総理をめざす政治家に望むこと
パリ五輪が始まりました。コロナ禍の緊急事態宣言中に開かれた3年前、このブログでは「57年ぶりの東京五輪が開幕」という記事を投稿しています。最近、堂場瞬一さんの著書『オリンピックを殺す日』を読み終えていますが、開催国の気候条件は二の次にされながら催される異質さなどを改めて思い起こしています。
アメリカの大統領選の行方にも世界中から視線が注がれています。バイデン大統領が選挙戦から撤退を表明し、ハリス副大統領が民主党の候補者になったことでトランプ前大統領の勢いに「待った」をかける展開となっています。8年前の7月には「米大統領選と都知事選の違い」という記事を投稿していました。
都知事選をはじめとする日本の選挙とアメリカ大統領選との大きな違いがあります。候補者の政策や資質などを有権者が吟味できる期間の長さの違いです。アメリカ大統領選は選挙の年、1月から州ごとに政党内の候補者を決める争いが始まります。その結果をもとに全国党大会の中で大統領選の正式な党の候補者を決めます。今年で言えば、共和党がトランプ候補、民主党がクリントン候補を指名し、11月の本選に向けて激しい論戦やメディア戦略などが繰り広げられていきます。
このようにアメリカ大統領選の候補者の場合、1年以上にわたって国民から注目されることになります。新人候補だったとしても詳細な経歴や人柄などが明らかになり、ネガティブな情報も含め、大統領としての適格性を判断できる材料が揃えられていきます。前述したトランプ候補の排外主義にも賛否があり、共和党内では支持が上回ったという民意の表われだったものと理解しています。
8年前に記した内容ですが、前々回記事「政治家の好感度、その危うさ」につながっている問題意識です。本来であれば米大統領選のようにプラスとマイナス、それぞれの情報を有権者が知った上で、貴重な一票を投じられることが望ましいはずです。しかしながら候補者の資質や適格性という重要な判断材料が不足したまま投票せざるを得ないことの多い選挙戦の現状です。
その結果、前回記事「過ちに対する責任の処し方と問い方」の中で取り上げているような国会議員や自治体の首長を生み出していると言っても言い過ぎではないはずです。最近、このような問題意識を強めている理由があります。都知事選で注目された安芸高田市長だった石丸伸二氏の評価の落差が気になっていたからです。
もともとSNSを中心に熱烈な支持者を増やしていた石丸氏ですが、テレビ画面に映し出される爽やかな笑顔だけに触れていけば好感度は上がり続けていくように思っています。しかし、ネット上で『石丸伸二氏から“恫喝の張本人”と名指しの市議「彼は嘘の発言をした責任の重さがわからない」』という記事などに触れていった場合、その好感度は大きく揺れ動くことになります。
安芸高田市の市政関係者が「彼は市民の政治不信を必要以上にあおっただけ。市長に就任当初から議会と対立し、それをSNSに発信して攻撃をする。2020年8月に、石丸さんから“恥を知れ!”と、吊るし上げられた武岡隆文市議は、誹謗中傷を受けて、精神的に相当つらそうでした」と語っています。
その記事の中では「武岡市議の“居眠り”は、後に無呼吸症候群による軽度の脳梗塞が原因だと医師の診断により判明している。そんな武岡市議は2024年1月に亡くなった。この“居眠り騒動”を皮切りに、石丸氏と議会の溝は広がっていく」と伝えています。
このような事情を知っている安芸高田市の市政関係者は「万が一にでも石丸さんが東京都知事になったら、首都である東京が大混乱に陥るのではないか……、そう不安な気持ちで見ていました」とまで語っていました。
もう一つ『「さすがに度が過ぎている」“石丸信者の攻撃” に20代社会起業家も苦しむ…本人に問われる “統制力” とは』という記事も紹介します。最後のほうに掲げられている「政治家として本当に国や自治体を変えたいのであれば、一部の熱狂的な “信者” だけでなく、幅広い支持が必要になるはず」「あらゆる人を “敵” と “味方” に分断する政治はやめてほしい」という言葉の重さをかみしめています。
今週末の新規記事のタイトルは「総理をめざす政治家に望むこと」としています。もし石丸氏が将来的に総理大臣をめざしているのであれば上記の言葉を重く受けとめて欲しいものと願っています。もちろん米大統領選でのトランプ候補に強く望む政治的な姿勢ですが、ことさら対立を煽る手法を容易に変えられるものではないのかも知れません。
日本の政治のトップリーダーは大統領のように国民が直接選べるようになっていません。政権交代が果たせない限り、与党政治家の中から総理大臣が選ばれることになります。現状では自民党の総裁に選出された国会議員が総理大臣の座に着きます。自民党総裁選を9月に控え、出馬が取り沙汰される政治家を論評するメディアの記事も目に付くようになっています。
NEWSポストセブンは『有識者が「ポスト岸田に選んではいけない政治家」ランキング 石破氏は裏切りの過去、高市氏は細かすぎ、上川氏はアドリブ苦手…それぞれの厳しい評価』という見出しの記事の中で、総理にしてはいけない8人の政治家の名前を上げています。世論調査で必ずトップとなる石破氏に対しても手厳しい評価を下しています。
今年1月の記事「『国防』から思うこと」を通し、このブログでも石破氏のことを取り上げていました。久間章生元防衛相から「石破君、君は自分が一番賢い、自分が一番正しいと考えているようなところがある」と戒められたことや、身の安全が危ぶまれるイラクへの現地視察を何回も直前で見送っていた話などを紹介していました。
「自民党はもう一度、謙虚で、正直で、公平で公正な党として再出発をしていきたい」という言葉をはじめ、いつも国民受けする正論を述べる石破氏に対する好感度は高くなりがちです。しかし、様々な側面を直接見聞きできる同僚議員や部下となった官僚からの評価は低くなるという傾向があるようです。
月刊Hanadaが自民党総裁選の特集を組んでいることは金曜朝の新聞広告で知りました。官僚覆面座談会「石破、河野だけは絶対にダメだ!」という見出しに目が留まっています。石破氏とは比べられないレベルで、河野太郎氏に対する官僚からの評価は激烈さを増す傾向があります。
『「議員として失格」河野太郎氏「“やから” を許すな」発言に批判殺到…党内からも「こらえ性がない」と呆れ声』『「素直にごめんと言えない男」河野太郎氏「やから」発言を釈明もやまぬ“炎上”貫かれてきた「ノー謝罪」姿勢』という記事が伝えるような河野氏の不誠実な対応ぶりも明らかになっています。
『河野太郎 財務大臣から“円安けん制発言”に苦言呈されるも、SNSにまさかの“臭わせ”投稿』『高橋洋一氏バッサリ「経済音痴です」河野太郎デジタル相の「利上げ発言」斬り捨てる』という記事などに触れると、もし「自分が一番賢い」と思われているとしたら大きな勘違いだと言わざるを得ません。
このような報道が増えていながらも、次期総理候補として河野氏は必ず上位に顔を出しています。ちなみに河野氏は自民党の国会議員でありながら脱原発を唱え、「河野太郎の国会日記 ごまめの歯ぎしり」の頃のブログの内容は歯切れ良く、かつては好感度を高めていた政治家でした。それが様々な情報に接してきた現在、私自身にとって総理にしてはいけない政治家の最上位となっています。
いずれにしても総理をめざす政治家に対し、「あらゆる人を “敵” と “味方” に分断する政治」とは真逆な政治的な姿勢や立場性を望んでいます。寛容さであり、包摂さです。自分自身の「答え」の正しさに自信を持っていたとしても、異なる考え方や立場も認め合いながら、最適な「答え」を見出す努力を尽くして欲しいものと願っています。
意見が激しく対立しても、敵視し合うことなく、対話を重ねることで合意形成をはかる政治が重要です。総論から各論まで共通する理念として、外交の場面や改憲議論を通しても意識していくべき心得だろうと思っています。どなたが総理になったとしても、このような心得のもとに寛容な政治を切望しています。
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