2018年11月10日 (土)

定期大会を終えて、2018年秋

記事タイトルに悩む時がありますが、今回、悩まず「定期大会を終えて、2016年秋」「定期大会を終えて、2017年秋」という3年続けた同じパターンでの記事タイトルとしています。金曜の夜、私どもの組合の定期大会が開かれました。5年前の記事「定期大会の話、インデックスⅡ」の中で詳しく綴っていますが、組合員全員の出席を呼びかけるスタイルで続けています。

2年前の定期大会で特別議案「組合財政の確立に向けて」を確認し、経常的な収入に見合った支出構造に近付ける努力を重ねています。定期大会の会場の見直しもその一つでした。組合員数は1,160人です。組合員全員の出席を呼びかけているため、これまで千人以上収容できる市民会館の大ホールで催してきました。2階席は使用していませんでしたが、実際の出席者数に比べて大ホールは広すぎて、残念ながらガランとした雰囲気になりがちでした。

一人でも多くの出席を呼びかけながら300人も入らない会場で催した場合、初めから出席者をあまり集める気がないように思われてしまいます。このような点を考慮し、大ホールを定期大会の会場に定着させていました。しかしながら組合員数の減少に伴い、出席者数も漸減してきていました。そのため、昨年から会場を1,201席の大ホールから246席の小ホールに移していました。

昨年の最終的な出席者数は168人でした。残念ながら「うれしい悲鳴」を上げることなく、背伸びしない身の丈に合った小ホールの収容規模に見合った出席者数だったと言えます。小ホールへの変更に合わせ、食事と出席記念品の配布をやめていました。そのため、300人前後で推移してきた出席者数の減少は、ある程度想定していました。

昨年の168人という数は大成功と喜べるものではありませんが、ことさら悲観するレベルのものでもありませんでした。今年の出席者数は162人で、雨が降る中で昨年並みの数字となりました。この水準で今後も推移していくことも期待できるため、しばらく小ホールでの全員参加型の組合大会を維持していけるのかも知れません。

さて、定期大会冒頭の執行委員長挨拶は例年通り簡潔な内容の挨拶に努めました。ちなみに人前で挨拶する機会が多いため、檀上で緊張するようなことはありません。原稿がなくても大丈夫ですが、いろいろ話を広げてしまい、割り当てられた5分という時間をオーバーしてしまう心配があるため、毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意しています。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介しています。今回の内容は下記のとおりでした。

私自身、組合役員を長く続ける中で「組合は必要」という思いを強めています。人事評価制度の本格実施や時間外勤務縮減の動きを受け、ますます職員一人一人の声を労使交渉に反映させていくことの大切さを感じ取っています。管理職からの評価結果が昇給額を左右し、生涯賃金に影響を与えていきます。管理職からの「評価を下げるぞ」という一言が、場合によって部下からすればハラスメントという関係性につながりかねません。

組合は査定昇給の実施にあたって慎重な労使協議を求めてきました。合意する際、第1次評価者と第2次評価者とのダブルチェック機能の強化など恣意的な評価を防ぐ手立てなどを取り入れさせてきました。管理職の皆さんが初めから恣意的な評価を下そうと考えていないものと思いますが、制度や運用面でのチェック機能を設けることの大切さは言うまでもないはずです。

時間外勤務縮減の課題に際し、市長にとって20時完全退庁宣言は「職員のため」という意識からでした。しかし、組合員からは「残りたくて遅くまで残っている訳ではない」という声があり、組合はそのことを申し入れた上、20時に完全退庁できる職場体制の確立こそ急務という認識を労使で確認してきた経緯もあります。

一職員の立場であれば、市側が進めている制度や運用に修正をかけることは難しく、まして市長や副市長らに率直な意見を伝える機会も皆無に近いのだろうと考えています。職員の大半が加入している労働組合があり、実際に活動を担う組合役員がいるからこそ発揮できる組合の大事な役割だと言えます。

しかしながら担い手がいなくなれば充分な役割を果たせず、看板だけの組合になりかねません。このような問題意識を踏まえ、今回、本日配布した議案の中で協力委員の創設を提案させていただきました。ぜひ、協力委員の創設が組合活動を活性化させるための一つの手法として、ご理解ご協力をいただけますようよろしくお願いします。

来年7月には参議院議員選挙があります。労使関係を象徴的な例示として上げることができますが、より望ましい「答え」を見出すためには幅広い視点から多面的なチェックを加えていける仕組みが重要です。国会の場でこそ、そのような健全な機能が発揮されなければなりません。

そのためにも幅広く多様な声を国会に届けることが欠かせず、自治労の代表である岸まきこさんを参議院に送り出すことの意義や大切さは増しているものと考えています。同時に自治労の代表を国会に送り続けることは「組合員のため」という労働組合の立場や方針からのものであり、ぜひ、そのような考え方について組合員の皆さんのご理解ご協力をよろしくお願いします。

まだまだお話したいこと、取り上げるべき大事な課題が数多くあります。それでも皆さんからの発言の時間を充分保障するためにも、挨拶は短めにさせていただきます。最後に、これからも常に「組合員にとってどうなのか」という判断基準を大事にし、組合運動の先頭に立ち、全力を尽くす決意です。

出席者からの発言として、今回も保育士の方から「公立保育園の大切さ」のアピールがありました。その他に質疑はなく、執行部提案はすべて原案通り承認を得られました。その中には前々回記事「再び、組合役員の担い手問題」でお伝えした「協力委員」の創設も確認できました。さっそく何人かの方にお声かけしていますが、快く引き受けていただけています。今後、担い手不足の閉塞感を転換できる切っかけになることを願いながら多くの方々をお誘いしてみようと考えています。

今回の定期大会を区切りとして、たいへん長い間、組合役員を務められた執行委員や元委員長で特別執行委員だった方が退任されました。本当にお疲れ様でした。長い間、お世話になりました。たいへん寂しいことですが、協力委員制度が大きく育つことを期待した上、様々な事情を抱えながらも組合役員に立候補された皆さんとともに前向きに頑張っていく決意を固めています。

定期大会が終わった後、今年も金曜の夜だったため、遅くまで飲み語り合ってしまいました。さらに土曜と日曜に予定が入っていることもあり、今週末の新規記事はいつもに比べれば簡潔な記事にまとめさせていただきました。最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、ご来賓やメッセージをお寄せくださった皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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2018年11月 3日 (土)

原発の話、インデックスⅡ

数週間以上前の記事にコメントを投稿する際、管理人である私も含めて「スパム・コメント防止のために、以下の画像の文字を入力してください」と指示されます。そのような手間もかかりますので、記事本文の題材と異なる話題だったとしても新規記事に様々な意見や情報が寄せられることを歓迎しています。

多様な考え方を踏まえた場として」の冒頭に記していましたが、幅広い視点からの多様な意見を伺える機会はたいへん貴重なことだと思っているからです。前回記事「再び、組合役員の担い手問題」のコメント欄でも、韓国の最高裁が戦時中の「徴用工」に賠償を命じた判決の問題も取り上げられていました。

土曜の朝、私からは「この場でも私自身の考え方を示すべき点があろうかと思いますが、難しい問題であればあるほど中途半端に触れないように努めています」と書き添えていました。記事タイトルとは離れた問題ですが、新規記事の冒頭で少し触れてみようとも考えました。しかし、触れるのであれば腰を落ち着けて取り上げるべき問題だろうと思い直し、たいへん恐縮ながら言葉や説明が不足しそうな触れ方は見送らせていただきました。

さて、少し前の記事「横田基地にオスプレイが正式配備」のコメント欄で、北海道胆振東部地震による大規模停電に端を発した原発を巡る議論が交わされていました。投稿してから1か月以上たちますが、qurさんとAlberichさんとの間でやり取りが続いていました。お二人の見識さに触れながら閲覧者の一人として、それぞれのご意見を興味深く拝見していました。

その議論に触発され、久しぶりに記事本文の中で原発の話題を取り上げてみました。それが「最近の原発報道から思うこと」でした。記事タイトルに掲げたとおり原発に関する様々な報道の紹介を中心にした内容でした。そのため、記事の最後に「原発の話、インデックスⅡ」を投稿する機会があった時、もう少し個人的な考え方も添えさせていただくつもりです、と書き添えていました。

私自身の原発に対する問題意識は当ブログの記事本文を通して数多く発信してきていました。ただ「原発の話、インデックス」を投稿したのが2012年9月のことだったため、近いうちに「原発の話、インデックスⅡ」をまとめてみようと思い立っていました。時々「インデックス」記事を投稿しようと考えているのは次のような理由があるからです。

カテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めています。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめていました。

これまで投稿したインデックス記事は「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「コメント欄の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「春闘の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」「いがみ合わないことの大切さ、インデックス」「憲法の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅢ」のとおりです。なお、「Ⅱ」 以降がある場合は最新のインデックス記事のみを紹介しています。

そのようなインデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えていましたので、今回、「原発の話、インデックスⅡ」に取りかかったところです。「平和の話、インデックスⅡ」を投稿してから4年少しで「平和の話、インデックスⅢ」には新たに50以上の記事を加えていました。「原発の話」に関するバックナンバーは下記のとおりですが、新たに追加した記事は思ったよりも少なく6点にとどまっていました。

4年の間に安保関連法の成立や北朝鮮情勢を巡る動きが緊迫化していたため、新たに加える「平和の話」が多いことは予想していました。それに比べて「原発の話」が思っていた以上に少なかったことは、やはり世の中の関心の度合いが低くなっていたからだろうと考えています。さようなら原発集会の参加者も1万人に及ばなくなっています。

福島の原発事故を大きな教訓とし、日本の将来にとって原発は必要なのかどうか議論を続けていかなければなりません。脱原発を願う立場なのか、原発を容認や推進する立場なのか、立場の違いに関わらず国民の関心が低下しつつある現状だったとしたら残念なことです。私自身は将来的に原発をゼロにすることを願う立場です。上記のインデックスの日付が示すとおり福島の事故の前からそのような立場でブログを綴ってきました。

原発を稼動していくためには半永久的に厳重な管理が必要とされる放射性廃棄物の問題があります。チェルノブイリや福島の原発事故が伝えているとおりメルトダウンを起こした時の被害の深刻さや影響の重大さははかり知れません。安定した電力供給など原発の利点もあるのかも知れませんが、太陽光をはじめとする再生可能エネルギーや蓄電の技術開発を進めることで原発に依存しない社会の実現を望んでいます。

一方で、二項対立的な反対行動とは一線を画した積み重ねも重視すべきものと常々考えています。原発に反対する全国集会に10万人集めても残念ながら脱原発の工程表は不明確なままです。そのような現状を省みていくことも重要であり、例えば「戦争も原発もいらない」と訴えることで、あるイデオロギーを持った「運動」自体を目的化したような集団だと見られてしまうのではないかと危惧しています。

私自身の問題意識として、理想とすべきゴールを描きながらも、物事を実際に改めていくためには現状からスタートする地道な一歩一歩の積み重ねが大事だと考えています。したがって、原発を即時廃止と訴えた場合、原発は必要だと考えている方々との議論がかみ合わなくなる懸念を抱えています。本当に原発ゼロを実現するのであれば、原発を必要と考えられている方々との対話が欠かせないものと認識しています。

何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか Part2」という記事の中に残していた言葉です。このような問題意識のもとに連合の地区協役員の一人として、東電労組の皆さんらとも原発について意見交換する機会も作ってきました。大きな広がりにつなげることはできていませんが、それこそ自分ができる範囲での地道な一歩一歩を大切にしています。このブログの場もそのような一歩につながることを願っています。

そのため、qurさんとAlberichさんとの議論などは歓迎すべきことであり、たいへん感謝していました。いろいろな考え方や情報に触れ合うことで「やはり原発はなくしたい」と思うのか、「それでも原発は必要」と思うのか、このブログが原発の将来のあり方について関心を高めていくための一つの材料になれれば幸いなことです。

最後に、「最近の原発報道から思うこと」を読まれた組合員から次のような指摘を受けていました。『AERA』の記事を紹介した後、「泊原発が動いていなくて良かった」という見方は原発そのものに反対、もしくは容認、それぞれの立場に関係なく、押さえておくべき事実関係だろうと考えています、と記していました。この記述に対し、組合員から「このような言い方は決め付けすぎではないですか」という指摘を受けました。

地震による停電で泊原発も外部電源をすべて喪失していたことを伝える『AERA』の記事でしたが、『震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」地震学者』という見出しは偏った評価のもとに付けられている点などの指摘でした。人によって違和感を持つ見出しや記事内容だったのにも関わらず、「それぞれの立場に関係なく、押さえておくべき事実関係」という私自身の言葉は決め付けすぎだったようです。たいへん失礼致しました。このような指摘は本当に有難いことであり、ぜひ、これからもよろしくお願いします。

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2018年10月27日 (土)

再び、組合役員の担い手問題

シリアで武装組織に拘束されて3年4か月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん、日本の首相として7年ぶりに中国を公式訪問した安倍首相、注目すべき時事の話題は豊富にあります。そのような中で当ブログではマイナーな情報を提供する場として、あまり注目されていない話題を意識的に取り上げるように努めています。

大阪府の松井一郎知事が議会開会中の休憩時間に、公用車に乗って府庁舎周辺を巡回し、車内で喫煙していたことが分かった。11日の府議会総務委員会で取り上げられ、府秘書課は「コーヒーブレークとして段取りした。不適切ではない」と釈明したが、質問した府議は「あまりにもお粗末な使い方だ」と引き続き追及する方針だ。自民党の密城浩明府議が質問し、府の伊藤弘三秘書課長が答えた。委員会に松井知事は出席しておらず、22日に改めて直接質問する予定。

府によると、松井知事は府議会の休憩時間だった今月2日午後3時3分、府庁舎正面から公用車に乗り、府庁舎周辺を巡回して同9分に戻った。車内でたばこを吸って休憩したという。 府の規定では、職務の遂行や警護上の必要性がある場合に公用車を使用できる。車内禁煙の規定はない。一般職員は勤務時間中は禁煙で、抜け出して「一服」すると処分の対象になるが、地方公務員法上の特別職である知事は対象外だ。

松井知事は愛煙家で知られるが、府庁内は知事室も含め全館禁煙。また、府は国よりも厳しい内容で、受動喫煙防止に関する条例制定を目指している。委員会で密城府議は「休憩するなら知事室でできる。たばこを吸うために税金で動かしている車を用意するのはいかがなものか」と問題視した。伊藤課長は「警護上の必要性から休憩するために公用車を使用した。たばこを吸うためではない」と否定しつつ、「公用車の使用について府民から誤解を受けることがないよう心がけたい」と述べた。【毎日新聞2018年10月11日

このような情報は些末な話なのかも知れません。ただ些末なのかどうかの判断も含め、情報を得られたことによって、受けた側がそれぞれ評価できる関係性に至るものと考えています。そのため、これまで私自身が気になったニュースの中で、あまりマスメディアでは大きく扱っていなかった話題を数多く取り上げてきました。今回の話題もそのようなニュースの一つでした。

その後、委員会での直接的な質疑応答があり、松井知事は記者団の取材に対して「府民から誤解を受けないよう今後は短時間での公用車の利用はやめたい」と答えています。ただ「庁舎外の喫煙スペースに僕が行くと職員が気を遣う」とも説明していました。結局、誤解ではなくて喫煙するために公用車を利用していたようです。余計なコスト負担や運転手の受動喫煙の問題をはじめ、そもそも府職員に厳しい対応を求めている松井知事は率先垂範する立場であり、不適切な行動だったことは明らかです。

しかし、元アナウンサーの長谷川豊さんはブログ記事「毎日放送のバカ報道局に告げる いい加減にしておけ」を通し、質問した自民党の府議や報道した毎日放送に対して怒りをぶつけていました。その記事内容に賛同するコメントも多く、たいへん驚きました。33分間も追及したことについて府議側を批判していましたが、すぐに松井知事が不適切さを認めていれば33分間もかからなかったという見方もできます。

このように同じ事例に接していながら立場や視点によって、受けとめ方や評価が大きく分かれる場面は数多くあります。記事タイトルに掲げた本題から離れた話が長くなっていますが、労使関係において顕著な関係性だと言えます。使用者側と労働者側、やはり立場や視点によって様々な事例に対して評価が分かれる場面も多く、真摯な労使交渉を通して、より望ましい決着点を見出していくことになります。

健全なチェック機能を発揮できる労使関係は非常に重要なことだと考えています。組合役員を長く続ける中で実感してきた関係性です。だからこそ組合は大事、つぶしてはいけない、そのためには担い手が必要、ここ数年、そのような思いを強めながら持続可能な組合組織に向け、できる限りの努力を重ねています。前々回記事「組合役員の担い手問題」に記したとおり引き続き執行委員長に立候補しています。

組合役員を長く続ける中で「組合は必要」という思いを強めています。人事評価制度の本格実施や時間外勤務縮減の動きを受け、ますます職員一人一人の声を労使交渉に反映させていくことの大切さを認識しています。このような役割を果たせる組合組織を維持していくためには幅広い職場から多くの担い手が必要です。残念ながら次年度に向けては担い手の広がりを見出すことができていません。活動全般を見直しながら「ピンチをチャンス」に変えられるよう努力してきましたが、引き続き大きな課題として残されています。

このような中、様々な事情を抱えながらも組合役員に立候補された皆さんには本当に感謝しています。それぞれの力を合わせることで「組合があって良かった」と多くの方から評価されるような組合活動をめざしていきます。新たな一年、様々な難題に対し、引き続き組合運動の先頭に立ち、全力を尽くす決意ですので、よろしくお願いします。

◎ 毎週1回更新しているブログ『公務員のためいき』もご覧いただければ幸いです。

上記は立候補にあたり、組合員の皆さんに回覧し、お示ししている私自身の選挙広報に掲げた内容です。11月9日夜の定期大会に先がけて行なわれる組合役員選挙は定数内の立候補のため、現在、信任投票の実施期間となっています。今回、前々回記事「組合役員の担い手問題」の続きとして「再び」を付けた新規記事を書き進めています。たいへん残念ながら担い手の広がりは見出せず、ピンチは広がっていると言わなければなりません。

選挙広報に記しているとおり人事評価制度の本格実施を受け、ますます「組合は必要」という思いを強めています。管理職からの評価結果が昇給額を左右し、生涯賃金に影響を与えていきます。冗談半分だったのか、もしくは奮起を促すためのものだったのか、真意は分かりませんが、「評価を下げるぞ」という管理職の言葉が部下からすれば場合によってハラスメントという関係性につながっています。

全職員に対して匿名で実施したハラスメントアンケートの結果が安全衛生委員会で示されました。5年前に同様のアンケートを実施していましたが、「セクハラを受けた」という比率は横ばいである一方、パワハラについては上昇しています。特に自由記載欄に書き込まれた内容は深刻なものが多数見受けられています。真偽は確認できませんが、管理職に対する不満の声が5年前に比べて増加していることは確かでした。

組合は査定昇給の実施にあたって慎重な労使協議を求めてきました。合意する際、第1次評価者と第2次評価者とのダブルチェック機能の強化など恣意的な評価を防ぐ手立てなどを取り入れさせてきました。管理職の皆さんが初めから恣意的な評価を下そうと考えていないものと思いますが、制度や運用面でのチェック機能を設けることは大切です。場合によって個々の管理職と直接話し、「気付き」の機会につなげていくことも組合役員の役割となっています。

時間外勤務縮減の課題に際し、市長らにとって20時完全退庁宣言は「職員のため」という意識からでした。しかし、組合員からは「残りたくて遅くまで残っている訳ではない」という声があり、組合はそのことを申し入れた上、20時に完全退庁できる職場体制の確立こそ急務という認識を労使で確認しています。一職員の立場であれば、市側が進めている制度や運用に修正をかけることは難しく、まして市長や副市長らに率直な意見を伝える機会も皆無に近いのだろうと考えています。

職員の大半が加入している労働組合があり、実際に活動を担う組合役員がいるからこそ発揮できる組合の大事な役割だと言えます。しかしながら担い手がいなくなれば充分な役割を果たせず、看板だけの組合になりかねません。そして、役に立たない組合であれば脱退する組合員が増えていく恐れもあります。立場上、このような危機感を誰よりも強く持ちながら、組合役員の改選期には多くの方々と接触をはかってきています。

直近の執行委員会の後、組合役員の一人から「委員長、危機感が薄いんじゃないですか」と問われました。耳を疑いましたが、執行委員会の中で私が示した「協力委員」の案について立ち上げる時期を不明確にしていたため、そのような印象を与えてしまったようです。定期大会後の新年度中に立ち上げようと考えていましたが、11月9日以降、早々に立ち上げられるような案を取り急ぎまとめることにしました。

発案者の私がまとめ、次の執行委員会で確認を得られれば定期大会当日に提起する議案とする予定です。「協力委員」という名称は仮称ですが、次のような問題意識から発案しています。現在、組合役員の担い手不足の問題が深刻化しています。信任投票の対象とされている執行委員長、副執行委員長、書記長、書記次長、会計幹事、会計監査は欠員とせず、充足してきているため、執行委員の欠員の多さが大きな課題となっています。

執行委員の立候補について個別に勧誘した際、任務の負担感の大きさが引き受けてもらえない主な理由となっていました。以前に比べれば執行委員の負担軽減ははかっていますが、そのように見られている現状は率直に受けとめなければなりません。そもそも隔週夕方に執行委員会があること自体、新たに担う方々にとって大きな負担であることも確かです。しかし、このまま担い手の減少が続くようであれば、前述したとおり組合活動そのものに支障を来すことになります。

現時点でも執行委員の減少は任期中の組合役員個々の役割に負担をかけています。その結果、きめ細かく迅速な対応をはかりにくくしています。そのことは組合員からの要望や期待に充分応え切れない場面につながりかねず、組合に対する結集力に悪影響を与えていくことになります。

個別に勧誘した際、「執行委員と職場委員との中間的な役割であれば引き受けることも考えられる」という趣旨の意見が複数寄せられていました。今後、組合役員の選出方法を各職場からの輪番制にすることの是非など抜本的な議論も必要ですが、次年度に向けた緊急的な対応として「協力委員」の創設を考えたところです。

創設する目的として「①組合規約上の役員の担い手不足という深刻な現状を踏まえ、組合活動の広がりや活性化を目的に協力委員制度を創設する。②執行委員までは担えないが、できることは協力したいという組合員の思いを受けとめ、幅広い職場から組合活動に関与できることを目的とする。③協力委員を引き受けることで、次年度以降、執行委員まで担えるかかどうか段階的な経験の機会につなげることを目的とする。④任期中の組合役員の負担軽減につなげることを目的とする」という点を考えています。

協力委員の役割として「①協力委員の申出や必要に応じ、執行委員会や団体交渉等にオブザーバーとして参加できる。②各種集会や学習会等の日程について個別に案内を受け、可能であれば参加する。③本庁の協力委員は分担した上、月2回、各職場委員あてにニュース等を配布する。④メーデー等の取り組みの際、必要に応じて応援の要請を受ける」という内容を想定しています。

あくまでも現時点での私案であり、今後の議論でどのような修正をはかるべきなのか、そもそも不要という判断に至るのか、まったく分かりません。毎週1回更新しているブログの場で私案とは言え、執行委員会前に示す手順は異例なことです。組合役員の担い手問題について、より望ましい方向性を探り当てていくためにも、取り急ぎ当ブログの場でお示ししています。私どもの組合員の皆さんに限らず、ご意見等がありましたらお気軽にコメントをいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2018年10月20日 (土)

最近の原発報道から思うこと

少し前の記事「横田基地にオスプレイが正式配備」のコメント欄で、北海道胆振東部地震による大規模停電に端を発した原発を巡る議論が交わされていました。管理人の私に対する直接的な問いかけがなかったため、閲覧者の一人として議論を見守らせていただいていました。今回、久しぶりに記事本文の中で原発の問題を取り上げてみます。

私自身の原発に対する問題意識は当ブログの記事本文を通して数多く発信してきています。「原発の話、インデックス」を投稿したのが2012年9月のことでした。それ以降も「原発ホワイトアウト」「東京ブラックアウト」などを投稿していますので、機会を見て「原発の話、インデックスⅡ」をまとめてみたいものと考えています。

最近の記事「多様な考え方を踏まえた場として」の中に残した言葉ですが、それまで培ってきた経験や吸収してきた知識をもとに個々人の基本的な考え方や視点が築かれていきます。そのようにして築いた基本的な考え方や視点に照らし、直面する様々な事象に対する評価や是非を判断していくことになります。北海道胆振東部地震の際、泊原発が稼働中ではなかったという事象から導き出されている原発そのものへの評価の分かれ方にもそのような傾向を感じ取っています。

これまで個々の事象に対し、私自身の立場や「答え」は明らかにしながら当ブログの記事を綴ってきています。しかし、自分自身の「答え」の正しさを前提にした上での結論を押し付けるような論調は控えています。いろいろな「答え」があることを尊重しながら、あくまでも「私はこう考えています」という訴え方を心がけています。

より望ましい「答え」を見出していくためには幅広く多面的な考え方や情報に触れ合うことが大切だと考えているからです。今回の記事を通しても、そのような趣旨のもとに他のサイトで閲覧できる論評やメディアの報道を紹介させていただきます。まず『震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」地震学者』という見出しが付けられた記事を紹介します。

北海道を震度7の地震が襲った。気象庁によると、地震の発生は6日午前3時8分、地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.7で、震源の深さは約40キロと推定されている。地震地質学が専門の岡村真・高知大名誉教授は、今回の地震について「石狩平野には馬追丘陵から南北に延びる地域に活断層が存在すると推定されていて、震源は石狩低地東縁断層帯の東側と思われる」と分析している。震源に近い厚真町などでは家屋の倒壊や土砂崩れが発生し、生き埋めの被害も出ている。

これまで北海道では、太平洋側に延びる千島海溝でM9クラスの地震が想定され、前回の発生から約400年が経過していたことから「切迫性が高い」と警戒されていた。だが、岡村氏によると「千島海溝との関連性は低い」という。「今回は内陸で起きた地震で、規模としてはそれほど大きなものではなかった。ただ、震源が深く、石狩低地帯は地盤が弱いところが多いため、地盤災害が広がったと思われます。余震も想定されることから、土砂崩れが起きる地域に住む人は警戒を続けてほしい。また、捜索活動を続ける人も、二次災害に気をつけてほしい」(岡村氏)

さらに、被災地を混乱させているのは295万戸におよぶ道内全域の停電だ。道内の信号機はストップし、固定電話や携帯電話がつながらない地域も出ている。「2003年のニューヨーク大停電のとき、日本では複数の系統から電源を確保しているから、1つの発電所のトラブルが原因で広範囲の停電は起こりにくいシステムになっていると言われてきた。なぜ、こんなことが起きたのか。訓練も行われていなかったのか。今後、徹底した調査による原因究明が必要です」(岡村氏)

なかでも驚かされたのが、北海道電力の泊原発(泊村)で外部電源がすべて失われたことだ。泊村の震度は2。にもかかわらず、現在は非常用ディーゼル発電機で、燃料プールにある使用済み核燃料1527体の冷却を続けている。幸いにも、3基の原子炉は運転停止中だった。2011年の東京電力福島第一原発事故による大きな教訓は、大規模災害が起きても「絶対に電源を切らさないこと」だったはずだ。それがなぜ、わずか震度2で電源喪失寸前まで追い込まれたのか。

「泊原発には3系統から外部電源が供給されていますが、北電の中で3つの変電所を分けていただけと思われる。北電全体がダウンしてしまえばバックアップにならないことがわかった。今回の地震で、揺れが小さくても外部電源の喪失が起きることを実証してしまった。『お粗末』と言うしかありません」(岡村氏)

北電によると、地震発生直後に同社最大の火力発電所、苫東厚真発電所が緊急停止。電力供給の需要と供給のバランスが崩れたことで周波数の低下が起き、他の発電所も運転が止まった。苫東厚真発電所の復旧は、少なくとも1週間かかるという。泊原発の非常用ディーゼル発電は最低7日間稼働できるというが、「事故にならなくてよかった」ではすまされない。

「北電だけの問題だけではなく、監督官庁である経産省や原子力規制委員会にも責任がある。このような事態が起きることを想定して、原発施設の電源確保の仕組みをチェックしていなかったということ。これは大問題です。近づく南海トラフ地震でも、すべての火力発電のブラックアウトを想定しておくべきです」(岡村氏)

現在、発電所の再稼働に向けて作業が行われているが、電力復旧のめどは立っていない。もし、泊原発で非常用のディーゼル発電が故障などで使えなかった場合は、“最後の砦”であるガスタービン電源車に頼らざるをえなかったことになる。今回の地震は「原発への電源供給」という災害対応の“基本中の基本”に問題があったことを明らかにした。【AERA dot. 2018年9月6日

今回の大規模停電は1か所の大規模火力発電所に依存することの脆弱さが浮き彫りになった結果であり、北海道電力が設備破損による長期間の運転停止という事態を想定していなかったことなども大きな混乱を生じさせていました。このような災害に備え、電力の供給元を分散させるという意味合いから「泊原発が動いていれば全停電なんて起きなかった」という声が上がっていました。

しかし、上記の記事のとおり地震による停電で泊原発は外部電源をすべて喪失していました。非常用電源による冷却が使用済みの核燃料だけで済んだのは、運転停止中の原子炉内に核燃料がなかったためであり、逆に「泊原発が動いていなくて良かった」と言うべき事態だったようです。このような見方は原発そのものに反対、もしくは容認、それぞれの立場に関係なく、押さえておくべき事実関係だろうと考えています。

そもそも地震や津波などの災害に備えることは原発に限らず、今回の事象のように火力発電所等においても重要なことです。その際、どこまで災害の規模を想定できるのかどうかが福島第1原発事故の大きな教訓だったはずです。いみじくも現在、その事故を巡り、東電の旧経営陣の責任を問う裁判が開かれています。巨大津波は本当に「想定外」だったのかどうかが大きな争点とされています。

東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣の公判は16日、東京地裁(永渕健一裁判長)で被告人質問が始まった。この日は武藤栄元副社長(68)への質問があり、東日本大震災の3年前に津波対策を「先送り」したとする検察官役の指定弁護士側の主張について「専門家への検討依頼が必要な手順だった。時間稼ぎの発想は全くなかった」と否定した。他の2被告は、勝俣恒久元会長(78)と武黒一郎元副社長(72)。武藤元副社長は公判で、対策の先送りを部下に指示したとして3被告の中で最も多く名前が挙がったキーマン。

武藤元副社長は東電原子力・立地本部の副本部長だった2008年6月、政府の地震調査研究推進本部の「長期評価」(02年)に基づき、第1原発への想定津波高が「最大15・7メートル」になるとの報告を部下から受けた。被告人質問で、武藤元副社長はこの時の状況について「(試算結果を)初めて知った。唐突感があった」と回顧。「長期評価」については「(部下の)担当者が『信頼性がない』と説明しており、私も信頼性がないと思った」と述べた。

その上で、同7月に部下から追加報告を受けた際も「根拠が分からない計算結果。(専門家の)土木学会に(長期評価の信頼性を)検討してもらう進め方が妥当と考え、(部下に)『研究しよう』と言った」と説明。「会社の決定のために必要な情報を集めるプロセスだった」と強調した。起訴状によると、3被告は第1原発に大津波が襲来して事故が発生する可能性を予見できたのに、対策を怠って事故を招き、福島県大熊町の双葉病院からの長時間の避難を余儀なくされた入院患者ら44人を死亡させるなどしたとされる。【毎日新聞2018年10月16日

最大15・7メートルの津波を想定し、的確な対応を迅速にはかって欲しかったと思います。もしかしたら取り返しのつかない悲惨な原発事故を防げていたのかも知れないとも思ってしまいます。一方で、武藤元副社長らに業務上過失致死傷罪まで負わせられるのかどうかで言えばためらいがあります。現実に起きるかどうか切迫感が乏しい中、大きな経営判断を伴う対策に二の足を踏んだことも強く責められない気持ちがあります。

四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを命じた2017年12月の仮処分決定を巡り、広島高裁(三木昌之裁判長)は25日、四国電の異議申し立てを認め、再稼働を容認する決定をした。東京電力福島第1原発事故後、高裁レベルで初めて差し止めを命じた決定が取り消されたことで、四国電は伊方原発の運転再開に向けた準備を進める。

広島高裁の野々上友之裁判長(当時)は昨年12月の決定で「阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合、火砕流が敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、伊方原発の立地は不適」と指摘。広島地裁で差し止め訴訟が係争中であることも考慮し、差し止め期限を18年9月末とした。今回の異議審で四国電は「過去最大規模の噴火時でも火砕流は原発の地点に到達していない」「3号機の運用期間中に巨大噴火がある可能性は低い」と主張。住民側は「火砕流が絶対に到達していないとはいえず、火山の長期予測の手法も確立していない」などと反論していた。

3号機は15年7月、原子力規制委員会が福島第1原発事故後に定めた新規制基準に基づく審査に合格。16年8月に再稼働し、17年10月から定期検査に入ったが、同年12月の仮処分決定を受け、運転を停止している。四国電は9月中をめどに、運転再開に向けた具体的なスケジュールを決める方針。

ただ、大分地裁で28日に、3号機運転差し止めの是非を巡る仮処分決定が出る予定。差し止めが認められれば、運転再開に向けた動きは再びストップする。広島高裁の昨年の仮処分決定が18年9月末とした運転差し止め期限の延長を求めた仮処分の申し立ては広島地裁で結審しており、近く決定が出る見込み。松山地裁での差し止め却下決定を受けた高松高裁の即時抗告審と、山口地裁岩国支部への申し立ては審理が続いている。【日本経済新聞2018年9月25日

同じ広島高裁の中で、昨年12月には「火砕流が敷地に到達する可能性が小さいとはいえず、伊方原発の立地は不適」と指摘していましたが、今回は「可能性は低い」という四国電力の主張に沿った司法判断に至っています。東電の旧経営陣に対して酌量の余地を感じていましたが、このような判決に接していくと福島第1原発の事故があまり教訓化されていないのではないかと憂慮しています。

再生可能エネルギーの主力の一つの太陽光発電が、九州では13日にあふれそうになった。大停電回避のために、発電事業者とつながる送電線を九州電力が一部切り離して発電量を抑えた。離島を除き国内初で、14日も行う予定。原発4基の再稼働も背景にある。他地域でも起こりそうで、知恵を絞る時期にきている。

朝から右肩上がりで伸びるグラフが急に横ばいになった。午前11時半。九電がホームページに載せる太陽光の受け入れ量だ。出力の小さな一般家庭を除く、約2万4千件の事業者のうちの9759件を遠隔操作で送電網から切り離した。作業は午後4時までの間に行われた。午後0時半からの30分間に最も電力が余り、需要の851万キロワットに対し、1200万キロワット超の供給力があった。九電によると3分の1が原発という。九電は火力の出力を絞ったり、公的機関の調整で別の大手電力管内へ送電をしたりした。それでも電力が余り、この日は最大で43万キロワットを抑制した。一方、原発4基は通常運転を続けた。

「原発は動かすのに、再生エネを抑えるのは順序が逆だ」。約40カ所の太陽光発電所を運営する芝浦グループホールディングス(北九州市)の新地洋和社長は話す。原則、金銭的な補償はない。「抑制回数が見通せず、事業計画が立てづらい」という事業者もいる。電力は発電量と使用量のバランスが崩れると周波数が乱れ、大規模停電につながりかねない。出力抑制は国に認められている。九州では、2012年に再生エネの固定価格買い取り制度(FIT)が始まると太陽光発電の設備が急増した。出力抑制は四国でも起きる可能性がある。今年5月5日、需要の8割を太陽光が一時担った。今月27日には原発が再稼働する。【朝日新聞2018年10月14日

上記の報道内容は、原発そのものに対する評価の違いによって受けとめ方が分かれていくのかも知れません。太陽光は天候悪化や日没で供給力が急低下します。これに対し、出力が安定している原発は基幹電源の主力として欠かせない、このように見た時、容易に止めやすい太陽光のほうで調整する措置はやむを得ないと考えられていくはずです。

今回、他のサイトの記事の転載が多くなったため、いつものことながら長い記事となりました。冒頭でも述べましたが、より望ましい「答え」を見出していくためには幅広く多面的な考え方や情報に触れ合うことが大切だと考えています。事実関係を中心にまとめたブログ記事ですが、閲覧された皆さん一人ひとりの印象は様々だろうと思っています。今回、ここで一区切り付けますが、「原発の話、インデックスⅡ」を投稿する機会があった時、もう少し個人的な考え方も添えさせていただくつもりです。

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2018年10月14日 (日)

組合役員の担い手問題

今回の記事内容はローカルな問題である一方、組合役員の担い手不足は全国の多くの自治体組合でも苦慮されている問題だろうと思っています。私どもの組合の定期大会は11月9日に開かれます。それに先がけ、組合役員選挙が行なわれます。ちょうど今、新たな担い手の立候補を受け付けている最中です。

組合役員の改選期、インデックス」という記事を投稿してから4年も経っていました。それ以降も、この時期に組合役員改選期に触れた記事を必ず投稿していました。「自治労都本部大会での発言」「持続可能な組合組織に向け」「衆院選と組合役員選挙」と続き、また今年も同様な趣旨の新規記事を書き進めようとしています。

たいへん残念ながら毎年掲げている問題意識が変わらない中、現状を大きく好転させる兆しを見出せていないまま改選期を迎えています。私自身、引き続き執行委員長に立候補します。本来、同じポストに同じ人物が長く務めることは好ましい話ではありません。自治労の機関紙には「同じ人が役員を長くやると経験が豊富ゆえに組織はしっかりするが、その人がいなくなると運動が次につながらない」という声も紹介されていました。

それでも今、退任することは責任ある対応に至らず、周囲からもそのように見られていることを受けとめ、結果的に毎年、留任する判断を下してきています。組合は大事、つぶしてはいけない、そのためには担い手が必要、ここ数年、そのような思いを強めながら委員長を続けています。持続可能な組合組織に向け、組織基盤を底上げすることに力を注ぎ、沈まずに大西洋を横断できるタイタニック号に整えた上、次走者に安心して「バトン」を渡せるタイミングを強く意識しています。

今年5月に投稿した記事「組合民主主義について」に対し、一市民さんから「民主主義の基本原則には多選の制限というのもあるはずですが」と問いかけられ、「職労委員長と執行部はいったい何期やってらっしゃるのでしょうね」というコメントが寄せられていました。この問いかけに対し、私がお答えする前にベンガルさんからは次のようなコメントをお寄せいただいていました。

労働組合役員の多選を奨励するものではありませんが、「多選=民主主義ではない」とはならないかと… 多選制限を取り入れようとする動きは、地方自治体の長についてはかなり前からぎろんされていますね。権限が集中する地方自治体の長が多選により腐敗の温床になるなどの問題提起ですね。もっともそれですら、民主主義に悖るとは必ずしもなっていないように思われます。労働組合の委員長なんて、権限は集中していませんから、組合員が認めれば問題ないかと。ただ、組織の新陳代謝のためには多選ではない方がよろしいとは思います。

私からは「組合の委員長を長く続けていることは望ましいことでありません。このあたりについては毎年、組合役員の改選期前後に記しているとおりです。一般論で言えば、ベンガルさんからの説明があったとおりだと私自身も考えています」と記し、組合役員を長く続けてきた中で「組合は必要」という思いを強めているため、持続可能な組合組織に向けて責任を果たさなければと考え、毎年、思い悩みながら続けていることをお伝えしていました。

確かに労働組合の委員長が首長のように幅広い分野で大きな権限は持っていません。ただ小さいながらも当該組織の進む方向性等に対し、大きな責任や役割を持っていることも念頭に置いていかなければなりません。この責任や役割に対し、当該組織の構成員から信頼を得られないようであれば早めに身を引くことが賢明な判断なのだろうと思っています。

幸いにも多選に対して私どもの組合員の皆さんから特に批判の声は上がらず、信任投票の結果も毎回最上位を得ているため、私自身の独りよがりな問題意識ではないものと理解しています。タイタニック号を例示しましたが、沈みそうな船から船長が真っ先に逃げてしまっては批判の対象になります。船長が逃げ出したことで沈没を免れなくなってしまうようであれば、もっと大きな批判の対象になりかねません。

それでも昨年までは私自身が退けば残されたメンバーに苦労をかけますが、しっかり組織は運営されていくものと思っていました。しかし、今回は四役人事から苦慮することになり、ますます私自身の退任するという選択肢が消し飛んだ中で改選期に突入していました。ようやく四役人事だけは固まりましたが、今回ほど苦慮し、悩ましかったことはありません。この場で具体的な話は記せませんが、少しだけ感謝の思いを添えさせていただきます。

大きな病気を患いながらも前向きな姿勢で自ら執行委員だけは続ける意思を示された方、職場の課題を深刻に悩みながらも続投を決められた方、たいへんな重責だと受けとめながらも新たな任務に踏み出すことを決意された方々、本当にありがとうございます。組合役員の担い手の広がりは難しい中、お互い力を合わせて頑張っていきましょう。その上で、一人ひとりの心身の健康面にも留意した組織運営に努めていくつもりです。

ますますローカルな話になって恐縮です。これまでも明らかにしてきたことですが、組合役員を長く続けてきたこと、これからも続けることに対して自己犠牲のような気持ちは一切ありません。誰かに強要されたものではなく、その都度自分自身が判断してきたものであり、組合役員を担ったことで貴重な経験や交流を重ねられ、自己啓発の機会も数多く得られながら、やりがいのある任務だったものと振り返ることができます。

とは言え、「こんなのしか執行部になりたがらないんだから!」という言葉には感情的に反発してしまった時もあります。担っていることを否定的にとらえていませんが、やはり「なりたくて、なった訳ではない」という思いを秘めているからなのかも知れません。いずれにしても組合役員は専従者ではない限り、基本的に無報酬での活動となります。無報酬という共通項で考えた時、ボランティア活動やサークル活動を思い起こすことができます。こちらの担い手は自発的な方々が中心となり、その活動自体にやりがいや楽しさを感じ取れているはずです。

その他にPTAや自治会の活動を思い浮かべていますが、担い手の多くは任期ごとの輪番制なのだろうと思います。組合役員の担い手の選出方法として、前者のケースと後者のケースに分かれています。どちらの方法も長所があり、短所があり、いろいろ悩みを抱えているはずです。私どもの組合は前者であり、自発的に手を挙げていただける組合員を広く募っているところです。今後、後者の方法に改めることを想定した組織的な議論も必要だろうと考えています。

自治労都本部の機関紙の最新号に「単組枠超えた交流で次代の担い手の育成へ」という見出しを目にしました。ユニオンリーダーセミナーを報告した記事内容でした。セミナーでのグループワークの発表として「組合のイメージが悪い」「負担が大きい」「組合活動の成果が感じられない」という意見が示されています。このあたりが組合役員の担い手不足につながっているという提起だったようです。

このブログ「公務員のためいき」が組合のイメージアップにつながっているのかどうか自信はありません。平和の話を意図的に多く取り上げていますので、人によっては「逆にイメージを悪くしているのではないか」という指摘もあろうかと思います。それでも私自身は幅広い情報や考え方に触れていただくことで、それまでの見方を変える可能性があることも願いながら投稿を重ねています。

このような話を掘り下げていくと本題から離れながら、さらに長い記事になってしまいがちです。組合役員の担い手問題としても、もっと書き進めたい点がありますが、そろそろ一区切り付けさせていただきます。私どもの組合役員の立候補締切は17日水曜午後5時となるため、組合ニユースの裏面に掲げた「組合は大事、だから幅広く、多くの担い手が必要です!同時に貴重な経験を積める組合役員、ぜひ、手を上げてみませんか?」という呼びかけ文を当ブログの中でも紹介させていただきます。             

定期大会から定期大会までの1年間が組合役員の任期です。今年も11月9日に第73回定期大会が開かれるため、その直前に組合役員の選挙が行なわれます。詳しい日程等は選挙委員会から改めてお知らせしますが、あらかじめ組合役員、とりわけ執行委員の担い手の問題について、組合員の皆さん全体に呼びかけ、ご理解ご協力を訴えさせていただきます。

■ 執行委員長、副執行委員長2名、書記長、書記次長、執行委員が定例執行委員会の出席対象であり、様々な組合課題の進め方等を議論しています。ここ数年、執行委員会の開催は隔週水曜夕方が定着していますが、年度ごとに調整可能です。執行委員の定数は12名です。任務の重さやプライベートな時間が割かれる面もあり、執行委員の定数を満たせない現況が何年も続いています。

■ 組合員から人員アンケート等で寄せられる組合への期待は非常に大きなものがあり、よりいっそう労使交渉の大切さが高まっています。組合の責任や役割を充分に全うしていくためには日常的な組合活動を担う執行部の充実が欠かせません。逆に万が一、担い手がいなくなれば組合活動は停滞し、つぶれてしまいます。職場委員同様、職域ごとに選出する方法に切り替える他の組合もありますが、次年度に向けては従来通りの選出方法で組合役員の立候補を募っていく予定です。

■ 「たいへんだったけど、やって良かった」、現在管理職を務めている組合役員OBの皆さんも含め、よく耳にする言葉です。組合役員を担うことで、日常的な仕事だけでは経験できない貴重な機会や幅広い情報が得られます。団体交渉の場では副市長や教育長に対し、自分自身の考え方や思いを直接訴えることができます。自分の職場以外の組合員の皆さん、さらに市役所以外の方々と交流できる機会が増えます。貴重な組合費による限られた予算の範囲内とは言え、全国各地に出向く機会もあります。また、組合役員一人ひとりのアイデアや企画を形にしやすく、その成果や手応えを即時に実感できる経験を積んでいけます。何よりも組合員の皆さんから「組合があって助かりました。ありがとうございました」という声をかけられる時も少なくありません。

■ このような点について少しでも関心を持たれた方は気軽に組合役員までお声かけください。なお、こちらから個別にお話をさせていただくこともありますのでご理解ご協力よろしくお願いします。

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2018年10月 7日 (日)

子どもの貧困と社会的養護の現状

最近の記事「多様な考え方を踏まえた場として」や「横田基地にオスプレイが正式配備」のコメント欄に寄せられているご意見等を踏まえ、じっくり記事本文で取り上げたい論点が多く見受けられています。ただ最近、たいへん貴重な機会が得られ、そのことを少しでも多くの方にお知らせしたいものと思い直していました。

貴重な機会とは連合三多摩ブロック地協の政策・制度討論集会で得られていました。プロジェクトの一員として水曜の午後、休暇を取って参加した催しです。毎年、この時期に開かれ、これまで当ブログでは連合三多摩の政策・制度討論集会で得られた内容をもとに「子ども・子育て支援新制度について」「保育や介護現場の実情」「脱・雇用劣化社会」という記事を綴っていました。

三多摩の地で働き、三多摩の地で暮らす組合員の多い連合三多摩は、各自治体に向けた政策・制度要求の取り組みに力を注いでいます。今年も多岐にわたる要求書を全自治体に提出しています。その一環として討論集会を企画しているため、主催者を代表した議長挨拶は「課題認識の共有をはかるとともに政策・制度の実現に向け、運動を展開していこう」と結ばれていました。

「多摩の未来に夢を」というスローガンを掲げた政策・制度要求の取り組みについて、プロジェクトの主査から全体会の中で報告や提案がありました。224名が参加した全体会の後、二つの分科会があり、私は第1分科会「子どもが安心して暮らせる社会をめざして」の中で報告されたお話に触れることができました。

課題提起として「子どもの貧困 現状と課題~子どもたちが幸せに暮らせるために~」というテーマで「公益財団法人あすのば」の代表理事である小河光治さんからお話を伺いました。続いて事例報告として「「子どもはみんな幸せになりたくて生まれてくる」というテーマで「里親ひろば ほいっぷ」グループの代表である坂本洋子さんからのお話を伺いました。

お二人から伺ったお話は興味深く、たいへん貴重なものでした。今回、さらに貴重な機会として、それぞれのテーマに関わる当事者だった方から実際に経験してきたお話を伺うことができたことです。小河さんには「あすのば」の理事である石川昴さん、坂本洋子さんには「ほいっぷジュニア」の代表である坂本歩さんが同席され、それぞれ檀上から子どもの時の体験談を語っていただきました。

まず「あすのば」ですが、代表の小河さん自身も父親を交通事故で亡くされ、貧困にあえぐ過酷な子ども生活を送られた方でした。中学2年の時、母親から「お金がなくなった。ガス栓をひねって死のう」と言われたことがあったほどです。その後、幸いにも地域の方々の「おせっかい」などに助けられ、奨学金で大学まで卒業でき、「あしなが育英会」に就職されたそうです。

遺児だけが苦しいのではないと思い、小河さんは26年間勤務した「あしなが育英会」を退職し、2015年6月19日に子どもの貧困対策センター「あすのば」を設立しました。その日は子どもの貧困対策法成立から満2年を迎えた日でした。子ども貧困対策法は子どもの将来が生まれ育った環境に左右されないという理念のもと、小河さんらの地道な運動が後押しして成立していました。

あすのばは、「明日の場」であるとともに「US(私たち)」と「NOVA(新しい・新星)」という意味もあります。子どもたちが「ひとりぼっちじゃない」と感じてほしいという「私たち」と一緒だよという願い。そして、多くの人に子どもの貧困問題が他人事ではなく自分事に感じてほしいという「私たち」でもあります。みんながつどう「場」であってほしいですし、すべての子どもたちが明日に希望を持って、輝く新星のような人生を送ってほしいという願いも込めています。

上記は「あすのば」を紹介するサイトに掲げられた言葉です。2009年10月、厚生労働省は初めて子どもの貧困率を発表しました。14.2%という数字の高さに驚き、その年の12月に危機感を強めた小河さんらが子どもの貧困対策法の制定を提唱しました。この法律が成立し、ひとり親家庭の児童扶養手当の第2子以降の加算額の引き上げ、給付型奨学金制度の創設など多様な施策が推進されるようになっています。

貧乏で困りごとの多い場合が貧困であり、「貧へのアプローチ」は世帯の所得増や教育費の負担減などを必要とし、「困へのアプローチ」は困った時に頼れる人を増やすことの必要性が小河さんから語られていました。子どもたちが将来、経済的・精神的に自立し、幸せな人生を歩むことができる人に育てるために「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」とも小河さんは訴えられていました。

小河さんの後、現在「あすのば」で活動する石川さんからのお話でした。石川さんのインタビュー記事を掲げたサイトがあり、参考までにリンクをはらせていただきました。そこに記されているとおり石川さんは、父親の暴力が原因で児童養護施設に2歳から入所していました。たいへん印象に残ったお話として、子どもの頃、週末は自宅に帰られていたとのことです。

そこで父親から暴力を振るわれてしまう訳ですが、それでも「親に会いたくて、好かれたくて」毎週末帰っていたそうです。両親は離婚され、親権は父親が持ち、その父親に認められたくて勉強もスポーツも必死に頑張られていました。オリンピックをめざせるような実力を付けながら「結局、父親からは認めてもらえなかった」という言葉が物凄く重く、切なく感じました。

児童養護施設は18歳になると出なければなりません。石川さんと一緒に暮らしてきた仲間は「普通の子」ばかりだったと話されています。しかし、独り立ちしてから男性は非行に走りがちとなり、女性は「夜の仕事」を余儀なくされがちな現状を悔しそうに語られていました。石川さんは奨学金を受けて大学に進みましたが、すぐ辞めてしまったそうです。いくつもの挫折を経験し、一度は「どん底に落とされた」と話されていました。

石川さんは養護施設出身の仲間に誘われ、「あすのば」と出会いました。「俺にも居場所ってあるんだなって」と思い、そのまま貧困支援の活動に関わることになっていました。印象に残ったお話を中心にまとめているつもりですが、長い記事になりつつあります。翌週にわたった記事になるよりも、このまま「子どもはみんな幸せになりたくて生まれてくる」というテーマでの坂本洋子さんからのお話も続けさせていただきます。

保護者のいない子どもや被虐待児など家庭環境の問題から養護を必要とする児童に対し、公的な責任として養護を行なうことを社会的養護と言います。日本における社会的養護対象児童数は約4万6千人です。家族のもとで暮らせなくなった子どもを自分の家庭に迎え入れて養育する里親制度ですが、社会的養護対象児童数に対する日本の里親委託率は16.5%です。

オーストラリアの里親委託率は93.5%、アメリカやイギリスは70%台、諸外国は軒並み50%前後であり、日本の16.5%という低さが際立っていることを坂本洋子さんは問題視されています。東京都内の里親家庭は510、委託児童は440人とのことです。その里親家庭の一つとして、坂本洋子さんは1985年から里親として18人の子どもたちを育ててきています。

坂本洋子さんが用意されたパワポの画面には「傷を持つ子ども達 ・親による虐待 ・手をかけてもらっていない ・人間不信 ・育てにくい子、抱かれ下手 ・大人の都合で人生を左右されている ⇒ 子どもに全く責任はない」と記されていました。さらに「当たり前」は当たり前ではないこととして、名前に込められた意味、親と子どもの名字が違う、母子手帳(生年月日、身長、体重)、幼少時の思い出や写真、親や親戚の存在などを上げ、里親に預けられる子どもたちの境遇を語られていました。

坂本洋子さんは里親家庭の良さを次のように説明しています。子どもにとって帰れる場所があり、24時間いつも一緒で、自分の味方であり、心からほめ、真剣に叱ってくれ、わがまま(甘え)を受けとめてくれ、自分を信じてくれる存在が里親です。里親家庭がいなければ、その子は一生「パパ」「ママ」と呼ぶことはなかったかも知れないと話されていました。

里親側からすれば「たやすくはないがこの世にたった一人の大切な大人にしてもらった有難さ」を上げられていました。養育上大切にしていることとして「・甘えとわがままを見極める ・自己肯定感を高める(自己受容) ・前向きになれる言葉をシャワーのようにかける ・自分も大切 みんなも大切 ・どうなってほしいか、ではなく子どもが何をしたいか ・養育者はぶれない」という言葉を掲げられています。

坂本洋子さんの報告の後、パワポの画面は坂本家の子どもたちが水族館などに出かけた時のスナップ写真を映し出していました。小学校低学年から高学年の子どもたち、みんな楽しそうな姿でした。恵まれた家庭環境ではなかった幼い子どもたちが坂本家で普通に暮らしている姿を垣間見た写真の数々でした。この写真の後、坂本家の10番目の子どもである坂本歩さんから当事者の声を伝えていただきました。

坂本歩さんの元の名字は「山之内」でしたが、2016年9月、養子縁組によって坂本姓となっていました。ここからは歩さんと記させていただきます。歩さんは生まれてから乳児院、幼児専門の児童養護施設、児童養護施設と転々とし、小学1年の夏から里親の坂本家で生活しています。20歳まで措置延長した後も、そのまま坂本家で暮らし、現在に至っています。

給付型の奨学金を受け取ることができ、明治大学総合数理学部現象数理学科に通い、数学の教師になることをめざしているとのことです。小学生の頃は里子であることへのいじめがあり、中学や高校に進んでも「親と名字が違うことでの周りの反応」が気になったそうです。歩さんは自らの体験を振り返る中で「里子であることは悪いことではない。子どもには何の罪はない。誰から生まれてくるかより、どうやって生きていくのかが大事」と強調されていました。

それぞれのお話を通し、共通して提起されていた問題意識をまとめてみます。子ども自身が選ぶことのできない家庭環境等によって、将来の可能性が閉ざされてしまうことは、その子どもにとって理不尽で不幸な話であり、社会的な損失にもつながります。今回のような現状を伝えたことで、すぐ何か行動を期待していく訳ではありません。まず何よりも多くの方々に子どもの貧困の問題などを知ってもらい、社会的養護のあり方がどうあるべきなのかを考えて欲しい、このような思いが伝わってきたお話の数々でした。

そのため、冒頭に記したとおり今回の記事タイトルは「子どもの貧困と社会的養護の現状」とし、私自身が知り得た情報を一人でも多くの皆さんに拡散する機会とさせていただきました。実は討論集会の当日の夕方、どうしても市役所に戻らなければならず、残念ながら日野市選出の都議会議員からの事例報告「子どもが安心して暮らせる社会をめざして」や質疑討論の時間帯には参加できませんでした。関係者の皆さん、たいへん失礼致しました。

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2018年9月29日 (土)

多様な考え方を踏まえた場として

このブログのコメント欄が掲示板のように使われることを歓迎しています。管理人によっては記事本文の題材から離れた内容のコメント投稿を嫌う方もいます。私自身は幅広い視点からの多様な意見を伺える機会はたいへん貴重なことだと思っています。最近の記事「障害者雇用の問題」や「横田基地にオスプレイが正式配備」のコメント欄でも多様な意見に触れられる機会を得ています。

そのようなコメントを受け、「すべての論点について網羅できませんが、今週末に投稿する記事は多様な考え方や情報があることを踏まえた内容を綴ってみるつもりです」とお答えしていました。さらに「nagiさんから寄せられた神戸市職労の問題や私に対する質問はその新規記事の中で触れていく予定です」と書き添えていました。

9年も前の記事(農水省の「ヤミ専従」疑惑)の中で、nagiさんから指摘を受けた同様の問題について取り上げていました。その記事の中では下記のような記述を残した上、過去の遺物となるべき「ヤミ専従」の問題が「今、批判の対象となる事態は非常に残念な話です」「これまでの組合側の認識の甘さなども厳しく総括し、改めるべき点は直ちに改めていくことが急務だろうと思っています」という言葉で記事を結んでいました。

「ヤミ専従」のような存在が昔は許されていたと述べるものではありません。違法なものは今も昔も違法であり、駄目なものは駄目であったことに変わりありません。しかしながら幅に対する解釈問題として、労使関係の中で「ヤミ専従」的な存在も暗黙の了解としてきた場合があったのかも知れません。言うまでもなく公務員に対する厳しい視線が強まる中、「ヤミ専従」は絶対許されるものではないはずです。仮にかつて存在していたとしても、過去の遺物となっているものと思っていました。

農水省の「ヤミ専従」が取り沙汰されてから9年も経っていながら同じ問題で批判を受けている神戸市職労の感度の鈍さは非常に残念な話であり、改めるべき点は即刻改める必要があるものと考えています。もう一つnagiさんから全水道沖縄の問題も指摘を受けていました。沖縄県知事選の期間中、県庁舎内にある全水道沖縄の組合掲示板に候補者のポスターが貼り出され、選挙管理委員会の指摘を受けて外したという問題です。

組合員を対象にした組織内での周知だったのかも知れませんが、一般の県民の皆さんも目にできる掲示板への貼り出しは明らかに軽率な行為でした。公職選挙法を熟知していなかったのであれば問題であり、知っていながら「組合の掲示板であれば許される」という考えだった場合は認識の甘さを強く反省しなければなりません。SNS上などで発する言葉は慎重に選ぶべきものと考えていますが、これまでも「ダメなものはダメ」と率直に訴えてきているつもりです。

それに対し、〇か、×か、明確にしない答えが多いという突っ込みも入るのかも知れません。しかし、そのような時は私自身にとって、〇か、×か、正直な思いとして明確にできない問いかけだったと言えます。個々人の評価基準から明らかにダメだと判断されている事例に対し、私がダメ出ししない時、そのこと自体を批判される場合がありました。いろいろな「答え」を認め合った場としたいという思いは、そのような関係性に対する問題意識から生じています。

それまで培ってきた経験や吸収してきた知識をもとに個々人の基本的な考え方や視点が築かれていきます。その基本的な考え方や視点をもとに直面する様々な事象に対し、評価や是非を判断していくことになります。そのようにして導き出した「答え」は絶対正しいものと確信し、それ以外の「答え」は認められないような感覚に陥ることもあるようです。

いわゆる右や左の立場に限らず、このような感覚に至っているようなやり取りがSNS上の掲示板などで散見しています。異質な「答え」を持つ他者を見下し、罵詈雑言気味な応酬になっているケースも少なくありません。おかげ様で当ブログのコメント欄では、そのような関係性が際立つことは稀であり、いつもたいへん感謝しています。そもそも異質な他者の「答え」自体を批判しても、相手の人格まで否定するような発言は慎まなければならないはずです。もちろん誹謗中傷の類いとなる言葉は厳禁です。

ただ言論の自由との絡みから、その許容範囲の線引きが難しいと思われる時もあります。過去、このブログでは「誹謗中傷と批判意見の違い」という記事を投稿していました。その頃、事実誤認の批判は誹謗中傷となるため、私から断定調の批判に対する「お願い」を繰り返していました。仮に間違った事実認識だったとしても、「私はそのように考えている」と表明された場合、他者が考えている中味そのものを頭から否定できません。言葉の使い方の一例としては、逮捕された際に容疑者という言葉を使う必要があり、決め付けて犯罪者と呼ばないことなどを上げていました。

言葉の使い方が留意されていたとしても、思い込みや推論から批判されてしまうことは批判される側にとって不愉快に感じます。それでも多様な考え方や価値観を認め合いながら言論の自由を保障していくことの大切さも思い返しています。不愉快だったとしても「なぜ、そのように思われてしまっているのか」と受けとめ、改めるべき点があれば改め、誤解があれば釈明する機会を得られたという前向きな発想を持つことも大切だろうと考えています。

このような思いを巡らす中、「新潮45」の休刊問題が頭の中に浮かんでいました。何が問題だったのか、関係者はどうすべきだったのか、ネット上を検索したところ『「新潮45」休刊決定でもモヤモヤ感が残る理由 これは将来に禍根を残す幕引きだ』というサイトを見つけ、その記事内容に共感していました。加えて、この問題での関連した論評である「内田樹の研究室」の『ある編集者への手紙』の中に書かれていた次の言葉が印象深く、私自身は「なるほど」と思っています。

LGBTの問題では「自分とは性的指向が違う、自分とは性的アイデンティティーが違う他者」に対して、どれくらい「敬意=適切な距離感」をもつことができるかということが試されたのだと思います。よくわからないことについては語らないというのも一つの敬意の表現だと僕は思っています。「わからない」「よく知らないこと」について平然と断定的に語る人たちは、自分が言うことにつねに同意してくれる「自分と同じような読者」を前提にして語っているのだと思います。「身内の語法」で語ること、それを「敬意の欠如」というふうに僕はとらえるのです。

上記のような問題意識を踏まえ、私自身、SNSを通して発する言葉一つ一つに注意を払っています。さらに基本的な考え方や視点が私自身とは異なる方々にも届くような言葉や表現の仕方について常に意識しています。特に安倍首相に関わる記述の際、「批判ありき」とならないような記事内容の投稿に努めています。自治労組合員も含め、安倍首相を支持されている方々が少なくないことを前提に「敬意=適切な距離感」を持ち続けています。

以前の記事「改めて言葉の重さ」の中で、人によってドレスの色が変わるという話を紹介していました。見る人によって、ドレスの色が白と金に見えたり、黒と青に見えてしまうという話でしたが、安倍首相に対する評価も人によって本当に大きく変わりがちです。例えば「地球儀を俯瞰する」安倍外交を絶賛する方々がいる一方、「演出ばかりで中身ない」と批判する声も強まっています。いずれにしても安倍首相の具体的な言動や政策判断を批判しても、安倍首相自身を中傷するような言葉は控えるように私自身は心がけています。

最近の事例として、TAG(日米物品貿易協定)の交渉結果について評価が分かれています。安倍首相はウインウインの関係を成果として誇っていますが、米国第一主義のトランプ大統領に屈したという批判意見があります。前衆院議員の緒方林太郎さんは「よくこの程度で収めたな」と評価され、BLOGOSのコメント欄では「わりとフェアな論評」という声が寄せられていました。

私自身、紹介した内田さんの「よくわからないことについては語らないというのも一つの敬意」という言葉のとおり現時点での先走った評価は控えます。今後、個別品目(自動車、畜産品)の取扱いなどがどのように決まっていくのか、その結果しだいで安倍外交の真価が問われていくものと考えています。案の定、最近のコメントすべての論点について網羅できませんが、最後にnagiさんから寄せられた次の問いかけにお答えします。

>横田基地に核ミサイルが撃ち込まれていた場合、私自身も含め、どれほどの人が犠牲になっていたのか、それこそ現実的な脅威でした。

>安倍首相は「必要なのは対話ではない、圧力を最大限強めることだ」と繰り返し、北朝鮮との距離を取ってきました。

この二つの文言から考えて、もし日本が現在、核攻撃を受けたら、それは北朝鮮に圧力をかけ続けた日本政府に責任の一端があるとの考えと思うのですが、では一体何パーセント日本に責任分担があったとお考えですか? 90%以上 75%程度 50%程度 25%程度 0%以下 どれかに該当するでしょうか。交通事故の過失割合のように数値で示されると、その割合いに応じて対応策やどうするべきかを考えやすいと思うしだいです。お考えを聞かせていただければと思います。

たいへん恐縮ながら、このような問いかけも選択式で答えられるものではありません。決してはぐらかすような意図がある訳ではありませんが、当然、専守防衛に徹している日本に対して核攻撃を加えた北朝鮮の責任の度合いが100%です。交通事故とは異なり、例えば殺人事件で被害者に過失割合が適用されるような話はありません。その上で攻撃が加えられ、多大な犠牲者を生じさせてしまった場合、国民を守れなかったという日本政府の政治的な責任の重さもはかり知れません。

この日本政府の責任の度合いも数値化できるものではありません。ミサイルを撃たせないためにはどうすべきなのか、私自身は圧力一辺倒ではなく、日本政府には韓国の文大統領と同じような役回りに力を尽くして欲しかった、このような願いを託し続けていました。過去、歴史の分岐点が多々ありました。アメリカとの無謀な戦争を回避できる分岐点もあったように理解しています。このような分岐点として「必要なのは対話ではない」と繰り返した安倍首相の判断が正しかったのかどうか、この点について私たちは問われていたものと考えています。

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2018年9月22日 (土)

横田基地にオスプレイが正式配備

思い込みによる勘違いを深く反省しています。前回記事「自民党総裁選と改憲の動き」のコメント欄で、おこさんから「澤藤統一郎の憲法日記」の記事『「安倍9条改憲」を阻止するために』の中にあった「後法は新法を破る」というのは「全く意味不明なので誤植では?」というご指摘を受けていました。

それに対し、同一の法形式の間では後法が前法に優先して適用される原則という意味をご理解の上での疑問だと思い込み、私自身は「誤植」ではないものと考えています、とお答えしてしまいました。澤藤さんがどのような点を問題視しているのか、当該の文章から意味は充分理解できたため、このあたりも「人によって受けとめ方が枝分かれしがちな点は興味深いところです」という一言まで添えていました。

おこさんから再度コメントがあり、「後法は新法を破る」は明らかな間違いで「後法は前法を破る」と記すべき言葉だったことに気付きました。他のサイトからの転載だったため、言葉のチェックが不充分でした。加えて、おこさんが後法優先原則を承知した上での深い意図を持った問いかけだと思い込み、最初、ピントの外れたお答えをしてしまいました。

おこさんには不愉快な思いをさせてしまい、改めてお詫びします。たいへん申し訳ありませんでした。記事本文の当該箇所には注釈(※「後法は前法を破る」の誤りだと思われますを添えさせていただきました。いろいろな意味で、私自身、反省しなければならない軽率な対応でした。今後、このような対応を繰り返さないように注意していくことも書き添えていました。

思い込みによる勘違いを反省していた矢先、金曜の夕方、そのような反省を生かせなかったミスをしてしまいました。仕事が終わり、急いで駅に向かいました。午後6時少し前にターミナル駅前デッキに到着できましたが、関係者が誰もいませんでした。三多摩平和運動センターの駅頭宣伝行動の日でしたが、まず中止になった可能性が頭に浮かびました。

結局、その日の集合時間は午後6時ではなく、6時30分でした。いつも駅頭宣伝行動は6時からであり、私自身の思い込みによる勘違いでした。前段のスケジュールの関係から、その日だけは6時30分からの設定になったようです。このことは事前に通知されていたため、私自身の確認不足であり、「集合時間は午後6時」という思い込みからのミスだったと言えます。

今回は早く到着するというミスだったため、誰にも迷惑をかけていないことが幸いでした。思い返せば約束の時間を勘違いして、平然と30分ほど遅れたこともありました。このようなミスを繰り返せば周囲からの信頼を失くすことになります。思い込みによる勘違い、反省を生かし切れていないことを深く反省しています。以前投稿した記事「ヒューマンエラーの防ぎ方」が頭に浮かび、改めて読み返してみたところです。

本題から離れた話が長くなって恐縮です。さて、下記の報道の通り来月から横田基地にオスプレイが正式配備されます。三多摩平和運動センターの駅頭宣伝行動はオスプレイの正式配備に反対する取り組みでした。これまで当ブログでは「横田基地にオスプレイ」「突然、横田基地にオスプレイ」という記事を投稿しています。今回、オスプレイの問題を通し、在日米軍基地に対する私自身の認識を改めてお伝えする機会とします。

防衛、外務両省は22日、米空軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイ5機が、米軍横田基地(東京都福生市など)に、10月1日に正式に配備されると発表した。防衛省によると、米軍は2024年ごろまでに段階的に機数を増やし、10機態勢にする。沖縄以外の国内でオスプレイが配備されるのは初めて。安全性への懸念が払拭できないまま、首都圏での飛行が固定化する。

5機の正式配備と同時に同基地に新設される「米空軍特殊作戦群飛行隊」の所属となる。米側が日本側に通告した。訓練場所は横田基地のほか群馬、長野、新潟県にまたがる訓練区域、キャンプ富士(静岡県)、三沢対地射爆撃場(青森県)などを想定。横田基地周辺の市街地上空も恒常的に飛行することになる。

オスプレイは、プロペラの向きを離着陸時は上に、巡航飛行中は水平方向に変える「ティルトローター」方式の航空機。開発段階から事故が多発し、最近では16年12月、米海兵隊のMV22が沖縄県名護市沖で着水、大破。昨年8月にはオーストラリア沖で訓練中、着艦に失敗し墜落した。

空軍のCV22は基本性能はMV22と同じだが、潜入作戦などで特殊部隊を輸送するのが任務。夜間や低空飛行といった過酷な条件での運用が前提となっており、基地周辺の住民らから安全への懸念が出ている。

首都圏飛行が常態化 <解説> 米空軍のCV22オスプレイが横田基地に正式配備される。どんな飛び方をしても日米地位協定上、日本側が運用に関与できないまま、安全性への懸念が強い機種が、恒常的に首都圏の空を飛ぶ。事故や騒音にさらされるという沖縄の痛みが、首都圏の問題として、より浮かび上がる。

防衛省は、沖縄・普天間飛行場にMV22オスプレイが配備された際の日米政府間合意を基に、横田基地での深夜早朝の飛行制限や、人口密集地上空の飛行回避などを「米軍は順守する」と説明する。ただしこの合意も、米軍が「飛ぶ必要がある」と判断するだけで、反故にされる。実際に普天間では深夜に飛び、住宅地上空の飛行実態もある。

さらに、オスプレイはたびたび重大事故を起こしているが、仮に事故があっても、日本側は捜査も検証もできない。今年2月には、普天間所属のオスプレイが飛行中に部品を落下させていたのに、日本側に連絡さえなかった。

政府は今回の配備を「日米同盟の抑止力・対処力を向上させる」とうたう。だとしても日本国内での米軍の配備や運用が、いつまでも米軍任せでいいのか。安全保障論議以前の問題が、置き去りにされている。【東京新聞2018年8月23日

前述した通り金曜の午後6時30分に三多摩平和運動センターの呼びかけに応じた組合関係者らが集まり、オスプレイの正式配備に反対する取り組みとして1時間ほど駅前を通行している方々にチラシを配布したり、拡声器を使って様々な主張をアピールしました。具体的な活動ができないままの恐縮な現状ですが、地区連絡会の代表という肩書があるため、このような行動の際、私自身もマイクを持つ一人として指名されます。

今年3月の記事「反核座り込み行動で訴えたこと」の中で触れていますが、いつも原稿は用意せず、その時々に思ったことをアドリブで訴えていました。3月6日の行動の際、訴えたい内容の原稿を初めて事前に用意しました。今回も用意してみましたが、昼間の行動とは違い、原稿を読めるような明るさではありませんでした。そのため、訴えようとした言葉や内容が漏れがちとなっていました。

用意した原稿の内容は、これまで当ブログを通し、不特定多数の皆さんに訴えてきた論点をまとめたものです。駅前を行き交う方々の中で足を止めて耳を傾けてくださる方は、まずいません。ほとんどの方が聞き流していくようなアピールの場に過ぎませんが、私自身の出番があるのであれば、今、最も訴えたいことを自分の言葉を尽くして訴えてみようと考え、あらかじめ自分自身の主張をまとめてみました。

インターネット上と実生活の場面で主張を使い分けていない証しとして、用意した原稿のデータをもとに今回の記事を書き進めていきます。駅頭では触れられなかった内容がある一方、その場で付け加えた言葉などがあります。したがって、用意した原稿の要旨をそのまま紹介する訳ではなく、いろいろ手直ししながらブログ記事として仕上げています。それでも基本的な論点や構成に変わりがないことだけは強調させていただきます。

            ◇            ◇

オスプレイが初めて横田基地に飛来したのは2014年7月です。その後、頻繁に横田基地に降り立っていました。正式配備の計画自体は見送られていましたが、ついに来月から横田基地に正式配備されます。このことを私たち三多摩平和運動センターは強く反対しています。

オスプレイはプロペラの向きを変えることでヘリコプターのような垂直離着陸や飛行機のような高速飛行ができます。離着陸のための長い滑走路が不要となり、ヘリコプターと飛行機の利点を併せ持っていると言われています。利点の多さが強調される一方、ヘリコプターと航空機の「良いとこ取り」のシステムは複雑で、操縦にも高度な技術を要しています。

開発段階から重大事故を頻発させ、オスプレイの事故率の高さが問題視されています。さらに横田基地に配備される空軍のCV22オスプレイは、海兵隊のMV22よりも事故率が高くなっています。基本構造は同一であり、事故率の差異は運用の違いから生じていると見られています。CV22のほうが特殊作戦上の運用が多いため、演習場等での事故率が高まっているという見方です。

このような危険性が取り沙汰されているオスプレイを住宅密集地のど真ん中にある横田基地に正式配備するという動きに周辺自治体から懸念の声が上がっています。外務省・防衛省は「配備は日米同盟の抑止力・対処力を向上させ、日本の防衛力及びアジア太平洋地域の安定に資する」と説明しています。

しかし、軍備の増強を重視した抑止力は逆に近隣諸国との緊張関係を高めていくリスクが伴います。加えて万が一、軍事衝突の事態に至った際は真っ先に軍事基地、つまり横田基地が攻撃の標的にされることになります。沖縄の基地負担の問題は深刻ですが、騒音被害なども生じさせる基地をどこの自治体も歓迎できるものではありません。

一方で、日本の平和や安全を守るために在日米軍基地は不可欠と考えている方も少なくありません。そのような考え方を全否定せず、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、在日米軍基地の問題は難しい論点を内包しています。今回のオスプレイの正式配備の問題は横田基地の機能強化であり、この場所での基地の固定化につながりかねず、周辺自治体に永続的な負担を強いる話だと言えます。

さらに首都に外国の軍事基地がある異例さをはじめ、「横田空域」の問題も見過ごせません。首都圏の空域の大部分は米軍の管理下にあり、日本の航空機は大回りしなければならず、余計な時間や燃料を浪費しています。経済的な損失だけではなく、環境面からも理不尽な負荷を強いられている根深い問題もあります。

このように在日米軍基地の存在は直面した地元の問題であり、国家としての主権に関わる問題でもあり、安全保障のあり方を巡る問題にもつながっていきます。ただ残念ながら「配備を許さない」「基地はいらない」と訴えても容易にその願いが実現できるものではありません。そのため、現状からスタートし、どのような手立てを積み上げていけば在日米軍基地をなくせるのか、そのような訴え方を重視すべきものと考えています。

防衛審議官だった柳沢協二さんは、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと話されています。つまり「攻撃に備える」ことではなく、ミサイルを撃とうとする「意思」を取り除くことこそ、最も国民のために寄与する安全保障だろうと考えています。安倍首相は「必要なのは対話ではない、圧力を最大限強めることだ」と繰り返し、北朝鮮との距離を取ってきました。

その一方で、史上初めて米朝首脳会談が実現し、南北の対話も進んでいます。北朝鮮に対しては今後も非核化の検証をはじめ、拉致問題の解決や北朝鮮国内の人権問題など注視すべき点は多々あります。しかし、北朝鮮を「窮鼠猫を噛む」状態に追い込み、一触即発の事態に至るリスクを回避できたことだけは間違いありません。万が一、横田基地に核ミサイルが撃ち込まれていた場合、私自身も含め、どれほどの人が犠牲になっていたのか、それこそ現実的な脅威でした。

安倍首相はロシアで開かれた東方経済フォーラムの時、大規模な軍事演習について話題にすることはなく、約束の時間に2時間以上待たされても苦言を呈することもなく、忍耐強くプーチン大統領との良好な関係を築いています。言うべき時に言うべきことは毅然と言わなければなりません。それ以外の場面で安倍首相がプーチン大統領の性格を気遣いながら低姿勢で接していることを責める気持ちは一切ありません。

東西冷戦時代とは様変わりし、現在、核保有国で軍事大国であるロシアに対する脅威が取り沙汰されることはありません。良好な外交関係を築き、ロシアから日本を攻撃する「意思」を取り除いているからです。ぜひ、自民党総裁選を勝ち抜いた安倍首相には相手を選ばず、中国や北朝鮮ともロシアとの関係性と同じような寛容さを重視し、良好な外交関係を築いていって欲しいものと願っています。

敵対しがちな近隣諸国との対話を進め、攻撃する「意思」を取り除くことが最も重要な安全保障への道筋だろうと考えています。そして、このような外交努力を積み重ねながら周辺諸国からの脅威を逓減させていくことによって、必要最低限な抑止力のあり方についても検討していけるはずです。その検討の先に日米安全保障条約の見直しもあり、在日米軍基地の縮小や撤去を実現させていく可能性があるものと信じています。

オスプレイの正式配備という地元の問題に直面している今、反対している住民が多数であることを日本政府に伝えていくことは重要です。逆に少数と見なされた場合、現状維持を地元住民や国民が追認していると解釈し、日本政府が重い腰を上げることは到底考えられなくなります。そのような意味合いからも今月30日に投開票される沖縄県知事選の行方に注目しています。ぜひ、以上のような点について、お忙しい日常の中でも少しだけ考えていただければ誠に幸いなことです。

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2018年9月15日 (土)

自民党総裁選と改憲の動き

沖縄県知事選が木曜日に告示され、9月30日に投開票されます。在日米軍基地の問題に深く関わる選挙戦だと言えます。このブログのコメント欄でのやり取りを踏まえれば、記事本文の題材として取り上げるべき話題なのかも知れません。それでも今回は改憲の動きに直結しそうな自民党総裁選について取り上げてみます。

もちろん私自身には無縁な選挙ですが、国民の実質的な代表である総理大臣を決める重要な選挙戦であることも間違いありません。安倍首相が圧勝するという大勢は揺るがないようですが、国民の一人として関心を抱きながら改憲の動きに絞った話を書き進めてみるつもりです。

前回記事「障害者雇用率の問題」のコメント欄に記した問題意識ですが、個々人が正しいと信じている「答え」は千差万別だろうと思っています。その上で、より望ましい「答え」に近付くためには多様な「答え」や情報に触れていくことが大切です。このような問題意識のもとに私自身、いわゆる左や右の立場に限らず、いろいろな視点で綴られている書籍やネット上のサイトを閲覧しています。

ブックマークしているサイトの中で、自民党総裁選を取り上げた興味深い記事をいくつか拝見しています。このブログ自体、ニッチな情報を提供する場であり続けたいものと考えているため、幅広い情報を拡散する機会として対象的な内容の記事を2点紹介させていただきます。まず産経新聞の論説委員兼政治部編集委員が綴っているサイト「阿比留瑠比の極言御免」の記事『国民から憲法改正の権利奪うな インタビューで強調した安倍晋三首相』です。

「国民には貴重な一票を行使していただきたい。国民が(憲法改正の是非を問う)国民投票をする権利を奪うことは、国会のサボタージュ(怠業)となる」 安倍晋三首相は、1日の産経新聞のインタビューでこう強調した。現行憲法が施行されて71年余がたつが、国会はいまだに一度も憲法改正の発議をしておらず、国民は固有の権利をいまだに行使できずにいる。首相はそうした不正常な現状に対し、改めて問題意識を表明したといえる。

憲法は改正条項(96条)を備えており、社会の必要や時代の要請に応じた改正を当然の前提としているにもかかわらず、国会審議は遅々として進んでいない。ここ数年にわたり、野党からは「安倍政権の間は憲法改正の議論はできない」との意味不明な主張が繰り返し聞こえる。だが、国の根幹をなす憲法の議論を、属人的な理由や単なる好悪の情で忌避してどうするのか。首相は、そうした無責任な態度をこう牽制した。

「安倍晋三が嫌だとかではなくて、議論すべきは、憲法のどの条文をどういう必要性があって変えるかということのみだ」 国民の権利や国の義務にもかかわる憲法の論議が、国会運営の駆け引きや政敵批判の材料に利用される現状にも警鐘を鳴らした。「それ(憲法の議論)が政局のために、この政権を倒すとか自分たちが政権を取るということで行われるのは避けるべきだ」

ただ、憲法9条の条文を残した上で、自衛隊の存在を明記するという首相の提案には当初、自民党内にも異論が少なくなかった。現に総裁選を争うことになる石破茂元幹事長は、戦力の不保持を定めた9条2項の削除を求めているほか、9条改正自体について「緊要性があるとは考えていない」とも主張している。この点に関して首相は、次のように説明した。「激動する安全保障環境の中にあるからこそ、憲法に自衛隊を明記することで、国民のために命をかける自衛隊の正当性を明確化し、誇りを持って任務に専念できる環境を整える」

8月には、埼玉県の共産党市議らが、子供用迷彩服の試着体験などの自衛隊イベントを中止させたり、自衛隊の航空ショーの中止を求めたりしたことが議論を呼んだ。首相は、憲法に自衛隊を位置づけることで「そういう議論に事実上、終止符を打つことにつながっていく」とも述べた。9条2項の削除は一つの道理ではあるが、連立を組む公明党が受け入れることは考えにくい。公明党抜きでは、衆参両院で国会発議に必要な3分の2の議席は確保できない。

昨年5月、石破氏が2項を残す首相案を批判した際、首相は周囲に「だったら石破さんは、公明党を説得してから言えばいい」と語っていた。1日のインタビューで首相は、改めて石破氏にこう反論した。「そもそも昨年10月の衆院選で自民党は、9条2項を削除する案ではなく、自衛隊の明記を公約に掲げて国民の審判を仰いだ」 首相は最後に「政治は現実であり、具体的な結果を出していくことが求められている」と決意を示した。

「誰が」ではなく、「何を」訴えているかという関係性を重視しています。そのため、発信者の名前や立場を伏せて紹介するほうが望ましいのかどうか少し迷いました。とは言え、そのような紹介の仕方はネット上のマナーを失することになり、あらかじめ「誰が」訴えているのか明らかにさせていただいています。続いて、「澤藤統一郎の憲法日記」の記事『「安倍9条改憲」を阻止するために』からの抜粋です。

昨年・2017年の5月3日憲法記念日が「安倍9条改憲」策動の始まりでした。彼は、志を同じくする右翼団体の改憲促進集会と、これも志を同じくする読売新聞の紙面とで、2020年までに、憲法を改正したいと期限を切って具体的な改憲案を提案しました。

「安倍9条改憲」の内容は、憲法9条の1項と2項は今のままに手を付けることなく残して、新たな9条3項、あるいは9条の2を起こして、自衛隊を憲法上の存在として明記する、というものです。安倍首相は、「全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整えるということになるだけで、この改正で実際は何も変わらない」と繰り返しています。

もし、本当に何も変わらないのなら、憲法改正という面倒で巨費を要する手続などする必要はありません。「自衛隊員が誇りを持って任務を全うできる」か否かは、国民が判断することで首相がしゃしゃり出ることではありません。

実は、「安倍9条改憲」で、憲法の平和主義の内容は明らかに変わるのです。現行憲法9条の1項と2項は、戦争放棄・戦力不保持を明記しています。これをそのままにして、戦争法(安保法制)が成立しました。このことによって、法律のレベルでは、自衛隊は集団的自衛権行使の名目で、海外で戦争のできる実力部隊と位置づけられたのです。しかし、憲法はこれを許していない、今ならそう言えます。

安倍9条改憲を許せばどうなるでしょうか。戦争放棄・戦力不保持の1・2項と、新たに自衛隊を書き込んだ憲法の新条文とが矛盾することになります。その矛盾は、新たな条文に軍配を上げるかたちで収められる危険が高いのです。「後法は新法を破る」(※)という法格言があります。集団的自衛権行使可能な自衛隊の明記が、9条1項・2項を死文化させかねないのです。 ※「後法は前法を破る」の誤りだと思われます。

弁護士である澤藤さんのブログ記事は長文であり、全文を読まれたい方はリンク先をご参照ください。上記の記事に続く澤藤さんの言葉として、石破茂候補が、「理解ないまま国民投票にかけちゃいけません。誠実な努力を着実にやっていく上で、初めてそれが俎上に上るもの」と、クギを刺しています。軍事オタクで、タカ派イメージの強い石破さんをハトに見せる安倍首相の前のめりの姿勢です、とも記されています。

澤藤さんのブログは以前からブックマークし、時々、参考になる記事内容を当ブログの中で紹介してきました。今年5月に投稿した記事「日本国憲法が大きな岐路に」の中では、澤藤さんの講演に直接足を運んだことも報告していました。だからと言う訳ではありませんが、どうしても澤藤さんの訴える内容のほうに「なるほど」と思える箇所が多くなりがちです。

私自身の考えは「改憲の動きに思うこと」「改憲の動きに思うこと Part2」などを通して訴えきています。いつ憲法9条の行方が問われたとしても、幅広く正しい情報のもとに判断できる環境を整えていくことが重要です。その結果、自衛隊を正式な軍隊に改め、戦争ができる「普通の国」に戻ることを国民が選択するケースもあり得るはずです。そのような選択に至った場合、それはそれで厳粛な国民投票の結果として受けとめていかなければなりません。

絶対避けるべきことは不誠実で不正確な選択肢のもと憲法の平和主義が変質していくような事態です。集団的自衛権の行使は認められない、後方支援も含め海外での戦争参加はできない、専守防衛までを認めていた現憲法9条の解釈を有効とし、それに見合った平和活動や国際貢献に徹するべきという「答え」を当ブログを通して訴えてきています。仮に国民投票で憲法9条の文言を見直す場合、名称はともかく自衛隊を軍隊と認めた上、役割や任務を明示すべきものと考えています。

安倍首相が提起した1項と2項はそのまま、つまり軍隊ではない自衛隊を憲法に明記する、安保法制の施行前であれば一定評価できる発想だったものと思います。しかし、戦場に出向きながら後方支援しか担わないという限定的な集団的自衛権の範囲は必ず見直しを迫られるはずです。さらに軍隊ではないまま自衛隊が海外で武力を伴う活動に従事することの矛盾や危うさも数多く指摘されています。

このような考え方に照らした時、安倍首相の提起している発想には疑念を抱いています。新たな矛盾や憲法論争の火種を残したままの改憲への道筋であり、現状が何も変わらないのであれば不必要な発議だと言えます。「政治は現実であり、具体的な結果を出していくことが求められている」という安倍首相の決意が紹介されていますが、状況によってはまったくその通りだと思っています。

しかし、本当は自衛隊を国際標準の軍隊にしたいけれど、そこまでは一気に変えられないから「憲法に明記するだけ」という発想だった場合、いかがなものかと危惧しています。それも国柄を象徴する憲法をどのように改めるのかどうかという極めて重大な選択肢を国民に示す際、この程度のハードルであればクリアできるという「現実的な判断」が誠実な姿勢なのかどうか私自身は疑問に思っています。

将来的に自衛隊を軍隊に位置付けたいとする石破候補の考えは支持していません。しかしながら「9条は国民の理解なくして、改正することがあってはいかん」という言葉には強く共感しています。ただ真っ先に改憲すべき事項は参院選の合区解消という石破候補の訴えには違和感があります。総裁選の応援を得るために必須な公約なのかも知れませんが、優先順位の例示としては説得力を欠くように感じています。

自民党総裁選の討論会で、安倍首相は、ロシアのプーチン大統領が「前提条件なしの平和条約締結」を提案したことについて、従来の政府の方針を維持する考えを示した。安倍首相は、「日本の立場は、領土問題を解決して平和条約を締結する立場。(プーチン大統領が)平和条約の意欲を示したのは間違いない」と述べた。これに関連し、立憲民主党は「反論せずに黙ったままでいる総理の姿勢は、看過できない」として、予算委員会を開催するよう自民党に求めた。【FNN PRIME 2018年9月14日

長い記事になっていますが、上記の話題についても触れてみます。東方経済フォーラムの壇上で、安倍首相が反論しなかったことについて私自身は問題視していません。沈黙が同意だという誤解を与えるような場だった訳ではなく、即座に反論したとしても領土問題の解決に向けて物事が劇的に動き出すものでもありません。ただ安倍首相としては、その場の雰囲気を壊さない程度に一言添えるべきだったと悔やまれているのかも知れません。

ロシアは東方経済フォーラムと同じタイミングで、中国軍とモンゴル軍も初参加した冷戦後最大規模となる軍事演習を極東やシベリアの地で実施しています。アメリカとの対立が続く中、ロシアと中国が政治経済や軍事の面でも緊密な連携をアピールするための一連の動きだと見られています。この軍事演習について安倍首相が話題にすることはなく、約束の時間に2時間以上待たされても苦言を呈することもなく、忍耐強くプーチン大統領との良好な関係を築いています。

言うべき時に言うべきことは毅然と言わなければなりません。それ以外の場面で安倍首相がプーチン大統領の性格を気遣いながら低姿勢で接していることを責める気持ちは一切ありません。首脳同士の良好な関係が私たち国民にとって最良の結果を引き出していただけることを期待しながら、私自身は安倍首相の今回の沈黙も含めてロシアとの関係性を評価しています。

領土問題の解決は悲願ですが、容易でないことも確かです。仮に安倍首相の手腕で解決できなかったとしても、掌を返して「良好な関係は何だったのか」と批判するつもりはありません。核兵器を保有する軍事大国であるロシアから攻撃されるという脅威や危機感だけは取り除いた関係性を築いているからです。脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まり、このように「意思」は外交交渉によって取り除くことができます。

領土問題を解決した後に平和条約を結ぶことがセオリーです。「戦争の火種を残す平和条約」というのは原理的矛盾だとも説かれがちです。9月20日、安倍首相が自民党総裁に選ばれることは確実視されていますが、今後、このような外交問題をはじめ、たいへんな難問が山積しています。安倍首相に望むことは改憲に向けた明確な選択肢の提示であり、相手を選ばずにロシアとの関係性と同じような寛容さを重視し、近隣諸国と良好な外交関係を築いていって欲しいものと願っています。

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2018年9月 8日 (土)

障害者雇用率の問題

もはや災害レベルと言える猛暑から猛烈な台風による被害が続き、木曜の朝には北海道を襲った震度7の大地震、日本列島の各所で甚大な痛みが強いられています。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。非日常の労苦に直面されている方々が多い中、恐縮する思いがありますが、いつもと同じように今週末も新規記事を投稿させていただきます。

前回の記事は「ネット議論の悩ましさ Part2」でした。その記事の中で、どうしても自分自身の正しいと信じている「答え」に沿って折り合えない限り、暖簾に腕押しのような平行線の議論だと感じがちであることを記していました。いみじくもコメント欄で、おこさんから「疑問を持っている人に理解を求めるのは困難」、下っ端さんから「永遠に噛み合わないという過去からの流れは、今後も続いていくのでしょうね」という言葉が寄せられていました。

私からすれば、私なりの言葉を尽くしてお答えしているつもりですが、その「答え」自体が一つの答えとして認められていないような手応えのなさを感じています。いろいろな「答え」を認め合った場として、このブログを位置付けています。この言葉は文字通り個々人の判断基準からすれば異質で理解不能な他者の「答え」だったとしても「そのような考え方もあるのか」という認め合いを推奨したものです。

もちろん理解不能な「答え」に対し、疑問や批判意見を投げかけることがあっても当然です。しかし、自分自身の「答え」の正しさを絶対視する余り、異質な「答え」を発する他者を見下すような関係性だけは避けていければと願っています。おかげ様で当ブログのコメント欄では、そのような関係性が際立つことは稀であり、いつもたいへん感謝しています。

いずれにしても当ブログを通して「答え」を一つに絞ることを目的にしていませんので、パネルディスカッションのような場として幅広い視点や見識からの多様な意見に触れ合っていけることを望んでいます。「コメント欄の限界と可能性」という記事を投稿していましたが、何かの言葉に反応し、「なるほど」という気付きがあり、それまでの考え方を大胆に改める可能性があることも頭から否定できないはずです。

そのような意味合いから久しぶりにベンガルさんに登場いただき、たいへん有難く思っています。最近の傾向として、コメント欄では私自身の主張に対する反対意見の数々という構図が多くなっていましたが、やはり幅広い立場や考え方に基づく意見が交わせることを願っています。当初、このような話を中心にした新規記事も考えていましたが、今回は記事タイトルに掲げた通り障害者雇用率の問題を取り上げさせていただきます。

中央省庁が雇用する障害者数を水増ししていた問題で、厚生労働省は28日、各省庁を再点検した結果、計3460人分が国のガイドラインに反して不正に算入されていたと発表した。障害者数の約半分が水増しだったことになる。雇用の旗振り役である中央省庁自らが数値を偽っていたことになり、制度の信頼が大きく揺らいでいる。

水増しは内閣府や総務省、国土交通省など全体の約8割にあたる27の機関で発覚した。法務省や財務省、外務省、気象庁、公正取引委員会などでも見つかった。実際の雇用率は大きく減少し、公表していた2.49%から1.19%に落ち込む。障害者数が最も減るのは国税庁で1000人超のマイナスになる。雇用率が0%台なのは総務省や法務省、文部科学省など計18機関になった。

加藤勝信厚生労働相は28日の閣議後の記者会見で、「障害者施策を推進する立場として深くおわびを申し上げる」と頭を下げ、「今年中に法定雇用率に満たない人数を雇用するよう努力してもらう」と述べた。水増しの原因については「故意か理解不足によるものか、今回の調査では判断しきれない」とした。障害者雇用促進法は、企業や公的機関に一定割合の障害者を雇うよう義務づけている。

現在の国の法定雇用率は2.5%。厚労省は国の33行政機関の障害者雇用数について昨年6月時点で約6900人とし、当時の法定雇用率(2.3%)を達成したとしていた。厚労省のガイドラインでは障害者手帳などの確認を算定条件にしている。しかし、多くの省庁が手帳などを確認せず障害者として組み入れていた実態が明らかになった。就業できるはずだった障害者の雇用機会を奪っていた可能性がある。

企業の場合は法定雇用率を下回ると、不足数1人当たり月額5万円の納付金を求められる。ペナルティーがない行政機関が不適切な算定をしていたことに対し、民間などからの批判が高まるのは必至だ。水増しは全国の自治体でも相次いで発覚している。政府は28日、障害者雇用の水増し問題を巡り、関係閣僚会議を首相官邸で開いた。

菅義偉官房長官は加藤厚生労働相を議長として再発防止策などを検討する関係府省連絡会議を設置すると表明。「10月中をメドに政府一体となった取り組みのとりまとめができるように検討を進めてほしい」と指示した。同連絡会議のもとに弁護士など第三者による検証チームもつくる。【日本経済新聞2018年8月28日

上記の報道の通り官公庁の多くの職場で障害者雇用率を満たしていないことが分かり、強い批判を浴びています。民間企業に対して強要し、取り締まる側であり、率先垂範が求められる官公庁側の杜撰さは猛省しなければなりません。幸い私の勤めている市では「水増し」のような実態はなく、雇用率を満たしていることが確認できています。

民間企業の場合、法定雇用率を下回ると不足数1人あたり月額5万円の納付金を求められます。そのようなペナルティが官公庁側には課せられていないという制度面の不公平感も取り沙汰され、「水増し」と非難されるように意図的な操作まで疑われています。なぜ、このような際立った官民の隔たりが生じたのか、次のような解説に接すると少しだけ疑問は解けていきます。

あらかじめ強調させていただきますが、「だから仕方なかった」という情状酌量につなげるための紹介ではありません。あくまでも多面的な情報に触れることで、物事を評価するためのモノサシの幅が広がるという趣旨の一例として取り上げています。その解説は「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」の記事『障害者雇用率「水増し」問題の法制度史的根源』の中に綴られていました。

詳しい内容はリンク先のサイトをご参照いただければと考えていますが、要点は次の通りです。もともと雇用率制度は1960年に制定された障害者雇用促進法で官公庁は義務、民間は努力義務として始まっていました。1976年の改正で民間も義務化され、この時に民間については雇用率未達成企業に納付金制度が導入されました。

「しかし、その際に障害者の範囲が変わったということは、詳しい人でないとあまり知られていないでしょう」とも記されています。その法改正の詳細を官公庁側が「知らなかった」という釈明は決して許されません。ただ「なぜ、ここまで官民での隔たりが生じてしまったのか」という理由や背景についての理解は進みます。さらに当該の記事には次のような問題意識も示されています。

障害者の範囲というのは、実は障害者雇用政策の根幹に関わる大問題でもあるのです。雇用率制度という一つの政策においては、今日新聞を賑わしているように、ほぼ障害者手帳所持者とイコールというかなり狭い範囲の人々の限られていますが、同じ障害者雇用促進法でも差別禁止と合理的配慮というもう一つの政策においては、手帳を持たない精神障害者や発達障害者、難病患者なども含まれます。さらに福祉的就労の対象となる総合支援法の対象はもっと広くなります。

このブログでも2年前に「障害者差別解消法が施行」という記事を投稿し、対象となる障害者は「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」とし、障害者手帳等の所持者に限らず、見た目で分からないこともあるという記述を残していました。今回のような報道が注目を集めてしまい、その結果、障害者手帳を持っていない方々に対する職場における合理的配慮が欠けていくようでは問題です。そうならないためにも障害者差別解消法の理念にもっとスポットライトが当たらなければならないものと考えています。

8月5日に投稿した「平和の話、インデックスⅢ」以降、安全保障に関わる論点を提起してきています。それぞれの記事に対し、多くのコメントをお寄せいただいています。基本的に私からのレスは記事本文を中心に対応しています。問いかけすべて網羅した対応に至っていない中、今回、これまでの流れを変えた題材になったことをご容赦ください。決して意識的に流れを変えようと思っている訳ではなく、お寄せくださったコメントは一つ一つ拝読していますので、今後投稿する新規記事を通して私なりの「答え」を少しずつお返しできればと考えています。

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