2022年11月26日 (土)

近況から思い出話まで

先週火曜日から年末ジャンボ宝くじの発売が始まっています。買わない限り、7億円の夢は見れませんので年5回のジャンボ宝くじは、ほぼ毎回3千円だけ買い続けています。発売開始日のニュースに触れ、ハロウィンジャンボのことを思い出し、今回も300円の当せんを確認したところでした。

サッカーのワールドカップはカタールで開幕しています。北半球では初めての冬の開催です。『買収疑惑や人権問題、カタールW杯に渦巻く批判』といわくつきの大会ですが、日本のメディアからあまり批判的な論調は聞こえてきません。

ブックマークしている弁護士の澤藤統一郎さんのブログでは『「W杯・開会式放送せずのBBC」と「大はしゃぎのNHK」、どうしてこんなに違うのか。』という記事を投稿されていました。政治的な問題とスポーツを切り離すことも必要ですが、批判的な声があることを同時に伝えていくことはメディアの責務だろうと思っています。

そのようなことも意識しながらピッチに立った選手たちの全力プレイに声援を送っています。水曜の夜、日本の初戦は優勝4回を誇る強豪ドイツでしたが、見事な逆転勝ちで勝ち点3を獲得しています。ワールドカップは4年ごとの開催のため、いつも私が勤めている市の議員選挙の年と重なっています。

このブログでは2006年6月のドイツ大会の時に豪州戦は残念、でも市議選は!」という記事を投稿していました。「勝ち点3は何とか取れたかなと思い始めた矢先、残り10分弱で3点も奪われる逆転負けの悪夢…。」という記述が残されています。

さて、前回の記事は「リスタートの一週間」でした。連合地区協議会の役員は12月まで引き受けているため、組合役員の任務として激変緩和的な期間となっていることを伝えていました。そのため先週日曜午後には連合地区協議会の幹事会・学習会・議員懇談会に参加しています。コロナ禍の前は宿泊で取り組まれていた催しでした。

連合地区協の幹事会は12月にもありますが、議員懇談会の参加は今回が最後です。新規記事のタイトルを「近況から思い出話まで」とし、過去のブログ記事をいくつか紹介していきます。連合地区協が推薦している議員の皆さんとの懇談会で思い出すのは、民主党の衆院議員時代の長島昭久さんと率直な意見を交わしていたことです。

2015年は安保関連法の是非が大きく焦点化されていました。そのような年、議員懇談会に参加された長島さんと直接意見を交わした内容を「憲法の平和主義と安保法制」の中で報告していました。その記事の最後に私自身の思いや問題意識を次のように綴っていました。

今回の分かりやすい説明を伺い、民主党の中に長島さんは改めて欠かせない人材だと思っています。安保関連法案に対し、私自身のスタンスとすべて一致している訳ではありませんが、問題が多い法案だったという認識を共有でき、たいへん心強くしています。ただ対案を出すことを長島さんは重視されていましたが、あまりにも違憲の疑いが高いため、国会の最終盤、岡田代表らの廃案に絞った判断を私自身は支持していました。圧倒的な与党の数の前に対案を出すことで法案成立を後押しするような見られ方があったことも間違いないようです。

長島さんは「今の民主党では政権交代できない、誰もがそう思っているはず」と話されています。私自身もその通りだと思っています。ただ単なる看板の付け替えや数合わせの野党の再編だった場合も同様だろうと思います。民主党政権の失敗は広げ過ぎた公約の問題であり、党内のまとまりのなさが原因だったように見ています。そのため、大事なことは立憲主義や平和主義、国民の生活重視など大きな理念で一致し、自民党との違いを明確に示した軸のもとの結集が欠かせないのではないでしょうか。

野党になった自民党が、わずか数年でここまで復活することを誰も想像できなかったはずです。民主党も同じように立ち直せる可能性があるはずです。再び政権交代をめざすためには理念や目標を高く掲げる一方、具体的な政策の実現に向けては現状から一歩一歩踏み出す手順を重視することの必要性を感じています。国民受けする政策や約束を広げ過ぎず、政権を担った時の経験や教訓を踏まえた政党としての信頼感が高まるよう努力して欲しいものと願っています。

ちなみに紹介した上記の記事や「もう少し集団的自衛権の話」に対し、長島さんご本人からコメントもお寄せいただいていました。たいへん残念ながら現在、長島さんは自民党の衆院議員となっています。2017年4月に当ブログでは「長島昭久さんが民進党を離党」という記事を投稿していました

日曜午後の幹事会の後、SDGsボードゲーム を利用した学習会が開かれています。リンク先のサイトに掲げられている下記の説明のとおり楽しみながらSDGsについて知識を深める貴重な機会となっていました。3グループに分かれて取り組んだため、事務局長の組合から3名の方の応援を得ていました。改めてありがとうございました。

このSDGsボードゲームは、SDGsに関する取り組み事例を分かりやすく、かつ楽しみながら学ぶツールとして、未来技術推進協会が開発したオリジナルボードゲームです。SDGsに関する世界の課題解決事例を楽しく学びながら「SDGs達成」と「自己成長」を目指します。大人から子供まで、SDGsの理解だけでなく、協力の大切さや広く深く考える思考力、現場感や課題感を養うことができます。

SDGsの各ゴールのスコアは、環境・社会・経済に関するミッションカードを実施することで上げられます。ミッションカードには、実際に取り組まれたSDGsに関する事例が、課題・解決策という形でまとめられており、楽しく事例を学ぶことができます。よりリアルな体験をしていただくため、トレードオフの関係でSDGsのスコアがダウンする場合や、実施に必要な役割を指定している場合もあります。

月曜午後は休暇を取って連合三多摩地協委員会に参加しています。こちらは私自身にとって最後の参加となっていました。これまで組合活動のために休暇を取得する機会が頻繁にありました。これからは自分中心のスケジュールで休暇を取れるため、誘われれば平日のゴルフも多くなるのだろうと思っています。

連合三多摩の地協委員会の特色は来賓の多さです。推薦している首長や議員が多いことの表れで、挨拶の時間は1時間以上続きます。参加者が組合役員中心であり、そのことを苦にするような雰囲気はなく、多くの来賓の方々の言葉を伺える貴重な機会になっているものと受けとめています。

全体を通し、印象に残った言葉がありました。司会の方が最後に添えた「価値を認め合う」という言葉です。このブログでは分かり合えなくてもいろいろな「答え」を認め合うことの大切さを訴えてきています。そのような共通項があったため、多様な価値観を認め合っていくという言葉に心を留めていました。

冒頭の挨拶で連合三多摩の議長は「7月の参議院選挙の反省に立ち、我々が支援する政党が一つになっていくことが必要。来年4月の統一地方選挙は、推薦候補全員の必勝に向け取り組んでいく。そして産別の枠を超え、心あわせ・力あわせで三多摩で働き、住んで良かったと言える運動を展開していきたい」と決意を語られています。

さらに議長は私自身の問題意識と同様、選挙で推薦候補の勝利をめざすことは「組合員のため」を目的にした取り組みであるという点についても強調されています。そのためにも連合がまとまって応援できる政治的な枠組みは必要であり、現状について憂慮された議長の発言でした。

私自身にとって最後の地協委員会に参加し、2012年11月の記事「多忙な日々、気ままに雑談放談」を思い出していました。ちょうど10年前の連合三多摩地協委員会で、私は議事の後半の議長を務めました。議長を退任する際、次のような思いを訴えていました。

当時のブログ記事には「脇役であるべき議長の退任の挨拶としては少し気負いすぎていたことを反省しています」とも記していました。「近況から思い出話まで」という新規記事の最後に、今も基本的に変わっていない当時の思いを紹介させていただきます。

解散した日に行なわれた野田首相の記者会見の中で、三つの言葉が強く印象に残りました。一つは連合が力を注いできたテーマを表した「働くことを軸として、安心できる社会を作っていく」であり、あと二つは「2030年代に原発をゼロにする」「強い言葉で外交・安保を語る風潮が強まってきたが、極論の先に解決策はない」という言葉です。個人的な思いとして、この三つの言葉こそ他党との明確な対抗軸になっていくものと考えています。

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2022年11月19日 (土)

リスタートの一週間

このブログに関わるのは土曜か日曜と決めているため、ツイッターのように日々の思うことをタイムリーに発信していません。そのため、今回も記事タイトルとは直接絡みませんが、最近、気になった時事の話題の紹介から入らせていただきます。

前回記事の冒頭で紹介した葉梨前法相と同様、政治家としての資質が非常に気になった事例です。維新・中条きよし参院議員、国会質問で新曲PRし炎上状態「完全にアウト」「国民を愚弄」の声』という報道のとおり国会の委員会の場で、自分の新曲やディナーショーを宣伝した中条参院議員が強い批判を浴びていました。

さらに驚いたのは『「宣伝と知らず」PR謝罪も「ラストディナーショーです、と言うとまた宣伝になる?」』という記事が伝えているとおり「こういうことを言っちゃいけない、ああいうことを言っちゃいけないというのを正直言って把握していないので」と釈明していたことです。

政治家、それも国権の最高機関である国会の議員としての発言の重さに対し、ごく常識的な判断を備えていなかったことが露呈した謝罪会見だったと言えます。新人議員を育成する仕組みの脆弱さも気になっていましたが、それ以前の問題として本人の資質よりも政党の看板で当選できる選挙制度の問題性が改めて顕著になった事例だったのだろうと思っています。

中条参院議員は「また宣伝になる?」と心配されていたようですが、結果的に不適切な発言によって新曲とディナーショーが大きな注目を集めたことになります。既定方針通り芸能界を引退し、国会議員を続けるのであれば新曲の発売やディナーショーを中止することが、今回の問題の責任の取り方ではないかと考えています。

さて、ここからが本題です。前々回記事が「組合役員を退任」で 前回記事は「最後の定期大会」でした。定年退職を迎えた時同じ部署で同じ職責のもとに再任用として続けています。3月31日と4月1日で職場環境に変化はなく、大きな節目であったことに間違いありませんが、卒業式を迎えた時のような感傷的な思いはありませんでした。

今回の組合役員の退任は、その時と比べられないほど環境の激変につながる大きな節目でした。そのため「リスタートの一週間」という記事タイトルを付け、新規記事に向き合っていました。リスタートとは「再出発」や「再起動」という意味があります。11月11日の定期大会を終え、自分自身はもちろん、私どもの組合にとっても再出発の一週間でした。

少し前まで退任後は組合事務所になるべく顔を出さないほうが良いのだろうと思っていました。これまで朝、昼休み、夕方、必ず組合事務所を訪れ、メールチェックや書類の決裁をはじめ、必要な組合業務に携わってきました。この習慣がなくなることで、日々の行動パターンは激変するのだろうと見込んでいました。

ただ前回記事の中で記したとおり連合地区協議会の役員は12月まで引き受けています。それまで連合絡みのメールが私あてに届くため、しばらくは組合事務所に出向くことにしています。新委員長らには年明けまでにフェードアウトしていく予定であることを伝えていました。

リスタートの一週間、これまで通り朝と昼は組合事務所に顔を出し、日常の行動パターンで言えば激変緩和的な日々となっていました。一方で、夕方のスケジュールは激変しています。賃金・一時金の団体交渉は火曜の夜遅くまでかかり、木曜の夜には第1回執行委員会が開かれていました。

新しく執行委員になられた方にとって、いきなり激務の一週間で戸惑われていたかも知れません。私自身、そのような日程の関わりから外れ、労力的にも精神的にも開放感に浸れています。これまで自らの判断で組合役員を担ってきていたため、束縛からの解放感ではなく、清々しい意味合いでの開放感という言葉を使っています。

毎日、何かしら予定が入っていた組合役員を離れ、組合員の方から「寂しくないですか?」と尋ねられた時は「寂しさが少しあっても安堵感のほうが大きいですね」と答えています。「これまで忙しかったから時間を持て余してしまうのではないですか?」と尋ねられた時は「ゴルフなど趣味の時間を増やします」と答えていました。

日常の行動パターンの激変緩和という意味合いで考えれば、このブログへの関わり方もその一つです。前々回記事の最後に「委員長に選ばれた翌年の8月からブログを始めています。委員長を退任し、組合役員から離れた後も当ブログは続けていくつもりです」と記していました。退職まではタイトルも「公務員のためいき」のままとし、プロフィール欄だけ手直しする予定であることを伝えていました。

自治労に所属している市職員労働組合の執行委員長を務めていました。誰でも簡単にできるブログと出会い、公務員側の言い分や組合の立場について投稿を重ねてきています。コメント欄はオープンな場としています。幅広い立場の方々からの投稿を歓迎していますので、ぜひ、お気軽にコメントをお寄せください。

上記の「自己紹介文」の後に「お願い」が続きますが、「執行委員長を務めていました」と過去形に改めた程度で全体的に大きな手直しはしていません。組合役員を退任していますので、リアルタイムの組合活動について触れることは少なくなるはずです。これまでも個人の責任で運営してきたブログでしたが、よりいっそう今後は私的な思いの情報発信が中心となります。

不特定多数の方々に不確かな情報は発信できないため、一つ一つの言葉や表現を吟味するように心がけています。先ほど記した開放感と解放感の違いについても曖昧だった知識を整理する機会につながっていました。このように毎週1回、ブログを更新していくことは自己啓発の機会でもあり、市役所を退職した後も「元公務員のためいき」(笑)として続けていければとも考えています。

プロフィール欄に記しているとおり公務員側の言い分や立場を発信することを目的に当ブログを開設していました。大阪市職員の厚遇問題などで公務員バッシングが高まっていた時期でした。そのためブログのサブタイトルに「逆風を謙虚に受けとめながら雑談放談」を掲げ、改めるべきことは改める一方で、主張すべきことは主張していく場として続けてきました。

同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。

上記は今年2月に投稿した「多面的な情報の大切さ」をはじめ、多面的というタイトルを付けた記事内容の中に掲げている一文です。より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に触れていくことが重要であるため、このブログが多面的な情報を提供する場として受けとめていただけることを願いながら続けています。

最近はコメント投稿そのものが少なくなっていますが、これまで当ブログのコメント欄には幅広い立場や視点からのご意見等が毎週多くの皆さんからお寄せいただいていました。そのような幅広い情報を得る機会が残念ながら減っている現状ですが、私自身の主張も多面的な情報の一つとしてご理解願えれば幸いです。

冒頭で気になったニュースを紹介したように幅広い情報を拡散することをはじめ、私自身の思いを不特定多数の皆さんに発信していくことが背伸びしない一つの運動として位置付けています。そのため、これからも時事の話題や書籍等を紹介しながら政治や平和に関わる話も多く取り上げていくのだろうと思っています。

多面的な情報の一つとして最新の時事の話題も紹介させていただきますが、『森元首相がゼレンスキー氏を批判 「ウクライナ人苦しめた」』という報道には「またか」という思いとともに呆れています。ロシア寄りの見方を堂々と披露できる方が元総理で、政界引退後も各方面に大きな影響力を発揮してきていることも残念な話だと言えます。

このように組合役員は退任しましたが、ブログに関しては投稿間隔と同様、取り上げる題材もあまり変わらないまま続けていくつもりです。ぜひ、これからもお時間等が許される際、お気軽にご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

最後に、前回記事に対し、北海道のとある自治体の元執行委員長さんから「長い間お疲れ様でした。組合は必要か?自問自答している時に、いつも背中を押してもらってました。本当にありがとうございました」というコメントをお寄せいただきました。このような言葉を頂戴でき、ブログを続けてきたこと、これからも続けていくことの大きな励みとなっています。こちらこそ本当にありがとうございました。

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2022年11月12日 (土)

最後の定期大会

記事タイトルに掲げたローカルな話に入る前に時事の話題を紹介します。『葉梨法務相「複数回同趣旨の発言」認め撤回「票とお金に縁がない」発言も撤回 “死刑のハンコ”発言』というニュースですが、死刑を命じる法相の職責の重さに対する無自覚ぶりに元法相や元刑務官らから「一発アウトの発言」だと見られていました。

失言や「切り取り報道」というレベルの問題ではなく、葉梨法相は不適切さの認識がないまま受け狙いの枕詞として多用していたようです。そうであれば、なぜ、ここまで大きく取り上げられる前に諫める人がいなかったのか、話を聞いた人たちの感度の鈍さや配慮の至らなさにも驚いていました。

さらに『また遅れた首相の判断 与党幹部が進言しても動きが鈍かった官邸』という記事によると、いったん岸田総理は葉梨法相を続投させることを決めていたと伝えています。結局のところ批判がやまず、ようやく事実上の更迭を決めたという報道を耳にすると、岸田総理自身の感度の鈍さや官邸チーム力の機能不全ぶりが露呈した一件だったと言えます。

さて、前回記事は「組合役員を退任」でした。先週水曜の夜、最後の執行委員会に出席しています。同日、賃金・一時金の団体交渉もありました。その交渉において早期決着をはかり、決着できない場合は翌週の自治労都本部の統一闘争の山場まで交渉を継続する構えで臨んでいました。残念ながら私どもの市独自の継続課題である住居手当の問題で平行線をたどり、賃金・一時金交渉そのものが決着できませんでした。

次回の団体交渉は火曜夜に予定し、新執行部体制で臨みます。その場に私は参加できないため、できれば私自身にとっての最後の団体交渉で決めたかったところです。たいへん厳しい局面が続く見通しであり、心苦しいところですが、決着点を見出す努力は新委員長らに託すことになりました。

金曜の夜、私自身にとって大きな節目を刻む定期大会が終えました。青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り、執行委員長としては18年間、たいへん長かった組合活動から退く日を迎えていました。組合員としては残るため執行委員会や団体交渉とは異なり、正確に表現すれば組合役員としての最後の定期大会でした。

9年前に「定期大会の話、インデックスⅡ」を投稿し、それ以降「定期大会を終えて、2016年秋」「定期大会を終えて、2017年秋」「定期大会を終えて、2018年秋」「定期大会を終えて、2019年秋」「定期大会を終えて、2020年秋」「定期大会を終えて、2021年秋」という同じパターンの記事タイトルを付けて続けてきました。

今回は「最後の定期大会」というタイトルのもとに書き進めています。毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意していました。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介しています。今回も同様にそのまま掲げますが、退任にあたっての思いを託した内容であり、例年より少し長くなっています。

執行部を代表し、一言ご挨拶申し上げます。本日は第77回定期大会への出席ありがとうございます。コロナ禍が続く中、今年も事前申込制とし、出席者数を絞らなければならない大会となっています。

そのような中で、コロナ禍の組合活動の工夫、組合予算還元策の一つとして、今回も委任状参加者も含めた抽選会を企画しています。会場に足を運べないけれども定期大会に関心をお寄せいただく取り組みとして、コロナ禍の後も続けていくべきお楽しみ企画として定着していくのではないかと思っています。

さて、一昨年の定期大会で挨拶した際、アメリカ大統領選が大きな注目を集めていた時期だったため、次のように述べていました。

地球温暖化や感染症対策など自国中心主義では解決できない地球規模の問題に直面しています。自分の国だけ万全を尽くしても、すべての国で足並みが揃わなければ解決には至りません。そのためにも対立より協調に重きを置く国際的な流れが高まることを強く願っています。

このように願っていましたが、たいへん憂慮すべき事態に国際社会は直面しています。今年2月24日、ロシアが自国中心主義の理不尽な理由をかざし、ウクライナに軍事侵攻しました。この瞬間にも多くの方々の命や暮らしが脅かされ、未だ戦火の消える兆しは見られません。

戦争を避けたいという思いは誰もが同じであるはずです。その上で、ウクライナで起こっているような戦争をどうすれば防げるのか、問われ続けられている重要な命題です。

昨年の定期大会での質疑応答を受け、この一年間、「平和や人権」の組合方針について議論を重ねてきました。 一年間の議論を経て、今回の大会でリニューアルした「平和や人権」の方針案を提起しています。

現在の組合員の皆さんの意思を丁寧に受けとめながら必要な見直しを進める貴重な機会だったものと受けとめています。昨年の大会で、率直な質問をお寄せくださった組合員の方には、たいへん感謝しています。

労働組合として守り継ぐこと、時代情勢の変化のもとに改めていくべきこと、しっかり見極めていく柔軟さが求められています。そもそも組合は組合員一人一人のものであり、組合の活動はすべて「組合員のため」にあります。

労使交渉や福利厚生はもちろん、政治的な活動、労働金庫や全労済の取り組みなど、定期大会議案書に掲げている活動方針は「すべて組合員のため」を目的にした内容ばかりです。

そのような多岐にわたる課題に対し、結論の押し付けではない「なぜ、この取り組みが必要なのか」という丁寧な説明を常に意識していかなければなりません。そして、共感を得ることによって、組合運動の広がりや力強さが増していくのだろうと考えています。

私自身、今回の定期大会を区切りに組合役員を退任します。青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができました。市役所に入る前、私は組合に対してネガティブなイメージを持ち、あまり組合とは関わりたくないと考えていました。

それが組合役員を務めていた先輩たちと同じ職場で出会い、勝手な思いこみと単なる無知なだけだったことに気付きました。それでもプライベートな時間が削られる青婦部幹事になることは、しっかりお断りしていました。

入所2年目の職場の忘年会でも口説かれ、初めはキッパリと断っていましたが、酔いが進むうちに「やってみてもいいかな」と言ってしまったようです。その返事によって組合役員に関わることになった訳ですが、ここまで長く務めようとは、まったく想像していませんでした。

長く務めてきた理由は『組合ニュース』の退任挨拶でも記したとおり組合役員を担ったことで組合の大切さを感じ取っていたからです。執行委員長は18年務めています。毎年、責任の重さを受けとめ、継続することを判断してきましたが、そのことで組織としての新陳代謝が遅れたことも確かです。

今回、副委員長が委員長を引き受けていただけることになり、たいへん安堵しながら感謝しています。継続している重要な労使課題は数多く、組合をとりまく情勢は厳しいものがある中で、バトンを渡すことに心苦しさもあります。

とは言え『そして、バトンは渡された』、今夜地上波で初放送される映画のタイトルのとおり渡さなければならないバトンであり、これからは組合員の一人として新委員長に精一杯エールを送らせていただきます。

今年1月、組合が結成されてから75年を迎えています。組合員の皆さんから今後も信頼される組合活動が続き、よりいっそう大きな節目である結成100周年を迎えられることを心から願っています。

そのためにも機関誌『市職労報』の特集記事の見出しに掲げた「組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」という言葉を改めて強調させていただきます。

また後ほど私の出番があり、皆さんからの質問があった際にも発言させていただくかも知れません。ぜひ、最後までご注目くださるようよろしくお願いします。

冒頭で取り上げた葉梨法相、現在は前法相ですが、自分の挨拶の中に受け狙いの話を入れたことで、大臣としての資質や適格性が問われることになりました。挨拶する機会が多い場合、硬い内容の中に少しだけ受け狙いの話を入れがちです。私自身も同様で、バトンという言葉から映画のタイトルにつなげていました。

上記のとおり『そして、バトンは渡された』という言葉を挨拶の中に入れてみた訳ですが、キョトンとした会場の雰囲気で完全に滑っていたようです。ちなみに翌日、録画したその映画を観ました。予想外のストーリー展開のもと思わず涙が出てしまう場面も多く、たいへん感動的な映画でした。

定期大会での質疑応答の際、会計年度任用職員の雇用継続の問題をはじめ、住居手当や保育園民営化に関わる意見が示されています。採決にあたってはリニューアルした「平和や人権」の方針案も含め、組合執行部が提起した議案すべて承認を得られています。

新旧役員挨拶の時、サプライズの花束をいただきました。冒頭の執行部を代表した挨拶の中で退任のことについて触れていましたので、私からの最後の一言は簡潔にしています。本当に長い間、お世話になったことの感謝の言葉を表した後、このブログのことに触れています。

組合を身近に感じてもらえることを目的にブログ「公務員のためいき」を始め、週に1回の更新を重ねています。市役所を退職するまではタイトルも変えず、このまま続けていくつもりです。ぜひ、お時間等が許される際、ご覧いただければ幸いです。よろしくお願いします。

新委員長の「団結頑張ろう」で締めた後、出席されていた組合員の皆さんと直接お会いし、ご挨拶させていただきました。連合地区協議会の役員は12月まで引き受けていますので、しばらくは組合事務所にも顔を出し、年明けまでにフェードアウトしていく予定です。それでも大きな節目を刻んだことには間違いなく、たいへん感慨深い定期大会を終えていました。

最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お世話になりました。そして、ありがとうございました。定期大会が終わった後、今年も打ち上げはなく、現地で解散しています。早くコロナ禍が明け、ご縁のあった皆さんと飲み語り合える機会が持てることを願っています。

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2022年11月 5日 (土)

組合役員を退任

前回記事は「信頼できる政治のあり方」でした。リンク先を添えた時事の話題を記事本文の中で紹介しながら内容をまとめています。今回の記事は時事の話題には一切絡まず、ローカルでマイナーな話となります。ちなみに前々回記事「旧統一教会と自民党」の冒頭で次のように記していました。

私どもの組合の話に引き付ければ火曜日に役員選挙が告示され、来週中には立候補する新執行部体制の顔ぶれが決まります。昨年の今頃には「組合役員の改選期、インデックスⅢ」という記事を投稿していました。私自身、長年務めた組合役員を退任するタイミングであり、関連した内容の新規記事は必ずまとめてみるつもりです。

自分自身にとって、たいへん大きな節目を迎えるため今週末に投稿する新規記事は「組合役員を退任」というタイトルを付け、いろいろ思うことを書き進めてみるつもりです。組合役員の信任投票の実施を告知した『組合ニュース』の片隅には下記のような退任の挨拶を掲げています。

組合役員を担ったことで組合の大切さを感じ取り、ここまで長く務めてきました。継続している重要な労使課題は数多く、組合をとりまく情勢は厳しいものがあります。私自身、今期をもって退任しますが、一組合員として新執行委員長らを下支えできればと考えています。組合員の皆さんには本当に長い間、たいへんお世話になりました。これまでの組合活動へのご理解ご協力に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

このブログでは、これまで執行委員長を今期で退任することについて頻繁に書き込んできています。昨年11月の記事定期大会を終えて、2021年秋」の中で、今年度はバトンを着実に渡すための一年であるという意識を強めながら臨んでいることを記していました。

たいへん長く担ってきていますので定期大会を間近にしての退任の判断では迷惑をかけるものと思い、一年前に予告した上で引き継ぎのための一年という猶予期間に位置付けてきました。このことは組合役員をはじめ、周囲の皆さんにはお伝えしている話でした。

3月に発行した組合機関誌の特集記事の見出しは「【Will】組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」でした。【Will】という言葉は、未来形としての願いであり、バトンを託す皆さんに向けた言葉だという意味合いを機関誌の「おわりに」の中で説明していました。

婉曲な言い方だったため、この言葉から今年11月の定期大会で執行委員長を退くという表明であることは伝わらなかったようです。実は【Willという言葉には「遺言」という意味もあります。3月末に投稿した「【Will】機関誌に託した思い 」というブログ記事では、そのような暗喩があることも他愛のない逸話として触れていました。

8月の記事「平和への思い、2022年夏」では、8月下旬に職場回覧する「平和や人権に関わる組合方針の確立に向けて(参考資料)」のタイトルに【卒論】という言葉を添えようかどうか考えていたことを明かしていました。【卒業論文】という文字通りの言葉であり、ストレートな退任予告のメッセージとなります。

結局【卒論】という言葉は添えませんでしたが、結びの一言として、今年3月に発行した機関誌の特集記事の見出し「【Will】組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」のような組合活動が進められていくことを心から願っています、と添えていました。

10月初めの「安倍元総理の国葬 Part2」の冒頭では自治労都本部の中央委員会の議長を務めた話に触れています。11月11日の定期大会をもって単組の組合役員を退任することについて、他の組合の皆さんに挨拶できる貴重な機会だったため、中央委員会の議長を退任する際の挨拶の中で申し添えていたことも記していました。

経過報告や資料等も掲載した定期大会議案書は来週職場回覧します。早期配布を目的にした方針案の冊子は10月下旬に組合員全員の手元に届いています。その方針案の配布よりも一足早く、議案書の冒頭に掲げる私自身の最後の「はじめに」の全文を当ブログの記事の中で紹介していました。

私自身、今回の定期大会をもって執行委員長を退任します。青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができました。本当にありがとうございました。

上記は「はじめに」の結びの言葉です。このように不特定多数の方々が閲覧できる当ブログで頻繁に取り上げてきたとおり退任するという話は「知る人ぞ知る」オープンな情報でした。それでも『組合ニュース』等で明らかにするまで組合員の皆さんの大半は知らなかったようです。

このブログを継続的にご覧になっている方が極めて少数であるため予想していたことです。そのため最近になって、多くの方から「やめてしまうのですね。長い間、ご苦労様でした」「まったく関わらないんですか?」「市役所を退職するのですか?」というような労いの言葉や質問を受けることが増えています。

これまで執行委員長を務めた諸先輩が退任後、副委員長として残るケースは多くありました。今回、そのような選択肢は一切考えませんでした。定例の執行委員会に出席する組合役員の一人として残った場合、きっと自分なりの考えを強く主張してしまうのだろうと思っています。

そのような場面が続くと、新委員長らがやりづらいだろうと考えています。逆に言いたいことを我慢していくことはストレスをためる話であり、残った意味合い自体が薄れる関係性となります。このような点を考慮し、委員長を退任する時は組合活動そのものから距離を置く時だと決めてきました。

もちろん退任してからも相談を受ければ快く対応し、引き継ぎ面での助力を求められれば可能な限り手助けしていくつもりです。市役所を退職する訳ではないため、これからも組合事務所には気軽に足を運ばせてもらいます。冒頭で紹介した退任挨拶に記したとおり一組合員として新委員長らを下支えできればと考えています。

ちなみに「市長選に出るんですか?」という驚きの質問もありました。来年夏に市長選が予定されているため、そのような質問があった訳ですが「あり得ません」と笑い話として即答しています。ここ最近、多くの方から退任に際して温かい言葉をかけていただき、たいへん有難く感謝しています。

同じポストに同じ人物が長く続けるのは、あまり望ましいことではありません。そのような意識が働いていたため、執行委員長を何年務めてきたのか、しっかり数えてきていませんでした。退任にあたり、改めて数えてみると18年間務めてきたことになります。私どもの組合の歴代委員長の中で際立った長さとなっていました。

私の前の委員長3人は、それぞれ自治労都本部の役員となり、休職や離籍専従で組合活動を続けられていました。私自身、家庭介護の事情があり、現状よりも負担が生じる役割への転身は控えてきました。自治労や連合の関係者の方々から何回か相談を受けた時、ご期待にいつも応えらず、たいへん申し訳ありませんでした。

いろいろ振り返り始めると、新庁舎移転前の朝の風景を綴った12年前の記事「顔を上げれば満開の桜」を思い出していました。その中で「ここ数年、同世代の職員の課長昇任が続いています」と記し、次のような思いを添えていました。

その中には一緒に組合役員を担った人たちも多く、組合活動で苦楽を共にしたメンバーが管理職に登用されていくことを非常に心強く思っています。一方で、組合活動への「良き理解者」であった組合員が一人ずつ減ることでもあり、一抹の寂しさも伴っていました。また、それぞれの選択した道の違いによって、役所における立場の枝分かれが顕著になっていくことの感慨も覚えていました。

議案書の「はじめに」の最後に記しているとおり青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができたことを心から感謝し、後悔という2文字はまったくありません。

ただ18年間、私が委員長を担ってしまったことで組織としての新陳代謝が遅れたことも確かです。毎年、責任の重さを受けとめ、結果として継続することを判断してきました。今回、副委員長がプレッシャーを感じながらも委員長を引き受けていただけることになり、たいへん安堵しながら感謝しているところです。

『組合ニュース』に掲げた退任挨拶で触れているとおり継続している重要な労使課題は数多く、組合をとりまく情勢は厳しいものがある中で、バトンを渡すことに心苦しさもあります。とは言え、どこかで渡さなければならないバトンであり、これからは組合員の一人として新委員長に精一杯エールを送らせていただきます。

思った以上に今回も長い記事になっていますが、もう少し続けます。委員長に選ばれた翌年の8月からブログを始めています。委員長を退任し、組合役員から離れた後も当ブログは続けていくつもりです。退職まではタイトルも「公務員のためいき」のままとし、プロフィール欄だけは手直しする予定です。

実は過去のブログ記事を紹介しながら組合役員としての40年余りの年月を駆け足で振り返ってみようと思っていました。ただ長々とした内容となっているため、今回は「組合役員になったイキサツ」のみ紹介します。それ以降の話は機会があれば別な新規記事を投稿し、改めて振り返ってみたいものと考えています。

最後に、自分自身にとっても懐かしい組合役員になったイキサツを綴った16年以上前の記事、こちらは当時の内容の全文をそのまま紹介させていただきます。

          *         *

前回記事は「公務員になったイキサツ」でした。今回、その続編のような話となります。高校を卒業して市役所へ入り、配属された職場の人間関係が非常に暖かく感じたことを紹介しました。

その先輩たちの中に組合役員で、青年婦人部を担当している方がいました。略して青婦部と呼んでいましたが、若手と女性組合員を対象とした組合の下部組織でした。その後、青年女性部と名称変更を経て、現在ではユース部と女性部に独立しています。

その先輩から見れば、当時、十代だった自分は青婦部の幹事へ引き込む絶好の標的でした。入所前、私は組合に対してネガティブなイメージを抱いていました。したがって、あまり組合とは関わりたくないと思っていました。

それが組合役員を務めている明るい先輩たちと出会い、勝手な思いこみと単なる無知なだけだったと考え方を改めていました。それでもプライベートな時間が削られる青婦部幹事になることだけは、絶対避けたいものと考えていました。

決して真面目な大学生でなかったにも関わらず「夜間、学校があるから引き受けられません」と言い訳し、何とか1年目は逃れることができました。2年目の職場の忘年会、その先輩からまたしても口説かれ、やはり初めはキッパリと断っていました。それが酔い(注:この時点では20歳です)が進むうちに「やってみてもいいかな」と言ってしまったようです。

翌日、しっかり新幹事の一人に名前を加えられていました。幹事会は毎週1回、午後6時からでしたが、ほとんど出られませんでした。実際、まだ語学など出席を取る授業が多く、2回生である翌年3月までは比較的よく学校へ通っていました。

少し横道にそれますが、4回生まで単位は順調に取得できていました。卒業に向けて、致命傷となる必修単位を落としてしまい、5回生を経験することになりました。結構な人数が落とされ、内定していた就職先を棒に振った方が何人か出るほどでした。

さて、3回生になった春以降、出席を取る授業がなくなり、大学への足は遠のいていました。が、相変わらず青婦部幹事会への足も遠のいたままでした。したがって、ほとんど「幽霊幹事」のまま任期一年が終わろうとしていました。

それでも時々は青婦部幹事として参加した行動もありました。ある16ミリ映画会に興味を持ち、幹事の先輩数人と出かけました。その映画の題名は「光州は告発する」でした。

チョン・ドハン元韓国大統領の軍事クーデターに反対し、光州市民が大規模なデモなどを行ないました。それに対してチョン元大統領は軍隊を出動させ、自国民に銃口を向け、力ずくで鎮圧をはかりました。その虐殺の模様を記録した映画が「光州は告発する」でした。

それまでも原爆やアウシュビッツ強制収容所の話などを知ることにより、戦争への嫌悪感は人一倍持っていたと思います。ただベトナム戦争も現在進行形の世代ではなく、私の戦争に対する思いは「過去の事実」との認識でした。

それが同じ瞬間、それほど距離が離れていない半島で、戦車でひき殺される人たちがいたことに大きな衝撃を受けました。さらに今から思えば、その北の国でも非人道的な行為を繰り広げていたことになります。

この映画を見たことにより、少し考え方に変化が出ました。だから何ができるか分かりませんでしたが、青婦部幹事になって一年間、何もしなかったし、何も分かろうとしないで辞めるのも何だなと思い返すようになりました。

結論として、2年目の青婦部幹事については自らの意志で続けることになりました。その時点では、まさか組合の執行委員長まで引き受けることになろうとは夢にも思っていませんでした。その後も様々な節目で迷った場面もありましたが、組合活動を経験できて本当に良かったと振り返ることができます。

また機会がありましたら、その後についても書き込みたいと考えています。とにかく初めから組合の支持者でなかったことが、ある意味で自分自身の強みだと思っています。組合に距離を置こうとしている方たちに対しても、自信を持って「組合って、大切なんだよ」と呼びかけられるからです。

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2022年10月29日 (土)

信頼できる政治のあり方

旧統一教会と自民党」「旧統一教会と自民党 Part2」という記事を通し、2週続けて旧統一教会の問題を取り上げてきました。週明け早々、瀬戸際大臣と揶揄されてきた山際経済再生担当大臣が辞任に至りました。事実上の更迭と見られています。

2回にわたった記事の中で、宗教団体の政治活動自体が問題ではなく、霊感商法などを違法視されてきた団体の広告塔として政治家が関与してきていることの問題性を訴えています。さらに『国家公安委員長、旧統一教会に関わる事件「被害届ない」を「検挙がない」訂正で露呈した「被害届あっても検挙できない」背景』という報道のような歪みがあったのかどうかを危惧しています。

また、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)が2018年6月、衆参の国会議員全員にその問題性を訴えた声明文を送っていたことを前回記事の中で取り上げていました。つまり旧統一教会の問題性を認識しながら全国弁連の「忠告」を無視してきた政治家の多さを指摘しています。

このような前提を踏まえた時、旧統一教会との関わりを「記憶にない」と言い続けた山際前大臣は、記憶する力が際立って劣っているのか、誠実な説明責任を放棄しているのか、いずれにしても政治家としての資質が大きく問われたものと理解しています。

昨年8月から9月にかけて信頼できる政治の実現に向けて」というタイトルの記事を Part2 Part3」まで綴っていました。12月には「再び、信頼できる政治の実現に向けて」という記事を投稿しています。12月の記事の冒頭で「信頼できる政治の実現に向けて」というタイトルの記事を「Part3」まで重ねていたことを忘れていたという話を紹介しました。

自分自身の記憶があてにならないことを記していた訳ですが、些細な切っかけさえあれば思い出すことができます。記憶を呼び起こすための記録を毎年廃棄しているという釈明も含め、山際前大臣の言葉には信憑性が疑われるような顛末をたどっていました。政治家の発する言葉一つ一つが疑われるようになってしまっては「信頼できる政治」から程遠くなります。

政党が掲げる政策や選挙協力のあり方について、すべての人からの納得は難しくても、より100%に近い人たちから「なるほど」と思えるような説明責任が政党には求められています。信頼できる政治の実現に向け、欠かせない試みであり、そのような対応が不充分だった場合、国民からの支持は限られてしまうのだろうと思っています。

上記は「再び、信頼できる政治の実現に向けて」の中の一文です。「なるほど」と思えるような説明責任以前の問題として、政治家に限らず信頼を失墜する行為は嘘を重ねることです。前述したとおり自分自身も省みる中で、完璧な記憶力はありません。すべての事象を正確に把握している知識や情報収集能力もありません。そのため、時には誤ったことを言葉にしてしまう場面もあります。

大切な心構えは誤りが分かった場合、すみやかに訂正し、謝罪することだろうと考えています。最悪な振る舞いは自分の誤りを認めず、その誤りを糊塗するため、嘘に嘘を重ねることです。絶対慎まなければなりません。権力者の誤りだった場合、権力者の意思に関わらず、周囲が忖度し、誤りを取り繕い、取り返しのつかない事態まで引き起こすこともあります。

具体的な事例として森友学園の問題を思い浮かべています。近畿財務局職員だった赤木俊夫さんの遺書が示す事実関係を決して忘れてはならないはずです。理不尽な死を強いられた安倍元総理を悼みながらもテレ朝・玉川徹氏「降板報道」で話題再燃 安倍元首相「虚偽答弁118回」なぜお咎めなし?』という事例など問題視すべき点は霧消させず、必要な検証は続けなければならないものと思っています。

今回の記事タイトルは「信頼できる政治のあり方」としています。信頼できる政治なのかどうかはトップリーダーである総理大臣の資質や能力によって大きく左右されていきます。菅前総理に関しては昨年8月の「スガノミクスと枝野ビジョン」などを通し、異なる意見を進言する人たちを遠ざけがちな点について触れています。

より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に接していくことが重要であるため、そのような菅前総理の姿勢には懐疑的な見方を示してきました。岸田総理は「聞く力」をアピールし、自民党の総裁選を勝ち抜いてきています。安倍元総理や菅前総理に比べれば個人的には期待したい政治家の一人でした。

残念ながら過去形で語らなくてはならないような事例が相次いでいます。『岸田政権の原発推進方針は「火事場泥棒的」 提言発表の原自連・河合弘之弁護士に聞く』という記事が示すような拙速な政策転換に驚き、失望感が芽生え始めていました。それ以上に驚き、唖然としている政策転換がマイナンバーカードを巡る動きです。

マイナンバーカードに関しては当ブログで過去に社会保障・税番号制度不人気なマイナンバーカード」という記事を投稿し、慎重な考え方を表明してきています。本来、新規記事の題材とすべき重要な問題なのかも知れませんが、取り急ぎ最近、目に留まったマイナンバーカードに関連した報道等を紹介します。

マイナカード普及へ保険証を“人質”に…河野デジタル相のアベコベ突破力で検討会メンツ丸潰れ』『「保険証があるからみんな持たない」と言うけれど…マイナンバーカードが普及しない“本当の理由”《事実上の強制へ》』『ポイントで釣っても駄目なら今度は強制か、マイナカードと健康保険証の一体化』『「保険証廃止は邪道」河野デジタル相の“雑すぎる突破力”…マイナカード推進派からも懸念噴出!』『岸田首相と河野大臣で発言内容がブレる「マイナ保険証」不透明な政府の方針に違和感持つ国民が続出!

マイナ保険証に対応するためのシステムを医療機関の3割しか導入できていない現状です。今後、システムを導入できなければ保険医登録の取り消しがあり得るという一方的で唐突な決定であり、批判の矛先は河野大臣に向かいがちです。

ただ河野大臣は「総理に指示されたことを言っただけなのに、何でこんなに批判されるのか」と愚痴をこぼしているようです。岸田総理と河野大臣の意思疎通の不充分さの問題もありますが、そもそも任意だったマイナンバーカードの取得を事実上、義務化することの政策転換への不信感や反発が広がっています。

今回の「信頼できる政治のあり方」という記事を意識し、『週刊文春』10月27日号を手にしています。『「誰も信用できない」岸田政権「崩壊前夜」』という見出しの特集記事の中で、低下している内閣支持率の反転攻勢に向け、岸田総理は旧統一教会の問題を打ち消すため、やたらとアドバルーンを上げているという実情を伝えています。

国葬の時のように最近の岸田総理は、議論もなしに突然、新たな決断をぶち上げるケースが目立ち、それを「攻める政権運営」と自負していることも記されています。ガス代の負担軽減策も具体的な制度設計が何も決まっていない段階で表明されてしまい、大きな混乱を招いていることなどを『週刊文春』は報じています。

官邸「機能不全」で急浮上する「岸田総理」自滅へのカウントダウン 自民党幹部も「非常に危険な状態」』『後藤経済再生担当相めぐり官邸“大チョンボ”…官房正副長官は役立たず、チーム岸田すでに崩壊』という見出しの記事も伝えているとおり岸田総理の「聞く力」は空回りし、側近不信とともにチーム岸田は壊滅同然であるようです。

安全保障の問題も含め、自民党政権の中では信頼を寄せやすい立場の岸田総理でしたが、期待感とは裏腹な政権運営が目立ち始めています。たいへん残念なことです。このところ閣僚等の任命責任の問題も立て続いています。政務官の人事は岸田総理が直接関与していないのかも知れませんが、信頼できない政治のあり方として下記のような問題も指摘しなければなりません。

江川紹子さん、誹謗中傷キャンペーンを「存じ上げません」と発言の杉田水脈総務政務官に皮肉ツイート』『杉田水脈氏の資質問う声 立川団四楼「政界にいる意味ない」松尾貴史「品性の問題」』という記事にあるとおり杉田政務官に対しては政治家としての適格性に大きな疑問符を付けざるを得ません。最後に『杉田水脈発言を咎めぬ政府こそ差別的』という記事内容の全文をそのまま紹介します。

岸田内閣で初入閣した差別主義者、総務政務官・杉田水脈を内閣の一員に任命し、野放しにしていることにあまりにも政府も党も鈍感すぎないか。

杉田は16年7月、産経新聞の連載コラムで「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援などの考えを広め、日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました」と記している。

どこかの宗教団体の主張のようだが、産経もよくこんな陰謀論を掲載したものだ。16年に杉田はツイッターで「統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない」と書き込んだことを26日の衆院政治倫理・公選法改正特別委員会(倫選特)で問われると「(政府の一員の政務官だから)見解の表明は差し控える」と答弁拒否。

18年7月には「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と雑誌で発言している。雑誌は廃刊になった。

杉田はツイッターでジャーナリスト・伊藤詩織を中傷する「枕営業の失敗」などの投稿に「いいね」を押したのは名誉毀損に当たるとして、先週、東京高裁で損害賠償を命じられたが、倫選特で総務省が取り組んでいるSNSの誹謗中傷対策キャンペーンについて問われ総務政務官なのに「存じ上げません」と答弁し、この判決について係争中を理由に答弁拒否。

27日の衆院総務委員会では「生産性がない」と表現した発言の謝罪を求められたが応じなかった。杉田の差別発言を政府も党もとがめず答弁させているのは杉田発言を政府や党が肯定、賛意を示していることに他ならず、反応しないことが既に差別的といわざるを得ない。

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2022年10月22日 (土)

旧統一教会と自民党 Part2

前回記事「旧統一教会と自民党」の最後は「過去は変えられませんので、2世信者だった小川さゆりさんらの切実な声を受けとめた政治が今後実現していくことを強く望んでいます」という言葉で結んでいました。

先週末に前回の記事を投稿してから、この一週間で様々な動きが見られています。まず宗教法人の解散命令、「使用者責任」も不法行為に含まれる…首相が考え示す 』という報道です。

岸田首相は19日の参院予算委員会で、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)を巡り、宗教法人法に基づく解散命令の要件に、民法の不法行為も含まれるとの見解を表明した。18日の国会答弁では、刑法違反のみとの認識を示しており、1日で法解釈を変更した。

首相は「行為の組織性や悪質性、継続性などが明らかとなり、宗教法人法の要件に該当すると認められる場合には、民法の不法行為も入りうる」と語った。不法行為に関し、指揮・監督する立場の人物の責任を問う「使用者責任」も対象に含まれるとの考えも示した。

法解釈を変更した理由について「厳格な法治主義に基づいて法律の適用を考え、政府として考え方を整理した」と説明した。刑事判決が確定するには時間がかかるなどとする野党の主張も踏まえ、刑法違反だけでは解散命令請求の可能性を狭めかねないと判断したとみられる。

解散命令の要件について、宗教法人法は「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」などと定めている。判例では、「刑法等」の違反があることを挙げている。これに対し、首相は「『等』には民法も含まれるという判断だ」と述べ、解釈を明確化した。

首相は18日の衆院予算委では、解散命令の要件について「民法の不法行為は入らないという解釈だ」とし、「(判例を踏まえて)刑法等で定める禁止規範や命令規範に違反するものとの考え方を踏襲している」と述べていた。

一方、首相は、宗教法人法に基づき初めてとなる「質問権」の行使に向け、弁護士ら専門家の意見も踏まえ「政府全体の総力を挙げて質問内容を練り上げていく」とも強調した。

政府は年内に調査を開始して解散命令請求の可否を判断する。政策決定の透明性を確保するため、議論の場となる宗教法人審議会などの議事録公開も検討する。【読売新聞2022年10月19日

1日で法解釈を変更したことについて「朝令暮改にも程がある」という批判も受けていましたが、岸田総理の「聞く力」が良い意味で発揮されたという見方もできます。ただ次のような舞台裏の事情が明かされると、やはり決して好意的に評価できるような話ではなかったようです。

政治ジャーナリストの田崎史郎氏が20日、テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」に出演。岸田文雄首相が1日で答弁変更し、宗教法人への法令違反要件について「民法の不法行為も入り得る」との見解を示したことに言及した。

岸田首相は、19日の参院予算委員会で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する宗教法人法に基づく調査を巡り、宗教法人への解散命令請求が認められる法令違反の要件について「民法の不法行為も入り得る」との見解を示した。18日の衆院予算委では刑法違反を挙げ、民法は含まないとの認識を示しており、1日で答弁を変更した。

田崎氏は「まず押さえておかないといけないことは、総理の答弁というのは非常に重いんですね。閣議決定や法律に匹敵するくらい重いんです。それを一夜で変えるというのは極めて異例だし、変えてはいけないんですね」と指摘。

変更された経緯について「(18日に)長妻さんが要件を聞いてくると思わなかったと。質問権の話で来ると思ったのに、解散命令の話で来たんで、それでそこにあった紙を総理が読み上げてしまった」とし、「これはやっぱり総理を支える官僚の人たちの準備不足。もっと用意しておかないといけなかったんですよね」と自身の見解を述べた。

司会の羽鳥慎一アナウンサーの「なんで用意してなかった?」には「想定していなかったって言うんですけど。質問通告がなかったせいもあるんですが、質問を想定しながら答弁をつくらなといけないんです、彼らは。だからそこの想像力の問題だと思いますね」と言い、羽鳥アナの「一昨日は岸田総理のその場の判断であの発言になったということ?」という問いには「そういうことです。そこで手元にあった文化庁のペーパーをそのまま読んでしまった。

その後に、この問題に詳しくて法曹資格、弁護士資格を持つ自民党議員少なくとも2人が、あの総理答弁まずいんじゃないのと。民事も含まれるはずだよということがあったんで、それから慌てて秘書官が法務省などと協議を始めたということですね」と話した。【Sponichi Annex 2022年10月20日

迷走ぶりが見受けられながらも支持率の急落を受け、岸田総理が旧統一教会の問題に真正面から取り組み出したことは歓迎すべき動きだと言えます。『旧統一教会の被害者救済、与野党が初会合 今国会での法案成立を確認』という報道のとおり前回記事を投稿した時には想像できなかったスピード感です。

このような政府の動きに対し、危機感を抱いた旧統一教会側は自らの立場や主張の正しさを広く発信する場を設けていました。『“統一教会”6回目の記者会見 怒りの声も… “家庭崩壊”訴える男性「ここまでやる?」』という見出しのとおり驚くべきパフォーマンスを繰り出してきました。

教会改革推進本部の勅使河原秀行本部長が紹介した後、教区長に昇格させたという2世信者である男性17名が黒系統のスーツに身を包み、ズラリと並んだ場面は異様でした。勅使河原本部長の高揚感とは裏腹にマスク越しでの印象となりますが、誰からも誇らしげな姿は読み取れませんでした。

世信者だった小川さゆりさんは「2世たちに寄り添うという形には、まったく見えなくて、2世たちを昇格させてあげたでしょうと、すごく上から目線にしか聞こえなくて、正直ちょっとあのシーンが一番信じられなかったです。過去一番、最低な会見だったなと私は思いました」と語っています。

それ以上に驚いたのは女性信者の映像が流れた場面です。家庭崩壊に追い込まれ「息子が自殺した」と訴えている橋田達夫さんの元妻が旧統一教会側の立場を優位にするため、橋田さんの主張が虚偽であると証言している映像でした。

元妻の言葉を完全に否定できる事実関係を把握している訳ではありませんが、極めて慎重さを要する映像を記者会見の場で流す教団側の感覚や姿勢に大きな疑問を抱かざるを得ません。橋田さんの「ここまでやる?家族を。勅使河原ここまでやる?」という言葉が耳に残ります。

前回記事を投稿した後、通勤帰りに立ち寄った書店で鈴木エイトさんの『自民党の統一教会汚染 追跡の3000日』を見かけ、すぐ手にしていました。数日のうちに読み終え、次に投稿するブログの内容も旧統一教会と自民党との関係を取り上げようと考えていました。そして今回、記事タイトルに「Part2」を付けて書き進めています。

第2次安倍政権発足後、9年間、3000日以上にわたって自民党と旧統一教会との関係性を追ってきた鈴木エイトさんだからこそ、ここまで濃密な内容の書籍を刊行できたものと思っています。安倍元総理が凶弾の犠牲となった事件以降、緊急刊行となったことについて編集担当は次のように紹介しています。

事件以降、次々と明るみになる自民党と旧統一教会の関係を、その何年も前から追い続けていたのが鈴木エイト氏です。鈴木氏は、刊行の当てもないままこの本の元となった原稿を以前から書きためていました。テレビ出演など大忙しのなかその原稿に大幅加筆し、この緊急刊行にこぎ着けることができました。圧力に屈せず真実をひたすらに追い続けたジャーナリストの、覚悟と執念の集大成です。

前回記事で「旧統一教会と自民党政治家が歪な関係性を築き、政治的な意思決定が歪められてきたのかどうか決め付けることはできません。隠し続けなければならない実態が白日のもとにさらされることを警戒し、解散命令に及び腰なのではないかという見方も憶測でしかありません」と記していました。

しかし、9年間取材してきた鈴木エイトさんの見方に対して「憶測でしかありません」と記したことをお詫びしなければなりません。鈴木エイトさんが断定調に語っていることは、しっかりとした裏付けの取れた事実関係の数々であることに間違いないようです。そのような点について前置きした上、書籍を読み終えて特に印象深かった箇所を紹介していきます。

前回記事の中で、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)が政治家に対し、反社会的団体である旧統一教会にエールを送るような行為は止めるよう繰り返し要請してきたことを伝えていました。書籍を通し、2018年6月に全国弁連が衆参の国会議員全員に声明文を送っていたことを知りました。

このような「忠告」にも関わらず、直後の教団イベントに来賓出席する議員が続出していたことを書籍の中で伝えています。いずれにしても萩生田政調会長らの「この20年間、霊感商法について被害がないと認識していた」などという釈明は真っ赤な嘘だったのか、全国弁連からの要請に対する不誠実ぶりを明らかにしています。

書籍の中で「政教分離については国会議員が統一教会と付き合いがあるというだけで即アウトとも言い切れない」という記述があり、宗教団体が政治活動を行なうこと自体も否定していません。「霊感商法などで社会的に問題視されている宗教団体に政治家が関わること自体に問題がある」と鈴木エイトさんは訴えています。

書籍の前半にはユナイトについて触れられています。安倍政権が推進した安保法制に反対する学生組織シールズが脚光を浴びていました。その流れに対抗し、2016年1月に「国際勝共連合大学生遊説隊ユナイト」が結成されました。メンバー全員が旧統一教会の2世信者でした。

ユナイトに対する取材を通し、鈴木エイトさんはユナイトの「誕生」は安倍政権の意向を反映したものだったとの推論が必然的に導かれるという見解を示しています。仮に政権側が2世信者たちを使って印象操作し、世論を誘導しようとしていたとすると、道義的な側面だけでなく、政教分離の観点からも問題であることを訴えています。

安倍政権の約8年。目先の国政選挙や憲法改正に向けた世論誘導のため、この歴代最長政権は最も手を組んではいけない相手とギブアンドテイクの関係を続けた。国のトップが自らの政治的野心のために「反社会的」団体と取引したことは「桜を見る会」問題をも凌駕する深刻な事態だ。

第2次安倍政権発足以降の約8年間、政権首脳が率先して問題教団との関係を構築した。その姿勢を見た国会議員・地方議員は、罪悪感を抱くことなく教団や関連組織と“付き合い”を続けた。

これらの政治家は表向きには教団の問題性を認めておきながら、裏では関係を持ってきた。これは国民への裏切り行為に他ならず、清廉さが求められる政治の世界にこのような政治家が跋扈する素地を作ったことは安倍政権の弊害の一つだ。

上記は書籍の中に掲げられた文章をそのまま転載しています。山上徹也容疑者の起こした事件が決して正当化されることでないことを鈴木エイトさんは強調しています。そのことを前提としながらも政治家がカルト被害者の家族、特に子どもの被害実態を軽視し、放置してきたことの責任を問いかけています。

今回も長いブログ記事となっています。あまり個人的な思いを添えず、後段は鈴木エイトさんの書籍の内容の紹介を中心に書き進めてきました。まだまだ紹介したい興味深い情報が詰まった重い内容の書籍です。最後に、鈴木エイトさんの自戒を込めた言葉を紹介し、今回の記事を終わらせていただきます。

自戒を込めて書くが、本来であればこのような事件が起こる前に、「統一教会の悪質さ」「被害の深刻さ」「家庭崩壊や2次被害者の存在、2世問題」「政治家との関係」等を可視化し提示しなければならなかった責任は、メディアを含む我々社会の側にもある。

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2022年10月16日 (日)

旧統一教会と自民党

ウクライナでの戦争が続いています。日常が一転して生命の危機を脅かす非日常に追いやられたウクライナの人々の恐怖と絶望は想像を絶するものだろうと思います。最近『ウクライナにいたら戦争が始まった』を読み終え、そのような恐怖をわずかでも追体験しています。機会を見て「『ウクライナにいたら戦争が始まった』を読み終えて」という記事を投稿できればと考えています。

前回記事「時事の話題から思うこと、2022年秋」の中で、軍事進攻したロシアの言い分には耳を貸すことが難しくなっていると記していました。『「国連総会、ロシアの「併合」非難決議を採択 賛成は143カ国に』という報道のとおりロシアの暴挙は国際社会の中で大きな批判に包まれています。

それでもロシアの他にベラルーシ、北朝鮮、ニカラグア、シリアが反対し、中国やインドなど35カ国が棄権しています。残念ながら軍事力による領土の変更は絶対容認しないという国際社会の図式になり得ていませんが、2014年3月のクリミア半島の併合を認めない決議の賛成は100か国だったため、当時よりもロシアの孤立化が顕著になっていることも確かなようです。

私どもの組合の話に引き付ければ火曜日に役員選挙が告示され、来週中には立候補する新執行部体制の顔ぶれが決まります。昨年の今頃には「組合役員の改選期、インデックスⅢ」という記事を投稿していました。私自身、長年務めた組合役員を退任するタイミングであり、関連した内容の新規記事は必ずまとめてみるつもりです。

今週末に投稿するブログの記事は「旧統一教会と自民党」というタイトルを付けています。こちらの話もタイミングを見て掘り下げてみようと考えていた題材です。いつものことですが、ネット上で目にした興味深い報道等を紹介しながら私自身の問題意識を書き添えていきます。

まず『旧統一教会修練会でセクハラ「宗教名乗るカルト」元信者告発 教団施設に精神崩壊した信者多数』という見出しの記事です。2世信者だった方の苦しかった生い立ちが語られ、旧統一教会の問題性を切実に訴えた記事内容であり、全文をそのまま紹介します。

立憲民主党は23日、国会内で世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題について元信者からヒアリングを行った。脱会した小川さゆり氏(仮名)は、夫と子どもとともに出席した。小川氏の両親は現在も熱心な信者で父は元教会長を務め、2世信者として生まれ育った。

小川氏は特定の支持政党がないことを重ねて強調した上で「母は婦人部長などを請け負い、政治の面でも選挙活動を手伝ったり、ウグイス嬢をしたりしていた」と選挙で支援を行っていたとした。両親が高額な献金をしたせいで貧しい家庭環境で、それが原因でいじめを受け、高校生からアルバイトを始めるが、200万円あまりの給与は献金のため、すべて両親に没収されたという。

小川氏は結婚前に参加が義務付けられている修練会で公職者からセクハラを受け、韓国内の教団施設では精神が崩壊した信者たちを数多く目の当たりにするなどし、2016年ごろに脱会したという。献金の実態について「日本人というのは完全に罪の国だと教え込まれている。韓国の本部から指示が来て、毎月のノルマが発表され、この教会では何百万頑張って下さい、と指示がある」などと告発した。

小川氏は「統一教会は宗教を名乗ったカルトであり、信者家庭を崩壊に追い込む、反社会的団体。被害者を救い、新しい被害者が出ない法律や制度を作っていただきたい」と、早急な法規制の必要性を訴えた。

小川さゆりさん(仮名)は10月8日、日本外国人特派員協会で行なわれた会見にも出席して「生まれた頃から自分の意思に関係なく礼拝参加や教義本訓読の強制、恋愛禁止などを教えられ、それらを破った場合、“地獄に落ちる”などと脅す教育を受けてきました」と語っていました。

すると会見中に旧統一教会側から「彼女は精神に異常をきたしており、安倍元首相の銃撃事件以降、その症状がひどくなってしまっていて、多くの嘘を言ってしまうようになっている」というファックスが送られてきました。『元2世信者、旧統一教会の会見中止要求に耐えて涙の訴え「どちらが悪なのか分かって」』のとおり衝撃的な場面でした。

小川さんは心身の症状について「4年前に治っている」と反論し、少し動揺した様子を見せながらも「大丈夫です」と会見を続けていました。「お金を返さず自分たちの主張を続けるのと、私とどちらが悪なのか。これを見てくださる多くの方は分かってくれると信じています。私を正しいと思ってくれるなら、この教団を解散させてください」と涙を流しながら訴えています。

旧統一教会による元2世信者会見の中止要求に憤り「親御さんにしろ教団側にしろ論外」』という記事では、読売テレビの高岡達之解説委員長の「親御さんが書かれたにしろ、教団側が書かれたにしろ、論外だと思います」という憤りを伝えています。

「いかなるお立場であっても、ご自分が抱えている心身のことについて、人様に話す権利はご本人だけだと思う。そこに思いが至らない時点で、私はお目にかかったこともないけど、彼女のご両親にも“本当にお嬢さんのことを思っていらっしゃいますか?”と申し上げたい」と両親や教団側の配慮のなさに疑問を呈しています。

旧統一教会の問題を20年以上取材を続けているジャーナリストの鈴木エイトさんが「ミヤネ屋」に出演した時、『鈴木エイト氏 旧統一教会への解散命令めぐる岸田首相の慎重論に疑問「今の姿勢で本当に救えるのか」』という記事のとおり宗教法人法を巡る岸田総理の見解に疑問を示していました。

岸田総理は10月6日の参院本会議で、教団の問題について宗教法人法に基づく解散命令請求について問われ、「信教の自由を保障する観点から、判例も踏まえて慎重に判断する必要がある」とし、「宗教団体に法令からの逸脱行為があれば厳正に対処する」と述べています。

この答弁について鈴木さんは、元2世信者の小川さんの理路整然とした訴えと比較しながら「岸田総理は信教の自由は保障すると。実際、解散命令が出てたとしても、信教の自由は侵害されないんですよ。そのあたりも含めて、岸田さんの答弁がかなり煮え切らない感じで。困っている人、現在苦しんでいる人を岸田さんの今の姿勢で本当に救えるのかな?というのは、国民みんなが思っていると思います」と指摘しています。

旧統一教会の解散請求 全国弁連の要請への対応は明言避ける 文科相』の報道のとおり政府の動きは鈍いままです。宗教法人法は「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」があった場合などに、裁判所が所轄庁などの請求を受けて宗教法人の解散を命令できると定めています。

「慎重に判断する必要がある」という点はそのとおりですが、宗教法人の解散命令は過去に2例あります。『「河野vs萩生田」バトル勃発寸前!旧統一教会の解散請求命令めぐり“てんでに”思惑渦巻く』の記事の中で、所轄庁である文科省(文化庁宗務課)が1995年にオウム真理教、2002年に明覚寺に対して発出していたことを伝えています。

オウム真理教の反社会性は説明するまでもありませんが、明覚寺は霊感商法等の問題性が理由でした。1999年に和歌山県の明覚寺代表らが霊視商法によって詐欺罪で有罪になっていました。しかしながら旧統一教会は役員が立件されていないため、文化庁宗務課は「請求基準に照らすと難しい」という見解を示しています。

10月4日に開かれた消費者庁の「霊感商法等への対策検討会」の第6回会合では、メンバーから「これまで消極的だった文科省に猛省を促したい」「消費者庁が関与すべきだ」「質問権を行使するなど、まずは調査に乗り出すべきだ」など文科省への厳しい意見が相次いでいました。「宗教法人」というブランドを失うのは旧統一教会にとって大打撃で、税優遇もなくなり、弱体化は必至です。

鈴木エイトさんは「統一教会が最も危惧しているのが解散命令です。国会議員と関係を築いてきたのも、解散命令に至らないように動いてもらうためです。実際、関係の深い萩生田政調会長は、国会召集前日のNHK日曜討論で解散命令に難色を示しています」と解説しています。

日曜討論で萩生田会長は「この20年間、霊感商法について被害がないと認識していた」と釈明する一方で、解散命令については「難しい」と踏み込んだ発言を行なっていました。岸田総理らは「社会的に問題が指摘されている団体である」と認識していながらも、解散命令は信教の自由を持ち出して消極的な姿勢を貫いています。

しかし、解散命令が出ても任意団体として宗教活動は続けられ、信教の自由を奪う訳ではありません。ちなみに鈴木エイトさんは「私は旧統一教会に解散命令が出されるべきだと思っています。被害は数千億円規模に及んでいますから当然、命令の対象になり得ます」と明確に語っています。

7月末に投稿した多面的な情報を拡散する場として」の中では、下村文科大臣の時に名称変更が認められた経緯についての説明不足の不可解さを取り上げていました。解散命令に二の足を踏む姿勢をはじめ、このような自民党政治家の不可解さに対し、鈴木エイトさんは次のような見方を示しています。

首根っこをつかまれている国会議員が解散命令に前向きな姿勢を示せば、統一教会はその議員が困る情報をリークする可能性があります。各議員が解散命令についてどういう立場に立つのか、注視したい。解散命令に慎重な文科省や政治家は、なぜ統一教会が対象にならないのか、説明する必要があります。

上記のような見方は憶測も混じっているものですが、山際経済再生担当大臣の説明の不誠実さや迷走ぶりを目の当たりにすると鈴木エイトさんの見方の信憑性も増していくように思っています。もともと山際大臣の場合、閣僚としての資質を厳しく問わざるを得ない言動がありました。

参院選挙の応援演説での「野党の人からくる話はわれわれ政府は何一つ聞かない」という発言には心底失望していました。この発言に対して山際大臣は参院代表質問で「趣旨が明確に伝わらず」と釈明しながら野党議員に謝罪したようですが、趣旨云々の話ではないように思っています。

次に紹介する記事にも鈴木エイトさんが登場します。「ミヤネ屋」世耕氏に反論で「一瞬で論破」と話題 鈴木エイト氏が“一人もいません”発言に鋭い指摘』という記事で「旧統一教会と自民党」というタイトルを付けた関係上、興味深い内容ですので全文をそのまま紹介します。

前日の参院本会議での世耕弘成参院幹事長が「多額の献金等を強いてきたこの団体の教義に賛同する我が党議員は一人もいません」と旧統一教会との関係性を改めて否定した発言を報道。リモート出演していたジャーナリストの鈴木エイト氏が即座に否定し、ネット上で話題になっている。

世耕氏は6日の参院本会議で代表質問に立ち、「(旧統一教会は)『日本人は贖罪を続けよ』として多額の献金等を強いてきた」とし、「この団体の教義に賛同するわが党議員は一人もいません」と断言。

さらに「教団等が主張する一部の政策がたまたまわが党議員の政策と同一だったことはあるかもしれませんが、一宗教団体が政策決定に影響を与えることはありえません」と語っていた。

番組ではMCの宮根誠司が「『一宗教団体が政策決定に影響を与えることはありえません』、これが世耕さんの一番言いたかったことだと思う」と指摘。一方、リモート出演していた鈴木氏に「井上(義行)議員は“賛同会員だ”っておっしゃってましたよね?」と半笑いで話を振った。

教団との関係が最も濃い一人とされている自民党の井上義行参院議員は、8月3日に発表した文書で、「信徒ではなく、私の政策に賛同を得られたことから、一般的に『賛同会員』と呼ばれている」と公表。一方、同月31日に会員を退会したことも発表していた。

宮根の振りに対し鈴木氏は「少なくとも一人は賛同していたわけですよね」と賛同。また、「世耕さんのおっしゃることももっともだと思うんですけど、『その通り』という感想も持てるんですけど」とある種では支持できるとしながらも、「ではなぜそんな教団とこれだけ多くの政治家がコミットしてきたのか、それがポイントですよね」と苦言を呈していた。

たいへん長いブログ記事となっていますので全文は紹介できませんが、塚田穂高氏が語る 政治と宗教の関わり方「大票田は誤解。政策の浸透は甘く見てはいけない」』という記事も興味深い内容を伝えています。政教問題やカルト問題などの研究に取り組む上越教育大大学院准教授の塚田穂高さんが次のような見方を示しています。

大なり小なりはありますが、共通するのは教義を広めたい、教えに立脚して理想世界を実現したいというモチベーションです。並行して、社会的に認められた証しとしてのステータスを求める。目に見える成果を欲する。信徒獲得や施設拡充といった教勢拡大もそうですが、一環として政治家との付き合いや選挙活動が使われてきた。

宗教に限らず、社会運動というものは何かしらの結果を出し続けなければ継続できません。創価学会2代目の戸田城聖会長は選挙について「信心をしめるために使える」と言っていました。統一教会の場合は組織防衛の目的も重なり、与党の国会議員を手なずけ、権力に食い込み、政治力を手にしようとした。その点が特徴的と言えます。

繰り返し強調しなければなりませんが、旧統一教会と自民党政治家が歪な関係性を築き、政治的な意思決定が歪められてきたのかどうか決め付けることはできません。隠し続けなければならない実態が白日のもとにさらされることを警戒し、解散命令に及び腰なのではないかという見方も憶測でしかありません。

しかし、次のような経緯は明白な事実であり、長く政権与党を担っている自民党が率先して真摯に反省すべき点だろうと思っています。7月に投稿した記事参院選が終わり、見えてきたこと」の中で記していましたが、全国霊感商法対策弁護士連絡会が安倍元総理をはじめとする自民党の政治家に旧統一教会との親密な関係に警鐘を鳴らしていました。

「政治家として配慮いただきたい、ということを繰り返しお願いしてきた」安倍元総理の銃撃事件、旧統一教会の記者会見を受け、全国霊感商法対策弁護士連絡会が声明』という記事の中で、弁護士連絡会の山口広事務局長が自民党側に次のような実情の問題性について繰り返し訴えてきたことを伝えています。

私どもとしては安倍晋三先生にも、他の政治家に対しても、何回も統一教会の社会悪を考えたら、反社会的団体である統一教会にエールを送るような、そういう行為は止めていただきたいと。どんなに被害者が悲しむのか、苦しむのか、絶望するのか。しかも、新しい被害者がそれによって生み出されかねないということについて、政治家として配慮いただきたい、ということを繰り返しお願いしてきた。

しかし、残念ながら反共ということに共感を持つ議員の方々、あるいは統一教会のお金が最初は目的だったかもしれない。今回の選挙でも、あるいはその前の選挙でも特定の自民党の候補者を組織推薦候補として応援をし、信者組織の動員をかけてやってきたことを私どもは事実として認識している。

それにも関わらず、明確な峻別をはかっていなかったことの政治責任は極めて重かったものと考えています。このような抗議があること、旧統一教会との関係性の問題などを党内で周知や注意喚起をはかれていなかったことは自民党という組織のガバナンスも欠けていたものと思っています。

与野党問わず、多くの政治家が旧統一教会の現状に対する認識や問題意識を欠落させていたようです。民意を背にした政治家という重責を担う立場であれば旧統一教会の問題に対して敏感であって欲しかったものと思っています。いずれにしても過去は変えられませんので、2世信者だった小川さゆりさんらの切実な声を受けとめた政治が今後実現していくことを強く望んでいます。

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2022年10月 9日 (日)

時事の話題から思うこと、2022年秋

前回記事「安倍元総理の国葬 Part2」の中で、いろいろな「答え」を認め合いいがみ合わないことの大切さを当ブログを通して訴え続けている点について記していました。自分自身の「答え」が正解であり、相手の「答え」が間違いだと考えると、交わす言葉も激しくなりがちです。

自分自身の「答え」が正しいと信じるのであれば、異なる「答え」を持つ方々にも届く言葉を探していかなければなりません。対立の果てに生じかねない物理的な力による応酬は絶対避けるべきものであり、言葉を競い合っていくことが不可欠です。

対立の果ての絶対許されない行為として殺人、テロ、戦争という非日常の事態につながる恐れがあることも絵空事ではありません。そのためにも立場や考え方を異にする方々に対しても敬意を忘れないことが肝要なのではないでしょうか。

このような点について前回記事の中で記していましたが、少し補足する必要があることを思い起こしています。今回の記事では様々な時事の話題を紹介しながら前回記事の補足につながる内容として、私自身が思うことを書き進めさせていただきます。

まず「怒ってる…真剣な表情初めて見た」炎上続く太田光の旧統一教会発言、デーブ・スペクターの追及に賞賛相次ぐ』という見出しの記事です。爆笑問題の太田さんの発言は旧統一教会を結果的に擁護しているという批判に対し、太田さん本人の言い分や批判されている理由が綴られています。

太田さんの言い分は旧統一教会側の意見を代弁している訳ではなく、旧統一教会側の主張も含めて「両方報道するべきだって僕は思ってて」というものです。番組に出演していたデーブ・スペクターさんは太田さんの言い分に対して次のように反論しています。

でも太田さん。もう毎週同じことを言って恐縮なんですけど、やっぱり公平も白黒もないんですよ、この場合は。50年前も有田さん言ってるように、説得するための大変さとか、現場は知ってる人と違うんです。太田さん忙しいからあんまりテレビとかみんなのツイートとか読んでないかもしれないけど、昨日の報道特集見ました?

TBSの報道特集で取り上げられていた息子を脱会させようとする父親の姿を語りながら「このつらいもの見れば、太田さんが少しでも今までのような言い方しないんですよ」と声を荒らげ、デーブさんは旧統一教会の問題を生半可な知識で「両方報道するべき」と語る太田さんの軽率さをたしなめていました。

番組では、2ちゃんねる開設者の「ひろゆき」こと西村博之氏が「『ひるおび!』と『ミヤネ屋』(日本テレビ系)が統一教会に訴えられて、なんで『サンジャポ』が訴えられてないの? それは統一教会にとって、そのまま続けてほしいからだと思うんですね、太田さんが今のやり方をずっと続けてくれるのは、統一教会にとってはすごくラッキーなんだと思う」と指摘した。

上記は『爆笑問題・太田光、改めて「旧統一教会寄り」を否定も…教団が「信頼できる人」として信者に紹介』の中で伝えている話です。太田さん本人が関係性を否定しても、旧統一教会側は太田さんに歓迎すべき「広告塔」の役割を負わしているようです。『爆笑問題・太田が統一教会の御用芸人になった理由が判明。有田芳生氏も困惑、サンジャポで自白した「ウソと屁理屈の発信源」とは?』の中では次のような記述があります。

「テレビは白か黒かにしたがる」「統一教会問題は白か黒かでは語れない」といった発言と恐ろしいほどに一致する。部分的に見れば、善悪二元論に危険性が潜んでいるのは事実だ。この世界は白か黒か、善か悪かで推し量れるほど単純なものではないだろう。だが米本氏も、それに心酔する太田も、統一教会の教義こそ危険な二元論の典型であるという根本の問題から目を逸らしているようでは片手落ちだ。

カルト宗教問題を扱うジャーナリストの米本和広さんは、ある時点から旧統一教会側に取り込まれて「統一教会の御用ライター」に成り下がっていると見られている人物です。ちなみに「片手落ち」は差別用語でありませんが、なるべく使わないほうが望ましい言葉であることについては留意しています。

他のサイトの紹介が長くなりましたが、より望ましい「答え」を見出すためには多面的な情報に接していくことが重要であり、いろいろな「答え」を認め合っていくことが欠かせないという考え方は大きく変わりません。ただ明らかに問題がある「答え」に対しても、正しさが含まれているかも知れないと認め合う考え方ではありません。

主張や意見が対立した際、立場性や評価の相違によって生じている場合などは「そのような見方もあるのか」という視点の切り替えが必要だと思っています。しかし、相手側には相手側の理屈があったとしても、明らかに正しさが認められない「答え」に対しては毅然と相手側の誤りを指摘していかなければなりません。

したがって、相手側の主張も含めて「両方報道するべき」という太田さんの言い分は一般論として大切な発想ですが、今回のような旧統一教会の問題に照らした場合は出演者から強く批判されても仕方ない言動だったものと思っています。

明らかに問題がある事例として、違法行為はもちろん、誹謗中傷もその一つだと考えています。以前「批判意見と誹謗中傷の違い」という記事を投稿していました。いくつか他の記事でも取り上げていましたが、事実誤認のまま断定調の批判だった場合、誹謗中傷に当たるものと考えています。

玉川徹氏、菅前首相の弔辞に「電通」発言で全面謝罪も止まぬ批判、テレビ朝日内もザワつく“玉川発言”が犯した「3つの過ち」』という記事のとおり菅前総理の弔辞に対し、玉川さんの電通の関与を決め付けた批判が物議を醸していました。前回記事の中でも記したとおり玉川さん自身が自分の勇み足や思慮不足を猛省しなければなりません。

断定調ではなく、もう少し婉曲な言い方であれば、ここまで叩かれなかったかも知れません。ただ『玉川徹が処分されるなら貴方たちは? 玉川を攻撃する橋下徹、三浦瑠麗、ほんこんのもっと悪質なデマを垂れ流した過去』『玉川徹氏〝舌禍〟を国会追及の動き 江川紹子氏は苦言「BPOに申し立てればよい」』というような見方があることも紹介します。

権力者にとって都合の良い事実誤認の発言は大きな問題に至らず、権力者や政治家を批判した時に事実誤認があった場合、謝罪しても許されず、過度な処分が下されるようでは問題です。当たり前なこととして誹謗中傷は認められませんが、今後、権力側を批判する時の舌鋒が鈍くなる転機にならないよう願っています。

いろいろな「答え」を認め合い、立場の違いを乗り越えていく必要性は外交の場でこそ発揮していくことが求められています。最近のトピックとして、朝日新聞の記者だった鮫島浩さんの『宇宙空間を飛んでいく北朝鮮ミサイルに大騒ぎする日本政府とマスコミへの既視感』という記事に目を留めています。

その記事からも読み取れる安全保障に関わる考え方ですが、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。核ミサイルが日本国内に落とされた時の備えよりも、撃たせないための外交努力に力を注ぎ、相手側の「意思」を取り除くことが脅威を解消していくための最も重要な道筋だろうと思っています。そのためには相手側の言い分に耳を貸すという姿勢も欠かせないはずです。

しかし、ロシアのウクライナへの軍事侵攻は、いかにロシア側にはロシア側の言い分があろうとも明らかな誤りであり、戦争状態に至っている中で耳を貸すことが難しくなっています。侵略戦争の結果を受け入れるような外交交渉は、これまで培ってきた国際社会の規範が蔑ろにされる既成事実化につながりかねません。軍事侵攻前と後では局面が大きく変わっています。

このような意味合いを考えた時、『鈴木宗男氏、広島・長崎例にウクライナに停戦求める ネット「攻めてるのはロシア」』『鈴木宗男氏 マスク氏の“ロシア寄り”和平案に「世界中から停戦に向けた動きが出ていることを歓迎」』という報道を目にすると、日本維新の会の鈴木宗男参院議員のロシア寄りの姿勢にはいつも驚かされます。

最後に、冒頭で「対立の果ての絶対許されない行為として殺人、テロ、戦争という非日常の事態につながる恐れがあることも絵空事ではありません」と記しています。このような悲劇に至る前の段階で、いろいろな「答え」を認め合い、いがみ合わない関係性を重視しながら言葉を競い合っていくことが極めて大切なことだろうと思っています。

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2022年10月 1日 (土)

安倍元総理の国葬 Part2

火曜日、安倍元総理の国葬が執り行なわれた日の夜、自治労都本部の中央委員会が開かれていました。中央委員会の議長は各単組の委員長が持ち回りで務めています。今回、私が依頼され、最後の役目としてその任を引き受けていました。

議事は滞りなく進み、執行部の提案した議案はすべて承認を得ています。議長退任の挨拶の際、11月11日の定期大会をもって、青年婦人部の幹事時代から数えると40年ほど務めてきた組合役員を退任することも申し添えています。

自治労運動を通し、たいへん貴重な経験や交流をはかれてきたことの感謝の言葉とともに時節柄、率直に思うことを一言付け加えています。安倍元総理の国葬にあたり、岸田総理は「丁寧な説明をする」と表明してきましたが、言葉だけ丁寧に同じ内容を繰り返すことが丁寧な説明ではありません。

組合の活動も同様です。組合員の皆さん、さらに組合に加入されていない皆さんに向け、結論の押し付けではない「なぜ、この取り組みが必要なのか」という共感を得られるための丁寧な説明を常に意識していかなければ自治労運動の広がりも難しくなります。

私自身、組合役員を退任しますが、これからも一組合員として、OBの一人として自治労運動を下支えしていければと考えています。今回、多くの皆さんに挨拶できる貴重な機会を得られていましたので、このような言葉を中央委員会議長退任時の挨拶に添えさせていただきました。

中央委員会が終わった後、名刺交換した自治労都本部の副委員長から熱い言葉で「ブログをずっと見ています」とお声かけいただきました。最近のアクセス数は以前に比べると減っていますが、このような言葉に触れられることがブログを続けていくことの大きな励みにつながっています。

さて、前回記事が「安倍元総理の国葬」でした。今回の記事タイトルは少し迷いましたが、結局のところ「Part2」として書き進めています。安倍元総理の国葬後、様々な報道や論評を目にしています。興味深い記事を紹介しながら私自身の思うことを書き添えていきますが、前回記事でも触れた「社会の分断」という言葉を軸にした内容となります。

まず『国葬じゃなかった? 後継者争いのアピール? 専門家2人どう見た』という見出しの記事です。日本武道館近くの一般向けの献花台には2万人以上が訪れた一方、反対する集会が各地で開かれ、会場周辺でデモ行進があったことを伝えた上、日本近代史を専攻している中央大学の宮間純一教授の言葉を紹介しています。

国民が分断している状況が目に見えるような形で表現されたのは、日本の国葬の歴史では初めてでした。国葬は本来、国民を一つにまとめようとする性格を持っているのに、逆に分断を招いてしまいました。

政府は判断の責任を負いたくないから、あいまいにした。その結果、国葬の体裁をなさなくなった。国民に丸投げ状態で、踏み絵を踏まされるような自己責任の催しとなりました。

「一つの価値観を押し付けないでくれ」という考えを持つ人がたくさん出てきた。自由主義が尊重されている健全な社会だということを皮肉にもあらわした。全体主義の国家や戦前の日本のような天皇制国家だと国葬は機能しますが、今の日本で、ただ対立を生んだだけのイベントでした。

開催を巡り国論が二分される中、宮間教授は「今回のは国葬じゃなかったと思います。自由参加にしかできない中で断行した結果、ただの内輪で集まっているお別れ会のようだった」と評していました。

この男はまだ枯れていない…菅義前首相の大絶賛の「弔辞」に見え隠れした「言外のアピール」』という記事のとおり菅前総理の弔辞も注目を集めました。『「電通発言」で全面謝罪の玉川徹氏  政治記者は「これまでの失言よりはるかに問題」』という一件は、玉川さん自身が自分の勇み足や思慮不足を猛省しなければなりません。

ただ『ウーマン村本大輔、菅義偉前首相の国葬のスピーチに「原爆の日のスピーチは読み飛ばししたよね」』という記事もあるとおり菅前総理のそれまでの発言の数々を思い浮かべると、他者の関与を決め付けてしまった玉川さんの見方も分かる気がします。ちなみに村本さんは次のようにツイッターで語っていました。

あなたの安倍さんへのスピーチは素晴らしい。でもね。広島の原爆の日のスピーチは読み飛ばししたよね? あなたは自分が好きな人には心込める。だけど広島への想いは読み飛ばしする。大好きな安倍さんへのスピーチは心がある。あなたは政治家、この国に住んでるみんなに心を持ってほしい。

国葬めぐる「サイレント・マジョリティー議論」の空虚、「賛成か反対か」本当の静かなる多数派は誰なのか』という報道もあり、前述した「社会の分断」という傾向を懸念しています。3年前のブログ記事「最近の安倍首相の言動から思うこと」などを通して記してきたことですが、安倍元総理ほど極端に評価の分かれる政治家は稀だったように思っています。

改めて言葉の重さ」という記事の中では、人によってドレスの色が変わる話を紹介していました。ドレスの色が白と金に見えるのか、黒と青に見えるのか、人によって変わるという例示は、安倍元総理の評価や見方が人によって本当に大きく変わりがちな傾向と重ね合わせていました。

【“安倍政治”の功と罪】ジャーナリスト斎藤貴男「日本社会を根底から腐らせた」』『私が安倍元総理の国葬に反対する理由…「嘘が通る社会」をつくったのは誰か(三枝成彰)』という記事内容からは安倍元総理に関わる問題点が伝わり、まったく国葬に値しない政治家だったものと考えがちです。

一方で『【激論】高橋洋一VS古賀茂明 「安倍国葬問題」は岸田政権に“とどめ”を刺してしまうのか?』『【国葬前日・緊急続編】国葬賛成の月刊『Hanada』編集長の論理を、リベラル派ジャーナリストが問う【花田×斎藤 左右ガチンコ対談】』という記事からは、国葬を推奨する立場の方々の考え方に触れていくことができます。

より望ましい「答え」を見出すためには、多面的な情報に接していくことの重要さを訴え続けています。それでもお互いの主張が真っ向から対立したまま歩み寄れない場面も数多く生じていくはずです。自分自身の「答え」が正解であり、相手の「答え」が間違いだと考えると、交わす言葉も激しくなりがちです。

しかし、いろいろな「答え」を認め合いいがみ合わないことの大切さも当ブログを通して訴え続けている点です。完璧に実践できているかどうか分かりませんが、自分自身が綴る文章に関しては、基本的な考え方や視点の異なる立場の方々から感情的な反発を招かないように言葉や記述の仕方にいつも注意しています。

安倍元総理の言動を批判する時も、「批判ありき」や「批判のための批判」だと見なされるような書き方にはならないように心がけてきました。コメント投稿の際、皆さんにお願いしている関係上、私自身が率先垂範するためにも誹謗中傷の類いとなる言葉を使わないように注意してきました。

例えば「精神的自由と経済的自由」という記事の中で、安倍元総理の言動について次のように論評しています。ちなみに蛇足ですが、このブログの中で以前は総理でなく、首相という呼称を使っていました。

安倍首相は「(出演した報道番組の中で)私の考えをそこで述べるのは、まさに言論の自由だ」と言い切っています。この件で国会質問を受けた際、安倍首相は「番組の人たちは、それぐらいで萎縮してしまう。そんな人たちなんですか? 情けないですね」という反論を加えています。

表現の自由や言論の自由は国民に与えられている権利であり、権力者である安倍首相はそれらの権利を保障させていかなければならない立場です。安倍首相も国民の一人ですから「私にも言論の自由がある」という主張も分からない訳ではありませんが、自分自身が権力者であるという理解不足を露呈させているように見受けられてしまいます。

自分自身の「答え」が正しいと信じるのであれば、異なる「答え」を持つ方々にも届く言葉を探していかなければなりません。対立の果てに生じかねない物理的な力による応酬は絶対避けるべきものであり、言葉を競い合っていくことが不可欠です。そのためにも立場や考え方を異にする方々に対しても敬意を忘れないことが肝要なのではないでしょうか。

このようなことを考えていくと「社会の分断」が対立を招きがちな傾向を非常に憂慮しています。安倍元総理の国葬に対して賛否が大きく割れたことは確かであり、将来的な国葬のあり方について一つの「答え」を見出していく機会としなければならないのかも知れません。

しかし、そのような議論が「社会の分断」をさらに加速させるようなことだけは避けなければならないはずです。自民党の中でも穏健な派閥を継ぐ岸田総理には今回の問題を教訓化し、くれぐれも「社会の分断」を広げるような政治手法には自制的であって欲しいものと願っています。

最後に国葬反対派と対話したい」と呼びかけに応じて…花田紀凱、小川栄太郎両氏と対談した』という記事を紹介します。その中で、次のような言葉が印象深く、今回の記事を通して綴ってきた私自身の問題意識につながる考え方だと思っています。

歩み寄りなんかできなくたっていい。無理に妥協点を見いだす必要もない。一度でも会って話をすれば、そう簡単には相手を罵倒したり、せせら笑ったりしにくくなる。今の世の中、それだけでも素晴らしくはないか。切り裂かれてしまった社会が、一歩ずつでも包摂されていくような気がしてくる。そうならなければ嘘だ。

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2022年9月24日 (土)

安倍元総理の国葬

前回記事「平和や人権の新たな組合方針」に掲げた方針案は、その後の議論を経て若干補正した内容を火曜日に発行する『組合ニュース』最新号で組合員の皆さん全員にお示しする運びとしています。どのような手直しがあったのか、機会を見て当ブログの中でもお伝えさせていただくかも知れません。

今回の記事は9月27日に執り行なわれる安倍元総理の国葬の問題を取り上げます。以前に比べるとお寄せいただくコメントの数は激減しています。そのような中ですが、最近自治労大会の話、インデックス」と前回記事に対し、安倍元総理の国葬絡みのコメントが続いていました。

9月3日に投稿した「自治労大会の話、インデックス」の中では国葬について次のように触れていました。長い引用となりますが、このような私自身の問題意識は現在も変わらないため、参考までに関連した箇所の全文をそのまま紹介させていただきます。

まず国葬について、賛成か反対かと問われれば様々な問題が懸念されているため反対と答える立場です。その上で、いくつか思うことがあります。岸田総理は国葬とは言わず、必ず国葬儀と表現しています。この違いは岸田総理らにとって非常に大きいようです。

批判を受けている理由の一つに「国葬令は廃止されているため法的根拠がない」というものがあります。ただ今回は内閣の閣議決定で執り行なう「国の儀式」に位置付けているため、ことさら国葬儀という言葉を使っているのではないでしょうか。

この決定が発表された7月14日の時点では、泉代表も「静かに見守りたい」という談話を示していました。その段階で岸田総理らが野党に対しても丁寧な説明や合意形成をはかっていれば、ここまで野党側が声高に反対することも難しくなっていたのかも知れません。

そもそも慣例化していた内閣と自民党との合同葬だった場合も、半分は税金が投入されてきました。中曽根元総理に対する評価も人によって大きく異なっていましたが、今回のような反対運動の盛り上がりは見られていません。仮に合同葬だったとしても海外からの要人の参列は可能だったと言われています。

わざわざ前例を破り、国葬に模した国葬儀にしたことで大きな物議を醸すことになりました。さらに旧統一教会と安倍元総理らとの関係性が取り沙汰されるようになり、ますます国葬に対する逆風は強まっています。

政治ジャーナリストの後藤謙次さんは岸田総理の「国葬で政権に勢いが付くと考えていたんですが…」という思惑の誤算を指摘しています。『国民に歓迎されると思ったのに…「国葬」即断で岸田首相が犯した大きすぎる「2つのミス」』という報道も目にしていますが、今さら中止にすれば別な方面からの批判や大きな混乱が見込まれるため岸田総理は八方塞がりの状態だと言えそうです。

自治労大会で、川本委員長は「国葬に関する基準は不明確。国会を軽視して一方的に閣議決定したことは極めて問題だと言わざるを得ない。反対の声が日に日に高まっている。国民に事実上弔意を強制することは、憲法が定める思想信条の自由を侵害するものであり、断じて認められない」と批判しています。

連合の芳野会長の出席の判断に際し、れなぞさんから自治労の態度を尋ねるコメントが寄せられていました。私からは、連合中央執行委員会で「国民の理解が得られていない」「閣議決定だけで行なわれるのは問題だ」などとして欠席を求める意見を示した一人が会長代行を務めている川本委員長だろうとお答えしていました。

前回記事「平和や人権の新たな組合方針」のコメント欄でも、やはりT川良いところさんから芳野会長の出席を疑問視するコメントが寄せられました。私自身の所見も問われたため、取り急ぎ次のようにお答えしていました。

野田佳彦元総理が出席される意向を示したことに対し、立憲民主党の原口一博衆院議員がツイッターで「人生観…。それよりも法と正義が優先する。国葬儀は、憲法にも反し法的根拠もない。私たちは国権の最高機関にいる。国葬儀は、参列不可なのだ。個人を優先するなど私にはできない」と批判しています。

違法性が問われているのにも関わらず、出席することは確かに大きな問題だと思っています。できれば芳野会長にも出席を見合わせる判断を下して欲しかったものと考えています。

T川良いところさんからは具体的な質問も重ねられていましたが、個人的な思いだけで即答できないお尋ねもあり、深掘りすべき点とともに次回以降の記事本文の中で改めて取り上げることをお伝えしていました。今回、ネット上で目にした興味深い報道や識者の見解を紹介しながら書き進めていきます。

AERA dot.では「国葬を考える」特集を続け安倍元首相の国葬「法的根拠なく国費で開催」専門家が問題視 実施理由「功績」に疑問も』『安倍元首相の国葬は「民主主義と相容れない」 宮間純一教授と歴史から国葬を考える』という見出しの記事を配信しています。

今回、法律がない中、どうやって国葬を実施するのか。政府が唯一示す法的根拠が、2001年に施行された「内閣府設置法」だ。同法は、内閣府の所掌事務(基本的な仕事)を定めたもの。その第4条3項33号に、内閣府の所掌事務として「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」との規定がある。

「国葬」と明記されていないが、政府はこの条文を根拠に、国葬を「国の儀式」と定義した。だが、成蹊大学の武田真一郎教授(行政法)は、内閣府設置法は国葬を実施する法的根拠にはならないと指摘する。

内閣府設置法は、役所を設置して、所掌事務を割り当てることを目的としている。所掌事務というのはその役所に割り当てられた仕事を例示しているだけで、その仕事を具体的に実施する権限を付与しているわけではない。具体的な権限行使のためには、別に法律の規定が必要だと解されている。

もう一つの記事では、歴史学者で国葬の歴史を研究する中央大学の宮間純一教授の見解を紹介しています。宮間教授は安倍元総理の国葬が発表された時に「まず驚いた」と振り返っています。さらに下記のような見方を示され、今回の国葬が民主主義を壊す一つのステップになることを懸念されています。

国葬は国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見・思想を抑圧しうる制度。戦後日本の民主主義とは相容れないもの。大日本帝国の遺物で、現在の日本には必要のないものと考えています。それを今、再現させるのはどういうことなのか。岸田首相はじめ国葬を決定した人たちは、その点を検証していないのではないかと思います。そういう意味でとても怖い。

オバマも不参加、党内部からも反対派が…国葬強行で安倍元首相の“顔に泥”塗った岸田首相の勇み足』という見出しの記事では「岸田首相の国葬強行を批判するのは国民だけではない。政治家の政策立案について合理性や妥当性を検討する衆議院法制局と衆院憲法審査会事務局も待ったをかけているのだ」とし、下記のような事実関係も伝えています。

東京新聞の報道によると、同局らは先月、憲法の趣旨を踏まえると「(国葬実施の)意思決定過程に国会(与党及び野党)が『関与』することが求められていると言えるのではないか」との見解を示していたという。これは、国会での審議を経ず、閣議決定のみで国葬を実施しようとしている岸田首相に疑義を呈した形だ。

その記事では、国葬の実施に当たって再三「弔問外交」の価値を強調していながらG7からの首脳級の参列はカナダのトルドー首相のみになっていることを伝えています。安倍元総理と友好関係を築いてきたと言われているトランプ前大統領やオバマ元大統領らが参列しないという結果は「その程度の関係性だったと思われても仕方ありません」と評していました。

今年2月の記事「多面的な情報の大切さ Part2」の中でも記していましたが、岸田総理が「聞く力」をアピールされていたため、幅広い情報を踏まえながら穏健な政策判断が重ねられていくことを期待していました。しかし、残念ながら『岸田首相「国葬をやるなんて、誰が言いだしたんだ」と嘆く! 国民の批判から逃げた“証拠文書”を入手が伝えているとおり偏った「聞く力」にとどまっているようです。

安倍さんが亡くなった直後は、内閣と自民党の合同葬を開く方向で話が進んでいました。それを巻き戻したのが麻生太郎副総裁で、“保守派が騒ぎだすから”と、岸田さんに3回も電話をしたそうです。最後は『これは理屈じゃねんだよ』と、強い口調だったといいます。国葬実施の方針が決まったのは、7月14日の会見の1時間前でした。

ネット上では「安倍氏の国葬、お金かかって反発されるし、それなりのクラスの弔問者が集まらないと面目も潰れるし、結果安倍氏のイメージ低下をアシストするだけなのでは」「安倍さん、何だかかわいそうだな。国葬強行によって国民の半数くらいからヘイト集められてるじゃないか」と岸田政権の判断ミスを批判し、安倍元総理を同情する声も多く見受けられるようになっています。

安倍元総理を評価する上で、朝日新聞の記者だった鮫島浩さんの記事『エリザベス女王と安倍元首相の「国葬」を対比して考える〜権力と権威の境界があいまいになった戦後日本の統治システムの危機』の内容が非常に興味深く、私自身の思いと重なる点が多々あります。

私が安倍元首相の国葬に反対する最大の理由は、日本社会の分断を招き、国家の連帯感や国民の統合をむしろ毀損するからである。それではなぜ安倍元首相の「国葬」への反対がここまで強いのか。

安倍元首相が権力私物化を重ね、虚偽答弁を重ねたこと。アベノミクスが格差を拡大させたこと。旧統一教会と自民党との歪んだ関係を増幅させた張本人であることーーさまざまな理由があろう。

だが最大の理由は、安倍元首相という政治家の存在が国論を二分し、社会を分断してきたからだと私は考える。そもそも安倍元首相の政治手法が「敵と味方」を二分し、敵には厳しく味方には甘いものだった。

選挙の街頭演説で自分を批判する人々に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉を浴びせたのは、社会の分断を煽って支持を引き寄せる政治手法を象徴するシーンだった。安倍政治の本質は「社会の分断」にあったのだ。

安倍元総理が意識的に「社会の分断」を煽ってきたとは考えていませんが、結果的にそのような対立構造が際立ちがちな政治を進めてきたものと受けとめています。まさかご本人は理不尽な死を強いられた後も、このように「社会の分断」を招く火種を残すとは夢にも思っていなかったのではないでしょうか。

様々な問題点が浮き彫りになっていますが、違法かどうかグレーゾーンのまま政府は国葬を押し切ろうとしています。そもそも違法だと断定されるのであれば議論の余地はなく、即時に中止を決めなければなりません。しかしながら内閣府設置法による「国葬儀」であり、かつての国葬とは異なり、実質は内閣葬という解釈を貫いているようです。

このような位置付けであり、自治体の対応は分かれがちです。NHKの報道『安倍元首相国葬 自治体調査 半旗掲げる?参列は?』によると、庁舎などで弔意を示す予定があるか聞いたところ、47の都道府県と20の政令指定都市のうち57の自治体が半旗や弔旗を掲げると回答しています。思ったよりも対応する自治体が多いという印象です。グレーゾーンである限り、やむを得ない結果なのかも知れません。

ここまで私自身が興味深く感じたサイトの内容を紹介しながら深堀りしてきました。安倍元総理の国葬に反対する立場から賛成している方々に向け、このような問題性があるという情報発信を意識した記事内容としています。

いつも心がけている点ですが、反対という結論の押し付けではなく「なぜ、反対なのか」という多面的で丁寧な説明が欠かせないものと考えています。立場や考え方が異なる方々に対して「なるほど」と思わせるような言葉を探しながら、このブログの記事本文と常に向き合っています。

最後に、もう一つ『連合会長「安倍氏国葬出席」が波紋 政府に恨み節も』という記事を紹介します。違法性が問われている中、組織として対応を決めた場合、構成員はその決定に従わなければなりません。しかし、出席しないという対応を決定していない限り、出席する芳野会長を必要以上に批判することは組織にとってマイナスでしかありません。

自治体に対しても同様です。半旗や首長の国葬出席など自治体個々の対応について批判することも懐疑的です。弔意が強要され、従わない職員が罰せられるような事態に至った場合は労働組合として絶対看過できません。そのような事態は起こり得ないと見込んでいますが、個々人の判断に裁量が認められている限り、賛否を伴う判断はそれぞれ尊重されなければならないはずです。

いずれにしても「政府が世論を分断する形で国葬を強行するからこうなる」と嘆くよりも「社会の分断」を広げ、憲法や法律を都合良く解釈しがちだった安倍元総理の政治手法、それを引き継いでいる岸田政権の問題点こそ、徹底的に追及する機会にすべきものと考えています。

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