2017年8月12日 (土)

会計年度任用職員

このブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していないことは機会あるごとにお伝えしています。最近では「改憲の動きに思うこと Part2」の冒頭で記していました。日常活動の中で職場課題を軽視している訳ではないことを皆さんからご理解いただいているものと思っていますが、久しぶりに今回、労働組合の本務に関わる話題を書き進めていきます。まずは先週火曜、人事院勧告が示されました。

人事院は8日、2017年度の国家公務員一般職の月給を平均631円(0.15%)、ボーナス(期末・勤勉手当)を0.10カ月分それぞれ引き上げるよう国会と内閣に勧告した。月給・ボーナス双方の引き上げは4年連続。民間の賃上げの動きの鈍化を受け、月給の上げ幅は16年度の平均708円を下回る。政府は勧告を受け、給与関係閣僚会議で勧告通り引き上げるかどうかを決める。勧告は民間と国家公務員の給与水準をそろえるのが目的。勧告の基準となる「民間給与実態調査」を実施し、民間が国家公務員の水準を上回った。

月給は今年4月時点、ボーナスは16年冬と17年夏が対象だ。ボーナスの年間支給月数は4.40カ月分になる。勧告対象は国家公務員だが、人事院勧告に沿って改定される地方公務員にも影響する。財務省や総務省の試算では勧告通り引き上げた場合、国家公務員で約520億円、地方公務員で約1370億円が必要になる。このほか、非常勤職員の待遇改善に向けて、忌引や結婚などの休暇を取りやすくするよう検討することなども報告した。【日経新聞2017年8月8日】

民間賃金相場の反映である人事院勧告が引き続き上昇トレンドであり、今のところ勧告内容を凍結するような動きがないことも歓迎しています。現政権の働き方改革実現会議の中で「同一労働同一賃金など非正規雇用の処遇改善」を最も重要な目的としていることなど評価すべき点は率直に評価するように心がけています。仮に「安倍政権だから何でも反対」というスタンスだった場合、反対意見や批判内容の説得力が低下してしまうように危惧しています。

もしかすると「ご都合主義」という批判を招いてしまうのかも知れませんが、「誰が」や「どの政党が」に重きを置かない思考方法としてご容赦ください。労働組合の本務に関わる話題と前置きしながら、いつも述べているような話にそれ気味で恐縮です。さて、上記報道のとおり人事院勧告に絡む報告の中でも非常勤職員の待遇改善が課題とされています。今年3月に「非正規雇用の話、インデックスⅡ」という記事を投稿していますが、私どもの組合は多くの非常勤職員の皆さんが同じ組合員として様々な活動を進めています。

その一つとして、7月13日夜に会計年度任用職員に関する学習会を開き、70名ほどの参加を得られていました。講師は自治労中央本部の組織拡大局長にお願いしました。局長ご自身、非常勤職員として公立の図書館に勤務されていた方です。自治労での任務が非常勤職員の組織化であり、今回の法改正に際しては総務省の担当者らとの交渉窓口としてたいへん尽力されていました。今回、講師から伺ったお話や配付された資料をもとに会計年度任用職員の概要等を説明させていただきます。

教育、子育てなど増大する行政重要に対応するため、地方公務員における臨時・非常勤職員数は増加の一途をたどっています。地方公務員法3条3項3号を根拠に採用されている事務補助職員は全国で22万人に及びます。首長や委員等と同じ法的な位置付けになるため、特別職非常勤職員には一時金など手当支給に制限が加えられていました。本来、特別職とは首長や委員等の専門性の高い職であり、地方公務員法が適用されず、守秘義務や政治的行為の制限などの制約も一般職と異なっています。

このような現状を受け、総務省は地方自治体の非常勤職員の待遇を改善することを目的とし、明文規定がなかった非常勤職員の採用方法と任期などを明記する法律を準備してきました。今年5月に地方公務員法及び地方自治法の一部が改正され、今後、臨時・非常勤職員が一般職・特別職・臨時的任用の3類型に明確化されます。一般職の非常勤職員である会計年度任用職員の規定を新たに設け、手当支給等を可能とします。概要は次のとおりで施行日は2020年(平成32年)4月1日です。 

■ 地方公務員法の一部改正 【適正な任用等を確保】

  1. 特別職の任用及び臨時的任用の厳格化 ①通常の事務職員等であっても、「特別職」(臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員等)として任用され、その結果、一般職であれば課される守秘義務などの服務規律等が課されない者が存在していることから、法律上、特別職の範囲を、制度が本来想定する「専門的な知識経験等に基づき、助言、調査等を行う者」に厳格化する。②「臨時的任用」は、本来、緊急の場合等に、選考等の能力実証を行わずに職員を任用する例外的な制度であるが、こうした趣旨に沿わない運用が見られることから、その対象を、国と同様に「常勤職員に欠員を生じた場合」に厳格化する。
  2. 一般職の非常勤職員の任用等に関する制度の明確化 法律上、一般職の非常勤職員の任用等に関する制度が不明確であることから、一般職の非常勤職員である「会計年度任用職員(※)」に関する規定を設け、その採用方法や任期等を明確化する。 ※フルタイムとパートタイムがあり、前者は給料及び旅費、各種手当を支給、後者は報酬及び費用弁償、期末手当を支給する。

■ 地方自治法の一部改正 【会計年度任用職員に対する給付を規定】 会計年度任用職員について、期末手当の支給が可能となるよう、給付に関する規定を整備する。

講師のお話を伺い、このブログに何回かコメントをお寄せくださった一生非正規さんのことが思い浮かびました。今年2月の記事「非常勤職員制度見直しの動き」の中で、一生非正規さんから「雇い止めされそうです 助けて下さい」という悲痛なコメントがあったことを紹介しました。今回の法改正によって新たな根拠で採用しなければならないため、特別職非常勤職員という法的な位置付けで採用された方々が雇い止めを強いられるような動きを警戒していました。

学習会では総務省自治行政局公務員部のまとめた「会計年度任用職員制度の導入等に向けた事務処理マニュアル(案)」に沿った報告や説明が加えられました。そのマニュアルは自治労が要望した事項の大半が反映されているとのことで、全体を通して講師からは前向きな提言や情報提供が示されていました。雇い止めの心配は講師から競争試験によらず、選考で採用できるという説明を受けました。

それまでの勤務実績等を考慮し、特別職非常勤職員として採用された方々、全員がそのまま会計年度任用職員に移行できるようになっていることを把握できました。さらに「会計年度」という名称から1年ごとの雇い止めが強まるような懸念もありました。そのことに関しても名称は変えられませんでしたが、任期1年と定められていても更新は妨げられないという説明を受けています。

フルタイムとパートタイムの線引きが明確化されていますが、パートタイムに対しても自治体独自にフルタイムと同様な手当支給の道も開けているとのことです。現在雇用されている非常勤職員の方々にとって待遇を大きく底上げできる絶好の機会だと理解できました。しかしながら一方で、実際に支給するためには各自治体での条例改正が必要とされています。確かに期待や可能性は大きく広がっていますが、画餅にならないよう2020年4月の施行に向け、各自治体や団体の組合の力量が問われているようです。

具体的にどのように変わるのか、組合としてどう対処していくのか、学習会の後、私どもの組合として次のような点を確認しました。参考までに組合員向けのニュースに掲げた内容をご紹介します。今後、労使交渉で早期に大枠の方向性を確認し、よりいっそう当該の組合員の皆さんと連携を強めながら法改正に対処していきます。最後に、お忙しい中、講師を引き受けていただいた組織拡大局長、分かりやすい説明と勇気付けられるご提起、たいへんありがとうございました。

◇ 組合加入を勧めている嘱託職員の皆さんは地方公務員法3条3項3号の規定で雇用されている特別職です。今回の法改正で今後は会計年度任用職員に位置付けられる職務の方々だと言えます。7月13日の学習会の中で、競争試験によらず、選考で採用できるという説明を受けています。そのため、嘱託組合員全員がそのまま移行できるように労使協議に臨みます。

◇ それまでの賃金水準や勤務条件が後退するような移行は論外であり、期末手当の支給をはじめ、フルタイムやパートタイムに関わらず、この機会に大幅な待遇の改善に努めます。学習会では各自治体の裁量で手当支給の幅が広げられることも確認しています。施行までに条例化が欠かせず、よりいっそうの待遇改善をめざした労使交渉に力を注いでいきます。

◇ 上記概要のとおり「臨時的任用」の対象が限られるため、産休・育休の代替や業務補助的な臨時職員のあり方も見直していかなければなりません。今後、任期付短時間職員又は新たに制度化されるパートタイムの会計年度任用職員に移行させていくことになります。この機会に臨時職員の業務内容や勤務条件全般も労使協議していきます。

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2017年8月 5日 (土)

意見が異なっても

広島と長崎への原爆投下から日本の敗戦、平和について深く考えなければならない機会の増える季節を迎えています。木曜日には安倍改造内閣の顔ぶれが決まり、政治的な話題も尽きそうにありません。さらに「マスコミの特性と難点」という記事は「Part2」に及びましたが、私自身の伝えたいことが的確に伝え切れない悩ましさを感じています。さすがに「Part3」とはしませんが、コメント欄に寄せられた意見を受け、改めて私自身の問題意識や思うことを書き進めてみます。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。最近、特に幅広い情報に触れていくことの大切さを痛感し、何が正しいのか、その判断は正しいのか、「誰が」や「どの政党が」に重きを置かない思考に努めたいものと考えています。

総論的な意味合いとして、これまで当ブログを通して訴えてきた考え方は上記のとおりです。したがって、あっしまった!さんの下記のようなご指摘は本当にそのとおりだと思っています。ここ最近、あっしまった!さんからは各記事のコメント欄で貴重なご意見を精力的に投稿いただいています。その中のごく一部となる切り取った紹介にとどまり、たいへん恐縮ですが投稿された内容をそのまま掲げさせていただきます。

結果的に「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話であった」としても、報道機関は、それを報道すべきだったと。報道を視た人が、それぞれ「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話と判断した」のであれば、それで良い。ただ、報道側が「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話」だと決めつけ、「報道する価値もない。有権者には知らせる価値のない話」だと決めつけ、「有権者が主体的に判断する機会を奪った」となると問題は多きい。

私自身も本来、マスコミは幅広い見方や評価があり得る出来事を報道する際、普段からバランス良く、どちらか一方に偏らないよう編集すべきものと考えています。より正確な情報を客観的に伝えた上で、その社の方針や記者の主張を添えるような手法が望ましいはずです。加計学園の問題で国会に参考人として呼ばれた加戸前愛媛県知事の発言の伝え方は確かにマスコミ各社によって大きく異なっていました。さすがに黙殺した新聞社はありませんでしたが、詳報欄のみで一般記事の中では取り上げなかった社もあったようです。

朝日新聞、もしくは毎日新聞しか読まれていない方は加戸前知事が発言したこと自体を把握できないまま加計学園の問題を評価していくことになりかねません。赤字で前述したとおり評価や判断を下す機会さえ与えられなかったことになります。このような関係性を決して望ましいものとは考えていません。ただ今に始まったものではなく、逆に少し前までは政権にとって不都合な情報の取り上げ方が極端に少なかったように感じていました。だからこそ、このようなマスコミの特性を踏まえた上、直近の記事を通して下記のような問題提起につなげていました。

マスコミからの情報に限らず、情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことがたいへん重要です。マスコミやSNS、それぞれの特性や難点を的確に理解した上、一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことが強く求められています。より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには欠かせない心構えだろうと考えています。

各論の話となる加計学園の問題で言えば、コメント欄でベンガルさんが説明されていた見方に私自身の認識は近いものがあります。加戸前知事は「加計ありきだった」と言っているにすぎず、「国家戦略特区における獣医学部の新設という新たなステージですので、中立、公平にやるべきだったと私は思います」というご意見でした。野党の攻め方やマスコミの論調が「ムービング・ゴールポスト状態」と見られがちなのかも知れませんが、私自身は一貫して安倍首相の「李下に冠を正さず」という心構えの薄さを懸念していました。

この問題で実際に安倍首相の直接的な関与がなかったのかも知れませんが、政府内部の動き方として不自然な点があったように見られ続けています。多くの税金の投入が前提となる獣医学部の新設にあたり、公平・公正さが充分だったのかどうかが問われているものと考えています。競争試験で受験者を公募しながら初めから採用者は決まっていた、競争入札としながら初めから落札業者は決まっていた、このような構図の疑惑が容易に晴れないままの問題だろうと理解しています。

追及する側の民進党の玉木雄一郎衆院議員が日本獣医師会に近く、ご本人もそのことを隠していませんが、献金や過去の質問の絡みから疑惑や批判を受けています。このあたりについてはご自身のブログ「私が質問したのは、日本獣医師会の既得権益を守るためか?」を通して経緯や立場が説明されています。総理大臣をはじめとする政府側関係者と野党一議員の権限の差は大きな開きがあるとは言え、業界擁護質問で受託収賄罪が問われた事例もあります。

したがって、これだけ獣医学部のことが取り沙汰されている中では、やはり玉木議員も「李下に冠を正さず」という心構えで対処すべきだったのではないでしょうか。ここで特徴的な点は安倍政権を擁護されている方々は玉木衆院議員の振る舞いを批判し、政権批判を強めている方々は玉木議員の対応は「まったく問題ない」と判断しがちな傾向が見て取れます。私自身の立場も後者に見られがちなのでしょうが、玉木議員を批判する意見や考え方を否定しないように努めています。

最近のコメント欄に寄せられたご意見等を意識し、ここまで私なりに思っていることを書き進めてきました。実は今回の記事タイトルを「意見が異なっても」とした理由は下記に掲げた新聞報道の内容が印象深かったからです。2008年の大統領選挙の集会で、アメリカ共和党のマケイン上院議員が発した「彼と私はたまたま基本的な事柄について意見が異なるだけです」「この国の政治は相手への敬意が基本だ」という言葉などに強い共感を覚えています。

脳腫瘍と診断され闘病中の米共和党上院のマケイン軍事委員長が、大統領選候補だった2008年に選挙集会で民主党対立候補のオバマ上院議員(当時)を擁護した際の動画が話題を集めている。歴代大統領も無視できないほどの政治的影響力を持つマケイン氏の不在を惜しむ声と共に、トランプ政権下で続く深刻な党派対立への米国民の拒否反応の表れともいえそうだ。

動画は08年10月に中西部ミネソタ州でマケイン氏が開いた対話型集会の様子を映したもの。女性支持者が「オバマは信用できない。彼はアラブ人だ」と発言した。当時、支持者の中ではオバマ氏が過激派テロリストと関係しているなどの中傷が流布していた。マケイン氏は首を振りながら女性のマイクを取り上げ「違います。彼は家族を愛するまっとうなアメリカ市民です。彼と私はたまたま基本的な事柄について意見が異なるだけです」と諭した。

マケイン氏はその後も、会場の共和党支持者からブーイングを浴び続けながら「オバマ氏が大統領になっても恐れる必要はない。この国の政治は相手への敬意が基本だ」などと語った。今月19日に脳腫瘍の診断を発表したマケイン氏に対し、共和、民主両党から早期回復を願う声が寄せられている。オバマ氏はツイッターで「マケイン氏は米国の英雄で最も勇敢な闘士だ。誰と戦っているのか、がんは分かっていない。ぶっ飛ばしてやれ」とエールを送った。 【毎日新聞2017年7月23日

基本的な視点の違いから正しいと信じている「答え」が枝分かれしていきます。SNSが普及した結果、ますます「自分の好みに合う情報だけを受け取り、自らの好みをひたすら強化させるようになる」と言われています。政治学者の飯尾潤さんは社会をつなぐ力の弱まりを懸念し、マスコミの両極化を「反政権側は、政権の方針への反対を強めようと、問題を大きく扱う傾向にある。政権の評価すべきことはあまり論じることなく、それについては政権側の発表や行動を淡々と報じるにとどまる傾向がある」とし、「逆に親政権側メディアは、政権の成果は大きく報じる半面、政権にとって具合の悪いことは小さくしか扱わない」と論じています。

政治では違う意見が交わらず、それぞれ極端化する、このように飯尾さんは述べています。手前味噌な言い分で恐縮ですが、一つの運動として当ブログが違う意見の交わる場になり得れば非常に本望なことだと考えています。そのため、いろいろな「答え」を認め合った場として分かり合えなくてもいがみ合わないことの大切さを頻繁に訴え続けてきています。おかげ様でコメント欄常連の皆さんからは以上のような関係性についてご理解ご協力いただき、意見が異なっても冷静に言葉を交わし合う場となっていることに深く感謝しています。

前回の記事でも紹介したhodoさん、前述したとおり「論点から外れるか否かを判断するのは国民です。マスコミではありません」というご指摘はそのとおりだと私自身も考えています。しかしながら「ごまかしばかりで愛想がつきました」というご指摘は、ごまかしているつもりがない者からすれば非常に残念な見られ方です。さらに「OTSU氏のように自分にとって不都合な事実を黙殺することに何のためらにもない方は、大日本帝国時代における有能な憲兵になっておられたでしょうね。あなたにかける言葉はこれ以上ありません」は極端すぎる見方だと言わざるを得ません。

hodoさんに限らず、少しでも時間を割いて当ブログにコメントをお寄せくださる皆さんに対し、本心から感謝しています。耳の痛い辛辣な批判意見だったとしても、そのような意見に触れられることを貴重な機会だと考えています。ただ自分自身が正しいと信じている「答え」からかけ離れた言葉の意図は素早く理解できない傾向があります。きっとお互い同じような傾向があるため、hodoさんと私は容易に分かり合えないのだろうと受けとめています。愛想をつかされたhodoさんですが、このブログは出入り自由な場ですので、これからもお時間等が許される際はご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2017年7月29日 (土)

マスコミの特性と難点 Part2

今回も前回記事「マスコミの特性と難点」を補足する意味合いでタイトルに「Part2」を付けました。前々回記事「改憲の動きに思うこと Part2」の冒頭に記したとおり字数が多くなりそうな回答はコメント欄でなく、記事本文を通してお答えするようにしています。前回記事に対し、あっしまった!さんの現状を強く憂慮されたコメントをはじめ、複数の方から様々な論点が提起されていました。その中の一つ、hodoさんから寄せられたコメントが気なっていました。

OTSU氏は、郷原信郎氏等の意見から、一方の当事者である加戸元知事の発言をマスコミが取上げないことについては「妥当な判断」だと思われるのですかね? 郷原氏の意見を引合いにだして、『「疑惑が晴れた」との報道をしなくてもよい』との意見を表明することで、「一方の当事者の発言を黙殺することの是非」についての判断については不問とする行為は、非常に恣意的ではないでしょうか。OTSU氏が「自分が見たくない、報道されて欲しくないもの」について意図的に上手に蓋をしているつもりであれば、その人間の貧しさに溜息がでます。

「一方の当事者の発言を黙殺することの是非」についての判断が問われていますが、私自身の認識は前回記事の中で次のように述べています。「マスコミの多くが加戸前知事の発言を大きく取り上げていないという見方も特に不自然ではありません」と記しています。ただ事実認識としてマスコミが加戸前知事の発言を完全に黙殺した訳ではなく、大きく取り上げなかったという重点の置き方が問われているものと思っています。その上でマスコミの特性を説明し、政権に対する支持率が高い時であれば「ゆがめられた行政がただされた」という大見出しが新聞紙上に掲げられていた可能性について書き添えていました。

加戸前知事の発言が加計学園問題の論点から外れていると見ている者からすれば、そのような見出しの付け方は政権に対する「忖度」であり、意図的な世論誘導につながりかねないものと思いがちです。今回、その逆の構図となっているため、安倍政権を支持されている方々から「意図的な世論誘導だ」という批判が起きているように見ています。過去の記事「卵が先か、鶏が先か?」の主題とした「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という関係性や特性が思い浮かび、前回記事「マスコミの特性と難点」の投稿に至っていました。

そもそもマスコミは客観的な事実だけを淡々と伝えている訳ではなく、記者や編集者、コメンテーターらの意見や主観を添えた報道の仕方が主流となっています。マスコミに求める「公正・中立」のあり方は深い議論に至る場合があるため、その是非や評価まで前回記事では扱っていません。あくまでもマスコミ報道は決して無味乾燥ではなく、そのような特性があるという現状を記していました。だからこそ、より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことの大切さを訴え続けています。

このような問題意識のもと当ブログの位置付けを説明する「多面的な情報の一つとして」「二極化する報道」「マイナーな情報を提供する場として」などの記事を投稿してきました。誤解を受ける時がありますが、最近の記事「一つの運動として」の冒頭に記したとおり私自身の立ち位置や主張は明確にして当ブログを運営しています。したがって、私が書き込む記事本文だけで多面的な情報をいつも提供している訳ではありません。マスコミが取り上げないような主張や情報を発信することで多面的な見方に触れていただければと思い、このブログを続けています。

いずれにしてもhodoさんからは「意図的に上手に蓋をしているつもりであれば、その人間の貧しさに溜息がでます」という辛辣な批判を受けていました。私自身、加戸前知事の発言が加計学園問題の論点から外れていると見ている者の一人です。そのように見ていないnagiさんからマスコミを批判するコメントを受け、私自身の「答え」にあたる前回記事を綴っています。「論点から外れている」という見方の違いを説明しなければ、マスコミが大きく扱わなかったことの疑問は解消されないものと考えています。

ネット上を検索したところ弁護士の郷原信郎さんが詳しく理性的に説明されていました。いつものパターンですが、私自身の言葉で説明するよりも郷原さんのブログ『加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する』の該当箇所をそのまま掲げさせていただきました。hodoさんからすれば加戸前知事の重要証言もリンクをはるだけではなく、郷原さんと同じようなバランスで紹介していたら不本意な批判が少しは緩和されていたのでしょうか。

ただ前述したとおり「私が書き込む記事本文だけで多面的な情報をいつも提供している訳ではありません」という事情についてもご理解を求めていかなければなりません。さらに週に1回の更新ですので、このブログを通して取り上げたい話題が数多くありながら充分対応できていない現状です。必然的に扱う題材も限られていますが、「取り上げないから軽視している」「意識的に避けている」という批判を受けてしまう時があり、たいへん悩ましいものがあります。

コメント欄に関しても以前は、ほぼ毎日対応し、基本的に一問一答で皆さんと意見を交わしていました。「コメント欄雑感、2012年春」を投稿した頃から私自身のコメント欄参加を徐々に控え始め、人によって評価が大きく分かれがちな難しいテーマに関しては記事本文を通してお答えするように努めています。このような運営方針に変わってからもnagiさんからは数多くのコメントをお寄せいただいています。ただ以上のような事情にご理解いただき、「十問一答」にとどまるような関係性についてご容赦願っているところです。

いつものことですが、ブログを書き始めると思っていた以上の長い記事になりがちです。hodoさんからのコメントのレスにあたる内容だけで終わっても良いぐらいの長さになりつつあります。ここから論点や話題が広がりそうですが、もう少し書き進めてみます。「報道しない自由」というマスコミを批判する言葉があります。マスコミ各社や編集者の責任による編集権の範囲内での優先順位からの取捨選択は、ある程度認めなければなりません。あくまでも当ブログにおいてもご理解ご容赦願っている範囲内の話です。

どちらか一方に肩入れしすぎて重要な情報や言葉を省き、それこそ意図的な世論誘導に至るようでは問題です。言うまでもありませんが、隠蔽、虚偽、捏造などは論外であり、様々な情報を掌握し、情報を発信する政権側に対しては、よりいっそう厳格な姿勢が求められています。それにも関わらず、最近の安倍政権では「嘘でしょう?」と疑わざるを得ない情報が発信され続けています。事実関係を問われた際に「記憶がない」という言葉をよく耳にしていますが、皮肉にもこのような答えのほうが「嘘は付けないのだろうな」という誠実さの片鱗を感じるようになっています。

安倍晋三首相は25日午前、参院予算委員会の閉会中審査で、学校法人「加計学園」による獣医学部新設計画について、事業主体が同学園だと初めて知ったのは1月20日の国家戦略特区諮問会議だったと改めて表明した。しかし、民進党の蓮舫代表は通常国会の答弁と整合性がとれないと追及。首相は「整理が不十分だった。厳密さを欠いていた」と釈明し、前の答弁を事実上修正した。 【毎日新聞2017年7月25日

安倍首相は閉会中審査で初めて「李下に冠を正さず」という言葉を使いました。そのタイトルのブログ記事の中で不勉強ながら私自身、国家公務員の倫理規程で禁止されている利害関係者と飲食やゴルフに行くことについて、特別職公務員である安倍首相は対象外だと記していました。しかし、大臣規範の中に一般職国家公務員と同じように関係業者との接触を禁止する項目が定められていました。安倍首相も最近、大臣規範のことを知り、上記報道のような「加計学園と知ったのは今年1月20日」という答弁に切り替えたのではないかと疑われています。

マスコミ報道にあたって決め付けた批判は避けなければなりませんが、安倍首相の答弁が変わった際、大臣規範のことを添えるかどうかで事実関係の見方は変わります。閉会中審査で与野党の質問時間の配分が争点となりました。当初、自民党は「5対5にしない限り開催は拒否する」と反発していました。野党は「2対8」を要求していましたが、最終的に「3対7」で折り合いました。議席数の少ない野党の質問時間が多い配分に違和感を持ちがちですが、通常の予算委員会が「2対8」であることを知ると野党の要求も納得できるようになります。

このような問題で国会審議の時間を割くと「安全保障や国民生活で、もっと大事なことがあるのに」という声が寄せられます。確かに優先順位はあろうかと思いますが、加計学園の問題をはじめ、今、最も問われているのは正しい情報が適切に開示されているのかどうかです。そのことで疑念が高まり、政権の支持率が下降線をたどっているように思っています。より望ましい「答え」を国民一人一人が見出していくためにはマスコミの報道のあり方も重要ですが、それ以上に情報の発信元となる政権の体質や姿勢は非常に大きいものと考えています。

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2017年7月22日 (土)

マスコミの特性と難点

前回記事「改憲の動きに思うこと Part2」の冒頭に私自身のブログとの関わり方について改めて説明させていただきました。ブログの管理は週末に限り、コメント欄での難しい問いかけに対しては記事本文を通してお答えしている現状などを記していました。そのため、今回は前々回記事「改憲の動きに思うこと」のコメント欄でnagiさんから寄せられた下記の問いかけに対し、私自身の問題意識や思うことを書き進めてみます。

先日の閉会中審査における加戸元知事の発言、それと京都産業大学の獣医学部断念の経緯発表。さて報道機関はまたもや報道しない自由を発動するのでしょうか。この二つの発言により、加計学園に関する問題がなにもないことがはっきりするわけです。まあマスコミの思惑どおり無理やり問題があるように報道し不都合なことは報道しない。おかげで憎い安倍政権の支持率も下がり続けてますね。マスコミによる世論の誘導こそが民主主義の敗北の一つであると私は考えますね。国民が自分で考えるのではなくマスコミに踊らされた結果がこれですから。かつての大本営発表で戦争に向かって高揚していたのと何が違うのだろうか。日本のジャーナリズムは本当に死んだなあと思う夏です。

コメント欄では取り急ぎ私から「メディアの特性や難点を理解した上、意識的に多面的な情報に接していく大切さは当ブログを通して訴えてきています。また、いわゆる右や左の立場それぞれ自分自身にとって都合の良い情報を評価しがちな点を記したこともあります。今回、加計学園の問題も上記のような傾向が強く表われているものと思っています。今週投稿する新規記事はそのような点まで触れられそうにありませんが、機会があれば記事本文を通して掘り下げてみたいものと考えています」とお答えしていました。

メディアと一口で言っても読者層のターゲットを絞っているマイナーな新聞や雑誌と区別するため、マスメディア、もしくはマスコミと表記していくことが適当だったのかも知れません。マスメディアとマスコミという言葉も少し意味合いが違うようですが、一般的には同義語のように使われています。今回、nagiさんはマスコミと呼んでいましたので、この記事の中でもマスコミと記していきます。実は以前投稿した「卵が先か、鶏が先か?」の記事の中でもマスコミと記していました。

その記事のタイトルは「マスコミが世論を作るのか、世論がマスコミの論調を決めるのか」という意味合いをこめていました。マスコミの活動は、どうしても多くの人に「見てもらう」「買ってもらう」ことが欠かせない目的となるため、国民の評価や人気を意識している傾向があることを綴っていました。高い支持率を維持している政権に対しての批判は及び腰になりがちです。しかしながら潮目が変わり、支持率が下がった政権に対しては一気に批判的な論調になるというマスコミの移り気について取り上げた記事でした。

このような傾向は変わることなく、これまでマスコミ対策に力を注ぎ、盤石だと見られていた安倍政権も例外ではなかったようです。したがって、マスコミが最近になって特別に変わったという見方はしていません。このような特性があることを前提にマスコミからの情報と付き合わなければならないものと考えています。マスコミが意図的に政権を攻撃し、世論を誘導している訳ではなく、結局のところ様々な情報を国民が知ることができるようになって支持率の低下につながっているのではないでしょうか。

昨年末の記事「SNSが普及した結果… Part2」の中で「報道しない自由」というマスコミの報道の仕方を批判する言葉について記しています。この言葉は、いわゆる左や右それぞれの立場の方々から発せられています。だからこそ意識的に幅広く、多様な情報や考え方にアクセスしていくことが重要です。そのツールとしてインターネットがあり、SNSの活用が手軽な時代となっています。とは言え、「願望」という調味料が加味されたマスコミ批判の傾向も強いように感じちがちです。

学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる参院の閉会中審査が10日午後、衆院に続いて始まった。参院では参考人として、衆院で答弁した前川喜平前文部科学事務次官らに加え、文科省OBの加戸守行前愛媛県知事が招致された。獣医学部誘致を進めた加戸氏は、前川氏の「行政がゆがめられた」との主張を念頭に、「強烈な岩盤に穴が開けられ、ゆがめられた行政がただされた」と学部新設計画の意義を訴えた。参院での審査は、文教科学、内閣両委員会の連合審査として開かれた。【産経新聞2017年7月10日

マスコミが加戸前知事の発言などを大きく報道しないため、nagiさんはマスコミに対する不信感を高められているようです。加戸前知事の説明で安倍首相に対する疑惑は解消され、このような国会での重要証言を報道しないマスコミへの批判がネット上でも強まっています。確かに「ゆがめられた行政がただされた」という大見出しが新聞紙上に掲げられれば、多くの国民が政権に対する印象を好転させていったかも知れません。支持率が高かった時であれば、そのような政権への配慮が働いた可能性もあります。

しかし、そもそも加戸前知事の説明は「加計学園ありき」を裏付けた証言だと見なくてはなりません。行政としての意思決定過程の不透明さが解消された訳ではないため、マスコミの多くが加戸前知事の発言を大きく取り上げていないという見方も特に不自然ではありません。弁護士の郷原信郎さんがブログで『加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する』という記事を投稿しています。その記事の中で加戸前知事の証言に対し、次のように述べています。

閉会中審査における前愛媛県知事の加戸守行氏の証言と、その後に行われた京都産業大学の「獣医学部開設断念」の記者会見の内容をどう評価するかも問題となっている。これらによって、加計学園をめぐる安倍首相の疑惑が解消されたかのように評価する声もあるが、いずれも、加計学園をめぐる疑惑を解消することにつながるものではない。加戸氏については、愛媛県知事の時代から、今治新都市開発の一環として大学誘致に熱心に取り組んできたこと、同氏にとって獣医学部誘致が「悲願」だったことは、国会で切々と述べたとおりであろうし、教育再生実行会議での同氏の、唐突な、いささか場違いとも思える「獣医学部新設問題」への言及からも、誘致への強い熱意が窺われる。

しかし、加戸氏は、獣医学部の認可を求める側の当事者、政府にとっては外部者であり、政府内部における獣医学部新設をめぐる経過とは直接関係はない。また、「愛媛県議会議員の今治市選出の議員と加計学園の事務局長がお友達であったから、この話がつながれてきて飛びついた」というのも、今治市が加計学園の獣医学部を誘致する活動をする10年以上前の話である。その後の誘致活動、とりわけ、前川氏が「加計学園に最初から決まっていた」と思える「行政の歪み」があったと指摘する2016年8月以降の経過に、安倍首相と加計理事長の「お友達」の関係がどのように影響しているのかとは次元の異なる問題である。

また、長年にわたって誘致活動を進めてきた加戸氏の立場からは致し方ないことのようにも思えるが、同氏の話にはかなりの誇張がある。愛媛県知事時代の「鳥インフルエンザ、口蹄疫の四国への上陸の阻止」の問題を、公務員獣医師、産業担当獣医師の数が少ないことの問題に結び付けているが、加戸氏自身も認めているように、上陸阻止の手段は、船、自動車等の徹底した消毒であり、獣医師の「数」は問題とはならない。獣医師が必要になるとすれば上陸が阻止できず感染が生じた場合であろうが、実際には、四国では鳥インフルエンザも口蹄疫も発生していない。

また、加戸氏が長年にわたって今治市への獣医学部誘致の活動をしてきた背景には、知事時代に今治市と共同して進めた新都市整備事業で予定していた学園都市構想が実現しておらず、土地が宙に浮いた状態だったという事情があったことを加戸氏自身も認めている。獣医学部誘致に今治市民の膨大な額の税金を投入することを疑問視する市民も少なからずいることを無視して、獣医学部誘致が「愛媛県民の、そして今治地域の夢と希望」と表現するのは、現実とはかなり異なっているように思える。結局のところ、加戸氏の国会での発言は、政府の対応を正当化する根拠にも、前川氏の証言に対する反対事実にもなり得ないものであり、加計学園をめぐる疑惑に関しては、ほとんど意味がないものと言える。

ネット上で他にも『“加計ありき”の証拠が続々! でも安倍応援団は「加戸前愛媛県知事の証言で疑惑は晴れた」の大合唱、そのインチキを暴く!』『加戸守行氏は間違っている』『閉会中審査でのやり取りを自民党に軍配を上げるネトウヨたちの異様性 国会軽視の安倍自民党』という記事にも目を通していました。 ただ立場の異なる方々の主張を頭から否定し、辛辣な言葉で対立を煽るような書き方は如何なものかと思っています。いずれにしても加計学園の問題は特区を担当した石破茂前大臣のブログの言葉に尽きるはずです。

私が国家戦略特別区域担当大臣であった平成27年6月30日に閣議決定された「日本再興戦略 改訂2015」において示された、「①既存獣医師養成でない構想が具体化し ②ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり ③既存の大学・学部では対応が困難な場合 ④近年の獣医師需要動向も考慮しつ全国的見地から本年度内に検討を行う」との、4条件ブラス「全国的見地」に適合する公正・公平な決定であったかどうか、それが問われるべきであり、政府はこれを明確に立証すればよいのです。4条件が満たされ、全国的見地から必要とされれば、提案主体がどこであろうと認めなくてはなりませんし、その逆もまた然りです。

私自身の問題意識は「李下に冠を正さず」「もう少し加計学園の話」で綴ってきました。週明けには衆参両院の予算委員会で閉会中審査が予定されています。加戸前知事のような説明で疑惑は晴れるという姿勢で安倍首相らが臨んだ場合、与野党の論点はかみ合わないような気がしています。キーパーソンと目されている参考人には「記憶にない」という言葉を発しないという誠実さを期待したいものです。ちなみに最近、石破前大臣が掲げた4条件を巡り、自民党内で下記のような軋轢があったようです。

自民党石破派は、同党幹事長室が学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題を巡る産経新聞の連載記事を所属全議員にメールで送ったことに抗議した。同派の平将明衆院議員らが21日、記者会見で明らかにした。17日付の記事によると、石破茂元幹事長は地方創生担当相だった2015年9月、日本獣医師会幹部に「(獣医学部新設条件は)誰がどのような形でも現実的には参入が困難との文言にした」と説明したとされる。幹事長室は20日、「ご参考」として一連の記事を送信した。平氏は会見で「石破氏が獣医学部新設を阻止したような印象を与える。党内対立をあおるような形でメールを出すのは不適切だ」と批判。同派の古川禎久事務総長は「この記事が党の見解だと誤解を招く恐れがある」と撤回を要求した。古川氏は20日、党幹事長室を訪れたが、二階氏は訪米中。【毎日新聞2017年7月21日

新規記事のタイトルを「マスコミの特性と難点」としながら加計学園の問題の記述が膨らんでしまいました。たいへん長い記事になっていますので、そろそろまとめなければなりません。マスコミからの情報に限らず、情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことがたいへん重要です。マスコミやSNS、それぞれの特性や難点を的確に理解した上、一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことが強く求められています。より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには欠かせない心構えだろうと考えています。

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2017年7月16日 (日)

改憲の動きに思うこと Part2

一つの記事に100件以上のコメントが寄せられていた頃に比べればコメント数は大きく減っています。それでも少ない中で、いつも貴重なご意見やご指摘、もしくは情報をお寄せいただいていることをたいへん感謝しています。仮にコメント数がゼロになったとしてもアクセス解析機能から閲覧者が一人でも確認できる限り、このブログは続けていこうと思っています。

そう思いながらも閲覧されている皆さんの率直な意見を伺える場として開設しているコメント欄ですので、一人でも多く方に投稿いただければ非常に幸いなことだと考えています。ただ私自身、ブログの管理は週末に限って対応しているため、個別の問いかけに即応できないことを心苦しく思っています。さらに難しい問いかけは記事本文を通してお答えするように努めている点なども改めてご理解ご容赦ください。

このような前置きを述べながら新規記事を前回記事「改憲の動きに思うこと」の続きにあたる「Part2」とした訳を説明させていただきます。そもそも日常的な組合活動の中で政治的な課題の占める割合はごくわずかです。先週木曜の夜には会計年度任用職員に関する学習会を開き、70名を超える組合員の方が参加されています。タイムリーな組合活動の報告であれば、その学習会のことが真っ先に上がります。

他にも連合が「脱時間給」を容認したという報道のことなど週に1回の更新ですので、このブログを通して取り上げたい話題が数多くあります。そのような中で前々回記事「『総理の誕生』を読み終えて」のコメント欄で交わしたKEIさんとのやり取りが気になっていました。前述したとおり日常の組合活動の中で政治的な課題の占める割合は少ないのですが、このブログでは意識的に政治的な話題を頻繁に取り上げています。不特定多数の方々に「働きかける」という自分なりのささやかな運動と位置付けている側面があるからでした。この説明に対し、KEIさんから次のような言葉が寄せられていました。

…正直な所、その「運動」、うまくいっていると思いますか? 提起してはことごとく突っ込まれ、有効な反論をするでもなく次の提起をするからさらに突っ込まれ… こんな体たらくで「働きかけ」がうまくいくと思うのですか? 逆効果になるかもとは思いませんか? …まあ僕はそんな「逆効果」を期待している方の客ですから、これ以上は言いませんけどね。

取り急ぎコメント欄で私から「大事な問いかけですので新規記事の冒頭で改めてお答えさせていただくつもりです」とお答えし、これからも「逆効果」を期待されている関係性で結構ですので、引き続きご注目いただければ幸いです、と書き添えさせていただきました。それまで培ってきた経験や知識をもとに個々人の基本的な視点や立場が枝分かれしていきます。この基本的な視点や立場が異なると同じ出来事や情報に接していても、評価や受けとめ方が大きく分かれがちです。

この違いや「溝」を埋めることは容易でないことをブログを長く続ける中で痛感してきています。それでもお互いの主張や意見を交わし合うという接点を持たない限り、その「溝」は絶対埋まらないまま固定化されてしまいます。そのため、「逆効果」となるケースもあるのかも知れませんが、不特定多数の方々に自分自身の主張や幅広い情報を発信する、つまり「働きかける」というささやかな運動を日常生活に過度な負担をかけない範囲で続けてきています。

有効な反論に至っているのかどうかという評価も前述したような「溝」があることを認識しています。いずれにしても容易に分かり合えなくてもこのコメント欄の限界と可能性を踏まえながらブログと向き合っています。このような関係性がある中、前回記事「改憲の動きに思うこと」のコメント欄で、す33さん、下っ端さんから寄せられたコメントに対し、「私自身のささやかな運動に照らした際、大事な問いかけが寄せられているものと受けとめています。せっかくの機会ですので新規記事を通してお答えさせていただくつもりです」とレスしていたところです。

憲法学者の小林節さんの「70年間、日本が世界史に先例のない平和大国でありつづけられたのは、ほかでもなく、憲法9条の制約があったからです」の言葉に対し、す33さんは「よくもまあ印象に残った箇所とか言えますね。何の罪もない日本人が韓国軍に殺され、北朝鮮に拉致され帰ってこない人が沢山いる。領土も占領されたり、侵略を受けている。日本が70年間平和であったのは日米同盟があり、米軍が日本に駐留しているからだ。日米同盟がなく米軍も駐留していなかったら、今頃日本はソビエト、中国などが侵略して平和で経済が発展していなかっただろうな」と批判されていました。

「70年間平和」という見方に対しては朝鮮戦争時の日本特別掃海隊の存在をはじめ、様々なとらえ方があろうかと思っています。ただ小林さん自身、もともと個別的自衛権を認められていますので、す33さんの問題意識と大きな乖離はないように受けとめています。あくまでも憲法9条の制約があったから朝鮮戦争やベトナム戦争の際、米軍とともに直接参戦せずに済んできたことを小林さんは特筆的なことと評価されています。このような見方に対し、私自身も共感できるため、印象に残った箇所と書き残していました。

拉致被害者やご家族の皆さんにとって「平和」からは程遠い日常が続いているものと思われます。不透明感を残したままの拉致問題の解決、拉致被害者全員の帰国を心から願っています。この問題で憲法9条の無力感を唱えるケースも見受けられますが、交戦権のある国でも拉致被害者の救出が難しいという現実にも留意しなければなりません。強制収容所の存在をはじめ、自国民を抑圧する体制を擁護するつもりはありませんが、対話を重ねることで解決の道がもっと開けた可能性も否定できません。

実際、小泉元首相が北朝鮮との対話に踏み切ったことで拉致被害者5人は帰国できました。最近、このような見方を示す記事「北朝鮮の核脅威は、15年前の安倍首相の行動がもたらした可能性」を目にしています。軍事ジャーナリストの田岡俊次さんが次のように語っていますが、異論反論は数多く示されるのだろうと思っています。安倍首相を評価されている方々にとって「またか」という感想を持たれるのかも知れません。しかし、対話を重視することで拉致問題も現在とは異なる展開があった可能性を頭から否定できないものと受けとめています。

今のように北の核ミサイルに日本がさらされないようにするチャンスはあったのです。02年9月17日、小泉純一郎首相が訪朝して、当時の金正日総書記に会い調印された日朝平壌宣言は、北朝鮮が核開発を止めますという協定だった。北朝鮮は核に関するすべての国際的取り決めを遵守する。つまりNPTに残りIAEA(国際原子力機関)の査察を受ける、その見返りに日本は国交を樹立し、援助もしましょうという話でした。世界が懸念していた北朝鮮の核問題を日本がほぼ独力で解決したのだから、平壌宣言は「北朝鮮の信じがたい譲歩」を得た日本外交の大成功として世界から称賛され、国際会議で小泉氏は英雄扱いされました。

しかし、北朝鮮が謝罪したことで日本の大衆ははじめて拉致の事実を知り、世論はそちらのほうで沸騰してしまった。最初は拉致被害者がまず帰ってきて、子供がいる2組の夫婦は日本の状況を確認して、いったん北朝鮮に帰って子供たちを連れて日本に帰ってくるという話だった。ところが、当時官房副長官だった安倍晋三氏は、帰すとまた捕まってしまうから帰さないと主張し、「それでは平壌宣言の履行は第一歩からつまづく」と言う福田康夫官房長官と激論になったそうです。結局はいったん調印された平壌宣言は、有名無実化してしまった。拉致問題についても、国交を樹立して大使館を開き、援助漬けにしてパイプをつくり情報を取るほうが定石だった。

1990年にロシアは韓国と国交樹立して、北朝鮮を見捨てた。92年に中国も韓国と国交樹立して北朝鮮を見捨てた。孤立無援の状態になって、北朝鮮は核をつくり始めたのです。北朝鮮の核については、ロシアと中国の責任も大きいですよ。核の傘がなくなってしまったわけなので、自分でやるしかなくなった。孤立によって経済も破綻していたので、日本に助けてほしく、核問題で譲歩してきた状態だったので、絶好のチャンスだったのです。「北朝鮮はそれでも密かに核開発を続けようとするだろう」と私も考えたが。IAEAの査察を受けていれば小規模な研究程度しかやれず、核実験をすれば日本の援助は滞るから、こちらは手綱を握ることができたはずです。平壌宣言が履行されていれば、今の状況はなかったのです。

す33さんのコメントに対する「答え」が思った以上に広がってしまいました。ただ以上のような見方は、これから述べる下っ端さんからの問いかけに対する「答え」に関わってくるものであり、「日朝平壌宣言が履行されていれば」という仮説は非常に興味深いものでした。それでは続いて、下っ端さんのコメントに対する私自身の「答え」です。下っ端さんからは次のとおり私に対して直接的な問いかけがありました。

やはり、なぜ「自衛隊」を軍隊として憲法に明記してはダメなのか、誰もが納得できる明確な根拠は見当たりませんね。平和、不侵略、専守防衛、明記すればいいじゃないですか。その上で、自衛のための軍隊を保持することを明記する方が、よっぽどスッキリしませんか? 平和は軍隊を持たないから平和になるわけではないですよね。そもそも、どこをどう見ても、自衛隊は軍隊なのですから。憲法9条が今のままでないと、日本は平和な国家で無くなりますか? 世界から平和国家として認識されるのは、憲法9条だけが理由ですか?

私はどちらでもいいのです。憲法9条をそのままにして自衛隊を解散するか。憲法9条を改憲して自衛隊を専守防衛の軍隊とするか。そろそろ、スッキリさせましょうよ。方法は、3つだけじゃないですか? ①憲法9条に嘘をつかないため、改憲せずに、自衛隊を解散し、永遠に軍隊を組織化しない。②不侵略、専守防衛を明記し、そのためだけの軍隊として自衛隊を明記する。③世界の平和維持のため、国連の平和維持活動に参加を認めたうえで、自衛隊を明記する。その場合、先制攻撃の放棄等を加筆する。 さて、管理人さんはどれを選びますか?

「答え」は3つだけと決め付けられてしまいましたが、私自身が最も望ましいと考えている「答え」はいずれでもありません。集団的自衛権の行使は認められない、後方支援も含め海外での戦争参加はできない、専守防衛までを認めていた現憲法9条の解釈を有効とし、それに見合った平和活動や国際貢献に徹するべきという「答え」です。仮に国民投票で憲法9条の文言を見直す場合、名称はともかく自衛隊を軍隊と認めた上、役割や任務を明示すべきものと考えています。

安倍首相が提起した1項と2項はそのまま、つまり軍隊ではない自衛隊を憲法に明記する、安保法制の施行前であれば一定評価できる発想だったものと思います。戦場に出向きながら後方支援しか担わないという限定的な集団的自衛権は必ず見直しを迫られるはずです。しかし、軍隊ではないまま自衛隊が海外で武力を伴う活動に従事することの矛盾や危うさは前回記事の中で、小林さんが指摘されているとおりです。下っ端さんの選択肢ではそのあたりが不明瞭でしたが、私自身の「答え」は数年前までの憲法9条とその解釈を尊重する立場だと言えます。

下っ端さんからは「北朝鮮情勢から思うこと」のコメント欄で「日本が対話する姿勢を見せないから、北朝鮮は弾道ミサイルを撃つのでしょうか。対話したら、核開発や弾道ミサイルの開発は中止してくれるのでしょうか」という問いかけがありました。私から北朝鮮を追い詰めすぎて「窮鼠猫を噛む」状態に追い込むことのほうが脅威だと感じていること、NPT体制を超えた先も展望した戦略や対話が欠かせないことを取り急ぎお答えしていました。今回の記事で前述したおり対話の継続が重要であるという見方も補足させていただきました。

さらに北朝鮮に対し、軍事的圧力を加えれば加えるほど北朝鮮側は「核・ミサイル開発は外部勢力の攻撃や侵略に対する抑止力」と喧伝していく関係性に陥っています。NPT体制を超えた先も展望した戦略と記しましたが、もちろん核兵器不拡散は重要ですが、核兵器国自体を認めないという方向性が最も望ましいものと考えています。ちなみに昨年8月には「核先制不使用、安倍首相が反対」という記事を投稿し、次のような記述を残していました。

安全保障は軍事力での抑止に依存しすぎた場合、際限のない軍拡競争に陥りがちです。さらに外交関係での疑心暗鬼は、追い詰めすぎた先の暴発や一触即発の事態を招くリスクを高めます。せめて核兵器を先制使用しないという宣言を行なうだけでも、外交関係における信頼や安心感を高めていく一因に繋がるはずです。「核の傘の抑止力が弱まる」という他力本願で後ろ向きな評価ではなく、核先制不使用は安全保障面でも前向きな発想として安倍首相や日本政府にはとらえて欲しかったものと考えています。

すべての国が核兵器を放棄する、核による軍拡競争を自制していく中で北朝鮮の核の脅威を取り除くという道筋もあり得るはずです。夢想的な理想論かも知れませんが、今月7日には国連の中で核兵器禁止条約が採択されました。「ヒバクシャにもたらせた苦痛」との一節を前文に入れ、人道的見地から核兵器の存在を否定する画期的な条約です。しかし、たいへん残念ながら日本政府は棄権し、下記報道のとおり条約に加盟しない方針を示しています。色あせ始めたとは言え、平和憲法を抱き、被爆国である日本こそ、率先して条約の採択に全力を尽くす立場であって欲しかったものと痛切に感じています。

国連会議で核兵器禁止条約が採択されたことを受け、日本や核保有国である米英仏各国は7日、条約に加盟しない方針を発表した。別所浩郎国連大使は記者団の取材に、現状で条約に「署名することはない」と強調。米英仏3カ国も共同声明で「国際的な安全保障環境の現実を無視している」と訴え、条約に署名・批准・加盟することはないと表明した。別所大使は、日本がこれまで核兵器の非人間性や安全保障情勢の双方を踏まえ、核兵器国と非核兵器国の協力の下での核廃絶を目指してきたと説明。その上で、「残念ながら条約交渉はそういう姿で行われたものではない」と語った。ただ、核兵器国と非核兵器国との信頼構築に向けて今後も尽力していく考えも示した。

米英仏の声明は「条約は北朝鮮の重大な脅威に対する解決策を提供せず、核抑止力を必要とする他の安全保障上の課題にも対処していない」と批判した。被爆者からは日本の条約不参加への不満が聞かれた。カナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(85)は、条約採択後の記者会見で「日本は核保有国と非保有国の橋渡し役というが、(非保有国の話に)耳を傾けようという態度がない。その人たちの立場を理解せずにその役割が果たせるか」と憤った。【時事ドットコムニュース2017年7月7日

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2017年7月 9日 (日)

改憲の動きに思うこと

先週日曜に投開票された東京都議会議員選挙は都民ファーストの会が大躍進し、自民党が歴史的惨敗を喫するという結果となりました。今年5月に投稿した記事「憲法施行70年、安倍首相の改憲発言」のとおり自衛隊を憲法の中で明文化するという考え方を安倍首相は示していました。さらに安倍首相は年内に自民党の改憲案を国会に提出する方針まで打ち出していましたが、都議選の結果は改憲スケジュールまで影響を与える可能性が生じてきています。

自民党内では安倍晋三首相や執行部への不満の声が出始めた。閣僚の一人は「党内は荒れる。これで荒れなかったら自民党はなんなんだ、という話になる」と漏らした。党の憲法改正案を今秋の臨時国会で示すとした首相主導のスケジュールを疑問視する声も強まっている。 「ポスト安倍」を狙う岸田文雄外相は3日午前、東京都内で記者団に「選挙結果に国会議員の言動が影響したという指摘を多くいただいている」と敗因を指摘しつつ、「私は内閣の一員。(首相と)ともに努力しなければならない」と述べて政権を支えるとした。石破茂元幹事長は2日深夜、「都民ファーストが勝ったというより、自民党に懸念や疑問が持たれている。問われているのは自民党だ」と語った。

自民ベテラン議員は「経済最優先に戻るしかなく、憲法改正の旗は降ろすのではないか」と述べ、首相の党運営が厳しくなるとみる。中堅議員からも「憲法改正はできないし、やらせない」との声が上がった。政権内でも厳しい受け止めが相次ぐ。首相周辺は「予想外に負けた。政策的な問題ではないが、(政権への打撃は)大変なことになる」と身構えた。官邸に近い党幹部は「憲法の論議など、さまざまな国政の課題に影響が出るだろう」と語った。一方、政府高官は「党内で足を引っ張る人はいないだろう。政権運営への影響はあまりないと思っている」と党内の動きをけん制した。【毎日新聞2017年7月3日

公明党の山口代表も「経済再生、アベノミクス推進が目標だ。憲法は政権が取り組む課題ではない」と明言しています。一方で、自民党の保岡憲法改正推進本部長は「都議選の結果は党の改憲論議のスケジュールに影響しない」と述べ、安倍首相がめざす年内に党の改憲案を国会に提出する方針に変わりないことを強調しています。いずれにしても「安倍1強」が都議選を契機に崩れていくのか、一過性の落ち込みなのかどうかで改憲の動きも左右されていくような気がしています。

さて、これまで「憲法記念日に思うこと」「憲法記念日に思うこと 2009」「憲法記念日に思うこと 2014」「憲法9条についての補足」など憲法に絡む記事を数多く投稿しています。私自身の考え方を改めて申し上げれば次のとおりです。憲法さえ守れば、ずっと平和が続くというような誤解を招きかねない言い方は慎んでいます。何よりも大事にすべきことは日本国憲法の平和主義であり、専守防衛を厳格した「特別さ」だと考えています。したがって、一定の抑止力の必要性や安全保障のリアリズムを否定していません。

安倍首相は憲法9条の理念はそのままで自衛隊が違憲かどうかの議論は終わらせたいと説明しています。平和主義の効用を維持できる改憲だった場合、国民の大半は賛成票を投じるはずです。しかし、集団的自衛権の問題など解釈の変更で平和憲法の「特別さ」を削ぎながら改憲発議の中味は「憲法9条をそのまま」と説明されても理解に苦しみます。それこそ善し悪しは別にして「国防軍」を明記した自民党の改憲草案のほうが明解な選択肢であり、誠実な政治姿勢だろうと思っています。

また、どのような条文を安倍首相が想定しているのか分かりませんが、新たな矛盾や論争の芽を残す恐れもあります。このような問題意識を抱えている中、前回記事「『総理の誕生』を読み終えて」の冒頭に記したとおり図書館で『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』という書籍を借りていました。以前の記事「『憲法改正の真実』を読み終えて」で取り上げた小林節さんの著書です。小林さんは改憲派の重鎮と呼ばれていながら立憲主義や国民主権について理解が不足している現政権に対し、護憲派も改憲派もその違いを乗り越えて対抗すべきと訴えている憲法学者です。

すぐ読み終え、「なるほど」と思えた内容が多かったため、さっそく新規記事の題材として取り上げてみます。今回「野党共闘のあり方」の問題に焦点を当てている訳ではなく、記事タイトルも長くなるため「『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』を読み終えて」としませんでした。そのため、読み終えた著書の記述にとらわれず、小林さんが語っていた同趣旨の内容をネット上のサイトから転載させていただきます。『週刊東洋経済』のインタビュー記事『安保関連法案は、結局のところ違憲?合憲?』の中の次の一文です。

日本国憲法下では、自衛隊が他国の防衛のために海外に出ていくことはできない。憲法9条2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」とある。だから、自衛隊は軍隊ではなく、警察予備隊として発足した。自衛隊はわが国の領土内で、警察や海上保安庁で対応できないほどの力が襲ってきた場合に備えるための組織であり、法的には第2警察という位置づけだ。

警察と軍隊の違いは何か。軍隊は戦争に勝つことが最優先で、大量破壊、大量殺人など通常では犯罪とされる行為が許容される。戦場で強盗などを犯すと、軍法会議という特別な法廷が開かれるが、憲法は76条2項で軍法会議を禁止している。軍法会議のない自衛隊は軍隊とはいえず、警察で交戦権もない以上は「専守防衛」に限定されると考えることは、極めて自然だ。

全体を通して興味深い書籍でしたが、特に「なるほど」と思った内容が上記のような論点でした。「自衛権に個別的も集団的もない」という理屈のもと安保法制が見直されました。上記のような論点に照らせば自衛隊の活動は領土内に限られるため、海外での活動の幅を飛躍的に広げた安保関連法は明らかに「違憲」という解釈に帰結します。これまで憲法9条の解釈が変遷してきたことも確かですが、安保関連法に関しては憲法無視の安倍政権の暴走だったことを小林さんは厳しく批判しています。

中国や北朝鮮情勢に対する見方の温度差によっても安倍政権への評価は分かれがちです。仮に情勢論から自衛隊の役割の見直しが欠かせず、憲法の「特別さ」を削ぐ必要があるのであれば96条に沿った改正の手続きに付すべきものと考えています。憲法学者の大半が「違憲」と判断した解釈変更は大きな禍根を残しています。さらに今後、憲法9条の1項と2項はそのままとしながら「自衛隊が違憲かどうかの議論は終わらせたい」という安倍首相の発想は小林さんの著書の中の「無教養な確信犯」という言葉を思い浮かべてしまいます。

冒頭に記したとおり安倍首相の企図した改憲スケジュールは修正されていくのかも知れません。しかし、いつ憲法9条の行方が問われたとしても、幅広く正しい情報をもとに判断できる環境を整えていくことが重要です。その結果、自衛隊を正式な軍隊に改め、戦争ができる「普通の国」に戻ることを国民が選択するケースもあり得るはずです。そのような選択に至った場合、それはそれで厳粛な国民投票の結果として受けとめていかなければなりません。絶対避けるべきことは不誠実で不正確な選択肢のもと憲法の平和主義が変質していくような事態です。

明解な選択肢は憲法9条の「特別さ」を維持するのか、改めるのかどうかだろうと考えています。その際、「特別さ」を維持すべきと訴える側は「憲法を守れば平和が続く」という極端な見られ方をどのように払拭していくのか、同時に「特別さ」を維持していくことが国際社会への貢献にどのようにつながっていくのか、的確に説明できる言葉を磨いていかなければならないはずです。改憲の動きに対する思いを綴ってきましたが、最後に、小林さんの著書の中で印象に残った箇所を紹介させていただきます。

戦争というものは、どんな場合もいずれくたびれて終わるのです。戦争にくたびれてきたときに、「止め男」がいると、戦争を終わらせやすくなります。そういう役割を果たせるのが、日本です。日本はキリトス教諸国とイスラム教諸国、どちらとも経済的付き合いがあり、良好な関係を築いてきました。だから、日本こそが900年続く十字軍戦争の打ち止めを手助けできるポジションにいるのです。戦争なんて人と物が消耗するばかりで、勝っても負けても何も生みません。

こういうなかで、日本がもうひとつの新しい軸を立て、調整者・仲裁者としての役割を果たすならば、そのときこそ国連安保理常任理事国にも入る資格が出てくるのではないかと思います。戦争に手を染めず、国連のよきスポンサーとしてきちんと負担金を払い、文化交流や、戦争の仲裁者として生きていけばいいのです。そうやって世界平和に貢献する。私はこれがもっとも大事なことだと思います。70年間、日本が世界史に先例のない平和大国でありつづけられたのは、ほかでもなく、憲法9条の制約があったからです。この素晴らしい地位を、安倍首相はアメリカの二軍になることによって、かなぐり捨てようとしている。本当に愚かで、もったいないことです。

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2017年7月 2日 (日)

『総理の誕生』を読み終えて

時間調整のために立ち寄った駅前の図書館で、書架に『総理の誕生』が並んでいることに気付きました。これまで著者の立場性にこだわらず、幅広い内容の文献を読むように心がけています。ただ興味を持った文献でも千円を超えるハードカバーの書籍は買うのをためらっています。そのような優先順位だった『総理の誕生』を見つけ、すぐ借りることを決めました。久しぶりの図書館利用にあたって、せっかくの機会でしたので、もう1冊借りることにしました。

次に手にしたのは『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』で、その2冊を貸出カウンターに持ち込みました。図書館の利用は本当に久しぶりで、カードの更新手続きから必要とされました。顔見知りの職員から「顔パスはできず規則で申し訳ありませんが、本人確認のための免許証等を提示願えますか」と説明を受け、決められたルールに沿った手続きを経て2冊借りてきました。

『総理の誕生』の著者は産経新聞の政治部編集委員の阿比留瑠比さんです。昨年9月に「『総理』を読み終えて」「『総理』を読み終えて Part2」という記事を投稿していましたが、『総理』の著者は山口敬之さんでした。その山口さんと並び称される安倍首相に近しいジャーナリストとして阿比留さんも有名な方です。山口さんと言えば「準強姦疑惑」が取り沙汰され、被害女性から不起訴不当と訴えられています。安倍首相と近しい間柄だから逮捕を免れたという疑惑もかけられていますが、そのようなことが事実だった場合、前代未聞の話だろうと思っています。

今回の記事タイトルは「『総理の誕生』を読み終えて」としていますが、横道にそれているような話にも触れながら書き進めていくつもりです。ちなみに山口さんの話は準強姦容疑で逮捕状が発布されながら逮捕直前で逮捕の執行が見送られていました。安倍首相が直接関与したという疑惑ではありませんが、このような事実関係に至った経緯は現時点まで不明瞭なままです。マスメディアではあまり取り上げていなかったため、この機会にマイナーな情報を提供する場として触れさせていただきました。

『なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか』の著者は憲法学者の小林節さんです。2冊ともたいへん読みやすく、数日で読み終えていました。「なるほど」と思えた内容が多かったため、こちらの著書に絡んだ話も次回以降の題材として考えています。今回の記事は阿比留さんの著書『総理の誕生』に絞り、前述したとおり時事の話題を交えながら内容の紹介や私自身の感想を添えさせていただきます。まず例によって著作権はもちろん、ネタバレに注意するためにも書籍を宣伝する次の言葉を紹介します。

産経新聞政治部の名物記者が描く、知られざる安倍晋三の肉声秘話。第一次政権の失敗とは何だったのか。あのときと現在では何が違うのか。築き上げてきた政治的資産のみならず、政治生命すら失いかけた失意のどん底から、再びここまで上り詰められたのはどうしてか。人によって好き嫌いも評価もくっきりと二分される安倍とは一体、何者であり、どんな政治家なのか。慰安婦問題、拉致問題、教科書問題、靖国神社参拝問題、日米同盟と対中関係、対メディア、消費税増税といった諸問題について、どう考え、何を語ってきたのか。98年、まだ若手だった安倍晋三に密着取材して以来、記者として18年以上もウォッチし続けてきた著者が、直接、安倍と話をし、また見聞し、現場で体験し、考えてきたことをそのまま記した。

著書の序章で阿比留さんは「一人の国民としては特に歴史認識問題や外交・安全保障問題で期待と共感を寄せてきた。また、その人柄に触れて人間としての感情移入もしてきた」と記しています。その上で、阿比留さん自身の視線と記憶を重視し、世間の一般的な評価はあえて考慮せず、阿比留さん自身が見たまま聞いたままのエピソードの再現を中心に構成したと説明しています。つまり事実関係を中心に綴りながらも、その事実関係に対する評価や表現の仕方は主観的なものであることを冒頭に宣言しています。

一方で『総理』の著者の山口さんは「取材対象に近すぎる」という批判の声があることを自覚しながら「私は親しい政治家を称揚するために事実を曲げたり捏造したりしたことは一度もない」と記し、「事実に殉じる」という内なる覚悟を示された上、独善的な視点に陥らないよう自ら戒めながら取材を続けていくつもりである、という言葉を「あとがきにかえて」に残していました。阿比留さんも事実を曲げたり捏造したりしていないはずであり、最初に自分の「視線と記憶を重視」と明かしているほうが潔いようにも思えます。

このように阿比留さん自身、安倍首相の熱烈な支持者であることを包み隠さずに綴られた著書であり、最初から最後まで安倍首相の考え方や言動を高く評価する内容が掲げられています。安倍首相が衆院議員初当選の時代から問題意識を持っていた政策や理念を実現するために総理大臣になっていること、律儀で優しく、真面目さと頑固さを併せ持ち、勉強家で記憶力の素晴らしさ、外交能力の高さなどを示す記述が具体的なエピソードとともに随所に掲げられています。

阿比留さんの目から見れば安倍首相以外の総理大臣は何かしら欠点があり、資質や能力が不足した人物だったようです。この著書だけを読んだ場合、本当に素晴らしい総理大臣に恵まれた現状だと言い切れることになります。今回のブログ記事では個々の理念や具体的な政策の是非論まで話を広げませんが、安倍首相の考え方や立場性を強く支持される方々にとって1日でも長く続けて欲しい総理大臣であることがヒシヒシと伝わってきました。

このような著書にも触れているため、安倍首相が「国民を豊かにするため」「平和を守るため」という信念のもとに様々な政策判断を重ねているものと信じれるようになっています。しかし、安倍首相の進める政策や振る舞いに対し、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか、色眼鏡を外して見ていった場合、これまでのブログ記事に綴っているような問題意識や指摘につながっていきます。そのような意味で、私からすれば阿比留さんが好意的に評価しがちとなる色眼鏡をかけているような印象も否めませんでした。

必ず成し遂げると思い定めて述べたことが、結果的に実現できないということも多々あろう。ただ、何かを尋ねた時の安倍は「それはまだ言えない」「分からない」「決めていない」と言葉を濁すことはあっても、その時点で事実とは異なること、いい加減なことを言うことはない。政治家や官僚の中には、公の記者会見などの場でも平気で都合のいい嘘をつく者が珍しくないが、安倍ははるかに誠実なのである。そんな人間性すら当時は軽蔑とからかいの対象とされたのだった。

上記は短命だった第1次政権の頃の安倍首相に対する評価の記述で、正直の上に「バカ」がつくと揶揄されていたそうです。阿比留さんは「安倍のこうした愚直なまでの真面目さや同志の議員らに示す優しさ、国民に直接向き合おうとする姿勢は、かえって政治家としての弱さだと受け取られた」と記しています。このあたりの記述を読み、「なるほど」と理解したことがあります。勝手な推測かも知れませんが、奇跡的な復活を遂げた第2次政権以降、安倍首相は周囲から軽蔑されないように「平気で都合のいい嘘をつける」強い政治家に変わったのだろうと感じ取りました。

安倍首相は講演の中で「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協が、結果として国民的な疑念を招く一因となった。地域に関係なく、2校でも3校でも、意欲ある所にはどんどん新設を認めていく」と述べ、今治市以外の獣医学部新設を突然表明しました。講演の後、日本テレビのインタビューに安倍首相は「あまりにも批判が続くから、頭に来て言ったんだ」と答えていました。第1次政権の頃の安倍首相であれば、このような「いい加減なこと」は絶対言わなかったのかも知れません。

安倍首相が将来の総理大臣候補に目している稲田防衛相は都議選候補の応援演説の中で「防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」という行政の中立性を逸脱した発言を行ない、野党側から「即刻辞任すべきだ」と強い批判を受けています。重大な問題発言であることに間違いありませんが、実際に組織ぐるみの選挙戦を企図していた訳ではないため、記者会見では「誤解を招きかねない」という釈明を繰り返しています。

ただ発言直後、自分の発した言葉の問題性を充分認識されていなかったようであり、そのことのほうが防衛相という重責に対する見識や資質を厳しく問われなければなりません。そもそも稲田防衛相は弁護士であるのにも関わらず、法的な問題性や重大さをしっかり理解されていなかったことにたいへん驚いています。ちなみに稲田防衛相の失言や失態は今回が初めてではありません。「初犯」ではないという同じようなケースで失言した今村前復興相は安倍首相から即日辞任を強いられていました。

最近、都議選を意識したかのようなタイミングで自民党政治家の失態や疑惑が次々に明らかになっています。安倍首相の側近の一人である下村幹事長代行の場合、加計学園の秘書室長からパーティ券200万円を受け取ったことがスクープされています。今後、どのような展開になっていくのか分かりませんが、第1次政権の時と同様、稲田防衛相や下村幹事長代行らに対して「同志の議員らに示す優しさ」と揶揄されないような対応が安倍首相には求められていくのではないでしょうか。

初めにお伝えしたとおり横道にそれた話が多くなりました。もう一つ加えれば、都議選投票日の前日、下記報道のとおり安倍首相は秋葉原駅前で街頭演説を行ないました。「帰れ」コールに対し、「こんな人たちに負ける訳にはいかない」と力説した時、黙って演説を聞いていた方が「こんな人ってなんだ。都民だ、国民だよ」と声を上げたそうです。最後に、この記事は都議選の投票日に投稿しているため、すでに結果が示された後、閲覧されている方のほうが多いはずです。選挙結果は事前の予想通りとなるのかも知れませんが、新たな都政の混乱や停滞の始まりにならないことを心から願っています。

安倍晋三首相(自民党総裁)は1日夕、東京都千代田区のJR秋葉原駅前で、都議選(2日投開票)の応援演説を、初めて街頭で行った。学校法人「加計学園」の獣医学部新設などをめぐり政権への批判が高まっており、聴衆の一部から「安倍辞めろ」「安倍帰れ」コールが巻き起こった。同駅前には、自民党の支援者が集まり、日の丸の小旗を振る姿などが見られた。一方で、「安倍政治を許さない」「国民をなめるな」「臨時国会をいますぐ開け」などの横断幕やプラカードを掲げる一団も。

党関係者が「自民党青年局」と書かれた旗を林立させて、プラカードなどを見えなくしようと対抗した。首相の演説が始まっても「辞めろ」「帰れ」コールはやまない。これに対し、首相が「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」「憎悪からは何も生まれない。こういう人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げる一幕もあった。首相はこれまで、ヤジが飛ぶ可能性が高い街頭で演説は行わず、党支援者が多い小学校の体育館に限っていた。都議選での街頭演説は、この日が最初で最後となった。【朝日新聞2017年7月1日 

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2017年6月25日 (日)

20時完全退庁宣言

前々回記事「もう少し加計学園の話」の冒頭に「そろそろ政治の話から離れた身近な職場課題を取り上げるつもり」と記しながら、前回も政治の話(いわゆる「共謀罪」成立)でした。金曜日には東京都議会議員選挙が告示され、7月2日に投票日を迎えます。政治の話題は尽きない時期ですが、今回は久しぶりに職場課題を取り上げます。ただ少しだけ自民党を離党した女性代議士の「絶叫暴言」報道に関わる話に触れさせていただきます。

リンクをはった先のサイトに自民党の「魔の2回生」の問題が紹介され、中選挙区時代を知る自民党重鎮の「小選挙区制は大嫌い。振り子のように振れるから育つ人も育たないし、追い風が続くと淘汰されるべき人も淘汰されない」と苦い表情で語っていることが掲げられています。都議選は1人を選ぶ選挙区と複数名当選する選挙区が混在していますが、その時々の国政の動きなどを反映した「風」が選挙結果に大きな影響を及ぼしたケースも少なくありません。

地方自治体の選挙とは言え、注目を集める選挙であればあるほど直近の民意が都議選の結果に影響を与えることも必然です。しかし、「魔の2回生」と揶揄されるような「追い風」頼みの都議会議員が誕生していくことだけは避けなければなりません。そのためには有権者一人ひとりが、各候補者の属性よりも候補者自身の主張や資質を吟味していく心構えが重要です。特に都民ファーストの会という新たな政治勢力が登場しているため、これまで以上にそのような心構えが求められているものと考えています。

さて、本題から離れた話だけで3段落費やしてしまいましたが、今回のブログ記事を書き進めるにあたって『週刊朝日』の記事『都庁、電通でも悲鳴が…働き方改革の裏で「ジタハラ」が急増中』に注目していました。その記事の内容はネット上で調べてみたところ「アエラドット」から閲覧できるようになっていました。リンク先のサイトに飛ばれる方は少ないものと思いますので、たいへん長くなりますが掲げられていた全文をそのまま紹介させていただきます。

「ジタハラ」なる言葉をご存じだろうか?時短ハラスメント、つまり労働時間短縮にまつわるハラスメント(嫌がらせ)を指す新しい造語だ。多くの企業が時短に踏み切る昨今、ジタハラに苦しむ従業員の増加を懸念する声があがっている。なぜ時短が労働者を苦しめるのか?2015年12月、電通の新入社員・高橋まつりさん(当時24)が過労自殺した事件を機に、「時短」に踏み切る企業が相次いでいる。渦中の電通は、昨年10月から全館22時消灯を宣言。同時期に、東京都庁が小池百合子都知事の鳴り物入りで20時完全退庁を開始したことも記憶に新しい。

「そのころから、長時間労働を是正したいという企業からの相談が急増しました」 こう言うのは、経営コンサルタントの横山信弘氏(株式会社アタックス・セールス・アソシエイツ代表取締役社長)だ。「時短の相談は昨年の秋から増え、以前の5倍くらいになっています。長時間労働の問題じたいは何年も前から言われていますが、電通の事件以降、あまりにメディアが騒ぐので、経営陣も動かざるを得なくなったのでしょう」 横山氏によると、このような状況が「ジタハラ」の増加を招くのだとか。たとえば、企業が「残業禁止」という方針を打ち出せば、管理部門は現場にそれを徹底させようとする。

しかし現場では、残業をしなければ仕事が終わらない。仕事が終わらなければ、当然のことながら顧客に迷惑がかかる。にもかかわらず、残業しようとすると、上司や管理部門から「帰れ、帰れ」と責めたてられる──このように時短を強要しプレッシャーを与える行為がジタハラだという。「今、多くの企業が時短を推進していますが、残念ながら、管理部門は現場の状況をわかっていないことが多い。そのため、仕事が回らなくて現場がパニックに陥るというパターンが増えています。

責任感の強い真面目な人ほど、『帰れ、帰れ』と言われることをプレッシャーに感じます。精神的に追い詰められ、うつ病に発展するケースも出てくるでしょう」(横山氏) 今回の働き方改革で政府は労使協定により残業は月60時間までを上限としているが、経団連は繁忙期のみ月100時間上限を認めるよう主張。3月28日の働き方改革実現会議(議長・安倍晋三首相)では、残業規制は繁忙期の上限を「2~6カ月平均でいずれも月80時間」とすることなどを定めた。このような状況で、時短に踏み切る企業が増えているのは、連合にとって良いニュースと思えるが?連合東京の組織化担当・古山修氏に聞いた。

「今盛んに行われている時短は、一見、悪しき慣習を是正する動きのように見えますが、そうとは限りません。労働基準監督署がうるさいから、あるいは企業イメージが良くないから、見せかけとして残業を減らしているだけという企業も多い。単に残業を削減するだけでは、本当に長時間労働を是正することにはつながりません」 時短にするだけで人員を増やさなければ、仕事はたまる一方だ。となると、従業員は仕事をこっそり家に持ち帰り「隠れ残業」をするか、早朝勤務をするしかない。それでは長時間労働が是正されたとは言えないし、隠れ残業は情報流出のリスクが大きい。そのリスクを避けるために、企業はアウトソーシングを増やすことが予想される。

「下請け業者に外注するのであれば、時間外労働も何も関係なく、いくらでも働かせられます。企業側が従業員にやみくもに『帰れ、帰れ』と言うのは、アウトソーシングを増やし、最終的には雇用関係をなくすためではないか、と私には思われてなりません。『働き方改革』という名のもとに、正社員を減らす政策と結局は同じです」(古山氏) 安倍政権の働き方改革は、「副業などダブルワークを良しとすることで正社員を減らす政策」だと古山氏。正規雇用を減らす代わりに非正規雇用や個人事業主が増えるが、彼らの立場では交渉力が弱く、長時間労働を押しつけられかねない。結局、「長時間労働の温床になる」と警鐘を鳴らしているのだ。

では、時短を進める企業では何が起こっているのか。Tさん(52)の勤める金融系リース会社では、数年前から時短を取り入れている。それまでは毎日21~22時まで残業していたのだが、労基署の監査が入ったことをきっかけに、20時以降は原則残業禁止となった。「時短になると聞いたときは、早く帰れてラッキーと思いました。が、実際に始まると大変でした。明日までにやらなければならない仕事があるのに、帰れと言われるのです。仕事がどんどんたまっていき、お客さんとのアポを延期してもらうという、本来あってはならないこともしていました。当時は周りもみんな同じで、時短なんてやめて残業させてほしいと思っていましたね」(Tさん)

しかし、3カ月もすると20時退社のペースに慣れてきた。仕事の優先順位を考えて、無駄な作業を極力排除したのだ。たとえばお客さんのところへ4回顔を出していたのを3回にする。自分がしなくていい仕事は人に代わってもらった。昨年10月から「20時退庁」に踏み切った東京都庁でも、総務部などに懸念の声が寄せられている。「午後8時を過ぎたら15分おきに消灯されるので、都議会の資料作成などで仕事が山のように増えても残業できなくて困る」「クオリティーはある程度犠牲にせざるを得ない」「早朝出勤や休日出勤が増えないか懸念」「年度後半は業務量が大幅増になるので継続が心配」 

同じく1年前から定時退社を導入したある企業は、サービス残業、休日出勤、持ち帰り残業も厳禁という徹底ぶりだったが、社員によると、残業できなくなったからといって増員されることはなかった。「上司は時間内に終わらせられるように配慮して指示を出さなければならなくなり、部下にたとえばプレゼン用に三つ案を作れとは言えなくなった。部下からも提案が減り、最低限、言われたことしかやらなくなる。皆で意見を出し合うミーティングは時間がかかるので廃止となり、コミュニケーションが悪くなった」(関係者) 終わらない仕事は、アウトソーシングにすればひとまず解決かと言うと、そうでもない。連合東京の古山氏はこう言う。

「本人が好きでやっている仕事であれば、部分的にアウトソーシングをすることでモチベーションが下がってしまいます。仕事というのは、楽しければ長く働いても疲れません。楽しく仕事をしている人間にとって、『帰れ』と言われるのはつらいものです。また、本人にしかできない仕事もあり、物理的にアウトソーシングが不可能という場合もあります」 確かに、自分に任されたプロジェクトは最後まで責任を持ってまっとうしたいと思う人が多いだろう。そういう仕事の「やりがい」の面を無視するのも、ジタハラの一種と言えそうだ。前出のTさんが言う。「切りの良いところまで仕事ができないのは非効率的と感じます。提案書を書いている途中で時間切れになると、翌日、また一から考え直さなければならない。かえって時間がかかってしまいます」

メディア、広告会社などクリエーティブな要素のある仕事は、単純に時間で区切ることができない。「突然、22時消灯に踏み切った電通の現場は、おそらく今パニック状態に陥っているのではないでしょうか」(横山氏) 古山氏もこう指摘する。「かつては、企業によって研究職の人を自由に遊ばせておくという風土がありました。そうすると、画期的なアイデアが生まれることがある。世紀の発見とか大ヒット商品の発明などといったものは、時間に縛られていては生まれません。こういう仕事は、賃金体系から見直す必要があります」一方で、労働時間の長さでしか成果を測れない仕事もある。

「店舗スタッフや事務作業員、物流スタッフなどは、働いた時間の分だけ加算されるという考え方の仕事です。そういう仕事をする人たちは、残業代で収入を保っている面があるので、残業削減などしてほしくない。これが時短が進まない大きな理由のひとつです」(横山氏) 長時間労働は、賃金体系の差や個々人の意識の差などが複雑に絡んだ根深い問題なのだ。時短を進めるにしても、すべての従業員に一律に適用するのではなく、個々の仕事内容や状況に合わせて斟酌するのが理想と言える。(ライター・伊藤あゆみ)【週刊朝日2017年4月14日号抜粋

これまで当ブログでは昨年10月に電通の高橋まつりさんの事件を取り上げた「電通社員が過労自殺」以降、「働き方改革の行方」や「36協定について」など長時間労働に関する記事を投稿していました。それらの記事を通し、36協定は締結そのものが目的ではなく、重要な目的は労働者が健康を害さないよう長時間労働を規制するためのものであるという点を綴っていました。使用者側だけの都合による恣意的な時間外労働を防ぐための制度であり、36協定を締結していても電通のような実情に至ってしまっては論外な話です。

決められたルールを職場の中で守っていくという当たり前な意識を使用者側も労働者側も徹底し、36協定を実効あるものにしていくためには労働組合を有名無実化させないことが重要であることを記してきました。『週刊朝日』の記事に掲げられているとおり東京都では昨年10月から20時完全退庁を始めています。都庁職員からは「帰りやすい雰囲気ができた」という肯定的な声がある一方、「仕事が山のように増えても残業できなくて困る」「クオリティはある程度犠牲にせざるを得ない」「早朝出勤や休日出勤が増えないか懸念」という声が上がっていました。

民間企業でも同様な動きがあり、「残業禁止」という方針を打ち出せば現場の管理部門はそれを徹底させようとします。急ぎの仕事があって残業しようとすると上司から「帰れ、帰れ」と責め立てられ、責任感の強い真面目な人ほどプレッシャーを感じがちです。時短を強要する行為をジタハラ(時短ハラスメント)とも呼ばれていることを『週刊朝日』の記事で初めて知りました。このような動きが強まる中、私どもの市でも5月31日に20時完全退庁宣言を行ない、6月から実施に移されています。

残業縮減の具体策を検討してから宣言すべきという意見が幹部の中から示されたようですが、市長には「精神疾患、過労につながってしまう問題」という強い危機感がありました。そのため、まず宣言することで職員の意識啓発に努め、具体的な取り組みは走りながら検討していくという判断に至っていました。5月31日水曜のノー残業デーの就業時間終了後、市長自ら本庁職場を巡回し、時間外勤務縮減の協力を求めるとともに残業中の職員に事情を聞いて回られていました。

そもそも長時間労働の是正は労使でめざすべき共通した課題ですが、この宣言によってサービス残業を増やすような悪影響が出てしまっては問題です。組合は宣言がされる前、5月29日に緊急の申し入れを市当局に行ないました。組合からは本来、すべての職場で完全退庁できる職場体制を確立した後に宣言すべものではないか、この宣言によって時間外勤務の未申請が増えないか、様々な懸念点を訴えました。この申し入れを通し、宣言したから一律に現状を改めることを強要するものではない、都のような一斉消灯は行なわないことなどを確認していました。

通常、労使交渉の窓口は副市長が担当しています。この申し入れの後、市長とも直接話す機会があり、私から「いろいろな意見もありますから」と伝えていました。市長ご自身もそのような声があることを理解され、これからの取り組みが重要であるという認識を共有できました。ちなみに5月末の時点で、組合から今回の問題に絡んだ具体的な要求書を提出することを伝えていました。市当局も職員の働き方改革に関する検討を進めていく際、労使で協議していくことが不可欠であることを認識しています。

20時完全退庁宣言がされ、よりいっそう時間外勤務のあり方が問われる局面を迎え、5月末に発行した組合ニュースの見出しは「20時に完全退庁できる職場体制の確立こそが急務」でした。6月に入ってから発行したニュースでも時間外勤務の問題を大きく取り上げ、働き方改革が「働かせ方」改革になってしまうようでは問題であり、職員一人ひとりの健康を第一に働きがいのある職場をめざすことを記していました。あわせて次のとおり具体的な例示をもとに注意喚起する機会にもつなげていました。

「19時までの残業は残業とは認めない」などという誤った運用があった場合、即刻改めてください。短時間の時間外勤務となった場合、事後でも問題ありませんので必ず実施申請してください。午後8時までの予定が長引いた場合も同様です。翌日以降、実態に合わせた申請をしてください。実施申請しないとサービス残業に該当します。業務に関連した地域団体等との会議や出張も時間外勤務に当たります。必要な旅費等が自己負担だった場合は問題です。このような問題が強いられた場合、ただちに組合まで連絡してください。

先週木曜、6月22日には「時間外勤務縮減に関する要求書」を市当局に提出しました。要求書では欠員による時間外勤務の影響や職場ごとの時間外勤務縮減策の提示を求めています。また、特別時間外勤務申請手続きや代休制度の運用がサービス残業を助長している状況に対し、是正するよう要求しています。日程が調整できれば6月末までに団体交渉を開き、交渉の場での回答を求めています。

都政新報』の取材に人事課長が「実際の仕事がある中で、いかに折り合いを付けていくかが改革の本丸。人事課が先行的に改善策を打ち出すよりもボトムアップで意見を吸い上げ、改革につなげたい」と語っています。問題意識のスタートラインは同じであり、労使協議の本格化に向け、職場実情や各自のライフスタイルを踏まえた組合員それぞれの率直な声の把握が欠かせません。ぜひ、お気軽に組合までご意見や要望をお寄せください。このような労使協議を通し、組合は誰もが20時までに完全退庁でき、健康でいきいきと働き続けられる職場の確立をめざしていきます。

最後に、20時完全退庁宣言に際し、組合が迅速に対応し、市当局に懸念点を率直に申し入れたことが組合員の皆さんから思っていた以上に評価されています。ある組合員の方からは「いつも組合をやめようと考えていたけれど今回のような動きがあると、やっぱり組合は必要だなと思いました」と話していただけました。労働組合の存在感が問われがちな中、たいへん有難い励みとなる言葉を頂戴できたものと考えています。

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2017年6月17日 (土)

いわゆる「共謀罪」成立

前回記事「もう少し加計学園の話」の冒頭、そろそろ政治の話から離れた身近な職場課題を取り上げるつもりであることを記していました。国会の会期が延長されているようであれば今週末に投稿する新規記事は「ジタハラ」に絡んだ内容を考えていました。しかし、与党は参院法務委員会での採決を省く「中間報告」という異例な手法を強行し、組織犯罪処罰法改正案、いわゆる「共謀罪」を成立させました。このようなタイミングとなり、今回も政治の話を書き進めていきます。

犯罪の合意を処罰する「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法は15日朝の参院本会議で、自民、公明の与党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。参院法務委員会での採決を省略し、本会議で「中間報告」を行う異例の手法で、与党が採決を強行した。14日から徹夜の攻防で、抵抗する野党を押し切った。一般市民が処罰対象になったり、内心の自由が侵されたりする恐れが指摘される中、政府は同法を7月11日に施行する方針だ。採決の結果は、賛成165、反対70だった。参院で自民党と統一会派を組む日本のこころも賛成に回った。民進、共産、自由の各党は反対した。

安倍晋三首相は成立を受け「東京五輪・パラリンピックを3年後に控え、一日も早く国際組織犯罪防止条約を締結し、テロを未然に防ぐために国際社会と連携していきたい」と官邸で記者団に強調。その上で「適切、効果的に法律を運用していきたい」と述べた。民進党の蓮舫代表は、参院本会議での採決に先立つ討論で「安倍内閣に共謀罪の執行を委ねたら、どんな運営をされるかという不安は、際限なく膨らんでいる」と批判した。野党4党は成立阻止を目指し、14日夜に安倍内閣不信任決議案を出したが、衆院本会議で15日午前2時前に与党などの反対多数で否決された。これを受け同3時半ごろ、参院本会議で秋野公造法務委員長(公明)が中間報告を実施。続いて採決が行われた。

与党は、性犯罪の厳罰化を柱とする刑法改正案を16日の参院本会議で可決、成立させ、18日までの会期を延長せず国会を閉会する方針。学校法人「加計学園」問題を巡る野党の追及を避け、23日告示の東京都議選への影響を最小限にとどめる狙いがある。「共謀罪」法は犯罪の実行を2人以上で計画し、うち1人が準備行為をした場合に罰せられる内容。実行後の処罰を原則としてきた刑法体系が大きく変わる。【東京新聞2017年6月15日

上記報道のとおり「共謀罪」が成立したことで6月18日までの会期だった通常国会は延長されずに閉じられることになりました。「加計学園の問題を巡る野党の追及を避け、23日告示の東京都議選への影響を最小限にとどめる狙いがある」と記されていますが、この思惑を否定できる方は極めて少数なのではないでしょうか。ただ法案そのものの成立に関しては賛同されている方々が決して少数でないことも認識しています。例えばフリーアナウンサーの長谷川豊さんは『「共謀罪がぁ」と言って必死になって論のすり替えをしている連中に言いたい』というブログ記事を投稿されていました。

テロ等準備法について。というか「改正組織犯罪処罰法」について。必死になって「共謀罪」「共謀罪」と訴え、唾を飛ばしながら反対を唱える方々がいるが、そのロジックがこちら。「捜査機関が解釈で法に触れると判断すれば、一般市民だって捜査の対象とされて、
盗聴や監視や密告などの手段を通じ、話し会いや計画の段階から情報の収集が行われて、処罰の対象となる危険性が生まれた。これは言論・思想の自由が脅かされることに他ならない!」 おいおいおいおい。話のすり替えも甚だしい。勘弁してくれ。私のコラム読者ならもう解説もいらないだろうが、あまりにふざけているのでコメントさせてほしい。

「一般市民が捜査機関の解釈で法に触れると判断」され、その結果【捜査の対象】になることが重要なんじゃないか。それを今まではな~~~~んにもしてこなかったから、危険だって話だろ? 話のすり替えはその後だ。「処罰の対象となる危険性が生まれた!」 おい、いい加減にしろ。「捜査の対象」となることと「処罰の対象になる」は全くリンクしていない話だ。いい加減な論説を広めるんじゃあない。「捜査するぞ!」「テロ行為を準備しようとするなら、それだけでも捜査してやるぞ!」

ここが大事なんじゃないか。その捜査の結果、一般市民は何にも悪いことなどしていないし、テロの準備など全くしていない訳だ。その段階で「捜査のご協力、ありがとう」でおしまいだ。なんでこれに「一般市民」が巻き込まれるんだ?どういうロジックなんだ。それ?どうも、こういうことを必死に叫んでいる人々というのは、年末に飲酒運転の検閲を行っているあの交通安全課の取り締まりを許すことが出来ない人らしい。「何の罪もない一般人」」が「死ぬほど捜査対象になって」るが、あの息をスーハーする奴が何があっても許せないらしい。

きっと空港のサーモ検査とか、腹が立ってしょうがないのだろう。何の罪もない乗客をエックス線検査するのだから。体のラインまで分かっちゃうんだから。「容疑者」と「犯罪者」は違う。「捜査」と「処罰の対象になる」は全然違う。その程度の日本語が分かっていないらしい。「警戒」は当然必要なことだ。どの世論調査を見ても賛成多数の「テロ等準備罪」を盛り込んだ「改正組織犯罪処罰法」。安保法案の時と全く同じことを繰り返したい。こんなもん、普通だ。騒ぐだけ勉強不足がバレるだけであることを自覚した方がいい。

長谷川さんは最後に「勉強不足がバレるだけ」と記されていますが、本当にその通りなのでしょうか。言うまでもありませんが、テロを未然に防ぐための手立てを全力で構築するという考え方は誰も否定できないはずです。したがって、今回の法案がテロ防止に特化したものであれば、もっと世論調査等で賛同する声が増えていたように思っています。ちなみに金曜夜の『報道ステーション』に出演した憲法学者の木村草太さんは今回の法案とテロ対策との関係を次のように語っています。

共謀罪については、政府は2つの目的があるとずっと説明してきた訳で、パレルモ条約批准とテロ対策と言ってきた訳です。しかしパレルモ条約というのは、そもそもテロ対策の条約ではなく、マフィアや暴力団の対策のものですし、それから日本は暴力団対策も進んでいますし、重大犯罪については、予備罪が処罰され、しかも予備罪の共謀共同正犯ということで、予備行為の共謀した関わった人はみんな逮捕出来るという法律ですから、これは今回の法律が無くてもパレルモ条約に批准できるのだろうという、専門家のあの強く言われていた意見でした。

それから、やはりテロ対策の法律という点も大きな問題があって。テロ対策については、実は関連する条約に基づいて充分な立法がなされていると言われています。実際下見とか資金準備など、今回の法律で捕まえるぞという問題については、『公衆等の脅迫目的の犯罪行為の為の資金等の提供等の処罰に関する法律』というちょっと長い名前の法律があって、既に包括的に処罰対象になっていました。ですからテロ対策に、今回の法律が付け加えることは何もなかったんですね。今回テロの危険と監視社会のどっちを選ぶか?みたいな論点が形成されてたんですが、そもそも今回の共謀罪、テロ対策には使えない、使わないものな訳ですから、そういう論点の形成自体が間違っていた。

本当の論点というのは、テロ対策という政府の噓を許すかどうかという論点で。この論点であれば結論は明らかである訳ですね。やはりあの政府の目が、政府が国民を誤摩化しにきた時に、やはり多くのメディアがきちんとそれを見抜き、また有識者もテロ対策というのは噓だなということをきちんと見抜かないと、国民が正しい判断ができません。ですからやはり、メディアの側も日頃から優秀な専門家とコミュニケーションを取って欲しいと思いますし。やはり今回、あのテロ対策だからこの法律に賛成したという有識者の方は、是非本当に自分が発言した資格があったのかどうか、きちんと考えて欲しいと思いますね。

予備罪と共謀共同正犯との組み合わせでテロを計画・準備していた場合、現行法でも逮捕できることが説明されています。「テロ対策という政府の嘘」とまで言い切ってしまうのはどうかと思いますが、テロ対策を前面に押し出せば法案が通しやすいと考えたことは間違いないはずです。嘘と言えば、安倍首相は五輪招致の際に「東京は世界有数の安全な都市」と強調していましたが、「国内法を整備し、国際組織犯罪防止条約を締結できなければ東京オリンピックを開けない」と矛盾する発言に転じていました。

「安全な都市」が嘘だったのか、「国内法を整備しなければオリンピックは開けない」が嘘だったのか、どちらかが嘘だったことになります。ただ第1次政権の時から安倍首相の言動を注視してきていますが、嘘をついているという認識のないまま発言しているようにも見受けられます。話は少し横道にそれますが、安倍首相は国会で答弁中に「野次を止めてください」と発言した直後、閣僚席に戻ると自分も野次を放っていました。嘘云々以前の問題としてトップリーダーの資質が問われてしかるべき振る舞いであるように危惧しています。

これまでも当ブログの中で記していますが、安倍首相が「国民を豊かにするため」「平和を守るため」という信念のもとに様々な政策判断を重ねているものと信じています。そのため、安倍首相が進める法案だから反対するという思考は避け、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか、色眼鏡を外して物事を見ていくように努めています。このような思考や判断基準のもと今回の組織犯罪処罰法改正案、いわゆる「共謀罪」の成立に私自身は反対していました。

一方で、パレルモ条約批准の必要性は認識していますので、その目的に特化した法整備は進めるべきものと考えています。民主党政権時代、実現できていれば今回の課題の一つは解決済みだった訳であり、たいへん残念なことだと思っています。共謀罪のある国でもテロは防げないという言い分を耳にします。しかし、どれほど法整備を進め、罰則を強めても犯罪を根絶させることは困難です。残念ながら現状ではテロも同様な見方をしなければなりません。そのような中でも可能な限りテロは未然に防ぐべきものであるため、共謀罪だと批判されないようなテロ対策に特化した法案であれば前述したとおり賛同者は多数を占めていたはずです。

法案が成立後、幅広い情報を得ることの大切さを踏まえ、ネット上で数々の意見に目を通しています。その中でも弁護士の方々が強く反対していることに着目しています。一つ一つ紹介し、私自身の拙い文章を補強したいところですが、これ以上長い記事になることも控えなければなりません。そのため、最後に弁護士であり、自民党の衆院議員だった早川忠孝さんのブログの記事「さて、こういう質問にはどうやって答えるのがいいのだろうか」に絞って紹介させていただきます。

捜査の対象になったことがない方に、警察の捜査の現場でどういうことがあるのかを理解していただくのは難しい。裁判所や検察のチェックが十分機能していれば、警察の暴走などあり得ない、何も心配しなくてもいい、ということになるのだが、私の拙い経験から言うと、裁判所は殆どチェック機能を果たしていないし、検察が警察を適正にチェック出来ているとも言い難い。検察官が捜査指揮をしているような刑事事件であれば、それなりに適正な捜査が行われている、と信頼していいケースが多いのだろうが、多くの場合は、検察の捜査は警察の捜査を事後的にチェックして起訴するかしないか決めるための上書き捜査をするだけに終わってしまうだろうから、まずは、警察の捜査がどんな風に行われているかを理解してもらう必要がある。

所詮は人間がやることだから、警察にも見込み違いや勘違いがあることは否定できない。組織的犯罪処罰法の適用となる団体について、「『団体』とは、共同の目的を有する多数人の継続的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織(指揮命令に基づき、あらかじめ定められた任務の分担に従って構成員が一体として行動する人の結合体をいう。以下同じ。)により反復して行われるものをいう。」と規定されているから、反復性のない一般の人にはこの法律は適用されるはずがない、と主張される方がおられるが、反復性があるのかないのかは、調べなければ分からないことだから、警察の方で反復性がありそうだ、というあたりを付けられてしまえば、とりあえずは捜査の対象になってしまう可能性は否定できない。

捜査の結果反復性がないことが明らかになれば、検察が起訴しないことは当然だが、一旦なされた警察の捜査がそれで帳消しになったり、なかったことになるようなことはない。起訴はされないんだし、裁判所で有罪の裁判を受けることにもならないのだから、それで構わないんじゃないか、と言われても、捜査の対象となった人にはとても我慢できないはずだ。テロという凶悪重大な犯罪の嫌疑をかけられたのだったら、被害の発生を未然に防ぐためだからある程度は我慢してくださいね、ぐらいのことは言えるだろうが、およそテロとは関係がない一般犯罪について、その計画に加わっただろうなどと言われて捜査の対象にされてしまうことまで甘受すべし、とはなかなか言えないはずである。

反復性が求められているのは、あくまで組織的犯罪集団そのものであって、個々の個人について計画関与の反復性まで求められているわけではない、ということにも留意しておくべきだろう。反復性が認められる組織的犯罪集団の犯罪実行計画のいずれかに関わったのではないか、という嫌疑が掛けられると、計画に関わったいずれか一人が準備行為まで行ってしまうと、計画に関わったすべての者が計画罪を行った、となってしまうところが、最大の問題点になるだろう、というのが私の見立てである。

テロ等の凶悪重大犯罪の実行を計画するような組織的犯罪集団の構成員やその周辺にいる組織的犯罪集団と密接な関係を有する人間を一網打尽にして、テロ等凶悪重大犯罪が発生する温床を根絶やしにすべし、という議論には賛同するが、テロ等の重大凶悪な犯罪を実行するような組織的犯罪集団とはとても思えないような一般の団体や企業、労働組合の様々な経済行為にまで網を拡げるようなことは止めておくべきだ、というのが私の基本的見解である。

テロ等の凶悪重大な犯罪ならともかく、著作権侵害、意匠権侵害、法人税逋脱、詐欺破産、集団的威力業務妨害などなど、そもそも犯罪になるのかならないのか境界線が不分明な行為について、その実行の計画に関与した、という嫌疑で逮捕されたり、捜査の対象になってしまうことは、さすがに行き過ぎだろうと思う。具体的にどういう風に法の執行がなされていくのか分からない状態で、政府当局の、大丈夫、大丈夫という、いささか自信なげな保証を鵜呑みにすることは出来ない。そんなことは杞憂だ、絶対にそんなことはない、と仰る方は、何を根拠にそう仰るのだろうか。

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2017年6月10日 (土)

もう少し加計学園の話

このブログでは政治的な話題の投稿が多くなっています。以前の記事「組合の政治活動について」の中で説明したとおり「丁寧な情報発信」のツールの一つとして、意識的に政治に関わる内容を取り上げている傾向があります。その一方で、日常の組合活動の中で政治的な課題が占める割合はごくわずかであり、賃金や人員確保、人事評価制度の労使協議などが重要な取り組みとなっています。

ブログでの題材の取り上げ方にギャップがあり、もちろん四六時中、政治的な問題に頭を悩ましている訳でもありません。不特定多数の方々が関心を寄せやすく、話題や論点も共通認識できるため、地味でローカルな話となりがちな日常の活動よりも政治的な題材を取り上げている側面もあります。さらに前回記事「一つの運動として」に記したとおり不特定多数の方々に「働きかける」という自分なりのささやかな運動と位置付け、このブログに向き合っています。

そろそろ今回は政治の話から離れた身近な職場課題を取り上げるつもりでした。それでも結局、今、最も提起したい自分なりの問題意識を書き進めることにしています。その時々に訴えたいこと、書きたいことを綴るスタイルが私的なブログを長く続ける秘訣かも知れませんのでご理解ご容赦ください。そのような中で、記事タイトルに掲げたとおり私自身が最も注目している話題は加計学園に絡む問題でした。

これまで加計学園の問題に対する私自身の認識は最近の記事「李下に冠を正さず」「共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪」「一つの運動として」の中で立て続けに触れていました。その中で「もし政府が解明に向けて消極的なままであればあるほど疑惑は高まっていくと言わざるを得ません」と記していました。この見通しは当たってしまい、かたくなに再調査を拒む政府に対する風当たりは強まっていきました。ようやく先週金曜、国民からの厳しい声を受け、松野文科相は省内の内部文書等の再調査に入ることを明らかにしました。

学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画をめぐり、内閣府が文部科学省に早期開学を促したとされる文書について、再調査を拒み続けた文科省が9日、ようやく重い腰を上げた。「文書の存在は確認できなかった」と言い切った調査から21日。文書の存在を認める前事務次官の証言などに追い込まれた末の方針転換で、同省の信頼は失墜した。「追加調査の必要があると国民の声が多く寄せられた。真摯に向き合い、徹底した調査を行いたい」。松野博一文科相は9日の記者会見で再調査の理由をこう説明した。だが、調査する文書の範囲や聞き取りの対象人数など具体的な方針は明らかにしなかった。

記者から「前回の調査が不十分だったのでは」などと責任を問う質問が相次ぎ、松野氏は時折首をかしげたり、聞き直したりする場面も。質問を求める手が挙がる中、「行政がゆがめられたことはない」と強調し、13分で会見を打ち切った。この日国会内で開かれた民進党のヒアリングでも、出席した担当職員が「方針を検討している」とあいまいな説明を繰り返した。今回も第三者は入れず、文科省だけで調査するという。同党の玉木雄一郎幹事長代理は「メールの確認なら半日どころか30分でできる。時間稼ぎで文書を削除しているのではないか」と批判した。

再調査の表明に、ある同省職員は「遅きに失した感はある。もし文書が見つかればさらにダメージを受けるだろう」と肩を落とす。同省幹部は「息を潜めて国会の閉会を待っていたのだろうが、官邸がもう持たないと再調査を決めたのだろう。大臣は会見で『私が調査をしたいと総理に伝えた』と言ったが、誰もそんな話は信じない」と突き放した。別の職員は「文書問題にけりをつけ、認可をめぐる行政のゆがみがあったかどうかという本質の議論に向かってほしい」と話した。

先月25日、前川喜平前事務次官が記者会見して「文書は確実に存在していた」と証言。現役職員が野党に内部告発したとみられる動きも相次いだ。一方、文科省による先月19日の調査は実質的にわずか半日で終わり、「文書の存在は確認できなかった」との結果を明らかにした。高等教育局の幹部ら7人への聞き取りと共有フォルダー内の文書を確認しただけで個人パソコンを調べない調査方法に、疑問の目が向けられていた。【毎日新聞2017年6月9日

記者会見で松野文科相は安倍首相から「徹底した調査を速やかに実施するように」と指示されたことを伝えていましたが、なぜ、もっと早い段階で安倍首相が同様な指示を出さなかったのか疑問です。「あったものをなかったものにできない」ことを覚悟されたのかも知れませんが、文書が本当にあったとしても「首相の指示はなく、加計学園への利益誘導は一切ない」という立場を貫く構えであることも報道されています。

安倍晋三首相は5日の参院決算委員会で、学校法人「加計学園」(岡山市)による国家戦略特区での獣医学部新設計画について、「(首相は)関与できない仕組みになっている。国家戦略特区諮問会議でしっかりと議論がなされ、そこで決まる。介入する余地はない」と述べ、制度上、自身が選定過程に関わることはできないと強調した。文部科学省の前川喜平前事務次官は、和泉洋人首相補佐官や加計学園理事の木曽功内閣官房参与(当時)から昨年、早期開学を求められたと主張している。これに関しても、首相は「(両氏に)私が指示したことはあり得ない」と自身の関与を否定した。民進党の平山佐知子氏への答弁。

首相はまた、前川氏が獣医学部新設を批判したことに対し、「(次官在任中に)私と会う機会があったのに、このことは一言も話さず、松野博一文科相にも全く主張していない。驚くしかない」と反論。「天下り隠蔽の責任を取って辞めざるを得なくなった方が、今になって急になぜ言うのか、当惑している」とも語った。日本維新の会の石井苗子氏への答弁。参院決算委はこの後、2015年度決算を与党などの賛成多数で可決した。【時事通信2017年6月5日

上記のとおり政府は今後、国家戦略特区法に基づき適正に手続きを進めたことをよりいっそう強調していくのかも知れません。和泉洋人首相補佐官の「総理は自分の口から言えないから私が代わりに言う」との発言などは直接指示されていない忖度であり、あくまでも安倍首相の意向も四国に獣医学部を新設することの意義を踏まえたものであり、決して知人に便宜をはかろうとしたものではない、結果的に「腹心の友」が経営している加計学園に決まった、このような説明が改めて繰り返されていくのではないでしょうか。

国家戦略特別区域諮問会議の議長は安倍首相であり、議事録に「総理のご意向」が残っていても不思議ではありません。それでは、なぜ、ただちに徹底した調査を指示できなかったのでしょうか。やはり不本意な疑惑を招かないためには「李下に冠を正さず」という姿勢が必要だったように思っています。「誰が」や「どの政党が」に重きを置かない思考に努めたいため、橋下徹前大阪市長の主張もよく目を通しています。加計学園問題における安倍政権の対応を指摘した記述の中で下記の内容には大きく首肯しています。

問題があるとすれば特区というものを活用する際に、首相と非常に近しい間柄の人に利益を与えることになる場合の政治的な振る舞い方。僕ならこういう状況では自分の友人にはあえて辞退してもらうね。どうしても親しい友人が利益を受けそうであれば、それこそ幾重にも手続きを被せて後から批判されることがないように細心の注意を払っただろう。少なくとも自分の友人だけでなく複数事業者を審査のテーブルに載せて、フルオープンの場で厳しく審査してもらうことは絶対に必要不可欠だった。今回は色々な条件が事前に付されて結局首相の友人である加計さんの学園だけが審査対象になった。これは非常にまずかった。

ちなみに加計学園の問題を追及する野党や大きく取り上げるメディアが批判される場合もあります。経団連の榊原会長も「集中して議論してほしい項目が山ほどある。優先順位からすれば加計学園ではないだろう」と苦言を呈しています。優先順位を付けて議論することは重要です。ただ疑念が解消されないまま幕を閉じれるような問題ではないはずであり、元外務官僚の天木直人さんは「これでも安倍政権を倒せないなら国民の怒りは野党に向かう」とまで指摘されています。

実は今回、もう少し加計学園の話を取り上げようと考えた理由として、次のような問題意識があったからです。政府が「あったものをなかったものにする」疑念をはじめ、そのことを文科省末端まで強要しているような現状を強く危惧しています。紹介した時事通信の記事によれば、安倍首相は「(前川前次官が在任中に)私と会う機会があったのに、このことは一言も話さず、松野博一文科相にも全く主張していない。驚くしかない」と反論しています。

確かに前川前次官にも反省すべき点があったのかも知れませんが、現職ではないからこそ覚悟を決めて詳らかにできたという側面も押さえなければなりません。つまり部下が上司に意見具申しづらくなっている政府組織に陥っていないか、安倍首相側にも省みるべき点があるはずです。そもそもトップの強い意向に真正面から反論できる官僚のほうが稀なのではないでしょうか。このような問題意識を強めた一因は下記のような報道に接していたからです。

安倍晋三政権が、慰安婦問題の「日韓合意」を順守する決然とした姿勢を示した。外務省は1日付で、森本康敬釜山総領事の後任に、道上尚史ドバイ総領事を充てる人事を発表したのだ。森本氏は今年1月、韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことへの対抗措置として一時帰国した際、政府方針に異を唱えたとされる。事実上の更迭といえそうだ。森本氏は昨年5月に着任したばかりで、約1年での交代は異例。外務省は1日付で森本氏に帰国命令を出した。日本政府は昨年12月、釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことを受け、長嶺安政駐韓大使と森本氏を一時帰国させた。

これは、日韓合意の交渉過程で、安倍首相が、当時の朴槿惠(パク・クネ)大統領に対し、ソウルの日本大使館前の慰安婦像の撤去を強く求めたうえで、「韓国内外の新たな慰安婦像設置も、明確な合意違反です」と伝えていたためだ。早期帰任を模索した外務省に対し、官邸は長嶺、森本両氏の「無期限待機」を指示した。森本氏は帰国後、知人との会食の席で、自身の帰国を決めた官邸の判断を批判したとされ、この話は官邸関係者の耳にも入った。森本氏は周辺に「酔って覚えていない」と話したとされるが、官邸は「一枚岩で韓国と対峙する」との方針を示しており、「韓国側に誤ったシグナルを送りかねない」と問題視していた。

その直後、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長率いる北朝鮮が、「6回目の核実験」や「ICBM(大陸間弾道ミサイル)発射」など、米国が設定した「レッドライン」を超える可能性が急浮上した。ドナルド・トランプ大統領が「斬首作戦」「限定空爆」に踏み切るとの観測も出てきたため、今年4月、「邦人保護」を優先させて、長嶺、森本両氏を帰任させていた。日韓合意は「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したもので、慰安婦像撤去は韓国の義務だ。今回の更迭は、「極左・従北・反日」とされる文在寅(ムン・ジェイン)新政権に対し、日本の断固たる姿勢を示す意味もありそうだ。【ZAKZAK2017年6月2日

上記のケースは私的な場での発言が更迭の理由にされています。安倍首相自身は総理と自民党総裁の立場を使い分け、首相夫人は公人と私人の立場を使い分けても官僚には公私の立場を峻別させない、たいへん驚きました。一枚岩で対峙することは重要ですが、締め付けが度を越せば、組織全体が委縮し、より望ましい判断を見出すための多面的なチェック機能が働かなくなります。最後に「またか」と言われそうですが、ちょうど同じような切り口で『日刊ゲンダイ』も記事にしていましたので全文をそのまま掲げさせていただきます。

霞が関にとって、6月は人事のシーズン。「加計学園文書」の流出で官邸の怒りを買った文科省には、粛清の嵐が吹き荒れるとみられ、職員は戦々恐々となっている。文科省の前川前次官の捨て身の告発に、心ある官僚が続くことを期待したいが、現役職員は今回の騒動の“とばっちり”を恐れて逃げ腰だ。「もちろん、心情的には前川前次官に共感するところはあります。でも、官邸に牙をむくなんて、そんな恐ろしいこと、できるわけがない。この夏の人事でどんな報復が待っているか、分かったものじゃありませんから」(文科省関係者)

実際、官邸は文科省にカンカンだ。審議官や局長クラスに息のかかった経産官僚を送り込み、文科省を解体するプランも浮上しているという。「加計文書」共有の実名入りEメールを民進党に流出させた犯人捜しにも血眼になっている。例年、通常国会が閉じると、中央省庁の人事異動が行われる。安倍官邸は内閣人事局の創設で幹部の人事を掌握し、霞が関に睨みを利かせてきた。官邸の方針に逆らえば左遷、忠犬のように働けば昇進というアメとムチ。そういう情実人事で官僚機構を支配下に置き、かつては政権を潰す力をも持っていた財務省も軍門に下った。某省の幹部職員が言う。

「大臣が了承した人事案も、菅官房長官が首を縦に振らないと通らない。官邸の意向を反映するまで、何度でも突き返されます。財務省、経産省のような主要省庁だけでなく、昨年はTPP関連で、農水省人事にまで手を突っ込んで、霞が関を震え上がらせた。官邸の方針に抵抗した局長を飛ばして、経産省から幹部を送り込み、農水省を事実上の“子会社化”したのです」

安倍首相は1日、ニッポン放送の番組収録で一方的な前川批判を展開。「次官であれば、『どうなんですか』と大臣と一緒に私のところに来ればいい」「なんでそこで反対しなかったのか」などと不満をブチまけた。だが、在任中に批判しようものなら、容赦なくクビにするのが、この政権のやり方だ。1日、森本康敬釜山総領事を退任させて、後任にドバイ総領事を充てる人事が発表された。報道によれば、森本氏が知人との会食の席で、官邸の方針を批判したことが総領事交代の原因とされる。

「私的な会合での発言まで問題視するのは異常ですよ。誰が密告したのか知りませんが、審議中の共謀罪の懸念がすでに現実のものになっている。また、こういう記事が出ることで、官邸批判は絶対に許さないという霞が関へのメッセージにもなります」(元外交官の天木直人氏) しかも、森本氏はノンキャリだ。出世レースや退官後の生活で生殺与奪を官邸に握られたキャリア官僚は、輪をかけて物を言えなくなる。

「今はまともな行政を取り戻せるかの瀬戸際です。官僚機構が一致団結して抵抗すれば、政権はひとたまりもないのです。官僚は自らの保身や組織防衛より、まず国家国民のことを考えて欲しい。官邸のために体を張った財務省の佐川局長が出世し、公正公平な行政を取り戻そうとした文科省の前川一派が粛清されるようなことがあれば、この国はオシマイです」(天木直人氏=前出)霞が関の反乱を潰すために、官邸はどんな手を使ってくるのか。この夏の人事に注目だ。【日刊ゲンダイ2017年6月6日

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