2019年10月12日 (土)

子ども虐待のない社会をめざして

水曜の午後、主催者側のプロジェクトの一員として連合三多摩ブロック地協の政策・制度討論集会に参加しました。毎年、この時期に開かれ、これまで当ブログでは連合三多摩の政策・制度討論集会で得られた内容をもとに「子ども・子育て支援新制度について」「保育や介護現場の実情」「脱・雇用劣化社会」「子どもの貧困と社会的養護の現状」という記事を綴っていました。

三多摩の地で働き、三多摩の地で暮らす組合員の多い連合三多摩は、各自治体に向けた政策・制度要求の取り組みに力を注いでいます。今年も多岐にわたる要求書を全自治体に提出しています。その一環として討論集会を企画し、政策・制度要求に掲げている重点課題等について認識の共有化に努めています。

主催者を代表した議長挨拶は労使関係で解決できない課題を政策・制度要求につなげていることを説明し、「よく見る、よく知る、よく触れる」という心構えの大切さなどを訴えられていました。プロジェクトの主査からは「多摩の未来に夢を」というスローガンを掲げた政策・制度要求の取り組みについて全体会の中で報告を受けています。

■子ども虐待をなくすために

200名ほどが参加した全体会の後、二つの分科会があり、私は第1分科会「子どもが幸せに暮らせるために~虐待のない社会をめざして~」に参加しました。最初に課題提起として「子ども虐待をなくすために私たち一人ひとりに何ができるか」というテーマで子育てアドバイザーの高祖常子さんのお話がありました。

高祖さんは認定NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク理事をはじめ、子育て支援の活動に幅広く関われている方です。まず高祖さんは子育て家庭の現状を説明しています。共働き世帯は1980年に600万世帯でした。それが今では1200万世帯を超えています。1100万を超えていた専業主婦世帯が600万を下回り、40年近くで比率が逆転しています。

働き方改革が叫ばれ始めていますが、早く家に帰りたくても帰れない労働者は少なくありません。さらに日本の家事育児時間は女性に大きく偏っています。仕事で疲れて帰った後、家で子どもが泣きわめくと落ち着かず、怒鳴ってばかりというBADサイクル、特に働く母親に見られがちな現状の多さを高祖さんは指摘しています。

共働き家庭の夫婦が家事育児を分担でき、帰宅後、子どもやパートナーと笑顔で過ごせる時間を増やせれば翌日の仕事にも前向きに取り組める、GOODサイクルにつながることの大切さを訴えられています。いずれにしても養育者がストレスを抱えると、子どもがストレスのはけ口になりがちな危うさを高祖さんは懸念されています。

続いて子ども虐待の現状について高祖さんからお話がありました。児童相談所の虐待対応件数は2000年まで1万件以下でした。それ移行、毎年増え続け、年間で16万件を超えています。通告件数が増え、表面化されるようになったという見方もありますが、増え続けていることは確かであるようです。

2018年度の統計で虐待による死亡事例の約8割が3歳以下です。加害者の48%が実母であり、実父は27%です。実母と実父が11%、実母の交際相手が2%、その他が12%となっています。子育て時間に対して実父の27%という比率は高いという分析を高祖さんは加えられていました。

児童虐待の定義として、身体虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の4種類に分類されます。4年前から「叩く」という行為も身体虐待に加えられています。虐待を引き起こす要因や背景は複雑で、親や養育者が抱える事情がいくつも重なって起こります。高祖さんは大変な時、リストラや引っ越しなど大きな変化があった時に起こりやすいと話されていました。

目黒区で5歳の結愛ちゃん、野田市では10歳の心愛ちゃんが虐待によって命を落としています。「しつけのつもりだった」という父親の供述もありますが、高祖さんは「しつけと虐待は違います。子どもが耐え難い苦痛を感じれば、それは虐待です」と強調されています。厳しい体罰で前頭前野が委縮し、暴言で聴覚野が変形するなど、辛い体験記憶によって脳を傷付けていることが科学的に立証されているそうです。

影響力の高い国会議員は高齢男性が多く、親のしつけに対する認識に温度差があったようです。日本が子どもの権利条約を批准してから22年、ようやく2016年に児童福祉法を改正し、子どもが「権利の主体」として位置付けられました。さらに「しつけに際して体罰を加えてはならない」と明記されたのは今年6月のことでした。今後、「暴言の禁止」もガイドラインに含めて欲しいと高祖さんは訴えています。

感情的にならない子育てのためにはストレスの爆発を逃す自分なりの方法を見つけておくことを高祖さんは勧められています。「何やってんの!!」と怒鳴りそうになった時、深呼吸することや子どもの気持ちを言語化しながら「またそんなことして~」と笑顔で問いかけ、怒りを子どもにぶつけないことが重要です。このような心構えを書いたメモを冷蔵庫に貼っておくことも勧められていました。

虐待のない社会にするための大切な考え方として「子ども一人育てるのに村人全員が必要」というアフリカの諺を高祖さんは紹介されていました。パパとママで育児家事、周囲(じじばば、ママ友、パパ友、ご近所)の助けを借りる、受援力(「助けて!」と言える力)、「できる」ために考え工夫する力、おせっかい力、行政のサポート情報を知る力・使う力などの必要性を説かれています。

児童相談所の実情

事例報告として「児童相談所の実情」を朝日新聞編集委員の大久保真紀さんからお話を伺いました。大久保さんは1か月間、ある児童相談所を朝から夜まで密着取材されていました。『ルポ 児童相談所』という著書があり、第1分科会の座長は事前に著書を読まれたそうです。その座長は私が所属する地区協の議長を務めている方ですが、電車の中で読んでいた時に涙を流していたことを話されていました。そのように興味深い著書であり、会場の受付で販売していた著書は完売していました。

今回の大久保さんの事例報告を通し、児童相談所の置かれた厳しい現状に触れることができました。頻発している痛ましい事件に接し、児童相談所が適切に対応していれば救える命を救えたのではないかという批判も示されがちです。猛省すべき点も認めていかなければなりませんが、蚊帳の外から批判だけすれば良いものではないという立場から大久保さんは児童相談所の取材に向き合っているそうです。

児童相談所は児童福祉法に基づき都道府県や政令指定都市に設置が義務付けられ、中核市にも置くことができるようになっています。ちなみに関係機関との連絡調整をはかる要保護児童対策地域協議会は基礎自治体である市町村が運営しているため、児童相談所も住民にとって最も身近な市町村に置くことが望ましいのではないかと大久保さんは語られていました。

児童相談所は親から養護や非行などの相談を受ける機関であり、仕事は多岐にわたっています。そのような中で虐待相談件数は2018年度に15万9850件で、児童虐待防止法施行前の1999年度に比べると13.7倍となっています。関係機関から虐待の通告があれば48時間以内に子どもの安全を確認しなければなりません。そのため、夜中の呼び出しや休日出勤は珍しくありません。

児童相談所には子どもの命を守るため、親の同意なくても預かる「職権保護」を判断できる役割があります。「職権保護」に向けては判断の難しさをはじめ、携わる人数や手間の問題、時には身の危険もあります。ちなみに小学生以上の場合、子ども本人の同意も必要とされているそうです。一時保護すれば終わりではなく、一時保護先の決定や抗議してくる親との対応などに追われます。

このような役割を負っている児童相談所の人材の質的・量的強化の必要性を大久保さんは強く訴えられています。ソーシャルワーカーといわれる児童福祉司を厚労省も増員していく方針です。ただ大久保さんは担当件数の緩和とともに専門性の確保が欠かせないという認識です。現在、全国で児童福祉司は約3600人ですが、専門職採用は77%、勤務年数3年未満が49%となっています。

大久保さんは児童相談所の質と量の確保は10年から15年かけた長期的な視点が必要だと話されています。その上で児童福祉司や児童心理司を国家資格とすることや弁護士の常勤化などの検討を求めています。さらに市町村の支援や機能分化について触れながら市町村側の態勢強化も提起されていました。要保護児童対策地域協議会の事務局職員の専任は36%にとどまっているそうです。

西東京市の子ども条例

続いて事例報告「西東京市子ども条例の制定について」は西東京市子育て支援部の主幹からお話を伺いました。西東京市は昨年10月1日、「今と未来を生きる全ての子どもが健やかに育つ環境を整えるため、その理念を共有し、仕組みを整え、まち全体で子どもの育ちを支えていくこと」を目的とし、西東京市子ども条例を施行されていました。主幹から次のような六つの特徴があることの説明を受けています。

  1. 総合的な条例 ~ 西東京市の子どもがいっそう自分らしく生きていくことができるように、また、西東京市で生じた痛ましい事件を忘れないためにも、前文で条例の理念を示した「総合的な条例」です。
  2. 相談・救済機関の設置 ~ 子ども固有の悩み事等について、子どもに寄り添い、一緒に考え、安心・解決できるような相談・救済機関をつくることを定めています。
  3. 施策の原則を規定 ~ 子どもをめぐる今日的な問題(虐待、いじめ、子どもの貧困、子どもの居場所づくり等)に取り組むこと等について施策の原則を定めています。
  4. 関係者の支援 ~ 上述の施策が推進されるためにも、保護者・家庭、育ち学ぶ施設やその関係者、地域・住民が役割を十分に果たせるよう支援を受けられることを定めています。
  5. まち全体で育ちを支える ~ 市民をはじめ関係者の連携を強調し、まち全体で子どもの育ちを支えていくことを示しています。
  6. 子どもたちにもわかりやすく ~ 子どもが条例に親しみを持てるよう、条文を「です・ます調」で記しています。

5年前、虐待による中学生の自死事件が西東京市内で発生していました。このことを重大かつ深刻な事態であると受けとめ、児童虐待防止の取り組みを改めて強化されたそうです。前述したとおり3年前には児童福祉法が改正され、子どもの権利擁護が明確化されていました。このような経緯があり、市長の制定に向けた明確な意思のもとに条例づくりが進みました。

2017年8月に庁内検討委員会が設置された後、子ども子育て審議会専門部会で議論を重ね、子ども条例制定要綱案をまとめています。その要綱案について2018年6月から7月までパブリックコメントを実施し、その年の9月、市議会定例会に条例案が上程されていました。条例の制定後、子ども条例の普及啓発、子ども施策推進本部の設置、子どもの相談・救済機関の設置に取り組まれています。

特に普及啓発に際し、子ども自身が「権利主体」であることに気付かせていくことを重視されているそうです。子ども条例副読本等の制作にあたっては、より子どもに近い大学ゼミの学生から意見を聞かれていました。子ども相談室は「ほっとルーム」、子どもの権利擁護委員会は「CPT(children protect team~子どもの笑顔を守るため~)」という愛称は中学生から募集し、小学生の投票で決めたそうです。

虐待の社会的損失1.6兆円

たいへん中味の濃い課題提起と事例報告でしたので、主な要点をまとめたつもりでしたが長い記事になっています。もう少し続けさせていただきますが、質疑討論の時間も非常に充実したものでした。会場からの質問者にマイクを渡す係でしたが、私からも質問させていただいています。すべて網羅した報告はできませんが、より印象に残った話をいくつかご紹介します。

子ども虐待によって生じる社会的な経費や損失は年間1.6兆円になるという試算があります。虐待に対応する直接費用は1千億円にとどまり、虐待を受けた子どもが将来納税者になるのか、税金を使う側になるのかどうかという間接費用が大半を占めています。日本より人口の少ないオーストラリアの直接費用は3千億円であり、他国に比べて日本の直接的な費用は少ないそうです。将来の膨大な損失を防ぐためには、もっと予算を投入する必要があることを知り得る機会となっていました。

貧困の連鎖という言葉がありますが、親から子どもへの虐待の連鎖があることも否めません。辛い体験記憶が脳を傷付けていくことを前述していましたが、今、子どもを虐待しているその親も子どもの時、親から虐待を受けていた可能性があります。「加害者は被害者」という言葉が印象に残っています。

私たち一人ひとりができること、心がけるべきこととして、子ども虐待のサインに気付き、サインが見られたら、ためらわず児童相談所等に通報することが求められています。不自然な傷や打撲の後、着衣や髪がいつも汚れている、表情が乏しい、夜遅くまで一人で遊んでいる、1時間以上泣いている、毎日泣いている、「痛い」「やめて」という声が聞こえる、親を避けようとする、勘違いだったとしてもサインに気付いたら通報するよう講師の皆さんそれぞれが要請されていました。

最後に、それぞれのポジションからできること

以上のような話について、もともと熟知されていた方も多いのかも知れません。それでも今回の政策・制度討論集会に参加し、いろいろ感慨を深められた方も多いはずです。この集会には連合に所属する組合役員の他に自治体議員や自治体担当者の皆さんも参加されていました。それぞれのポジションに戻り、冒頭の議長の挨拶のとおり「よく見て、よく知った」ことを伝えていき、具体的な施策につながるようであれば、よりいっそう今回の集会が意義深いものとなります。

このような意味合いからも、さっそく今週末に更新するブログの題材として取り上げていました。児童虐待をなくすことは当事者の子どもを真っ先に救うことであり、場合によって当該の家族を救うことにもなります。児童相談所に関わってもらえたことを後から感謝する親も少なくないようです。社会的損失の問題も含め、私たち一人ひとりは決して傍観者ではないことを認識する機会となっていました。改めて講師の皆さん、ありがとうございました。

なお、第2分科会は「外国人の労働者施策の現状と課題~共生社会の実現に向けて~」というテーマでした。昨年12月には「入管法改正案が衆院通過」という記事を投稿していましたので、こちらのテーマにも興味がありました。分科会は同時並行で開かれていますので直接お話を伺うことはできませんでした。ただ参考となる資料は持ち帰っていますので、機会があれば当ブログの題材として取り上げられればと考えています。

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2019年10月 5日 (土)

組合役員の改選期、インデックスⅡ

10月から消費税が10%に引き上げられました。このブログでも以前「消費税引き上げの問題」という記事を投稿していました。大きな節目に際し、新規記事で取り上げることも考えていました。しかしながら私どもの組合にとって最も重要な問題であり、たいへん重要な1週間を迎えるため、ローカルな話題で恐縮ながら組合役員の改選期の話を取り上げさせていただきます。

その上で参考までにブックマークしている朝霞市議の黒川滋さんのブログ「きょうも歩く」の記事「10/1 きょうから消費税10%に」をご紹介します。軽減税率やポイント還元の問題なども含め、全体を通して私自身の認識と同じであり、たいへん共感した記事内容でした。ぜひ、お時間等が許されればリンク先をご覧になってください。

さて、カテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めています。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめています。

これまで投稿したインデックス記事は「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「春闘の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」「いがみ合わないことの大切さ、インデックス」「憲法の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅢ」」「原発の話、インデックスⅡ」「コメント欄の話、インデックスⅡ」のとおりです。なお、「Ⅱ」以降がある場合は最新のインデックス記事のみを紹介しています。

そのようなインデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えていましたので、今回、「組合役員の改選期、インデックスⅡ」として書き進めることにしました。2015年以降、今回、追加した記事は5点でした。毎年、秋に私どもの組合の定期大会があり、大会から大会までの1年間が組合役員の任期となっています。そのため、「定期大会の話、インデックスⅡ」と重複する記事が多くなっていますが、「組合役員の改選期」に絞ったインデックスとしてご理解ください。

インデックス記事を投稿した際も必ずその時々の近況や思うことを書き足しています。今回も同様に「組合役員の改選期」に絡んだ内容を少し書き進めてみます。組合役員の担い手不足という悩ましい問題が恒常化し、紹介した上記の記事の中で様々な思いを綴ってきています。今年も11月6日に定期大会を控え、火曜日から役員選挙の立候補等の受付が始まります。

久しぶりの自治労大会」の中で記したとおり全国的な自治労の現況として次代の組合役員(執行部) の担い手の問題が深刻化しています。各職場からの輪番制で1年ごとに役員が交代し、さらに経験の乏しい若年層のみで担う組合が増えているようです。その結果、定例の執行委員会や組合ニュースの定期発行を行なえず、統一要求書の提出などにも対応できない「有名無実化」が進み、組織維持そのものが困難視されている組合も目立ち始めています。

組合役員の担い手の問題は新規採用者の組合加入に向けた働きかけも不充分になりがちです。具体的な組合活動の不足は組合そのものの存在意義が問われることになり、脱退者を増やす一因につながりかねません。組合員数の減少は組合の財政問題にも直結し、予算不足から必要な活動に制約をきたす恐れも生じます。組合役員の担い手問題は負のスパイラルに陥る深刻な事態だと言えます。

もちろん個々の組合によって事情は大きく違うようです。組合役員の担い手問題に悩むことはなく、活発な組合活動を続けている組合も多いのではないでしょうか。ちなみに全国的な状況とは異なる意味で、自治労東京都本部内の多くの単組(単位組合)は苦しい局面を迎えています。組合役員の世代交代や新陳代謝が円滑化できず、一部の組合役員が留任を重ねることで必要な活動を継承している現況です。

私どもの組合は真っ先に数えられがちなそのような組合の一つに至っています。すでに執行委員会等で表明している話ですので結論を先に申し上げます。私自身、引き続き執行委員長に立候補することを決めています。同じポストに同じ人物が長く務めることのマイナスも意識しています。「同じ人が役員を長くやると経験が豊富ゆえに組織はしっかりするが、その人がいなくなると運動が次につながらない」という声も耳にしています。

それでも今、退任することは責任ある対応に至らず、周囲からもそのように見られていることを受けとめ、結果的に毎年、留任する判断を下してきています。組合は大事、つぶしてはいけない、そのためには担い手が必要、そのような思いを強めながら委員長を続けています。持続可能な組合組織に向け、組織基盤を底上げすることに力を注ぎ、次走者に安心して「バトン」を渡せるタイミングを強く意識しています。

労働組合の委員長は首長のように幅広い分野で大きな権限を持っていません。ただ小さいながらも当該組織の進む方向性等に対し、大きな責任や役割を持っていることも念頭に置いていかなければなりません。この責任や役割に対し、当該組織の構成員から信頼を得られないようであれば身を引くことが賢明な判断なのだろうと思っています。幸いにも多選に対して私どもの組合員の皆さんから特に批判の声は上がっていません。

とりわけ今回、引き続き立候補するという判断を伝えた際、安堵される方々が多く、私自身の独りよがりな問題意識ではないものと理解しています。以前「タイタニックにならないように…」という記事を投稿していましたが、沈みそうな船から船長が真っ先に逃げてしまっては批判の対象になります。船長が逃げ出したことで沈没を免れなくなってしまうようであれば、もっと大きな批判の対象になりかねません。

「今、委員長がやめたら組合はつぶれてしまう」と心配する現職の組合役員がいる一方、「委員長がやめても組合はつぶしません」と自信を示してくれる役員もいます。確かに私自身が退けば残されたメンバーに苦労をかけますが、いきなりつぶれることはなく、しっかり組織は維持されていくのだろうとも思っています。それでも今ではなく、次年度も引き続き担うことで組合役員の担い手が広がるための処方箋を探し続けてみるつもりです。

組合役員の担い手問題は、まだまだ書き進めたい点があります。今回、インデックス記事としていますので、ぜひ、お時間等が許される際はバックナンバーもご覧いただければ幸いなことです。参考までに「組合は大事、だから幅広く、多くの担い手が必要です! 同時に貴重な経験を積める組合役員、ぜひ、手を上げてみませんか?」という見出しを掲げた私どもの組合ニュースの呼びかけ文を当ブログの中でも紹介させていただきます。

定期大会から定期大会までの1年間が組合役員の任期です。今年も11月6日に第74回定期大会が開かれるため、その直前に組合役員の選挙が行なわれます。詳しい日程等は選挙委員会から改めてお知らせしますが、あらかじめ組合役員、とりわけ執行委員の担い手の問題について、組合員の皆さん全体に呼びかけ、ご理解ご協力を訴えさせていただきます。

■ 執行委員長、副執行委員長2名、書記長、書記次長、執行委員が定例執行委員会の出席対象であり、様々な組合課題の進め方等を議論しています。ここ数年、執行委員会の開催は隔週水曜夕方が定着していますが、年度ごとに調整可能です。執行委員の定数は12名です。任務の重さやプライベートな時間が割かれる面もあり、執行委員の定数を満たせない現況が何年も続いています。

■ 組合員から人員アンケート等で寄せられる組合への期待は非常に大きなものがあり、よりいっそう労使交渉の大切さが高まっています。組合の責任や役割を充分に全うしていくためには日常的な組合活動を担う執行部の充実が欠かせません。逆に万が一、担い手がいなくなれば組合活動は停滞し、つぶれてしまいます。職場委員同様、職域ごとに選出する方法に切り替える他の組合もありますが、次年度に向けては従来通りの選出方法で組合役員の立候補を募っていく予定です。

■ 「たいへんだったけど、やって良かった」、組合役員OBの皆さんもからよく耳にする言葉です。組合役員を担うことで、日常的な仕事だけでは経験できない貴重な機会や幅広い情報が得られます。団体交渉の場では副市長や教育長に対し、自分自身の考え方や思いを直接訴えることができます。自分の職場以外の組合員の皆さん、さらに私どもの市役所以外の方々と交流できる機会が増えます。

■貴重な組合費による限られた予算の範囲内とは言え、全国各地に出向く機会もあります。また、組合役員一人ひとりのアイデアや企画を形にしやすく、その成果や手応えを即時に実感できる経験を積んでいけます。何よりも組合員の皆さんから「組合があって助かりました。ありがとうございました」という声をかけられる時も少なくありません。

■ このような点について少しでも関心を持たれた方は気軽に組合役員までお声かけください。なお、こちらから個別にお話をさせていただくこともありますのでご理解ご協力よろしくお願いします。

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2019年9月29日 (日)

メディアリテラシーの大切さ

5月に投稿した記事「多面的な情報を提供する場として」の冒頭で、今年3月にココログのシステムが全面リニューアルしたことを伝えていました。その際、このブログの閲覧者の皆さんにも戸惑わせている点が生じていることを書き添えていました。右サイドバーに新規コメント投稿者の名前が即時に反映されなくなっていた点です。

これまでと同様、投稿自体は即時に受け付けていますが、右サイドバーの名前とともに記事本文下のコメント数の表示も反映されるまで場合によって数時間単位の時間差が生じています。コメント欄を開くと新規投稿のコメント内容を閲覧できますが、トップ画面からは新規投稿があったこと自体を即時に把握できなくなっていました。

さらに数日前からコメント投稿後、実際に反映されるまで時間を要するケースが生じています。nagiさんのコメントの後、yamamotoさんのコメントは大丈夫でしたのでココログ側の一時的な不具合だと思っていました。それが金曜夜以降のAlberichさんと私自身のコメントも同様な不具合が生じています。管理画面から再投稿することで、ようやく画面に反映させることができています。

このブログのコメント欄は従前通り制約の少ない場としていますが、承認制になっているような違和感を与えてしまっていることをご容赦ください。これまで開設してから一貫して、受け付けるコメントを選別することはなく、即時に反映する仕組みとしています。どのような辛辣な言葉でも、そこに投稿された思いや意味をくみ取ろうと心がけています。

批判意見も含め、幅広い視点や立場からご意見をいただける貴重さを感じ取っているからです。事実誤認による批判や誹謗中傷の恐れのあるコメントだったとしても、そのまま受けとめながら記事本文等を通して適否について意見を交わしてきました。例外としてプロフィール欄に記しているとおり明らかなスパムや極端な商業目的の内容だった場合は適宜削除させていただいています。

ちなみに削除したコメントでもココログのシステム変更後、しばらく右サイドバーに投稿者の名前が残っていました。少し前に明らかな営利目的のコメントが投稿されたため、削除したところ右サイドバーに投稿者の名前だけ残るという不自然な現象が生じていました。その名前をクリックしても該当のコメントに行き着けなかった皆さん、たいへん失礼致しました。

記事タイトルに掲げた本題から離れたような内容から入りましたが、関連付けて考えるべき共通点に思いを巡らしています。コトバンクでメディアリテラシーとは「インターネットやテレビ、新聞などのメディアを使いこなし、メディアの伝える情報を理解する能力。また、メディアからの情報を見きわめる能力のこと」と解説されています。

このブログを通し、多面的な情報に触れていくことの大切さを頻繁に訴えさせていただいています。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。

クロかシロか、絶対的な正解を容易に見出せないケースも多いのかも知れませんが、より望ましい「答え」に近付くためにも多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要だと考えています。そのため、このブログも多面的な情報を提供する一つの場として、インターネット上で発信を続けています。

誤解を招く時もありますが、私自身の言葉で綴る記事本文自体が幅広い主張や情報を提供している訳ではありません。立ち位置を明確にしているため、基本的な考え方や視点が異なる方々からすれば「偏っている」という批判を受けがちです。あくまでも「そのような見方もあるのか」という多面的な情報の一つとして、このブログを通して不特定多数の皆さんに対しても届く言葉を探し続けているつもりです。

立ち位置の異なる方々から「なるほど」と共感を得られる時は皆無に近いのかも知れませんが、発信しなければ分かり合える機会自体訪れることはありません。また、発信を続けていても、まったく見向きもされないのであれば徒労に終わる試みです。幸いにも当ブログは幅広い立場の方々からご注目いただけているようです。それが冷ややかな目線のものだったとしてもご覧いただけていること自体に感謝しています。

その主張や情報が正しいのかどうか、その主張や情報に触れる機会がない限り、評価や検証する機会自体がなく、共感や賛同を得られる機会は皆無となります。お寄せいただくコメント一つ一つにも言えることであり、そのような意味合いから幅広い立場や視点からのご意見や情報提供に対し、いつも本当に感謝しているところです。

このような関係性は政治や行政に対して最も求められる点となります。政府にとって不都合な情報だったとしても主権者である国民に対し、包み隠さずに公開していかなければなりません。そのような関係性が不充分だった場合、政権与党に対する評価の正当性が問われることになります。仮に政府側が情報を取捨選択していた場合、報道の自由のもとに新聞やテレビなどマスメディアが不足している情報を広く伝えていく関係性も重要です。

さらに報道された情報に対し、前述したとおり理解する力や見極める力、つまりメディアリテラシーを高めていく大切さも強調しなければなりません。例えば最近、日米貿易協定が最終合意に至りました。安倍首相は「両国にとってウインウインの合意」と自賛しています。その言葉通りの論調で伝えるのか、「ウインウインとは言えない」という主張を展開するのか、新聞社によって立ち位置が違うことを理解した上、情報の受け手一人ひとりが主体的な評価を下せることが肝要です。

3年前の記事「自衛隊の新たな任務、駆けつけ警護」を通し、一般論の話として「物事の是非を判断するためには」という論点を提起していました。パン1個475円という値段を知った上で買うか買わないかを決める、つまり駆けつけ警護とはどういうものなのか、南スーダンの情勢はどういうものなのか、できる限り理解した上で自衛隊の新任務の是非を判断する、このような情報把握の必要性を訴えていました。

いずれにしても、その情報が適切なものなのかどうか、事実関係や論点を慎重に見極めていく心構えが大切です。最後に、そのような心構えが不足した最近の失敗談を紹介します。午後4時頃、コンビニで夕刊紙を購入しました。家に帰って紙面を開き、びっくりしました。昨日発行された1日遅れのものだったからです。当日分が届いていなかったからだと思われますが、前日の夕刊紙を翌日の4時頃まで店頭に並べて置く感覚に驚きました。

店側の非常識さに腹も立ちましたが、「午後4時に前日の夕刊紙は並んでいない」と決め付け、よく確かめずに購入した自分自身の落ち度にも思いを巡らしていました。150円程度の安い買い物だったことも幸いな話であり、この失敗談は慎重さが欠けた反省材料の一つとしてブログで取り上げてみようと考えていました。「メディアリテラシーの大切さ」というタイトルからは多少強引だったかも知れませんが、その機会を今回の記事とさせていただきました。

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2019年9月21日 (土)

さようなら原発に思うこと

先週の3連休の最終日は代々木公園で開かれた「さようなら原発全国集会」に参加しました。朝のうちは強い雨でしたが、昼前から晴れ間がのぞくようになっていました。7年前に「さようなら原発10万人集会」という記事を投稿したことがあるとおり以前は数万人単位で集まっていましたが、今回の参加者数は主催者発表で8千人にとどまっています。

原発のない暮らしを目指す「さようなら原発全国集会」が16日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれた。核廃絶を目指して署名活動をしている高校生らも登壇し、老若男女がそれぞれ声を上げた。「さようなら原発」1千万署名市民の会が主催。市民ら約8千人(主催者発表)が集まった。

制服姿で壇上に上がった北豊島高2年の桜井かおりさん(17)は、2001年に始まった核廃絶を訴える「高校生1万人署名」について、国連に提出された署名数が今夏、計200万筆を超えたと報告。「多くの人に訴えても理解が得られず壁にぶつかることもあるが、核廃絶の思いが揺らいだことはない」と語り、来場者の拍手を浴びた。

福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力旧経営陣の判決公判が19日にあるのを前に、訴訟支援団事務局長の地脇美和さん(49)が「無責任体制を許すことは絶対にできない」と訴える場面もあった。

呼びかけ人の一人でルポライター鎌田慧さん(81)は「震災から10年目の2021年には原発がなくなっているよう力を合わせよう」と強調し、締めくくった。集会後は、原宿と渋谷の2コースに分かれてデモ行進した。【東京新聞2019年9月17日

メディアが取り上げることも少なかったようで、ネット上では上記の報道を目にする程度です。集会の参加者数は一つの目安に過ぎませんが、脱原発に向けた機運は後退しているように感じています。私自身の問題意識として8年前に投稿した「さようなら原発5万人集会」という記事の中で下記のような記述を残していました。

近い将来、脱原発社会を実現させるためには拙速に結果を求めず、代替電力の確保などを緻密に計画していくことが欠かせないものと考えています。稼動中の原発の安全対策に万全を期すことは当然ですが、定期点検で停止中の原発の運転再開に向けても地元の意思を尊重しながら慎重に判断しなければなりません。停止中の原発の再稼動を一切認めないという声も上がりがちですが、そのようなスローガンは原発の即時廃止と同じ意味合いとなります。

1年ほど運転した後、原発は必ず停止し、定期点検に入らなければなりません。現実的に対応できるのであれば、来年中に脱原発社会が築けることに反対する立場ではありません。しかし、あまりにも拙速な目標を現時点で立てることは結果的に高いハードルを掲げることに繋がり、脱原発への風向きが変わってしまうような懸念を抱いていました。

原発の話、インデックスⅡ」で示しているとおり私自身は脱原発をめざしている立場です。そのことを表明した上で、2か月ほど前の記事「福島第一原発の現状」の中では「脱原発かどうかという二項対立的な図式ではなく、どのようにすれば原発に依存しない社会を築いていけるのかどうかという視点を大事にすべきだろうと考えています」と記していました。

原発事故後の福島」という記事も綴ってきましたが、連合地区協議会が取り組んだ現地視察は福島第一原発やその周辺自治体の現状を自分の目で確かめられる貴重な機会でした。先週月曜の集会に参加した後、原発に絡む話題が続いていたため、新規記事タイトルは「さようなら原発に思うこと 」とし、個人的な思いをいくつか書き進めてみます。

日本維新の会の松井一郎代表(大阪市長)は17日、東京電力福島第1原子力発電所で増え続ける有害放射性物質除去後の処理水に関し、「科学が風評に負けてはだめだ」と述べ、環境被害が生じないという国の確認を条件に、大阪湾での海洋放出に応じる考えを示した。大阪府と市は、東日本大震災の復興支援として、岩手県のがれき処理にも協力している。

松井氏は大阪市内で記者団に「自然界レベルの基準を下回っているのであれば海洋放出すべきだ。政府、環境相が丁寧に説明し、決断すべきだ」と述べた。海洋放出をめぐっては、原田義昭前環境相が「海洋放出しかない」と述べた直後、小泉進次郎環境相が11日の就任会見で“所管外”と前置きした上で「努力してきた方々の苦労をさらに大きくしてしまうことがあったとしたならば、大変申し訳ない」と語っている。

維新の橋下徹元代表はその後、ツイッターで海洋放出について「大阪湾だと兵庫や和歌山からクレームが来るというなら、(大阪の)道頓堀や中之島へ」と発信。小泉氏には「これまでのようにポエムを語るだけでは大臣の仕事は務まらない。吉村洋文大阪府知事と小泉氏のタッグで解決策を捻り出して欲しい」と注文をつけた。

吉村氏もツイッターに「誰かがやらないとこの問題は解決しない。国の小泉氏が腹をくくれば、腹をくくる地方の政治家もでてくるだろう」と記し、国と地方が連携し、被災地の負担を軽減していく必要性を訴えた。【産経新聞2019年9月17日

二項対立の図式で見ることを避け、事実関係を冷静に見定めた上、福島の皆さんや私たち国民にとって望ましい「答え」を探っていく心構えが大切です。そのような心構えで処理水の問題を考えた時、松井市長の「自然界のレベルの基準を下回っているのであれば海洋放出すべきだ」という考え方に同意できます。2か月前の記事「福島第一原発の現状」の中で次のような説明を加えていました。

雨水や水道水、大気中にも存在しているトリチウムは今の技術では水から取り除くことができません。トリチウムだけを残した汚染水は科学的な観点から安全性が保障され、国内外の原発では海洋や大気などの環境に排出することが一般的であるようです。しかしながら事故収束の段階の福島第一原発では新たな風評被害を生んでしまう恐れがあるため、敷地内にタンクを増設しながら貯め続けている現状です。

福島の漁業関係者の方々が最も懸念しているのは新たな風評被害を生じさせるような事態だと考えています。言葉の使い方も重要であり、あくまでも汚染水ではなく、安全性が確認できた処理水の問題として想定しています。そのような処理水であれば、どこの海に放出しても問題はないはずです。そのため、風評被害を払拭する方策として、大阪湾に放出するという松井市長のアピールも肯定的にとらえています。

さらに風評被害を絶ち切り、処理水の海洋放出に向けた理解を求める効果的な方策として一案があります。福島第一原発敷地内に貯蔵されているタンクの水をプールに移し、そのプールに安全性を確信している責任ある立場の関係者が入るというアピールです。この処理水の問題で日本はIAEA総会の中で韓国から強く批判されていますが、このようなアピールができれば韓国に対する説得力も高まっていくのではないでしょうか。

東京電力福島第一原発事故を巡り、検察審査会の起訴議決に基づき業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の勝俣恒久・元会長(79)ら旧経営陣3人について、東京地裁(永渕健一裁判長)は19日、いずれも無罪(求刑・いずれも禁錮5年)とする判決を言い渡した。3人が巨大津波の襲来を予見し、事故対策を取れたかどうかが争点だったが、同地裁は3人の刑事責任は問えないと判断した。

無罪となったのは、勝俣元会長のほか、原発担当役員だった武黒一郎(73)と武藤栄(69)の両元副社長。3人は、10メートルの高さの敷地を超える津波が同原発に押し寄せることを予見できたのに、対策を怠った結果、東日本大震災の津波で事故を招き、同原発近くの「双葉病院」(福島県大熊町)から避難した入院患者ら44人を死亡させたほか、爆発した原発のがれき片などで自衛官ら13人にけがを負わせたとして、検察官役の指定弁護士に強制起訴された。

指定弁護士は、武藤、武黒両被告は震災前の2008年6月~09年5月に、東電の子会社が算出した「福島第一原発に最大15・7メートルの津波が襲来する」との試算結果を把握し、勝俣被告も09年2月の会議で、部下から「14メートル程度の津波が来る可能性があると言う人もいる」と聞かされていた点を重視。これらの情報を基に津波を予見し、防潮堤の設置や原発の運転停止などの対策を講じていれば、事故を回避できたと主張した。

これに対し弁護側は、試算結果の基となった国の「長期評価」について「専門家から『根拠に乏しい』と指摘されており、信頼性がなかった」と主張。その上で「津波は誰も予想できなかった規模で、試算結果とは大きく異なる。試算結果に従って対策を講じていても、事故は防げなかった」などと反論していた。

3人については、東京地検が2度、不起訴としたが、東京第5検察審査会が「起訴すべきだ」と議決し、指定弁護士が16年2月に強制起訴した。初公判は17年6月に開かれ、計21人の証人尋問や被告人質問などを経て今年3月に結審していた。09年に強制起訴制度が導入されて以降、今回を含め、これまでに9件で13人が強制起訴されたが、有罪が確定したのは2件(2人)にとどまっている。【読売新聞2019年9月19日

この1週間、もう一つ原発に絡む大きなニュースに接していました。上記報道のとおり東電の元会長らに無罪判決が言い渡されました。14メートル程度の津波の可能性を深刻に受けとめ、万全な対策を講じて欲しかったという思いは誰もが抱えているはずです。旧経営陣の責任の重さははかり知れませんが、刑事罰まで問えないという見方もその通りなのかも知れません。ただ判決理由の中で、たいへん気になる説明がありました。

NHK NEWS WEBの『原発事故 東電旧経営陣に無罪判決「津波の予測可能性なし」』というサイトで「原発事故の結果は重大で取り返しがつかないことは言うまでもなく、何よりも安全性を最優先し、事故発生の可能性がゼロか限りなくゼロに近くなるように必要な措置を直ちに取ることも社会の選択肢として考えられないわけではない。しかし、当時の法令上の規制や国の審査は、絶対的な安全性の確保までを前提としておらず、3人が東京電力の取締役という責任を伴う立場にあったからといって刑事責任を負うことにはならない」という裁判長の言葉が確認できます。

二つの点で裁判長の認識に違和感があります。一つは事故当時も原発の「安全神話」が唱えられていたという点です。見せかけの「安全神話」だったという話が前提であれば、そのような点で旧経営陣を含めた政治や社会全体での責任を問わなければなりません。二つ目は「当時の法令上の規制や国の審査は」という言葉の裏返しとして、現在は絶対的な安全性が確保されていると認識しているように思える点です。

しかし、絶対的な安全性の確保は容易ではないという現実こそ、しっかり受けとめなければならないはずです。その上で、ありとあらゆる事態に対応できるような検討を絶やさないという姿勢や覚悟の必要性こそ、福島原発事故を通して得られた教訓だったように思っています。いずれにしても原発の「安全神話」が崩れている今、原発事故の深刻さを痛感している私たち日本人は原発に依存しない社会を本気でめざしていくべきものと考えています。

最近、小泉環境相の発言は「ポエムを語るだけ」と揶揄されがちですが、大臣就任記者会見で原発について「どうやったら残せるかではなく、どうやったらなくせるかを考えたい」と述べた明解な言葉は今後も忘れないで欲しいものです。かつて脱原発の考え方を公けにしていた河野防衛相は記者からの「一政治家として」という質問に対しても「所管外です」を繰り返していました。ぜひ、小泉環境相には政治家としての信念や矜持を持ち続けて欲しいものと願っています。

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2019年9月14日 (土)

不人気なマイナンバーカード

台風15号の爪痕は各所に大きな被害をもたらしました。1週間近く経った今も千葉県を中心に大規模な停電が続き、日常生活に深刻な影響を及ぼしています。全面復旧までさらに2週間程度かかる見通しです。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。

かつてない記録的暴風雨の台風が関東を直撃するという予報でしたので、千葉の皆さんらの苦難を東京に住む私たちは本当に我が身のこととして考えなければなりません。昨年7月に投稿した「西日本豪雨の後に思うこと」という記事の冒頭で次のように記していました。

このような災害を未然に防げる対策が最も大事なことですが、科学が進歩している現在においても残念ながら自然災害を人間の手で制御できるようにはなっていません。したがって、「災害は起こる、災害は避けられない」ということを前提に様々な対策を講じる必要があります。

災害が起きた際、いかにダメージを軽減できるか、できる限り犠牲者を出さず、被害を少なくできるかどうかが欠かせません。つまり防災対策においては減災という視点が重視され、災害が発生しても被害を最小限にとどめるための対策を立て、日頃から準備することが求められています。

特に今回の台風災害では生活インフラのための電気の重要性が際立っています。停電の影響によって断水となり、通信網も支障を来しました。莫大な予算が必要ですが、防災の観点から改めて無電柱化の推進が具体的に検討されていくのではないでしょうか。

さて、このブログの6年前の記事「社会保障・税番号制度」の中で、マイナンバー制度の導入に際して効果の面や情報漏洩のリスクなどを問題提起していました。制度の根幹を揺るがすような漏洩事件は起こっていませんが、マイナンバーカードの取得状況は低迷したままです。そのため、下記報道のような動きが出ています。

政府が国・地方の公務員に、12桁の個人番号や住所、氏名、生年月日が記録されたマイナンバーカードを2019年度末までに取得するよう促していることが分かった。6~7月に、中央省庁や自治体などに対して、職員へ取得を促すことと、取得状況を報告することを指示した。カード取得は法律上の義務ではない。通知は事実上の強制だとの指摘もある。国・地方の公務員数は計約330万人。

政府は6月4日のデジタル・ガバメント閣僚会議で「国家公務員及び地方公務員等については、本年度内に、マイナンバーカードの一斉取得を推進する」と決めた。総務省は翌5日に、自治体や共済組合などへの通知で、職員らに取得を促し、その後、6月末時点の同カード取得状況と、10月末時点の取得・申請状況を報告するよう指示した。

中央省庁の各部局にも、内閣官房と財務省が7月に取得を「依頼」。今年10月末と12月末、来年3月末時点での申請・取得状況を財務省に報告するよう求めている。被扶養者の取得も促している。新規採用職員も、採用時に取得済みとなることを目指すよう求めている。一部の公務員共済組合は、職場を通じ、事前に氏名などを印字したカードの申請書を配布する。

自治労連は「カード申請書の配布や回収、取得状況の調査で拒否できない状況がつくり出される」と指摘。7月末に、カードの一斉取得推進を押しつけないよう求めた。総務省自治行政局公務員部福利課の担当者は「あくまで『勧奨』で強制ではない」と説明。

氏名など個人情報を使ったカード申請書の作成に関しては「マイナンバーカードは健康保険証として利用することになる。その取得支援という意味では、個人情報の利用目的の範囲内だといえる」と話している。

カード発行枚数は8月4日時点で約1751万枚で、人口の約13・7%にとどまる。マイナンバー制度に詳しい清水勉弁護士は「カードの取得率が低迷しているのは需要がないからだ。それを押しつけようとするのは無駄だし、煩わしいだけだ」と指摘する。

<マイナンバーカード> 国内に住む全ての人に割り当てられた12桁のマイナンバー(個人番号)のほか顔写真や氏名、住所、生年月日が載ったICカード。身分証明書になり、2016年1月から申請に応じて自治体が交付している。ICの電子認証機能により、住民票の写しをコンビニで受け取るサービスやオンライン確定申告が可能。健康保険証として使えるようにする改正健康保険法は今年5月に成立した。【東京新聞2019年8月20日

このような動きを受け、私どもの市でも7月に人事課から「地方公務員等のマイナンバーカードの一斉取得の推進について」という通知が発せられていました。労使の事務折衝窓口を通し、個々の職員が取得するかどうか強制されるものではないことを確認していました。この旨を組合ニュースで次のように組合員の皆さんに伝えています。

7月に人事課から「地方公務員等のマイナンバーカードの一斉取得の推進について」という通知が発せられています。もともと取得するかどうか強制されるものではなく、今回の一斉取得推進の扱いも任意であることを人事当局と確認しています。また、市町村共済組合事務局からはマイナンバーカードの取得の有無に関わらず、組合員証(保険証)は従来通りの方式で発行していくという情報を得ています。

以上のような内容を組合ニュースで周知することについて、組合員から「本当にありがたいです」と感謝されました。マイナンバーカードの取得に抵抗感を覚えていた方であり、建前上は任意としながら半強制的な雰囲気につながることを懸念されていたようです。そのため、不安感を抱えた職員の代弁者として組合が市側と確認し、その内容を全体に周知することについて率直に評価していただきました。

ちなみに毎年1回、市町村共済組合議員と事務局職員数名が各所属団体を訪問しています。組合は私と書記長、市側は人事課長、担当係長や担当職員が対応しています。共済組合の事業報告等を受けた後、私どもからの要望や意見を交わす場としています。

せっかくの機会でしたので、私からマイナンバーカードの一斉取得の問題について質問させていただきました。任意だったとしても健康保険を所管する共済組合側の立場からは、できれば取得推進を望んでいるのかどうかが一つ目の問いかけでした。二つ目として、マイナンバーカードを取得しなかった場合、その職員や家族にとって不都合が生じるのかどうかという質問でした。

そのような問いかけに対し、今のところ共済組合としても様々通知が示される中、受け身の立場であるという説明を受けています。ぜひ、取得して欲しいという言葉までは発せられていません。組合員証(保険証)も従来通りの方式で発行していく予定であり、不都合が生じることはないという見方も事務局職員から示されていました。

この話を取り上げた際、私から現金支給だった給与を口座振込に切り替えた時の事例を紹介していました。労働基準法第24条で賃金は通貨で支払うことが義務付けられています。労働組合と合意すれば、口座振込が認められるようになっています。30年近く前になるものと思いますが、市側から提案があって労使合意しました。

給与担当者の事務負担の軽減、出先職場への配送時における安全面などを考慮した判断です。それでも当時は「あくまでも任意であり、強制はしない」ということも確認した上、現給支給を継続できる選択肢を残しました。この選択肢がなければ現金支給を当然視する組合員が多い中、労使合意は難しい雰囲気だったことを覚えています。

私自身も含め、切り替えた時点で大半の職員は口座振込を選んでいました。その中で、しばらくは現金支給を選ぶ職員が一定の割合で見受けられていました。やはり社会情勢も変化していく中、現金支給を希望する職員も徐々に減っていきました。ごく少数になった以降は給与担当者に負担をかけることが気になり始めていたものと思われます。

そのような遠慮から口座振込に切り替える動きが続き、現在、現金支給に固執する職員は見受けられません。口座振込を合意した直後、組合は強制されないことを組合ニュース等で組合員の皆さんに広く周知しました。その後、組合から定期的に周知していくことはなく、組合員一人ひとりの判断に委ねてきていました。

もちろん現金支給を希望しながら口座振込を強制されるような事例があれば、労使確認した事項の履行を求めていく立場でした。そのような軋轢もなく、年月とともに現在の姿に至っているものと理解しています。様々な支払いが口座振替となり、よりいっそうキャッシュレス社会が進む中、今から振り返れば違和感のある話だったかも知れません。

このような過去の事例を紹介しながら、マイナンバーカードがどのような位置付けで必要とされていくのかどうか共済組合の皆さんに問いかけていました。その答えによって組合ニュースのトーンも考えてみるつもりでした。結局、組合ニュースは上記のような内容となり、現時点では到底推奨する必要のない位置付けにとどまっているものと理解しています。

不人気なマイナンバーカードですが、そもそも利便性の高さが認められれば自然と取得率は高まっていくはずです。クレジットカードはコンビニやドラッグストアでも利用できます。JR東日本のSuicaは福岡でも使えるようになっていました。しかし、マイナンバー制度は社会保障、税、防災に関する事務に限定して始まっていることも留意しなければなりません。

より厳重に扱うべき個人情報を載せたカードであることを常に意識していかなければならないはずです。ビッグデータという言葉が注目され始めていますが、マイナンバーカードの普及はそのような方向性での活用も期待されているのかも知れません。そのことは国民監視や管理社会が強まることの懸念につながり、桁違いな情報漏洩リスクなどマイナンバーカードに対する不信感は付きまといがちです。

このような危惧が杞憂であれば、推進する側の政府には払拭に努めていく説明責任が求められています。必ずしも杞憂と言えないのであれば、そのような点を充分伝えた上で取得を勧める公正さも欠かせないはずです。最後に、いろいろ長々と綴ってきましたが、私自身、今のところマイナンバーカードを取得しようとは考えていないことを一言添えさせていただきます。

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2019年9月 7日 (土)

吉本芸人と労働組合

水曜日の夕方、ターミナル駅の南北に分かれ、連合三多摩ブロック地域協議会と私が議長代行を務める地区協議会は労働基準月間に際した宣伝活動に取り組みました。72年前の1947年に労働基準法が施行されました。施行された9月を労働基準月間と定め、連合東京は都内各地で駅頭宣伝活動を進めています。呼びかけている趣旨は連合東京会長のメッセージ「働く者のための働き方改革に 、 まずは、労働基準遵守の環境づくりを!」のとおりです。

このような労働法制の重要性、もっと言えば働き方は様々な法律で規制されていることを発信しなければ、知らない方々が多数なのかも知れません。この労働基準月間のことを詳しく取り上げることも考えましたが、記事タイトルは「吉本芸人と労働組合」としています。前々回記事「合理的な説明を巡り、労使で対立」の中で次のように記していましたが、吉本芸人を巡る話題が気になる事例の一つだったからです。

ちなみに当ブログを始めた頃の記事に「なぜ、労使対等なのか?」というものがあります。今回、労働条件の問題は労使対等な立場で協議し、合意に至らなければ一方的に実施しないという原則を守っています。当たり前なこととして大切な関係性ですが、最近、いろいろ気になる事例が目についています。機会があれば時事の話題から労働組合の役割等について取り上げてみるつもりです。

実は吉本芸人の闇営業問題や社長らとの軋轢がメディアから伝わり始めた頃、同じ職場の組合員から「吉本の話をブログで取り上げてみたらどうですか」と声をかけられました。吉本興業にも労働組合があれば、このような問題も起こらなかったのではないかという問いかけでした。それまで吉本芸人と労働組合を結び付けて考えていなかったため、 「なるほど」と思う指摘に感謝していました。

数日後、地元の社会福祉協議会職員労組の定期大会に出席した際、自治労都本部の副委員長が来賓挨拶の中で吉本芸人の問題を同様な趣旨で取り上げていました。プロ野球選手も労働組合を結成していますので、現実味を帯びた問題として可能性は充分考えられます。さらにメディアでも吉本芸人と労働組合を結び付けた記事を掲げるようになっていました。

そのため、前々回記事に書き残したとおり当ブログでも機会を見て取り上げてみようと考え始めていました。様々な情報を提供する場の一つとして、これまで興味深いメディア記事を頻繁に紹介してきています。今回、朝日新聞の『吉本芸人の問題「労組があれば」労働法専門の弁護士に聞く』という記事が興味深かったところですが、全文の転載は難しかったため、次の記事を紹介させていただきます。

雨上がり決死隊の宮迫博之さんら吉本興業所属の芸人が、振り込め詐欺グループなどの集まりに出て金銭を受け取った問題は、「芸人の働き方」が抱える不透明さも浮かび上がらせた。労働法が専門の佐々木亮弁護士は「芸人も労働組合を作るべきだ」と訴える。お笑い芸人による闇営業問題が、会社のあり方をめぐって芸人vs経営陣の抗争に舞台を移している。

そんな中、当事者である吉本興業は一日も早く事態を収拾し、クリーンな企業であることをアピールしたいところ。そのために水面下で進むのが芸人労働組合の設立だ。そして生放送で経営陣にかみついた加藤浩次(50)にも白羽の矢が立ちそうだ。「今回の騒動は、吉本の経営体制にまで話が及んでいることは、実はかなり打撃です。

吉本は2020年の東京五輪、2025年の大阪万博に向けて、官庁と一体となった事業に手を伸ばしている。ここに影響を及ぼしかねない事態につながるからです」と芸能文化評論家の肥留間正明氏は指摘する。今年4月、吉本はNTTグループと組み、教育関連コンテンツの配信を始めた。ここには官民ファンド「クールジャパン機構」が最大で100億円を段階的に出資する。

これを足がかりに教育分野に本格参入するプランもあった。「しかしテーマが教育関連のコンテンツだけに大幅な見直しも検討されているそうです」と肥留間氏。さらにクールジャパンをめぐって、吉本興業はアジア各国でエンタメ事業を展開しており、ここでも中央省庁と協業する事業に多く絡んでいる。「国がらみの仕事はよりコンプライアンス順守は厳しくなる。今回の件で先行きに赤信号が灯り始めている。

吉本はクールジャパン機構にも役員を送り込んでおりクリーンにならざるを得ないのです」と肥留間氏は続ける。そこで水面下で動きが進むのが芸人労働組合の設立だ。「たむらけんじ(46)がイベントで『僕らあたりが声を上げてつくったほうがいいのかな』と発言していましたが、実現の可能性は高い」と吉本の事情に詳しい演芸関係者。大崎洋会長(65)は芸人との専属契約について書面を交わしていないことについては「口頭の契約を変えない」との姿勢を示している。

「本来は6000人とされる芸人全員と契約書を結ぶべきです。しかし補償などを考慮すると契約を結んでもらえず切り捨てられる芸人が多数出かねない。むしろ待遇改善を進めるためにも労働組合を認めざるを得なくなるでしょう」と先の演芸関係者。そこで先頭に立つのが加藤というわけだ。「出過ぎた発言と眉をひそめる向きもありますが、大崎会長に直談判する行動力や交渉力が注目されています。後輩からの人望もあり、東の委員長に加藤、西にたむらという線が浮かんでいるそうです」とこの演芸関係者。【日刊ゲンダイ2019年7月26日

少し論点が拡散しているため、今回の主題にふさわしいのかどうか指摘を受けてしまうかも知れません。それでも吉本芸人の皆さんが労働組合を結成する可能性を紹介する記事であり、参考までに全文を掲げさせていただきました。いずれにしても労働基準法をはじめ、最低賃金制度や働き方改革関連法など「労働者のため」を主眼とした様々な労働法制が存在しています。

なぜ、労働法制が整えられてきたのか、このブログを開設した頃の記事「なぜ、労使対等なのか?」の中で下記のように綴っています。今回記事の要点となる説明につながる箇所を抜粋して紹介させていただきます。ちなみに当該の記事を懐かしく読み返しましたが、全体的に簡潔な内容であり、水曜日に投稿しています。現在のスタイルとは大きく違っていることを感慨深く思い出しています。

かなり昔、授業で使った有斐閣選書の「労働法を学ぶ」を引っ張り出し、必要な頁をおさらいしてみました。産業革命を経て工場制生産制度が確立すると使用者は多数の労働者を同時に雇用することになりました。使用者は経済的に優位な立場ですので企業にとって都合の良い条件を示し、労働者は受諾するか拒否するかの単純な形での労働契約を強いられました。そのため、低賃金と長時間労働の悲惨な労働者階級が出現することとなりました。

やがて忍耐の限度を超えた労働者は、一揆的な暴動やストライキに立ち上がり、団結することによって初めて使用者と対等な立場で話し合えることを知っていきました。使用者側も不正常な争議状態が続くより、労働者側の要求を受け入れ、しっかり働いてもらった方が得策だと考えるようになりました。また、国家としても国民の多数を占める労働者が豊かにならなければ、社会や経済の健全な発展ができないことに気付きました。

それら歴史的な経緯の中で、団結権など様々な労働法制が整備されてきました。したがって現在、労働条件に関する事項の変更は労使合意が前提だったり、労使関係では労使対等であるなどの原則が法的な面から確立しています。

つまり使用者と労働者それぞれがウインウインとなることを目的に労働法制は整えられてきたと言えます。また、かなり前に「労働ダンピング」という記事も投稿していました。上記のような歴史的な経緯がある中、労働が商品のように扱われながら買い叩かれ、労働力のダンピングが進んでいる現況を問題提起した内容です。

ILOのフィラデルフィア宣言で「労働は商品ではない」という原則を掲げています。労働は商品のように生産や在庫の調整ができず、市場原理にさらされた時、商品以上に値崩れしやすいからです。また、雇用や労働条件の劣化は貧困と暴力の蔓延を招き、経済社会が衰退していくことを国際社会は認識してきました。

上記も当該記事の中の一文です。どうしても使用者は利益を上げることに注力するため、人件費を抑え、労働者を効率よく働かせたいと考えます。使用者に雇用されているという関係で見れば労働者の立場は弱く、一人で経営者や管理職に対して物申すことも難しいものがあります。しかし、労働者一人ひとりの力は弱くても、労働組合を結成することで対等な立場で交渉の場につけます。

このような背景があることや労働法制そのものを充分理解していない使用者も増えているようです。同じように多くの労働者が労働法制を把握しないまま働かされている現況ではないでしょうか。そのため、連合をはじめ、労働組合側は駅頭等で宣伝活動に取り組み、このような労働法制の意義や大切さを訴えています。

今回の記事で吉本芸人の話を取り上げました。同じ頃、佐野サービスエリアのストライキについても報道されていました。この話題も「吉本芸人と労働組合」の論点につながるため、関連したサイトの内容をそのまま紹介することも考えました。ストライキを決行した当事者の声と法的な面を解説した2点の記事でしたが、それぞれ長い内容だったためリンクだけはらせていただきます。

「なぜ私は佐野SAストライキを始めたのか」渦中の“解雇部長”が真相を告発』と『東北道上り線佐野SA「スト」を報じるメディアに抱いた違和感』です。興味を持たれた方は、ぜひ、ご参照ください。

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2019年9月 1日 (日)

久しぶりの自治労大会

8月27日から29日にかけて自治労の第92回定期大会が福岡市で開かれました。日帰りで参加した千葉大会以来、実に11年ぶりの参加でした。連泊での参加は14年前の鹿児島大会以来となります。やはり実際に会場に足を運ぶことで自治労全体の現状や課題を体感できる機会につながっていました。

久しぶりの自治労大会、全体的な雰囲気や運営方法に大きな変化はなく、毎年参加してきたような感覚に陥るほどでした。その中で感じた変化として具体的な運動方針を巡り、今回の大会議論では大きく対立するような場面が見受けられなかったことです。

また、組織強化に向けた深刻な危機感が訴えられた大会でしたが、ここまで11年前には強調されていなかったように記憶しています。いずれにしても懐かしさや目新しさが交錯した意義深い3日間でした。後ほど個人的に感じたことを書き進めてみますが、その前に自治労のホームページ上に掲げられた大会の様子を伝える記事内容の一部を紹介します。

初日に執行部から提起のあった第1号議案「2020-2021年度運動方針(案)」、第2号議案「当面の闘争方針(案)」、第3号議案「『第4次組織強化・拡大のための推進計画』・新『組織拡大アクション21』の総括と『第5次組織強化・拡大のための推進計画(案)』」、第4号議案「2020年度一般会計・特別会計予算(案)」に対し、活発な議論が行われた。

代議員からは、2020年4月にスタートする会計年度任用職員制度の確立や脱原発社会の実現にむけた取り組みへの要望などが出され、中でも第1号から第3号議案で掲げる自治労運動の活性化と、そのために不可欠なさらなる組織強化に関する発言が多くみられた。

「一人では変えられないことも、みんなの力が集まれば変えられる」と労働組合の強みを思い起こさせる内容や、「若者の組合離れではなく、組合の若者離れがあるのではないか。若年層や女性が関心を持つことに組合が耳を傾けることで主体的な活動ができるのではないか」などの投げかけもあった。

最終日である3日目は、前日から続いて議案の質疑討論を実施。終了後、総括討論が行われ、長野県本部の小川代議員と島根県本部の須田代議員が発言した。小川代議員は2020年4月の会計年度任用職員制度の導入にあたり、同職員の常勤職員との賃金・労働条件の均衡・権衡の確保実現の取り組みなどを報告。

その上で単組のたたかいに際し、自治労産別としての明確な姿勢の必要性を訴えた。また、自治労21世紀宣言にある「市民と労使の協働で、有効で信頼される政府を確立し、市民の生活の質を保証する公共サービスを擁護・充実する」という理念をあらためて共有しながら、自治労としての運動の展開を要請した。

須田代議員は、島根県本部の取り組みの一端を紹介。「単組の強化」に焦点をあてて島根県本部が策定した具体的な行動計画を再度単組と共有し、「現状維持」ではなく「活動強化」のために県本部がその役割を果たしていく考えを表明した。県本部・単組・組合員がともに協力して諸課題の解決にむけて前進していく決意を述べた。

総括討論と今大会で出た多くの意見を踏まえ、川本自治労中央執行委員長が総括答弁を行った。川本委員長は、「総括討論の中では方針の補強を求める意見をしっかりと受け止め、今後の実際の運動の場、実践の場での豊富化と全国の仲間の皆さんからの取り組み報告をいただいて方針を補強していきたい。単組がすべての課題に向きあっていけるよう県本部、本部がある。

そして、全国に78万人の仲間が活動していることを今一度確認し、現状維持より半歩でも運動を前に進めていくことを皆さんと確認したい。メインスローガンの『原点、共感、躍動』を確認し、仲間として共感し合い、むこう2年間を躍動の年にするためにがんばろう」と訴えた。その後、定期大会で提起されたすべての議案の採決を行い、賛成多数で採択された。最後に川本委員長の団結がんばろうで閉会した。

自治労組織に対する危機感が全体を通し、大会議論の中で取り上げられていました。かつて100万人を超えていた自治労の組織人員は年々減少し、80万人を割り込みました。行政改革の推進による地方公務員総数そのものが減らされてきましたが、最近の傾向は新規採用者の加入率の落ち込みが主な要因となっているようです。

新規採用者の加入率100%を維持する単組(単位組合)がある一方、自治労全体の平均は2017年の調査で66.2%です。このままの傾向で推移すれば組織人員が70万人を下回ることも危惧され、自治労の財政面においても危機的な状況に至ります。

同時に次代の組合役員の担い手の問題が深刻化しています。こちらも単組によって事情が大きく違うようですが、経験の乏しい若年層のみで担う組合が増えているようです。さらに1年ごとに役員が交代するケースも見受けられ、定期的なニュース発行や執行委員会を行なえない組合があり、組織維持そのものが困難視されている単組も少なくありません。

議案書には「自治労は、単位組合の集合体であり、単組の活動量が自治労総体の力量に直結します」と記されています。そのため、今回の大会では「第5次組織強化・拡大のための推進計画」を確認しています。各単組を支えていくため、自治労本部や県本部の役割を見直していくことが盛り込まれた計画です。自治労本部として組織の危機的な現状を的確に把握し、深刻な問題意識を抱えていることが伝わってくる大会でした。

新規採用者組織化に向けたマニュアルの整備やポータルサイトの開設、自治労共済の優位さのアピール、労働組合への理解と共感を広げるために報道機関との定期的な会見やインターネットを活用した広報戦略の必要性など様々な対応策が方針化されています。それぞれ必要な対応策ですが、そこに効果が期待できる具体的な内容をどのように盛り込めるかどうかが肝心なことだと考えています。

議案書の中で「昔ながらの組合活動に違和感を持ち、そこに関わりたくないとする若手役員、若年層組合員が存在する」状況が報告され、単組三役と若手役員に認識ギャップが見られているという記述も目にしています。このようなギャップを解消するためには単組全体で若年層組合員と意見交換し、一緒に考える機会を確保することが必要と記されています。

残念ながら悩ましい現状を率直に把握しながらも明解な処方箋が示されていないように受けとめています。全体的な大会議論を通して気になったことですが、若年層は政治に対する関心や意識が低いため、ギャップが生じるというような認識の多さです。このような認識を前提とした場合、新規採用者の組織化や次代の担い手問題も容易に解決できないように思えています。

先ほど紹介した大会参加者の発言で「若者の組合離れではなく、組合の若者離れがあるのではないか」という言葉があります。この後に「若者の政治離れではなく、政治の若者離れがあるのではないか」という言葉が続いていたことを覚えています。印象に残った言葉でしたが、もしかしたら発言者の意図とは違う意味で解釈しているかも知れません。

前述したギャップが生じる問題として「組合の若者離れ」「政治の若者離れ」という言葉をとらえています。若年層の多くが自民党を支持しているという関係性につながる話です。政権与党側のメディア戦略やSNSを駆使した情報伝達の巧妙さを指摘するだけでは不充分です。やはり実際の政策や政権運営を評価した上で、多くの若者が自民党を支持しているという関係性を認めていかなければなりません。

このような事実関係の認識が不充分なまま「安倍改憲に反対」という立ち位置で若年層に接していけば、それこそギャップが生じ、組合との距離は広がるだけだろうと思っています。念のため、若年層の政治意識にすり寄り、自治労の方針を改めるべきという主張ではありません。もちろん問題があり、改めるべき点があれば前例にとらわれず、大胆な見直しも必要だろうと考えています。

政治課題をはじめ、現在の方針が望ましいものだと確信できるのであれば、立ち位置が異なる方々にも届く言葉を探し続けなければならないはずです。このような心構えの大切さは若年層に限った話ではありません。最近の記事「平和の築き方、それぞれの思い」に綴ったとおり異なる考え方を認め合った上、具体的な事例ごとに「何が問題なのか」「なぜ、反対なのか」という丁寧な説明が非常に重要だと考えています。

自民党に対峙する野党側にも言えることであり、なぜ、安倍首相が進める改憲に反対なのか、的確な説明や言葉が不足するようであれば支持の広がりは期待できません。自治労の方針を通読した際、自民党を支持している若年層の皆さんとの距離を縮めるための具体的な方策が不足しているように感じていました。

自治労方針の正しさを前提とし、様々な対応策のもとに働きかけを強めても充分な結果を見出せない恐れがあります。「憲法を守り平和を確立する運動の推進」という項目で言えば、なぜ、憲法を守ることが平和につながるのか、そのような説明が欠けています。組織強化の課題は政治方針のあり方に絞って語れるものではありませんが、大きな要素が内在しているように認識しています。

かつて55年体制の時代、国民から一定の支持を得ていた社会党と労働組合が支持協力関係を結んでも、組合方針と組合員の政治意識とのネジレは今よりも少なかったはずです。自民党が30%以上の支持率を保つ一方、野党が細分化し、個々人の政治意識の多様化が進んでいる中、政治方針と組織強化の課題は綿密に絡み合っているものと思っています。

このような情勢の中、次代を担う青年部からの大会発言は生活実態の点検活動や中央大交流集会の重要性を強調するものでした。私が青年婦人部の役員として自治労大会に参加していた30年前と変わらない発言内容に驚きました。そのような取り組みの意義や役割を肯定的にとらえたとしても、交流集会が自治労運動に距離を置きたいと考えている若年層自ら手を挙げて参加したくなるようなコンテンツなのかどうかは疑問です。

組織強化の課題だけで長い記事になっていますが、他にも気になった点がいくつかありました。「脱原発社会の実現」の方針では引き続き連合の中で意見反映するという記述があります。脱原発に疑義を持たれる産別の考え方も認め合いながら率直に議論を進め、より望ましい「答え」を見出す努力こそ脱原発社会の実現が可能なのかどうか判断できる道筋だと思っています。この試みは衆院選での野党候補一本化議論にも直結するものだと理解しています。

最後にもう一つ、会計年度任用職員制度の課題です。前回の記事「合理的な説明を巡り、労使で対立」で伝えていましたが、多くの自治体で労使協議が難航していることを改めて認識する機会になっていました。大会での発言者の多くの方が取り上げた課題でした。全国的には見通しの立っていない財源の問題が大きなネックになっているようです。

そして、このような問題こそ自治労は本部機能を最大限発揮し、総務省や財務省との交渉に当たって欲しいという要望が示されていました。まったくそのとおりであり、総務省の事務処理マニュアルが最低基準を示すものであることの各自治体への周知の問題も含め、単組の労使交渉だけでは解決できない役割の発揮を強く期待しています。

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2019年8月24日 (土)

合理的な説明を巡り、労使で対立

少し前の記事「2019年夏の市長選」でお伝えしたとおり私どもの市の首長選挙が明日告示され、9月1日に投票日を迎えます。私たち職員にとって非常に重要な市長選に関しては前回までと同様に公開質問書に取り組みました。両候補から質問書の回答を得られ、組合員の皆さんに職場回覧しています。

その時の記事の中で、会計年度任用職員制度の課題が深刻な局面を迎えていることもお伝えし、詳細は改めて当ブログの新規記事で取り上げることを予告していました。組合の主張に沿った労使合意を得られた後、このブログで取り上げられれば望ましいことだと考えていました。しかしながら現時点までに朗報となる内容を綴れる段階には至っていません。

他団体の非常勤職員との均衡に固執する市当局に対し、公務における同一労働同一賃金に重点を置いた対応を求める組合の主張はぶつかり合っています。休暇制度等を都に準拠し、これまで有給だった病休の無給化、公募によらない再度の任用の回数制限、月収を軒並み1万円ほど下げる提案が示され、組合は猛反発しています。

後ほど詳述しますが、「合理的な説明」という解釈を巡り、真っ向から労使で対立しています。9月議会での条例化を市当局はめざしていましたが、労使の主張に隔たりは大きく、現時点までに合意には至らず、9月議会での条例化は見送ることになりました。今後、12月議会に向け、引き続き精力的に労使協議していくことを確認しています。

これまで当ブログでは2年前に「会計年度任用職員」、今年3月に「会計年度任用職員制度の労使協議を推進」、6月に「会計年度任用職員制度、労使協議の現況」という記事を投稿してきています。改めて経緯や労使協議における論点を書き進めてみます。

地方自治法と地方公務員法が一部改正され、来年4月から会計年度任用職員制度の導入が決まっているため、各自治体での条例化が求められています。同一労働同一賃金の理念のもとの制度化だったはずですが、財源の問題をはじめ、国や都に合わせなければならないという動きが目立ち始め、多くの自治体で労使協議が難航しています。

そのため、各組合は7月に自治労都本部統一要求書を提出し、労使協議を促進しています。7月16日に文書回答が示されましたが、3月15日の団体交渉で確認した内容から大きく後退するものでした。翌17日に市当局と団体交渉を開き、3月までの交渉の積み重ねをないがしろにし、休暇制度など現行の待遇を後退させる内容に対し、組合は強く抗議しました。

市当局側の説明として、3月に示した回答は現行の年収額で移行する場合、他の待遇もそのままとする考え方であり、期末手当2.6月を支給する場合は全体的な待遇を都準拠にしなければならないというものです。さらに他市に比べて現行の水準が高いという理由から月収を軒並み1万円ほど引き下げる案を示し、組合側の期末手当分の純増要求とは隔たりの大きい回答です。

組合は法改正時の国会附帯決議が公務における同一労働同一賃金に重点を置いた対応を求めている点を強く訴えています。国会における附帯決議とは、その法律の運用や将来の立法による改善についての希望などを表明するものです。法的な拘束力を有しませんが、政府として尊重することが求められ、無視はできません。

地方公務員法及び地方自治法の一部を改正する法律案に対する附帯決議

 政府は、次の事項について十分配慮すべきである。

  1. 会計年度任用職員及び臨時的任用職員について、地方公共団体に対して発出する通知等により再度の任用が可能である旨を明示すること
  2. 人材確保及び雇用の安定を図る観点から、公務の運営は任期の定めのない常勤職員を中心としていることに鑑み、会計年度任用職員についても、その趣旨に沿った任用の在り方の検討を引き続き行うこと。
  3. 現行の臨時的任用職員及び非常勤職員から会計年度任用職員への移行に当たっては、不利益が生じることなく適正な勤務条件の確保が行われるよう、地方公共団体に対して適切な助言を行うとともに、厳しい地方財政事情を踏まえつつ、制度改正により必要となる財源の十分な確保に努めること。併せて、各地方公共団体において、育児休業等に係る条例の整備のほか、休暇制度の整備が確実に行われるよう、地方公共団体に対して適切な助言を行うこと。
  4. 本法施行後、施行の状況について調査・検討を行い、その結果を踏まえて必要な措置を講ずること。その際、民間部門における同一労働同一賃金の議論の動向を注視しつつ、短時間勤務の会計年度任用職員に係る給付の在り方や臨時的任用職員及び非常勤職員に係る公務における同一労働同一賃金の在り方に重点を置いた対応に努めること。

以上が法改正時に決議された内容です。この附帯決議を承知していながらも、市当局は総務省から示されている「事務処理マニュアル」に基づき他団体の非常勤職員との均衡の必要性を強調しています。今回の法改正が大幅な待遇改善の機会となることを期待していた嘱託組合員の皆さんの思いを踏みにじる考え方だと言わざるを得ません。

そもそも総務省の「事務処理マニュアル」は非常勤職員の待遇の全体的な底上げをはかる目的で作成され、標準以上だった自治体職員の現行の待遇を切り下げる意図が総務省にはないという話を自治労本部の担当役員から伺っています。このような情報を組合から伝えていますが、マニュアル等と異なる取扱いとするのであれば合理的な説明が必要という指摘を東京都から受けていると市当局は答えています。

しかし、働き方改革関連法では正規と非正規の待遇に合理的な説明がつかなければ格差は認められません。格差に対する「合理的な説明」という言葉が、まったく違った意味合いで使われていることを非常に腹立たしく思っています。公務員連絡会との交渉の中で、人事院の審議官も非常勤職員の休暇制度に関して「合理的な説明のつかない差異がある場合については是正するという立場である」と答えています。

私どもの組合は休暇制度や雇止めの問題など現在の待遇は切り下げないことを大前提とし、年間期末手当2.6月支給の獲得をめざしています。この課題では市長とも直接話し、精力的に労使協議を重ねる中で組合の主張を受けとめる考え方が徐々に市当局から示され始めています。しかし、前述したとおり労使合意に至るまでには歩み寄っていないため、9月議会での条例化は見送ることになりました。

今後、12月議会での条例化に向け、法改正が待遇改善の好機となることを期待していた嘱託組合員の皆さんの切実な思いを背にし、さらに労使協議を積み重ねながら納得できる決着点を全力でめざしていきます。冒頭でも触れたとおり今回の課題では労使の信頼関係を問わざるを得ない局面が生じていました。交渉の積み重ねをないがしろにしたかどうかという問題でした。

3月までの労使交渉の結果、組合としては現行の待遇維持を確認した上で、月収と期末手当を合わせた年収額の水準に関しては労使の主張に大きな隔たりがあるという認識でした。それに対し、市当局は「期末手当2.6月を支給する場合は全体的な待遇を都準拠にしなければならない」という提案で一貫していたと説明しています。

このような説明に納得し、組合側の理解が不充分だったことを認め、労使協議での確認事項に対する詰め方が甘かったと反省している訳ではありません。しかし、これまでと同様、労使対等な立場で誠意をもって引き続き交渉に臨んでいきたいという市当局側の姿勢は7月17日の団体交渉を通して確認できました。

総務省から直接情報を得られないため、東京都からの説明を第一に考えなければならない市当局側の立場も理解しています。市当局の格差に関する「合理的な説明」の言い分も納得している訳ではありませんが、そのような考え方に至っている交渉相手の置かれた立場には理解を示さなければなりません。お互いの主張の正当性のみを強調し、感情的な対立を激化させてしまうようでは建設的な議論から程遠くなります。

その結果、組合員の皆さんの思いを形にできないようであれば組合の役割としては失格だと言えます。そもそも立場が異なるため、考え方が相違し、その溝を埋めるための話し合いが団体交渉です。労使で確認した内容に対する認識の齟齬は重大な問題でしたが、引き続き労使協議を尽くして合意をめざすという信頼関係のほうに重きを置いています。

また、直接相対せず、伝聞として間接的に伝わってくる情報に対し、微妙なニュアンスの理解の仕方一つで疑心暗鬼に陥る場合もあります。そのような意味合いからも複数対複数で臨む団体交渉の意義深さがあるものと考えています。強い口調で市当局側の姿勢を問いただす組合役員もいますが、そのような憤りの声を副市長らが直接受けとめる場面も大事なことだろうと思っています。

ちなみに当ブログを始めた頃の記事に「なぜ、労使対等なのか?」というものがあります。今回、労働条件の問題は労使対等な立場で協議し、合意に至らなければ一方的に実施しないという原則を守っています。当たり前なこととして大切な関係性ですが、最近、いろいろ気になる事例が目についています。機会があれば時事の話題から労働組合の役割等について取り上げてみるつもりです。

最後に、数日前、私どもの市の管理職の方から時事通信社の「非常勤の処遇改善、どう反映?」という見出しが付けられた記事のコピーをお寄せいただきました。ネット上では見つからないため、概要に絞って紹介します。会計年度任用職員制度への対応が総務省自治財政局の担当している2020年度地方財政計画の焦点の一つとなっています。財源の確保に向け、頭を悩まし、年末の財務省との折衝に向けて精査や分析を重ねていることが伝えられていました。

その上で、記事の最後は下記のような内容で結ばれています。総務省幹部の言葉は頼もしいものであり、法改正に基づき地方自治体に生じさせる財政負担であるため、まっとうな考え方だと言えます。さらに付け加えれば、このような課題において政治の示す方向性を忖度することは、私たち公務員に課せられている責務であるようにも受けとめています。

正規と非正規の不合理な待遇差を解消する「同一労働同一賃金」の実現は、安倍政権が進める働き方改革の柱の一つ。行政改革の一環として人件費抑制の流れが続く中、財源確保に不安を抱く自治体もあるようだが、他局の幹部は「ここでけちなことをすると働き方改革にもとる」と強調していた。(2019年8月13日/官庁速報)

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2019年8月18日 (日)

平和の築き方、それぞれの思い  Part2

74回目の終戦の日を迎えた木曜日、私どもの市庁舎でも正午に黙祷を捧げました。先の大戦での戦没者を悼み、二度と戦争の惨禍を繰り返さないことを誓う節目の日でした。毎年、8月に入ると戦争について取り上げるメディアが増えています。特に今年は後ほど紹介しますが、NHKスペシャルが貴重な資料をもとにした番組制作に力を注いでいました。

戦争を体験された方が少なくなる中、この時期だけでもメディアが力を注ぐことは意義深いものと受けとめています。このブログでも戦争や平和を顧みる機会とし、先週は「平和の築き方、それぞれの思い」という記事を綴っていました。今週も「Part2」を付け、平和への思いを託した内容の投稿を続けてみます。

まず前回記事に対し、yamamotoさん、おこさんからコメントがあり、少し補足していました。さらに今回の記事でも、一人ひとり「それぞれの思い」がある中、平和の築き方について私自身の思いを補足させていただきます。戦争は起こしたくない、総論として誰もが願うことです。一方で、各論となる具体的な安全保障に対する考え方は個々人によって差異が生じがちです。

憲法9条の解釈も完全に統一されていない現状を認めなければなりません。しかし、個別的自衛権まで認めた解釈までを合憲とする立場が主流だったはずであり、そのような立場を私自身は支持しています。その上で攻撃された場合は反撃するという抑止力の必要性を認めています。集団的自衛権の行使は国際法上問題ないため、国際社会の中で日本国憲法9条は異質だと言えます。

このような「異質さ」や「特別さ」には効用があり、私たち日本人にとって価値ある国の姿だったはずです。そのため、従来の憲法解釈を変更した安全保障関連法の成立を問題視しています。今後、改憲論議を深めるのであれば憲法9条の「特別さ」を重視するのか、国際標準の「普通の国」をめざすのかどうかという明確な論点を示して欲しいものと願っています。

このような端的な説明では言葉が不足しているかも知れません。詳しい説明としては以前の記事「平和の話、インデックスⅢ」「平和の話、サマリー」「平和の話、サマリー Part2」などをご覧いただければ誠に幸いです。また、一昨年夏の「平和への思い、自分史」という記事の中では次のような記述を残していました。

知り得た戦争の悲惨さを部員や組合員に伝える、このような広げ方が平和を築くための運動だと考えていました。青婦部を卒業してからも、しばらくは平和をアピールすることや軍事基地に反対することが大事な行動だろうと認識していました。もちろん多くの人が戦争の悲惨さや実相を知り、絶対起こしてはならないという思いを強めていくことは重要です。しかし、そのような思いだけでは決して戦争を抑止できないことを痛感するようになっています。

誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。安倍首相も決して戦争を肯定的にとらえている訳ではなく、どうしたら戦争を防げるのかという視点や立場から安保法制等を判断しているという見方を持てるようになっています。

その上で、安倍首相らの判断が正しいのかどうかという思考に重きを置くようになっています。そして、自分自身の「答え」が正しいと確信できるのであれば、その「答え」からかけ離れた考え方や立場の方々にも届くような言葉や伝え方が重要だと認識するようになっていました。そのため、このブログでは「答え」の正しさを押し付けるような書き方を避けながら、多様な考え方や情報を提供するように努めています。

今回の記事も多様な情報を提供する機会として、私自身が視聴したテレビ番組や最近読み終えた書籍の内容を紹介させていただきます。先ほど今年のNHKスペシャルのことに触れました。特に関心を持った2点の番組を録画しています。どのような内容だったのかはNHKのサイトでの番組紹介を掲げさせていただきます。1点目は『かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~』です。

なぜ日本人は、戦争への道を歩むことを選択したのか。これまで"空白"だった道程を浮かび上がらせる第一級の史料を入手した。治安維持法制定時の司法大臣・小川平吉が創刊した戦前最大の右派メディア「日本新聞」である。1925~35年に発行された約3千日分が今回発見された。発刊当時、言論界は大正デモクラシーの全盛期。マイナーな存在だった"国家主義者"は、「日本新聞」を舞台に「デモクラシー=自由主義」への攻撃を開始する。

同志の名簿には、後に総理大臣となる近衛文麿、右翼の源流と言われる頭山満などの実力者が名を連ねていた。国内に共産主義の思想が広まることを恐れた人たちが、日本新聞を支持したのである。さらに取材を重ねると、日本新聞は地方の読者に直接働きかける運動を展開していたことも明らかになってきた。そして、ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説排撃など、日本新聞が重視した事件がことごとく、社会から自由を失わせ軍の台頭を招く契機となっていく。知られざる日本新聞10年の活動をたどり、昭和の"裏面史"を浮かび上がらせる。

上記番組が報道された直後、BLOGOSに『欠陥NHKスペシャル放送される』という見出しが付けられた記事を目にし、自民党の和田正宗参院議員が強く批判していることを知りました。同じ時期のBLOGOSで、漫画家の小林よしのりさんの 『NHKスペシャル「日本新聞」のこと』というタイトルのブログも掲げられていました。

日本が大正デモクラシーで自由の空気を謳歌していた時代から、たった10年余りで一気に軍国主義に傾斜していったのは、「日本新聞」という国粋主義のメディアが重要な役割りを果たしたらしい、このように小林さんは記し、貴重な番組だったと評価しています。同じ番組を見ていながら人によって評価が大きく分かれることは珍しくありません。

特に今年夏のNHKスペシャルは賛否両論があることを覚悟した上、かなり踏み込んだ題材に切り込んでいるものと思っています。土曜の夜に放映された『昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁記」~ 』は、そのような思いを際立たせた内容だったと言えます。「日本新聞」の時よりも視聴者一人ひとり、評価や感じることが大きく分かれたのではないでしょうか。

日本の占領期の第一級史料が発見された。初代宮内庁長官として昭和天皇のそばにあった田島道治の『拝謁記』である。1949(昭和24)年から4年10か月の記録には、昭和天皇の言動が、田島との対話形式で克明に記されていた。敗戦の道義的責任を感じていた昭和天皇は、当初「情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」としていた。

さらに、1952年の独立記念式典の「おことば」で戦争への反省に言及しようとする。しかし、吉田茂首相からの要望で、最終的に敗戦への言及は削除されていく。その詳細な経緯が初めて明らかになった。番組では、昭和天皇と田島長官の対話を忠実に再現。戦争への悔恨、そして、新時代の日本への思い。昭和天皇が、戦争の時代を踏まえて象徴としてどのような一歩を踏み出そうとしたのか見つめる。

過去は変えられません。しかし、過去や歴史を振り返り、反省すべき点があれば率直に反省し、教訓化していかなければ同じ過ちを繰り返しかねません。今回のNHKスペシャルの内容のみで、日本が戦争の道に突入した背景などを短絡的に語ることは慎まなければなりません。しかし、その時々の国民の思いが世論を形成し、その世論に政治が縛られる場合もあり、軍部の独走を許す素地につながっていたことを考えさせられます。

そして、神格化された最高権力者だったとしても、時代の大きな流れに抗え切れなかったという史実に思いを巡らしています。また、戦争は避けたいという思いだけで戦争を回避できない理由として、冷徹な国際情勢があることも留意しなければなりません。それでも国民一人ひとりの思いが「戦争も辞さず」に傾くのか、為政者が国民の熱狂に左右されずに譲歩することも想定した外交交渉を重視していくのか、たいへん重要な立場性だと考えています。

現在の日本の為政者としてのトップリーダーは安倍首相です。最近、『安倍三代』という書籍を読み終えています。書籍を宣伝するサイトには「母方の祖父・岸信介を慕う安倍晋三首相には、もう一つの系譜がある。反戦の政治家として軍部と闘った父方の祖父・寛、その跡を継ぎ若くして政治の道に入った父・晋太郎だ。彼らの足跡から3代目の空虚さを照らすアエラ連載に大幅加筆」と記されています。なかなか興味深い事実関係に触れることができた書籍でした。

安倍首相の資質を批判する内容が目立ちますが、山口県での現地取材や史料をもとにした青木理さんのルポルタージュです。読者からの評価は分かれ、「なるほど安倍晋三の人生は凡庸なのかもしれない。しかし、なぜ、凡庸な男が、これほど権力を維持し続けられるのか。この二つの間にあるギャップは一体何なのか」という声に首肯しています。最後に、多様な情報を提供する機会として『週刊文春』に掲載された「祖父・寛や父・晋太郎にあって、安倍晋三にはないもの」という見出しが付けられた書評を紹介させていただきます。

あらゆる人物評伝は、史料や証言者の声が積もり、ページをめくればめくるほど濃厚になるものだが、本書は例外。残り3分の1、安倍晋三の軌跡を追い始めた途端、万事が薄味になる。彼について問われた誰しもが、語るべきことがあったろうか、と当惑する。晋三が通った成蹊大学名誉教授・加藤節は、彼を「二つの意味で『ムチ』だ」と評する。

「無知」と「無恥」。「芦部信喜さんという憲法学者、ご存知ですか?」と問われ、「私は憲法学の権威ではございませんので、存じ上げておりません」と答弁した彼を「無知であることをまったく恥じていない」と嘆く。手元の原稿に記された「訂正云々」を力強く「訂正でんでん」と読む宰相は無知を改めない。

憲法改正を悲願とする彼は、母方の祖父・岸信介への傾倒を頻繁に語るが、なぜかもう一方の父方の祖父・寛について語らない。反戦の政治家として軍部と闘い、貧者救済を訴えた寛。「戦争とファッショの泥沼」の中で立候補した“選挙マニフェスト"には「富の偏在は国家の危機を招く」とある。それはまるで「アベノミクスの果実を隅々まで……」と緩慢なスローガンを反復する孫に警鐘を鳴らすかのよう。平和憲法を擁護し、リベラルな姿勢を貫いた晋太郎は、その父・寛を終生誇りにした。

晋三いわく「公人ではなく私人」の昭恵夫人が、本書の取材に応じている。寛にも晋太郎にもあった気概や努力が晋三に感じられないのはなぜか、との不躾な問いに「天のはかりで、使命を負っているというか、天命であるとしか言えない」と述べる。呆然とする。安倍家の対岸に住まう古老、“政略入社"した神戸製鋼時代の上司、安倍家の菩提寺である長安寺の住職等々が、晋三をおぼろに語る。彼の存在感を力強く語れる人が、どこからも出てこないのだ。

政界を引退した、かつての自民党の古参議員・古賀誠に語らせれば「ツクシの坊やみたいにスーッと伸びていく」ような世襲議員が、現政権では閣僚の半分を占めている。「ツクシの坊や」のために変更された自民党総裁任期延長に異を唱える党内の声は極端に少なかった。支持する理由のトップが常に「他より良さそう」であっても、自由気ままな政権運営が続いていく。

「私の国際政治学(の授業)をちゃんと聞いていたのかな」と恩師を涙ぐませてしまう宰相は、その薄味と反比例するように、国の定規を強引に転換させている。周囲に募る虚無感と本人が投じる強権とが合致しない。その乖離に誰より彼自身が無頓着なのが末恐ろしい。 《評者:武田 砂鉄(週刊文春 2017.3.23号掲載)》

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2019年8月10日 (土)

平和の築き方、それぞれの思い

前回記事「2019年夏の市長選」の冒頭で「このブログの閲覧者は私どもの市役所の職員よりも外部の方のほうが多いものと思っています。そのため、なるべくローカルな話題は控える意識が働き、広く知られた時事や政治の話が多くなっています」と記していました。

他にも国政の話題が多くなる理由として、市政の話を取り上げる場合、自分自身も一職員として当事者であるという責任を負っているからです。第三者的な論評や批判意見を加える立場ではなく、至らない点があれば内部で声を上げ、改善に努める責務があることを自覚しています。

特に労働組合の役員でもあり、市長や副市長らに直接訴えられる機会も少なくありません。仮に問題視すべき事案があった場合、ネット上での情報発信よりも実際の行動を優先すべきものと考えています。さらに以前の記事「ブログでの発言の重さ」で綴っているとおりの心得があり、このブログでの話題の中心は国政となりがちです。

その上で、自分自身の思うことを不特定多数の方々に発信できる当ブログは自分なりの一つの運動として位置付けています。特に平和の築き方に対する思いについて、これまで数多くの記事を通して書き残してきています。とりわけ私たち日本人にとって、戦争と平和について考えを深める機会の多い夏の時期、このブログに自分自身の思いを託してきました。

一昨年の夏は「平和への思い、自分史」「平和への思い、自分史 Part2」という新たな切り口で、昨年は「平和の話、インデックスⅢ」「平和の話、サマリー」「平和の話、サマリー Part2」という総まとめ的な記事を連続して投稿していました。今年も74回目の広島と長崎の「原爆の日」を迎えた後、いろいろ個人的に思うことを書き進めてみます。

長崎は9日、74回目の原爆の日を迎えた。爆心地近くの長崎市の平和公園では平和祈念式典が開かれ、田上富久市長は平和宣言で、核兵器を巡る世界情勢を「危険な状況」と指摘。日本政府に対して「唯一の戦争被爆国の責任として一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してほしい」と求めた。

令和最初の式典に出席したのは被爆者や遺族、66カ国の代表ら。参列者は原爆投下時刻の午前11時2分に黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。この1年間で新たに3402人の原爆死没者の名簿が奉安され、長崎原爆の死没者は計18万2601人になった。

平和宣言で田上市長は初めて被爆者の詩を紹介した。「ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった」「だけど…… 父も母も もういない 兄も妹ももどってはこない」「このことだけは忘れてはならない このことだけはくり返してはならない」。17歳で被爆し家族を失った女性がつづったもので、強い思いがこもった詩を通じ、改めて核廃絶を訴えた。

安倍晋三首相はあいさつで「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく」と述べた。核兵器禁止条約については言及しなかった。【日本経済新聞2019年8月9日

安倍首相は核兵器禁止条約に日本が加わることを否定しています。そのことで条約に参加していない核兵器保有国との橋渡し役を務められるという理由を説明しています。被爆者の思いからすれば乖離した立場だと言わざるを得ません。田上市長が訴えているとおり唯一の戦争被爆国として一刻も早く署名し、そのような立場から橋渡し役を務めることが望ましい選択ではないでしょうか。

ただ「アメリカの核の傘に入っていながら」という関係性があり、日本独自の判断として核兵器禁止条約に関与できないという見方があることも承知しています。そもそも核兵器も含めた武力による抑止力の必要性について、私たち日本人の中でも温度差があるように見ています。平和の築き方や安全保障に対する考え方自体、人によって大きく分かれがちです。

したがって、今回の記事のタイトルは「平和の築き方、それぞれの思い」としています。当り前なこととして、誰もが自分自身の「答え」の正しさを信じています。今回の記事に綴る内容も、あくまでも私自身が正しいと信じている「答え」であり、異論や反論を持たれる方々も多いのだろうと思っています。このような認識のもとに「平和の築き方、それぞれの思い」というタイトルを付けています。

抑止力の問題に対し、私自身は次のように考えています。武力による抑止力は狭義の国防であり、ハード・パワーを重視した考え方です。その一方で、広義の国防という言葉があり、ソフト・パワーという対になる考え方もあります。国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と核兵器禁止条約に代表されるような国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っています。

もう一つ、抑止に対し、安心供与という言葉があります。安心供与という言葉は「北朝鮮の核実験」の中で初めて紹介しました。安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立し、日本の場合の抑止は自衛隊と日米安保です。安心供与は憲法9条であり、集団的自衛権を認めない専守防衛だという講演で伺った話をお伝えしていました。

安心供与はお互いの信頼関係が柱となり、場面によって寛容さが強く求められていきます。相手側の言い分が到底容認できないものだったとしても、最低限、武力衝突をカードとしない関係性を維持していくことが肝要です。抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。

外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。それこそ国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと私自身は考えています。

別な機会に「なるほど」と思った言葉に出会いました。防衛審議官だった柳沢協二さんが、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと話されていました。情勢が緊迫化していた最中、日本が考えるべきは「ミサイル発射に備える」ことではなく、「ミサイルを撃たせない」ことであり、米朝の緊張緩和に向けて働きかけることが何よりも重要であると柳沢さんは訴えていました。

残念ながら日本が橋渡し役を果たせませんでしたが、米朝での対話の扉が開かれました。その結果、北朝鮮の「意思」が変わりつつあり、将来的には「能力」を放棄することも約束しています。一触即発だった戦争の危機を回避できた動きを大半の方々は歓迎しているはずです。ここで脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるという象徴的なエピソードとして、あるメディアの記事を紹介します。

「わが国の安全保障に影響を与える事態でないことは確認している」――。安倍首相は25日、北朝鮮が同日早朝にミサイル2発を発射したことについてこう言い切ると、山梨県での静養を切り上げることなくゴルフを堪能。自分があおってきた“北の脅威”などすっかり忘れてしまったようだ。韓国軍などによると、北朝鮮は日本海に向け、短距離弾道ミサイルとみられる飛翔体2発を発射。2発目は日本の一部にも到達可能な新型ミサイルだったとみられる。

政府は正式に弾道ミサイルと断定していない。理由は、安倍首相が無条件での日朝会談の開催を求めているタイミングで対話ムードを損ないたくないからだ。しかし、安倍政権は今まで“北の脅威”を散々あおって国民を翻弄してきた。思い出すのは、周辺国からの弾道ミサイルの発射などを知らせる「Jアラート」を使った避難訓練(国民保護訓練)。

国から訓練を呼びかけられた自治体の住民が頭を抱えて地面にうずくまるマヌケな姿が、国内だけでなく海外メディアを通じて世界に報じられた。政府が先頭に立って国民保護訓練を呼びかけ、総務省消防庁は昨年、訓練関連予算として1.3億円を計上。ところが、今では「住民の避難訓練はしばらく前から行っていない」(内閣官房事態対処・危機管理担当)のが現実だ。加えて、弾道ミサイル発射を知らせるJアラートは、おととし9月15日を最後に鳴らされていない。

25日のミサイル発射については「日本に飛来・通過しないと判断したため鳴らさなかった」(内閣官房事態対処・危機管理担当)という。安倍首相はおととし9月21日の国連演説で「(北朝鮮の)脅威はかつてなく重大」と繰り返し強調。直後の25日に「北朝鮮問題への対応について国民に問いたい」と“国難突破解散”に踏み切った。

高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)がこう言う。「北朝鮮の日本に対する態度は何も変わっていないので、解散当時と今の状況は変わっていません。それなのに、Jアラートは鳴らなかった。安倍首相が選挙期間中で夏休みに入っていなかったら、どうだったか分かりませんが、少なくとも、安倍政権の外交・安全保障政策が場当たり的で一貫性がないということが改めて証明されました」 やっぱり安倍首相には任せられない。 【日刊ゲンダイ2019年7月26日

安倍首相を支持されている方々にとって不愉快に感じる言葉が多い記事で恐縮です。しかし、事実関係として象徴的な報道だったため、多面的な情報や見方を提供する機会につなげています。北朝鮮のミサイル発射に際し、Jアラートを鳴らし続け、あれほど脅威を強調していた安倍首相や日本政府の対応が激変しています。

安倍首相がゴルフを続けられたことを私自身は肯定的にとらえています。北朝鮮の「意思」を確かめられたことで脅威が減少したという証しだと考えられるからです。このような外交努力、ソフト・パワーを尽くすことで脅威は変動する事例だと言えます。これまで「セトモノとセトモノ、そして、D案」をはじめ、数多くの記事を通して平和の築き方安全保障のあり方について自分なりの「答え」を綴ってきました。

私自身、憲法9条さえ守れば平和が維持できるとは思っていません。重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。このような「答え」に対し、前述したとおり異論や反論を持たれる方々も多いのだろうと思っています。たいへん残念ながら個々人が正しいと信じている「答え」から、かけ離れた他者の考え方は容易に受け入れていただけるものではありません。

まったく理解し合えない高い壁が存在しがちであり、そのような異質な考え方を持つ相手を見下してしまうケースも見受けられます。もっと最悪なケースは誹謗中傷の応酬となり、暴力的な言葉まで発せられる時もあります。言論や表現の自由に対し、いわゆる左や右という立場を問わず、 批判すべき点は率直に批判したとしても一定の節度を持って対応しなければならないものと考えています。

愛知県警は7日、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で中止となった「表現の不自由展・その後」をめぐり、危害を予告するファクスを送ったとして、威力業務妨害の疑いで、同県稲沢市の50代の会社員の男を逮捕した。捜査関係者への取材で分かった。 逮捕容疑は、「(元慰安婦を象徴した)少女像を大至急撤去しろ。さもなくばガソリン携行缶を持っておじゃまする」などと書いたファクスを不自由展の会場だった県美術館(名古屋市東区)に送ったとしている。ファクスは2日午前9時ごろに届いているのが見つかった。【産経新聞2019年8月7日

上記のような事例は様々な意味で非常に残念なことです。以前から当ブログではいろいろな「答え」を認め合った場として、個々人の「答え」の正しさをそれぞれの言葉で競い合えることを願っています。そのような考え方もあるのかという認め合いであり、相手の立場や思想を尊重し合う寛容さが対人関係において欠かせないものと受けとめています。

その上で、誤りだと思う点について異質な「答え」を持つ他者にも届く言葉を駆使していくことが重要な試みだろうと考えています。つまり容易には分かり合えなくてもいがみ合わないことの大切さを当ブログの記事を通して訴え続けてきています。そして、対人関係に関わらず、国と国との関係においても相手の立場や言い分を気遣う寛容さが求められているはずです。

平和の築き方として、いがみ合わないことの大切さは真っ先に上げるべき点だろうと思っています。現在、日韓関係が悪化しています。このブログでは「徴用工判決の問題」「徴用工判決の問題 Part2」「レーダー照射事件から思うこと」という記事を投稿し、私自身の問題意識を綴っています。韓国側の問題点を指摘していくことの必要性を理解しながらも、ロシアとの関係に比べて韓国に対する安倍政権の接し方は極端に厳しい気がしています。

このような見方に関しても様々な声や批判が集まるのかも知れません。しかし、幅広く多様な「答え」を出し合うことで、より望ましい「答え」を見出す機会につながっていくものと考えています。そのため、最後に多面的な情報や見方の一つとして、日本総合研究所の主席研究員である藻谷浩介さんの『傍観 その先にある損失』というタイトルを付けたコラムを紹介させていただきます。

内心に募る否定的な感情を、他者にぶつけて憂さを晴らそうとする人が増えているように感じる。その最悪の例が、京都での無差別放火殺人かもしれない。もちろん、そういうところまでいってしまう人は、まだ社会のごく一部だろう。だが犯罪行為ではなく、政治的なトピックの場合には「自分たちだけが正しく、相手だけが間違っている」という一部の過激な主張に、その外側にいながら何となく同調してしまう人が、市井の普通の人にも増えている感じがする。

彼ら自身は否定的な感情を大人げなく他者にぶつけはしないのだが、誰かの排他的で視野の狭い行動を「そうはいっても相手の方がより悪いよな」と、何となく許してしまう。そういう人こそ気付かなければいけない。「相手側から自分たちがどう見えているか」についても考えないと、結局は自らの利益を損ねる可能性があることを。日本の韓国に対する、一部製品の輸出に関する優遇措置剥奪のニュースを、何となく肯定的に受け止めている人たちは典型例だろう。

今回、日本政府には「韓国から第三国へ不正輸出が行われている可能性が否定できない」という表向きの理屈がある。しかし、文在寅政権の経済失策で弱り切っている韓国国民の、心中の機微を理解しないままにさらにプライドを傷つけるのは、日本にとっておよそ得策とは思えない。日本だって自分が当事者でなければ「判官びいき」だ。だから分かると思うのだが、日本の理屈が世界から「弱い者いじめの自己正当化」とみなされる危険性は十分にある。

駆け引きにしてもやり過ぎに見えることから考えて、外務省ではなく首相官邸-経済産業省ラインが主導したのだろうが、それで世界貿易機関(WTO)は通るのか。韓国による東北産水産物の輸入規制をWTOが是認したのは記憶に新しい。連敗した場合、政権に責任を取る覚悟はあるのだろうか。もちろん、コアな嫌韓層はそれでも満足だ。彼らには「韓国を懲らしめてやれ」という強い処罰感情がある。だがその根っこにあるのは、ストレスに満ちた日本社会の中で抱え込んだ個人的な敗北感を、自分が「強者」の側に立って攻撃することで発散したいという欲求ではないか。

普通の国民は、嫌韓派の極論に「もっともな面もあるな」と何となく同調してしまってはいけない。そもそも嫌韓と反日の応酬で得をするのは誰なのか、考えてほしい。徴用工問題で被告にされている、日本企業の担当者は喜ぶだろうか。両国の関係がこじれるほど、いけにえにされていじめられるだけではないか。輸出規制の対象企業はどうか。韓国企業が日本に頼るリスクに気づき、独自の技術開発にまい進するほど、今の独占的地位を失う危険が大きい。それらに該当しないあるハイテクメーカー関係者も「韓国への輸出減で大損害だ」と漏らしていた。

さらにいえば、韓国人観光客が減って九州の誰が得をするのだろう。半年前の当欄で「日韓の対立をあおって得をするのは(国内の不満を隣国に向けさせることで延命を図る、日韓双方の)政治家」と指摘した通りだ。そのせいで損をするのは国際競争でもうかっている側、すなわち韓国から昨年だけで2兆円の経常収支黒字を稼いだ、日本のハイテクメーカーと観光関係者である。かかる金銭的損害をもたらしたとしても、官邸関係者も、嫌韓の人たちも、決してその責任を取りはしない。一般国民はいつまで、彼らのことを「何となく許し続ける」のだろうか。【西日本新聞2019年7月29日

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