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2025年5月31日 (土)

兵庫県の元総務部長、停職3か月

前回記事「政治家の言葉、露わになる資質」の冒頭で斎藤知事側近の元総務部長を懲戒処分へ  告発者私的情報の漏洩を認定  停職3カ月案も』という新たな報道があったことを記していました。

今回の新規記事では、その問題を取り上げながら改めて兵庫県政の現状や混乱ぶりに切り込んでみます。まず『兵庫県、元総務部長を停職3カ月  告発者の私的情報を漏洩』という見出しの付けられた日本経済新聞の記事を紹介します。

兵庫県は27日、斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを内部告発した元県幹部の私的情報を漏洩したと第三者委員会に認定された井ノ本知明元総務部長を、同日付で停職3カ月の懲戒処分にしたと発表した。

井ノ本氏が知事からの指示があったと主張しているのに加え、懲戒処分により社会的、経済的な制裁を受けているとの判断から刑事告発はしないとした。

報告書は「知事の指示及び同調する元副知事の指示により、議会の会派の執行部に対し『根回し』の趣旨で漏洩した可能性が高いと判断せざるを得ない」と指摘。県の波多野武志職員局長は「根回しであっても伝えるべきでなく、元総務部長の行為は正当化されるものではない」と話した。

再発防止策として階層別の研修などによる個人情報取り扱いの徹底や、所属部署での会議などを通した綱紀粛正の徹底を挙げた。

上司の指示に基づく正当業務だと主張している井ノ本氏は、代理人を通じて「情報漏洩と評価され誠に残念。審査請求及び執行停止の申し立てを行い正当性を主張したい」とのコメントを発表した。

情報漏洩疑惑を巡っては、告発者の元県幹部が公用パソコンに保存していたとされるデータを政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏がX(旧ツイッター)などに掲載し、拡散された問題を別の第三者委が調査した。

13日、拡散した情報が「県保有情報と同一のものと認められる」とし、漏洩者や漏洩経路は「現時点では究明には至らなかった」とする報告書をまとめた。県は地方公務員法(守秘義務)違反の疑いで県警に告発状を提出した。【日本経済新聞2025年5月27日

この処分について、複数の関係者が県の綱紀委員会で当初「停職6か月」とする案が示されていたことを明かしています。最終的に軽減されて「停職3か月」となった理由は「井ノ本氏が知事・副知事による指示があったと信じているため」などと説明されています。

しかし、斎藤知事は「漏洩については指示していないという認識だ」とし、いつものように自分に非はないという姿勢を貫いています。直接的な自らの非は認めていませんが、漏洩が認定された責任を取って自身の給与をカットする意向だけは示しています。

この斎藤知事の認識に対し、井ノ本元総務部長が次のように証言していることを『「文書あること議会に情報共有しといたら」斎藤知事からの指示  元総務部長が具体的に証言』という産経新聞の記事が伝えています。その記事の一部を抜粋して紹介します。

井ノ本氏の証言によると、昨年4月4日か5日ごろ、井ノ本氏は県の理事(当時)同席のもとで、元県幹部の私的情報が記載された大量の文書があることを斎藤氏に報告。すると斎藤氏は、「そのような文書があることを議員に情報共有しといたら」と指示したという。

同席した理事も第三者委に「私的情報の件も含めて報告した際、私的情報を含め根回しというか、議会の執行部に『知らせておいたらいいんじゃないか』という趣旨の発言があった」と証言した。

さらに理事が片山安孝副知事(同)に斎藤氏からこうした指示があったことを報告。片山氏からは「『そらそうやな。必要やな』という発言があった」という。

斎藤氏は第三者委の調査に否定したが、第三者委は報告書で「知事の供述には不自然さも否めない」と指摘。「知事、元副知事の指示により情報漏洩を行った可能性が高いと判断せざるを得ない」と結論付けた。

上記のとおり斎藤知事の認識を真っ向から否定する具体的なやり取りを3人の部下が証言しています。第三者委員会は「可能性が高い」と断定調の報告を避けていましたが、斎藤知事の指示がなく、井ノ本元部長が「根回し」することは考えられません。

この問題一つ取っても、斎藤知事の欺瞞的な姿勢が顕著であり、自らの責任を率直に認めない不誠実さに憤りが禁じ得ません。しかしながらSNS界隈では斎藤知事を擁護し、問題視されている振る舞いの一つ一つの正当性を訴える動画などを数多く目にすることができます。

いつも注目している増山誠県議の動画【解説】斉藤知事は問題無い!情報漏洩問題の責任について解説します。』では、予想していたとおり斎藤知事の責任を問う姿勢は皆無です。ブックマークしているYouTubeのトップ画面には、増山県議と同じように斎藤知事を熱狂的に支持されている方々によって投稿された内容の動画が並びます。

閲覧履歴が分析され、個人の好みにあった情報を表示するというアルゴリズムと呼ばれる機能です。以前SNSが普及した結果…」という記事を投稿していましたが、フィルターバブルやエコーチェンバーという言葉を耳にするように「自らの見たいもの、信じたいものを信じる」という傾向は強まっているようです。

私自身、そのような傾向がないか、戒めていかなければなりませんが、いつも意識的に幅広い情報を得るように努めています。前々回記事「両極端な評価のある兵庫県知事」の中で記していましたが、増山県議のように全面的に擁護されている方々も多いため、斎藤知事は強気な姿勢を押し通せていけるのだろうと見ています。

斎藤知事を非難する側こそ「オールドメディア」の言い分を鵜呑みした情報弱者であり、見当外れな批判を繰り返しているという構図についても触れていました。これまでSNSを通し、斎藤知事擁護派の皆さんの主張にも耳を傾けてきた立場ですので、どのような事案に対する認識が双方の対立点となっているのか、少し書き添えてみます。

作家の赤澤達也さんが『斎藤元彦兵庫県知事の法解釈問題。消費者庁がその見解を否定する法的通知を全国に発信し、さらに波紋広がる』という記事を通して詳しく綴られていますが、公益通報者保護法違反に対する認識が最も大きな対立点だろうと思っています。さらに報道機関等に対しての3号通報だったかどうか以前の対立があります。

そもそも元県民局長の告発文書は「怪文書」に類するものであり、「嘘八百」に近い内容だったという主張が知事擁護派から繰り返されています。告発文書に関わる第三者委員会の調査報書書では、調査した7件の事項に対して明確に事実認定したのはパワハラのみでした。

パワハラは暴行・脅迫や強制猥褻などの犯罪行為に当たらない限り、公益通報者保護法の対象外となっています。このことをもって、斎藤知事の判断を正当化する指摘がSNS上では散見しています。

ただ第三者委員会の報告がパワハラ以外の事項を明確に「シロ」と断定している訳ではありません。あくまでも第三者委員会の調査では「クロ」とまで断定できなかったというものです。このような点を踏まえれば、昨年3月の段階で通報者探しに至った兵庫県の行為は違法だったと言わざるを得ません。

元県民局長の私的情報は、告発問題の是非を判断する上で欠かせないという主張が知事擁護派から示されています。一般的な見方は告発者の属性は問わず、告発内容そのものを検証すべきというものです。しかしながら知事擁護派はセットで検証しなければ「クーデター」だったという構図などが不問にされてしまうと問題視しています。

そのため、増山県議らの知事選での暗躍は「正義の行為」であり、井ノ本元部長の情報漏洩も必要な「議員に対する事前レク」だったという見方を強調しています。このように元県民局長の私的情報の取扱いに対する認識が大きく食い違っています。斎藤知事は具体的な言葉にしていませんが、同じような見方をずっと抱いているのだろうと受けとめています。

様々な情報を自分に都合よく解釈するという事例として、公務員の告発義務の問題があります。兵庫県は週刊文春の取材に対する情報提供も、内部情報の漏洩として県警に容疑者不詳で刑事告発しました。報道の自由に圧力をかけるものだという批判に対し、知事擁護派からは次のような言い分が示されていました。

刑事訴訟法239条2項で「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない」とされています。したがって、報道の自由の問題にとらわれず、法律に沿って告発した兵庫県の判断を全面的に支持していました。

しかしながら今回、兵庫県は井ノ本元部長に対する刑事告発を見送るという判断を表明しています。このような兵庫県の一貫していない対応について、今のところ知事擁護派のコメントをSNS上では見かけていません。

たいへん長い記事になっていますので、そろそろまとめなければなりません。元県民局長による告発文書問題は1年以上にわたり、兵庫県に混乱と分断をもたらしています。最高権力者である斎藤知事の特異な資質、真偽不明な情報が影響を与えた知事選の結果など、様々な要因が考えられます。

「オールドメディア」と揶揄されるようになり、なぜ「メディアの敗北」とまで言われる事態が起きているのか、NHK神戸放送局で報道の責任者を務めてきた小林和樹さんが兵庫“メディアの敗北”の真相⑦元県民局長が知事会見に「反論」その波紋が…』という記事を配信しています。

小林さんは「表の報道」からだけではうかがうことができない、メディアの内幕や兵庫県の動きの全てを記録に残したいと語っています。この記事は連載中であり、興味深い事実関係に触れることができます。「嘘八百」と断じられた知事会見を受け、自死される前、元県民局長は反論文をメディアに送っていました。最後に、リンク先の記事に掲げられている反論文の一部を紹介します。

先日の知事記者会見の場で欠席裁判のような形で、私の行為をほとんど何の根拠もなく事実無根と公言し、また私の言動を事実とは異なる内容で公にされましたので、以下の通り、事実関係と、自分の思うところをお伝えします。

私への事情聴取も内部告発の内容の調査も十分なされていない時点で、知事の記者会見という公の場で告発文書を「誹謗中傷」「事実無根」と一方的に決めつけ、かつ信用失墜行為である、名誉棄損の告訴・(守秘義務違反の)被害届を検討するなどの発言がされています。

「ありもしないことを縷々並べた内容を作ったことを本人も認めている」という知事の発言がありました。また、それを受けての報道もありますが、私自身がそのことを認めた事実は一切ありません。

情報の精度には差があり、中には一部事実でないものもあるかも知れません。ただ、事実でないものについては配布先から世間に出回ることはないだろうという判断から、可能な限り記載しました。

現体制になって、一部の職員による専横、違法行為がなされているという話を多く仄聞しました。困っています、なんとかならないのかという嘆きの声として。

今の県政運営に対する不信感、将来に対する不安感、頑張って働いている職員の皆さんの将来を思っての行動です。決して自分の処遇への不平不満から出たものではありません。自分自身の県庁生活にはとても満足しています。

本来なら保護権益が働く公益通報制度を活用すればよかったのですが、自浄作用が期待できない今の兵庫県では当局内部にある機関は信用出来ません。

人事当局は私の行為に関する調査ではなく、もっと大きな違法行為、信用失墜行為についての事実関係を早急に調査すべきです。第三者委員会を設立するか、司法による調査・捜査をすべきです。お手盛り調査、お手盛り処分はご法度です。

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2025年5月25日 (日)

政治家の言葉、露わになる資質

前回記事は「両極端な評価のある兵庫県知事」でした。兵庫県政を巡る動きとして『斎藤知事側近の元総務部長を懲戒処分へ  告発者私的情報の漏洩を認定  停職3カ月案も』という新たな報道に接しています。大きな動きだと言えますが、今回の記事は兵庫県以外の時事の話題を中心に取り上げていきます。

真っ先に取り上げるのは「米は買ったことはありません、支援者の方々がたくさん米をくださるので。まさに売るほどあります」と発言し、辞職に追い込まれた江藤拓前農水相の問題です。『「ねぇ、バカなの?」宮崎県民も激怒!江藤農水相のヤバすぎる言い訳に国民ウンザリ』という週刊女性PRIMEの辛辣な見出しの記事を目にしています。

米の価格高騰に苦しむ消費者の神経を逆撫でする致命的な失言でした。このような言葉を国民がどのように受けとめるのか、常識的な想像力が働かなかったことに驚きます。特に農水相という重責ある立場でありながら、国民の痛みと無縁であるという「自慢話」がどれほど愚かな発言だったのか、手厳しい批判の声に表われています。

「こんなんが大臣やってるから何も変わらないんだろうな。もはや人災」「世間知らずの二世議員に国民の苦しみが分かるわけない」という声が前掲した記事の中で紹介されています。その記事では、発言が問題視された翌日以降の江藤前農水相のお粗末な釈明や迷走ぶりを伝えています。

報道陣の取材に応じた江藤農水大臣は、今回の発言について「撤回というより修正したい」と弁明。売るほどあるという発言は「言い過ぎだった」とし、「妻からも怒られた」と明かした。また、このような失言をした理由として「ちょっとウケを狙って強めに言いました」と説明した。

この稚拙な言い訳は火に油を注いでしまったようで、《ウケ狙いとか国民のこと舐めてんの?これがウケると思ってる感覚がもうズレてる》《妻から怒られたって…調子に乗りすぎてママに怒られる小学生かな?》と、さらなる炎上を招いた。

また、記者から進退や責任の取り方について問われると、不快感をあらわにした表情で「進退?」「責任の取り方?」と聞き返す呑気ぶり。進退に関わるほどの深刻な事態にも関わらず、本人は事の重大さに気がついていない様子だった。

その後、石破茂首相から厳重注意を受けると発言そのものを撤回。20日の参院農林水産委員会では「確かにウケる話ではないですよね。まったくピント外れだったと思います。現場を見る努力はしてきたつもりなんですが、庶民感覚はないと断ぜられるような発言をしてしまったことはまさに恥ずかしい。返す返すも不適切な発言だったとおわびを申し上げたい」と謝罪した。

一方で、「言い訳はしたくないのですが、宮崎ではたくさんいただくと“売るほどある” というふうによく言うんですよ。ですから宮崎弁的な言い方でもあった」と主張。“宮崎弁のせい”ともとれる言い訳に、SNS上では呆れた反応も少なくない。

失言自体、批判を受けたとしても、その後の対応ぶりによって沈静化していくこともあります。今回の江藤前農水相の場合、問題発言の後の対応そのものが火に油を注ぐ展開となっていました。今回の記事タイトルを「政治家の言葉、露わになる資質」としているとおり江藤前農水相の言葉の数々が、政治家としての資質を露わにしています。

さらに『江藤拓“年貢大臣”の永田町の評判はパワハラ気質の「困った人」…農水官僚に「このバカヤロー」と八つ当たり』という日刊ゲンダイの記事も目にしています。問題発言を切っかけに江藤前農水相のパワハラ気質など、あまり伝わっていなかったリーダーとして戒めるべき資質まで露わにされています。

12年前の記事「暴言や失言と本音の発言」の中で「暴言や失言の大半は本音の発言が表面化したに過ぎないものと考えています」と記し、次のように続けています。口を滑らせたという不用意な「うっかり」もあれば、暴言という認識がないまま発言し、強い批判にさらされているケースもあろうかと思います。

批判を受けた後、発言内容を撤回する場合が多いようですが、その本心を180度変える機会につなげられるほうが稀であるように感じています。そのような本音を二度と口外しないことを心に刻む方のほうが多数派になるのかも知れません。暴言や失言と本音の発言、政治家の場合、それらをトータルに見られた上で人物評価が積み重ねられていくはずです。

つい最近、自民党の西田昌司参院議員が、ひめゆりの塔の展示内容について「歴史の書き換え」などと発言し、問題視されたため発言を撤回していました。しかし、琉球朝日放送『西田議員「ひめゆり」発言に謝罪/歴史観は「事実」と強弁も/歴史を書き変えるのは誰か  沖縄』が伝えるとおり西田議員の本心や歴史観そのものは変わっていません。

西田議員にとって「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そして米国が入ってきて、沖縄が解放された」という歴史観は、27年にわたった占領時代、アメリカに都合のいい教育をされた結果であると考えています。西田議員は沖縄戦体験者の証言を直接伺ったことがないのかも知れません。

西田議員の発言に対し「戦後80年という節目を迎える今なお、沖縄に対する無理解と差別の構造は続いていると私たちに突き付けています」「この人の発言を許せない。根っこは、教科書から(集団自決での日本軍の)軍命を消し去った姿勢と同じなんです。国の姿勢は歴史を勝手に書き換える方向にもっていって、この人たちの青図を見ているからその方向をたどろうとするけれど、許されませんよ」と非難する声が上がっています。

「これまで県民が語り継いできた沖縄戦の歴史は、日本とアメリカ、どちらの国家のものでは決してありません。それは、両国の政治や外交、軍事の思惑に翻弄され、犠牲になった住民の視点の歴史」という言葉が、極めて真っ当な認識だろうと受けとめています。このような認識を踏まえた時、自分にとって都合のいい歴史に書き換えようとしているのは西田議員自身だと言わざるを得ません。

政治家が発した言葉によって、その政治家の立場性や資質が露わになっていきます。陰謀論を信じがちで、思い込みによる発言を繰り返すような政治家は到底支持できません。まして根拠の乏しい事実関係をもとに他者を批判した場合、誹謗中傷ととらえられ、敵対する関係につながっていくだけです。

LITERAが最新記事『国民民主党の問題は山尾志桜里や須藤元気より“暴言王”足立康史を候補にしたこと  陰謀論やデマ拡散、山口敬之や統一教会擁護も』で伝えているとおり国民民主党が、日本維新の会に所属していた足立康史元衆院議員を参院選比例代表の公認候補としています。連合との絡みから国民民主党の動きに注目していますが、望ましくない資質が露わな政治家の擁立は極めて残念な話だと思っています。

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2025年5月17日 (土)

両極端な評価のある兵庫県知事

誰でもよかった」という無差別殺人事件が目立つ昨今、その理不尽さに対する憤りと驚きは高まるばかりです。小学生の列に車が突っ込み、そのまま逃走してしまう卑劣な行為にも驚きを隠せません。それ以上に驚いた最近のニュースは、火災担当の警視庁警部が「火事場泥棒」を繰り返していたことです。

「お金がいくらあっても将来のことを考えると不安になった」と供述しています。盗んだ総額は約900万円、懲戒免職は間違いなく、その額以上の退職金をはじめ、失った将来的な損失は甚大です。将来のことを考える「ミスター火災犯」とまで呼ばれた捜査のプロが犯した行為の稚拙さやアンマッチ感に驚いていました。

一方で、前々回記事「一票の重みの大切さと怖さ」の中で記したとおり法令や勧告を軽視しがちな兵庫県の斎藤元彦知事の振る舞いに対しては、不本意ながら「グロ耐性」が鍛え続けられているためか、いちいち驚かなくなっています。とは言え「重く受けとめる」という言葉の軽さなどに対する憤りが和らぐことはありません。

そのため、前回記事「『自治体職員の「自治体政策研究」史』を読み終えて」の冒頭に「これからもファクトチェックの重要性の話などをはじめ、兵庫県政の動きは当ブログの新規記事として取り上げていくことになるはずです」と記していました。最も注視し、いろいろな思いを巡らしている事案であり、さっそく今回の記事の題材としています。

ここ最近も兵庫県政に関わる新たな動きが連日伝えられています。まずAERAの『兵庫県の斎藤知事は「パワハラ」「公益通報者保護」研修受けても変化なし  6月県議会は「大きな動きの気配」』という見出しの記事を紹介します。

研修後、内部告発した元県民局長への対応について改めて問われると、斎藤知事は「県の対応としては適切だった」と答えています。「たいへん充実した研修だった」と述べながら、これまでの見解をまったく変えない姿勢には本来であれば物凄く驚くべき話です。ただ前述したとおりそのような展開を予想できていたため、特に驚くことはありませんでした。

続いて産経新聞の『黒幕とされた元兵庫県議が死に至るまで  2馬力選挙とSNSで「別人に」妻が語った喪失感』という記事です。執拗に攻撃される原因となったデマを否定し続けても、竹内英明元県議は理解されないことに思い悩み「やっていないことを証明するのは悪魔の証明だ」と漏らしていました。

12月25日、百条委で斎藤氏に対する最後の証人尋問が行われた。文書問題とは意識的に距離を置いていた竹内氏も「さすがに見なあかん」。そう言って、妻と百条委の中継を見守った。

証人尋問では、委員の増山誠県議=兵庫維新から離党勧告処分=が竹内氏の名前を挙げ、「デマに基づく尋問をした」と批判した。この発言は後に事実誤認であったことが明らかになるが、自身の名前が出たことに竹内氏はショックを隠せず、「 いつまでも追われる」とこぼした。

家族との会話も減り、別人のようになった。今年1月18日、自室で亡くなっているのが見つかった。「これまで議員として信じてきたものが全て崩れていくような、そんな感覚に陥っていたのだと思う」

《事実でなければ否定すればいい》《何も言わないのはそれが本当のことだから》 ネットはそんな意見であふれている。妻は「そうじゃない」と反論し、中傷の先に人間がいることを「想像してほしい」と訴えた。

上記は産経新聞の記事の後半部分です。「デマに基づく尋問をした」という証言自体が事実誤認、つまりデマに基づく話を百条委員会で語った増山誠県議の責任は極めて重いはずです。しかし、ご自身の動画「増山誠チャンネル」などを通し、そのことを明確に謝罪した様子は見当たりません。

増山県議の動画は意識的に視聴するようにしています。そこで伝える内容のみで物事の是非を判断していった場合、斎藤知事の振る舞いの「正しさ」が刻み付けられていきます。斎藤知事を非難する側こそ「オールドメディア」の言い分を鵜呑みした情報弱者であり、見当外れな批判を繰り返しているという構図を信じそうになります。

私自身、より望ましい「答え」を見出すためには幅広く、多面的な情報に触れていくことの重要性を認識しているつもりです。その上で、読売テレビの『斎藤知事が謝罪「大変残念、県民の皆様に申し訳ない」「守秘義務は大事なこと、重く受け止める」 元県民局長の情報漏洩に第三者委「職員が漏洩した可能性」』という報道などに接すると憤りを強めざるを得ません。

ABCニュース『斎藤知事「重く受け止めなければならない」 元県民局長のプライバシー情報を県職員が漏洩か  ネット上からの削除要請は「難しい面がある」』の見出しのとおり重く受け止めているのであれば、その言葉に見合った具体的な行動が伴わなければならないはずです。

それどころか集英社オンラインの『〈兵庫県が刑事告発〉「外部通報を徹底的に潰すとの宣言だ」斎藤知事が作った「もうひとつの第三者委」狙いは文春の“情報源”のあぶり出しか?〈県は“報道への圧力”を否定〉』という記事では、兵庫県が報道の自由に関わる重大な動きを見せていることを伝えています。

その記事の中では、兵庫県の問題を注視されている西脇亨輔弁護士の「守秘義務はすべての県内部情報に適用されるものではありません。役所の情報は本来国民の監視の対象になるもので、その監視や討論の材料となる正当な情報流出は守秘義務違反ではないとの判例があり、これを最高裁も基本的に踏襲しています」という解説を紹介しています。

昨日は元県民局長の私的情報漏洩問題について、産経新聞の『「知事は遺族に謝罪すべき」 告発者の私的情報漏洩に関する指摘相次ぐ  兵庫県議会総務常任委員会』という記事に接しています。残念ながら元県民局長の遺族への謝罪に対し、兵庫県側は一貫して消極的な姿勢を貫いています。県政の最高責任者である斎藤知事の意思なのだろうと思っています。

確かに元県民局長の至らなかった問題もあったのかも知れません。しかし、県職員から慕われていた人格者だったという話もあり、そもそも内部告発した情報自体「嘘八百」ではなかったことが認定されている現状です。

いずれにしても法的な問題を問われながらも「適切だった」と強弁し、元県民局長の処分取り消しについて検討せず、遺族に対する謝罪の言葉一つ発せられない斎藤知事の振る舞いは極めて残念なことです。今回の記事は「両極端な評価のある兵庫県知事」というタイトルを付けています。

やはり増山県議のように斎藤知事を全面的に擁護されている方々も多いため、このような振る舞いを押し通せていけるのだろうと見ています。さらに不信任された後の知事選で再選を果たしたという結果が、斎藤知事の強気の背景につながっていることも間違いありません、

本来、民意である選挙結果の重さを批判できるものではありませんが、真偽不明な情報や明らかなデマによって斎藤知事の「正しさ」が強調された選挙戦だったという側面を忘れてはなりません。このような経緯を踏まえながら兵庫県政の現状を目の当たりにすると、どうしても虚しさや腹立ちを募らせてしまいがちです。

兵庫県政の動きは自治体職員という立場から注視し続けています。加えて、同じ事象に接していながら評価が大きく分かれがちな事例としても関心を寄せています。そのため、今回の記事に綴ったような憤りや問題意識が続く限り、兵庫県政の話は機会を見ながら今後も取り上げていくことになるのだろうと思っています。

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2025年5月10日 (土)

『自治体職員の「自治体政策研究」史』を読み終えて

前回記事は「一票の重みの大切さと怖さ」でした。この切り口から取り上げると、どうしても兵庫県政の現状が気になって仕方ありません。これからも「ファクトチェック」の重要性の話などをはじめ、兵庫県政の動きは当ブログの新規記事として取り上げていくことになるはずです。

今回、定番化している「『〇〇〇』を読み終えて」というタイトルを付けた新規記事に取りかかっています。東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の締切が間近であり、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めています。

これまで『足元からの学校の安全保障  無償化・学校教育・学力・インクルーシブどうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義公営競技史』『承認をひらく官僚制の作法 賃金とは何かを紹介し、次号は自治体職員の「自治体政策研究」史を取り上げます。

それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」「『官僚制の作法』を読み終えて」「『賃金とは何か』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。

3月に『官僚制の作法』が「とうきょうの自治」に書評記事として掲載されたことについて、公職研さんのホームページの新着情報でご紹介いただきました。私自身にとっても多くの方々に目を通していただけることは喜ばしく、ご紹介に感謝しています。ありがとうございました。

ちなみに季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありません。先にブログ記事をまとめるパターンは、いつも気ままに書き進めるため3000字以上の長文となりがちです。その内容を基本に入稿用の原稿に移す訳ですが、1300字程度に絞るこむ作業には毎回苦労しています。

今回の著書『自治体職員の「自治体政策研究」史』の副題には「松下圭一と多摩の研究会」と掲げられています。著者の小関一史さんは東松山市の職員で、自治体の政策研究に関わる複数の論文を寄稿されている方です。リンク先の著書の紹介文やレビューは次のとおりです。

自治体職員による自治体政策研究活動の先駆けとなった「多摩の研究会」のこれまで明らかにされてこなかった活動史について、散逸する資料の整理と当事者へのインタビューにより纏めた貴重な記録。

この書籍は、自治体職員研修、自主研究活動、自治体政策研究を定義した上で、1970年以降の自主研究活動の変遷をまとめています。また、政治学者である松下圭一が主導した多摩の研究会の活動やさまざまな自治体政策研究活動を紹介した上で、自治体学会の設立までの経緯の一部を明らかにしていている意欲作です。自治体政策研究の歴史を紐解くカギとなる書籍になっています。

小関さんは自治体通信Onlineに自著書評『自治体職員の「自治体政策研究」史~松下圭一と多摩の研究会』を寄稿しています。リンク先のサイトをご覧くだされば、この著書の上梓に至った経緯等が分かります。その中から『「第一次自主研ブーム」の熱意と熱量、突破力』という小見出しを付けた箇所を紹介します。

本書では、当時と現代の「自主研究グループ活動の環境の違い・共通点」のほか、「なぜ、自主研究活動は発生したのか」、「なぜ、地方自治の研究分野が確立されていない時代に、行政学者が自治体職員と連携したのか」、「自主研究グループ活動が学会設立に動き出した場面」、「自主研究活動の阻害要因」などについても注目をしました。

第一次自主研ブームを活動した方々が定年退職を迎える頃、第二次自主研ブーム世代が入庁しました。入れ違いで退職をしていった先輩たちの世代は、まだ自治体が全国的なイベントなどを開かなかった時代の1984年に、全国自主研究交流シンポジウムを中野サンプラザで開催しています。その後も、通信手段が電話と手紙だった時代に全国集会を開催した熱意と熱量、突破力を感じ取っていただけたら、今の自主研活動に新鮮な視座が加わるかもしれません。

本書は、法政大学大学院公共政策研究科へ提出した修士論文を基に、大幅に加筆修正を加えたものです。学術論文にはとっつき難い感があるかもしれませんが、「秘密結社」「コミケ」「よんなな会」や、第一次世代へのインタビューの掲載、関東地方の自主研究グループ活動の火付け役となった、第1回関東自主研サミットの会場の関係など、懐古主義的ではない読みやすい内容になっています。現在(第二次自主研ブーム)と過去(第一次自主研ブーム)を対比して読むことで、今、運営や参加をしている自主研究グループへの想いを深めていただくきっかけになれば幸いです。

この場は字数制限のない私的なブログですので、いろいろ関連した話も参考までに紹介できます。私どもの組合の元委員長で、東京自治研究センターの理事を務められている方が副理事長あてに次のような要旨のメールを送られたことで、今回の著書を次号で取り上げることになっています。

私事ですが、ここで2023年3月に刊行された『自治体職員の「自治体政策研究」史 松下圭一と多摩の研究会』(小関一史著、公人の友社)を読みました。自治体職員の自主研究活動を時系列に沿ってまとめた本ですが、そのなかでも松下圭一にバックアップされた多摩地域の職員の自主研究活動に焦点を合わせています。

松下圭一がこのような活動のバックアップをするようになったきっかけは、1971年に武蔵野市における「日本で初めての市民参加形式の委員会」に委員として参加し、職員の政策能力に着目したからだと記述されています。そして、このような松下圭一の働きかけを真正面から受け止め、「政策法務」という概念を創出したのが天野巡一さんだとも記されています。

巻末には、天野さんと鏡諭さん(東京自治研究センターの介護保険研究会の主査をつとめていただきました)の長文インタビューも収録されています。私が松下圭一の薫陶を受けたと承知していた何人かの方の実名も出てきますし、三鷹市や武蔵野市の職員の方のお名前も多く記載されていますので、武蔵野出身の副理事長であれば私以上に面白く読めるのではないかと、ご紹介するしだいです。

また、2023年3月の刊行ではありますが、多摩地域の自治体職員の政策研究にスポットライトを当てた本なので、「新着資料紹介」で取り上げてもらってもいいかもしれません。よろしければご一読ください。

『自治体職員の「自治体政策研究」史』の中では、自治体職員だった多くの方々が実名で登場します。私の勤務している自治体からも副市長や部長だった方が関わっていたことを知る機会となっていました。地元の多摩地域というつながりからも、私の先輩にあたる理事が推奨されているとおり興味深く読み進められた著書でした。

著書の「はじめに」の書き出しで、1986年5月に「自治体学会」が誕生したことを伝えています。日本で初めて、市民、自治体職員、研究者を会員とする学会の誕生でした。当時、専門家ではない自治体職員を一般会員とする学会の設立は前例のないことでした。

ここまでに至る背景として、1970年代後半に発生し、1980年代に入ってから全国展開した自治体職員による自主研究活動があったことを著者の小関さんは説明しています。その黎明期の自主研究活動を主導したのが政治学者である松下圭一さんでした。

松下さんは1971年に武蔵野市政の市民委員として参加したことを契機に地方自治への関心を高め、自治体職員による自主研究活動を後押ししていくようになっています。著書の中で「自治体職員の政策能力が上がることは、市民生活が豊かになることだ」という松下さんの考え方が紹介されています。

それは「専門家が引き上げるのではなくて、現場の自治体職員がものを考えて発言する人達が増えることが必要だ」という考え方でした。自治体が国の政策の執行機関だった時代は、法令や通達を適確に解釈し、前例を確実に踏襲できる職員が優秀だと見られていました。

前例のない事案が発生した場合は上級官庁に照会し、その指示通りに対応できる能力のみが求められていました。そこには自治体としての政策の視点はありません。1970年代に入ると基礎自治体も、公害や福祉などの地域固有の問題に対応を求められる状況が発生していきます。

このような時、松下さんは自治体職員の人材育成を企図しながら東京三多摩の地で自主研究グループの起ち上げを支援していきます。1977年に市民研究グループ、1980年には通達研究会の発足に関わっています。このような流れが全国各地に広まり、自治体学会の発足につながっています。

松下さんは2015年に亡くなられています。生前、当初からのメンバーに「君たちがきちんと育ってくれたから、自治体学会をつくろうと思ったんだ」と語っていました。活動をともにしたメンバーの成長ぶりを見届けたことで、市町村が自治体学会を運営できることを確信したと伝えています。

自治体学会が発足された同じ年、先端行政研究会を起ち上げています。「自治体は末端ではない。現場を持った最先端である」という問題意識を会の名称に表わしていました。このような多摩の研究会の活動を通し、メンバーの一人である天野順一さんが「政策法務」という言葉と考え方を生み出していきます。

「条例をつくることが目的ではなく、条例は政策展開をはかる手段である」とし、自治体における法的諸問題は、実務経験が豊富で行政法に精通した自治体職員によって、市民の基点に立った判断のもと地域に即応する方法で解決すべきという考え方が多摩の地から全国に広まっていきます。

不思議なことに先駆的で画期的な活動を展開した多摩の研究会をトータルに伝える資料は残されていません。小関さんが「秘密結社」と呼ぶ所以です。小関さんは散逸する資料の整理と当事者へのインタビューを通し、松下さんと多摩の研究会の関わりなどを初めて文献にまとめた方だと言えます。

今回の著書を読み終え、その理由がよく分かりました。確かに多摩の研究会は「独自の秘匿性」を持って活動し、意図して自らの記録を残してこなかったようです。かつて自主研究活動に関わる自治体職員は変わり者というレッテルを貼られていました。

松下さん自身、美濃部都政など革新自治体とのつながりが深かったため、自分自身は表に出ないように努め、自主研究活動に水を差されないよう政治色を排除することに腐心されました。研究会の存在自体を積極的に公表しなかったのは、メンバーが所属先で異端者扱いされることを避ける目的だったと言われています。

さらに松下さんはメンバーに対し、「松下研究会に入っているなどと言うと、出世が遅れるから言うな」と告げ、いつも「職場では偉くなれ。そうすれば自分の考えた政策が実施できるようになるからだ」と話されていたようです。このような松下さんの配慮のもと研究会は秘匿性を原則としながらも様々な功績を残していきます。

著書の中で、介護保険原点の会の取り組みを伝えています。厚生省内の会議室で自治体職員の研究会を開き、厚生省職員がオブザーバーとして参加していました。介護保険制度の創設に向け、自分たちは現場目線の声を直接伝えられ、厚生省側は新鮮な情報を得られるというWIN-WINな関係を作れたことを当時の参加者が誇らしげに語っています。

全体を通し、私たち自治体職員にとって感慨深く、ある意味で懐かしい話が多かったため、いつも以上に長文ブログとなっています。必然的に入稿する原稿の字数内に収めるためには、いつも以上に苦労しそうです。それでも、もう少しだけ書き添えさせていただきます。

小関さんが自著紹介で「現在(第二次自主研ブーム)と過去(第一次自主研ブーム)を対比して読むことで、今、運営や参加をしている自主研究グループへの想いを深めていただくきっかけになれば幸いです」と語っています。

その箇所の小見出しが『「第一次自主研ブーム」の熱意と熱量、突破力』ですので、小関さんは黎明期の自主研究活動に関わったメンバーの熱意や熱量の際立ちぶりを高く評価されているはずです。現在のメンバーの不充分さを対比するというよりも、異端者扱いされがちだった頃に強い覚悟で関わった方々との時代背景の違いを小関さんは感じ取っているのだろうと思っています。

加えて、著書の中で「1970年代は自治体にとって、まだまだイケイケの時代だったから、予算も大きくなって新たな政策づくりをしやすい時代だった」とし、現在は「今あるものをいかにスクラップしていくかが政策になる」という時代背景の違いも指摘されていました。

多摩の研究会が活動を開始した1977年当時に比べ、法制度上での地方分権が進み、自治体政策研究の内容は変化し、その研究手段も多様化しています。このような変化を踏まえながら、小関さんは終章の最後に次のような言葉を書き添えています。その言葉を紹介し、このブログも締めさせていただきます。

自己啓発は人材育成の基本であることを考えると、その意欲を阻害する要素を組織から排除し、活動を支援する体制が必要であることは、今も昔も変わらないものである。

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2025年5月 3日 (土)

一票の重みの大切さと怖さ

5月3日は憲法記念日です。現職の組合役員だった頃は、ほぼ毎年、地元の憲法集会や有明防災公園で催される大集会に参加していました。3年前には日本国憲法施行から75年」という記事を投稿し、「国民一人一人の共通理解と覚悟のもとに日本の進むべき道を決める改憲論議であることを願っています」と記しています。

近い将来、国民投票法に基づく私たちの一票一票、たいへんな重みを持つ局面が訪れるのかも知れません。その時を想定した私自身の切実な願いと問題意識を託した記事でした。民主主義の根幹をなす選挙制度における一票の重みの大切は言うまでもありません。

一方で、その一票一票の積み重ねによる選挙結果が、信じられないような激変をもたらす怖さも目の当たりにしています。「政策の善し悪しなら0点」トランプ大統領就任100日…支持率は1期目を下回る「世界からの信頼がなくなってしまった」専門家も厳しい評価』という報道が象徴的です。

トランプ大統領の返り咲きはアメリカ国内にとどまらない大きな混乱を広げています。支持率が下降気味とは言え、就任100日の集会参加者の声はトランプ大統領の行動力を絶賛し、熱狂的に礼賛するものばかりです。

2年前の記事「岩盤支持層という言葉から思うこと」の中で、岩盤支持層が「自らにとって都合の良いことが大きく見え、都合の悪いことは縮小される」という独特なプリズムを持っている話を紹介しています。このような傾向は日本の政治においても様々な場面で見られがちです。

前回記事「改めて批判意見と誹謗中傷の違い」の最後に取り上げた姫路市の高見千咲市議の不適切な迷走ぶりも、もともとは兵庫県の斎藤元彦知事の「正しさ」を前提にした発想から始まっています。要するに高見市議は斎藤知事にとっての岩盤支持層の一人だと言えるのではないでしょうか。

日本維新の会に所属していた岸口実県議、増山誠県議、白井孝明県議らも同様な立場だろうと思っています。3月の記事混乱と分断が続く兵庫県政 Part2」の中で詳述していますが、当初、増山県議らは斎藤知事に対する不信任決議案に反対していたようです。しかし、吉村代表の判断で維新県議全員が賛成票を投じたという経緯があります。

それでも斎藤知事の「正しさ」を確信していたのであれば、不信任決議案に際し、離党して反対票を投じるか、せめて棄権するという判断を下すべきだったのではないでしょうか。不本意ながら党の判断に従ったのであれば、県知事選でも自党が支援する候補者の当選をめざすべきです。

直接的な応援ができなかったとしても、他の候補が有利に働くような裏工作はもってのほかです。さらに前県議を自死に追い込んだNHK党の立花孝志党首の攻撃的な言動や誹謗中傷の背後に、増山県議らの暗躍があったことまで明らかになっていました。言語道断な振る舞いであり、たいへん卑劣な行為だったと言えます。

ここまで信頼関係を失墜する事態が明らかになったのであれば、本来、政治生命は絶たれて然るべきだと考えられます。しかしながら3人は「躍動の会」を起ち上げ、意気軒昂にSNSを通して自らの「正しさ」を発信続けています。そのような主張に呼応し、3人の行動を称賛する声がSNS上に決して少数でないことに驚いています。

ただ直近の『消費者庁が兵庫・斎藤知事発言に対し指摘「公式見解と異なる」公益通報者保護法の解釈めぐり』という下記の報道には、もう驚くことはありません。法令や勧告を軽視しがちな斎藤知事の振る舞いは、これまで繰り返されてきたことであり、そのような意味で「グロ耐性」が鍛えられています。

兵庫県の斎藤知事が、これまで公益通報者保護のための体制整備義務について「外部通報は含まないという考え方もある」と説明したことに対し、消費者庁から「公式見解と異なる」と指摘があったことが2日、分かりました。公益通報者保護法では、公益通報者が不利益な取り扱いを受けないようにするため教育や組織づくりを行う「体制整備」を自治体などの組織に義務付けています。

斎藤知事は3月に開かれた記者会見で「体制整備義務には外部通報も含まれるという考え方がある一方で、内部通報に限定されるという考え方もある」などと述べていました。県によりますと、消費者庁はこの発言をうけて、先月8日、担当者同士のやりとりで「公式見解と異なる」と指摘したということです。

また、先月17日に開かれた公益通報者保護法の改正を審議する衆議院の特別委員会では、議員が知事の発言について消費者庁に質問。審議官は答弁で「(公益通報者保護法に関する)指針におきましては3号通報(外部通報)に関する体制整備義務について規定している部分がある」と答えていました。【読売テレビ 2025年5月2日

上記の報道を掲げたヤフーのコメント欄では、法政大学大学院の白鳥浩教授が「ある特定の自治体のみが、国の法解釈の方針に対して解釈を異にするということがあってよいのだろうか?それでは法治国家としては成り立たない。法務省は、しっかりと兵庫県庁の担当者を処罰するなりする必要があるのではないだろうか」と指摘しています。

一般のコメントのトップに「私の見解とは異なる。そうではないという考えもある。これで、すべて終わらせてきた無敵の知事だから、何を言っても誰が言っても効果はない。一票を投じた有権者が責任をとるしかない」という声が寄せられていましたが、まったくその通りな現状だろうと受けとめています。

百条委員会の結論等が示される前に不信任決議し、知事選挙に追い込んだ議会側の対応を批判する声も耳にしています。しかし、当時は一刻も早く、正常な県政に戻すための判断として大きな間違いではなかったはずです。まさか斎藤知事が立候補し、再選を果たすとは大半の人たちが想定していませんでした。

その「まさか」が起きてしまい、出口の見えない兵庫県政の混乱が続いています。今回の記事タイトル「一票の重みの大切さと怖さ」を痛感する選挙結果だったように思っています。ここまで言い切ってしまうと、斎藤知事を支持されている皆さんからは強いお叱りを受けるのかも知れませんが、私自身の正直な気持ちを吐露させていただいています。

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