2024年6月15日 (土)

改めて会計年度任用職員の課題

2022年11月に組合の執行委員長を退任した以降、このブログで労使交渉の課題を取り上げることは滅多にありません。労使交渉の当事者から離れているため当たり前な話であり、前回記事「三多摩集中行進に参加」のような取り組みの報告や時事の話題が中心となっています。

そのような中、今年3月には「会計年度任用職員制度の課題」という記事を投稿していました。今回、インデックス記事としてまとめてみることを考えたほど、これまで会計年度任用職員制度に関わる記事を数多く投稿しています。

会計年度任用職員」「会計年度任用職員制度の労使協議を推進」「会計年度任用職員制度、労使協議の現況」「会計年度任用職員制度、労使合意」「会計年度任用職員制度の組合説明会不安定雇用の会計年度任用職員」「会計年度任用職員の雇用継続に向けて」など、タイトル名に会計年度任用職員を掲げた記事だけでも以上のような数となります。

委員長を退いてから現委員長らに配慮し、労使課題の動きについて極力口をはさまないようにしています。ただ会計年度任用職員の雇用継続の課題に関しては若干例外的な対応をはかっています。雇用継続の課題は自分が現職の時に詰め切れず、大きな宿題として残してしまったという自戒の念があるからです。

私どもの組合は、保育園、学童保育所、学校事務職場などで働く嘱託職員の皆さんが組合加入し、労使交渉の積み重ねによって65歳までの雇用継続を勝ち取ってきました。それが会計年度任用職員制度が始まり、5年で雇い止めされるかも知れないという不安定な雇用に後戻りしています。

2020年4月会計年度任用職員制度が施行されたが、4回の「更新」を経て、私達組合員57名のうち8割が今年度末雇い止めに遭う。残酷だ。当局は更新期限が来たから公募に応募してもらうだけですよーなどと言うが、笑止。誰が何と言おうと雇い止めだ。これははっきりさせておく。

上記は自治労都本部の機関紙最新号の中で、思わず目に留まった区立図書館専門員労働組合の委員長の言葉です。私どもの組合員の皆さんの中にも同じように憤り、不安に駆られている方々が多いのだろうという思いを巡らす言葉でした。

全国的には3年から5年という雇用年限を定めていた団体が大半だったため、会計年度任用職員制度が始まり、国は3年、東京都は5年というマニュアルが整えられています。その結果、雇い止めの心配のなかった自治体の非常勤職員が一転して雇用不安にさらされています。

高年齢者雇用安定法では、使用者側に対して65歳までの安定的な雇用確保を求めています。会計年度任用職員制度を成立させた時の国会の附帯決議では、公務における同一労働同一賃金に重点を置いた対応を求めています。それにも関わらず、労働者にとって最も重要な雇用継続の課題を「改悪」する結果を招いていることの理不尽さに忸怩たる思いを強めてきました。

そもそも法律上、会計年度任用職員の再度の任用回数に上限は設けられていません。任用回数に上限を設けた場合でも、競争試験や公募は必須とされず、現職者を対象にした選考で継続雇用していくことは問題ありません。

このような点を把握していましたが、2019年10月、都内の自治体の中で私どもの市が突出した内容で決着することは困難でした。「公募によらない再度の任用は原則として連続4回」という東京都の示している基準を受け入れる際、組合からは「これまでの労使確認事項も尊重していく」という一文を付け加えることを求め、このことについても労使で確認していました。

「これまでの労使確認事項も尊重していく」という一文は、会計年度任用職員の65歳までの雇用継続が引き続き課題として残っているという問題意識です。しかし、このような問題意識は労使で隔たりがありました。市当局は5年に1回、現職者と新規採用希望者が競合する公募による採用試験を予定し、このことについて組合も合意しているという認識でした。

確かに改めて労使協議を提起しなければ、その内容で公募試験に進んでいくことを組合も合意していました。昨年6月の記事「労使の信頼関係について思うこと」に綴っているとおり信頼関係を維持するためには「約束したことは守る」という土台が欠かせません。約束が守れない場合、変更しなければならない場合、相手方に事情を丁寧に説明し、納得を得られるように努力しなければなりません。

2022年8月、公募試験実施まで2年を切る中「これまでの労使確認事項も尊重した」雇用継続のあり方について、改めて協議すべきものとして団体交渉で申し入れていました。この時、市当局側に渡した一連の資料は当時の市長にも私から直接手渡していました。ちなみに現市長と労使交渉の責任者である副市長にも同じ資料をお渡ししています。

副市長とは私が入所した頃から親しくお付き合いいただき、同じ職場の直属の上司としてお世話になったこともあります。副市長に就任されてからも時々、お話をする機会があり、会計年度任用職員制度の課題についても意見を交わしていました。なお、副市長らと話した労使交渉に関わる内容は委員長らにも適宜報告しています。

会計年度任用職員から正規職員への転換についてです。総務省が策定したマニュアルで「地方自治体の正規職員については、人事の公正の確保等の観点から、競争試験による採用が原則とされており、厳格な成績主義が求められている。このため、会計年度任用職員を正規職員に任用する場合には、競争試験などにより、正規職員としての能力実証を改めて行う必要がある」とし、会計年度任用職員を正規職員に転換する制度は設けられていません。

採用の方法を定めた地方公務員法第17条の2では「人事委員会を置かない地方公共団体においては、職員の採用は、競争試験又は選考によるものとする」とし、採用試験の手続き等は任命権者(市長)が定めることになります。したがって、市長が選考方法を定めることで、公募によらない採用は可能になるという考え方を副市長にお伝えしています。

民間企業に非正規労働者の処遇改善や正社員化を求めておきながら、政府や自治体が非正規で働く人を増やしているようでは説得力を欠く。国の機関では、事務の補助やハローワーク相談員などで、計15万8000人の非常勤職員が働いている。2018年度に比べ、約1万人増えた。

全国の自治体では非正規の公務員が計69万人に上り、05年度に比べて24万人増えた。一般事務員のほか、保育士や教員、図書館職員などとして働いている。国にしても自治体にしても、厳しい財政事情の中、少ないコストで行政ニーズに応えようとしてきたことが、非正規の増加につながっているのだろう。

非正規の収入は少なく、生活が不安定になりがちだ。行政は処遇改善を図るとともに、希望者には正規登用の道を広げるべきだ。特に問題が指摘されているのは、自治体の「会計年度任用職員」制度だ。かつては自治体がそれぞれの基準で非正規を採用してきたが、政府が20年、労働条件を統一するために導入した。

雇用は会計年度ごとに更新されるが、パート勤務であっても期末手当などが支給されるようになった点が特徴だ。ただ、それでも正規の公務員に比べ賃金は抑えられており、「官製ワーキングプア」と批判されている。非正規公務員らでつくる団体の調査によると、年収が250万円未満の人が8割に上った。

行政機関で働いても、安心して暮らせるだけの収入を得られないようでは話にならない。自治体の中には、会計年度任用職員の勤務時間を、正規の職員より1日あたり15分程度短くしているところもある。こうした自治体は、窓口の開設時間に合わせて勤務時間を決めている、と説明しているが、人件費を抑えるために勤務時間をわずかに短く設定し、パートとして雇用しているのであれば問題だ。

非正規で働く人の中には、「都合の良い時間に働きたい」という理由で、自ら会計年度任用職員を選ぶ人もいるだろう。一方で、毎年度、「雇い止め」にあうのではないかと不安に思いながら、非正規として行政の仕事を担っている人も少なくない。

正規公務員の採用は、試験による選考が原則だ。だが、会計年度任用職員が希望した場合には、勤務実績などを考慮して試験を一部免除するなど、特別な選考方法を検討してもよいのではないか。【読売新聞2023年10月20日

上記の記事には『会計年度職員  行政は正規雇用の道を広げよ』という見出しが付けられています。このように会計年度任用職員の雇用継続に関しては、いわゆる「公務員バッシング」から程遠く、解決に向けて「追い風」が吹いているものと思っています。

正規職員への道が開けていることは、会計年度任用職員の皆さんの士気が高まる制度につながるはずです。副市長には、このような制度の確立とともに大半の会計年度任用職員の皆さんの雇用不安を取り除き、士気を高めていくためにも組合が求めているような運用に対するご理解を求めています。

昨年度末、現職者は書類・筆記等による選考(1次試験)を免除し、面接試験(2次試験)のみを受けるという運用を労使で確認しています。一歩前進したとも言えますが、新規採用希望者と競い合わせることの問題は解消できていませんでした。

当たり前なことですが、労使協議してきた取扱いを白紙に戻させるような僭越な思いは微塵もありません。労使交渉の窓口を飛び越えてトップダウンで方針を転換させるような手法も望んでいません。そのような手法には批判的な立場であり、あくまでも労使交渉の折衝窓口である人事課長らに理解を得た上、より望ましい運用をはかれないかどうかという問題意識を抱えています。

3月26日付で連続4回の「公募によらない再度の任用」をされた月給制職員の職の取扱いについて、庁内で確認されています。その文書に沿えば、5月から6月にかけて公募によらず選考により採用する現職者を決定する運びとなっています。

そのため、5月28日に自治労都本部の統一要求書を提出する際、会計年度任用職員制度の課題に関して、委員長から一言申し入れるようお願いしました。会計年度任用職員制度がスタートする前には、65歳まで雇用継続を労使で確認してきた経緯を踏まえ、恒常的な業務に従事する職員も競争試験ではなく、選考で採用する例外の一つに加えるよう市当局側に要請しています。

例外にならなかった場合、合否の決定が2月上旬という時期について憂慮しています。合格者は再度の任用回数を新たに1回目から数えていきますが、年休は繰越できる制度設計です。採用されず、年休が余っていれば年度末にまとめて取得されるはずです。そもそも4月以降の仕事を見つけるためにはタイトな日程を強いられることになります。

仮に現職者の合格を前提とした競争試験だった場合、このような憂慮は無用となります。その場合、新規採用希望者からすればアンフェアな競争試験だと見られかねません。これまで定めてきた取扱いを原則としながらも、このような問題を解決するための何らかの運用のあり方を探るべきものと考えています。

言うまでもありませんが、法的に問題があるようであれば組合側は要求すること自体控えなければなりません。法的に問題がなかったとしても住民の皆さんから理解を得られない要求も自制していかなければなりません。しかし、会計年度任用職員の雇用継続は堂々と訴えるべき課題であり、このブログでも頻繁に取り上げています。

最後に、会計年度任用職員制度の課題は昨年9月の記事「身近な政治、市長選の話」の中で触れた「お上至上主義」「横並び主義」の壁に直面しています。今後の行方を左右する重要な5年目を迎え、さらなる運用改善が実現しなければ「前例主義」というもう一つの壁が立ちはだかりかねないことを危惧しています。

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2024年6月 8日 (土)

三多摩集中行進に参加

前回記事「政治資金規正法改正の動き」の冒頭で、このブログを続けていることの励みになる出来事を紹介させていただきました。新規記事を投稿しても、どれほどの方にご覧いただけているのか手応えが薄くなりがちな最近の当ブログのアクセス状況です。

そのような中、三多摩平和運動センター総会後の交流会の席で、 引き続き注目くださっている方々と懇談でき、たいへん感激していました。すると奇遇にも、翌日の土曜夜、連合宮城に勤務されている方からも、よりいっそう励みになるメールをいただきました。

その方は連合三多摩にも関わっていたことがあったため、自治労宮城県本部の皆さんとの懇親会の場で「公務員のためいき」が話題になったとのことです。「自治労宮城の役員の方たちの多くが読んで共感していました。時には自分の挨拶の時などに、文面を拝借しているそうです()」という恐縮する光栄なお話を報告いただきました。

その方のメールには「やっぱり自分の思いは、SNSで発信した方がいいんだと思いました。誰かが見てて共感してくれてるから。そして同じ思いを持つ誰かに継承されるのかもしれないから」という言葉が添えられていました。

翌朝、返信したお礼のメールで、関心をお寄せくださっている方々が決して少なくないことを伝えていただき、ブログを続けていく大きな励みにつながっていることを書き添えています。とりわけ当ブログの内容に共感いただきながら「時には自分の挨拶の時などに」というくだりに感激しています。

以前の記事に「運動のあり方、雑談放談」や「一つの運動として」というものがあります。私自身にとって当ブログの運営は一つの運動として位置付けています。運動という言葉を辞書で調べれば「目的を達成するために積極的に活動すること、各方面に働きかけること、選挙運動、労働運動、学生運動」という説明が加えられています。

様々なテーマごとに反対集会やデモ行進が取り組まれていますが、私自身、介護の事情があって参加する機会は限られていました。そのため、自宅で取り組める私なりの運動として、このブログに向き合っているという話を以前の記事の中で綴っていました。

「同じ思いを持つ誰かに継承されるのかもしれないから」という連合宮城の方の言葉は私自身の問題意識につながるものです。より望ましい「答え」を見出していくためには、多面的な情報や幅広い考え方に触れていくことが重要だろうと考えています。

そのような意味合いからインターネット上で、賛否が分かれる考え方や興味深いサイトを当ブログの中で頻繁に紹介しています。一つの運動としての情報の拡散であり、共通する思いが連鎖し、広がっていくことを願った試みだと言えます。

したがって、このブログを通して発信した言葉が共感いただき、その方が発する言葉として広がりを見せていけるのであれば何よりなことです。このような思いがあるため、一人でも多くの方に当ブログを訪れていただけることは本当に嬉しく、毎週欠かさず更新していく励みとなっています。

記事タイトルから離れた前置きが長くなっていますが、ここまでに記してきた思いは具体的なテーマでの運動に直結する問題意識です。具体的なテーマの中でも反戦平和に関わる運動に対し、個々人の賛否や評価が大きく分かれがちです。

前回記事の冒頭で、三多摩平和運動センターの総会に参加したことを伝えていました。この総会後、一昨年は「平和や人権問題の議論提起」、 昨年は「平和運動センター総会で発言」という記事を綴っています。

労働組合の役員の立場であれば、平和運動に取り組むことが不団結の要因になりかねないような現状は絶対避けていかなければなりません。そのためにも憲法9条を守ることが「なぜ、平和につながることなのか」など丁寧な情報発信が必要です。

私自身の問題意識は2年前「Part2」にわたった「憲法9条があるから平和を保てるのか?」という記事を通して詳述しています。専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義を肯定的にとらえるのかどうか、このような論点を託した内容のブログ記事(参考「平和の話、インデックスⅣ」)を数多く綴ってきています。

評価が分かれがちなテーマだからこそ、少しでも「なるほど」と思えるような言葉を不特定多数の方々に発信していくことが非常に重要です。特に反対集会やデモ行進が異なる立場の方々に共感を呼びづらく、そこで訴える主張が広がりを得られにくくなっている中、SNSを通した情報発信の貴重さを感じ取っています。

もちろん多くの方が集まり、生の声で反戦平和を訴える行動そのものを否定するものではありません。リアルな場面での具体的な取り組みとともにSNSを駆使した情報発信が相乗効果を発揮し、平和を築くという大きな目的に近付けていけることを理想視しています。

このような思いのもと好天に恵まれた土曜日の午後、三多摩平和運動センターが呼びかけた三多摩集中行進に参加しています。多摩地域の3か所に集まり、ミニ集会の後、それぞれ立川市内の公園までデモ行進するという取り組みです。

スローガンには「オスプレイの横田基地配備に反対しよう!」「核兵器禁止条約の批准を実現させよう!」 「沖縄・辺野古新基地建設に反対しよう!」「日米地位協定の抜本的見直しをはかろう!」改憲発議をストップさせよう!」「原発再稼働に反対しよう!」が掲げられています。

私どもの組合からは6名、全体では150名ほどが参加しています。この取り組みに参加された方々に対し、上記のスローガンに至る理由の説明は不要であるはずです。ただ集会に足を運ぶことのない方々に向けては、なぜ、そのようなスローガンに至っているのか丁寧な情報発信が必要だろうと思っています。

限られた時間で進めていく集会やデモの中で、長々とした説明は困難であり、端的な訴えが定番になることは致し方ないものです。そのため、今回のような取り組みを間近で見かけた方が興味を持ち、ネット検索した際、スローガンそれぞれの背景が分かり、少しでも共感の輪が広がっていけるような運動の組み立ても大切なのだろうと考えています。

このブログが三多摩平和運動センターとオフィシャルな連携をはかっている訳ではありませんが、「勝手連」的な意味合いで上記のような関係性の一助になれればと願っています。今回の記事で一つ一つ取り上げることはできませんが、横田基地にオスプレイ」「突然、横田基地にオスプレイ」という以前の記事だけでも紹介します。興味を持たれた方がリンク先の記事を参照いただければ幸いなことです。

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2024年6月 1日 (土)

政治資金規正法改正の動き

金曜の夜、三多摩平和運動センターの総会に個人会員の資格で参加しています。この総会後、一昨年は平和や人権問題の議論提起」、 昨年は平和運動センター総会で発言」という記事を綴っていました。今年の総会に絡んだブログ記事は機会があれば改めて投稿したいものと考えています。

今週末に更新する記事の冒頭では、このブログを続けていることの励みになる出来事を紹介させていただきます。かつて1日あたりのアクセス数は千件前後で推移していましたが、最近は100件に届かない日もあります。その内訳も過去の記事へのアクセスが大半を占めています。

新規記事を投稿しても、どれほどの方にご覧いただけているのか手応えが薄くなりがちな中、総会後の交流会の席で一昨年10月の記事安倍元総理の国葬 Part2」の冒頭で紹介した自治労都本部の副委員長と再びお会いする機会を得ていました。

初めてお会いした時に「ブログをずっと見ています」とお声かけいただいていましたが、今も同様に注目くださっていることを知り、たいへん感激しています。一緒に懇談していた女性の副委員長からも、私のブログが「自治労関係者の間でよく知られていますよ」と言っていただき、ますます感激しています。

このような言葉に触れられることがブログを続けていくことの大きな励みにつながっています。お二人には、いろいろ会話させていただきながら「やめるのはいつでもやめられますので、できる限り続けていきます」という決意(🎵)をお伝えしていました。

さて、記事タイトルに掲げた本題です。政治資金規正法改正に向けた大きな動きがありました。『自公維が規正法修正案で合意、今国会で成立の見通し…公明・山口代表「首相の決断を大事にしたい」』という報道のとおり岸田総理は、公明党の山口代表、日本維新の会の馬場代表とそれぞれ会談し、自民党案を修正することで合意しました。

自民が示した修正案は、公明の要望事項のうち、〈1〉政治資金パーティー券購入者の公開基準額の「5万円超」(現行「20万円超」)への引き下げ〈2〉政党が議員に支出する政策活動費(政活費)の支出などをチェックする第三者機関の設置――などを盛り込んだ。維新が要望していた政活費の改革では、年間支出の上限額を定めることや、10年後に領収書などを公開する仕組みを早期に設けることを明記した。

首相は31日夜、首相官邸で記者団の取材に応じ、両党の要望を受け入れたことについて、「『法改正を今国会で確実に実現する』とした国民との約束を果たさなければ、政治への信頼回復ができないという強い思いから、思い切った、踏み込んだ案を提示する決断をした」と述べた。

公明と維新は修正案を評価しており、山口氏は首相との会談後、記者団に「首相の決断を大事にしたい」と語った。馬場氏も会談後、修正案への対応について「基本的には賛成する」とした。首相と馬場氏との会談では、調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)についても、使途公開と未使用分の国庫返納を義務づける立法措置を講じることで合意した。

自民は5月17日に単独で改正案を提出後、29日には3年後の見直し規定などを設ける修正案を示したが、公明や野党から「不十分」との批判が出ていた。首相は、法改正に世論の理解を得るには、さらなる譲歩で公明と維新の協力を得る必要があると判断した。【読売新聞2024年5月31日

公明党と日本維新の会が採決で賛成に回ることから、修正案は来週にも衆院を通過し、今国会で成立する見通しとなっています。ただ他党の要求を「丸のみ」した岸田総理の判断に対し、自民党内に大きなしこりを残しているようです。麻生副総裁の周辺からは「これまで政権を支えてきたが、今後の対応は考えざるを得ない」との声が漏れています。

このブログでは2月に「自民党の裏金問題」「もう少し自民党の裏金問題」という記事などを通し、何が問題なのか、どのように見直していくべきなのか綴ってきています。お時間等の許される方はリンク先の記事を参照いただければ幸いですが、結論的な問題意識は次のとおりです。

今回の自民党の裏金問題を通し、最も批判しなければならない点は定められたルールを守れなかった国会議員の多さです。その上で、政治資金収支報告書には記載できなかった使途の全容です。もし私的な流用がまかり通っていたのであれば、たいへん悪質な問題だと言えます。

今後、検討すべき論点は、党から支給される政策活動費も含めた使途の透明性が一つだろうと考えています。もう一つは、事務所の会計責任者が法的な責任を問われた場合、「秘書任せだった。自分は知らなかった」という言い訳が通用しなくなる政治家本人の責任を問う連座制の導入ではないでしょうか。

上記のような問題意識に沿って考えた時、今回の政治資金規正法改正の動きが真っ当なものなのかどうか、いろいろ疑問に思うところがあります。そもそもルールをどのように変えたとしても、決められたルールを守らない、もしくは抜け道を探すような国会議員が今後も跋扈するようでは政治への信頼は地に墜ちたままとなります。

前回記事「ゼロ歳児にも選挙権、維新の公約から思うこと」の冒頭で、政治資金パーティーを巡る立憲民主党の動きを記しています。『「パーティー禁止」掲げる立憲、迷走の果てに謝罪  本気度を疑わせる無定見な言動」で混乱』という記事のとおり立憲民主党は、今回の迷走ぶりを率直に反省しなければならないはずです。

2月に投稿した記事の中で、国会議員が事務所を維持するための費用をはじめ、当選を重ねていくためには一定の政治資金が欠かせないことを記しています。そのため、国会議員に対して過度な「身を切る改革」を求めることで、自己資金に余裕がなければ政治家になれないような社会にしてしまっては問題だと思っています。

歯止めをかけなければならない点は、巨額の資金を提供できる特定の人物や団体の影響力で政治が歪められていくような癒着を防ぐことです。したがって、政治資金パーティー券購入者の公開基準額が「5万円超」でも、現行の「20万円超」のままだったとしても、表に出せないような資金提供があるとしたら、その行為自体を問題視しなければなりません。

確かに法的に問題のない行為でも、あえて公表したくないというケースがあるのかも知れません。それでも透明性を重視した制度に見直していくのであれば、原則として購入者すべてを公開していく方向性が真っ当なように思っています。そのため「5万円超では2万円のパーティー券が2枚しか売れなくなる」という声は不透明さを前提にしているように感じがちです。

政策活動費の使途の公開も同様です。透明性が肝要であり、その仕組み作りによって社会一般の常識から逸脱した使われ方を防ぐことが求められています。例えば講演会の後、講師の飲食費を政策活動費として支出する程度であれば許容範囲だろうと考えています。そのような線引きも含め、認められる事例を整理していくことも必要な気がしています。

最後に「本物の領収書」公開し“維新案”説明  政策活動費「10年後の公開」実例でアピール』という報道を紹介します。「有言実行」をアピールしてみせた格好ですが、事業者や住所などをマスキングした領収書の大半は飲食代で「10年後の公開時に虚偽記載や不記載が見つかっても、政治資金規正法では公訴時効が5年とされていて罪に問えない」と指摘されています。

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2024年5月25日 (土)

ゼロ歳児にも選挙権、維新の公約から思うこと

火曜の朝、自宅に届く読売新聞の一面に「定額減税額  給与明細に」という見出しが掲げられていました。減税を実感してもらうことが狙いと書かれていましたが、事業所側の事務負担が頭に思い浮かびました。読み進めると「減税額の明記義務化は、6月1日施行の関係省令改正で行う」と記されています。

たいへん驚きました。6月に支給する給与明細は数週間前から準備されていくはずです。義務化の改正日が、まさしく泥縄である6月1日、現場の苦労に想像力が働かない判断に『「減税アピうっっっざい」岸田首相「定額減税4万円」明記義務づけに寄せられる憤慨「事務負担多すぎ」「低額減税なのに」』という声が上がっています。

前回記事「『公営競技史』を読み終えて」の冒頭で、世間の風向きに対する自民党政治家の感度の鈍さについて触れていました。『立憲、法施行までパーティー容認  禁止法案との「言行不一致」批判も』という報道も、どのような反応が生じるのか想像力を働かせ、避けなければならない動きだったように思っています。

政党や政治家の政策判断が日々、伝わってくる中、最も驚いている話は日本維新の会のゼロ歳児にも選挙権を与えるという公約です。東京新聞の『「ゼロ歳児にも選挙権」吉村洋文・大阪府知事の真の狙いは?  識者は「新たな不平等を生む」と指摘』という見出しの掲げられた記事の最後には次のように記されています。

「これまで民主主義の中で1人1票を確立してきた歴史がある。そして投票価値の格差を是正するために何十年も訴訟が続いてきたのに、そもそもの大原則を根底から崩す考え方だ」と東京経済大の加藤一彦教授(憲法学)は批判する。

若者にバランスを取ったように見えるが、「選挙至上主義で、数字によって解決しようとしてこのような議論が出てきている。民主主義で選挙は重要だが、選挙以外の多様なルートによって意見をくみ取る仕組みも必要だ」と強調した。

日刊ゲンダイの記事には、もっと辛辣に『吉村維新はアホちゃう?「0歳児選挙権」で金権選挙さらに蔓延確実 “腐敗政治”いらっしゃ~い!』という見出しが付けられています。ただ記事本文の内容は下記のとおり説得力のある文章で数々の問題点を指摘しています。

立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)はこう指摘する。「そもそも、基本的人権のひとつである選挙権は年齢に関係なく、すべての主権者国民が持っています。その行使にあたって、主体的に行動できる適正な年齢を指しているのが『成年』で、教育や文化水準によって定められる。日本は2022年の改正民法施行で20歳から18歳に引き下げました。世界を見渡せば16歳以下の国もあります」

買収横行の可能性 維新案の肝は、親による選挙権の代理行使だ。3子の父親である吉村府知事が「僕は4票の影響力がある」と力んでいたように、子だくさんの親ほど投票数を増やそうというのである。

「親がいない子の1票はどうなるのか。憲法14条は法の下の平等を定めており、0歳児だろうが何だろうが、不平等を生じさせてはならないし、歪んだ形での権利行使は許されない。選挙権は譲り渡す性質のものではないのです。『第2自民党』を自負する維新がいかにも言いそうなことですが、実現したら買収が横行し、金権選挙がさらに蔓延してしまう」(金子勝氏)

普通、平等、秘密、直接──。民主的選挙を担保する4原則をぶっ壊そうとする権威主義のヤカラに政治をやる資格はない。

明石市の市長だった弁護士の泉房穂さんは吉村知事の維新公約「0歳児から選挙権」に苦言「基本的な哲学が間違っている。愚かな選挙対策」』という記事の中で「〝子ども〟は〝親〟の持ち物じゃなく、〝子ども〟は〝子ども〟だ。反映させるべきは、親の声ではなく、子ども自身の声だ」と強調した上で「基本的な哲学が間違っている。愚かな選挙対策で、私は反対だ」と訴えています。

政治家に限らず、誰もが自分自身の「答え」の正しさを信じているはずです。時には自信を持てない「答え」を示している場合もあろうかと思います。しかしながらゼロ歳児にも選挙権という公約に関し、吉村知事はその正しさに自信満々なのだろうと見受けられます。

正しいと信じた「答え」も多面的な情報をもとに再考した場合、その正しさへの自信が揺らぐこともあります。今回の公約を声高にアピールする前に日本維新の会の中で、紹介した上記の記事のような視点での議論は交わされなかったのでしょうか。議論を尽くした上で、公約に掲げているのであれば、それはそれで党としての一つの判断です。

ただ「発想がブラック企業」維新の会“法令遵守“SNSで促した議員を「悪口流したら懲戒免職」に批判殺到』という報道などを目にすると、日本維新の会の組織的な土壌や体質について疑問視しなければなりません。党内から上がった警告を悪口と見なし、排除しようとする強権的な発想に驚いています。

属性を先行させた批判は慎むべきものと考えていますが、貴重な一票を投じる先として政党それぞれを評価しなければなりません。朝日新聞の記者だった鮫島浩さんのブログ『自公連立揺らぐ「政治資金規正法改正案の自民単独提出」の衝撃、維新との連立視野か〜裏金事件で大逆風の自民、組織力低下の公明、大阪万博で失速の維新、落ち目の3党の駆け引き激化』の内容に注目しています。

日本維新の会の馬場代表は、次期衆院選で与党が過半数割れとなった場合、自民党政権に参加する可能性に言及しています。「与党入り排除せず」維新・馬場代表、発言に本人「言ってません」否定も「ポーズだけ」の自民批判に国民酷評』という記事の中で、発言について否定していますが、鮫島さんのブログの内容と照らし合わせれば詭弁であることが明らかです。

このような馬場代表の発言によって、分かりやすい選挙戦の構図となっていくことを歓迎しています。先月の記事「残念な与党、されど野党 Part3」の中で記していましたが、立憲民主党と日本維新の会が手を携えて政権交代をめざす姿をまったく想像できていません。そのため今後、自民党や日本維新の会による政治を是とするのかどうかという選択肢が明確化されていくことを切望しています。

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2024年5月18日 (土)

『公営競技史』を読み終えて

前々回記事「連合三多摩メーデーに絡む個人的な思い」に対し、久しぶりにコメントが寄せられました。私の考えはコメント欄に記していますが、物事すべてシロかクロかという二項対立だけで判断できないのだろうと思っています。その上で属性のみを先行させて判断しないように心がけています。

そのため、前回記事「環境省のマイクオフ問題から思うこと」のように具体的な事例を示しながら政党や政治家の言動について論評しています。最近、気になった出来事は“勘違い男”萩生田光一氏  都連役員は続投に「腐ってる」批判殺到「おかしいでしょ」元自民議員も憤慨』です。

都連の深谷隆司最高顧問は「裏金事件は一時大騒ぎしたが、今は落ち着いている。処分は党本部であり、支部は関係ない」と説明していますが、現在の風向きに対する感度の鈍さをはじめ、結局のところ真摯な反省から程遠い政治家の多い政党であることを映し出している事例の一つだと受けとめています。

新規記事の本題に入る前に前置きが長くなることの多いブログで恐縮です。このブログに関わるのは土曜か日曜だけと決めているため、日々の思うことを冒頭に盛り込みがちでした。ちなみに一時期に比べ激減しているコメントへのレスも、これまで通り週末に限っていますが、管理人としての役割は適宜対応しています。

さて、ここからが今回の記事の本題です。東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」を昨年の夏号から担当しています。その号では足元からの学校の安全保障 無償化・学校教育・学力・インクルーシブ』を紹介しています。

その次の秋号は『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命』でした。このブログの昨年8月の記事「ベーシックサービスと財源論 Part2」は、連載記事の原稿を書き進める前の下準備としてまとめてみました。季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあるため、そのまま利用するものではありませんが、骨子や提起したい論点などは同じ内容となっています。

連載3回目となる冬号では、自治労総合組織局が編著した『会計年度任用職員の手引き』を紹介しています。今年3月の記事「会計年度任用職員制度の課題」の中で「私自身の寄稿した内容ですが、許可を得ず、このブログに転載することは控えなければなりません」と説明した上、そのまま利用するものではなく、連載記事の内容に沿って私自身の問題意識を改めて示しています。

今月発行する春号では『「維新」政治と民主主義』を紹介しています。先月末に投稿した記事「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」で初めて当ブログに掲げることを事前に担当の方にお伝えし、了解を得た後、私が担当した頁の内容全文をそのまま紹介していました。

続く夏号に向けた入稿締切は5月末でした。紹介する書籍は公営競技史』とし、少し前に読み終えていました。今回、ブログの新規記事のタイトルを「『公営競技史」を読み終えて」としていますが、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めていました。

著者は北海学園大学経済学部地域経済学科教授で、農学博士である古林英一さんです。これまで「『◯◯』を読み終えて」というタイトルの記事を数多く投稿していますが、いつものとおり今回もネタバレに注意し、まずリンク先に掲げられている書籍の紹介文をそのまま転載します。

世界に類をみない独自のギャンブル産業はいかに生まれ、存続してきたのか。戦後、復興と地方財政の健全化を目的に公営競技は誕生した。高度経済成長期やバブル期には爆発的に売上が増大するも、さまざまな社会問題を引き起こし、幾度も危機を迎える。さらに低迷期を経たが、7兆5000億円市場に再生した。各競技の前史からV字回復の要因、今後の課題までを、地域経済の関わりから研究してきた第一人者が分析する。

今回、紹介する『公営競技史』は、公営ギャンブルについて真正面から取り上げた著書です。競馬、競輪、オートレース、ボートレースが公営(JRAも含む)競技に位置付けられています。私自身、オートレース以外、インターネット投票できる環境を整えています。

勤めている自治体は競輪事業の施行者で、従事されている皆さんの労働組合とも長いお付き合いがあります。このような関係性があったため、この著書を知った時、ぜひとも手に取って読んでみたいものと思っていました。

今年の春、ドジャースの大谷翔平選手の専属通訳だった水原一平氏の違法賭博問題が世間を騒然とさせました。水原氏の損失額が60億円以上とも言われ、桁違いな賭け金とともにギャンブル依存症の深刻さに驚かされています。

2016年12月にカジノを含むIR(統合型リゾート施設)推進法が成立した際、ギャンブル依存症の問題が取り沙汰され、反対する声が少なくありませんでした。そもそもカジノの議論が始まる前から日本には巨大なギャンブルアミューズメント市場が存在しています。

戦後の混乱期に誕生した公営競技は、時代に合わせてその内実を変えながら生き残ってきています。しかも現在、バブル期に匹敵するか、もしくは上回る活況にあります。

著者は「幾多の困難を乗り越え、続いてきたからには、それなりの理由があるはずだ」とし、7兆5千億円という巨大なギャンブルアミューズメント産業が、どのように形成され、さらに今後どうなっていくのか論じていきたいと語っています。

賭博は刑法で禁止されています。なぜ公営の賭博が認められているのか、特別の事情があれば違法としないという違法性の阻却のもとに刑法の例外として許されています。4つの公営競技の根拠法に共通する目的とされている特別な事情は「地方財政の改善」とされています。

第2次世界大戦後、疲弊した地方財政に寄与することを目的に誕生した公営競技ですが、経済復興が果たされた後も「なぜ残り得たのか、それを解き明かそうというのが本書の最大の目的だ」と著者は語っています。

「もはや戦後ではない」と叫ばれ始めた頃、戦後復興を旗印にした公営競技にとって存在意義が問われる時期を迎えていました。「社会経済の安定に伴い、廃止されるべきもの」という論調も高まる中、池田勇人総理の諮問機関として「公営競技調査会」が設けられました。

1961年7月の長沼答申と呼ばれる諮問結果は「現行公営競技の存続を認め、少なくとも現状以上にこれを奨励しないことを基本態度とし、その弊害を出来うる限り除去する方策を考慮した」というものでした。

存続する理由として「関連産業の助成、社会福祉事業、スポーツの振興、地方団体の財政維持等に役立ち、また大衆娯楽として果たしている役割も無視することはできない」とされていました。

公営競技が戦後のあだ花ではなく、恒久的な事業として認知され、新たな時代に入ったと著書に記されています。ただ「その後の展開をみると、長沼答申が桎梏となり、新たな問題の起点となったのも事実だ」とも書かれていました。

1969年1月、「ギャンブルは広い意味での公害」と述べていた東京都の美濃部亮吉知事が公営競技からの撤退を表明しました。一方で、京都府の蜷川虎三知事は苦しい地方財政制度の問題とともに公営ギャンブルの是非は総合的に論じるべきと主張した上で「競輪事業から撤退しない」と明言していました。

バブル経済の崩壊後、公営競技の収益は激減します。収益がゼロならまだしも、赤字が続き、厳しい自治体財政のお荷物と化していきます。公営競技場は地方都市における雇用の場として重要な存在でしたが、事業そのものの廃止を決断しなければならない自治体が続きました。

そして今、生き残りに賭けた関係者の努力やネット投票の浸透によって公営競技の収支は改善し、自治体財政への繰出も復活しています。それでも収益の財源上の比率は、かつてに比べると格段に小さくなっているとのことです。

「では公営競技はもうなくてもいいのか?」という意見に対して、著者は「地域社会に必要とされるものとして存在するべきだ」と訴えています。ハード面での災害対応拠点施設としての利用をはじめ、普段から会議室としての貸出や高齢者の居場所づくりを進め、迷惑施設や鉄火場というイメージの転換を推奨されています。

前述したとおり私自身、公営競技に対して親和的な立場です。以前の記事カジノ法案が成立」「ギャンブル依存症の対策」の中で綴っているとおり闇の資金源となる野球賭博などとは一線を画し、違法性が阻却されている場合、自制心を持って楽しむのであれば何も問題はないものと考えています。

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2024年5月12日 (日)

環境省のマイクオフ問題から思うこと

前回記事は「連合三多摩メーデーに絡む個人的な思い」でした。管理人「OTSU」として発信していますが、知り合いの方々からすれば匿名ブログではありません。仮に完全な匿名での発信だったとしても、インターネット上で主張する内容には細心の注意を払わなければなりません。

このブログの内容に対して評価や賛否は分かれるのかも知れませんが、どなたに読まれても差し障りのない責任ある文章の投稿に心がけています。逆に多くの方に目を留めていただきたいものと思っているため、前回記事の投稿については私どもの市長や連合三多摩の皆さんにご案内しています。

本題に入る前に前置きが長くなりがちですが、「文藝春秋」最新号を購入しています。『森喜朗元首相「裏金問題」真相を語る  240分』という特集記事に興味があったからです。森元総理は裏金問題に一切関わっていないことを安倍派関係者らとの実名でのやり取りを示しながら詳らかに語っています。

森元総理は正直に語っているのかも知れませんが、そのことで岸田総理をはじめ、ますます自民党の傷口が広がっていく暴露話であるという自覚は一切ないようです。「政治家を引退し、安倍派の一員でもない」と自己弁護している一方で、随所で岸田総理らに影響力を発揮している自慢話が語られています。

このような配慮のなさや矛盾に気付かず、240分語り続ける森元総理は、ある意味で現役当時そのままで若々しさを保たれている証しなのだろうと思っています。現役の政治家の中にも、ご自身の発言や振る舞いのチグハグさに無自覚な方々の多さが目に付く昨今です。

最近謝罪まで1週間…後手に回った環境省  消音に省内からも疑問の声』という下記のような報道があり、現職大臣の資質が疑われる新たな問題に接しています。水俣病の公式確認から68年目となる5月1日、患者らでつくる8団体と伊藤信太郎環境相との懇談の場で信じられない不手際が見受けられました。

環境省職員が水俣病被害者側の発言中にマイクの音を切った問題で、伊藤信太郎環境相は熊本県水俣市を再訪し、被害者らに直接謝罪する事態に追い込まれた。

1日の患者や被害者らとの懇談後、伊藤氏は記者会見で職員がマイクを切ったことを「認識していない」などと発言した。大型連休中にこの問題に関する報道が相次いでいたが、事務方が伊藤氏にマイクを意図的に切ったことを正式に報告したのは、連休が明けた7日午前だった。

伊藤氏は7日昼、懇談の場で司会をしていた同省特殊疾病対策室の木内哲平室長に対し、現地に謝罪に行くよう指示。木内室長は同日夕方、報道機関向けの説明の場で職員だけで赴くと説明していた。

ところが同日夜、一転して伊藤氏も謝罪に行くことを決定。8日の報道陣の取材に対し「私もいろいろ日程があるので、昨日(7日)急に行くわけにもいかなかった」と釈明し、涙ぐみながら謝罪した。

環境省幹部の1人は「水俣病は環境省(旧環境庁)が発足した原点。重く受け止めたのではないか」と話す。伊藤氏は対応が不適切だったとして、和田篤也次官と神ノ田昌博環境保健部長に対し、口頭で厳重注意した。

懇談から1週間以上経過してから謝罪するなど、環境省の対応は後手に回った。一方、懇談の場での職員の行為には「話している最中にマイクをいきなり切るなんて普通はしない」(環境省職員)など、省内からも疑問の声が上がっている。

木内室長によると、懇談の場では参加団体に3分ずつの持ち時間があり、3分を過ぎた場合にマイクを切るという運用方針を事前に決めていた。当初は会場で周知する予定だったというが、木内室長は「(メモを)読み飛ばしてしまった」と話す。昨年度も同じ運用方針だったが、実際にマイクを切ることはなかった。【毎日新聞2024年5月8日

「痛いよ痛いよと言いながら死んでいきました」と妻を昨春に亡くした水俣病患者連合の松崎重光副会長が発言していました。発言が3分を超えたため、環境省職員が「時間なのでまとめてください」と話を遮った直後、音が切られてマイクを取り上げられていました。

発言時間を3分に制約し、マイクをオフにする行為そのものが水俣病問題の深刻さを軽視し、真摯に教訓化していないような環境省側の姿勢が問われます。「3分でマイクオフ」環境省の司会の台本に明記』という報道もあるとおり事前に打ち合わせして臨んでいることが明らかになっています。

このことを伊藤環境相に伝えていなかったという話も耳にしていますが、マイクが切られたことを「認識していない」と答えたことについて大きな違和感があります。さらに「発言はすべて聞き取りメモをした」という釈明とのチグハグさに驚いています。

水俣病は環境省の前身である環境庁が発足した原点であり、伊藤環境相は水俣病の課題を重視していると語っています。しかしながらマイクオフの問題が取り沙汰され、報道陣に囲まれた時、涙ぐみながら謝罪の言葉を発する伊藤環境相の姿に胸を打つ国民がどれほどいたのでしょうか。

それほど思い入れが深かったのであれば、事前に知らされていなかったしても、懇談の場で台本を修正させる権限と責任が伊藤環境相にはあったはずです。帰りの新幹線の時間を気にしていたようですが、8団体各3分という想定でタイトなスケジュールを組んでいたこと自体、水俣病について軽視していると言われても仕方ありません。

紹介した上記の報道のとおり謝罪まで1週間、さらに最初は職員のみを派遣する運びでした。すべて後手後手の対応となっていますが、思った以上にメディアが大きく取り上げ、批判が噴出したため、急きょ謝罪する姿勢を強め始めたように見えがちです。

謝罪の言葉も事務局の不手際を強調し、事務次官と担当部長を口頭注意しながらも、自らの責任の処し方について発言している場面を目にしていません。重責を負っている立場でありながら、部下や秘書にのみ責任を転嫁していく関係性の既視感は本当に残念なことです。

最後に、ブックマークしている朝日新聞の記者だった鮫島浩さんのブログ懇談会のマイク切りで水俣病患者たちを傷つけた環境大臣を更迭できない岸田首相の事情〜伊藤大臣は麻生派所属!6月解散困難でキングメーカーの麻生氏の意向に逆らえない』を紹介します。政局的な切り口につなげている視点は鮫島さんならではの興味深いところです。

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2024年5月 4日 (土)

三多摩メーデーに絡む個人的な思い

先週土曜、心配した雨は降らずに済み、半袖が心地良かった空の下、連合の三多摩メーデーが催されました。全体で2万人以上の参加があり、私どもの組合はご家族の皆さんも含め200人近くが河川敷の会場に足を運んでいます。模擬店や復興支援物産展、こども広場などが設けられ、コロナ禍前の盛況さが戻っていました。

これまで式典の中で、メーデー会場の市民運動場をお貸ししている地元首長ということもあり、参列している市町村長を代表して私どもの市長が来賓挨拶の指名を受けていました。しかしながら今年、私どもの市長を式典のステージ上で見かけることはありませんでした。

実は今回のメーデーの数日前、秘書課の職員から私に確認のための問いかけがありました。「メーデーに市長が呼ばれていないのですが、このまま予定しなくて大丈夫なのでしょうか?」という問いかけでした。あくまでも非公式な話でしたので現職の組合役員から退いている私に対し、お声かけいただいたようです。

今年、私どもの市長に招待状が届かないこと、その理由も含めて承知していましたが、せっかくの問いかけでしたので改めて連合三多摩の事務局長に私から電話させていただきました。顔見知りの事務局長からは丁寧にお答えいただいています。

やはり何らかの事情で招待状の送付が遅れているという訳ではなく、私どもの市長は来賓の対象から外れているという説明を受けています。開催市の地元首長をお呼びするという習わしはなく、連合三多摩と推薦関係のある首長のみを招待しているというお話でした。

昨年9月の記事「身近な政治、市長選の話」で伝えていましたが、私の勤める市では52年ぶりに非自民系の市長が誕生していました。選挙前、選挙後も私どもの市長は連合三多摩と政策協定を交わしていません。そのため、推薦関係に至っていない自治体の首長の一人となっています。

ただ私どもの市長は都議時代、連合三多摩と推薦関係があり、緊密な連携がはかれていた議員だったことは衆目の一致するところだと言えます。それにも関わらず、メーデーに呼ばれないという現状は、前々回記事「残念な与党、されど野党 Part3」の最後に記した連合と政党との関係性における「反自民・非共産」という原則がネックとなっていました。

前回記事「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」の冒頭で、この原則について今回の三多摩メーデーに絡み、改めて個人的な思いを巡らす機会につながっていることを伝えていました。今回の記事を通し、昨年秋の「連合と政党との関係性」「時事の話題から政治に思うこと」に託したような問題意識を掘り下げてみます。

少し前に『連合・芳野会長、東京15区補選で立民・共産の連携「容認できず」 一貫した〝共産切り〟で改めてクギ』という報道がありました。私どもの市長も東京15区と似通った構図のもとに選挙戦を勝ち抜いてきています。そのことによって「非共産」の原則を違えてしまうため、連合三多摩側が推薦関係を求めていないという現状だと言えます。

先週日曜の午後8時、衆院補選は「ゼロ打ち」と呼ばれる開票率0%の時点で立憲民主党3候補の勝利が伝えられました。『「立憲全勝」の衆院補選、「惨敗」自民党と並んで大ダメージを受けた維新の会』という報道のとおりの結果となっています。

日本維新の会との選挙協力は自民党との政策的な対抗軸にならず、それまで立憲民主党を支持してきた方々の離反を招きかねないものと見ています。このような問題意識を抱えていたため、今回の選挙結果は今後の立憲民主党の選挙方針を明確化でき、意義深いものだったと思っています。

一方で、東京15区のような選挙戦の構図だった場合、支援できないと明言していた連合の芳野会長の受けとめ方は、いろいろ悩ましいものがあろうかと思います。支持協力関係がギクシャクしたままであれば連合側から立憲民主党に何か要望したとしても、つれない対応にとどまっていくことになりかねません。

連合三多摩は各自治体での公契約条例の制定に力を注いできています。私どもの市長は公約に公契約条例の制定を掲げていたため、就任後、条例化に向けて動き出していました。ただ連合三多摩と推薦関係がないため、連携がはかれないままとなっています。連合三多摩が蓄積してきた経験や知見を提供できない関係性は残念であり、私どもの市にとってもマイナスだろうと考えています。

いずれにしても連合が一定の政治的な活動を方針化していながら、これまでの原則を重視していくことで影響力を発揮できない場面が増えていくようであれば、結果的に組合員にとっても望ましいことではないはずです。

連合と政党との関係性において「反自民・非共産」という原則が連合結成以来掲げられています。そのような原則も「組合員にとってどうなのか」という視点を重視した際、属性のみを先行して判断するのではなく、状況に応じて柔軟な対応をはかっていくことも欠かせないように感じつつあります。

上記は、前々回記事の最後に掲げた私自身の端的な問題意識です。そもそも私どもの前市長、その前の市長も自民党から推薦を受けながら当選を重ねていました。それでも「反自民」を掲げた連合と政策協定を交わし、三多摩メーデーのステージ上で来賓挨拶をさせていただいていました。

私自身、まったく違和感を持たず、そのような関係性を築けていることのほうが、私どもの組合にとってもプラスにつながるものと受けとめていました。「反自民」という原則が柔軟に対応できるのであれば、「非共産」という原則に対しても幅広い切り口から検討していくことが可能なはずです。

最も留意すべきことは、連携がはかれる可能性のある政党や政治家の政策的な方向性であり、そのことを前提に連合と政策協定を交わせるかどうかというハードルではないでしょうか。競合組合のたいへんさを肌身で感じていない綺麗事だというお叱りをはじめ、このような柔軟な考え方には強い反発を受けてしまうのかも知れません。

それでも「組合員にとってどうなのか」という視点から判断していくことが重要なのだろうと考えています。もちろん組合役員であれば言うまでもないことで、たいへん失礼な物言いに聞こえてしまうかも知れませんが、長年、連合三多摩の活動に関わってきた一員として、よりいっそう連合という組織の発展を願った個人的な思いであることをご理解ご容赦いただければ幸いです。

現職を退き、「何を今さら」という僭越な訴えであることを重々承知した上で「乗りかかった船」という言葉を思い浮かべています。ちなみに連合三多摩の事務局長に電話した際、来年のメーデーまでには私どもの市長をご招待いただける関係性が築けられるよう要望しています。事務局長との電話の後、秘書課の課長らに連合三多摩の考え方を報告していました。

さらに私どもの市長にも私から直接、このような経緯等をお伝えしています。昨年秋に連合三多摩の政策要請書を受け取った時、市長としては連合側にボールを投げているという認識であることを伺っています。翌日には連合地区協議長とお会いする機会があり、私自身の思いを添えながらお話していました。

最後に、メーデー当日の午後、連合三多摩の議長とも偶然お会いする機会を得ています。メーデーに参加した私どもの組合のメンバーと飲み語り合い、懇親を深めていた最中だったため、言葉が走りすぎていたかも知れず、その節はたいへん失礼致しました。このブログに綴っているような個人的な思いについて、ぜひ、ご理解くださるようよろしくお願いします。

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2024年4月28日 (日)

新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』

ゴールデンウイークの初日となる土曜日、連合の三多摩メーデーに今年も参加しています。前回記事「残念な与党、されど野党 Part3」の最後に、連合と政党との関係性において「反自民・非共産」という原則が連合結成以来掲げられていることを伝えていました。

この原則について今回の三多摩メーデーに絡み、改めて個人的な思いを巡らす機会となっていました。書き進めていくと話は広がりそうであり、三多摩メーデーに絡む内容は次回以降の記事で掘り下げていくことを考えています。

さて、不適切にもほどがある政治家の言動が連日、報道されています。岐阜県岐南町と愛知県東郷町の町長は、奇遇にも同じ日に第三者委員会によるハラスメント認定が公表され、報道の翌日に辞意を表明しています。

岐南町長に対しては、女性職員の背後から抱き着くなどの少なくとも99件のセクハラ行為や不快な言動が認定されています。東郷町長は「お前らの脳みそは鳩の脳みそより小さい」「育休を1年取ったら殺すぞ」というような暴言を重ね、机の側面を蹴るなど日常的にハラスメント行為を繰り返していました。

それぞれ辞職が当然視される不適切な振る舞いだったことに間違いありません。それにも関わらず辞職会見で東郷町長「職員をどう守っていくか」“ひとごと”発言?「どの口が言っているのか」と告発元職員』という記事のとおり東郷町の井俣憲治町長のほうは、本当に反省しているのかどうか疑問視されています。

リンク先の記事の最後には「井俣町長は来月2日付で辞職するとしていますが、来月まで在籍すれば、6月に200万円あまりのボーナスが支給されるとみられます」と書かれ、すぐ辞職した岐南町の小島英雄町長に比べると「立つ鳥跡を濁さず」の真逆な対応に終始しているようです。

二人の町長のハラスメントは過去から現在まで続いていた不適切な問題でした。過去の問題がスクープされ、批判を受ける政治家の不祥事も少なくありません。【パパ活辞職】宮澤博行議員、夜の繁華街でキャバクラ嬢に破顔  今井絵理子議員が食べた後の骨をむさぼり食う芸も』という話も最近明らかになっています。

まさしく不適切さにもほどがある話ですが、記者からの質問に対して「記憶にございます」「そんなに事実とかけ離れている訳ではございません」と事実関係を認め、すぐ議員辞職した潔さだけは特筆できます。それほど「記憶にございません」という言葉を頻繁に耳にし、過ちに対する責任の処し方の不充分な政治家が多いことの証しだと言えます。

過ちに対して必要以上に重い責任を問うつもりはありません。しかし、過ちを繰り返さないためには事実関係を詳らかにした上で、過ちの度合いに見合った責任の処し方が欠かせません。事実関係を認めた率直な反省がなければ、同じ過ちを繰り返していく恐れがあります。

前回記事の中で、属性による決め付けた批判は避け、具体的な事例を紹介しながら、その言動や振る舞いを批判するように努めていることを記していました。日本維新の会に対しても、このような事例は「問題ではないか」という視点をもとに紹介していることを伝えていました。

つい最近の事例では維新・音喜多氏 「ミャクミャク像」損壊への投稿「万博反対派と決めつけていない」と“弁明”』という話が気になっていました。リンク先のヤフーのコメント欄には次のような意見の投稿を目にしています。私自身の懸念に近いものであり、そのまま紹介します。

「どれだけ万博に反対意見をもっていたとしても」という文言を、「賛成だとしても反対だとしても」の趣旨であると言うのは、「強弁」以外の何ものでもないのでは。謝罪をするのではなく、こうした「強弁」を通そうというのであるのだから、音喜多氏の言葉は信用できない。

維新は吉村知事が先日、「知事には拒否権がないのだから」、玉川氏の万博入場を排除したことにはならないと、ここでも「強弁」した。維新がこうした「強弁」の政党であり、いったん言い出すと、まちがっていても、発言の修正も謝罪もできない危険な政党であることだけは、今回の音喜多氏によって明らかとなったのでは。

日本維新の会については様々な懸念があります。このブログの中で、季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」 を担当していることを伝えていました。5月中旬に発行する予定の最新号では『「維新」政治と民主主義』(山口勝己・著 公人の友社 2023年10月刊 )を取り上げています。

先月投稿した記事「会計年度任用職員制度の課題」の中では「私自身の寄稿した内容ですが、許可を得ず、このブログに転載することは控えなければなりません」と記していました。今回、このブログに掲げることを事前に担当の方にお伝えし、了解を得ています。

そのため、初めての試みとして記事タイトルを「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」としながら季刊誌の発行に先駆け、私が担当した頁の内容全文をそのまま紹介します。文体は「である調」のため、いつものブログの雰囲気とは少し異なるはずです。 

この書籍が自治労の機関紙で紹介された時、「新着資料紹介」として取り上げられないものかと考えた。ただ公益法人の季刊誌が政治色を前面に出すことには注意を払うべきだろうという自制心も働いていた。政治手法等を論じる形であれば特段支障はないという助言を得た上で、手にして読み終えた後、ためらいが杞憂だったことに気付かされていた。

著者は大阪市の元職員で労働組合の役員を務めていた。大阪で「維新」政治に真正面から対峙されてきた当事者である。大阪府に橋下徹知事が誕生した以降の「維新」政治に対し、物申したいことが山積しているのだろうと思う。あとがきに「冷静さを欠いた表現も散見される」と記していながらも著書全体を通し、厳しい言葉は抑制的であり、俯瞰した立場で「維新」政治を語られていた。

2回に及ぶ「大阪都構想」を巡る住民投票の問題など具体的な事例が綴られているが、特定の政党や政治家を批判するために上梓した著書でないことが読み進む中で伝わってきた。あくまでも大阪で圧倒的な支持を得ている「維新」の政治手法の是非を考察した著書だと言える。

著書の前半で国内外の動きも伝えながら「維新」政治の15年間を振り返っている。イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領誕生の背景と「維新」の躍進に通底するものを示唆されていた。自己の権利を代弁してくれる組織を持たず、自己の権利が労働組合など「既得権益集団」に侵害されていると受け止める層の拡大に対し、既成政党は対応できず、「身を切る改革」を旗印に掲げた「維新」の躍進につながっているという見方である。

歴史的に大阪は、お笑い芸人が参院議員や府知事に選ばれ、「お笑い百万票」と揶揄され、既成政党が弱かった。しかしながらカリスマ的な政治家や政党による「決められる政治」への渇望は、決して大阪特有の問題でないことを著者は危惧している。

意見や利害の対立と分断が深刻化し、容易に妥協点を見出せない中、「決められる政治」の実行力が評価される。しかし、あまりにも拙速で非現実的な政策は結局のところ住民に対して多大な損害を与えかねない。懸念されている問題として、人工島の夢洲を活用する大阪・関西万博やIRカジノが例示されていた。

「維新」政治は選挙で勝利すれば、すべての権力を掌握できるという政治手法である。少数意見の尊重や熟議の軽視、議会のチェック機能の否定につながっている。価値判断が多様化する社会でこそ熟議は重要になり、政治権力の側は価値観を押し付けるべきでなく、多様性を認め合う寛容を旨としなければならない。このような問題意識を著者は強く訴えている。

「分断による統治から信頼でつなぐ自治へ」を副題としている。「維新」政治を地方自治の最終到達点としないためには、賛成か反対かで敵との味方に分断し、敵を論破してその発言権を奪うことで社会を統治する政治と真逆なものをめざさなければならない。信頼関係に基づき対等につながり合い、自己責任の名のもとに他人の苦境に無関心を貫くのではなく、ともに支え合う相互依存のネットワークを重視した自治の必要性を改めて認識させてくれる著書である。

日本維新の会を支持されている方々からは批判を受けてしまう内容なのかも知れません。しかしながら私自身をはじめ、「維新」的な政治手法や具体的な言動に対し、いろいろ危惧を抱いている者が少なくないという主旨で今回のブログ記事も綴っています。あくまでも多面的な情報の一つとしてご理解願えれば幸いです。

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2024年4月21日 (日)

残念な与党、されど野党 Part3

違法賭博に関与した可能性を疑われていたドジャースの大谷翔平選手の潔白が明らかになっています。今月最初の記事「二階元幹事長と大谷選手、好対照な記者会見」の中で「大谷選手にウソは絶対似合いません」と記し、 専属通訳だった水原一平氏のほうがウソをついているという見方に変わった経緯を伝えていました。

この問題が報道された当初、私自身も『大谷翔平を〝見誤った〟北村弁護士が謝罪「大嘘つきにだまされた自分を恥じております」』という記事のとおり大谷選手にお詫びしなければならないような認識でした。やはり大谷選手がウソをつくことはなく、信じて良かったと安堵しているところです。

たり前なことですが、日頃からウソをつくような人ではないという信頼感があった大谷選手だからこそ、今回の問題でも正直に話しているという認識に至ったと言えます。逆に普段から疑いをかけられることの多い人物だった場合、誰も大谷選手の言葉を信じることはできなかったのではないでしょうか。

一昨日、児童手当や育児休業給付を拡充する少子化対策関連法案が衆院を通過しました。公的医療保険料に上乗せして徴収する「子ども・子育て支援金」について、岸田総理は「実質負担はない」と繰り返し説明しています。岸田総理や現政権に対し、日頃から強い信頼関係があれば、そのような説明を信じることができるのかも知れません。

しかし、自民党の裏金問題の対応ぶりをはじめ、正直さや誠実さから程遠い現況を目の当たりにしているため、その場だけ取り繕うような無責任な言葉に聞こえてしまいます。たいへん残念なことですが、つまり「ウソをついているのではないか」という疑いの目で見ざるを得ません。

これまで「信頼できる政治のあり方期待したい政治のあり方」などの記事を通し、現在の政権運営を反面教師としながら私自身の問題意識や要望を綴ってきています。一言で言えば「正直であって欲しい」であり、一貫した誠実さが信頼できる政治につながるはずであり、財政面の負担増なども国民から理解を得ていけるのではないかという思いを綴っています。

より望ましい政治の実現のためには、国民からの信頼を失えば政権の座から下りることになるという緊張感が必要です。しかし、政権交代を果たしたことで政治が混乱し、国民生活に悪影響を及ぼしていくようでは本末転倒です。政権交代が目的ではなく、国民の暮らしや安全を維持向上させていくための手段につながっていかなければなりません。

上記は前回記事「残念な与党、されど野党 Part2」の最後のほうに掲げた私自身の問題意識です。念のため、安倍元総理の「悪夢の民主党政権」という見方につながる問題意識ではありません。そもそも「国民のすべてが悪夢だと思っていた訳ではない」という言葉のほうに首肯しています。

ただ民主党政権時代、拙さや至らなさがあったことも確かだろうと思っています。2009年秋の政権交代直後、このブログでは「新政権への期待と要望」という記事を投稿していました。改めて今、下記のような内容を読み返してみると要望はかなわなかったという思いに行き着きます。 

特に今回の総選挙戦の勝敗を分けた鍵は、マニフェストの優劣だった訳ではない見方が強まっています。自民党政治からの「チェンジ」を願った票の積み重ねが地殻変動を起こし、民主党の勝利につながったものと受けとめています。確かに子ども手当や農業の戸別所得補償制度など、具体的な公約が民主党への支持を広げたことも事実だと思います。一方で、直接的なメリットがないどころか、負担増になる可能性を覚悟した多くの人たちも民主党へ1票を投じているはずです。

つまり個別政策への期待よりも、閉塞感を打開するため、政権選択が大きな判断材料になったものと見ています。以前から民主党の公約だった高速道路の無料化など、簡単に下ろせなかった経緯もあったのでしょうが、正直なところ優先順位の高い政策なのかどうか疑問が残っています。それでも必ず公約の大半は実現に向けて、具体的な検討に入ることが民主党の今後の既定路線です。

仮にマニフェストを軽視した場合、国民との約束を破ることとなり、一気に民主党への批判が強まっていくはずです。したがって、まずは政権公約に掲げた政策の実現に向け、全力を尽くしていくのが当たり前な話だと受けとめています。しかし、著しい歪みや将来への大きな禍根が見込まれた時は、勇気ある撤退や大胆な軌道修正も選択肢に加えて欲しいものと望んでいます。

民主党が期待されているのは、総論としての国民生活の向上であり、明るい未来を切り開くことだと思っています。党としての面子や体裁にこだわり、各論の実現を優先しすぎた結果、逆に国民を不幸せにするような事態は本末転倒なことです。公約を修正する際など、真正面から誠意を尽くして説明責任を果たしていく限り、国民からの信頼も簡単に失墜しないのではないでしょうか。

今回の新規記事を書き始めた時、タイトルを決めていませんでした。少し迷いましたが、「残念な与党、されど野党」というタイトルに「Part3」を付けています。自民党の裏金事件をはじめ、資質の問われる国会議員の多さなど様々な残念さが目立つ与党ですが、されど野党に対する支持率も伸び悩んでいます。

「政権交代を望む」という世論調査での国民の意思とのネジレが起きるようでは問題だろうと考えています。民主党が政権を担っていた時、赤字で掲げた上記の内容のとおり「総論としての国民生活の向上」という軸足さえ、しっかりしていれば各論での迷走は最低限にとどめられたように思っています。

いずれにしても民主党政権が国民から一定の支持を維持できていれば、安倍元総理の「悪夢の民主党政権」という揶揄は一笑に付され、常に「支持政党なし」が過半数を占めるような政治状況も少し変わっていたのかも知れません。

ちなみに現在、東京15区、島根1区、長崎3区で衆院補選が行なわれています。それぞれ選挙戦の構図は大きく異なっています。東京15区は与党候補不在で野党と無所属の候補9名の争いとなっています。島根1区は自民党と立憲民主党、長崎3区は立憲民主党と日本維新の会との一騎打ちという構図です。

これまで3選挙区とも自民党が議席を得ていたため、不戦敗によって2議席減らすことが確定しています。自民党にとって保守王国での1議席を死守できるかどうかの瀬戸際だと言えます。3選挙区に候補者を擁立している立憲民主党は野党第1党争いをはじめ、今後、躍進できるかどうか試金石の選挙戦となっています。

この選挙戦に絡み様々な声が伝えられています。まず『維新・馬場代表「立憲をたたきつぶす必要ある」 自民党とは将来「お互い切磋琢磨」』という過激な発言です。記者会見の場で「たたきつぶす」という言葉を発する馬場代表の傲慢さに驚きました。考え方や意見の合わない政党の存在を許さない姿勢に恐怖感を覚えます。

さらに自民党に対してはシンパシーを隠さない姿勢に分かりやすさを感じています。もともと「総論としての国民生活の向上」という軸足を考えた時、立憲民主党と日本維新の会は、自民党との距離感よりも大きく離れているものと思っています。そのため、立憲民主党と日本維新の会が手を携えて政権交代をめざす姿はまったく想像できていませんでした。

少し前に野田元総理が「立民は関東、維新は関西」とし、すみ分けを提唱したようですが、違和感のある発想でした。この機会にそのような発想はあり得ないものとし、自民党や日本維新の会との違いを強調すべきです。「政権交代を果たしたことで政治が混乱」という事態を避けるためにも、各党の軸足を大事にした選挙協力であることを願っています。

このブログでは、属性による決め付けた批判は避けるようにしています。具体的な事例を紹介しながら、その言動や振る舞いを批判するように努めています。日本維新の会だから批判し、拒絶感を示すのではなく、このような事例は「問題ではないか」という視点をもとに紹介しています。そのような意味合いで、日本維新の会に絡む問題視すべき事例は後を絶ちません。

参考までに『また維新が…元公設秘書らが党国会議員を“告発”  「陰でパワハラに泣いているスタッフばかり」』『《案内状入手》維新“関東のドン”が「企業団体お抱えパーティ」を開催する!《維新の馬場代表も発起人、特別講演の“お墨付き”》』『大阪・吉村洋文知事らの発言に非難殺到、「犯人を万博反対派と決めつけ…」「誤った印象操作」ミャクミャク像損壊事件で』という最近の報道を紹介します。

属性の問題で考えた時、『連合会長、立民候補への共産支援「容認できぬ」 東京15区補選巡り苦言、自主投票に』という芳野会長の発言が気になっていました。昨年秋に連合と政党との関係性時事の話題から政治に思うこと」という記事の中で、連合の立ち位置について個人的に思うことを記していました。

連合と政党との関係性において「反自民・非共産」という原則が連合結成以来掲げられています。そのような原則も「組合員にとってどうなのか」という視点を重視した際、属性のみを先行して判断するのではなく、状況に応じて柔軟な対応をはかっていくことも欠かせないように感じつつあります。

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2024年4月14日 (日)

残念な与党、されど野党 Part2

勤め先の市役所の周囲には多くの桜の木が植えられています。数日前まで満開の桜並木が目を楽しませてくれました。そのような時期は1年の間で、ほんのわずかであり、散っていく花びらのはかなさを感じています。

組合の委員長を退いてから春闘や新人歓迎という季節感のあるワードが、このブログから消えています。久しぶりに今回、春という季節にちなんだ書き出しとしていました。ただ本題そのものは、春とは無縁の前回記事「残念な与党、されど野党」の続きとして「Part2」を付けたタイトルとしています。

もともと政治的な話を頻繁に取り上げてきたブログですが、ますます時事の話題を紹介しながら今の政党や政治家に対する思いを綴る機会が増えています。あくまでも個人的な思いの吐露であり、受けとめ方や評価は人それぞれだろうと思っています。

ごく最近『まさかの「野合にダブルスコア近く」NHK最新世論調査で判明・与党の支持率に自民関係者も思わず驚愕』という報道を目にしています。自民党の関係者まで驚愕しているという見出しを付け、ある自民党衆院議員秘書が次のように語っていることを伝えています。

自民党があれだけの事件を起こしたにもかかわらず、3割近い支持率があります。支持政党なしは4割ありますが、まあ、いつものこと。自公合わせた支持率が32.4%なのに対し、立憲、維新、共産、国民、れいわ、社民を足しても17.3%しかありません。ダブルスコアに近い数値です。

政党支持率が、そのまま選挙結果として数字に表れるわけではありませんが、与党と野党の政党支持率は接近しているのでは、と予想していました。なので、この数字は想像を超えており、かなり驚きましたね

時事通信の調査では『内閣支持16.9%、最低更新  不支持初の6割台―時事世論調査』でしたが、自民党の支持率は16.3%で前月から1.7ポイント増えています。立憲民主党も前月比0.6ポイント増でしたが、4.1%にとどまり、自民党に大きく水をあけられています。

自民党の裏金事件をはじめ、資質が問われる国会議員の多さなど様々な残念さが目立つ与党ですが、されど野党の支持率も伸び悩んでいます。総選挙戦に突入しても「自民党はそれほど負けなかった」という結果だった場合、真摯に向き合うべきだった数々の問題も禊を済ませたとして不問に付されかねません。

「政権交代を望む」という世論調査での国民の意思とのネジレが起きるようでは問題だろうと思っています。より望ましい政治の実現のためには、国民からの信頼を失えば政権の座から下りることになるという緊張感が欠かせないはずです。そのためにも野党側はどうすべきなのか、興味深い記事を紹介しながら個人的な思いを書き添えていきます。

まず『野田元首相・田﨑史郎氏に問う今後の政局 “矜持なき自民党”とそれでも支持されない野党』という記事です。「なぜ立憲の支持率は上がらないのか」と問われた野田元総理は「政権を取った時にどういう暮らしを保障してくれるのか、安全保障は大丈夫なのかといった安心感も同時に問われている」と答えています。

野党の支持率が上がらない主因は、この一言に尽きてしまうのかも知れません。自民党政権に不満を強めても、実際の政権運営を考えた時、立憲民主党を筆頭にした野党に委ねることを不安視する方々が多いのだろうと思っています。

2009年の政権交代前は、自民党が支持率を下げるたびに民主党は支持率を上げていきました。「一度、民主党に任せてみたい」という未知の期待が大きかったはずです。当時のブログ記事の冒頭で、政権交代を果たした鳩山内閣の支持率は軒並み70%を超えていたことを伝えています。

しかしながら民主党を中心にした政権は3年3か月の短命で終わっています。この3年余りの政権運営が国民からの期待を裏切り、失望感を募らせたという評価につながりがちです。安倍元総理からは「悪夢の民主党政権」と揶揄されていたこともあり、政権交代を望む声がそのまま野党の支持率上昇につながりづらくなっているものと考えています。

それでも『民主党政権はそこまでひどかったのか? 安倍政権と比べてみると…』という論評もあり、民主党政権時に実現した政策等の中で、評価すべき点も多いという見方があることも確かです。「安倍元首相にとっては民主党政権時代は悪夢だったろうが、国民のすべてが悪夢だと思っていた訳ではない」という言葉に首肯しています。

「悪夢の政権」「批判だけ」…自民のレッテル貼りに惑わされるな  リベラルが結集すれば政権交代は可能』という記事は、明確な立ち位置のもとに綴られている内容です。経産官僚だった古賀茂明さんの論評で、少し言葉が走りすぎているようにも見受けられますが、全体を通したトーンは共感を覚えるものです。

「野党は批判だけ」というレッテル貼りに対して立憲民主党は国会に多くの法案を提出している。その内容を見れば、有権者は同党の政策立案能力に驚くはずだ」と指摘しています。このことを大手マスコミは報道せず、ネットなどで人気のある「似非有識者」たちも立憲提出の法案など読むことすらしないまま、平気で「野党は批判ばかりで……」などと無責任なコメントをしていることを古賀さんは憤られています。

野党第一党の立憲民主党に求められることは、第一に、自らの能力に自信を持つこと。第二に、「批判だけ」という批判を恐れぬ勇気を持ち、政治改革について安易な妥協をしないこと。そして、何よりも大事なのは、国民を信じること、である。強い気持ちでこれを貫徹すれば、政権交代は決して夢ではない。

上記は古賀さんの論評の結びの言葉です。より望ましい政治の実現のためには、前述したとおり国民からの信頼を失えば政権の座から下りることになるという緊張感が必要です。しかし、政権交代を果たしたことで政治が混乱し、国民生活に悪影響を及ぼしていくようでは本末転倒です。

政権交代が目的ではなく、国民の暮らしや安全を維持向上させていくための手段につながっていかなければなりません。このような問題意識のもと、まだまだ書き足したい個人的な思いがありますが、毎週末更新しているブログですので、 あまり盛り込みすぎず、この続きは次回以降の新規記事に委ねていきます。

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