『公営競技史』を読み終えて
前々回記事「三多摩メーデーに絡む個人的な思い」に対し、久しぶりにコメントが寄せられました。私の考えはコメント欄に記していますが、物事すべてシロかクロかという二項対立だけで判断できないのだろうと思っています。その上で属性のみを先行させて判断しないように心がけています。
そのため、前回記事「環境省のマイクオフ問題から思うこと」のように具体的な事例を示しながら政党や政治家の言動について論評しています。最近、気になった出来事は『“勘違い男”萩生田光一氏 都連役員は続投に「腐ってる」批判殺到「おかしいでしょ」元自民議員も憤慨』です。
都連の深谷隆司最高顧問は「裏金事件は一時大騒ぎしたが、今は落ち着いている。処分は党本部であり、支部は関係ない」と説明していますが、現在の風向きに対する感度の鈍さをはじめ、結局のところ真摯な反省から程遠い政治家の多い政党であることを映し出している事例の一つだと受けとめています。
新規記事の本題に入る前に前置きが長くなることの多いブログで恐縮です。このブログに関わるのは土曜か日曜だけと決めているため、日々の思うことを冒頭に盛り込みがちでした。ちなみに一時期に比べ激減しているコメントへのレスも、これまで通り週末に限っていますが、管理人としての役割は適宜対応しています。
さて、ここからが今回の記事の本題です。東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」を昨年の夏号から担当しています。その号では『足元からの学校の安全保障 無償化・学校教育・学力・インクルーシブ』を紹介しています。
その次の秋号は『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命』でした。このブログの昨年8月の記事「ベーシックサービスと財源論 Part2」は、連載記事の原稿を書き進める前の下準備としてまとめてみました。季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあるため、そのまま利用するものではありませんが、骨子や提起したい論点などは同じ内容となっています。
連載3回目となる冬号では、自治労総合組織局が編著した『会計年度任用職員の手引き』を紹介しています。今年3月の記事「会計年度任用職員制度の課題」の中で「私自身の寄稿した内容ですが、許可を得ず、このブログに転載することは控えなければなりません」と説明した上、そのまま利用するものではなく、連載記事の内容に沿って私自身の問題意識を改めて示しています。
今月発行する春号では『「維新」政治と民主主義』を紹介しています。先月末に投稿した記事「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」で初めて当ブログに掲げることを事前に担当の方にお伝えし、了解を得た後、私が担当した頁の内容全文をそのまま紹介していました。
続く夏号に向けた入稿締切は5月末でした。紹介する書籍は『公営競技史』とし、少し前に読み終えていました。今回、ブログの新規記事のタイトルを「『公営競技史」を読み終えて」としていますが、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めていました。
著者は北海学園大学経済学部地域経済学科教授で、農学博士である古林英一さんです。これまで「『◯◯』を読み終えて」というタイトルの記事を数多く投稿していますが、いつものとおり今回もネタバレに注意し、まずリンク先に掲げられている書籍の紹介文をそのまま転載します。
世界に類をみない独自のギャンブル産業はいかに生まれ、存続してきたのか。戦後、復興と地方財政の健全化を目的に公営競技は誕生した。高度経済成長期やバブル期には爆発的に売上が増大するも、さまざまな社会問題を引き起こし、幾度も危機を迎える。さらに低迷期を経たが、7兆5000億円市場に再生した。各競技の前史からV字回復の要因、今後の課題までを、地域経済の関わりから研究してきた第一人者が分析する。
今回、紹介する『公営競技史』は、公営ギャンブルについて真正面から取り上げた著書です。競馬、競輪、オートレース、ボートレースが公営(JRAも含む)競技に位置付けられています。私自身、オートレース以外、インターネット投票できる環境を整えています。
勤めている自治体は競輪事業の施行者で、従事されている皆さんの労働組合とも長いお付き合いがあります。このような関係性があったため、この著書を知った時、ぜひとも手に取って読んでみたいものと思っていました。
今年の春、ドジャースの大谷翔平選手の専属通訳だった水原一平氏の違法賭博問題が世間を騒然とさせました。水原氏の損失額が60億円以上とも言われ、桁違いな賭け金とともにギャンブル依存症の深刻さに驚かされています。
2016年12月にカジノを含むIR(統合型リゾート施設)推進法が成立した際、ギャンブル依存症の問題が取り沙汰され、反対する声が少なくありませんでした。そもそもカジノの議論が始まる前から日本には巨大なギャンブルアミューズメント市場が存在しています。
戦後の混乱期に誕生した公営競技は、時代に合わせてその内実を変えながら生き残ってきています。しかも現在、バブル期に匹敵するか、もしくは上回る活況にあります。
著者は「幾多の困難を乗り越え、続いてきたからには、それなりの理由があるはずだ」とし、7兆5千億円という巨大なギャンブルアミューズメント産業が、どのように形成され、さらに今後どうなっていくのか論じていきたいと語っています。
賭博は刑法で禁止されています。なぜ公営の賭博が認められているのか、特別の事情があれば違法としないという違法性の阻却のもとに刑法の例外として許されています。4つの公営競技の根拠法に共通する目的とされている特別な事情は「地方財政の改善」とされています。
第2次世界大戦後、疲弊した地方財政に寄与することを目的に誕生した公営競技ですが、経済復興が果たされた後も「なぜ残り得たのか、それを解き明かそうというのが本書の最大の目的だ」と著者は語っています。
「もはや戦後ではない」と叫ばれ始めた頃、戦後復興を旗印にした公営競技にとって存在意義が問われる時期を迎えていました。「社会経済の安定に伴い、廃止されるべきもの」という論調も高まる中、池田勇人総理の諮問機関として「公営競技調査会」が設けられました。
1961年7月の長沼答申と呼ばれる諮問結果は「現行公営競技の存続を認め、少なくとも現状以上にこれを奨励しないことを基本態度とし、その弊害を出来うる限り除去する方策を考慮した」というものでした。
存続する理由として「関連産業の助成、社会福祉事業、スポーツの振興、地方団体の財政維持等に役立ち、また大衆娯楽として果たしている役割も無視することはできない」とされていました。
公営競技が戦後のあだ花ではなく、恒久的な事業として認知され、新たな時代に入ったと著書に記されています。ただ「その後の展開をみると、長沼答申が桎梏となり、新たな問題の起点となったのも事実だ」とも書かれていました。
1969年1月、「ギャンブルは広い意味での公害」と述べていた東京都の美濃部亮吉知事が公営競技からの撤退を表明しました。一方で、京都府の蜷川虎三知事は苦しい地方財政制度の問題とともに公営ギャンブルの是非は総合的に論じるべきと主張した上で「競輪事業から撤退しない」と明言していました。
バブル経済の崩壊後、公営競技の収益は激減します。収益がゼロならまだしも、赤字が続き、厳しい自治体財政のお荷物と化していきます。公営競技場は地方都市における雇用の場として重要な存在でしたが、事業そのものの廃止を決断しなければならない自治体が続きました。
そして今、生き残りに賭けた関係者の努力やネット投票の浸透によって公営競技の収支は改善し、自治体財政への繰出も復活しています。それでも収益の財源上の比率は、かつてに比べると格段に小さくなっているとのことです。
「では公営競技はもうなくてもいいのか?」という意見に対して、著者は「地域社会に必要とされるものとして存在するべきだ」と訴えています。ハード面での災害対応拠点施設としての利用をはじめ、普段から会議室としての貸出や高齢者の居場所づくりを進め、迷惑施設や鉄火場というイメージの転換を推奨されています。
前述したとおり私自身、公営競技に対して親和的な立場です。以前の記事「カジノ法案が成立」「ギャンブル依存症の対策」の中で綴っているとおり闇の資金源となる野球賭博などとは一線を画し、違法性が阻却されている場合、自制心を持って楽しむのであれば何も問題はないものと考えています。
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