2018年2月17日 (土)

『八月十五日に吹く風』から思うこと

前々回記事「自治労の4つの目的」のコメント欄で、nagiさんから『「二日市保養所」の悲劇を語り継げ~引揚げ女性への性暴行と中絶』という記事を掲げたサイトをご紹介いただきました。その際、「私も近年まで知らなかったのですが、歴史に悲劇を埋めることなく、癒されることをねがっています。これも日本の戦争責任のひとつですね」という一言も添えられていました。

二日市保養所では戦後、満州などからの引揚げの過程で、ソ連兵らから性暴行を受け妊娠した日本人女性400~500人の中絶手術が行われた。京城帝大医学部の医師や看護婦等の人道的な措置だった。それは1977年になって、RKB毎日放送がドキュメンタリー「水子のうた」を制作し、放送した。ところが、その後、福岡地区で散発的に新聞やテレビ報道がなされることはあっても、全国的な関心事にはならなかった。

上記はその記事内容の一部です。戦争がもたらした悲劇の一つですが、あまり注目を浴びることのない史実だったため、nagiさんが興味深い記事としてご紹介くださったようです。このコメントに対し、私からは「第2次世界大戦において、まだまだ知らなかった、あまり知られることのない史実が数多くあるようです。このブログを通し、機会を見ながらそのような史実について触れていければと考えています」とお答えしていました。

その時、念頭にあったのは松岡圭祐さんの著書『八月十五日に吹く風』でした。最近のブログ記事「憲法を生かす全国統一署名」の冒頭で『ヒトラーの試写室』を紹介していましたが、その書籍の著者も松岡さんでした。『ヒトラーの試写室』は「この小説は史実から発想された」という前置きでしたが、『八月十五日に吹く風』は「この小説は史実に基づく 登場人物は全員実在する(一部仮名を含む)」という説明が加えられています。

したがって、『八月十五日に吹く風』に描かれている主要な出来事は史実だった訳ですが、私自身、この小説を手に取るまで知らなかった話でした。そのような折り、nagiさんから二日市保養所のことをご紹介いただき、「まだまだ知らなかった、あまり知られることのない史実が数多くあるようです」という感想につながっていました。リンクをはったAmazonのサイトに掲げられている書籍の内容紹介は次のとおりです。

多忙の外務省担当官に上司から渡された太平洋戦争時のアメリカの公文書。そこには、命を軽視し玉砕に向かうという野蛮な日本人観を変え、戦後の占領政策を変える鍵となった報告の存在が示されていた。1943年、北の最果て・キスカ島に残された軍人5千人の救出劇を知力・軍力を結集して決行した日本軍将兵と、日本人の英知を身で知った米軍諜報員。不可能と思われた大規模撤退作戦を圧倒的筆致で描く感動の物語。

アメリカが敵視した、人命を軽んじ易々と玉砕するという野蛮な日本人観が、一人の米軍諜報部員の報告で覆った。戦後占領政策転換の決め手となった1943年、北の最果てキスカ島での救出劇。日本は人道を貫き5千人の兵員を助けた。戦史に残る大規模撤退作戦を、日米双方の視点で描く感動の物語。

キスカ島の救出作戦を改めてネットで検索してみたところ三船敏郎主演の『太平洋奇跡の作戦 キスカ』という映画があったことも知りました。そのリンク先のサイトには「日本の戦争映画には珍しく負け戦ではなく、さらには死傷者の出ない撤退作戦ということもあって、後味もどこか爽快という、稀有な傑作でもある」というレビューが添えられています。

それほど伏せられていた話ではないのにも関わらず、私自身は知らなかった史実、キスカ島からの日本兵5千人の救出作戦だったことになります。キスカ島はアラスカの西側に位置するアリューシャン列島の中の一つの島です。アメリカの領土であるキスカ島を日本軍が占領し、鳴神島と名付けていました。キスカ島の西隣のアッツ島も同じように日本軍が占領し、熱田島と呼んでいました。

まずアメリカ軍は1943年5月にアッツ島を奪還し、日本軍側の兵士は全員玉砕しました。アメリカ軍の次の攻撃目標はキスカ島であり、取り残された日本軍5千人を救助するため、陸軍の樋口中将、海軍の河瀬中将と救助艦隊司令官を務めた木村少将らが人命を重視しながら知略を絞り、奮闘されました。それぞれ実在された方々で、実話をもとに描かれた小説です。

Amazonのカスタマレビューでは「この作品を世界中の全ての人に読んでいただきたいと思いました」「全ての日本人が読むべき。自分の子供たちにも読ませたいです」と絶賛した声が並び、本当に一読の価値のある書籍です。ぜひ、機会があれば手に取ってご覧になってください。このブログでは全体を通した内容の紹介や感想を述べるつもりはなく、「日本人の英知を身で知った米軍諜報員」の報告が「戦後占領政策転換の決め手となった」という史実に注目しながら思うことを書き進めてみます。

ちなみに書籍のタイトル『八月十五日に吹く風』の「8月15日」は終戦の年のものに加え、もう一つ、その2年前の出来事も指し示しています。もう一つの「8月15日」は、1943年、日本軍全員が撤退した後、アメリカ軍がキスカ島に上陸した日のことです。上陸したアメリカ軍は日本兵の「玉砕」を目的にしたバンザイ攻撃の影におびえ、濃霧の中で同士討ちを繰り広げ、負傷者31人、死者25人もの犠牲者を出していました。

日本語通訳官だった米軍諜報部員であるロナルド・リーンは、そのキスカ島での顛末を間近に見聞していました。ロナルド・リーンは仮名で、実在した人物は日本文学研究者のドナルド・キーンさんであるようです。この場では小説で使われている仮名のまま書き進めます。1945年8月15日、リーンはグアム島にある米軍基地に赴任していました。玉音放送が流れた後、リーンは海軍司令部の執務室に呼び出されました。

当時、アメリカ人は「日本人が生命を尊重する、そんなことはありえない」と誰もが信じていました。日本では主婦や子どものような非戦闘員が、刺し違える覚悟で上陸部隊に襲いかかる、そのような予想がもっともらしく新聞記事になっていたそうです。このような極端な偏見が無差別な空襲に対する抵抗感をなくし、原爆の投下まで至らせたとリーンは考えていました。

キスカ島の救出作戦を知っているリーンは、日本の占領政策に大きな影響を及ぼす海軍司令部のメンバーを前にして「日本人を理解不能な野蛮人と見なす先入観」を払拭しなければと思いながら説明を加えていきます。マッカーサ元帥への伝言として「日本国民が人命について、私たちと同様に重く考えているとお伝えください。犠牲を払い、無理を押してでも仲間の救出に向かう。これは私たちの心理となんら変わりません」とリーンは語ります。

「彼らの玉砕も、戦局全体からみれば民族を絶滅から救おうとする自己犠牲であり、積極的な戦闘行動のひとつだったのです。けっして自滅や破壊に肯定的ではありません。そこまでして戦う必要はないと教えることが、私たちに課せられた義務だと思います」と続け、「滅ぼされるから抗わねばならなかった。彼らにあったのはそれだけです。私はただ、日本にいるのがそんな人たちだと認識していただきたいだけです。私たちと同じ、嬉しいときがあったら笑い、悲しいときに泣く、普通の人たちなんです」と司令官らにリーンは訴えます。

「われわれが丸腰で日本に上陸したとして、そこいらにいる未亡人が手榴弾を持って突撃してこないと、本当にいいきれるのか?刃物で襲いかかってくる可能性は?」という問いかけには首を横に振り、「彼らをまるで狂気の戦闘員のように見なし、接触は危険とばかりに過剰な警戒心を持ったことが、キスカ島でも悲劇につながりました。わが軍の兵士たちは互いに殺し合った。あれも8月15日でした。同じことを繰り返してはならないと思います」とリーンは答えていました。

史実に基づく小説の一場面です。実際にあったエピソードだろうと思いますが、どこまで占領政策のあり方に影響を与えたのかどうかは分かりません。ただ誤った情報や偏見は正しい「答え」を導き出すための障壁となります。そのような意味合いで、リーンの率直な意見具申や情報提供は無益な戦いを回避するための価値ある振る舞いだったはずです。さらにアメリカ軍の空襲や原爆投下は絶対許されない行為ですが、日本では女性や子どもも戦闘員という偏見が攻撃を正当化していた事実や悲劇は教訓化しなければなりません。

最近読み終えた『八月十五日に吹く風』の内容をもとに、ここまで書き進めてきました。蛇足になってしまうのかも知れませんが、史実をはじめ、本当に物事に対する見方や評価は人によって枝分かれしがちな一例を最後に紹介させていただきます。やはり最近読み終えた書籍『大直言』の中の一文です。自民党参院議員の青山繁晴さんと作家の百田尚樹さんの対談本で、百田さんの言葉をそのままご紹介します。

私も、無駄死にじゃなかったと思ってます。それはなぜかというと、戦後のアメリカ軍が日本に対して非常に厳しい政策をとりました。けれども、とことん苛烈な政策をとれなかったのは、神風特攻隊の影響があったと思います。もちろん、神風だけではなく、硫黄島の戦い、あるいは沖縄での地上戦、あるいはペリリュー島での戦い…こういう戦いで、日本軍はいざとなったら、とことん、みずからの命をなげうって、祖国のために戦うということが身に染みてわかった。

この精神をアメリカ軍は非常に恐れて、あるいは尊敬したと思います。ですから、戦後、日本は二つ、三つの国に分断されない、あるいは植民地化されなかった。この影響は、神風特攻隊に代表される、本当に命を捨てて戦った兵士たちがGHQを恐れさせたと思ってます。ですから、そういう意味では、無駄死にじゃなかったと思ってます。

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2018年2月11日 (日)

平昌オリンピック、強まる政治色

先週金曜の夜、平昌オリンピックが開幕しました。オリンピックは「平和の祭典」と呼ばれていますが、確かに戦争の影が現実味を帯びているようであれば開催は困難です。1940年の第12回大会は東京での開催が決まっていましたが、日中戦争の勃発によって見送られていました。結局、第2次世界大戦の影響で第12回と第13回の開催自体が中止に追い込まれていました。

戦後、ロンドンで開かれた第14回大会以降、4年ごとの開催が途切れることはありません。しかしながら東西冷戦の時代、ソ連軍のアフガニスタン侵攻への制裁措置として1980年のモスクワ大会の参加をアメリカや日本など西側の陣営がボイコットしました。その4年後のロサンゼルス大会はソ連側が不参加となり、西側の諸国だけの開催となっていました。

政治に翻弄され、選手生命のピークの時期に不参加を強いられた出場候補だった皆さんの無念さは計り知れません。「アスリートファースト」という言葉からは程遠い出来事でした。その後、選手の不参加という事態は避けられていますが、開催国の諸問題を抗議する意図を込め、各国首脳が開会式を欠席するという手法は頻繁に見受けられています。

4年前のソチ冬季大会の開会式には、欧米諸国の首脳がロシアの反同性愛法の問題に抗議し、揃って欠席しました。そのような中で、プーチン大統領との親密さを重視していた安倍首相は開会式に出席していました。今回の平昌大会の開会式も安倍首相をはじめ、各国首脳は政治的な思惑を錯綜させながら対応を判断していったようです。本来、オリンピックと政治は一線を画すべきところですが、よりいっそう平昌大会は政治色の強さを際立たせています。

9日夜に開会式がある平昌五輪は、北朝鮮が参加したことでスポーツの祭典という位置付けだけでなく、政治的な駆け引きの場としても注目を集める。「南北融和」を期待する声がある一方で、北朝鮮の管弦楽団入国に対する抗議行動が起こるなど、韓国内にはさまざまな受け止め方がある。地元の韓国メディアは北朝鮮の参加をどのように考え、何を伝えようとしているのか。

北朝鮮の選手団が、海外メディアの取材に応じることはほとんどない。雪上競技が行われる平昌と、氷上競技が開催される江陵に設けられた選手村でも、その姿勢は同じだ。6日にあった選手村の報道公開では、江陵のトレーニング施設に北朝鮮のジャージーを着た選手とコーチが姿を見せた。ランニングマシンで黙々と汗を流す選手らを、遠巻きに見つめる韓国の報道陣。トレーニングを終えて宿舎に戻る瞬間を待ち構え、一斉に近寄って質問を投げかけたが、選手らは足を止めなかった。

大手通信社・聯合ニュースの男性記者(29)は「五輪への参加で、北朝鮮関連の二ュースはより重要性を増した。社としても力を入れて北朝鮮選手らの動きを取材し、報道している」と話す。それでも、北朝鮮が朝鮮労働党内序列2位の金永南・最高人民会議常任委員長の派遣を決めたことなどを踏まえ、「北朝鮮の参加に意味はあるとは思うが、政治的な意味合いが強くなるのは五輪精神に反する」と、今後の動きに注目する。

大手新聞社の社会部の男性記者(32)も「国内には北朝鮮のPRの場になるのではないかという懸念があり、そうした観点で取材を進める」と説明する。一方で「北朝鮮関係者の宿泊するホテルには、どんなお菓子があるのか」「どんな携帯電話を使っているのか」といった読者の素朴な疑問に答えるような取材もしているという。韓国内には「過熱報道」との指摘もあるが、純粋にスポーツの祭典としての報道を心掛けるメディアもある。

スポーツ専門テレビの男性記者(32)は「北朝鮮の選手を特別視する報道はしない」と断言する。女子アイスホッケーが統一チーム「コリア」を結成したことについても、「統一チームを結成したことは過去のスポーツイベントでもあるし、そもそも政治とスポーツを100%切り離すことはできない」と冷静に話した。【毎日新聞2018年2月9日

このように平昌オリンピックは北朝鮮の参加で朝鮮半島を巡る政治色の強い大会となっています。男性記者の「そもそも政治とスポーツを100%切り離すことはできない」というコメントが示すとおり政治の動きと切り離すことができないのであれば、オリンピックの場が望ましい方向に進む好機になって欲しいものと願っています。

国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の開会式のあいさつは政治色に満ちたものだった。IOCはリオデジャネイロ五輪で難民五輪選手団(ROT)を初めて結成したことで「希望のメッセージ」を発信し、今回の平昌五輪では韓国と北朝鮮が合同で入場行進したことで「平和のメッセージ」を発信したと自賛した。

五輪の政治利用を懸念する声に対してバッハ会長は、IOCの取り組みは政治的な意図に無縁であることを明確にしていると強調してきた。だが、五輪のたびにスポーツを政治的な課題に絡めて語る傾向が強くなっている。この日は「多様性の中での結束は、分断しようとする力よりも強い」とも訴えた。

バッハ会長は開会式で「スポーツは人々を一つにする力がある」と話した。全てのアスリートが選手村で寝食をともにすることで新たな交流が生まれ、五輪憲章にある「平和でよりよい世界の構築に貢献」につながる。だが、政治的な課題を解決するためにスポーツがあるわけではない。スポーツに力があるのはバッハ会長も認めるように、ルールを守る前提があるからだ。人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教などの違いを乗り越えられるのもこのためだ。

今、スポーツはそのルールが大きく侵害される危機にある。ロシアによる組織的なドーピングだ。この対策こそがバッハ会長が向き合うべき課題のはずだ。バッハ会長は「ルールを守り不正をしないことによってのみ、皆さんは心から五輪を楽しむことができる」と選手らに説いたが、説得力に欠ける。個人資格とはいえロシア選手が出場することに否定的な選手は少なくない。

南北融和ムードでの開催はバッハ会長が待ち望んだものだった。前回、ソチ五輪に北朝鮮が参加しなかったことでIOCは北朝鮮の選手が平昌五輪の出場資格を得られるように、特別支援プログラムの提供を申し出るなど働きかけてきた。「開会式をご覧になっている世界中の五輪ファンのみなさん、私たちはこの素晴らしい行進に感銘を受けました」と成果を強調した。スポーツは外交手段としては極めて有効だ。だからこそ慎重であるべきだ。あるIOC委員は「大会後に何が起きるのかは誰も分からない」と話している。【毎日新聞2018年2月10日

バッハ会長はIOCの取り組みが政治的な意図に無縁であることを強調していますが、「スポーツは人々を一つにする力がある」とし、「多様性の中での結束は、分断しようとする力よりも強い」と政治色もにじませた言葉を発しています。いずれにしても南北融和ムードでの開催はバッハ会長の待ち望んでいた姿であることが伝わってくる開会式での挨拶でした。

一方で、北朝鮮に配慮しすぎているような開催のあり方に対し、疑問や批判的な見方を示されている方々も多いはずです。IOC委員の「大会後に何が起きるのかは誰も分からない」という言葉はその通りなのかも知れませんが、オリンピックの後、戦争が始まる事態だけは絶対避けなければなりません。

日本人の半数近くがアメリカの北朝鮮に対する軍事力行使を「支持する」という調査結果もあります。ただ多くの人命が奪われる戦争自体の是非を問えば、圧倒多数が「非」と答えるのではないでしょうか。安倍首相に心から願うことです。戦争を避けられる選択肢が見出せるのであれば、その選択肢が実を結ぶように最大限の努力と英知を発揮して欲しいものと切望しています。

北朝鮮情勢を巡るキーパーソンが平昌オリンピックを通し、接触できる機会を得られています。文字通りオリンピックが「平和の祭典だった」と称賛されるような望ましい政治の動きにつながることを期待しています。最後に、個々人の考え方によって評価が大きく分かれるだろうと思われるメディア記事を紹介します。安倍首相が韓国の文大統領に伝えた言葉とその返答を報道した内容です。

9日に韓国の平昌で開いた日韓首脳会談で、安倍晋三首相が文在寅大統領に米韓合同軍事演習を冬季五輪後に予定通り実施するよう求め、文氏が不快感を示していたことが分かった。韓国大統領府と日本政府双方の関係者が明らかにした。首相は会談で、北朝鮮への対応を巡って文氏に「五輪後が正念場だ。米韓合同軍事演習を延期する段階ではない。演習は予定通り進めることが重要だ」と語った。これに文氏は「韓国の主権の問題であり、内政に関する問題だ。首相がこの問題を直接取り上げるのは困る」と答えたという。

会談では北朝鮮への対応を巡る両首脳の温度差が浮き彫りとなった。日本側によると首相は文氏を「北朝鮮のほほ笑み外交に目を奪われてはならない。対話のための対話では意味がない」などとけん制。一方、韓国側の説明によると文氏は「日本も積極的に対話に乗り出すことを願う」と語っていた。【日本経済新聞2018年2月10日

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2018年2月 3日 (土)

自治労の4つの目的

インデックス記事の先がけとなった「自治労の話、2012年夏」があるとおり「自治労」を直接的な題材にした内容の投稿は多数あります。最近は少なくなっていましたが、久しぶりにタイトルに「自治労」を掲げた内容の新規記事に取りかかってみます。前回記事「憲法の話、インデックスⅡ」に寄せられた下っ端さんとnagiさんからのコメントが切っかけとなっていますが、最近、全国紙の政治面に「自治労」の名前を見かけたことも後押ししていました。

自治労は30日の中央委員会で当面の国政・地方選挙の運動方針を決めた。立憲民主党の綱領や基本政策が「自治労の政策、運動方針とおおむね一致すると評価できる」と明記し、同党支持の姿勢を鮮明にした。連合傘下の産別組織で立憲民主党への支持を明確化したのは初めて。今後、官公労系労組を中心に同様の動きが出そうだ。一方、民間労組には立憲民主党と距離を置く傾向もあり、来年夏の参院選は、連合が傘下産別ごとに支持政党が分かれる「股裂き状態」に陥る可能性がある。

自治労の運動方針は、従来の「民進党を基軸」という表現を「立憲民主党、民進党を基軸」に改めた。希望の党に関しては「自治労の政策を理解する候補について支援する」との記述にとどめた。自治労出身の江崎孝参院議員は昨年末に民進党を離党し、立憲民主党に入党している。【産経新聞2018年1月30日

水曜の朝、自宅に届く読売新聞で見かけたトピックスでしたが、ネットで検索したところ産経新聞のサイトが上位に掲げられていました。全国紙それぞれが同じ内容の報道を行なっていたようです。翌々日には「旧総評系産別が相次ぎ立憲民主党支持 私鉄総連が民進党から“鞍替え”」という見出しの記事を産経新聞が掲げ、マスメディアも注目する一連の動きが続いています。

自治労の中央委員会に私自身は参加していませんでしたので、参加した私どもの組合の副委員長に新聞報道の話を投げかけてみました。すると全体的な議論の中で、ほとんど政治方針については取り上げられていなかったそうです。それよりも非常勤職員の待遇に大きな影響を及ぼす会計年度任用職員を巡る質疑が大半を占めていたようです。

この話を冒頭で取り上げた理由の一つとして政治的な動きが注目を集めがちですが、自治労そのものも職場に根差した活動が主体であることを強調したかったからです。一方で、やはり自治労の運動方針の中には政党との支持協力関係のあり方などが盛り込まれているのも事実であり、そのあたりについて改めて掘り下げる機会として中央委員会の話を紹介させていただきました。

前回記事に対し、下っ端さんから政治的な運動について「公務員の組合活動で取り組む必要があるのか?です。主たる活動か、少しだけの活動か、少しなら問題ないのか?などと、量の話もしていません。そもそも、扱うべきかどうかについてお伺いしたはずです」という問いかけなどがありました。組合員一人ひとりの政治意識が多様化している中、一つの考え方の押し付けにつながるような活動のあり方への疑念だと受けとめています。

日曜の朝に寄せられたコメントだったため、すでにコメント欄を通して私自身の考え方を改めて説明させていただきました。ただ残念ながら、その「答え」も下っ端さんには充分な理解を得られないものだったろうと思っています。大きく2点、論点を整理してみます。まず労働組合は職場課題のみに専念し、政治的な活動に関わるべきではない、このような考え方があります。

もう一つ、必要に応じて政治的な活動に関わったとしても、安全保障のあり方など組合員の中で評価が分かれるような活動は控えるべき、このような考え方もあります。以上のような考え方があることを認識している中、下っ端さんの問いかけに対する私自身の「答え」は下記のとおりでした。今回も長い記事になりそうですが、その時にお答えした内容をそのまま掲げさせていただきます。

私も下っ端さんのお考えや問題意識は充分理解しています。今回の記事の冒頭にも記したとおり「公務員の組合が政治的な活動に関わること自体に疑義を示される方々」の筆頭だろうと受けています。その上でお答えしてきているつもりですが、そもそも自治労のHPにも掲げられているとおり「自治労の4つの目的」の一つに「社会正義を実現すること」、要するに政治的な活動も大きな柱として位置付けられています。

それでも自治労は単位組合の連合体ですので、それぞれの組合独自の運動方針を確立することもできます。場合によって組合員の総意のもとに自治労を脱退するという選択肢もあり得ます。しかし、私どもの組合の方針として、ご承知のとおり私自身の考え方としても「自治労の4つの目的」を支持しています。その一方で、前回記事に記した次のような立場で日常の取り組みの是非を判断しています。

>自治労からの指令や要請だったとしても、絶対取り組むことができない、もしくは組合員にとってマイナスにつながるものと考えれば拒むつもりです。そのように判断しない限り、取り組む優先順位や濃淡があったとしても自治労という産別に結集している責務は果たしていくべきものと考えています。

だからこそ私自身にとって背伸びせず、主客逆転しないという「量」の問題が大きなポイントとなっています。加えて当たり前なことですが、これまで当ブログの記事で数多く綴ってきているとおり地方公務員として、職員団体として法律的に認められた範囲内で活動しています。

さらに一方で、組合員一人ひとりの政治意識が多様化しているため、個々の意に反する活動に対して批判を受けてしまう場面が増えている現状も重く受けとめています。そのため、このブログや日常の組合ニュースを通して「なぜ、取り組むのか」「なぜ、反対しているのか」という丁寧な説明や情報発信を心がけています。

幸いなことに日常の組合ニュース記事のバランスや内容に対し、下っ端さんと同じような問題意識を持っている組合員の皆さんから及第点をいただいています。「自治労の機関紙と違って、いつも職場課題が前面に出ているので」という率直な一言が添えられたものですので忖度や遠慮した声ではないものと理解しています。

組合役員の担い手の問題ですが、わずかでも政治的な課題に取り組むから新たな立候補者が激減している、そのような見方があることを頭から否定できません。それでも今まで政治的な取り組みや立場から距離を置いた上、職場課題を中心に組合役員を担っていただいた組合員も決して少数ではありません。

時代の変化に対応、そのとおりです。たいへん長く組合役員を務めているため、組合活動が昔に比べて大きく変化していることを体感してきています。その一つに「昔に比べて反戦平和の取り組みなどが減っている」という声もあります。今後、淘汰されない組合組織に向け、長く担ってきた責任者の立場から引き続き日々努力していくつもりです。

自民党と社会党が対峙していた55年体制の時代であれば、労働組合が政治的な活動に関わっていても不団結の要因として心配することも少なかったはずです。確かに今は組合の政治活動が組合員の「組合離れ」を進めかねないというリスク認識を持たなければなりません。しかし、だからと言って自治労が、これまで培ってきた運動方針を180度転換させることができるのか、そのほうが望ましいのか、現実的な問題としてはできない、望ましくないという「答え」に至ります。

真っ新なキャンバスに今から絵を描き始めるのであれば、もっと自由に様々な絵を描けるはずです。すでに完成している絵画を手直しすることは容易ではありません。その絵画を素晴らしいと思っている方が多ければ、ますます一から描き直すことは困難です。それでも本当に必要な手直しであれば、時間をかけて少しずつ手直しを加え、将来的にはまったく違った絵柄にすることもできるのではないでしょうか。

私自身、「自治労の4つの目的」や運動方針を基本的に支持している立場です。その上で自分なりの考え方や判断のもとに単組の活動につなげています。政治的な活動に関わるべきではないという下っ端さんからの問いかけに対し、関わるべきという「答え」であり、関わるのであれば組合員の不団結の要因とならないような情報伝達や進め方に留意していなかなければならないものと考えています。

だからこそ「憲法を生かす全国統一署名」に取り組む際などは「なぜ、取り組むのか」「なぜ、改憲の動きに反対するのか」という論点から組合ニュースや当ブログを通して発信していくように努めています。ここで自治労のホームページに掲げられている「自治労の4つの目的」を紹介します。そのサイトには「自治労は公共サービスを提供する労働者のために、4つの目標を掲げています」の後、次の内容の文章が並んでいます。

1 組合員の生活水準を向上させ、労働者の権利を守る
    自治労は、一人ひとりの組合員がゆとりを持って暮らせるよう、賃上げ、労働時間の短縮、必要な人員の配置、安全で快適な職場環境の確保などに取り組んでいます。また社会的にも年金や社会保障制度を充実させる活動を行い、トータルな生活水準の向上をめざします。実際に、制度や法律の設計や改正など必要に応じて、政党請願行動、省庁交渉、首長交渉などを行い、組合員だけではなく労働者の生活と権利を守るために行動しています。

2 やりがいのある仕事が出来るように
    私たちは、公共サービスを支える仕事をしています。そして、多くの組合員が住民・顧客に喜ばれ、自らも役に立っていると実感できる仕事がしたいと思っています。自治労は賃金・労働条件の改善だけでなく、やりがいのある仕事が出来るよう、住民や地域団体、企業、学識者と協力しながら地方自治研究活動(労働組合が主体的に、地方行政や自治体政策、公共サービスや自らの仕事のあり方について研究し、実践する活動)に取り組んでいます。自治労は地方自治研究活動を通じて、情報収集、研究分析、政策づくりを提言しています。実際に、現在多くの自治体で実施している「ごみの分別収集」「急病人の休日・夜間診療」は、自治労の自治研活動から実現した制度です。

3 社会正義を実現すること
    豊かで平和な暮らしは、職場の中の活動だけでは実現できません。地球的規模で起きる環境破壊や経済格差、戦争など現代社会はたくさんの問題を抱えています。それは、毎日の生活に直接的に影響する問題から、間接的に影響するものまで、広範囲にわたります。こうした個人では解決できないことでも、労働組合という組織で力を合わせ、大きな力とすることで問題の解決に近づけます。自治労はさまざまな団体等と連携し、“社会正義”の実現をめざします。その取り組みの一環として、自治労は原発再稼働を許さない取り組みや戦争につながる施策に反対する取り組み、賃金関係で言えば連合に結集して春闘に積極的に参加しています。 

4 労働者の助け合い活動の実践
    組合員が過ごしやすい環境づくりのために、「自治労共済」という非営利運営による福祉事業に取り組んでいます。2013年6月以降は「全労済自治労共済本部」として大きく助け合いの輪を拡大し活動しています。サービスの提供により、日々の生活に必要な保険料などを抑制し、より多く組合員の可処分所得を確保します。

1954年の自治労結成時からの綱領がありましたが、2003年9月の定期大会で新たな綱領的文書として「自治労21世紀宣言」を確認しています。その中では「自由・公正・連帯」の社会の創造という言葉が掲げられています。「4つの目的」でも示されているとおり自治労にとって組合員の労働条件向上のため、職場課題に全力を注ぐことと同時に政治的・社会的な活動にも関わっていくことが結党時からの基本的な立場とされています。

自治労の4つの目的のひとつである「社会正義を実現すること」。この「社会」は日本の国内にとどまるのか海外まで範囲に入るのですか? また自治労が考える「正義」とは具体的にどのようなことがらでしょうか。HPを参照すると、「社会正義」の為に原発再稼働反対や戦争につながる政策の反対とありますが、原発そのものが悪という仮定ならば、それは他国でも同様ですか。また、原発が悪ならば、それらを事業として展開する東芝や日立はどのような位置付になりますか。単純に素朴な疑問です。時間があれば教えて下さい。

上記は前回記事に寄せられたnagiさんからのコメントの一つです。電子辞書で調べてみると社会正義とは「社会生活を行う上で必要な正しい道理」と記されています。したがって、国内外問わず、改めるべきものは改めていくべきという主張だろうと理解しています。「4つの目標」の基本的な方向性等は支持していますが、nagiさんが疑問を呈しているとおり「社会正義」の項目に掲げられた原発に絡む話は今一つこなれていないように感じています。

そもそも「社会正義を実現」という考え方自体、大きな峻別を意識していかなければ、それこそ自治労組合員間での不団結の要因を助長していくことになりかねません。例えば戦争そのものは誰もが忌み嫌い、絶対避けたいものと考えているはずです。つまり戦争をなくすという運動の方向性は「社会正義を実現」と言えるのかも知れませんが、なくすための手法や各論に対しては個々人の評価が分かれがちです。

原発の問題も同様です。社会正義の範疇で括ってしまうとnagiさんのような疑問につながりかねません。原発を正義か、悪かでとらえるのではなく、このまま依存していくのが望ましいのか、政策を転換させていくためにはどうしたら良いのか、このような発想のもとでの是非論だろうと思っています。平和の築き方、安全保障のあり方、憲法9条の問題なども同様であり、自治労の運動方針が「社会正義」だと訴えていった場合、異なる価値観の方々から猛反発を受けてしまうのではないでしょうか。

そして、猛反発するかも知れない方々の中に自治労組合員も少なくないはずです。「社会正義を実現すること」という目的に賛同していますが、言葉の使い方や具体的な運動の進め方には注意を払っていく必要があります。下っ端さんとnagiさんからの問いかけに対し、私なりの問題意識を書き進めてきましたが、うまく伝えられているのかどうか分かりません。このブログは単発で終わるものではありませんので、表現や言葉が不足していた場合、次回以降の記事本文を通して補っていければと考えています。

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2018年1月27日 (土)

憲法の話、インデックスⅡ

このブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していないことは機会あるごとにお伝えしています。日常的な組合活動の中で政治的な課題の占める割合はごくわずかで、それも背伸びしない範囲で取り組んでいる現状です。そのような中で組合の運動方針に照らしながら「憲法を生かす全国統一署名」などにも取り組んでいます。

労働組合が、まして公務員の組合が政治的な活動に関わること自体に疑義を示される方々も少なくありません。一方で、もっと力を注くべき、昔に比べて反戦平和の取り組みなどが減っている、そのように見ている方々も決して少数ではありません。私自身、両極端の声があることを受けとめた上で日々の活動に向き合っているつもりです。

その上で、できる限りの範囲内とは言え、自治労に結集している私どもの組合も平和や原発の課題に関わっていくのであれば、このブログを通して「なぜ、取り組むのか」「なぜ、反対しているのか」という趣旨の発信に努めていくことも大切な試みだろうと考えています。さらに不特定多数の方々に「働きかける」という自分なりの一つの運動として位置付けている側面もありました。

そのため、日常の組合活動の中で政治的な課題の占める割合は少ないのですが、このブログでは意識的に政治的な話題を数多く取り上げるようになっています。今回の題材選びも少し迷いましたが、「インデックス」記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えている間隔となっていましたので過去の記事を紹介する機会としながら「憲法の話」を3週続けることにしました。

カテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べています。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めていました。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめています。

これまで投稿したインデックス記事は「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「春闘の話、インデックス」「コメント欄の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「憲法の話、インデックス」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」「いがみ合わないことの大切さ、インデックス」のとおりです。なお、今回から「Ⅱ」 がある場合は最初の記事は外しています。

「憲法の話」に関わるバックナンバーは上記のとおりです。こちらのインデックスとしてのバックナンバーは検索しやすさを考えて、最初の記事からそのまま一覧として残しています。振り返ってみると「Ⅰ」にあたる「憲法の話、インデックス」は一昨年7月に投稿していました。そこから1年半の間に7点の憲法関連の記事を投稿してきた訳ですが、それほど改憲の動きが強まっている証しだと言えます。

言うまでもありませんが、憲法の話は9条に限ったものではありません。ただ当ブログでは結果的に憲法9条の平和主義に絡む話が多くなっています。現在、全国規模で取り組まれている署名の請願事項も9条に絞った論点となっています。これまでの経緯から考え、改憲論議が憲法9条を巡って争点化されていくことは必然的な流れだろうと思っています。

押し付けられた憲法という認識のもとに改めたいと考える側が最も改めたいのは憲法9条であり、護憲と言われる側の死守しようとしている条文が9条であることは衆目の一致するところです。このような流れの中で、憲法9条の3項として自衛隊、もしくは自衛権について付け加えるべきかどうかが論点化されつつあります。

自衛隊に対する認知度が高まっている中、現憲法で曖昧な位置付けである自衛隊を明記したいという選択肢であれば国民の多くは賛意を示すはずです。安保関連法施行前であれば私自身も含め、頭から否定しづらい選択肢だったことは確かです。しかし、限定的とは言え、集団的自衛権の行使を認めた自衛隊をそのまま憲法の中で追認していくことの危うさを感じています。

集団的自衛権のもとに海外での戦争に自衛隊も参加できるようになっています。直接的な戦闘には関わらず、後方支援が自衛隊の任務だと言われています。ただ後方支援も戦争参加であり、敵対する相手国からの標的になります。それにも関わらず、安倍首相は「戦闘が起こった時は、ただちに(後方支援活動を)一時中止、あるいは退避することを明確に定めている」と説明しています。

私自身の誤解なのか杞憂なのか分かりませんが、このような後方支援は「なぜ、日本の軍隊だけ安全な場所にいて、最前線に出てこないのか」「戦闘を前に撤退するのか」という批判の声にさらされてしまうことを危惧しています。加えて、一度改憲に踏み出せば片務性を解消したいアメリカ側からの声や外圧に抗し切れづらくなり、いずれフルスペックの集団的自衛権を行使できる国際標準の軍隊に改めざるを得なくなるものと見ています。

そもそも安倍首相は、そこまでのゴールを見据えた上での「自衛隊加憲」提案を示し、「蟻の一穴」を強く意識した手順を企図しているのではないでしょうか。ネット上の様々なサイトに触れていくと、中国や北朝鮮情勢をどのように見るかどうかという温度差の違いによって安倍政権への評価は分かれていくように感じています。北朝鮮の脅威が取り沙汰されればされるほど安倍政権の支持率は上昇に転じるようです。

安倍首相は「必要なのは対話ではない、圧力を最大限強めることだ」と繰り返します。国際社会の中でルールを破っているのは北朝鮮であり、各国が足並を揃えて一定の圧力を加えていくことは必要です。しかし、圧力は平和的に解決するための手段であり、あくまでも対話のテーブルに着かせるための手段だと言えます。それにも関わらず、安倍首相らは必要以上に強い言葉を発し、わざわざ日本が真っ先に標的になるリスクを高めているように思えてなりません。

ミサイル防衛によって「万全の態勢で国民を守る」と安倍首相は力をこめます。しかし、迎撃能力に100%の保障はありません。追い込まれて自暴自棄になった北朝鮮が東京を狙って核ミサイルを発射し、都心上空で爆発した場合、死傷者は400万人に達する見込みです。この400万人という試算の中に自分自身や家族、知人の姿を想像すれば北朝鮮を追い込みすぎることのリスク回避に全力を尽くす政府や政治家を最大限支持すべきなのではないでしょうか。

読売新聞の調査で、アメリカの北朝鮮に対する軍事力行使を「支持する」日本人が47%もいたことに軍事ジャーナリストの田岡俊次さんは唖然としたそうです。戦争体験が風化し、多くの日本人は72年間の平和に慣れて戦争の悲惨さを想像できないようになっています。アメリカの軍事力行使は甚大な被害をもたらす可能性が高いのにも関わらず、「支持する」日本人が多いことについて田岡さんは「平和ボケのタカ派」と表現しています。

憲法の話が広がり気味で恐縮ですが、とりまく情勢の厳しさから改憲の必要性を説く声も耳にします。ただ9条の見直しは周辺国を刺激する動きであることも押さえなければなりません。あえて他国を刺激しないという「安心供与」や「広義の国防」を重視する道こそ、日本の進むべき道であって欲しいものと強く願っています。決して「カエルの楽園」で揶揄されているような偏った論点ではなく、専守防衛を基軸にした平和主義の効用こそ改めて評価していくべき局面だろうと考えています。

最後に、憲法96条に沿った改正手続きの際、憲法9条の見直しは幅広く正しい情報をもとに判断できる環境を整えていくことが欠かせません。絶対避けるべきことは不誠実で不正確な選択肢のもとに国民投票が実施され、憲法の平和主義が変質していくような事態です。私自身、明解な選択肢は憲法9条の「特別さ」を維持するのか、改めるのかどうかだろうと考えています。そのような明解な選択肢が示された上、国際標準の「普通の国」に踏み出すことを国民が選択するのであれば、それはそれで厳粛な国民投票の結果として受けとめていかなければなりません。

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2018年1月21日 (日)

憲法を生かす全国統一署名 Part2

前回記事「憲法を生かす全国統一署名」には書き残した内容が多くありました。長い前振りの話としてスイスのことを取り上げながら、関連付けた論点に触れないまま終えていました。私どもの組合員の皆さんに示した端的な言葉の紹介も含め、次は「Part2」として続けることを前回記事を投稿した直後には決めていました。

そのように考えていたところ前回記事のコメント欄で、おこさんから「組合員は署名と説明を聞くのをお断りすることは可能でしょうか?つまりお断りしてもなお組合に留まれるでしょうか?」という問いかけがありました。たいへん恐縮ながらコメント欄への対応も週末に限っているため、私から返信する前に下っ端さんからは次のようなコメントが寄せられていました。

労働者が、自分たちや仲間たちの職場環境や労働条件を守るための組合が、なぜ・・・・ 「憲法9条を変えないで下さい」と言う署名活動を行う必要があるのでしょうか。本気でそのような行動を取ることに、疑問を感じていないのでしょうか。おこさんの意見に、何も感じませんか?こんなこと続けていたら、組合は存亡の危機を迎えますよ。

>2017年5月3日、安倍晋三首相は突然、「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べました。

>2018年1月14日、某組合執行部は突然、「憲法を生かす全国統一署名に取り組む」と述べました。

さて、この2文は何か違いはありますかね?それくらい、今回の内容には違和感を感じます。このような署名への参加など、組合員に何の意味がありますか?逆に聞きたいのです。組合は、何の権利があって、このような署名活動を組合員に求めてるんですか?求める、という行為は例え任意であっても、そこに行動が発生している、ということがわかりませんか?

それと、少数意見の尊重というなら、職場委員会で反対する人が1人でもいた場合は、取り組みは実施しないということでよろしいですか?その1名が、0名になるまでは、決して執行部の一任という荒業は行使しないということを、確約できますか?労使協議の中で、組合員の意見が割れてしまい、最終的に執行部に一任となることは、自分たちの労働条件という枠の中では致し方ない面もあろうかと思います。

しかし、このような署名活動の参加など、組合の本質に何の関係ないのですから、どうしても実施したいならば、少数意見の尊重を徹底してください。丁寧な説明の重要性と、強引な運営への徹底的な批判は、数えきれないくらい書かれているのですから。次回以降の本文の中で説明していきます、などと曖昧なことは言わないでくださいね。

この後、匡樹さんとnagiさんからもコメントが続きました。匡樹さんのコメントを受け、下っ端さんから再度コメントも寄せられていました。土曜の朝、私から取り急ぎ次のようにレスし、日曜の朝、腰を落ち着けて新規記事に取りかかるため、自宅のパソコンに向かっています。長い記事になりそうですが、このブログを閲覧されている皆さんが必ずしもコメント欄までご覧になっていないはずですので、土曜の朝に投稿した私自身のコメント全文をそのまま掲げさせていただきます。

おこさん、下っ端さん、匡樹さん、nagiさん、コメントありがとうございました。今回の署名の取り組み一つ取ってみても4人の方から様々な受けとめ方や考え方を伺うことができています。そのような機会を得られていることについて本当に感謝しています。

なお、下っ端さんからは「次回以降の本文の中で説明していきます、などと曖昧なことは言わないでくださいね」という言葉が添えられていましたが、じっくりお答えすべき論点が多いため、今週末に投稿する新規記事を通して私自身の「答え」を示させていただくつもりです。

ちなみにコメント欄に寄せられた問いかけに対し、「次回以降の記事本文で」というレスが多いことは確かです。しかし、その言葉を発しながら記事本文で取り上げなかったケースは皆無に近いはずです。ただ毎回訪問されている方ばかりではないため、期間を置いてしまうと問いかけに対する「答え」を綴った記事本文をご覧いただけない場合があろうかと思います。

そのため、その場だけを取り繕ったレスのように感じられてしまっているようであれば非常に悩ましいことです。それでも産別が自治労かどうかは分かりませんが、同じ地方公務員である下っ端さんからの問いかけに関しては、これまで即座に直近の記事本文でお答えしてきているはずです。

そのような対応も認められず、このコメント欄を通して「すぐ答えるべき」という趣旨のご指摘であれば、たいへん申し訳ありませんが対応できないことを正直に申し上げなければなりません。プロフィール欄に掲げている《お願い》について改めてご理解ご容赦くださるようお願いします。

土曜の朝、出かける前にレスしたところ、さっそく下っ端さんから「レスの件は承知しました」という返事いただいていました。翌朝、私から「ご理解いただき、ありがとうございます。本日投稿する新規記事を通し、私自身の考え方を綴らせていただきます。ぜひ、ご覧くださるようよろしくお願いします」とレスしていました。その上で上記は管理人としてのコメント欄対応への現状について参考までに閲覧されている皆さんに改めてお伝えする機会とさせていただきました。

それでは主な論点について私自身の「答え」を書き進めてみます。まず、おこさんからの「組合員は署名と説明を聞くのをお断りすることは可能でしょうか?つまりお断りしてもなお組合に留まれるでしょうか?」という問いかけについてです。あくまでも私どもの組合に関しての話となりますが、所属する単組が異なってもそれほどの違いはないのだろうと考えています。

結論として署名するかどうかは組合員個々の判断に委ねています。したがって、当たり前な話として断わっても組合に留まれます。説明も断われますが、できれば説明内容や取り組む理由などに耳を傾けていただいた上で署名するのかどうかを判断いただければ幸いです。私どもの組合は職場委員会に出席した職場委員の皆さんに対し、少しだけ時間を取って直接説明する機会を持つ予定です。

それ以外の大多数の組合員の皆さんに対しては組合ニュース等を通し、「なぜ、取り組むのか」という理由などを説明していくことにとどまります。全組合員を対象に改まった説明の場を持つ訳ではありませんので、説明を聞くことを断われるのかどうかではなく、その組合ニュース等に目を通していただくかどうかという関係性に過ぎません。

私自身、署名を断わっても組合に留まっていただけることが何よりも優先すべき点だろうと考えています。逆に署名活動を拒むため、組合を脱退する動きが強まるようであれば、それこそ組合組織にとってマイナスな話でしかありません。率直な受けとめ方として「安倍9条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名」に対し、タイトルを見ただけで拒絶反応を示される方が多いのかも知れません。

このような受けとめ方を踏まえ、下っ端さんからの問いかけに答える内容につなげていきます。おかげ様で当ブログを長く続けてきた中で、下っ端さんのような問題意識を持つ組合員も少なくないことを痛感できるようになっています。そのため、今回のような署名を大々的に取り組む場合、より慎重に、より丁寧に周知していかなければならないものと心がけるようになっています。

もしかすると、ここまで慎重になる組合のほうが少ないのかも知れません。加えて、私どもの組合執行部の中でも必ずしも私自身の問題意識に対する温度差が全員と一致している訳ではありません。「この署名は全力で取り組むことが当然」「委員長は少数の意見を過剰に意識しすぎ」というような見られ方があります。安全保障観を議論した場合、「広義の国防、安心供与の専守防衛」という考え方などは少し「右寄り」と言われてしまうこともあります。

下っ端さんは「このような署名への参加など、組合員に何の意味がありますか」と問いかけられています。しかし、自治労組合員の中には今回の署名を全力で取り組むことが「日本の平和のためにつながり、そのことが組合員のためにつながる」と考えている方々が多いこともご理解ください。組合役員に多いだけという反論もあろうかと思いますが、ある特定の個人の判断で取り組むような話ではありません。

今回のブログ記事の最後で、署名の取り組みを私どもの組合員の皆さんに呼びかけた文章をそのまま紹介しています。文責として私自身の名前を示した文章であり、そこに記したとおり私も「組合員のためにつながる」署名活動だと考えている一人だと言えます。念のため、自治労からの指令や要請だったとしても、絶対取り組むことができない、もしくは組合員にとってマイナスにつながるものと考えれば拒むつもりです。

そのように判断しない限り、取り組む優先順位や濃淡があったとしても自治労という産別に結集している責務は果たしていくべきものと考えています。下っ端さんは「組合は、何の権利があって、このような署名活動を組合員に求めてるんですか?」と問いかけられています。組合員一人ひとりの政治意識が多様化しているため、個々の意に反する活動に対して批判を受けてしまう場面も増えています。

それでも組合組織として一定の手順を踏んだ手続きのもとに運動方針を確立しています。私どもの組合も同様であり、自治労への産別加盟を決めていることをはじめ、毎年開く定期大会の中で「憲法の改悪に反対します」という運動方針などを確認しています。改悪かどうかという個々人の見方や意見が示されるかも知れませんが、望ましくない改憲の動きという前提に取り組まれている署名活動であるものと組合執行部は受けとめています。

このような背景や経緯のもとに今回の署名を取り組むかどうか、組合員の皆さんから信任を得ている組合役員が組合方針の範囲内の活動として執行委員会の中で判断しています。下っ端さんは「少数意見の尊重を徹底してください」と訴えられていますが、たいへん恐縮ながら月曜の職場委員会では署名を取り組むことの説明を中心とした議題としています。

組合員の皆さんに対して強制力の伴う案件だった場合、取り組むのかどうかという議決を求める必要性もあろうかと思います。しかし、おこさんの質問に対してお答えしたとおり実際に署名するかどうかは個々人の判断としています。このような説明自体、下っ端さんの問題意識から相当乖離しているものと推察できますが、現実的な対応からかけ離れた「答え」を示すことのほうが不誠実であり、そのまま説明すべき内容を明らかにさせていただいています。

安倍首相の発言と私どもの組合執行部の判断を対比されていたことにも少し説明を加えなければなりません。私ども組合執行部は基本方針の範囲内で判断していることは前述したとおりです。一方、安倍首相の場合、自民党総裁と首相の立場を使い分けているようですが、憲法99条の憲法尊重擁護義務の問題がいつも気になっています。自民党総裁の立場としても、それまでの改憲案や党内議論を唐突に転換する発言でした。そのため、私にとっては対比されてしまったこと自体、正直なところ不本意な思いがありました。

今回、匡樹さんとnagiさんのコメント内容に触れることはできませんでしたが、下っ端さんと匡樹さんの問題意識は大きく異なっていました。誤解されないように強調しなければなりませんが、少数意見は無視して良いなどと毛頭考えていません。繰り返し述べてきているとおり下っ端さんからのような率直なコメントに触れられることは本当に貴重であり、意義深いことだろうと考えています。だからこそ日常の組合活動の中でも「なぜ、取り組むのか」というアプローチを重視するようになっています。

たいへん長い記事になりつつありますが、もう少し書き進めさせていただきます。前回記事に書き残した内容です。ナチスドイツが「武力侵攻すれば占領は困難ではないが、こちらの損害も大きい。戦争を継続する消耗は避けられず、スイス侵攻は得られる成果が見合わない」と判断し、スイス国内には「平和」が広がっていたことを記していました。ここで付け加えるべき記述として、仮にスイスがドイツの敵対国だった場合、攻め込まれてスイス国民や国土は戦火に見舞われていたはずです。

中立国という立場は「広義の国防」の一つであり、侵攻されない限り軍事力は行使しないという「安心供与」がスイス国内の「平和」を守ったと言えます。その際、相手国を凌駕する軍事力がスイスにはありませんでしたが、個別的自衛権としての軍備も整えていたため、ナチスドイツ側の発言のとおり一定の抑止力が働いたようです。専守防衛を柱にした「安心供与」が日本国憲法の平和主義であり、私自身、必要最低限の自衛権の必要性とともにスイスと対比した日本の「特別さ」を感じ取る機会となっていました。

このような「特別さ」を本当に過去形にしてしまうのかどうか、今後の改憲の動きを注視していかなければなりません。私どもの組合員の皆さんに対し、明日月曜の職場委員会で「安倍9条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名」の取り組みを提起し、火曜以降に組合ニュースとともに署名用紙を配付します。ぜひ、取り組む趣旨等に賛同いただき、一人でも多くの方にご協力願えれば幸いです。ご協力いただけた際は2月28日までに組合事務所に届くようよろしくお願いします。

最後に、私どもの組合員の皆さんに示した署名を取り組む意義等を訴えた内容を紹介します。太字にしている端的な言葉は組合ニュースの裏面に掲げ、《補足として》以降は職場委員会資料に掲載しています。前述したとおり《補足として》の最後には文責者を明らかにしていますので、考えている主語は私自身となります。読み返してみると言葉や説明が不足し、思いだけが先走っているような箇所も目に付いています。ただ引き続き対応すべき課題であり、組合ニュース等ではもちろん、今後、このブログの中でも改憲の話は追記していくつもりです。

職場課題の改善を組合活動の大きな柱としています。その他にも皆が安心して平和に暮らせるよう自治労に結集し、政治的な活動にも可能な限り取り組んでいます。今回の署名もその一環として、組合員の皆さんに取り組む意義などをご理解いただきながら、できる限りのご協力をお願いするものです。安倍首相が「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べ、改憲への動きが急速に強まっています。

組合はその動きが望ましいものとは考えていません。憲法9条を変えなければ「ずっと平和が続く」という単純な考えではなく、個別的自衛権しか認めてこなかった平和主義は国際社会の中で誇るべき「特別さ」であり、日本のブランドイメージを高めていました。仮に集団的自衛権の行使を認めたままの改憲だった場合、その「特別さ」を外し、国際標準の「普通の国」になるかどうかの重大な選択であり、この動きに反対しています。

《補足として》

労働組合が政治課題に力点を置き過ぎて、職場課題がおろそかになるような主客逆転は絶対避けなければなりません。しかし、「組合員のため」を主目的とした組合活動も、職場内の閉じた活動だけでは結果としてその目的が達成できない恐れもあります。自分たちの職場だけ働きやすくても、社会全体が平和で豊かでなければ、暮らしやすい生活とは言えません。そのため、企業内の交渉だけでは到底解決できない社会的・政治的な問題に対し、多くの組合が集まって政府などへ大きな声を上げていくことも昔から重要な組合運動の領域となっています。このような背景があり、自治労や連合に結集し、組合は平和の課題や一定の政治的な活動にも取り組んでいます。

「憲法9条のおかげで日本は平和だ」「9条を守れば戦争は起きない」という言い方を耳にしますが、少し短絡的な表現だろうと思っています。憲法9条があったため、ベトナム戦争やイラク戦争などの際、直接戦闘に参加しない国であり続けられました。9条を守れば戦争が起きないのではなく、専守防衛という平和主義を守ることで、海外での戦争に関わる可能性の低い国であり続けられたことが事実だと言えます。そのため、憲法9条さえ守れば平和が維持できる訳ではなく、重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。

そもそも国際社会の中で戦争は原則禁止されています。集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は非常に問題であり、このままの自衛隊を憲法で追認することは国際社会で許された戦争を普通に行使できる国になることと同様だろうと考えています。さらに攻め込まれない限り、戦わないという専守防衛の考え方は「安心供与」という抑止力の一つでもあります。逆に軍事力による抑止効果を過度に期待した場合、際限のない軍拡競争に陥り、国家財政を圧迫していくことになります。

アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された当市出身の伊勢崎賢治さんは、平和国家である日本のイメージは良く、「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」と語られています。そして、このブランドイメージは余計な恨みを買わないため、狙われる可能性が減り、これまで日本人の安全面に寄与し、日本ならではの国際貢献の選択肢を広げていました。

確かに憲法9条があるからと言って、国際社会の中で戦火が消える訳ではありません。しかし、武力によって憎しみの連鎖は絶ち切れず、戦争やテロの抑止につながりません。改憲の動きが強まる中、このような論点があることをご理解いただき、あくまでも組合員の皆さん一人ひとりの判断として今回の署名に対応いただければ幸いです。よろしくお願いします。

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2018年1月14日 (日)

憲法を生かす全国統一署名

年末年始、のんびり読書できる時間が多く取れました。そのうちに読もうと思って買いだめしておいた書籍数冊を読み終えました。その中の一冊に『ヒトラーの試写室』があります。このブログで書籍を紹介する際、よくAmazonのサイトにリンクをはっています。特にアフリエイトしている訳ではなく、いつも検索すると真っ先に目に付くからでした。今回はKADOKAWAがトップだったため、そのサイトにリンクをはっています。

1935年、20歳の柴田彰は活動写真の俳優を夢見るが、大工の父親は猛反対し勘当されてしまった。家を飛び出しオーディションを受けるが箸にも棒にもかからずあえなく挫折。だが、人手不足だった日独合作映画「新しき土」の特殊撮影助手の仕事にありつく。主任の円谷英二の情熱に触れるうち彰も仕事にのめり込み映画は見事に完成。ベルリンにも運ばれ、映画で人心の掌握と扇動を狙っていたナチス宣伝大臣ゲッベルスの心に刻み込まれる。

日本は41年、ついに太平洋戦争に突入。軍部の要請から戦意高揚をねらった映画「ハワイ・マレー海戦」が製作されることになり彰も特殊撮影で参加。この作品もベルリンに運ばれ、丁度イギリスの権威を失墜させる為に映画「タイタニック」を製作したが、どうしてもクライマックスの沈没シーンが上手く撮影できないことを悩んでいたゲッベルスが目をつけ、彰がドイツに招聘されることになる。環境の違いから撮影は苦戦。日本に残した妻子を想う柴田だったが、ベルリンは戦火に……。意外すぎる歴史秘話に基づく、一気読みと感動必至の傑作エンタメ小説。

上記はリンク先のサイトに掲げられた内容紹介です。たいへん面白く、戦争やプロパガンダのあり方などをいろいろ考えさせられる小説でした。『ゴジラ』や『ウルトラマン』で有名な円谷英二監督をはじめ、実名の登場人物が多く、史実から発想されたという興味深いストーリーが展開されます。どこまでが史実で、どこからフィクションなのか、線引きに戸惑うほどリアルティを感じさせる物語だったと言えます。

「すでに80年近く昔の話とはいえ、ネット上に巧妙につくられたフェイクニュースが流布している現在、映像によるプロパガンダは古くて新しい問題だと言える。この物語が単なる歴史を題材にした小説に終わっていないのは、このテーマに今日性があるからだ。」 タカザワケンジ(書評家) (解説より)

「特撮の舞台裏を描くことで戦争の舞台裏を描く、その試みには明らかに「ポスト・トゥルース」に象徴される現代社会の潮流――信じたいものを信じるために、事実に目をつぶる――が反映されている。あるいは、先の大戦を語ることへの過剰な情熱、過剰なフォビア(恐怖症)が渦巻く日本の空気が、ありありと。この小説が2017年の今書かれたことには、意味がある。」吉田大助(ライター)(「本の旅人」2018年1月号より)

上記の文章もKADOKAWAのサイトに掲げられている書評です。なかなか興味深い切り口での話につなげられそうですが、今回のブログ記事はタイトルを「憲法を生かす全国統一署名」としています。したがって、『ヒトラーの試写室』に関しては、ある一場面を紹介するための長い前振りとして位置付け、そこから全国統一署名の話につなげていくつもりです。その一場面とは次のようなものでした。

ゲシュタポ幹部の「中立国のスイスのバーゼルで、ヨーロッパじゅうの記者を集め、会見をおこなう。敵国側の特派員も来る」というセリフがあり、「夕暮れの街並みはドイツによく似ているが、空襲を受けた痕跡はない。ドイツとフランスの国境に限りなく近い場所ときかされたが、中立国には平和がひろがっていた」と綴られていた一場面が目に留まっていました。

敗色濃厚となっていたナチスドイツがプロパガンダ工作のため、中立国であるスイスの地を利用した場面です。スイスは永世中立国として有名です。『ヒトラーの試写室』の中の記述に触れることで第2次世界大戦中、スイスがドイツからの侵略を免れていた事実関係に改めて思いを巡らす機会となっていました。中立国と言っても「我が国は中立政策をとります」と宣言するだけでは実効性が伴いません。

実際、第2世界大戦時に中立国のノルウェーとデンマークはドイツに侵略されました。その時のドイツ外相は「中立国のノルウェー、デンマークを英仏の侵攻から守るために保護占領を行なう」という声明を発していました。以後、中立宣言国に対する武力侵攻の際、洋の東西を問わず、このような詭弁が弄されるようなっていました。

第2次世界大戦中から現在もスイスは中立国を貫くため、軍備を整え、徴兵制が布かれています。大戦中、ドイツに比べればスイスの軍事力は弱小でした。しかしながら「武力侵攻すれば占領は困難ではないが、こちらの損害も大きい。戦争を継続する消耗は避けられず、スイス侵攻は得られる成果が見合わない」というドイツ側の判断が働き、『ヒトラーの試写室』に描かれているような「平和」がスイスには広がっていたようです。

さらに中立国のスイスのような存在は地域全体の利益にかなう場合があります。『ヒトラーの試写室』にあるとおり敵味方を問わない共同記者会見の場所に選ばれています。ただ第2次世界大戦中も中立を貫けたスイスを評価する見方がある一方、ドイツから逃れてきたユダヤ人に対して冷淡な態度を取ったことは批判されています。どちらの陣営にも協力しないという中立国の義務だったのかも知れませんが、人道上の批判は免れません。

中立国は戦争に巻き込まれない代わりに他国に守ってもらうこともできません。時には友好国を見捨てることや人道上の対応を充分発揮できず、国際的な批判を招く場合もあります。しかし、スイス国民がそのような中立政策を選択し、現在も支持しながら努力を重ねている「特別さ」を誇っている国家だと言えます。念のため、今回のブログ記事を通し、スイスのような中立国を日本もめざすべきという主張につなげるものではありません。

それぞれの国の歴史や現状を踏まえ、国柄や憲法が築かれているものと考えています。誇るべき「特別さ」があれば、そのことを効果的にアピールし、国民の利益や国際社会への貢献につなげていければ望ましいことです。スイスが永世中立国として有名であるのと同様、戦争放棄を謳った憲法を持つ日本も国際社会の中で異色な存在だったはずです。その「特別さ」を積極的にアピールすることよりも、残念ながら逆に「特別さ」を削ぐことに力を注ぐ現状から日本は国際標準の「普通の国」に見られていきがちです。

記事タイトル「憲法を生かす全国統一署名」の本題に入る前、前振りがたいへん長くなりました。このブログでは「憲法の話、インデックス」をはじめ、「改憲の動きに思うこと」「改憲の動きに思うこと Part2」など憲法を巡る記事を数多く投稿しています。安倍首相が政権に返り咲いた以降、改憲の動きが現実味を帯びていることも大きな理由の一つです。現在、このような情勢に危機意識を持っている方々や団体が結集し、「安倍9条改憲 NO!憲法を生かす全国統一署名」に取り組んでいます。

安倍9条改憲NO!全国市民アクション」が呼びかけ団体となり、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長あての請願署名です。署名用紙に記された内容と請願事項2点は下記のとおりです。ブックマークしているブログ「澤藤統一郎の憲法日記」の最新記事『自衛隊違憲論者も専守防衛論者も、ともに「アベ9条改憲NO!」』『「安倍9条改憲NO!3000万署名」推進スタート文京集会』に詳しく綴られていますが、安倍首相が企図している改憲に対して問題意識を持った方々が広く賛同できる署名となっています。

2017年5月3日、安倍晋三首相は突然、「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べました。この発言を受けて、改憲への動きが急速に強まっています。戦後70年以上にわたって、日本が海外で戦争をしてこなかった大きな力は憲法9条の存在と市民の粘り強い運動でした。いま、9条を変えたり、新たな文言を付け加えたりする必要は全くありません。私たちは、日本がふたたび海外で「戦争する国」になるのはゴメンです。私たちは、安倍首相らによる憲法9条などの改悪に反対し、日本国憲法の民主主義、基本的人権の尊重、平和主義の諸原則が生かされる政治を求めます。

  1. 憲法第9条を変えないでください。
  2. 憲法の平和・人権・民主主義が生かされる政治を実現してください。

自治労も「憲法を生かす全国統一署名」の取扱い団体となり、私どもの組合も取り組むことを執行委員会で確認しています。組合員の皆さんの政治意識の多様化を踏まえ、この署名活動を本格的に始める際は「なぜ、取り組むのか」「なぜ、安倍首相の進める改憲に反対するのか」という理由を丁寧に説明していく必要性も押さえていました。そのため、再来週に開催する職場委員会の中で、そのような説明を加えた上、組合ニュースで取り上げながら署名用紙を配付していく運びとしています。

その「なぜ」に対する私自身の「答え」は改憲に絡む以前の記事に綴っているとおり詳しく説明することができます。ただ組合員の皆さん全体に周知する際、長い文章よりも端的な言葉のほうが伝えやすいことも確かです。端的な言葉、今回の記事の中で改めて整理してみようと考えていましたが、たいへん長い記事になっていることもあり、もう少し熟考してみるつもりです。機会があれば次回以降のブログ記事を通し、組合員の皆さんに示した端的な言葉を紹介させていただきます。

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2018年1月 6日 (土)

多面的に見た時の明治維新

今年は明治維新から150年目となります。日曜夜から始まるNHKの大河ドラマは明治維新の立役者である西郷隆盛を主人公にした『西郷どん』です。西郷隆盛は坂本龍馬と並ぶ幕末志士として有名であり、数多くの小説やドラマに登場しています。二人とも傑出した人物として取り上げられ、明治維新そのものが肯定的な評価のもとに語られがちです。

明治維新があり、江戸幕府から新政府に変わったことによって近代化が進み、欧米列強からの植民地化を免れたという見方が一般的であるようです。下記に紹介するとおり安倍首相の年頭所感の中でも明治維新に対しての同様な意義を強調しています。今回の記事で明治維新に対する通説的な見方を真っ向から否定する意図はなく、あくまでも多面的に見た時、違った評価につながる一例として取り上げてみるつもりです。

安倍首相は1日付で2018年の年頭所感を発表した。首相は昨年10月の衆院選勝利に触れ、「本年は『実行の一年』だ。総選挙で約束した政策を一つ一つ実行に移していく」と強調。「2020年、さらにその先を見据えながら、新たな国づくりに向けて改革を力強く進めていく決意だ」と表明した。首相の自民党総裁2期目の任期は今年9月まで。総裁選3選と、東京五輪・パラリンピックが開催される20年までの改正憲法施行に重ねて意欲を示したものだ。

首相は年頭所感で「本年は明治維新から150年の節目の年」と紹介した上で、欧米列強による「植民地支配の波がアジアに押し寄せる国難」の中で始まった維新同様、「今また日本は少子高齢化という国難に直面している」と指摘。「未来は変えることができる」として、教育無償化を柱とする2兆円規模の政策パッケージなどの実現に取り組む考えを示した。安全保障・外交面では「毅然とした外交を展開し、いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしを守り抜く」と記し、核・ミサイル開発を進める北朝鮮問題などに万全の構えで臨む姿勢を強調した。【JIJI.COM2018年1月1日

このブログでは多面的という言葉を多用しています。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。

このような傾向があることを認識しているため、私自身、いわゆる左や右の主張を問わず、なるべく幅広い情報や考え方に接するように努めています。そのため、かなり前に『明治維新という過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』という文庫本を書店で目にした時、すぐレジに運んでいました。読み終えた後、多面的に見ることの興味深さの象徴的なものとして、明治維新について機会を見て取り上げてみようと思っていました。年が明け、ちょうど150年という節目に至り、さっそく今回の記事の題材としてみました。

そもそも安倍首相は長州に連なる山口県出身であり、それこそ明治維新を肯定的にとらえる側の筆頭だろうと見ています。一方で、不本意な「朝敵」にされた会津藩に連なる地方の皆さんは明治維新を否定的にとらえがちであることも耳にしていました。「勝てば官軍」という言葉がありますが、『明治維新という過ち』を読み終えた後、ますます正義は立場によって変動することに思いを巡らす機会となっていました。

維新150年、偽りの歴史を斬る。共感と論争の問題作、ついに文庫化!幕末動乱期ほど、いい加減な美談が歴史としてまかり通る時代はない。京都御所を砲撃し朝敵となった長州を筆頭に、暗殺者集団として日本を闇に陥れた薩長土肥。明治維新とは、日本を近代に導いた無条件の正義なのか?明治維新そのものに疑義を申し立て、この国の「近代」の歩みを徹底的に検証する刮目の書。

本書が訴える明治維新の過ちの数々― 悪意に満ちた勝者による官軍教育。 坂本龍馬「薩長同盟」仲介の嘘。 吉田松陰が導いた大東亜戦争への道。 「維新」至上主義、司馬史観の功罪。テロを正当化した「水戸学」の狂気。 二本松・会津での虐殺、非人道的行為。

上記は文庫本の背表紙やリンク先のサイトに掲げられている書籍の内容紹介です。端的な紹介文からどのような内容の書籍なのか、ある程度推測できるのではないでしょうか。著者の原田伊織さんは作家と歴史評論家という肩書で紹介されています。原田さんは『明治維新 司馬史観の過ち』『大西郷という虚像』『三流の維新 一流の江戸』など他にも明治維新に絡む通説を覆す内容の著書を多数発表しています。

今回のブログ記事は書評を目的としたものではありませんが、著作権やネタバレに注意しながら少しだけ書籍の中味も紹介していきます。原田さんは明治維新を単純に否定する立場ではなく、敗戦によって「昨日までは軍国主義、今日からは民主主義などと囃し立てて、大きく軸をぶらしただけに過ぎなかった」と記し、日本人が過去に遡って永い時間軸を引くという作業や「総括」をしていないことの問題意識を抱えられています。

この150年近く、誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、明治維新がなければ日本は植民地化されたはずだと信じこ込まされてきた。公教育がそのように教え込んできたのである。つまり、明治維新こそは歴史上、無条件に「正義」であり続けたのだ。果たして、そうなのか。明治維新の実相を知った上で、そのように確信したのか。

このような問題提起のもと様々な事例に切り込みながら明治維新に対する新たな見方を原田さんは解説しています。私たちが子どもの頃から教えられてきた幕末維新に関する歴史は「長州・薩摩の書いた歴史」であると言い切られています。その上で原田さんは「長州・薩摩が書かなかった」ことの実相を整理することで、歴史というものの正体や恐ろしさを知ることができると語っています。

もし、己の政治信条や政治的欲求を実現するためにはテロもやむなしという立場を肯定するならば、吉田松陰一派を内輪だけで「志士」と呼んで英雄視するのもいいだろう。しかし、私は、テロリズムは絶対容認しない。テロを容認しないことが、当時も今も正義の一つであると信じている。従って、彼らを「志士」と評価することなどあり得ようはずがなく、テロリストはどこまでもテロリストに過ぎないのだ。

この点については私も同感です。さらに原田さんは維新の精神的支柱となった偉大な思想家としての吉田松陰像自体が捏造であると記しています。有名な松下村塾は陽明学者の玉木文之進の私塾で、吉田松陰が主宰していたという事実は存在しないと述べています。偉大な思想家は虚像だったと説く一方、吉田松陰が朝鮮、満州、台湾、フィリピンなどを領有すべきという外交思想を持ち、軍国日本の侵略史を後押ししたという見方を原田さんは示されていました。

冒頭に記したとおり明治維新に対する通説を真っ向から否定する意図はありません。したがって、原田さんの見解を鵜呑みにしている訳でもありません。あくまでも見る位置や角度を変えると物事に対する評価が大きく変動する象徴的な一例として紹介しています。いずれにしても『明治維新という過ち』を読み進める中で「なるほど」と思った点、「そうなのかな」と思った点が混在していました。

江戸期の日本社会が旧弊のみに支配された、貧窮した農民社会であったとしたのは、今にして思えばそれも官軍教育=薩長史観の言い方であった。単なる「西欧システム」を「近代社会」と表現し、古代より中世、中世より近代と、時の経過が「進歩」をもたらすと無条件に信じ込ませたのも薩長史観であった。

原田さんは世界史的に見ても人類にとっても類い稀な固有の特性を持つ「江戸システム」と称え、江戸時代の幕藩体制を高く評価されています。薩長が主導した軍事クーデターや内戦を経て成し遂げた「明治維新」がなければ、もっと違った姿の日本があり、そのほうが望ましい歴史を刻めたのではないか、そのような原田さんの問題意識が全編を通して伝わってきていました。

私たちは勘違いをしていないか。「新時代」「近代」と、時代が下ることがより「正義」に近づくことだと錯覚していないか。「近代」と「西欧文明」を、自分たちの「幸せ観」に照らして正しく見分けて位置づけているか。そして、「近代」は「近世」=江戸時代より文明度の高い時代だと誤解していないか。

今、私たちは、長州・薩摩政権の書いた歴史を物差しとして時間軸を引いている。そもそもこの物差しが狂っていることに、いい加減に気づくべきであろう。そのためには、幕末動乱以降の出来事をすべてそのまま、飾り立てなく隠すこともなく、正直にテーブルの上に並べてみるべきであろう。本書の願いは、その一点に尽きることを改めてお伝えして、ひとまず筆を擱きたい。

当初に考えていた以上に書籍からの引用文章が多くなってしまいました。最後の箇所は著者である原田さんが最も訴えたかった点であり、正しく伝えるためにも書籍に掲げられた文章をそのまま紹介しています。今回、明治維新から150年、いろいろな思いを巡らすための参考材料として「多面的な見方」をキーワードに書き進めてきました。最後に、人によって毛嫌いされてしまう『LITERA』では「安倍首相が年頭所感で“明治礼賛”」という記事を発信していました。あくまでも多面的な情報の一つとして紹介しますので興味を持たれた方はリンク先のサイトをご参照ください。

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2018年1月 1日 (月)

2018年、犬も歩けば

あけましておめでとうございます。kadomatsu

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであり、 せめてお正月ぐらいはイラストなどを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。2005年8月に「公務員のためいき」を開設してから739タイトル目となりますが、必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で52点の記事を投稿していました。

2015年1月にココログのアクセス解析の管理機能が大きく変わり、累計数が分からなくなっています。一時期に比べ、1日あたりのアクセス数は減っています。それでも週に1回の更新にも関わらず、毎日500件以上のアクセスがあります。これまで時々、いきなりアクセス数が急増する場合もありました。Yahoo!のトップページに 掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録となっています。

ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり多くの人たちにご訪問いただけることは正直嬉しいものです。特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。したがって、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることを願っているため、毎日、たくさんの方々にご訪問いただき、ブログを続けていく大きな励みとなっています。

一方で、たいへん恐縮ながら2012年の春頃から私自身はコメント欄から距離を置くようになっています。身の丈に合ったペースとして、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わっている現状です。そのことだけが理由ではないようですが、以前に比べるとお寄せいただくコメントの数も減っています。それでも記事内容によっては、貴重なコメントが多数寄せられる時も少なくありません。いずれにしても当ブログをご注目くださっている皆さんにいつも感謝しています。本当にありがとうございます。

さて、今年は戌(犬)年です。年賀状には【犬と言えば「犬も歩けば棒に当たる」という諺が有名です。本来は犬がうろつき歩いていると人に棒で叩かれるかも知れないというところから、でしゃばると災難にあうという意味でした。現在では「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという反対の意味で使われるようになっています。もちろん2018年、後者の意味での年になって欲しいものと願っています。】と書き添えていました。

思いがけない幸運、確かにジッとしていては呼び込むことができません。7億円の宝くじも買わない限り当たることはありません。万馬券も狙わない限り当たることはありません。例えが適当なのかどうか分かりませんが、何かアクションを起こさない限り幸運をつかむことは困難です。その際、棒に当たるようなリスクも生じるのでしょうが、ノーリスクでハイリターンは望めないという見方が一般的なのではないでしょうか。

一方で、昨年の年賀状バージョンの記事の中で綴ったとおり難しい問題を一気に解決できるような処方箋はなくても、「自分が持ってるものだけで」ベストを尽くすことの大切さも感じ取っています。つまりハイリターンをめざしすぎてリスクを高めていくことも控えなければなりません。いずれにしても「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」という言葉のような心構えを大事にしながらも地道な身の丈に合った努力を重ねていくことが欠かせないはずです。

組合の執行委員長としては、ますます大切な1年になろうかと思います。組合の財政は厳しく、役員の担い手不足が大きな課題となっています。ただ「定期大会を終えて、2016年秋」に綴ったとおり持続可能な組合組織に向け、組合活動全般を見直しながら「ピンチをチャンス」に変えられるよう引き続き努力していきます。そして、新たな発想で創意工夫した活動に心がけ、よりいっそう組合員の皆さんから信頼される組合活動に高める努力を尽くしたいものと考えています。

最後に、このブログも身の丈に合ったペースとして、実生活に過度な負担をかけないよう留意しながら引き続き週に1回、土曜か日曜の更新を基本としていきます。いつもお正月のみ少し変則な日程となっていましたが、次回の更新は普段通り来週の土曜か日曜に予定しています。きめ細かいコメント欄への対応がはかれずに恐縮ですが、一人でも多くの方にご覧いただければ誠に幸いなことだと思っています。ぜひ、これからもよろしくお願いします。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

         ☆新春特別付録☆ 「2017年ブログ記事回想記」 

Inu年賀状バージョンの恒例となっていますが、今回も2017年に投稿した記事をインデックス(索引)代わりに12点ほど並べてみました。改めて皆さんに紹介したい内容を中心に選び、いわゆる「ベスト」ではありません。したがって、12点の並びも投稿日順となっています。それぞれ紹介した記事本文へのリンクをはってありますので、のんびりご覧いただければ幸いです。

  1. 2017年、翼はいらない ⇒ 今回と同じ年賀状バージョンです。酉(鳥)年の年頭にAKB48の『翼はいらない』の歌詞の一部を紹介し、それぞれの置かれた環境の中で、背伸びせず、地道に努力することの大切さを記していました。やはり特別付録として「2016年ブログ記事回想記」も掲げました。
  2. 働き方改革の行方 ⇒ 電通社員が過労自殺した痛ましい事件を教訓化し、長時間労働見直しの機運は高まっています。もう一つの柱は非正規労働者の処遇改善ですが、「働き方」が「働かせ方」改革にならないように労働組合の責任と役割も重視されています。 
  3. 森友学園の問題から思うこと ⇒ この記事の冒頭で「大きな問題があるのか、ないのか、誰が真実を語っているのかどうか、事実関係が少しでも明らかになることを期待しています」と記していましたが、依然不明瞭な点が残されたままです。ちなみに森友学園の問題が注目を集め、今年の流行語大賞になった「忖度」という言葉をよく耳にするようになりました。   
  4. 節目の700回、今、思うこと ⇒ 訪問されている方々にとって何回目の記事だろうと関係ないことですが、節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えしていく機会としています。「相互リンク」等でご縁のあった多数のサイトが休止されている中、週1回の更新ペースを崩さずに継続できているのも毎回多くの皆さんに訪れていただけているからこそです。 
  5. 長島昭久さんが民進党を離党  ⇒ 私どもの組合も推薦していた衆院議員の長島さんが4月に民進党を離党しました。この後、7月の都議選から10月の衆院選にかけて民進党の枠組みは流動化していきました。「Part2」では組合ニュースに掲げた私自身の見解を紹介しています。 
  6. もう少し加計学園の話 ⇒  加計学園の問題を追及する野党や大きく取り上げるメディアが批判される場合もあります。その場合、どうも論点や問題意識がかみ合っていないように感じています。安倍首相に対しては「李下に冠を正さず」という姿勢が欠かせなかったはずですが、最も重要な論点は獣医学部の新設が妥当だったのかどうかであり、その決定過程が明瞭だったのかどうかだろうと考えています。  
  7. いわゆる「共謀罪」成立 ⇒  「テロ等準備罪、賛否の論点」「共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪」という記事も投稿していました。政府はテロ対策を前面に押し出せば法案が通しやすいと考えたはずです。可能な限りテロは未然に防ぐべきものであるため、共謀罪だと批判されないようなテロ対策に特化した法案であれば、もう少し賛同者は増えていたのではないでしょうか。 
  8. 20時完全退庁宣言 ⇒   5月末に私どもの市で「20時完全退庁宣言」がされた以降、よりいっそう時間外勤務のあり方が問われる局面を迎えています。組合からは本来、すべての職場で完全退庁できる職場体制を確立した後に宣言すべきものではないか、この宣言によって時間外勤務の未申請が増えないか、様々な懸念点を訴えました。最近の労使交渉の経過は「時間外勤務縮減の課題」という記事を通してお伝えしています。
  9. 平和への思い、自分史 ⇒   「自分史」という初めての試みを通し、私自身の平和への思いについて綴ってみました。幼少期から学生時代、市役所に入り、青年婦人部の幹事を引き受けた頃に考えていたことを振り返ってみました。「Part2」では組合役員を長く続ける中で、自分なりに変化があった点も紹介しています。 
  10. 再び、北朝鮮情勢から思うこと ⇒  北朝鮮情勢に絡む記事を数多く投稿した一年でした。一触即発な事態を避けるためには制裁一辺倒や強い言葉よりも、安心供与、広義の国防、ソフト・パワーを優先すべきという主張のもと北朝鮮情勢に絡む様々なタイトルの記事を綴ってきました。
  11. 衆院選が終わり、今、思うこと ⇒  小池都知事の「排除いたします」という言葉が選挙戦の潮目を変えたと言われていますが、単なる言葉の問題ではなかったものと思っています。希望の党の政策的な間口の狭さを明らかにし、安全保障面では基本的な立ち位置が自民党と変わらないことを表明した一連の顛末だったものと見ていました。一方で、安倍政権との明確な対立軸を打ち出している立憲民主党も間口は狭めない政党であって欲しいものと願っています。 
  12. 競輪労組の大きな成果 ⇒  労働組合の存在感や役割を充分発揮できた事例として、競輪労組の離職慰労金(退職金)廃止問題を取り上げました。労働者一人ひとりの力や声は小さくても、組合に結集することで大きな力や声につなげています。同様に一つの組合だけでは力が小さくても、多くの組合が集まって大きな力にしていくこともできます。このことを私自身、改めて感じ取る機会となっていました。

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2017年12月24日 (日)

2017年末、気ままに雑談放談

今年も残りわずかです。このブログは毎週1回、週末に更新しています。そのようなペースの中で年末年始だけは少し変則となり、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿してきました。そのため、今回が2017年最後の記事となります。その年の最後の記事は「年末の話、インデックスⅡ」があるとおり1年間を締め括るような内容を綴る時も少なくありません。

今回、そのような内容にあたっていくのかどうか分かりませんが、「2010年末、気ままに雑談放談」と同じようなタイトルを付け、雑多な話題を気の向くまま書き進めさせていただくつもりです。そもそも「雑談放談」はブログのサブタイトルに掲げています。「雑談」は様々なことを気楽に話し合うこと、「放談」は言いたいことを自由に語ること、このように電子辞書には記されています。

したがって、「雑談」の前に「気ままに」という言葉を置くのは余計なのかも知れませんが、語感や字句の並びから、あえて添えていました。このような調子で「気ままに」書き進めていきますので、お時間等が許される場合は「気ままに」お付き合いください。まず最近読み終えた『R帝国』という書籍について触れてみようと思います。

読売新聞の夕刊に連載されていた小説が書籍化されたものです。自宅に届けられる新聞は読売ですが、連載小説に目を通すことはないため、平積みされていた書店で見かけるまで『R帝国』のことは頭にありませんでした。書籍の帯に掲げられた「独裁政権の恐怖を描く驚愕の物語」という文章に興味が沸き、購入してから数日で読み終えていました。

トランプ政権の誕生あたりからアメリカでは、オーウェルの『一九八四年』が再評価され、その機運は日本にも飛び火した。不可視の絶対君主〈ビッグ・ブラザー〉による徹底された情報統制と史実の改竄は、今日の日本の言論空間をどこかほうふつさせる。フィクションの力でもって、読む者に危機感をもたらすのがディストピア小説だとすれば、『R帝国』もその流れを汲む近未来SFだ。

物語は島国の「R帝国」が開戦した日から始まる。絶対権力の「党」が支配するこの国では、国民は批判的な意見を表明するなり張り巡らされた集音装置により検挙され、しばしば謀反者は公開処刑される。人々は、高度な人工知能を搭載した「HP(エイチピー)」と呼ばれる端末から情報を得ており、その管理もまた「党」の得意とするところだ。

戦争には自衛という大義名分が必要だが、この戦争は何かがおかしい――。二人の男が、政府の欺瞞と真の目的に気づく。一人は会社員の矢崎。もう一人は形骸化した野党の幹部議員の秘書である栗原だ。それぞれ、女性兵士アルファ、秘密組織のサキと出会うことで、巨大な相手に無謀な戦いを挑むはめになる。

恐ろしいのは、二人の必死の奮闘をあざ笑うような「党」の余裕である。人々の行動原理や深層心理を知悉する彼らは、例えば人口の八割に及ぶ貧困層の不満が上でなく、最下層の移民に向くよう情報をコントロールする。団結ではなくあくまで分断へ。さらには薬物投与によってつらい過去の記憶を抹消した従順な市民としての第二の人生まで、提案してみせるのだ。矢崎は言う。「僕は自分のままで、……自分の信念のままで、大切な記憶を抱えながら生涯を終えます。それが僕の……プライドです」

果たして、不都合な過去や真実を隠蔽する見せかけ上の安寧は、国民をどこに先導するのか。大義よりも「半径5メートルの幸福」に固執し、「真実」から目をそらし続ける大衆、その集団的な認知バイアスこそが、悪夢的な全体主義をさらに後押しするのだと、読者は気づかされるだろう。最も手ごわい敵は、結局人間の本能に組み込まれた、恐怖心と暴力性なのだ。

本書はいわば、ヒーローなき戦争小説である。作中、『ルワンダ虐殺』や『沖縄戦』という架空の国の物語がネット上のバグとして現れるのだが、統治者の一人は「向こうの方が現実で、我々の方が現実じゃない可能性だってあるじゃないか」と言う。裏返せば、SFにみえる本書に現実が潜んでいるのかも。著者の警鐘にしばし耳を傾けられたし。【評者:江南亜美子(週刊文春 2017.10.05号掲載)

ネタバレ等には注意しなければなりませんので、リンクしたamazonのサイトに掲げられていたレビューをそのまま紹介しました。私自身、読み進めている途中、朝日や毎日、東京新聞でもなく、この内容の連載が読売新聞だったという点に不思議な気持ちを抱いていました。登場人物が「いざという時、お前たちの国は、個人を見捨てる傾向がある」と主人公の一人に訴えかける場面があります。

別な場面では架空の物語として『沖縄戦』が語られる場面があり、「通常、人類が目指す平和とは、自国民の命が戦争で死なない状態を指す。だが日本は自国民の命などはっきり言って関係なかった。目的は“勝つ”。それだけだった」と説明していました。読み進めれば進めるほど作者の歴史認識や問題意識がヒシヒシと伝わってきました。小説という媒体を使いながら現政権の思考傾向や政治手法などを直情的に批判している様子が窺えました。

作者の中村文則さんは「作家として覚悟を持って書いた」と語り、「政治や戦争など、かなり深く社会的な問題に切り込んでいますよね。今回このような内容で書こうと思ったのはどうしてですか?」と問われた際、中村さんは「それはやっぱり、現在が右傾化しているという危機感があるからです。フェイクニュースであるとか、メディアの委縮、ネット上の差別などがものすごく広がっているなかで、作家として何ができるだろうと考えて、こういう小説になりました」と答えています。

リンクをはった先のサイトに掲げられているインタビューの中で、中村さんは「実際、作家として小説に政治的なことを書いても何もメリットはない。もっとパーソナルなことの方が安全だし荒波も立たない」と述べながらも、「作家という職業をやっている以上、何も感じないのであればもちろんそのままでいいのですが、もし社会に危機を感じてしまったなら、それを書かなければ読者に対して誠実ではないのではないかと考えています」と答えられています。

さらに「歴史には、後戻りの効かなくなるノーリターンポイントがあり、そのポイントを過ぎると、もう何を言っても流れるように歴史が動き止められなくなる。言葉も、人の内面に届かなくなっていく。全体主義の空気はその性質上、後にあらゆる文化も抑圧するようになることは歴史が証明している。作家としては、そうなる前に抵抗することがむしろ自然だと思っています」と中村さんは語られていました。

このような危機意識自体を思い込みや妄想だと批判される方も多いはずです。実際、政権批判を暗喩した『R帝国』が平積みされ、『週刊金曜日』や『LITERA』など立場を鮮明にした言論空間があります。とは言え、マスメディアは政権の意向を忖度しがちな傾向があり、直接的な政権批判の言葉を発する出演者は敬遠されていきがちです。政治的な言葉を発しないほうが「荒波も立たない」という意味で、先週日曜夜に放送された『THE MANZAI 2017』に登場したウーマンラッシュアワー漫才が強烈なインパクトを与えていました。

漫才」にはったリンク先で実際の動画を視聴できますが、原発や沖縄の基地問題を漫才のネタにしたスピード感あふれる掛け合いは圧巻でした。アメリカと日本の関係では「現在アメリカといちばん仲がいい国は?」「日本」、「その仲がいい国は何をしてくれる?」「たくさんミサイルを買ってくれる」、「あとは?」「たくさん戦闘機を買ってくれる」、「あとは?」「たくさん軍艦を買ってくれる」、「それはもう仲がいい国ではなくて──」「都合のいい国!!!」というようなネタが展開されていきます。

最後は「現在日本が抱えている問題は?」「被災地の復興問題」、「あとは?」「原発問題」、「あとは?」「沖縄の基地問題」、「あとは?」「北朝鮮のミサイル問題」、「でも結局ニュースになっているのは?」「議員の暴言」、「あとは?」「議員の不倫」、「あとは?」「芸能人の不倫」、「それはほんとうに大事なニュースか?」「いや表面的な問題」、「でもなぜそれがニュースになる?」「数字が取れるから」、「なぜ数字が取れる?」「それを見たい人がたくさんいるから」、「だからほんとうに危機を感じないといけないのは?」「被災地の問題よりも」「原発問題よりも」「基地の問題よりも」「北朝鮮問題よりも」「国民の意識の低さ!!!」と結んでいます。

先ほど紹介した『LITERA』では「ウーマンラッシュアワーが『THE MANZAI』で怒涛の政治批判連発」という記事を投稿し、共産党の志位委員長も「凄い才能だ。笑いこそ、政治風刺の最大の武器だ」と絶賛していました。このような反応に対し、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんは冷静に自分自身の立ち位置を表明しています。「やっとこういう芸人が出てきた」「爆笑しながら泣きそうになった」「漫才じゃない」「漫才に政治観を出すな」など賛否両論が飛び交う中、取材を受けた村本さんは「ネタへの思い」を次のように語っています。

僕は沖縄の基地について、賛成も反対も言っていない。考えようと言っている。右も左もなく、自分のスタンスを持って、相手を尊重しつつ発言していけばいい。論破なんていう言葉は、議論が未成熟なこの国ならではの言葉。ビルって1人じゃつくれないじゃないですか。色んな人の力が合わさってビルができる。議論もそう。論破ってそれを壊すじゃないですか。ずっとビル建たないままですよ。正解だとか間違っているとか、ど~でもいいんです。僕はいつも自由に発言する。テレビがなくなっても、ラジオもネットもなくなっても、口と頭はあるわけですよ。誰にも制限されることはないですからね。言いたいことを言うだけですよ。それを伝えるのにエンターテインメントですよね。

大切なことは相手を尊重しつつ語り合うこと、本当にその通りだと思っています。唯一無二の正解は容易に見出せません。だからこそ偏らず、幅広い情報に接しながら皆で考えていくことが重要であるはずです。マイナーな場ですが、このブログもニッチな情報を提供する役割を引き続き負っていければと考えています。その上で私自身の主張も、あくまでも「答え」の一つに過ぎないことを自覚しながら当ブロクに向き合っていくつもりです。

最後に、この一年間、多くの皆さんに当ブログを訪れていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。なお、冒頭にも記しましたが、次回の更新は例年通り元旦を予定しています。ぜひ、お時間等が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは少し早いようですが、良いお年をお迎えください。

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2017年12月16日 (土)

競輪労組の大きな成果

かなり前に「減収に苦しむ公営競技事業」という記事を投稿していました。その記事の中で綴っているとおり私どもの市の競輪事業に従事する皆さんが労働組合に結集しています。同じ自治労に加盟しているため、競輪労働組合の皆さんとは日頃から交流や連携を深めています。その競輪労組がたいへん難しい課題に直面しましたが、最終的には大きな成果を得ることができています。

労働組合の存在感や役割を充分発揮できた事例として、今回、このブログの題材として取り上げさせていただきます。同じ自治労の仲間として私自身もお役に立てることができた取り組みでした。11月末に開かれた競輪労組の定期大会で来賓の一人として挨拶した際、冒頭に次のような言葉を添えていました。

労働者一人ひとりの力や声は小さくても、組合に結集することで大きな力や声につなげています。同様に一つの組合だけでは力が小さくても、多くの組合が集まって大きな力にしていくこともできます。その結集先が自治労であり、連合となっています。また、組合の力は組合員一人ひとりが結集しながら発揮していくものであり、組合役員だけで担うものではなく、担え切れるものでもありません。

今回の闘争で競輪労組執行部の皆さんはたいへん苦心されながら頑張られてきました。同時に対策委員会が立ち上がり、組合員全体で執行部を支え、組合員の皆さん一人ひとりの切実な思いを施行(使用者)側に届けられていたことが今回の大きな成果につながったはずです。たいへん難しい課題とは離職慰労金(退職金)廃止問題でした。

昨年7月、最高裁は「鳴門競艇従事員の離職選別金の補助金支出」について鳴門市敗訴の判決を言い渡しました。判決内容は「補助金の支出は臨時職員への退職金にあたるものであり、条例に定めない給与の支払いは地方自治法に抵触する」というものでした。この判決を受け、公営競技事業を施行している自治体において、条例に定めていない退職金や一時金の支払いを一方的に廃止する動きが強まっていました。

今年5月8日、私どもの市も離職慰労金等を廃止するという通知を競輪労組に示しました。競輪開催日だったため、従事員の皆さんへの衝撃は物凄く大きく、どこの建屋も騒然となったそうです。突然の一方的な通知に驚きと憤りが広がっていきました。長年、市職員と従事員が一丸となって競輪事業を支え、市財政にも多大な貢献を果たしてきたという自負がある皆さんですから、いきなり離職慰労金廃止と告げられても到底納得いくものではありません。

この情報は即日、競輪労組の委員長から私のもとに届けられました。鳴門競艇に絡む判決の影響があることは予想していましたが、最低限、いずれかの時点での一括精算で決着できるのだろうと見ていました。しかし、見通しが甘かったようであり、5月8日の通知はたいへん驚きました。ただ施行側がどのように考えているのか、そのあたりを探った上で、どのような手順で解決をめざすのが妥当なのか、まず私なりに情報を探ってみました。

すると施行側としては支給したいが、支給できないという立場であることをつかみました。そこで対決型の表だった闘争よりも静かに、しかし、組合員の切実な思いをぶつけながら、自治労としての情報を提供し、労使合意できる到達点をめざすべきものと考えました。この考えは当該の競輪労組の皆さんにはもちろん、自治労都本部にも伝え、「静かな闘争」が望ましいという共通認識に至っていました。

並行した取り組みとして、競輪労組内に対策委員会を設置し、組合執行部と職場組合員の皆さんが一致結束した態勢を築いていきました。このような動きは、いざとなればストライキも辞さず、自治労総力をあげた一大闘争に押し上げることのできる背景となり、施行側に何とかしなければならないという考え方に立たせる「静かな圧力」につながっていたはずです。

主体は競輪労組の皆さんですが、側面支援として私自身、できる限り市当局や施行側と接触をはかっていきました。交渉窓口の課長と情報交換する機会を持ち、法的な面がクリアできれば支給したいという最も重要な点を改めて確認しました。さらに同じ自治労の一員として、団体交渉に私や自治労都本部の担当者らがオブザーバーとして参加することを歓迎したいという意向も確認できました。

今回の取り組みにおいて、自治労組織内議員であり、私どもの組合が推薦している市議会議員(参考記事「市議選まであと1か月」)も大きな力を発揮しました。二人の副市長とは推薦市議とともに面談しました。競輪事業の開催執務委員長である副市長は慎重な姿勢を見せ、具体的な言及は避けがちでした。前任の開催執務委員長だったもう一人の副市長からは解決策として「条例化しかない」という考え方を早い段階で引き出すことができました。

別な機会に私が市長と話した際、市長としても論点をしっかり把握されていました。その上で仮に条例化した場合、他への影響を気にされていました。数多い非常勤職員への影響でしたが、私からは差し迫った問題として、これまで支給していた人たちの退職金(離職慰労金)をどうすべきなのかであり、いったんは他の非常勤職員の問題と切り分けて考えるべきと申し入れました。ちなみに私どもの市職員組合は今後の会計年度任用職員の制度化にあたり、嘱託組合員の皆さんらの待遇改善の好機にしていくことを方針化しています。

5月8日以降、競輪労組や自治労都本部から私のもとへ様々な関連情報が寄せられていく関係性となっていました。さらに対策委員のご家族の一人が市職員OBで、現在も親しくお付き合いさせていただいているため、そちらのルートからも素早い情報を得ることができていました。たいへん切実な問題である証しであり、競輪労組執行部にもお伝えした上で、ご家族からの情報も取り組みの参考にさせていただいていました。

条例化に向けた最大の検討事項として「日々雇用労働者への退職金支給」の是非が懸案課題とされていました。自治労顧問弁護士らとの相談を通し、日々雇用とは言え、登録制のまま雇用が繰り返されてきた実態であるため、地方公営企業法に基づく臨時職員として条例化ができるという認識に至っていました。このような自治労からの情報を受け、私から次のような文書を添えながら副市長や課長らに働きかけていきました。

すでにご相談させていただいている競輪労働組合の問題につきまして、自治労都本部を通し、自治労中央本部に解決案を照会していました。情報収集や顧問弁護士等とも協議した結果、モーターボート競走事業臨時従事員の給与等に関する条例を参考にできるという報告を受けています。自治労中央本部は争点が多く残る場合、関係省庁や組織内国会議員とも調整をはかる考えでした。

しかし、競輪事業と同じような雇用関係の臨時従事員が既に定められた条例のもとに退職手当等の支給を受けているため、そのような調整は不要と判断し、自治労都本部への報告に至っています。つきましては競輪労働組合とも調整の上、取り急ぎ私から市当局の関係者の皆様に情報提供する運びとさせていただきました。ぜひ、同封した他団体の資料を参考いただき、今回の問題解決に向けてご理解ご協力くださるようよろしくお願いします。

上記の情報を提供した際、施行側の反応として他団体の条例は「競艇ですよね」というコメントがありました。それに対し、私からはもともとの発端も「競艇ですよね」とコメントを返していました。この自治労からの情報が決め手になるのかどうか分からず、楽観視できないままオブザーバーとして参加する団体交渉の日を迎えました。6月12日のことでしたが、施行側から「条例化を検討」という回答を得られ、本当に安堵した瞬間を昨日のことのように思い出せます。

ただ実際に条例化されるまで「やはり静かに」が妥当であるものと考えました。競輪労組の成果を8月に開かれた自治労の全国大会で都本部が報告するという話もありましたが、条例化をはかるまで待ってもらいました。万が一、情報が全国に広まった結果、思いがけない動きが出てはいけないと危惧したからです。6月12日の時点で市長が条例化の必要性を判断していた訳ですが、条例化をはかった後は市としての判断となり、その重さが格段に異なるからでした。

9月に入り、競輪事業従事員の皆さんの退職手当等の支給を明記した条例案は推薦市議の尽力もあり、総務委員会、本会議、それぞれ全議員の賛成で可決されていきました。議会傍聴に訪れていた競輪労組の委員長と書記長が可決後、すぐ私の職場に足を運んでいただきました。二人の目に光る涙を見て、私自身の涙腺も緩んでいました。

総務委員会の質疑の中では、従事員一人ひとりの技能や技術、経験値が競輪事業の発展と市財政に貢献してきたという実績を評価し、この条例の必要性が説明されていました。まったくその通りであり、傍聴された従事員の皆さんがたいへん感激した質疑応答だったようです。いずれにしても今回の条例化は、全国の競輪事業としては初めての給与基準条例となっています。

競輪労組の大きな成果、前述したような支え合いが大きな力を発揮したものであり、私自身、改めて労働組合の必要性や役割を感じ取る機会となっていました。同時に自治労の情報網の活用や法的な解釈面での助言など、産別に結集していることで多大なバックアップを得られることの心強さも実感できました。このようなことを今回の闘争に関わった皆さん、きっと同じように感じられたはずです。

加えて、これまでの労使の信頼関係があったからこそ、施行側も従事員一人ひとりの切実な思いを受けとめ、「条例化」という大きな決断に踏み出していったものと考えています。条例化を果たした後、従事員の皆さんの前で施行側の部長が大きな動揺を与える通知を示したことについて率直に謝罪されたという話を耳にしています。長く公営競技事業部に携わっている部長としての正直な気持ちを表わした言葉だったのではないでしょうか。

そして、労働組合があったからこそ、このような大きな成果を勝ち取ることができたことも間違いありません。競輪労組の皆さん、本当にお疲れ様でした。一緒に取り組め、結果を出せたことを私自身にとっても素晴らしい成果として振り返ることができます。これからも同じ自治労の仲間として、より緊密な連携をはかれれば幸いです。最後に、今回の闘争を自治労都本部が機関紙で報告した際、その記事の結びに掲げられた言葉を紹介させていただきます。

条例化の実現には競輪労組の執行部の粘り強い交渉はもちろん、一人ひとりの組合員の訴えと奮闘、職場からの闘いが現場を動かし市を動かし結果に結びついたものである。まさに団結と「自治労のスケールメリット」を十分活用した条例化の実現であり闘いの勝利である。

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