2017年12月 9日 (土)

平和への思い、2017年冬

2週続けて「査定昇給を巡る労使協議」「時間外勤務縮減の課題」という私どもの組合の職場課題を題材にしたローカルな内容のブログ記事を投稿していました。もう1週、労使交渉に関連した記事内容で続けることも考えていました。ただ様々な意味で、今回は平和を題材にした内容とすべきタイミングだろうと考え直し、「平和への思い、2017年冬」という記事タイトルを付けて書き進めることにしています。

組合活動の大半は職場課題の解決に向け、携わる時間や労力を費やしています。そのような中で各種団体が催す平和を願う集会などに対し、組合ニュースを通しての宣伝や役員を中心にした当日の参加など、できる限りの取り組みに努めています。したがって、私自身も日程さえ合えば、それらの集会に極力参加するようにしています。

先週土曜夜は地元の「市民連合のつどい」があり、作家・美術評論家の窪島誠一郎さんとSEALDsで有名な市民運動家の菱山南帆子さんのお話を伺う機会を得ていました。木曜夜は「不戦を誓う三多摩集会」に参加し、映画『日本と原発』の河合弘之監督の最新作『日本と再生 光と風のギガワット作戦』を鑑賞できました。

原発でも化石燃料でもない自然エネルギーの可能性を伝える映画でした。1941年12月8日、太平洋戦争に突入した日です。毎年、12月8日前後に三多摩平和運動センターは「不戦を誓う集会」を催し、今年で37回目となっていました。最初、不戦を誓うことと自然エネルギーを推奨する映画が直結しない違和感を抱いていました。

ただ自然エネルギーが主力になれば国の規模を問わずエネルギー問題は自国内で解決できるようになります。これまで石油資源等を巡って戦争や紛争が起きがちであり、自然エネルギーの普及は戦争の火種をなくしていくという利点があることを映画の中で伝えていました。「なるほど」と思い、翌朝、司会を務めた私どもの組合の副委員長と話したところ主催者側としては純粋に素晴らしい映画だから取り上げていたとのことです。

確かに太陽光、風力、地熱などで発電している世界各地の風景が映し出され、実用面においても経済的にも自然エネルギーが重視され始めている現状を分かりやすく伝えてくれた映画でした。福島第一原発の重大事故を経験しながら自然エネルギー主体に舵を切れていない日本が世界の趨勢から取り残されている構図を浮き彫りにしています。もっと詳しくお伝えしたいところですが、今回の主題は「平和への思い」です。

「不戦を誓う集会」などに参加し、いくつか気になることがあります。まず憲法9条を変えさせない、憲法9条を守ることが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという言葉や論調の多さが気になっています。北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素があるけれど、憲法9条を守ることが必要、このような説明の少なさが気になっています。問題意識を共有化している参加者が圧倒多数を占めるため、そのような回りくどい説明は不要で単刀直入な言葉を訴えることで思いは通じ合えるのだろうと見ています。

しかし、その会場に足を運ばない、問題意識を共有化していない人たちにも届く言葉として「憲法9条を守る」だけでは不充分だろうと考えています。以前の記事「平和への思い、自分史 Part2」の中で綴った問題意識ですが、誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。

つまり安倍首相も決して戦争を肯定的にとらえている訳ではなく、どうしたら戦争を防げるのかという視点や立場から安保法制等を判断しているという見方を持てるようになっています。その上で、安倍首相らの判断が正しいのかどうかという思考に重きを置くようになっています。特に安倍首相の考え方や判断を支持されている多くの方々を意識するのであれば、安倍首相「批判ありき」の論調は控えるべきものと心がけています。

そして、自分自身の「答え」が正しいと確信できるのであれば、その「答え」からかけ離れた考え方や立場の方々にも届くような言葉や伝え方が重要だと認識するようになっています。このような点を意識し、乗り越える努力を尽くさなければ平和運動の広がりや発展は難しいように感じています。戦争に反対する勢力、戦争を肯定する勢力、単純な2項対立の構図ではとらえず、「いかに戦争を防ぐか」という具体策を提示しながら発信力を高めていくことが求められているはずです。

このような問題意識を数多くの記事を通して綴ってきています。改めて端的な言葉で語れば、守るべきものは日本国憲法の平和主義であり、個別的自衛権しか認めないという「特別さ」です。この「特別さ」を維持することで「平和主義の効用」があり、「広義の国防、安心供与の専守防衛」につながっているものと考えています。詳しい説明はリンク先の記事をご覧いただければ幸いですが、憲法9条の条文を一字一句変えなければ日本の平和は維持できるという発想ではありません。

少しだけ具体的な事例を示してみます。「何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか」という記事の中で掲げた事例です。かつて仮想敵国としたソ連、現在のロシアとは友好的な関係を築きつつあります。冷戦が終わったからという見方もありますが、北方領土の問題は無人島である尖閣諸島とは比べられないほどの主権や元島民の皆さんの強い思いがありながらも、対話を土台にした外交関係を築いています。

核兵器の保有で言えばロシア、中国、NPT(核拡散防止条約)未加盟のインドとも対話することができています。対話できる関係、つまり今のところ敵対関係ではないため、核兵器による切迫した脅威を感じるようなことがありません。このような対話をできる関係を築くことがお互いの「安心供与」であり、「広義の国防」につがっていると言えます。念のため、だから北朝鮮の核兵器保有も容認すべきと訴えている訳ではありません。

そのあたりは「再び、北朝鮮情勢から思うこと Part2」の中で詳述していますが、圧力だけ強めていけば戦争を誘発するリスクは高まっていきます。そのようなリスクは最優先で排除すべきものであり、ミサイルを実戦使用させないためには効果的な圧力と対話の模索が欠かせないはずです。このような問題意識を強めているため、『米国務長官提案の「国連軍対話」に日本は拒否 対北圧力に「有害無益だ」』という報道に接すると本当に残念で悲しくなります。

「特別さ」を誇るべき平和憲法を持つ日本こそ、率先して平和的な外交努力での解決に汗をかくべき立場に徹するよう願っています。しかしながら安倍首相は安全保障を強い言葉で語ることが目立ち、「安心供与」とは真逆な標的になるリスクを高めているように危惧しています。ちなみに今回の記事のタイミングに「平和への思い」を選んだ大きな理由は、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの「首都」に認定したという報道に接したからです。この問題の論点はリンク先のサイト『エルサレム「首都認定」』に詳しく掲げられています。

よりいっそう中東情勢を緊迫化させ、テロや戦争の火種を投下したと言えるトランプ大統領の判断だったと批判しなければなりません。各国首脳が即座に非難する声明を出していながら、日本は河野外相が「評価」と「懸念」を表明しています。国際社会の中で、特に中東地域で定着していたはずの平和国家という日本のブランドイメージが、ますます失墜していくような歯切れの悪さです。最後に、言葉は激しいかも知れませんが、事実関係の紹介として下記の記事も紹介させていただきます。

トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの「首都」と認定し、世界中に衝撃が走っている問題。「深刻な懸念」(EUのモゲリーニ外交安全保障上級代表)、「決定は遺憾」(仏のマクロン大統領)、「支持しない」(独のメルケル首相)、「同意できない」(英のメイ首相)など、首脳らが次々と批判の声を上げている中、ひたすらダンマリを決め込んでいるのが日本の安倍首相だ。

安倍首相は北朝鮮が11月29日に新型ICBMを発射した際、すぐに抗議声明を発表。〈国連安保理決議の完全な履行等を全ての国連加盟国に強く働きかけてまいります〉〈今月(12月)、我が国は安保理議長国に就任し、15日には北朝鮮問題に関する安保理閣僚級会合を主催します。このような行動を通じて、国際社会の取り組みを主導するとともに、我が国独自の措置の実施を徹底してまいります〉などと強気の姿勢を示していた。ところが今回はどうだ。

国連は、1980年の安保理決議(478)で、〈エルサレムの状況を変えるすべての行政的・法的措置は無効〉〈全ての国連加盟国に対し、エルサレムに大使館等外交使節を設置してはならない〉との内容を採択している。言うまでもなく、トランプの首都認定は明確な安保理決議違反だ。北のミサイル発射の時と同様、すぐに「国連安保理決議の完全な履行等を全ての国連加盟国に強く働きかけてまいります」「国際社会の取り組みを主導するとともに、米国に対して我が国独自の措置の実施を徹底してまいります」と発信するべきだ。

しかも、日本は安保理議長国ではないか。確か安倍首相の安全保障の基本理念は〈国際協調主義に基づく積極的平和主義〉だったはずだが、米国だけは例外ということなのか。デタラメ過ぎるのもホドがあるだろう。米国と一緒に日本がアラブ諸国から総スカンを食らうのは時間の問題。安倍首相が首相である限り、戦争に引きずり込まれる可能性は高まるばかりだ。【日刊ゲンダイ2017年12月9日

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2017年12月 3日 (日)

時間外勤務縮減の課題

1+1=2、誰が考えても正解は2となります。しかし、このように正解を簡単に見出せない事象が世の中には数多くあります。個々人が正しいと考えている「答え」は持っていても、その「答え」が必ずしも正解とは限りません。さらに見る位置や触れる情報によって、個々人の導き出す「答え」が変動する場合も少なくありません。

だからこそ、より望ましく、正解に近い「答え」を得るためには日頃から幅広く、多面的な情報に触れていくことが重要です。まして誤った情報や思い違いで判断していった場合、ますます正解から遠ざかっていくことになります。同時に正しい事実関係の把握、ファクトチェックの大切さも言うまでもありません。

また、判断を誤らないようにするため、仕組みを整えていくことも求められています。以前の記事「ヒューマンエラーの防ぎ方」の中で日常業務におけるダブルチェックの話を綴っていました。視点を変えて確認する、複数の目で点検する、手間はかかりますが、エラーを未然に防ぐための仕事の進め方だろうと思っています。

政治の場面でも多面的なチェックが欠かせません。政府与党が正しいと考えた「答え」、つまり法案や政策が本当に望ましいものなのか、問題がないのか、視点や立場を変えた国会での議論が重視されなければなりません。しかしながら国会では与党の議席が圧倒多数を占め、大胆な修正や仕切り直しを拒んだまま重要法案を最後は多数決という現況が目立っています。

多面的なチェックの重要性で言えば、労使交渉も同様です。使用者側の「答え」と労働者側の「答え」が相反する場合も少なくありません。立場や視点が異なる者同士、対等な立場で率直な議論を重ね、協議事項を多面的に検証することで問題点を改める機会につなげられます。使用者側の目線だけでは見落としがちとなる点、もしくは働く側にとってアンフェアな提案に対し、労使交渉という手順を踏むことで、より望ましい修正や改善がはかれるようになります。

前回記事は「査定昇給を巡る労使協議」でした。こちらの案件は11月29日夜に団体交渉を開き、基本合意を果たすことができました。労使協議の最終盤、市当局側が組合の主張を受けとめ、評価規準の見直しをはかりました。それらの見直しに至った判断は、組合側の主張に一定の合理性や説得力があったからです。より望ましい人事評価制度を確立するため、前述したとおりの多面的なチェック機能が働いた成果だろうと思っています。

前々回記事の冒頭で紹介していましたが、査定昇給の取扱いとともに時間外勤務縮減の課題が労使協議における継続案件となっています。5月末の「20時完全退庁宣言」を受け、組合は6月に「時間外勤務縮減に関する要求書」を提出していました。ちなみに当ブログでは昨年10月の「電通社員が過労自殺」以降、「働き方改革の行方」や「36協定について」など長時間労働に関する記事を投稿しています。

職員の健康を害する恐れのある長時間労働は解消しなければならず、時間外勤務を縮減していくという基本的な考え方は労使で共通しています。その上で、組合としては時間外勤務「縮減ありき」が先走りしてしまうことを懸念しています。残業しなければ対応できないほどの業務量を抱えながら、管理職から時間外勤務を容認しない圧力が加われば責任感の強い職員ほど心を痛めてしまう恐れもあります。

時間外勤務縮減の課題に関し、11月16日に開いた団体交渉の中で組合側の問題意識を強く訴えていました。現在、市側が「職員の時間外勤務に関する指針(案)」の策定作業を進めています。指針案では部課長の責務として年間又は月間の組織目標を立てることなどが掲げられ、時間外勤務縮減の取組状況を人事評価への反映を検討するような記述もあります。

内部会議のあり方や調査依頼の簡略化など業務量自体を減らす具体案も掲げられています。それでも全体を通して仕事のあり方や総量に大きな変化がないまま時間外勤務「縮減ありき」を強いられていくような指針案であることを組合は危惧しています。このような危惧を率直に訴え、11月16日の団体交渉で議論した結果、指針案の取扱いを次のとおり確認していました。

  • 労働条件に関わる事項は労使協議し、労使合意がなければ一方的に実施しない。
  • 内容や表現についても組合からの意見を取り入れた上、必要に応じて修正をはかる。

今後、指針案の内容に関して協議していくとともに、誰もが「20時に完全退庁できる」職場体制の確立をめざし、必要な部署に必要な人員配置を求めた人員確保・職場改善要求の取り組みに組合は力を注いでいきます。その中で、早急に年間360時間超の時間外勤務を強いられている職員が一人もいなくなることをめざしています。総論的な流れは以上のとおりですが、各論となる時差出勤とフレックスタイム制について少し触れてみます。

東京都は11日、ラッシュ時間帯の混雑を緩和し満員電車を解消するため、計約260の企業や自治体などが時差出勤に集中的に取り組む「時差Biz(ビズ)」のキャンペーンを始めた。期間は25日まで。早朝に臨時電車が運行されるほか、時差出勤した人への特典もある。満員電車の解消は、小池百合子知事が昨年夏の知事選で掲げた公約の一つ。環境相時代に仕掛けた夏の軽装「クールビズ」にちなんで名付けた。

3年後に迫った東京五輪・パラリンピックの期間中、都心の混雑を緩和する狙いもあり、来年度以降も実施予定という。東急電鉄は田園都市線(渋谷―中央林間)で平日午前6時台に臨時特急「時差Bizライナー」を21日まで運転。東京メトロも午前6時台に増発する。都営地下鉄では平日、早朝やラッシュ後の時間帯に都庁前駅などで専用端末にIC定期券をかざすと、ポイントが付与され、抽選で景品が当たる。参加企業や自治体はフレックスタイム制や、出勤せずに自宅などで働くテレワークを推進する。【日本経済新聞2017年7月11日

上記報道のとおり小池都知事が推奨する「時差Biz」、つまり時差出勤は主に満員電車解消のために打ち出されています。私どもの市では紹介した「職員の時間外勤務に関する指針(案)」の中に時差勤務制度のことが盛り込まれ、時間外勤務縮減策の一つとして検討しています。導入する目的は「柔軟な勤務時間の設定を可能とすることにより時間外勤務の縮減を図り、職員の健康を保持してワーク・ライフ・バランスを推進する」としています。

所定の勤務時間外に会議、住民説明会、工事立ち合い、作業、啓発活動等の業務がある場合、所属長の許可を得た上で時差勤務できるような制度案が想定されています。恒常的な業務に対応したものではなく、あくまでも臨時的な業務に当たる際、時差勤務を利用できるような制度を検討しています。実施に移す際は上記の確認のとおり労使協議した上、労使合意を前提としているため、組合執行部内での議論を始めています。

やはり業務の総量自体が多い職場では、なかなか時差勤務制度は利用できないのだろうと見ています。それにも関わらず、時間外勤務「縮減ありき」で時差勤務しなければならないような雰囲気が強まってしまうと、ますます密度の濃い仕事に追われることになります。時差勤務したため、職場で手が回らない仕事を自宅に持ち帰るようなサービス残業につながる恐れもあります。

また、仕事量からすれば時差勤務制度を利用しやすい職場でも、時間外勤務手当を減らすことが主目的となり、強要されていくことも望ましい話ではありません。夜に会議を控え、午前中はゆっくり休みたい場合、有給休暇を取得すれば済む話です。このような点を危惧する意見が執行委員会の中では示されていますが、市当局側の案は「本人の申出によって利用できる」という選択制を基本に考えているようです。

あくまでも利用するかどうかは本人の選択とし、時差勤務を一律に強要されないのであれば特に問題ないという見方ができます。有給休暇の残日数の少ない職員にとっては選択の幅が広がったと肯定的にとらえることもできます。ただ執行委員会の中では「建前はそうでも…」という慎重な意見も示されています。いずれにしても今後、職場委員会を通して組合員の皆さんに時差勤務制度実施の是非を諮っていくことになります。

続いて、フレックスタイム制についてです。駅前にある窓口サービスセンターをはじめ、図書館や保育園では早番や遅番などのローテーションによる変則的な勤務時間の職場となっています。職員それぞれの出勤時間や退勤時間が異なるという点ではフレックスタイム制に近いものがあります。しかし、フレックスタイム制はコアタイム(必ず勤務しなければいけない時間帯)以外、出勤時間や退勤時間を本人の自由意思で決めることができるため、あらかじめ出退勤の時間が定められている当番職場とは大きく異なります。

なお、私どもの市でフレックスタイム制の導入が検討されている訳ではありません。時差勤務制度の話が取り上げられた際、子育て世代を中心にフレックスタイム制の導入が切望されているという声を耳にしたため、フレックスタイム制のメリット・デメリットを調べてみました。リンク先の内容を紹介しますが、フレックスタイム制は従業員個々の自主性に委ねる部分が大きく、以下のようなメリット・デメリットが考えられます。

《メリット》
・勤務時間をずらすことで、通勤ラッシュを避けることができる。
・個人が効率的に時間配分を行なうことで、残業の軽減につながる。
・働き方に自由性があるため、優秀な人材の採用や定着の向上につながる。
・節電対策の一つとして利用できる。

《デメリット》
・取引会社や他部門との連携を行なうときに、時間の設定が難しくなるため、現実には導入できる職種が限られやすい。
・自己管理ができない従業員が多い場合は、フレックスタイム制は時間に対してルーズさが許されるものと勘違いされやすい。


勤務時間帯そのものが窓口や電話を受け付ける時間帯という職場が大半であり、市役所の業務の中でフレックスタイム制を取り入れられる職場は極めて限られるものと見ています。上記のデメリット以外に導入した職場とそれ以外の職場間での不公平感も指摘されています。「フレックスタイム制が好評なのに廃止へ向かう理由」というサイトでは、メンバーの出社時間がまちまちであるため、「チーム全体の会議の設定さえ調整が困難。チームをまとめることが簡単ではない」という難点が掲げられています。

さらに「近年では様々なコミュニケーションツールが普及して便利になっているとはいえ、やはり顔を見ながら業務を行ったり、意見交換することが重要なのは変わりありません。顔を見合わせチームワークで動くことによって新たなアイデアが生まれたり、お互いへの信頼感が芽生えるからです。もしチームワークが必要な業務を個別で行っていたら、効率が落ちる可能性もあります」という声が紹介されていますが、私自身もフレックスタイム制の導入は組織としての一体感を損ねる懸念を抱いています。

子育て世代に対するフォローとして考えるのであれば、育児時間や子どもの看護休暇の拡充の検討などを先行させるべきなのではないでしょうか。もしくは子育て世代を対象としたフレックスタイム制の導入という方向性もあり得るのかも知れません。いずれにしても長時間労働を強いられる職場だった場合、フレックスタイム制や時差勤務制度があったとしても絵に描いた餅になるだけだろうと思っています。

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2017年11月26日 (日)

査定昇給を巡る労使協議

個人の責任で運営している個人的なブログとは言え、組合の公式ホームページの立ち上げが難しく、その代替的な役割をめざしたスタートであることを「秋、あれから10年2か月」などの記事を通して説明しています。そのため、組合の活動を身近に感じてもらうことも当ブログを開設した目的の一つでした。

ただ最近は前回記事「ファクトチェックの大切さ」の冒頭にも記したとおりブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していません。このような現状の説明が充分伝え切れていない場合、職場課題よりも政治的な活動に力を注いでいる組合であるような印象を与えていることになります。

このような点を踏まえ、今回、直近の職場課題として大詰めの労使協議を重ねている人事評価制度について取り上げます。これまで「人事評価の話、インデックス」があるとおり人事評価制度の問題を扱った記事は少なくありません。今回の記事では改めて人事評価制度を巡る労使協議の経緯や組合の考え方などを伝えた上、直近の状況を報告させていただきます。

これまでの経緯について

まず基本的な話ですが、労働組合は人事に関与できず、人事そのものは当局側の責任事項です。一方で、賃金水準に直結する人事や給与の制度面の問題は労使協議の対象としています。これまで組合は公務の中で個々人の業績評価は取り入れにくい点などを訴え、人事評価制度の導入に慎重な立場で労使協議に臨んできました。

組合は制度協議を進める上で「公平・ 公正性、透明性、客観性、納得性」の4原則、「労働組合の関与、苦情解決制度の構築」という2要件の確保を方針化しています。このような方針を踏まえ、組合員から懸念される声を受けとめながら労使協議を精力的に重ねてきました。評価結果に基づく処遇への反映が大きければ大きいほど、よりいっそう働く意欲が高まるという考え方もあります。一方で、人事評価制度の導入によって、多くの職員の士気を低下させるようであれば本末転倒な話です。

万が一、評価を気にし、上司に対して言うべきことを控えるような職場の雰囲気につながることも論外です。一人ひとりのやる気を高め、組織そのものが活性化するような制度の構築をめざしていかなければなりません。人事評価制度はベストと言い切れるものを簡単に見出せません。いろいろ試行錯誤を繰り返しながらベターな選択を模索していくことになります。最も重要な点は、どのような役職や職種の職員も職務に対する誇りと責任を自覚でき、常にモチベーションを高めていけるような人事評価制度が欠かないものと考えています。

このような考え方のもとに試行を積み重ね、部長職から段階的に人事考課制度の本格実施の対象を広げてきました。そのような労使協議を重ねていた中、2014年の地方公務員法の一部改正に伴い、それまでの勤務評定に代わり、一般職員全員を対象に人事評価制度を実施することが義務付けられました。業績評価の結果を勤勉手当の成績率に反映し、能力評価の結果を査定昇給に反映させることが新たな人事評価制度の柱とされました。

労使協議の前提としてきた法的な位置付けが変わったため、2015年6月11日に団体交渉を開きました。その中で、人事評価制度の枠組み等については従来通り労使協議事項であることを改めて確認した上、2016年度からの実施に向けて労使協議に入ることを合意しました。合意した後、それまで試行してきた人事考課制度の検証や給与等への反映のあり方などを労使で協議を続けてきました。

労使協議を重ねた結果、2015年12月24日の団体交渉で、全職員を対象に2016年度から本格実施し、2016年度の結果を2017年度の勤勉手当に反映させることを合意しました。ちなみに現行制度では嘱託職員は特別職に位置付けられるため、人事評価制度の対象とされていません。なお、2018年度から査定昇給も実施したいという意向を人事当局側は強く示していました。それに対し、生涯賃金に直結する査定昇給は、より慎重に判断すべきという主張を組合側が強く訴え、査定昇給の実施時期は継続協議の扱いとしました。

2016年度から人事評価制度が本格的に実施され、今年6月の一時金(勤勉手当)の額に個々人の業績評価の結果が反映されました。現時点まで異議申し立てはありませんが、支給後に人事当局が実施したアンケートでは自分の評価結果に3割近くの職員が不満を持っていました。一方で、人事評価制度自体は容認する声が大半でした。しかし、あくまでも勤勉手当に反映させる制度に対するアンケート結果だと見込まれるため、今後の査定昇給の導入に関しては引き続き慎重な判断が求められていました。

労使協議における論点

以上のような経緯のもとに査定昇給の取扱いを判断していく局面を迎えていました。11月16日夜の団体交渉で査定昇給の取扱いに関し、労使それぞれの考え方をぶつけ合いました。その交渉の中で、すべてやり取りした訳ではありませんが、補足説明を加えながら労使協議における論点を整理してみます。

まず人事当局は「来年度から必ず査定昇給も実施しなければならない」と強く主張しています。地方公務員法第23条の3で「人事評価の結果に応じた措置を講じなければならない」と定められ、総務省の「地方公共団体における人事評価制度に関する研究会」の報告書で「人事評価制度を導入しながら昇給に反映せず、一律昇給を続けることは避けなければならない」と記されているからです。

それに対し、すでに業績評価を本格運用しているため、まったく人事評価制度を実施していない訳ではありません。さらに今後も査定昇給は不要だという立場であれば、法的な問題が問われる可能性もあります。急がなければならない理由として人事当局は、以前、住民が宝塚市を相手に「勤務評定を行なわず勤勉手当支給や普通昇給させたことは違法である」という訴訟を起こした事例をあげています。神戸地裁と大阪高裁で争われた結果、それぞれ住民側の訴えが棄却されています。

様々な判決の要点がありましたが、裁判所は「人事評価システムを段階的に導入しようとしており、将来、この人事評価の結果が勤勉手当や普通昇給に反映されることが期待できる状況であるといえること」という理由も示していました。急ぐべき理由としている裁判事例からも、このような見方ができることを組合は指摘し、より望ましい本格運用に向け、労使でしっかり協議していくことの必要性を訴えています。

組合は業績評価の目標に対する難易度の差などを疑問視していました。それでもアンケート結果等を踏まえ、業績評価を勤勉手当に反映させる制度の運用方法等の見直しは考えていません。査定昇給に関しては、本格運用が前提でなかった今年度の評価結果をもとに来年度から実施される場合の不合理さを懸念しています。しかしながら納得性の高い評価制度を労使合意できるのであれば来年度からの本格運用を受けて入れていく考えです。

査定昇給の本格運用にあたり、組合は人材育成面や組織として仕事を進めることを重視し、組合は職員間の過度な競争を助長しない仕組みが望ましいものと考えています。そのため、相対評価ではなく、絶対評価としていく点は合意しています。その上で、一人ひとりのやる気を損ねず、組織そのものを活性化させていくため、どのような制度が必要なのか、評価結果によって職員間に過剰な格差を生じさせる制度の是非などを問題提起しています。

現状は基本的に全員が年に1回4号給昇給しています。市職員として採用された時点で一定の能力評価は受けているという前提に今後もB評価(4号給昇給)を基本としていくことが望ましいものと考えています。そのため、組合からはC評価(3号給のみ昇給)以下を極めて例外的なものとするよう訴え、その運用のあり方を最終盤の大きな論点としています。

査定昇給の取扱いを巡って大詰めの局面を迎えている中、11月22日には労使協議会を開きました。昨年度実施している人事評価のうち特に能力評価の結果を分析した上、査定昇給の本格実施に向けた運用方法等について労使で意見を交わしています。週を越えて労使協議は継続し、11月末までの決着に向け、より望ましい実施のあり方を探っています。労使合意に至った場合、組合員の皆さんに対しては組合ニュースや職場委員会を通して詳細を報告していく予定です。

最後に、自治労の関係者以外、今回のような題材はあまり興味が沸かない内容だろうと思っています。それでも冒頭に記したとおり組合の活動を身近に感じてもらうことも目的にしているため、これからも職場課題に関する話も取り上げていくつもりです。1週間に1回のみ更新しているブログであるため、その割合が劇的に変化することはないものと考えていますが、ぜひ、引き続き多くの方々にご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2017年11月19日 (日)

ファクトチェック、その大切さ

先週木曜の夜、今年度の賃金・一時金を決める労使交渉がありました。東京都の労使交渉は週を越えた継続協議となっていましたが、私どもの自治体は都人勧の内容をもとに早期決着をはかることができました。同夜の交渉では他の継続案件である時間外勤務縮減の課題や査定昇給の取扱いを巡り、労使それぞれの主張を真っ向からぶつけ合いました。

このブログで取り上げる題材として政治的な話題が多くなっていますが、日常的な組合活動の中で政治的な活動の占める割合はわずかです。ブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していないことは機会あるごとにお伝えしてきています。今回、木曜夜の労使交渉を踏まえ、職場課題を中心にした記事内容の投稿も考えていました。

結局、記事タイトルを「ファクトチェック、その大切さ」としたとおり今回も職場課題から離れた題材で書き進めることにしています。まずファクトチェックという言葉をweblio辞書で調べると「文書や発言の中で述べられている事柄が事実かどうかを確認すること」とあり、事実として言及された情報をピックアップし、その内容が事実誤認や誇張などを含まない正しい情報であることを確認する人はファクトチェッカーと呼ばれていると記されています。

ファクトチェックの大切さは言うまでもないことです。改めて取り上げてみようと考えた切っかけは前回記事「定期大会を終えて、2017年秋」へのnagiさんからのコメントに対し、私から「一つの情報に対し、個々人それぞれの受けとめ方や評価があります。ただ当該の情報を正しく理解していなければ、単なる思い込みや先入観での評価や批判につながりかねません。そのような論点での新規記事に取りかかってみようと考えているところです」とお答えしていたからです。

ここ最近、大相撲の横綱日馬富士関が幕内貴ノ岩関に暴行を加えた問題が大きな注目を集めています。報道番組がトップニュースとして伝える時も目立ち、特別国会のことなどもっと大きく取り上げるべき話題があるのではないか、個人的にはそのように感じがちな過熱ぶりです。ファクト、事実として日馬富士関が貴ノ岩関に暴力を振るったことは間違いないようであり、そのこと自体、絶対容認できない行為となります。

しかし、この問題での情報は錯綜しています。ビール瓶で殴ったのか、素手だったのかどうかという暴行を加えた実際の場面に対する証言が異なっています。診断書の内容に関しても重傷説を打ち消すような情報が流れ始めています。日馬富士関が激怒する引き金となった貴ノ岩関のスマホ操作についても伝えられ方は一つでありません。日馬富士関が貴ノ岩関の生活態度を注意している最中にスマモを操作し始めた、貴ノ岩関の非礼さが際立つ情報です。

一方で、日馬富士関が注意している最中にスマモが鳴ったため、それを止めようとした瞬間に殴りかかられてしまった、貴ノ岩関に対する印象が随分変わる情報だろうと思っています。このように事実は一つでも伝え方によっても受け手の印象が変わっていきます。よく「印象操作」という言葉で批判されがちですが、以前の記事「マスコミの特性と難点」の中で綴ったとおり情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことも欠かせないように思っています。

特にSNSが普及した結果、ますます「自分の好みに合う情報だけを受け取り、自らの好みをひたすら強化させるようになる」と言われています。さらに「願望」という調味料を加えながら個々の情報を自らの立場や主張に都合の良いように解釈していく傾向が見られがちです。いわゆる左と右、それぞれの立場に関わらず見られがちな傾向ですが、もちろん個人差が大きい話だと受けとめています。

日頃から幅広く、多面的な情報に触れることを心がけ、ファクトチェックの大切さを認識されている方々も多数だろうと思っています。それでも私自身、そのように心がけていながら完璧に実践できているのかどうか断言できない弱さもあります。そのため、自戒をこめた今回の記事であることをご理解ご容赦いただければ幸いです。ちなみに「ファクトチェック、その大切さ」という記事を綴る切っかけとなったnagiさんのコメントの中で紹介された報道内容は次のようなものでした。

「スピーチをやめていただけないか」平和大使の演説に圧力かけた国、中国だった 外務省の公電には黒塗り 2014年以降、毎年8月のジュネーブ軍縮会議で核兵器廃絶を世界に訴えてきた日本の高校生平和大使の演説が今年は見送られた問題で、高校生にスピーチをさせないよう日本政府に圧力をかけていた国は中国だったことが16日、複数の政府関係者への取材で分かった。日本が第2次大戦の被害を強調することを嫌う中国側の思惑があるとみられる。政府関係者や本紙が情報公開請求で入手した外務省の公電によると、今年2~5月、昼食会などの場で、中国側が日本側に「スピーチをやめていただけないか」などと要請。「高校生を政府代表団に1日だけ含めるのは問題がある」などと指摘した。

中国の軍縮大使「異議申し立てもあり得る」と日本に反論 日本側は、被爆体験の継承を訴えて理解を求めたが、中国の軍縮大使が「会議規則違反の異議申し立てもあり得る」と反論した。中国側の主張に同調する国が出てくることへの懸念から、日本政府も見送りに応じたという。高校生平和大使は例年、日本政府が1日だけ政府代表団に登録する形で、軍縮会議本会議場でスピーチを認められてきたが、核兵器禁止条約が採択された翌月の今年はスピーチが見送られた。本紙の情報公開請求で、ある国の軍縮大使が圧力をかけていたことが判明したが、文書の国名は黒塗りされていた。

中国の思惑は? 「歴史を歪曲」日本の動きに反発 中国の習近平指導部は、戦後70年を迎えた2015年を中心に「反ファシズム・抗日戦争勝利70年キャンペーン」を国内外で展開。同年9月には、北京で大規模な軍事パレードを行った。同時に、日本が国際社会で原爆被害を訴える動きに対しては「戦争加害国としての歴史を歪曲するものだ」と反発してきた。同年5月に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議でも、日本は各国指導者らに広島、長崎の訪問を促す文言を最終文書に盛り込むことを提案したが、中国の強硬な抵抗で実現しなかった。国連総会が同年12月に核兵器禁止を呼び掛ける決議を採択した際も、決議案に当初、盛り込まれた被爆地広島や長崎の惨禍を伝える文言が中国の強い要請で削除された経緯がある。

高校生3人、現地のレセプションに参加 一方、今年8月のジュネーブ軍縮会議で高校生平和大使のスピーチが見送られた代替措置として、日本政府代表部が現地で開いたレセプションには中国の外交団も参加。高校生3人が各国外交官を前にスピーチし、少人数のグループに分かれて各国外交団と個別で意見交換する場も設けられた。

<ワードボックス>高校生平和大使とは? 核兵器廃絶を求める署名を集め、国連へ提出する高校生。1998年、長崎の2人が反核署名を携えて米ニューヨークの国連本部を訪ねたのが始まり。市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が毎春、被爆地の広島や長崎を中心に公募で選ぶ。2013年以降は外務省の「ユース非核特使」の委嘱を受け、14年からは夏に国連欧州本部(ジュネーブ)での軍縮会議本会議場で代表者がスピーチをしてきたが、今年は見送られた。代替措置として日本政府代表部主催のレセプションで、3人の高校生が各国外交官ら約60人を前にスピーチした。【西日本新聞2017年11月16日

上記の報道を紹介した後、nagiさんは「今年の夏に高校生平和大使の演説が見送られた問題で当時、話題になっていました。反安倍のリテラなどでは安倍政権を叩く記事を書いていましたが、実は中国が圧力をかけていたわけですね。さて、リテラやこの時に安倍政権を叩いた福島瑞穂氏はどのような反応をするのか注目したいですね。いつもどおり都合の悪いことはスルーか、それでもやはり安倍が悪いと言うのでしょうか。(笑)」とコメントしていました。

高校生平和大使の核廃絶演説中止の背後に安倍腹心の軍縮大使…集団的自衛権にも暗躍した防衛官僚が軍縮会議の代表者に スイスのジュネーブ軍縮会議で「高校生平和大使」による演説が見送られたことが波紋を広げている。高校生平和大使は、日本の高校生が国連に赴き、核兵器廃絶を訴える活動。1998年に始まり、近年では2014年から3年連続で核兵器廃絶の演説の機会が与えられ、ジュネーブ軍縮会議の本会議で高校生がスピーチを行っている。また、活動20年目にあたる今年は、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指すための署名が過去最高の21万4300筆も集まった。

8月17日には、高校生平和大使に参加する長崎県の高校生3人が田上富久長崎市長を表敬訪問。軍縮局幹部の前での演説を予定していた女子高生が「微力ながらも、世界に核兵器の廃絶を精いっぱい訴えてきたい」と抱負を語っていた(毎日新聞8月18日長崎版)。 ところが、その核廃絶の願いを届ける高校生の演説が、今年は不可解なことに、直前で白紙になってしまったのだ。

いったい何が起きたのか。当初、高校生平和大使は22日に国連へ決議文を提出し、軍縮会議の場でスピーチをする予定だったが、共同通信によれば、18日に急遽取りやめとなったことが判明。軍縮会議日本政府代表部は「今年は軍縮会議の議事上、適当でないと判断した」としている。一方、東京新聞は〈関係者によると、大使を派遣する市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が今年も軍縮会議での演説を打診したところ、外務省の担当部局である軍備管理軍縮課から「今回は難しい」と回答があった。明確な理由の説明はなかった〉と報じている。

つまり、日本政府側が高校生平和大使側に、説明もなくストップをかけたというのだ。20日付けの西日本新聞では、引率する元教師が取材に対し「正式に見送りを伝えられたわけではないので何とも言えない」とした上で、「政府が反対している核兵器禁止条約を平和大使が『推進すべきだ』と主張してしまうことを、外務省側が恐れたのではないか」と推測しているが、実際、そういうこととしか思えない。

対米従属の先兵だった元防衛官僚を軍縮大使にした安倍政権 周知の通り、日本は“唯一の被爆国”であるにもかかわらず、核保有国であるアメリカなどとともに、核兵器禁止条約に反対の姿勢をとり続け、交渉にすらも参加しなかった。今月7日の国連採択後も日本政府として「署名しない」と明言するなど、世界の潮流である核軍縮へ強固に反発している。

さらに安倍首相は、今年の広島と長崎での平和式典でも露骨な態度を見せた。松井一実広島市長が「日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求め、田上長崎市長が「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と強く批判したのを尻目に、安倍首相はあいさつで核兵器禁止条約に一切言及しなかったのだ。

そう考えてもやはり、今回の高校生平和大使の件では、政府側が強くプレッシャーをかけて、高校生による国連での核廃絶スピーチを阻止したと考えるのが自然だろう。さらに、このスピーチ取り止めには、軍縮会議日本政府代表部大使(軍縮大使)の人事が関係しているのではないか、ともいわれている。この軍縮大使というのはその名のとおり、ジュネーブ軍縮会議の日本政府代表なのだが、昨年12月の人事で、その責任者に安倍首相と近い防衛官僚の高見沢将林氏が就任していたのだ。軍縮大使に外交官ではなく、元防衛官僚が就任するのは異例中の異例。実際、ここ20年をみても、民間から起用された猪口邦子氏(現・自民党参議院議員)を除いて全員が外務省出身者だった。

しかも、高見沢氏は昨年の退官まで、一貫して日米安保畑を歩んだ元エリート防衛官僚で、第二次安倍政権では安全保障担当の内閣官房副長官補として官邸入りするなど、安倍首相の覚えがめでたい人物。集団的自衛権の行使容認を議論する首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の事務局を仕切り、2014年の閣議決定の際には高村正彦・自民党副総裁や横畠裕介・内閣法制局長官らとの「秘密会合」で政府案を練り上げたほか、日米安保体制=対米従属の固定化を目指す安倍政権の裏方をつとめてきた。

軍縮大使は民主党時代、米国に沖縄基地を県外移転しないよう提言していた その高見沢氏がいかに“日米安保の権化”であるかを示す、こんなエピソードもある。沖縄の基地負担減を目指した民主党政権が、米軍普天間基地の「県外移設」を掲げた際、当時、防衛政策局長だった高見沢氏が、2009年10月、当時のキャンベル米国務次官補に「(民主党の県外移設案に)あまり早期に柔軟性を見せるべきではない」と耳打ちしたことが、ウィキリークスが公表した米国の公電によって明らかになっている。また、1996年の辺野古代替施設建設の日米交渉時には、オスプレイの配備を念頭に置きながらも、地元側に明言しないよう米側と想定問答集を調整したとされるなど、高見沢氏は米側を慮る日本政府の方針を陰に陽に実行に移してきた。

こうした経緯を踏まえれば、安倍政権が高見沢氏を軍縮大使に異例の起用をしたのは、あきらかに核兵器禁止条約に反対する米側と歩調をあわせ、国連でのネゴシエーションや国内の世論調整を担わせるためだろう。今回の高校生平和大使の演説取りやめも、その延長線上にあると考えるべきだ。もっとも、高見沢氏による直接の指示があったかは現段階では不明だが、少なくとも、安倍政権のもとでは、市民が核兵器廃絶の思いを述べる機会さえ奪われてしまうことは間違いない。こんな政権が被爆国にふさわしいのか、わたしたちはいま一度よく考えるべきだろう。【LITERA2017年8月22日

たいへん長い記事になっていますが、リンクをはるだけでは不充分だと考え、当該の記事全文を掲げさせていただいています。上記のLITERA編集部が発信した記事内容はファクトと推論が織り交ざりながら安倍政権批判につなげています。推論の部分を断定調に記してはいませんが、やはり少しでも事実誤認があった場合、主張そのものの訴求力の低下は免れません。最近、この問題では元外務官僚の天木直人さんも圧力を加えた国がアメリカだと決め付けた批判記事をブログに掲げ、勘違いが分かった後に謝罪記事を投稿していました。

思い込みで他者を批判し、事実関係が誤りだった場合は率直に反省し、ファクトチェックの重要性を認識する機会につなげていかなければなりません。実は私自身、河野太郎外相のサイトを閲覧していたため、早い段階で高校生平和大使の核廃絶演説が見送られた理由を把握できていました。日本政府に対する「高校生を代表団として登録することに明確に反対する」という申し入れ、どの国からなのか分かりませんでしたが、日本政府の苦汁の判断だったことを知り得ていました。

最後に、河野外相の当該記事「後ろから鉄砲玉」も参考までに全文を紹介します。「エベレストの頂上をヘリコプターで一気に目指すのもありかもしれない。しかし、頂上付近にヘリコプターを着陸させるのは極めて非現実的だと思うならば、ベースキャンプから一歩一歩、着実に歩いて登るやり方もあるはずだ」という考え方など共感できる点がある一方、ファクトチェック、大丈夫かなと思える箇所があることも一言添えさせていただきます。

日本で脱原発を唱える者や団体には二種類ある。実際に脱原発を実現しようとして、一歩ずつでも前に進もうとするものと脱原発が実現するかどうかはどうでもよくて、脱原発を使って票や金、支持を集めようというものだ。現実に脱原発を実現しようとするものは、同じ方向を向いているものすべてでスクラムを組んで前に進もうとする。その一方で、脱原発を政治的に利用しようとするものにとっては、同じような主張をするものが邪魔になる。だから少しでも主張が違ったり、現実的に妥協しながらでも前に進もうとしたりするものを徹底的に批判する。

残念なことに核軍縮に関しても同じようなことが起きている。少しずつでも核軍縮を進めていくためにスクラムを組もうというものと、核軍縮を利用しようというものにやはり分かれる。その一つの典型が、ジュネーブ軍縮会議で日本の代表部がとった行動に対する後ろからの鉄砲玉だ。これまで日本政府は、高校生平和大使のうち一人を政府代表団として登録し、軍縮会議のなかで日本政府の代表としてスピーチをする機会を作ってきた。しかし、そうした日本政府の行いを快く思ってこなかった国もあった。

そしてとうとう今年、日本政府に対して、高校生を代表団として登録することに明確に反対するという申し入れが行われた。軍縮会議の運営は、コンセンサス、つまり参加国の全会一致で行われるため、もし、日本政府が高校生の登録を強行すれば、コンセンサスを与えないとまで主張してきた。

日本の代表部はやむを得ず、高校生平和大使の政府代表団としての登録をあきらめたが、それで終わりにはしなかった。日本の軍縮大使は、代表部で高校生平和大使のために夕食会を開き、そこに核兵器国、非核兵器国で核兵器禁止条約に賛成している国と反対している国など立場の違う国の代表を招いて、高校生から話をしてもらった後、双方向の議論を実現させたのだ。

昨年までは、平和大使の中から一人だけ代表団に登録をして会議でスピーチをするだけだったが、今回は高校生平和大使全員が各国代表と双方向の議論をすることができた。平和大使としてジュネーブを訪れた高校生にとっては、様々な考え方を聞き、考え、議論をする良い機会になったはずだ。そしてこういう事実を外務省並びにジュネーブの政府代表部でメディアに説明をした。その結果、何が起きただろうか。

例えば東京新聞は、8月23日付けの記事の中で、「高校生たちがスピーチで、禁止条約に触れることに危機感を覚えての対応ではないか」という第三者のコメントを引用している。それが事実でないことを東京新聞は知ってしまっているから、記者はそう書けないが、第三者が言ったコメントを載せるぶんには責任はないと考えたのだろうか。さらに「夕食会の場で話すのと議事録に残る会議でスピーチをするのとでは意味が全く違う」というやはり第三者のコメントまでわざわざ載せている。

参加した高校生全員が立場の違う各国の代表と双方向で議論できるのと、一人だけが会議で一方的にスピーチをするだけなのでは、参加した高校生にとって意味合いが大きく違うはずだが、それを正確に伝えていない。そして高校生のスピーチに反対した国がどこか、取材していればわかっているだろうはずだが、その国の政府に対する批判は一言もない。さらこの東京新聞の記事によれば、まるで核兵器禁止条約は素晴らしいが、「核保有国もそうでない国も巻き込んで着実にこの脅威を減らす方向へ歩んでいくことを考える」のはけしからんことでもあるかのようだ。

エベレストの頂上をヘリコプターで一気に目指すのもありかもしれない。しかし、頂上付近にヘリコプターを着陸させるのは極めて非現実的だと思うならば、ベースキャンプから一歩一歩、着実に歩いて登るやり方もあるはずだ。核軍縮をただ何かに利用しようというならば何を言おうが勝手だが、現実に核軍縮を進めるならば、同じ方向を向いている者同士、手を携えていかなければならない。後ろから鉄砲玉を撃つ必要はない。

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2017年11月11日 (土)

定期大会を終えて、2017年秋

記事タイトルに悩む時があります。今回、あまり悩まず安直に昨年の記事タイトルの「定期大会を終えて、2016年秋」を「2017年秋」に変えただけで書き進めることにしています。金曜の夜、私どもの組合の定期大会が開かれました。4年前の記事「定期大会の話、インデックスⅡ」の中で詳しく綴っていますが、組合員全員の出席を呼びかけるスタイルで続けています。

昨年の定期大会で特別議案「組合財政の確立に向けて」を確認し、この一年間、経常的な収入に見合った支出構造に近付ける努力を重ねています。定期大会の会場の見直しもその一つでした。組合員数は1156人です。組合員全員の出席を呼びかけているため、これまで千人以上収容できる市民会館の大ホールで催してきました。2階席は使用していませんでしたが、実際の出席者数に比べて大ホールは広すぎて、残念ながらガランとした雰囲気になりがちでした。

一人でも多くの出席を呼びかけながら300人も入らない会場で催した場合、初めから出席者をあまり集める気がないように思われてしまいます。このような点を考慮し、大ホールを定期大会の会場に定着させていました。しかしながら組合員数の減少に伴い、出席者数も漸減してきていました。そのため、今回から会場を1201席の大ホールから246席の小ホールに移すことを昨年の定期大会で決めていました。

今回、最終的な出席者数は168人でした。残念ながら「うれしい悲鳴」を上げることなく、背伸びしない身の丈に合った小ホールの収容規模に見合った出席者数だったと言えます。小ホールへの変更に合わせ、食事と出席記念品の配布をやめていました。そのため、出席者数の減少は想定しながら200人に届けば素晴らしいと考えていました。168人という数は大成功と喜べるものではありませんが、ことさら悲観するレベルのものでもありません。来年以降、出席者数の推移を見ながら会場規模の再検討をはじめ、代議員制への移行など定期大会のあり方そのものの検討は重ねていくことになります。

さて、定期大会冒頭の執行委員長挨拶ではそのような経緯も報告しながら例年通り簡潔な内容の挨拶に努めました。ちなみに人前で挨拶する機会が多いため、檀上で緊張するようなことはありません。原稿がなくても大丈夫ですが、いろいろ話を広げてしまい、割り当てられた5分という時間をオーバーしてしまう心配があるため、毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意しています。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介しています。今回の内容は下記のとおりでした。

まず初めに一言添えなければなりません。昨年の定期大会で確認したとおり今回の会場は市民会館の大ホールから小ホールに変更しています。出席記念品や食事も用意していません。それぞれ組合財政の厳しさから見直したものです。そのような中、今大会に足をお運びいただいている組合員の皆さんに厚くお礼申し上げます。

さて、10月の衆院選挙は内閣支持率が依然低迷していながら与党で3分の2の議席を得るという結果に至っています。野党の再編も非常に悩ましいものがあります。ただ政治情勢は流動化していますが、労働組合としては「組合員にとってどうなのか」という判断基準を最も重視し、今後の様々な課題に立ち向かっていかなければなりません。

政治の話から入ったため、少しだけ補足させていただきます。組合員の皆さんの中に組合は職場課題にだけ取り組み、政治活動は行なうべきではない、そのように思われている方がいらっしゃるかも知れません。言うまでもありませんが、組合の活動は「組合員のため」を主目的としています。

その目的の達成のため、歴史的にも国際的にも労働組合が一定の政治的な活動にも関与してきています。労使交渉だけでは解決できない社会的・政治的な課題に対し、多くの組合が集まり、平和や政治的な活動に取り組んでいる経緯があります。平和で暮らしやすい社会は組合員の皆さんをはじめ、誰もが願うことだろうと考えています。

ただ注意しなければならない点があります。組合員の皆さん一人ひとりの価値観や政治意識は多様化しています。そのため、組合から丁寧な情報発信に努め、諸課題に対する情勢認識や問題意識を一致させながら対処していかなければ、それこそ「組合員のため」の活動がマイナスに働きかねません。それぞれの課題に対し「なぜ、取り組むのか?」「なぜ、反対なのか?」という説明が常に必要なことだろうと考えています。

もちろん組合の最も大切な役割は労使交渉を担うことです。労働条件を決める場で労使は対等な立場となります。職員一人ひとりが組合に結集することで、一人ひとりの率直な思いや声を使用者側に届けられるようになります。このような大切な役割のもとに一年間、様々な活動を進めてきました。

扶養手当の見直し提案は、独自な子の額の上積みや激変緩和策を引き出しました。一時金役職加算の見直しは引き続き見送らせることができています。5月末の「20時完全退庁宣言」を受け、時間外勤務縮減に向けた課題がよりいっそう焦点化されています。組合はサービス残業解消を大前提とし、誰もが20時まで完全退庁でき、健康でいきいきと働き続けられる職場の確立をめざしています。

人事評価制度の労使協議では査定昇給の取扱いを巡って大詰めの局面を迎えています。会計年度任用職員の導入に際しては何としても嘱託組合員の待遇改善に向けた好機にしていかなければなりません。本日お配りした議案書の中にそのような経過の内容が詳しく掲げられていますので、ご一読いただければ幸いです。

このような職場課題に対峙できる労使交渉能力があるからこそ、私自身、組合役員を長く続ける中で「組合は必要」という思いを強めています。ただ残念ながら執行委員定数から大きく欠けた現況が続いています。さらに組合財政も非常に厳しく、引き続き組合活動のあり方を見直していくことになります。職場課題を解決できる交渉能力の維持を大前提とし、優先順位を判断しながら活動全般を見直す中で、組合役員の負担軽減も考慮していきます。

ハードとソフト両面から組合に対するイメージを転換させた上で「組合は必要」という認識が組合員全体で共有化され、この程度の負担であれば「良い経験にもなるし、執行委員を引き受けてみようか」という声が増えていくことを願っています。今年の選挙広報にも掲げたとおり持続可能な組合組織に向け、「ピンチをチャンス」に変えられるよういっそう努力していくつもりです。

まだまだお話したいこと、取り上げるべき大事な課題が数多くあります。それでも皆さんからの発言の時間を充分保障するためにも、挨拶は短めにさせていただきます。最後に、これからも常に「組合員にとってどうなのか」という判断基準を大事にし、組合運動の先頭に立ち、全力を尽くす決意です。それでは、ぜひ、最後まで参加いただき、あわびやいくらの詰め合わせなどを獲得するチャンスを持ち帰られるようよろしくお願いします。

新旧役員の挨拶の際、次のような私自身の問題意識を付け加えていました。組合が「組合員のため」に力を注ぐことは住民サービスの向上にもつながるものと考えています。仮に劣悪な労働条件や職場環境だった場合、職員が健康でいきいきと働き続けられず、良質な住民サービスの提供に支障が出るかも知れないという問題意識です。

もう一つは私どもの組合委員長だった市議会議員が来年6月の選挙に立候補しないことを表明されました。その市議は長島衆院議員に同調し、民進党を離党していました。このことを強く批判している組合役員もいます。冒頭の挨拶の中で示したとおり組合員一人ひとりの価値観や政治意識は多様化しています。そのため、批判の声が上がることは当たり前な話として受けとめています。

ただ違いは違いとして認め合いながら「組合員にとってどうなのか」という共有できる点を広げていく関係性が大切なことだろうと私自身は考えています。そのような意味合いで、政治的な立場が変わったからと言って、これまで私どもの組合と緊密な支持協力関係を築いてきた市議に対する感謝の気持ちが変わらないことを申し添えていました。

政治の場面に限らず、今こそ寛容さや多様性を認め合っていくことが求められているという問題意識を強調する機会につなげていました。さらに定期大会の場では久しぶりにブログ「公務員のためいき」のことも宣伝し、最新の記事で「いがみ合わないことの大切さ」を訴えていることを付け加えさせていただきました。

出席者からの発言として、保育士の方から「公立保育園の大切さ」のアピールがありました。今回は他に質疑もなく、すべて執行部提案は原案通り承認を得られました。定期大会が終わった後、今年も金曜の夜だったため、遅くまで飲み語り合ってしまいました。だからという訳ではありませんが、今週末の新規記事はいつもに比べれば簡潔な記事にまとめさせていただきました。最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、ご来賓やメッセージをお寄せくださった皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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2017年11月 4日 (土)

いがみ合わないことの大切さ、インデックス

このブログを長く続ける中で多用する言い回しがいくつかあります。「多面的な情報」という言葉などが代表的なものです。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。

クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。そして、より望ましい「答え」を見出すためにも、幅広く多面的な情報に触れていくことが欠かせません。他に「いがみ合わないことの大切さ」というものがあります。そのことを主題にした過去の記事がどれほどあったのか、人の記憶は当てにならないため、Googleの検索サイトで確認してみました。

すると思った以上に「いがみ合わないことの大切さ」という言葉をタイトルに付けた記事が並んでいました。そのため、久しぶりにインデックス記事に取りかかってみることにしました。このところインデックス記事は「非正規雇用の話、インデックスⅡ」を最後に半年以上投稿していません。次のような便利さを個人的には意識しているため、今回、今年3月以来のインデックス記事として書き進めてみます。

カテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べています。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めていました。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめてきました。

これまで投稿したインデックス記事は「平和の話、インデックス」「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「定期大会の話、インデックス」「年末の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックス」「春闘の話、インデックス」「コメント欄の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「憲法の話、インデックス」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」で、「いがみ合わないことの大切さ」に関わるバックナンバーは次のとおりです。 

「いがみ合わないことの大切さ」という言葉を使っていた訳ではありませんが、その主旨に関連し、頭に思い浮かんだバックナンバーが1番目と2番目の記事でした。前述したとおり人の記憶、と言うよりも私自身の記憶は当てにならないため、主旨に合致した内容は他にも多数あるのかも知れません。それでも今回のインデックス記事をまとめるにあたり、上記7点に絞ってみました。

ちなみに最後の記事にも「いがみ合わないことの大切さ」という言葉がタイトルに付いていません。今回の記事を投稿する切っかけとなったバックナンバーであり、そのあたりについては後ほど説明させていただきます。まず1番目の記事を選んだ訳は、チベット仏教の最高指導者と「国家元首」の顔を持つダライ・ラマ14世の姿勢や言葉を紹介していたためです。ダライ・ラマ14世は中国でオリンピックが開かれることに賛意を示し、チベットの独立問題に対しても現実的な提案を示し、次のような言葉を発していました。

怒りは、怒りによって克服することはできません。もし人があなたに怒りを示し、あなたも怒りでこたえたなら、最悪の結果となってしまいます。それとは逆に、あなたが怒りを抑えて、反対の態度―相手を思いやり、じっと耐え、寛容になる―を示すと、あなた自身穏やかでいられるばかりか、相手の怒りも徐々に収まっていくでしょう。

2番目の記事の内容は、ある程度タイトルから推察できるのではないでしょうか。この記事ではNHK大河ドラマ『八重の桜』の一場面を紹介していました。同志社大学の創立者として有名な新島襄学校長は「私がめざす学校は学問を教えるだけでなく、心を育てる学校です。自分を愛するように目の前にいる他者を愛すること」を教えたいという気持ちを涙を流しながら熊本バンドと呼ばれた生徒たちに訴えました。その際、新島学校長は「自分自身を愛するように、汝、隣人を愛せよ」という聖書の一文も添えていました。

「おのれのために他者を排除する者は断固として許さない。我が同志社は、いかなる生徒も決して辞めさせません。その信念がある限り、私が辞めることもありません。どうか、互いを裁くことなく、ともに学んでいきましょう」と呼びかけました。その記事の最後のほうで、次のような私自身の思いも付け加えていました。キリスト教が世界中に広く普及し、「汝、隣人を愛せよ」という教えも知れわたっているはずですが、残念ながら戦争がなくなる見通しは立っていません、という言葉です。

具体的な話から書き進めていますが、「いがみ合わないことの大切さ」という思いを強めてきたのは当ブログを通した経験が大きな影響を与えていました。かつて一つのブログ記事に対し、100件以上のコメントが寄せられることも珍しくありませんでした。不特定多数の皆さんからの率直な声に触れられる機会につながっていましたが、私自身の立ち位置を明らかにした記事内容であるため、たいへん辛辣な言葉での書き込みが多かったことも確かです。

自分の「答え」が最も正しいと考えていた場合、異なる「答え」に対し、厳しい口調での追及型のコメントになりがちです。しかし、立場や視点が違う方々から少しでも共感を得るためには、よりいっそう言葉遣いの丁寧さが求められているものと考えています。攻撃的な姿勢や蔑んだ言葉が目立った場合、どうしても相手を身構えさせ、本質的な論点に行き着く前の感情的な応酬になりかねません。両者それぞれ自分自身の「答え」が絶対正しく、両極端な意見がぶつかり合った場合、お互い罵り合い、いがみ合う関係性につながっていきます。

そうなってしまうと、相手側の言い分の中に共感できる内容が含まれていても全否定する関係になりがちです。このような関係性が憎しみ合いの芽となり、現実の場面で異端者を排除や抹殺するという極端な事例につながりかねません。そのため「差異」を認め合えるかどうか、分かり合えなくても、いがみ合わないようにできるかどうかが最も重要なことだと考えるようになっています。日常生活における身近な人間関係から労使交渉をはじめ、国対国という外交の場面でも思いを巡らしている問題意識だと言えます。

このような問題意識があり、最近の記事「安全保障を強い言葉で語ることの是非」を通して訴えたような論点につなげていました。圧力は平和的に解決するため、対話のテーブルに着かせるための手段であることを訴えた記事内容でした。その記事の中には「怒りが強い言葉につながり、怒りの矛先となる中心人物は排除すべき対象であり、打倒すべき対象になります」「利害関係が対立した場合、暴力で決着を付けることはもっての外です」という私自身の言葉があり、nagiさんから下記のコメントが寄せられていました。

今回の記事と対比して「平和運動を強い言葉で語ることの是非」としてみてはいかがでしょうか。フランス、ドイツ等で右翼政党が躍進し、アメリカでは自国優先主義が台頭してます。そしてそれに反対する人々の運動は、同じように怒りと憎悪に満ちています。憎悪と憎悪がぶつかればそこには暴力しか生まれません。北朝鮮問題で対話が必要と言うように、対立する問題においても対話が必要ではないのでしょうか。きっとそのようなことをOTSU氏も危惧されてるのかなあと思ったしだいです。

このコメントに対し、nagiさんのご指摘のとおり「強い言葉」の問題意識の先に様々な事例も思い浮かべていることをお答えし、機会を見て記事本文で取り上げることを約束していました。記事タイトルを「平和運動を強い言葉で語ることの是非」とはしませんでしたが、平和運動に限らず、強い言葉で語ることのマイナス面を常に意識しています。ケース・バイ・ケース、TPOによるのかも知れませんが、立場や考え方が異なる相手だったとしても敵視していく関係性に至ることだけは極力避けたいものと考えています。

違いは違いとして指摘し合いながら、どちらの「答え」が正しいのか、理性的な言葉を尽くして相手を納得させられるかどうかが大切なことだろうと認識しています。お互い納得し合えないまま、どちらかの「答え」に決めた際も、いがみ合わない関係性を保つことが欠かせないはずです。ちなみに当ブログを通し、安倍首相や小池都知事を批判する記事内容を投稿しています。しかし、あくまでも私自身が「それは違う」と思った具体的な言動や判断に対する批判意見であり、極端な話としてご本人たちを前にしても直接訴えられるような言葉を尽くしているつもりです。

このような話は甘い認識であり、強大な権力を持っている側と対峙していくためには怒りとともに体を張った具体的な行動が迫られる場面もあるという指摘を受けるのかも知れません。確かに前述したとおりTPOの問題もあろうかと思いますが、仮に目的が正しくても暴力やテロは論外だと考えています。そもそも自分自身、怒りの沸点は高いほうですが、時々、感情的な言葉で切り返してしまう場面もあります。理想と現実は容易に一致できないのかも知れませんが、自戒をこめながら必要な心構えとして「いがみ合わないことの大切さ」を改めて訴えさせていただいています。

前々回記事「衆院選と組合役員選挙」の中で「主義主張や立場が違う相手を敵対視しがちな傾向はよく見受けられる話です。選挙戦の場合、そのような傾向が特段目立つようになります。しかしながら私自身、どのような場面においても立場や考え方の違いは違いとして理解しながら、そのことで相手を敵対視するような関係性は避けたいものと考えています」と記していました。顔見知りの候補者と会話した近況を伝えた際、添えていた問題意識です。誰との会話だったのか、私の周囲の方々はすぐ分かったはずです。

このブログによく登場いただいてる衆院議員の長島昭久さんとの会話でした。今年4月、長島さんは民進党を離党していました。10月の衆院選までに野党の再編があった訳ですが、結局、組織的には長島さんとの推薦関係は切れていました。それでも長島さんの立ち位置が変わった訳ではないため、長島さんのほうから拒まれない限り、少しでも意見を交わせる機会は貴重なことだと受けとめています。敵か、味方かという二項対立に陥らず、幅広い立場の方々と接点を持つことこそ、平和運動にとっても有益なことだろうと考えています。

最後に、気になったニュースを紹介します。最近の記事「衆院選公示前、今、思うこと」の中で、枝野代表の街頭演説の内容に共感する点が多々あったことを記していました。その枝野代表が率いる立憲民主党には、自民党との明確な対立軸を打ち出しながらも幅広い支持を得られる可能性が秘められているものと見ています。今後のよりいっそうの奮闘を期待しているからこそ注文を付けさせていただきます。「自民党からの懐柔を防ぐ」などというネガティブな発想ではなく、自分たちの主張を広げる一つの機会として自民党議員とも忌憚のない対話を重ねて欲しいものと思っています。

立憲民主党が2日に開いた国対役員・筆頭理事合同会議で、自民党議員との「飲み会自粛令」ともとれる異例のお触れが出た。党関係者によると、国対幹部が各委員会の理事らに「党が費用を出すのでまずは野党の理事同士で交流を深めよう。自民党とは野党の結束が固まった後にやるべきだ」と呼びかけた。自民党からの懐柔を防ぐ狙いがあるとみられる。「分断と排除の政治」(枝野幸男代表)を忌避する政党にしては、ちょっと度量が狭い?【産経新聞2017年11月2日

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2017年10月29日 (日)

衆院選が終わり、今、思うこと

前回記事は「衆院選と組合役員選挙」でした。その記事の冒頭で「衆院選の最終盤の情勢も与党が堅調、希望の党が失速、立憲民主党が躍進するという見通しが伝えられています。アンダードック効果の気配はなく、このまま事前調査のとおりの選挙結果が示されるものと見ています」と記していました。やはり結果は事前調査のとおりの議席配分となっていました。

先週日曜の夜、開票が始まり、大勢が判明した後にnagiさんからのコメントに対して一言レスしていました。「個別の政治課題に対する民意と議席数との関係性などいろいろ思うところがあります」と記し、機会があれば記事本文で触れてみようと考えていました。この1週間、衆院選の結果を受けた様々な報道に接し、さっそく今回の記事で個人的な思いを書き進めてみることにしました。

今回の衆院選比例代表で自民、公明両党が獲得したのは計87議席と、定数176の半数に届かなかった。それでも自民党が大勝できたのは、得票率に比べて議席占有率が高くなる小選挙区制の恩恵が大きかったことを裏付けている。自民党の比例代表は66議席。比例定数が2014年の前回衆院選から4減されたこともあって、2議席減らした。ただ、得票率は前回(33.1%)と同水準の33.3%で、堅調な戦いぶりだった。【毎日新聞2017年10月24日

毎日新聞の上記記事の見出しは「比例代表 自公87、半数届かず 小選挙区の恩恵」でした。同じように議席数と得票率の絡みを報道した朝日新聞は「自民の大勝、小選挙区制が後押し 得票率は48%」という見出しを掲げていました。それぞれの社の立ち位置がよく分かる見出しの付け方だろうと思っています。選挙制度が異なっていた場合、それほど自民党は勝っていないということを強調しています。

内閣支持率は依然不支持率を下回っている傾向が続いています。この点だけでも確かに与党が3分の2を占める議席数にアンマッチ感は拭えません。しかし、選挙制度自体は各政党に対し、公平・公正なものであり、今さら強く批判できるものではありません。そもそも小選挙区制導入の際、懸念された点だったはずです。それでも比例代表制を取り入れた結果、かろうじて3分の2程度にとどめられているという見方もできます。

小選挙区制の利点は民意が反映しやすいことです。二大政党制に向かい、政党本位での選挙戦となり、政権交代が起こりやすくなると言われています。国民からの信頼を損ね続けた場合、すぐ政権の座を追われるという与党側の緊張感が、より望ましい政治に高められていくことを理想視した選挙制度だと理解しています。ただ残念ながら現状は理想から程遠い姿になっているように思えてなりません。

あっしまった!さんから前回記事のコメント欄に多くのご意見をお寄せいただきました。「現政権の継続が bad だとすると、今の野党が政権に就くのは worst だったと思う」という言葉が最も印象深く、私自身の思いと交錯する点がありました。今すぐ政権を託せる野党が存在しているのかどうかという問題です。最近の記事「衆院選公示前、今、思うこと」の中で、民主党が政権交代を果たした後、いくつか混乱した事例が思い浮かんでいることを記していました。

その上で、鳩山政権の時に投稿した「約束を踏まえた先に広がる可能性」という記事中の一文を紹介しました。「基本的に約束は守ることが必要、しかし、守れなくなった場合、約束を踏まえた上で相手方と話し合っていくことが求められています。様々な約束を無視し、一方的な判断で物事を押し進めていった場合、根深い不信や軋轢が生じかねません。一時的なスピード感はあるのかも知れませんが、対立や混乱が続いた場合、結果として大きな遠回りになるのではないでしょうか」という問題意識です。

民主党の反省点は他にも多数あるものと思いますが、約束を踏まえるという問題意識に沿って論評しています。小池都知事の「しがらみのない政治の実現」という言葉には、それまでの約束や経緯を一方的に破棄していくような響きを感じ取りがちです。結果的に希望の党は政権与党を脅かすような対抗馬になれないまま衆院選に挑むことになっていました。前回記事の冒頭に記したとおり小池都知事の「排除いたします」という言葉が潮目を変えたと言われていますが、単なる言葉の問題ではなかったものと見ています。

希望の党の政策的な間口の狭さを明らかにし、安全保障面では基本的な立ち位置が自民党と変わらないことを表明した一連の顛末だったものと思っています。そもそも「衆院解散、対立軸の明確化を切望」の中で記していたとおり2年前に成立した安保関連法は違憲の疑いがあるため、見直しが必要という判断は民進党全体で決めていた方針です。このような経緯がある中、現行の安保関連法を認めるかどうかという「踏み絵」であれば民進党議員の合流を初めから拒んでいることと同然でした。

最終的な政策協定書の文言は「現下の厳しい国際情勢に鑑み、現行の安全保障法制については、憲法に則り適切に運用する。その上で不断の見直しを行い、現実的な安全保障政策を支持する」というものでした。それまでの民進党の方針を踏まえ、ある程度幅のある内容に改められていました。最終決定前の段階で政策協定書の素案や排除リストが伝えられるなど情報は錯綜し、小池都知事の「排除いたします」という言葉と相まって希望の党の印象は低下していったように思っています。

もし希望の党が民進党との合流を大きなプラス面とし、小池都知事に対する期待感が失速していなかった場合、都議選の時と同様に「希望」という看板が付いているだけで当選者を上積みさせていたのかも知れません。それこそ自民党対希望の党という選択肢が各選挙区で主流を占めていたら一気に政権交代に至っていた可能性もあります。しかし、そのような結果が果たして望ましいものだったのかどうか分かりません。

政治家としての実績や資質が未知数の新人議員を数多く輩出することにつながり、明らかに準備不足の希望の党に政権を託すことになりました。民主党政権を経験した議員も多数であるため、前回の失敗を教訓化しながら大きな混乱を生じさせない政権運営に務められる可能性があることも否定しません。それでも希望の党の最高責任者である小池都知事のリーダーとしての資質を不安視していたため、希望の党が身の丈以上の支持を集めなかったことに安堵している思いもあります。

久しぶりに『週刊新潮』を購入しました。『これで「小池百合子」は終わったのか』という特集記事が気になったからです。「小池さんの指示に従ってマニフェストを書くと、矛盾点が出てきた。それを指摘すると“私の言うとおりやってればいいのよ!”と叱られた」という話が紹介され、「リーダーシップは必要だが、人の言うことを聞くのも必要である」という当たり前な指摘が添えられていました。このような小池都知事の独善ぶりを示す話が3頁にわたって掲げられていました。

希望の党の小池百合子代表(東京都知事)は23日、出張先のパリで国際会議のイベントに出席し、厳しい結果に終わった衆院選について「都知事に当選し都議選でパーフェクトな戦いをし(女性の進出を阻む)『ガラスの天井』を破ったかなと思ったが、『鉄の天井』があることを改めて知った」と話した。自身の責任に関しては記者団に「党を固めていく中で代表を退くのはかえって無責任だと思う」と述べ、代表職を続投する意向を改めて示した。【日本経済新聞2017年10月23日

上記の報道に接し、たいへん驚きました。希望の党の敗因は「女性の進出を阻む」という問題と無関係だったように思っています。今回、大敗した原因は男性、女性問わず、小池都知事自身の政治的な判断や戦略上のミスが重なった結果だろうと見ています。それにも関わらず「鉄の天井」という言葉を使ったことに違和感を抱いていました。ここまで小池都知事を批判するような内容が長くなりましたが、部外者として率直な思いを記しています。仮に同じ組織の一員だった場合、TPOをわきまえた発言に心がけなければならないことは自覚しているつもりです。

もしかすると今回の記事は政権交代しなくて良かった、そのように読み取れる内容になっているかも知れませんが、安倍政権に対する私自身の立ち位置は過去の記事に綴ってきたとおりです。したがって、明確な対立軸を打ち出しながらも幅広い支持を得られる可能性を秘めている立憲民主党、枝野代表の今後のよりいっそうの奮闘に期待しているところです。まだまだ書き足したい話が多くありますが、最後に、安倍首相らが「謙虚さ」を強調していながら、その言葉とは裏腹な自民党の動きを紹介させていただきます。

政府・自民党は27日、衆院での与野党の質問時間の配分を見直す方向で調整に入った。議席割合より多い野党の質問時間を減らすことを検討している。今後、与野党で協議して配分を決める。議院内閣制をとる日本では政府と与党は一体化しやすく、野党の質問時間が減れば国会の行政監視機能が弱まることが懸念される。衆院予算委員会は現在、与党2割、野党8割の割合で質問時間が配分されている。割合は変動するが、野党に多くの時間を配分することを慣例としてきた。

法案について与党は国会提出前に政府から説明を受け、了承しているためだ。しかし、衆院選で自民党が大勝したことを受け、自民党内で質問時間の配分を見直す案が浮上。萩生田光一・幹事長代行によると、安倍晋三首相(自民党総裁)は27日、首相官邸で萩生田氏に「これだけの民意を頂いた。我々(自民党)の発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう」と指示したという。菅義偉官房長官も同日の記者会見で「議席数に応じた質問時間の配分を行うべきだという主張は国民からすればもっともな意見だ」と述べた。【朝日新聞2017年10月28日

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2017年10月21日 (土)

衆院選と組合役員選挙

このブログは週に1回、土曜か日曜に更新しているため、月曜以降に訪問者数が多くなっています。そのため、大半の方は衆院選挙の結果を知った上で今回の記事をご覧になっているのではないでしょうか。投票が間に合う方は仮にベストを見出せなくてもベターな選択の意志表示の機会として、ぜひ、投票所に足を運ばれるようよろしくお願いします。なお、今回から選挙区の区割りが大きく変更されていますのでご注意ください。

投票日前のタイミングでは具体的な候補者名の記述を控えています。それでも衆院選について少しだけ雑感のような記述を添えさせていただきます。最近の選挙戦は各メディアが情勢を分析した調査結果を頻繁に報道しています。衆院選の最終盤の情勢も与党が堅調、希望の党が失速、立憲民主党が躍進するという見通しが伝えられています。アンダードック効果の気配はなく、このまま事前調査のとおりの選挙結果が示されるものと見ています。

希望の党の失速は小池都知事の「排除いたします」という言葉が潮目を変えたと言われています。ただ失言ではなく、正直な思いをそのまま示した言葉だったはずです。野合批判を避けるため、ある程度プラスに働く可能性を計算した上での言葉だったのかも知れません。結局、目論見は外れ、希望の党は現有の議席数を維持できるかどうかという苦戦を強いられることになりました。

分かりやすい選択肢になったという肯定的な評価もありますが、結果として与党側を利する顛末をたどってしまったようです。安倍政権に対し、ベターな選択肢として希望の党に期待しようかどうか迷っていた多くの有権者も「排除いたします」という言葉とともに排除されてしまったものと受けとめています。特に連合は希望の党に絞って応援する動きを見せていましたが、排除の論理が浮上し、希望の党と距離を置くことになりました。

木曜の夕方、ターミナル駅前のデッキ上で顔見知りの候補者に偶然出会いました。この時間帯、もしかしたら駅前で遊説しているかも知れないと思い浮かべながら歩いていました。すると行き交う人たちと握手している候補者を見かけました。こちらから近付き「悩ましい展開になってしまいましたね」と声をかけさせていただきました。せっかくの機会でしたので苦笑されている候補者に次のような一言を添えることも忘れませんでした。

配付されていた候補者のリーフレットに北朝鮮情勢の問題で「圧力は対話を引き出すためのもの。圧力一辺倒は単なる挑発です」という言葉が掲げられていました。その箇所を示しながら「この一点だけでも充分な対立軸ですね」とお伝えしたところ候補者からは「その通りです」答えていただきました。所属する政党が変わっても、昔も今も、その候補者の立ち位置は変わらないことを確かめられた短い会話でした。

主義主張や立場が違う相手を敵対視しがちな傾向はよく見受けられる話です。選挙戦の場合、そのような傾向が特段目立つようになります。しかしながら私自身、どのような場面においても立場や考え方の違いは違いとして理解しながら、そのことで相手を敵対視するような関係性は避けたいものと考えています。このような話は機会を見て詳しく綴らせていただくつもりですが、顔見知りの候補者と会話した近況を伝える上で思い浮かべている問題意識です。

さて、スケールが格段に下がり、地味でローカルな選挙絡みの話題につなげていきます。私どもの組合の定期大会が11月10日夜に開かれます。定期大会に先がけ、組合役員選挙が行なわれます。定数内の立候補のため、信任投票が始まっています。以前の記事「組合役員の改選期、インデックス」に託したような思いのもと引き続き執行委員長に立候補しています。立候補にあたり、組合員の皆さんに回覧し、お示ししている私自身の選挙広報に掲げた内容は次のとおりです。

組合役員を長く続ける中で「組合は必要」という思いを強め、そのバトンをしっかり引き継げるように努力しています。同じポストに同じ者が担い続けることの問題点も充分認識しているため、毎年悩みながら判断しています。自分が辞めれば残されたメンバーが新たな視点で活性化の道を拓いていくのかも知れません。ただ今回も執行委員の定数を充足できない中、このタイミングで退任することは、やはり無責任だろうと考えました。

組合役員の担い手の問題や組合財政の厳しさなどピンチは続きますが、これ以上ピンチを広げず、組合活動を大胆に見直す「ピンチをチャンス」に変えられるような努力を引き続き尽くしていくつもりです。その中で絶対引き継ぐべき組合の役割は職場課題を解決できる労使交渉能力です。このことを基軸に持続可能な組合組織につなげていければと考えています。ぜひ、組合員の皆さんのご理解ご協力をよろしくお願いします。
◎ 毎週1回更新しているブログ『公務員のためいき』もご覧いただければ幸いです。

不特定多数の方々にとって興味の沸かない話題で恐縮です。一方で、自治労に所属する組合で役員を担われている方々にとって同じような現状の中、同じような悩みを抱えられている方々が多いのではないでしょうか。機関誌『じちろう』最新号の4面にも「担い手育成 急務の課題」という見出しが掲げられていました。自治労本部が実施した調査結果を中心に報告されていましたが、次代の担い手問題に各単組が軒並み苦慮されているようです。

調査報告の中で「労働条件や職場環境をめぐるベテラン役員と若年層組合員の認識ギャップが見られる」とし、若年層組合員からの「役員歴が長くなってくると、僕たちが分からないことが分からないと思う」「悩みの相談先として組合が出てこない、組合が高い位置にいる専門家集団のようになってしまっている」というコメントが紹介されていました。調査報告では両者の意識のズレの深刻さを読み取りながら、組合役員歴が長くなることの弊害を指摘しています。

その紙面には自治労本部総合組織局長の「同じ人が役員を長くやると経験が豊富ゆえに組織はしっかりするが、その人がいなくなると運動が次につながらない」という話も掲げられていました。耳の痛い話です。紹介した上記の選挙広報のとおり同じポストに同じ者が担い続けることの問題点を充分認識しています。特に今回、いろいろな経緯の中、続けるべきかどうか深刻に悩みました。もちろん最終的な判断は自分自身が下すことになります。

あくまでも自分自身が判断するための参考材料につなげるため、選挙告示日の直前、執行部の皆さん一人一人と個別に率直な話を交わしていきました。私自身の悩みを受けとめていただきながらも「やめないでください」「やめるにしても今じゃないでしょ」という声に後押しされ、上記のとおりの結論に至っています。ただ長く続けてきたこと、さらに続けることを自己犠牲のような気持ちは一切ありません。同年齢の職員は部長をはじめ、課長や係長になっています。確かに賃金水準は主任職と比べれば大きな開きが生じています。

組合役員を務めていなくても係長以上になっていたのかどうかは分かりませんが、自分自身が判断してきた結果であって否定的な意味で「やむを得ない」と考えたことは一度もありません。組合役員を担ったことで貴重な経験や交流を重ねられ、自己啓発の機会も数多く得られながら、やりがいのある任務だったものと振り返ることができます。だからこそ、そのバトンをしっかり引き継ぎたいものと考えています。改めて昨年の記事「持続可能な組合組織に向け」の最後のほうに記した問題意識を掲げさせていただきます。

必要な役割や活動があるからこそ組合組織は維持しなければなりません。そのためには無理しない、背伸びしない、これまで以上にメリハリを付けた活動に重きを置き、結果的に組合役員に過度な負担をかけず、予算面の見直しにもつながるという発想を重視するように心がけています。その中で、職場課題を解決できる労使交渉能力を基軸にした必要な役割や活動だけは必ず継承していかなければなりません。

組合役員の負担がゼロになることはあり得ませんが、少しでも負担が減ることで「組合役員はたいへん」という印象が緩和されることを願っています。選挙広報に記した「ピンチをチャンス」に変えられるような努力とは、このような方向性を意識したものです。ハードとソフト両面から組合に対するイメージを転換させることで組合役員の担い手問題を解決していく好機とし、この程度の負担であれば「良い経験にもなるし、執行委員を引き受けてみるか」という声が増えていくことを期待しています。

近い将来、私どもの組合にも輪番制を導入すべきかどうか議論を本格化させなければなりません。その際、「組合は必要」という認識を組合員全体で共有化しながら持続可能な組合組織のためにどうすべきかという視点のもとでの丁寧な職場議論が欠かせません。輪番制を導入するためにも、ハードとソフト両面から組合に対するイメージの転換が求められています。輪番制という「方針ありき」ではなく、このような試みにも力を尽くした結果、「〇〇部から一人、執行委員を出してください」と気軽に要請できるようになるものと考えています。

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2017年10月14日 (土)

広義の国防、安心供与の専守防衛

前回記事「衆院選公示前、今、思うこと」のコメント欄で、nagiさんから「広義の国防であり、究極の安心供与の安全保障である専守防衛」という言葉に対し、次のような問いかけがありました。

この部分は相変わらず私の理解の範疇を超えています。過去の記事を読んでも理解が深まりません。私には安全装備を外した車に乗って安全運転に勤めて事故を起こさなければ安心ですと言ってるようにしか思えません。もう少しこの部分を理解できるようにほり下げていただければありがたいですね。個人的な願望にすぎませんが。

nagiさんからのコメントの後、あっしまった!さんからは次のようなコメントが寄せられていました。

日本国憲法の平和主義は特別でも何でもないんだけどなぁ。武装拒否・武装放棄は特色だけど。「専守防衛が究極の安心供与である」が - 真 - だとすると、すなわち「専守防衛が究極の危険受任である」も - 真 - でしょうね。「共産圏は平和勢力という主観主義からくる、一方的な片思い外交」に繋がる、一方的な自己満足・自己陶酔なのかなぁ。

このブログを通し、最近、特に強調している私自身の問題意識を表わした言葉が「広義の国防、安心供与の専守防衛」です。したがって、たいへん重要な論点に対する問いかけでしたので、さっそく新規記事の題材として掘り下げさせていただきます。

あらかじめ前提条件となる私自身の認識を改めて説明します。抑止力の大切さ、つまり個別的自衛権の必要性を認めている立場です。そのため、「安全装備を外した車」に乗っているという意識はありません。これまで「再び、北朝鮮情勢から思うこと」をはじめ、いくつかの記事に書き残しているとおり北朝鮮の脅威に対し、今のところミサイルの発射が実戦使用を目的にしていないという意味で抑止力は充分働いているものと見ています。現実的な脅威として「窮鼠猫を噛む」状態に追い込みすぎるほうを危惧しています。

「専守防衛が究極の危険受任である」という見方に関しては、後ほど詳述する評価の問題につながる論点があることを認識しています。その上で、私自身は「究極の危険受任」という表裏一体となるリスク認識が薄いことも確かです。

「共産圏は平和勢力」という認識は私自身、まったくありません。特に北朝鮮に関しては拉致や強制収容所の問題など絶対容認できない非人道的な行為を繰り返してきているため、「平和勢力という主観主義」などという見方は到底あり得ません。ただ共産圏に限らず、それぞれの国の立場や言い分があることは率直に認めていくべきものと考えています。その言い分の是非はともかく、まず耳を傾けることが外交交渉の第一歩だと認識しています。

日本国憲法の「特別さ」についても改めて補足します。外交の延長線上として宣戦布告さえすれば合法だった戦争が2回の世界大戦を経て、現在の国際社会の中では原則禁止されています。例外として、自衛のためと集団安全保障と呼ばれる国連安全保障理事会が認めた場合の戦争だけを合法としています。集団安全保障とは国連の枠組みで武力攻撃を行なった国を制裁する仕組みです。

ちなみに国連安全保障理事会が「平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限って、国連憲章第51条で集団的自衛権の行使を認めています。集団的自衛権とは同盟国などが武力攻撃を受けた際に共同で対処できる自衛戦争です。解釈を積み重ねた結果ですが、日本国憲法は個別的自衛権までが許容範囲であり、集団的自衛権は認められないという大きな一線が引かれてきました。この一線が私自身の認識している「特別さ」であり、たいへん重要な峻別だと考えています。

残念ながら一昨年の安保関連法の成立で限定的とは言え、集団的自衛権を行使できる国に足を踏み出しています。すべての国が戦争を原則禁止している中、確かに日本国憲法だけ特別ではありませんが、一線の問題を極めて重く見ています。これまで固有名詞に当たる安保関連法を「戦争法」と呼ぶことは控えています。しかしながら次の言葉はレッテル貼りではなく、事実を表現するものとして、あえて書かせていただきます。国際社会の標準モードとして「普通に戦争ができる国」に転換するのかどうか、今、私たちが問われている選択肢だと受けとめています。

お二人のコメントを拝見した後、『夕刊フジ』に掲げられた政治学者の岩田温さんの『【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸』という論評を目にしました。「憲法9条を守っていれば平和が維持できる」という人々は「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき勢力であり、盲目的に憲法9条に拝跪する様は一種の宗教儀式を連想させるものだ、このような主張を展開していました。「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき方々は存在するのかも知れません。

しかし、「リベラル」と呼ばれる一定の勢力や立場の方々を一括りに決め付けた揶揄の仕方は問題であり、そもそも岩田さんが指摘されるような「ガラパゴス左翼」は極めて少数なのではないでしょうか。以前「『カエルの楽園』から思うこと」という記事を投稿していましたが、寓話と同レベルの視点で政治を研究されている識者がメディアを通して不正確な持論を主張していることに驚いていました。さらに衆院選挙期間中でありながら特定の政党の代表を非現実的な主張を行なっている「ガラパゴス左翼」だと決め付けていましたが、大丈夫なのだろうかと心配しています。

前提条件となる私自身の認識の話が長くなりました。要するに個別的自衛権の範疇で充分抑止力は働き、2年前以前の日本国憲法の「特別さ」を維持することのほうが「平和主義の効用」のもと望ましい姿であるという認識が私自身の主張です。このような認識や主張も「ガラパゴス左翼」だと呼ばれるのであれば、それはそれで構いません。肝心なのはどちらの「答え」が、より望ましい選択肢なのかどうかだろうと考えているからです。

ここから今回の記事タイトルに掲げた「広義の国防、安心供与の専守防衛」について詳述していきます。広義の国防の対義語は狭義の国防であり、安心供与に対義する言葉は抑止となります。他に「外交・安全保障のリアリズム」という記事の中で、ソフト・パワーとハード・パワーという対になる言葉も紹介していました。国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っていることを綴っていました。

広義の国防という言葉を初めて紹介したのは昨年6月の「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」という記事の中でした。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれた話を綴っていました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことを紹介していました。

軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義に触れていました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができました。加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。

「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。現在、北朝鮮情勢の緊迫化を受け、来年度の防衛予算は過去最大規模の5.2兆円となる見通しです。『日刊ゲンダイ』の記事か、と思われる方が多いかも知れませんが、数字的な面は事実であるため、最後に参考資料として掲げておきます。興味のある方はご参照ください。

安心供与は昨年1月の記事「北朝鮮の核実験」の中で初めて紹介しました。安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立し、日本の場合の抑止は自衛隊と日米安保です。安心供与は憲法9条であり、集団的自衛権を認めない専守防衛だという講演で伺った話をお伝えしていました。安心供与はお互いの信頼関係が柱となり、場面によって肝要さが強く求められていきます。相手側の言い分が到底容認できないものだったとしても、最低限、武力衝突をカードとしない関係性を維持していくことが肝要です。

抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。それこそ国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと私自身は考えています。

広義の国防、安心供与、ソフト・パワー、それぞれの言葉に共通している点は、どちらが正しいのかという二者択一の問題ではないことです。あくまでもバランスの問題であり、抑止力を軽視せず、非軍事的な「人間の安全保障」の取り組みも強化していくことが重要です。国民の安全と安心を担保するため、どのような選択が望ましいのか、その重要な選択肢として日本国憲法の「特別さ」を維持していくことが有益なのか、もしくは弊害があるのかどうか、私たち一人一人が問われているものと認識しています。

日本列島上空を通過した北朝鮮の弾道ミサイル発射をめぐり、日米は圧力を強め、対決ムードを煽っている。2日連続の電話首脳会談後、「死の白鳥」と呼ばれる米軍のB1戦略爆撃機と航空自衛隊が共同訓練。示威活動を展開した。そうした中、防衛省は31日、2018年度予算案の概算要求を財務省に提出。前年比2.5%増の5兆2551億円となり、6年連続アップで過去最大に膨らんだ。防衛省は中国の東シナ海進出などを口実に防衛費を拡大してきた“前科”があるが、今回は北朝鮮危機に便乗した焼け太りだ。

弾道ミサイル防衛関連で1791億円を計上。海自のイージス艦に搭載する改良型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の購入に472億円、空自の地対空誘導弾PAC3の改良型「PAC3MSE」には205億円など。いずれも購入先は米企業だ。8月中旬の日米2プラス2(外務・防衛担当閣僚会合)で小野寺防衛相が購入前倒しを伝えた米製地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」は金額を示さない「事項要求」で処理し、2基分相当の1600億円は含まれていない。

軍事ジャーナリストの世良光弘氏は言う。「SM3ブロック2Aの射程は高度500~750キロで、1発20億~30億円の高額兵器です。最高高度550キロを飛行した29日発射のミサイルにも対応できる可能性が高まりますが、米国領を標的としたミサイル全てを撃ち落とそうとでもいうのでしょうか。安倍首相の再登板以降、防衛費がプラスに転じたのは、米国の言い値で高額兵器を爆買いしている側面がある。ミサイル防衛、島嶼防衛を出せば、どんな予算でもスイスイ通る。それに、概算要求は形式に過ぎず、防衛省は必要とあれば補正予算でどんどん買い込んでいます」

増額分は米企業丸儲け 対中牽制の要衝である南西諸島の防衛にも大盤振る舞い。南西警備部隊の施設整備に552億円、最新鋭ステルス戦闘機「F35」の6機買い増しに881億円、国内でも事故を多発させている“未亡人製造機”のオスプレイも4機457億円で買い上げ。宇宙部隊創設に向け、取得断念に傾いていた無人偵察機「グローバルホーク」も144億円で購入するという。みーんな米国製だ。

「高高度から攻撃するグライダー弾『島嶼防衛用高速滑空弾』に100億円もの研究予算を組んでいますが、実用化は不透明です」(世良光弘氏) 安保法制で集団的自衛権行使を可能にした安倍首相は、米国と一緒に戦争のできる国づくりを急ぎ、GDP1%枠突破は時間の問題だ。 【日刊ゲンダイ2017年9月1日

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2017年10月 8日 (日)

衆院選公示前、今、思うこと

前回の記事は「衆院解散、対立軸の明確化を切望」でした。衆議院が解散され、すでに選挙戦に突入しているようなムードです。本来、公示又は告示日以降が選挙期間であり、事前運動は禁止されています。それまでの政策チラシ配布や街頭演説などは日常的な政治活動の延長線上に位置付けられています。ちなみに公示は国事行為の一つとして衆院と参院選挙のみに使い、地方自治体の首長や議員選挙は各選挙管理委員会の告示とされています。なお、国政選挙でも補欠選挙は告示になるそうです。

公示前と公示後、できること、できないことの峻別に注意を払わなければなりません。インターネット選挙解禁も4年前のことでしたが、ますます各政党や候補者の主張を詳しく知り得るツールとしてSNSの役割は高まっています。民進党の事実上の解党に至った舞台裏も前衆院議員の篠原孝さんのブログ『篠原が無所属出馬を決意した理由』などから垣間見ることができます。立憲民主党を立ち上げた後、街頭で演説した枝野代表が訴えた内容全文もネット上で確認できるようになっています。

私たちの社会は、ルールによって規律をされています。みんながルールを守ることで成り立っています。権力といえども、自由に権力を使って統治をしていいわけではありません。憲法というルールに基づいて権力は使わなければならない。ところがどうでしょう。憲法によって縛られているはずの内閣が、自ら積み重ねてきた解釈を勝手に変えた。論理的に整合性のない形で勝手に変えた。それに基づいて、自衛隊は日本の領土や領海を守るけれども、外国に出て行って戦争はしないんだという第二次世界大戦の教訓を踏まえた、先人たちが積み重ねてきた私たちの国是が、変えられてしまっている。これが安保法制です。憲法に違反した法律は、一日も早く変えなければならない。

民主主義というのは、選挙で多数決で選んで、選ばれた議員が多数決でものを決める、これが民主主義だと思っているから間違えているんです。みんなで話し合って、できるだけみんなが納得できるようにものを決めましょう、それが民主主義なんです。どうしても決められないときがあります。どうしても意見が食い違うときがあります。そのときに、ここまでみんなで話し合って、それでも一致しないならば、多数決で決めれば、少数の意見の人も、仕方がないですねと納得できる。この納得のプロセスが多数決なんです。残念ながら、今まで国会で多数を持っている人たちに、この本質が分かっているんでしょうか。選ばれたから勝手に決めていい、数を持っているから勝手に決めていい、こうした上からの民主主義は民主主義ではありません。

右か左かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか、草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです。保守とリベラルがなんで対立するんですか。保守とリベラルは対立概念ではありません。私は人それぞれの多様な生き方を認め合う。困った人がいればここに寄り添って支えていく。お互い様に支え合う社会。リベラル、そのことによって、おそらくここにお集まりいただいている多くの皆さんが育ってきた時代、日本が輝いていたと言われていた時代の、あの一億総中流と言われていた時代の、社会がこんなにぎすぎすしていなかった時代の、みんなが安心して暮らせていた時代の、日本社会を取り戻す。私はリベラルであり、保守であります。

上記は枝野代表の演説の中で、特に印象深かった箇所を抜粋して紹介させていただいています。ぜひ、興味を持たれた方はリンク先をご参照ください。このブログ「公務員のためいき」もSNSの片隅に加わり、政治的な話題の紹介や自分自身の意見を発信しています。ただ以前の記事「再び、地公法第36条と政治活動」に綴ったとおり、できること、できないことに細心の注意を払いながら当ブログを運営してきています。今回の記事もネット上で知り得た情報の紹介であり、あくまでも私自身の意見の書き込みという位置付けになります。

言うまでもありませんが、特定の政党や候補者への支持を呼びかけるような目的で投稿していません。もちろん無味乾燥な中立的な内容ではないため、このブログを閲覧されている皆さんからは共感や反発など様々な評価を受けるのだろうと思っています。一つの運動として当ブログを長く続けていますが、幅広く多様な意見に触れられる貴重さをいつも感じ取っています。そのため、日本の今後を大きく左右するかも知れない衆院選投票日を2週間後に控えた今、個人的に思うことを書き進めさせていただくことも無意味な試みではないものと考えています。

まず枝野代表の演説の一部を紹介しましたが、私自身も共感する点が多々あるからでした。安保関連法の是非が焦点化されがちです。日本国憲法の平和主義の「特別さ」をどのように評価するのかどうかという根幹的な論点につながっている問題だろうと認識しています。前々回記事「安全保障を強い言葉で語ることの是非」に記したとおり広義の国防であり、究極の安心供与の安全保障である専守防衛の是非を巡る論点だと言えます。

改憲の動きに思うこと」をはじめ、集団的自衛権の行使を可能とした安保関連法の問題性を数多く訴えてきています。2年前に成立した安保関連法は限定的とは言え、枝野代表が指摘しているとおり、いったんリセットしなければならないはずです。その際、アメリカとの信頼関係にも留意した丁寧な手順を踏んだ見直しが求められます。日米関係に限らず「このような公約を掲げ、政権交代したので従前の約束は白紙に戻ります」という理屈は許されません。

民主党が政権交代を果たした後、いくつか混乱した事例が思い浮かびます。鳩山政権の時に投稿した「約束を踏まえた先に広がる可能性」という記事の中で「基本的に約束は守ることが必要、しかし、守れなくなった場合、約束を踏まえた上で相手方と話し合っていくことが求められています。様々な約束を無視し、一方的な判断で物事を押し進めていった場合、根深い不信や軋轢が生じかねません。一時的なスピード感はあるのかも知れませんが、対立や混乱が続いた場合、結果として大きな遠回りになるのではないでしょうか」と書き残していました。

物事に対する評価は一つではありません。それでも様々な経緯や妥当性を判断し、現時点の約束や仕組みに至っているはずです。選挙で示された民意は重視されなければなりませんが、それまでの経緯や評価を軽視し、強引に変えていく手法は慎むべきものと思っています。枝野代表が訴えているとおり「選ばれたから勝手に決めていい」というものではなく、「納得のプロセス」を重視していく政治の実現を強く願っています。

小池都知事は「しがらみ」批判を繰り返しています。確かに「しがらみ」という言葉にはネガティブな響きがあります。当たり前な話ですが、「しがらみ」が優先されて不合理な政治判断に至るようでは大きな問題です。しかし、「しがらみ」は対人関係の深さを示す言葉でもあります。政治家は選挙で当選しなくてはなりません。当選するためには人と人との関係性の広がりが必要です。そのように広がった対人関係も「しがらみ」だと言えます。

「しがらみ」を絶つということは支持者の声にも一切耳を傾けない、そのような冷たい関係性であるように感じています。このブログを通し、連合と民進党との関係もネガティブな「しがらみ」だととらえず、民進党側には働く者の声をしっかり受けとめられることを強みにして欲しいと訴えてきています。残念ながら小池都知事の「しがらみ」批判は他者からの多様な意見に耳を傾けず、物事の是非はすべて自分一人で決めるという響きを感じています。一方でネット上では『小池都知事の手法は「しがらみ政治そのもの」ではないか』という記事も目にしています。

保守とリベラルが対立概念ではない点も同感です。以前「リベラルじゃダメですか?」という記事を投稿し、リベラルとは特殊な主義信条や政治的理念ではなく、「個人の自由を大切に、でもなるべく平等、公平に」というマイルドな考え方や姿勢の意味であることを説明していました。参考までに労働研究者の濱口桂一郎さんの『自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について』と漫画家の小林よしのりさんの『リベラルは左翼ではない、自由である』という記事も紹介させていただきます。

衆院選の公示を間近に控え、まだまだ思うことがあります。消費税の問題にも触れるつもりでしたが、過去の記事へのリンクをはることにとどめます。最後に、改憲の問題です。改正条項の第96条を持つ憲法ですので議論自体をタブー視することはできません。そのため、護憲か改憲かという論点提起は言葉や説明が決定的に不足しているように思っています。前述したとおり日本国憲法の平和主義の「特別さ」を守るのか、集団的自衛権を行使できる「普通の国」に転換するのか、どちらの選択肢が国際社会の平和に寄与できるのかどうか、このような論点が明確化された中で一票一票が託されて欲しいものと切望しています。

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