« 2025年1月 | トップページ | 2025年3月 »

2025年2月22日 (土)

『賃金とは何か』を読み終えて

前回記事は「混乱と分断が続く兵庫県政」でした。『「私が隠し録音やりました!」非公開の証人尋問音声を流出させた増山兵庫県議…狙いは告発者貶め反転攻勢か?〈維新県議3人が立花氏に協力〉』という報道など、日を追うごとに新たな事実や疑惑が伝えられてきます。また機会を見ながら兵庫県政に関わる話は取り上げていくことになるはずです。

今回は定番化している「『〇〇〇』を読み終えて」というタイトルを付けた新規記事を投稿します。東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の締切が間近だったため、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めていました。

これまで『足元からの学校の安全保障  無償化・学校教育・学力・インクルーシブどうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義公営競技史』『承認をひらく官僚制の作法 を紹介し、次号は濱口桂一郎さんの著書賃金とは何かを取り上げます。

それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」「『官僚制の作法』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。

季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありませんが、先にブログ記事をまとめ、その内容を入稿用の原稿に移しています。ちなみに毎回、3000字以上書き込んだ長文ブログを1300字程度の原稿に絞るこむ作業に頭を悩ましていました。

いつものとおり本題から外れた前置きが長くなって恐縮です。賃金とは何かの副題には「職務給の蹉跌と所属給の呪縛」という少し難解な言葉が掲げられていますが、本文の内容は「ですます調」で読みやすいものとなっています。リンク先の著書の紹介文は次のとおりです。

日本の賃金制度は、どのように確立されてきたのか。ベースアップや定期昇給とは何か? そもそも賃上げなのか? 今日の大きな政策課題となっている「賃金」について、「決め方」「上げ方」「支え方」の側面から徹底検証。上げなくても上がるから上げないので上がらない日本の賃金――その仕組みとは。今後の在り方を議論するための、基礎知識を詰め込んだ必携の書。

著者の濱口桂一郎さんは労働政策研究・研修機構労働政策研究所長を務められています。2005年11月からEU労働法政策雑記帳」というブログも続けられています。「公務員のためいき」も同じ年の8月から始めていました。当ブログにコメントを投稿された方から濱口さんのブログを紹介いただき、それ以来、ずっと拝見しているサイトです。

このブログは労働組合の役員という立場で発信していたため、たびたび濱口さんの記事内容の一部を当ブログの中で紹介していました。濱口さんの著書『新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ』も読み、非正規労働者の歴史や現状の問題点などを取り上げてきました。

このようなご縁がある中、濱口さんの新書『賃金とは何か』は読売新聞夕刊の「解題新書」など、いろいろな媒体で取り上げられていたため、私自身が担当している連載記事でも紹介させていただくことになりました。

濱口さんは著書の最後に「賃金の世界は複雑怪奇な仕組みが縦横に入り組んでいて、うかつに議論を始めると大抵錯綜の極みに至ります」と語っています。職務給導入や最低賃金の引き上げなどが政治の場で注目を集める中、戦前戦中に遡って歴史的経緯を詳しく解説することで、今日のもつれた議論を解きほぐし、議論の見通しをよくしようという意図で書き綴ってきたと説明しています。

そして「ちっぽけな本ですが、賃金に関わる人々、賃金に関心を持つ人々の何かの役に立てれば幸いです」と結んでいます。著書の「おわりに」に書かれた言葉を最初に紹介することになりましたが、このような濱口さんの問題意識が貫かれた内容だったように理解しています。

私自身、長く労働組合の役員を務めていながら、この著書を手にしたことで改めて認識を深めた考え方や意味合いなどに触れる機会となっていました。その一つが「定期昇給があるから日本の賃金水準は抑えられてきた」という考え方です。

このブログの以前の記事「定期昇給の話」の中で、新卒採用から定年退職までの長期雇用が保障され、年功で賃金が上がっていくシステムは決して企業の温情ではないことを伝えていました。企業の教育訓練投資の成果である熟練労働者を重視し、年功賃金と退職金制度は熟練労働者を企業に縛りつける仕組みでした。

労働組合の立場からは、生活給という位置付けで定期昇給をとらえ、子どもの教育費など人生の支出が増える時期に比例し、賃金が上がる年功給を合理的なものだと考えていました。スキルアップと生活の変化に対応しながら、働く側にとっては安心して将来の生活設計を描けます。

経営側にとっては帰属意識の高い人材を安定的に確保し、企業内教育を通じた労働生産性の向上がはかれるため、労使双方にメリットがある仕組みだと評価してきました。このような日本型雇用の仕組みはメンバーシップ型社会と呼ばれています。雇用契約に具体的な職務内容が記載されず、組織に所属しているかどうかが基本となっています。

一方、日本以外の社会では、労働者の遂行すべき職務が雇用契約に明確に規定されています。ジョブ型社会と呼ばれ、賃金は職務に基づいた固定価格制です。ジョブ型社会における団体交渉や労働協約は、職種や技能水準ごとの賃金水準を企業の枠を超えて設定するものであり、ベースアップ交渉などは数年ごとに大規模に取り組まれています。

メンバーシップ型社会では、企業ごとに組織された労働組合が団体交渉を通じて労働協約を締結します。ただし、この協約は社員一人ひとりの賃金を直接決定するものではなく、企業全体の総額人件費の増加額を交渉する仕組みです。

リンク先の著書の紹介文に上げなくても上がるから上げないので上がらない日本の賃金」という禅問答のような言葉があります。この言葉の意味を理解するためには定期昇給の本質的な仕組みや日本社会で根付いてきた背景を押さえなければなりません。

定期昇給は賃金体系を固定したまま労働者の新陳代謝を基本としているため、長期的には労務費の増大をきたさないと見られています。賃金表の最上段の労働者が離職し、その代わりに最下段に新しい労働者が入り、人件費総額は内転して常に一定であるという見方です。

ベースアップは賃金表それぞれの数字を増額させることであり、労務費総額の増大に直結していきます。そのため、日本の経営側はベースアップの代わりに定期昇給を唱道してきた経緯があります。

しかしながら労働組合側は当然の権利として定期昇給に加えて毎年高率のベースアップを要求し、実現させてきました。高度経済成長期、バブル経済の時代まで個人的な定期昇給とベースアップによって、日本人の賃金水準は右肩上がりでした。

1990年代以降「ベアゼロと定昇堅持の時代」に入り、個々の労働者(正社員)の目には自分の賃金が毎年上がっているように見えても、全体では全然上がっていないという「失われた30年」につながっていきます。

ジョブ型社会ではベースアップを要求し、実現させていかなければ1円も賃金は上がりません。日本の場合、ベアがなくても(上げなくても)、定昇があるから(上がるから)、ベアを見送り(上げないので)、結果として日本人全体の賃金水準は据え置かれる(上がらない日本の賃金)、このような関係性を濱口さんは風刺的に表現されていました。

日本人の年収が諸外国に比べて下位に位置付けられるようになった背景として「定期昇給があるから」という考え方に触れ、この著書を読んで驚いたことの一つでした。濱口さんは著書全体を通し、賃金について「決め方」「上げ方」「支え方」の側面から徹底検証されています。

賃金の「支え方」として最低賃金制度があり、最近の動きとして公契約条例の制定などを濱口さんは取り上げていました。このブログでも過去に「公契約制度の改革って?」「『鉄の骨」』と公契約条例」という記事を投稿しています。

「上げ方」は労使による団体交渉を重視されています。著書の中で、北欧諸国には法定最低賃金制度がないことを伝えています。組織率80%を超える労働組合が自らの力で賃金を支え、「国家権力の力を借りなければ賃金を支えられないなどというのは労働組合として恥ずかしいこと」という気概が紹介されていました。

翻って、メンバーシップ型の日本の場合、企業経営を圧迫するような要求が困難視される状況もあり、前述したとおりベアゼロの時代が長く続いてしまいました。ここ数年、官製春闘と呼ばれがちですが、政府から経営側に賃上げを要求し、ベースアップが実現するようになっています。

さらに岸田政権の時、成長戦略の一環とした労働移動の円滑化に向け、従来の年功賃金からジョブ型の職務給中心のシステムに見直すという政府の方針が示されています。このような動きを受け、濱口さんが『賃金とは何か』の上梓に至ったことは前述したとおりです。

ジョブ型とは何か、定期昇給の本質的な仕組みなど、少しでも正しく理解した上で今後の賃金制度議論につなげて欲しい、このような濱口さんの思いを感じ取った著書でした。また、直接的な言葉は見受けられませんでしたが、日本の労働組合に対する叱咤激励が込められた内容だったようにも思っています。

| | コメント (0)

2025年2月15日 (土)

混乱と分断が続く兵庫県政

久しぶりに前回記事は「難航した地域手当を巡る労使交渉」という労使課題を取り上げたローカルな話題でした。今回も兵庫県を巡るローカルな話題だと言えますが、伝わってくる様々な事案や騒動ぶりは全国規模の波紋を広げるニュースの数々です。

昨年11月に「兵庫県知事選、いろいろ思うこと」、少し前に「混迷を深める兵庫県政」という記事を投稿していました。今回の新規記事は「混乱と分断が続く兵庫県政」というタイトルを付け、出口の見えてこない斎藤元彦知事が再選を果たした兵庫県政に注目し、時事の話題を紹介しながら私自身の思いを書き添えていきます。

まず『石丸伸二氏の告発状提出  都知事選巡り公選法違反疑い―市民団体』という報道です。昨年7月の東京都知事選で石丸伸二さんが、集会をライブ配信した業者に違法な報酬の支払いを約束した疑いが発覚しています。兵庫県知事選で斎藤知事がPR会社に対してインターネットによる選挙運動の対価とし、報酬を支払った疑いと類似した公職選挙法に絡む事案です。

石丸さん側の事案は業者への発注後、陣営内から「公選法に抵触する可能性がある」との指摘が出たため、キャンセル料として発注額と同額を支払い、業者スタッフはボランティアで参加した形にしています。ただ業者に支払われた約97万円の中には約45万円の人件費が含まれていたため、公選法違反の買収に当たる疑いが生じています。

斎藤知事側の事案は『兵庫県知事選で報酬受け取り疑い、PR会社関係先を捜索…神戸地検と県警』という報道のとおり強制捜査まで至っています。この事案については昨年11月の記事兵庫県知事選、いろいろ思うこと Part2」の中で次のように個人的な見方を添えていました。

疑惑を招く問題が斎藤知事には立て続いています。様々な法律に対する理解不足や認識の甘さがあるように思えてなりません。加えて、そのあたりの不充分さをフォローしていく人材が周囲にいないのか、進言できる関係性を築けないのか、省みる点が多々あるのではないでしょうか。

石丸さんの陣営には、法律に抵触するという認識を持てる人材がいたため軌道修正をはかっています。ただ取り繕い方に穴を残したことも問題ですが、そもそも当初の発注内容と実態が基本的に変わらず、キャンセル料という名目に変えている手法がまかり通って良いのかどうか甚だ疑問です。

法律に対して「違反になることを知らなかった」という言い分は通用しません。違法性の疑いを認識しながら「ここまでは許される」「このような形にすれば大丈夫」とい身勝手な解釈だった場合、違法性を問われる可能性が充分あり得ることに注意を払わなければなりません。兵庫と東京の容疑、それぞれ反面教師とすべき事例だろうと思っています。

続いて兵庫県知事選をめぐる誹謗中傷  立花孝志氏の発信“情報源”一枚の文書を検証【報道特集】』という報道が衝撃的です。真偽不明の文書がNHK党の立花孝志党首に渡ったことで、知事選の最中「陰謀によって斎藤知事ははめられた」という構図が作り上げられ、竹内英明前県議らは執拗な攻撃にさらされました。たいへん残念なことに竹内前県議は自死に至っています。

さらに選挙期間中、自ら命を絶っていた元県民局長の名誉をズタズタにする誹謗中傷が立花党首から発せられていました。立花党首は、元県民局長が「10人と不倫した」「不同意性交を繰り返していた」という話を選挙演説の中で声高に叫んでいました。しかし、上記の「報道特集」中で、自らの発言の根拠を問われた際、立花党首は次のように釈明しています。

これはね、根拠めちゃくちゃ薄いです。「10人ぐらい」と言ってた人は1人いましたね。政見放送の時に「10年」と「10人」が 引っかかって、そのまま「10人」って言っちゃったみたいですね。「まぁ、ええわ」みたいな感じで。「あんま変わらんわ」って感じなんで。

「報道特集」では、立花党首が「元県民局長は不同意性交をしていなかった」と発言を訂正したのは選挙から2週間後のことだったと伝えています。元県民局長の不倫という話が事実だった場合、道徳的な責任は免れませんが、刑事的な責任は問われません。不倫スキャンダルが明らかになりながら大きなダメージを負わなかった政治家のケースもあります。

昨年7月の「過ちに対する責任の処し方と問い方という記事の中で、斎藤知事を告発した元県民局長の遺書について触れています。そこには「一死をもって抗議をする」という言葉が残されていました。斎藤知事を熱烈に支援されていた方々からすれば、その言葉の重みを到底受けとめられるものではなかったはずです。

立花党首らは元県民局長を誹謗中傷することで、自死の理由や意味合いをすり替えていく意図があったのではないかと思わざるを得ません。さらに〈兵庫・斎藤応援勢力で内紛〉立花氏「文書は維新の県議からもらった」 維新県議はこれを否定も「会ったことは認める」維新の百条委副委員長がなぜ?』というお粗末な話まで伝わってきています。

この問題に対し、斎藤知事が「詳細は承知していませんので、今ご指摘いただいた方の問題だと思っていますので、私がコメントすることはないです」と明言を避けていたため、弁護士の橋下徹さんはXで「斎藤さんの特徴。自分の疑惑が書かれた怪文書については放置してもいいものを必死になって作成者を特定。他方、自分の利益になる怪文書は放置」と指摘しています。

批判された兵庫県知事選報道  2人のジャーナリストが抱いた違和感と新聞に課した役割』という記事は、神戸新聞の記者がジャーナリストの池上彰さんと江川紹子さんにインタビューし、まとめた内容です。その中から「県民局長のプライベート情報、報じなかった三つの理由」という見出しが付けられた内容をそのまま紹介します。

私たちはこれまで、亡くなった元西播磨県民局長のプライベート情報の内容を報じていない。なぜ報じないのか。幾度となく読者や有権者、そして同僚からも聞かれてきた。理由は大きく三つある。

一つ目として最も重視したのが、告発者の人格と告発内容の真偽は無関係ということだ。今回の告発問題では、そもそも告発文にある内容が本当かどうかが問われている。元県民局長の私的な事情は切り離し、慎重に取り扱うべきと考えた。

二つ目は、元県民局長の私的情報を県当局が収集したという経緯に、違法性の疑いが拭えないからだ。公益通報者保護法では通報者の探索を禁じている。しかし、県当局は文書を把握した直後から職員のメールを解析し、元県民局長のパソコンを押収した。私的情報はその中から見つかったとされており、「違法収集証拠」の可能性がある。

三つ目は、私的情報そのものの真実性だ。今も元県民局長の人格を否定する言葉とともにネット上に拡散されているが、取材ではこれらの情報が事実かどうか裏付けが取れていない。

ましてや政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、選挙ポスターや動画投稿サイトで「自殺の真相」として取り上げた一部情報については、後に立花氏本人が「勢いで言ってしまった」と釈明している。捜査関係者に確認しても自死の理由は不明のままだ。

最後に告発文書の内容についても触れたい。元県民局長は、ほぼ同じ内容の文書を県内部の公益通報窓口に通報している。県はこれを受理し、知事を含む幹部のハラスメント研修を導入するなど是正措置を取っている。ほぼ同じ内容の文書を「誹謗中傷性が高い」と懲戒処分の理由にしながら、もう一方では「公益性があった」と判断する矛盾が生じている。

私的情報を「報じない」という選択が間違っていたとは思わない。だが、選挙期間中、「情報が氾濫していて何が真実か分からない」という有権者の戸惑いを何度も聞いた。池上彰さん、江川紹子さんが示したのは「報じない」理由を正直に説明する道だった。新聞社は今、読者との向き合い方を改めて問われていると痛感している。(県庁担当・前川茂之)

最後に『「兵庫県民は分断されている。いつになったら県民は穏やかにお茶できるの?」斎藤知事巡る問題で激論』という見出しの記事を紹介します。元プロテニスプレイヤーの沢松奈生子さんが、地元西宮市でのお茶の話題は「斎藤知事一色」で、友人の間でも意見が割れ、穏やかな日常が失われていると次のように語っています。

もう友人との会話もアメリカ大統領選挙みたい。兵庫県民は分断してるんです。「私は斎藤さんが正しいと思う、だまされてはる」という友達もいれば、「いや、そんなね、冷静に考えてみいや」ていう友人もいる。本当に一つ言わせてほしいのは、この一年、兵庫県民は穏やかにお茶できないんです。アメリカ大統領選見てて他人事とは思えない。

斎藤知事のパワハラ疑惑などに対し、県議会に設けられた百条委員会の報告書は近日中に示されます。前述した公選法違反の疑いに加え、オリックス優勝パレードを巡る背任容疑の告発状も受理されています。このような動きの先に斎藤知事が再び失職する可能性もあり得ます。混乱と分断、まだまだ続きそうです。一刻も早く、正常な県政に修復されることを願わざるを得ません。

| | コメント (0)

2025年2月 8日 (土)

難航した地域手当を巡る労使交渉

2022年11月に組合の執行委員長を退任した後、協力委員の一人として組合ニュースの配布などをお手伝いしています。信任投票を受けることのない役職であり、労使交渉の当事者から退いたOBという立場であることには変わりありません。そのため、当たり前なことですが、後任の委員長らがやりにくくならないよう相談を受けない限り、労使課題について口を出させないように努めています。

ただ昨年6月に改めて会計年度任用職員の課題」、7月に「会計年度任用職員制度の課題、最新の動き」という記事を投稿しているとおり現委員長らと連絡を密にしながら側面からサポートした労使課題もありました。自分自身が委員長だった時、道筋を立てられなかった宿題という思いもあったからです。

加えて、2023年9月の記事「身近な政治、市長選の話」で伝えたとおり都議時代から私どもの組合と推薦関係があり、20年以上前から懇意にさせていただいていた方が現在の市長です。さらに昨年4月には、私が入所した頃から親しくお付き合いいただき、同じ職場の直属の上司としてお世話になった方が副市長に就任されていました。

このような関係性があったため、会計年度任用職員制度の労使協議の経緯や論点等をまとめた資料を市長と副市長に渡し、私自身の問題意識を伝える機会も設けてきました。もう一つ宿題という思いのある労使課題として、地域手当の引き上げを巡る問題がありました。この問題では昨年8月に「地域手当の見直しに安堵」という記事を投稿しています。

市町村単位で細分化された地域手当の問題性に対し、昨年6月、市長自ら総務省に出向き、地域手当の支給割合についての要望書を提出されていました。このような心強い経緯がある中、近隣市と肩を並べられる12%から16%への引き上げが来年度予算で成立していくことを期待していました。

毎年、通常であれば自治労都本部統一の賃金・一時金闘争は11月、遅くとも12月中には決着しています。今回、地域手当について東京23区と同じ支給率の20%を統一要求として掲げたため、越年闘争となっていました。今まで16%支給されていた自治体からすれば、めざしたい要求だろうと理解しています。

しかし、私どもの市にとっては来年度からの16%引き上げが、まず何としても確保すべき現実的な要求の到達点だったように個人的には感じていました。前述したとおり労使交渉の当事者から外れていますので、そのような感想を委員長らに漏らした程度で越年交渉の行方を静観していました。

1月に入り、予算編成作業が進み、来年度の地域手当は14%という情報が伝わってきました。組合員の皆さんに限らず、複数の管理職の方からも一気に16%に引き上げないことを疑問視する声が私の耳に届くようになっていました。そして、越年した統一闘争の山場として1月30日に団体交渉が予定されていました。

その前の週の昼休み、事前に委員長らに断った上、副市長とお会いする機会を得ていました。市長と副市長が、組合や職員との関係を大事にしていきたいという思いが強いことをしっかり受けとめています。したがって、地域手当の課題解決の行方が、その信頼関係に影響を及ぼしかねないという問題意識を直接伝えたかったからです。

結果は「来年度14%」という市側の方針が強固なものであることを確かめた場にとどまっています。それでも直接お話できたことで私自身の頭の中で、次善の策として組合にとっての望ましい対応の仕方について判断する材料を得られる機会となっていました。ちなみに自治労都本部が年明けの統一闘争で掲げた獲得目標は下記の4点です。

  1. 地域手当の最低16%支給の確保
  2. 常勤職員と再任用職員の一時金の同一月数支給
  3. 会計年度任用職員の4月改定と遡求適用
  4. 会計年度任用職員の雇用回数上限の撤廃

地域手当20%という高めだった統一要求が「最低16%」に改められていました。実施時期も明記されていないため、いつから16%なのかという確約が大きな論点になるのだろうと考えを巡らしていました。副市長と話した内容の報告とともに委員長や書記長には、このような私自身の考えを参考までに伝えていました。

委員長からは「この4月からの16%を譲れない」という強い決意が示され、そのことに水を差すような思いはない旨を申し添えています。付け加えて、私自身が副市長と懇意にしているため「懐柔された訳ではないから」という一言も添え、「分かっています」と答えてもらっていました。

結局のところ1月30日の団体交渉を経て、今年4月からの地域手当14%を労使合意しています。新年度から16%という期待を裏切ってしまう結果になっていますが、労使が真摯に向き合った中での交渉結果を重く受けとめなければなりません。その上で、現時点までの交渉内容をどのように組合員の皆さんに伝えるべきか、大事な作業が待っていました。

深夜まで及んだ交渉の後、委員長は体調を崩され、月曜まで休暇を取っていました。火曜の昼休み、まだ完調ではない委員長と相談し、次号の組合ニュースの原稿作りを手伝うことになりました。その際、心がけた点として労使それぞれに対し、あえてマイナスイメージにつながるような書き方を避けたことです。

「地域手当、2%引き上げて今年4月から14%に  引き続き16%の確約に向け、2月21日に団体交渉」という見出しを付けた記事の内容は下記のとおりです。なお、知り合いの皆さんにとって匿名のブログではありませんが、インターネット上に発信する作法として具体的な自治体名等は控えるようにしていることをご理解ください。

       ◇        ◇

昨年末までに決着できなかった自治労都本部統一の賃金・一時金闘争は改めて1月30日を山場とし、別記4項目を獲得目標として各自治体での交渉が進められました。私どもの組合も30日夜、午後11時過ぎまで団体交渉や折衝を重ね、要求の実現を全力でめざしました。

最大の争点だった地域手当引き上げの課題は、次年度から16%まで引き上げるという回答を得ることができませんでした。もともと16%で23区と隣接している市が18%まで引き上げるという情報をはじめ、15%だった市は今年4月から16%とする交渉結果が伝えられていました。

しかし、これまで私どもの市のように12%以下だった自治体の大半は、次年度からの16%をめざした交渉が難航していました。財源の問題に加え、引き下げる場合や引き上げる場合も「段階的に」という基準が人事院勧告の中で示されているという理由からです。

私どもの市の場合、市長が昨年6月、総務省に自ら出向き、市町村単位で細分化された地域手当の問題性について要望書を提出されていました。このような経緯を踏まえれば、団体交渉の責任者である副市長らに対し、今年4月から16%まで引き上げるべきではないかと組合は強く主張しました。

たいへん残念ながら30日の交渉では、地域手当を2025年度4月から14%に引き上げるという確認にとどまりました。しかしながら引き続き労使交渉を推進し、次回2月21日に予定されている団体交渉では、2026年度からは近隣市と同率となる16%まで引き上げるという明確な回答を得られるよう全力を尽くします。

なお、獲得目標に掲げている再任用職員や会計年度任用職員の切実な要求も継続協議とし、2月21日の交渉に向けて前進をめざしています。自治労都本部統一の獲得目標以外で、30日の交渉を通し、いくつかの内容を労使合意しています。とりわけ会計年度任用職員の時間外勤務手当の支給を原則化できたことは大きな前進です。

       ◇        ◇

2月21日の交渉に向けては市長や副市長らが、2026年度からの地域手当16%の確約をはじめ、組合の切実な要求に一つでも多く前進した回答を示していただけることを心から願っています。最後に、これからも組合員の一人として在籍していけるのであれば、組合の活動で何かお役に立てるようなことは下支えできればと思っています。

| | コメント (2)

2025年2月 1日 (土)

10時間を超えたフジテレビの記者会見

前回記事「混迷を深める兵庫県政」の冒頭、トランプ大統領の就任やフジテレビの問題など時事の話題が目白押しな中、私にとって兵庫県に絡むニュースが最も関心の高いものとなっていることを伝えていました。そのような傾向は変わっていませんが、フジテレビの問題も見過ごせなくなっています。

前回記事の最後には「余談ですが」とし、フジテレビ労働組合の80人ほどだった組合員数が500人を超えたという興味深い話を紹介していました。勤めている職場で不安や不満が高まったことで、労働組合の存在感が高まった証しだろうと思っています。長く組合役員を務めてきた一人として、そのように頼ってもらえていることを好意的にとらえています。

現在、ネット上ではフジテレビの問題を伝えるサイトを数多く目にすることができます。SMAPのリーダーだった中居正広さんによる女性トラブルの問題がフジテレビの経営を揺るがせています。社長らによる最初の記者会見がクローズで、動画の撮影さえ拒んだことが激しい批判にさらされました。

一転して月曜午後4時から始まった記者会見はフルオープンで、1回の休憩をはさみながら時間無制限だったため深夜まで及んでいました。視聴率は13%を超え、世間からの関心の高さがうかがえました。私自身も生中継を視聴していましたが、さすがに最後までテレビ画面の前にいた訳ではありません。

翌朝、起きてから終了時刻が2時半近くだったことを知り、たいへん驚きました。その異例な長さとともに記者会見のあり方など、いろいろ考えさせられる点が多くあります。まずフジ報道局編集長、10時間超の会見に「自業自得」と自社をバッサリ  参加したジャーナリストにも「何らかの問題がある」と警鐘も』という見出しの付けられた記事を紹介します。

元タレント中居正広氏と女性とのトラブルを巡り、フジテレビ社員の関与が報じられた問題で、フジの港浩一社長らが27日午後4時から、記者会見を開いた。191媒体、473人が参加 した会見は午後4時から、休憩を挟み日付をまたいで午前2時23分、所要約10時間23分で終了した。フジテレビでは会見を全て中継。終了後には総括するコーナーが約8分放送された。青井実、宮司愛海の両アナウンサーに加え、平松秀敏・報道局編集長も出演した。

平松氏は10時間を超えた異例のロング会見について、「私、フジテレビの人間なので、フジテレビの人間としてコメントすると、やっぱりこの10時間を超える記者会見っていうのは、本当長いですけど、これはもうフジテレビの自業自得です」と自社をバッサリと切り捨てた。参加者を制限するなどした17日の会見が原因で「想像以上に注目され、多くのメディアが集まって、これぐらい紛糾するような記者会見になった」というのがその真意だった。

一方で一人のジャーナリストとしての感想も加えた。「一つの話題の記者会見が10時間を超えるっていうのは、これはね、健全じゃないです」と語り、怒号を飛ばしたり、何分も「演説」をする質問者がいた状況をチクリ。「今回、フジテレビも悪いですけれども、参加したジャーナリストにも何らかの問題があるんじゃないかと私は思います。今後こういうことが続いていくんじゃないかなっていう気はします」と警鐘を鳴らしていた。【スポーツ報知2025年1月28日

リアルタイムで視聴した私自身の印象をいくつか書き添えていきます。フジテレビの社長らは本当に長い時間、激高することなく、対応されたことに敬意を表しています。ただ明確に説明できない内容が多く、歯切れの悪い答弁も目立ち、全容の解明が近付いたかというと到底そのように至っていません。

このあたりを強い口調で追及する記者が多く、上記の記事の中で参加したジャーナリストに苦言を呈していますが、私も同様な問題意識を抱いています。もう一つフジ記者会見、識者の見方…「80年代のノリのまま」「外資納得しない」「社長交代時期も疑問」』という読売新聞の記事も紹介します。

元タレントの中居正広さん(52)の女性トラブルにフジテレビ社員が関与したと一部週刊誌で報じられた問題で、同社は27日、東京都港区の本社で記者会見を開き、嘉納修治会長(74)と港浩一社長(72)がいずれも同日付で引責辞任したと発表した。港氏は記者会見で「人権侵害が行われた可能性のある事案に対し、社内での必要な報告や連携が適切に行われなかった。私自身、人権への認識が不足していた」と謝罪した。

識者はこの記者会見をどう見たか。危機管理コンサルタントの石川慶子氏の話「記者会見の参加人数や時間を制限しなかったことは前回よりも改善された。しかし社内で問題が発覚した時点で担当部署に情報を共有しなかった理由など、経営陣としての判断の誤りや再発防止策について説明が尽くされず、形だけ整えた印象だ。このタイミングで社長を交代させたのも疑問。嘉納会長と港社長は辞任を表明したうえで、責任を持って対応に当たるべきだったと思う」

トレンド評論家の牛窪恵氏の話「会見では人権を守るべきだと強調していたが、1990年代にセクハラ防止の配慮義務が企業に課され、2020年にはパワハラ防止法が施行されており、一般企業に勤める視聴者からはあまりに時代遅れに映る。会見や問題への対応も含め、対ハラスメント意識が更新されていない企業風土が垣間見える。日枝久氏の責任に踏み込んだ言及はなく、残念ながら外資の株主が納得するとは思えない」

立教大の砂川浩慶教授(メディア論)の話「社長や会長辞任などの人事の発表と、17日の会見が失敗だったという話だけで、何のための会見なのか分からなかった。問題の根本には、日枝氏が40年以上フジテレビを支配し、1980年代のノリのまま、女性の人権が軽んじられてきたことがある。そこから出直すんだという決意表明がなければ、スポンサーも視聴者も納得できない」【読売新聞2025年1月28日

記者会見の後、週刊文春は最初の報道内容の一部を訂正していたことを明らかにしています。中居さんと女性とのトラブルがあった日、フジテレビ社員が直接関与していなかったという事実関係です。それではフジテレビが今回の問題に無関係なのかと言えば、そうならないことも確かだろうと思っています。

そもそも社員だった女性が中居さんとのトラブルについて会社の上司に相談していながら適切な対応をはかれていなかった点、重大な加害責任のある中居さんを様々な番組で起用してきた点、このような事実関係に対する責任がフジテレビに問われていることも間違いありません。ITジャーナリストの本田雅一さんが中居問題をフジを揺るがす大騒動に発展させた“コタツ記事”の威力』という記事の中で次のように語っています。

フジテレビ幹部は「A氏の関与はあり得ない」「X子さん本人の希望により少人数での情報共有にとどめ、プライバシーに配慮した」と、ある面で当事者として確実な情報を持ち、第三者ではあるものの中居氏とX子さんのトラブルも把握、和解をしている中で(トラブルそのものに対しては第三者である)、週刊誌報道に対するフジテレビとしての立場を説明しようとした。

これが最初のフジテレビ・港社長の記者会見だった。この会見内容が伝えられると、すぐに確証バイアスとエコーチェンバー効果で“フジテレビの罪は明らかだ”と考える人たちが、一斉に非難し始めたのは当然の成り行きと言えるだろう。フジテレビの現状認識や問題意識、ネット世論を形成する歪んだ事実認定の乖離は大きく、巨大メディア企業が“女性個人”や“個人事務所所属のタレント”を押しつぶし、何かをもみ消しているかのように映ったに違いない。

もし、フジテレビがネットコミュニティから見えている景色を少しでも理解できていれば、記者会見の結果は大きく違っていただろう。和解内容は守秘義務であり、それまでの社内調査や聞き取りもすべてを公開できるわけではない。そこには“外部からは見えない正当性”があったはずだ。法的なリスクを優先して「説明不能な沈黙」を選んだ結果、「隠蔽の確信犯」と誤解されるリスクを軽視してしまった。

昨年12月、この問題が発覚した後、フジテレビ側の危機意識の乏しさが初動対応を誤り、スポンサー離れによる経営危機を招いています。もし最初の会見をオープンな場とし、フジテレビの組織としての至らなかった点を率直に認め、その致命的な責任を取るため社長らが辞意を表明していれば、ここまで激しい批判にさらされていなかったのかも知れません。

いずれにしても今回のフジテレビの一連の対応は反面教師とすべき点が多々あるように受けとめています。最後に「フジ社長と中居正広」は消えるべきだったのか…「文春報道」を前提に袋叩きにしてきたネット民が向き合う現実』という記事の中で、 情報法制研究所事務局次長・上席研究員の山本一郎さんが次のように指摘していることを紹介します。

確かに、中居正広さんと被害女性の間で男女関係の何らか大きい問題があって、9000万円の示談金らしきものが提示されて解決したようだ、という緩い事実公表が発端なのです。当事者同士で具体的な内容は一切開示されておらず、途中中居さん側が「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」とオウンゴール、さらに問題が大きくなってから「芸能活動を永遠に引退」とさらにオウンゴールして、周りにアドバイスしてくれる人がいないんだろうなって話が際立っていたぐらいでしょうか。

それが、なぜかフジテレビだけでなく放送業界全体の「#metoo運動」みたいになったはいいけれど、確実な性接待の事実関係や組織ぐるみの指示や報告も一切出ない中で、お気持ちとして「テレビ業界けしからん」ってなって、広告が全部止まり、株主から怒られ、程度の低いジャーナリストから会見で「日枝久出てこい」とか煽られ、正直どういうことなんでしょうかねえ、これは。

女性が望まない宴会の席に組織からの指示で強引に連れて来られて性接待されたって話が具体的に出てきているわけではない中で、緩い疑惑のレベルで会社が潰されそうなフジテレビの問題については、やはりみんなもうちょっと冷静になろうね、っていう気持ちしか抱きません。はい。

| | コメント (0)

« 2025年1月 | トップページ | 2025年3月 »