2018年7月21日 (土)

カジノ法案が成立

前回記事「西日本豪雨の後に思うこと」のコメント欄で、下っ端さんから「はて、今回の記事は、何に対する何の批判なんですか?」という問いかけがありました。その記事の中で提起していた「至らなかった点があった場合、指摘を受け、率直に反省することで次回から同じような失敗を繰り返さないことが重要です」という思いを前回の記事には託していました。

その上で幅広い情報を提供する場の一つとして、いろいろな見方があることを紹介しています。そのような内容に対し、どのように感じられるのか、何を批判している記事なのかどうか、読み手の皆さん一人ひとりの受けとめ方は一律ではないものと考えています。何か一つの「答え」を押し付ける意図はなく、私自身の率直な思いを発信しているブログだと言えます。

さらに「もっと切迫した危機感を伝えるメディアの報道や政治の働きかけがあれば、救える命が多かったはずという痛恨の思いを私たちは共有化しなければなりません」という言葉は、当然、地方自治体職員の役割や責務を強く認識しながら「私たちは」につなげていたつもりです。尾木さんのツイートを紹介した流れからメディアと政治を並べた記述となっていましたが、ことさら国の初動体制だけを批判したものではないことを改めて補足させていただきます。

加えて、どの党にとって有利か不利かという政局的な視点から離れ、もし多くの国民が望み、国民生活にとって不可欠な重要な法案だった場合、どのような災害に見舞われようとも粛々と審議は進めるべきものと考えていることを前回記事の中に書き残していました。この言葉は災害を利用し、国会での審議を拒み、廃案に持ち込むような手法に向けても問題提起しています。

要するに審議対象の法案が本当に国民にとって望ましいものなのかどうか、何が問題なのか、論点を明らかにしながら徹底的に議論し、政局的な視点からは離れて判断して欲しいという願いを込めた言葉でした。とは言え、与野党の現有議席の差が歴然としている中、淡々と審議に応じていたら問題点をアピールすることもできず、数の力で押し切られてしまうだけという見方があることも悩ましい点です。

問題のある法案のゴリ押しを続けていけば選挙で国民からの審判を受け、政権与党は手痛いダメージを与えられるという関係性が健全な民主主義の姿だと思っています。しかし、個別の政策や対応が国民から不評を買っていても、内閣や自民党に対する支持率は極端に下がらないという傾向が最近の世論調査から読み取れています。これからも「今の野党には託せられない」という消去法によって現政権が続くのであれば、決して国民にとって望ましいことではないはずです。

もちろんトータルな意味で、安倍政権を高く評価されている方々が多いことも認識しています。オールorナッシングで物事を見ている訳ではありませんが、どうしても個々の振る舞いに対する評価と内閣支持率との「ネジレ」を感じてしまいがちです。今回の記事では全体的な話を事細かく論じられませんが、機会を見て何が問題なのか、個人的な思いを提起させていただくつもりです。

今回は個々の問題点の一つだと言えるカジノ法案について触れてみます。昨日、多くの国民が反対、もしくは慎重な審議を求めていたカジノ法案が参院本会議で可決、成立しました。IR(統合型リゾート)実施法案と呼ぶべきという指摘もあろうかと思いますが、現政権寄りと見られがちな読売新聞もカジノ法案と称していましたので当ブログでもそのように記しています。なお、すでに法案は成立した訳ですが、今回のタイミングではカジノ法案と呼ばせていただきます。

さて、ご縁があって当ブログをご覧くださっている方々に対し、今回の記事でも幅広い情報や見方を提起する機会につなげさせていただければと考えています。前述したとおり一つの「答え」を押し付けるものではありません。物事それぞれ何が正解なのか、容易に論じられないものと考えています。カジノ法案も同様なのでしょうが、より望ましい評価や判断につなげるためには幅広く、多面的な情報に触れていくことが欠かせません。

IR(統合型リゾート)実施法は「特定複合観光施設区域整備法」が正式名称です。IR施設の延べ床面積のうちカジノが占める面積は政令で「3%以下」に抑えられる予定です。そのため、IR実施法案の全体像を理解しないまま「カジノ法案」と煽りながら批判しているという論調を耳にしていました。フリーアナウンサーの長谷川豊さんがその一人で「今IRの批判している連中のスクショを絶対に残しておこう」というブログ記事を投稿されていました。

そのブログ記事の中で長谷川さんは「カジノを作ったらイソンショーがーだそうです。バカバカしい。日本人は何十年も前からとっくの昔にギャンブル漬けです」とし、「依存症が問題なのであれば、まずパチンコ規制でしょ」と訴えています。確かに依存症の問題が深刻であればカジノ法案の動きに関わらず適切な対策を講じていかなければなりません。だからと言って、カジノ法案の問題性を掘り下げずに容認していく理屈にはなりません。

そもそも長谷川さんはカジノとIRは完全に別物と説明しています。当たり前なことですが、IR実施法案の中にカジノが盛り込まれていなければ批判の声は高まっていないはずです。面積比率の問題ではなく、カジノそのものの是非が問われていたものと理解しています。長谷川さんは海外の成功例を紹介しながらIR法案の有益さや健全さを説明していますが、果たして「答え」は一つなのかどうか疑問に思っています。

カジノは刑法185条の賭博罪に当たります。一方で、刑法35条は「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」と定めています。例えば、医師は手術で患者にメスを入れます。本来は傷害罪ですが、医師には正当な理由があるため犯罪になりません。違法性阻却事由として、他に正当防衛や緊急避難などがあり、公営ギャンブルは競馬法や自転車競技法などによって合法化されています。さらに公営ギャンブルは違法性を阻却する要件として次の8点が考慮されています。

  1. 目的の公益性
  2. 運営主体の性格
  3. 収益の扱い
  4. 射幸性の程度
  5. 運営主体の廉潔性
  6. 運営主体の公的管理監督
  7. 運営主体の財政的健全性
  8. 副次的弊害の防止

ちなみにパチンコ・パチスロに関しては「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」上の遊技であって賭博ではありません。パチンコ業は刑法の賭博罪が例外として定める「一時の娯楽」(刑法185条但書)の範疇を超えないように、常にそのギャンブル性(射幸性)がコントロールされながら合法的に存在しているそうです。したがって、上記8項目を満たした正当行為(刑法35条)として違法性が阻却されているものではありません。

今回、カジノはIR実施法のもとに例外的に合法化しました。しかし、公営ギャンブルと同様、上記8項目が完全に満たされるのかどうかは不透明です。カジノ事業者が国などに納める収益の30%は地域振興やギャンブル依存症対策に充てられるため、政府は「収益の社会還元を通じ、目的の公益性は実現する」と強調しています。ただ運営主体は民間のカジノ事業者、それもノウハウを持つ外国の企業が参入できるようになっています。

「射幸性の程度」に関してはカジノの設置数を最大3か所に抑え、日本人の入場回数を「週3回かつ月10回」までとするなど、「重層的・多段階的な依存症対策」を通し、「副次的弊害の防止」にはかっていけると政府は説明しています。しかしながら最大の懸念点はカジノの場合、事業者が利用客に賭け金を貸し付けられる仕組みを認めたことです。しかもカジノ事業者は貸金業者ではないため、年収要件など貸金業法の総量規制が適用されません。

「いずれカジノで勝って返せると考えていました」、カジノにのめり込み、ファミリー企業から総額106億円を借り、有罪判決を受けた大王製紙前会長の井川意高さんの言葉です。ダイヤモンド・オンラインのサイトで「カジノで106億円熔かして服役、大王製紙前会長のオーナー経営者論」という記事を閲覧できます。「カジノで地獄を見るのは、負けたときに現地でお金を借りるからなのです」という言葉の重さは真摯に受けとめなければなりません。

持って行ったお金がなくなり、自分の預金をATMから引き出さない限り、負けたら終わりとなる競馬やパチンコなどとは異なる質のギャンブル依存症の懸念はくすぶったままだと言えます。前述したとおりギャンブル依存症の問題はカジノ法案の動きに関わらず深刻であり、カジノ法案に先立ち対策法が成立しています。これまで「減収に苦しむ公営競技事業」「競輪労組の大きな成果」というブログ記事を投稿している自治体職員の一人として、今後、機会があれば依存症の問題にも触れてみたいものと考えています。

土曜の朝、自宅に届く読売新聞の政治面に「カジノ法 公明に配慮 自民、今国会成立に固執 来年選挙 切り離し図る」という見出しが掲げられていました。ネット上にその記事自体は見つけられませんでしたが、同様の内容を西日本新聞が報じていました。最後に、その西日本新聞の記事を紹介させていただきます。「来年の選挙戦のころには批判は消えている」という有権者が見下された言葉を忘れないためにも。

西日本豪雨の被害が拡大する中、与党が統合型リゾート施設(IR)整備法案の成立を急ぐ背景に、カジノ解禁に反対する支持者の多い公明党の意向がある。来年の参院選や統一地方選への悪影響を避けるため、選挙戦までの期間をできるだけ空けておきたいという思惑だ。「推進法で決めたことだから、その通り成立させることが重要だ」。公明の山口那津男代表は18日の会合で、IR整備法案に賛成する理由を強調した。

整備法案は、2016年に成立したIRの「推進法」に基づく。同法は政府に対し、施行後1年以内をめどに整備法をつくるよう求める内容だ。当時、公明の支持母体の創価学会はカジノ解禁に強く反発し、党は衆参の採決で異例の自主投票に追い込まれた。山口氏や井上義久幹事長ら、複数の幹部が反対した。「既に成立した推進法に従うのは当然だ」−。公明幹部は、整備法案について学会員をそう説得してきた。

ギャンブル依存症対策法の先行成立も、公明は強く主張した。学会員に「依存症対策は万全だ」と理解を求めるためだ。自民党は、森友、加計問題や財務省のセクハラなどで国会審議が暗礁に乗り上げた3〜5月、同法の審議を後回しにすることを検討したが、自民国対幹部によると、公明が絶対許さなかったという。同法は今月6日に成立した。

それでも公明の中堅議員は「整備法成立が選挙に近づくのはどうしても避けたかった」と打ち明ける。同党は昨年の衆院選で議席を6減させ、比例代表の得票は2000年以降で初めて700万票を割った。統一地方選の勝敗は、3千人の地方議員を擁する公明にとって党勢に直結する。野党は「豪雨対策よりカジノを優先している」と批判するが、公明幹部は「来年の選挙戦のころには批判は消えている」と意に介さなかった。 【西日本新聞2018年7月20日

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2018年7月14日 (土)

西日本豪雨の後に思うこと

西日本を中心に降り続いた記録的な豪雨は各地に甚大な被害をもたらしました。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。このような災害を未然に防げる対策が最も大事なことですが、科学が進歩している現在においても残念ながら自然災害を人間の手で制御できるようにはなっていません。

したがって、「災害は起こる、災害は避けられない」ということを前提に様々な対策を講じる必要があります。災害が起きた際、いかにダメージを軽減できるか、できる限り犠牲者を出さず、被害を少なくできるかどうかが欠かせません。つまり防災対策においては減災という視点が重視され、災害が発生しても被害を最小限にとどめるための対策を立て、日頃から準備することが求められています。

今回の西日本豪雨災害を受け、安倍首相は外遊を取りやめました。法案審議にも影響を及ぼすのかも知れないと思っていましたが、参院の定数を6増とする公職選挙法改正案やカジノ法案と呼ばれているIR(統合型リゾート)実施法案は予定通り審議が進められています。さらに下記報道の通り「赤坂自民党亭」の開催が物議を醸し、与党側の危機意識のあり方が問われる事態にもつながっていました。

豪雨による被害が各地で拡大する中、参議院の委員会では、与党が強行する形でカジノ整備法案が実質審議入りしました。西日本豪雨の被害が拡大する中、国会では、迅速で万全の対策を政府に求める決議を全会一致で採択。「被災者へのきめ細やかな支援は急務です」(安倍首相) 政府は被災自治体の要請を待たず、国が率先して支援物資などを供給する方針を打ち出しました。 

平成に入り最悪の被害を出した豪雨災害。その豪雨が迫る夜に自民党議員たちが開いた会合が、問題視されています。5日の夜、国会議員宿舎で開かれた「赤坂自民亭」という懇親会。しかし、この時、記録的な豪雨により、多くの地域で避難指示などが出されていたのです。懇親会に出席した小野寺防衛大臣は・・・「防衛省からは随時連絡が来ておりましたし、その都度、指示を出していたので、特に支障は無いと思っております」(小野寺五典防衛相) 

表向き、政府側は災害対応に問題はなかったとしていますが、与党内からも疑問の声が上がっています。 「またちょっと、気が緩んできているよね」(与党幹部) 「センスの問題だ。どう取り上げられるか、考えてみれば分かるでしょ」(自民党大臣経験者) 参議院では10日、「カジノ整備法案」の実質審議が始まりました。この法案の担当大臣は、豪雨被害の対策で中心的な役割を担う石井国交大臣です。そもそも「カジノ整備法案」に反対の野党側は・・・「石井大臣が、人命よりギャンブル優先の審議を、自ら選ぶというのはちょっと信じられない」(立憲民主党 蓮舫副代表) 

さらに与党側は、参議院の定数を6増やす公職選挙法改正案も、今の国会での成立を目指す方針です。しかし、JNNの世論調査で、この2つの法案について、今の国会で成立させるべきかどうかを聞いたところ、いずれも「反対」が「賛成」を上回りました。成立を急ぐ与党側の姿勢に、野党側は反発を強めています。「火事場泥棒じゃないか。災害に乗じて、どんどん法案を通そうとしている」(野党幹部) 未曽有の災害は、会期末が迫った国会にも大きな影響を与えています。【TBSニュース2018年7月10日

多面的な情報を提供する機会として、立憲民主党も同日に所属議員の政治活動25周年を記念するパーティーを開いていたことにも触れなければなりません。与党と野党では災害対応を巡る責任の重さが違うとは言え、自民党を批判することで「ブーメラン」化することを警戒している可能性もありそうだ、とリンク先の記事には書かれています。

至らなかった点があった場合、指摘を受け、率直に反省することで次回から同じような失敗を繰り返さないことが重要です。「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹さんは「やっぱりおかしかった豪雨災害報道と政治家さん」というタイトルを付けてツイートしていました。「豪雨災害の真っ最中に政権はさかもり懇親会!多分、報道がNHK以外はあまりに日常的に流れているため 気が緩んでいたのではないでしょうか?」と綴っていました。

民放キー局の災害報道の少なさとの関連性を指摘し、「反論の余地が無い大失態ではないでしょうか?今回のような失態をメディアも政治家もしないようにすることが大事ではないでしょうか?今となっては国を挙げて救済と復興の為に取り組んでほしいと思います!」と尾木さんは提言されています。まったくその通りだと思います。

気象予報の初期の段階で、もっと切迫した危機感を伝えるメディアの報道や政治の働きかけがあれば、救える命が多かったはずという痛恨の思いを私たちは共有化しなければなりません。そのためにも前述した通り率直に反省すべき点は反省していく必要があります。どの党にとって有利か不利かという政局的な視点から離れ、メディアや野党が「赤坂自民亭」について問いただすことは当然だろうと考えています。

自民党の竹下総務会長は記者会見で「もう開いてしまっておりますので、どのような非難もお受けしようと思っております」と答え、「正直言ってこれだけ凄い災害になるという予想を私自身は持っていなかった」と釈明しています。若干居直った印象も受けますが、正直な気持ちを示されたものと受けとめていました。

一方で、「赤坂自民亭」の写真をツイッターで公開した西村官房副長官は参院の委員会で次のように謝罪しています。「災害発生時に会合をしていたかのような誤解を与えて、多くの方が不愉快な思いをされたということで、私として反省をし、お詫びを申し上げたい」という謝罪です。質問されたのは自治労組織内議員の相原久美子さんでした。相原さんは「誤解を与えたという問題ではない」とし、大雨の情報が出てきた段階での危機意識について問いただしていました。

いつも安倍政権に辛口な『日刊ゲンダイ』は西村副長官の謝罪の言葉に対し、「豪雨災害時に乾杯で謝罪 西村官房副長官は誰に謝ったのか」という見出しを付け、「西村氏はまるで国民が勝手に誤解したために、安倍首相をはじめ飲み会参加者に迷惑をかけたから謝罪しますと言っているようだ」と指摘する声が上がっていることを紹介していました。弁護士の澤藤統一郎さんはもっと辛辣にご自身のブログの中で次のように批判されていました。

「会合をやったのが、まるで大雨の被害が出ている最中のことであるかのような誤解」と言いたいのなら、この政治家は相当にタチが悪い。何の反省もしていない。誰も、「大雨の被害が出ている最中」の宴会とは言っていない。大雨予報が出ているさなか、豪雨の警戒を要する時期での宴会を問題としているのに、意識的な論点すり替えが悪質なのだ。印象操作だけが問題で、何を反省すべきかを真剣に考えてはいないのだ。

「結局、政権を批判したいだけ」というお叱りを受けそうですが、「あの夜、あのメンバーでの酒席は問題だった。その後、SNSに投稿したことも軽率だった」という率直な反省がないようでは同じ過ちを繰り返す可能性も否定できません。加えて「それほど重大視する話ではなく、きっと国民の多くは容認してくれる。逆に揚げ足を取るばかりの野党のほうに批判の矛先が向かうはず」というような意識があるようであれば、澤藤さんの指摘の通りだと思っています。

実は澤藤さんの上記の批判意見には「これが、自民党の政治家らしくもあり、安倍政権の一員らしくもある」という言葉が続いていました。「AだからBだろう」という批判の仕方は避けるため、いったんは切り離していました。それでも自民党の衆院議員だった早川忠孝さんがご自身のブログ「これで、災害対応に問題なし、などと言えるわけがないのだが…」で下記の通り語っていますが、「安倍政権の一員」という属性批判も的外れではないような気がしてきます。

安倍総理は初動の遅れを否定されているようだが、さて、どうだろうか。未だ被害の全容が分かっていないから、政府がいつの時点でどう動くべきだったか等について議論をしても何の役にも立たないとは思うが、安倍総理や官邸の皆さんが、自分たちはやるべきことはちゃんとやった、ノープロブレム、などとこの段階で開き直られてしまうとちょっと鼻白んでくる。

自民党の法案審議への対応についても少し触れなければなりません。野党側の「火事場泥棒じゃないか。災害に乗じて、どんどん法案を通そうとしている」という言葉には違和感があります。もし多くの国民が望み、国民生活にとって不可欠な重要な法案だった場合、どのような災害に見舞われようとも粛々と審議は進めるべきものと考えています。しかし、カジノ法案や参院定数6増とする公職選挙法改正案は国民の多数が反対し、野党が猛反発している法案です。

もともと大きな意味がなかったという見方もあるようですが、安倍首相が外遊を取りやめるほどの非常事態だという認識を政府は示したことになります。そうであれば国民からの反対の声が強い法案審議にも慎重な対応を示して欲しかったものと思っています。ちなみにカジノ法案の問題点は次回以降の記事を通して掘り下げてみるつもりです。最後に、公職選挙法改正案の国会審議の中で参考人として呼ばれ、反対意見を表明された自民党の参院幹事長だった脇雅史さんの言葉を紹介させていただきます。

「選挙制度は国民のためにあるのであって自民党のためにあるのではない」。元自民党参院幹事長の脇雅史氏は9日、参院政治倫理確立・選挙制度特別委員会に国民民主党推薦の参考人として出席し、古巣の自民党が提出した公職選挙法改正案をこう批判した。脇氏は「原点に立ち返って考えてほしい」と述べ、再考を強く促した。

脇氏は、現行法の付則に書かれた「2019年参院選に向けた抜本的な見直し」が先送りされてきた経緯に触れ、「自分たちがつくった法律を守らないのは、ゆゆしきことだ」と与野党の姿勢を批判。定数6増の自民党案に関しては「本当に抜本改革なのか。とても信じられない」と非難した。【JIJI.COM2018年7月9日

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2018年7月 7日 (土)

2冊の『ブラックボックス』

このブログは週に1回の更新間隔のため、投稿する題材に事欠くことはありません。読み終えた書籍の感想を中心にした新規記事をそのうち投稿したいものと考えながら、ずっと機会を逸したままとなるケースもあります。今回の記事タイトルに掲げた2冊の『ブラックボックス』も、かなり前に読み終えていた書籍でした。

1冊は伊藤詩織さんの『ブラックボックス』です。読んでみたい新刊だったため、発売後、すぐ手に入れていました。もう1冊は篠田節子さんの『ブラックボックス』ですが、こちらは立ち寄った書店に平積みされていたものを見かけ、興味が沸いて手にしていました。同じ時期に購入した書籍でしたが、後から同じタイトルだった偶然に気付き、ブログで取り上げる際は今回のような記事タイトルを頭に浮かべていました。

なぜ、この時期に温めていた題材を取り上げることになったのか、後ほど説明させていただきます。まず篠田さんの『ブラックボックス』について紹介します。これまで読み終えた書籍を題材にした時の手順として、書籍を宣伝するサイトに掲げられた内容をそのまま紹介しています。著作権はもちろん、ネタバレに注意した内容紹介を心がけているためですが、省力化という利点(coldsweats01)もありました。

サラダ工場のパートタイマー、野菜生産者、学校給食の栄養士は何を見たのか? 会社の不祥事で故郷に逃げ帰ってきた元広告塔・栄実、どん詰まりの地元農業に反旗を翻した野菜生産者・剛、玉の輿結婚にやぶれ栄養士の仕事に情熱を傾ける聖子。真夜中のサラダ工場で、最先端のハイテク農場で、閉塞感漂う給食現場で、彼らはどう戦っていくのか。

食い詰めて就職した地元のサラダ工場で、栄実は外国人従業員たちが次々に体調不良に見舞われるのを見る。やがて彼女自身も……。その頃、最先端技術を誇るはずの剛のハイテク農場でも、想定外のトラブルが頻発する。 複雑な生態系下で迷走するハイテクノロジー。食と環境の崩壊連鎖をあぶりだす、渾身の大型長編サスペンス。

前述した理由で言えば、カスタマーレビューに掲げられた感想の紹介も最適です。篠田さんの『ブラックボックス』には「食料の安全性と自給率、農家の生活に外国人労働者の問題まであいかわらず取材は綿密で、いつものような膨大な分量であるにもかかわらず一日で読了してしまいました」という感想が寄せられています。

今回、2冊の書籍を同時に取り上げているため、篠田さんの『ブラックボックス』については多く語らないつもりです。自治体の仕事として学校給食の職場があり、多くの組合員が働いています。過去の記事に「学校給食への安全責任」「学校給食のあり方、検討開始」などがあります。このような絡みがあり、こちらの『ブラックボックス』にも興味を示していました。

過酷な環境を強いられている外国人労働者の深刻な問題が描かれています。しかし、それ以上にハイテクを追求した結果の「食の安全性」に警鐘を鳴らしている著者の意図が伝わる書籍でした。綿密な取材に基づく事実関係に沿ったフィクションなのかも知れませんが、フィクションであることを切実に願わなければならないような食を扱う現場における「ブラックボックス」が描かれていました。

続いて、伊藤さんの『ブラックボックス』です。こちらは事実関係を広く訴えたい目的で綴られた告白本でした。書籍の表紙には『ブラックボックス』というカタカナとアルファベットで『Black Box』とも記されています。そのため、ここからは伊藤さんの『ブラックボックス』は『Black Box』と記し、篠田さんの『ブラックボックス』と峻別することにします。その『Black Box』の内容紹介の記述は次のとおりでした。

2015年4月3日夜、『Black Box』の著者であるジャーナリストの伊藤詩織は、以前から就職の相談をしていた当時のTBSワシントン支局長と会食した。数時間後、泥酔して記憶をなくした彼女が下腹部に激痛を感じて目を覚ますと、信頼していた人物は全裸の自分の上にいた。

そこは、彼が滞在しているホテルの部屋だった。一方的な性行為が終わってベッドから逃げだした彼女が下着を探していると、「パンツくらいお土産にさせてよ」と彼が声をかけてきた。当事者しか知りえない密室のやりとり、そして、レイプの被害届と告訴状を提出したからこそ直面した司法やメディアの壁について、伊藤はこの本で詳細に記している。

本当は書きたくなかったに違いない。しかし、ようやく準強姦罪の逮捕状が出たにもかかわらず、当日になって警視庁刑事部長の判断で逮捕見送りになり、さらには不起訴処分となった以上、伊藤も覚悟を決めたのだろう。今年の5月には「週刊新潮」の取材を受け、検察審査会への申し立てを機に記者会見を開いた。審査会が「不起訴相当」と議決した際には、日本外国特派員協会で会見に臨んでみせた。

マスコミの反応は今も鈍く、ネットでの誹謗中傷は続いている。そんな状況下で伊藤はこの本を上梓したのだが、通読して強く感じるのは、ジャーナリストとして真実に迫りたいという彼女の心意気だ。それは痛々しいほど切実で、心労で苦しみながら核心へと迫り、権力の傲慢さとともにレイプ被害にまつわる法や社会体制の不備──ブラックボックス──の実相を具体的に伝えてくれるのだった。

上記の文章を読むだけで、卑劣なレイプを受けながら警察や司法当局の理不尽な判断に対する伊藤さんの無念さが伝わってくるはずです。書籍のそでには「自ら被害者を取り巻く現状に迫る、圧倒的なノンフィクション」と記されています。通読することによって、伊藤さんがどのような経緯でレイプ被害に遭い、告発本を綴らなければならなかったのか実感できるようになっています。

もともと伊藤さんはジャーナリストであり、感情を抑制しながら思い出したくないはずの事実関係を淡々と書きしるしています。篠田さんの『ブラックボックス』とは異なり、フィクションではない実際に起こった出来事としての重さを感じさせる書籍でした。ちなみに準強姦罪とは通常の強姦罪よりも罪が軽いという意味ではありません。主に意識のない人に対するレイプ犯罪を準強姦罪と呼ぶそうです。

いずれにしても伊藤さんの事件は政治的な思惑が錯綜しながら評されがちです。準強姦罪を訴えられた人物が安倍首相と親しいジャーナリストである山口敬之さんだからです。以前の記事「『総理』を読み終えて」「『総理』を読み終えて Part2」の中で触れているとおり山口さんと安倍首相との距離の近さは自他ともに認める関係性でした。

そのため、安倍首相を支持されている方々は山口さんの言い分を信じがちであり、書籍の内容紹介にあるとおり被害者である伊藤さんがネット上で中傷されるという事態まで生じています。一方で、日頃から安倍首相を批判している側は安倍首相を攻撃する一つの材料として伊藤さんの事件を利用しているように見られがちでした。

この事件に安倍首相自身が直接関与していないことは確かだろうと思っています。ただ当ブログで伊藤さんの『Black Box』を取り上げると、やはり安倍首相を批判するために取り上げているのではないかと見られそうな気がしていました。そのような見られ方は不本意だったため、「2冊の『ブラックボックス』」という記事の投稿はためらってきたとも言えます。

今回、ようやく取り上げようと考えた切っかけは、あるサイトの記事を目にしたからです。『リアルライブ』というサイトの「杉田水脈議員、伊藤詩織氏の準強姦被害を“理不尽”と非難し大炎上 三浦瑠麗氏らも反論」 という記事でしたが、たいへん驚きました。7月3日に掲げられた記事ですので、発端となったイギリスのBBCテレビのドキュメンタリーは6月28日に放映されていました。

自民党の杉田水脈衆議院議員が自身のツイッターで、メディアを通じて準強姦被害を訴えているフリージャーナリストの伊藤詩織氏を批判し、賛否を集めている。伊藤氏は昨年5月、ジャーナリストの山口敬之氏から準強姦を受けたことを告白。事件が起きたのは15年4月だったが、翌年6月には逮捕状が発行されていたものの、逮捕直前に執行が停止されるなどが起き、物議を醸すことに。伊藤氏は告発本『Black Box』(文藝春秋)も出版したものの、いまだ山口氏側の証言と異なる部分も多々あり、真相の解明を求める声も少なくない。

先月28日には、イギリスのBBCテレビが伊藤氏に焦点を当てたドキュメンタリー『日本の秘められた恥』を放送し、再び事件が見直されるきっかけとなっていたが、そんな中、番組内でも山口氏を擁護する立場として番組のインタビューに応えた杉田議員がツイッターを更新し、「私は性犯罪は許せない!無理やり薬を飲まされたり、車に連れ込まれて強姦されるような事件はあってはならないし、犯人の刑罰はもっと重くするべきと考えています」としつつ、「が、伊藤詩織氏の事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます」とツイートした。

このツイートに、同じく女性から批判が殺到。「被害者に対して“落ち度”?伊藤さんが受けた被害も十分すぎるほど強姦です」「同じ女性とは思えません。女性の発言としてはあまりに酷すぎる」「強姦被害者に対してそのような言い方をする人が国会議員なんて信じられません」といった声が集まる事態に。また、政治学者の三浦瑠麗氏もこのツイートに反応し、「仮に財布がズボンのポケットからはみ出て気をつけてないうちにスられたとしても、窃盗は窃盗です。」と例え、不起訴の事実があったとしても「TBSの幹部として職を求めにきた人と性的行為をしようとしただけで職務上の倫理違反に問われる件です」と反論していた。

その後、杉田議員はツイッターユーザーから寄せられた「ご自分のお子様が被害に遭ったとしても、同じことが言えるのか?」という指摘に「もし私が、『仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性』の母親だったなら、叱り飛ばします。『そんな女性に育てた覚えはない。恥ずかしい。情けない。もっと自分を大事にしなさい』と」と回答。変わらず批判の声が殺到していたものの、中には「男としても怒りを感じますよ!」「冤罪を作れてしまう世の中はなくしたいですね」という擁護の声も見られていた。

驚いた記事の全文は上記のとおりです。私が最も驚き、違和感を抱いたのは最後の段落にある杉田議員の言葉です。「『仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性』の母親だったなら、叱り飛ばします」という言葉は、加害者として疑われている山口さんの言い分が「真実」という前提で語られています。

確かに伊藤さんが訴えている事実関係が、すべて「真実」なのかどうか分かりません。しかし、被害者と加害者、どちらが事実関係を糊塗しがちなのかどうか、そのような傾向も踏まえながら言葉を選ぶべきなのではないでしょうか。もしかしたら杉田議員は『Black Box』を読んだことがないのかも知れません。『Black Box』に少しでも目を通していれば、山口さんの言い分のほうに疑問を抱くようになるものと思っています。

伊藤さんは「その事実を証明するには ー 密室、社会の受け入れ態勢、差し止められた逮捕状、あらゆるところに“ブラックボックス”があった」と語っています。密室における双方の言い分、その点について「ブラックボックス」化してしまうことを受けとめた言葉です。それでも杉田議員の「被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます」という伊藤さんを誹謗する発言などには驚くばかりです。

どのような案件に対しても事実関係の全容が明らかになっていない中、決め付けた言い方は慎まなければなりません。伊藤さんの事件の事実関係で明らかな点は「準強姦罪で検察が逮捕状の請求を認め、裁判所が許可していたのにも関わらず、逮捕予定の前日に警視庁トップからストップがかかった」という点です。このようなケースは本当に稀であり、逮捕を見送った直後、担当していた捜査員まで変えられてしまったそうです。

その時の警視庁トップは中村格警視庁刑事部長で、かつて菅官房長官の秘書官を務めていました。ここまでは紛れもない事実関係です。ここから先は疑惑の域に入る話ですので決め付けた言い方は慎まなければなりませんが、山口さんが安倍首相と近しいジャーナリストであるため、何らかの稀な判断が働いたのではないかと見られがちです。もし逮捕に値する被疑者を不当な圧力で見逃していたとしたら、たいへん憂慮すべき事態だと言えます。

これも安倍首相の「お友達」事件であるというような揶揄は不適切です。今回のブログ記事を通して強調したい点は、安倍首相を支持している、支持していない、そのようなことは関係ありません。冷静に、客観的に、物事を多面的に見ながら「おかしいものはおかしい」と言える感覚を磨くべきものと考えています。伊藤さんの事件の経緯、さらに杉田議員の言葉に接し、そのような思いを強めています。最後に、『Black Box』のカスタマーレビューの一つを紹介させていただきます。

日本の女性差別の実態を描く秀作。いかに日本が性暴力に対して、遅れているか、偏見を持たれているかが、よく解る。実際はどのような事が起きていたのか、知るために読むべき一冊だと思う。

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2018年6月30日 (土)

働き方改革関連法が成立

W杯ロシア大会の真っ最中、寝不足気味な方が多いのではないでしょうか。木曜の深夜、日本はポーランドに敗れながら辛くも決勝トーナメントへの進出を決めました。同時に行なわれていたセネガルがコロンビアに負けることを想定し、ポーランド戦の最終盤、日本は同点に追い付くことよりも「0対1」のまま敗れることを選択しました。

時間つぶしのボール回しに徹する日本選手に対し、観客席からは激しいブーイングが起こり、その判断や戦術に対する評価は分かれています。それでも日本チーム全体にその行為の目的や意味は浸透し、一致結束してピッチ上の選手は反則に注意しながら「0対1」のまま敗れることに徹しました。記事タイトルから離れた最近の話題が続きますが、男子ゴルフの片山プロの問題も気になっていました。

国内男子ツアーを主管する日本ゴルフツアー機構(JGTO)は27日、都内で定例理事会を開き、プロアマ大会で不適切な行動をとった国内男子ゴルフツアー通算31勝の永久シード保持者・片山晋呉(45)=イーグルポイントGC=にすでに課している30万円の制裁金に加え、厳重注意の処分を下した。

片山は理事会終了後、青木功会長(75)、石川遼副会長兼ジャパンゴルフツアー選手会長(26)らとともに騒動後初めて公の場で会見。黒のスーツにネクタイで厳しい表情を浮かべた。当日の片山の言動について、同席したJGTO理事の野村修也・中大法科大学院教授は「同伴アマチュアの方がまだパッティングをしている最中に、片山プロが了解を取らずにパッティング練習に終始したことが問題だった」と説明した。

また、同教授は「アマチュアの方はこれまでのプロアマ戦で同伴したプロとあまりに違う片山プロの態度にかなりの憤慨をしておられた。しかし、片山プロは侮辱的な発言や暴言、行為などは一切取っておらず、むしろ、すみませんという対応をしていた」と続けた。片山は5月30日に行われた日本ツアー選手権森ビル杯のプロアマで同組の招待客に不愉快な思いをさせ、プレーを断念させた。15日に文書で「当面の間、(ツアー)出場を自粛させていただく」と表明していた。【2018年6月27日スポーツ報知

プロアマ大会での一件が報道された直後、片山プロは普段から招待客に対し、そのように接してきたのかも知れないと考えました。ネット上で調べてみると、やはり以前から招待客を無視した振る舞いが常態化していたようです。さらに27日に開かれた記者会見では片山プロと下記のような質疑応答があり、そのような実情だったことが確かめられました。

--プロアマ戦で、同組のアマチュアが途中で帰り、どう思ったか「どうして帰られるのか、理由が分からなかった。怒っているとは思わなかった。でも不快な思いをさせたのは確かだ。大変なことをしてしまったかなという思いで、大会後、ツアー出場自粛を決めた」

--プロアマ戦でのパット練習について「20年以上トーナメントに出ているが、これまでパッティングは許される範囲でやっていたと思う。でもアマチュアの方からクレームを受けたことは一度もなかった。先輩から、プロアマはこういうものだと教わることもなく、見よう見まねでここまで来てしまった」【2018年6月27日SANSPO.COM

いろいろな意味で反面教師とすべき反省点を見出すことができます。プロアマ大会を開催している趣旨や目的を充分理解していなかったという片山プロ自身の思慮不足は深く反省しなければなりません。同時にプロアマ大会の趣旨や目的を選手全員に浸透させていなかった日本ゴルフツアー機構の組織としてのガバナンスの欠如も大きな問題だったと言えます。

もう一つ、これまで片山プロのプロアマ大会での振る舞いを誰も問題視していなかったのかどうか疑問に思っています。オープンな場での出来事ですので、きっと片山プロの不適切な振る舞いを見かけていた関係者も多かったはずです。ただ片山プロが突出した実績のある選手だったため、直接注意できるような関係者がいなかったのかも知れません。

このような経緯があった場合、「どうして帰られるのか、理由が分からなかった」という片山プロの言葉の本音も理解できます。これまで問題だったという認識がなかった振る舞いを突然非難され、一気にツアー出場の機会まで奪われるという重大事に至っている現状について片山プロは忸怩たる思いを強めているのではないでしょうか。

セクハラやパワハラの問題に重ねて教訓化できます。ハラスメントを加えている側が問題であることは言うまでもありません。ただ「このような事例はハラスメントに当たる」という啓発や研修を徹底し、未然防止に努めることが組織の役割として求められています。そして、認識不足の当事者を見かけた場合、相手が上司であろうと「それはハラメントに当たりますよ」と率直に指摘できる関係性が大切なことだろうと考えています。

最近の記事「言うべきことが言える組織の大切さ」の中で具体例をいくつか示していましたが、「ダメなものはダメ」と言える関係性が欠かせないはずです。絶対服従という上下関係から難しい局面だったことは確かですが、日大アメフト部の悪質タックルの指示は拒むべき事例でした。ルールから明らかに逸脱している行為だからです。一方で、冒頭に紹介したポーランド戦での指示はルールで認められた範囲内での戦術でした。

選手個々人の思いは複雑で「このような指示に従って良いのか」という葛藤もあったはずですが、あの場面では一致結束して対応することが求められていました。セネガルが同点に追い付いた場合は水泡に帰す結束力でしたが、幸いにも結果が伴ったことで肯定的な評価も得られる戦術に至っていました。指示の徹底化がはかれず、選手個々人の中途半端なプレイによって決勝トーナメント進出を逃すようであれば最悪なケースだったはずです。

今回のポーランド戦の最終盤のように個々人の意思や思いよりも、組織の指示に従うことを優先させなければならない場面があります。それでも後日、監督や選手の間で、そのような戦術が妥当だったのかどうか話し合う機会を持つことも考えられます。今後、同じような場面に直面した際、チーム一丸となって対処していくための必要な意見交換につながっていくのではないでしょうか。

プロアマ大会のあり方について、もしかしたら片山プロからすれば物申したいことがあるかも知れません。しかし、これまでの組織的な議論等を経て、プロアマ大会の目的や趣旨が定まっているのであれば片山プロは組織の一員として、そのルールに従っていかなければなりません。そのルールに対する片山プロの認識不足、機構側の選手に対する周知不足などが問われている不祥事だったものと見ています。

決められたルールは守らなければなりません。問題があるルールであれば、所定の手続きを提起し、改めていくための手順に力を注いでいくことになります。ルールの中でも格段に重いものとして法律が上げられます。「悪法も法なり」という言葉があるとおり法治国家の一員として個々人の思いや意思に反したことだったとしても、定められた法律は守っていかなければなりません。だからこそ国会での法案審議は、より丁寧に幅広い国民の声に耳を傾けながら慎重な判断を下して欲しいものと願っています。

金曜の参院本会議で働き方改革関連法が成立しました。以前「働き方改革の行方」という記事を投稿していましたが、深く掘り下げなければならない問題点が散見しています。特に「全国過労死を考える家族の会」の皆さんらが危惧している高度プロフェッショナル制度の創設です。略して高プロと呼ばれていますが、脱時間給、つまり残業代ゼロ法であり、過労死を促進させる恐れがあると批判されています。

当初、私自身の言葉で高プロの問題点をまとめる予定でした。いつものことですが、前置きとして書き進めた話が相当長くなりました。そのため、最後にBuzzapに掲げられた『安倍首相「高プロは労働者のニーズではなく経団連らの要望」と白状、立法事実が完全消滅』という記事をそのまま紹介することで、このブログを閲覧されている皆さんに高プロの問題点に関する情報の拡散に努めさせていただきます。

この高プロはやはり経営者側のための「働かせ方改革」でしかなかったことを安倍首相本人が白状しました。詳細は以下から。厚労省の調査がデタラメだったことが発覚し、裁量労働制の拡大が潰れた後も「働き方改革」の片翼としてしぶとく生き残っていましたが、その立法事実を安倍首相自らが嘘だったと正式に認めてしまいました。

◆「高プロ」がどれだけ危険な制度か おさらいしておくと、高度プロフェッショナル制度(以下、高プロ)とは(現状では)年収1075万円以上の高度な専門知識を扱う専門職を対象に、一定の要件の下で労働基準法の1日8時間、週40時間の労働時間規制を撤廃するという制度です。この制度の下では、該当者に労基法4章の労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定が適用されなくなります。つまりは1日8時間、週40時間の労働時間規制が無くなりますから「残業」自体が存在しないことになってしまうのです。また、休日出勤や夜勤などでの割増料金の支払いもありません。

康確保措置が設けられていますが、以下の3種類のうち1つだけを選べばいいという極めてずさんなもの。

  • 四 対象業務に従事する対象労働者に対し、次のいずれかに該当する措置を当該決議及び就業規則その他これに準ずるもので定めるところにより使用者が講ずること。
  • イ 労働者ごとに始業から二十四時間を経過するまでに厚生労働省令で定める時間以上の継続した休息時間を確保し、かつ、第三十七条第四項に規定する時刻の間において労働させる回数を一箇月について厚生労働省令で定める回数以内とすること。
  • ロ 健康管理時間を一箇月又は三箇月についてそれぞれ厚生労働省令で定める時間を超えない範囲内とすること。
  • ハ 一年間を通じ百四日以上、かつ、四週間を通じ四日以上の休日を確保すること。

これによって以下のような働かせ方すら「合法化」されることを当時の塩崎厚労相が国会で正式に認めています。

◆成果主義でもなく、一部の高所得者向けでもなく、「過労死」認定すらされなくなる また、高プロに付いては与党や一部メディアなどが意図的と思わざるを得ない誤解を振りまいています。それが「時間に縛られない働き方」「成果主義になる」というもの。残念ながらこの法案のどこにも成果主義になるという記述は一切なく、どのような成果主義による賃金支払いを義務づける制度の導入も記されていません。

また「年収1075万円以上」が対象とされているため、自分には関係ないと考えている人も多いかもしれませんが、これは単に政府案で示されている数字に過ぎません。法案には「基準年間平均給与額の三倍の額を相当程度上回る水準として厚生労働省令で定める額以上であること」とありますが、法案成立時に年収1075万円だったとしても、それ以降は国会で法改正をすることなく、厚生労働省の省令によって対象となる額が変更してしまえるつくりになっています。

最後に労働時間規制がなくなり、「残業」という概念が適用されなくなることから、長時間労働への歯止めが効かなくなる可能性が強く指摘されています。高プロは「裁量労働制」ではないため、雇用側がノルマや働き方への指示を与えることも可能。つまり「この仕事をやれとは言ったが、本人の能力が足りないから長時間労働になっただけで過労死は自己責任」という言い逃れを可能としてしまいます。この事実は実際の労災認定にも大きな影響を与える恐れがあると考えられており、総じて雇用者側を免責する働きをします。

◆安倍首相自らが立法事実を否定 さて、こうした状況下で安倍政権は粛々と高プロを含む「働き方改革」の今国会成立を目指していますが、6月25日の参院予算委員会で安倍首相自らがこの法案の立法事実を堂々と否定してしまいました。既に高プロ創設に対して労働者にニーズを聞き取ったとされるヒアリング結果はたった12人に対して行なったものに過ぎず、しかも法案要綱が示された2015年3月2日の前には誰にもヒアリングしていないという後付けの大嘘だったことが判明しています。

その12人に関しても全て匿名とされていることからヤラセとの指摘も相次いでおり、加藤厚労相の虚偽答弁も発覚するなど、法案としては既に空中分解状態となっています。それでもなお安倍政権が議席数だけを頼みにこの高プロをどうにかして成立させたい理由とは何なのでしょうか?国民民主党の伊藤孝恵議員が高プロ旗振り役として知られる竹中平蔵パソナ会長の言葉を並べた後、「この期に及んでなお、労働者のニーズがあると答弁するのか?」との質問に対して安倍首相は以下のように語っています。

「高度プロフェッショナル制度はですね、産業競争力会議で、経済人や学識経験者から制度創設の意見があり、日本再興戦略において、とりまとめられたもの。その後、労使が参加した労働政策審議会で審議を行い、とりまとめた建議に基づき法制化を行なったものであろうと思います。本制度は望まない方に適用されることはないため、このような方への影響はありません。このため、適用を望む企業や従業員が多いから導入するというものではなくて、多様で柔軟な働き方の選択肢として整備するものであります。利用するか分からないという企業が多いと言われていますが、経団連会長等の経営団体の代表からは高度プロフェッショナル制度の導入をすべきとのご意見を頂いておりまして、傘下の企業の要望がある事を前提にご意見を頂いたものと理解をしているところであります。(参議院インターネット審議中継 2018年6月25日 予算委員会より)」

つまり、安倍首相は質問に対して労働者のニーズに対して一言も触れず、経団連会長を含む経営側からの要望があった事から高プロを導入するのだと説明しているのです。ですがこれは法案を提出する理由たる立法事実の「労働者がそれぞれの事情に応じた多様な働き方を選択できる社会を実現する働き方改革を推進するため」に完全に反しています。つまり高プロは、労働者から一切ヒアリングすることなく法案要綱を作り、担当する厚労相が虚偽答弁を行ってまでニーズを捏造した挙句、安倍首相本人が労働者ではなく経団連会長ら経営団体からのニーズであった事を白状してしまったのです。

実に最初から全てが嘘で塗り固められた法案でしかなく、その嘘も全てバレた上に安倍首相本人が嘘だったことを認めた時点で立法事実が完全消滅したわけですから、立法府としてはこの法案は廃案にする以外ありません。このまま与党が高プロを成立させるのであれば、立法府がでっち上げられた(そしてそれが完全にバレた)嘘のニーズに基づいて法律を作るという、法治国家として致命的な自爆を行う事になります。与党議員らは自らの1票が日本という法治国家を跡形もなく踏み潰す可能性をよく考えるべきではないでしょうか。

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2018年6月23日 (土)

市議選が終わり、今、思うこと

「いいかげんにしろ」、6月15日の厚生労働委員会に参考人として呼ばれた肺がん患者の長谷川一男さんに浴びせられた言葉です。長谷川さんは「原則としては屋外でもなるべく吸って欲しくないというのが肺がん患者の気持ちではある」と述べた上で、「やはり喫煙者の方がどこも吸う所がないじゃないかとおっしゃるのもすごくよく分かります」と喫煙者の思いにも配慮しながら発言していました。そのような発言の最中、自民党の穴見陽一衆院議員は長谷川さんに対してヤジを飛ばしていました。

また、「魔の3回生」がやらかした-。自民党の穴見陽一衆院議員(48)が、受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案の審議中、参考人の肺がん患者に対し、「いいかげんにしろ!」とヤジを飛ばしたのだ。穴見氏は21日、謝罪コメントを出して火消しに走ったが、後の祭り。与野党から「言語道断」などと、一斉に批判が噴出している。問題の発言は、15日の衆院厚労委員会で飛び出した。日本肺がん患者連絡会代表の長谷川一男さんが、参考人として屋外の喫煙場所のあり方について発言していた最中だった。

考えられない暴言に、野党や一部メディアが批判を始めると、穴見氏は21日、以下の謝罪コメントを発表した。「『喫煙者を必要以上に差別すべきではない』という思いでつぶやいた。参考人の発言を妨害する意図は全くない。不快な思いを与えたとすれば、心からの反省とともに深くおわびする」 高鳥修一委員長(自民党)は穴見氏を厳重注意した。

穴見氏は、大分1区選出の3回生。大分がん研究振興財団理事を務め、ファミリーレストランを展開する「ジョイフル」代表取締役相談役でもある。改正案で、ジョイフルのような大手チェーンは禁煙となる。穴見氏の発言に、子宮頸がんを経験した自民党の三原じゅん子参院議員は、ツイッターでこう批判した。「法案審議の為にお願いして来て頂いた参考人に野次を飛ばすとは、常識的に考えられない。絶対にあってはならないこと!」

野党も反発した。立憲民主党の長妻昭代表代行は「患者は必死の思いで国会に来た。ヤジはあってはならない。党内で処分すべきだ」と強調し、共産党の志位和夫委員長は「あまりに心がない。自民党政治の劣化極まれりだ」と嘆いた。ネット上でも「与党、野党関係なく、審議中にヤジを飛ばす議員は辞めるべきだ」「国権の最高機関の名が泣く」「幼稚園でも『人の話は聞きましょう』と教えられる」などと、批判がわき起こっている。【ZAKZAK2018年6月22日

自民党内からも批判を受けているように国会議員同士のヤジとは異なる意味合いをはじめ、穴見議員の言動は非常識であり、政治家としての資質が大きく疑われる振る舞いだと思っています。しかしながら穴見議員の謝罪コメントの発表は当該の委員会の後、6日も経ってからでした。21日の朝、ネットメディア「バズフィード・ジャパン」が取り上げなければ、マスメディアも報道せず、穴見議員の謝罪もなかったという見方が成り立ちます。

15日の委員会室にいた国会議員やマスメディアの皆さんが、ただちに問題視すべき事例だったはずであり、対応の遅さや感度の鈍さを反省点とすべきではないでしょうか。いずれにしてもメディアの報道がなければ、このような国会議員がいることを私たち国民は把握できないままでした。SNSや口コミでも構いませんが、幅広い情報を得ていくことの大切さを改めて感じ取る機会だったとも言えます。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。

このブログの中で上記のような言葉を頻繁に掲げています。ここ数年、安倍政権を巡る問題の多さから、よりいっそう強めている問題意識です。一方で、森友学園や加計学園の問題を追及する側が批判される場合もあります。主な理由として「安倍首相自身が関与していなかったことは明らかであり、単なる政権批判のための追及である」という言い分などが見受けられます。

確かに安倍首相自身が贈収賄や偽計業務妨害などの罪に直接問われるような疑いは薄いはずです。ただ加計理事長との交友関係から大臣規範に抵触していた恐れは消えていません。抵触する恐れがあるため、「会っていない」「知らなかった」などという事実関係を書き換えているような疑念が高まりがちです。規範に抵触していたかどうかも問題ですが、それ以上に事実関係を偽っていた場合、次元の異なる致命的な大問題だと思っています。

本来、推論や仮定の話で他者を批判することは慎まなければなりません。それでも事実関係の真偽は留保した上、断定調の書き方を避けながら、もう少し私自身の思いを綴らせていただきます。森友学園や加計学園を巡る問題を軽視するつもりはありませんが、私自身の問題意識は「正確な情報を包み隠さず伝えているのかどうか」という論点に集約されていきます。

この点についての信頼関係が揺らぐ場合、政府が発信する情報は常に疑ってかからなければならなくなります。もともと歴代の政権が都合の悪い情報は伏せがちだったはずであり、安倍政権だけの問題だと考えている訳でもありません。だからこそマスメディアは政権と距離を置き、幅広い情報や批判意見を的確に伝えていく役割を負っているものと思っています。

「今、思うこと」だけで長い記事になりつつあります。タイトルに掲げた「市議選が終わり、」が後に続くことになりますが、私が勤めている自治体の市議会議員選挙は先週日曜に投開票されました。定数28になってから最も多い43人が立候補し、現職3人が落選する大激戦でした。たいへん残念ながら私どもの組合が推薦した候補者は議席を獲得できませんでした。

火曜の朝、読売新聞の政治面に「都内地方選 野党に勢い」という見出しの記事が掲げられました。中野区長選や今回の市議選の結果を受け、このような見出しを付けたようです。確かに立憲民主党の公認候補者は3,831票獲得し、2位に900票近くの大差を付けてトップ当選しました。一方で、立憲民主党の推薦候補者2名は落選しています。

党派別で見れば、自民党は立候補者9名のうち8名当選し、これまでより1名議席が増えます。公明党は現職7名が立候補し、全員当選しています。共産党は5名全員当選していますが、民主党の流れをくむ候補者は5名のうち現職1名が落選しています。2位から11位までが自民党か公明党の候補者であり、得票数から見ても「野党に勢い」という見出しには違和感がありました。

ただトップ当選した候補者の前回の得票は1,628票でしたので、立憲民主党の看板を背負ったことで2,200票ほど上積みをはかれたことになります。その意味で、立憲民主党の福山幹事長の「有権者は、昨年の衆院選で我々に向けた期待をまだ持っている」というコメントはその通りだろうと思っています。とは言え、議席数で考えれば、自民党8に対して立憲民主党1という大きな落差があることも押さえていかなければなりません。

もともと市議選は候補者と有権者との顔が見える中での関係性を深めているため、国政での風の影響はそれほど受けない傾向があります。それでも世論調査の一つとして市議選の結果をとらえた際、自民党に強い逆風は吹いていなかったものと見ています。下がり続けていた内閣支持率も30%前後に踏みとどまり、上昇に転じる気配もあるようです。

政権として至らなかった点を心から反省し、改めるべき点を迅速に改めていることを国民が評価し、上昇に転じていくのであれば問題ありません。しかし、何も変わらず、数々の不祥事が徐々に忘れられていくことで支持率が回復していくようでは大きな問題だろうと思っています。さらに「今の野党には託せられない」という消去法によって現政権が続くのであれば、たいへん残念なことです。

「市議選が終わり、今、思うこと」は、まだまだ頭の中に浮かんでいます。それでも長い記事になっていますので、このあたりで一区切り付けさせていただきます。最後に、土曜の朝「国会で議論を尽くしたという口実を与えかねない」とし、議論自体に応じない構えであることを立憲民主党の幹部が発言しているという新聞記事を目にしました。廃案を最優先にした構えであることも分かりますが、国会議員が議論自体を放棄することの問題性は強く認識すべきものと考えています。

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2018年6月16日 (土)

米朝首脳会談に対する評価

このブログの管理人である私自身は、プロフィール欄に記しているような立場を明らかにしています。政治家やタレントなど著名人であれば自分の名前を売るのが本業であり、間違いなく実名でご自身のブログを運営しています。一般の人たちが運営する場合は、実名を伏せてハンドルネームで発信していることが大半です。

当ブログも後者であり、管理人名を「OTSU」としています。ただ知り合いや組合員の皆さんからすれば実名での発信と変わらない位置付けとなっています。 勤めている自治体名も伏せていますが、記事内容などから簡単に特定できてしまうはずです。必ずしも隠し通さなければならない訳ではありませんが、個人の責任によるブログ運営の一般的なセオリーに沿ったものですのでご理解ください。

自治体について言えば、市長選と市議選それぞれが統一地方選の日程から外れています。都知事選と都議選も独自な日程であり、来春の統一地方選に一切無縁な自治体となっています。最近の記事「等身大の組合活動として」の中で触れていましたが、市議選は先週日曜に告示され、明日が投票日です。このような記事内容から具体的な自治体名は明らかになってしまいますが、前述したような点についてご理解願えれば幸いです。

その市議選は定数28名を43名で争う激戦となっています。4年前には「市議選まであと1か月」「市議選まであとわずか」という記事があり、これまで4年ごとに市議選に関連した多くの記事を投稿してきました。今回も推薦した候補者が議席を得られることを強く願っていますが、組織内出身の候補者かどうかによって重圧感は格段に違っています。次回以降の記事で選挙結果等を踏まえた感想を述べさせていただくかも知れませんが、今回の記事は「米朝首脳会談に対する評価」としました。

◆「和平」ムード先行を警戒したい 米国と北朝鮮が首脳同士の信頼関係を築く歴史的会談となった。緊張緩和は進んだものの、北朝鮮の非核化で前進はなかった。評価と批判が相半ばする結果だと言えよう。核保有に至った国に核を放棄させるのは極めて困難な目標である。その達成に向けて米国は粘り強い交渉を続けねばならない。

合意は具体性に欠ける トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長による史上初の米朝首脳会談がシンガポールで行われた。両首脳は共同声明に署名し、新たな関係をアピールした。最大の焦点の核問題について、声明は、「朝鮮半島の完全な非核化」に取り組むという金委員長の意思の確認にとどまった。非核化の時期や具体策は示されていない。米国が求める「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」への道筋は描かれなかった。首脳会談でも抽象的な合意しか生み出せなかったのは残念だ。

北朝鮮がこれまでにとった措置は核実験の中止と核実験場の爆破だけだ。金委員長が核を手放す決断を下したかどうかは、不透明だと言わざるを得ない。「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」の実現には、北朝鮮が核兵器や核物質、関連施設を申告した上で、廃棄や国外搬出を進めることが不可欠だ。国際原子力機関(IAEA)などによる検証・査察体制も整える必要がある。こうした作業をどのような手順で、いつまでに完了させるのか。一連の措置の要領と期限を明記した工程表の作成が欠かせない。

北朝鮮の弾道ミサイル問題が声明に盛り込まれていないのも不十分だ。金委員長は、ミサイルのエンジン試験施設の閉鎖に言及したが、全ての弾道ミサイルの廃棄を迫らねばならない。トランプ氏は記者会見で「プロセスの始まり」を強調した。合意を肉付けする作業は、ポンペオ国務長官と北朝鮮高官による今後の交渉に委ねられた。トップ交渉で一気に事態を打開するのには時間が足りなかったのだろう。突破力に頼るトランプ外交には不安が残る。北朝鮮との交渉経験を持つ専門家を政権に集め、日本や韓国、中国とも連携して明確な戦略を打ち立てるべきだ。

圧力の維持が必要だ 過去の米朝交渉で、米政権は大統領任期の制約に縛られ、北朝鮮の見返り目当ての揺さぶり戦術に翻弄された経緯がある。政権交代にかかわらず、持続可能な合意を追求してもらいたい。声明には、トランプ氏が北朝鮮に体制の「安全の保証」を与え、米朝両国が「朝鮮半島の永続的な平和体制の構築」に取り組むことなどが明記された。金委員長が、体制の正統性をアピールし、国際的孤立から脱する材料に使うのは間違いない。韓国や中国が融和ムードに乗じて、制裁を緩める事態を警戒しなければならない。非核化の進展があるまで制裁を維持する方針をトランプ氏が示したのは当然だ。

懸念されるのは、トランプ氏が記者会見で米韓軍事演習の中止や在韓米軍の将来の削減に言及したことだ。和平に前のめりなあまり、譲歩が過ぎるのではないか。米韓と北朝鮮が軍事境界線を挟んで対峙する状況が直ちに変わるわけではない。北朝鮮はソウルに壊滅的な打撃を与えられる火砲を最前線に配備している。この脅威が消えない限り、朝鮮戦争で創設された国連軍や在韓米軍の見直しを議論するのは時期尚早だ。休戦協定に代わる平和体制の構築は、北朝鮮の非核化の完了後に行うとの原則を、米国は堅持しなければならない。トランプ氏は、金委員長に日本人拉致問題を提起したことを明らかにした。長年の膠着状態を打破する機会が訪れたと言える。

日朝会談の環境整備を 安倍首相は、米朝共同声明について、「北朝鮮を巡る諸懸案の包括的解決に向けた一歩」と支持し、拉致問題は「日本の責任において、日朝で交渉しなければならない」と強調した。金委員長との会談を模索するのは当然だろう。拉致被害者の帰国を実現するには、日朝両国の首脳が直接、協議するしかない。2002年の日朝平壌宣言は、国交正常化後の日本の経済協力実施を明記している。核・ミサイルと拉致の包括的解決が国交正常化の前提条件だ。金委員長が前向きの措置をとるのであれば、日本が関係改善を拒む理由はない。政府は米国と緊密に連携し、日朝首脳会談の開催に向けた環境の整備を進める必要がある。【読売新聞2018年6月13日

上記は読売新聞が水曜日の朝刊に「米朝首脳会談 北の核放棄実現へ交渉続けよ」という見出しを掲げた社説の全文です。史上初めて開かれた米朝首脳会談を前向きに評価する一方で、具体性の欠ける合意内容を批判する論調となっています。普段、真っ向から主張が対立しがちな新聞各社の社説ですが、今回は朝日新聞や毎日新聞なども含めて読売新聞と同じような論調でした。

土曜の朝、前回記事「批判の仕方、その許容範囲」のコメント欄で「今週末に投稿する新規記事も幅広い見方や評価が分かれている題材を取り上げる予定です」と記していました。歴史的な米朝首脳会談に対し、インターネットを通して様々な見方や評価を目にすることができます。「非核化の問題について具体的な範囲や工程も時期もない」「また北朝鮮に騙されるのではないか」などという懐疑的な見方が多いようです。

一方で、橋下徹前大阪市長は「米朝首脳会談を評論する愚」という論評の中で、局面を大きく動かしたトップ同士の会談そのものを肯定的に評価しています。外務官僚だった天木直人さんも米朝首脳会談を高く評価している一人です。天木さんのブログ記事「共同声明を正しく評価した佐々江前駐米大使を評価する」を通して知った佐々江前駐米大使の次のような言葉に私自身も共感しています。

首脳レベルで会談したことにまず歴史的な意味がある・・・二人が署名した共同声明は、事前の期待が高かった人から見れば、重要なことが書かれていなかったように見えたかもしれない。けれども、交渉の核心だった非核化と体制の保証については対の形で明記されている。最も重要な問題に関して、首脳レベルで合意したことは評価されるべきだ。CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)が入っていない、と言うけれど、言葉を勝ち取るためだけに大変なエネルギーを費やすのがいいとは思わない。

対話のための対話には意味がない」という安倍首相の言葉を支持されていた方々にとって物足りなく、不満の残る米朝首脳会談の結果だったはずです。しかしながら私自身をはじめ、圧力を強めすぎることのリスク、つまり核ミサイルによる現実的な脅威を感じていた者からすれば、たいへん意義のある会談だったと思っています。弁護士の澤藤統一郎さんがブログ記事「米朝首脳会談の成果を大いに評価する。」の中で綴っている言葉のとおりだと受けとめています。

砂漠で出会った水瓶に半分の水があったとする。瓶に半分の水の存在を歓喜をもってありがたいと思うか、それとも、瓶一杯に満たない水の量の少なさを嘆くか。米朝間の軍事緊張が悪化の一途をたどって、「もしや開戦も」と深刻化していた事態が一変したのだ。軍事衝突の危険度進行のベクトルが緊張緩和と平和のベクトルへと向きを変えた。一触即発とさえいわれたチキンゲームからの解放こそが、この会談の評価すべき本質である。足りないところは、非本質的で副次的なものというべきだろう。

様々な見方や評価があることを知り、正確な事実関係を把握することで、適切な「答え」に近付くことができます。逆に一面的な見方のみで評価し、「願望」という調味料をかけながら判断していった場合、より望ましい「答え」から遠ざかってしまいがちです。自民党の和田正宗参院議員のブログ「意味ある拉致問題の提起 米朝共同宣言に拉致の言及がないのは当たり前」も閲覧していますが、いろいろ思うところがあります。

トランプ大統領が拉致問題に触れた際、金委員長から「拉致問題は解決済み」という言葉が発せられなかったことは間違いないようです。しかし、そのことをもって拉致問題が「解決に向けて前進した」と解釈するのは早計だろうと感じていました。金委員長はトランプ大統領と築きつつある良好な関係を慮り、その場での拉致問題に関する具体的な言及は避けたという見方が妥当ではないかと思っていました。

その後、やはり残念ながら北朝鮮の国営メディアは「拉致問題は解決済み」という従来の主張を繰り返し、「国際社会が一致して歓迎している朝鮮半島の平和の気流を必死に阻もうとしている」と日本政府を非難しています。このブロクでも過去に「避けて通れない拉致問題」「拉致問題を考える」という記事を投稿し、拉致問題の一刻も早い解決を切望しています。解決に向けては相手側の言い分を踏まえた上で、こちらの主張をどのように訴えていけば良いのかどうか探ることが重要です。

現時点で大きな前進ははかれていないのかも知れませんが、対話できる環境が整ったという点を前向きに評価し、これからの日本政府の外交努力を強く期待しているところです。さらに韓国をはじめ、日本人以外にも北朝鮮に拉致された被害者は相当数に上ると見られています。それぞれの国と緊密に連携していくことも必要だろうと考えています。国際社会が足並を揃え、北朝鮮との対話と圧力を通し、強制収容所などの非人道的な問題も解決に至ることを強く願っています。

和田議員のブログの中で「安倍総理による今回の米朝首脳会談を主導した流れは全く無視されています」という記述が目に留まりました。与党の国会議員であるため、メディアを通して入手できる情報の他に様々な事実関係を把握されているのかも知れません。仮に同じレベルで知り得た情報で「安倍総理が主導」と記しているようであれば、随分「願望」という調味料をかけているような気がしています。

少し前の記事「日本国憲法が大きな岐路に」の中で、防衛審議官だった柳澤協二さんの言葉を紹介していました。脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだという言葉です。柳澤さんは小泉政権から麻生政権まで四代にわたり、安全保障担当の内閣官房副長官補を務めていた方です。最後に、米朝首脳会談に対する様々な評価がある中で、私自身が最も共感している柳澤さんの 『〈緊急寄稿〉米朝首脳合意は「世界史的な」分岐点』を紹介させていただきます。

6月12日にシンガポールで行われた米朝首脳会談は世界中でテレビ中継されたが、事情通の間では、「中身がない」とか、「北朝鮮に譲歩し過ぎ」という批判がある。両首脳の合意は、アメリカが北朝鮮の体制を保証し、北朝鮮が完全な非核化を約束するものの、アメリカが求めてきたCVID(完全、検証可能、不可逆的な核放棄)の原則に照らせば、検証や不可逆性について全く言及がない。そこで、また北朝鮮に騙されるのではないか、という疑念があるためだ。

しかし、枝葉を切り落として物事の幹を見れば、敵国同士である米朝のトップが、敵対関係の解消を目指し、その象徴として核放棄と体制保証という相互が最も欲するものを目標として共有した意義はやはり大きい。第1に、核放棄と体制保証の実現は交渉のゴールであって入り口ではないという当たり前のことを確認した。目標はあくまで核放棄であって、CVIDはそのための手順であるはずだ。手順が目標を押しのけてはいけない。今回の首脳会談がプレーアップされた以上、どちらもこのプロセスから降りられない。むしろ、核放棄に向けた今後の交渉そのものが「検証可能で不可逆的に」ならざるを得なくなったことを意味している。

第2に、朝鮮戦争の終結を含む両国の敵対関係解消に言及している。北朝鮮の核開発の動機はアメリカに滅ぼされないための抑止力を得ることだった。その背景には、いまだ戦争状態が続く朝鮮戦争がある。米朝は、敵対する戦争当事者なのだ。敵対するから核が必要になる。その根っこを解消すれば、核を放棄する条件が整う。その意味で、これは物事の根幹において現実的な道筋を示すものだ。

報償によって自発的に意志をを変える枠組み 今回の合意を起点として北朝鮮の核放棄が実現するならば、実戦レベルの核を持った国が戦争で敗北することなく核を放棄する初めての事例となる。核を放棄させるための戦争は、核のリスクを伴う。誰もそういう戦争を望んでいない。国際社会の目標は、核に固執する北朝鮮の意志を変えることだった。そのために制裁と圧力を加え、意志を変えるよう強制してきた。強制の究極の手段が戦争である。今回の合意は、強制ではなく、体制保証という報償によって自発的に意志を変える枠組みをつくろうとするものだ。

国家間の対立を解消するには、どちらかの意志を変えなければならない。意志を変えさせる手段として強制と報償がある。トランプ氏自身が認識しているかどうかは不明だが、今回の合意は、戦争によらない問題解決という選択肢を世界に提示する「世界史的な」分岐点となる可能性をはらんでいる。戦争か交渉かは、やはり政治の選択の問題なのだ。【日刊ゲンダイ2018年6月14日

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2018年6月 9日 (土)

批判の仕方、その許容範囲

前回記事「言うべきことが言える組織の大切さ」のコメント欄で、三多摩すごいね(凄いね)さんから下記のような厳しい言葉で批判を受けました。それに対し、私から「機会があれば記事本文を通し、不本意だと感じている点や議論がかみ合っていない点など、もっと詳しく掘り下げてみたいものと考えています」とお答えしていました。あまり間隔を開けず、さっそく今回更新する記事本文を通して改めて私自身の考え方を書き進めてみます。

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」「言論の自由の原則が守られていることを高く評価し、また感謝しています」 確かに管理人氏がコメントを削除しない点は評価しますが、「だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」については懐疑的です。

先日の首相ロケットくくりつけに関しても、管理人氏は「権力者への批判なら黙認」しながら、「それを是とする人が沢山いる」ことを考えろ、と主張します。しかし、「何故そのような人権侵害行為を是年得るのか」「権力者の定義は何か。誰でも「権力者たり得るのではないか」については一切説明をせず「考えて下さい」と繰り返すのみです。結局のところ、管理人氏及び自治労に「権力者」して認定されれば人権侵害され、管理人氏も、それを黙認するわけですよ。

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」ではなく、気にいらない相手を「権力者」と断じたうえで、「それを主張する権利が侵害されても黙認する」というのが実際のところだと感じます。「自分たちは正義だ。そして正義に与しない者に懲罰を与える権利がある。仮に懲罰が不当だと感じても「正義」に忖度して懲罰を黙認する」

首相ロケットを実行してしまう組合や管理人氏に↑のような危うさがある限り、私は管理人氏を信頼できないし、人権侵害を平気で黙認する怖い方だという認識は変わらないでしょう。権力者に対して人権侵害を行うことが何故許され、また、権力者の定義はいかなるものであるかを示さずに「考え直し」を迫るだけ、という事実からは、このような結論しか導き出せません。

最後に、あなたがいう「答えの正しさを確信している人」というのは巧妙なすり替えで、本当は「人権侵害に反対している人」なのですよ。組合活動は人権侵害を実行しており、その言い訳に「権力者」を使っているわけです。そして管理人氏もそれを黙認しているのです。まずは、「答えの正しさ」で誤魔化さずに、組合活動は「人権侵害をしている」ことを認めることが必要ではないですかね?

このブログを定期的に訪問されていても、コメント欄までご覧になっていない方も多いようです。したがって、公正さを担保しながら論点を明確化するためには、三多摩すごいね(凄いね)さんのコメント全文をそのまま紹介していくことが望ましいものと考えています。前回記事へのコメントはそのように取扱いましたが、すべて同様な扱いにできませんがご理解ご容赦ください。なお、「そのまま紹介」という意味は誤字脱字と思われる箇所でも勝手に手を加えていない点であることを申し添えさせていただきます。

まず批判の発端となった事例を説明しなければなりません。5月初め、こちらのサイト(三多摩メーデーに登場した「安倍ミサイル!」のオブジェがネットで叩かれる!)に掲げられた写真のような批判の仕方に対し、「日本国憲法が大きな岐路に」のコメント欄に三多摩すごいね(凄いね)さんから「組合でこんなことを支援あるいは黙認する組合には、まともな人は参加したくないと思いますよ。最低ですね。人間が貧しい」というコメントが寄せられました。

このコメントを受け、いくつかの記事のコメント欄を通し、私と三多摩すごいね(凄いね)さんとのやり取りが始まりました。私からの最初のレスは「絶対許容できない行為であれば強く批判しなければなりません。一方で、今回の指摘されている行為がその範囲なのかどうかで言えば、人によって許容範囲とされるのだろうとも思っています」というものでした。

このレスに対しては、さらに三多摩すごいね(凄いね)さんから辛辣な批判コメントが寄せられていました。私からは、メーデーに参加した当該の組合が「是」としているように権力者に対する批判の仕方として許容範囲としている方々も多いという点を指摘し、三多摩すごいね(凄いね)さんの「答え」だけが絶対正しいのかどうか、人によって変動する「答え」は数多くあるものと思っています、と補足説明していました。

この補足説明に対しては、三多摩すごいね(凄いね)さんから特定集団に属する多くの人が「是」とするならあなたも許容するわけですかね?と指摘され、ドイツ労働者党という特定集団に属する多くの方がユダヤ排斥を「是」としていた行為と似ている、とまで話をつなげられながら非難されてしまいました。また、nagiさんからは「立場があるゆえに率直に批判することはできないでしょう」という見方も示されていました。

三多摩すごいね(凄いね)さんからのご指摘ですが、そのように答えたつもりはありません。今回の事例に対しては様々な見方があるという例示です。念のため、これまで当ブログの中でも絶対駄目な言動に対しては迷わず「×」と言い切っています。今回の事例に関しては、自分自身は推奨しないが、他の方が試みることまで絶対駄目だと判断できないという説明を繰り返しています。

上記は「再び、ネット議論への雑感」のコメント欄でお答えした私自身の考えです。そもそも発端となった三多摩メーデーは私自身が参加しているメーデーではありません。もっと早く補足すべき点だったのかも知れませんが、「役に立たない組合はいらない?」の冒頭に紹介しているとおり連合三多摩のメーデーはゴールデンウィークの初日に催されています。安倍首相をミサイルの弾頭にしたオブジェは5月1日に催された全労連系の三多摩メーデーでの事例です。

日頃から連携のある労働組合同士という関係ではありませんので、立場上、率直に批判できなかった訳ではなく、所属集団に忖度しての黙認だった訳でもありません。一方で、仮に関係の深い皆さんの行為だったとしても「絶対駄目なものは駄目だ」と言い切るつもりです。繰り返し述べていますが、今回の事例に対し、私自身の「答え」は、権力者への批判だったとしても推奨できる手法ではないが、誰もが絶対非難しなければならないほどの「人権侵害行為」なのかどうかで言えば、そこまで決め付けられないというものです。

私自身の責任範疇であれば「やめようよ」と自制を促せます。前回記事のコメント欄に寄せられたnagiさんからの「安倍政権を批判するのに、安倍ミサイルを作って喜ぶのは内側の方々だけで、外側の人は眉をひそめて遠ざかるだけです」という指摘を重く受けとめている立場です。このブログを通して実感していることとして、基本的な視点や考え方が異なる方々にも届く言葉やアピールの仕方に留意しなければ、運動の広がりは望めないという関係性です。

一方で、権力者を批判する意思表示の仕方として、絶対駄目なのかと問われれば許容範囲だと答えざるを得ません。日大アメフト部の悪質タックルが駄目だったことは衆目の一致するところです。負傷させることを目的にボールを持っていない選手にタックルしたことは犯罪行為の一つです。もし「怪我をさせてもいいつもりで、ぶつかってこい」と指示され、ボールを持っている選手に猛然とタックルし、実際に負傷させた場合はどうでしょうか。

不適切な指示や行為だったという批判の声も上がるのかも知れませんが、アメフトのルールの範囲内となるため、問題視されない方々が多くなるものと見ています。例えが適切だったのかどうか分かりませんが、安倍首相ミサイルも賛否が割れる事例だろうと見ていました。特定集団に属しているかどうかではなく、安倍首相ミサイルを「問題なし」と判断した作製者やその周囲の方々も多数であるという点を指摘したに過ぎません。

三多摩すごいね(凄いね)さんから権力者の定義について尋ねられていましたが、特段説明するまでもなく一般的な見方を共有しているものと考えていました。権力という言葉を電子辞書で調べれば「他人を支配し従わせる力。特に国家や政府が国民に対して持っている強制力」と記されています。したがって、そのような力を行使できる者が権力者であり、安倍首相が権力者に当たることに疑義は示されないものと見ています。

三多摩すごいね(凄いね)さんは権力者の定義を恣意的に広げ、誰に対しても同様な行為を繰り返すのではないかという疑念を持たれています。閣僚、与党政治家、首長、社員に対しての経営者、確かに権力者という言葉は場面によって広げて使えます。しかし、今回の事例は安倍首相に対する批判の仕方の是非を問われてきているものと理解してきました。その大前提を離れた推論が示されていることで、うまく論点がかみ合っていない印象を抱いています。

安倍首相に「人権はないのか、言論の自由はないのか」という声を耳にする時があります。当然、安倍首相個人の立場を問われれば、人権や言論の自由が保障されなければなりません。しかし、総理大臣という権力者の立場で問われれば、その言動に対して一定の縛りがあるという関係性となります。だからと言って、権力者に対する批判であれば、どのような批判の仕方も許容されると考えている訳ではありません。

違法行為が絶対駄目なことは当たり前です。本来、誹謗中傷も駄目な部類に入るはずですが、誹謗中傷なのか、批判意見なのか、とらえ方が人によって変動することも考えられます。今回問題視されているオブジェや風刺画などは、それこそ人によって評価が大きく分かれがちです。フリーアナウンサーの吉田照美さんのニュース油絵に対し、ネット上を中心に風刺画論争があったほどです。

取り沙汰されたニュース油絵「この世界の片隅の君の名は、晋ゴジラ」が、ちょうど安倍首相ミサイルと同じような権力者に対する批判の仕方だと言えます。それぞれ批判もあれば、擁護や賛同があるという現状です。ちなみに吉田さんのニュース油絵の中で、安倍首相夫人や加計理事長を取り上げているものがあります。権力者に対する批判という視点で考えれば、風刺画として二人を登場させたことは少しやり過ぎではないかと見ています。

批判の仕方、その許容範囲は人によって変動しがちです。安倍首相をミサイルに括り付ける批判の仕方に対し、もともと安倍首相を支持されている方々だから不快感を示し、逆に批判的な方々だから許容するという構図では問題だろうと思っています。感情的な問題も大きな要因となりますが、言論や表現の自由、権力に対する監視や批判のあり方という視点から是非を判断していくことが重要です。

今回の記事も長くなっていますが、どこまでご理解いただけるのか、まったく理解できないと言われながら批判が続くのかどうか分かりません。いずれにしても権力者に対する批判の仕方に限らず、推論から他者を断定調に批判することは慎むべきことだと考えています。さらに批判意見と誹謗中傷の違いを強く意識していくことも欠かせません。最後に、「再び、ネット議論への雑感」のコメント欄に残した私自身の考え方を改めて掲げさせていただきます。

そもそも所属集団云々で答えていません。「忖度」という話まで出てきて驚いています。民主党政権を期待した立場でしたが、仮に鳩山元首相らがミサイルに括り付けられていたとしても権力者を批判する手法として許容範囲だと答えます。自分自身が行なうかと問われれば明確に「×」であり、他者が行なうことについて絶対「×」だとは言い切れない、このような説明を繰り返しています。

例えばSNSでの「成りすまし」について私自身は行ないません。ただ他者が行なっている場合、今回の記事にも記したとおりモラルの問題を問われますが、絶対「×」だとは言い切れない、このようにとらえています。具体的な例示をしたことで、また顰蹙を買ってしまうのかも知れませんが、絶対「×」だとは言い切れない、だから「〇」とは言えない、やはり断定的に答えられない設問も数多いのだろうと思っています。

三多摩すごいね(凄いね)さんにとって絶対「×」と言い切るべき問題であるため、いろいろな見方につながっているようですが、記事本文にも記したとおり私自身の「答え」を押し付けるつもりもありません。このような説明に対し、閲覧されている皆さんがどのように受けとめるかどうかの関係性だろうと考えています。ただ不本意な趣旨での批判につながっていましたので改めて補足させていただきました。

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2018年6月 2日 (土)

言うべきことが言える組織の大切さ

前回の記事「組合民主主義について」は、前々回記事「等身大の組合活動として」に寄せられていた問いかけに答えることを目的に投稿していました。難しい問いかけや重要な論点が示されている場合、記事本文を通して対応するように努めています。前回、主に下っ端さんからの問いかけや指摘に対し、私自身が考えていることを改めて綴らせていただきました。

このブログは土曜日、もしくは日曜日に更新しています。記事の内容によっては更新した直後、日曜の夜のうちに複数の方からコメントが寄せられています。前回記事を投稿した後、現時点までに残念ながら下っ端さんからのコメントは寄せられていません。前回記事の内容を下っ端さんがどのように受けとめられたのか、率直な思いとして非常に興味がありました。

記事の内容に納得され、特に指摘すべき点がなくなったのか、あまりにご自身の「答え」からかけ離れていたため、あきれて告げるべき言葉を失っているのかどうか分かりません。過去の経験から前者である可能性は極めて少ないように思っています。もしかしたら何か他の事情からコメントするタイミングを逸していることも考えられます。

いずれにしても自分自身の「答え」の正しさを確信されている方にとって、その「答え」から程遠い内容の説明は容易に理解できないものとなります。お互い分かり合うことができるパターンとして、どちらかが相手側の「答え」の正しさを全面的に認めるか、お互いが納得できる新しい「答え」を見出せた時に限られます。

公務員組合の政治活動への関わり方について、下っ端さんと私自身の「答え」は平行線のままなのだろうと思っています。必ず「答え」を一つに絞らなければならない場面だった場合、引き続き徹底的に議論していかなければなりません。最終的に多数決など何らかの決める手段を取り入れることも必要です。

しかし、このブログの場面では「答え」を一つに絞ることを目的としていません。私自身は記事本文を通し、私自身が正しいと信じている「答え」を不特定多数の皆さんに発信しています。その「答え」が誤りだと考える方々からはコメント欄を通し、それぞれの言葉でご意見や多様な情報を提供いただいています。このような関係性の中で、閲覧されている皆さんが、それぞれの言葉をどのように受けとめられるのかどうかだろうと考えています。

このあたりは以前の記事「このコメント欄の限界と可能性」を通して詳しく綴っていました。過度な期待や思い入れを慎みながらも、幅広い立場や視点からの説得力ある主張は、閲覧されている皆さんの考え方や実生活での振る舞いにも影響を与えていく可能性があることも信じています。もちろん私自身の言葉がそのような影響を与えられれば何よりなことですが、それこそ過度な願望は抱かずに背伸びせず当ブログと向き合っています。

前々回記事のコメント欄では、KEIさんから「幸いなことに、OTSUさんは気に食わないコメントだからって削除したりはしないお方です」とし、ヴォルテールの名言「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」まで紹介されながら「言論の自由の原則が守られていることを高く評価し、また感謝しています」という過分な言葉を頂戴していました。

確かにいろいろな「答え」を認め合った場として長く続けているブログですので、寄せられたコメントは即時に反映され、明らかなスパムではない限り削除することも想定していません。私自身に対しては「暖簾に腕押し」感を強められる方が多いのかも知れませんが、ぜひ、不特定多数の皆さんを意識したパネルディスカッションのような位置付けであることのご理解をいただければ幸いです。

以上のような場であることを踏まえた上、コメント投稿するかどうかは当たり前な話ですが、閲覧されている方々、個々の自由な選択や判断となります。 その上で私自身、幅広いご意見を伺えることの貴重さを重視しているため、一人でも多くの方からコメントをいただけることを願っています。私の「答え」が変わらないことにさじを投げ、コメント欄から離れて行かれた方々も出入り自由な場として、機会がありましたら再び貴重なご意見等を伺えることを心待ちしています。

さて、今回の記事タイトルは「言うべきことが言える組織の大切さ」としています。前回記事の冒頭に「連日、注目すべきニュースや話題がメディアから伝えられています。このブログにとって、いろいろな思いを託しながら新規記事につなげられる題材が目白押しの昨今だと言えます」と記していました。事実関係は一つなのでしょうが、関係者の主張が大きく食い違う場面の多さを指摘し、次のような言葉につなげていました。

遠慮や忖度は必要なく、事実のみ語ろうとする言葉は重く、説得力を感じることができます。一方で、事実を知っていながら、事実とは異なる説明をしなければならない方々の言葉だった場合、「記憶がない、覚えがない」という曖昧な語尾が多くなりがちです。そして、事実とは異なる説明を加えていることを自覚していながら、断定調に事実関係を否定される方も中にはいるのかも知れません。そのような場合、「覚えがない」という歯切れの悪い弁明をされている方々のほうが、まだ良心の欠片が残っているのだろうと想像しています。

前回、あえて具体例は示しませんでしたが、今回の記事では具体的な事例を示しながら本題とした論点につなげていくつもりです。問題視すべき事件や不祥事が生じた際、まず正確な事実関係の解明が欠かせません。関係者を処分するために必要な手順ですが、生じた背景や理由が適確に把握できなければ、今後の再発防止に向けた対策や体質改善をはかれない恐れがあります。

真相究明や責任者の追及が疎かにされた場合、事件を引き起こしている原因が除去できず、あるいは張本人を居座り続けさせる最悪な事態を招きかねません。そうなった場合、事件や不祥事が繰り返される可能性は高くなります。最近の事例として、セクハラ問題で狛江市長が、悪質タックル問題でアメフト部の監督を務めていた日大の常務理事が辞任に追い込まれました。二人とも事実関係について全面的に認めた訳ではなく、当初、辞任まで考えていませんでした。

それに対し、狛江市では副市長以下が事実関係を毅然と指摘し、最後はセクハラ被害を受けた女性職員4人の実名告発が決め手となっていました。日大常務理事の場合、悪質タックルを指示されたと見られているアメフト部員の記者会見を皮切りに真相が明らかになり、前監督の言葉の信憑性のほうが問われ続けたからです。騒がれ始めた時点では、二人とも深手は負わずに逃げ切れるものと楽観視していたのでないでしょうか。

それぞれ悪質さが際立っていたことも確かです。ただ何よりも事実関係を偽らず、自分自身の知り得ることを語り始めた方々の多さが二人を辞任に至らせた大きな要因だろうと考えています。一方で、森友学園や加計学園の問題では事実関係が依然として不明瞭なままです。少し前の記事「再び、森友学園の問題から思うこと」の中で綴ったとおり金銭が絡まなくても行政に対して不当な圧力を加えること自体、罪に問われる場合もあります。

そして、何よりも「政府が正確な情報を包み隠さず国民に伝えているのかどうか」という論点のもと決して矮小化できない問題だと思っています。さらに部下が上司に意見具申しづらくなっている行政組織に陥っていないか、様々な論点が内包した問題であるのにも関わらず1年以上も迷走しています。追及している野党側の手法や世論喚起の工夫にも注文を付けたい点が多々あります。例えば官僚を高圧的な姿勢でなじる場面などは世論に対して逆効果なような気がしています。

国会質問で「あなたの記憶は、自在になくしたり、思い出したりするのか」という受けを狙ったようなフレーズも空回りしがちです。単なるスキャンダルではなく、贈収賄事件に至らなくも「絶対曖昧にしてはいけない」問題として、国民に向けて論点を提起できるような言葉を野党側には発信して欲しいものと願っています。加えて、与党内からも「問題視すべき点は問題提起する」という当たり前な姿勢を示せる政治家が増えることを望みたいところです。

組織に縛られ、自分自身の立場や生活を守るため、言うべきことが言えない時も多いのだろうと思っています。事実関係を知っていながら話せない、場合によって偽ったことを語らなくてはならない時、良心の呵責に苦しまられている方々も多いのではないでしょうか。そのような方々の弱さも責めるべき点なのかも知れませんが、強いている組織やトップの体質が最も問われるべき点だろうとも考えています。

学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設をめぐり、学園が安倍晋三首相と加計孝太郎理事長の面会はなかったとのコメントを出したことについて、同学園の渡辺良人事務局長は31日、「架空の情報」を伝えていた愛媛県庁と今治市役所をそれぞれ訪れ、謝罪した。渡辺氏は県庁で「県に多大なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ない」と述べた。台湾に出張した中村時広知事に代わって対応した西本牧史企画振興部長は「県に誤った情報を伝えていたことは重大と受け止めている」と語った。

県文書には、学園から県に対し、2015年2月25日に加計氏と面会した首相が「新しい獣医大学の考えはいいね」と発言したとの報告があったと記載されている。これについて渡辺氏は記者団に「(獣医学部を)何とか一つの形にしたくて、私が言ったのだと思う」と説明した。ただ、渡辺氏は加計氏による指示については「全くない」と否定。「架空面会」について、加計氏から「紛らわしく不適切な言葉だ。言うものではない」と注意されたことも明らかにした。学園は26日に発表したコメントで「実際にはなかった面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったように思う」として、面会を否定した。【時事通信社2018年6月1日

「私が言ったのだと思う」と語尾を濁し、断言できないところに事務局長の良心の欠片を感じさせています。ちなみに私自身の職務として、これまで千人以上の方々と面談しています。それぞれの相談内容をすべて記憶していくことは困難です。そのため、必ず相談した内容は経過記録に残していきます。再度お会いする際、その記録を読み返すことで記憶を蘇らせています。まったく思い出せないケースもありますが、書かれている記録の正しさを前提に対応していくことになります。

定型的な相談内容の場合、数日前の面談でも記憶が曖昧になる時もあります。一方で、特異な折衝内容や印象深い言葉を記録に残していた場合、数年前の面談だったとしても記録を読み返すことで、その時の記憶が鮮明に蘇ります。首相が「新しい獣医大学の考えはいいね」と発言したという紹介は、なかなか特異で印象深い言葉です。普通に考えれば、記録を読み返した時、そのように説明したのかどうか記憶は鮮明に蘇っていたはずです。

森友学園や加計学園の問題では記憶の不鮮明な方が多く、たいへん残念なことです。言うべきことが言える組織は、より望ましい「答え」を見出すためにも、取り返しの付かない過ちを未然に防ぐためにも大切なことです。一人や一つの「答え」に縛られず、多面的な検証のできる関係性が望まれています。組織の上下関係から離れ、言うべきことが言える役割の一つを労働組合は担わなければなりません。

狛江市と日大の組合も大きな節目に一定の見解を表明されていました。このような動きに接し、以前、私どもの組合も同様な対応が求められていたことを思い出しています。「組織の力、大事な力」という記事の中で「一職員の立場では、いろいろな思いを市長に抱いても面と向かって口に出すことはあり得ないはずです。思ったことをストレートに伝えるというのは職場の上司に対しても簡単ではないかも知れません」と記し、 一人ひとりの力は弱くても、一人ひとりが組合という組織へ結集することの大切さを訴えていました。

いつものことですが、今回もたいへん長い記事になっています。もう少し続けますが、今回記事の論点の参考として、私どもの組合の取り組みの近況を報告させていただきます。今月17日に行なわれる市議選に向け、応援職員の従事方法等の見直しがはかられました。組合ニュースに掲げた内容を下記に示していますが、有無を言わせない職務命令での時間外勤務が強いられるような懸念もあったため、人事当局に申し入れながら確認した点です。

選挙事務の職員配置について、問題が生じた場合は労使協議の対象に 今回の市議選から選挙事務の従事に対し、事前の応援職員には兼務発令を行ない、投開票日についても人事課が職務命令として指名する方法に改められます。全市をあげて取り組むべき重要な公務であり、見直し自体は了解していますが、問題が生じた場合は労使協議の対象とすることを確認しています。なお、職員の指名に際し、絶対拒否できないような強権的な職務命令にならないよう申し入れています。

言うべきことが言える組織の大切さとして、職務における上下関係の風通しの良さも欠かせません。今年3月末の記事「人事・給与制度見直しの労使協議」で伝えているとおり今年度から査定昇給制度が本格実施されます。人事評価を気にし、上司に対して言うべきことを控えるようになっては問題だと考えています。今回の記事を通して訴えてきた論点を重視する上でも、労使確認した仕組みについて検証していく運びとしています。最後に、やはり組合ニュースに掲げた内容を紹介し、たいへん長くなった記事を終わらせていただきます。

人事評価に基づく査定昇給が今年度から始まります。組合は生涯賃金に大きく影響する査定昇給の実施に向け、より望ましい制度とするよう慎重な姿勢で労使協議に臨んできました。一人ひとりのやる気を損ねず、組織そのものを活性化させていくため、従来通り4号給昇給していくB評価を基本とすべきという判断のもと様々な手立てを確認してきました。特に評価を気にし、上司に対して言うべきことを控えるようになっては問題です。また、部下との相性で結果が変わるような恣意的な評価を防ぐため、第2次評価者とのダブルチェック機能も重視しています。今後、このような仕組みが充分機能しているかどうか検証していかなければなりません。

人事評価制度が施行されているため、昨年度の業績評価の結果が一時金の率に反映されることになります。査定昇給も今年7月から本格実施されます。恣意的な評価結果が生じていないかどうか、労使確認した事項が実効ある運用がされているかどうか、労使協議を通して点検していきます。システム改修が伴っていたため、人事評価のコメントは6月に入ってから職員全員に開示されます。開示後、休日を除く20日以内に改めて苦情の申立ができますので、評価結果に疑義のある方は積極的に制度を活用してください。7月の昇給以降に異議が認められた場合、遡及して正当な評価結果に基づく差額を支給します。

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2018年5月27日 (日)

組合民主主義について

連日、注目すべきニュースや話題がメディアから伝えられています。このブログにとって、いろいろな思いを託しながら新規記事につなげられる題材が目白押しの昨今だと言えます。ただ当ブログを続けている目的を踏まえた際、地味な話題となりますが、何よりも優先的に取り上げるべき話として今回の記事を書き進めることにしています。

とは言え、少しだけ最近、特に思いを強めている見方を紹介させていただきます。事実関係は一つなのでしょうが、関係者の主張が大きく食い違う場面が見受けられます。遠慮や忖度は必要なく、事実のみ語ろうとする言葉は重く、説得力を感じることができます。一方で、事実を知っていながら、事実とは異なる説明をしなければならない方々の言葉だった場合、「記憶がない、覚えがない」という曖昧な語尾が多くなりがちです。

そして、事実とは異なる説明を加えていることを自覚していながら、断定調に事実関係を否定される方も中にはいるのかも知れません。そのような場合、「覚えがない」という歯切れの悪い弁明をされている方々のほうが、まだ良心の欠片が残っているのだろうと想像しています。あえて具体例は示しませんが、いろいろ思い当たることが多い昨今なのではないでしょうか。

念のため、あらかじめ説明を加えさせていただきます。このブログの文章も「思っています」という語尾が多く、場合によって歯切れの悪い印象を与えてしまっています。インターネット上であるブログでの発言の重さを強く意識し、いつも言葉や表現を選んでいることは確かです。ただ「思っています」という語尾は多様な「答え」があることを自覚した上、あくまでも私自身の意見の表明であり、結論を押し付けるような関係性を避けるためのものです。

〇か×か、二者択一の問いかけに対し、〇でも×でもない「答え」を説明する時があります。このような時、はぐらかしているような印象を与えがちですが、決して何か遠慮や忖度が働いている訳ではありません。自分自身の判断として、〇や×だけでは答えられない設問内容だと理解し、正直な思いを答えた結果だと言えます。その上で、これまで〇を×に偽るような対応は一度もないことを強調させていただきます。

さて、このブログは組合員の皆さんに組合活動を身近に感じていただければと願いながら続けています。同時に不特定多数の皆さんからも公務員の組合活動を少しでも理解を得られればと願っています。逆に圧倒多数の方々から批判を受け、まったく理解を得られないような組合活動であれば、組合員の皆さんから共感を得ることなど程遠い話となります。仮にそのような場合、現状の組合活動のあり方や進め方などを率直に見直す機会につなげていかなければなりません。

前回記事「等身大の組合活動として」のコメント欄でも、複数の方から組合活動や私自身の対応への手厳しい批判や問いかけがありました。私自身や私どもの組合を特定して批判しているものではないという補足をいただく場合があります。下っ端さんからも「管理人さん個人を批判しているのではありません。公務員としてあるべき姿を、公務員皆さんに求めているだけです」という言葉が寄せられています。

ある程度、そのような関係性であることを私自身も理解し、公務員やその組合が共通して抱える問題点であるものと受けとめながら当ブログと向き合っているつもりです。それでも前回記事の中で「ここまで断定調に批判されてしまうと、見ている景色そのものが違うのではないかと考え始めています」と記し、下っ端さんの目にしている実際の事例が自治労に属する組合共通のものであるのかどうか確かめたいという気持ちを強めています。

最近の記事「JR東労組の組合員が大量脱退」の中で、私どもの組合活動の現状を説明していました。職場動員のあり方などJR東労組との違いを説明し、かつては私どもの組合も同じような強要する雰囲気があったことを記していました。特定の思想に関わる政治方針を公務員の組合が持つべきではないという主張であり、下っ端さんからすれば「見ている風景が違うのかどうかなど、どうでもいいです」という説明が加えられています。

しかし、事実関係を正確に共有していないのであれば、かみ合った議論から離れかねません。下っ端さんが「公務員である以上、常に、いかなる時も、景色など関係なく、公務員である必要があるのです。私達は」と記していましたが、私自身も公務員としての自覚と責任を持って職務を励行しています。組合活動においても公務員であるという自覚を忘れたことはありません。過信や勘違いで組合活動を進めていないため、政治方針を掲げていることだけで強く批判され続けていることに違和感を抱いています。

このブログの中で、基本的な考え方や視点が異なっていた場合、同じ事象に接していても人によって評価が分かれがちなことを頻繁に指摘しています。一方で、偏った見方や情報だけでは望ましい「答え」を見出しづらく、多面的な情報に触れていくことの大切さを訴えてきています。したがって、もう少し批判の対象となっている具体的な事例を下っ端さんから示していただければ、より実りある議論につなげていけるのかも知れません。

いずれにしても「見ている景色そのものが違うのではないか」という私自身の言葉が、あっしまった!さんやnagiさんからは異論を排除するように理解されてしまったようですが、下っ端さんとの議論を強引に打ち切るような意図は一切ありません。もし私自身の問題として、もしくは私どもの組合の問題として、改めなければならないような具体例がある場合、率直に指摘していただければ幸いだと考えています。

個別の具体例は関係なく、オールorナッシングの総論的な問題として、平和や人権など政治方針を一切下ろすべきという指摘に集約される話だった場合、改めて今回の記事を通して説明を加えさせていただきます。前回記事のコメント欄に次のような選択肢での問いかけが寄せられていました。組合の政治活動の必要性や有益さを理解した上で反対している組合員には、どのように対応するかどうかという問いかけでした。

  1. 理解するまで説明を続ける。
  2. そのような組合員は無視する。
  3. 反対する組合員は追放する。
  4. 理解されない活動を撤回する。

今回も恐縮ながら私自身の「答え」は上記以外のものとなります。「1」に近いのかも知れませんが、「引き続き理解を求めていく」という「答え」です。結果的に理解いただくことは難しいのかも知れませんが、説明することを放棄するようでは「2」の無視に近い現状になりかねません。当たり前なことですが、政党や政治団体ではありませんので、政治的な方針に対する考え方が異なろうと組合員の追放や排除などあり得ません。

例えば自治体においても住民全員が賛同していなくても、原発再稼働や住基ネット接続などを拒むという政治的な判断を首長らが下すケースもあります。そのような場合、自治体の方針に反対する住民も転出することなく、住民税を納めています。不本意であっても選挙を経て担っている首長や議員の判断に委ねるという関係性があるからです。そのような自治体の方針が住民の多くから支持を失うようであれば、次の選挙で首長らが代わり、政策判断も変わっていくことになるはずです。

少数意見の尊重についてですが、下っ端さんから「野党の意見を聞かず、自民党が数の力で強行採決することは、民主主義の冒涜」という激しい言葉で批判していたという指摘を受けています。この言葉も私あてなのかどうか分かりませんが、私自身は国会での強行採決に関して「安保関連法案が衆院通過」や「民進党に望むこと」などを通して綴ったとおりの問題意識を示しています。強引さを批判した記述は残していますが、決して「民主主義の冒涜」だと批判したことはありません。

多数決は少数意見が排除されるシステムですが、どうしても結論を出さなければならない時に行なう民主主義の一つの形だと考えています。重要な点は多数派が少数意見にも耳を傾け、必要な見直しをはかりながら合意形成をはかることです。採決しなければならない時も、採決すること自体は反対しないという理解を少数派から得ることも大切です。方針が決まった後も、多数派は少数派の意見を意識しながら対応していくことも欠かせません。

選挙で信任された議席数による多数決だけが民主主義ではなく、上記のような少数意見の尊重も民主主義の大事な点だと言えます。なお、少数意見があるからと言って、決まっている方針や活動を保留することが少数意見の尊重ではありません。100%の総意は容易ではなく、一定の活動が必要な組織の構成員にとって認めざるを得ない関係性だろうと理解しています。

その際、日常的な活動を進める上で「少数意見の抹殺」などと思われないような配慮が求められています。組合の政治活動の話に焦点化した場合、組合員の政治意識の多様化を踏まえ、組織として決まった方針だから「従うのが当たり前」という強要は避けるべきものと考えています。さらに強要と受けとめられるような手法や雰囲気にも留意しなければなりません。組合方針を堂々と批判する組合員を異端視しないことも大切です。

自分自身、長く組合役員を担う中で一定の政治活動の必要性を認めてきています。その上で、特に執行委員長になってから上記のような問題意識のもとに組合員の皆さんと接しています。「改憲に反対しよう」という結論の押し付けではなく、「なぜ、反対するのか」という理由の説明を重視してきています。ちなみに私自身の発する「丁寧に」は、様々な異論があることを尊重した上で、粘り強く説明を重ねていく関係性を意識した言葉です。

政治課題に関する集会参加の呼びかけも組合ニュースを中心としながら個々の組合員の意思を尊重し、職場割当の動員要請は行なっていません。単組としての動員力の弱さを自治労都本部からお叱りを受けたとしても、持続可能な等身大の組合活動として重視している心構えです。このような「答え」もナッシングを主張されている下っ端さんを納得させるものではないはずです。

「労働組合が政治活動に関与することは歴史的にも国際的にもスタンダートな姿だと言えます」と記しました。その言葉に対し、下っ端さんからは「集団的自衛権を保持することは、歴史的にも国際的にもスタンダートな国家の姿だと言えますよね。では、政治活動同様、集団的自衛権も憲法にしっかりと明記しましょうよ。まさか、こっちはいいけどこっちはダメなんて、そんなご都合主義な考えはお持ちじゃないですよね?」という問いかけがありました。

日本国憲法は「集団的自衛権は認めない」という解釈のもと、ご指摘のとおり国際的なスタンダードな姿とは一線を画していました。その「特別さ」を私自身は望ましいものだと考えているため、解釈で容認した安保関連法は非常に問題だと思っています。もし多くの国民が国際的にはスタンダートな姿を望むのであれば、真正面から国民投票に付すべきという考えでもありました。改められる手段がある限り、将来にわたって現状を固定できるものではありません。

組合の政治活動も同様です。私は自分自身の信じている「答え」のもと私どもの組合活動に対して責任を果たしていきます。ぜひ、下っ端さんもその強い問題意識のもとご自身の所属する組合の中で変革に向けた力を発揮していただければと考えています。この言葉を添える際、注意しなければならないことがあります。下っ端さんの今後のコメント投稿を自制させるような意図は一切ありません。

自治労に関係する多くの方々もご覧いただいているはずのブログですので、下っ端さんの発信する主張が意義あるものとなっていく可能性もあります。私自身、幅広い意見や異論を歓迎している立場ですので、下っ端さんからのコメントが減るようでは残念なことです。ただ強調したい点として、現実の場面の変化を求めていく場合、自分の足元から試みていくことが近道なのだろうと思っています。

そもそも当ブログを通し、下っ端さんの主張を全面的に私自身が賛同したとしても、すぐ組合方針を変えられる訳ではありません。執行委員会で議論し、大胆な方針変更の議案を準備し、定期大会で確認を得られた時に変えられる運びとなります。あっしまった!さんからご理解いただいているようですが、仮に執行委員長の一存で重要な方針が変わってしまうようでは組合民主主義から程遠い姿だと言えます。

「そこまで、する気がない」というお考えかも知れません。それでも組合役員の担い手不足の問題と絡みながら、多様な政治意識を持つ組合員の皆さんの執行部への参画は非常に重要な問題となっていくはずです。万が一、それこそ特定の政治的な考え方を重視する組合役員ばかりの執行部体制になった場合、組合員の皆さんとの意識の乖離がますます広がっていきかねません。外形的に組合民主主義が担保されていたとしても、望ましい組合組織とは言えないような気がしています。

思った以上に長い記事となりました。それでも前回記事のコメント欄に寄せられた問いかけなどに対し、すべて網羅できていないはずです。単発で終わるブログではありませんので、不足した点は次回以降の記事で補っていければと考えています。最後に、「コトバンク」に掲げられていた「組合民主主義」という言葉の説明を紹介し、今回の記事を終わらせていただきます。

労働組合を民主主義的に運営する原則。労働組合運動における組織原則の一つで、組合幹部の独善主義的、官僚主義的な組織運営に対する概念として用いられる。労働組合は、思想、信条を異にする広範な労働者が自らの要求に基づいて団結し闘争する大衆組織である。したがって、労働組合が資本家ないしは使用者に対抗し、自らの経済的・社会的地位の向上を図るためには、組合員の強固な意思統一と団結を最大限に確保することが不可欠である。

そのためには組合の組織運営が組合員全体の意思を反映し、その行動が民主主義的な手続を経て決定する組合民主主義の原則が確立されていなければならない。現行の労働組合法(昭和24年法律174号)が役員選挙、同盟罷業、規約改正について組合員の全員投票を労働組合規約に明記することを義務づけている(5条)のも、組合民主主義を法律によって確保しようとしたことにほかならない。

組合民主主義を確立するためには、労働組合は少なくとも、(1)使用者や政党など政治団体の組合への干渉を排除し、大衆組織としての自主性を確立していること、(2)すべての組合員が労働者としての民主的権利のほか、組合活動全般に実質的かつ平等に参加できる権利が保障されていること、(3)組合組織を日常的に動く組織にし、幹部闘争から大衆闘争への原則を確立していること、などの条件を満たしていなければならない。

決定に際して少数グループの意見が多数グループによって絶えず否定されることは組織分裂に通ずるおそれがあるため、単純多数決によらず各層の意見を反映するよう、議決方法や代表者数が配慮されている。このような組織運営のあり方を組合民主主義と呼んでいる。選任された役員は執行委員会を形成し、組合員代表からなる中央委員会あるいは代議員会にはかりながら業務を遂行する。

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2018年5月19日 (土)

等身大の組合活動として

「この人には何を言っても無駄だ」「このサイトでコメントしても意味がない」などと思われ、まったく反応がない場になるようではブログを続けている意義も薄れることになります。いつも申し上げていることですが、基本的な視点や立場が異なる方々から幅広いご意見を伺えることは貴重な機会だと思っています。

このブログにコメントをお寄せくださる皆さん、それぞれ何らかの思いを持って時間を割かれていただいていることに心から感謝しています。ただ私自身に対して「聞いているだけで変わろうとしない」という批判も受けがちであり、かみ合わない議論や「暖簾に腕押し」感に嫌気をさしてコメント欄から去られた方も少なくありません。

主張すべき点は主張するという目的で始めたブログでもあるため、意見対立を意図的に避けるような対応は考えていません。したがって、今回の記事内容が批判意見を繰り返されている方々の苛立ちをやわらげられるかどうか分かりませんが、前回記事「再び、ネット議論への雑感」に寄せられていたコメントを念頭に置きながら書き進めてみます。

まず土曜の朝、私からコメント欄に「組合が腐敗していくのも当然のことです」「執行委員長という立場が、本当は理解できるはずのことを曇らせてしまうのですかね」などという極めて不本意で残念なコメントが寄せられてしまっていることについて「決して容易な試みとは思っていませんが、新規記事を通して少しでも不名誉な見られ方が払拭できるように努めていければと考えています」と記していました。

すると早々に下っ端さんからは「>極めて不本意で残念なコメント そう受け止められることは想定したうえでのコメントです。では、私から。組合が本来の目的を逸脱した、組合と関係のなり活動をすることに対して、極めて不本意で残念と考えている組合員からのコメントとお受け止めください」というコメントが寄せられていました。

「組合と関係のない活動」というご指摘だと思いますが、関係のないと決め付けて「極めて不本意で残念」という下っ端さんの考え方を問題視するつもりはありません。繰り返し述べてきていますが、そのように考えている自治労組合員が少なくないことを認識すべき機会だととらえています。

私が「極めて不本意で残念」だと感じた点は「執行委員長という立場が、本当は理解できるはずのことを曇らせてしまうのですかね」というご指摘についてです。推測をもとに他者を蔑む言葉であり、まして不愉快に感じることを想定したコメントだと伺い、ますます残念に思います。それほど下っ端さんの目にしている組合活動は批判を受けざるを得ない実態なのでしょうか。

もう一つの残念な「組合が腐敗していくのも当然のことです」という言葉はnagiさんからのものですが、その前段に下っ端さんから次のようなコメントが寄せられていました。ここまで断定調に批判されてしまうと、見ている景色そのものが違うのではないかと考え始めています。これから掘り下げていく論点を明確化するため、その時に下っ端さんから寄せられたコメント全文をそのまま紹介させていただきます。

組合は、組合活動だけ行っていればよかったのに。いつの間にか組織は大きくなり、力を得た組織はもっと力を求めるようになり、政党を支持し、国政に進出も果たし、気が付いたらは必要のないほどの力を得てしまった。組織や権力は絶大な力を発揮し、自分達の発言力や影響力は目に見えて大きくなり、まるで、正義を貫く大きな力を天から授かったと過信するほどの、勘違いを生み出してしまった。

本当はただ、働く仲間達の明日に希望を灯す、助け合い運動でしかなかったのに・・・・・一度手にした権力は、力は、組織は、もう手放せませんよね。だって、力に酔いしれ、本来の目的も忘れ、「正義と平和」いう言葉に都合よく言い替えた、ただの過信と思い込みを振りかざすだけの結末。そんな滑稽な姿に見えてしまうのは、私だけでしょうか。そんな悲しい結末を想像してしまうのは、私だけでしょうか。

下っ端さんがとらえられている組合活動は職場課題に特化したものだと理解していますが、これまで組合活動の中に一定の政治活動も含まれていることを説明しています。職場内の労使交渉だけでは組合員の利益を守れない場面もあるため、労働組合が政治活動に関与することは歴史的にも国際的にもスタンダートな姿だと言えます。

確かに特定の政党や政治家と支持協力関係を築くことで、組合組織としての「政治力」を得ることができます。しかし、その力は「組合員のため」に活用することを目的にしています。仮に政治活動から距離を置いた時、組合員全体にマイナスの影響を及ぼすことも考えられます。いずれにしても一度手にした権力は手放せない、過信と思い込みを振りかざすというような見方こそ、思い込みが先走っているように感じがちです。

また私自身の「目が曇っている」と言われてしまうのかも知れませんが、一定の政治活動の必要性を認めている立場からは違和感を抱かざるを得ないコメント内容でした。一方で、下っ端さんのように「政治活動から一切手を引くべき」と考えている自治労組合員が相当数に上ることは重く受けとめています。だからこそ政治活動の必要性や有益さを組合員の皆さんに対し、よりいっそう丁寧に周知していく試みが欠かせないものと考えています。

加えて、職場課題と政治活動に対する力点の置き方を主客逆転させないことはもちろん、組合ニュース等での周知の仕方にも注意を払っています。政治課題での各種集会は数多く取り組まれ、自治労都本部を通して通知が届きます。それらの情報を執行委員会の段階では共有化しますが、組合員の皆さんへの周知はメリハリを付けながら絞り込んでいます。

「参加希望者がいなくても、このような国会前での行動に取り組んでいることを組合ニュースを通して組合員に知らせるべきではないか」という意見を示す組合役員もいます。一人でも多くの参加者を募りたいレベルの集会ではない限り、掲載することで逆に印象を悪くしかねないケースを想定し、アピールを目的にニュースの紙面を割くことはありません。全面撤退を唱えている方々からすれば「その程度」という話かも知れませんが、以上のような判断に至る背景は当ブログのコメント欄での声を意識しているからです。

ここから実際の組合活動における話にもつなげていきます。4年前、「市議選まであと1か月」というブログ記事を投稿していました。今回も市議会議員選挙まで1か月を切るタイミングに差しかかり、火曜日に開いた職場委員会で私どもの組合の対応方針を確認しています。来月6月17日が投開票日で、定数28名に対し、50名ほどが立候補を予定し、かつてない激戦が見込まれています。

これまで私どもの組合の元委員長を推薦し、緊密な協力関係を築いてきました。今期で勇退されますが、市議会に緊密な連携をはかれる議員の存在の貴重さは変わりません。そのため、自治労都本部が推薦を決めた無所属での立候補を予定している候補者を私どもの組合も推薦します。その候補者は自治労方針を尊重し、私どもの組合と緊密に連携しながら政治活動を進めたい意向を示されています。

このような点を受けとめ、今後、その候補者を市議会に送り出せるよう可能な限りの力を尽くしていきます。ただ選挙に関わる方針は組合員の皆さんへ押し付けるべきものではなく、その重要性や意義を訴え続けることによって、ご理解やご協力を求めていくべきものだと考えています。今回の記事に関連した最近の動きとして、参考までに紹介させていただきました。

このブログを通しては「政治活動から一切手を引くべき」という強い訴えがある中、実際の場面では上記のような動きを進めています。とは言え、現在の私どもの組合の力量等を踏まえ、長年市議を務められた元委員長の後継者を組織内から送り出すという選択肢は早い段階で見送っていました。その上で等身大の組合活動として、市議選に臨む方針案を提起し、職場委員会で確認を得ることができています。

最後に、今回も長々と綴ってきましたが、組合の政治活動自体を批判されている方々に少しでも「なるほど」と思っていただけるのかどうか自信はありません。特に下っ端さんから寄せられたコメントに対してお答えしてきたつもりですが、場合によって失礼な記述箇所も散見しているかも知れません。容易に分かり合えないものと思いますが、閲覧されている不特定多数の方々を意識しながら、お互い言葉の「競い合い」ができれば幸いだと考えています。

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