2018年5月27日 (日)

組合民主主義について

連日、注目すべきニュースや話題がメディアから伝えられています。このブログにとって、いろいろな思いを託しながら新規記事につなげられる題材が目白押しの昨今だと言えます。ただ当ブログを続けている目的を踏まえた際、地味な話題となりますが、何よりも優先的に取り上げるべき話として今回の記事を書き進めることにしています。

とは言え、少しだけ最近、特に思いを強めている見方を紹介させていただきます。事実関係は一つなのでしょうが、関係者の主張が大きく食い違う場面が見受けられます。遠慮や忖度は必要なく、事実のみ語ろうとする言葉は重く、説得力を感じることができます。一方で、事実を知っていながら、事実とは異なる説明をしなければならない方々の言葉だった場合、「記憶がない、覚えがない」という曖昧な語尾が多くなりがちです。

そして、事実とは異なる説明を加えていることを自覚していながら、断定調に事実関係を否定される方も中にはいるのかも知れません。そのような場合、「覚えがない」という歯切れの悪い弁明をされている方々のほうが、まだ良心の欠片が残っているのだろうと想像しています。あえて具体例は示しませんが、いろいろ思い当たることが多い昨今なのではないでしょうか。

念のため、あらかじめ説明を加えさせていただきます。このブログの文章も「思っています」という語尾が多く、場合によって歯切れの悪い印象を与えてしまっています。インターネット上であるブログでの発言の重さを強く意識し、いつも言葉や表現を選んでいることは確かです。ただ「思っています」という語尾は多様な「答え」があることを自覚した上、あくまでも私自身の意見の表明であり、結論を押し付けるような関係性を避けるためのものです。

〇か×か、二者択一の問いかけに対し、〇でも×でもない「答え」を説明する時があります。このような時、はぐらかしているような印象を与えがちですが、決して何か遠慮や忖度が働いている訳ではありません。自分自身の判断として、〇や×だけでは答えられない設問内容だと理解し、正直な思いを答えた結果だと言えます。その上で、これまで〇を×に偽るような対応は一度もないことを強調させていただきます。

さて、このブログは組合員の皆さんに組合活動を身近に感じていただければと願いながら続けています。同時に不特定多数の皆さんからも公務員の組合活動を少しでも理解を得られればと願っています。逆に圧倒多数の方々から批判を受け、まったく理解を得られないような組合活動であれば、組合員の皆さんから共感を得ることなど程遠い話となります。仮にそのような場合、現状の組合活動のあり方や進め方などを率直に見直す機会につなげていかなければなりません。

前回記事「等身大の組合活動として」のコメント欄でも、複数の方から組合活動や私自身の対応への手厳しい批判や問いかけがありました。私自身や私どもの組合を特定して批判しているものではないという補足をいただく場合があります。下っ端さんからも「管理人さん個人を批判しているのではありません。公務員としてあるべき姿を、公務員皆さんに求めているだけです」という言葉が寄せられています。

ある程度、そのような関係性であることを私自身も理解し、公務員やその組合が共通して抱える問題点であるものと受けとめながら当ブログと向き合っているつもりです。それでも前回記事の中で「ここまで断定調に批判されてしまうと、見ている景色そのものが違うのではないかと考え始めています」と記し、下っ端さんの目にしている実際の事例が自治労に属する組合共通のものであるのかどうか確かめたいという気持ちを強めています。

最近の記事「JR東労組の組合員が大量脱退」の中で、私どもの組合活動の現状を説明していました。職場動員のあり方などJR東労組との違いを説明し、かつては私どもの組合も同じような強要する雰囲気があったことを記していました。特定の思想に関わる政治方針を公務員の組合が持つべきではないという主張であり、下っ端さんからすれば「見ている風景が違うのかどうかなど、どうでもいいです」という説明が加えられています。

しかし、事実関係を正確に共有していないのであれば、かみ合った議論から離れかねません。下っ端さんが「公務員である以上、常に、いかなる時も、景色など関係なく、公務員である必要があるのです。私達は」と記していましたが、私自身も公務員としての自覚と責任を持って職務を励行しています。組合活動においても公務員であるという自覚を忘れたことはありません。過信や勘違いで組合活動を進めていないため、政治方針を掲げていることだけで強く批判され続けていることに違和感を抱いています。

このブログの中で、基本的な考え方や視点が異なっていた場合、同じ事象に接していても人によって評価が分かれがちなことを頻繁に指摘しています。一方で、偏った見方や情報だけでは望ましい「答え」を見出しづらく、多面的な情報に触れていくことの大切さを訴えてきています。したがって、もう少し批判の対象となっている具体的な事例を下っ端さんから示していただければ、より実りある議論につなげていけるのかも知れません。

いずれにしても「見ている景色そのものが違うのではないか」という私自身の言葉が、あっしまった!さんやnagiさんからは異論を排除するように理解されてしまったようですが、下っ端さんとの議論を強引に打ち切るような意図は一切ありません。もし私自身の問題として、もしくは私どもの組合の問題として、改めなければならないような具体例がある場合、率直に指摘していただければ幸いだと考えています。

個別の具体例は関係なく、オールorナッシングの総論的な問題として、平和や人権など政治方針を一切下ろすべきという指摘に集約される話だった場合、改めて今回の記事を通して説明を加えさせていただきます。前回記事のコメント欄に次のような選択肢での問いかけが寄せられていました。組合の政治活動の必要性や有益さを理解した上で反対している組合員には、どのように対応するかどうかという問いかけでした。

  1. 理解するまで説明を続ける。
  2. そのような組合員は無視する。
  3. 反対する組合員は追放する。
  4. 理解されない活動を撤回する。

今回も恐縮ながら私自身の「答え」は上記以外のものとなります。「1」に近いのかも知れませんが、「引き続き理解を求めていく」という「答え」です。結果的に理解いただくことは難しいのかも知れませんが、説明することを放棄するようでは「2」の無視に近い現状になりかねません。当たり前なことですが、政党や政治団体ではありませんので、政治的な方針に対する考え方が異なろうと組合員の追放や排除などあり得ません。

例えば自治体においても住民全員が賛同していなくても、原発再稼働や住基ネット接続などを拒むという政治的な判断を首長らが下すケースもあります。そのような場合、自治体の方針に反対する住民も転出することなく、住民税を納めています。不本意であっても選挙を経て担っている首長や議員の判断に委ねるという関係性があるからです。そのような自治体の方針が住民の多くから支持を失うようであれば、次の選挙で首長らが代わり、政策判断も変わっていくことになるはずです。

少数意見の尊重についてですが、下っ端さんから「野党の意見を聞かず、自民党が数の力で強行採決することは、民主主義の冒涜」という激しい言葉で批判していたという指摘を受けています。この言葉も私あてなのかどうか分かりませんが、私自身は国会での強行採決に関して「安保関連法案が衆院通過」や「民進党に望むこと」などを通して綴ったとおりの問題意識を示しています。強引さを批判した記述は残していますが、決して「民主主義の冒涜」だと批判したことはありません。

多数決は少数意見が排除されるシステムですが、どうしても結論を出さなければならない時に行なう民主主義の一つの形だと考えています。重要な点は多数派が少数意見にも耳を傾け、必要な見直しをはかりながら合意形成をはかることです。採決しなければならない時も、採決すること自体は反対しないという理解を少数派から得ることも大切です。方針が決まった後も、多数派は少数派の意見を意識しながら対応していくことも欠かせません。

選挙で信任された議席数による多数決だけが民主主義ではなく、上記のような少数意見の尊重も民主主義の大事な点だと言えます。なお、少数意見があるからと言って、決まっている方針や活動を保留することが少数意見の尊重ではありません。100%の総意は容易ではなく、一定の活動が必要な組織の構成員にとって認めざるを得ない関係性だろうと理解しています。

その際、日常的な活動を進める上で「少数意見の抹殺」などと思われないような配慮が求められています。組合の政治活動の話に焦点化した場合、組合員の政治意識の多様化を踏まえ、組織として決まった方針だから「従うのが当たり前」という強要は避けるべきものと考えています。さらに強要と受けとめられるような手法や雰囲気にも留意しなければなりません。組合方針を堂々と批判する組合員を異端視しないことも大切です。

自分自身、長く組合役員を担う中で一定の政治活動の必要性を認めてきています。その上で、特に執行委員長になってから上記のような問題意識のもとに組合員の皆さんと接しています。「改憲に反対しよう」という結論の押し付けではなく、「なぜ、反対するのか」という理由の説明を重視してきています。ちなみに私自身の発する「丁寧に」は、様々な異論があることを尊重した上で、粘り強く説明を重ねていく関係性を意識した言葉です。

政治課題に関する集会参加の呼びかけも組合ニュースを中心としながら個々の組合員の意思を尊重し、職場割当の動員要請は行なっていません。単組としての動員力の弱さを自治労都本部からお叱りを受けたとしても、持続可能な等身大の組合活動として重視している心構えです。このような「答え」もナッシングを主張されている下っ端さんを納得させるものではないはずです。

「労働組合が政治活動に関与することは歴史的にも国際的にもスタンダートな姿だと言えます」と記しました。その言葉に対し、下っ端さんからは「集団的自衛権を保持することは、歴史的にも国際的にもスタンダートな国家の姿だと言えますよね。では、政治活動同様、集団的自衛権も憲法にしっかりと明記しましょうよ。まさか、こっちはいいけどこっちはダメなんて、そんなご都合主義な考えはお持ちじゃないですよね?」という問いかけがありました。

日本国憲法は「集団的自衛権は認めない」という解釈のもと、ご指摘のとおり国際的なスタンダードな姿とは一線を画していました。その「特別さ」を私自身は望ましいものだと考えているため、解釈で容認した安保関連法は非常に問題だと思っています。もし多くの国民が国際的にはスタンダートな姿を望むのであれば、真正面から国民投票に付すべきという考えでもありました。改められる手段がある限り、将来にわたって現状を固定できるものではありません。

組合の政治活動も同様です。私は自分自身の信じている「答え」のもと私どもの組合活動に対して責任を果たしていきます。ぜひ、下っ端さんもその強い問題意識のもとご自身の所属する組合の中で変革に向けた力を発揮していただければと考えています。この言葉を添える際、注意しなければならないことがあります。下っ端さんの今後のコメント投稿を自制させるような意図は一切ありません。

自治労に関係する多くの方々もご覧いただいているはずのブログですので、下っ端さんの発信する主張が意義あるものとなっていく可能性もあります。私自身、幅広い意見や異論を歓迎している立場ですので、下っ端さんからのコメントが減るようでは残念なことです。ただ強調したい点として、現実の場面の変化を求めていく場合、自分の足元から試みていくことが近道なのだろうと思っています。

そもそも当ブログを通し、下っ端さんの主張を全面的に私自身が賛同したとしても、すぐ組合方針を変えられる訳ではありません。執行委員会で議論し、大胆な方針変更の議案を準備し、定期大会で確認を得られた時に変えられる運びとなります。あっしまった!さんからご理解いただいているようですが、仮に執行委員長の一存で重要な方針が変わってしまうようでは組合民主主義から程遠い姿だと言えます。

「そこまで、する気がない」というお考えかも知れません。それでも組合役員の担い手不足の問題と絡みながら、多様な政治意識を持つ組合員の皆さんの執行部への参画は非常に重要な問題となっていくはずです。万が一、それこそ特定の政治的な考え方を重視する組合役員ばかりの執行部体制になった場合、組合員の皆さんとの意識の乖離がますます広がっていきかねません。外形的に組合民主主義が担保されていたとしても、望ましい組合組織とは言えないような気がしています。

思った以上に長い記事となりました。それでも前回記事のコメント欄に寄せられた問いかけなどに対し、すべて網羅できていないはずです。単発で終わるブログではありませんので、不足した点は次回以降の記事で補っていければと考えています。最後に、「コトバンク」に掲げられていた「組合民主主義」という言葉の説明を紹介し、今回の記事を終わらせていただきます。

労働組合を民主主義的に運営する原則。労働組合運動における組織原則の一つで、組合幹部の独善主義的、官僚主義的な組織運営に対する概念として用いられる。労働組合は、思想、信条を異にする広範な労働者が自らの要求に基づいて団結し闘争する大衆組織である。したがって、労働組合が資本家ないしは使用者に対抗し、自らの経済的・社会的地位の向上を図るためには、組合員の強固な意思統一と団結を最大限に確保することが不可欠である。

そのためには組合の組織運営が組合員全体の意思を反映し、その行動が民主主義的な手続を経て決定する組合民主主義の原則が確立されていなければならない。現行の労働組合法(昭和24年法律174号)が役員選挙、同盟罷業、規約改正について組合員の全員投票を労働組合規約に明記することを義務づけている(5条)のも、組合民主主義を法律によって確保しようとしたことにほかならない。

組合民主主義を確立するためには、労働組合は少なくとも、(1)使用者や政党など政治団体の組合への干渉を排除し、大衆組織としての自主性を確立していること、(2)すべての組合員が労働者としての民主的権利のほか、組合活動全般に実質的かつ平等に参加できる権利が保障されていること、(3)組合組織を日常的に動く組織にし、幹部闘争から大衆闘争への原則を確立していること、などの条件を満たしていなければならない。

決定に際して少数グループの意見が多数グループによって絶えず否定されることは組織分裂に通ずるおそれがあるため、単純多数決によらず各層の意見を反映するよう、議決方法や代表者数が配慮されている。このような組織運営のあり方を組合民主主義と呼んでいる。選任された役員は執行委員会を形成し、組合員代表からなる中央委員会あるいは代議員会にはかりながら業務を遂行する。

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2018年5月19日 (土)

等身大の組合活動として

「この人には何を言っても無駄だ」「このサイトでコメントしても意味がない」などと思われ、まったく反応がない場になるようではブログを続けている意義も薄れることになります。いつも申し上げていることですが、基本的な視点や立場が異なる方々から幅広いご意見を伺えることは貴重な機会だと思っています。

このブログにコメントをお寄せくださる皆さん、それぞれ何らかの思いを持って時間を割かれていただいていることに心から感謝しています。ただ私自身に対して「聞いているだけで変わろうとしない」という批判も受けがちであり、かみ合わない議論や「暖簾に腕押し」感に嫌気をさしてコメント欄から去られた方も少なくありません。

主張すべき点は主張するという目的で始めたブログでもあるため、意見対立を意図的に避けるような対応は考えていません。したがって、今回の記事内容が批判意見を繰り返されている方々の苛立ちをやわらげられるかどうか分かりませんが、前回記事「再び、ネット議論への雑感」に寄せられていたコメントを念頭に置きながら書き進めてみます。

まず土曜の朝、私からコメント欄に「組合が腐敗していくのも当然のことです」「執行委員長という立場が、本当は理解できるはずのことを曇らせてしまうのですかね」などという極めて不本意で残念なコメントが寄せられてしまっていることについて「決して容易な試みとは思っていませんが、新規記事を通して少しでも不名誉な見られ方が払拭できるように努めていければと考えています」と記していました。

すると早々に下っ端さんからは「>極めて不本意で残念なコメント そう受け止められることは想定したうえでのコメントです。では、私から。組合が本来の目的を逸脱した、組合と関係のなり活動をすることに対して、極めて不本意で残念と考えている組合員からのコメントとお受け止めください」というコメントが寄せられていました。

「組合と関係のない活動」というご指摘だと思いますが、関係のないと決め付けて「極めて不本意で残念」という下っ端さんの考え方を問題視するつもりはありません。繰り返し述べてきていますが、そのように考えている自治労組合員が少なくないことを認識すべき機会だととらえています。

私が「極めて不本意で残念」だと感じた点は「執行委員長という立場が、本当は理解できるはずのことを曇らせてしまうのですかね」というご指摘についてです。推測をもとに他者を蔑む言葉であり、まして不愉快に感じることを想定したコメントだと伺い、ますます残念に思います。それほど下っ端さんの目にしている組合活動は批判を受けざるを得ない実態なのでしょうか。

もう一つの残念な「組合が腐敗していくのも当然のことです」という言葉はnagiさんからのものですが、その前段に下っ端さんから次のようなコメントが寄せられていました。ここまで断定調に批判されてしまうと、見ている景色そのものが違うのではないかと考え始めています。これから掘り下げていく論点を明確化するため、その時に下っ端さんから寄せられたコメント全文をそのまま紹介させていただきます。

組合は、組合活動だけ行っていればよかったのに。いつの間にか組織は大きくなり、力を得た組織はもっと力を求めるようになり、政党を支持し、国政に進出も果たし、気が付いたらは必要のないほどの力を得てしまった。組織や権力は絶大な力を発揮し、自分達の発言力や影響力は目に見えて大きくなり、まるで、正義を貫く大きな力を天から授かったと過信するほどの、勘違いを生み出してしまった。

本当はただ、働く仲間達の明日に希望を灯す、助け合い運動でしかなかったのに・・・・・一度手にした権力は、力は、組織は、もう手放せませんよね。だって、力に酔いしれ、本来の目的も忘れ、「正義と平和」いう言葉に都合よく言い替えた、ただの過信と思い込みを振りかざすだけの結末。そんな滑稽な姿に見えてしまうのは、私だけでしょうか。そんな悲しい結末を想像してしまうのは、私だけでしょうか。

下っ端さんがとらえられている組合活動は職場課題に特化したものだと理解していますが、これまで組合活動の中に一定の政治活動も含まれていることを説明しています。職場内の労使交渉だけでは組合員の利益を守れない場面もあるため、労働組合が政治活動に関与することは歴史的にも国際的にもスタンダートな姿だと言えます。

確かに特定の政党や政治家と支持協力関係を築くことで、組合組織としての「政治力」を得ることができます。しかし、その力は「組合員のため」に活用することを目的にしています。仮に政治活動から距離を置いた時、組合員全体にマイナスの影響を及ぼすことも考えられます。いずれにしても一度手にした権力は手放せない、過信と思い込みを振りかざすというような見方こそ、思い込みが先走っているように感じがちです。

また私自身の「目が曇っている」と言われてしまうのかも知れませんが、一定の政治活動の必要性を認めている立場からは違和感を抱かざるを得ないコメント内容でした。一方で、下っ端さんのように「政治活動から一切手を引くべき」と考えている自治労組合員が相当数に上ることは重く受けとめています。だからこそ政治活動の必要性や有益さを組合員の皆さんに対し、よりいっそう丁寧に周知していく試みが欠かせないものと考えています。

加えて、職場課題と政治活動に対する力点の置き方を主客逆転させないことはもちろん、組合ニュース等での周知の仕方にも注意を払っています。政治課題での各種集会は数多く取り組まれ、自治労都本部を通して通知が届きます。それらの情報を執行委員会の段階では共有化しますが、組合員の皆さんへの周知はメリハリを付けながら絞り込んでいます。

「参加希望者がいなくても、このような国会前での行動に取り組んでいることを組合ニュースを通して組合員に知らせるべきではないか」という意見を示す組合役員もいます。一人でも多くの参加者を募りたいレベルの集会ではない限り、掲載することで逆に印象を悪くしかねないケースを想定し、アピールを目的にニュースの紙面を割くことはありません。全面撤退を唱えている方々からすれば「その程度」という話かも知れませんが、以上のような判断に至る背景は当ブログのコメント欄での声を意識しているからです。

ここから実際の組合活動における話にもつなげていきます。4年前、「市議選まであと1か月」というブログ記事を投稿していました。今回も市議会議員選挙まで1か月を切るタイミングに差しかかり、火曜日に開いた職場委員会で私どもの組合の対応方針を確認しています。来月6月17日が投開票日で、定数28名に対し、50名ほどが立候補を予定し、かつてない激戦が見込まれています。

これまで私どもの組合の元委員長を推薦し、緊密な協力関係を築いてきました。今期で勇退されますが、市議会に緊密な連携をはかれる議員の存在の貴重さは変わりません。そのため、自治労都本部が推薦を決めた無所属での立候補を予定している候補者を私どもの組合も推薦します。その候補者は自治労方針を尊重し、私どもの組合と緊密に連携しながら政治活動を進めたい意向を示されています。

このような点を受けとめ、今後、その候補者を市議会に送り出せるよう可能な限りの力を尽くしていきます。ただ選挙に関わる方針は組合員の皆さんへ押し付けるべきものではなく、その重要性や意義を訴え続けることによって、ご理解やご協力を求めていくべきものだと考えています。今回の記事に関連した最近の動きとして、参考までに紹介させていただきました。

このブログを通しては「政治活動から一切手を引くべき」という強い訴えがある中、実際の場面では上記のような動きを進めています。とは言え、現在の私どもの組合の力量等を踏まえ、長年市議を務められた元委員長の後継者を組織内から送り出すという選択肢は早い段階で見送っていました。その上で等身大の組合活動として、市議選に臨む方針案を提起し、職場委員会で確認を得ることができています。

最後に、今回も長々と綴ってきましたが、組合の政治活動自体を批判されている方々に少しでも「なるほど」と思っていただけるのかどうか自信はありません。特に下っ端さんから寄せられたコメントに対してお答えしてきたつもりですが、場合によって失礼な記述箇所も散見しているかも知れません。容易に分かり合えないものと思いますが、閲覧されている不特定多数の方々を意識しながら、お互い言葉の「競い合い」ができれば幸いだと考えています。

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2018年5月12日 (土)

再び、ネット議論への雑感

かなり前に「ネット議論への雑感」という記事を投稿していました。今回の記事を書き進めるにあたり、まずタイトルをどうしようかと考えました。前々回記事「役に立たない組合はいらない?」と前回記事「日本国憲法が大きな岐路に」のコメント欄に何人かの方から私自身の姿勢に対し、手厳しい意見や指摘が寄せられていました。

そのため、書きたいこと、書かなければならないこと、いろいろ頭の中に思い浮かんでいます。土曜の朝には「コメント欄を通し、私からお答えすべき点について即応したほうが望ましいのだろうと理解しています。それでも記事本文を投稿する週末に至っていますので、いろいろ思うことを新規記事の中で綴らせていただくつもりです」と記していました。

皆さんから寄せられている疑問に対し、どこまでお答えできるか分かりませんが、インターネットを通した議論に思いをはせながらパソコン画面に向かっています。ただ具体的なタイトルにつなげられるような題材や論点が絞られている訳ではなく、また書き進めるうちに話が広がることも見込まれていました。

そのようなことを考えているうちに「ネット議論への雑感」というタイトルの記事を思い出し、今回の記事に「再び」を付けて書き始めています。以前の記事の中には次のような記述を残していました。このブログのコメント欄に関し、大多数の人たちが匿名によるコメント投稿となる「掲示板」的な場として、様々な議論に触れられることを歓迎しています。

その匿名の利点は、飾らない本音の議論ができることだと思っています。遠慮のない言葉や誹謗中傷の応酬となるリスク、「諸刃の剣」的な側面がつきまといますが、おかげ様で殺伐とした雰囲気になることが極めて少なく、これまで続けてくることができています。ひとえにコメント欄での常連の皆さんのご理解やご協力の賜物だと感謝しています。

そもそも匿名で発信できるということは、立場などの成りすましや都合良く情報を操作することも可能となります。それはそれでモラルの問題となりますが、このようなネット上の私的な場では特に何か問われるものではありません。誰がどのような立場で書いたかは、それほど大きな問題ではなく、その人が書き込んでいる言葉、つまり内容がどのように他の閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、逆に反発を招くかどうかの関係性だろうと考えています。

このブログを続けていく限り、これからも以上のような思いを念頭に置いていくことになります。当然、実質的には匿名となっていない私自身の発信する内容も同様な関係性だろうと考えています。閲覧されている皆さんから共感を得られるのか、批判や冷笑の対象となるのか、発信する内容はもちろん、一言一句が大事なことに変わりありません。

ただ注意しなければならない点として、実際に面と向かった場面でも意思疎通の行き違いがあります。それこそ言葉だけの意見交換となるネット上では実際の場面以上に思いがけない行き違いが生じがちです。書き手側の言葉不足や表現力に問題がある場合、もしくは読み手側の早とちりや誤読が原因になることも考えられます。

さらに議論を成立させるために必要な前提が人によって異なることにも留意しなければなりません。このあたりは以前の記事「このコメント欄の限界と可能性」を通して詳述していました。例えば「自治労」という組織に対する基本的な事実認識が異なっていた場合、提起されている問題意識や論点がうまくかみ合わないケースも目立ってしまいます。

加えて、自治労は所属している組合一つ一つの連合体であるため、個々の組合のカラーが大きく違う場合も見受けられます。そのため、同じ自治労の組合員同士でも普段見ている組合活動の風景が違う中で、ネット上で議論しているケースもあり得ます。その上で、どの組合も共通している点については当ブログを通し、自信を持って断定している言葉があります。

前々回記事「役に立たない組合はいらない?」の中で、決して特定の団体のために余計な組合活動があるのではなく、すべて「組合員のため」を目的としています、という言葉です。政治活動も同様ですが、この言葉の意味合いが誤解を招いているようです。もちろん特定の政党や政治家のために組合活動がある訳ではありません。しかし、特定の政党や政治家を自治労や各単組が支持することを否定している言葉ではありません。

特定の政党や政治家と支持協力関係を築くことが「組合員のため」になり、「組合員のため」になることを第一義的な目的として一定の政治活動にも力を注いでいるという説明を繰り返しているつもりです。政治活動から一切手を引くべき、特定政党の支持はやめるべき、いろいろな考え方があろうかと思っていますが、これまで自治労や私どもの組合方針は政治的な立ち位置を明らかすることが多くなっています。

そのような方針に対し、このブログのコメント欄では批判的な意見が目立ちがちです。その中で、たいへん残念で不本意な指摘まで受けてしまっています。「自分たちの主張は正しく、受け入れられて当然。より、訴えを強化して、知ってもらわないといけない」と考え、現実世界では通用しない脳内世界で私たちが判断しているという指摘です。「施策の方針・考え方が十分に理解されているからこそ、正しい理解に基づいてそれに対する拒絶反応が生じている」とは、思いもよらないと思います、という言葉にも寂しさを強めていました。

政治的な個々の方針に対して組合員の中に幅広い見方があることを人一倍認識しています。しかしながら私自身、組織的な手続きを経て確認した組合方針を誰よりも守らなくてはならない立場です。その方針の基本的な方向性を正しいと信じている立場でもあり、だからこそ「なぜ、取り組むのか」という丁寧な説明の必要性を重視してきています。このブログを開設した目的も、そのような説明の機会の大切さを感じているからです。

このような立場性をご理解いただいていると思われる常連の方から無記名アンケートで「過半数の回答を単組の方針にしてはどうでしょう」という問いかけがあったため、正直なところ驚きと落胆が織り交ざりました。問いかけではなく、「私が単組の委員長であれば、このようにして自治労方針を改めていきます」と結ばれていれば、その是非を私がコメントする立場ではなく、話が広がることもなかったはずです。

ちなみに組合員全員を対象にした無記名の投票として、組合役員の信任投票ストライキ権の批准投票があります。それぞれ投票率は90%を超え、全役員信任が70%以上で、最高位となる私自身の信任率は90%を超えています。批准投票での賛成率も90%に届いています。政治方針を含めた組合活動を直接評価する投票ではありませんが、組合員の皆さんからの信頼度をはかる大きな目安としています。

ネット議論への雑感として、もう少し書き進めなければなりません。人それぞれが培ってきた経験や得てきた知識によって基本的な考え方は枝分かれしていきます。その基本的な考え方の違いから同じ事象に接していても、物事に対する評価や賛否が大きく分かれがちです。当たり前なことかも知れませんが、個々人それぞれが正しいと信じている評価や賛否、つまり「答え」が唯一無二のものとなります。

その「答え」から極端に離れた考え方や見方に接した場合、どうしても批判的な口調になりがちな方々が多くなることも仕方のない関係性だろうと思っています。このブログにおいても私自身の「答え」に対して痛烈な批判が繰り返されたケースは数え切れません。私の「答え」が変わらないことに苛立ち、コメント欄から離れて行かれた方も多いようです。その点は以前の記事「出入り自由な場として」の中で記しているとおりです。

〇か×かで問いかけられ、どちらか明確に応答しない時があります。〇か×か明確化した回答を求めている方に対し、答えをはぐらかしているような印象を与えてしまっているようです。それでも〇か×かだけでは答えられないケースが多いことも確かです。安倍首相に対する批判の仕方について、私自身はそのような手法や表現方法は取らないと言い切れる場合でも、他の方が試みることまで絶対駄目だと判断できないケースもあります。

常連の皆さんの多くからはご理解いただいている点ですが、このような答え方の正しさを押し付けるつもりもありません。あくまでも冒頭に述べたとおり私自身が書き込んでいる言葉や内容がどのように閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、逆に反発を招くかどうかの関係性だろうと考えています。そもそも当ブログにおいて「答え」を一つに絞ることは目的にしていません。

多様な意見や情報に触れ合えることの貴重さを感じ取りながら、実生活の場面での判断材料や参考情報につなげていければ何よりなことです。もちろん「なるほど」と思えるコメントに接した時は自分自身の旧来の考え方を改める機会にしていくつもりです。その逆に私自身が発信している主張に対し、一人でも多くの方から少しでも「なるほど」と思っていただけるようであれば本当に幸いなことです。

最後に、直近のコメントを意識した記事本文としていますが、今回、どなたのお名前も上げないまま書き進めてきました。一般論の話とするよう意図したものであり、もし取り上げ方で失礼さを与えているようでしたら申し訳ありません。また、コメント欄で示されていた具体的な政党の話など、すべて網羅できていませんが、機会を見ながら次回以降の記事本文で扱っていければと考えています。

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2018年5月 5日 (土)

日本国憲法が大きな岐路に

5月3日の憲法記念日、全国各地で憲法をテーマにした様々な集会が催されました。「憲法を生かす全国統一署名」の取り組み団体が呼びかけた有明防災公園での「9条改憲NO!平和といのちと人権を!5.3憲法集会2018」には主催者発表で6万人が集まりました。私どもの組合からも役員を中心に数名が参加していました。

私自身は地元の市民団体が主催した憲法集会に参加しました。労働組合のつながりを考えれば有明の集会のほうに行くべきだったのかも知れませんが、時間的に都合が付きやすかったことに加え、弁護士の澤藤統一郎さんの講演「憲法を支える平和的生存権」に興味があったため、地元の集会のほうを選ばさせていただきました。

ブックマークし、ほぼ毎日訪問しているブログの一つが「澤藤統一郎の憲法日記」でした。弁護士の視点から憲法を切り口にした多様な題材を鋭く論評され、歯に衣着せぬ書きぶりが特筆できるブログだと言えます。日頃からブログに関心を持っていたため、澤藤さんから直接お話を伺える集会はたいへん貴重な機会だと考えました。

ちなみに平和的生存権とは日本国憲法から導き出される人権の一つで「平和のうちに生活する権利」のことを指します。澤藤さんは「平和も手段的価値であって、人権としての平和的生存権こそが目的価値ではないか。平和を制度の問題ととらえるのではなく、国民一人ひとりが、平和のうちに生きる権利を持っていると人権保障の問題として再確認する」と語られています。

この平和的生存権を根拠とし、日本政府が湾岸戦争時に90億ドルもの戦費を負担したことの違法性などを裁判で争ってきたという話も添えられていました。その日のうちに澤藤さんは「憲法記念日に平和的生存権を語る」というタイトルでブログを投稿されていました。講演内容の資料も掲げられていますので、ぜひ、興味を持たれた方はリンク先をご参照ください。

講演の冒頭の自己紹介の際、澤藤さんは「弁護士は市民社会から与えられた自由がある。誰にもペコペコしない。公務員であれば遠慮して書けないことも弁護士は何でも書ける」とし、DHCとのスラップ訴訟の体験談などを紹介されていました。言論の自由の重要さを強調された上、このような自由があるからこそ、消費者支援など弱者の立場での裁判に全力で取り組めるという弁護士の立場性や強みを語られていました。

澤藤さんが投稿している興味深い記事内容は当ブログの中でも時々紹介していました。「何でも書ける」と語られている澤藤さんの最近の記事「朝鮮半島の平和は困る ― 9条改憲の好機を逃してしまいそう」などもウイットに富み、鋭く世相を風刺した内容だろうと思っています。私自身は興味深く閲覧でき、権力者に対し、このような批判の仕方も許容できる範囲だろうと見ています。

一方で、安倍首相を支持されている方々が目を通せば、揶揄した書きぶりに対して強い嫌悪感を示されるのかも知れません。嫌悪感が示された瞬間、書かれている本質的な批判内容の是非や評価まで至らない可能性が高くなるはずです。このような関係性を避けるため、このブログでは基本的な考え方や立場の異なる方々にも届くような言葉を探し続けています。

「OTSU」というハンドルネームで、個人の責任で運営しているブログですが、知り合いや組合員の皆さんからすれば匿名での情報発信ではありません。そのため、確かに「公務員だから書けない」こともあるのでしょうが、前述したような問題意識から言葉や表現を選ぶ場面が多くなっています。このような事情については以前の記事「ブログでの発言の重さ」の中で詳しく説明していました。

あえて対立点を際立たせない書き方が多く、寄せられたコメントに対しては断定的なレスが少ないため、分かりづらい点があることを自覚しています。意識的に「思っています」「考えています」という語尾を多くし、多様な「答え」があることを前提に私自身の考えや問題意識を発信しています。その上で「公務員だから」ではなく、異なる「答え」をお持ちの方々を挑発するような言葉や表現は極力避けるように心がけています。

もう一つ、分かりづらくしている大きな理由があります。前述したとおり個人の責任で運営しているブログですが、組織の看板を背負いながら発信している側面もあります。私どもの組合も、自治労も、おおらかな組織ですので、個人的な発言の自由度は高いほうです。それでも組合委員長という立場を忘れることはなく、組合役員や組合員の皆さんが当ブログを見た際、「あれっ?!」という違和感や不信感を与えるような記述は控えています。

とは言え、それほど窮屈さを感じることはなく、個人的な思いを存分に発信してきているつもりです。基本的な方向性として自治労や平和フォーラムの方針を受けとめられる立場であるため、このブログを通して発信している内容はすべて自分自身の率直な思いばかりです。組織の一員だからと言って「白だと思っていることを黒だ」と偽って発言したことは一度もありません。

当然、自治労や平和フォーラムの個々の方針と自分自身の考え方がすべて一致している訳ではありません。違いは違いとして必要であれば当ブログの中で問題提起しています。そのような際、ブログだけの発信にとどめず、なるべく実際の場面でも同様な趣旨の発言を行なうように心がけています。その一例として「自治労都本部大会での発言」という記事なども投稿していました。

前回記事「役に立たない組合はいらない?」を通し、労働金庫全労済の取り組みをはじめ、余計な組合活動はなく、すべて「組合員のため」を目的としていることを強調させていただきました。組合の政治活動も同様です。向き合い方に注意は必要ですが、余計な活動とは考えていません。だからこそ当ブログを通し、その必要性や取り組み方に対する発信を重ねてきています。

前回記事の中で「どのような活動をどの範囲まで取り組むのか、それぞれの組合が加入されている組合員の皆さん同士の議論を通して決めていく問題だろうと考えています」とも記しています。この記述を踏まえたコメントだったのかも知れませんが、下っ端さんから無記名アンケートの提案がありました。政治活動に関わる個別の選択肢に対して無記名アンケートで過半数を得た「答え」を組合方針にしていくという発想自体を頭から否定するものではありません。

しかし、組織的な手続きを経て確立している既存の組合方針がある中、現職の組合委員長の立場から「妙案ですね。実施に向けて検討します」と答えられる訳がありません。前述したとおり匿名の関係ではない内外の組合関係者が閲覧された際、大きな戸惑いを与えることになります。そもそも私自身、一定の政治活動は必要であるものと考えているため、その必要性について組合員の皆さんに対して理解を求めていくことに力を注いでいる立場です。

いつものことですが、長い記事になりつつあります。記事タイトル「日本国憲法が大きな岐路に」から離れた内容が広がってしまいました。ブログのサブタイトルに「雑談放談」と掲げているとおりですのでご容赦ください。記事タイトルの変更も考えましたが、憲法記念日の話題から入っているため、そのままとしています。それでも匿名のブロクではない実情に絡めた意味合いからも本題につなげていくつもりです。

私どもの組合員の皆さんに組合活動を身近に感じてもらうため、このブログを開設したことを「秋、あれから10年2か月」などの記事の中で説明してきました。ただ組合員の皆さんの大半が当ブログを閲覧されているかどうかで言えば、そのような現状には至っていないように受けとめています。そのため、これまで組合のニュースや機関誌という紙媒体にもブログの記事内容を頻繁に転用していました。

その逆に紙媒体で扱った内容を後からブログ記事に掲げる時もありました。このことはネット上と実際の場面での主張を使い分けていない証しとも言えます。ちなみにネット上に発信した内容が圧倒多数の方々から批判を受けるようであれば、何か大きな問題点があることを認識する機会にすべきものと考えています。要するに組織の内側だけしか支持を得られないような情報発信では「運動」の広がりが期待できないことを感じ取っています。

このような関係性のもとに毎年3月末、春闘期に発行する機関誌『市職労報』の中の私自身の記名原稿はブログ記事の転用が多くなっています。組合ニュースの紙面だけでは情勢などに詳しく触れられないため、そのような点を補う意味合いから「春闘期、情勢や諸課題について」という特集記事を通して様々な情報を発信してきています。そのことによって、少しでも情勢や諸課題に対する認識が組合員の皆さんと共有化できることを願っています。

人事評価制度や時間外勤務の問題など労使協議課題を中心にした内容となっていますが、今年、日本国憲法を巡る論点についても少し誌面を割きました。「憲法を生かす全国統一署名」に取り組んだ際、私自身の文責として署名活動の目的や趣旨などを組合ニュースと職場委員会資料に書き残していました。今回『市職労報』の特集記事とは別に「日本国憲法が大きな岐路に」というコラム記事とし、もう少し私自身の問題意識を補足させていただく機会を得ました。

以下はその原稿の全文となります。当初、この原稿を紹介した後、直近の情勢や日本国憲法を巡る動きなども書き加えていくつもりでした。澤藤さんの「公務員であれば遠慮して書けない」という話から当ブログの位置付けについてまで内容が広がってしまいました。たいへん長い記事となっていますので、今回は「日本国憲法が大きな岐路に」というコラムの原稿紹介をもって一区切りつけさせていただきます。

           *            *

今、日本国憲法が大きな岐路に差しかかっています。国際社会の中で際立った平和主義のもとの「特別さ」を守っていくのかどうか、私たち一人ひとりの判断が求められようとしています。「憲法を生かす全国署名」にご協力いただいた際、職場委員会資料等を通し、私自身の記名原稿をお示ししていました。今回、その時の内容をさらに補足する位置付けとして書き進めてみます。

史上初めて米朝首脳会談が開かれる見通しです。これまで安倍首相は「必要なのは対話ではない、圧力を最大限強めることだ」と繰り返してきました。国際社会の中でルールを破っているのは北朝鮮であり、各国が足並を揃えて一定の圧力を加えていくことは必要です。

しかし、圧力は平和的に解決するための手段であり、あくまでも対話のテーブルに着かせるための手段だと言えます。それにも関わらず、安倍首相は必要以上に強い言葉を発し、わざわざ日本が真っ先に標的になるリスクを高めているように思えてなりません。ミサイル防衛によって「万全の態勢で国民を守る」と安倍首相は力をこめます。

しかしながら迎撃能力に100%の保障はありません。追い込まれて自暴自棄になった北朝鮮が東京を狙って核ミサイルを発射し、都心上空で爆発した場合、死傷者は400万人に達する見込みです。この400万人という試算の中に自分自身や家族、知人の姿を想像すれば北朝鮮を追い込みすぎることのリスク回避に全力を尽くす政府や政治家を最大限支持すべきなのではないでしょうか。

現在、北朝鮮情勢の緊迫化などを受け、来年度の防衛予算は過去最大規模の5兆2千億円に及ぶ見通しです。抑止力を重視しすぎた場合、敵対する国同士、疑心暗鬼となって際限のない軍拡競争に陥りがちです。そもそも仮想敵国としたソ連、現在のロシアとは対話を土台にした外交関係を築いています。核兵器の保有で言えばロシア、中国、NPT(核拡散防止条約)未加盟のインドとも対話することができています。

対話できる関係、つまり敵対関係ではないため、核兵器による切迫した脅威を感じるようなことがありません。このような対話をできる関係を築くことがお互いの「安心供与」であり、外務省のホームページにも掲げられている「人間の安全保障」につながる考え方だと思っています。

防衛審議官だった柳沢協二さんは、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと話されています。日本が考えるべきは「ミサイル発射に備える」ことではなく、「ミサイルを撃たせない」ことであり、米朝の緊張緩和に向けて働きかけることが何よりも重要であると訴えていました。憲法9条を持つ日本こそ、このような立ち位置のもとに核兵器禁止条約にはすべての国が賛同するように働きかけを強めるなど国際社会の中で「平和国家」というブランド力を高めていって欲しいものと心から願っています。 

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2018年4月29日 (日)

役に立たない組合はいらない?

土曜日、三多摩メーデーが催されました。今年もご家族の方を含め、私どもの組合だけで300人以上の参加者を得られています。組合員の皆さんに配布したチラシの中で、私からの挨拶文には今年も「組合員にとってどうなのか」という視点を大事にしながら組合活動を進めていく旨を記しています。

この言葉の重さや広がりを踏まえながら今回の記事を書き進めてみるつもりです。かなり前の記事「組合に入らないデメリットは?」のコメント欄にichiさんから「組合なんてあってもなくても一緒なんじゃないの?」という問いかけがありました。その問いかけに対し、私からは「組合は必要です」と即答し、組合役員を長く続けている中で組合の役割を体感してきていることをお伝えしていました。

ただ組合役員がそのように考えていても、組合員の皆さんと認識にズレがあるようでは問題であり、その「溝」をどうしたら埋められるか、いつも苦慮していることも書き添えていました。そのような思いのもとに当ブログを長く続けているため、ichiさんから前回記事「JR東労組の組合員が大量脱退」にも寄せられた下記のコメントを受けとめ、私自身の思いを改めて綴る機会とさせていただきます。

コメントありがとうございました。私も組合の必要性は感じているのですが、それでも組合の活動に納得がいかなかったので加入しませんでした。ぜひ私と同じような考えの人にも納得して入ってもらえるようなそんな組織になって欲しいと願っています。

私の友人の会社は組合はないですが、サービス残業は皆無、賃金の保証もしっかりしています。私が以前勤めていた会社も労働組合はありませんでしたが、残業代はしっかり出してもらっていましたし、上司の身勝手な判断でサービス残業をさせられることはありませんでした。自分としては働いた分の賃金がしっかり出ればいいわけです。賃上げはもちろん大事ですが、まずはサービス残業をなくしてもらいたいんです。

組合は労働環境の改善、賃上げ交渉さえしていれば十分なんです。組合主催の飲み会(組合費から補助有)、政治活動への借り出し、組合員強制加入の保険、自動車購入などのための金貸し等々。必要のないものまで組合でやって、そのせいで組合費等の負担が跳ね上がってしまうのに、本来やるべき仕事はやらない。自治労全体で決まっていることだから、変えられないという事情はあるのかもしれません。

組合費が月1500円くらいまで下がって、サービス残業がなくなるなら、たぶん私も組合に加入すると思います。そうはいかないんですよね。3000円、保険含めたら6000円は出さないといけないのに、サービス残業は残り続ける。組合活動という余計な活動は増えるのにね。

私も労働組合は必要だとは思います(ちゃんと機能するのが前提)し、金額に見合った働きをしているのならぜひ加入したいと思っています。ですが、今のうちの組合の活動を見るとなくても変わらないんじゃないかと思わずにはいられないのです。私には、非組合員の市長や課長のほうが労働環境の改善に熱心に見えます。

最近の記事の冒頭にも記しましたが、このブログを定期的に訪問されている方が必ずコメント欄をご覧になっているかどうかと言えば、そうとも限らないようです。そのため、今回の記事を書き進めるにあたり、まずichiさんから寄せられていたコメントの全文を掲げさせていただきました。

真っ先に指摘しなければならない点として、サービス残業が上司の身勝手な判断で強いられているようであれば大きな問題です。サービス残業は違法であり、撲滅させなければなりません。そのことの問題意識が希薄な労働組合や組合役員であれば、ただちに猛省し、考え方を改めていく必要があります。

したがって、ichiさんの前の職場や友人の会社には労働組合がなくても、サービス残業はなかったという話が当たり前な姿だろうと理解しています。サービス残業を当然視する会社があれば、いわゆる「ブラック企業」と認定されることになります。そうならないための労働組合の役割があるはずですが、ichiさんの現況は異例なことだと言わざるを得ません。

ちなみに私どもの職場でも結果的に時間外勤務を申請しなかった、もしくは申請しづらかったという事例が生じがちな点を危惧しています。そのため、昨年6月に投稿した記事「20時完全退庁宣言」の中でも紹介していましたが、組合ニュース等を通して次のとおり具体的な例示をもとに日頃から注意喚起しています。

「19時までの残業は残業とは認めない」などという誤った運用があった場合、即刻改めてください。短時間の時間外勤務となった場合、事後でも問題ありませんので必ず実施申請してください。午後8時までの予定が長引いた場合も同様です。翌日以降、実態に合わせた申請をしてください。実施申請しないとサービス残業に該当します。業務に関連した地域団体等との会議や出張も時間外勤務に当たります。必要な旅費等が自己負担だった場合は問題です。このような問題が強いられた場合、ただちに組合まで連絡してください。

続いて、組合の役割は賃上げ交渉など労働環境の改善に絞るべきという指摘についてです。どのような活動をどの範囲まで取り組むのか、それぞれの組合が加入されている組合員の皆さん同士の議論を通して決めていく問題だろうと考えています。その一つに自治労加盟の選択肢もある訳ですが、自治労に結集しているスケールメリットがあるため、多くの自治体単組や公共サービス関連の組合が自治労に加盟しています。

このような関係性や政治活動の必要性については少し前の記事「自治労の4つの目的」などを通して数多く説明してきています。今回の記事では詳述できませんが、自治労加盟という判断も先輩組合員の皆さんが「組合員にとってどうなのか」という議論のもとに導き出した結論だと言えます。その上で「組合員のため」になることを目的に自治労に結集していることは昔も今も変わっていないはずです。

なお、ichiさんが少し誤解されているような点も見受けられます。「組合員強制加入の保険、自動車購入などのための金貸し等々」という記述が気になりました。私どもの組合では任意の保険が強制加入と位置付けられているのであれば状況は異なってしまいますが、自治労組合員として加入する共済掛金は300円です。保険料3千円については誤解されている可能性がありますので改めて確認してみてください。

自動車購入のためのローンも、あくまでも利用するかどうかは組合員本人の選択です。そのことを前提に労働金庫全労済と連携しています。そもそも労働金庫も全労済も、労働組合が「組合員のため」に設立しています。組合員にとって優位なローンや保障を受けられるため、各組合が積極的に組合員の皆さんに対して利用を勧めているという関係性です。決して特定の団体のために余計な組合活動があるのではなく、すべて「組合員のため」を目的としています。

組合の大切な役割の一つとして、組合員が何か困った時に様々な相談を受けています。労働条件の問題であれば労使間の窓口となって解決をはかり、生活支援であれば前述したとおり労働金庫や全労済と連携しながら対応し、法律相談であれば顧問契約している法律事務所を紹介しています。いわゆる「駆け込み寺」の役割があり、そのような役割が果たせないようであれば組合の存続意義を問われかねません。

以前「パワハラ防止に向けて」という記事を投稿していますが、私どもの組合はハラスメントの対策に力を注いでいます。パワハラやセクハラという事態が生じた際、組合員から「組合には頼れない」と思われるようでは問題です。ichiさんのコメントを踏まえ、「組合は必要」という説明を加えています。たいへん長い記事になりつつありますが、せっかくの機会ですので、もう少し続けさせていただきます。

残念ながら私どもの組合でも様々な事情で組合に加入されていない方がいます。今のところ「加入率は100%近く」と言って間違いではありませんが、JR東労組の事態を「対岸の火事」とは見れない危機意識を抱えています。そのため、これまで組合の定期大会や新年度を節目にした時期に未加入者の方々に組合加入について呼びかけさせていただいています。今年3月末、機関誌『市職労報』を謹呈した際には次のような言葉を添えていました。

特集記事「春闘期、情勢や諸課題について 役に立たない組合はいらない?」を通し、組合の役割や直近の交渉結果をまとめました。その中で、組合に加入されていない方々を頭に浮かべながら綴っている箇所が多々ありましたので、お読みいただければ誠に幸いです。特に今回、「ここ数年の主な労使交渉の成果」を掲げてみました。このように組合があり、労使交渉を行なえたからこそ、市職員全体の賃金水準等を抑制する動きに一定の歯止めをかけてくることができました。このような労使交渉の成果を出せるのも大半の職員の皆さんが組合に加入いただけているからです。

しかしながら特集記事の中でも触れていますが、組合への加入者が激減するようであれば、組合の存続自体が危うくなります。そして、パワハラや違法な長時間労働を常態化させるような職場は労働組合がない、もしくは組合の存在感が希薄な場合に生じがちです。ぜひ、このような関係性を真摯に受けとめていただければたいへん幸いなことだと願っています。つきましては、この機会に改めて組合加入についてご検討いただけますようよろしくお願いします。

最後に、参考までに未加入者の方々を意識しながら綴った特集記事「役に立たない組合はいらない?」の冒頭に掲げた関連箇所をそのまま紹介させていただきます。パワハラへの対応について事実であれば、ichiさんの働く職場の組合側が改めるべき点もあろうかと思います。それこそ役に立たない組合はいりません。しかし、今回の記事に綴ったとおり組合活動はすべて「組合員のため」を目的にしている点などにご理解くださり、組合加入について改めてご検討いただければ幸いなことです。            

              *                 *

「組合は必要」という認識を広めるためには…

まったく役に立たなければ「いらない」

ここ数年、この特集記事のトップ見出しに「役に立たない組合はいらない?」と掲げています。一歩間違うと大きな誤解を招き、組合をつぶそうと考えているような言葉です。決してそうではなく、組合員の皆さんに「何だろう」と関心を持っていただくための見出しの付け方でした。そもそも組合員の皆さんに対し、まったく役に立たない組合であれば、私自身も「いらない」と思います。

しかし、いろいろ力不足な点もあろうかと思いますが、一定の役割を果たしていることを確信しているため、組合は必要という認識を持ち続けています。ただ組合役員がそのように考えていても、組合員の皆さんと認識にズレがあるようでは問題です。そのようなズレを少しでも解消するためには、組合役員と組合員の皆さんと直接対話できる機会が多ければ多いほど望ましいのですが、それほど多く持てない現状です。

一人は皆のために、皆は一人のために

組合は、一人ひとりが働き続ける上で困った時に支え合い、皆で助け合うための役割を負っています。いざという時の安心のため、つまり「保険」のような側面があります。中には組合加入を断る理由として「困ることはない」「困った時は自力で解決する」と話される方もいます。実際、ある程度「自助」だけで大きな支障がなく、過ごせる場合も多いのかも知れません。

それでも昔から「一人は皆のために、皆は一人のために」という組合を語る言葉があります。最近は「ワンフォーオール、オールフォーワン」と英語で強調される場面をよく見かけています。つまり一人の力には限りがあり、皆で支え合うことの大切さを表わした言葉です。特に労働条件を決める際は労使対等の原則が働きます。市役所の仕事において、一職員からすれば市長をはじめとした理事者の方々は「雲の上の存在」となります。

それが労使交渉の場では対等に物申すことができ、労使合意がなければ労働条件の問題は当局側の思惑で一方的に変更できないようになっています。このような原則のもとに労使交渉を積み重ね、現在の労働条件が築かれていることを機会あるごとに強調しています。仮に経営者の思惑だけで労働条件が決められていった場合、昨今、問題視されている「ブラック」を生み出す土壌につながりかねません。

また、パワハラや違法な長時間労働を常態化させるような職場は労働組合がない、もしくは組合の存在感が希薄な場合に生じがちです。直接的なメリットが感じられないからと言って、組合への加入者が激減するようであれば、組合の存続自体が危うくなります。ぜひ、このような総論的な意味合いでの「組合は必要」という見方について、ご理解いただければ本当に幸いなことです。

公務員をとりまく情勢がたいへん厳しい中、直接的なメリット、いわゆるプラスの成果にかかわる話は多くありません。しかし、個別課題においても組合員の皆さんの生活を守るため、いつも全力で労使協議を尽くしています。ここ数年の主な労使交渉の成果は別記のとおりです。今回の特集では時間外勤務や人事評価制度、嘱託職員の課題などを報告します。これからも組合員一人一人の思いを代弁する立場で労使協議に臨み、職場課題で結果を出していくことが「組合は必要」という認識を広め、組合への結集力を高めていくものと考えています。

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2018年4月22日 (日)

JR東労組の組合員が大量脱退

前々回記事「突然、横田基地にオフプレイ」のコメント欄には様々な論点の提起や指摘がありました。まずnagiさんからの直接的な問いかけにお答えするため、前回は「放送法第4条撤廃の動き」という記事を投稿しました。今回も前々回記事のコメント欄で示されていた話題を踏まえ、新規記事を書き進めさせていただきます。

4月10日、「東洋経済ONLINE」のサイトに『JR東労組、組合員2.8万人「大量脱退」の衝撃 民営化から30年、大きな転機を迎えている』という記事が掲げられました。この動きに対し、組合が政治活動に関わっているため、大量脱退に至ったという見方を示したコメントが寄せられていました。下っ端さんからは「管理人さんはあれこれ理由を述べていますが、結果は出ましたね。そして、この流れは確実に他の組合にも波及することでしょう」という指摘を受けています。このようなコメントに対し、取り急ぎ私から次のようにレスしていました。

組合と政治との関係性は下記の記事などを通して、私なりの「答え」を明らかにしています。その「答え」が下っ端さんらからは賛同を得られないため、今回のような問いかけが続くこともやむを得ないことだと考えています。したがって、機会を見て改めて取り上げていくべき論点だろうとも認識しています。

下記の記事とは「自治労の4つの目的」であり、私なりの「答え」の詳細はリンク先の記事をご覧いただければ幸いだと考えていました。ただ「機会を見て」と記しながら、あまり間を置かないほうが望ましい題材であり、今週末に投稿する新規記事で取り上げることとしました。たいへん長い記事でしたが、まず「東洋経済ONLINE」のサイトに掲げられていた全文をそのまま紹介させていただきます。

JR東日本(東日本旅客鉄道)の最大労働組合「東日本旅客鉄道労働組合」(JR東労組、以下労組)に異変が起きている。今年2月中旬以降、この1カ月余りの間に約2万8000人もの組合員が脱退しているというのだ。今年1月時点では約4万6000人(社員の約8割が加入)もいた組合員が半減以下になるという、かつてない異常事態だ。昨年、30周年を迎えたJR東日本。ほぼ同時期に発足した労組。30年を節目に労使関係は大きな転換期を迎えている。

スト権行使の予告がきっかけ

大量脱退のきっかけとなったのは、労組による「スト権行使」の予告だ。労組関係者によると、昨年2月の臨時大会でスト権を確立した労組は、今年の春闘では「格差ベアの永久根絶」を求め、2月19日にスト権行使を予告。これは、本来の業務以外の研修などに参加しない「非協力スト」の予告だったが、要求が認められない場合は指名された組合員が業務を拒否する「指名スト」も計画していた。

労組の言う「格差ベア」とは、個々人の基準給の何%という定率での定期昇給を指す。この定率方式では組合員の給与格差が拡大していくとの理由から、すべての組合員一律に同じ金額にする「定額ベア」を求めていた。しかし会社側は20日、この労組の要求を拒否。「争議行為を実施することは、お客様にご心配や迷惑をかけ……また労使共同宣言の精神を否定するもの」として、争議行為の中止を申し入れた。同時に、経営幹部による職場訪問を順次実施。大量脱退が始まったのはこの時期からだ。

そして26日に労使対立が決定的になる。社長名で「労使共同宣言の失効」を労組に通知したのだ。この「労使共同宣言」は、1987年8月に締結され、その後2001年8月の第4次「21世紀労使共同宣言」まで3回再締結されている。ストライキによらず平和的手段で紛争を解決することを労使間で確認する内容。会社側は今回の事態によって、「会社との信頼関係を破棄し、『労使共同宣言』の趣旨・精神を否定」「すでに失効したものとみなさざるをえない」とした。

昨年まで4年連続でベア

労組側の動きに疑問を抱く関係者は少なくない。今回の要求は「格差ベアの廃止」だったが、その交渉手段としてスト権を立てる必要が本当にあったのか。実はJR東日本は昨年まで4年連続でベアを実施している。組合員の平均年収は600万円を超える水準。「いわば高給取りが、さらに高い給料を求めてストを実施し、お客様に迷惑をかけることなど到底認められない」。ある労組関係者はそう憤る。

そもそもJR東日本には、ストに対して大きなアレルギーがある。スト権は憲法で認められた労働組合の重要な権利。だが、旧国鉄は争議行為を連発して利用者が離反、それがもとで経営破綻に追い込まれた経緯がある。労組関係者の間では、労組の委員長、会長、顧問など、長きにわたり事実上のトップだった松嵜明氏(故人)が提唱した「いつでもたたかえる体制」を具現化する動きだったという見方がある。松嵜氏は革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)創設時の副議長でもあった人物だが、その松嵜理論に回帰する動きではないか、というのだ。

今回は、労組の上部団体「JR総連」が1990年にスト権を確立しようとした動きに似ているとの指摘もある。しかし、ある労組OBは「松嵜時代は結局、一度もスト権を確立していない。松嵜氏が言う『いつでもたたかえる体制』とは、スト権を指しているのかどうか」と疑問を呈する。別の労組元幹部は「今の執行部にはストの経験がない。組合員の多数意見を無視して、経験のないことをやろうとしてもダメだ。結局、読みを間違ってしまった」と指摘する。

組合員からは労組に対する不満の声も聞こえてくる。毎月給料から天引きされる組合費は「基本給×2.2%」で、年2回のボーナス月を含む14カ月分が徴収される。基本給30万円の場合、年間9万2400円。1カ月で7700円の計算になる。組合員平均は8000円程度で、上限はないという。一方、JR連合系のJR東海(東海旅客鉄道)は基本給30万円なら月5600円(上限は6000円)、JR西日本(西日本旅客鉄道)では月6500円(上限7000円)だ。

おカネの問題だけではない。休日にもかかわらず勉強会だ、デモだと駆り出され、参加しないと批判される。開かれる大会もJR総連のスローガンが色濃く反映されることがある。「憲法改悪反対」「安保法制廃止」「仲間とたたかい抜いた国鉄改革を再検証し・・」。確かに平和主義は大切なことだが、一部の組合員からは「これって労組?」と疑問の声も聞かれた。

平成29年版「治安の回顧と展望」(警察庁警備局)では、「革マル派が相当浸透しているとみられる」として、JR総連と労組は警察庁・公安調査庁の監視対象となっている。会社との対立が表面化していた今年2月23日には、参議院議員の質問に対して、政府が答弁書を閣議決定。「労組内には、影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透していると認識している」とした。

妥結後も組合員の脱退が止まらない

結局、スト権は行使されなかった。会社側は3月16日に、基本給に0.25%を乗じた額という定率ベアを回答(ほか初任給の引き上げなども実施)。一律定額ベアではなかったものの、労組側は「大きな成果を勝ち取る」「基準内賃金平均1328円の改善」と評価、即日妥結した。「労組側の主張はこの間、微妙に変わっていった」と会社側は振り返る。ただ、労組側には「大きな成果」と言わざるをえない事情があったのかもしれない。組合員の大量脱退は、労組側に大きな衝撃を与えたようだ。

止まらない組合員の脱退に対して労組は3月9日、会社側から組合員に対して脱退を働きかける不当な行為があったとして、各都県の労働委員会に不当労働行為からの救済を申し立てている(東京、八王子、水戸の各労組地方本部)。この申立書は、経営幹部が職場訪問を始めた直後から脱退者が出たと指摘。非協力ストは通常業務に影響を与えるようなものではないのに、あたかも列車運行に支障を来すかのような虚偽の喧伝をした、勤務時間内に個別に面談し、脅しと利益誘導で脱退を強要したなどとも申告している。会社側は「こうした事実はない」と否定している。

職場では組合員の不安・動揺が広がっており、ベア妥結後も「組合員の脱退は同じペースで続いている」(会社側)。4月12日、労組は35回目となる臨時大会を開催する予定だ。一方、会社側は、4月末に36協定(時間外・休日労働に関する協定届)が期限を迎える。そのため、事業所ごとの人数の把握とその代表者の確認など、運行に支障が起こらないよう対応に追われている。大量脱退の余波はまだ続きそうだ。

あらかじめ申し上げなければならないことがあります。他の産別組合の内情について詳しく知らない外部の立場から踏み込んだ論評は避けなければなりません。加えて、たいへんな局面を迎えている当該の組合役員の皆さんに対し、他産別の組合役員が「評論家」のような意見や感想を漏らすことは失礼なことに当たるものと考えています。

その上でメディアが取り上げ、インターネット上から把握できる上記の情報をもとに今回の記事を書き進めていくつもりです。下っ端さんの「この流れは確実に他の組合にも波及することでしょう」という指摘が現実化しないよう「対岸の火事」としない機会として、私なりの問題意識を綴ってみます。その際、客観的な事実として、私どもの組合の現状とJR東労組との違いを紹介していくことになります。

まず「対岸の火事」と記しましたが、オープンショップ制の労働組合にとって他人事にはできない憂慮すべき事態だと見なければなりません。「自分の組合はそうならない」とは決して言い切れないものと考えています。「組合は絶対必要。だから加入するのは当然」と思われている組合員の皆さんばかりではない現状が少なからず進んでいるのではないでしょうか。

組合によって差があるのかも知れませんが、「組合に入っているメリットが感じられない」という声が潜在化しているはずです。そのように思っていても組合を脱退しない大きな理由は「皆が入っているから」であり、組合に入っていないと「職場の中で少し浮いた存在になってしまう」という意識があるため、踏みとどまっている方も少なくないように見ています。

そのため、今回のJR東労組のような事態が生じた際、それこそ絶好の機会として脱退を考えた方々が続出してしまったのではないでしょうか。加入するかどうか本人の自由意思となるオープンショップ制の場合、どこの組合も大なり小なり抱えているリスクだろうと思っています。このようなリスクがあることを組合役員側は認識し、組合活動はどうあるべきかという自問自答を重ねていかなければならないはずです。

組合が政治活動に関わるから大量脱退に至ったという指摘を受けていましたが、切っかけは労働条件の改善を求めたストライキ予告でした。以前「ストライキ批准投票」という記事を投稿し、「ストライキは決行することが目的ではありませんが、労働組合の切実な要求を前進させるためには有効な手段であることも事実です」と記し、「一方で、バスや鉄道など公共サービスを提供する労働組合のストライキは地域社会に及ぼす影響もはかり知れません」とも綴っていました。

さらに組合員の中には「ストライキの配置自体が問題だ」とする見方から「ストライキも構えず、妥協するのか」というような対照的な意見があることも紹介していました。今回、JR東労組が労働条件向上のため、労働組合としての本来の趣旨に沿った「伝家の宝刀」を抜こうとした結果、大量脱退の事態に至っていることを非常に悩ましい構図だと感じています。

結局は脱退するタイミングを見計らっていた組合員が多かったという現状だったのかも知れません。私どもの組合費は常勤職員の場合、基本給の1.3%で上限が3,500円(別途自治労共済掛金300円)ですので、比較的低額な水準です。政治活動に関しては当ブログを通して情報を発信しているとおり一定の方針化をしているため、JR東労組の事態を踏まえて足元を検証していく機会につなげなければなりません。

たいへん長い記事になりつつありますので少し駆け足な記述となってしまいますが、政治活動も「組合員のため」につながることを目的に方針化しています。ただ「組合員のため」と説明しても、その関係性の共通理解が不充分であれば組合執行部と組合員との信頼関係を高めていくことは困難です。さらに万が一、ある特定の団体や政治家のためになることを第一義的な目的として組合活動が展開され、貴重な組合費が投入されるようであれば重大な問題だろうと思っています。

一定の範囲で必要とされている組合の政治活動とは言え、組合員の政治意識が多様化している中、例え組織的な手続きがはかられていたとしても運動の押し付けは避けなければなりません。「なぜ、取り組むのか」という呼びかけを基本とし、組合方針に対する理解を高めていくことに組合執行部側は注力すべきだろうと考えています。

「東洋経済ONLINE」の記事には「休日にもかかわらず勉強会だ、デモだと駆り出され、参加しないと批判される」と書かれています。そのようなことが事実だった場合、組合費を払いながら自分自身の意図に反した行動を休日にまで強要されるものであり、脱退する機会をうかがっていた組合員が相当数に上ることも分かるような話だと言えます。

JR東労組の関係者の方に直接確かめることなく、報道されている内容をもとに個人的な感想を掲げてしまいました。事実誤認があった場合はたいへん申し訳ありません。あくまでも一般論の話として、労働組合の政治活動について私自身が日頃から留意している点について一言添えさせていただいています。

実は私どもの組合も以前は「職場動員」という仕組みがあり、テーマを問わず学習会や反基地の集会などに各職場から割り当てた人数の参加を要請していました。このような組合執行部からの要請に対し、しっかり割り当てられた人数を送り出すことに努力されていた組合役員や職員委員も少なくありませんでした。その結果、嫌々参加していた組合員や参加しないと批判されていたケースも多かったかも知れません。

なお、すでに労働委員会に提訴されているようですが、経営幹部の職場訪問と組合員の大量脱退が関連しているのであれば不当労働行為そのものです。事実であれば、このような経営側の動きは絶対認められるものではありません。今回のスト権行使に関して組合員との意思疎通に問題があったのかどうか、組合執行側も反省すべき点は反省しなければなりませんが、経営側の対応も焦点化すべき重大な問題だと考えています。

思っていた以上に書き始めると書き残したい内容が頭に浮かび、まとまりのない記事内容となって恐縮です。いずれにしても組合員の皆さんから「組合は絶対必要」と思われ、組合費の負担に見合った日常活動が評価され、一定の政治活動の必要性に対する共通理解を進めることが重要な時代になっているものと受けとめています。

かなり前の記事「組合に入らないデメリットは?」に寄せられたichiさんからの「組合なんてあってもなくても一緒なんじゃないの?」という問いかけを意識した内容まで広げるつもりでしたが、ここで今回の記事は区切りを付けさせていただきます。疑問を持たれている皆さんに対し、スッキリ氷解できるような内容ではなく、論点自体がかみ合っていない点があるのかも知れません。

それでも分かり合えなくても 基本的な考え方や立場の異なる者同士が率直に意見交換できる機会は大切なことだと考えています。私自身、記事本文を通し、立場の異なる皆さんから「なるほど」と思っていただけるような言葉を探しています。ぜひ、このような関係性についてもご理解いただきながら、また何か指摘したい点がありましたらお気軽にコメント投稿をよろしくお願いします。

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2018年4月14日 (土)

放送法第4条撤廃の動き

前回記事「突然、横田基地にオフプレイ」のコメント欄には様々な論点の提起や指摘がありました。その中で、nagiさんから放送法第4条撤廃の動きについて次のような問いかけがありました。その全文を掲げた上、いろいろな意味でタイムリーな論点につながる問題ですので、私自身の思うところを書き進めさせていただきます。なお、2016年5月22日の記事は「報道の自由度、日本は72位」というものでした。

昨今、話題になりつつありますが、政府が現状の放送法第4条を撤廃し、放送とネットを融合し新規参入の促進を検討していると。既存のテレビ局にとっては巨大な権益を侵害される以上、大反対なのは当然ですが、この件に対してリベラルな人々の意見が聞こえてきません。以前、OTSU氏も2016年5月22日の記事で日本は報道の自由度が72位との記事をアップしてました。

国連特別報告者が放送法について言及し、政府の報道の圧力に対して多くのリベラル系の方々が同調し、政府を批判していました。ようやく政府が重い腰を上げて放送法4条の廃止に動きだしたのに、どうして応援しないのか不思議です。OTSU氏はどのように考えているのか是非意見を聞かせていただければと思います。くれぐれも批判的な意味で言ってるわけではないことを念押ししておきます。

ちなみに放送法第4条「国内放送等の放送番組の編集等」第1項の条文は下記のとおりです。第2項は視覚障害者や聴覚障害者に対する可能な限りの配慮を求めたものであり、今回、取沙汰されている主な論点は第1項に掲げられている「政治的に公平であること」の是非や必要性についてです。

第4条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 1  公安及び善良な風俗を害しないこと。
 2  政治的に公平であること。
 3  報道は事実をまげないですること。
 4  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

ネット上を検索し、ライターの大山くまおさんの『テレビ制圧!放送法改正を本気で目指す安倍政権の暴言を総ざらいする』という記事を目にしました。記事のタイトルは扇情的ですが、放送法第4条撤廃の動きに対する関係者らの一連の発言や事実関係を分かりやすくまとめたものです。 そのサイトを閲覧することで、政府が放送法第4条撤廃という発想に至っている背景を次の文章から読み取れます。

放送法改正を主導していると見られているのが、安倍首相の信頼が厚い今井秘書官だ。4月6日付の毎日新聞は官邸関係者の「今でもテレビの政治的中立なんてあってないようなもの。米国みたいに視聴者が『このテレビ局はこの政党を支持している』と分かったほうがいい」という言葉を紹介している。テレビ局に「公正」さなど求めない、というわけだ。

官邸関係者から「米国みたいに」という言葉が示されていましたが、アメリカでは1987年にメディアに対する「公平原則」が廃止されています。それ以降、各局の政治的な立ち位置が顕著になっています。そのような経緯がある中、つい最近、ある騒動がアメリカで起こっていました。複数のテレビ局のニュース番組で、それぞれの局のキャスターが一言一句、まったく同じ内容のコメントを読み上げていました。

その騒動の詳しい様子や背景についてはハーバー・ビジネス・オンラインのサイト『”トランプのプロパガンダ”を地方TV局が一斉放送!? 背後に地方局を牛耳る企業「シンクレア」の存在』から把握できます。「フェイクニュース」を危惧した内容となっていますが、トランプ大統領がメディア批判で使う文言を含んでいます。そのため、「フェイクニュース」というのはトランプ大統領への批判を強めている「CNN」などのメディアを指していることが明白な報道でした。

全米各地の放送局を運営する保守系メディア企業シンクレア・ブロードキャスト・グループが「ニュースの枠を使う」「原稿を一言一句、正確に読み上げる」という指示書を出し、まったく同じ内容の報道が一斉に配信されたようです。このように報道した各局の様子を並べて紹介した日本のニュース番組を目にしましたが、たいへん異様な光景でした。アメリカの視聴者からは「全体主義のようだ」などという批判する声が上がっていました。

ハーバー・ビジネス・オンラインの記事は「放送制度が改革された場合、日本でもこういった問題が発生する可能性は充分にある。対岸の火事と考えずに、今後も注視してきたい」という言葉で結ばれています。「政治的に公平であること」の規制を外すということは資金力があるメディア企業によって、今回のアメリカの例のように情報を統制できる力を持てることになります。

そもそも放送法は、太平洋戦争時に戦意高揚のための政府宣伝にラジオが使われた反省から1950年に制定されたという経緯があります。政治的に中立であるという意味は国家権力から縛られず、批判すべき点があれば率直に批判できる立場性を保障したものだと言えます。政権にとって都合の良い情報だけを流す宣伝機関とならず、国民が時の政権を正当に評価するため、幅広い情報を提供していくという公益性が放送事業者には求められています。

野田総務相は参院総務委員会で「日本の放送が4条を守り、様々な情報を提供してくれたことには大きな意義がある」と述べています。岸田政調会長は「放送法の役割、この政治的な公平性とか、公序良俗の維持とか、様々な役割があると言われています」とし、政府与党内からも慎重に議論すべきという声が相次いでいます。

安倍首相のシンパとして有名な幻冬舎の見城社長は 「僕の想像ですが、安倍さんは報道ステーションやサンデーモーニングが気に食わないのでしょう。しかし、それとこれとは話が別だと思います」と語っています。やはり安倍首相に近いと見られている読売新聞も「政治的中立性の縛りを外せば、特定の党派色をむき出しにした番組が放送されかねない。番組の劣化と信頼失墜を招く」などと強い調子で批判を続けています。

nagiさんは放送法第4条を撤廃すれば放送の自由度が上がり、歓迎すべき動きのようにとらえられているのかも知れません。しかし、私自身は上記のような懸念する意見と同様、撤廃には慎重な考えです。撤廃の動きに対し、「政権寄りのメディアを誕生させる狙いがあるのではないか」と言われるような動機があるとすれば、もっての外だと思っています。

政権にとって耳の痛い批判意見ばかりだから「政治的中立が守られていない」という見方があるとすれば非常に問題です。ましてトランプ大統領のように自分に対する批判報道は「フェイクニュースだ」と決め付ける振る舞いは権力側の取るべき姿勢ではありません。明らかな誹謗中傷は論外ですが、事実無根でない限り、メディアからの批判や指摘は国民の思いを包みこんでいるため、政権側には謙虚に耳を傾ける姿勢が求められています。

報道の自由度、日本は72位の話ですが、もともと低い順位であれば判定する仕組み自体を問題視することも考えられます。ただ民主党政権時代は11位だったため、同じ基準のもとに自由度が下がっていることを率直に省みる機会にしなければなりません。安倍政権にとって都合の悪い情報はメディアが正面から取り上げられなかった、もしくは取り上げづらかった、このような構図が見受けられ、報道の自由度が下がっていた可能性も否めなかったはずです。

このところ森友学園や加計学園の問題をはじめ、防衛省の日報問題、さらに財務省事務次官らのセクハラ報道など行政の信頼を損ねる事態が立て続けに明らかになっています。ここで留意すべき点として、それぞれ最近起こった問題ではありません。スクープがなければ表面化しなかった情報も少なくありません。このような問題に対し、「スキャンダラスな話よりも、もっと重要な問題がある」と苛立っている方々も多いかも知れません。

しかし、政府が情報を隠蔽や偽装する行為は民主主義国家として、絶対あってはならないことです。過去、ミッドウェー海戦の大敗を隠すため、沈没した空母「赤城」「飛龍」の2隻を編成表に残す細工まであったそうです。事実を事実として包み隠さず国民に知らせない限り、国民は正当な評価や判断を下すことができません。そのような意味で今回の一連の問題は各論である一方、総論としての政府の体質を検証する機会につなげるべき問題だろうと受けとめています。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。

このブログの中で、たびたび上記のような問題意識を掲げてきています。そのためには報道の自由度が重要であり、放送事業者が時の政権の宣伝機関に陥らないという意味の政治的な中立性が欠かせないはずです。放送法第4条の「報道は事実をまげないですること」はもちろん、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」は非常に大事な点だろうと思っています。もし新規参入を認めていくのであれば放送法第4条の順守を前提に検討すべきものと考えています。

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2018年4月 7日 (土)

突然、横田基地にオスプレイ

このブログを定期的に訪問されている方が必ずコメント欄をご覧になっているかどうかと言えば、そうとも限らないようです。そのため、投稿した記事本文の内容を補足するレスをコメント欄で行なった際、その内容を直後の新規記事に掲げる場合があります。前回記事「人事・給与制度見直しの労使協議」のコメント欄で、下っ端さんから「誰が?が、大事なのでは。では、なぜ森友問題は誰?が問題になるのか」という問いかけがありました。この問いかけに対し、私から取り急ぎ次のようにレスしていました。

私自身の文章力や表現力が拙いためか、提起している趣旨が充分伝え切れていないようです。総理大臣、財務大臣、財務省高官、総理夫人、それぞれの立場において大なり小なり影響力があり、それに伴う結果に対する責任の処し方があります。そのような意味で匿名の人物の振る舞いと同列視できないため、森友学園の問題では「誰が」が重要な要素となります。

一方で、このような場合でも安倍首相ではなく、つまり「誰が」ではなく、仮に民主党政権時代の首相が同じような対応にとどまっていれば不充分であると指摘しなければなりません。このような関係性における「誰が」という記述を多用しているつもりです。その上で、これまでの一連の政府の対応や説明で充分であるという下っ端さんのような方も少なくないのかも知れませんが、私自身の思いは最近の記事に綴ったとおりです。

実は上記の文章を読み返してみて、やはり私自身の問題意識がしっかり伝え切れていないような気がしています。補足したつもりのレスの補足として、少しだけ言葉を書き足してみます。ポジショントークについて説明する際、「誰が」に関する記述を加えています。したがって、すべて固有名詞を外して物事を評価すべきという主張ではありません。

もともと安倍政権を支持されている方は安倍首相の肩を持ちすぎていませんか、野党の訴えに耳を貸すことをハナから拒んでいませんか、その逆に初めから安倍政権に批判的な方は具体的な理由を上げないまま倒閣を目的化していませんか、このような問題意識のもとに「誰が」ではなく、個々の言動や振る舞い自体を評価し、物事の是非を判断していくべきではないかと考えています。

その上で、私の立ち位置は明確にしているつもりです。NHKのような立場とは異なり、必ず両論併記するような記事内容としていません。あくまでも事実関係を重視し、憶測による誹謗中傷に当たるような言葉は避け、「何が問題なのか、なぜ、反対するのか」という記述に心がけています。このような心構えのもとにポジショントークと見られないように自分自身を注意喚起してきているつもりです。

言うまでもありませんが、私自身の正しいと信じている主張がすべて正しいとは限りません。そのため、異論や反論があって当然だろうと思っています。率直な意見を交わせることが大事な関係性であり、幅広い見方や考え方に触れ合うことで、何が正しいのか、何が問題なのか、お互いの理解や認識を深めながら、より望ましい「答え」に近付けていければと考えています。

本題に入る前の話が長くなってしまいましたが、ここから記事タイトル「突然、横田基地にオスプレイ」の内容に入らせていただきます。さて、私が勤める自治体の西北の一部に在日米軍の横田基地が隣接しています。今回の記事はローカルな話題であり、かつ現在、全国的に注目を浴びている話題だと言えます。

3年前、2015年5月に「横田基地にオスプレイ」という記事を投稿していました。これまでのパターンにならい、今回の新規記事はタイトルに「再び」を付けて書き進めようとも考えました。ただオスプレイが初めて横田基地に飛来したのは2014年7月のことであり、その後も時々、横田基地に降り立っていました。正式配備の計画自体が見送られてきた訳であり、「再び」というタイトルは少し紛らわしく、それこそ唐突感を前面に出した「突然、横田基地にオスプレイ」としてみました。

米空軍の輸送機CV22オスプレイが横田基地に夏ごろに正式配備される見通しになった。米国防総省は昨年3月、当初予定の昨年後半から、2019年10月以降に延期すると発表していた。本土では初めてとなる首都圏への配備が突然、前倒しされたことに対し、基地周辺の住民からは怒りと不安の声が上がった。

在日米軍司令部がある横田基地は都心から西に約40キロに位置し、総面積は約7平方キロ。東京都福生市や立川市、昭島市など5市1町にまたがり、周辺には住宅が密集する。「こんなに方針をころころ変えるなんて」。米軍機の飛行ルート直下の昭島市緑町に住む大野芳一さん(78)は驚きと憤りをあらわにした。

「パイロットや整備士不足でいったん延期したのに、それが解決したとは思えない。なぜ今、配備するのか。日本政府からも明確な説明がない」 大野さんは基地周辺の約1000人が米軍機の夜間・早朝飛行の停止を国に求める訴訟の原告団長を務めており、改めて、オスプレイの配備中止を求める署名や街頭活動に取り組むという。

同じく飛行ルートにあたる東京都瑞穂町箱根ケ崎地区。畑仕事をしていた60代の男性は「沖縄で事故が起きているし、できれば来ない方がいい」と思いを打ち明けた。「『町が基地で補助金をもらっているのに配備に反対するなんて』と近所の人に思われたくない」。地元では声高に反対を言いづらいという。

福生市の加藤育男市長は「配備の前倒しに大変、驚いている。地域住民のオスプレイの安全性への懸念は払拭されていない」とのコメントを出した。小池百合子都知事が会長を務める「横田基地に関する東京都と周辺市町連絡協議会」は防衛省北関東防衛局に対し、迅速な情報提供を求めるとともに、米国に安全対策の徹底などを働きかけるよう申し入れた。【毎日新聞2018年4月3日

上記の報道があった直後、4月5日には5機が横田基地に到着しています。三多摩平和運動センターは4月4日に小野寺防衛大臣あてに「CV22オスプレイの横田基地配備に強く反対する」抗議文を送っています。外務省・防衛省は「配備は日米同盟の抑止力・対処力を向上させ、日本の防衛力及びアジア太平洋地域の安定に資する」と説明していますが、逆に近隣諸国との緊張関係を高め、横田基地が攻撃の標的になりかねません。加えて、オスプレイの墜落事故が続く中、住民の安全を脅かし、騒音被害を拡大させる横田基地への配備を強く反対する抗議内容としています。

私どもの組合も同様な立場でオスプレイの横田基地の配備に反対していきます。さしあたり、4月13日午後6時30分からRISURUホールで開かれる「オスプレイの横田基地配備反対!学習決起集会」の参加を組合員の皆さんに呼びかけています。東京平和運動センターと三多摩平和運動センターが主催し、東京新聞論説・編集委員の半田滋さんの講演を中心にした集会です。

正式配備の計画が大幅に前倒しされた理由として、5月に予定されている米朝首脳会談をにらんだものだと言われています。朝鮮半島情勢で想定される使用方法について、評論家で軍事ジャーナリストの潮匡人さんは「在韓米国人らの輸送に大きな役割を果たすことが期待されている。米軍が特殊部隊を投入する際の使用も考えられる」と語っています。

潮さんは「米朝首脳会談で米国側が実を得る形(北朝鮮の核・ミサイル開発完全放棄)で成功するためにも、最大の圧力を維持すべくスケジュールを前倒しした」とも解説しています。このような背景が説明されると「やむを得ない」と思われる方も少なくないのかも知れません。しかし、地元住民の大半は容易に受け入れられないという思いであり、オスプレイの安全性に対する疑念を強めています。

最後に、今さらという話なのかも知れませんが、主権という意味合いからも問題視する声が上がっています。外務官僚だった天木直人さんがご自身のブログで下記のような記事「主権放棄を国会で認めた河野外相の外相失格」を投稿していました。冒頭に述べたとおり「誰が」記しているかは横に置き、その事実関係に対して「問題があるのか、ないのか」、閲覧された皆さん一人ひとりがそれぞれの思いを巡らしていただければと考えています。

外務省が劣化しているのも無理もない。なにしろトップである河野外相が外交を放棄しているからだ。そして、その事を国会で悪びれることなく認め、平然としているからだ。あり得ない事である。何も知らされないまま、突然オスプレイが横田基地に配備される事を報道で知った住民は猛反発している。当然だろう。住民ならずとも、日本国民は怒らなければいけない。なにしろ、日本国民の安全を脅かすオスプレイの配備について、主権者である国民が何も知らされないまま配備されたからだ。

これこそ主権放棄の日米同盟関係を象徴する事件だ。そして、いつもの私ならこう続ける。日本政府に怒って見ても仕方がない。なにしろ日本政府でさえ何も知らされないのに、どうして日本政府が住民に事前に知らせることが出来るのかと。日本政府に文句を言うよりも、主権放棄の日米同盟関係を見直さなくてはいけない。その不平等さの元凶である日米地位協定の一日も早い改正こそ、国民は日本政府に要請しなければいけないのだと。

ところが、今回ばかりは違っていた。外務省は事前に知らされていたというのだ。共産党の志位委員長がきのう4月5日記者会見で明らかにした。すなわち、外務省が3月16日に在日米軍司令部から通報を受けていた事を明らかにした上で、「3週間、外務省が隠していた。(国会に対してはもとより)国民、自治体、にも一切知らせなかった。隠ぺいの態度だ」と非難したのだ。もしこれが事実ならとんでもない外務省だ。徹底的に吊し上げなければいけない。

そう思っていたら驚いた。隠ぺいを追及された河野外相は4月4日の衆院外務委員会で次のように答えたというのだ。「米側からは調整が整うまで公表を控えるよう要請されていた」と。なんという外務大臣だ。米軍から3週間も前に知らされておきながら、米軍の命令に従って国民に隠したというのだ。しかもそれを当たり前のように国会答弁で明らかにして、恬として恥じない。私は外務省に35年間いたがこんな主権放棄の外相ははじめてだ。

いや、外務省を辞めてからも15年間の間、さまざまな主権放棄の外務大臣を見てきたが、国会答弁で、米側に命令され、それに従って国民に隠しました、と公言して、申し訳ないと思うどころか、平然と開き直った外相は見た事がない。まさしく国民に背を向けた主権放棄の河野外務大臣だ。外務官僚の劣化どころではない。魚は頭から腐るというが、外務大臣の劣化の極みだ。そして、そんな河野外務大臣を任命したのは安倍首相である。安倍外交が行き詰まるはずである。

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2018年3月31日 (土)

人事・給与制度見直しの労使協議

もうコートはいらないと考えていましたが、金曜の朝の風の冷たさはコートを置いてきたことを悔やむほどでした。その日の朝の市役所周辺の桜は満開でした。冷たく強い風でしたが、桜には受粉するまで散れないという生存本能があることを思い出していました。週末にお花見を予定された皆さんは満開の桜の下で楽しめたのではないでしょうか。

前回の記事は「政治と教育の関係」でしたが、今回はローカルな話題となります。私どもの組合の労使課題の論点や協議状況などは月2回以上発行する組合ニュースを通し、組合員の皆さんにお知らせしています。年に1回は『市職労報』という機関誌を発行し、組合ニュースを補う目的で諸課題を掘り下げた特集記事を掲げています。

それぞれ組合員一人ひとりに配られ、配布後の取扱いは自由です。このようなオープンな配布の仕方ですので、組合ニュースが市議会議員や住民の皆さんの目に留まることも想定しています。要するに誰に見られても困るような内容は掲げていません。

ただ交渉結果の内容や組合の考え方に対しては人によって評価が分かれ、批判の対象になる場合があるのかも知れません。それでもコソコソ隠すような労使交渉や主張は行なっていないため、「内部資料」「取扱注意」のような但し書きは一切ありません。

仮に圧倒多数の方々から問題視されるような交渉結果や組合の主張だった場合、何か改める要素があることを察知する機会にすべきだろうとも考えています。そのような意味合いからも当ブログの記事の中で、組合員の皆さんに伝えているニュースや機関誌の内容をそのまま掲げる時があります。

新規記事を投稿する際の労力を軽減する意味合い(coldsweats01)もありますが、今回も最近発行した機関誌『市職労報』の記事内容をそのまま紹介させていただきます。この課題に関しては昨年11月に「査定昇給を巡る労使協議」という記事を投稿していました。その労使協議のまとめとして特集記事「春闘期、情勢や諸課題について」の中で「人事評価制度のあり方も労使協議の対象」という見出しを付け、次の内容を掲げています。

■慎重な労使協議を重ねた査定昇給の取扱い

労働組合は人事に関与できず、当局側の責任事項です。一方で、賃金水準に直結する人事や給与の制度面の問題は労使協議の対象としています。これまで組合は公務の中で個々人の業績評価は取り入れにくい点などを訴え、人事評価制度の導入に慎重な立場で労使協議に臨んできました。しかしながら2014年の地方公務員法の一部改正を受け、労使合意のもと昨年6月の一時金(勤勉手当)から個々人の業績評価結果を反映させる制度を開始しました。

一方で、能力評価を中心にした査定昇給は生涯賃金に大きく影響するため、より慎重な労使協議を重ねてきました。一人ひとりのやる気を損ねず、組織そのものを活性化させていくため、どのような制度が必要なのか、評価結果によって職員間に過剰な格差を生じさせる制度の是非などを問題提起してきました。さらに万が一、評価を気にし、上司に対して言うべきことを控えるような職場の雰囲気につながるようでは論外だと考えています。

このような問題意識のもと従前通り職員全員が年に1回4号給昇給するB評価(4号給昇給)を基本とすべきものと組合は考え、11月の定期大会の「当面する闘争方針案」を確認してきました。したがって、組合からはC評価(3号給のみ昇給)以下を極めて例外的なものとするよう訴え、その運用のあり方が最終盤の大きな論点となっていました。

■労使協議の最終盤、組合の主張を受け入れて合意

人事評価制度における査定昇給の取扱いを巡り、11月末、大詰めの労使協議を重ねました。その結果、11月29日に開いた団体交渉で来年度から査定昇給を本格実施することを基本合意しました。最終盤の労使協議の中で、人事評価表の「評価の着眼点(求められる行動)」がB評価を付けにくくしている点を指摘し、『人事評価の手引き』のB評価の基準を「職責をおおむね果たせている水準(標準)」等に改めました。

さらに能力総合評価に自己評価がなかったため、追加することも確認しました。また、評価者の恣意的な評価判断を抑制し、より納得性や透明性の高い制度とするため、評価結果に至った評価者のコメントを全職員に開示します。C評価以下を付けた場合、人材育成の観点から評価者が当該職員と面談し、より丁寧な説明責任を果たすように努めていくことも確認しています。

他にも組合からB評価以外を付ける場合、第1次評価者は第2次評価者に特段の説明を行ない、ダブルチェックをはかるよう求めています。苦情の申出が評価結果の通知後10日(休日を除く)以内と短いため、その期間の見直し等も含め、申出しやすい運用の改善を求めていました。その結果、評価を知り得た日から20日(休日を除くため実質1か月間)に改めます。休職していた場合、復帰してから起算します。

             *                 *

たいへん大きな課題だった査定昇給の取扱いを労使合意した後、その他の人事・給与制度に絡む見直し協議を本格化させました。3月16日の団体交渉で各課題の大半は労使合意に至りました。組合の指摘を受け入れ、当初の見直し案を改めた課題も少なくありません。

その中で長期主任職の選考方法の見直しだけは市当局側と見解が分かれ、継続協議の扱いとしています。市当局は試験会場での論文試験に変更したい意向ですが、組合は従来通り簡易なレポート提出が望ましいことを強く主張しています。

特に今回、昇格時号給対応表の導入を労使合意しました。法改正によって特別昇給制度を残せなくなることを前提に導入を決めました。主任や係長等に昇格した際、これまでのような直近上位ではなく一定水準の昇給幅を設ける制度です。先に昇格した人の額を追い抜くことは避けるため、他市の例にならい、段階的な表を作り、5年経過後に都の表に合わせることを確認しています。

特別昇給制度の廃止は賃金水準の低下を招きますが、昇格時号給対応表の導入によって水準引き上げの機会につなげることをめざし、組合は協議に臨んできました。そのため、今回のタイミングで長期主任職の選考方法を見直すことに抵抗感があります。市当局は、あくまでも実施方法の見直しであり、合格率を変える意図はないと説明しています。

主任職への昇格は、最短で28歳以降に受験資格を得られる短期選考、最短で35歳以降に受験資格が得られる長期選考の2線式となっています。短期選考には一般教養試験や論文試験があり、長期選考はレポート提出をもって合格者を決めます。短期は「狭き門」となっていますが、長期は著しい問題がなければ基本的に合格する制度設計としています。

組合の立場として「人事評価の話、インデックス」の中で記しているとおり「頑張っても頑張らなくても同じ給料」という不本意な見られ方は拭いたいものと考えていますが、どのような役職や職種の職員も職務に対する誇りと責任を自覚でき、常にモチベーションを高めていけるような人事制度をめざしています。その上で組合員全体の生活を守る立場から賃金水準の維持向上に努めています。

主任職は2004年4月から創設しています。私が書記長時代に担った大きな人事・給与制度の見直しでした。その当時の資料を確認してみると「主任職はライン職である係長までの職位と異なり、指揮命令系統に属さないスタッフ職」とし、「長期選考の主任職は、もともと市役所業務の経験が豊富で職場のとりまとめ役となるべきベテラン職員を処遇するポスト」と説明しています。

長期主任職の選考方法となるレポートは、提示された3つほどの課題の中から1つ選び、受験者の考え方を手書きにして提出することが求められています。受験者以外の代行やインターネット上のサイト等からコピーペーストができないように手書き提出を条件としています。それでも市当局は試験会場方式でなければ本当に受験者本人が一人で考えた内容なのかどうか分からないという説明を加えています。

このような説明に対し、私からは「職員を信頼することを前提に考えるべきである」と訴えた上、「不正をした場合、合格を取り消すという但し書きを付けることで対処できるのではないか」と反論しています。そもそも個々人の考え方が最初からオリジナルである訳ではなく、他者の考え方の影響を受けながら成り立っているはずです。書籍やネット上のサイトの内容の丸写しは論外ですが、参考にしながらレポートをまとめることは許容されるべき範囲だと考えています。

これから長期主任職の受験資格を得る複数の若手組合員に対し、選考方法の見直しの提案が示されていることを尋ねてみました。その中で、真っ先に尋ねてみた若手組合員の言葉が印象的でした。「試験会場で限られた時間の中で論文を書かせることは能力評価の選考ですよね。自宅でじっくり時間をかけることができるレポート提出は人物評価の選考ではないですか」という言葉でした。

人からアドバイスを得ようと、書籍やネットで調べようと、提示された題目に対する考え方を時間をかけて自分自身がまとめ、その内容の評価を受ける、意義深い選考方法であるという趣旨の説明を受けました。「短期の選考が能力評価を基本としているのであれば、長期は人物評価に重きを置くことも理にかなっているのではないですか」という注釈も加えられていました。

「なるほど」と思いながら、これまでの方式の維持を望む考え方を補強する貴重な意見を得られたものと受けとめていました。その後、引き続き若手組合員の皆さんからの聞き取りを進めてみました。当たり前な反応だろうと思いますが、選べるのであれば「レポート提出のままのほうが良いですね」という答えばかりでした。一方で、絶対反対かどうかで言えば試験会場方式への見直しも「仕方ないかな」という反応が多かったことも確かです。

執行委員会の中でも「見直しは仕方ないのではないか、それよりも合格率を維持させることが重要」という意見も目立ち始めています。しかし、私自身は容易に「仕方ないかな」という考え方に至っていません。長期選考の敷居が高くなり、受験者そのものが減っていくような懸念は杞憂なのか、時代情勢の変化の中でレポート提出という選考方法は見直しが不可欠なのか、もう少し時間をかけて労使協議していければと考えています。

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2018年3月25日 (日)

政治と教育の関係

前回記事「再び、森友学園の問題から思うこと」のコメント欄で、letさんから「結局ポジショントークにはまっていませんかね」という指摘を受けました。前回記事の冒頭で、週に1回、このブログの更新を続けている中、なるべくポジショントークという見られ方を避けるような記述に努めていることをお伝えしていました。

その一方で、最後のほうでは、このような論調のブログ記事も「ポジショントークではないか」と批判されてしまうのかも知れません、とも記していました。案の定、letさんからそのような指摘を受けてしまった訳ですが、昨日の朝、私から次のとおりお答えしていました。

私の立ち位置は明確にしているところですが、その上で「安倍首相は退陣すべき」という言葉を強調するのみで「何が問題なのか」という理由が二の次になるような批判であれば「ポジショントーク」と見られがちになるものと考えています。特に今回の記事は「退陣すべき」という主張ではなく、「何が問題なのか」「望まれる対応や責任の処し方」についての論点を提起したつもりです。安倍首相や麻生財務相のような振る舞いを仮に政権を担う他の政治家が行なっていたとしても同様な問題提起に至っていたものと考えています。

ちなみにポジショントークの意味を調べてみると「自分のポジションに有利な情報、見通しを述べること。意図的に自分に有利なように誘導しようとしていることを意味しているが、期待感から無意識的に偏った見通しを述べていることも含んで言うことがある」と解説されています。私の立ち位置としては自治労に所属する市職員労働組合委員長の立場を明らかにし、このブログは主にその立場からの主張や情報発信が多くなっています。

そのため、基本的な視点や考え方が異なる方々からは「結局、安倍政権を批判したいのではないか」と見られてしまうこともやむを得ません。そもそも「中立」の立場ではなく、安倍政権を問題視している立場でもあり、「意図的に自分に有利なように誘導しようとしている」記述が目立っていくことも仕方がないことなのかも知れません。ただ強調したい点として、事実関係が不明瞭な場合、断定調な書き方は慎んでいます。

さらに「私自身はこのように考えています」という言い回しを多用し、あくまでも問題提起を中心にしたブログ記事の投稿を心がけています。事実関係が疑問視されている中、決め付けた批判意見を発信した場合、異なる立場の方々に対して不愉快な印象を与えかねません。もっと付け加えればポジショントークという見られ方を避けるような記述に努めていくことで、異なる立場の方々からも「なるほど」と思っていただけるような関係性につながることを理想視しています。

つまり安倍政権を支持している、支持していない、それぞれの立場に関わらず、問題視すべき点は問題視すべきであり、評価すべき点は評価していくべきものと考えています。いつも申し上げている言葉ですが、適切な評価を下していくためには「誰が」に重きを置かず、その言動や判断は正しいのか、色眼鏡を外して物事を見ていくことが本当に大切な心得だろうと認識しているところです。

このブログの新規記事は週に1回の投稿ですので、取り上げる題材は限られています。letさんから例示された年金機構の問題などすべての事象に対し、このブログで取り上げることは困難ですが「だから何か特別な意図がある」訳でないことも付け加えさせていただきます。今回の記事も取り上げる題材選びには迷いました。結局、私自身が最も驚き、このような事実関係を多くの皆さんに知っていただきながら、問題提起したい事例だと考えた題材を選んでいます。

前川喜平・前文部科学事務次官が愛知県名古屋市の公立中学校で行った授業について、文科省が名古屋市の教育委員会に対し、内容の照会や録音データの提供を求めた問題で、文科省は20日、自民党文部科学部会長の赤池誠章参院議員と同会長代理の池田佳隆衆院議員から調査実施前に問い合わせを受けていたことを認めた。

文科省が市教委に送った調査メールには、前川氏について「国家公務員の天下り問題で辞職」「いわゆる出会い系バーの店を利用」などと記載。講師決定までの経緯や謝礼の金額、動員の有無など、15もの質問項目を並べた。質問内容の異様さから、問題発覚当初から「官僚の書いた文章ではない」(野党議員)と言われてきたが、予想通り自民党議員の関与が発覚した。

ただ、20日に記者会見を開いた赤池氏は、問い合わせの事実は認めたものの「立法府の一員として、(法令が)どう運用されているかを確認するのが我々の仕事」との見解を示し、圧力を否定した。その赤池氏は、過去にも文科省に猛烈な抗議を入れたことがある。しかも、批判の対象は人気アニメ「ちびまる子ちゃん」だった。赤池氏が問題視したのは、2015年12月に公開された映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』。

この作品の制作に文科省は、「国際教育に対する理解・普及を図る」目的で、東宝とタイアップしていた。作品紹介のホームページには馳浩文科相(当時)もメッセージを寄せ、映画を通じて「子供たちが世界に目を向けるきっかけとなることを期待しています」と述べている。内容で特に問題を感じる作品ではなさそうだが、赤池氏はポスターに掲載されたキャッチコピー「友達に国境はな~い!」に噛み付いた。

赤池氏は同年12月3日の自身のブログで、このポスターを見た瞬間に≪思わず仰け反りそうになりました≫と批判を展開。理由は、≪国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しない≫からだという。そして赤池氏は、前川氏の授業の件と同じように、文科省の担当者にキャッチコピーを決めた経緯の説明を要求。担当者からは、東宝から複数のキャッチコピーの提案があったなかで、最終的に文科省が選んだとの説明を受けた。

納得がいかなかったのか、赤池氏は≪国家意識なき教育行政を執行させられたら、日本という国家はなくなってしまう≫として、担当者に≪猛省を促しました≫と記している。赤池氏は日本会議国会議員懇談会のメンバーで、安倍政権では文部科学政務官に就いた経歴もある。2年以上前の出来事であるが、前川氏の授業への圧力と通じる姿勢に、ネット上では「戦前か!」「国際感覚が欠落している」などの批判が出ている。

赤池氏の事務所に質問状を送付したところ、書面で回答が届いた。キャッチコピーに抗議した理由について「教育行政を司る文部科学省として、子供向けとはいえ、『国境はない』という嘘を教え、誤認をさせてはいけない」「国境は歴然としてあります」と主張した。そのうえで、「私なら(キャッチコピーは)『国境があっても、友達でいよう』と名付けた」と説明。今後、同様のケースがあった場合の対応については「国民に選ばれた立法府の一員として、行政府に対して、事実確認を行い、問題提起をすることは当然の仕事」と述べている。

※[編集部注]3月23日に赤池氏の事務所から書面による回答が届いたので、回答部分を追記した。(AERA dot.編集部・西岡千史)【msnニュース2018年3月22日

前川前文科事務次官の授業に対する自民党国会議員の関与も驚いていますが、それ以上に上記の報道にあるとおり「友達に国境はな~い!」というアニメ映画『ちびまる子ちゃん』のキャッチコピーに抗議した話を耳にし、いろいろな意味で驚いていました。このキャッチコピーに対し、猛然と抗議する感覚や姿勢に驚きました。さらに今回明らかになっている話が2年以上前の出来事だったことに驚きました。

私が気付かなかっただけなのかも知れませんが、なかなか物議を醸すような話だったように思っています。前川前次官の授業に絡んだ報道の際、自民党文科部会の部会長である赤池誠章参院議員について、文科省職員の「赤池さんの問い合わせには特段気を配るように言われている。部会長だから通したい法案の決裁権を握られていて、なるべく早く対応するようにと言われている」という声が伝えられています。

このような声を聞くと、赤池議員は日常的に文科省に対して事細かく、ご自身の意に反した事案について問い合わせや再検討を求めていたのだろうと思われます。赤池議員としては「事実確認は国会議員の仕事で、それを圧力と言われたら我々の仕事はできなくなる」と説明しています。その説明に対し、土曜夕方の『報道特集』の中で前川前次官は次のように語っていました。

自分たち自身が不当な支配になり得る存在だと認識しなければならない。国民の代表だから、選挙で選ばれたから、あるいは多数決で決めたから、と言うことで土足で教育の内容に入っていって良いかと言えば、それはできない。やはり政治と教育の関係がどうあるべきか、基本的な認識が欠けていると思う。

前川前次官は色眼鏡をかけて見られることが多くなっているかも知れませんが、「誰が」に重きを置かず、上記の言葉は受けとめていかなければならないはずです。教育基本法第16条で「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」とされています。

最後に、今回の記事では「政治と教育の関係」に絞って「友達に国境はな~い!」の話を取り上げてみました。機会があれば政治と行政全般との関係についても掘り下げてみたいものと考えています。

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