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2024年12月28日 (土)

『戦雲』から平和を願う2024年末

今年も残りわずかです。毎週、土曜か日曜に更新している当ブログですので、今回が2024年に投稿する最後の記事となります。この一年間も、ウクライナやパレスチナでの戦火が消えることはありませんでした。シリアのアサド政権崩壊後、内戦がもたらした国内の爪痕や非人道的な行為の数々も目の当たりにしています。

遠い日本の地からは映像を通して知り得る出来事ですが、79年前には同じような風景が国土に広がっていました。1941年12月8日、日本海軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入しました。三多摩平和運動センターは毎年、12月8日前後に不戦を誓う集会を催しています。今年も協力委員の一人として参加していました。

この集会に参加し、2年前は「『標的の島』と安保関連3文書」、 昨年は今年も不戦を誓う集会に参加」というブログ記事を投稿しています。それぞれ『標的の島 風かたか沖縄スパイ戦史という映画が上映されていました。沖縄の米軍基地問題を取り上げ続けている三上智恵監督によるドキュメンタリー映画です。

辺野古の新基地建設、高江のオスプレイのヘリパッド建設、宮古島、石垣島の自衛隊配備とミサイル基地建設など、沖縄では様々な問題を抱え、反対派の住民らによる激しい抵抗、警察や機動隊との衝突が続いています。今年の集会でも三上監督の『戦雲』という映画が上映されています。

集会参加後、私どもの組合の委員長から原稿の執筆を依頼されました。組合ニュースの裏面に今回の集会報告を掲載したいとのことでした。前回記事「『官僚制の作法』を読み終えて」の冒頭に記したとおり「モノを書いて人に伝える」という作業を苦手としていません。協力委員という立場でもあり、あまり迷わず引き受けていました。

毎週長文ブログを綴っているため、短い期限での原稿の締切は気になりません。ただ440字以内という字数の制約には頭を悩ませました。前回記事と同様、組合ニュース用の原稿を意識しながら当ブログの下書きとして書き進めてみました。ちなみに前回記事は引用箇所を除いた内容だけで3000字近くとなっています。

初めから440字という短さを承知した上で引き受けたつもりでしたが、思った以上に伝えたい内容や言葉を選ばなければ収まりませんでした。無記名原稿ですが、組合ニュースを通して久しぶりに組合員の皆さん全体に伝える機会であり、少しでも個人的な思いを託せればと考えながら下記の内容にまとめていました。

12月10日夜、不戦を誓う三多摩集会が催されました。全体で170名、私どもの組合からは9名が参加しています。主催者らの挨拶の後、三上智恵監督の『戦雲』が上映されています。石垣島の抒情詩に「また戦雲(いくさふむ)が湧き出してくるよ、恐ろしくて眠れない」という言葉があり、現在の南西諸島に住む皆さんの思いを表した映画のタイトルです。美しい風景と活気あふれる地元の祭りなども映し出され、あっという間の132分でした。

その美しい島々で、自衛隊ミサイル部隊の配備、弾薬庫の増設、全島民避難計画など有事を想定した準備が進んでいます。戦争を防ぐという目的だったとしても、有事の際は真っ先に南西諸島の皆さんが標的にされていくことになります。

さらに撃ち込まれた1発のミサイルで失った命を取り戻すことはできません。自然災害と異なり、戦争は人間の意思で制御できるはずです。戦雲に脅える島民の皆さんの声を受けとめ、軍事衝突を絶対回避するための外交努力こそ実効ある安全保障の道筋だという思いを新たにした映画でした。

そもそも長文よりも簡潔で短い内容のほうが望ましいのだろうと受けとめています。SNS全盛の時代、小さな画面のスマホで閲覧する際、特に文字ばかりの長文ブログは敬遠されがちなことも理解しています。それでも毎回2000字以上の内容となるスタイルは、これからも気負わず、気ままに続けていくのだろうと考えています。

今回「『戦雲』から平和を願う2024年末」というタイトルを付けた記事も、もう少し書き進めていきます。映画『戦雲』の中で、字数の制約がなければ紹介したかった場面がありました。与那国島に航海の安全や豊漁を祈願したハーリーと呼ばれる祭りがあります。

久部良地区の北、中、南の3つのチームの対抗レースがあり、地元の青年らが懸命に船を漕ぎながらゴールをめざします。そのメンバーの中には練習の末、漕ぎ手に選ばれた自衛隊員の姿も映し出されていました。力を合わせて一緒に船を漕ぐ姿から個々の自衛隊員が地元に受け入れられている一端を垣間見ています。

自衛隊員の子どもがカメラに向かって「この島が大好き、ずっといたい」と話す姿なども伝えています。このような日常的な関係性があり、地元住民に対する説明会の中で、ある自衛隊員が「有事の際は島民の方々の安全確保を第一に考えています」と語る一コマも伝えていました。

その自衛隊員の言葉は本心からのものだろうと思っています。しかし、ひとたび戦争に至ってしまえば、軍隊は住民を守ることよりも戦闘に勝つことを優先します。戦闘のマイナス要素を取り除くため、住民が邪魔になれば強制的に排除します。住民の生命や財産は二の次となり、とにかく国家として負けないことが至上命題とされていきます。

これまでの歴史や海外での現状を見た時、日本の自衛隊だけは絶対違うと本当に信じて良いのでしょうか。いずれにしてもミサイル基地を配備するということは敵対する国々からすれば標的にすべき島であることを示唆しています。自衛隊の増強は安心よりも危険度が増していくような危惧を抱かざるを得ません。

一方で、自衛隊の増強に反対することが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという図式を強調した場合、それはそれで言葉や説明が不足しがちだろうと考えています。中国や北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素がある中で「戦争は起こしたくない」という思いを誰もが抱えているはずです。

その上で、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いが人によって分かれがちです。中国や北朝鮮こそが軍拡の動きを自制すべきであることは理解しています。しかしながら「安全保障のジレンマ」という言葉があるとおり疑心暗鬼につながる軍拡競争は、かえって戦争のリスクを高めかねません。

脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。だからこそ戦争に至る前の段階で「双方の言い分」に耳を貸していく外交努力をはじめ、国連という枠組みの中での英知が結実していくことを心から願っています。「標的の島」としないためにはミサイル基地を叩く力よりも、ミサイルを発射する「意思」を取り除く関係性の構築こそ実効ある安全保障政策の道筋だと考えています。

2024年末、南西諸島の皆さんが戦雲に脅える必要のない平穏な日常を取り戻し、さらに国際社会の中で戦火が消えることを祈念しています。このような願いは平和の話、インデックスⅣ」や「戦火が消えない悲しさ Part2」という記事などを通し、繰り返し訴えてきています。組合ニュースの原稿も字数の制約がなければ、きっと以上のような内容を付け加えていたはずです。

最後に、この一年間、当ブログを訪れてくださった皆さん、本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。これまで曜日に関わらず、必ず元旦に新年最初の記事を投稿しています。ぜひ、お時間等が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは皆さん、良いお年をお迎えください。

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2024年12月21日 (土)

『官僚制の作法』を読み終えて

前回記事「気負わず、気ままに1100回」の中では触れませんでしたが、高校生の頃まで希望する職業はマスコミ関係で、モノを書いて人に伝えるという仕事にあこがれていました。「大きな節目の1000回」の中では、大手の出版社から書籍を出すチャンスをいただきながら私自身の力不足から原稿をまとめ切れなかったことを伝えていました。

この時の望外な期待に応えられなかったことをずっと悔やんでいました。そのため、東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」の依頼を受けた時は二つ返事で引き受けています。1回あたり6千円ほどの報酬を継続的に得るため、規則に基づき兼業許可申請書を人事課に初めて提出していました。

これまで『足元からの学校の安全保障 無償化・学校教育・学力・インクルーシブどうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命会計年度任用職員の手引き』『「維新」政治と民主主義公営競技史』『承認をひらく』と続き、次号では岡田彰さんの新著官僚制の作法』を紹介します。

それらの書籍を題材にした当ブログのバックナンバーは「ベーシックサービスと財源論 Part2」「会計年度任用職員制度の課題」「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」「『公営競技史』を読み終えて」「『承認をひらく』を読み終えて」という記事タイトルのものがあります。

季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあり、そのまま利用できるものではありませんが、今回の新規記事も「『官僚制の作法』を読み終えて」という記事タイトルのもと入稿する原稿内容を意識しながら書き進めていました。

霞が関を敵に回す橋本行革は、いかにして達成されたのか。省庁半減をめぐる攻防の中で、省庁の存亡にかかる対処方針は異なる。行革反対で組織防衛を図る省庁もあれば、行革をチャンスと権限拡充を目指す省庁もある。これに族議員や圧力団体も絡む。行革は複雑な政治過程の一環である。

本書は特に行革の「勝ち組」の総務省(自治省)、経済産業省(通産省)、財務省(大蔵省)を取り上げる。三省のしたたかな行革戦略がわかる。霞が関の省庁は一体ではない。霞が関は連合体であり、日本の官僚制は各省官僚制である。著者は関係者の証言や貴重な一次資料から橋本行革の経緯と意義を掘り起し、「省」とは何かを辿る。さらに全則2か条の総定員法の智慧、安倍・菅政権の官邸支配の錫杖を明らかにする。

上記はリンク先に掲げられている書籍の紹介文です。岡田彰さんのプロフィールは1945年生、1974年法政大学卒業、博士(政治学)、行政学、地方自治専攻とされ、主著に『現代日本官僚制の成立』などがある方です。今年5月に『官僚制の作法』が発刊された直後、都政新報にその書籍が紹介されていました。

関係者の証言や貴重な一次資料から橋本龍太郎政権時の行政改革、いわゆる橋本行革の経緯と意義を研究者の視点から伝える著書です。学術書ということもあり、普段であれば手を出せないような価格の書籍でした。都政新報の「橋本行革の分析だけに収まる書ではない」という冒頭の言葉にひかれ、手にしていました。

明治維新の後、天皇の官吏として整えられた戦前の官僚制、敗戦後にはGHQとの対峙、第一次と第二次にわたった臨時行政調査会による行革、橋本行革等を経ながら変遷してきた主要な省の役割や官僚らの作法が綴られています。政策研究アーティストの鈴木崇弘さんの論評日本国のガバナンスの問題・課題そして今後を考える上での必読書『官僚制の作法』」では次のように紹介しています。

同書は、橋本行革の経緯と意義を軸に、明治維新以降の官僚制の生成から現在の官僚制までを、貴重な一次資料や関係者の証言などを基に、丹念かつ詳細に論じている。同書は、飽くまで優れた学術書であるが、日本という国家の近代から現在にいたるガバナンスとその構造の変遷をタペストリーのようなストーリーとして描いており、日本の官僚制の一大叙事詩となっており、非常に読みごたえがある。

そして同書は、日本は明治維新以降官僚機構を中心とする中央集権型の国家運営がなされたが、霞が関と呼ばれるその官僚機構は、実は一体的なものではなく、単なる連合体であるということを余すことなく示している。それはつまり、日本は、中央政府の官僚中心の国家であり、その官僚制は各省官僚制であり、「疑似国家」ともいえる異なる「省」の連合体というか連邦国家的な存在であるということを提示しているのである。

鈴木さんは「日本の官僚制の一大叙事詩となっており、非常に読みごたえがある」と絶賛しています。異なる「省」の連合体という見方は著者の岡田さんと共通した問題意識であり、「省益あって国益なし」と批判されがちな官僚組織のあり方です。岡田さんは著書の中で、なぜ、各省の「割拠主義」が徘徊するのか次のように説明しています。

法律では、省は国務大臣をその長に擁する「国の行政事務の第一義的に分配される単位」とされ、占領改革期にあっても従前の仕組みと運用が貫徹されてきたと説いています。さらに省ごとに採用し、年功序列による終身雇用システムが、省への帰属意識や忠誠心を涵養していると岡田さんは見ています。

かつて「政治は三流、官僚は一流」と評され、官僚が国家を運営する矜持を持ちながら政策立案で政治家をリードしてきました。特に大蔵省は強大な権限を持ち、予算編成権を掌握しているため、内閣のなすべき総合調整まで担っている関係性となっていました。官僚主導の弊害として、リスク回避のための作法として前例主義に陥り、迅速に新たな課題に対処できないと批判されがちです。

このような課題認識のもとに橋本行革は取り組まれ、省庁半減と政治主導への転換をめざしました。著書の中では、自治省が総務省、大蔵省が財務省、通商産業省が経済産業省、それぞれの内実を改めていく過程の攻防が詳らかにされています。

「橋本さんは大蔵省に対して一種の敵意を持っていました。大蔵省の権限を削減することに眼目に置かれていた」という生々しい証言も記されています。組織上、財政と金融は分離され、総理大臣のリーダーシップを発揮しやすいように内閣府や経済財政諮問会議を設置しています。

予算編成の流れは変わったかどうか、諮問会議を構想した橋本行革のブレーンの言葉が象徴的です。「武器は作ったけれども、それを使える人が出てくるかどうかが、一番肝心ですね。凡庸な総理は使いこなせるか、総理大臣の資質なんです」と語っていたことを著書の中で伝えています。

橋本行革で閣議人事検討会議を発足させ、各省の次官や局長等の幹部職員人事に政治が一定関与する道筋をつけました。その後、第二次安倍政権時に内閣人事局が設置され、官邸主導で幹部人事を決める体制が築かれています。しかし、岡田さんは、橋本政権と安倍・菅政権の姿勢、幹部人事の関与、行政と政権とのあり方は根本的に異なると指摘しています。

官邸主導から官邸支配まで進め、森友学園の問題で公文書改ざんなど政と官のバランスが壊れ「忖度」に官僚を走らせていると語っています。菅義偉元総理は、政策の方向性に反対する官僚には「異動してもらう」と公言していました。実際、ふるさと納税を巡り、課題を指摘した総務省の官僚が飛ばされそうになった事件もありました。

これまで政治主導のスローガンの下で、小選挙区制、党首討論、副大臣・政務官創設など英国モデルで進めてきました。その英国では「公務員の政治的中立性を尊重し、幹部公務員の人事への介入を自制する伝統があり、慣習として大臣は人事事項について基本的にすべて事務次官に委任し、これに介入しない」と著書の中に記し、岡田さんは日本の現状を憂慮されています。

官僚側からすれば是としてきた作法も、時代の移ろいの中で必要な見直しを受け入れざるを得なかったはずです。ただ見直した後の新たな仕組みも使い方を誤れば、もしくは使い手に問題があれば、望むべき成果からは程遠い現況に陥ることを痛感しています。『官僚制の作法』を読み終えて、そのような思いを強める機会となっていました。

最後に、その著書の中で「近年の愚策の代表はアベノマスクだが、失政・失策は表ざたを避ける、内々に処理するなど閉鎖的な対処がなされ、一連の政策情報が表に出ないこともあって、事案を能動的に学ぶ姿勢に遠い」という言葉に目が留まっていました。『「本当にふざけた話」“アベノマスク” 契約訴訟で裁判長も呆れた官僚たちの「ひどすぎる言い分」ムダ遣い400億円の闇』という見出しの記事を紹介しますが、まさしく愚策の代表を際立たせる事例だと言えます。

唖然とするような証言だーー。10月15日、朝日新聞は “アベノマスク” の契約をめぐる訴訟について報じた。「“アベノマスク” とは、新型コロナ禍でマスクが手に入らなくなったことを受け、2020年4月、安倍晋三元首相が主導し、各家庭に配られたガーゼ製の布マスクのことです。不織布マスクと比べてサイズも小さく、配布時に異物が混入していたなど、悪評の多い施策でした。

しかも、後になって、全体の3割にあたる8300万枚が配布されないまま保管されていることが発覚。400億円を超えるお金で調達したものの、税金のムダ遣いだとして批判されました」(事件担当記者)

政府は、このマスクを複数の業者に発注したが、社員が数人しかいないような小さな会社にも数十億円にのぼる発注をしており、時期によって1枚あたりの単価もバラバラであることから、どのような経緯で業者の選定や発注がおこなわれたのか、疑惑の目が向けられてきた。

15日に開かれた裁判は、裏金問題の追及で知られる神戸学院大学の上脇博之教授が、契約過程を示す文書を開示するよう国に求めた訴訟だ。朝日新聞によると、この日は複数省庁による『合同マスクチーム』のうち、業者と直接やりとりした職員ら3人が出廷しました。しかし、3人とも『やりとりは口頭が基本で、文書は残していない』と答えたそうです。

裁判長が『単価や枚数は間違えると大変なことになる。すべて記憶して口頭で報告していたのか』と突っ込みましたが、『そうです』と、やはり業者とのやり取りを示す文書は存在しないとの主張でした。また、自身が受け取ったメールについて、『容量が限られているため2~3日に1度消去していた』と証言する職員もいたそうです。

当たり前のことですが、“アベノマスク” の原資は国民の血税です。随意契約とはいえ、ムダにならないよう、少しでも安く、公正・公平に業者を選ぶのが当然。そして、後から検証できるように、行政文書として契約にいたる書類をすべて残しておくのも当たり前のはずです。嘘をついているとしたら大問題ですし、文書を残していないとすれば、それも問題です」(同)

同報道には、X上でも怒りの声が続々寄せられている。《本当にふざけた話だ》《アベノマスク、本来なら逮捕者が大量にでる案件だろ》《コロナで急ぎの対応が要求されていたにしてもまずすぎる対応》《訴訟の言い訳流石に酷すぎんか》

疑惑にまみれた “アベノマスク” の裏側を、政治部記者がこう語る。「当時、『マスクを配れば国民の不安はパッと消えます』と、発案した佐伯耕三秘書官は、自信満々に安倍首相にすすめたそうです。当時の官邸は、今井直哉補佐官と佐伯秘書官が経済対策のほぼすべてを決めている状態でした。この “密室” でマスクの配布も決まったんです。

すでに “アベノマスク” が決定した段階で、厚労省はマスク不足は3カ月程度で解消されると官邸に情報を上げていました。にもかかわらず、支持率の低下に苛立った安倍元首相がゴーを出したんです。試作品すらない状態で、佐伯秘書官が安倍元首相の前でガーゼを折って説明したといいます。

こうした背景を考えると、業者への発注をめぐり高度な不正があったというより、表に出せないほど杜撰で考えなしの発注をしていた、というのが実態ではないでしょうか」 いくらコロナ禍でも、「まずすぎる対応」だったのは確かだ。【Smart FLASH  2024年10月17日

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2024年12月14日 (土)

気負わず、気ままに1100回

前回記事は「高齢者雇用の課題」として、久しぶりに労使課題に関わる内容を扱いました。このブログ「公務員のためいき」を2005年8月に始めた際は、公務員バッシングという言葉をよく耳にしていた頃です。ブログのサブタイトルを「逆風を謙虚に受けとめながら雑談放談」とし、公務員やその労働組合役員の立場から様々な思いを発信してきました。

ブログを開設した切っかけは以前の記事「このブログを始めたイキサツ」の中で綴っていました。NHKと朝日新聞が「従軍慰安婦」関連番組への政治介入問題に絡み、真っ向から対立した報道を繰り広げていました。真実は一つでも、どちら側の報道内容に接するかどうかで、その真偽の評価や印象がガラリと変わっていました。 

ちょうど世の中は大阪市役所の厚遇問題などで、公務員への厳しい視線や声が強まっていた頃でした。当然、公務員やその組合側も改めるべき点は即座に改める必要があります。ただ主張すべきことは主張する必要性を強く感じていた時、誰でも簡単にインターネット上で意見を発信できるブログと出会いました。

このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新間隔が定着しています。2012年の春頃からはコメント欄も含め、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わるようにし、現在に至っています。

2023年1月に「大きな節目の1000回」を投稿し、2年近く経ち、今回、記事タイトルに掲げたとおり1100回目を迎えています。訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知した上、これまで当ブログの更新回数が100を刻んだ時、次のような記事を投稿してきました。

100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。

毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができています。毎回、節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。

前述したとおり実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、週末更新と決めたことが長続きできている秘訣だろうと思っています。「週刊」を習慣化できたことで、多忙な時期も、旅行と重なった週末も新規投稿を欠かさず、1100回までたどり着けているものと受けとめています。

元旦に新規記事を投稿しようと決めているため、年末年始だけ変則な投稿間隔となっています。2011年3月、東日本大震災の発生直後の週末も、ためらいながら「東日本巨大地震の惨禍」という記事を投稿し、被災された皆さんへのお見舞いの気持ちなどを表わしていました。

そのようにつながってきましたが、2019年3月1日に母が亡くなり、一度だけ新規記事の投稿を見合わせていました。母が亡くなった直後、とてもブログを更新する気にはなれませんでした。深い悲しみと落胆に沈み込んでいたことはもちろん、そのような時にブログに関わることの不適切さを感じていました。

再開した際の記事「母との別れ」は自分自身の気持ちの整理を付けていくための通過点とし、苦労を重ねてきた母親を偲びながら母と過ごした年月をずっと忘れないためにも初めて私的な内容を前面に出した記事を投稿していました。

これまで100回という節目で記事を投稿する際、次のような言葉を添えています。投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。加えて、健康上の問題や大きな天災などに直面した場合、自分自身の意欲や労力云々以前の問題としてブログの更新どころではなくなります。

そのような意味で毎回、節目の100回を刻むたび、そのメモリアルさとともに長続きできていることの意義をかみしめています。いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも多くの皆さんが訪れてくださるからであり、いつも心から感謝しています。

ただ以前に比べれば日々のアクセス数は激減しています。かつて1日あたりのアクセス数は1000件前後で推移していましたが、最近は100件に届かない日が多くなっています。その内訳も過去の記事へのアクセスが大半を占めています。 出入り自由な場としているコメント欄も閑古鳥が鳴いています。

新規記事を投稿しても、どれほどの方にご覧いただけているのか手応えが薄くなりがちな最近の当ブログのアクセス状況でした。そのような寂しさを感じ始めていた時、今年6月の記事「政治資金規正法改正の動き三多摩集中行進に参加の冒頭で、このブログを続けていることの励みになる出来事を紹介できています。

宮城県本部の皆さんや自治労都本部の副委員長が引き続き「公務員のためいき」を注目くださっていることを知り、たいへん感激していました。連合宮城に勤務されている方からは「時には自分の挨拶の時などに、文面を拝借しているそうです」という恐縮する光栄なお話を報告いただいていました。

このブログでの発信を一つの運動として位置付けているため、私自身の思いや言葉がつながっていくことを大きな励みとしています。このようなやり取りがあった際、私からは「やめるのはいつでもやめられますので、できる限り続けていきます」という決意をお伝えしていました。今回の記事タイトルに掲げたとおり気負わず、これからも気ままに1200回をめざしていくつもりです。

ちなみにブログを長く続ける中で注意している点は、不特定多数の方々に見られることを常に意識した記事内容の投稿に努めるという心構えです。不確かな情報や知識での断定した書き方はもちろん、賛否が分かれる問題についても結論を押し付けるような書き方は極力避けるように努めています。

誰もが閲覧できるブログでの発言の重さをいつも念頭に置きながらパソコンに向き合っています。このような意味合いから週に1回の定期更新は自己啓発の機会であり、頭の老化防止のためにも何年か先に「元公務員のためいき」というタイトルに変えた後も、できる限り長く続けられればと願っています。

最後に、金曜の正午前、たいへん驚き、たいへん悲しい連絡を受けました。私が執行委員長を担っていた時、書記長を務めてくださった方の訃報です。53歳という若さで、突然のお別れとなりました。とても残念な知らせでした。心からご冥福をお祈りし、謹んでお悔やみ申し上げます。

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2024年12月 7日 (土)

高齢者雇用の課題

少し前の記事「選挙結果が左右する政治の行方」の冒頭で「組合の定期大会が開かれました。再任用職員や会計年度任用職員の課題について出席した組合員から切実な訴えが示されています。これまで当ブログで取り上げてきた課題であり、機会があれば次回以降の記事で深掘りできればと考えています」と記していました。

その後「選挙結果が左右する政治の行方 Part2」「兵庫県知事選、いろいろ思うこと」「兵庫県知事選、いろいろ思うこと Part2」というタイトルの記事が続き、労使課題に関わる内容からは離れた投稿を優先しています。執行委員長を退任した後、政治的な話題を取り上げることが多くなっています。

特に最近、兵庫県の斎藤元彦知事に関わる動きが非常に気になっています。数日前に目にした〈兵庫県政大混乱〉政府が「公選法違反の恐れある」と答弁、再び窮地の斎藤知事…“二人三脚”のパートナー立花氏が流した「不同意性交等罪」というデマ』という記事など、まだまだ当ブログを通して伝えたい話題が後を絶ちそうにありません。

12月2日から紙の健康保険証が廃止されています。マイナカードの取得は任意のままで、マイナ保険証は義務付けるという矛盾した問題に憤りながら河野太郎氏  りんたろー。によるマイナカードへの“不満”に言及「やる気のある病院だったら」』という記事を目にすると、河野総理の可能性が消えていることに心底安堵しています。

政治絡みの話題を少しだけ触れましたが、ここからが今回の本題です。このブログで4年前に「雇用継続の課題」「定年延長の話」という記事を投稿しています。高齢者雇用の課題として、最近「50万円の壁」にも注目が集まっています。11月25日に開かれた厚労省の審議会で、高齢者の働く意欲をそがないような制度の見直し案が示されています。

人口減少が続く中、15歳から64歳までの生産年齢人口の比率は6割を切るようになっています。労働力不足を補うための方策として、高齢者の雇用のあり方が大きな課題として認識されています。一定の収入がある高齢者にも「年金制度を支える側にまわってもらう」という考え方のもと在職老齢年金制度を設けています。

65歳以上で賃金と厚生年金を合わせて収入が月50万円を超えた場合、上回った年金の半分が減額されます。この仕組みが高齢者の働く意欲をそいでいるとの指摘もあり、年金が減らされる基準を現行の50万円から62万円や71万円に引き上げる案をはじめ、制度自体を撤廃する案を厚労省の審議会が示していました。

高年齢者雇用安定法では使用者側に65歳までの雇用継続を義務化しています。70歳までは努力義務としています。今後、上記のような動きも踏まえ、ますます70歳まで、もしくはそれ以上に働く高齢者が増えていくのだろうと思っています。一方で、年金が支給されるまでの年齢の場合、「50万円の壁」からは程遠い現状です。

地方公務員の再任用制度や新たに施行されている定年延長で、従来の定年年齢だった60歳以降、それまでの年収が激減します。フルタイム再任用だった場合、60歳以前の勤務時間と変わらず、仕事に対する役割や責任が、まったく同じでありながら年収が極端に下がることを嘆く職員は少なくありません。

私どもの組合の定期大会で示された意見は、この問題についての切実な訴えでした。発言された組合員は係長だった方で、定年後、年収は半減したとのことです。その方は裁判での事例を示した上、定年後に年収が6割以下になることの問題性を強く訴え、組合執行部に早急な解決に向けた具体的な行動を求めていました。

同一労働同一賃金という原則から、その訴えのとおりの解決が求められていることは確かです。ただ高齢者の雇用継続に関する裁判の事例を改めて調べてみると、必ずしも原告の労働者側が勝ち続けている訳ではないようです。再雇用格差訴訟  過去の最高裁判断を踏襲「正社員と性質異なる」』という記事では次のように伝えています。

正職員と再雇用者の基本給格差を巡り名古屋自動車学校(名古屋市)の元従業員が起こした訴訟で、最高裁が20日、正職員の6割に満たない部分を違法とした1、2審判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。不合理な労働条件格差を巡って最高裁が過去に示した枠組みや判断を踏襲し、基本給についても、各事業者ごとに異なる「性質や支給目的」をきめ細かく検討するよう求めた形だ。

最高裁は平成30年6月、今回と同様に定年後、再雇用された運送会社の嘱託社員の待遇格差を巡る訴訟の判決で「給与や手当などの個別項目ごとの趣旨を考慮すべきだ」との枠組みを初めて提示。令和2年10月には、大阪医科大と東京メトロの子会社で勤務していた契約社員らのボーナス(賞与)や退職金を巡る訴訟の判決で「性質や支給目的を踏まえて検討すべきだ」とする判断も示した。

今回の訴訟の1、2審判決では、仕事内容が同じ場合は「基本給が定年前の6割を下回る部分は不合理」との具体的な線引きが示されていた。だが、最高裁はこうした「数字」の是非には触れず、過去の判例で示された考え方を念頭に、基本給の性格などを詳細に検討していった。正職員の基本給は、勤続年数に応じた「勤続給」だけでなく、職務内容に応じて額が決められる「職務給」、職務遂行能力に応じて額が決められる「職能給」としての性質もあると指摘。

これに対し、再雇用の嘱託職員の場合は役職に就くことは想定されておらず、勤続年数に応じた増額もなかったことなどから「正職員とは性質や支給目的が異なる」とした上で1、2審判決はこうした点を「検討していない」と批判した。加えて、原告と自動車学校側が行っていた賃金面を含む労使交渉についても言及。1、2審判決では交渉の結果だけに着目し、具体的な経緯を勘案していないことも「法令の解釈適用を誤った違法がある」とした。【産経新聞2023年7月20日

上記の事例について、倉重公太朗弁護士の『「最高裁、基本給の同一労働同一賃金初判断」について解説』を読むことで「年功給である正職員と嘱託職員では基本給の性質が異なる」という論点を認識できます。差戻審の結果を待っている段階ですが、定年退職後、大幅に年収が下がることに対し、違法性が確定している訳ではないようです。

以前の記事「働き方改革への労組の対応」の中で、2018年6月1日に示されたハマキョウレックス事件と長澤運輸事件の最高裁判決について触れていました。ハマキョウレックス事件は正社員と有期雇用労働者の待遇の格差について、長澤運輸事件は正社員と定年後再雇用された嘱託社員(有期雇用)の待遇の格差について争われた事件でした。

ハマキョウレックス事件は労働者側が勝ち、長澤運輸事件は会社側が勝つという結果に分かれていました。ハマキョウレックス事件では有期雇用労働者と正社員との間に職務内容に差がないのにも関わらず、待遇に差があったことは労働契約法20条に違反すると判断されました。一方で、長澤運輸事件の有期雇用労働者は定年後に再雇用された高齢の労働者だったため、待遇差が不合理ではないと判断されていました。

もちろん組合執行部としては裁判の行方に関わらず、労使交渉を通し、もしくは自治労に結集しながら再任用職員の待遇改善に向けて全力を尽くしていかなければなりません。特に常勤職員に比べ、一時金の年間支給月数が半分程度にとどまっているため、いくつかの近隣市が実現しているように同一とする交渉結果を早期に勝ち得ることを期待しています。

最後に蛇足となりますが、私自身、来年春、また大きな節目を迎えます。健康だから働き続けられる、働き続けられるから健康を維持できる、このような思いのもと雇用継続を希望しています。使用者側にとって努力義務に過ぎませんので、来年4月以降、このブログのタイトルが「元公務員のためいき」に変わるかも知れませんが…。

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