『官僚制の作法』を読み終えて
前回記事「気負わず、気ままに1100回」の中では触れませんでしたが、高校生の頃まで希望する職業はマスコミ関係で、モノを書いて人に伝えるという仕事にあこがれていました。「大きな節目の1000回」の中では、大手の出版社から書籍を出すチャンスをいただきながら私自身の力不足から原稿をまとめ切れなかったことを伝えていました。
この時の望外な期待に応えられなかったことをずっと悔やんでいました。そのため、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の依頼を受けた時は二つ返事で引き受けています。1回あたり6千円ほどの報酬を継続的に得るため、規則に基づき兼業許可申請書を人事課に初めて提出していました。
これまで『足元からの学校の安全保障 無償化・学校教育・学力・インクルーシブ』『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命』『会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義』『公営競技史』『承認をひらく』と続き、次号では岡田彰さんの新著『官僚制の作法』を紹介します。
それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。
季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありませんが、今回の新規記事も「『官僚制の作法』を読み終えて」という記事タイトルのもと入稿する原稿内容を意識しながら書き進めていました。
霞が関を敵に回す橋本行革は、いかにして達成されたのか。省庁半減をめぐる攻防の中で、省庁の存亡にかかる対処方針は異なる。行革反対で組織防衛を図る省庁もあれば、行革をチャンスと権限拡充を目指す省庁もある。これに族議員や圧力団体も絡む。行革は複雑な政治過程の一環である。
本書は特に行革の「勝ち組」の総務省(自治省)、経済産業省(通産省)、財務省(大蔵省)を取り上げる。三省のしたたかな行革戦略がわかる。霞が関の省庁は一体ではない。霞が関は連合体であり、日本の官僚制は各省官僚制である。著者は関係者の証言や貴重な一次資料から橋本行革の経緯と意義を掘り起し、「省」とは何かを辿る。さらに全則2か条の総定員法の智慧、安倍・菅政権の官邸支配の錫杖を明らかにする。
上記はリンク先に掲げられている書籍の紹介文です。岡田彰さんのプロフィールは1945年生、1974年法政大学卒業、博士(政治学)、行政学、地方自治専攻とされ、主著に『現代日本官僚制の成立』などがある方です。今年5月に『官僚制の作法』が発刊された直後、都政新報にその書籍が紹介されていました。
関係者の証言や貴重な一次資料から橋本龍太郎政権時の行政改革、いわゆる橋本行革の経緯と意義を研究者の視点から伝える著書です。学術書ということもあり、普段であれば手を出せないような価格の書籍でした。都政新報の「橋本行革の分析だけに収まる書ではない」という冒頭の言葉にひかれ、手にしていました。
明治維新の後、天皇の官吏として整えられた戦前の官僚制、敗戦後にはGHQとの対峙、第一次と第二次にわたった臨時行政調査会による行革、橋本行革等を経ながら変遷してきた主要な省の役割や官僚らの作法が綴られています。政策研究アーティストの鈴木崇弘さんの論評「日本国のガバナンスの問題・課題そして今後を考える上での必読書『官僚制の作法』」では次のように紹介しています。
同書は、橋本行革の経緯と意義を軸に、明治維新以降の官僚制の生成から現在の官僚制までを、貴重な一次資料や関係者の証言などを基に、丹念かつ詳細に論じている。同書は、飽くまで優れた学術書であるが、日本という国家の近代から現在にいたるガバナンスとその構造の変遷をタペストリーのようなストーリーとして描いており、日本の官僚制の一大叙事詩となっており、非常に読みごたえがある。
そして同書は、日本は明治維新以降官僚機構を中心とする中央集権型の国家運営がなされたが、霞が関と呼ばれるその官僚機構は、実は一体的なものではなく、単なる連合体であるということを余すことなく示している。それはつまり、日本は、中央政府の官僚中心の国家であり、その官僚制は各省官僚制であり、「疑似国家」ともいえる異なる「省」の連合体というか連邦国家的な存在であるということを提示しているのである。
鈴木さんは「日本の官僚制の一大叙事詩となっており、非常に読みごたえがある」と絶賛しています。異なる「省」の連合体という見方は著者の岡田さんと共通した問題意識であり、「省益あって国益なし」と批判されがちな官僚組織のあり方です。岡田さんは著書の中で、なぜ、各省の「割拠主義」が徘徊するのか次のように説明しています。
法律では、省は国務大臣をその長に擁する「国の行政事務の第一義的に分配される単位」とされ、占領改革期にあっても従前の仕組みと運用が貫徹されてきたと説いています。さらに省ごとに採用し、年功序列による終身雇用システムが、省への帰属意識や忠誠心を涵養していると岡田さんは見ています。
かつて「政治は三流、官僚は一流」と評され、官僚が国家を運営する矜持を持ちながら政策立案で政治家をリードしてきました。特に大蔵省は強大な権限を持ち、予算編成権を掌握しているため、内閣のなすべき総合調整まで担っている関係性となっていました。官僚主導の弊害として、リスク回避のための作法として前例主義に陥り、迅速に新たな課題に対処できないと批判されがちです。
このような課題認識のもとに橋本行革は取り組まれ、省庁半減と政治主導への転換をめざしました。著書の中では、自治省が総務省、大蔵省が財務省、通商産業省が経済産業省、それぞれの内実を改めていく過程の攻防が詳らかにされています。
「橋本さんは大蔵省に対して一種の敵意を持っていました。大蔵省の権限を削減することに眼目に置かれていた」という生々しい証言も記されています。組織上、財政と金融は分離され、総理大臣のリーダーシップを発揮しやすいように内閣府や経済財政諮問会議を設置しています。
予算編成の流れは変わったかどうか、諮問会議を構想した橋本行革のブレーンの言葉が象徴的です。「武器は作ったけれども、それを使える人が出てくるかどうかが、一番肝心ですね。凡庸な総理は使いこなせるか、総理大臣の資質なんです」と語っていたことを著書の中で伝えています。
橋本行革で閣議人事検討会議を発足させ、各省の次官や局長等の幹部職員人事に政治が一定関与する道筋をつけました。その後、第二次安倍政権時に内閣人事局が設置され、官邸主導で幹部人事を決める体制が築かれています。しかし、岡田さんは、橋本政権と安倍・菅政権の姿勢、幹部人事の関与、行政と政権とのあり方は根本的に異なると指摘しています。
官邸主導から官邸支配まで進め、森友学園の問題で公文書改ざんなど政と官のバランスが壊れ「忖度」に官僚を走らせていると語っています。菅義偉元総理は、政策の方向性に反対する官僚には「異動してもらう」と公言していました。実際、ふるさと納税を巡り、課題を指摘した総務省の官僚が飛ばされそうになった事件もありました。
これまで政治主導のスローガンの下で、小選挙区制、党首討論、副大臣・政務官創設など英国モデルで進めてきました。その英国では「公務員の政治的中立性を尊重し、幹部公務員の人事への介入を自制する伝統があり、慣習として大臣は人事事項について基本的にすべて事務次官に委任し、これに介入しない」と著書の中に記し、岡田さんは日本の現状を憂慮されています。
官僚側からすれば是としてきた作法も、時代の移ろいの中で必要な見直しを受け入れざるを得なかったはずです。ただ見直した後の新たな仕組みも使い方を誤れば、もしくは使い手に問題があれば、望むべき成果からは程遠い現況に陥ることを痛感しています。『官僚制の作法』を読み終えて、そのような思いを強める機会となっていました。
最後に、その著書の中で「近年の愚策の代表はアベノマスクだが、失政・失策は表ざたを避ける、内々に処理するなど閉鎖的な対処がなされ、一連の政策情報が表に出ないこともあって、事案を能動的に学ぶ姿勢に遠い」という言葉に目が留まっていました。『「本当にふざけた話」“アベノマスク” 契約訴訟で裁判長も呆れた官僚たちの「ひどすぎる言い分」ムダ遣い400億円の闇』という見出しの記事を紹介しますが、まさしく愚策の代表を際立たせる事例だと言えます。
唖然とするような証言だーー。10月15日、朝日新聞は “アベノマスク” の契約をめぐる訴訟について報じた。「“アベノマスク” とは、新型コロナ禍でマスクが手に入らなくなったことを受け、2020年4月、安倍晋三元首相が主導し、各家庭に配られたガーゼ製の布マスクのことです。不織布マスクと比べてサイズも小さく、配布時に異物が混入していたなど、悪評の多い施策でした。
しかも、後になって、全体の3割にあたる8300万枚が配布されないまま保管されていることが発覚。400億円を超えるお金で調達したものの、税金のムダ遣いだとして批判されました」(事件担当記者)
政府は、このマスクを複数の業者に発注したが、社員が数人しかいないような小さな会社にも数十億円にのぼる発注をしており、時期によって1枚あたりの単価もバラバラであることから、どのような経緯で業者の選定や発注がおこなわれたのか、疑惑の目が向けられてきた。
15日に開かれた裁判は、裏金問題の追及で知られる神戸学院大学の上脇博之教授が、契約過程を示す文書を開示するよう国に求めた訴訟だ。朝日新聞によると、この日は複数省庁による『合同マスクチーム』のうち、業者と直接やりとりした職員ら3人が出廷しました。しかし、3人とも『やりとりは口頭が基本で、文書は残していない』と答えたそうです。
裁判長が『単価や枚数は間違えると大変なことになる。すべて記憶して口頭で報告していたのか』と突っ込みましたが、『そうです』と、やはり業者とのやり取りを示す文書は存在しないとの主張でした。また、自身が受け取ったメールについて、『容量が限られているため2~3日に1度消去していた』と証言する職員もいたそうです。
当たり前のことですが、“アベノマスク” の原資は国民の血税です。随意契約とはいえ、ムダにならないよう、少しでも安く、公正・公平に業者を選ぶのが当然。そして、後から検証できるように、行政文書として契約にいたる書類をすべて残しておくのも当たり前のはずです。嘘をついているとしたら大問題ですし、文書を残していないとすれば、それも問題です」(同)
同報道には、X上でも怒りの声が続々寄せられている。《本当にふざけた話だ》《アベノマスク、本来なら逮捕者が大量にでる案件だろ》《コロナで急ぎの対応が要求されていたにしてもまずすぎる対応》《訴訟の言い訳流石に酷すぎんか》
疑惑にまみれた “アベノマスク” の裏側を、政治部記者がこう語る。「当時、『マスクを配れば国民の不安はパッと消えます』と、発案した佐伯耕三秘書官は、自信満々に安倍首相にすすめたそうです。当時の官邸は、今井直哉補佐官と佐伯秘書官が経済対策のほぼすべてを決めている状態でした。この “密室” でマスクの配布も決まったんです。
すでに “アベノマスク” が決定した段階で、厚労省はマスク不足は3カ月程度で解消されると官邸に情報を上げていました。にもかかわらず、支持率の低下に苛立った安倍元首相がゴーを出したんです。試作品すらない状態で、佐伯秘書官が安倍元首相の前でガーゼを折って説明したといいます。
こうした背景を考えると、業者への発注をめぐり高度な不正があったというより、表に出せないほど杜撰で考えなしの発注をしていた、というのが実態ではないでしょうか」 いくらコロナ禍でも、「まずすぎる対応」だったのは確かだ。【Smart FLASH 2024年10月17日】
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