両極端な評価のある兵庫県知事
「誰でもよかった」という無差別殺人事件が目立つ昨今、その理不尽さに対する憤りと驚きは高まるばかりです。小学生の列に車が突っ込み、そのまま逃走してしまう卑劣な行為にも驚きを隠せません。それ以上に驚いた最近のニュースは、火災担当の警視庁警部が「火事場泥棒」を繰り返していたことです。
「お金がいくらあっても将来のことを考えると不安になった」と供述しています。盗んだ総額は約900万円、懲戒免職は間違いなく、その額以上の退職金をはじめ、失った将来的な損失は甚大です。将来のことを考える「ミスター火災犯」とまで呼ばれた捜査のプロが犯した行為の稚拙さやアンマッチ感に驚いていました。
一方で、前々回記事「一票の重みの大切さと怖さ」の中で記したとおり法令や勧告を軽視しがちな兵庫県の斎藤元彦知事の振る舞いに対しては、不本意ながら「グロ耐性」が鍛え続けられているためか、いちいち驚かなくなっています。とは言え「重く受けとめる」という言葉の軽さなどに対する憤りが和らぐことはありません。
そのため、前回記事「『自治体職員の「自治体政策研究」史』を読み終えて」の冒頭に「これからもファクトチェックの重要性の話などをはじめ、兵庫県政の動きは当ブログの新規記事として取り上げていくことになるはずです」と記していました。最も注視し、いろいろな思いを巡らしている事案であり、さっそく今回の記事の題材としています。
ここ最近も兵庫県政に関わる新たな動きが連日伝えられています。まずAERAの『兵庫県の斎藤知事は「パワハラ」「公益通報者保護」研修受けても変化なし 6月県議会は「大きな動きの気配」』という見出しの記事を紹介します。
研修後、内部告発した元県民局長への対応について改めて問われると、斎藤知事は「県の対応としては適切だった」と答えています。「たいへん充実した研修だった」と述べながら、これまでの見解をまったく変えない姿勢には本来であれば物凄く驚くべき話です。ただ前述したとおりそのような展開を予想できていたため、特に驚くことはありませんでした。
続いて産経新聞の『黒幕とされた元兵庫県議が死に至るまで 2馬力選挙とSNSで「別人に」妻が語った喪失感』という記事です。執拗に攻撃される原因となったデマを否定し続けても、竹内英明元県議は理解されないことに思い悩み「やっていないことを証明するのは悪魔の証明だ」と漏らしていました。
12月25日、百条委で斎藤氏に対する最後の証人尋問が行われた。文書問題とは意識的に距離を置いていた竹内氏も「さすがに見なあかん」。そう言って、妻と百条委の中継を見守った。
証人尋問では、委員の増山誠県議=兵庫維新から離党勧告処分=が竹内氏の名前を挙げ、「デマに基づく尋問をした」と批判した。この発言は後に事実誤認であったことが明らかになるが、自身の名前が出たことに竹内氏はショックを隠せず、「 いつまでも追われる」とこぼした。
家族との会話も減り、別人のようになった。今年1月18日、自室で亡くなっているのが見つかった。「これまで議員として信じてきたものが全て崩れていくような、そんな感覚に陥っていたのだと思う」
《事実でなければ否定すればいい》《何も言わないのはそれが本当のことだから》 ネットはそんな意見であふれている。妻は「そうじゃない」と反論し、中傷の先に人間がいることを「想像してほしい」と訴えた。
上記は産経新聞の記事の後半部分です。「デマに基づく尋問をした」という証言自体が事実誤認、つまりデマに基づく話を百条委員会で語った増山誠県議の責任は極めて重いはずです。しかし、ご自身の動画「増山誠チャンネル」などを通し、そのことを明確に謝罪した様子は見当たりません。
増山県議の動画は意識的に視聴するようにしています。そこで伝える内容のみで物事の是非を判断していった場合、斎藤知事の振る舞いの「正しさ」が刻み付けられていきます。斎藤知事を非難する側こそ「オールドメディア」の言い分を鵜呑みした情報弱者であり、見当外れな批判を繰り返しているという構図を信じそうになります。
私自身、より望ましい「答え」を見出すためには幅広く、多面的な情報に触れていくことの重要性を認識しているつもりです。その上で、読売テレビの『斎藤知事が謝罪「大変残念、県民の皆様に申し訳ない」「守秘義務は大事なこと、重く受け止める」 元県民局長の情報漏洩に第三者委「職員が漏洩した可能性」』という報道などに接すると憤りを強めざるを得ません。
ABCニュース『斎藤知事「重く受け止めなければならない」 元県民局長のプライバシー情報を県職員が漏洩か ネット上からの削除要請は「難しい面がある」』の見出しのとおり重く受け止めているのであれば、その言葉に見合った具体的な行動が伴わなければならないはずです。
それどころか集英社オンラインの『〈兵庫県が刑事告発〉「外部通報を徹底的に潰すとの宣言だ」斎藤知事が作った「もうひとつの第三者委」狙いは文春の“情報源”のあぶり出しか?〈県は“報道への圧力”を否定〉』という記事では、兵庫県が報道の自由に関わる重大な動きを見せていることを伝えています。
その記事の中では、兵庫県の問題を注視されている西脇亨輔弁護士の「守秘義務はすべての県内部情報に適用されるものではありません。役所の情報は本来国民の監視の対象になるもので、その監視や討論の材料となる正当な情報流出は守秘義務違反ではないとの判例があり、これを最高裁も基本的に踏襲しています」という解説を紹介しています。
昨日は元県民局長の私的情報漏洩問題について、産経新聞の『「知事は遺族に謝罪すべき」 告発者の私的情報漏洩に関する指摘相次ぐ 兵庫県議会総務常任委員会』という記事に接しています。残念ながら元県民局長の遺族への謝罪に対し、兵庫県側は一貫して消極的な姿勢を貫いています。県政の最高責任者である斎藤知事の意思なのだろうと思っています。
確かに元県民局長の至らなかった問題もあったのかも知れません。しかし、県職員から慕われていた人格者だったという話もあり、そもそも内部告発した情報自体「嘘八百」ではなかったことが認定されている現状です。
いずれにしても法的な問題を問われながらも「適切だった」と強弁し、元県民局長の処分取り消しについて検討せず、遺族に対する謝罪の言葉一つ発せられない斎藤知事の振る舞いは極めて残念なことです。今回の記事は「両極端な評価のある兵庫県知事」というタイトルを付けています。
やはり増山県議のように斎藤知事を全面的に擁護されている方々も多いため、このような振る舞いを押し通せていけるのだろうと見ています。さらに不信任された後の知事選で再選を果たしたという結果が、斎藤知事の強気の背景につながっていることも間違いありません、
本来、民意である選挙結果の重さを批判できるものではありませんが、真偽不明な情報や明らかなデマによって斎藤知事の「正しさ」が強調された選挙戦だったという側面を忘れてはなりません。このような経緯を踏まえながら兵庫県政の現状を目の当たりにすると、どうしても虚しさや腹立ちを募らせてしまいがちです。
兵庫県政の動きは自治体職員という立場から注視し続けています。加えて、同じ事象に接していながら評価が大きく分かれがちな事例としても関心を寄せています。そのため、今回の記事に綴ったような憤りや問題意識が続く限り、兵庫県政の話は機会を見ながら今後も取り上げていくことになるのだろうと思っています。
| 固定リンク
コメント