2024年2月24日 (土)

多面的な情報によって変わる評価

ロシアがウクライナに軍事侵攻し、2年が過ぎようとしてしています。悲しむべきことに未だ戦火の消える兆しは見出せません。帝国主義の時代に逆戻りさせないためには何としても国際社会が足並みを揃え、ロシアの暴挙を悔い改めさせる必要があります。

ロシア国内でもウクライナとの戦争を疑問視し、真っ向からプーチン大統領を批判する人たちもいます。その一人が反体制派の指導者であるナワリヌイ氏でしたが、投獄されていた北極圏にある刑務所で謎の死に至っています。

ナワリヌイ氏を追悼する集会自体が厳しく規制されるようなロシア国内の現状を見聞きすると、そのような社会にしてはいけないという思いを強めざるを得ません。今の日本、誰もが政権与党に対し、厳しい言葉をぶつけることができます。政府を批判する集会やデモに参加しても、そのことのみで拘束されることはありません。

ロシアのような強権的な国家に比べれば、日本のほうが「よりまし」であることは間違いありません。しかし、その日本も歴史を遡れば戦争を遂行するために全体主義の国家として、言論の自由などが制約され、反体制派と見なされた人たちが獄死してきた時代もありました。

明治憲法のもとでも大正デモクラシーと呼ばれた民主主義の盛り上がった時代がありながら、徐々に社会の空気が変わっていきました。だからこそ二度と言論や集会の自由を奪われるような社会にさせないため、アンテナを高めていくという意識が大切なのだろうと思っています。

プーチンは自分たちが「世界を救う存在」だと信じている』という論評のとおりプーチン大統領自身の身勝手な「正義」があります。身勝手な「正義」でも国内で巧妙にプロパガンダすることで、一定数の国民はプーチン大統領を本心から支持しているはずです。そのような意味合いから報道の自由の重要さも問われています。

一方で、ナワリヌイ氏たちのように声は上げられないけれども、プーチン政権に対して批判的な立場の人たちも決して少数ではないはずです。ナワリヌイ氏は生前、ドキュメンタリー映画で「もし殺されたら」と問われ、「あきらめないで」と支持者に向けた「遺言」を残していました。この言葉の重さが今のロシア社会の中で、はかり知れないものとなっています。

このブログでは多面的な情報の大切さを訴え続けています。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。

クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。前回記事は「もう少し自民党の裏金問題」でしたが、この問題こそ多面的な情報が広く認知されたことで自民党は猛烈な逆風に見舞われる事態に追い込まれています。

自民党の中で特に安倍派のキックバックの問題は20年ぐらい前から続いていた違法行為です。今回のように注目されない限り、今後も続いていた問題だったのではないでしょうか。自民党が急に何か不祥事を起こした訳ではなく、問題点が可視化され、ネガティブな情報が広く知れわたったことで厳しい批判を浴びています。

つまり不都合な情報が表に出てこなければ、このような窮地とは無縁だったと言えます。多面的な情報によって評価が変わってしまう事例を数多く思い浮かべられますが、ジャニーズ事務所の問題が象徴的です。ジャニー喜多川氏による性加害問題が大きく取り沙汰されなければ、ジャニーズ事務所の権勢は揺るぎないものとして芸能界を中心に影響力を発揮し続けていたはずです。

インターネットを検索すれば幅広い情報を得られます。それでも社会全体の認知度を左右するのは、やはり大手の新聞やテレビ局の取り上げ方しだいだろうと思っています。かなり前の記事「卵が先か、鶏が先か?」の中で、「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という問題意識を綴っていました。

自民党の組織的な土壌や体質は今も昔も変わっていないはずですが、安倍政権時代の支持率が極端に落ち込むことはありませんでした。「桜を見る会」前日の夕食会を巡る疑惑で、安倍元総理の秘書が略式起訴されています。安倍元総理自身は「不正を知らなかった」と答え続け、結局、政権への影響は最小限にとどまっていました。

今の自民党の裏金問題と似通った構図でしたが、世論やマスコミの論調の潮目が変わることはありませんでした。以前「『官邸ポリス』を読み終えて」という記事を投稿していましたが、官邸側がマスコミの情報をコントロールしていたという見立ては信憑性の高い話だったように思っています。

安倍政権時代、それほど支持率が下がらなかった理由の一つとして、政権交代に対する失望感があったことも見過ごせません。『「支持政党なし」最多の52%ナゼ? 小渕優子議員「野党転落を思い出す」……自民支持率“最低”の24% 野党は受け皿になれず』という報道のような現状の悩ましさがあります。

2年以内に行なわれる総選挙では投票率だけ極端に下がり、自民党が「それほど負けなかった」という可能性は充分あり得ます。それはそれで民意の表われなのかも知れませんが、国民から信頼を失った場合、政権の座から下りることになる、そのような緊張感のある政治であって欲しいものと願っています。

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2024年2月17日 (土)

もう少し自民党の裏金問題

前回記事「駅頭で訴えた平和への思い、2024年冬」の冒頭でも自民党の裏金問題について触れています。ルールを守れていなかったという過去の問題以上に、現在進行形での今、明らかに嘘だろうという説明や他者に責任転嫁するような姿勢の自民党国会議員の多さに憤りを覚えています。

国民の生命や暮らしに対し、たいへん重い責任を負っている与党政治家の言葉を信じられなくなってしまうようでは大きな問題です。さらに重要な政策が失敗した時に「自分たちの責任ではない、国民が従わなかったからだ」と責任転嫁されるのではないか、このような不信感も生じかねません。

前々回記事「自民党の裏金問題」の最後に「まだまだ書き加えたい内容も思い浮かんでいます」と記していました。今回、記事タイトルに掲げたとおり自民党の裏金問題から広げた論点など、もう少し訴えたかった内容を書き進めていきます。

まず呆れた自民の「裏金」調査報告書…反省ゼロ、中身は安倍派幹部への愚痴だらけ』という見出しの記事のとおり自民党の自浄能力の希薄さが浮き彫りになっています。報告書は事情聴取に同席した弁護士らが作成したようですが、あくまでも自民党内部の調査結果に過ぎません。

ビッグモーター、最近ではダイハツなど民間企業の不祥事に際し、第三者委員会を起ち上げて調査することが通例となっています。その結果、経営者側にとって非常に耳の痛い、隠匿したままにしたかった数々の事例が公表されています。同時に責任の所在も明らかにし、社長らの辞任につながっています。

内部調査にとどまるのか、第三者を中心にした調査とするのかどうかで、やはり導き出される結果は大きく違ってきます。岸田総理が国民からの信頼回復に全力を尽くすと繰り返したとしても、この違いがある限り「どうせお手盛りだろう」「手心を加えているのではないか」という不信感は容易に拭えないはずです。

続いて、安倍派のキックバックの問題です。あまりにも長い間の慣習として続き、先輩や同僚議員らも当たり前のように手を染めてきたため、贖罪の意識の希薄さが目立っています。『西村、萩生田、世耕3氏は早くも“派閥”づくりの囲い込み競争 「もう数に入れたから」と誘われ』という見出しのような記事に触れると呆れてしまいます。

その記事の中で、西村前経産相は「秘書が20人いて、うち3人しか国から給料は出ない。その人件費が年間1億円かかるので、自分で稼ぐために(政治資金)パーティーを開いてきた」などと自身のパーティーについて肯定的に説明し、「派閥幹部だった自分も悪かった」と反省していながらも次のように語っています。

安倍派の裏金づくりについては、「安倍晋三元首相が会長になり、私が事務総長になったときにキックバックの論議があった。しかし、私はすぐに大臣になったので、その後は知らない」と話していた。

西村氏は裏金が100万円あったことを認め、「秘書任せだった」と切り出しながらも、「安倍派のパーティーの収入と書くところを、苦肉の策で自分のパーティーの収入として書いていた」と語った。

政治資金収支報告書への虚偽記載を“自白”した格好だ。自身の責任についても、「党の役職停止か、半年程度でしょう。まさか1年はない。その間だけは謹慎」と「復活」を前提に、反省とはかけ離れた発言をしていた。

金曜から確定申告の受付が始まる中、ますます国民の憤りと上記のような危機意識の乏しさとの落差が顕著になっています。ただ別な視点からも西村前経産相の発言に着目してみるつもりです。「秘書が20人」という言葉についてです。キャリアや選挙区事情によって秘書の人数は大きく異なるのでしょうが、3人のみで対応している国会議員は少ないはずです。

これまで実際お会いしてきた衆院議員の方の事務所スタッフの顔ぶれを思い浮かべると、やはり相応の人数が必要なのだろうと思っています。地元とのつながりや日常的な活動に力を注がず、知名度や党の看板だけで当選を重ねていけるのであれば、3人でも多すぎることになるのかも知れません。

しかし、強力なライバルに負けないためには、選挙区のある地元にも事務所を構え、日頃から地域に密着した活動を重視していかなければなりません。支援者から「選挙の時にしか顔を出さない」と言われるようでは票が逃げていくことになります。

事務所を維持するために一定の人数が必要となり、同じような役割を担うのであれば公設秘書らに準じた勤務条件にしていく必要があります。国から支給される公設秘書給与の一部でも事務所全体で分かち合った場合、以前の記事「ブログで振り返る組合役員時代 Part2で紹介した山本譲司さんのように違法性を問われてしまいます。

前々回記事で、宏池会所属の参院議員だった大正大学准教授の大沼みずほさんの『「俺のところに来なきゃ干すぞ」  新人議員へ恫喝横行…  自民党の派閥解消歓迎の一方で元議員が惜しむ派閥の効能』という記事を紹介していました。その記事の中で、大沼さんは国会議員の活動に必要な資金の現状について次のように伝えています。

政治にはお金がかかる。これはウソではない。実際に政治活動をした私も痛感したことでもある。秘書などを雇う人件費、事務所費、コピー機、ガソリン代、通信費、さまざまな会合への会合費、国政報告などのチラシやパンフレット、ポスター作り……。

事務所を運営していくのは小さな中小企業を経営しているのと同じだ。国会議員は、個人商店の店主なのだ。国会議員の歳費は月額129万円あまり。年約1552万8000円で、期末手当(賞与)として年額635万円を加算すると総額2187万円超となる。それだけの高額報酬を得ているのに足りないはずがない……と思っている国民は多いが、実際は火の車だ。

事務所を運営していくには年4000万~4500万円ほどかかる。政治活動は政党助成金(自民党では年間1人1200万円)や文書交通費(現在は「調査研究広報滞在費」、各議員に年1200万円)だけではまかなえず、後援会費や国政報告会などで政治資金を集めなければ政治活動を行うことは難しい。加えて、次の選挙の際にかかる費用も貯めていかなければならない。私の場合、最初の選挙で借金として負っていた印刷代を年150万円ずつ返済しながら、月100万円ほど積み立てていた。

そうした意味で、派閥から年に2回支給される「氷代・餅代」は正直ありがたかった。宏池会への会費月5万円を差し引くと1回およそ70万円となる。これらは、5人いた私設秘書たち(公設秘書3人のほかに)のボーナスですぐになくなるのだが、国からボーナスの出る公設秘書と私的に雇う私設秘書との給与格差をいかに縮めるかはどの議員にとっても悩ましい問題であるはずだ。時期的にも私設秘書のボーナスに使っていた議員は多いのではないかと推察する。

派閥解消でこの「氷代・餅代」も消えるわけで、秘書を雇えなくなったり、よほど経費を節減しなければ議員の事務所家計が破綻したりするケースが続出するかもしれない。

上記のような現状から国会議員の資金の余裕のなさを知ることができます。個人差は大きく、前述したとおり地元に関わらず、割り切って必要最低限度の支出に抑えれば、任期中に個人的な預金残高は膨らんでいくのかも知れません。

お金のかからない政治活動に向け、選挙区内での寄附行為が禁止されてきました。それでも飲食の伴う新年会などに招待され、少しでも懇談していく場合、必要な会費だけは支払うことになります。法的に問題のないケースですが、寄附行為に当たりかねないとし、支払わないと主張する政治家は極めて稀なはずです。

そのため、国会議員に対して過度な「身を切る改革」を求めることで、自己資金に余裕がなければ政治家になれないような社会にしてしまっては問題だと思っています。選挙時も含め、どこまで公費を支出すべきなのか、簡単に結論を出せないかも知れませんが、削る方向性だけの議論にすべきではありません。

今回の自民党の裏金問題を通し、最も批判しなければならない点は定められたルールを守れなかった国会議員の多さです。その上で、政治資金収支報告書には記載できなかった使途の全容です。もし私的な流用がまかり通っていたのであれば、たいへん悪質な問題だと言えます。

今後、検討すべき論点は、党から支給される政策活動費も含めた使途の透明性が一つだろうと考えています。もう一つは、事務所の会計責任者が法的な責任を問われた場合、「秘書任せだった。自分は知らなかった」という言い訳が通用しなくなる政治家本人の責任を問う連座制の導入ではないでしょうか。

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2024年2月10日 (土)

駅頭で訴えた平和への思い、2024年冬

前回の記事は「自民党の裏金問題」でした。ルールを守れない自民党の国会議員の多さも問題ですが、明らかに嘘だろうという説明に終始する姿勢に対し、よりいっそう憤慨せざるを得ません。

昨年12月には「旧統一教会と自民党、2023年冬」という記事を投稿していました。最近、旧統一教会との関わりでも『林官房長官、盛山文科相と旧統一教会のズブズブな関係 「選挙運動を手伝い2週間で2万人に電話」「関連団体が千羽鶴で“応援”」』という報道のような問題が取り沙汰されています。過去に接点があったという問題以上に、やはり次のような不信感のもとに憤りを覚えがちです。

一昨年10月の記事「信頼できる政治のあり方」の中で「自分自身も省みる中で、完璧な記憶力はありません。すべての事象を正確に把握している知識や情報収集能力もありません。そのため、時には誤ったことを言葉にしてしまう場面もあります」と記し、次の言葉につなげていました。

大切な心構えは誤りが分かった場合、すみやかに訂正し、謝罪することだろうと考えています。最悪な振る舞いは自分の誤りを認めず、その誤りを糊塗するため、嘘に嘘を重ねることです。

ジャーナリストの青木理さんは盛山文科相の最近の振る舞いに対し、「アホですか?」「全部、ウソなんですよ」と痛烈に批判しています。解散命令請求を出している文科相という重責に照らした時、嘘を重ねているのか、本当に記憶力に問題があるのか分かりませんが、すみやかに職を辞すべき事態だろうと思っています。

このような話は次回以降の記事で改めて取り上げていくつもりです。今回の記事タイトルは「駅頭で訴えた平和への思い、2024年冬」としています。一昨年5月の記事「駅頭で訴えた平和への思い」と同じような趣旨のもとに書き進めていきます。

以前の記事「反核座り込み行動で訴えたこと反核座り込み行動で訴えたこと、2020年冬の中で紹介したとおり三多摩平和運動センターは6日もしくは9日、毎月、三多摩各地のいずれかの駅頭で座り込み行動に取り組んでいます。

1945年8月6日に広島、8月9日には長崎に原爆が投下されました。その日を忘れないために「核も戦争もない平和な21世紀に!」と記された横断幕を掲げ、駅前のデッキ上の一画に座り込みます。その座り込みの横で、駅前を通行している方々にチラシを配布したり、拡声器を使って反戦反核についての様々な主張をアピールするという行動です。

今月9日は地元のターミナル駅前での取り組みでした。センターの個人会員として呼びかけられ、当日は私どもの組合委員長らとともに参加しました。これまで地区連絡会の代表という肩書があったため、このような行動の際、必ず私自身もマイクを持つ一人として指名されていました。

今回も事務局長から事前のメールで要請を受けていましたが、「個人会員の一人という立場で恐縮ですが、時間的に余裕があるようでしたらトークも了解しました。当日、他に大勢いらっしゃるようでしたら出番がなくても結構です。臨機応変にご対応ください」と返信していました。

マイクを持って呼びかける際、以前は原稿を用意せず、その時々に思ったことをアドリブで訴えていました。そのため、時間超過気味のサインを送られる場合もあり、終わった後に「あのことも触れれば良かった」と思う時も多々ありました。

このような点を防ぐため、数年前から訴えたい内容の原稿を事前に用意するように心がけていました。これまで当ブログを通し、不特定多数の皆さんに訴えてきた論点をまとめたものが原稿の内容となります。今、私自身が切に願うことであり、どのような言葉を尽くせば良いのか、いろいろ考えながら原稿を仕上げていました。

今回、出番がなかったかも知れませんが、これまで同様、5分程度の内容の原稿をまとめて駅頭に向かっていました。ちなみに出番がなくても当ブログの新規記事の中で紹介しようと考えていたため、その作業時間が無駄になることはありませんでした。

ただ原稿を仕上げていく中で、どうせならばネット上にとどまらず、実際の場面で不特定多数の方々に訴えられればと思うようになっていました。最初の頃は、まったく知らない方々に向け、拡声器を使って話すことが気恥ずかしく、脈拍も上がっていたかも知れません。

やはり慣れなのでしょうか、もう何年も前から上がることはなく、駅頭で訴えることをたいへん貴重な機会だととらえるようになっていました。とは言え、駅前を行き交う方々の中で足を止めて耳を傾けてくださる方は、まずいません。

ほとんどの方が聞き流していくようなアピールの場に過ぎませんが、私自身の出番があるのであれば最も訴えたいことを自分の言葉を尽くして訴えてみようと考えながら、いつも駅頭の行動に臨んでいました。

今回、記事タイトルを「駅頭で訴えた」としているとおり当日、私にもマイクを持つ順番が回ってきました。せっかくの機会を得られ、一人でも多くの方に、ほんの少しでも気に留めていただけたらと願いながら、平和への思いを心を込め、時には声を大にして、訴えさせていただきました。

このブログでの発信は不特定多数の皆さんが目にすることを常に意識しています。駅頭での訴えと同様な関係性であり、一人でも多くの方に伝えたい思いをブログに託しています。このような趣旨を踏まえ、今回の記事でも反核座り込み行動の時に訴えた内容をそのまま掲げさせていただきます。

反核座り込み行動で訴えた内容

新年を迎えた日の午後4時過ぎ、能登地方を震源に震度7の地震が発生しました。穏やかなお正月の風景が一転してしまった辛苦に思いを寄せています。一日でも早く以前と同じ日常が取り戻されていくことを深く祈念しています。

一昨年2月にはロシアがウクライナに軍事進攻し、未だ戦火の消える兆しが見出せません。そのような中、昨年10月にはパレスチナの地で新たな戦火が上がっていました。

イスラム組織ハマスが突如、イスラエルへ大規模な攻撃を開始しました。これに対し、イスラエル側は空爆や地上侵攻で反撃し、ハマスを壊滅させようとしています。対立の激化によって、子どもたちを含め、多くの住民が戦闘の犠牲になっています。

尊い命を奪われた方々は、何か過ちや落ち度があった訳ではありません。自分たちでは制御できない悲運に遭遇し、平穏だったはずの日常が奪われてしまった悲劇の数々だと言えます。

しかし、自然災害と戦争には大きな違いがあります。大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めません。しかしながら戦争は権力者の「意思」によって引き起こされるため、人間の「意思」によって抑えることができるはずです。

街行く皆さんも、私自身も、誰もが戦争は避けたいと願っています。岸田総理も同様だろうと思っています。そのために防衛費を増やし、基地機能を強化し、反撃能力も高めようとしているのだろうと理解しています。

攻め入れば手痛いダメージを負うという軍事力による抑止効果こそ、戦争を防ぐ最も必要な対策だと考えている方が増えつつあります。そのような方々からすれば、私たちが取り組む座り込み行動の意味に疑問を持たれるのかも知れません。

しかし、圧倒的な軍事力で優位に立っていたはずのイスラエルがハマスから攻撃を受け、多くの住民の命が失われています。イスラエルの反撃によって、ハマスを壊滅状態に追いやるのかも知れません。それでも最初に受けた攻撃で失われた命が戻ってくることはありません。

抑止力を頭から否定するものではありません。しかしながら敵対関係が続く限り、このような事態を100%防ぐことは困難です。安全保障のジレンマという言葉があるとおり武力一辺倒での抑止力に限界があることを認識していかなければなりません。

最終的に国家として戦争に負けなかったとしても戦闘の犠牲になった命は、本人にとってはもちろん、家族や友人らにとって唯一無二のものです。そのため、為政者はそのような事態を一度たりとも生じさせてはいけないという決意と知略のもとで力を尽くして欲しいものと切に願っています。

さらに軍拡路線は国家財政を逼迫させ、国民生活にも影響を及ぼしていくことになります。そもそも軍事力の拡大ということ自体が戦争を招くという見方もあります。敵の基地や中枢を攻撃できる能力を持つということは、相手方に脅威を与え、軍事的な緊張が高まるという見方です。

戦争を未然に防ぐためには「攻めたら反撃される」という抑止効果とともに「先に攻めるつもりがない」という相手方を安心させるメッセージとのバランスが重要です。対話できる関係を築き、相手方にこちらを敵視する「意思」がなくなれば切迫した脅威は消えていくはずです。

その上で、平時の外交交渉の場面では相手方の主張にも耳を貸していくという姿勢が求められていきます。外交交渉の扉を開いていることが、武力衝突を避ける関係性につながり、戦争を防ぐための欠かせない道筋だろうと考えています。

北方領土の問題がありながらも首脳間での対話を重ねていたことで、ロシアに対する脅威が薄れていたことは一例だと言えます。そのロシアは、国際社会の中で禁止されている侵略戦争に手を染めてしまいました。

台湾有事を防ぐためにも、軍事力で「自国の正義」を押し通そうとした場合、国際社会で孤立し、甚大な不利益を被るという関係性を築いていくことが非常に重要です。

反核座り込み行動にあたり、核兵器の問題にも触れさせていただきます。核兵器の開発、保有、使用を禁止する条約が2021年1月に発効しています。核兵器は違法だという流れが国際社会の中で定められています。

しかしながら日本をはじめ、核保有国や核抑止力に依存する国々は署名・批准していません。国際社会が過去の教訓や未来への希望を託しながら定めたルールに対し、唯一の戦争被爆国である日本こそ、核兵器の非人道性や地球規模で及ぼす影響を訴えていくべきではないでしょうか。

最後に、武力で平和は築けません。憎しみの連鎖がテロや戦争を引き起こしていきます。自然災害と異なり、戦争は人間の「意思」で防げるはずです。一刻も早くいかなる国や地域で戦火が消えることを心から願っています。

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2024年2月 3日 (土)

自民党の裏金問題

政治資金パーティーを巡る問題で、自民党は裏金と言われることに抵抗感を示しています。そのような訴えを意識しているメディアは政治資金規正法違反事件という言葉を使い、カギ括弧を付けて「裏金」問題と呼称している記事もあります。このブログではカギ括弧も付けず、今回の記事タイトルを「自民党の裏金問題」として書き始めています。

自民党の裏金問題に初めて触れたのが昨年末12月9日に投稿した記事旧統一教会と自民党、2023年冬」でした。その記事を投稿した以降、直接的な題材にしなくても何かしら一言二言触れてきています。それだけ関心を高めていた問題であり、12月9日の記事の冒頭では次のように書きしるしていました。

この程度の範囲内であれば大丈夫、今まで問題視されていなかった、自民党の派閥の政治資金パーティーを巡る問題も、そのような安易な思い込みがあったのかも知れません。今後、明らかなルール違反が詳らかにされていくのであれば「トカゲの尻尾切り」のような責任の処し方にとどまるようでは大きな問題です。

あれから2か月近く経ち、しっかりとした責任の処し方が見られているかどうかで言えば明らかに「否」です。逮捕者は秘書である会計責任者を中心にした顔ぶれにとどまり、ものすごい消化不良のまま通常国会を迎えていました。前回記事「『国防』から思うこと Part2」の冒頭には次のような憤りを書き添えています。

自民党の裏金問題で最も憤りを覚えるのは『「秘書がやった」と言えば政治家は罪を許される…自民党裏金問題が明らかにした「検察と自民党」の異常な関係』という記事のとおりだろうと思っています。特に『「秘書に質問しながらじっくり確認」世耕弘成 裏金事件で「秘書任せ」も14年前にしていた“真逆の民主批判”』という記事に触れると、ますます国会議員としての矜持を疑わざるを得ません。

秘書だけが刑事責任を問われていく理不尽さに憤りを覚えます。キックバックや不記載の経緯について、派閥からの指示があったことを認めている安倍派の国会議員も何人か現われています。そのような点も含め、世耕参院議員らの「知らなかった」という釈明が真っ赤な嘘だろうと思わざるを得ません。

特に野党時代、このような政治資金を巡る問題で「秘書に任せていた」という釈明を猛批判していた世耕参院議員は、どのような折り合いを付けているのか非常に興味があります。そもそも本当に知らなかったとしても、雇用主である国会議員の管理監督責任も厳しく問われなければならないはずです。

公務員であれば公金を自宅に持ち帰り、すぐ全額を戻していたとしても処罰され、懲戒免職まで至ります。上司である課長や係長らも管理監督責任を問われ、減給等の懲戒処分を下される場合があります。民間の会社でも同様です。金銭に絡むルール違反に対し、世間一般の常識から比べ、あまりにも不明確な責任の処し方に国民の怒りが高まっています。

前々回記事「『国防』から思うこと」では岸田総理が宏池会の解散を決めたという発表に対し、「本質的な問題や病巣に切り込まないまま論点そらしのための大胆なパフォーマンスに打って出たようにしか思えてなりません。このことで仮に内閣支持率が上がり、自民党の裏金問題が収束していくようであれば残念な話だと言えます」と記していました。

そのように懸念していましたが、先週の各メディアの世論調査で岸田内閣の支持率は少し上昇しています。毎日新聞の世論調査(1月27〜28日実施)では5ポイント増の21%、日経新聞の世論調査(1月26〜28日実施)では1ポイント増の27%でした。

能登半島地震への対応の遅れが批判されているにも関わらず、支持率続落に歯止めがかかり、わずかながら上昇に転じたのは自らが率いてきた岸田派(宏池会)を解散して派閥解消を打ち出したことが最大の要因であろうと見られています。

岸田派に続いて二階派、安倍派、森山派も解散することになりました。それに対し、岸田政権を支えてきた主流派である麻生派と茂木派は政策集団としての存続を決めています。岸田総理がキングメーカーの麻生副総裁と一線を画したことも世論から好意的に受けとめられているようです。

さらに裏金事件で立件を免れた安倍派幹部に自発的離党を迫ったこともプラス要因につながったのではないか、そのように世論調査を実施したメディアは分析していました。ただ岸田総理から明確な指示を受けたものではなく、茂木幹事長の先走りだったという内幕も耳にしています。

その後の顛末も安倍派5人衆の政治責任は塩谷座長を“生贄”で幕引きか…森元首相の介入で茂木幹事長が腰砕け5人衆は自分を助けてと老人ホームの「森喜朗」に嘆願《安倍派ではなく森派と呼ばれる派閥の末路》』という記事のとおりですが、組織体質を刷新しなければならない党として重要な岐路にも関わらず、森元総理の影響力が色濃く出てきた話に驚いています。

還流不記載の議員ら、核心語らず釈明に追われる…  専門家「説明したとは言えない」』という見出しの記事で、安倍派事務総長だった高木毅衆院議員が地元の福井県敦賀市内で記者会見を開き、議員辞職や離党を否定し、次期衆院選にも立候補の意思を示していることを伝えています。

高木衆院議員は収支報告書に未記載だった計1019万円について、主に飲食費として「議員や有識者との意見交換の場である政治活動に使った」と正当性を主張しています。

ただ領収書や記録はないという説明だったため「確認したことにならない」と指摘され、「言われてみるとそうだが、記載できない使い方はしておらず、そう申し上げている」と曖昧な回答に終始していたようです。

今回の裏金問題は自民党にとって「藪から蛇」という様相を示し始めています。『茂木幹事長10億円、二階氏は5年で50億円! 使途公開不要「政策活動費」に批判集中「自民こそインボイス導入しろ」』という記事のとおり桁違いな政策活動費の問題が浮かび上がってきました。

週刊誌記者は「政策活動費とは、政党から政治家個人に支出される政治資金です。このお金については使途の公表義務がないため『抜け穴』『裏金の温床』とも指摘されてきました」とし、「これまで政策活動費の使途公開について後ろ向きだった維新ですが、一転して推進に転じるのでは」と解説しています。

党から支給される政策活動費と派閥からのキックバックとの線引きに対する認識が不充分だったため、違法性が希薄なまま政治資金収支報告書に不記載となったという実情も耳にしています。そのような意味合いからすると、この機会に政策活動費の使途を公開していく道筋こそ、派閥の解散問題よりも重要な責務であるように思っています。

自民党の裏金問題に対する論評として、いくつかネット上で興味深い記事を目にしています。青山社中筆頭代表の朝比奈一郎さんのメディアとネットによる過剰なバッシング、叩いて壊した結果なにか残るのか』は派閥の功罪を綴っています。ただ「安倍派解散」は中国を喜ばせているという見方など独特な立場からの論評です。

宏池会所属の参議院議員だった大正大学准教授の大沼みずほさんの「俺のところに来なきゃ干すぞ」  新人議員へ恫喝横行…  自民党の派閥解消歓迎の一方で元議員が惜しむ派閥の効能』という記事からは、やはり派閥の功罪とともに政治活動に必要な資金の現状を分かりやすく知ることができます。

今回「自民党の裏金問題」というタイトルを付け、いろいろ思うことを書き進めてきました。朝比奈さんと大沼さんの記事内容から広げた論点など、まだまだ書き加えたい内容も思い浮かんでいますが、たいへん長い記事となっていますので、ここで一区切り付けさせていただきます。

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2024年1月27日 (土)

『国防』から思うこと Part2

自民党の裏金問題で最も憤りを覚えるのは『「秘書がやった」と言えば政治家は罪を許される…自民党裏金問題が明らかにした「検察と自民党」の異常な関係』という記事のとおりだろうと思っています。特に『「秘書に質問しながらじっくり確認」世耕弘成 裏金事件で「秘書任せ」も14年前にしていた“真逆の民主批判”』という記事に触れると、ますます国会議員としての矜持を疑わざるを得ません。

この問題は来週以降、改めて取り上げる予定です。今週末は前回記事「『国防』から思うこと」の続きとしてタイトルに「Part2」を付けて書き進めていきます。昨年末の記事「今年も不戦を誓う集会に参加」の最後のほうで「どうすれば戦争を防ぐことができるのかどうか」という宿題を課していました。

その「どうすれば」は以前の記事「平和の話、インデックスⅣ」や「戦火が消えない悲しさ Part2などを通し、私自身の思いや問題意識を綴ってきています。今回の記事でも防衛庁長官を歴代2位に及ぶ期間務めた自民党国会議員の石破茂さんの著書『国防』の中で、興味深かった箇所を紹介しながら「どうすれば」という思いを深掘りしてみるつもりです。

書籍を読み進める中で付箋を添えていた箇所があります。2003年に北朝鮮が日本海に向けて地対艦ミサイルを発射しました。当時の石破さんは、農閑期に行なう恒例行事としての訓練であり、その情報に全然驚かず、公表するものではないという認識でした。海上保安庁から国土交通省に上がった情報にマスコミが飛びつき、大騒ぎになってしまったと書かれています。

マスコミが脅威を煽り、「敵対行為である」と騒ぎ始めることの危うさを石破さんは指摘しています。相手国からすれば「いつもの訓練をしているだけで、そんなに騒ぐとは、わが国をそんなに敵視しているのか」と緊張関係を高める結果につながりかねないことを危惧されていました。

日頃から万が一に備えることや国民に向けた情報開示も必要なのかも知れませんが、私自身、北朝鮮のミサイル発射を必要以上に騒ぎ過ぎているのではないか、そのような疑問を抱いています。人間の意思によって引き起こされるのが戦争です。敵対視し合っていくことよりも、お互い対話の窓を開いていく道筋こそ「どうすれば」の答えの一つだろうと思っています。

戦争を防ぐため、一定の抑止力が必要であることも理解しています。石破さんの『国防』の中ではイージス艦や戦闘機などの性能や能力について解説しています。同時に石破さんは「軍備なんて何も生まないのですから、もし世界が平和であればどんどん軍縮すべきです」という言葉も書きしるしています。

このような知見のもとに「戦車を持つ意味は何だろうか」というゼロからの議論を提起し、防衛庁の長官だった当時、いかに合理的に予算を使うかを考え直す作業に取り組まれていました。その結果、2004年度の防衛費はトータルで見れば1%減らしたと記しています。

安全保障のジレンマのもと軍備を拡張していく路線は国家財政を逼迫させ、国民生活にも影響を及ぼしていくことになります。以前の記事「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」に綴っているとおり軍縮交渉は戦争を回避する目的とともに国家予算を疲弊させず、経済を建て直すことも念頭に置かれています。

いずれにしても武力衝突を避けるためには常に外交交渉の扉を開いていくことが最も重要です。北方領土の問題がありながらも首脳間での対話を重ねていたことで、数年前までロシアに対する脅威が薄れていたことは一例だと言えます。

前々回記事「もう少し田中角栄元総理の言葉」で紹介した総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない」という言葉を出発点として、為政者は外交力を高めることに力を注いで欲しいものと願っています。

脅威を必要以上に煽り、実効性の検証等が不確かなまま防衛費の数字だけ大幅に増やしていくという発想であれば懸念すべきことだと思っています。そもそも本当に欠かせない防衛力の増強だった場合、基幹的な税の引き上げなど恒常的な財源確保が必要とされていくのではないでしょうか。

昨年11月の参院予算委員会で立憲民主党の辻元清美さんの防衛費の増額に関わる質問に対し、岸田総理は「円安でも範囲内に収める」と答弁しています。辻元さんは「去年、5年間の防衛費を43兆円に増額すると決めた時、為替レートを1ドル108円で試算している。今の為替レートでは43兆円をはるかに突破するのではないか」と指摘しました。

これに対し、岸田総理は「43兆円という金額は必要な防衛力を用意するために検討し、吟味して積み上げた数字だ。閣議決定した数字なので、この範囲内で防衛力を強化していく方針に変わりはない。為替の動向も見ながら効率化や合理化を徹底し、現実的にどういった効果的な防衛力の強化ができるか、財源の確保と合わせて具体化していきたい」と述べています。

このようなやり取りは「43兆円という数字ありき」で、どのような装備をどれほど必要なのかという緻密な検討の不充分さを露呈させています。同日の参院予算委員会では大阪・関西万博についても議論されています。こちらは当初決めた数字を青天井に膨らませています。

いずれにしても戦争を防ぐために本当に必要な防衛予算だとすれば「数字ありき」という発想ではなく、さらなる増額などについて真摯に国民への理解を求めていくべきだろうと思っています。『国防』から今後の防衛費の話に広げてみましたが、最後に念のため、私自身は43兆円という増額そのものに懐疑的な立場であることを申し添えなければなりません。

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2024年1月20日 (土)

『国防』から思うこと

自民党の裏金問題は派閥を解散する動きにまで至っています。昨年末の記事2023年末、今の政治に思うこと」の中で、今後「ルールを変えました」と説明されたとしても、ルールを守ることを軽視した政治家が一掃されない限り、同じ過ちは繰り返されていくのではないか、そのように記していました。

そもそもリクルート事件で国民からの政治不信が高まった時、自民党は「派閥解消」を唱えていました。その時の決意は上辺だけの軽いものであったことが、浮き彫りにされている規範意識の乏しい組織体質の現状から明らかになっています。

土曜朝の読売新聞の『編集手帳』で、岸田総理は先日まで「派閥」とは極力口にせず、「政策集団」と言っていたことを伝えています。派閥解散論を煙に巻くつもりだろうと思われていたところ突然、急先鋒に立ち、自身が率いた宏池会を解散すると明言しています。派閥の功罪はさておき、数の力で支配する政治を変えられるのかどうか、岸田総理の「中身による」と結ばれていました。

私自身、派閥から離脱していた岸田総理が宏池会の解散を決めていることに違和感を抱きながら、本質的な問題や病巣に切り込まないまま論点そらしのための大胆なパフォーマンスに打って出たようにしか思えてなりません。このことで仮に内閣支持率が上がり、自民党の裏金問題が収束していくようであれば残念な話だと言えます。

この問題は、きっと機会があれば改めて掘り下げていくことになるのだろうと思っています。今回の記事タイトルは「『国防』から思うこと」としています。前回記事「もう少し田中角栄元総理の言葉」の最後のほうで、自民党の幹事長だった石破茂さんの著書『国防』を読み進めていたことを記していました。

これまで当ブログでは 「『◯◯◯』から思うこと」というタイトルの記事を数多く投稿しています。『カエルの楽園』から思うこと」「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」「『大本営参謀の情報戦記』から思うこと」などがあり、読み終えた書籍から私自身の思いを深掘りしていく内容となっています。

「『◯◯◯』を読み終えて」 との違いは、当該の書籍の紹介がメインではなく、そのテーマから派生した自分自身の思いが中心になるかどうかです。ただ「『◯◯◯』を読み終えて」のほうも直接的な書評ではありませんので、それほど大きな違いはないのかも知れませんが、個人的なこだわりとして使い分けています。

したがって、防衛庁長官を務めていた石破さんの『国防』という書籍の内容にとどめず、国防のあり方を巡る時事の話題などを絡めながら書き進めていくつもりです。そのことによって、年末に投稿した記事「今年も不戦を誓う集会に参加」からの宿題「どうすれば戦争を防ぐことができるのかどうか」に対する一つの「答え」につながればとも考えています。

北朝鮮のミサイルをどう防ぐか?  自衛隊イラク派遣に意味はあるのか?  徴兵制は憲法違反か?  日本のテロ対策は万全か?  長官在任日数・729日(歴代2位)、国防の中枢を知る著者が、いま、すべてを語る。

上記はリンク先に掲げられた書籍の紹介文です。防衛省になる前、防衛庁時代の長官を石破さんは歴代2位に及ぶ期間務め、自衛隊のイラク派遣を小泉元総理とともに決めていました。石破さんは『国防』の中で、イラク戦争の大義について次のように語っています。

大義は国の数だけあり、結果としてイラクは大量破壊兵器を持っていなかったが、国連の査察に応じなかったことによって生じた事態であると説明しています。しないことによって受けるかも知れない被害を防ぐための大義をアメリカやイギリスは判断したというロジックでイラク戦争を省みていました。

石破さんは自衛隊のイラク派遣の理由を四つあげていました。第一は石油の依存割合の高い日本にとって死活的に重要な地域であること、第二は国連からの要請であり、第三はイラクの人たちの希望に応えることを理由としてあげていました。そして、第四の理由として日米の同盟関係の信頼構築の大切さをあげています。

全体を通して分かりやすい言葉や説明ばかりで、たいへん読みやすい書籍でした。ただ「なるほど」と思える箇所が多かったとしても、必ずしも石破さんの考え方そのものに賛同していた訳でもありません。自民党の政治家として当たり前なことですが、国際社会の中では標準的な国防観に沿って語られています。

20年近く前に発刊された書籍ですが、敵基地攻撃能力がないことの問題意識など石破さんの率直な考え方に触れる機会となっていました。自衛隊の装備や法律面の不充分さをはじめ、その当時から現在までにつながる様々な論点が示されていたため「古い著書ですが、内容は色褪せていません」と前回記事に記したような感覚で読み終えていました。

石破さんの興味深い言葉として「右翼の好戦主義者みたいに思われているのでしょうが、全くそうではありません」「現実的な防衛を知れば知るほど、骨太な平和主義が必要になります」「軍事を語る時には、最低でも、その船や飛行機や戦車がどのような性能を持ったものなのか知っていないといけません」というものがあります。

国防について「行け行けどんどん」みたいな議論に与せず、どのような装備や運用、法整備が必要なのか、知見と冷静さを持って考えていくべきことを石破さんは提唱しています。新たな防衛大綱策定に際しては、石破さんの視点から期限や数値など具体的な指摘を重ねていたことも記されていました。

長官から細かい指摘を受けた側は戸惑ったかも知れませんが、このあたりまでは特に異論ありません。『国防』を読み進める中で、少し極端ではないだろうかと思った箇所がいくつかあります。防衛庁長官に就任し、長官室に世界地図が貼っていなかったため、特大のものをすぐ買うように命じたことが書かれています。

護衛艦や戦闘機のプラモデルを長官室にいっぱい並べていながら、内局の官僚からは何の反応も示されなかったことに違和感を覚えたと記しています。「自衛隊管理庁」という意識で自衛隊に愛情を持っていないような物言いを耳にした時、すごく腹が立ち「なんだ、その言い方は。もういい、帰れ」と怒ったことがあると書いていました。

長官を退任した後、隊員数名から感謝のメールが届いていたことを書籍の中で伝えています。一方で「制服偏重」などと言われ、内局の幹部からは嫌われていたことを書籍の中で明かしています。内局の一部の若手とは良好な関係を築いていたようですが、退任後に「内部で長官と内局が対立」という新聞記事が出るほどの悪化した関係性のまま防衛庁を去っていました。

石破さんは国会議員になる前、田中派の事務局に勤務し、旧田中邸に出入りしていました。前回の記事の中で「田中元総理のDNAを受け継ぎやすい関係性だったようですが、石破元幹事長と田中元総理が重なり合う印象はそれほどありません」という個人的な見方を書き添えていました。

石破さんも「国民のため」の政治を念頭に置いた政治家の一人だと思っていますが、部下となる官僚との信頼関係を強められるかどうかという点で見た時、田中元総理から学ぶべきだったDNAを受け継げていないことが明らかです。

次の総理候補としてのアンケートでは常に上位にランクされています。しかしながら国会議員からの支持が広がらない現状をはじめ、石破さんには省みるべき点が多々あるのではないでしょうか。ネット上では絶対、総理にしてはいけないざんねんな石破茂』という下記のような辛辣な内容の雑誌記事も目にしています。

防衛庁長官時代、イラク派遣部隊の現場視察が計画された際に、複数回にわたって視察をドタキャンしたことも士気を下げた。十数年前には、自民党国防部会などで、勉強不足の議員らを露骨にバカにすることもあった。自分では覚えていなくても、軽く扱われた側は忘れはしないだろう。議論で相手を言い負かしたつもりでも、相手はそうは思っていない場合が多い。

石破氏自身、その頃に、派閥の先輩で頭が切れることで知られた久間章生元防衛相からこんなことを言われたと語っていた。「石破君、君は自分が一番賢い、自分が一番正しいと考えているようなところがあるが、そう思っているうちはまだまだだよ」 結局、政治家が大成するかどうかは、周囲に人が集まるかどうかで分かる。

『国防』の中で、イラクに派遣される隊員を壮行する話は度々出てきました。しかしながら現地視察の話があったこと自体、一切触れられていませんでした。防衛事務次官だった守屋武昌さんの著書『日本防衛秘録』の中では実名を伏せて記されていましたが、身の安全が危ぶまれる現地視察を何回も直前で見送ったのは石破さんで間違いないようです。

何回も断らなければならない重大な事情が重なっていたのかも知れません。しかし、生命が脅かされるリスクに怯み、隊員を派遣していながら自分自身は断り続けていたとしたら防衛庁長官としての職責を放棄していたことになります。そのような場合、石破さんの国防に関わる数々の主張に対する説得力の低下は免れません。

リスクに怯まないという意味で比べた際、岸田総理や上川陽子外相の戦地であるウクライナへの訪問は評価すべき政治家としての行動だろうと思っています。菅直人元総理の福島第一原発視察は大きな批判にさらされていましたが、自分自身の生命や安全を優先していた場合、事故直後に出向くという発想はあり得なかったはずです。

今回、最初から想定していましたが、「『国防』から思うこと」は1回でまとめ切れないものと思っていました。時事の話題にも絡む防衛費の問題などは次回以降の記事で取り上げていきます。「Part2」を付けた記事タイトルにするのかどうか決めていませんが、このあたりで今回の記事は一区切り付け、この続きは次回に送らせていただきます。

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2024年1月13日 (土)

もう少し田中角栄元総理の言葉

年頭から能登半島地震、羽田空港での航空機衝突事故、衝撃的なニュースが立て続いています。乗員5人が亡くなられた海上保安庁機は地震の被災地に救援物資を運ぶための任務を負っていました。そのため、広義の意味合いでの関連死と呼べるのかも知れません。

1月8日には田中角栄元総理の旧邸宅敷地内の建物2棟が全焼したというニュースにも接しています。田中元総理の長女で元外相の真紀子さんは「線香を上げていた」と話しています。ろうそくの火などには注意していても、灰の中の線香の残り火からも火災につながるリスクについて初めて知りました。

このニュースは私自身、線香を毎朝上げているため、残り火まで注意を払う必要性に気付かされる機会となっていました。「蟻の一穴」という言葉もありますが、線香の残り火が大邸宅を焼き尽くす原因となったことに驚かされています。

田中元総理の旧邸宅は、かつて政財界の大物が出入りして「目白御殿」と称されていました。いみじくも当ブログの前回記事は「『ロッキード』を読み終えて」で、田中元総理に関わる内容を投稿していました。

読み終えた書籍の中で印象深かった田中元総理の言葉があり、記事の最後に「総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない。国民を飢えさせてはいけない。これに尽きる。それ以外は些末なことだ」と語っていたことを紹介していました。

昨年末の記事「今年も不戦を誓う集会に参加」の最後のほうでは、どうすれば戦争を防ぐことができるのかどうか、その「どうすれば」は少し前に投稿した記事「平和の話、インデックスⅣ」や「戦火が消えない悲しさ Part2などに綴っている内容の焼き直しでもあり、また別な機会に譲ると記していました。

今回、最初「どうすれば戦争を防ぐことができるのか」という記事タイトルを付けて書き進めていました。この問いかけに沿った自分自身の思いをまとめていくつもりですが、とても単発な記事で言い表わすことは難しく、途中で記事タイトルを変えています。

そもそも私自身の考える「答え」の一つに過ぎませんが、このような問いかけに沿った内容の記事として、リンクをはった上記の2タイトルがあります。長文が苦にならず、お時間等が許される方は、リンク先の記事もご参照願えればたいへん幸いです。

今回の記事では田中元総理の「総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない」という言葉を出発点として、いろいろ個人的な思いを書き添えていきます。まず誰もが「戦争は嫌だ」と考え、為政者の皆さんも「どうすれば戦争を防ぐことができるのか」と悩まれているはずです。

大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めません。しかし、戦争は権力者の「意思」や国民の熱狂によって引き起こされるため、人間の「意思」によって抑えることができるはずです。それにも関わらず、残念ながら戦火の消えた時代は皆無という歴史をたどっています。

ウクライナを侵略しているロシアのプーチン大統領は「軍事作戦」と称し、自らの判断の正当性を訴えています。したがって、堂々と戦争を肯定している立場ではないのかも知れませんが、「絶対に戦争をしない」という信念がある権力者であればウクライナへの軍事侵攻という選択肢は持ち得なかったはずです。

もちろん「絶対に戦争をしない」と宣言していたとしても、他国から攻め入られ、自衛のために戦わざるを得ない局面があることも想定しなければなりません。そのため、攻められたら反撃する、容易に屈しないという抑止力を高めていくことが、戦争を防ぐための手立ての一つであることも理解しています。

しかし、安全保障のジレンマという言葉があるとおり武力一辺倒によって、平和は築けないことも歴史から学ぶべき教訓だと言えます。直近の事例として、圧倒的に軍事力で優位だったイスラエルの抑止力は万全だったはずですが、ハマスから攻撃を受けています。そのことによって失われた命はかけがえのないものです。

先日、自民党の麻生副総裁はワシントンで講演し、台湾への軍事的圧力を強める中国について「性急な台湾の軍事統一は、国際秩序を混乱させるだけだ」と指摘し、衝突回避に向けた日米などによる対話の必要性を訴えています。対話の必要性や重要性は、まったくその通りです。

しかし、その前に訪れた台北市で「最も大事なことは、台湾海峡を含むこの地域で戦争を起こさせないことです。非常に強い抑止力というものを機能させる覚悟が求められている。こんな時代はないんではないか。戦う覚悟です」と強い言葉で主張し、中国側からの反発を招いています。

確かに抑止力が「張り子の虎」では意味のないものとなりますが、ことさら軍事力を誇示し、相手を威圧するような姿勢では問題だと思っています。挑発行為だと見なされ、それこそ戦争を誘発するような振る舞いにつながりかねません。

蟻の一穴、線香の残り火のような小さな綻びが、徐々にリスクを広げ、取り返しのつかない事態に至りかねないことも懸念すべきではないでしょうか。特に責任ある立場の政治家であれば、よりいっそう自分自身の発言の重さや影響力に注意を払って欲しいものと願っています。

田中元総理は日中戦争が勃発し、北満州での兵役に就いていました。戦争の実相を肌感覚で経験したことのある政治家の一人でした。そのような経験や歴史認識の乏しい政治家が「いざという時には戦う覚悟が必要」と唱えたしても、自分の身は安全地帯に置きながら勇ましい言葉を発しているように思えてなりません。

最近読み終えた『田中角栄の人を動かす力』の中で「相手が誰であろうと寛容だった角栄」という見出しの付いた頁があります。政治家によって、自分が悪く報道されると「事実無根」「記事に悪意がある」などと訴訟をちらつかせてまで黙らせようとします。

田中元総理は「新聞記者は政治家を悪く書くのが商売。政治家は悪く書かれるのが商売」と語り、自分に批判的な記者にも公平な態度で接していたと書かれています。敵対しがちな関係性でこそ、相手側の立場や思惑を洞察する能力や寛容さが欠かせないはすです。国と国との外交関係においては、よりいっそう求められる政治家の資質だと思っています。

自民党の石破元幹事長は国会議員になる前、田中派の事務局に勤務し、旧田中邸に出入りしていました。『「歴史の舞台が消えた」旧田中角栄邸全焼  石破氏明かす“目白御殿”秘話」が伝えるような関係性がありました。

田中元総理のDNAを受け継ぎやすい関係性だったようですが、石破元幹事長と田中元総理が重なり合う印象はそれほどありません。ちょうど今、石破元幹事長の著書『国防』を読み進めています。古い著書ですが、内容は色褪せていません。できれば次回以降の記事で取り上げたいものと考えています。

今回「もう少し田中角栄元総理の言葉」というタイトルを付けて、「絶対に戦争をしない」という印象深かった言葉を受けとめながら綴ってきました。田中元総理の負の側面も多々あるのかも知れませんが、「国民のため」の政治を念頭に置いた国会議員の一人だったことを最近手にした書籍を通して感じ取っていました。

最後に、今夜、即日開票で台湾の総統選挙の結果が判明する予定です。台湾の有権者の皆さんが選択した結果となる訳ですが、どの政党の候補者が勝利しても中国との戦争を絶対回避するため、対話の道を全力で探り続けていかれることを信じています。

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2024年1月 6日 (土)

『ロッキード』を読み終えて

元旦の午後4時過ぎ、能登地方を震源に震度7の地震が発生しました。被災された皆さんに心からお見舞い申し上げます。前回記事は「2024年、平穏な日常の大切さ」でしたが、まさに穏やかなお正月の風景が一転してしまった辛苦に思いを寄せています。一日でも早く以前と同じ日常が取り戻されていくことを深く祈念しています。

前回記事で、辰年にロッキード事件とリクルート事件が起きたことを伝えていました。年末の記事「2023年末、今の政治に思うこと」で自民党の裏金問題を取り上げたとおり不明瞭な政治資金の問題は辰年の今年、さらに大きな広がりを見せていく様相です。

ロッキード事件に関しては、真山仁さんの著書『ロッキード』を読み進めていたことを伝えていました。昨年末に文庫本化された600頁を超える厚さの書籍です。一気に読み切りたい面白さのドキュメンタリーでしたが、年末休みに入ってから読み終えています。『ロッキード』は多面的な情報の一つとして、このブログで取り上げたい絶好の題材だと考えていました。

昨年末12月16日、田中角栄元総理が没してから30年という節目の日を迎えていました。これまで田中元総理は金権体質の際立った「罪」多き政治家の筆頭だと思ってきました。『角栄に花束を』というコミックも愛読していますが、最近、いろいろ田中元総理の「功」の部分に触れる機会が増えています。

ちなみに当ブログでは「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」「『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて」「『鬼滅の刃』を読み終えて」「『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えて」など「…を読み終えて」というタイトルの記事を数多く投稿しています。いつものとおり今回もネタバレに注意し、まずリンク先に掲げられている書籍の紹介文をそのまま転載します。

「角栄は本当に有罪だったのか?」 今日にいたるまでくすぶり続けるロッキード事件の様々な疑問を解明すべく、著者は事件の全貌を洗い直す。辻褄の合わない検察側の主張、見過ごされた重大証言、そして、闇に葬られた〈児玉ルート〉の真相――。疑惑の背後に、戦後から現在まで続く日米関係の暗部が見えてくる! 特捜神話の真実を関係者の新証言と膨大な資料で剔抉する。

リンク先のカスタマーレビューの「田中角栄が、冤罪であるとする書物は、10年くらい前から複数出版され読んでいたが、氏に近しい方々が弁護で記述したという感想でした。しかし、本書は、証言、記事、裁判記録などを正確にかつ、また、隠された真実を想像で補うことで、真の姿を現すことができたと思います」という声が、この書籍の性格を言い表わしています。

前回記事で取り上げた大川原化工機の不正輸出を巡る冤罪事件のような事例を思い起こした時、検察側の「結論ありき」の強引な捜査や取り調べのあり方を問わなければなりません。さらに裁判所が検察側の主張や証拠に重きを起きがちな傾向も危惧すべき点です。

あらかじめ強調しなければなりませんが、安倍派を中心にした裏金問題が「冤罪ではないか」というように見ている訳ではありません。定められたルールを明らかに違反していながら「ここまでは今まで問題視されていなかった」という安直さが目に付き、結局のところ自民党側の緩みや驕りが浮き彫りになっている事件だと思っています。

もう一つ、田中元総理が退陣する引き金となった金脈問題すべてに対し、違法性が一切なかったと言い切るつもりもありません。時代背景が違い、公職選挙法の枠外とは言え、自民党総裁選で多額な現金が飛び交っていたことは周知の事実です。そのような現金は裏金の類いであり、当時の法律でもアウトだったような事案があったのかも知れません。

あくまでも真山さんが執筆した『ロッキード』を読み終え、多くのカスタマーレビューと同様、私自身もロッキード事件においては田中元総理が冤罪だったと感じ取っています。なぜ、そのような考えに至ったのか、いくつか書籍の中で興味深かった箇所を紹介していきます。

すべての現金授受は白昼堂々と行われている。さらに、四度目を除くと、いずれも屋外での授受だ。他人の目に触れない場所で、密かに行われるべき行為を、なぜこんな場所で。参加者の大半が顔を知っている総理大臣の政務秘書官と丸紅専務が、ダンボール箱を車に積み替えている姿など、もはやコメディとしか思えない。

『ロッキード』には検面調書の内容のおかしさや矛盾が数多く綴られています。「検事に調書をでっち上げられた」と被告人の大半が裁判で調書の内容を否定します。しかし、法廷での証言を裁判所は一切認めず、検面調書の内容を自白として証拠採用していきます。

このような不合理な経緯や事実関係が書籍の随所で明らかにされています。金脈問題で田中元総理を追い込めなかった検察は世間から非難されていました。そのため「今回は角栄を絶対塀の内側に落とすんだ」という言葉が漏れ伝わりながら、有罪という「結論ありき」の構図のもとに検察は突き進んでいきます。

真山さんは「若狭をはじめとする全日空関係者は、その犠牲者だったかも知れない」と評し、自治大臣を務めた石井一さんの「日本には、法の下でジャッジするという感覚が根づいていなかった。ロッキード事件で、オヤジが逮捕されると、日本人が、オヤジの有罪を確信した。主要メディアが有罪判決を下していたんだ」という言葉を伝えています。

前々回記事の中で「田中元総理の逮捕は無理筋かどうか極めて慎重な判断が必要だったはずであり、政敵関係にあった三木武夫元総理のもとでの大きな岐路となっていました」と記していました。当時の世論を踏まえた際、もしかしたら三木元総理でなくても同じ結果をたどったのかも知れません。

米国、三木総理、検察庁、そしてメディア――はそれぞれが欲しいものを手に入れるために、角栄を破滅の淵に追いやった。角栄にとっては、余りに理不尽で不運な事態が、重なった。だが、角栄を破滅させた本当の主犯は、彼らではない。政治家・田中角栄の息の根を止めたのは、別にあった。世論だ。かつては今太閤と持て囃した国民こそが、角栄を葬ったのだ。

誰も世論には逆らえない 世論とは”世間一般の人が唱える論”。”社会大衆に共通な意見”と、『広辞苑』は言う。世論は、同調圧力でもある。同調圧力の威力が凄まじいのは、今も昔も変わりなく、少数意見を持つ人は、沈黙してしまう。その沈黙が、さらに世論にバイアスをかける。

上記は、書籍の最後のほうの「角栄を葬った怪物の正体」という見出しが掲げられた章の書き出しの言葉です。『ロッキード』を読み終えて、「シロ」を「クロ」と見誤らないためにも改めて多面的な情報に触れていくことの大切さをかみしめています。

書籍の前半では、田中元総理の生い立ちなどが綴られています。政治家をめざした時、総理大臣になった時、それぞれ田中元総理自身の政治信条を表わした言葉が記されています。最後に、特に印象深かった田中元総理の言葉を二つほど紹介します。

国会議員の仕事は、国民がより良き生活をするために法律を定め、国家予算を適正に配分することだ。政治家が国民のために汗をかき、それで皆が幸せになれる。

総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない。国民を飢えさせてはいけない。これに尽きる。それ以外は些末なことだ。

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2024年1月 1日 (月)

2024年、平穏な日常の大切さ

あけましておめでとうございます。Tatsu

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであり、せめてお正月ぐらいはイラストを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。

2005年8月にブログ「公務員のためいき」を開設してから1050タイトル目となります。必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で52点の記事を投稿しています。昨年1月には「大きな節目の1000回」というメモリアルな記事を綴ることができていました。

一時期に比べ、1日あたりのアクセス数が減り、100件前後で推移しています。以前、Yahoo!のトップページに掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録です。その数字は突出していますが、最盛期は1日あたり千件ほどのアクセス数で推移していました。

SNSの中でブログ自体が斜陽化しています。さらにインターネット上の様々なサイトをスマホで閲覧される方が増えています。私自身労使の信頼関係について思うこと」という記事の中で触れたとおり昨年4月、ようやく「スマホデビュー」を果たしました。

このブログを自分のスマホで閲覧した際、パソコン画面に比べ、よりいっそう文字ばかりのサイトであることに愕然(👤)としました。そもそも一個人の運営するマイナーなブログが文字ばかりで長文であれば、気軽にアクセスいただけなくなることも仕方ない流れだろうと思っています。

アクセス数の落ち込みとともに、お寄せいただくコメントの数が激減しています。数年前までは一つの記事に100件以上寄せられる時が珍しくありませんでした。12年前の辰年、その頃の元旦の記事(「竜頭蛇尾」としない2012年へ) には多くの方から幅広い視点や立場からのコメントが寄せられていました。

ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり一人でも多くの方にご訪問いただけることを願っています。特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。

そのため、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることがブログを続けていく大きな励みとなっていました。ここ数年、アクセスやコメントの数が減っている現状に一抹の寂しさはあります。それでも長年続けてきたスタイルを変えることなく、今年も自分自身の思うことを気ままに書き進めていくつもりです。

さて、今年の年賀状には【組合役員を退任してからゴルフの回数が増えています。健康だからこそゴルフを楽しめ、生涯スポーツとして末永く続けられればと願っています。ブログ「公務員のためいき」は引き続き週1回更新しています。今年も最新記事は年賀状仕立てとしています。お時間がある際ご覧いただければ幸いです】と書き添えています。

もともと個人の責任で運営してきたブログ「公務員のためいき」ですので組合の委員長退任後も継続しています。毎週1回、ブログを更新していくことは自己啓発の機会であり、さらに私自身の思いを不特定多数の皆さんに発信する場として背伸びしない一つの運動として位置付けています。

より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に触れていくことが重要であるため、このブログが多面的な情報を提供する場として受けとめていただけることを願いながら続けています。「答え」の押し付けではなく、このような見方もあったのかという多面的な情報の一つとして発信しています。

これまで元旦のブログ記事や年賀状には、その年の十二支にちなんだ諺を紹介してきました。今年の年賀状は上記のとおり辰年(竜年)に絡む話に触れていません。ブログも「平穏な日常の大切さ」というキーワードだけでまとめるつもりでしたが、少しだけ辰年に関わる話を紹介します。

前回記事「2023年末、今の政治に思うこと」で自民党の裏金問題を取り上げています。その記事を投稿した数日後『自民党派閥の政治資金問題、またも「たつ年」に起きた権力に関わる大事件  まさに歴史は繰り返す』という記事に目を留めていました。辰年を振り返った時の奇妙な因縁を伝える記事内容でした。

1976年(昭51)のたつ年には、ロッキード事件が発覚した。米ロッキード社の旅客機受注を巡り、現金がばらまかれ、田中角栄元首相ら多数が受託収賄などで逮捕、起訴された。同年12月の第34回衆議院議員総選挙で、自民党は敗北し三木武夫首相が退陣。ロッキード選挙と言われた。

12年後のたつ年の88年には、リクルート事件が起きた。未上場不動産会社の未公開株が、賄賂としてばらまかれた。政治家や企業のトップなど数多くが贈収賄で逮捕、起訴された。権力にすり寄って、恩恵をこうむろうとした典型的な事件である。国民は怒り、その後の国政選挙に大きな影響を与えた。

政治資金問題は辰年の今年、さらに大きな広がりを見せ、ロッキード事件、リクルート事件に続き、またしても辰年に起きた権力に関わる大事件として、まさに歴史は繰り返す、そのような予見がリンク先の紹介した記事の最後に書き添えられています。

ロッキード事件に関しては多面的な情報を提供する場として、真山仁さんの著書『ロッキード』を題材にしたブログ記事を機会を見て投稿するつもりです。ここでは辰年に絡んだ奇妙な歴史の巡り合わせを紹介することにとどめます。

記事タイトルに掲げた「平穏な日常の大切さ」に入るまでに相当な長さの内容となっています。「竜頭蛇尾」的な内容になるかも知れませんが、ここから今回の記事の本題です。

年賀状に書き添えたとおり健康だからこそゴルフを楽しめています。ゴルフの練習等を通して日常的に体を動かしているため、健康増進につなげられるという好循環を生み出しています。

それこそ70代、80代になっても続けられることが理想です。大病を患うことなく、趣味を楽しみながら暮らしていけることが平穏な日常の大切さの一つであることに間違いありません。

昨年末、痛ましい交通事故の報道に接していました。一緒に歩いていた妻と娘がバックしてきた車にひかれ、一瞬にして永久の別れを強いられています。ご家族の無念さや憤りは想像を絶するものだと思います。

数日前に目にした『不正輸出めぐるえん罪事件 捜査は違法 国と都に賠償命じる判決』という報道からも、たいへんな無念さや憤りの深さを感じ取っています。大川原化工機の社長らが軍事転用可能な機械を中国などに不正輸出した疑いで逮捕、起訴され、1年以上も勾留されていました。

幹部3人のうち1人は、勾留中に見つかった胃がんで亡くなっています。治療を理由に保釈請求しましたが、検察側は「証拠隠滅の恐れがある」と反対し、裁判所も認めませんでした。がんが見つかった段階で適切な治療を施していれば延命できていたかも知れないと思うと、司法側の硬直した判断が本当に残念でなりません。

紹介したそれぞれの事例において、尊い命を奪われた方も、残されたご家族の皆さんも、何か過ちや落ち度があった訳ではありません。自分たちでは制御できない悲運に遭遇し、平穏だったはずの日常が奪われてしまった事例だと言えます。

個人的な力では到底制御できない事例として、3年以上続いたコロナ禍を忘れてはなりません。少し前まで「コロナ禍から脱し、平穏な日常が戻ることを願っています」という言葉を頻繁に発していました。昨年5月に新型コロナウイルスが5類感染症に位置付けられ、ようやく以前と同じ社会生活に戻りつつあります。

平穏な日常の対極に位置する非常事態は戦争が起きることです。昨年10月「戦火が消えない悲しさ 」という記事を投稿していましたが、ウクライナでの戦火の消える兆しが見出せない中、パレスチナの地で新たな戦火が上がっていました。

今年こそ一刻も早く、戦火が消えることを願っています。そして、いかなる国や地域で、戦争やテロなどによって理不尽な死に直面しないような国際社会に近付くことを切望しています。

今回、個人的なゴルフの話から「平穏な日常の大切さ」というキーワードのもとに視点を広げてみました。いずれにしても新たな年を迎え、何よりも穏やかな暮らしが続くことの大切さをかみしめています。

最後に、いつもお正月のみ少し変則な日程となっていますが、今年も通常の間隔通り次の土曜か日曜に更新する予定です。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

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2023年12月23日 (土)

2023年末、今の政治に思うこと

今年も残りわずかです。毎週、土曜か日曜に更新している当ブログですが、これまで曜日に関わらず、必ず元旦に新年最初の記事を投稿しています。そのため、今回が2023年に投稿する最後の記事となります。

前回記事「今年も不戦を誓う集会に参加」の冒頭で、自民党の裏金問題は「今後の捜査の進展などを見定め、場合によって次回以降の記事で改めて深掘りしていくことも考えています」と記していました。

最後のほうでは、どうすれば戦争を防ぐことができるのかどうか、その「どうすれば」は少し前に投稿した記事「平和の話、インデックスⅣ」や「戦火が消えない悲しさ Part2などに綴っている内容の焼き直しでもあり、また別な機会に譲るとも記していました。

それぞれ年を越す前に「2023年末、今の政治に思うこと」という記事タイトルを付け、もう少し付け加えたかった自分自身の問題意識などを書き進めてみるつもりです。

まず自民党の裏金問題です。「政治資金規正法はザル法だ!」 裏金受け取った議員の立件には高いハードルも  法律の問題点とは? 元東京地検特捜部検事・郷原信郎弁護士が捜査のポイントを詳しく解説』という法律自体の不充分さの問題があることも確かです。

しかし、安倍派内で横行してきた政治資金パーティーのキックバックに伴う収支報告書不記載の問題などは、現行法制の枠内から明らかに逸脱してきた事案です。ここまでは大丈夫というグレーゾーンの話ではなく、明確なルール違反が慣例化されてきたことを厳しく追及しなければなりません。

「派閥の弊害除去」明言、34年前の自民党「改革大綱」に再注目  リクルート事件受け策定も空文化』『自民党が30年前に掲げた「脱派閥」はどこへ…「政治資金の透明化」も「派閥パーティー自粛徹底」も』の報道のとおり国民からの批判が高まり、それまでのルールを改めたのにも関わらず、守られてきていないという自民党全体の緩みや驕りが非常に憂慮すべき現状だと思っています。

確かに郷原弁護士が「ザル法」と指摘している問題を解消するため、会計責任者だけが重い罪を負わされるのではなく、事務所の実質的な責任者である政治家自身を政治資金規正法違反で容易に立件できるような法改正は必要なのかも知れません。

それでも最も重要な点は、定められたルールを重い責務のある政治家が率先して守る、この当たり前な振る舞いができるかどうかです。あまりにもルールを軽視した政治家の多さに国民は憤り、政治に対する信頼感を失墜させつつあります。

今後「再発防止のため、次のようにルールを変えました」と説明されたとしても、ルールを守ることを軽視した政治家が一掃されない限り、同じ過ちは繰り返されていくのではないでしょうか。いみじくも今回の問題の深刻さを受けとめていない安倍派幹部の本音を垣間見れる雑誌が最近発売されています。

月刊誌Hanada最新号に掲載された西村康稔前経産相と世耕弘成前参院幹事長のインタビューは、東京地検特捜部が安倍派を強制捜査する前に実施されていたようですが、「はあ????????」パーティー裏金捜査前、安倍派2人の「首相に意欲」報道にネットでは怒りの声』という批判を受けています。

強制捜査後の萩生田光一前政調会長は、裏金問題を聞かれて「安倍派幹部に就いたのが安倍元首相が亡くなった後で、正直、会計のことはよく分かっていない」と語っています。残念ながら、このような言葉から問題の深刻さや派閥幹部としての当事者意識は伝わってきません。

そもそも雑誌の編集者側自体、この問題を軽視し、論点のすり替えや陰謀論的なとらえ方をしている様子が随所にうかがえています。例えば安倍派の議員一人当りで考えれば数十万円程度の問題とし、矮小化するような発言があります。

しかしながら安倍派の不適切な慣行は20年前から始まっていると言われています。時効の成立していない5年間での裏金5億円という数字も、実際は4倍換算の20億円と見なければなりません。いずれにしても金額の多寡よりも、意図的かつ組織的なルール違反が長年まかり通ってきたことを問題視しなければならないはずです。

今回の記事を書き進める際、文春オンラインの記事『《元検察首脳が証言》「無理筋の事件を潰すのが上の役割だった」なぜいま安倍派に捜査のメスが入ったのか?』にも目を留めていました。その記事の最後のほうに綴られている次のような見立てに「なるほど」とうなづいていました。

実際、安倍政権時代、法務・検察は与党政治家のからむ事件の捜査に神経を使っていた。安倍自身が告発された桜を見る会などの著名な事件は別にして、法律解釈が分かれるような事件では、検察上層部が「筋悪」と判断し、人知れず闇に葬ることもあった。

数々の特捜事件を指揮した元検察首脳は「無理筋の事件を潰すのが上の役割。現場の評判が悪くなっても、特捜幹部と示し合わせてボツにすることもあった」と振り返る。それは、あくまでも検察の理念である「厳正公平・不偏不党」の名のもとに行われたが、捜査される側からすると、「ありがたい忖度」に見えたことだろう。

安倍政権時代、露骨な政治介入はなかったとしても、無理筋かどうか検察上層部が判断していたことは事実だったのだろうと改めて理解できる記事内容です。その時の判断理由が、検察の理念である「厳正公平・不偏不党」だったという記述に注目しています。

このような経過や背景があり、今回の安倍派を中心にした裏金問題につながっているのであれば興味深いものがあります。しかし、ここで検察側にも注文を付けなければなりません。過去の遺恨や面子から「事件ありき」で突き進みすぎることなく、それこそ「厳正公平」な対応をはかられることを願っています。

ちょうど今、真山仁さんの『ロッキード』を読み進めています。12月16日、田中角栄元総理が没してから30年という節目の日を迎えていました。『角栄に花束を』第10巻も最近読み終えています。いろいろ田中元総理の「功」の部分に触れる機会が増えています。

『ロッキード』を読み終えてから年明け、機会があれば田中元総理に関わる話を当ブログの題材にしたいものと考えています。ここでは1点だけ書き添えます。田中元総理の逮捕は無理筋かどうか極めて慎重な判断が必要だったはずであり、政敵関係にあった三木武夫元総理のもとでの大きな岐路となっていました。

「今の政治に思うこと」という記事タイトルを踏まえれば、定められたルールは守る、嘘はつかない、過ちがあれば率直に認め、適切な責任の処し方をわきまえた人物による政治であって欲しいものと願っています。与野党を問わない当たり前な話ですが、その願いとのギャップの多い現状に憂慮しがちです。

安倍派を筆頭に今の自民党政治家の緩みや驕りは、ある程度の不祥事があっても政権の座から下ろされることはないとタカをくくっているように思えてなりません。やはり失点を重ねれば政権交代するという緊張感のある政治的な構図が必要であり、野党側の奮起にも期待しなければなりません。

自民党の裏金問題に絡んだ話だけで相当な長さとなっています。どうすれば戦争を防ぐことができるのかどうかについては中途半端に触れず、たいへん恐縮ながら年を越してから機会を見ながら改めて取り上げさせていただきます。

最後に、この一年間、当ブログを訪れてくださった皆さん、本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。なお、次回の更新は冒頭で述べたとおり元旦を予定しています。ぜひ、お時間等が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは少し早いかも知れませんが、 良いお年をお迎えください。

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