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2025年1月25日 (土)

混迷を深める兵庫県政

このブログは毎週1回、土曜か日曜に更新しています。実生活に過度な負担をかけないため、20年近く続けているマイルールです。臨機応変、平日も情報発信しているSNSであれば『元兵庫県議の竹内英明氏自宅で死亡  斎藤知事文書の百条委元委員  SNSで中傷』という下記のニュースに接した時、憤りをすぐ表明していたものと思っています。

兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを告発する文書の真偽を解明する県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員だった元県議、竹内英明氏(50)が亡くなっていたことが19日、関係者への取材で分かった。自殺とみられる。関係者によると、18日夜、竹内氏の家族が同県姫路市内の自宅でぐったりしているのを発見。搬送先の病院で死亡が確認された。

竹内氏は、兵庫県の元西播磨県民局長(昨年7月に死亡)が作成した告発文書の内容を調べる百条委の委員だったが、昨年11月、一身上の都合を理由に県議を辞職。議会関係者によると、同月17日投開票の県知事選を巡って交流サイト(SNS)上で、誹謗中傷を受けたと周囲に相談していたという。竹内氏は平成15年に姫路市議に初当選し、19年6月の統一地方選で県議に転身。5期目途中で辞職した。 【産経新聞2025年1月19日

土曜に前回記事「年末年始に読み終えた書籍 Part2 」を投稿し、翌日の日曜に目にした衝撃的なニュースでした。前回記事を投稿する前に知っていれば、今回の記事タイトルのような内容に差し替えていたはずです。トランプ大統領の就任やフジテレビの問題など時事の話題が目白押しな中、私にとって上記のニュースが最も関心の高いものとなっています。

これまで当ブログでは、昨年11月17日に投開票された兵庫県知事選の後「兵庫県知事選、いろいろ思うこと」「兵庫県知事選、いろいろ思うこと Part2」という記事を投稿してきました。このような経緯や関わりがある中、今回のニュースに接し、取り返しのつかない悲劇が繰り返されたことに物凄い怒りを覚えています。

ただ報道のあった即日に投稿を控え、日数を置くことで感情が先走った内容を避けられるようになります。さらに新たな情報にも接していくことで、より俯瞰的な立場での記事内容につなげられます。条件反射、精髄反射し、頭に血が上っている段階でSNSで情報発信していた場合、憶測で他者を誹謗中傷するような言葉を使いかねません。

それこそ今回の記事を通し、批判すべき振る舞いを自分自身が犯しかねない事態もあり得ます。そのような意味で冷却期間を経て、週末に限って当ブログに向き合うことの利点も多々あるのだろうと考えています。

前置き的な話が長くなりましたが、今回の記事では兵庫県政に関わる様々な報道の紹介を中心としながら、個人的な思いは抑制的に書き添えていくつもりです。その上で、あくまでも批判すべきは個々人の具体的な言動であり、人格否定や誹謗中傷につながる言葉は厳禁としていかなければなりません。

「いったい何人が犠牲に」兵庫県政がらみでまた死亡者…百条委員務めた竹内前県議は「誹謗中傷に苦しんでいた」…訃報の後も「逃げた」と攻撃が続く』『立花孝志氏「逮捕が怖くて命絶った」と投稿も兵庫県警は完全否定  竹内元兵庫県議の死亡』『兵庫県百条委メンバーの前県議が死亡、ついに3人目の犠牲者…斎藤元彦県政「誹謗中傷」放置の罪深さ』『兵庫県議死去で「百条委員会委員長」が明かした無念…N国・立花孝志氏の“デマ”と斎藤元彦知事の“我、関せず”に覚える強い憤り

竹内英明前県議が自死に追い込まれるまでの詳細は上記のような一連の記事によって把握できます。事実関係として、NHKから国民を守る党の立花孝志党首による執拗な個人攻撃がなければ悲劇は起こり得なかったように理解しています。自死した元県民局長らに対する激しい攻撃と同様、事実をねじ曲げた批判が多いことに慄然としています。

兵庫県警が即時に否定したとおり竹内前県議の自死した理由まで身勝手な言い分を繰り出していました。その立花党首のSNSによる情報発信が広く伝播し、主に斎藤元彦知事を擁護する人たちに大きな影響を与え、極めて理不尽な誹謗中傷にさらされた犠牲者の一人が竹内前県議だったと言えます。

知事選後も誹謗中傷が止むことはなかった。政治家としての批判であれば、竹内氏のみに届けばいいことだ。だが、それが家族に及んだことで、竹内氏は病んでしまった。知人が続ける。

「竹内さんは県議として、斎藤知事のおかしいところを議会で追及しました。そのきっかけとなった、告発文書を書いた県民局長が亡くなったことが『悔しい』と。彼は県議として5期目でしたから、以前から県民局長が人望のある人物であることを知っていたようです。

不倫の噂もあったけど、竹内さんは『そんな噂話は告発文とは無関係だから触れちゃいけない』と気を遣っていたんです。しかし、立花は『県民局長は10人と不倫』などのデマを流布した。県民局長が亡くなったことはもちろん、そういうことにも竹内さんは心を痛めていたんです」

事実を批判するのとデマで冒涜するのとは次元の異なる話だ。デマで聴衆を煽って誹謗中傷に走らせるような人は、政治家などすべきではない。

上記はディリー新潮の記事『自死した「兵庫県議」が漏らしていた「立花に恐怖を感じている」の意味  当の立花氏は「自ら命を絶つような人は政治家しちゃいかん」』の最後に掲げられている一文です。私自身の憤りの矛先は、このような立花党首の振る舞いに対してであり、同じような悲劇を二度と繰り返さないための手立ての必要性を痛感しています。

もう一人、斎藤知事に対する憤りも隠せません。元県民局長の自死も、斎藤知事があの時、こうしていれば防げたのではないかという局面の多さに忸怩たる思いを強めています。それにも関わらず、立花党首との関係性も含め、斎藤知事の当事者意識の欠けた振る舞いにたいへん失望しています。

元県民局長の弔問にも、まだ行っていないと記者会見で答えている「冷徹」な斎藤知事。竹内氏死亡を受けて「尊敬していた方で、ショックだ」と弔意を示した。しかし、立花氏のSNSなどについて「誹謗中傷する投稿をやめさせたりしないのか」と聞かれた斎藤知事は、「理性的な発信を」と述べたにすぎなかった。 

「すべての問題の根源が斎藤知事にあることは明白です。しかし呼びかけることもなく、何も行動を起こさず静観するばかり。もし警察や検察から捜査となれば、また死人が出るのか? こんな状況では県民のために責任ある仕事はできない。優勝パレードの告発が受理されたのだから、警察などの強制力で県を質してもらうしかない」(県職員)

上記は現代ビジネスの記事『【独自】「斎藤知事最大のスキャンダル」兵庫県がひた隠す衝撃のリストを公開…自殺県議が死の直前まで記者とやりとりした「寄付金額リスト」の全実名・全金額』の中の一文です。紹介されている県職員の言葉のとおり兵庫県政の混迷は深まるばかりだろうと懸念しています。

刑事的な責任を問われかねないパレード疑惑に関しては『〈ついに“本丸”へ〉「捜査への熱意を感じた」パレード疑惑で兵庫県知事らに対する告発を県警が受理「元副知事はなぜ“集金ノルマ”をあいまいにしたのか」〈兵庫県政大混乱〉』という集英社オンラインの記事が最近の動きを伝えています。

さらに集英社オンラインの記事で『「SNS監修はPR会社にお願いすることに」神戸市議が暴露した決定的証拠のLINEは警察にも持ちこまれていた…その意図とは?〈兵庫県政大混乱〉』という見出しを付け、公職選挙法違反の疑惑に関わる新たな情報も伝えています。

混迷を深める兵庫県政、自治体職員という立場からたいへん憂慮しています。組合役員を務めていた立場からはパワハラの問題に対し、労使関係を通したチェック機能を発揮できなかったのかどうかという悩ましさを感じています。余談ですが、フジテレビ労働組合の80人ほどだった組合員数が500人を超えたという興味深い話も最後に紹介させていただきます。

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2025年1月18日 (土)

年末年始に読み終えた書籍 Part2

前回記事は「年末年始に読み終えた書籍」でした。年末休暇に入る前『救国ゲーム』、ブックオフで購入した『拘留百二十日』『“安倍後”を襲う日本という病』『情報隠蔽国家』を年始休暇にかけて読み終えていました。その後、発熱に苦しみながらも休暇中に上中下巻に及ぶ『邯鄲の島遙かなり』を読み始めています。

前回「年末年始に読み終えた書籍」から話が広がり、いつものことながら長文ブログとなっていました。あと2冊、1回の記事で区切りを付けようと考えていましたが、無理せず、気負わず、「Part2」を付けた今回の新規記事につなげています。

まず『“安倍後”を襲う日本という病』です。作家の門田隆将さんと読売テレビのアナウンサーだった結城豊弘さんとの対談を中心にした内容でした。ブックオフで見かけたから手にしたと言えます。リンク先のサイトには、他の書籍に比べれば長めの次のような紹介文が掲げられています。

なぜ日本はこんな国になってしまったのか――。暗殺犯の思惑どおり、旧統一教会問題にすり替えられて大騒ぎのマスコミ。ついには、政治家と同教会の“接点"を探して魔女狩りに突入したあり得ない日本。門田隆将とテレビ界の名物プロデューサー結城豊弘が緊急提言。

日本では、たとえ自分と考え方や信条が違っていても、相手を尊重する精神がある。亡くなれば「神」となり、「仏」となるというのが日本の文化だからだ。だが「なんでも安倍が悪い」という、いわゆる“アベガー”たちと日本のマスコミは亡くなった安倍元首相に罵声を浴びせつづけた。ワイドショーは、完全にアベガーたちに追従。連日、暗殺犯の供述と、それをリークする奈良県警の掌で踊り狂った。

しかし、安倍政権は発足間もない2013年、悪質商法の被害者に代わり消費者団体等が損害賠償訴訟をできるようにした「消費者裁判手続特例法」を内閣提出の法律として成立させ、霊感商法に打撃を与えた。さらに2018年には、消費者契約法の一部を改正し、契約取り消しができる行為について、わざわざ「霊感等による知見を用いた告知」という項目を設け、「霊を用いて商売するやり方」を“狙い打ち"した。

だが、その詳細は報道せず、自らは旧統一教会の“広告塔"となりながら、魔女狩りに終始するマスコミ。地上波、新聞、週刊誌…すべてが自らの「役割を放棄」したのである。それほど問題なら、消費者裁判手続特例法ができた2013年以降、マスコミもジャーナリストも霊感商法その他をなぜ取り上げていないのか。そして野党はなぜ国会で問題にもしていなかったのか。あり得ない日本のありさまに欝々としている国民に送る痛快な1冊。

「『◯◯◯』を読み終えて」という記事タイトルとしていませんので、今回も書籍の内容はサワリのみの紹介にとどめていきます。『“安倍後”を襲う日本という病』の中で、門田さんは上記の紹介文に記されているとおり安倍元総理に対する批判を痛烈に反論しています。

その矛先はマスコミに向かい、統一教会、森友学園、加計学園の問題など、すべて的外れな批判であり、徹底的に安倍元総理を擁護する論調を展開しています。結城さんのほうは、もう少しフラットで、門田さんの断定調のマスコミ批判をたしなめるという場面も少なくありませんでした。

安倍元総理に対しては立場の左右を超えて、これほど評価が分かれる政治家は希少だろうと思っています。以前の記事「改めて言葉の重さ」の中で、人によってドレスの色が変わるという話題を紹介していました。見る人によって、ドレスの色が白と金に見えたり、黒と青に見えてしまうという話です。

安倍元総理に対する評価や見方も、人によって本当に大きく変わりがちなことを以前の記事の中で書き残していました。いみじくも次に読み終えた『情報隠蔽国家』は安倍元総理の言動を批判する箇所が目立った書籍であり、例示したドレスの色の話のとおり両極端な対比を興味深く受けとめていました。

警察・公安官僚の重用、学術会議任命時の異分子排除、デジタル庁による監視強化、入管法による排外志向、五輪強行に見る人命軽視……安倍・菅政権に通底する闇を暴く。最新の情報を大幅増補した決定版。

上記は『情報隠蔽国家』のリンク先の紹介文です。著者はジャーナリストの青木理さんであり、門田さんとの立場性の違いは際立っていました。私自身、青木さんの見方のほうに納得していましたが、そこまで決めた付けた批判を加えることはどうなのだろうかという箇所もありました。

僕が不愉快なのは、「本を読まない人、理詰めで考えない人」の特徴が、安倍首相の言説によく表れていることです。そういう人は権力者になってはいけない。(過去の)首相たちの中にも問題のある人はいたが、ここまで落ちてはいなかった。自民党全体が解体現象を起こし、保守政党が極右政党に向かったようです。

『情報隠蔽国家』の中で、作家の保坂正康さんの上記の言葉が紹介されています。この言葉を受け、青木さんは「私なりに噛み砕いていえば、かつてないほどの愚か者が権力の座に就いてしまっている、ということだろうか」とつなげています。安倍元総理を支持されている方々が読めば非常に憤慨する見方だろうと思っています。

もう一つ『“安倍後”を襲う日本という病』と『情報隠蔽国家』に掲げられている内容の興味深い論点の対比があります。核兵器の廃絶を訴えて運動されている方々が、日本を「丸裸」にして相手が手を出しやすい環境にこの国を置く、このような論調で門田さんは語っています。

日本には「中国の指令を受けて中国のために動いている勢力」、いわゆる媚中派が想像以上に多い、具体的な事例や根拠を示さず、門田さんはそのような見方を示しています。『情報隠蔽国家』には公安調査庁の報告書「内外情勢の回顧と展望」の中の次のような一文が紹介されています。

「琉球独立」を標ぼうする我が国の団体関係者などとの学術交流を進め、関係を深めている。背後には、沖縄で中国に有利な世論を形成し、日本国内の分断を図る戦略的な狙いが潜んでいるものとみられる。

この一文に対し、青木さんは「ネトウヨレベルの馬鹿げた“分析”である」と批判し、「このような理屈がまかりとおるなら、政治にせよ経済にせよ文化にせよ、およそ中国との交流を持つ者はすべて“中国の戦略的狙い”に乗せられていることになってしまう」と続けています。

両極端な見方がある中、最近の石破総理は「安堵した様子」自民・公明両幹事長、訪中を総理に報告  今後の日中交流に一つの方向性』という動きに対しても賛否が混在しているのだろうと思っています。私自身は政治家レベルで日中交流が深められていくことを肯定的にとらえています。

年末に投稿した記事「『戦雲』から平和を願う2024年末 」の中で、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われているため、戦争に至る前の段階で「双方の言い分」に耳を貸していく外交努力の必要性を強く認識しています。立場性の違いから指摘すべきことは、しっかり物申していくことも欠かせません。

しかし、感情的な対立を引き起こしかねない物言いには注意していくことも必要です。外交の場面以外でも、例えば中国との距離感の違いから「媚中派」「ネトウヨ」などと決め付けた批判は慎み、それぞれの正しさを相手方に「なるほど」と思わせるような言葉の競い合いこそが求められているものと信じています。

最後に、まだ下巻まで読み終えていませんが、邯鄲の島遙かなり』にも少し触れます。著者は貫井徳郎さんで、明治維新から「あの日」まで、神生島に生きる一族を描く大河小説です。下記はリンク先に掲げられている中巻の紹介文です。

神生島に生きる一ノ屋の血を引く者には皆、イチマツ痣と呼ばれる同じ形の痣がある。しかしイチマツのような特別な男はめったに生まれない。椿油で財をなし、島に富をもたらした一橋産業の一橋平太は間違いなく「特別な男」だった。その平太が死んだ。跡を継いだ長男は、父が絶対に手を出さなかった軍需産業に進出し、島の造船所で駆逐艦建造に着手する。

駆逐艦建造を認められた際、海軍の造船大佐から「もし万が一、造船所が敵の攻撃を受けたとしても、離島ならば被害は島ひとつにとどまるじゃないか。こんないい立地はないだろう」と告げられ、イチマツ痣を継ぐ長男の「自分は考えが足りなかったのか、と微かな悔いが心をよぎった」という言葉で、その章は結ばれていました。

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2025年1月11日 (土)

年末年始に読み終えた書籍

9連休だった年末年始、予定の入っていなかった最後の3日間、数年ぶりの発熱で寝込んでいました。コロナ禍以降、ワクチン接種翌日、1回だけ37度を超えただけでした。5年以上、カゼにもかかっていませんでしたが、1月3日に38.8度まで上がっていました。幸い6日の出勤日には平熱まで下がり、年始休暇を延長しなくても済んでいました。

さて、前回記事は元旦に投稿した「2025年、画蛇添足に留意」でした。いつもお正月のみ変則な投稿間隔となっているため、このブログの入力画面に向かうのは久しぶりです。新規記事の題材はいくつか頭に浮かんでいましたが、結局「年末年始に読み終えた書籍」というタイトルを付け、時事の話題に絡めながら個人的に思うことを書き進めていきます。

年末休暇に入る前『救国ゲーム』という文庫本を読み終えていました。著者は結城真一郎さんです。リンク先の紹介文のとおりミステリ小説仕立てとなっていますが、限界集落の問題をはじめ、過疎化が進む地方と都会との関係性など現在の日本の課題を真正面から切り込んでいる物語でした。

“奇跡"の限界集落で発見された惨殺体。その背後には、狂気のテロリストによる壮絶な陰謀が隠されていた。否応なく迫られる命の選別、そして国民の分断――。最悪の結末を阻止すべく、集落の住人・陽菜子は“死神"の異名を持つエリート官僚・雨宮とともに、日本の存亡を賭けた不可能犯罪の謎に挑む。

今回「『◯◯◯』を読み終えて」という記事タイトルとしていません。したがって、年末年始に読み終えた書籍のサワリのみの紹介にとどめていきます。もし関心を持たれた方はリンクをはった先のサイトで詳細をご確認くださるようお願いします。

ちなみに『救国ゲーム』の中では、ドローンや自動運転車両などIT技術の活用が地方再生の実践例として描かれています。初代の地方創生大臣を務めた石破茂総理は人一倍、地方再生・創生という課題に対する思い入れが強いようです。年頭の記者会見では『地方創生2.0を強力に推し進めていく」という決意を語っています。

ただ作家の山田順さんからは『石破茂首相の年頭宣言「地方創生2.0」「令和の列島改造」の評判最悪。これでは地方はさらに衰退する!』と手厳しい評価を下されています。「政府機関の地方移転」「都市部の企業の地方移転促進」など目新しい目玉政策が乏しく、「列島改造」という言葉には時代錯誤という批判の声も上がっています。

山田さんは論評の最後のほうで「もはや人口減は、どんな手を打っても防げない」とし、「地方創生」より「地方安定」をめざし、維持できない公共インフラや行政サービスは切り捨て、人口の中核都市への「集住」をはかり、スマートシティ化コンパクトシティ化を急ぐべきと提起しています。

山田さんが提起するような「答え」しか残されていないのかどうかは分かりません。今後の地方再生・創生のあり方に向けて『救国ゲーム』も大きな問題提起を包み込んだ書籍でした。「正解」は容易に見出せづらいのかも知れませんが、山田さんが指摘する下記のような誤った政策判断は即刻見直していくことも欠かせないはずです。

ふるさと納税というのは、じつは全国規模で見るとまったく意味のない税制だ。このワースト5にあるように、大きく税収を減らしている自治体があるからだ。つまり、本来どこかの自治体に入るはずの税金がほかの自治体に移るだけで、全国規模での税額はほぼ変わらない。

しかも、そこから返礼品や事務処理費用が差し引かれてしまうので、ある意味で、無駄な支出が増える。また、返礼品に指定された業者だけが儲かり、同地域の他の業者は疲弊する。公平な市場競争が失われてしまう。

前半から中盤にかけて、いろいろ予定も入っていましたが、やはり9連休ということもあり、久しぶりにブックオフで3冊購入しました。『拘留百二十日』『“安倍後”を襲う日本という病』『情報隠蔽国家』の3冊です。これまでも幅広い立場性の著書のハードカバーは専らブックオフで手に入れていました。

読み終えた順番に並べていますが、真っ先に読み始めたのは『拘留百二十日』でした。検察を揺るがした「大阪地検フロッピーディスク証拠改竄事件」に際し、特捜部長だった大坪弘道さんが犯人隠避の容疑で逮捕されました。この書籍は一貫して無実を訴えた大坪さんの獄中手記です。

2011年12月に出版された書籍ですが、問いかけられている検察に関わる深刻な課題は決して断ち切れていない現状です。昨年末『最高検“袴田さんを犯人だと決めつけたかのように自白求めた”』という報道のとおり最高検察庁は「犯人ありき」とした不当な取り調べの問題性などを認め、無罪が確定した袴田巌さんに改めて謝罪しています。

もし袴田さんの死刑が執行されていた場合、取り返しの付かない司法の大失態でした。これまで無実だったのにも関わらず、冤罪の汚名を着せられたまま命を奪われた方々がいなかったとは誰も断言できません。たいへん恐ろしいことです。死刑制度を巡る賛否は分かれがちですが、せめて本人が再審を求めている段階での執行は見合わせるべきだろうと思っています。

『拘留百二十日』の中で取り上げられている厚労省の村木厚子局長事件での捜査も「検察のストーリーありき」のもと、あげくの果てに証拠を改竄するという不祥事を引き起こしています。その部下から「手違いでデータを変えてしまった」と報告を受けていたため、大坪さんは犯人隠避という容疑を否認し続けました。

それまで取り調べる側だった大坪さんが、厳しく取り調べられる側に置かれ、検察権力の恐ろしさや理不尽さを赤裸々に綴った書籍です。この書籍の中で、容疑を認めない限り、保釈が容易ではない現実を詳しく伝えています。いわわる「人質司法」と批判されている問題です。

いみじくも昨日『角川歴彦氏「人質司法は人間の尊厳をけがす」2億円国賠訴訟の第1回口頭弁論で声を震わせ』という報道に接しています。KADOKAWAの角川歴彦元会長は意見陳述で「無罪を主張すれば仕打ちを受けるというのは、法律に反する」と強調しています。

7か月余にわたった勾留期間中、心臓に持病があったにも関わらず、かかりつけ医への通院が許されず「生きるために最低限の医療すら受けられなかった」と振り返った上で、「人質司法は人間の尊厳をけがし、基本的人権を侵害するものだ」と声を震わせていました。

口頭弁論後の記者会見で、代理人弁護士らは「明らかに恣意的な勾留。罪を認めないことへの報復だ」と批判し、「人質司法を改めるよう問題提起する訴訟は初めてとみられる」と説明しています。さらに「人質司法は日本の刑事司法の闇の部分。裁判所の判断に注目して欲しい」と語っていました。

否認すれば身柄拘束が長引くとされる「人質司法」は、最高裁がまとめた統計資料にも表れている。2023年に全国の地裁であった刑事裁判で、起訴後1カ月以内に保釈された被告の割合は、起訴内容を認めた場合は23.4%だったのに対し、否認した場合は8.3%と大幅に下がり、無罪を訴える被告の9割が勾留されていた。

このような現状を憂慮し、思い起こすのは大川原化工機の社長らが軍事転用可能な機械を中国などに不正輸出した疑いで逮捕、起訴され、1年以上も勾留されていた事件です。幹部3人のうち1人は、勾留中に見つかった胃がんで亡くなっていました。

治療を理由に保釈請求しましたが、検察側は「証拠隠滅の恐れがある」と反対し、裁判所も認めませんでした。がんが見つかった段階で適切な治療を施していれば延命できていたかも知れないと思うと、司法側の硬直した判断が本当に残念でなりません。

先日、この事件を巡って『警視庁捜査員ら3人不起訴  大川原化工機、虚偽文書作成容疑など―東京地検』という報道も目にしています。不起訴を受け、代理人弁護士は「犯罪の成否について裁判所の判断を仰ぐ機会が奪われるのは不当。検察審査会に審査を申し立てる方針だ」とのコメントしています。刑事告発した元役員は「納得がいかない。不起訴ありきで形式的に手続きが進められたのではないか」と憤っています。

年明けのNHKスペシャルでは『“冤罪”の深層〜警視庁公安部・内部音声の衝撃〜』というタイトルを掲げた番組で、大川原化工機の事件の生じた経緯や背景を伝えています。いずれにしても同じ過ちが二度と繰り返されることのない司法制度の確立に向け、過去の事件の真相究明や検証は徹底的にはかって欲しいものと願っています。

「年末年始に読み終えた書籍」から話が広がり、いつものことながら長文ブログとなっています。あと2冊、1回の記事で区切りを付けようと考えていましたが、無理せず、気負わず、次回以降に先送りさせていただきます。お正月の変則な投稿間隔から平常モードに戻りますので、次回の更新は来週の土曜か日曜となります。

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2025年1月 1日 (水)

2025年、画蛇添足に留意

あけましておめでとうございます。Hebi

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであり、せめてお正月ぐらいはイラストを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。

2005年8月にブログ「公務員のためいき」を開設してから1113タイトル目となります。必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で53点の記事を投稿しています。昨年12月には「気負わず、気ままに1100回」というメモリアルな記事を綴ることができていました。

その時にも触れていましたが、一時期に比べ、1日あたりのアクセス数は激減し、100件に届かない日が多くなっています。以前、Yahoo!のトップページに掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録です。その数字は突出していますが、最盛期は1日あたり千件ほどのアクセス数で推移していました。

SNSの中でブログ自体が斜陽化しています。さらにインターネット上の様々なサイトをスマホで閲覧される方が増えています。私自身労使の信頼関係について思うこと」という記事の中で触れたとおり一昨年4月、ようやく「スマホデビュー」を果たしました。

このブログを自分のスマホで閲覧した際、パソコン画面に比べ、よりいっそう文字ばかりのサイトであることに愕然(👤)としました。そもそも一個人の運営するマイナーなブログが文字ばかりで長文であれば、気軽にアクセスいただけなくなることも仕方ない流れだろうと思っています。

アクセス数の落ち込みとともに、お寄せいただくコメントの数も激減しています数年前までは一つの記事に100件以上寄せられる時が珍しくありませんでした。12年前の巳年、その頃の元旦の記事2013年、再生の年にには常連の方から早々に貴重なコメントが寄せられていました。

ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり一人でも多くの方にご訪問いただけることを願っています。特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。

そのため、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることがブログを続けていく大きな励みとなっていました。ここ数年、アクセスやコメントの数が減っている現状に一抹の寂しさはあります。それでも長年続けてきたスタイルを変えることなく、今年も自分自身の思うことを気ままに書き進めていくつもりです。

さて、今年の年賀状には【今年の春、また一つ、市職員としての大きな節目を迎えます。健康だから働き続けられる、働き続けられるから健康を維持できる、このような思いのもと「毎日が日曜日」は、もう少し先送りできればと願っています。ブログ「公務員のためいき」は引き続き週一回更新しています。今年も最新記事は年賀状仕立てとしています。お時間がある際ご覧いただければ幸いです】と書き添えています。

もともと個人の責任で運営してきたブログ「公務員のためいき」ですので組合の委員長退任後も継続しています。毎週、欠かさずブログを更新していくことは自己啓発の機会であり、さらに私自身の思いを不特定多数の皆さんに発信する場として背伸びしない一つの運動として位置付けています。

より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に触れていくことが重要であるため、このブログが多面的な情報を提供する場として受けとめていただけることを願いながら続けています。「答え」の押し付けではなく、このような見方もあったのかという多面的な情報の一つとして発信しています。

これまで元旦のブログ記事や年賀状には、その年の十二支にちなんだ諺を紹介してきました。ここ数年の年賀状は上記のとおり巳年(蛇年)に絡む話に触れていません。先月の記事「高齢者雇用の課題」の最後に「蛇足」として触れた近況を添えています。年賀状バージョンの新規記事を書き進める際、蛇に絡む諺や故事を改めてネット検索してみました。

巳年のことわざと意味!新年の挨拶に使える格言とは?』というサイトを訪問し、思った以上に多く紹介されていたことに驚いていました。「藪蛇」や「竜頭蛇尾」など馴染みの言葉が並ぶ中、恥ずかしながら「画蛇添足」という言葉を初めて知りました。「がだてんそく」と読み、次のように解説されています。

中国の故事成語で「余計なことをして物事を台無しにする」という意味です。由来は『戦国策』に記された話で、酒を巡る競争で蛇を最初に描き終えた者が、余裕から蛇に不要な足を描き加えた結果、蛇ではなくなり酒を飲む権利を失ったという内容です。

この話は「必要以上のことをしない」「シンプルさを重視する」ことの重要性を教えています。現代では、プロジェクトに余計な要素を加えて失敗したり、デザインで過剰な装飾が逆効果になるような場面で使われます。本質を見失わない冷静な判断や行動の重要性を示す言葉です。

この言葉を知り、今回の記事タイトルを「2025年、画蛇添足に留意」としています。昨年末『献体前でピース写真、ブログ公開の美容外科医に「免許剥奪」求める声、SNSで大反発…厚労省の見解は』というニュースに接しています。結局、不謹慎で軽率なSNSの投稿によって、美容外科医は勤務先の院長職を解任されるという致命的な事態に至っています。

まさしく「画蛇添足」な大失態だったと言えます。「兵庫県知事選、いろいろ思うこと Part2」の中で伝えたPR会社の代表も「画蛇添足」だったことを悔やんでいるのではないでしょうか。それぞれSNSに投稿しなければ良かったというものではなく、問題視すべき行為そのものは批判の対象になります。

当たり前なこととして、SNSに投稿できないような問題行動は日頃から厳禁です。その上で、誰もが閲覧できるSNSでの発言や情報発信には、いつも細心の注意を払っていかなければなりません。頻繁にSNSを活用される方々は、承認欲求が強いのだろうと見られがちです。美容外科医やPR会社の代表も、その傾向があったのだろうと思います。

20年近くブログを続けている私自身も、そのように見られているのかも知れません。前回記事「『戦雲』から平和を願う2024年末 」を投稿した後、私どもの組合の協力委員のライングループに「組合ニュースは字数の制約がありましたのでブログでも映画について取り上げています」と紹介していました。

年末休みに入った矢先の朝、このようなライン、たいへん失礼致しました。「画蛇添足」とまで思われていないはずですが、承認欲求からのアピールだと感じられているかも知れません。他者から認められたい」という気持ちが一切ないとは言い切れませんが、前述しているとおり「一人でも多くの方にご覧になって欲しい」という願いからの試みでした。

背伸びしない一つの運動として、前回記事の最後にほうに綴っている内容を多くの皆さんに伝えたい、そのような承認欲求を抱いています。年賀状で当ブログのことを毎年紹介しているのも同様な思いからです。今回の記事も相当な長さとなっていますが、改めて前回記事に綴った内容の一部を再掲させていただきます。

自衛隊の増強に反対することが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという図式を強調した場合、それはそれで言葉や説明が不足しがちだろうと考えています。中国や北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素がある中で「戦争は起こしたくない」という思いを誰もが抱えているはずです。

その上で、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いが人によって分かれがちです。中国や北朝鮮こそが軍拡の動きを自制すべきであることは理解しています。しかしながら「安全保障のジレンマ」という言葉があるとおり疑心暗鬼につながる軍拡競争は、かえって戦争のリスクを高めかねません。

脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。だからこそ戦争に至る前の段階で「双方の言い分」に耳を貸していく外交努力をはじめ、国連という枠組みの中での英知が結実していくことを心から願っています。

「標的の島」としないためにはミサイル基地を叩く力よりも、ミサイルを発射する「意思」を取り除く関係性の構築こそ実効ある安全保障政策の道筋だと考えています。2024年末、南西諸島の皆さんが戦雲に脅える必要のない平穏な日常を取り戻し、さらに国際社会の中で戦火が消えることを祈念しています。

2025年、このブログとの向き合い方をはじめ、日常生活全般にわたって「画蛇添足」には留意していきます。4月以降、ブログのタイトルが「元公務員のためいき」となるかも知れませんが、8月には開設してから20年という節目を迎えます。その節目も一つの通過点として、これからも毎週末の更新を重ねていくつもりです。

最後に、いつもお正月のみ少し変則な日程となっています。次回記事は再来週の土曜か日曜に更新する予定です。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

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