2025年2月 1日 (土)

10時間を超えたフジテレビの記者会見

前回記事「混迷を深める兵庫県政」の冒頭、トランプ大統領の就任やフジテレビの問題など時事の話題が目白押しな中、私にとって兵庫県に絡むニュースが最も関心の高いものとなっていることを伝えていました。そのような傾向は変わっていませんが、フジテレビの問題も見過ごせなくなっています。

前回記事の最後には「余談ですが」とし、フジテレビ労働組合の80人ほどだった組合員数が500人を超えたという興味深い話を紹介していました。勤めている職場で不安や不満が高まったことで、労働組合の存在感が高まった証しだろうと思っています。長く組合役員を務めてきた一人として、そのように頼ってもらえていることを好意的にとらえています。

現在、ネット上ではフジテレビの問題を伝えるサイトを数多く目にすることができます。SMAPのリーダーだった中居正広さんによる女性トラブルの問題がフジテレビの経営を揺るがせています。社長らによる最初の記者会見がクローズで、動画の撮影さえ拒んだことが激しい批判にさらされました。

一転して月曜午後4時から始まった記者会見はフルオープンで、1回の休憩をはさみながら時間無制限だったため深夜まで及んでいました。視聴率は13%を超え、世間からの関心の高さがうかがえました。私自身も生中継を視聴していましたが、さすがに最後までテレビ画面の前にいた訳ではありません。

翌朝、起きてから終了時刻が2時半近くだったことを知り、たいへん驚きました。その異例な長さとともに記者会見のあり方など、いろいろ考えさせられる点が多くあります。まずフジ報道局編集長、10時間超の会見に「自業自得」と自社をバッサリ  参加したジャーナリストにも「何らかの問題がある」と警鐘も』という見出しの付けられた記事を紹介します。

元タレント中居正広氏と女性とのトラブルを巡り、フジテレビ社員の関与が報じられた問題で、フジの港浩一社長らが27日午後4時から、記者会見を開いた。191媒体、473人が参加 した会見は午後4時から、休憩を挟み日付をまたいで午前2時23分、所要約10時間23分で終了した。フジテレビでは会見を全て中継。終了後には総括するコーナーが約8分放送された。青井実、宮司愛海の両アナウンサーに加え、平松秀敏・報道局編集長も出演した。

平松氏は10時間を超えた異例のロング会見について、「私、フジテレビの人間なので、フジテレビの人間としてコメントすると、やっぱりこの10時間を超える記者会見っていうのは、本当長いですけど、これはもうフジテレビの自業自得です」と自社をバッサリと切り捨てた。参加者を制限するなどした17日の会見が原因で「想像以上に注目され、多くのメディアが集まって、これぐらい紛糾するような記者会見になった」というのがその真意だった。

一方で一人のジャーナリストとしての感想も加えた。「一つの話題の記者会見が10時間を超えるっていうのは、これはね、健全じゃないです」と語り、怒号を飛ばしたり、何分も「演説」をする質問者がいた状況をチクリ。「今回、フジテレビも悪いですけれども、参加したジャーナリストにも何らかの問題があるんじゃないかと私は思います。今後こういうことが続いていくんじゃないかなっていう気はします」と警鐘を鳴らしていた。【スポーツ報知2025年1月28日

リアルタイムで視聴した私自身の印象をいくつか書き添えていきます。フジテレビの社長らは本当に長い時間、激高することなく、対応されたことに敬意を表しています。ただ明確に説明できない内容が多く、歯切れの悪い答弁も目立ち、全容の解明が近付いたかというと到底そのように至っていません。

このあたりを強い口調で追及する記者が多く、上記の記事の中で参加したジャーナリストに苦言を呈していますが、私も同様な問題意識を抱いています。もう一つフジ記者会見、識者の見方…「80年代のノリのまま」「外資納得しない」「社長交代時期も疑問」』という読売新聞の記事も紹介します。

元タレントの中居正広さん(52)の女性トラブルにフジテレビ社員が関与したと一部週刊誌で報じられた問題で、同社は27日、東京都港区の本社で記者会見を開き、嘉納修治会長(74)と港浩一社長(72)がいずれも同日付で引責辞任したと発表した。港氏は記者会見で「人権侵害が行われた可能性のある事案に対し、社内での必要な報告や連携が適切に行われなかった。私自身、人権への認識が不足していた」と謝罪した。

識者はこの記者会見をどう見たか。危機管理コンサルタントの石川慶子氏の話「記者会見の参加人数や時間を制限しなかったことは前回よりも改善された。しかし社内で問題が発覚した時点で担当部署に情報を共有しなかった理由など、経営陣としての判断の誤りや再発防止策について説明が尽くされず、形だけ整えた印象だ。このタイミングで社長を交代させたのも疑問。嘉納会長と港社長は辞任を表明したうえで、責任を持って対応に当たるべきだったと思う」

トレンド評論家の牛窪恵氏の話「会見では人権を守るべきだと強調していたが、1990年代にセクハラ防止の配慮義務が企業に課され、2020年にはパワハラ防止法が施行されており、一般企業に勤める視聴者からはあまりに時代遅れに映る。会見や問題への対応も含め、対ハラスメント意識が更新されていない企業風土が垣間見える。日枝久氏の責任に踏み込んだ言及はなく、残念ながら外資の株主が納得するとは思えない」

立教大の砂川浩慶教授(メディア論)の話「社長や会長辞任などの人事の発表と、17日の会見が失敗だったという話だけで、何のための会見なのか分からなかった。問題の根本には、日枝氏が40年以上フジテレビを支配し、1980年代のノリのまま、女性の人権が軽んじられてきたことがある。そこから出直すんだという決意表明がなければ、スポンサーも視聴者も納得できない」【読売新聞2025年1月28日

記者会見の後、週刊文春は最初の報道内容の一部を訂正していたことを明らかにしています。中居さんと女性とのトラブルがあった日、フジテレビ社員が直接関与していなかったという事実関係です。それではフジテレビが今回の問題に無関係なのかと言えば、そうならないことも確かだろうと思っています。

そもそも社員だった女性が中居さんとのトラブルについて会社の上司に相談していながら適切な対応をはかれていなかった点、重大な加害責任のある中居さんを様々な番組で起用してきた点、このような事実関係に対する責任がフジテレビに問われていることも間違いありません。ITジャーナリストの本田雅一さんが中居問題をフジを揺るがす大騒動に発展させた“コタツ記事”の威力』という記事の中で次のように語っています。

フジテレビ幹部は「A氏の関与はあり得ない」「X子さん本人の希望により少人数での情報共有にとどめ、プライバシーに配慮した」と、ある面で当事者として確実な情報を持ち、第三者ではあるものの中居氏とX子さんのトラブルも把握、和解をしている中で(トラブルそのものに対しては第三者である)、週刊誌報道に対するフジテレビとしての立場を説明しようとした。

これが最初のフジテレビ・港社長の記者会見だった。この会見内容が伝えられると、すぐに確証バイアスとエコーチェンバー効果で“フジテレビの罪は明らかだ”と考える人たちが、一斉に非難し始めたのは当然の成り行きと言えるだろう。フジテレビの現状認識や問題意識、ネット世論を形成する歪んだ事実認定の乖離は大きく、巨大メディア企業が“女性個人”や“個人事務所所属のタレント”を押しつぶし、何かをもみ消しているかのように映ったに違いない。

もし、フジテレビがネットコミュニティから見えている景色を少しでも理解できていれば、記者会見の結果は大きく違っていただろう。和解内容は守秘義務であり、それまでの社内調査や聞き取りもすべてを公開できるわけではない。そこには“外部からは見えない正当性”があったはずだ。法的なリスクを優先して「説明不能な沈黙」を選んだ結果、「隠蔽の確信犯」と誤解されるリスクを軽視してしまった。

昨年12月、この問題が発覚した後、フジテレビ側の危機意識の乏しさが初動対応を誤り、スポンサー離れによる経営危機を招いています。もし最初の会見をオープンな場とし、フジテレビの組織としての至らなかった点を率直に認め、その致命的な責任を取るため社長らが辞意を表明していれば、ここまで激しい批判にさらされていなかったのかも知れません。

いずれにしても今回のフジテレビの一連の対応は反面教師とすべき点が多々あるように受けとめています。最後に「フジ社長と中居正広」は消えるべきだったのか…「文春報道」を前提に袋叩きにしてきたネット民が向き合う現実』という記事の中で、 情報法制研究所事務局次長・上席研究員の山本一郎さんが次のように指摘していることを紹介します。

確かに、中居正広さんと被害女性の間で男女関係の何らか大きい問題があって、9000万円の示談金らしきものが提示されて解決したようだ、という緩い事実公表が発端なのです。当事者同士で具体的な内容は一切開示されておらず、途中中居さん側が「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」とオウンゴール、さらに問題が大きくなってから「芸能活動を永遠に引退」とさらにオウンゴールして、周りにアドバイスしてくれる人がいないんだろうなって話が際立っていたぐらいでしょうか。

それが、なぜかフジテレビだけでなく放送業界全体の「#metoo運動」みたいになったはいいけれど、確実な性接待の事実関係や組織ぐるみの指示や報告も一切出ない中で、お気持ちとして「テレビ業界けしからん」ってなって、広告が全部止まり、株主から怒られ、程度の低いジャーナリストから会見で「日枝久出てこい」とか煽られ、正直どういうことなんでしょうかねえ、これは。

女性が望まない宴会の席に組織からの指示で強引に連れて来られて性接待されたって話が具体的に出てきているわけではない中で、緩い疑惑のレベルで会社が潰されそうなフジテレビの問題については、やはりみんなもうちょっと冷静になろうね、っていう気持ちしか抱きません。はい。

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2025年1月25日 (土)

混迷を深める兵庫県政

このブログは毎週1回、土曜か日曜に更新しています。実生活に過度な負担をかけないため、20年近く続けているマイルールです。臨機応変、平日も情報発信しているSNSであれば『元兵庫県議の竹内英明氏自宅で死亡  斎藤知事文書の百条委元委員  SNSで中傷』という下記のニュースに接した時、憤りをすぐ表明していたものと思っています。

兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを告発する文書の真偽を解明する県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員だった元県議、竹内英明氏(50)が亡くなっていたことが19日、関係者への取材で分かった。自殺とみられる。関係者によると、18日夜、竹内氏の家族が同県姫路市内の自宅でぐったりしているのを発見。搬送先の病院で死亡が確認された。

竹内氏は、兵庫県の元西播磨県民局長(昨年7月に死亡)が作成した告発文書の内容を調べる百条委の委員だったが、昨年11月、一身上の都合を理由に県議を辞職。議会関係者によると、同月17日投開票の県知事選を巡って交流サイト(SNS)上で、誹謗中傷を受けたと周囲に相談していたという。竹内氏は平成15年に姫路市議に初当選し、19年6月の統一地方選で県議に転身。5期目途中で辞職した。 【産経新聞2025年1月19日

土曜に前回記事「年末年始に読み終えた書籍 Part2 」を投稿し、翌日の日曜に目にした衝撃的なニュースでした。前回記事を投稿する前に知っていれば、今回の記事タイトルのような内容に差し替えていたはずです。トランプ大統領の就任やフジテレビの問題など時事の話題が目白押しな中、私にとって上記のニュースが最も関心の高いものとなっています。

これまで当ブログでは、昨年11月17日に投開票された兵庫県知事選の後「兵庫県知事選、いろいろ思うこと」「兵庫県知事選、いろいろ思うこと Part2」という記事を投稿してきました。このような経緯や関わりがある中、今回のニュースに接し、取り返しのつかない悲劇が繰り返されたことに物凄い怒りを覚えています。

ただ報道のあった即日に投稿を控え、日数を置くことで感情が先走った内容を避けられるようになります。さらに新たな情報にも接していくことで、より俯瞰的な立場での記事内容につなげられます。条件反射、精髄反射し、頭に血が上っている段階でSNSで情報発信していた場合、憶測で他者を誹謗中傷するような言葉を使いかねません。

それこそ今回の記事を通し、批判すべき振る舞いを自分自身が犯しかねない事態もあり得ます。そのような意味で冷却期間を経て、週末に限って当ブログに向き合うことの利点も多々あるのだろうと考えています。

前置き的な話が長くなりましたが、今回の記事では兵庫県政に関わる様々な報道の紹介を中心としながら、個人的な思いは抑制的に書き添えていくつもりです。その上で、あくまでも批判すべきは個々人の具体的な言動であり、人格否定や誹謗中傷につながる言葉は厳禁としていかなければなりません。

「いったい何人が犠牲に」兵庫県政がらみでまた死亡者…百条委員務めた竹内前県議は「誹謗中傷に苦しんでいた」…訃報の後も「逃げた」と攻撃が続く』『立花孝志氏「逮捕が怖くて命絶った」と投稿も兵庫県警は完全否定  竹内元兵庫県議の死亡』『兵庫県百条委メンバーの前県議が死亡、ついに3人目の犠牲者…斎藤元彦県政「誹謗中傷」放置の罪深さ』『兵庫県議死去で「百条委員会委員長」が明かした無念…N国・立花孝志氏の“デマ”と斎藤元彦知事の“我、関せず”に覚える強い憤り

竹内英明前県議が自死に追い込まれるまでの詳細は上記のような一連の記事によって把握できます。事実関係として、NHKから国民を守る党の立花孝志党首による執拗な個人攻撃がなければ悲劇は起こり得なかったように理解しています。自死した元県民局長らに対する激しい攻撃と同様、事実をねじ曲げた批判が多いことに慄然としています。

兵庫県警が即時に否定したとおり竹内前県議の自死した理由まで身勝手な言い分を繰り出していました。その立花党首のSNSによる情報発信が広く伝播し、主に斎藤元彦知事を擁護する人たちに大きな影響を与え、極めて理不尽な誹謗中傷にさらされた犠牲者の一人が竹内前県議だったと言えます。

知事選後も誹謗中傷が止むことはなかった。政治家としての批判であれば、竹内氏のみに届けばいいことだ。だが、それが家族に及んだことで、竹内氏は病んでしまった。知人が続ける。

「竹内さんは県議として、斎藤知事のおかしいところを議会で追及しました。そのきっかけとなった、告発文書を書いた県民局長が亡くなったことが『悔しい』と。彼は県議として5期目でしたから、以前から県民局長が人望のある人物であることを知っていたようです。

不倫の噂もあったけど、竹内さんは『そんな噂話は告発文とは無関係だから触れちゃいけない』と気を遣っていたんです。しかし、立花は『県民局長は10人と不倫』などのデマを流布した。県民局長が亡くなったことはもちろん、そういうことにも竹内さんは心を痛めていたんです」

事実を批判するのとデマで冒涜するのとは次元の異なる話だ。デマで聴衆を煽って誹謗中傷に走らせるような人は、政治家などすべきではない。

上記はディリー新潮の記事『自死した「兵庫県議」が漏らしていた「立花に恐怖を感じている」の意味  当の立花氏は「自ら命を絶つような人は政治家しちゃいかん」』の最後に掲げられている一文です。私自身の憤りの矛先は、このような立花党首の振る舞いに対してであり、同じような悲劇を二度と繰り返さないための手立ての必要性を痛感しています。

もう一人、斎藤知事に対する憤りも隠せません。元県民局長の自死も、斎藤知事があの時、こうしていれば防げたのではないかという局面の多さに忸怩たる思いを強めています。それにも関わらず、立花党首との関係性も含め、斎藤知事の当事者意識の欠けた振る舞いにたいへん失望しています。

元県民局長の弔問にも、まだ行っていないと記者会見で答えている「冷徹」な斎藤知事。竹内氏死亡を受けて「尊敬していた方で、ショックだ」と弔意を示した。しかし、立花氏のSNSなどについて「誹謗中傷する投稿をやめさせたりしないのか」と聞かれた斎藤知事は、「理性的な発信を」と述べたにすぎなかった。 

「すべての問題の根源が斎藤知事にあることは明白です。しかし呼びかけることもなく、何も行動を起こさず静観するばかり。もし警察や検察から捜査となれば、また死人が出るのか? こんな状況では県民のために責任ある仕事はできない。優勝パレードの告発が受理されたのだから、警察などの強制力で県を質してもらうしかない」(県職員)

上記は現代ビジネスの記事『【独自】「斎藤知事最大のスキャンダル」兵庫県がひた隠す衝撃のリストを公開…自殺県議が死の直前まで記者とやりとりした「寄付金額リスト」の全実名・全金額』の中の一文です。紹介されている県職員の言葉のとおり兵庫県政の混迷は深まるばかりだろうと懸念しています。

刑事的な責任を問われかねないパレード疑惑に関しては『〈ついに“本丸”へ〉「捜査への熱意を感じた」パレード疑惑で兵庫県知事らに対する告発を県警が受理「元副知事はなぜ“集金ノルマ”をあいまいにしたのか」〈兵庫県政大混乱〉』という集英社オンラインの記事が最近の動きを伝えています。

さらに集英社オンラインの記事で『「SNS監修はPR会社にお願いすることに」神戸市議が暴露した決定的証拠のLINEは警察にも持ちこまれていた…その意図とは?〈兵庫県政大混乱〉』という見出しを付け、公職選挙法違反の疑惑に関わる新たな情報も伝えています。

混迷を深める兵庫県政、自治体職員という立場からたいへん憂慮しています。組合役員を務めていた立場からはパワハラの問題に対し、労使関係を通したチェック機能を発揮できなかったのかどうかという悩ましさを感じています。余談ですが、フジテレビ労働組合の80人ほどだった組合員数が500人を超えたという興味深い話も最後に紹介させていただきます。

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2025年1月18日 (土)

年末年始に読み終えた書籍 Part2

前回記事は「年末年始に読み終えた書籍」でした。年末休暇に入る前『救国ゲーム』、ブックオフで購入した『拘留百二十日』『“安倍後”を襲う日本という病』『情報隠蔽国家』を年始休暇にかけて読み終えていました。その後、発熱に苦しみながらも休暇中に上中下巻に及ぶ『邯鄲の島遙かなり』を読み始めています。

前回「年末年始に読み終えた書籍」から話が広がり、いつものことながら長文ブログとなっていました。あと2冊、1回の記事で区切りを付けようと考えていましたが、無理せず、気負わず、「Part2」を付けた今回の新規記事につなげています。

まず『“安倍後”を襲う日本という病』です。作家の門田隆将さんと読売テレビのアナウンサーだった結城豊弘さんとの対談を中心にした内容でした。ブックオフで見かけたから手にしたと言えます。リンク先のサイトには、他の書籍に比べれば長めの次のような紹介文が掲げられています。

なぜ日本はこんな国になってしまったのか――。暗殺犯の思惑どおり、旧統一教会問題にすり替えられて大騒ぎのマスコミ。ついには、政治家と同教会の“接点"を探して魔女狩りに突入したあり得ない日本。門田隆将とテレビ界の名物プロデューサー結城豊弘が緊急提言。

日本では、たとえ自分と考え方や信条が違っていても、相手を尊重する精神がある。亡くなれば「神」となり、「仏」となるというのが日本の文化だからだ。だが「なんでも安倍が悪い」という、いわゆる“アベガー”たちと日本のマスコミは亡くなった安倍元首相に罵声を浴びせつづけた。ワイドショーは、完全にアベガーたちに追従。連日、暗殺犯の供述と、それをリークする奈良県警の掌で踊り狂った。

しかし、安倍政権は発足間もない2013年、悪質商法の被害者に代わり消費者団体等が損害賠償訴訟をできるようにした「消費者裁判手続特例法」を内閣提出の法律として成立させ、霊感商法に打撃を与えた。さらに2018年には、消費者契約法の一部を改正し、契約取り消しができる行為について、わざわざ「霊感等による知見を用いた告知」という項目を設け、「霊を用いて商売するやり方」を“狙い打ち"した。

だが、その詳細は報道せず、自らは旧統一教会の“広告塔"となりながら、魔女狩りに終始するマスコミ。地上波、新聞、週刊誌…すべてが自らの「役割を放棄」したのである。それほど問題なら、消費者裁判手続特例法ができた2013年以降、マスコミもジャーナリストも霊感商法その他をなぜ取り上げていないのか。そして野党はなぜ国会で問題にもしていなかったのか。あり得ない日本のありさまに欝々としている国民に送る痛快な1冊。

「『◯◯◯』を読み終えて」という記事タイトルとしていませんので、今回も書籍の内容はサワリのみの紹介にとどめていきます。『“安倍後”を襲う日本という病』の中で、門田さんは上記の紹介文に記されているとおり安倍元総理に対する批判を痛烈に反論しています。

その矛先はマスコミに向かい、統一教会、森友学園、加計学園の問題など、すべて的外れな批判であり、徹底的に安倍元総理を擁護する論調を展開しています。結城さんのほうは、もう少しフラットで、門田さんの断定調のマスコミ批判をたしなめるという場面も少なくありませんでした。

安倍元総理に対しては立場の左右を超えて、これほど評価が分かれる政治家は希少だろうと思っています。以前の記事「改めて言葉の重さ」の中で、人によってドレスの色が変わるという話題を紹介していました。見る人によって、ドレスの色が白と金に見えたり、黒と青に見えてしまうという話です。

安倍元総理に対する評価や見方も、人によって本当に大きく変わりがちなことを以前の記事の中で書き残していました。いみじくも次に読み終えた『情報隠蔽国家』は安倍元総理の言動を批判する箇所が目立った書籍であり、例示したドレスの色の話のとおり両極端な対比を興味深く受けとめていました。

警察・公安官僚の重用、学術会議任命時の異分子排除、デジタル庁による監視強化、入管法による排外志向、五輪強行に見る人命軽視……安倍・菅政権に通底する闇を暴く。最新の情報を大幅増補した決定版。

上記は『情報隠蔽国家』のリンク先の紹介文です。著者はジャーナリストの青木理さんであり、門田さんとの立場性の違いは際立っていました。私自身、青木さんの見方のほうに納得していましたが、そこまで決めた付けた批判を加えることはどうなのだろうかという箇所もありました。

僕が不愉快なのは、「本を読まない人、理詰めで考えない人」の特徴が、安倍首相の言説によく表れていることです。そういう人は権力者になってはいけない。(過去の)首相たちの中にも問題のある人はいたが、ここまで落ちてはいなかった。自民党全体が解体現象を起こし、保守政党が極右政党に向かったようです。

『情報隠蔽国家』の中で、作家の保坂正康さんの上記の言葉が紹介されています。この言葉を受け、青木さんは「私なりに噛み砕いていえば、かつてないほどの愚か者が権力の座に就いてしまっている、ということだろうか」とつなげています。安倍元総理を支持されている方々が読めば非常に憤慨する見方だろうと思っています。

もう一つ『“安倍後”を襲う日本という病』と『情報隠蔽国家』に掲げられている内容の興味深い論点の対比があります。核兵器の廃絶を訴えて運動されている方々が、日本を「丸裸」にして相手が手を出しやすい環境にこの国を置く、このような論調で門田さんは語っています。

日本には「中国の指令を受けて中国のために動いている勢力」、いわゆる媚中派が想像以上に多い、具体的な事例や根拠を示さず、門田さんはそのような見方を示しています。『情報隠蔽国家』には公安調査庁の報告書「内外情勢の回顧と展望」の中の次のような一文が紹介されています。

「琉球独立」を標ぼうする我が国の団体関係者などとの学術交流を進め、関係を深めている。背後には、沖縄で中国に有利な世論を形成し、日本国内の分断を図る戦略的な狙いが潜んでいるものとみられる。

この一文に対し、青木さんは「ネトウヨレベルの馬鹿げた“分析”である」と批判し、「このような理屈がまかりとおるなら、政治にせよ経済にせよ文化にせよ、およそ中国との交流を持つ者はすべて“中国の戦略的狙い”に乗せられていることになってしまう」と続けています。

両極端な見方がある中、最近の石破総理は「安堵した様子」自民・公明両幹事長、訪中を総理に報告  今後の日中交流に一つの方向性』という動きに対しても賛否が混在しているのだろうと思っています。私自身は政治家レベルで日中交流が深められていくことを肯定的にとらえています。

年末に投稿した記事「『戦雲』から平和を願う2024年末 」の中で、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われているため、戦争に至る前の段階で「双方の言い分」に耳を貸していく外交努力の必要性を強く認識しています。立場性の違いから指摘すべきことは、しっかり物申していくことも欠かせません。

しかし、感情的な対立を引き起こしかねない物言いには注意していくことも必要です。外交の場面以外でも、例えば中国との距離感の違いから「媚中派」「ネトウヨ」などと決め付けた批判は慎み、それぞれの正しさを相手方に「なるほど」と思わせるような言葉の競い合いこそが求められているものと信じています。

最後に、まだ下巻まで読み終えていませんが、邯鄲の島遙かなり』にも少し触れます。著者は貫井徳郎さんで、明治維新から「あの日」まで、神生島に生きる一族を描く大河小説です。下記はリンク先に掲げられている中巻の紹介文です。

神生島に生きる一ノ屋の血を引く者には皆、イチマツ痣と呼ばれる同じ形の痣がある。しかしイチマツのような特別な男はめったに生まれない。椿油で財をなし、島に富をもたらした一橋産業の一橋平太は間違いなく「特別な男」だった。その平太が死んだ。跡を継いだ長男は、父が絶対に手を出さなかった軍需産業に進出し、島の造船所で駆逐艦建造に着手する。

駆逐艦建造を認められた際、海軍の造船大佐から「もし万が一、造船所が敵の攻撃を受けたとしても、離島ならば被害は島ひとつにとどまるじゃないか。こんないい立地はないだろう」と告げられ、イチマツ痣を継ぐ長男の「自分は考えが足りなかったのか、と微かな悔いが心をよぎった」という言葉で、その章は結ばれていました。

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2025年1月11日 (土)

年末年始に読み終えた書籍

9連休だった年末年始、予定の入っていなかった最後の3日間、数年ぶりの発熱で寝込んでいました。コロナ禍以降、ワクチン接種翌日、1回だけ37度を超えただけでした。5年以上、カゼにもかかっていませんでしたが、1月3日に38.8度まで上がっていました。幸い6日の出勤日には平熱まで下がり、年始休暇を延長しなくても済んでいました。

さて、前回記事は元旦に投稿した「2025年、画蛇添足に留意」でした。いつもお正月のみ変則な投稿間隔となっているため、このブログの入力画面に向かうのは久しぶりです。新規記事の題材はいくつか頭に浮かんでいましたが、結局「年末年始に読み終えた書籍」というタイトルを付け、時事の話題に絡めながら個人的に思うことを書き進めていきます。

年末休暇に入る前『救国ゲーム』という文庫本を読み終えていました。著者は結城真一郎さんです。リンク先の紹介文のとおりミステリ小説仕立てとなっていますが、限界集落の問題をはじめ、過疎化が進む地方と都会との関係性など現在の日本の課題を真正面から切り込んでいる物語でした。

“奇跡"の限界集落で発見された惨殺体。その背後には、狂気のテロリストによる壮絶な陰謀が隠されていた。否応なく迫られる命の選別、そして国民の分断――。最悪の結末を阻止すべく、集落の住人・陽菜子は“死神"の異名を持つエリート官僚・雨宮とともに、日本の存亡を賭けた不可能犯罪の謎に挑む。

今回「『◯◯◯』を読み終えて」という記事タイトルとしていません。したがって、年末年始に読み終えた書籍のサワリのみの紹介にとどめていきます。もし関心を持たれた方はリンクをはった先のサイトで詳細をご確認くださるようお願いします。

ちなみに『救国ゲーム』の中では、ドローンや自動運転車両などIT技術の活用が地方再生の実践例として描かれています。初代の地方創生大臣を務めた石破茂総理は人一倍、地方再生・創生という課題に対する思い入れが強いようです。年頭の記者会見では『地方創生2.0を強力に推し進めていく」という決意を語っています。

ただ作家の山田順さんからは『石破茂首相の年頭宣言「地方創生2.0」「令和の列島改造」の評判最悪。これでは地方はさらに衰退する!』と手厳しい評価を下されています。「政府機関の地方移転」「都市部の企業の地方移転促進」など目新しい目玉政策が乏しく、「列島改造」という言葉には時代錯誤という批判の声も上がっています。

山田さんは論評の最後のほうで「もはや人口減は、どんな手を打っても防げない」とし、「地方創生」より「地方安定」をめざし、維持できない公共インフラや行政サービスは切り捨て、人口の中核都市への「集住」をはかり、スマートシティ化コンパクトシティ化を急ぐべきと提起しています。

山田さんが提起するような「答え」しか残されていないのかどうかは分かりません。今後の地方再生・創生のあり方に向けて『救国ゲーム』も大きな問題提起を包み込んだ書籍でした。「正解」は容易に見出せづらいのかも知れませんが、山田さんが指摘する下記のような誤った政策判断は即刻見直していくことも欠かせないはずです。

ふるさと納税というのは、じつは全国規模で見るとまったく意味のない税制だ。このワースト5にあるように、大きく税収を減らしている自治体があるからだ。つまり、本来どこかの自治体に入るはずの税金がほかの自治体に移るだけで、全国規模での税額はほぼ変わらない。

しかも、そこから返礼品や事務処理費用が差し引かれてしまうので、ある意味で、無駄な支出が増える。また、返礼品に指定された業者だけが儲かり、同地域の他の業者は疲弊する。公平な市場競争が失われてしまう。

前半から中盤にかけて、いろいろ予定も入っていましたが、やはり9連休ということもあり、久しぶりにブックオフで3冊購入しました。『拘留百二十日』『“安倍後”を襲う日本という病』『情報隠蔽国家』の3冊です。これまでも幅広い立場性の著書のハードカバーは専らブックオフで手に入れていました。

読み終えた順番に並べていますが、真っ先に読み始めたのは『拘留百二十日』でした。検察を揺るがした「大阪地検フロッピーディスク証拠改竄事件」に際し、特捜部長だった大坪弘道さんが犯人隠避の容疑で逮捕されました。この書籍は一貫して無実を訴えた大坪さんの獄中手記です。

2011年12月に出版された書籍ですが、問いかけられている検察に関わる深刻な課題は決して断ち切れていない現状です。昨年末『最高検“袴田さんを犯人だと決めつけたかのように自白求めた”』という報道のとおり最高検察庁は「犯人ありき」とした不当な取り調べの問題性などを認め、無罪が確定した袴田巌さんに改めて謝罪しています。

もし袴田さんの死刑が執行されていた場合、取り返しの付かない司法の大失態でした。これまで無実だったのにも関わらず、冤罪の汚名を着せられたまま命を奪われた方々がいなかったとは誰も断言できません。たいへん恐ろしいことです。死刑制度を巡る賛否は分かれがちですが、せめて本人が再審を求めている段階での執行は見合わせるべきだろうと思っています。

『拘留百二十日』の中で取り上げられている厚労省の村木厚子局長事件での捜査も「検察のストーリーありき」のもと、あげくの果てに証拠を改竄するという不祥事を引き起こしています。その部下から「手違いでデータを変えてしまった」と報告を受けていたため、大坪さんは犯人隠避という容疑を否認し続けました。

それまで取り調べる側だった大坪さんが、厳しく取り調べられる側に置かれ、検察権力の恐ろしさや理不尽さを赤裸々に綴った書籍です。この書籍の中で、容疑を認めない限り、保釈が容易ではない現実を詳しく伝えています。いわわる「人質司法」と批判されている問題です。

いみじくも昨日『角川歴彦氏「人質司法は人間の尊厳をけがす」2億円国賠訴訟の第1回口頭弁論で声を震わせ』という報道に接しています。KADOKAWAの角川歴彦元会長は意見陳述で「無罪を主張すれば仕打ちを受けるというのは、法律に反する」と強調しています。

7か月余にわたった勾留期間中、心臓に持病があったにも関わらず、かかりつけ医への通院が許されず「生きるために最低限の医療すら受けられなかった」と振り返った上で、「人質司法は人間の尊厳をけがし、基本的人権を侵害するものだ」と声を震わせていました。

口頭弁論後の記者会見で、代理人弁護士らは「明らかに恣意的な勾留。罪を認めないことへの報復だ」と批判し、「人質司法を改めるよう問題提起する訴訟は初めてとみられる」と説明しています。さらに「人質司法は日本の刑事司法の闇の部分。裁判所の判断に注目して欲しい」と語っていました。

否認すれば身柄拘束が長引くとされる「人質司法」は、最高裁がまとめた統計資料にも表れている。2023年に全国の地裁であった刑事裁判で、起訴後1カ月以内に保釈された被告の割合は、起訴内容を認めた場合は23.4%だったのに対し、否認した場合は8.3%と大幅に下がり、無罪を訴える被告の9割が勾留されていた。

このような現状を憂慮し、思い起こすのは大川原化工機の社長らが軍事転用可能な機械を中国などに不正輸出した疑いで逮捕、起訴され、1年以上も勾留されていた事件です。幹部3人のうち1人は、勾留中に見つかった胃がんで亡くなっていました。

治療を理由に保釈請求しましたが、検察側は「証拠隠滅の恐れがある」と反対し、裁判所も認めませんでした。がんが見つかった段階で適切な治療を施していれば延命できていたかも知れないと思うと、司法側の硬直した判断が本当に残念でなりません。

先日、この事件を巡って『警視庁捜査員ら3人不起訴  大川原化工機、虚偽文書作成容疑など―東京地検』という報道も目にしています。不起訴を受け、代理人弁護士は「犯罪の成否について裁判所の判断を仰ぐ機会が奪われるのは不当。検察審査会に審査を申し立てる方針だ」とのコメントしています。刑事告発した元役員は「納得がいかない。不起訴ありきで形式的に手続きが進められたのではないか」と憤っています。

年明けのNHKスペシャルでは『“冤罪”の深層〜警視庁公安部・内部音声の衝撃〜』というタイトルを掲げた番組で、大川原化工機の事件の生じた経緯や背景を伝えています。いずれにしても同じ過ちが二度と繰り返されることのない司法制度の確立に向け、過去の事件の真相究明や検証は徹底的にはかって欲しいものと願っています。

「年末年始に読み終えた書籍」から話が広がり、いつものことながら長文ブログとなっています。あと2冊、1回の記事で区切りを付けようと考えていましたが、無理せず、気負わず、次回以降に先送りさせていただきます。お正月の変則な投稿間隔から平常モードに戻りますので、次回の更新は来週の土曜か日曜となります。

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2025年1月 1日 (水)

2025年、画蛇添足に留意

あけましておめでとうございます。Hebi

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであり、せめてお正月ぐらいはイラストを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。

2005年8月にブログ「公務員のためいき」を開設してから1113タイトル目となります。必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で53点の記事を投稿しています。昨年12月には「気負わず、気ままに1100回」というメモリアルな記事を綴ることができていました。

その時にも触れていましたが、一時期に比べ、1日あたりのアクセス数は激減し、100件に届かない日が多くなっています。以前、Yahoo!のトップページに掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録です。その数字は突出していますが、最盛期は1日あたり千件ほどのアクセス数で推移していました。

SNSの中でブログ自体が斜陽化しています。さらにインターネット上の様々なサイトをスマホで閲覧される方が増えています。私自身労使の信頼関係について思うこと」という記事の中で触れたとおり一昨年4月、ようやく「スマホデビュー」を果たしました。

このブログを自分のスマホで閲覧した際、パソコン画面に比べ、よりいっそう文字ばかりのサイトであることに愕然(👤)としました。そもそも一個人の運営するマイナーなブログが文字ばかりで長文であれば、気軽にアクセスいただけなくなることも仕方ない流れだろうと思っています。

アクセス数の落ち込みとともに、お寄せいただくコメントの数も激減しています数年前までは一つの記事に100件以上寄せられる時が珍しくありませんでした。12年前の巳年、その頃の元旦の記事2013年、再生の年にには常連の方から早々に貴重なコメントが寄せられていました。

ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり一人でも多くの方にご訪問いただけることを願っています。特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。

そのため、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることがブログを続けていく大きな励みとなっていました。ここ数年、アクセスやコメントの数が減っている現状に一抹の寂しさはあります。それでも長年続けてきたスタイルを変えることなく、今年も自分自身の思うことを気ままに書き進めていくつもりです。

さて、今年の年賀状には【今年の春、また一つ、市職員としての大きな節目を迎えます。健康だから働き続けられる、働き続けられるから健康を維持できる、このような思いのもと「毎日が日曜日」は、もう少し先送りできればと願っています。ブログ「公務員のためいき」は引き続き週一回更新しています。今年も最新記事は年賀状仕立てとしています。お時間がある際ご覧いただければ幸いです】と書き添えています。

もともと個人の責任で運営してきたブログ「公務員のためいき」ですので組合の委員長退任後も継続しています。毎週、欠かさずブログを更新していくことは自己啓発の機会であり、さらに私自身の思いを不特定多数の皆さんに発信する場として背伸びしない一つの運動として位置付けています。

より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に触れていくことが重要であるため、このブログが多面的な情報を提供する場として受けとめていただけることを願いながら続けています。「答え」の押し付けではなく、このような見方もあったのかという多面的な情報の一つとして発信しています。

これまで元旦のブログ記事や年賀状には、その年の十二支にちなんだ諺を紹介してきました。ここ数年の年賀状は上記のとおり巳年(蛇年)に絡む話に触れていません。先月の記事「高齢者雇用の課題」の最後に「蛇足」として触れた近況を添えています。年賀状バージョンの新規記事を書き進める際、蛇に絡む諺や故事を改めてネット検索してみました。

巳年のことわざと意味!新年の挨拶に使える格言とは?』というサイトを訪問し、思った以上に多く紹介されていたことに驚いていました。「藪蛇」や「竜頭蛇尾」など馴染みの言葉が並ぶ中、恥ずかしながら「画蛇添足」という言葉を初めて知りました。「がだてんそく」と読み、次のように解説されています。

中国の故事成語で「余計なことをして物事を台無しにする」という意味です。由来は『戦国策』に記された話で、酒を巡る競争で蛇を最初に描き終えた者が、余裕から蛇に不要な足を描き加えた結果、蛇ではなくなり酒を飲む権利を失ったという内容です。

この話は「必要以上のことをしない」「シンプルさを重視する」ことの重要性を教えています。現代では、プロジェクトに余計な要素を加えて失敗したり、デザインで過剰な装飾が逆効果になるような場面で使われます。本質を見失わない冷静な判断や行動の重要性を示す言葉です。

この言葉を知り、今回の記事タイトルを「2025年、画蛇添足に留意」としています。昨年末『献体前でピース写真、ブログ公開の美容外科医に「免許剥奪」求める声、SNSで大反発…厚労省の見解は』というニュースに接しています。結局、不謹慎で軽率なSNSの投稿によって、美容外科医は勤務先の院長職を解任されるという致命的な事態に至っています。

まさしく「画蛇添足」な大失態だったと言えます。「兵庫県知事選、いろいろ思うこと Part2」の中で伝えたPR会社の代表も「画蛇添足」だったことを悔やんでいるのではないでしょうか。それぞれSNSに投稿しなければ良かったというものではなく、問題視すべき行為そのものは批判の対象になります。

当たり前なこととして、SNSに投稿できないような問題行動は日頃から厳禁です。その上で、誰もが閲覧できるSNSでの発言や情報発信には、いつも細心の注意を払っていかなければなりません。頻繁にSNSを活用される方々は、承認欲求が強いのだろうと見られがちです。美容外科医やPR会社の代表も、その傾向があったのだろうと思います。

20年近くブログを続けている私自身も、そのように見られているのかも知れません。前回記事「『戦雲』から平和を願う2024年末 」を投稿した後、私どもの組合の協力委員のライングループに「組合ニュースは字数の制約がありましたのでブログでも映画について取り上げています」と紹介していました。

年末休みに入った矢先の朝、このようなライン、たいへん失礼致しました。「画蛇添足」とまで思われていないはずですが、承認欲求からのアピールだと感じられているかも知れません。他者から認められたい」という気持ちが一切ないとは言い切れませんが、前述しているとおり「一人でも多くの方にご覧になって欲しい」という願いからの試みでした。

背伸びしない一つの運動として、前回記事の最後にほうに綴っている内容を多くの皆さんに伝えたい、そのような承認欲求を抱いています。年賀状で当ブログのことを毎年紹介しているのも同様な思いからです。今回の記事も相当な長さとなっていますが、改めて前回記事に綴った内容の一部を再掲させていただきます。

自衛隊の増強に反対することが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという図式を強調した場合、それはそれで言葉や説明が不足しがちだろうと考えています。中国や北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素がある中で「戦争は起こしたくない」という思いを誰もが抱えているはずです。

その上で、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いが人によって分かれがちです。中国や北朝鮮こそが軍拡の動きを自制すべきであることは理解しています。しかしながら「安全保障のジレンマ」という言葉があるとおり疑心暗鬼につながる軍拡競争は、かえって戦争のリスクを高めかねません。

脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。だからこそ戦争に至る前の段階で「双方の言い分」に耳を貸していく外交努力をはじめ、国連という枠組みの中での英知が結実していくことを心から願っています。

「標的の島」としないためにはミサイル基地を叩く力よりも、ミサイルを発射する「意思」を取り除く関係性の構築こそ実効ある安全保障政策の道筋だと考えています。2024年末、南西諸島の皆さんが戦雲に脅える必要のない平穏な日常を取り戻し、さらに国際社会の中で戦火が消えることを祈念しています。

2025年、このブログとの向き合い方をはじめ、日常生活全般にわたって「画蛇添足」には留意していきます。4月以降、ブログのタイトルが「元公務員のためいき」となるかも知れませんが、8月には開設してから20年という節目を迎えます。その節目も一つの通過点として、これからも毎週末の更新を重ねていくつもりです。

最後に、いつもお正月のみ少し変則な日程となっています。次回記事は再来週の土曜か日曜に更新する予定です。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

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2024年12月28日 (土)

『戦雲』から平和を願う2024年末

今年も残りわずかです。毎週、土曜か日曜に更新している当ブログですので、今回が2024年に投稿する最後の記事となります。この一年間も、ウクライナやパレスチナでの戦火が消えることはありませんでした。シリアのアサド政権崩壊後、内戦がもたらした国内の爪痕や非人道的な行為の数々も目の当たりにしています。

遠い日本の地からは映像を通して知り得る出来事ですが、79年前には同じような風景が国土に広がっていました。1941年12月8日、日本海軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入しました。三多摩平和運動センターは毎年、12月8日前後に不戦を誓う集会を催しています。今年も協力委員の一人として参加していました。

この集会に参加し、2年前は「『標的の島』と安保関連3文書」、 昨年は今年も不戦を誓う集会に参加」というブログ記事を投稿しています。それぞれ『標的の島 風かたか沖縄スパイ戦史という映画が上映されていました。沖縄の米軍基地問題を取り上げ続けている三上智恵監督によるドキュメンタリー映画です。

辺野古の新基地建設、高江のオスプレイのヘリパッド建設、宮古島、石垣島の自衛隊配備とミサイル基地建設など、沖縄では様々な問題を抱え、反対派の住民らによる激しい抵抗、警察や機動隊との衝突が続いています。今年の集会でも三上監督の『戦雲』という映画が上映されています。

集会参加後、私どもの組合の委員長から原稿の執筆を依頼されました。組合ニュースの裏面に今回の集会報告を掲載したいとのことでした。前回記事「『官僚制の作法』を読み終えて」の冒頭に記したとおり「モノを書いて人に伝える」という作業を苦手としていません。協力委員という立場でもあり、あまり迷わず引き受けていました。

毎週長文ブログを綴っているため、短い期限での原稿の締切は気になりません。ただ440字以内という字数の制約には頭を悩ませました。前回記事と同様、組合ニュース用の原稿を意識しながら当ブログの下書きとして書き進めてみました。ちなみに前回記事は引用箇所を除いた内容だけで3000字近くとなっています。

初めから440字という短さを承知した上で引き受けたつもりでしたが、思った以上に伝えたい内容や言葉を選ばなければ収まりませんでした。無記名原稿ですが、組合ニュースを通して久しぶりに組合員の皆さん全体に伝える機会であり、少しでも個人的な思いを託せればと考えながら下記の内容にまとめていました。

12月10日夜、不戦を誓う三多摩集会が催されました。全体で170名、私どもの組合からは9名が参加しています。主催者らの挨拶の後、三上智恵監督の『戦雲』が上映されています。石垣島の抒情詩に「また戦雲(いくさふむ)が湧き出してくるよ、恐ろしくて眠れない」という言葉があり、現在の南西諸島に住む皆さんの思いを表した映画のタイトルです。美しい風景と活気あふれる地元の祭りなども映し出され、あっという間の132分でした。

その美しい島々で、自衛隊ミサイル部隊の配備、弾薬庫の増設、全島民避難計画など有事を想定した準備が進んでいます。戦争を防ぐという目的だったとしても、有事の際は真っ先に南西諸島の皆さんが標的にされていくことになります。

さらに撃ち込まれた1発のミサイルで失った命を取り戻すことはできません。自然災害と異なり、戦争は人間の意思で制御できるはずです。戦雲に脅える島民の皆さんの声を受けとめ、軍事衝突を絶対回避するための外交努力こそ実効ある安全保障の道筋だという思いを新たにした映画でした。

そもそも長文よりも簡潔で短い内容のほうが望ましいのだろうと受けとめています。SNS全盛の時代、小さな画面のスマホで閲覧する際、特に文字ばかりの長文ブログは敬遠されがちなことも理解しています。それでも毎回2000字以上の内容となるスタイルは、これからも気負わず、気ままに続けていくのだろうと考えています。

今回「『戦雲』から平和を願う2024年末」というタイトルを付けた記事も、もう少し書き進めていきます。映画『戦雲』の中で、字数の制約がなければ紹介したかった場面がありました。与那国島に航海の安全や豊漁を祈願したハーリーと呼ばれる祭りがあります。

久部良地区の北、中、南の3つのチームの対抗レースがあり、地元の青年らが懸命に船を漕ぎながらゴールをめざします。そのメンバーの中には練習の末、漕ぎ手に選ばれた自衛隊員の姿も映し出されていました。力を合わせて一緒に船を漕ぐ姿から個々の自衛隊員が地元に受け入れられている一端を垣間見ています。

自衛隊員の子どもがカメラに向かって「この島が大好き、ずっといたい」と話す姿なども伝えています。このような日常的な関係性があり、地元住民に対する説明会の中で、ある自衛隊員が「有事の際は島民の方々の安全確保を第一に考えています」と語る一コマも伝えていました。

その自衛隊員の言葉は本心からのものだろうと思っています。しかし、ひとたび戦争に至ってしまえば、軍隊は住民を守ることよりも戦闘に勝つことを優先します。戦闘のマイナス要素を取り除くため、住民が邪魔になれば強制的に排除します。住民の生命や財産は二の次となり、とにかく国家として負けないことが至上命題とされていきます。

これまでの歴史や海外での現状を見た時、日本の自衛隊だけは絶対違うと本当に信じて良いのでしょうか。いずれにしてもミサイル基地を配備するということは敵対する国々からすれば標的にすべき島であることを示唆しています。自衛隊の増強は安心よりも危険度が増していくような危惧を抱かざるを得ません。

一方で、自衛隊の増強に反対することが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという図式を強調した場合、それはそれで言葉や説明が不足しがちだろうと考えています。中国や北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素がある中で「戦争は起こしたくない」という思いを誰もが抱えているはずです。

その上で、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いが人によって分かれがちです。中国や北朝鮮こそが軍拡の動きを自制すべきであることは理解しています。しかしながら「安全保障のジレンマ」という言葉があるとおり疑心暗鬼につながる軍拡競争は、かえって戦争のリスクを高めかねません。

脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。だからこそ戦争に至る前の段階で「双方の言い分」に耳を貸していく外交努力をはじめ、国連という枠組みの中での英知が結実していくことを心から願っています。「標的の島」としないためにはミサイル基地を叩く力よりも、ミサイルを発射する「意思」を取り除く関係性の構築こそ実効ある安全保障政策の道筋だと考えています。

2024年末、南西諸島の皆さんが戦雲に脅える必要のない平穏な日常を取り戻し、さらに国際社会の中で戦火が消えることを祈念しています。このような願いは平和の話、インデックスⅣ」や「戦火が消えない悲しさ Part2」という記事などを通し、繰り返し訴えてきています。組合ニュースの原稿も字数の制約がなければ、きっと以上のような内容を付け加えていたはずです。

最後に、この一年間、当ブログを訪れてくださった皆さん、本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。これまで曜日に関わらず、必ず元旦に新年最初の記事を投稿しています。ぜひ、お時間等が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは皆さん、良いお年をお迎えください。

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2024年12月21日 (土)

『官僚制の作法』を読み終えて

前回記事「気負わず、気ままに1100回」の中では触れませんでしたが、高校生の頃まで希望する職業はマスコミ関係で、モノを書いて人に伝えるという仕事にあこがれていました。「大きな節目の1000回」の中では、大手の出版社から書籍を出すチャンスをいただきながら私自身の力不足から原稿をまとめ切れなかったことを伝えていました。

この時の望外な期待に応えられなかったことをずっと悔やんでいました。そのため、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の依頼を受けた時は二つ返事で引き受けています。1回あたり6千円ほどの報酬を継続的に得るため、規則に基づき兼業許可申請書を人事課に初めて提出していました。

これまで『足元からの学校の安全保障 無償化・学校教育・学力・インクルーシブどうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義公営競技史』『承認をひらく』と続き、次号では岡田彰さんの新著官僚制の作法』を紹介します。

それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。

季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありませんが、今回の新規記事も「『官僚制の作法』を読み終えて」という記事タイトルのもと入稿する原稿内容を意識しながら書き進めていました。

霞が関を敵に回す橋本行革は、いかにして達成されたのか。省庁半減をめぐる攻防の中で、省庁の存亡にかかる対処方針は異なる。行革反対で組織防衛を図る省庁もあれば、行革をチャンスと権限拡充を目指す省庁もある。これに族議員や圧力団体も絡む。行革は複雑な政治過程の一環である。

本書は特に行革の「勝ち組」の総務省(自治省)、経済産業省(通産省)、財務省(大蔵省)を取り上げる。三省のしたたかな行革戦略がわかる。霞が関の省庁は一体ではない。霞が関は連合体であり、日本の官僚制は各省官僚制である。著者は関係者の証言や貴重な一次資料から橋本行革の経緯と意義を掘り起し、「省」とは何かを辿る。さらに全則2か条の総定員法の智慧、安倍・菅政権の官邸支配の錫杖を明らかにする。

上記はリンク先に掲げられている書籍の紹介文です。岡田彰さんのプロフィールは1945年生、1974年法政大学卒業、博士(政治学)、行政学、地方自治専攻とされ、主著に『現代日本官僚制の成立』などがある方です。今年5月に『官僚制の作法』が発刊された直後、都政新報にその書籍が紹介されていました。

関係者の証言や貴重な一次資料から橋本龍太郎政権時の行政改革、いわゆる橋本行革の経緯と意義を研究者の視点から伝える著書です。学術書ということもあり、普段であれば手を出せないような価格の書籍でした。都政新報の「橋本行革の分析だけに収まる書ではない」という冒頭の言葉にひかれ、手にしていました。

明治維新の後、天皇の官吏として整えられた戦前の官僚制、敗戦後にはGHQとの対峙、第一次と第二次にわたった臨時行政調査会による行革、橋本行革等を経ながら変遷してきた主要な省の役割や官僚らの作法が綴られています。政策研究アーティストの鈴木崇弘さんの論評日本国のガバナンスの問題・課題そして今後を考える上での必読書『官僚制の作法』」では次のように紹介しています。

同書は、橋本行革の経緯と意義を軸に、明治維新以降の官僚制の生成から現在の官僚制までを、貴重な一次資料や関係者の証言などを基に、丹念かつ詳細に論じている。同書は、飽くまで優れた学術書であるが、日本という国家の近代から現在にいたるガバナンスとその構造の変遷をタペストリーのようなストーリーとして描いており、日本の官僚制の一大叙事詩となっており、非常に読みごたえがある。

そして同書は、日本は明治維新以降官僚機構を中心とする中央集権型の国家運営がなされたが、霞が関と呼ばれるその官僚機構は、実は一体的なものではなく、単なる連合体であるということを余すことなく示している。それはつまり、日本は、中央政府の官僚中心の国家であり、その官僚制は各省官僚制であり、「疑似国家」ともいえる異なる「省」の連合体というか連邦国家的な存在であるということを提示しているのである。

鈴木さんは「日本の官僚制の一大叙事詩となっており、非常に読みごたえがある」と絶賛しています。異なる「省」の連合体という見方は著者の岡田さんと共通した問題意識であり、「省益あって国益なし」と批判されがちな官僚組織のあり方です。岡田さんは著書の中で、なぜ、各省の「割拠主義」が徘徊するのか次のように説明しています。

法律では、省は国務大臣をその長に擁する「国の行政事務の第一義的に分配される単位」とされ、占領改革期にあっても従前の仕組みと運用が貫徹されてきたと説いています。さらに省ごとに採用し、年功序列による終身雇用システムが、省への帰属意識や忠誠心を涵養していると岡田さんは見ています。

かつて「政治は三流、官僚は一流」と評され、官僚が国家を運営する矜持を持ちながら政策立案で政治家をリードしてきました。特に大蔵省は強大な権限を持ち、予算編成権を掌握しているため、内閣のなすべき総合調整まで担っている関係性となっていました。官僚主導の弊害として、リスク回避のための作法として前例主義に陥り、迅速に新たな課題に対処できないと批判されがちです。

このような課題認識のもとに橋本行革は取り組まれ、省庁半減と政治主導への転換をめざしました。著書の中では、自治省が総務省、大蔵省が財務省、通商産業省が経済産業省、それぞれの内実を改めていく過程の攻防が詳らかにされています。

「橋本さんは大蔵省に対して一種の敵意を持っていました。大蔵省の権限を削減することに眼目に置かれていた」という生々しい証言も記されています。組織上、財政と金融は分離され、総理大臣のリーダーシップを発揮しやすいように内閣府や経済財政諮問会議を設置しています。

予算編成の流れは変わったかどうか、諮問会議を構想した橋本行革のブレーンの言葉が象徴的です。「武器は作ったけれども、それを使える人が出てくるかどうかが、一番肝心ですね。凡庸な総理は使いこなせるか、総理大臣の資質なんです」と語っていたことを著書の中で伝えています。

橋本行革で閣議人事検討会議を発足させ、各省の次官や局長等の幹部職員人事に政治が一定関与する道筋をつけました。その後、第二次安倍政権時に内閣人事局が設置され、官邸主導で幹部人事を決める体制が築かれています。しかし、岡田さんは、橋本政権と安倍・菅政権の姿勢、幹部人事の関与、行政と政権とのあり方は根本的に異なると指摘しています。

官邸主導から官邸支配まで進め、森友学園の問題で公文書改ざんなど政と官のバランスが壊れ「忖度」に官僚を走らせていると語っています。菅義偉元総理は、政策の方向性に反対する官僚には「異動してもらう」と公言していました。実際、ふるさと納税を巡り、課題を指摘した総務省の官僚が飛ばされそうになった事件もありました。

これまで政治主導のスローガンの下で、小選挙区制、党首討論、副大臣・政務官創設など英国モデルで進めてきました。その英国では「公務員の政治的中立性を尊重し、幹部公務員の人事への介入を自制する伝統があり、慣習として大臣は人事事項について基本的にすべて事務次官に委任し、これに介入しない」と著書の中に記し、岡田さんは日本の現状を憂慮されています。

官僚側からすれば是としてきた作法も、時代の移ろいの中で必要な見直しを受け入れざるを得なかったはずです。ただ見直した後の新たな仕組みも使い方を誤れば、もしくは使い手に問題があれば、望むべき成果からは程遠い現況に陥ることを痛感しています。『官僚制の作法』を読み終えて、そのような思いを強める機会となっていました。

最後に、その著書の中で「近年の愚策の代表はアベノマスクだが、失政・失策は表ざたを避ける、内々に処理するなど閉鎖的な対処がなされ、一連の政策情報が表に出ないこともあって、事案を能動的に学ぶ姿勢に遠い」という言葉に目が留まっていました。『「本当にふざけた話」“アベノマスク” 契約訴訟で裁判長も呆れた官僚たちの「ひどすぎる言い分」ムダ遣い400億円の闇』という見出しの記事を紹介しますが、まさしく愚策の代表を際立たせる事例だと言えます。

唖然とするような証言だーー。10月15日、朝日新聞は “アベノマスク” の契約をめぐる訴訟について報じた。「“アベノマスク” とは、新型コロナ禍でマスクが手に入らなくなったことを受け、2020年4月、安倍晋三元首相が主導し、各家庭に配られたガーゼ製の布マスクのことです。不織布マスクと比べてサイズも小さく、配布時に異物が混入していたなど、悪評の多い施策でした。

しかも、後になって、全体の3割にあたる8300万枚が配布されないまま保管されていることが発覚。400億円を超えるお金で調達したものの、税金のムダ遣いだとして批判されました」(事件担当記者)

政府は、このマスクを複数の業者に発注したが、社員が数人しかいないような小さな会社にも数十億円にのぼる発注をしており、時期によって1枚あたりの単価もバラバラであることから、どのような経緯で業者の選定や発注がおこなわれたのか、疑惑の目が向けられてきた。

15日に開かれた裁判は、裏金問題の追及で知られる神戸学院大学の上脇博之教授が、契約過程を示す文書を開示するよう国に求めた訴訟だ。朝日新聞によると、この日は複数省庁による『合同マスクチーム』のうち、業者と直接やりとりした職員ら3人が出廷しました。しかし、3人とも『やりとりは口頭が基本で、文書は残していない』と答えたそうです。

裁判長が『単価や枚数は間違えると大変なことになる。すべて記憶して口頭で報告していたのか』と突っ込みましたが、『そうです』と、やはり業者とのやり取りを示す文書は存在しないとの主張でした。また、自身が受け取ったメールについて、『容量が限られているため2~3日に1度消去していた』と証言する職員もいたそうです。

当たり前のことですが、“アベノマスク” の原資は国民の血税です。随意契約とはいえ、ムダにならないよう、少しでも安く、公正・公平に業者を選ぶのが当然。そして、後から検証できるように、行政文書として契約にいたる書類をすべて残しておくのも当たり前のはずです。嘘をついているとしたら大問題ですし、文書を残していないとすれば、それも問題です」(同)

同報道には、X上でも怒りの声が続々寄せられている。《本当にふざけた話だ》《アベノマスク、本来なら逮捕者が大量にでる案件だろ》《コロナで急ぎの対応が要求されていたにしてもまずすぎる対応》《訴訟の言い訳流石に酷すぎんか》

疑惑にまみれた “アベノマスク” の裏側を、政治部記者がこう語る。「当時、『マスクを配れば国民の不安はパッと消えます』と、発案した佐伯耕三秘書官は、自信満々に安倍首相にすすめたそうです。当時の官邸は、今井直哉補佐官と佐伯秘書官が経済対策のほぼすべてを決めている状態でした。この “密室” でマスクの配布も決まったんです。

すでに “アベノマスク” が決定した段階で、厚労省はマスク不足は3カ月程度で解消されると官邸に情報を上げていました。にもかかわらず、支持率の低下に苛立った安倍元首相がゴーを出したんです。試作品すらない状態で、佐伯秘書官が安倍元首相の前でガーゼを折って説明したといいます。

こうした背景を考えると、業者への発注をめぐり高度な不正があったというより、表に出せないほど杜撰で考えなしの発注をしていた、というのが実態ではないでしょうか」 いくらコロナ禍でも、「まずすぎる対応」だったのは確かだ。【Smart FLASH  2024年10月17日

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2024年12月14日 (土)

気負わず、気ままに1100回

前回記事は「高齢者雇用の課題」として、久しぶりに労使課題に関わる内容を扱いました。このブログ「公務員のためいき」を2005年8月に始めた際は、公務員バッシングという言葉をよく耳にしていた頃です。ブログのサブタイトルを「逆風を謙虚に受けとめながら雑談放談」とし、公務員やその労働組合役員の立場から様々な思いを発信してきました。

ブログを開設した切っかけは以前の記事「このブログを始めたイキサツ」の中で綴っていました。NHKと朝日新聞が「従軍慰安婦」関連番組への政治介入問題に絡み、真っ向から対立した報道を繰り広げていました。真実は一つでも、どちら側の報道内容に接するかどうかで、その真偽の評価や印象がガラリと変わっていました。 

ちょうど世の中は大阪市役所の厚遇問題などで、公務員への厳しい視線や声が強まっていた頃でした。当然、公務員やその組合側も改めるべき点は即座に改める必要があります。ただ主張すべきことは主張する必要性を強く感じていた時、誰でも簡単にインターネット上で意見を発信できるブログと出会いました。

このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新間隔が定着しています。2012年の春頃からはコメント欄も含め、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わるようにし、現在に至っています。

2023年1月に「大きな節目の1000回」を投稿し、2年近く経ち、今回、記事タイトルに掲げたとおり1100回目を迎えています。訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知した上、これまで当ブログの更新回数が100を刻んだ時、次のような記事を投稿してきました。

100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。

毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができています。毎回、節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。

前述したとおり実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、週末更新と決めたことが長続きできている秘訣だろうと思っています。「週刊」を習慣化できたことで、多忙な時期も、旅行と重なった週末も新規投稿を欠かさず、1100回までたどり着けているものと受けとめています。

元旦に新規記事を投稿しようと決めているため、年末年始だけ変則な投稿間隔となっています。2011年3月、東日本大震災の発生直後の週末も、ためらいながら「東日本巨大地震の惨禍」という記事を投稿し、被災された皆さんへのお見舞いの気持ちなどを表わしていました。

そのようにつながってきましたが、2019年3月1日に母が亡くなり、一度だけ新規記事の投稿を見合わせていました。母が亡くなった直後、とてもブログを更新する気にはなれませんでした。深い悲しみと落胆に沈み込んでいたことはもちろん、そのような時にブログに関わることの不適切さを感じていました。

再開した際の記事「母との別れ」は自分自身の気持ちの整理を付けていくための通過点とし、苦労を重ねてきた母親を偲びながら母と過ごした年月をずっと忘れないためにも初めて私的な内容を前面に出した記事を投稿していました。

これまで100回という節目で記事を投稿する際、次のような言葉を添えています。投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。加えて、健康上の問題や大きな天災などに直面した場合、自分自身の意欲や労力云々以前の問題としてブログの更新どころではなくなります。

そのような意味で毎回、節目の100回を刻むたび、そのメモリアルさとともに長続きできていることの意義をかみしめています。いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも多くの皆さんが訪れてくださるからであり、いつも心から感謝しています。

ただ以前に比べれば日々のアクセス数は激減しています。かつて1日あたりのアクセス数は1000件前後で推移していましたが、最近は100件に届かない日が多くなっています。その内訳も過去の記事へのアクセスが大半を占めています。 出入り自由な場としているコメント欄も閑古鳥が鳴いています。

新規記事を投稿しても、どれほどの方にご覧いただけているのか手応えが薄くなりがちな最近の当ブログのアクセス状況でした。そのような寂しさを感じ始めていた時、今年6月の記事「政治資金規正法改正の動き三多摩集中行進に参加の冒頭で、このブログを続けていることの励みになる出来事を紹介できています。

宮城県本部の皆さんや自治労都本部の副委員長が引き続き「公務員のためいき」を注目くださっていることを知り、たいへん感激していました。連合宮城に勤務されている方からは「時には自分の挨拶の時などに、文面を拝借しているそうです」という恐縮する光栄なお話を報告いただいていました。

このブログでの発信を一つの運動として位置付けているため、私自身の思いや言葉がつながっていくことを大きな励みとしています。このようなやり取りがあった際、私からは「やめるのはいつでもやめられますので、できる限り続けていきます」という決意をお伝えしていました。今回の記事タイトルに掲げたとおり気負わず、これからも気ままに1200回をめざしていくつもりです。

ちなみにブログを長く続ける中で注意している点は、不特定多数の方々に見られることを常に意識した記事内容の投稿に努めるという心構えです。不確かな情報や知識での断定した書き方はもちろん、賛否が分かれる問題についても結論を押し付けるような書き方は極力避けるように努めています。

誰もが閲覧できるブログでの発言の重さをいつも念頭に置きながらパソコンに向き合っています。このような意味合いから週に1回の定期更新は自己啓発の機会であり、頭の老化防止のためにも何年か先に「元公務員のためいき」というタイトルに変えた後も、できる限り長く続けられればと願っています。

最後に、金曜の正午前、たいへん驚き、たいへん悲しい連絡を受けました。私が執行委員長を担っていた時、書記長を務めてくださった方の訃報です。53歳という若さで、突然のお別れとなりました。とても残念な知らせでした。心からご冥福をお祈りし、謹んでお悔やみ申し上げます。

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2024年12月 7日 (土)

高齢者雇用の課題

少し前の記事「選挙結果が左右する政治の行方」の冒頭で「組合の定期大会が開かれました。再任用職員や会計年度任用職員の課題について出席した組合員から切実な訴えが示されています。これまで当ブログで取り上げてきた課題であり、機会があれば次回以降の記事で深掘りできればと考えています」と記していました。

その後「選挙結果が左右する政治の行方 Part2」「兵庫県知事選、いろいろ思うこと」「兵庫県知事選、いろいろ思うこと Part2」というタイトルの記事が続き、労使課題に関わる内容からは離れた投稿を優先しています。執行委員長を退任した後、政治的な話題を取り上げることが多くなっています。

特に最近、兵庫県の斎藤元彦知事に関わる動きが非常に気になっています。数日前に目にした〈兵庫県政大混乱〉政府が「公選法違反の恐れある」と答弁、再び窮地の斎藤知事…“二人三脚”のパートナー立花氏が流した「不同意性交等罪」というデマ』という記事など、まだまだ当ブログを通して伝えたい話題が後を絶ちそうにありません。

12月2日から紙の健康保険証が廃止されています。マイナカードの取得は任意のままで、マイナ保険証は義務付けるという矛盾した問題に憤りながら河野太郎氏  りんたろー。によるマイナカードへの“不満”に言及「やる気のある病院だったら」』という記事を目にすると、河野総理の可能性が消えていることに心底安堵しています。

政治絡みの話題を少しだけ触れましたが、ここからが今回の本題です。このブログで4年前に「雇用継続の課題」「定年延長の話」という記事を投稿しています。高齢者雇用の課題として、最近「50万円の壁」にも注目が集まっています。11月25日に開かれた厚労省の審議会で、高齢者の働く意欲をそがないような制度の見直し案が示されています。

人口減少が続く中、15歳から64歳までの生産年齢人口の比率は6割を切るようになっています。労働力不足を補うための方策として、高齢者の雇用のあり方が大きな課題として認識されています。一定の収入がある高齢者にも「年金制度を支える側にまわってもらう」という考え方のもと在職老齢年金制度を設けています。

65歳以上で賃金と厚生年金を合わせて収入が月50万円を超えた場合、上回った年金の半分が減額されます。この仕組みが高齢者の働く意欲をそいでいるとの指摘もあり、年金が減らされる基準を現行の50万円から62万円や71万円に引き上げる案をはじめ、制度自体を撤廃する案を厚労省の審議会が示していました。

高年齢者雇用安定法では使用者側に65歳までの雇用継続を義務化しています。70歳までは努力義務としています。今後、上記のような動きも踏まえ、ますます70歳まで、もしくはそれ以上に働く高齢者が増えていくのだろうと思っています。一方で、年金が支給されるまでの年齢の場合、「50万円の壁」からは程遠い現状です。

地方公務員の再任用制度や新たに施行されている定年延長で、従来の定年年齢だった60歳以降、それまでの年収が激減します。フルタイム再任用だった場合、60歳以前の勤務時間と変わらず、仕事に対する役割や責任が、まったく同じでありながら年収が極端に下がることを嘆く職員は少なくありません。

私どもの組合の定期大会で示された意見は、この問題についての切実な訴えでした。発言された組合員は係長だった方で、定年後、年収は半減したとのことです。その方は裁判での事例を示した上、定年後に年収が6割以下になることの問題性を強く訴え、組合執行部に早急な解決に向けた具体的な行動を求めていました。

同一労働同一賃金という原則から、その訴えのとおりの解決が求められていることは確かです。ただ高齢者の雇用継続に関する裁判の事例を改めて調べてみると、必ずしも原告の労働者側が勝ち続けている訳ではないようです。再雇用格差訴訟  過去の最高裁判断を踏襲「正社員と性質異なる」』という記事では次のように伝えています。

正職員と再雇用者の基本給格差を巡り名古屋自動車学校(名古屋市)の元従業員が起こした訴訟で、最高裁が20日、正職員の6割に満たない部分を違法とした1、2審判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。不合理な労働条件格差を巡って最高裁が過去に示した枠組みや判断を踏襲し、基本給についても、各事業者ごとに異なる「性質や支給目的」をきめ細かく検討するよう求めた形だ。

最高裁は平成30年6月、今回と同様に定年後、再雇用された運送会社の嘱託社員の待遇格差を巡る訴訟の判決で「給与や手当などの個別項目ごとの趣旨を考慮すべきだ」との枠組みを初めて提示。令和2年10月には、大阪医科大と東京メトロの子会社で勤務していた契約社員らのボーナス(賞与)や退職金を巡る訴訟の判決で「性質や支給目的を踏まえて検討すべきだ」とする判断も示した。

今回の訴訟の1、2審判決では、仕事内容が同じ場合は「基本給が定年前の6割を下回る部分は不合理」との具体的な線引きが示されていた。だが、最高裁はこうした「数字」の是非には触れず、過去の判例で示された考え方を念頭に、基本給の性格などを詳細に検討していった。正職員の基本給は、勤続年数に応じた「勤続給」だけでなく、職務内容に応じて額が決められる「職務給」、職務遂行能力に応じて額が決められる「職能給」としての性質もあると指摘。

これに対し、再雇用の嘱託職員の場合は役職に就くことは想定されておらず、勤続年数に応じた増額もなかったことなどから「正職員とは性質や支給目的が異なる」とした上で1、2審判決はこうした点を「検討していない」と批判した。加えて、原告と自動車学校側が行っていた賃金面を含む労使交渉についても言及。1、2審判決では交渉の結果だけに着目し、具体的な経緯を勘案していないことも「法令の解釈適用を誤った違法がある」とした。【産経新聞2023年7月20日

上記の事例について、倉重公太朗弁護士の『「最高裁、基本給の同一労働同一賃金初判断」について解説』を読むことで「年功給である正職員と嘱託職員では基本給の性質が異なる」という論点を認識できます。差戻審の結果を待っている段階ですが、定年退職後、大幅に年収が下がることに対し、違法性が確定している訳ではないようです。

以前の記事「働き方改革への労組の対応」の中で、2018年6月1日に示されたハマキョウレックス事件と長澤運輸事件の最高裁判決について触れていました。ハマキョウレックス事件は正社員と有期雇用労働者の待遇の格差について、長澤運輸事件は正社員と定年後再雇用された嘱託社員(有期雇用)の待遇の格差について争われた事件でした。

ハマキョウレックス事件は労働者側が勝ち、長澤運輸事件は会社側が勝つという結果に分かれていました。ハマキョウレックス事件では有期雇用労働者と正社員との間に職務内容に差がないのにも関わらず、待遇に差があったことは労働契約法20条に違反すると判断されました。一方で、長澤運輸事件の有期雇用労働者は定年後に再雇用された高齢の労働者だったため、待遇差が不合理ではないと判断されていました。

もちろん組合執行部としては裁判の行方に関わらず、労使交渉を通し、もしくは自治労に結集しながら再任用職員の待遇改善に向けて全力を尽くしていかなければなりません。特に常勤職員に比べ、一時金の年間支給月数が半分程度にとどまっているため、いくつかの近隣市が実現しているように同一とする交渉結果を早期に勝ち得ることを期待しています。

最後に蛇足となりますが、私自身、来年春、また大きな節目を迎えます。健康だから働き続けられる、働き続けられるから健康を維持できる、このような思いのもと雇用継続を希望しています。使用者側にとって努力義務に過ぎませんので、来年4月以降、このブログのタイトルが「元公務員のためいき」に変わるかも知れませんが…。

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2024年11月30日 (土)

兵庫県知事選、いろいろ思うこと Part2

インターネット上の様々なサイトをスマホから閲覧される方が増え、SNSの中でブログはマイナーになりつつあります。特に文字ばかりの長文ブログは敬遠されがちな現状なのだろうと思っています。前回記事「兵庫県知事選、いろいろ思うこと」は今年7月以降の記事内容の一部を数多く再掲したため、いつも以上に長文ブログとなっていました。

これまで私自身が兵庫県の内部告発問題に対する情報にどのように接し、どのような問題意識を持ってきたのか、その時々に閲覧した関連サイトの見出しも紹介していました。それぞれリンクをはっていましたが、「指定されたURLは存在しませんでした。URLが正しく入力されていないか、このページが削除された可能性があります」という表示に変わっていたサイトが多かったようです。

Yahoo!に掲げられた記事が短期に削除されていますが、コメント欄に寄せられている意見も興味深いため、いつもYahoo!からの紹介を多用しています。削除されていることに前回記事を投稿する前に気付いていましたが、斎藤元彦知事の問題視された言動を把握する際、私自身がどのような情報に接してきたかを主眼にした再掲だったため、たいへん恐縮ながら手を加えず、そのまま掲げさせていただきました。

亡くなられた元県民局長のホームページ上のメッセージ、遺族から百条委員会に提出された陳述書と音声データに残された言葉などは、再掲した記事内容の本文としてお伝えできています。陳述書に残されていた元県民局長の「一死をもって抗議する」という強烈な訴え、このような言葉には胸が締め付けられていました。

自らの命を絶った元県民局長の言葉の重さに対し、あまりにも兵庫県知事選の顛末がかけ離れていたため、個人的には暗然たる思いを強めていました。公益通報者保護法に対する理解をはじめ、斎藤知事が初動対応を誤らなければ元県民局長の命は救えたはず…、このような忸怩たる思いは兵庫県知事選の結果によって、ますます深まっています。

前回記事の中で触れていましたが、斎藤知事陣営の選挙戦でのスローガンである「躍動を止めない!」という言葉を「騒動を止めない!」と見誤ったことがありました。この言葉は最初「躍動する兵庫」だったようですが、提案を受けて「兵庫の躍動を止めない!」に変更されたとのことです。

11月20日、 兵庫県西宮市のPR会社merchuの折田楓代表がブログサイト「note」に『兵庫県知事選挙における戦略的広報:「#さいとう元知事がんばれ」を「#さいとう元彦知事がんばれ」に』という記事を投稿していました。斎藤知事が再選を果たした選挙戦での内輪話を明かしながら折田代表の貢献度をアピールしている内容です。

投稿後、一部削除や修正が加えられていますが、この記事の内容が奇しくも兵庫県の新たな混乱と騒動を引き起こしています。折田代表は、県知事選で斎藤知事のSNS運用やPRを担当したと主張しています。公職選挙法では、選挙活動で報酬を支払える対象は事務員や車上運動員、手話通訳者らに限定されています。

折田代表の記事内容のとおりに選挙活動を仕事として引き受け、報酬を得ていたとすれば公職選挙法に抵触する疑いがあります。他にも法律違反を問われかねない問題が散見し、政治ジャーナリストの鮫島浩さんの記事折田楓社長を見捨て、斎藤元彦知事は生き延びる冷徹な防衛策~公選法違反と政治資金規正法違反を否定する反論会見の矛盾を突く!』の中で詳述されています。

この問題を受け、斎藤知事は公職選挙法に違反するようなことはないと認識している」と繰り返し答えています。既視感のある光景でした。公益通報者保護法の問題でも、一貫して違法性を否定する認識を示していました。パワハラについても同様です。とりわけパワハラに関しては加害側の認識の問題よりも、受け手側がどのように感じていたかが大きなポイントとなります。

最終的に白黒がはっきりするまで疑惑のままであることも確かです。しかし、疑惑を招く問題が斎藤知事には立て続いています。様々な法律に対する理解不足や認識の甘さがあるように思えてなりません。加えて、そのあたりの不充分さをフォローしていく人材が周囲にいないのか、進言できる関係性を築けないのか、省みる点が多々あるのではないでしょうか。

これまで当ブログを通し、多面的な情報に触れていくことの大切さを訴え続けています。ただ誤解を受ける時がありましたが、このブログの記事内容自体で、多面的で幅広い情報を発信している訳ではありません。つまり賛否両論を併記した内容ではなく、私自身の考えを前面に出し、立場を明確化した記事内容となっています。

しかし、ブログのタイトルが「公務員のためいき」であるため、地方公務員法第36条については常に念頭に置いて情報発信しています。このあたりの関係性は以前の記事「再び、地公法第36条と政治活動」などで説明してきています。このラインを踏み外すと問題である、このようなことを把握しているかどうかは絶対必要です。

今回の斎藤知事陣営の内情を『〈兵庫県政大混乱〉斎藤陣営スタッフ告白「脇が甘いPR会社が脇が甘い陣営に入ってきた」「折田社長は斎藤さんと仲がいいマスコミの人だと思ってた」』という記事が伝えています。このような情報に接すると折田代表が最初に投稿した内容は、ほぼ事実関係をそのまま明らかにしたのだろうと思わざるを得ません。

最後に『「風向きを変えたい」斎藤知事発言に橋下徹氏「権力の乱用そのもの…知事として一番欠けているところ』という記事を紹介します。大阪府の橋下元知事の「確かに兵庫県民の皆さんは、110万票を持って斎藤さんを当選させました。これは非常に重い結果です。民意です。ただ法律の分野においては、民意で決めてはいけません。あくまで法に従って考えなきゃいけない」「疑われることを避けなければいけない部分で問題になっていて、斎藤知事は権力者としての自覚が欠けているのではないか」という言葉に首肯しています。

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