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2026年3月28日 (土)

労使の信頼関係について思うこと、2026年春

今回の記事も長くなりそうですので、時事の話題等には触れず、すぐ本題に入ります。前回記事「2026年の春闘期、気ままに思うこと」の最後のほうで、市側に最も伝えたかったのは「省みることは省みながら労使の信頼関係が損なわれないよう努めていく考えです」という言葉だったことを記していました。

労働組合という組織に限らず、誰もが日常の中で間違ったことはしていないと考えているはずです。そのため、正しいと認識していた「答え」が間違っていると指摘を受けた時、反発してしまうこともあるかも知れません。もし厳しい言葉でのやり取りになった場合、感情的な応酬につながる恐れもあります。

したがって、自らの「答え」に誤りがあるかも知れないと考え、指摘を受けた時、謙虚な姿勢で省みていくことが重要です。その結果、誤りがあれば率直に反省し、すみやかに改めていくことが欠かせません。ただ自分自身の「答え」に誤りが確認できなければ、そのことを指摘された側に説明していくことも必要です。

信頼関係を維持していくためには、このような当たり前な関係が大切だろうと思っています。すると奇遇にも数日前、プレジデントオンラインの『怒鳴ってきた相手が一瞬で大人しくなる…仕事ができる人が"厄介な反対勢力"を手懐ける「戦略的なひと言」』という見出しの記事を目にしていました。

仕事ができる人は、相手に対して「これをやらないと、こういう事態になってしまうと私は思っているんです」と冷静に伝えることで、相手の認識が変わる可能性について書かれていました。知らなかった新情報を教え合うことで、相手に対して抱いていた対立心も和らいでいくという説明の後には次のように記されています。

どちらにしても、自分が相手と対立しているのには理由があり、無意味に感情的になっているわけではないことを伝えることができます。一番いけないのは、言わないことです。自分が考えていることを相手に伝えず、相手に漠然とした嫌悪感を抱くことです。

このような心得について共感しています。指摘すること、説明すること、対話していくことの大切さに思いを巡らしています。私どもの労使関係の現状が対立気味というものではありませんが、執行委員長を退任した翌年、3年前の6月に労使の信頼関係について思うこと」という記事を投稿していました。

今回、その記事の続きにあたる内容としてタイトルに「2026年春」を付けて書き進めています。労使のOBが懇親の場を持つことになったエピソードなどについて、興味を持たれた方はリンク先の記事をご参照ください。ここでは労使関係に関わる法的な位置付けなどに絞って再掲します。

団体交渉は憲法第28条及び労働組合法第6条に定められた労働組合の権利であり、正当な団体交渉の要求を使用者側は拒否できません。私どもの組合は厳密にとらえれば職員団体で、協約締結権が認められていません。

労組法に照らして一定の制約のある組合ですが、これまで労働組合としての正当性について市側から疑義を示されたことはありません。このような労使関係の出発点となる信頼関係があり、そのことから派生する重要な確認事項がいくつかあります。

労働条件の問題は労使対等な立場で協議し、合意に至らなければ一方的に実施しないという原則です。このことについてはブログを開設した頃の記事「なぜ、労使対等なのか?」をはじめ、「労使交渉への思い」や「組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」などを通して詳述しています。

事前協議の原則は、民間委託や指定管理者制度など行政のアウトソーシングに関しても同じように対応しています。5年前には組合からの要請書に対する文書回答で、行革計画の中で「労働条件の変更を伴う事項については、従前と変わらず事前協議していく」「労使の信頼関係を損ねないように取り組んでいく」ことを改めて確認していました。

かつて市議会の委員会で「行革課題を進める上で組合との協議が必要なのか?」という質問がありました。このような質問に対し、当時の副市長は「労働条件の変更が伴う場合、労使協議は必要」と答弁しています。その時の副市長が今回の会食に参加された懐かしいメンバーのお一人でした。

労使関係に関わらず、信頼関係を維持するためには「約束したことは守る」という土台が欠かせません。約束が守れない場合、変更しなければならない場合、相手方に事情を丁寧に説明し、納得を得られるように努力しなければなりません。

労使協議の対象とすべきかどうかなど、もしかすると情勢の変化によって変わる場合もあり得るのかも知れません。しかし、これまで労使協議の対象だった事項の取扱いを変えるのであれば、対象としないという事情や理由を組合側に理解を求め、同意を得ることから始める必要があります。

労使対等の原則について少し補足します。労使交渉に限らず、それぞれ考え方や立場の異なる者同士が話し合って一つの結論を出す際、難航する場合が多くなります。両者の力関係が極端に偏っていた場合、相手側の反論は無視され、結論が押し付けられかねません。そのようなケースは命令と服従という従属的な関係に過ぎず、対等な交渉とは呼べなくなります。

その意味で労使対等の原則は非常に重要であり、労使交渉の場では対等に物申すことができ、労使合意がなければ労働条件の問題は市側の思惑で一方的に変更できないようになっています。ただお互いの主張から一歩も踏み出せないようであれば交渉は成り立ちません。お互いの主張に耳を傾け、労使双方が決断を模索し、納得できる解決策を見出す努力も心がけていかなければなりません。

私の委員長時代の反省点があります。労使交渉を通して決めた事項について、押印を交わした文書を逐次残していませんでした。3年前に就任された市長と直接お話する機会があった時、そのことについて不思議がられてしまいました。もちろん団体交渉の議事録は残り、組合側は組合員に向けてニュース等で労使確認した内容を伝えています。

ちなみに口約束でも当事者の意思表示が合致すれば民法上有効な契約として成立します。そもそも法的拘束力がない中、取り交わした文書内容の履行も信頼関係が前提となります。このような考え方があり、労使確認に関わる文書の少ない事情を市長に説明させていただきました。とは言え、交渉当事者が変わっていくことを踏まえれば、重要な労使確認事項は文書として残していくべきものだったと反省しています。

実は次回の執行委員会に向け、労使関係に関わる資料をまとめる宿題を引き受けています。今回のブログ記事は、その資料を想定しながら書き進めていました。結局のところ以前の記事内容の紹介がメインとなっていますので、木曜の執行委員会に提出する内容は改めて白紙から手がけていくことになりそうです(😞)。

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2026年3月21日 (土)

2026年の春闘期、気ままに思うこと

6回目となるWBC、日本は初めて準決勝に進めませんでした。三冠王でベストナインに選出された大谷選手は、優勝したベネズエラとの試合でも先頭打者ホームランを打つなど活躍しています。まさかの準々決勝での敗退、特に決勝の水曜は週休日でリアルタイムで応援できる絶好の日程だったため重ねて残念なことでした。

4月以降も市役所で働き続けられますが、週4日勤務から週5日勤務に変わります。したがって、その日はラス前の水曜週休日でした。前回記事「『自治体は何のためにあるのか』を読み終えて」でお伝えした季刊誌「とうきょうの自治」の原稿をまとめ、昼過ぎにメールで入稿しています。やはり1300字程度に絞りこむ作業には苦労しました

その日のニュース番組は春闘の集中回答日であることを伝えていました。自動車や電機などの大手企業が労働組合の要求に回答を示しています。物価上昇や人手不足を背景に組合側は昨年に続き高い水準の賃上げを求め、企業側からは基本給を底上げするベースアップを含めて満額回答が相次いでいました。この後、中小企業の労使交渉が本格化します。

公務員の賃金交渉は8月に人事院勧告が示された後、秋から年末にかけて本格化していきます。春闘で賃金を決定する交渉はありませんが、私どもの組合では2月から3月にかけて次年度に向けた人員確保交渉の山場を迎えます。自治労や連合関係の春闘集会等も続くため、執行委員長時代「季節は春闘、多忙な日々」という記事があるとおり連日、この時期は組合活動に関わっていました。

当たり前なことですが、その頃に比べれば体力的にも精神的にも穏やかな日々を過ごせています。ただ特別執行委員を引き受けていますので昨年よりも負担が生じています。私が担当した資料の説明もあり、週休日にも関わらず、夕方からは執行委員会に出席していました。

今回の記事に際し、自分自身や私どもの組合に関わるローカルな話題だけでまとめることも考えていました。しかし、やはり前々回記事「イラン攻撃から思う日本の立ち位置」から前回記事の冒頭でも触れている時事の動き、特に高市総理とトランプ大統領との会談について取り上げない訳にはいきません。

朝日新聞の記事『「我々が始めた戦争ではない」ドイツ、ホルムズへの艦船派遣を否定』で、ドイツのメルツ首相が「この戦争のリスクはあまりにも大きい。軍事的な解決はなく、政治的な解決しかない」と強調し、「NATOは防衛同盟であって『介入同盟』ではない。同盟内で互いに敬意を持って接することを願う」と述べていることを伝えています。

EUの外相にあたるカラス外交安全保障上級代表は「欧州の戦争ではない」とし、加盟国海軍の派遣に否定的な考えを示しています。戦闘に巻き込まれる事態への懸念からイギリスやフランスも慎重姿勢を崩していません。それぞれ至極真っ当な立場声明だろうと思っています。

このような中、高市総理はトランプ大統領とどのように相対するのか、内外から注目が高まっていました。高市総理に対し、このブログでは批判的な論調が目立っています。ただ「高市総理のカタログギフトの問題」にも記したとおり決して「批判ありき」ではなく、具体的な言動や事例を指摘した上で、何が問題なのかという論点を示しています。

3年前には「放送法での政治的公平性」という記事を通し、高市総理の虚偽答弁やその後の不誠実な対応ぶりを綴っていました。訪米前の日刊ゲンダイDIGITALの記事『高市早苗首相、外務省のレクには耳を傾けず? トランプ大統領との"口約束"に懸念』では「外務省の熱心なレクに総理は耳を傾けず…」という高市総理の特異さを伝えています。

場合によって「脱官僚」という面でプラスに働くことがあったとしても、より望ましい「答え」を見出すためには多面的な情報等に触れていくことが欠かせないものと考えています。松本洋平文科相の不倫スキャンダルの報道に驚いていましたが、「高市さん、大っ嫌いなんだよ」と発した理由にはうなづける気がします。

高市総理が松本文科相の党務における上司だった時、部下にはパワハラ的なきつさで接し、自分よりも立場が上の人物に対してはガラリと態度を変え、媚びを売る姿を見てきたからでした。そのような振る舞い方が事実だった場合、一般的に言って嫌われる上司の筆頭に上げられる素性ではないでしょうか。

「なんでダメなの?」「私に恥をかかせるな」高市首相の言葉遣いが起こす大きな波紋』という報道のとおり閣僚らに対する言葉遣いは現在も厳しめであるようです。「立場が上の人物に対して」という事例では、真っ先にトランプ大統領との接し方が思い浮かびます。とは言え、たいへん気難しいトランプ大統領に対し、高市総理だからこその良好な付き合い方ができているのだろうと評価しています。

さて、注目を集めていたトランプ大統領との会談は『日米首脳会談、中東情勢安定へ緊密な連携で一致…トランプ氏は日本評価「NATOとは違う」』という読売新聞の見出しのとおり無難に終えることができたようです。会談の冒頭、トランプ大統領は高市総理を「選挙で勝利した偉大な女性」と持ち上げていました。

この言葉の後、高市総理は「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだと思っています。そのために私は諸外国に働きかけて、しっかりと応援をしたいと思っています。今日、私はそれを伝えに来ました」と伝えています。額面通りであればトランプ大統領を過剰に持ち上げる言葉ですが、なかなか練り上げてきた様子を深読みしています。

国際法に沿って違法の疑いが明らかなイラン攻撃を始めたトランプ大統領への皮肉は込めていないのかも知れませんが、戦争を終わらせられるのは「ドナルドだけ」というメッセージだったとも理解できます。現時点で真意は明らかにされていませんが、そのようなメッセージを込めていたことを信じたいものです。

トランプ大統領からは日本の対応について「非常に素晴らしい支援を受けている。NATOとはまったく違う」と持ち上げられています。高市総理は日本の法律で「できること、できないことを説明した」と述べていますが、その言葉をトランプ大統領がどこまで理解されたか、今後、不当な戦争に荷担させられないことを切に願っています。

会談の最後のほうで台湾問題を巡り、武力による一方的な現状変更の試みに反対することで一致したようですが、ベネズエラやイランへの攻撃との矛盾が照らし合わせられていない点には強い疑念を示さなければなりません。いずれにしてもアメリカとの関係が、この問題を通して極端に悪化しなかったことに関しては安堵しています。

訪米前、高市総理は「したたかな外交を実現する」と意気込みを示していました。厳しい会談になるとの警戒感が強かったため、政府高官が会談終了後「大成功だ。トランプ氏も満足していた」と語った言葉もその通りだろうと思っています。そこで考えてしまうことは、なぜ、中国の習主席との首脳会談でも国益を重視した「したたかな外交」を意識できなかったのか、残念でなりません。

ここまでで随分長い記事になっていますが、トランプ大統領との会談から私どもの組合のローカルな話題につなげます。昨年11月の記事「3年ぶりの団体交渉 Part2」の最後のほうで触れていた組合の定期大会を庁舎内の会議室で開催した問題です。経緯について市側に文書で報告する運びとなっていました。

委員長が文書の案を執行委員会に示した時、出席していた私がいくつか意見を述べていました。結局のところ先週、多忙な委員長から私が依頼され、改めてまとめることになりました。執行委員会で確認した翌日、委員長名で市長あてに提出しています。その文書「組合の定期大会を302会議室で開催した経緯について」の内容の全文は最後に紹介します。

内容を確認した時の執行委員会では「少し謝りすぎではないですか」という意見も出ていました。そのような点も意識しながら、かなり時間をかけて練り上げた文章であることを私から説明していました。そもそも今後の開催について、正式に承認を得るための交渉の仕方があったように思っています。

それでも定期大会以外は今まで通り使用可能と確認できているため、あえて争点化せず、早々に市側の結論を受け入れていました。他に労使で争点化されがちな重要な課題が山積しているため、この使用問題で軋轢を生むような対応は避けるべきものと考えました。文書の提出まで求められたことに違和感がありましたが、約束したからには答えなければなりません。

約束したことは守る、当たり前なことであり、労使の信頼関係の大事な基盤だと思っています。このようなことも考え、たいへん多忙な委員長と相談し、私が文書を仕上げることになりました。せっかく手がけるのであれば、いろいろな思いを込めた内容としています。最も伝えたかったのは「省みることは省みながら労使の信頼関係が損なわれないよう努めていく考えです」という最後の言葉です。

    ◇          ◇

日頃から市政運営に対してご尽力されている貴職に心から敬意を表します。まずもって求められていた本文書の提出が年度末の時期まで遅れてしまったことをお詫びしなければなりません。たいへん申し訳ありません。

組合の第80回定期大会は昨年11月7日、本庁舎302会議室で開催しています。これまで長い間、市民会館大ホールで開いてきました。組合員全員の出席を呼びかけた重要な会議であり、組合員数に見合った相応の会場規模を必要としていました。500人以上集まった時もありましたが、年々出席者数は減少していました。組合予算の負担軽減等も考慮し、2017年11月の第72回定期大会から会場を小ホールに変えていました。

コロナ禍での2020年11月の第75回定期大会は事前予約制とし、出席者を100人以内に制限しました。コロナ禍後も予約制としていますが、100人以内という制限は外しています。しかしながら出席は100人以下で推移し、第79回定期大会の出席者数は73人でした。

このような出席者数の現況を踏まえ、組合執行部は定期大会の開催を本庁舎の101会議室、もしくは302会議室に変更することを検討しました。会場使用料の負担軽減よりも本庁勤務の組合員が出席しやすくなる利便性等を重視した判断でした。

それぞれの会議室の予約状況を確認し、使用予定だった関連部署等と調整をはかりながら昨年9月8日に302会議室を予約しています。予約後、9月30日発行の組合ニュース第23号で定期大会の開催場所等を組合員に周知しました。

この組合ニュースを目にされた総務文書課長から組合に申し入れがあり、10月6日に委員長が直接お話を伺いました。定期大会での会議室利用は初めてのケースであり、庁舎管理規則に沿って使用を認められるかどうか疑義を呈されていました。1か月後に迫った今回についてはそのまま使用を認めていただきましたが、今後の使用については適否を改めて労使で協議するよう申し入れを受けました。

第80回定期大会開催後の11月21日の事務折衝で、庁舎管理規則から外れる定期大会での使用は認められないということを確認しています。その際、定期大会以外の職場委員会、職場懇談会、学習会などは今まで通り使用可能ということも確認しています。この確認を受け、12月2日の執行委員会で第81回定期大会は駅周辺の会場で開催することを決めています。

これまで職場委員会や職場懇談会等は予約状況を実務的に確認し、空いていた場合、会議室の使用を認めていただいてきました。このような労使慣行を前提に組合側は定期大会の開催をとらえていました。しかしながら確かに定期大会での庁舎会議室の使用は初めての試みでした。職員を中心とした会議とは異なり、来賓として他の組合関係者や市議会議員らも訪れるため、事前に担当部局や人事当局と相談する必要がありました。

初めて取扱う事案として、あらかじめ適否について労使協議を通して確認できなかったことを省みています。決して庁舎管理規則等を軽視していた訳ではありません。これまで認められてきた会議室使用の範疇として、定期大会の開催を考えていたことからの行き違いであることをご理解ください。いずれにしても貴職に対し、余計な心配やお手を煩わせてしまったことをお詫び申し上げます。

今後、このようなことが繰り返されないよう注意していきます。もし認識の相違や至らない点があった場合、今回のように率直にご指摘いただければ幸いに存じます。真摯に受けとめ、省みることは省みながら労使の信頼関係が損なわれないよう努めていく考えです。よろしくお願いします。

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2026年3月14日 (土)

『自治体は何のためにあるのか』を読み終えて

前回記事はイラン攻撃から思う日本の立ち位置」でした。3月中に高市総理は訪米し、トランプ大統領と会談する予定です。1月末の記事「36年ぶりの真冬の総選挙 」の中で伝えていましたが、 中国の習主席との初めての首脳会談で高市総理は香港や新疆ウイグル自治区などの人権問題について少しも遠慮せず正論を述べていました。

この後、台湾有事に関する高市総理の国会発言があり、その時の首脳会談が現状のような悪化した日中関係に至る伏線となっていました。同じように正論となる「法の支配」から逸脱したイラン攻撃の問題性を指摘できれば、トランプ大統領は激怒するはずですが、日本に対する国際的な評価は高まるはずです。

トランプ大統領との関係性が悪化したとしても不当な戦争からは距離を置け、これからも問題点を率直に諫言できる深化した日米関係に高められる機会になり得るかも知れません。このような立ち位置こそ日本国憲法の平和主義に軸足を置いた対応であり、国際社会と連携しながら今回のアメリカの不当さを指摘していくことが、長期的な意味合いでの国益につながっていくのではないでしょうか。

ただ残念ながら「法的評価は差し控える」という言葉を繰り返す高市総理にそのような期待を託すことは「ないものねだり」なのだろうとも思っています。せめて不当な戦争に荷担させられるような「宿題」だけは負わされないことを切に願っています。

緊迫化した時事の動きを受け、記事タイトルとは離れた内容が広がりがちですが、今回は定番化している「『〇〇〇』を読み終えて」というタイトルを付けた新規記事としています。実は今回の書籍自治体は何のためにあるのか』は2週間以上前に読み終えていました。

前々回は高市総理のカタログギフトの問題、前回はイラン攻撃に接し、そのことに絡む内容を先に取り上げてきました。ようやく今回、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の締切が3月末に迫っているため、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めています。

これまで『足元からの学校の安全保障  無償化・学校教育・学力・インクルーシブどうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義公営競技史』『承認をひらく官僚制の作法 賃金とは何か自治体職員の「自治体政策研究」史』『新しいリベラル』『首長たちの戦いに学ぶを紹介し、次号は『自治体は何のためにあるのかを取り上げます。

それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」「『官僚制の作法』を読み終えて」「『賃金とは何か』を読み終えて」「『自治体職員の「自治体政策研究」史』を読み終えて」「『新しいリベラル』を読み終えて」「『首長たちの戦いに学ぶ』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。

ちなみに季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありません。先にブログ記事をまとめるパターンは、いつも気ままに書き進めるため3000字以上の長文となりがちです。その内容を基本に入稿用の原稿に移す訳ですが、1300字程度に絞るこむ作業には毎回苦労しています。

今回の著書『自治体は何のためにあるのか』 の副題には『〈地域活性化〉を問い直す』と掲げられています。著者の今井照(あきら)さんは福島大学行政政策学類教授だった方で、現在、地方自治総合研究所の特任研究員を務められています。表紙カバーの袖やリンク先の著書の紹介文には次のとおり記されています。

地方自治の空洞化が加速している。「地方創生」の名のもとに、「稼ぐ」ための地域活性化を煽られ、コンサル会社による行政の“分捕り”や、国からの新たな統制が広がっている。人口の縮減、デジタル化の進展など、社会が大きく転換するいま、自治体の存在意義を根本から考える。市民が自治体を使いこなすために。

著書のはじめに「身近で遠い自治体」という小見出しが付けられています。「日頃はあまり、自治体や地方自治のことを考えたことがない方に向けて、現在はこんなことになっています、どうしましょうか、と関心を持ってもらうために書いています」という言葉から始まっています。

第1章は「稼ぐ」地方創生の末路として、福島県国見町で起きた企業版ふるさと納税が悪用された事件を伝えています。ある企業グループが町に4億円ほどを寄付し、税制優遇の恩恵を受けていました。企業グループは町のコンサル的業務にも関わり、その後の業務受注で資金を回収していたという不公正な関係性が問われた事例です。

官製談合の疑いをかけられた事件ですが、著者の今井さんは「完全に法に反していると疑われる点は、ごく限られた行為だけなのです。むしろ概ねは、現在の国の政策や制度を最大限利活用している」とし、「仮に事件の真相が明るみに出なければ、町も事業者も、国政の先端を担っていると高く評価されていたかも知れません」と語っています。

この事件を報道した河北新報の記者は『過疎ビジネス』という自著を通し、過疎にあえぐ小さな自治体の苦悩と「地方創生マネー」をビジネスチャンスとしてとらえている企業との関係を「コンサル栄えて、国滅ぶ」という言葉で問題提起しています。

このような構図があることを今井さんは認めながら「不正は不正として批判されるべきですが、町や人々、あるいは事業者を貶める意図は毛頭ありません」という立場であることを述べています。国がお金を用意して、自治体に「稼ぐ」ことを求めれば、このようなことが起こる可能性の高くなる構造的な問題を批判しています。

自治体側の必然性や不可避性から立ち上げられた事業ではなく、国からくるお金を使うために編み出された経緯や背景を今井さんは問題視しています。ノウハウのない小規模な自治体は計画策定からコンサル会社に依存することになり、そもそも地域社会を維持するために「稼ぐ」ことを求めている国の政策や価値観に警鐘を鳴らしています。

入稿用の原稿は1300字程度にも関わらず、第1章だけで相当な分量の内容を紹介しています。それだけ今井さんの著書の中味が濃く、掘り下げていくと非常に重要な問題提起に気付かされるからだと言えます。自治体に関心のない方々に向けて書かれているとされていますが、私自身をはじめ、自治体職員にとって必読の書であることに間違いありません。

駆け足となるかも知れませんが、第2章以降も興味深い箇所を紹介していきます。2000年の分権改革で国と自治体は「対等」の関係になったはずです。しかし、その後の三位一体の改革、市町村合併、東日本大震災の復興過程や地方創生政策などを経ながら「自治・分権」は制約されてきていると今井さんは見ています。

機関委任事務制度の時代は通達による行政統制が中心でしたが、自治事務と法定受託事務に移行した後、立法を介した自治体に対する計画策定要請によって国からの統制が強められています。このことを今井さんは「計画統制」と名付け、国が自治体の活動を実質的に制約し、特定の方向に誘導している現状を憂慮されています。

国の地域政策は「地域活性化」から「地域再生」を経て、近年の「地方創生」に至っています。「地方創生」という造語はアベノミクスの成長戦略を大胆にパワーアップするという文脈で出てきました。今井さんは成長戦略のテコ入れとして地方を利活用することを明確に否定し、次のように説明しています。

自治体の中には、大都市部のように、自治体が関わらなくても、経済活動が自律的に「稼ぐ」地域もありますが、「稼ぐ」環境に恵まれていない自治体のほうが圧倒的に多いのです。こうした条件の差を調整して、どの地域にいても最低限の生活を維持できるようにするのが国の役割なのです。

今井さんは「人口減少」→「地方消滅」→「自治体消滅」というロジックそのものが間違っていると提唱されています。このロジックに至るまでの国の進めてきた政策の問題性を著書の中で綴っています。

自治体側が使途を国に制約されない財源を望んだ結果、2002年から2006年にかけて国税の一部を地方税へ移し、補助金交付金と地方交付税は削減するという三位一体改革が進められました。増えるべき税収の少ない自治体にとって、財政面で深刻な不安を強いられることになりました。

同じ時期、国が市町村合併を促進させていたため、三位一体改革によって動揺していた少規模な市町村は合併を受け入れる動きを活発化させていきました。この「平成の大合併」は地方自治にとって相当に歪な構造を生み出しました。

合併は、まるで地域社会から役所が逃げ去ったかのようでした。なぜなら、合併によって広域化し、周縁地域になってしまった旧市町村では、市民生活を見守り、地域課題に対処するべき役所も議会も中心部に行ってしまったからです。合併後、このような地域の多くで人口減少が加速します。

著書の中には「合併すれば効率化するという理屈は、経済活動では成り立つかも知れませんが、自治体の行政活動では成り立ちません。自治体の行政活動は、そこにいるすべての人を対象にしなければならないからです」という記述もあります。今井さんは「稼ぐ」という発想をはじめ、一般的な経済活動のロジックを自治体の政治行政に持ち込もうと企図しがちな国の動きを一貫して危惧されています。

長いブログ記事となっていますが、もう少し続けます。2024年に地方自治法の一部が改正されました。2000年の分権改革によって「上下・主従」が「対等・協力」という関係となり、この改正では「協調・連携」という言葉に置き換えられています。今井さんは改正の柱として次の3点を上げています。

  1. デジタル化(全体の「最適化」)
  2. 国と自治体との関係の特例(「補充的」指示権)
  3. 公共私連携(指定地域共同活動団体制度)

それぞれ問題性が指摘されていますが、ここではデジタル化についてのみ紹介します。私自身、マイナンバーカードを所管する部署の近くで執務しているため、今回の著書に接し、肌感覚で最も共感を覚えた箇所でした。今井さんはデジタル化そのものは社会の趨勢であることを認めながらも、国の進めているデジタル化のチグハグさを指摘しています。

たとえば、マイナンバーカードは、暗証番号の更新のために、少なくとも5年に1回は老若男女を問わずに役所の窓口に出向くことが大きな負担になっています(代理人手続きもありますが、相当に煩雑です)。デジタル化によって、役所に出向く回数が増えるとは、何かが間違っているとしか思えません。

当然、市町村にとっても新たな負担となり、作業量の増加はもとより、人員や財源の確保が必要になっています。しかもこの事務は導入期の一時的な増加ではなく、現在の制度が続く限り永遠に続く事務量の増加です。したがって、市町村によっては、新しい組織を作り、別に事務所を借りて対応しているところもあります。これらを国全体で積み上げたら、相当大きな負担増になっているに違いありません。

2024年の改正で住民基本台帳や固定資産税など自治体の基幹20業務のシステムを、国が作成する標準仕様書に基づくシステムへリプレイスする義務を自治体に課しています。国全体では膨大なコスト増となり、マイナンバーカードと同様「デジタル化による行政の効率化や最適化」から程遠くなりがちな動きを今井さんは懸念されています。

今回の著書を読み終えて、今井さんの明確な危機意識がヒシヒシと伝わってきていました。それでも全体を通して抑制的な論調であり、他者を厳しく非難するような言葉は見当たりません。あくまでも具体的な事例や政策の方向性等に対し、ご自身の考え方に照らして論評するという立場で綴られています。

まだまだ紹介したい内容が多くありますが、そろそろまとめます。本来であれば国のやるべき仕事を、自治体が執行していることの多い「融合」状態であるため、海外比較から日本の自治体の事務量は多すぎると今井さんは説いています。このような現況の中、いっそう自治体の事務量を増やしがちな「分権」を問題視し、決定権の分別を進めることこそ重要であると訴えています。

「自治・分権」が社会のめざすべき理念として自治体関係者は考えてきました。しかし、今や地方自治を所管する総務省の中にも「自治・分権」を制約する考え方が広がりつつあるようです。このような現状を憂慮されている今井さんが、著書の中で強調されてきた思いを最後に紹介させていただきます。

自治体のミッションとは、何度も繰り返してきたように「今日と同じように、明日も暮らし続けられる」ことを市民に保障することです。その資源を用意するのは国の責務です。どの地域で暮らしていてもナショナル・ミニマムを享受できる条件が整っていなくてはなりません。たまたま暮らしている土地では、小学校に通えない、介護サービスを受けられない、といったことが起こっていいはずがありません。

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2026年3月 7日 (土)

イラン攻撃から思う日本の立ち位置

ロシアの侵略によるウクライナでの戦争が続く中、中東の地で新たな戦火が上がりました。2月28日、アメリカとイスラエルがイランに対し、大規模な軍事攻撃を始めています。イランの最高指導者ハメネイ師は、40人以上の体制幹部とともに最初の攻撃で殺害されています。

イラン南部の女子小学校にも攻撃があり、生徒や教師など175人が犠牲となっています。軍事施設だったデータをもとに狙ったという情報も耳にしますが、市街地への空爆は民間人も標的にした無差別攻撃だと言わざるを得ません。その後も攻撃は続き、イラン側の死者は1300人以上に及んでいます。

イラン側も反撃を始め、報復や憎しみの連鎖のもとに戦闘が長期化する可能性も指摘されています。ロシアのプーチン大統領は当初、ウクライナへの「軍事作戦」は短期間で終わらせられると見込んでいたようです。しかしながら身勝手な目論見は大きく外れ、4年を越える長期戦を強いられています。

イラン革命防衛隊はホルムズ海峡を封鎖し、通過する船舶を攻撃すると警告しています。ホルムズ海峡は世界の石油供給の2割が行き交う要衝であり、封鎖が長引けば原油の供給減少や相場上昇を通し、世界経済への影響は必至です。原油輸入の9割を中東に依存する日本にとって大きな痛手となり、物価高の厳しさを深刻化させる事態だと言えます。

今回、アメリカとイスラエルとの共同作戦です。トランプ政権は国連安全保障理事会の決議も、米議会の承認も経ていません。そもそもイランの核開発問題を巡り、アメリカとイランは交渉中でした。さらにアメリカにとって、イランの核開発は差し迫った自国に対する脅威を与えるものではないという見方があります。

それにも関わらず、トランプ大統領は国際世論や米国民への説明も不充分なまま、国際法上の正当性が疑われる大規模な軍事行動に踏み切ったことになります。『イランめぐる攻撃 止まらぬ理由にアメリカとイスラエルの“特殊”な関係 トランプ政権を支えるキリスト教「福音派」とは【news23】』では次のように解説しています。

立教大学文学部キリスト教学科の加藤喜之教授は「宗教的な背景から言うと、イランはイスラエルにとって常に脅威だった。何とかしてイランの脅威を退けたいというのが、イスラエルの願いであったし、そのイスラエルを支援するアメリカの福音派の願いでもあった」と語っています。

福音派とはキリスト教・保守派の集団で、アメリカの人口の4分の1を占めると言われ、トランプ大統領の最大の支持基盤です。攻撃の後、一部の福音派から「今回熱狂している。ついにイランというものを打ち破ってくれた。トランプこそが我々が待ち望んでいたリーダーだ」という声が上がっています。

今年11月の中間選挙を意識し、このような声を期待した判断だったという見方が、あながち的外れではないことに呆然としています。ノーベル平和賞を望みながら避けられる戦争を引き起こし、「私に国際法は不要」と語り、他国の主権を軽視するトランプ大統領が究極のトップリーダー」であることに極めて残念な思いを強めています。

今年1月にはアメリカのベネズエラ攻撃に対して思うこと」という記事を投稿しています。その時、思ったことと同じ問題意識が重なり合っていきます。アメリカとイスラエルの攻撃によって、イラン側に何の罪のない多くの子どもたちが犠牲になっています。このことをもって、どのように正当性を主張しようとも理不尽で決して許容できない暴挙だったと言わざるを得ません。

今回の軍事行動によってイランの民主化が進み、イラン国民が安寧な社会で暮らせるようになったとしても「結果オーライ」で終わらせることなく、国際法違反の行為は厳しく問い続けていく必要があります。そのような対応が不充分にとどまるようであれば、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をとがめることが難しくなります。

さらに中国の台湾への侵攻が、ますます現実味を帯びてくる懸念さえあります。国際社会が弱肉強食、帝国主義の時代に後戻りする事態は絶対避けていかなければなりません。今回の記事タイトルは「イラン攻撃から思う日本の立ち位置」としています。ここからは日本が、どのように対応すべきなのか触れてみます。

TBS NEWS DIG高市総理がイランの行動を非難  日独首脳電話会談で』で「イランの攻撃がエネルギー施設を含む民間施設や外交施設などに及び民間人の死者が出ていることから、高市総理はこうしたイランの行動を非難するなど日本の立場を説明した」と伝えています。ベネズエラ攻撃の時と同様、今回もアメリカを非難する言葉は一切ありません。

攻撃直後、木原官房長官は「国際的な核不拡散体制の維持のためにも、イランによる核兵器開発は決して許されない。米イラン間の協議はイランの核問題の解決のために極めて重要であり、我が国としてこれを強く支持してきた。イランは核兵器開発及び地域を不安定化させる行動を辞めるべきだ」と強調しながら「事態の早期沈静化に向けて国際社会とも連携し、引き続き必要なあらゆる外交努力を行なっていく」と述べていました。

これまで日本とイランは「日章丸事件」以降、伝統的友好関係を築いてきたはずです。さらに国際社会での「法の支配」の重要性を唱えていながらアメリカの軍事行動の是非に触れず、攻撃を受けた側に責任があり、悪いのはイランであると一方のみを批判するような姿勢は残念でなりません。ちなみにベネズエラ攻撃の時は次のように思っていました。

トランプ大統領の特異な性格を考慮し、自国の国益等を踏まえ、政府としての公式見解での批判のトーンは弱めざるを得なかったように受けとめています。したがって、高市総理の攻撃直後の声明が曖昧な表現にとどまったことも、ある程度やむを得ないものと思っていました。

その上で、相手方の特異さなどを慮れるのであれば、なぜ、中国に絡む発言に対しても同じように対応できなかったのか残念でなりません。ちなみに平和フォーラムの声明では覇権主義を批判するのであれば、アメリカに対しても毅然とした姿勢で臨むべきと訴えています。いずれにしても与野党問わず、ダブルスタンダードとならない確かな軸足のもとでの外交姿勢が欠かせないのだろうと思っています。

もちろん私自身は「力による現状変更は許されない」という立場です。ただベネズエラ攻撃の時は不幸中の幸いにも戦闘の泥沼化が避けられ、日本からすれば「対岸の火事」のような距離感がありました。そのため、曖昧な表現が国益等にかなうような見方も一概に否定できませんでした。

しかしながら今回、軍事攻撃の規模が大きく、最高指導者を殺害し、戦火は周辺国まで広がり、石油に絡む世界経済への影響や長期戦となる見通しなどを鑑みた時、ここまでアメリカ擁護の立場を鮮明にして良かったのかどうか、それが国益等にかなうことなのかどうか不安視しています。

これまで友好関係を築いてきましたが、上記のような立場表明によってイランからすれば日本の船舶等は真っ先に狙うべき「敵」に見なしていくのではないでしょうか。スペイン同様「イラン攻撃は国際法違反」と明確に批判できないにしても、せめて武力行使自体を歓迎しない主旨の言葉を日本政府も発した上で国際社会との連携に努めて欲しいものです。

前回記事「高市総理のカタログギフトの問題」の冒頭で、高市総理に対する評価や見方の個人差が大きいことを記していました。私自身カタログギフト問題  説明回避、強気の首相  コラム削除でも苦しい弁明  党内「ありがた迷惑」』『”令和の女帝” 高市早苗首相  ″能面の笑顔″に隠された「不安と孤独」』『サナエトークンだけではなかった高市首相の“致命的な死角”、危機管理の拙さで想起される「森元首相えひめ丸事故」の教訓』という記事の内容に首肯しがちです。

しかし、高市総理が戦争を肯定的にとらえているような見方は一切ありません。戦争を防ぐためには、どのようにすべきか、そのために憲法9条を改めることの必要性を認識し、防衛費の増大や『「5類型」撤廃、自民提言案が判明  殺傷能力ある武器の輸出原則容認』という報道のような動きを見せているものと思っています。

衆院選で大勝した後、高市総理は「国論を二分する政策に挑戦する」と語っています。例示した課題、確かに自民党の公約等に掲げられていたはずです。ただ選挙戦を通し、国論を二分するような重要なテーマについて国民は問われていたのか、その是非について議論が交わされていたのかどうか甚だ疑問です。

「私が信任いただけるのかどうか」というフワッとした民意の結果が、自民党の歴史的な勝利につながったように受けとめています。例えば憲法9条を改めるとしても、国際標準でフルスペックの集団的自衛権を行使できる国になるのかどうか、これまでの日本国憲法の平和主義を大きく転換し、普通の国をめざすのかどうか、このような問題提起が不足しているように思っています。

一方で「憲法9条を守る」という端的な訴えだけでは不充分であることを高市政権に対峙する側も認識していかなければなりません。私自身の問題意識は「平和の話、インデックスⅣ」のとおり数多いブログ記事を通して言葉にしてきています。たいへん長い記事になっていますので、そろそろまとめますが、今回のイラン攻撃に際し、次のような思いを強めていました。

イランの核開発も抑止力の強化を意図していたはずです。そのことが結果として、敵対する側から攻撃を受けてしまったことになります。軍事力強化一辺倒だった場合、このようなリスクと背中合わせとなりがちです。実効ある安全保障は、抑止力と安心供与とのバランスが大切であることを改めて思い起こしています。

さらに今回、戦争は権力者の「意思」によって引き起こされることを痛感しています。だからこそ人間の「意思」によって抑えることができるはずです。前述したとおり高市総理も戦争に否定的な立場だと思っていますので、一人の国民も戦火の犠牲にしないためには、どのような判断を重ねていくことが望ましいのか、ぜひとも日本国憲法の平和主義に軸足を置きながら問い返していただけるよう願っています。

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