『賃金とは何か』を読み終えて
前回記事は「混乱と分断が続く兵庫県政」でした。『「私が隠し録音やりました!」非公開の証人尋問音声を流出させた増山兵庫県議…狙いは告発者貶め反転攻勢か?〈維新県議3人が立花氏に協力〉』という報道など、日を追うごとに新たな事実や疑惑が伝えられてきます。また機会を見ながら兵庫県政に関わる話は取り上げていくことになるはずです。
今回は定番化している「『〇〇〇』を読み終えて」というタイトルを付けた新規記事を投稿します。東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の締切が間近だったため、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めていました。
これまで『足元からの学校の安全保障 無償化・学校教育・学力・インクルーシブ』『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命』『会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義』『公営競技史』『承認をひらく』『官僚制の作法』 を紹介し、次号は濱口桂一郎さんの著書『賃金とは何か』を取り上げます。
それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」「『官僚制の作法』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。
季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありませんが、先にブログ記事をまとめ、その内容を入稿用の原稿に移しています。ちなみに毎回、3000字以上書き込んだ長文ブログを1300字程度の原稿に絞るこむ作業に頭を悩ましていました。
いつものとおり本題から外れた前置きが長くなって恐縮です。『賃金とは何か』の副題には「職務給の蹉跌と所属給の呪縛」という少し難解な言葉が掲げられていますが、本文の内容は「ですます調」で読みやすいものとなっています。リンク先の著書の紹介文は次のとおりです。
日本の賃金制度は、どのように確立されてきたのか。ベースアップや定期昇給とは何か? そもそも賃上げなのか? 今日の大きな政策課題となっている「賃金」について、「決め方」「上げ方」「支え方」の側面から徹底検証。上げなくても上がるから上げないので上がらない日本の賃金――その仕組みとは。今後の在り方を議論するための、基礎知識を詰め込んだ必携の書。
著者の濱口桂一郎さんは労働政策研究・研修機構労働政策研究所長を務められています。2005年11月から「EU労働法政策雑記帳」というブログも続けられています。「公務員のためいき」も同じ年の8月から始めていました。当ブログにコメントを投稿された方から濱口さんのブログを紹介いただき、それ以来、ずっと拝見しているサイトです。
このブログは労働組合の役員という立場で発信していたため、たびたび濱口さんの記事内容の一部を当ブログの中で紹介していました。濱口さんの著書『新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ』も読み、非正規労働者の歴史や現状の問題点などを取り上げてきました。
このようなご縁がある中、濱口さんの新書『賃金とは何か』は読売新聞夕刊の「解題新書」など、いろいろな媒体で取り上げられていたため、私自身が担当している連載記事でも紹介させていただくことになりました。
濱口さんは著書の最後に「賃金の世界は複雑怪奇な仕組みが縦横に入り組んでいて、うかつに議論を始めると大抵錯綜の極みに至ります」と語っています。職務給導入や最低賃金の引き上げなどが政治の場で注目を集める中、戦前戦中に遡って歴史的経緯を詳しく解説することで、今日のもつれた議論を解きほぐし、議論の見通しをよくしようという意図で書き綴ってきたと説明しています。
そして「ちっぽけな本ですが、賃金に関わる人々、賃金に関心を持つ人々の何かの役に立てれば幸いです」と結んでいます。著書の「おわりに」に書かれた言葉を最初に紹介することになりましたが、このような濱口さんの問題意識が貫かれた内容だったように理解しています。
私自身、長く労働組合の役員を務めていながら、この著書を手にしたことで改めて認識を深めた考え方や意味合いなどに触れる機会となっていました。その一つが「定期昇給があるから日本の賃金水準は抑えられてきた」という考え方です。
このブログの以前の記事「定期昇給の話」の中で、新卒採用から定年退職までの長期雇用が保障され、年功で賃金が上がっていくシステムは決して企業の温情ではないことを伝えていました。企業の教育訓練投資の成果である熟練労働者を重視し、年功賃金と退職金制度は熟練労働者を企業に縛りつける仕組みでした。
労働組合の立場からは、生活給という位置付けで定期昇給をとらえ、子どもの教育費など人生の支出が増える時期に比例し、賃金が上がる年功給を合理的なものだと考えていました。スキルアップと生活の変化に対応しながら、働く側にとっては安心して将来の生活設計を描けます。
経営側にとっては帰属意識の高い人材を安定的に確保し、企業内教育を通じた労働生産性の向上がはかれるため、労使双方にメリットがある仕組みだと評価してきました。このような日本型雇用の仕組みはメンバーシップ型社会と呼ばれています。雇用契約に具体的な職務内容が記載されず、組織に所属しているかどうかが基本となっています。
一方、日本以外の社会では、労働者の遂行すべき職務が雇用契約に明確に規定されています。ジョブ型社会と呼ばれ、賃金は職務に基づいた固定価格制です。ジョブ型社会における団体交渉や労働協約は、職種や技能水準ごとの賃金水準を企業の枠を超えて設定するものであり、ベースアップ交渉などは数年ごとに大規模に取り組まれています。
メンバーシップ型社会では、企業ごとに組織された労働組合が団体交渉を通じて労働協約を締結します。ただし、この協約は社員一人ひとりの賃金を直接決定するものではなく、企業全体の総額人件費の増加額を交渉する仕組みです。
リンク先の著書の紹介文に「上げなくても上がるから上げないので上がらない日本の賃金」という禅問答のような言葉があります。この言葉の意味を理解するためには定期昇給の本質的な仕組みや日本社会で根付いてきた背景を押さえなければなりません。
定期昇給は賃金体系を固定したまま労働者の新陳代謝を基本としているため、長期的には労務費の増大をきたさないと見られています。賃金表の最上段の労働者が離職し、その代わりに最下段に新しい労働者が入り、人件費総額は内転して常に一定であるという見方です。
ベースアップは賃金表それぞれの数字を増額させることであり、労務費総額の増大に直結していきます。そのため、日本の経営側はベースアップの代わりに定期昇給を唱道してきた経緯があります。
しかしながら労働組合側は当然の権利として定期昇給に加えて毎年高率のベースアップを要求し、実現させてきました。高度経済成長期、バブル経済の時代まで個人的な定期昇給とベースアップによって、日本人の賃金水準は右肩上がりでした。
1990年代以降「ベアゼロと定昇堅持の時代」に入り、個々の労働者(正社員)の目には自分の賃金が毎年上がっているように見えても、全体では全然上がっていないという「失われた30年」につながっていきます。
ジョブ型社会ではベースアップを要求し、実現させていかなければ1円も賃金は上がりません。日本の場合、ベアがなくても(上げなくても)、定昇があるから(上がるから)、ベアを見送り(上げないので)、結果として日本人全体の賃金水準は据え置かれる(上がらない日本の賃金)、このような関係性を濱口さんは風刺的に表現されていました。
日本人の年収が諸外国に比べて下位に位置付けられるようになった背景として「定期昇給があるから」という考え方に触れ、この著書を読んで驚いたことの一つでした。濱口さんは著書全体を通し、賃金について「決め方」「上げ方」「支え方」の側面から徹底検証されています。
賃金の「支え方」として最低賃金制度があり、最近の動きとして公契約条例の制定などを濱口さんは取り上げていました。このブログでも過去に「公契約制度の改革って?」「『鉄の骨」』と公契約条例」という記事を投稿しています。
「上げ方」は労使による団体交渉を重視されています。著書の中で、北欧諸国には法定最低賃金制度がないことを伝えています。組織率80%を超える労働組合が自らの力で賃金を支え、「国家権力の力を借りなければ賃金を支えられないなどというのは労働組合として恥ずかしいこと」という気概が紹介されていました。
翻って、メンバーシップ型の日本の場合、企業経営を圧迫するような要求が困難視される状況もあり、前述したとおりベアゼロの時代が長く続いてしまいました。ここ数年、官製春闘と呼ばれがちですが、政府から経営側に賃上げを要求し、ベースアップが実現するようになっています。
さらに岸田政権の時、成長戦略の一環とした労働移動の円滑化に向け、従来の年功賃金からジョブ型の職務給中心のシステムに見直すという政府の方針が示されています。このような動きを受け、濱口さんが『賃金とは何か』の上梓に至ったことは前述したとおりです。
ジョブ型とは何か、定期昇給の本質的な仕組みなど、少しでも正しく理解した上で今後の賃金制度議論につなげて欲しい、このような濱口さんの思いを感じ取った著書でした。また、直接的な言葉は見受けられませんでしたが、日本の労働組合に対する叱咤激励が込められた内容だったようにも思っています。
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