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2026年3月14日 (土)

『自治体は何のためにあるのか』を読み終えて

前回記事はイラン攻撃から思う日本の立ち位置」でした。3月中に高市総理は訪米し、トランプ大統領と会談する予定です。1月末の記事「36年ぶりの真冬の総選挙 」の中で伝えていましたが、 中国の習主席との初めての首脳会談で高市総理は香港や新疆ウイグル自治区などの人権問題について少しも遠慮せず正論を述べていました。

この後、台湾有事に関する高市総理の国会発言があり、その時の首脳会談が現状のような悪化した日中関係に至る伏線となっていました。同じように正論となる「法の支配」から逸脱したイラン攻撃の問題性を指摘できれば、トランプ大統領は激怒するはずですが、日本に対する国際的な評価は高まるはずです。

トランプ大統領との関係性が悪化したとしても不当な戦争からは距離を置け、これからも問題点を率直に諫言できる深化した日米関係に高められる機会になり得るかも知れません。このような立ち位置こそ日本国憲法の平和主義に軸足を置いた対応であり、国際社会と連携しながら今回のアメリカの不当さを指摘していくことが、長期的な意味合いでの国益につながっていくのではないでしょうか。

ただ残念ながら「法的評価は差し控える」という言葉を繰り返す高市総理にそのような期待を託すことは「ないものねだり」なのだろうとも思っています。せめて不当な戦争に荷担させられるような「宿題」だけは負わされないことを切に願っています。

緊迫化した時事の動きを受け、記事タイトルとは離れた内容が広がりがちですが、今回は定番化している「『〇〇〇』を読み終えて」というタイトルを付けた新規記事としています。実は今回の書籍自治体は何のためにあるのか』は2週間以上前に読み終えていました。

前々回は高市総理のカタログギフトの問題、前回はイラン攻撃に接し、そのことに絡む内容を先に取り上げてきました。ようやく今回、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の締切が3月末に迫っているため、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めています。

これまで『足元からの学校の安全保障  無償化・学校教育・学力・インクルーシブどうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義公営競技史』『承認をひらく官僚制の作法 賃金とは何か自治体職員の「自治体政策研究」史』『新しいリベラル』『首長たちの戦いに学ぶを紹介し、次号は『自治体は何のためにあるのかを取り上げます。

それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」「『官僚制の作法』を読み終えて」「『賃金とは何か』を読み終えて」「『自治体職員の「自治体政策研究」史』を読み終えて」「『新しいリベラル』を読み終えて」「『首長たちの戦いに学ぶ』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。

ちなみに季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありません。先にブログ記事をまとめるパターンは、いつも気ままに書き進めるため3000字以上の長文となりがちです。その内容を基本に入稿用の原稿に移す訳ですが、1300字程度に絞るこむ作業には毎回苦労しています。

今回の著書『自治体は何のためにあるのか』 の副題には『〈地域活性化〉を問い直す』と掲げられています。著者の今井照(あきら)さんは福島大学行政政策学類教授だった方で、現在、地方自治総合研究所の特任研究員を務められています。表紙カバーの袖やリンク先の著書の紹介文には次のとおり記されています。

地方自治の空洞化が加速している。「地方創生」の名のもとに、「稼ぐ」ための地域活性化を煽られ、コンサル会社による行政の“分捕り”や、国からの新たな統制が広がっている。人口の縮減、デジタル化の進展など、社会が大きく転換するいま、自治体の存在意義を根本から考える。市民が自治体を使いこなすために。

著書のはじめに「身近で遠い自治体」という小見出しが付けられています。「日頃はあまり、自治体や地方自治のことを考えたことがない方に向けて、現在はこんなことになっています、どうしましょうか、と関心を持ってもらうために書いています」という言葉から始まっています。

第1章は「稼ぐ」地方創生の末路として、福島県国見町で起きた企業版ふるさと納税が悪用された事件を伝えています。ある企業グループが町に4億円ほどを寄付し、税制優遇の恩恵を受けていました。企業グループは町のコンサル的業務にも関わり、その後の業務受注で資金を回収していたという不公正な関係性が問われた事例です。

官製談合の疑いをかけられた事件ですが、著者の今井さんは「完全に法に反していると疑われる点は、ごく限られた行為だけなのです。むしろ概ねは、現在の国の政策や制度を最大限利活用している」とし、「仮に事件の真相が明るみに出なければ、町も事業者も、国政の先端を担っていると高く評価されていたかも知れません」と語っています。

この事件を報道した河北新報の記者は『過疎ビジネス』という自著を通し、過疎にあえぐ小さな自治体の苦悩と「地方創生マネー」をビジネスチャンスとしてとらえている企業との関係を「コンサル栄えて、国滅ぶ」という言葉で問題提起しています。

このような構図があることを今井さんは認めながら「不正は不正として批判されるべきですが、町や人々、あるいは事業者を貶める意図は毛頭ありません」という立場であることを述べています。国がお金を用意して、自治体に「稼ぐ」ことを求めれば、このようなことが起こる可能性の高くなる構造的な問題を批判しています。

自治体側の必然性や不可避性から立ち上げられた事業ではなく、国からくるお金を使うために編み出された経緯や背景を今井さんは問題視しています。ノウハウのない小規模な自治体は計画策定からコンサル会社に依存することになり、そもそも地域社会を維持するために「稼ぐ」ことを求めている国の政策や価値観に警鐘を鳴らしています。

入稿用の原稿は1300字程度にも関わらず、第1章だけで相当な分量の内容を紹介しています。それだけ今井さんの著書の中味が濃く、掘り下げていくと非常に重要な問題提起に気付かされるからだと言えます。自治体に関心のない方々に向けて書かれているとされていますが、私自身をはじめ、自治体職員にとって必読の書であることに間違いありません。

駆け足となるかも知れませんが、第2章以降も興味深い箇所を紹介していきます。2000年の分権改革で国と自治体は「対等」の関係になったはずです。しかし、その後の三位一体の改革、市町村合併、東日本大震災の復興過程や地方創生政策などを経ながら「自治・分権」は制約されてきていると今井さんは見ています。

機関委任事務制度の時代は通達による行政統制が中心でしたが、自治事務と法定受託事務に移行した後、立法を介した自治体に対する計画策定要請によって国からの統制が強められています。このことを今井さんは「計画統制」と名付け、国が自治体の活動を実質的に制約し、特定の方向に誘導している現状を憂慮されています。

国の地域政策は「地域活性化」から「地域再生」を経て、近年の「地方創生」に至っています。「地方創生」という造語はアベノミクスの成長戦略を大胆にパワーアップするという文脈で出てきました。今井さんは成長戦略のテコ入れとして地方を利活用することを明確に否定し、次のように説明しています。

自治体の中には、大都市部のように、自治体が関わらなくても、経済活動が自律的に「稼ぐ」地域もありますが、「稼ぐ」環境に恵まれていない自治体のほうが圧倒的に多いのです。こうした条件の差を調整して、どの地域にいても最低限の生活を維持できるようにするのが国の役割なのです。

今井さんは「人口減少」→「地方消滅」→「自治体消滅」というロジックそのものが間違っていると提唱されています。このロジックに至るまでの国の進めてきた政策の問題性を著書の中で綴っています。

自治体側が使途を国に制約されない財源を望んだ結果、2002年から2006年にかけて国税の一部を地方税へ移し、補助金交付金と地方交付税は削減するという三位一体改革が進められました。増えるべき税収の少ない自治体にとって、財政面で深刻な不安を強いられることになりました。

同じ時期、国が市町村合併を促進させていたため、三位一体改革によって動揺していた少規模な市町村は合併を受け入れる動きを活発化させていきました。この「平成の大合併」は地方自治にとって相当に歪な構造を生み出しました。

合併は、まるで地域社会から役所が逃げ去ったかのようでした。なぜなら、合併によって広域化し、周縁地域になってしまった旧市町村では、市民生活を見守り、地域課題に対処するべき役所も議会も中心部に行ってしまったからです。合併後、このような地域の多くで人口減少が加速します。

著書の中には「合併すれば効率化するという理屈は、経済活動では成り立つかも知れませんが、自治体の行政活動では成り立ちません。自治体の行政活動は、そこにいるすべての人を対象にしなければならないからです」という記述もあります。今井さんは「稼ぐ」という発想をはじめ、一般的な経済活動のロジックを自治体の政治行政に持ち込もうと企図しがちな国の動きを一貫して危惧されています。

長いブログ記事となっていますが、もう少し続けます。2024年に地方自治法の一部が改正されました。2000年の分権改革によって「上下・主従」が「対等・協力」という関係となり、この改正では「協調・連携」という言葉に置き換えられています。今井さんは改正の柱として次の3点を上げています。

  1. デジタル化(全体の「最適化」)
  2. 国と自治体との関係の特例(「補充的」指示権)
  3. 公共私連携(指定地域共同活動団体制度)

それぞれ問題性が指摘されていますが、ここではデジタル化についてのみ紹介します。私自身、マイナンバーカードを所管する部署の近くで執務しているため、今回の著書に接し、肌感覚で最も共感を覚えた箇所でした。今井さんはデジタル化そのものは社会の趨勢であることを認めながらも、国の進めているデジタル化のチグハグさを指摘しています。

たとえば、マイナンバーカードは、暗証番号の更新のために、少なくとも5年に1回は老若男女を問わずに役所の窓口に出向くことが大きな負担になっています(代理人手続きもありますが、相当に煩雑です)。デジタル化によって、役所に出向く回数が増えるとは、何かが間違っているとしか思えません。

当然、市町村にとっても新たな負担となり、作業量の増加はもとより、人員や財源の確保が必要になっています。しかもこの事務は導入期の一時的な増加ではなく、現在の制度が続く限り永遠に続く事務量の増加です。したがって、市町村によっては、新しい組織を作り、別に事務所を借りて対応しているところもあります。これらを国全体で積み上げたら、相当大きな負担増になっているに違いありません。

2024年の改正で住民基本台帳や固定資産税など自治体の基幹20業務のシステムを、国が作成する標準仕様書に基づくシステムへリプレイスする義務を自治体に課しています。国全体では膨大なコスト増となり、マイナンバーカードと同様「デジタル化による行政の効率化や最適化」から程遠くなりがちな動きを今井さんは懸念されています。

今回の著書を読み終えて、今井さんの明確な危機意識がヒシヒシと伝わってきていました。それでも全体を通して抑制的な論調であり、他者を厳しく非難するような言葉は見当たりません。あくまでも具体的な事例や政策の方向性等に対し、ご自身の考え方に照らして論評するという立場で綴られています。

まだまだ紹介したい内容が多くありますが、そろそろまとめます。本来であれば国のやるべき仕事を、自治体が執行していることの多い「融合」状態であるため、海外比較から日本の自治体の事務量は多すぎると今井さんは説いています。このような現況の中、いっそう自治体の事務量を増やしがちな「分権」を問題視し、決定権の分別を進めることこそ重要であると訴えています。

「自治・分権」が社会のめざすべき理念として自治体関係者は考えてきました。しかし、今や地方自治を所管する総務省の中にも「自治・分権」を制約する考え方が広がりつつあるようです。このような現状を憂慮されている今井さんが、著書の中で強調されてきた思いを最後に紹介させていただきます。

自治体のミッションとは、何度も繰り返してきたように「今日と同じように、明日も暮らし続けられる」ことを市民に保障することです。その資源を用意するのは国の責務です。どの地域で暮らしていてもナショナル・ミニマムを享受できる条件が整っていなくてはなりません。たまたま暮らしている土地では、小学校に通えない、介護サービスを受けられない、といったことが起こっていいはずがありません。

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