気負わず、気ままに1100回
前回記事は「高齢者雇用の課題」として、久しぶりに労使課題に関わる内容を扱いました。このブログ「公務員のためいき」を2005年8月に始めた際は、公務員バッシングという言葉をよく耳にしていた頃です。ブログのサブタイトルを「逆風を謙虚に受けとめながら雑談放談」とし、公務員やその労働組合役員の立場から様々な思いを発信してきました。
ブログを開設した切っかけは以前の記事「このブログを始めたイキサツ」の中で綴っていました。NHKと朝日新聞が「従軍慰安婦」関連番組への政治介入問題に絡み、真っ向から対立した報道を繰り広げていました。真実は一つでも、どちら側の報道内容に接するかどうかで、その真偽の評価や印象がガラリと変わっていました。
ちょうど世の中は大阪市役所の厚遇問題などで、公務員への厳しい視線や声が強まっていた頃でした。当然、公務員やその組合側も改めるべき点は即座に改める必要があります。ただ主張すべきことは主張する必要性を強く感じていた時、誰でも簡単にインターネット上で意見を発信できるブログと出会いました。
このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新間隔が定着しています。2012年の春頃からはコメント欄も含め、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わるようにし、現在に至っています。
2023年1月に「大きな節目の1000回」を投稿し、2年近く経ち、今回、記事タイトルに掲げたとおり1100回目を迎えています。訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知した上、これまで当ブログの更新回数が100を刻んだ時、次のような記事を投稿してきました。
- 2006年3月19日 多くの方に支えられながら101回
- 2007年9月 2日 逆風を謙虚に受けとめながら200回
- 2009年8月 2日 5年目の夏、そして300回
- 2011年7月 3日 400回、改めて当ブログについて
- 2013年6月 2日 500回という大きな節目
- 2015年5月 2日 2015年初夏、節目の600回
- 2017年4月 2日 節目の700回、今、思うこと
- 2019年3月16日 節目の800回を迎えて
- 2021年2月13日 コロナ禍で迎えた節目の900回
- 2023年1月15日 大きな節目の1000回
100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。
毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができています。毎回、節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。
前述したとおり実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、週末更新と決めたことが長続きできている秘訣だろうと思っています。「週刊」を習慣化できたことで、多忙な時期も、旅行と重なった週末も新規投稿を欠かさず、1100回までたどり着けているものと受けとめています。
元旦に新規記事を投稿しようと決めているため、年末年始だけ変則な投稿間隔となっています。2011年3月、東日本大震災の発生直後の週末も、ためらいながら「東日本巨大地震の惨禍」という記事を投稿し、被災された皆さんへのお見舞いの気持ちなどを表わしていました。
そのようにつながってきましたが、2019年3月1日に母が亡くなり、一度だけ新規記事の投稿を見合わせていました。母が亡くなった直後、とてもブログを更新する気にはなれませんでした。深い悲しみと落胆に沈み込んでいたことはもちろん、そのような時にブログに関わることの不適切さを感じていました。
再開した際の記事「母との別れ」は自分自身の気持ちの整理を付けていくための通過点とし、苦労を重ねてきた母親を偲びながら母と過ごした年月をずっと忘れないためにも初めて私的な内容を前面に出した記事を投稿していました。
これまで100回という節目で記事を投稿する際、次のような言葉を添えています。投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。加えて、健康上の問題や大きな天災などに直面した場合、自分自身の意欲や労力云々以前の問題としてブログの更新どころではなくなります。
そのような意味で毎回、節目の100回を刻むたび、そのメモリアルさとともに長続きできていることの意義をかみしめています。いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも多くの皆さんが訪れてくださるからであり、いつも心から感謝しています。
ただ以前に比べれば日々のアクセス数は激減しています。かつて1日あたりのアクセス数は1000件前後で推移していましたが、最近は100件に届かない日が多くなっています。その内訳も過去の記事へのアクセスが大半を占めています。 出入り自由な場としているコメント欄も閑古鳥が鳴いています。
新規記事を投稿しても、どれほどの方にご覧いただけているのか手応えが薄くなりがちな最近の当ブログのアクセス状況でした。そのような寂しさを感じ始めていた時、今年6月の記事「政治資金規正法改正の動き」「三多摩集中行進に参加」の冒頭で、このブログを続けていることの励みになる出来事を紹介できています。
宮城県本部の皆さんや自治労都本部の副委員長が引き続き「公務員のためいき」を注目くださっていることを知り、たいへん感激していました。連合宮城に勤務されている方からは「時には自分の挨拶の時などに、文面を拝借しているそうです」という恐縮する光栄なお話を報告いただいていました。
このブログでの発信を一つの運動として位置付けているため、私自身の思いや言葉がつながっていくことを大きな励みとしています。このようなやり取りがあった際、私からは「やめるのはいつでもやめられますので、できる限り続けていきます」という決意をお伝えしていました。今回の記事タイトルに掲げたとおり気負わず、これからも気ままに1200回をめざしていくつもりです。
ちなみにブログを長く続ける中で注意している点は、不特定多数の方々に見られることを常に意識した記事内容の投稿に努めるという心構えです。不確かな情報や知識での断定した書き方はもちろん、賛否が分かれる問題についても結論を押し付けるような書き方は極力避けるように努めています。
誰もが閲覧できるブログでの発言の重さをいつも念頭に置きながらパソコンに向き合っています。このような意味合いから週に1回の定期更新は自己啓発の機会であり、頭の老化防止のためにも何年か先に「元公務員のためいき」というタイトルに変えた後も、できる限り長く続けられればと願っています。
最後に、金曜の正午前、たいへん驚き、たいへん悲しい連絡を受けました。私が執行委員長を担っていた時、書記長を務めてくださった方の訃報です。53歳という若さで、突然のお別れとなりました。とても残念な知らせでした。心からご冥福をお祈りし、謹んでお悔やみ申し上げます。
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