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2025年9月27日 (土)

問われているトップリーダーの資質 Part3

このブログは実生活に過度な負担をかけないため、毎週1回、週末更新を基本としています。20年以上続けられている秘訣として、コメント欄も含め、そのようなマイルールを設けてきたからだと思っています。そのため、いろいろな話題や内容を1回の記事の中に詰め込み、長文ブログとなりがちです。

今回、そのような傾向が際立った新規記事になるのだろうと見込んでいます。平日の間、次回の記事投稿に向け、あらかじめ気になった時事の話題を選んでおくことが少なくありません。ここ最近、たいへん興味深い話に接する機会が多く、盛りだくさんな内容を一気に取り上げようと考えています。

記事タイトルには少し悩みましたが、前回記事「問われているトップリーダーの資質 Part2」の続きに位置付け、結局「Part3」として書き進めています。前回記事の最後に『発信力はあるのに中身がない…総裁候補・小泉進次郎氏の"自滅を恐れる"とんでもない選挙戦術』という記事が「誤報」になることを願わざるを得ないと記していました。

昨年9月の自民党総裁選でも当初、小泉進次郎候補は有力視されていました。しかし、討論会を重ねるたびに小泉候補のトップリーダーとして備えるべき資質や実力不足が露呈し、決選投票にも残れないという結果に至っていました。同じ轍は踏まないよう今回、小泉陣営では公開討論会等を徹底的に避けていく選挙戦術が検討されていたようです。

さすがにあり得ない目論見だったようであり、告示後には小泉候補も交えた討論会が続いているため、その記事の内容は結果的に「誤報」となっています。ただ討論会でも原稿に目を通すことが目立ち、質問に対して適確な答えを繰り出せないという地力のなさは相変わらずだと言えます。

さらに『小泉進次郎氏 “ステマ”謝罪 24種類の“称賛例文” 関与は否定「知らなかった」』という報道もあり、序盤の優勢を今回も維持できるのかどうか暗雲が立ち込め始めています。この問題が発覚し、小泉候補は「知らなかったこととはいえ申し訳ない。参考例の中に一部行き過ぎた表現があったことは適当ではなかった」と謝罪しています。

ちなみにステマ(ステルスマーケティング)とは広告や宣伝であることを明記せず、企業や事業者が消費者に出所を分かりにくくした形で商品を宣伝する戦略です。消費者庁から措置命令が出され、取締りが強まっている状況であり、行き過ぎた表現が含まれていたから謝罪したという認識だけでは不充だったはずです。

このような問題が生じた際、どのように対処するのか、小泉候補のトップリーダーとしての資質が問われている局面なのかも知れません。一方で「ビジネスエセ保守に負けるな」「やっぱり仲間がいないと政策は進まないよ」などというステマ例文で、不適切な攻撃を受けていたライバルの高市早苗候補側にも気になることがあります。

高市早苗氏支持の旧安倍派議員「小泉氏勝利なら党崩壊」発言に…賛否真っ二つ「正しい認識」「旧安倍派がこれを言うんか…」』という記事のとおり自民党の安倍派だった佐々木紀衆院議員が高市候補を支援を訴える会合で、小泉候補が勝利すれば「自民は壊れ、日本が変な方向に行くのではないかと大変な危機感を持っている」と語っていました。

佐々木議員は「高市氏であれば立て直すことができるだろうということを申し上げた。小泉氏が駄目だと言ったつもりはない」と釈明していますが、裏金事件など旧安倍派への有権者の風当たりは依然強く「崩壊のもとはあんたらちゃうの?」「裏金&統一教会の旧安倍派がすでに党を崩壊させてると思うけど…」と反発する声が上がっています。

土曜の朝、旧安倍派の幹部を務めた萩生田光一衆院議員が、自身のブログに「解党的出直しを訴えながら石破政権の政策を継承するというのは違和感を覚える。初の女性総理をめざす高市さんを支援する」と記したことが報道されています。昨日の朝刊では萩生田議員、西村康稔衆院議員、世耕弘成衆院議員、旧安倍派の重鎮3人が高市候補を応援する記事を掲載した月刊Hanadaの宣伝広告も目にしていました。

幅広く支持を広げたいのであれば旧安倍派の表立った支援は逆効果になりかねませんが、高市陣営は総裁選を勝ち抜くための有効な手立てとして判断しているのか、なりふり構っていられないほどの危機感があるのか、よく分かりません。ただ一つ言い切れることは、高市候補が勝利すれば旧安倍派議員の復権は果たされ、「解党的出直し」からは程遠いという評価を受けるはずです。

裏金事件後、禊としての衆参両院選挙で当選した議員は多く、小泉候補も「一生活躍の機会がないのか。烙印を押され続けることが本当にいいことか。どのような形が国民の理解を得られるか考えていきたい」と語り、関係した議員の要職起用に含みを持たせています。一度の過ちで一生を棒に振るのか、後ほど掲げる事例などからも様々な考え方があります。

しかしながら裏金事件は自民党という組織の問題として、これまで対処の仕方の不充分さが問われ続けています。旧統一教会と自民党との関係性をはじめ徹底的に真相を究明した上で、関与した責任者らに相応の処分を下すことが欠かせなかったはずです。不明瞭な点が残ったままであれば、再発防止や信頼回復につなげていくことも難しくなります。

最近『旧安倍派の会計責任者「還流再開を要望したのは下村博文氏」、大野被告公判で証言…下村氏は「事実全くない」』という裁判の動きに接しています。そもそも還流を再開した経緯や幹部の名前が自民党の調査で明らかになっていれば、もう少し裏金事件に対する風当たりも弱まっていたのかも知れません。

いずれにしても内部調査での真相究明には限界があります。自治体や企業では第三者による委員会を起ち上げ、その組織にとって不都合な真実も明かされていくことになります。当たり前で必須な対応を回避してきため、裏金事件に区切りを付けられず、自民党への批判がやわらがない原因の一つだろうと見ています。

昨年秋に就任された石破総理には、そのような真相究明に対する仕切り直しが期待されていたはずです。しかしながら石破総理は、自身が掲げた総裁選での公約を踏まえたリーダーシップを発揮せず、まったく手を付けないまま異例の速さでの衆院解散に踏み切っていました。さらに裏金議員の公認、非公認の問題で迷走するなど、石破総理に対する失望感も際立っていきました。

実は『[地球を読む]トランプ政権、超大国の急速な自己破壊』という読売新聞の記事に注目し、究極のトップリーダーであるトランプ大統領の話までつなげるつもりでした。ここまでで思った以上に長い記事になっているため、その内容は次回以降の記事に先送りします。最後に、自治体のトップリーダーとしての資質を問わなければならない事例を取り上げます。

前橋市の小川晶市長が部下である既婚男性とホテルで密会していた問題です。小川市長は「男女の関係はなかったが、誤解を招く軽率な行動だった」と陳謝しています。現時点では、この問題が今後どのように展開していくのか分かりません。前述したとおり一度(10回以上との報道ですが…)の過ちで一生を棒に振るのか、小川市長にとっては人生の岐路に立たされていると言えます。

20年以上前の話ですが、既婚の衆院議員が女性とのホテルでの密会をスクープされ「一夜は共にしたが男女関係はない」と否定しました。時代背景が違うのかも知れませんが、深刻な問題として引きずられることはなく、その後、総理大臣にまで上り詰めていました。最近のことでは政党代表が不倫問題で騒がれましたが、致命傷に至らず、上昇していた人気にも大きな影響を及ぼしていません。

前者の衆院議員の時のように小川市長は「男女関係はなかった」という言い分で押し通すのかも知れませんが、その言い分を信じる方は極めて稀なのではないでしょうか。後者の政党代表のように事実関係は認め、相応のケジメを付けることのほうが、少しでも傷口を押さえられるような気がしています。

前々回記事「問われているトップリーダーの資質」で取り上げた伊東市の田久保真紀市長に対しても、学歴詐称問題そのものより正直さの欠けている姿勢が厳しく批判されているものと思っています。3回にわたってトップリーダーの資質を問う記事を投稿してきましたが、まず何よりも「嘘はつかないで欲しい、正直であって欲しい」と当たり前なことを願わなければなりません。

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2025年9月20日 (土)

問われているトップリーダーの資質 Part2

前回記事「問われているトップリーダーの資質」の最後に「自治体の首長以上にトップリーダーとしての資質が問われていた石破総理の言動に対し、いろいろ思うことがありました。自民党総裁=総理大臣という構図にならない可能性もありますが、自民党内の新たなトップリーダー争いを見据えながら次回以降の記事で、この続きを書き進めていければ」と記していました。

自民党総裁選は週明け月曜日に告示され、10月4日が投開票日です。立候補者の顔ぶれは決まり、昨年の総裁選にも手を挙げた5人の争いとなる見通しです。東洋経済オンラインで『「フルスペック選挙」は自爆行為なのにそれもわからず、10月4日の自民党総裁選挙は自民党と日本政治を滅ぼすだけだ』という辛辣な記事を目にしています。

解党的出直し」を訴えていながら旧態依然とした長老や旧派閥の影響が取り沙汰され、候補者の資質や政策の優劣が二の次になる様相です。どのように「勝ち馬に乗るか」という思惑が目立ち、前掲した記事の見立てのとおりメディアの注目が集まれば集まるほど自民党に対する失望感は高まっていくのかも知れません。

そもそも次期総裁の有力候補を思い浮かべた時、それならば石破総理のほうが無難ではないか、このような巷の見方が多かったようです。参院選惨敗後、内閣支持率が上昇し、石破総理の続投を望む声が目立ったことも、そのような理由が大きかったように思っています。石破内閣は衆院で少数与党に転落しながらも予算案を通し、トランプ関税にも一定の決着をはかっていました。

「Part2」として書き進めているトップリーダーの資質として、石破総理には後述するような問題点が顕著でした。それでも評価すべき事例が多々あったことも確かです。森友学園問題の文書開示が進んだことは石破総理だったからだと言えます。近隣諸国との融和ムードが高まりつつあることも「石破内閣ならでは」だと思っています。

ディリー新潮の進次郎・高市出馬で見えた"自民分裂"の近未来  石破おろし」に批判噴出の自民は「旧安倍派を断ち切るしかない」』という見出しの記事の中では「菅政権のGoToトラベルや岸田政権の国葬などに比べて、石破首相は世論に反することは行っていない」とまで石破総理を持ち上げています。

その一方で、指摘しなければならない石破総理の資質の問題を昨年秋の記事「衆院解散、より望ましい政治への転換を!明日は衆院選投票日、正直な政治への転換を!」などで伝えてきています。裏金議員を衆院選で原則公認する方針でしたが、世論や党内からの批判が激しく、その方針を一転させていました。

非公認となる閣僚経験者は総裁選前に石破総理から「非公認は絶対にないと内々に言われ、応援したのに裏切られた」と憤っていました。仲間内の問題だったとしても、石破総理は「平気で嘘をつく」という見られ方が強まった事例の一つです。

臨機応変の柔軟な判断、もしくは「聞く力」を発揮したというよりも、持論を覆して解散時期を早めた問題をはじめ、またブレたという残念な意味での方針転換だったと言えます。「党内野党」的な立場の時は切れ味の鋭い正論を繰り返していた石破総理だったため、参院選後の責任の処し方などに対し、特大ブーメランが何回も刺さり続けていました。

今回の自民党総裁選でも各候補者が様々な公約を発表しています。石破総理は昨年の総裁選の時点で、マイナ保険証への一本化について「納得しない人がいれば、併用も選択肢として当然」と発言していました。しかしながら紙の健康保険証を予定通り12月2日に廃止し、その後も政府方針を変えるような動きは見られないままでした。

参院選前、石破総理は給付金について考えていないと国会で答弁していながら、その2日後に2万円の現金給付を発表するという不誠実な対応を示していました。やはりトップリーダーの資質として、正直さや誠実さをはじめ、自らの発言に対する責任の重さをかみしめられることが求められているはずです。

たいへん残念ながら石破総理には、その自覚が乏しかったように思えてなりません。読売新聞と毎日新聞が参院選直後、石破総理の退陣を報道したことが「誤報」とされました。ただ安倍首相の元番記者「私だったらブチギレます」石破首相の番記者に同情「事実と違うことを」』という記事のような見方もあります。

弁護士の郷原信郎さんは『読売「首相退陣誤報」“検証記事”による「虚偽説明」批判は、現職首相への重大な名誉毀損』と批判されていますが、ジャーナリストの鮫島浩さんはブログで『石破総理と読売新聞の「全面戦争」──石破退陣報道は「誤報」だったのか?』という経緯等を伝えています。

石破総理の政治的な立ち位置を踏まえれば、もっと頑張って欲しかったという気持ちもあります。しかしながら昨年1月に投稿した『国防』から思うこと」を通して伝えていたような石破総理の至らなさは、総理大臣に就任する前から懸念していたことを思い出しています。「石破らしさを失った」と悔しまれていましたが、そのような結果も自らの力不足の一つだったのではないでしょうか。

最後に、有力候補である小泉農相の「重要な判断は地元の皆さんの声を伺いながら」という発言ですが、国会議員として地元を大事することは当たり前なことです。ただ一国のトップリーダーをめざす際、あえて強調すべき言葉だったのかどうか疑問でした。告示後『発信力はあるのに中身がない…総裁候補・小泉進次郎氏の"自滅を恐れる"とんでもない選挙戦術』という記事が「誤報」になることを願わざるを得ません。

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2025年9月13日 (土)

問われているトップリーダーの資質

今年3月までフルタイム勤務でしたが、4月から週4日勤務となっています。このあたりについてはこれからも『公務員のためいき』」という4月に投稿した記事の中で伝えていました。

このような環境の変化もありましたので、お誘いいただいた中央ろうきん友の会の支部役員を引き受けることにしました。木曜日の正午前に定期総会があり、委員の一人として承認いただきました、たいへん懐かしい皆さんとお会いできる機会につながっています。

ただ少人数職場に異動しているため、その日は残念ながら全休が取れませんでした。総会後の懇親会の乾杯から前菜2品を口にしたところで、名残惜しくも会場を後にしています。急ぎ足で市役所に向かう途中のコンビニでパン一つ、お腹に入れて午後からの職務に励んでいました(😞)。

さて、前回の記事「ブログを始めて20年、官から民へ」で「ブログを始めて20年」というパターンの内容は一区切り付けます。今回、時事の話題を取り上げながらトップリーダーの資質について考えてみます。真っ先に取り上げるべき話題は、学歴詐称疑惑が問題となっている伊東市の田久保真紀市長の振る舞いです。

月1日に田久保市長の不信任決議案が市議会に提出され、全会一致で可決されていました。ある程度予見していましたが、やはり田久保市長は市議会の解散の選択しています。市長の学歴詐称疑惑に揺れる伊東市、2か月余りで問い合わせ9500件  日中は業務に支障...夜間の電話に「警備員は対応に苦慮」』という記事のとおり市職員は苦情対応に追われ続けています。

田久保市長は解散の理由について「たいへん重要な議会においての審議や採決が議会初日をもって放棄されてしまったという事実は、事実として冷静に受けとめ判断し、改めて広く市民に信を問うべきであると」と説明しています。まったく常識では考えられないような身勝手な理屈です。

ここまでの混乱を生じさせているのは、田久保市長自身の学歴詐称問題から始まり、その後の不誠実な対応ぶりが際立っているからだと言えます。それにも関わらず、議員側に責任を転嫁するような姿勢には驚愕し、トップリーダーの資質どころか、一般的な社会人のレベルとして論外な思考や振る舞いだと思っています。

ディリー新潮の『田久保市長、斎藤知事、石破首相…「潔く辞めないトップ」が増えているのはナゼか  変化する日本人の「引き際の美学」に迫る』という記事が興味深く、兵庫県の斎藤元彦知事の居座り方が悪しき前例になりつつあるようです。それでも県議会の解散を選ばなかった斎藤知事のほうが、田久保市長に比べれば常識的だったように見えてしまいます。

ただ自らの過ちを率直に認めず、自己正当化しがちな振る舞いは、お二人に共通している資質です。兵庫県政の混乱に関しては当ブログを通し、数多くの記事を投稿してきています。とりわけ兵庫県の悪しき前例は、失職後の知事選で下馬評を覆し、斎藤知事が再選を果たしたという結果の重さです。

2馬力選挙や真偽不明の情報が飛び交う中で、斎藤知事は「オールドメディアから標的にされている悲劇のヒーロー」のようなイメージを築くことができ、大逆転劇につながったと言えます。様々な情報を適確に把握し、冷静な判断で一票を投じた兵庫県民の皆さんに対しては失礼な見方かも知れませんが、民意の正当性に疑問を抱かざるを得ません。

田久保市長は兵庫県で起きたようなシナリオを思い描き、市議会の解散を判断しているのであれば非常に残念な話です。さらに今後の展開によって、田久保市長が続投するような結果に至った場合、たいへん憂慮すべき事態であり、伊東市の職員の皆さんの苦難が断ち切れないことを同じ自治体職員の立場から危惧しています。

最近、兵庫県の話で不思議に思うことがあります。斎藤知事を支えてきた片山安孝前副知事は昨年6月、内部告発問題の責任を受けとめて辞職を表明しました。号泣会見の際、片山前副知事は「知事の一連の対応にも問題があった。初動で『うそ八百』など言葉が強すぎた。すぐに謝るべきだった」と語っていました。

さらに「一緒に辞任しませんか」と斎藤知事に迫ったことも明かしていました。しかし、その後の片山前副知事は初動対応をはじめ、斎藤知事側に問題はなかったという立場からSNS等での発言を続けています。風向きの変化が大きいのでしょうが、昨年6月の号泣会見時の謝罪の言葉は何だったのだろうかと不思議に思っています。

前掲したディリー新潮の記事で同列視された3人目は、石破茂総理大臣です。「地位に恋々とするものではない」と繰り返していた石破総理は石破首相、退陣表明 「自民の分断」回避で決断―臨時総裁選へ』という報道のとおり退くことを決めています。さすがに衆院解散という理不尽な選択に至る前、常識的な党内力学が働いたものと見ています。

自治体の首長以上にトップリーダーとしての資質が問われていた石破総理の言動に対し、いろいろ思うことがありました。自民党総裁=総理大臣という構図にならない可能性もありますが、自民党内の新たなトップリーダー争いを見据えながら次回以降の記事で、この続きを書き進めていければと考えています。

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2025年9月 6日 (土)

ブログを始めて20年、官から民へ

ブログを始めて20年、この枕詞のもと前回「ブログを始めて20年、平和への思い Part2」まで3週間、過去を振り返りながら現在を語る内容の記事を続けてきました。そのタイトルのパターンで引っ張ろうと思えば、20年が過ぎた今年一杯使えます。さすがに極端すぎる話であり、このパターンの記事は今回で一区切り付けるつもりです。

8月16日の記事「ブログを始めて20年」で、2005年8月17日に「民主党と小泉自民党」という記事でSNSの片隅にデビューしていたことを伝えていました。最近、あまり耳にしませんが、当時は「官から民へ」という言葉が声高に唱えられていました。ブログを始めた翌月には「「官から民へ」への疑問」という記事を投稿し、その内容の一部を今年7月の『ブラック郵便局』を読み終えて」の中で紹介しています。

20年前、小泉純一郎元総理が「聖域なき構造改革」「民でできることは民で」と叫び、新自由主義路線のもと「小さな政府」が礼賛されていた時代でした。民間のノウハウを活用し、競争原理を促し、経済成長にもつなげるという考え方でした。

内閣府のホームページ「官から民への様々な手法」では、官から民に移行させる必要性やメリットの数々が掲げられています。政府としての基本的な立ち位置は20年前と大きく変わっていないようですが、自治体職員の一人として「官から民へ」の風圧が当時に比べれば、やわらいでいるように感じています。

今、労働組合の役員を長年担ってきた立場から「官から民へ」に対し、いろいろな思いを巡らすことができます。これまで地方自治体は様々な行政サービスを民間に委ねてきました。厳しい財政状況を改善するための行政改革の一環としての「官から民へ」でした。このブログでは2006年12月に「行政のアウトソーシングという記事を投稿しています。

私どもの市も同様であり、前市長は職員数の削減を公約の柱としていました。2007年9月「20年ぶりに新市長誕生」という記事を読み返すと、当時の光景を懐かしく思い出す機会を得られます。その記事の最後には労使交渉に向けた重要な心構えを綴っています。前市長の気合いを感じたエピソードとともに紹介します。

新市長の公約の重点は行財政改革であり、その一番目に「市職員100人減員」が掲げられていました。組合も行財政改革そのものを否定する立場ではありません。100人の削減など具体的な数字目標が示されるのもやむを得ないものと受けとめています。そもそも計画を立てること自体は管理運営事項であり、その政策経営判断に労働組合が直接的に口をはさめる立場ではありません。

しかし、労働条件に影響を及ぼす事項の変更については、労使交渉での決定が基本となります。その労使交渉の場では、現場職員の目線で当局の提案内容を検証することになります。自分たちの労働環境や職の確保などの視点だけではなく、これまでも組合は公的責任や市民サービスの低下につながるような職員数削減などには異を唱えながら多面的な議論を提起しています。

新市長の初登庁は今度の月曜日です。組合四役で挨拶に伺う約束を取り付けたところ、翌朝の新聞を開くと「職員労組と協議“初仕事”に意欲」との見出しが目に入りました。新市長が当選報告会で、初登庁の日に労働組合との対話の場を設定し、「初仕事が労働組合との話し合い。皆さんとの一番の約束(職員数削減)が果たせることになりそうです」と挨拶した記事が載っていました。

組合側としては儀礼的な挨拶を主に想定していましたが、真っ向から直球を投げ込むような新市長の気合いが新聞紙面から伝わってきました。「勤務条件の変更について理事者と職員組合の双方が誠意を尽くして話し合いをすることが大切と考えます」と回答書で示していただいていますので、労使の緊張感の中にも信頼関係は築いていけるものと考えています。

前市長とはゴルフ部でも懇意にお付き合いいただき、上記のとおりの真摯な労使関係のもと様々な課題に向き合えることができたものと思っています。具体的な行革課題として、市立図書館や児童館を指定管理者、学校給食共同調理場をPFI、保育園を民営化する提案が示されていました。 

2008年7月の「最適な選択肢の行政改革とは?」という記事の中で、私どもの組合が『良質な市民サービスに向けた行政改革とは? ~最適な選択を行なうための一資料として~』と呼びかけたチラシを新聞折込で全戸配布したことを伝えています。当該職場の組合員、連合三多摩の皆さんらにも素案をご確認いただき、次のような訴えをチラシのリードに掲げていました。

私どもの組合は、日頃から職員の労働条件と市民サービスの維持向上について、どちらも欠かすことができない車の両輪だと考えています。同時に厳しい市財政を踏まえ、行政の効率化をめざすことに対し、私たちも積極的に賛同する立場です。しかしながらコスト削減が優先されがちな行政改革に対しては、日常的に市民の皆さんと身近に接する機会が多い現場職員の目線に誇りを持ち、労使交渉の場で市側へ様々な懸念点を訴えています。

上記のような基本的な考えを示した上、現在の状況に連なる「官から民へ」の問題意識を書き添えていました。行革計画の内容も含め、興味を持たれた方はリンク先の記事をご参照ください。全戸配布チラシの文章は当該の記事に全文を掲げています。ここからは今回の「ブログを始めて20年、官から民へ」という記事を通し、特に訴えたかった内容を書き添えていきます。

行政サービスは無料又は非常に廉価で提供するものが大半である中、受託企業の利益は委託費から人件費等を引いた額の範囲で捻出されることになります。したがって、人件費が同一の態勢であれば、直営の方が低コストとなる計算が成り立ちます。民間への委託化などが低コストと試算されるのは、賃金水準を抑制した従業員で構成することを前提としているからだと言えます。

今年2月の記事『賃金とは何か』を読み終えて」の中で、労働者(正社員)の賃金水準が全然上がっていない「失われた30年」について触れています。小泉政権以降、労働者派遣の対象範囲の拡大などによって非正規雇用も増えていきます。このような時代背景のもと年功給を柱とする正規公務員の「賃金は高い」という見られ方が顕著になっていました。

20年前「公務員バッシング」という言葉も、よく耳にしていました。恵まれた待遇にも関わらず「公務員は働いていない」という批判意見が当ブログのコメント欄に多く寄せられていました。そもそも公務員の賃金水準は人事院等の勧告による民間準拠と定められています。それでも「高い」という指摘に押されながら労使交渉を通し、私どもの組合も様々な見直しを受け入れてきました。

ちなみに人事院は、給与を決める際に比較する企業規模を2006年に100人以上から50人以上に見直し、賃金水準の抑制をはかりました。数年前から政府が経営側に賃上げを求めるような時代に変わり、国家公務員のなり手不足も深刻化しているため、人事院は今年から対象の企業規模を100人以上に戻しています。

公務員賃金の「高い」という見られ方が薄らいできた中、今度は国策として労働者全体の賃上げが求められるようになっています。「失われた30年」という意味合いで考えた時、公務員の賃金水準を下げ続けるのではなく、もう少し早く社会全体の底上げが議論されて然るべきだったのではないかと顧みています。

このような時代背景の変化の中で「官から民へ」の論点に照らした時、人件費の比較で「民間ならば安上がり」という構図から抜け出していかなければなりません。さらに公共サービスの重要性として、利益の有無に関わらず、持続しなければならない使命があることです。

ごみ収集事業者や保育園を営む会社が倒産すれば、多大な迷惑をかけてしまいます。そのような緊急時の代替措置を整えておくことも自治体の責務だろうと思っています。同時に「官から民へ」に対しては、このようなリスクがあることを踏まえ、より慎重に検討していかなければならないはずです。

コロナ禍においては『「維新」が壊した大阪の医療 コロナ禍があぶり出した厳しい現実 病院・保健衛生機関の統合民営化』という長周新聞の記事が伝えているとおり過度な「官から民へ」によって、多くの府民の生命が脅かされたことを忘れてはなりません。本来であれば、政治の場で公共サービスのあり方について、もっと議論を深めていくことが欠かせないはずです。

以上のような個人的な思いを巡らす中で、20年前に比べると「官から民へ」の風圧が、やわらいでいるように感じています。同時に「公務員バッシング」という逆風も、やわらいできたように受けとめています。最後に、民間に比べて突出した待遇は問題だったとしても、仕事のあり方をはじめ、公務員の職場の魅力を上げていくことは労使共通の課題だろうと思っています。

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