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2025年5月 3日 (土)

一票の重みの大切さと怖さ

5月3日は憲法記念日です。現職の組合役員だった頃は、ほぼ毎年、地元の憲法集会や有明防災公園で催される大集会に参加していました。3年前には日本国憲法施行から75年」という記事を投稿し、「国民一人一人の共通理解と覚悟のもとに日本の進むべき道を決める改憲論議であることを願っています」と記しています。

近い将来、国民投票法に基づく私たちの一票一票、たいへんな重みを持つ局面が訪れるのかも知れません。その時を想定した私自身の切実な願いと問題意識を託した記事でした。民主主義の根幹をなす選挙制度における一票の重みの大切は言うまでもありません。

一方で、その一票一票の積み重ねによる選挙結果が、信じられないような激変をもたらす怖さも目の当たりにしています。「政策の善し悪しなら0点」トランプ大統領就任100日…支持率は1期目を下回る「世界からの信頼がなくなってしまった」専門家も厳しい評価』という報道が象徴的です。

トランプ大統領の返り咲きはアメリカ国内にとどまらない大きな混乱を広げています。支持率が下降気味とは言え、就任100日の集会参加者の声はトランプ大統領の行動力を絶賛し、熱狂的に礼賛するものばかりです。

2年前の記事「岩盤支持層という言葉から思うこと」の中で、岩盤支持層が「自らにとって都合の良いことが大きく見え、都合の悪いことは縮小される」という独特なプリズムを持っている話を紹介しています。このような傾向は日本の政治においても様々な場面で見られがちです。

前回記事「改めて批判意見と誹謗中傷の違い」の最後に取り上げた姫路市の高見千咲市議の不適切な迷走ぶりも、もともとは兵庫県の斎藤元彦知事の「正しさ」を前提にした発想から始まっています。要するに高見市議は斎藤知事にとっての岩盤支持層の一人だと言えるのではないでしょうか。

日本維新の会に所属していた岸口実県議、増山誠県議、白井孝明県議らも同様な立場だろうと思っています。3月の記事混乱と分断が続く兵庫県政 Part2」の中で詳述していますが、当初、増山県議らは斎藤知事に対する不信任決議案に反対していたようです。しかし、吉村代表の判断で維新県議全員が賛成票を投じたという経緯があります。

それでも斎藤知事の「正しさ」を確信していたのであれば、不信任決議案に際し、離党して反対票を投じるか、せめて棄権するという判断を下すべきだったのではないでしょうか。不本意ながら党の判断に従ったのであれば、県知事選でも自党が支援する候補者の当選をめざすべきです。

直接的な応援ができなかったとしても、他の候補が有利に働くような裏工作はもってのほかです。さらに前県議を自死に追い込んだNHK党の立花孝志党首の攻撃的な言動や誹謗中傷の背後に、増山県議らの暗躍があったことまで明らかになっていました。言語道断な振る舞いであり、たいへん卑劣な行為だったと言えます。

ここまで信頼関係を失墜する事態が明らかになったのであれば、本来、政治生命は絶たれて然るべきだと考えられます。しかしながら3人は「躍動の会」を起ち上げ、意気軒昂にSNSを通して自らの「正しさ」を発信続けています。そのような主張に呼応し、3人の行動を称賛する声がSNS上に決して少数でないことに驚いています。

ただ直近の『消費者庁が兵庫・斎藤知事発言に対し指摘「公式見解と異なる」公益通報者保護法の解釈めぐり』という下記の報道には、もう驚くことはありません。法令や勧告を軽視しがちな斎藤知事の振る舞いは、これまで繰り返されてきたことであり、そのような意味で「グロ耐性」が鍛えられています。

兵庫県の斎藤知事が、これまで公益通報者保護のための体制整備義務について「外部通報は含まないという考え方もある」と説明したことに対し、消費者庁から「公式見解と異なる」と指摘があったことが2日、分かりました。公益通報者保護法では、公益通報者が不利益な取り扱いを受けないようにするため教育や組織づくりを行う「体制整備」を自治体などの組織に義務付けています。

斎藤知事は3月に開かれた記者会見で「体制整備義務には外部通報も含まれるという考え方がある一方で、内部通報に限定されるという考え方もある」などと述べていました。県によりますと、消費者庁はこの発言をうけて、先月8日、担当者同士のやりとりで「公式見解と異なる」と指摘したということです。

また、先月17日に開かれた公益通報者保護法の改正を審議する衆議院の特別委員会では、議員が知事の発言について消費者庁に質問。審議官は答弁で「(公益通報者保護法に関する)指針におきましては3号通報(外部通報)に関する体制整備義務について規定している部分がある」と答えていました。【読売テレビ 2025年5月2日

上記の報道を掲げたヤフーのコメント欄では、法政大学大学院の白鳥浩教授が「ある特定の自治体のみが、国の法解釈の方針に対して解釈を異にするということがあってよいのだろうか?それでは法治国家としては成り立たない。法務省は、しっかりと兵庫県庁の担当者を処罰するなりする必要があるのではないだろうか」と指摘しています。

一般のコメントのトップに「私の見解とは異なる。そうではないという考えもある。これで、すべて終わらせてきた無敵の知事だから、何を言っても誰が言っても効果はない。一票を投じた有権者が責任をとるしかない」という声が寄せられていましたが、まったくその通りな現状だろうと受けとめています。

百条委員会の結論等が示される前に不信任決議し、知事選挙に追い込んだ議会側の対応を批判する声も耳にしています。しかし、当時は一刻も早く、正常な県政に戻すための判断として大きな間違いではなかったはずです。まさか斎藤知事が立候補し、再選を果たすとは大半の人たちが想定していませんでした。

その「まさか」が起きてしまい、出口の見えない兵庫県政の混乱が続いています。今回の記事タイトル「一票の重みの大切さと怖さ」を痛感する選挙結果だったように思っています。ここまで言い切ってしまうと、斎藤知事を支持されている皆さんからは強いお叱りを受けるのかも知れませんが、私自身の正直な気持ちを吐露させていただいています。

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