようにした。その対策により、中国5県で最も医療態勢が脆弱とされて高齢者も多い県ながら、死者ゼロを維持している(1月2日現在)。

鳥取と同じく死者ゼロの島根の取り組みも功を奏した。国際医療福祉大学病院内科学予防医学センター教授の一石英一郎さんはいう。「島根では高齢者施設でクラスターが発生しておらず、在宅療養者を出さない早めの対策が奏功していると考えられます。今後に向けての対策も進めており、今年7月には無症状者や軽症者を受け入れる宿泊療養のプレハブ施設を松江市内に建設する予定です」

中村さんは島根の“隔離政策”に着目する。「島根大学の職員が仕事で東京に行って戻ってきたら、大学から14日間の隔離を命じられたそうです。過剰な反応ではありますが、ウイルスを持ち込ませない、感染させないために最も強力な対策は隔離なので、感染拡大地域を往来した人を隔離することは理にかなっています」

死者4人(1月2日現在)と健闘する長崎はどうか。「感染初期に長崎大学熱帯医学研究所がクルーズ船『コスタ・アトランチカ』に対応し、その後も大学と自治体が同じ方向を向くことで感染拡大を抑え込んでいます。地方のため人口過密地域が小さいなど有利な面もありますが、大学と自治体がうまく連携すれば感染を抑えられるという好例です」(中村さん)

一石さんが注目するのは、栃木県の那須塩原市だ。「近いうちに、希望する市民がPCR検査を1000円で受けられる事業を実施すると報じられました。原資となるのは、昨年12月に引き上げた入湯税の一部というユニークな取り組みです」

住民の命を守るリーダーが何をしているかに目を凝らす必要がありそうだ。【女性セブン2021年1月21日号

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2021年1月 1日 (金)

平穏な日常に戻れる2021年に

あけましておめでとうございます。  Usi_2

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであり、せめてお正月ぐらいはイラストなどを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。

2005年8月に「公務員のためいき」を開設してから894タイトル目となります。必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で52点の記事を投稿していました。一時期に比べ、お寄せいただくコメントの数が減っているため、1日あたりのアクセス数は減っています。

以前、Yahoo!のトップページに掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録です。その頃に比べると2桁違う数で推移しています。ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり一人でも多くの人たちにご訪問いただけることを願っています。

特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。そのため、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることがブログを続けていく大きな励みとなっています。

2012年の春頃からは背伸びしないペースとして、コメント欄も含め、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わるようにしています。そのことだけが理由ではないようですが、前述したとおりお寄せいただくコメントの数は減っていました。それでも記事内容によっては貴重なコメントをお寄せいただけているため、このブログをご注目くださっている皆さんにいつも感謝しています。

さて、今年は丑(うし)年です。年賀状には【「牛も千里、馬も千里」という諺があります。早くても遅くても、上手でも下手でも行き着く結果は同じだから慌てるなという意味です。2021年、慌てず、コロナ禍から必ず平穏な日常に戻れる日が来ることを待ち望んでいます。と書き添えていました。

昨年末、「迷走するGoTo」「コロナ禍の2020年末」という記事を投稿していました。新型コロナウイルス感染症によって、これまで経験したことがなかった日常を強いられています。年頭の記事でも避けることのできない話題として取り上げなければなりません。

12月27日、立憲民主党の羽田雄一郎参院幹事長が53歳という若さで急逝されたニュースに接しました。死因は新型コロナウイルス感染症でした。24日深夜に発熱し、そのわずか3日後に容態が急変し、お亡くなりになっています。大晦日、東京では新規感染者数が1,300人を超えています。

新型コロナウイルス感染症によって亡くなられた方々に衷心よりお悔やみ申し上げます。また、この瞬間に感染症と闘われている方々のご回復をお祈りしながら、ともに闘われている医療従事者の皆さんのご努力に心から感謝申し上げます。

これ以上、医療従事者の皆さんの負担を増やさないためにも、感染しない、感染させないという一人一人の心構えが重要です。「自分は大丈夫」という過信は禁物であることを改めて心に刻まなければなりません。

感染者がいなければ密閉されていても、密集、密接していても、新型コロナウイルスに移されることはありません。マスクをせず、大声で語り合っても問題ありません。消毒も不要です。しかし、無症状の感染者が一人でもいた場合、たいへんな事態になります。

マスクの着用や三密などの感染症対策は自分自身の予防という側面もありますが、人に移さないための守るべきマナーという側面が濃くなっています。ワクチンや特効薬が普及し、集団免疫が確認できるまで、もしかしたら感染しているかも知れないという意識のもとに行動していく必要があります。

2か月前の記事「グローバルな話題に一言二言」の中で「人類の誕生とともに感染症との闘いの歴史が始まっています」と記していました。ウイルスに完全敗北を喫することはなく、これまで感染症との闘いから人類は立ち直ってきています。世界中で5億人以上が感染した 「スペイン風邪」は1918年から流行し、翌年に終息しています。

年賀状に一言添えたとおりコロナ禍から必ず平穏な日常に戻れる日が来るはずです。その日が早く訪れることを切望していますが、慌てないことも肝要です。すぐに終息しないことを覚悟し、長丁場の闘いとして持続可能な対策を心がけていくことが欠かせないのだろうと考えています。

各種世論調査で緊急事態宣言の再発令を求める声が半数を超えているようです。『コロナ論』の中で訴えている小林よしのりさんの「経済のほうが命より重い」という言葉は肯定できませんが、私自身、再度の緊急事態宣言は可能な限り避けられればと考えています。

人と人との接触機会を減らせば感染する機会が減るため、緊急事態宣言が感染拡大を防ぐ手段として有効であることは確かです。一方で、欧米の現状と日本の違い、ファクターXがあることも間違いないようです。そのため、新型コロナ対策の成功国としての台湾を心強い手本にすべきものと考えていました。

ただパンデミックの終息が宣言されるまでGoToというアクセルは「慌てすぎ」だったものと思っています。アクセルは踏まず、車を止めないけれども、ゆっくり走行していく「エンジンブレーキ」という発想が望ましかったのではないでしょうか。

残念ながら感染者が日々拡大している日本の現状において、台湾を手本にできるような局面ではないのかも知れません。それでも間に合うのであれば経済や財政に大きな負荷をかける緊急事態宣言というブレーキは避け、アクセルは踏まないまま車を止めず、平穏な日常に戻れる日が来ることを待ち望んでいます。

そして、いかに犠牲者を少なくするかが最も大事なことです。そのためにも医療崩壊は防がなければならず、前述したような個々人の心構えの大切さとともに財政的な支援を集中すべき領域だと言えます。それこそ政治の出番ですが、第2波の後、第3波に備えた医療資源に対する支援策は手薄だったように感じていました。

2021年、昨年開催されるはずだった東京オリンピックとパラリンピックが予定されています。コロナ禍から平穏な日常が戻り、世界中が歓喜に沸く夏になることを願っています。その一方で、専門家が「五輪は無理」と見通した場合、早めに決断することも賢明なことだろうと思っています。

新年早々の記事が新型コロナウイルスの話のみで終わることになります。今年も当ブログは実生活に過度な負担をかけないよう留意しながら週に1回、引き続き土曜か日曜に更新していきます。その際、意外な話題を取り上げる時もあろうかと思います。ぜひ、これからもご注目いただければ幸いです。

最後に、いつもお正月のみ少し変則な日程となっています。次回は来週末に更新する予定です。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

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