2009年12月27日 (日)

2009年末、改めて当ブログについて

最近、ある執行委員から「いつも記事本文しか読んでなくて、久しぶりにコメント欄にも目を通したんですが、たいへんですね」と声をかけられました。確かに先週は普段より労力と気力を使った1週間だったかも知れません。また、その執行委員の言葉にもありましたが、定期的に当ブログを訪れてくださっている人たちが必ずしもコメント欄までご覧になっていないようです。

そのため、時々、コメント欄で交わされていた内容を改めて紹介しながら、最新記事を綴ることがありました。前回の記事「竹原市長の問題点」の中でも、あまのじゃくさんのご意見を数多く引用させていただきました。前々回記事「阿久根市長の常識、世間の驚き」のコメント欄で、あまのじゃくさんから「市長は特権や既得権益を開放しているように見えるから、権利の議論をすべきである。まずその議論を行なわなければ、市長の言動が理解できない」という趣旨の投げかけがありました。

この提起に対し、私から「あまのじゃくさんのコメントに対するレスを意識しながら新たな記事をまとめてみるつもりです」と答えていました。その経緯を踏まえた上で、私は「権利」問題の議論は横に置かせていただきました。この判断は結果として、あまのじゃくさんを怒らせ、意図的な「論点ずらし」を行なっているように見られてしまいました。私としては、前回の記事でも記したとおり以前の記事(公務員批判への「答え」は? Part2)などの議論を通し、あまのじゃくさんへ公務員の「権利」問題に対する自分なりの考え方を示していたつもりだったからでした。

前回記事のコメント欄で、あまのじゃくさんから「特権の是非を保留するのなら、私の問題提起と異質な話と見做すしかありません」と指摘を受けました。それに対し、私からは「権利」問題の終着点が正しいものだったとしても、その目的を達成するために「何を行なっても許される」という発想や手法を強く批判していることを改めて説明させていただきました。さらに余計な一言として、「竹原市長の手法の是非が土俵であり、相撲を取ろうと思っている相手にボクシングを挑まないようご協力ください」と付け加えていました。

この私からのレスは、あまのじゃくさんを「多様な意見を期待すると言っておきながら、突然ここは相撲場だ、ボクシングなんて認めんとは不愉快極まりない。これにて失礼する」と憤らせ、「自分の都合の悪い話に耳を傾けない者は誰なのか?」という残念な誤解を与えてしまったようです。このような別れ方は非常に不本意なものであり、私からは次のようなお詫びと釈明を加えさせていただきました。なお、引用を多く使うと、いっそう長い記事となりそうですが、ご容赦ください。前回記事のコメント欄からの転載部分は赤字で示していますので、一度、ご覧になった方は、読み飛ばしてください。

初めに誤解を与えた点などは謝らなければなりません。あまのじゃくさんの前回記事へのコメントに対し、「権利」問題を中心にしたレスを行なうような印象を与えた点はお詫びします。合わせて、その内容の議論を横に置くと言いながら今回の記事で、あまのじゃくさんのコメントを多数引用していた点も適切ではなかったかも知れません。

また、「多様な意見を認め合った議論ができることを願っています」と書きながら、あまのじゃくさんのコメント内容に対して「土俵上でのボクシング」と表現した点は非常に不適切なものでした。不愉快な思いを与えてしまい、たいへん申し訳ありませんでした。

なお、繰り返しのような話となりますが、公務員の「権利」問題など是正すべきものは是正すべきというのが私の考え方です。その上で、使用者の視点のみで労働条件の問題などが一方的に改められる手法には反対の立場です。このような基本的な立場は、今回の記事本文でも紹介した以前の記事(公務員批判への「答え」は? Part2)などで述べてきたものです。

阿久根市職員の賃金水準が地場の相場との乖離があり、見直しが必要な場合、大きく二通りの方向性が考えられます。一つは公務員制度全般の改革です。もう一つは、独自な労使交渉を尽くした上での労使双方が合意できる決着点を探ることです。その際、当然、労使それぞれが阿久根市民の皆さんの声を重く受けとめた中で判断していくことになるものと思っています。

そして、ここから先が論点の枝分かれになっていくのだろうと見ています。このような方法では、大胆な削減はできないと思われる方々がいらっしゃるはずです。同時に以上のような主張が結果的に自分たちの既得権を守るための方便だと言われるかも知れません。

しかし、社会全体の雇用が劣化した中、本来「平均」と見なしてきた公務員賃金を下へ引っ張る力が強まっていけば、先ほどの述べた手法でも大胆な見直しがあり得るものと考えています。ちなみに私自身の思いとしては、社会全体の賃金水準が底上げされていく方向性を理想視しています。

公務員賃金の問題に対する個人的な見解を改めて述べさせていただきました。このような面からも竹原市長の職員組合を敵視する姿勢は不当だと思っています。職員組合を本当に敵だと見ている皆さんにとって、竹原市長の破壊的な手法は喝采の対象となっているようですが、たいへん残念な構図だと感じています。

長々と書きながら、かえって分かりづらくしているのかも知れませんが、私自身の中では前回と今回の記事も一貫した主張を展開しているつもりです。めざしているゴールが本当に正しいものだったとしても、竹原市長の手法は大きな問題であるものと考えています。特権の是非を留保と述べたのは、そのゴールが正しくても間違っていても、手法が誤りという論点は同じだからでした。

そのように考えている中で、あまのじゃくさんのご意見は「めざすべきゴールが正しいのだから、手法の誤りは許される、些細な問題だ」というように聞こえ、「だからゴールの正しさを認識し合うべきだ」と指摘されているように受けとめていました。つまり論点をずらそうとしているのは、あまのじゃくさんだと感じてしまい、いろいろ失礼なレスにつながってしまいました。日頃から言葉遣いは注意しているつもりですが、不愉快な表現などがあった点は冒頭申し上げたとおり反省しています。

残念ながらその後、あまのじゃくさんからコメントは寄せられていません。ただ【竹原信一という男】BBSでの書き込みを拝見していると、引き続き当ブログを訪れてくださっているのかも知れません。今回の記事でも、あまのじゃくさんとのやり取りを大きく取り上げさせていただきましたが、たいへん重要な論点だったため、私なりの判断でまとめています。ぜひ、ご理解ご容赦ください。

なお、あまのじゃくさんから「私に異論のある方は件のBBSに書き込んでください」と言われていましたが、私自身、週1回の記事更新とコメント欄での対応が手一杯という現状です。このブログの話題が取り上げられているのを目にし、そのBBSに初参加しようかどうか少し迷いましたが、前述したような事情から見送っていました。言うまでもありませんが、BBSで議論されている方々が当ブログを訪れてくださることは心から歓迎する立場です。

前回記事のコメント欄には、他にも多くの皆さんから貴重なご意見やご指摘が寄せられました。その中で、mobileSEさんからのコメントには大きなショックを受けました。これまで当ブログの記事内容を読まずに先入観で批判される方々も少なくありませんでした。それに対し、mobileSEさんは「このブログの全ての記事を2回ずつ目を通しています。一度目はコメントも含めて時間をかけて読みました。二度目は本文のみ最初から最後まで一気に読んでいます」とのことでした。

そして、熟読された結論として、mobileSEさんは「これだけの長い期間、多種多様な意見を目にしているのに、主張にぶれがまったく現れない。たしかに見事ですが、これが何を意味していると思いますか?」と述べられ、「自分の考えが絶対で異論を受け付けていないのはどちらの方なのか」という厳しい口調で問われていました。この問いかけは当ブログの基本的な土台にかかわるものであり、私から次のようにお答えさせていただきました。

mobileSEさん、そこまで当ブログをお読みいただいたことについて、本当に有難く思っています。この気持ちは正直なものです。

ただmobileSEさんが抱かれた印象に対しては、とても残念な思いは昨夜述べたとおりです。これまでブログのコメント欄を通し、また、実際の場面でも、そのような見られ方をされたことはありませんでした。内容面での批判は数え切れず、私のレスの歯切れの悪さを非難されたこともありましたが、全体を通して「自分の考えが絶対で異論を受け付けていない」という指摘は初めてでした。

確かに私自身の考えは、基本的に一貫しています。公務員も含めて労働組合の必要性について、この点に関してはぶれていません。そこに疑念を抱くようでしたら、組合役員を続けていません。その上で、私自身は「このように考えていますが、皆さんはどう考えますか」という基調で常に記事を綴っています。つまり結論を押し付けるような物言いを意識的に避けています。

私の文章を読まれた方々が、少しでもその主張に対して理解いただければ幸いだと願いながら続けています。自分の主張が絶対正しく、そのことを理解できない方々が問題あるというような押し付けもしていません。あくまでも読み手の皆さんにどう判断いただくかという点を重視してきました。

このような基本的な考え方があり、「多様な意見を認め合った議論ができることを願っています」という言葉につながっています。このスタイルが「議論を期待しない」となるのかどうか私自身には理解できません。この場合も、あくまでも「私はこのように考えている」であって、mobileSEさんがそのように感じたことを否定するものではありません。

「言葉が綺麗」かどうかも分かりませんが、インターネット上で匿名での意見交換となりますので、できる限り言葉遣いには注意してきました。重ねて残念に思うのは、開設当初からの記事を熟読いただいたmobileSEさんから、このブログの文章から「先入観を持たずに考えてみてもらえないでしょうか」という言葉が投げかけられてしまう点でした。何か欺瞞に満ちた文章のような言われ方ですが、私自身は立場の異なる人たちにも少しでも届くような言葉を重ねてきたつもりでした。

そして、mobileSEさんは私自身が変わっていないことに最も憤られているようですが、なぜ、そのように断定されるのでしょうか。mobileSEさんが描いている公務員像と離れたままであるという点が大きいのでしょうが、もしかしたら確かにその価値観とは一致できないのかも知れません。

その上で、確実に私どもの市役所は変わり続けています。以前の記事に書いたとおり10年前、20年前と比べての話となりますが、そのことを体感しています。20年前が「ぬるま湯」すぎたという強い批判を受けるかも知れませんが、現状のまま立ち止まっていないことは確かです。

また、このブログを通し、厳しい率直な意見に数多く触れる機会があることで、公務員組合の置かれた立場などを以前より客観視できるようになっていました。ブログの記事からは伝わらないのかも知れませんが、そのことが非常に重要な判断材料になっています。いずれにしても、まったく私自身に変化がないように決め付けられることにも大きな違和感がありました。

市内の方だと伺いましたが、実際に私どもの役所の日常をご覧になって批判されているとしたら、まだまだ至らない点が多いことを猛省しなければなりません。長々と「泣き言」のようなことを書いてきましたが、やはりインターネットを介して伝え切れない思いも残ります。

mobileSEさんがよろしければ、いつでも直接お会いしたいものと思っています。誤解を解ける場となるのか、私自身の不充分さを改めて認識する機会となるのか、たいへん興味深いものがあります。この問いかけがネット上での議論におけるルール違反のように感じられたら申し訳ありません。黙殺してくださって結構ですので、失礼致しました。

私からのお願いを「ルール違反」と受けとめられずに安堵したところでしたが、時間を置いた上で機会があればお会いすることとしています。この二人のやり取りについて、kさんらから温かい言葉のコメントもいただきました。常に賛否が交わされるコメント欄であるからこそ、ここまで心が折れることもなく、このブログを続けられてきたものと思っています。なお、あくまでも私の判断で各コメントの一部分を切り取った紹介となっていますので、ぜひ、お時間が許される方は当該のコメント欄を一読いただければ幸いです。

さて、2009年も数日を残すのみです。今年最後の記事となる予定ですが、いつものことながら、たいへん長くなって恐縮です。さらに続けますが、上記に示した2点のコメント内容の中に私なりの様々な問題意識を詰めていました。そのため、若干繰り返しのような話も含まれていますが、改めて当ブログの目的や位置付けなどについて次のとおり整理してみました。

  1. 公務員やその組合の言い分をインターネット上に発信し、不特定多数の皆さんに少しでも理解いただけることを願いながら続けています。その際、多様な考え方があることを前提としているため、意識的に断定調の表現は避けています。私自身が正しいと思っている内容を訴えていますが、ブログを閲覧された人たち全員から賛同を得られることは稀だろうと見ています。あくまでも当ブログの記事内容やコメント欄での議論に接した人たちが、どう受けとめるのかであって、全員が納得できるような結論を出すことを目的としていません。
  2. コメント欄を通し、様々な立場や視点からのご意見を伺えることを貴重な目的としています。厳しい批判意見があることを受けとめ、日常的な活動を進められる意義を大きなものと認識しています。そのような本音の声を把握できないまま、公務や組合活動を担うのは、街路灯のない夜道を歩くようなものだと考えています。
  3. 相反する意見の対立は平行線をたどりがちです。上記1で述べたとおりコメント欄で結論を出すこと目的としていませんので、「多様な意見を認め合った議論」をお願いしてきました。自分自身の考えが絶対正しいと思い込み、他者の意見に耳を傾けないような姿勢だった場合、相手を論破することが目的となりがちです。その結果、感情的な非難の応酬となり、殺伐した議論につながる懸念があり、一般論として常に申し上げてきた点でした。ちなみに一つの結論を必ず出さなければならない実生活の場でも極力、このように心がけるべきだと考えています。
  4. 匿名で率直な意見を交わせることは利点だと前向きにとらえています。一方で、匿名で発信できるということは、立場などの成りすましや都合良く情報を操作することも可能となります。それはそれでモラルの問題となりますが、このようなネット上の私的な場では特段何か問われるものではありません。したがって、誰がどのような立場で書いたかは、それほど大きな問題ではなく、その人が書き込んでいる言葉、つまり内容がどのように他の閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、真偽が判断されていくのかどうかだと考えています。
  5. 私どもの組合員の皆さんに対しては、組合活動を身近に感じてもらえるような目的も持って続けています。そのため、組合の機関紙などで当ブログについて時々PRしてきました。あくまでも個人の責任による運営ですが、私どもの組合員の皆さんから見れば、匿名での発信とはなっていません。一つ一つの主張を言い放しとできず、一つ一つの言葉に責任を持って発信しています。そのような側面があるため、歯切れの悪いレスだと感じられる場合もあるかも知れませんが、自分の思いと離れた内容を記したことは一度もないことを強調させていただきます。

先ほど述べたとおり今回が2009年の最後の記事となります。コメント欄での議論は続くものと思いますが、この1年間、多くの皆さんにご訪問いただきました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。ちなみに次回の更新は、例年通り元旦を予定しています。ぜひ、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは良いお年をお迎えください。

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2009年12月19日 (土)

竹原市長の問題点

前回の記事は「阿久根市長の常識、世間の驚き」でした。その後、竹原市長の問題発言は阿久根市議会の中で追及されるなど、全国なマスコミ報道の中でも連日取り上げられていました。市議会の答弁では一貫して強硬的な態度を示していた竹原市長でしたが、次のニュースのとおり問題となったブログの文面の修正には応じることを受け入れたようです。

鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が障害者の出生を否定するような文章を自身のブログに掲載した問題で、竹原市長は18日、障害者の地方議員ら3人と面会し、文章の修正に応じる意向を示した。同日午後、ブログの問題部分は削除され、「ただいま修正中」と書き込まれた。

障害者の県議や市議らで作る「障害者の政治参加をすすめるネットワーク」(約40人)の平野みどり・熊本県議(51)ら3人が約30分間、非公開で面談した。平野さんらによると、竹原市長は「誤解を招きかねない表現だった」とブログの記述の修正を約束した。しかし、謝罪については「ブログの文面を否定し、社会の現実を打ち消すことになる」と拒否した。

また、平野さんらが「差別する意図がなくても、人を傷付ける言葉があれば差別になる」と指摘したところ、竹原市長は「それでは『めくら千人めあき千人』という言葉はどうなのか」と、視覚障害者を差別する言葉を使って言い返し、「言葉を制限すると文化がしぼむ」との持論を展開。抗議を受けても発言を撤回しなかったという。読売新聞は、この件に関して竹原市長に取材を申し込んだが、応じなかった。【読売新聞2009年12月18日

前回記事のコメント欄へ、もっと竹原市長の発言を支持される人たちの声も寄せられるものと思っていました。早い段階では、よっちゃんさんから「あんたら国語力がホントに無いんだな?」とし、「弱者切り捨て」とは読み取れないというコメントが届いた程度でした。普段より多くの人たちが当ブログを訪れてくださっている中、よっちゃんさんのようなご意見のコメントが続かないのは、さすがに竹原市長の言動に疑問を持たれる人たちが増えている証しなのだろうと受けとめていました。

そのように書いた翌日、あまのじゃくさんから非常に奥深い内容のコメントが寄せられました。阿久根市に絡む以前の記事のコメント欄でも、あまのじゃくさんから多くのコメントを頂戴していました。久しぶりにお寄せいただいたコメントも、高尚な提起が含まれている難解なものでした。さらに竹原市長の言動を支持される意図も明らかであり、私自身のレスも含め、核心となる箇所を紹介しながら今回の問題提起につなげてみます。

私が竹原市長を見て感じるのは「特権にあぐらをかいている者」への嫌悪感があるという事です。それは同時に「既得権益の陰に隠れて犠牲になっている者」へのせつなさを伴っている・・という事です。しかし特権や既得権益など、何時でも何処でもある。しかし「俺の(貧弱な)才能と努力ではこの結果は止む無し」とか「努力の賜物として誰にも文句は言わせない」といった、人間として許容できる範囲を超えてしまった「特権や既得権益」が現在存在するのではと思います。

何故こんなに努力しても報われないのか。あんな奴が何故あれほどの評価を受けているのか。・・・が許容を超えているという意味です。そして、更に重要なのは「不当に報われない者」の生活基盤が破壊されている点です。日蔭者でも食っていければ「愚痴」で収まるでしょう。しかし、それさえも超えている。ためいきの中に、この部分を直視し、メスを入れない場合、何が起こるか。恐らく恵まれた者への限度を超えた、ヒステリックな、場合によっては暴力を伴う騒乱でしょう。そうなっては止める手立てはない

あまのじゃくさんのコメントに対し、私は次のように答えていました。

阿久根市についての記事を書き始めてから、ずっと【竹原信一という男】BBSの議論を拝見しています。その中で、あまのじゃくさんのご意見は、いつもハイレベルで私の読解力では正直なところ難しすぎるようです。なお、最近の「虫眼鏡」と「望遠鏡」の例えは、よく分かりました。確かに「虫眼鏡」で山の紅葉は見れません。その意味で、「虫眼鏡」と「望遠鏡」を持たれている人たちは、私のようなレベルの者が見れない、もしくは気付くことができない風景を見渡しているのだろうと思います。

竹原市長を支持されている皆さんは、竹原市長がその卓越した一人だと受けとめていらっしゃるのかも知れません。しかし、そのような真意や本質などを「虫眼鏡」しか持たない人たちにも適確に伝えられなければ、軋轢や混乱を引き起こすだけではないでしょうか。小学校の先生が小学生相手に大学の授業内容を教えても仕方ありません。「虫眼鏡」しか持っていない私たちが問題だと言われれば、それまでですが、もう少し付け加えさせていただきます。

今回の竹原市長の言葉で傷ついた人がいることは事実です。「勝手に誤解して批判されるのは冗談ではない」という言い分もあるようですが、それならそれで、抗議している人たちが理解できるような説明や釈明を竹原市長は行なうべきではないでしょうか。「どうせ説明しても無駄だ」と切り返されていくのでしたら、このような提起も余計なお世話でしかありませんが…。

上記の私自身のレスは、あまのじゃくさんから問われた「特権や既得権益」の問題を論評していません。決して逃げているつもりはありません。その是非は留保した上で、次のように考えています。あまのじゃくさんや竹原市長が適切で、正当な主義や主張を持っていたとしても、そのことを適確に説明できなければ単に対立心を煽るだけだと思っています。したがって、あまのじゃくさんへのレスであるとともに竹原市長の言動に対する私自身の意見だったと言えます。なお、このコメントに対し、あまのじゃくさんから次のようなご指摘を受けました。

傷ついたから謝罪せよ。うらを返すと人を傷つけずに生きていける。或いは傷つかずに生きていける。しかしそれは無理です。何故なら人間の存在自体が矛盾しているからです。私が目の前のリンゴを食べたら、あなたはリンゴを食べられないのですから。これを突き詰めると「なぜ差別してはいけないのか?」・・どうです変ですか?

私はいたずらに挑発しているのではありません。ここまで一旦ひも解いて議論しないと、実は「障害者」が既得権益になりかねないのです。それは多くの人を不幸にする。但し、全ての特権と既得権益を解放しようとしているのではありません。「ベクトルが反対向きの特権」や「人間の許容を超える既得権益」は開放すべきだと思う。「ベクトルが反対」とは、人は「志は高く」を望む。低い所に特権を設ける事です。

正確に理解できているのかどうか自信はありませんが、あまのじゃくさんのご指摘の趣旨は伝わってきました。ただ出勤前の限られた朝の時間に踏み込んだレスはできそうになく、金曜の夜は忘年会が予定されていました。そのため、土曜以降に私自身の考え方などを改めて示させていただくことをお伝えしていました。また、たいへん難しい提起だったため、新規記事の本文を通して自分なりの思いをまとめているところです。

私自身も「ベクトルが反対向きの特権」などを改めていくことに異論ありません。このような一致点について、あまのじゃくさんにも以前の記事(公務員批判への「答え」は? Part2)などからご理解いただけるものと信じています。その上で、先ほど述べたとおり問題提起の中味の是非を議論することは横に置かせていただきます。あまのじゃくさんとしては、その議論を望まれ、本質的な議論を省いて、竹原市長の問題は語れないものと判断されているのかも知れません。

しかしながら私自身、これまでの竹原市長の言動問題は、常に手法の是非が最大の論点だったと見ています。竹原市長自身の独特な世界観や価値観について、「虫眼鏡」しか持ってない人たちにも、分かるように伝えられない言葉の乱暴さや稚拙さが目に付きます。そして、何よりも大きな問題であるのは、竹原市長が法律をはじめ、当然守るべきルールや規範を無視していく姿勢です。

これまでも繰り返し指摘してきた点ですが、常識や前例にとらわれないことが竹原市長の持ち味だとしても、首長という立場上、あまりにも常軌を逸しています。ちなみに竹原市長のブログ「住民至上主義」の過去の記事から、いつも独特の世界観を垣間見ることができます。2008月11月16日の記事「真実があなたを自由にする」の中で、次のような竹原市長の言葉に接しました。

私は自分が嫌いで、自分を嫌っている自分が好きだ。だから自分の為に生きようなどと思わない。長生きもしたくないし、眠る時にそのまま目覚めなければ良いのになどと思ったりもする。「刺されるぞ」などと言われる事もあるが、「いつでもどうぞ」という気持ちでいる。皆さんに好かれたいなどとも思ってはいない。仕事上面倒だから、どちらかと言えば嫌われない方が良いというくらいのものだ。

上記の文章を読み、竹原市長の覚悟や潔さなど肯定的に評価される人たちも多いはずです。しかし、私にとって竹原市長の数々の問題点のバックボーンが、この文章に含まれているように感じています。「好かれたいなどと思ってはいない」ということは、相手を思いやる気持ちを不足させ、独善的な発想や行動につながっているはずです。状況に応じて敵を作ることを厭わない突破力も必要ですが、敵を作らず目的を達していく調整能力や交渉力もリーダーに強く求められる資質ではないでしょうか。

つまり自分の言動によって、相手がどのように感じるかを想像できないリーダーにそのような能力が備わるとは到底考えられません。障害者団体に抗議を受けるような今回の事態は、いみじくも竹原市長の欠点が浮き彫りになったものと見ています。加えて、いつ刺されても良いという言い方は、攻めてくる相手側にもその覚悟を強要する響きが感じられます。実際、張り紙をはがした職員に対し、労働者への極刑である懲戒免職処分を下せる非情さがそのことを裏付けていました。

あまのじゃくさんのコメントへお答えする形を取りながら、竹原市長の問題点を改めて提起してきました。お二人に共通する主張に対する懸念として、大きな目的を達成させるためには、手段を選ぶ必要はないというように聞こえてくる点がありました。私の誤解だった場合、たいへん申し訳ありませんが、目的のためには「対立や軋轢も辞さず」という発想よりも、目的を成し遂げるためには「何をすべきなのか」が重要であるはずです。

あまのじゃくさんからの貴重な提起に対し、必ずしもかみ合った議論につながらないかも知れませんが、私自身の問題意識を綴らせていただきました。念のため、申し添えなければなりませんが、決して公務員の「特権」議論の論点をすりかえるための投稿ではありません。このように竹原市長を見ている者がいることをご理解いただきながら、ぜひ、多様な意見を認め合った議論ができることを願っています。

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2009年12月12日 (土)

阿久根市長の常識、世間の驚き

瞬間風速的に1日のアクセス件数が1万を超えた時もありましたが、普段は千件に届くかどうかで推移しています。その中で、いつもより極端にアクセス数が増えた日は、必ず何か理由がありました。最近、そのように感じた時、「阿久根市」という検索ワードから訪れる人たちが増えていました。これまで5回ほど次のような阿久根市に絡んだ記事を投稿していました。

現在、Googleで「阿久根市」と検索すると当ブログの記事が1ページ目に並んでいます。したがって、阿久根市が注目を浴びると検索エンジン経由で、このブログを訪れる人たちが増えるようになります。やはり阿久根市と言えば、竹原市長が全国的な知名度を上げていました。その竹原市長の言動が、またしても大きな注目を集めるニュースの発信源となっていたようです。

「高度医療が障害者生き残らす」阿久根市長ブログに波紋

鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が自身のブログ(日記形式のホームページ)に「高度医療が障害者を生き残らせている」などと、障害者の出生を否定するような独自の主張を展開している。障害者団体は反発、市議会でも追及の動きが出るなど波紋が広がっている。

ブログは11月8日付。深刻化する医師不足への対応策として、勤務医の給料を引き上げるべきだとの議論に対し、「医者業界の金持ちが増えるだけのこと。医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない」と批判。そして、「高度な医療技術のおかげ」で機能障害を持ち、昔の医療環境であれば生存が難しい障害児を「生き残らせている」などと述べ、「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」と主張している。

知的障害者の家族でつくる「全日本手をつなぐ育成会」(本部・東京、約30万人)の大久保常明・常務理事は「人類繁栄のため、優れた子孫だけを残そうとするかつての優生思想そのもの。命の重さを踏みにじり、公人の意見とは思えない」と批判。阿久根市身体障害者協会(約1050人)の桑原祐示会長も「差別意識も甚だしい」と反発、役員会で対応を協議し始めた。

同市議会の木下孝行市議も市長に説明と謝罪を求め、14日から始まる市議会一般質問で追及する。竹原市長は取材に対し、「養護学校に勤めている人から聞いた情報をそのまま書いた。事実と思う。障害者を死なせろとかいう話ではない」と説明している。読売新聞2009年12月3日

問題となった竹原市長のブログ「住民至上主義」の記事は、先月8日に「医師不足の原因は医師会」というタイトルで書かれていました。この記事の内容に対し、複数の障害者団体から「福祉政策を預かる首長としての資質に疑問と失望の念を禁じ得ない」「障害者の家族の心を土足で踏みつけにした」という抗議が相次いでいます。しかしながら市長は庁内にいながら「用がある」とし、それぞれの団体との面会には一切応じていません。

つまり竹原市長にとって謝罪も撤回も選択肢にはないほど、確信した発言だったようです。阿久根市役所などに寄せられる電話やメールも、批判的な内容が圧倒的に多い中、自分のブログには賛同した意見を掲げ続けていました。ネット上の掲示板などの意見も圧倒的に竹原市長の発言を批判する内容が多い中、それでも市長を支持する根強い声があることも確かでした。

そもそも「市長の発言は障害者を差別したものではない」と擁護される声も少なくありません。特に竹原市長を熱烈に支持されている皆さんが多数訪問している「竹原信一という男」のBBSにおいては、賛否が真っ二つに分かれ、たいへん激しい議論が交わされています。確かに新聞などの引用は一部を切り取ったものとなりますので、真意が充分伝わらない場合もあります。このブログを読まれている皆さんからフェアな判断をいただくためにも、問題となった文章のほぼ全文を紹介します。

勤務医師不足を解消する為に勤務医の給料を現在の1500万円程度から開業医(2500万円程度)に近づけるべきなどとの議論が出てきている。しかしこんな事では問題は解決しない。医者業界の金持ちが増えるだけのこと。

医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。

「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。

レイアウト上、改行だけは当ブログのスタイルに揃えましたが、誤字などは原文のままとしています。さらに投稿直後に寄せられた批判メールに対し、11月9日の記事の中で「慎重さを欠く見解に見えたかもしれない」としながらも、「先ずは健康な人々が多く居なければ心を支える社会作りもできはしない。社会作りは人工的に意図的にしなければならない」と竹原市長は答えていました。

前述したとおり竹原市長独特の世界観による本心を表明したものであり、単なる失言の類いではないことが分かります。だからこそ、障害者団体らの抗議に対して、決して頭を下げようとしない竹原市長の姿勢が浮き彫りになっていきます。この一般的な常識では考えられない竹原市長の型破りさが熱狂的な支持者を獲得していることも否めません。私自身の思いは、これまで5回にわたる記事で訴えてきました。

やはり竹原市長の常識には到底ついて行けません。自治労と対立している市長だから非難するものではありません。これほど世間を驚かせ、批判を浴びるような発想や規格外の常識さを持った人物であるため、自治労阿久根市職労や市議会との対立が続くものと思っています。竹原市長を支持されている皆さんにとって、不愉快に感じられるかも知れませんが、ぜひ、このように考える人が多いはずであることをご理解ください。

「阿久根市のその後」のその後を綴る記事となっていますので、最後に、もう一つだけ竹原市長絡みのニュースを紹介します。張り紙をはがして懲戒免職となった職員との裁判での争いは、予想通り竹原市長が負け続けています。しかし、ここでも竹原市長は独特の常識さを発揮し、裁判所の命令を拒み続けているようです。

職員免職効力停止、阿久根市側の即時抗告棄却

竹原市長が、庁舎内で職員人件費の張り紙をはがした元係長の男性(45)を懲戒免職処分にした問題で、福岡高裁宮崎支部(横山秀憲裁判長)は、処分の効力を停止した鹿児島地裁の決定を不服とする同市の即時抗告について、棄却する決定をした。決定は4日付。

決定によると、市の懲戒免職の基準は長期欠勤や贈収賄、横領などで、「張り紙をはがしたことでの懲戒免職処分にした例は過去にない」と指摘。「処分は不適法の可能性がある」とした鹿児島地裁の判断を支持。市側が「市長の指示に従わない職員を職場復帰させれば、民主主義システムが崩れる」とした主張についても、「認めるに足りる証拠はない」として退けた。

市側は、鹿児島地裁の決定以降も男性の復職を認めていない。自治労鹿児島県本部の高橋誠書記次長は「市側は棄却という結果を受け止め、復職など必要な対応を早急に行うべきだ」と話している。【読売新聞2009年12月8日

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2009年12月 6日 (日)

年金機構への採用問題

実は前回記事の中で紹介した筆坂秀世さんの言葉は、あくまでも本題に入る前のイントロダクションのつもりでした。さらに紹介したかった言葉の前に昔話を置いてしまい、イントロの前にイントロを入れるような始まり方となっていました。いつものことですが、たいへん長い文章となるため、途中で予定していた記事タイトルを変更することとしました。

そのような顛末があり、記事タイトルを付けるのには思いのほか苦労しました。結局、「卵が先か、鶏が先か?」というマスコミの論調の移り気を主題としたタイトルに落ち着いたところでした。ちなみに前回記事のコメント欄で補足した言葉ですが、そのタイトルには「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という意味合いをこめていました。

ここで改めて今回記事の本題に入る訳ですが、来年1月に社会保険庁の後継組織となる日本年金機構が発足します。その際、約1万人の職員の移行が決まっています。ただ前政権は過去に懲戒処分歴のある職員を一律不採用とする方針を掲げていました。この方針に対する私自身の考え方は、以前の記事「過ちとその処分のあり方」で示したとおり非常に不本意な話だととらえています。

年金のぞき見や交通事故などで戒告以上の処分を受けていた約300人の処遇が最終局面での課題となっていました。連合と自治労は、前政権の時から分限免職を回避するよう舛添厚労大臣らに要請していました。政権交代後の9月24日には古賀連合会長(当時は事務局長)と徳永自治労本部委員長が長妻厚労大臣に対し、何らかの形での雇用維持を強く求めていました。

しかし、長妻厚労大臣は「過去に懲戒処分を受けた職員は移行させない」とする従来の政府方針を踏襲することを表明しました。判断した理由として、長妻大臣は「世論の反発を懸念」したことを強調していました。この言葉を聞き、改めて長妻大臣の「ミスター年金」と評されてきた立場を思い返した上で、前回の記事「卵が先か、鶏が先か?」のような内容を当ブログで取り上げようと考えていました。

冒頭に述べたとおり前回は本題に行き着く前の記事内容にとどまりましたが、最近、「世論とは何だろうか?」との思いを巡らすようになっていました。そのような時、筆坂さんの「アンケートを取るなら、まず説明を聞いたか、から問うべきである」という言葉に接し、前回記事で世論の作られ方を自分なりに掘り下げてみました。つまり正確な情報や全体像が伝わっていない中で、物事の白黒が判断されているケースの多さを筆坂さんの言葉を借りて問題提起させていただきました。

とは言え、決して世論を軽視するものではなく、ことさらマスコミの報道の仕方を批判する提起でもありませんでした。私自身も含め、多種多様な情報の受け手となる側の当たり前な現実を踏まえ、さらに白黒の「印象」を先行させがちなマスコミ報道の習性や限界を理解した内容だったつもりです。要するに以上のような点を意識し、世論というものをとらえていく大切さを感じ取っていました。

先日の事業仕分けの中で、蓮舫参院議員が女性教育会館の神田理事長から「私の話を聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外です」と反発を受けました。この場面は繰り返しテレビで報道され、蓮舫議員は「生意気」「何様のつもりだ」などとの批判を浴びました。しかし、実際はその場面に至る前、神田理事長は30分近く一人で延々と話し続けていたため、蓮舫議員が一方的に説明をさえぎったという見方は少し違うようです。

それでも多くの人たちに対し、蓮舫議員は「気が強い」という印象を与えてしまったはずです。一方で、「切り込みの鋭さ」など肯定的な評価も高かったため、今回の蓮舫議員のケースは損な役回りだけではなかったことで救われています。過去、マスコミの偏った報道の仕方で、事実から離れた批判を浴び、ダーティーな印象を植え付けられた人たちの名前が数多く思い浮かびます。

反対に一度だけでも、たいへん価値あるホームランを放ったことによって、その好印象が保たれるケースも少なくありません。言うまでもなく、年金記録の問題を明らかにした長妻大臣もその一人ではないでしょうか。また、攻める側に回っている時の弁舌の切れ味は確かだろうと思います。それでも内閣の中で最も激務と言われる厚生労働省の最高責任者を担うことと、それまでの実績が見合ったものなのかどうかは正直なところ疑問を持ち、荷が重いように見ていました。

そのため、長妻大臣が年金機構への職員採用問題で「世論の反発」を口にした時、世論の力で押し上げられてきた立場を考えれば予想通りの話でした。「さすが長妻大臣」と評価する声も聞こえ、そのような判断が下されることを覚悟していましたが、やはり残念な結論でした。そもそも連合や自治労の要請は、組合員の雇用を守ることが大きな使命である労働組合として当たり前な行動であり、決して理不尽な圧力を加えていた訳ではありません。

日本弁護士連合会も昨年12月、懲戒処分歴を理由に一律不採用・分限免職とするのは「二重の不利益処分で、違法の疑いが濃厚」との意見を表明していました。国労のような集団訴訟に発展し、国が敗訴する可能性の強さも指摘されていました。最終盤の局面では、連合や自治労の意向を受けとめた平野官房長官が、そのような対立や混乱を回避するためにも、長妻大臣に再考を促していきました。

不祥事を重ねた「社会保険庁は解体」「職員は総入れ替えすべき」という根強い世論があることを承知しています。しかし、感情論に流されることなく、冷静で客観的な判断ができることは政治家としての大事な資質の一つであるはずです。幸いなことに長妻大臣がその判断能力を発揮し、12月1日、最終的な決着をはかったことが報道されました。

「ヤミ専従」による処分を受けた職員約20人は厚労省にも再雇用しない方針が確認されましたが、その他の職員は非常勤職員への応募が認められました。この結果を受け入れた自治労の徳永委員長は「不当であり、訴訟を起こす職員はいるだろうが、労組が全体で裁判をするという立場ではない」と述べ、組織的な裁判闘争には否定的な考えを示しています。双方が歩み寄った解決策ですが、今のところ「連合や自治労のゴリ押し」などという世論の声は強まっていません。

このような事例に対しても「公務員は恵まれている」という感情的な反発を招くのかも知れませんが、こそこそ隠す話ではなく、前述したとおり自治労らの行動の正しさを確信しています。逆に連合や自治労が組合員の雇用を守るために最大限努力したこと、民主党を支援している組織として訴訟リスクを回避する責任を果たしたことなど、堂々と世論へアピールすべきものと考え、今回、あえて賛否両論あるようなテーマを投稿させていただきました。

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2009年11月28日 (土)

卵が先か、鶏が先か?

以前、健康課という職場で働いていました。健康会館と呼ばれる建物の1階と2階を健康課が使い、3階には図書館と公民館がありました。読書は嫌いなほうではなく、いつも昼休み時間に5冊程度その図書館から本を借りていました。貸出期間の2週間で読み切れず、そのまま返却する本もありましたが、たいへん恵まれた職場環境だったと言えます。

その職場から異動し、現在は本庁舎に勤務しています。時々、自宅から通いやすい別の地区図書館を休日に利用していましたが、やはり自然と足は遠のいていました。それでも必ず数冊の本を手元に置く習慣は変わらず、部屋の中に読み終えた本や読みかけの本が山積みされていくようになっています。BOOK・OFFで処分する時もありますが、部屋の空間が狭まるペースのほうが勝っている現況でした。

今、読み進めている本の一つが『政党崩壊!二〇一〇年体制を生き延びる条件』でした。著者は共産党の元政策委員長の筆坂秀世さんです。筆坂さんは歯切れの良い言葉で、民主党政権への期待や懸念について語られています。共産党を離れた立場から長年在籍した共産党に対しても鋭い批評が加えられていました。今回の記事は、その著書の内容全体を論評するものではありませんが、読み進めている中で気に留まった次の箇所を紹介させていただきます。

マスコミは、馬鹿の一つ覚えのように、一般有権者に「小沢代表は、説明責任を果たしていると思いますか」「鳩山代表は、説明責任を果たしていると思いますか」などと聞き、大多数の人々が「果たしていない」と回答したことをもって、「説明責任を果たすべきだ」などと繰り返している。これに自民党や公明党、共産党も一緒になって騒いでいる。

自民党や公明党は別にして、共産党が騒ぐのにはあきれかえる。この党が、自分たちの不都合なことについて、いったいどれほど説明責任を果たしてきたというのか。私自身、共産党に在籍中は完全に口を封じられて、説明責任を果たすことができなかった。それもあったから、みずからの意思で離党したのだ。

だいたい、国民のどれほどの人たちが小沢や鳩山の説明を聞き、あるいは新聞を読んでいるのか。詳しい記事などほとんど読まれていないであろう。アンケートを取るなら、まず説明を聞いたか、から問うべきである。だが、そんな丁寧なことはしていない。最初から結論ありき、のアンケートにすぎない。

小沢は可能な限り説明を果たした。あれ以上言えというのは、無理というものだ。鳩山の個人献金についても、ほめられたことではないが、資金の出所は明確だ。鳩山個人のカネである。そこに汚職などが介在しないことは明白であり、謝るべきは謝り、訂正すべきは訂正する。それですむことである。

鳩山首相の献金問題は、母親から9億円もの資金提供があったことも明らかになり、筆坂さんがその著書で記した当時より波紋が広がっています。政治資金規正法違反や脱税の疑いなど、深刻な事態を迎えていることは確かです。過去に鳩山首相自身が政治家と秘書との関係は一体であるという点を強調してきた経緯も軽視できません。今後の捜査の行方を見定めなければなりませんが、「それですむことである」という言葉をそのまま肯定している訳ではありません。

共産党が騒ぐのにはあきれかえる」という言葉も、筆坂さんと共産党との関係から発せられている見方は否めず、その是非を問うつもりもありません。インターネット上の掲示板やコメント欄での議論に接する中で、「誰がどのような立場で書いたか」ということよりも、そこに書かれている言葉の中味を「自分自身がどのように受けとめるか」が重要であるものと考えるようになっています。

紹介した短い文章の中に様々な切り口があるようですが、私が「なるほど」と感じたのは次の言葉でした。「アンケートを取るなら、まず説明を聞いたか、から問うべきである」という一言に接し、いろいろ思いを巡らす機会となりました。まず私自身も含めて物事の全体像を把握しないまま、白黒を判断してしまう場合があるものと思っています。

新聞に書かれている内容も端から端まで読み込むことは滅多になく、強く関心を持った事例以外は詳細を掘り下げず、自分なりの理解や判断を下していることも少なくありません。日常生活の中に時間的な余裕があるか、マスコミ関係者ではない限り、多種多様な情報をすべて適確に把握していくことは簡単ではないはずです。

多くの人たちは新聞やネット上の記事を斜め読みし、テレビのニュースなどから伝わる内容を受けとめ、数多くの話題を理解したつもりになっているのではないでしょうか。このような現状が当たり前な中、マスコミからのアンケートを受け、まったく知らない話題だった場合は無回答となるはずです。しかし、概要を把握している話題で、自分なりの「答え」がある場合、筆坂さんの分析のとおり賛否について自信を持って回答するものと思います。

また、一人ひとりの「答え」を導き出すまでの判断材料がマスコミのフィルターにかかっている場合もあります。要するに「印象」そのものをマスコミの報道から無意識に受け取るケースです。特にマスコミ側にその意図がなかったとしても、端的な情報発信の中に白黒の評価が含まれてしまうのは仕方ないことだろうと見ています。例えばコップの中に水が半分ある時、「半分しかない」と書くのか、「半分も残っている」と書くのでは読み手の「印象」が変わるはずです。

ネット上で様々なサイトを見ていると面白い話ですが、自民党支持者から「マスコミは民主党寄りだ」と批判され、民主党支持者からは「自民党寄りだ」と非難されがちです。一口でマスコミと言っても、たいへん幅広い切り取り方ができますので、このような相反する主観的な評価が存在しても不思議ではありません。いずれにしてもマスコミの活動は、どうしても多くの人に「見てもらう」「買ってもらう」ことが欠かせない目的となります。

そのため、国民の評価や人気を大なり小なり意識しなければなりません。つまり国民からの支持率が高い民主党に対し、今のところマスコミの姿勢は様子見の立場であるように感じています。まだまだ徹底的に政権を批判する論調は少なく、鳩山首相の献金問題に関しても抑え気味なようです。一方で、世論を作り出す影響力もマスコミにはあるため、「卵か先か、鶏が先か?」のような話となりますが、世論の潮目が変わった時、一気に鳩山政権は苦境に立たされるのかも知れません。

鳩山由紀夫首相が26日の衆院本会議の真っ最中、“内職”に没頭する一幕があった。郵政株売却凍結法案に関する公明党議員の質問そっちのけで、扇子に「鳩山由紀夫」「友愛」などとサインしていたのだ。自らの政治資金疑惑に加え、米軍普天間基地移設問題や予算編成など難題が山積の時期だけに、「言論の府を軽視している」「ふまじめ過ぎる」などと批判が飛び出している。

扇子へのサインは民主党議員が支持者用に依頼したもので、報道席のカメラマンに上から撮影されても気付かないほどの熱中ぶり。撮影に気付いた首相側近の松野頼久官房副長官が注意し、鳩山首相はようやくカメラマンの方を見上げ、バツが悪そうに慌てて扇子を手で覆い隠したが…もう手遅れでした。【2009年11月27日ZAKZAK

上記のようなニュースも大騒ぎとならずに済んでいますが、ぜひ、よりいっそう鳩山首相には緊張感を持って難局に立ち向かっていただきたいものと願っています。今後、政治献金の問題で首相自身の責任も問われていくのかも知れませんが、これまでのように総理大臣が短期間で変わる事態は対外的に決して好ましいものではありません。筆坂さんの言葉のとおり「それですむことである」という見方が許されるのであれば、責任を全うするという判断も大事な選択肢だろうと思っています。

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2009年11月22日 (日)

労使交渉への思い

このブログ「公務員のためいき」は不特定多数の方々への発信と合わせ、私どもの組合員の皆さんに組合を身近に感じてもらえる一助となることを願いながら続けています。そのため、時々、組合の機関紙などで当ブログについて紹介してきました。ただ自宅ではインターネットに触れないという人をはじめ、このブログを「一度も見たことがない」と話される組合員の方は少なくありません。

そのような点は当たり前な現状であり、言うまでもなく組合員の皆さんへ情報を伝達する公式媒体は組合ニュースや『市職労報』と称する機関紙でした。したがって、その『市職労報』の紙面を使い、これまで「情勢や諸課題に対する認識の共有化に向けて」というテーマなどの記名原稿を数多く掲げてきました。情宣担当者から字数制限のない依頼を受けた昨年の春闘期の記事は、写真や図解などが入ったレイアウトとは言え、21ページに及ぶ分量となっていました。

基本的には組合の抱えている課題や取り組む方針などの説明が中心でしたが、随所にブログで訴えているような自分なりの思いも盛り込んでいました。特に「はじめに」の項では、最も伝えたい内容を自分自身の言葉で語ってきました。今回のブログ記事で労使交渉について取り上げようと考えた時、書記長時代に『市職労報』へ寄せた『ペナントレースの優勝をめざして~「春闘期の課題と方針」より』という記事の中の一文を思い出していました。

情勢の厳しさに萎縮して要求することを諦め、当局の減員提案即合意するような物分かりの良すぎる労働組合ではその存在意義が疑われてしまいます。とは言え、オールorナッシングのたたかいでは交渉とならず、何も成果が上げられない情勢認識も押さえる必要があります。組合側が聞く耳を持っているからこそ「労働条件の変更は必ず労使事前協議、労使合意なく一方的実施はできない」の原則が実効あるものとなり得ます。

例えると勝ち残りトーナメントの甲子園大会ではなく、ペナントレースの優勝をめざすようなトータルな組合の役割が重要な時代だと考えています。できれば組合執行部も職場組合員も全勝が好ましいのは当然です。したがって、重大な決断を下す際は執行部と組合員との情勢や問題意識の共有化が欠かせず、日頃から目線を一致していけるような取り組みが必要だと考えています。

以上のような問題意識があるため、『市職労報』の紙面を通し、さらに4年前の夏には個人の責任によるブログを開設し、いろいろな切り口から組合活動の意義などを訴えてきました。ちなみに個別の職場課題においても「2勝1敗」がやむを得ないという意味合いも否めなかったため、「1敗が私の職場の問題になるのは嫌だな」との率直な言われ方もされました。一方で、職場委員会の中で好意的な見方の発言が示されるなど、心強く感じたことも覚えています。

労使交渉に限らず、それぞれ考え方や立場の異なる者同士が話し合って一つの結論を出す際、難航する場合が多くなります。利害関係の対立はもちろん、お互い自分たちの言い分が正しいものと確信しているため、簡単に歩み寄れず、議論が平行線をたどりがちとなります。両者の力関係が極端に偏っていた場合、相手側の反論は無視され、結論が押し付けられがちとなるはずです。しかし、そのようなケースは命令と服従という従属的な関係に過ぎず、対等な交渉とは呼べなくなります。

ブログを開設した当初、「なぜ、労使対等なのか?」という記事を投稿していました。団体交渉の場で、組合役員と市長らとの力関係を対等なものに位置付けないとフェアな労使協議となりません。切実な組合員の声を背にした要求を実現するためには、市長側と真っ向から対立する意見も毅然とぶつける必要があります。つまり職務上の上下関係を交渉の場に持ち込まれるのは論外な話となります。その一方で、労使関係を離れた場面では、組合役員側が常識的なメリハリを強く意識すべきものと考えています。

ところで、鳩山内閣はマニフェストの実現に向け、普天間基地移転や八ッ場ダム建設中止の問題など多くの難問を抱えています。とりわけ普天間基地の移転に関してはアメリカを相手にした外交の課題であり、たいへん厳しい局面を迎えています。加えて一度、両国間で合意した現実があり、白紙からの交渉ではない大きな悩ましさがあります。しかし、政権交代という過去のしがらみを断つことのできる絶好の機会であり、沖縄の苦しさを少しでも緩和するためにも民主党の踏ん張りを期待しているところです。

話が横道にそれたように思われたかも知れませんが、交渉というテーブルの上で労使関係にも当てはまることが多いものと受けとめています。あまりにもスケールが違いすぎて恐縮ですが、組合としては「こう考える」という内容をどのようにして市や教育委員会当局側に受け入れてもらえるのか、簡単ではないことの共通さを実感しています。行革の課題などで、相手側が「なるほど」と組合側の主張に納得し、提案内容を改めていくようであれば苦労はありません。

しかし、お互いが正当性を強調し合う場面が多く、簡単には決着点を見出せない交渉が増えています。組合が交渉で優位に立つためには、当局よりも現場を熟知した職員の声を適確に訴え、住民の皆さんからも支持を得られる内容であることなどが欠かせません。交渉を重ねた結果、労使双方が歩み寄って、足して2で割るような解決をはかることもあります。それはそれで一定の修正を加えられた点など、組合として前向きに総括できることも少なくありません。

解決の糸口が見えない場合、状況に応じて戦術配置などもあり得ますが、あくまでも当局側に決断を促す手段だととらえています。交渉が決裂し、重大な覚悟を持って行使する場面も想定しなければなりませんが、その先も見据えた冷静な判断が組合執行部には求められています。戦術を打ち抜くことで展望が開けるのであれば、リスクを厭うつもりはありません。ただし、その後も交渉が膠着し、泥沼化するような事態につながる恐れが大きい場合、適切な判断だったとは言えなくなります。

長々と書いてきましたが、相手があるからこそ交渉です。自分たちの言い分が100%通るような交渉は滅多にありません。相手を納得させる、もしくはお互いが合意できる内容に歩み寄れる場合は問題ありません。合意できず、結論を持ち越せる時間がある場合、継続交渉となり得ます。しかし、決着の期限が迫り、組合側の主張がどうしても通らない場合、非常に厳しく悩ましい局面となります。

少しでも可能性がある時点では、組合員とともに当局側を攻め、突破口を広げるための交渉に全力で臨めます。ただ組合員と比べれば組合執行部には情勢面などの情報の入り方が早く、同時にベストが見出せない場合、ベターな判断を下さなければならない責任があります。ある課題に対して組合員との温度差や時間差が生じ、その差を埋めなくてはならない時が組合役員を続けていて最も苦しい場面でした。

このような差が大きいままだった場合、組合執行部と組合員との信頼関係を損ねる要因となりかねません。そのため、日頃から情勢や諸課題に対する認識を組合全体で共有化していくことが欠かせないものと思っています。実は先週の木曜夜、長年交渉を重ねてきた新学校給食共同調理場の問題が労使合意に至りました。調理業務の直営を求めて当該職場の組合員の皆さんと連携を強めてきましたが、PFI化の提案を受け入れざるを得ない苦汁の判断を下しました。

これまで数年越しに交渉を重ねながら常に平行線をたどっていたため、現場組合員から進め方などに対する苛立ちの声が頻繁に寄せられていました。決着に至った夜も、大詰めの交渉に現場から多数の組合員が参加していました。いつものように交渉を終えてから組合執行部と参加した組合員で、厳しい情勢などについて議論を交わしました。断続的に事務折衝も入れながら決着点を模索し、率直な議論を尽くした結果、たいへん残念ながら不本意な提案の受け入れを参加者全体で判断しました。

現場の思いとの落差が大きい結果を強いられ、労使合意する際、当該職場の組合員の皆さんから厳しい声が続くことを覚悟していました。しかしながらその夜、帰途につく組合員の皆さんの大半から「お疲れ様でした。お先に失礼します」という労いの気持ちのこもった言葉をかけられ、本当に安堵したところでした。結果については、まったく満足できるものではありませんが、その結果にたどりつくまでの透明性の大事さを改めて感じた夜でした。

日程の巡り合わせから木曜の夜は、賃金一時金交渉も基本合意に至っていました。東京都人事委員会勧告の改定内容(月例給△0.35%、年間一時金△0.35月分)を基本に決着しました。金曜の朝、それぞれの交渉結果を登庁する組合員の皆さんに伝えるため、組合ニュースを手渡す行動に取り組みました。配布を始めてから指摘があり、びっくり! 「年間一時金は△3.5月」と記していました。今まで4.5月でしたので、年間で1月分となる誤りでした。たいへん失礼致しました。

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2009年11月15日 (日)

アフガンの大地から

少しの前の記事(「投資」となるパワハラ対策)の冒頭で、行政側が主催した講演会「アフガンの大地の再生を願って~ペシャワール会の25年」に参加したことを報告しました。講師だったペシャワール会事務局長の福元満治さんの「アメリカの顔色をうかがうのではなく、相手側が何を望んでいるのかが大事」との言葉が印象深かったことを記しています。ペシャワール会の一員として、医療から用水路の確保まで現地に根差した活動を続けている福元さんが発するからこそ、たいへんな重みと適確さを感じ取っていました。

今回の記事で、改めてその講演会を通して受けとめた自分なりの思いを綴らせていただきます。ペシャワール会とは、パキスタンで医療活動に取り組んでいた医師の中村哲さんを支援するため、1983年に結成されたNGO(非政府組織)です。現在、パキスタン北西辺境州及び国境を接するアフガニスタン北東部で活動しています。本部を福岡市に置き、現地職員が約300名で、約12000人の会員が支えています。

現地代表のPMS(ペシャワール会医療サービス)総院長である中村さんは、用水路の設計図を引いたり、土木工事で重機を操作したり、たいへんマルチな活躍をされています。講演の中で福元さんから「無資格ですので、日本では許されませんが」と笑顔での説明が加えられ、中村さんの規格外の行動力を知り得るエピソードの一つとなっています。もともと中村さんは、主にハンセン病の治療に取り組んでいました。

2000年の夏、20世紀最悪とも言われた干ばつにアフガニスタンは見舞われました。その大干ばつの時、赤痢患者の急増を目の当たりにした中村さんは、清潔な飲料水の確保の必要性を痛感したそうです。それ以降、ペシャワール会の活動の一つに水源確保が加えられていきました。井戸の設置などの工事の際、昔から地元に伝わる工法を用いている話が福元さんから紹介されました。

先進技術の工法を採用した場合、メンテナンスが現地の人たちだけで行ないづらくなるという理由からでした。その後、自給自足が可能な農村の回復をめざし、大規模な用水路建設に着手した時も同様な考え方を基本としていました。このような発想は、現地に根を張った活動を地道に続けているNPOならではの決して外すことのない着眼点なのだろうと感じています。

さらに2001年の米軍によるアフガニスタン空爆の際にはペシャワール会として「アフガンいのちの基金」を設立し、国内の避難民への緊急食糧配給も行なっていました。日本を中心に多くの募金が寄せられ、2002年2月までに15万人の避難民へ食糧をはじめとした必需品を配給しています。その後、この基金をもとに総合的農村復興事業「緑の大地計画」の実施につながっていました。

ペシャワール会が一躍注目されたのは2008年8月でした。アフガニスタンの武装勢力であるタリバンに現地職員の伊藤和也さんが拉致され、遺体で発見される不幸な事件によってペシャワール会の活動が耳目を集めることになりました。ペシャワール会の会報の中で、伊藤さんの母親が「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変えて。」という言葉を中村さんから送られた話を紹介されていました。

福元さんの講演を通し、中村さんの一貫した決意や覚悟が伝わってきました。イスラム主義運動を旗印にしているタリバンは、ソ連のアフガン侵攻後に続いた内戦の中から生まれた武装勢力です。大半のメンバーは、飢えと貧困に苦しむ現地の若者が生きていくためにタリバンに加わったと言われています。もともと農民のメンタリティを持ち、国際的なテロ組織であるアルカイダと一線を画して見るべきだと福元さんは強調されていました。

アルカイダとのつながりから叩き潰されたタリバン政権でしたが、その後も対テロ戦争の主戦場としてアフガニスタンはとらえられています。しかし、中村さんらの思いは、その見方は間違いであるというものでした。テロの巣窟と見なし、武力行使を続けていくという考えはアフガニスタン人全員を標的にするようなものであると訴えられています。実際、タリバンとそれ以外の勢力との見分けもつきにくく、空爆の犠牲者の大半は民間人であるという憂慮すべき現状でした。

反乱があって外国軍が進駐したのではなく、外国軍が進駐してアフガニスタンの混乱は広がり、あらゆる武力干渉に人々は敵意を抱いている現実が浮き彫りになっています。したがって、若者がタリバン兵にならなくても豊かに暮らしていけるためにも、食糧自給率を高める必要があり、アフガンを緑の大地に再生することが求められていました。このような問題意識を持った中村さんたちが生命の危機と隣り合わせの異国の地で、長い年月、たいへん貴重な汗をかかれてきたことに強い感銘を受けています。

また、アフガニスタンの人たちが日本人を高く評価しているという福元さんの話も興味深いものでした。日本がソ連の前身であるロシアとの戦争に勝ったこと、原爆投下などの焼け野原から驚異的な復興を遂げたことについて、自国のめざすべき姿として評価を受けているそうです。さらに日本がアフガニスタンに対し、武力による脅威を一度も与えていない信頼感があることも福元さんは取り上げていました。そのため、日本が担うアフガニスタンへの支援策の中に自衛隊を派遣する選択肢は、逆にマイナスに働く恐れがあることも指摘されていました。

いずれにしても体を張って現地で活動してきた福元さんらの言葉には重みがあり、国際貢献とは「相手にとって何が必要なのか」という判断の大事さをかみしめる機会となっていました。そのことを踏まえ、鳩山内閣が決めた次のニュースのような支援策が「アメリカの顔色のため」ではないことを願っています。とりわけ事業仕分けが注目を浴びている今、仮に「50億ありき」だったとしても、ペシャワール会の声などを受けとめながら「アフガニスタンの人たちのため」の実効ある支援策になることを切望しています。

鳩山内閣は6日、アフガニスタンへの新たな支援策を固めた。反政府勢力タリバーンの元兵士に対する職業訓練や警察支援など民生支援に5年間で50億ドル(約4500億円)を拠出。また、治安が悪化する隣国パキスタンに対しても5年間で20億ドル(約1800億円)を支援する。

鳩山由紀夫首相は来年1月で期限が切れる海上自衛隊によるインド洋での補給活動を延長しない方針を表明しており、新たな支援策を閣内で検討していた。日本は02年以降、アフガン民生支援に総額約20億ドルを拠出してきたが、大幅に増額する。13日の日米首脳会談でオバマ大統領に伝え、アフガン安定化に協力して取り組む姿勢を打ち出す。

特に、治安に直結する分野に力を入れる方針。約8万人の警察官の給料の半額にあたる約1億2500万ドルを負担した今年の取り組みを、今後も継続。日本で年に10人程度で行ってきた幹部警察官の研修を拡大し、新たにトルコなど第三国での警察官の訓練を検討する。

さらに、職業訓練では日本を中心に各国から支援を集め、基金を創設する。タリバーン元兵士らに給料を支給しながら、土木技術などを習得させる。訓練を終えた元兵士が社会復帰ができるよう農村開発プロジェクトも支援する。農業分野では現在、国際協力機構(JICA)が東部ナンガルハル州などで行っている稲作支援などを拡充する。

インフラ支援では、人口が急増する首都カブールの新都市開発で、道路や上下水道の整備を行う。さらに、学校の建設やクリニックの整備などへの支援も拡充する。【asahi.com2009年11月7日

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2009年11月 7日 (土)

金曜夜に定期大会

「委員長のブログ、長すぎるので3回に分けて書いたら、どうですか」

「それなら3回に分けて読んでもらえるかな」

昨日、書記次長から投げかけられた言葉に対し、冗談気味に切り返した会話でした。確かに文字ばかりのブログで、長い記事が多くなっています。毎回、3千字前後の分量です。ブログを開設した当時は、毎日のように更新していたため、もっと短いものでした。実生活に負担をかけないためには週1回が適当だろうと思い、1年ほど経った頃から週1回の更新が定着していました。

その間隔を変える考えはないため、冒頭のような会話となっていました。毎回、字数を決めて投稿している訳ではなく、書き進めるうちに話が広がってしまうパターンでした。ぎっしり文字が並んでいるため、すぐ他のサイトへ飛ばれたり、最後までお読みいただけない場合が多いのかも知れません。それでも数多くのリピーターの皆さんがいらっしゃることも間違いありません。そのような点を大きな励みとして、これまでのスタイルで今後も続けていくつもりですので改めてよろしくお願いします。

さて、前回記事のような自治労都本部大会など内輪の催しを題材にした内容に対しては、コメントが少なくなる傾向となっています。閲覧者の皆さんの常識的な対応であり、当たり前なことだと受けとめています。今回もマイナーな話題となりますが、金曜夜に開かれた私どもの組合の定期大会について取り上げさせていただきます。定期大会とは1年間の活動を振り返り、新たな1年間の活動方針を組合員の皆さんと確認する場でした。

大会に先がけて、水曜夜に組合役員の信任投票が行なわれ、引き続き執行委員長に選任いただきました。今回、女性執行委員が1人増え、会計監査も女性2人になったため、信任投票の対象となる組合役員19人のうち7人まで女性が増えました。組合員の半数近くが女性であるため、望ましい流れであり、ちなみに書記長と書記次長もそれぞれ女性が担っています。

様々な行革提案を受け入れる中、常勤職員数は年々減っていました。一方で、学童保育所や学校事務などに配置された嘱託職員の皆さんらを組合員として迎え入れてきたため、これまで組合員数1500人という規模は変わらずに推移していました。新規職員の皆さんは全員加入されていますが、それ以上に退職される人の数が上回り、今回、1466人まで減っていました。そのため、これからは残念ながら組合員数1500人とは言いづらくなってきました。

私どもの大会は、組合員全員の出席を呼びかけています。今回、何とか300人を超えた出席数でした。かろうじて5人に1人以上の方々に会場まで足を運んでいただいています。他の組合では代議員制の大会が主流となっていますが、組合員全員がオープンに出席できる会議は貴重な場だと思っています。ただ出席者数が激減した場合、そのこだわりも考え直さなければいけない時が来ることも覚悟しています。

議事の初めに執行部を代表した委員長挨拶の出番があります。割り当てられた時間は5分以内でした。役割柄、たくさんの人の前で話す機会が多く、おかげ様で上がることは滅多にありません。ただ原稿を用意しないと長々と話してしまう恐れがあり、なるべく大会での挨拶は事前に原稿を用意するようにしていました。今回、その挨拶原稿の一部を紹介させていただきます。

未曾有の経済危機の中、ますます公務員を見る目の厳しさが増しています。職員や自治労を徹底的に敵対視し、そのことをアピールしながら市民の支持を得ている鹿児島県の阿久根市長のような手法が、全国的に広がっていく事態は絶対避けたいものです。

最近、強い批判を浴びた農林水産省の「ヤミ」専従などの問題は論外ですが、これまで認められていたからという理由にとどまることなく、時代情勢の変化に対応していく柔軟な姿勢が求められているものと思っています。しかし、組合員がいきいきと働き続けられる職場や社会をめざし、「守るべきもの」「譲れないこと」は、今後も強く主張していく決意です。

そして、行革課題などで苦しい判断を下さざるを得ない場面が増えているからこそ、組合役員と組合員の皆さんとの認識を一致させ、納得できる決着点を全力で探っていかなければなりません。そのためにも日頃から緊密な連携をはかり、執行部も決して万能ではありませんので、至らない点があった場合などは率直なご指摘をいただけるような活動に努めていきます。

5分ほどの短い挨拶でしたが、上記のような内容をはじめ、組合員の皆さんへ伝えたかった話を要約することができました。議事が進み、いつもより出席者からの発言が少なく、予定した時間より早めに終わりそうでした。そのため、新旧役員紹介の際、一人ひとりがマイクの前に立って、一言ずつ話せる時間が作れました。その最後に私がマイクを握り、前回記事に綴った次のような趣旨の問題意識も訴えさせていただきました。

私たちをとりまく情勢が厳しいことは確かですが、心強い政治的な枠組みが実現している今、様々な課題が前進していく可能性や期待も広がっています。しかし、私たちが運動の方向性などに自信を持っていたとしても、住民の皆さんから理解を得られる内容であることが欠かせず、同時に適確な発信力を高めていく必要があります。その説明責任が果たせない場合、組合への不信感が高まっていく恐れもあります。

こちらの発言は原稿が残されていませんので、言葉遣いなどは違っているはずですが、強調したかったポイントは「共感」でした。組合運動への住民の皆さんからの「共感」をはじめ、組合方針への組合員の皆さんからの「共感」が重要であるものと訴えました。また、組合役員の役割と責任の重さを受けとめていますが、組合役員と組合員の皆さんとの「垣根」はなく、弱点は補い合いながら一体となって困難に立ち向かっていくことの大切さも呼びかけさせていただきました。

やはり今回の記事も平均的(?)な長さとなってきましたが、もう少し続けます。大会出席者から組合費の見直しについて質問が示されました。財政担当からの答弁の後、私からは「組合費も税金と同様、皆さんから託された貴重なお金です。活動費の中から無駄はなくし、効率的な運営に努めなければなりません。その上で、組合費の託しがいがあり、よりいっそう組合員の皆さんから信頼を寄せられる組合活動に高めていきます」と答えさせていただきました。

最後に、大会終了後の打ち上げでは、たいへん楽しく飲み語り合いました。特別執行委員である前・連合政治センター事務局長や自治労都本部委員長のお二人も参加し、なかなか濃密な話も聞くことができています。翌日にまったく予定が入っていない気楽さから誘われるままにハシゴを重ねてしまい、土曜日は一日、頭の中がモヤッとしている状態でした。shock

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2009年11月 1日 (日)

自治労都本部大会で感じたこと

前回の記事「お役所バッシング」へ多くのコメントをいただきました。これまで一つの記事に対し、コメントが100件を超える時も何回かありました。前回、数はそこまで及びませんが、投稿者の熱意や力のこめられたコメントが多く、いろいろ自分自身の考えを巡らす貴重な機会となっていました。

新規記事の投稿は週1回ですが、お寄せいただいたコメントへは素早く対応するように努めています。それでも内容が濃く、難しい提起となるコメントが続いた場合、時間的、力量的にも逐次レスできなくなっています。また、投稿者同士の議論など「掲示板」的な使われ方を歓迎しているブログですので、直接的な問いかけではない限り、ロムに専念することも少なくありません。

そのような点をご理解ご容赦いただいた上で、今後とも当ブログとお付き合いいただければ幸いです。なお、ご存知の方も多いと思いますが、右サイドバー「最近のコメント」の投稿者名をクリックすると、そのコメント内容へ一気に飛ぶことができます。コメント欄を開いてから下へスクロールしていく手間が省けるため、コメント数が増えてくると欠かせない便利な機能だと言えます。

さて、「お役所バッシング」というテーマに関して様々な視点からご意見をいただき、今回、その続きとなる記事内容を考えていました。単刀直入に「Part2」とすることも想定しましたが、公務員に向けられている厳しい視線に対し、適切な「答え」が簡単に見つからないのも現実です。そのため、「結論」的な内容を急がず、「バッシング」をどのように受けとめていけば良いのか、その切り口を模索するための素材として率直な思いを綴らせていただきます。

昨日の土曜、自治労都本部の定期大会が総評会館で開かれました。その大会の中で、数多くの来賓や出席者の皆さんの意見を聞くことができています。非常に共感できる発言がある一方、「ちょっと違うんじゃないかな」と心の中で突っ込みを入れている時もありました。昨日の大会は規約改正と役員選挙の一票投票もあり、いつもより議論の時間は限られていました。

そのため、発言者は初めに挙手した12人に絞られ、大会の場で意見を述べる機会はありませんでした。今回、その時に感じたことを書き進める訳ですが、これまでブログで発信する内容はネット上だけの訴えにとどめず、なるべく実際の場面でも同じように発言することを心がけてきました。また、言うまでもありませんが、ブログでの言葉一つ一つに責任を持ち、単なる「愚痴」や「陰口」の類いとならないように気を付けています。

さらに話が横道にそれて恐縮ですが、阿久根市の竹原市長への批判内容などに関しても、ご本人を前にしても訴えられる記述に努めています。「誹謗中傷」的な印象を与えてしまった場合、感情的な反発を招き、相反する意見をお持ちの方々と建設的な議論を交わしづらくなる恐れがあるからでした。「訴える内容は厳しくても、言葉遣いは丁寧に」を基本としています。

ようやく本題となる話ですが、今回の大会議論の中で、非常勤職員の課題や公共民間組合からの発言が目立ちました。前回記事のコメント欄でも非正規雇用の問題が多く取り上げられていましたが、残念ながら自治体内の職員の所得「格差」は歴然としています。行政改革の推進、イコール正規職員の削減という構図があり、各自治体で非常勤職員の数が急増し、業務や施設管理のアウトソーシングも進んでいます。

このような現状を踏まえ、かなり前から自治労は非常勤職員や公共民間サービス従事者の組織化に力を注いできました。その上で、私どもの組合も同様ですが、非常勤職員の待遇改善を組合運動の大きな柱としています。また、自治労全体の取り組みとして、委託労働者の待遇改善に向け、価格中心ではない入札制度の改革を各自治体へ求めてきました。大きな成果として最近、千葉県野田市における公契約条例の制定につながっていました。

つまり都本部の定期大会の中で、このような課題の報告や提起が多いことは現状の自治労運動を反映した姿だと思っています。そして、非常勤職員も昇進できるような制度の実現など、自治労の各組合は様々な改善に取り組んでいます。一方で、このような動きに対し、総務省から法的に問題があるという「指導」が入る時も少なくありませんでした。

非常勤職員の法的根拠の問題などで、自治労と総務省は年に1回、交渉の場を持っていました。政権交代後に開いたその話し合いの場で、総務省の官僚から懸案課題について「これまで以上でも、以下でもない」との答えだったことが報告されました。それに対し、「政権交代しても、官僚の姿勢は簡単に変わらない」と評する意見が示されましたが、私自身はそのようにとらえていません。

現政権の性格上、法律の解釈や改正の必要性などの判断は、官僚に委ねられていないものと見ています。自治労と対応した官僚も政務三役との意思疎通なく、勝手に答えられない事例だと考えたのではないでしょうか。善し悪しの評価は今後となりますが、今のところ「政治主導」の形が強まっていることは確かです。とりわけ自公政権の時代と比べ、副大臣と政務官の存在感が際立っているようです。

大会の発言の中で、「政権交代したのだから」「政権が代わったのに」というような期待や落胆の声が錯綜していました。自治労の協力国会議員団の数は過去最高の23名となっています。したがって、然るべきルートを通し、原口総務大臣と直接交渉し、理解を得られれば非常勤職員の問題などは劇的に変わっていく可能性があります。

しかし、この「理解を得られれば」という前提が非常に重要なポイントだと考えています。原口大臣にかかわらず、各閣僚に理解を得られる問題は、国民の皆さんから理解を得られる内容であることが欠かせません。その説明責任が果たせない場合、国民の皆さんからは自治労の「ゴリ押し」に映り、結果的に政権の足を引っ張る恐れもあります。

せっかく政権の中枢に直接声を届けられるパイプがあるのだからこそ、自治労の主張の正当性や社会的な意義などを確信した上で、そのことを適確に伝えていく洗練さが求められています。さらに自治労との連携がある政権だからこそ、各自治体現場からの生きた情報が届き、きめ細かい政策の実現につながり、その関係性が国民の皆さんから評価を得られるようになれれば本当に理想的なことです。

「お役所バッシング」の問題に対しても、同じように見ています。当然、改めなくてはならない「不正」や「無駄」は、即座に改めなくてはなりません。改める必要がなく、理解を得なくてはならない主張は、理解を得られるよう丁寧に伝えていく努力が必要です。そのためにも、まず連合の中で自治労の主張することが理解を得られなければ、政権与党や国民から理解を得ることは、もっと難しいものであることを覚悟しなければなりません。

自治労都本部大会で感じたこと、書き進めていくと、まだまだ続きそうです。最後に、気になった一言を紹介します。「私たちの生活を無視し、マイナス勧告だった都人勧は不当だ」との発言を耳にした時、「マイナスだから不当」という主張では説得力がないものと感じました。どうしても「不当」と訴えるのであれば、人事院による賃金水準調査で東京都内はプラスとなる結果であったのにもかかわらず「マイナスだったのは不当」と言わなくてはなりません。それでも公務員組合「目線」の発想であり、厳しい批判を受けてしまう一言ではないでしょうか。

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2009年10月24日 (土)

お役所バッシング

ココログのアクセス解析機能は比較的充実しているため、どのような検索ワードで当ブログを訪れてくださったか分かるようになっています。最近では「公共サービス基本法」や「阿久根市」という言葉からの訪問が増えています。この「公務員のためいき」は、ブックマークされている常連の皆さんにはお馴染みとなっていますが、記事タイトルとは関係ない話題で始まる傾向が多いブログでした。

したがって、何か調べようとして当サイトを訪れた人に対しては、肩透かしを与えていることが多いのかも知れません。そのため、数行だけ見て別なサイトへ移ってしまう人が少なくないものと思っています。先日、むかし民間、今・・さんからは「初めの3行」の大切さのアドバイスを頂戴しました。「批判も賛同も判り易くなければ共感は得られない時代です」とのご指摘も本当にその通りだと受けとめています。

それでも当ブログのカテゴリーは「日記・コラム・つぶやき」とし、最後までお読みいただいた中で、何かを伝えることができればと考えてきました。記事タイトルとは別な話題から入ることも、このブログの一つのスタイルとしています。その記事を投稿した時、世の中の動きや身の回りの出来事、自分が何を考えていたのかを残すことによって、以前の記事を読み返した際、たいへん感慨深くその頃を思い出すことができています。

また、自分自身が書きたい内容やスタイルをこだわることは、やはりブログを続けていく上での必要なポイントだろうと感じています。いずれにしても伝えたい主張は、できる限り分かりやすく綴ることが大事ですので、そのような工夫や努力は今後も重ねていくつもりです。と言いつつ、今回も記事タイトルと直接関係ない話を長々と書いてしまい、たいへん恐縮しています。coldsweats01

さて、以前の記事(「公務員」議論のあり方)の中で、公務員の不祥事や様々な問題が語られる時、全体に共通する一般論なのか、個別の役所における事例なのか、整理して進める必要性を提起したことがありました。このブログのコメント欄へ手厳しいご意見が寄せられることは覚悟していますが、私自身の責任で答えられる内容と踏み込んで答えられない場合がありました。

いつもこのような問題意識を抱えているところですが、ある日、書店で『お役所バッシングはやめられない』という新書を目にしました。著者は「『実は悲惨な公務員』を読み終えて」で紹介したことがある山本直治さんでした。山本さんは文部科学省のキャリア官僚でしたが、現在は人材紹介会社に勤務されています。公務員の経験を持ちながらも、今は民間人であるという立場から様々な公務員批判をお役所バッシングと称し、その新書の中で大胆な分析や解説をされていました。

お役所バッシングとは、一種の依存性薬物である。政治家や公務員を激しく叩いているうちに「正義の自分」に高揚感・陶酔感を持ってしまうのだ。しかし、過度の批判が政策を歪め、少しずつ日本社会を蝕んでいることに気づいているだろうか? 何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」である。近年の耐震強度偽造問題にしてもそうだ。これは個人保護の目的で行われた法改正が、逆に企業の経済活動を縛ることになってしまった典型例であり、政治家に法改正を決断させたのはマスメディアに扇動された世論に他ならないのだ。

以上は、その新書の内容を紹介した文章ですが、お役所バッシングの功罪を論じつつ、山本さんは建設的なお役所バッシングの方法を提案されています。感情に任せた批判は卒業し、想像力とバランス感覚を兼ね備えた「バッシングリテラシー」を身につけるべきだと説かれていました。私自身、共感した内容と少し違和感を持った箇所がありましたが、今回の記事では「なるほど」と感じた点を中心に取り上げてみます。

山本さんは、お役所バッシングの定義と分類について、次のように述べています。端的には「公務員や役所のケシカランおこないに対する非難・攻撃」としていますが、その公務員とはどの範囲の誰か?ということまで意識して声を上げている人がどれだけいるのか疑問視していました。お役所バッシングと考えているものは意外に範囲が広く、攻撃の対象となる題材を基準として三つに分類しています。

  1. 役所のミッションに直結することがらに対して向けられる批判 … 各役所が担当すべき政策・事業の実行に伴って、その方針や内容が不適切であるとして非難されるもの
  2. 公務員一般が持つ地位・待遇に対する批判 … 倒産やリストラによる失業の可能性がほとんどない上、給与や福利厚生などの待遇も優れ、民間ほど仕事がきつくないイメージを持たれており、それらが批判の対象となっている。
  3. 個々の公務員の問題行動に対する批判 … 汚職や性犯罪など個々の公務員の不適切な行動、いわゆる不祥事への批判

上記のように類型化した上、山本さんはバッシング自体が自己目的化していることも少なくないと指摘しています。役所に対する不満や怒りを解消する手段として、バッシングしてカタルシス(癒し)を得る場合があると述べています。感情に任せてバッシングをすると冷静な議論ができなくなり、不正・不公正の解明や改善という目的から離れてしまうことを懸念されていました。

類型の1番目の事例として、耐震偽装の問題が発覚した際、事件の再発防止のために国交省は建築基準法を異例のスピードで改正しました。その結果、住宅着工に非常に時間がかかるようになり、建築・不動産不況を招いていました。健全で建設的なバッシングをするためには、感情(怒り)はいったん脇へ置いて細かい事情を認識することが重要だと山本さんは説かれていました。

また、山本さんは「役所を批判するのであれば、ぜひ同じような厳しさで批判してあげなければいけないかもしれない組織が日本にはあります」と書かれていました。税金から補助が出ている私立大学、放送局開設の免許制や出版物の再販制度といった規制などに守られ、激しい競争が生じないため、高コスト体質が維持されているマスコミ業界などを例示されていました。

「役所以外の問題を放置し追及しないままにしておきながら、公務員だけがこんなに叩かれ続けるのは不公平ではないか」と記し、「あまり目を向けてこなかった他のものも役所や公務員並みに批判すべきかも含めて、しっかりお考えいただきたいのです」と提起されていました。このような視点からの主張は、山本さんが元公務員であり、現在は民間人であるからこそ発せられる言葉だろうと受けとめています。

その新書の最後の章で山本さんは、是々非々の改革をするために必要なのは、行政に対する「監視」をキーワードに掲げていました。中立的な立場の行政監視要員を配置し、公務員の日常的な業務遂行に目を光らせるような案などを示されていました。以上は、あくまでも山本さんの著書に書かれていた内容の一部であることをご理解ください。私自身の勝手な取捨選択のため、山本さんの真意を適確に伝え切れていない心配もあります。興味を持たれた方は、ぜひ、新書そのものを購入いただければ幸いです。

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