過ちとその処分のあり方
土曜の夜、温暖化防止をテーマにした市主催の環境シンポジウムに参加しました。早稲田大学大学院前教授の原剛さんとNHKの気象キャスターである半井小絵さんの講演の後、市長とエコパートナー講座受講生をまじえたパネルディスカッションも行なわれました。最近の記事で書きましたが、連合三多摩の学習会で『不都合な真実』を見てから地球温暖化の問題に切迫感を抱くようになっていました。
CO2の排出をどのように少なくするかが注目を浴びがちですが、今回、地元農業の重要性を温暖化防止の視点から考えさせられました。つまり緑を多くすることによってCO2を吸収させていく、そのためにも農家の後継者や相続税の問題、地産地消の話などにも絡んでいく展開は非常に興味深く感じました。ちなみに半井さんはテレビで見るよりもスリムで、たいへん魅力的な方でした。
さて、本題です。街の壁でも新幹線でも許される落書きはありません。まして外国の世界遺産への落書きなど、もってのほかであることは言うまでもありません。岐阜の短大生によるフィレンツェの大聖堂落書き問題は、思いかげない広がりを見せました。高校野球部の監督による落書きも発覚し、次の報道のとおり監督を解任される騒ぎまで起こりました。
水戸市の私立常磐大高校(浅岡広一校長)野球部の男性監督(30)がイタリア・フィレンツェの世界遺産「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に落書きした問題で、同校は30日、監督を29日付で解任したと発表した。同校によると、監督は2006年1月に妻と旅行で訪れた際、2人の名前を漢字で壁に書いたといい、「大聖堂入り口で現地の人に勧められてペンを購入し、軽い気持ちで書いてしまった」と説明しているという。同校は昨夏の県大会準優勝校。学校側は「教育機関にある者として恥ずべき行為」としているが、県大会の出場は辞退しない方針。【2008年6月30日読売新聞】
確かに思慮不足の許される行為ではありませんが、そこまで厳しく罰することが妥当だったのかどうかは少々疑問に思っています。イタリア側のマスコミによると「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」との論評が多く、「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と批判的な論調です。
そもそも大聖堂に昇る途中の階段の壁は、様々な言語による落書きで一杯だそうです。その上、大聖堂の入口付近に「油性マジック売り」が何人もいて、観光客のカップルに「壁に2人の名前を書くと永遠の幸せが約束されるんですよ」と勧められた時、絶対、自分はその監督と違う行動が取れると言い切れるでしょうか。
基本的に完璧な人間は存在しません。時に人は過ちを犯し、その過ちに悪意がなく、意図的なものではなかったとしても、その過ちに見合った罰を受けなくてはなりません。街の美観を損ねたり、新幹線を運休させてしまうような悪質なものもあり、どのようなケースでも落書きを決して容認できるものではありません。
ただ今回の大聖堂の落書きは客観的な状況を含めて判断した場合、情状酌量の余地もあり得たのではないでしょうか。当然、何らかのペナルティは必要だったと思いますが、解任という処分は重すぎるように感じています。過去の記事「責任の処し方、あれこれ」でも記しましたが、この問題で選手たちの県大会出場の是非まで取り沙汰されるなど論外な話だと考えていました。
幸い出場辞退の選択肢は消え、監督を専業としている人ではなく、解任イコール職を失う処罰ではなかったようです。しかしながら教師として学校に残れるとは言え、熱心な指導で選手を育て、甲子園に手が届く所まで来た矢先の監督解任は痛恨の極みだったろうと思います。選手たちに与える影響も少なくないことは確かです。
この話に関連し、と言うよりも、次の報道に対しての問題意識が強かったため、今回のような記事内容の投稿に至りました。これまで何回かコメント欄に火がつく当ブログにとって鬼門と言える話題かも知れません。あえて触れるのもどうかと考えましたが、厳しい反論は反論として率直に受けとめる覚悟で、自分なりの問題意識を綴らせていただきます。
政府の有識者会議「年金業務・組織再生会議」(座長・本田勝彦日本たばこ産業相談役)は30日、社会保険庁を解体して10年1月に発足する非公務員型組織「日本年金機構」の業務や運営に関する最終報告書をまとめ、渡辺喜美・行政改革担当相に提出した。懲戒処分歴がある社保庁職員は正規職員として採用せず、期間を定めた有期雇用とする。期間も当初案は「3年以内」だったが、初回は1年に短縮。今後5年程度で完成する年金記録システムの刷新などに伴う人員削減の対象とし、機構発足後6年程度で雇用契約を更新しないと明記した。
政府は報告書の内容を、新機構の基本計画として、4日に閣議決定する。懲戒処分歴のある職員は867人。厚労省案は「不可欠な人材」のみ正職員への採用を例外的に認めていたが、「正職員への抜け道になる」といった意見が相次ぎ、例外規定を削除。有期雇用とし正職員とは退職金に差をつけるべきだとした。有期から正規への登用の道は残したものの、「第三者機関による厳正な審査」を条件とした。
人員削減面では、現在1万3113人の正規職員を機構発足時に17%減の1万880人とする。民間からの外部採用枠を1000人とするため、社保庁から移行できる定員枠は9880人で、実質25%の削減になる。一方で「宙に浮いた」年金の記録問題の解決に必要な人員には報告書では考慮せず、対応が必要な場合も、正規職員の増員ではなく、外部委託などの活用を求めるにとどめた。このほか報告書は、第三者機関が業務を監査できるよう法整備の検討を求めた。【毎日新聞2008年7月1日】
社会保険庁の不祥事と信用失墜の問題は繰り返して申すまでもありません。これまで当ブログでも数多くの記事を投稿し、たくさんの方々からコメントをいただいてきました。今回、気になった問題は1点です。犯した過ちに対し、その重さに相当する停職などの懲戒処分が課せられます。免職以外は、自分が犯した過ちを厳しく反省した後、再チャレンジが許された処分だと言えます。
それが「社会保険庁解体」というシンボリックな大きな岐路に際し、「懲戒処分歴がある職員は正規採用しない」という発想が浮上してしまいました。「不祥事を重ねてきた社保庁職員は全員入れ替えろ」との極論まで耳にする中、むしろ「手ぬるい」と思われている方々も少なくないのかも知れません。民間会社が倒産した場合、社員は一斉に職を失うことに比べたら「恵まれている」とのご意見もあろうかと思います。
それでも雇用を守る切実さを第一義に考える労働組合の役員の立場からは率直な思いとして、とても残念な動きだと受けとめています。同じ公務員であり、身内に甘い考えだとの批判を受けるのかも知れませんが、処分が二度課せられるような今回の方針に対して強い違和感を抱かざるを得ません。
憲法第39条の二重刑罰の禁止「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」の趣旨から考えても理不尽な話だと思っています。本来、「社会保険庁解体」は組織としての問題であり、過去、電電公社や郵政の民営化にあたって基本的に職員全員が新会社へ採用されてきました。そのような前例は事業の継続性の面から効率的かつ現実的な対応だろうと見ています。
確かに社会保険庁に対しては様々な意味で、国民からの悪感情がうずまき、今回の記事のような主張を行ないづらい現状も理解しているつもりです。それでも個人的な意見を託せるのがブログの特色です。したがって、今回、過ちとその処分のあり方の是非に絞って、自分なりの問題意識を書き込んでみました。たいへん長い記事となって恐縮でしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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