イラン攻撃から思う日本の立ち位置
ロシアの侵略によるウクライナでの戦争が続く中、中東の地で新たな戦火が上がりました。2月28日、アメリカとイスラエルがイランに対し、大規模な軍事攻撃を始めています。イランの最高指導者ハメネイ師は、40人以上の体制幹部とともに最初の攻撃で殺害されています。
イラン南部の女子小学校にも攻撃があり、生徒や教師など175人が犠牲となっています。軍事施設だったデータをもとに狙ったという情報も耳にしますが、市街地への空爆は民間人も標的にした無差別攻撃だと言わざるを得ません。その後も攻撃は続き、イラン側の死者は1300人以上に及んでいます。
イラン側も反撃を始め、報復や憎しみの連鎖のもとに戦闘が長期化する可能性も指摘されています。ロシアのプーチン大統領は当初、ウクライナへの「軍事作戦」は短期間で終わらせられると見込んでいたようです。しかしながら身勝手な目論見は大きく外れ、4年を越える長期戦を強いられています。
イラン革命防衛隊はホルムズ海峡を封鎖し、通過する船舶を攻撃すると警告しています。ホルムズ海峡は世界の石油供給の2割が行き交う要衝であり、封鎖が長引けば原油の供給減少や相場上昇を通し、世界経済への影響は必至です。原油輸入の9割を中東に依存する日本にとって大きな痛手となり、物価高の厳しさを深刻化させる事態だと言えます。
今回、アメリカとイスラエルとの共同作戦です。トランプ政権は国連安全保障理事会の決議も、米議会の承認も経ていません。そもそもイランの核開発問題を巡り、アメリカとイランは交渉中でした。さらにアメリカにとって、イランの核開発は差し迫った自国に対する脅威を与えるものではないという見方があります。
それにも関わらず、トランプ大統領は国際世論や米国民への説明も不充分なまま、国際法上の正当性が疑われる大規模な軍事行動に踏み切ったことになります。『イランめぐる攻撃 止まらぬ理由にアメリカとイスラエルの“特殊”な関係 トランプ政権を支えるキリスト教「福音派」とは【news23】』では次のように解説しています。
立教大学文学部キリスト教学科の加藤喜之教授は「宗教的な背景から言うと、イランはイスラエルにとって常に脅威だった。何とかしてイランの脅威を退けたいというのが、イスラエルの願いであったし、そのイスラエルを支援するアメリカの福音派の願いでもあった」と語っています。
福音派とはキリスト教・保守派の集団で、アメリカの人口の4分の1を占めると言われ、トランプ大統領の最大の支持基盤です。攻撃の後、一部の福音派から「今回熱狂している。ついにイランというものを打ち破ってくれた。トランプこそが我々が待ち望んでいたリーダーだ」という声が上がっています。
今年11月の中間選挙を意識し、このような声を期待した判断だったという見方が、あながち的外れではないことに呆然としています。ノーベル平和賞を望みながら避けられる戦争を引き起こし、「私に国際法は不要」と語り、他国の主権を軽視するトランプ大統領が「究極のトップリーダー」であることに極めて残念な思いを強めています。
今年1月には「アメリカのベネズエラ攻撃に対して思うこと」という記事を投稿しています。その時、思ったことと同じ問題意識が重なり合っていきます。アメリカとイスラエルの攻撃によって、イラン側に何の罪のない多くの子どもたちが犠牲になっています。このことをもって、どのように正当性を主張しようとも理不尽で決して許容できない暴挙だったと言わざるを得ません。
今回の軍事行動によってイランの民主化が進み、イラン国民が安寧な社会で暮らせるようになったとしても「結果オーライ」で終わらせることなく、国際法違反の行為は厳しく問い続けていく必要があります。そのような対応が不充分にとどまるようであれば、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をとがめることが難しくなります。
さらに中国の台湾への侵攻が、ますます現実味を帯びてくる懸念さえあります。国際社会が弱肉強食、帝国主義の時代に後戻りする事態は絶対避けていかなければなりません。今回の記事タイトルは「イラン攻撃から思う日本の立ち位置」としています。ここからは日本が、どのように対応すべきなのか触れてみます。
TBS NEWS DIG『高市総理がイランの行動を非難 日独首脳電話会談で』で「イランの攻撃がエネルギー施設を含む民間施設や外交施設などに及び民間人の死者が出ていることから、高市総理はこうしたイランの行動を非難するなど日本の立場を説明した」と伝えています。ベネズエラ攻撃の時と同様、今回もアメリカを非難する言葉は一切ありません。
攻撃直後、木原官房長官は「国際的な核不拡散体制の維持のためにも、イランによる核兵器開発は決して許されない。米イラン間の協議はイランの核問題の解決のために極めて重要であり、我が国としてこれを強く支持してきた。イランは核兵器開発及び地域を不安定化させる行動を辞めるべきだ」と強調しながら「事態の早期沈静化に向けて国際社会とも連携し、引き続き必要なあらゆる外交努力を行なっていく」と述べていました。
これまで日本とイランは「日章丸事件」以降、伝統的友好関係を築いてきたはずです。さらに国際社会での「法の支配」の重要性を唱えていながらアメリカの軍事行動の是非に触れず、攻撃を受けた側に責任があり、悪いのはイランであると一方のみを批判するような姿勢は残念でなりません。ちなみにベネズエラ攻撃の時は次のように思っていました。
トランプ大統領の特異な性格を考慮し、自国の国益等を踏まえ、政府としての公式見解での批判のトーンは弱めざるを得なかったように受けとめています。したがって、高市総理の攻撃直後の声明が曖昧な表現にとどまったことも、ある程度やむを得ないものと思っていました。
その上で、相手方の特異さなどを慮れるのであれば、なぜ、中国に絡む発言に対しても同じように対応できなかったのか残念でなりません。ちなみに平和フォーラムの声明では覇権主義を批判するのであれば、アメリカに対しても毅然とした姿勢で臨むべきと訴えています。いずれにしても与野党問わず、ダブルスタンダードとならない確かな軸足のもとでの外交姿勢が欠かせないのだろうと思っています。
もちろん私自身は「力による現状変更は許されない」という立場です。ただベネズエラ攻撃の時は不幸中の幸いにも戦闘の泥沼化が避けられ、日本からすれば「対岸の火事」のような距離感がありました。そのため、曖昧な表現が国益等にかなうような見方も一概に否定できませんでした。
しかしながら今回、軍事攻撃の規模が大きく、最高指導者を殺害し、戦火は周辺国まで広がり、石油に絡む世界経済への影響や長期戦となる見通しなどを鑑みた時、ここまでアメリカ擁護の立場を鮮明にして良かったのかどうか、それが国益等にかなうことなのかどうか不安視しています。
これまで友好関係を築いてきましたが、上記のような立場表明によってイランからすれば日本の船舶等は真っ先に狙うべき「敵」に見なしていくのではないでしょうか。スペイン同様「イラン攻撃は国際法違反」と明確に批判できないにしても、せめて武力行使自体を歓迎しない主旨の言葉を日本政府も発した上で国際社会との連携に努めて欲しいものです。
前回記事「高市総理のカタログギフトの問題」の冒頭で、高市総理に対する評価や見方の個人差が大きいことを記していました。私自身『カタログギフト問題 説明回避、強気の首相 コラム削除でも苦しい弁明 党内「ありがた迷惑」』『”令和の女帝” 高市早苗首相 ″能面の笑顔″に隠された「不安と孤独」』『サナエトークンだけではなかった高市首相の“致命的な死角”、危機管理の拙さで想起される「森元首相えひめ丸事故」の教訓』という記事の内容に首肯しがちです。
しかし、高市総理が戦争を肯定的にとらえているような見方は一切ありません。戦争を防ぐためには、どのようにすべきか、そのために憲法9条を改めることの必要性を認識し、防衛費の増大や『「5類型」撤廃、自民提言案が判明 殺傷能力ある武器の輸出原則容認』という報道のような動きを見せているものと思っています。
衆院選で大勝した後、高市総理は「国論を二分する政策に挑戦する」と語っています。例示した課題、確かに自民党の公約等に掲げられていたはずです。ただ選挙戦を通し、国論を二分するような重要なテーマについて国民は問われていたのか、その是非について議論が交わされていたのかどうか甚だ疑問です。
「私が信任いただけるのかどうか」というフワッとした民意の結果が、自民党の歴史的な勝利につながったように受けとめています。例えば憲法9条を改めるとしても、国際標準でフルスペックの集団的自衛権を行使できる国になるのかどうか、これまでの日本国憲法の平和主義を大きく転換し、普通の国をめざすのかどうか、このような問題提起が不足しているように思っています。
一方で「憲法9条を守る」という端的な訴えだけでは不充分であることを高市政権に対峙する側も認識していかなければなりません。私自身の問題意識は「平和の話、インデックスⅣ」のとおり数多いブログ記事を通して言葉にしてきています。たいへん長い記事になっていますので、そろそろまとめますが、今回のイラン攻撃に際し、次のような思いを強めていました。
イランの核開発も抑止力の強化を意図していたはずです。そのことが結果として、敵対する側から攻撃を受けてしまったことになります。軍事力強化一辺倒だった場合、このようなリスクと背中合わせとなりがちです。実効ある安全保障は、抑止力と安心供与とのバランスが大切であることを改めて思い起こしています。
さらに今回、戦争は権力者の「意思」によって引き起こされることを痛感しています。だからこそ人間の「意思」によって抑えることができるはずです。前述したとおり高市総理も戦争に否定的な立場だと思っていますので、一人の国民も戦火の犠牲にしないためには、どのような判断を重ねていくことが望ましいのか、ぜひとも日本国憲法の平和主義に軸足を置きながら問い返していただけるよう願っています。
| 固定リンク


コメント