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2024年5月25日 (土)

ゼロ歳児にも選挙権、維新の公約から思うこと

火曜の朝、自宅に届く読売新聞の一面に「定額減税額  給与明細に」という見出しが掲げられていました。減税を実感してもらうことが狙いと書かれていましたが、事業所側の事務負担が頭に思い浮かびました。読み進めると「減税額の明記義務化は、6月1日施行の関係省令改正で行う」と記されています。

たいへん驚きました。6月に支給する給与明細は数週間前から準備されていくはずです。義務化の改正日が、まさしく泥縄である6月1日、現場の苦労に想像力が働かない判断に『「減税アピうっっっざい」岸田首相「定額減税4万円」明記義務づけに寄せられる憤慨「事務負担多すぎ」「低額減税なのに」』という声が上がっています。

前回記事「『公営競技史』を読み終えて」の冒頭で、世間の風向きに対する自民党政治家の感度の鈍さについて触れていました。『立憲、法施行までパーティー容認  禁止法案との「言行不一致」批判も』という報道も、どのような反応が生じるのか想像力を働かせ、避けなければならない動きだったように思っています。

政党や政治家の政策判断が日々、伝わってくる中、最も驚いている話は日本維新の会のゼロ歳児にも選挙権を与えるという公約です。東京新聞の『「ゼロ歳児にも選挙権」吉村洋文・大阪府知事の真の狙いは?  識者は「新たな不平等を生む」と指摘』という見出しの掲げられた記事の最後には次のように記されています。

「これまで民主主義の中で1人1票を確立してきた歴史がある。そして投票価値の格差を是正するために何十年も訴訟が続いてきたのに、そもそもの大原則を根底から崩す考え方だ」と東京経済大の加藤一彦教授(憲法学)は批判する。

若者にバランスを取ったように見えるが、「選挙至上主義で、数字によって解決しようとしてこのような議論が出てきている。民主主義で選挙は重要だが、選挙以外の多様なルートによって意見をくみ取る仕組みも必要だ」と強調した。

日刊ゲンダイの記事には、もっと辛辣に『吉村維新はアホちゃう?「0歳児選挙権」で金権選挙さらに蔓延確実 “腐敗政治”いらっしゃ~い!』という見出しが付けられています。ただ記事本文の内容は下記のとおり説得力のある文章で数々の問題点を指摘しています。

立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)はこう指摘する。「そもそも、基本的人権のひとつである選挙権は年齢に関係なく、すべての主権者国民が持っています。その行使にあたって、主体的に行動できる適正な年齢を指しているのが『成年』で、教育や文化水準によって定められる。日本は2022年の改正民法施行で20歳から18歳に引き下げました。世界を見渡せば16歳以下の国もあります」

買収横行の可能性 維新案の肝は、親による選挙権の代理行使だ。3子の父親である吉村府知事が「僕は4票の影響力がある」と力んでいたように、子だくさんの親ほど投票数を増やそうというのである。

「親がいない子の1票はどうなるのか。憲法14条は法の下の平等を定めており、0歳児だろうが何だろうが、不平等を生じさせてはならないし、歪んだ形での権利行使は許されない。選挙権は譲り渡す性質のものではないのです。『第2自民党』を自負する維新がいかにも言いそうなことですが、実現したら買収が横行し、金権選挙がさらに蔓延してしまう」(金子勝氏)

普通、平等、秘密、直接──。民主的選挙を担保する4原則をぶっ壊そうとする権威主義のヤカラに政治をやる資格はない。

明石市の市長だった弁護士の泉房穂さんは吉村知事の維新公約「0歳児から選挙権」に苦言「基本的な哲学が間違っている。愚かな選挙対策」』という記事の中で「〝子ども〟は〝親〟の持ち物じゃなく、〝子ども〟は〝子ども〟だ。反映させるべきは、親の声ではなく、子ども自身の声だ」と強調した上で「基本的な哲学が間違っている。愚かな選挙対策で、私は反対だ」と訴えています。

政治家に限らず、誰もが自分自身の「答え」の正しさを信じているはずです。時には自信を持てない「答え」を示している場合もあろうかと思います。しかしながらゼロ歳児にも選挙権という公約に関し、吉村知事はその正しさに自信満々なのだろうと見受けられます。

正しいと信じた「答え」も多面的な情報をもとに再考した場合、その正しさへの自信が揺らぐこともあります。今回の公約を声高にアピールする前に日本維新の会の中で、紹介した上記の記事のような視点での議論は交わされなかったのでしょうか。議論を尽くした上で、公約に掲げているのであれば、それはそれで党としての一つの判断です。

ただ「発想がブラック企業」維新の会“法令遵守“SNSで促した議員を「悪口流したら懲戒免職」に批判殺到』という報道などを目にすると、日本維新の会の組織的な土壌や体質について疑問視しなければなりません。党内から上がった警告を悪口と見なし、排除しようとする強権的な発想に驚いています。

属性を先行させた批判は慎むべきものと考えていますが、貴重な一票を投じる先として政党それぞれを評価しなければなりません。朝日新聞の記者だった鮫島浩さんのブログ『自公連立揺らぐ「政治資金規正法改正案の自民単独提出」の衝撃、維新との連立視野か〜裏金事件で大逆風の自民、組織力低下の公明、大阪万博で失速の維新、落ち目の3党の駆け引き激化』の内容に注目しています。

日本維新の会の馬場代表は、次期衆院選で与党が過半数割れとなった場合、自民党政権に参加する可能性に言及しています。「与党入り排除せず」維新・馬場代表、発言に本人「言ってません」否定も「ポーズだけ」の自民批判に国民酷評』という記事の中で、発言について否定していますが、鮫島さんのブログの内容と照らし合わせれば詭弁であることが明らかです。

このような馬場代表の発言によって、分かりやすい選挙戦の構図となっていくことを歓迎しています。先月の記事「残念な与党、されど野党 Part3」の中で記していましたが、立憲民主党と日本維新の会が手を携えて政権交代をめざす姿をまったく想像できていません。そのため今後、自民党や日本維新の会による政治を是とするのかどうかという選択肢が明確化されていくことを切望しています。

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2024年5月18日 (土)

『公営競技史』を読み終えて

前々回記事「連合三多摩メーデーに絡む個人的な思い」に対し、久しぶりにコメントが寄せられました。私の考えはコメント欄に記していますが、物事すべてシロかクロかという二項対立だけで判断できないのだろうと思っています。その上で属性のみを先行させて判断しないように心がけています。

そのため、前回記事「環境省のマイクオフ問題から思うこと」のように具体的な事例を示しながら政党や政治家の言動について論評しています。最近、気になった出来事は“勘違い男”萩生田光一氏  都連役員は続投に「腐ってる」批判殺到「おかしいでしょ」元自民議員も憤慨』です。

都連の深谷隆司最高顧問は「裏金事件は一時大騒ぎしたが、今は落ち着いている。処分は党本部であり、支部は関係ない」と説明していますが、現在の風向きに対する感度の鈍さをはじめ、結局のところ真摯な反省から程遠い政治家の多い政党であることを映し出している事例の一つだと受けとめています。

新規記事の本題に入る前に前置きが長くなることの多いブログで恐縮です。このブログに関わるのは土曜か日曜だけと決めているため、日々の思うことを冒頭に盛り込みがちでした。ちなみに一時期に比べ激減しているコメントへのレスも、これまで通り週末に限っていますが、管理人としての役割は適宜対応しています。

さて、ここからが今回の記事の本題です。東京自治研究センターの季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」を昨年の夏号から担当しています。その号では足元からの学校の安全保障 無償化・学校教育・学力・インクルーシブ』を紹介しています。

その次の秋号は『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命』でした。このブログの昨年8月の記事「ベーシックサービスと財源論 Part2」は、連載記事の原稿を書き進める前の下準備としてまとめてみました。季刊誌の原稿の文体は「である調」で字数の制約もあるため、そのまま利用するものではありませんが、骨子や提起したい論点などは同じ内容となっています。

連載3回目となる冬号では、自治労総合組織局が編著した『会計年度任用職員の手引き』を紹介しています。今年3月の記事「会計年度任用職員制度の課題」の中で「私自身の寄稿した内容ですが、許可を得ず、このブログに転載することは控えなければなりません」と説明した上、そのまま利用するものではなく、連載記事の内容に沿って私自身の問題意識を改めて示しています。

今月発行する春号では『「維新」政治と民主主義』を紹介しています。先月末に投稿した記事「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」で初めて当ブログに掲げることを事前に担当の方にお伝えし、了解を得た後、私が担当した頁の内容全文をそのまま紹介していました。

続く夏号に向けた入稿締切は5月末でした。紹介する書籍は公営競技史』とし、少し前に読み終えていました。今回、ブログの新規記事のタイトルを「『公営競技史」を読み終えて」としていますが、入稿する原稿内容を意識しながら書き進めていました。

著者は北海学園大学経済学部地域経済学科教授で、農学博士である古林英一さんです。これまで「『◯◯』を読み終えて」というタイトルの記事を数多く投稿していますが、いつものとおり今回もネタバレに注意し、まずリンク先に掲げられている書籍の紹介文をそのまま転載します。

世界に類をみない独自のギャンブル産業はいかに生まれ、存続してきたのか。戦後、復興と地方財政の健全化を目的に公営競技は誕生した。高度経済成長期やバブル期には爆発的に売上が増大するも、さまざまな社会問題を引き起こし、幾度も危機を迎える。さらに低迷期を経たが、7兆5000億円市場に再生した。各競技の前史からV字回復の要因、今後の課題までを、地域経済の関わりから研究してきた第一人者が分析する。

今回、紹介する『公営競技史』は、公営ギャンブルについて真正面から取り上げた著書です。競馬、競輪、オートレース、ボートレースが公営(JRAも含む)競技に位置付けられています。私自身、オートレース以外、インターネット投票できる環境を整えています。

勤めている自治体は競輪事業の施行者で、従事されている皆さんの労働組合とも長いお付き合いがあります。このような関係性があったため、この著書を知った時、ぜひとも手に取って読んでみたいものと思っていました。

今年の春、ドジャースの大谷翔平選手の専属通訳だった水原一平氏の違法賭博問題が世間を騒然とさせました。水原氏の損失額が60億円以上とも言われ、桁違いな賭け金とともにギャンブル依存症の深刻さに驚かされています。

2016年12月にカジノを含むIR(統合型リゾート施設)推進法が成立した際、ギャンブル依存症の問題が取り沙汰され、反対する声が少なくありませんでした。そもそもカジノの議論が始まる前から日本には巨大なギャンブルアミューズメント市場が存在しています。

戦後の混乱期に誕生した公営競技は、時代に合わせてその内実を変えながら生き残ってきています。しかも現在、バブル期に匹敵するか、もしくは上回る活況にあります。

著者は「幾多の困難を乗り越え、続いてきたからには、それなりの理由があるはずだ」とし、7兆5千億円という巨大なギャンブルアミューズメント産業が、どのように形成され、さらに今後どうなっていくのか論じていきたいと語っています。

賭博は刑法で禁止されています。なぜ公営の賭博が認められているのか、特別の事情があれば違法としないという違法性の阻却のもとに刑法の例外として許されています。4つの公営競技の根拠法に共通する目的とされている特別な事情は「地方財政の改善」とされています。

第2次世界大戦後、疲弊した地方財政に寄与することを目的に誕生した公営競技ですが、経済復興が果たされた後も「なぜ残り得たのか、それを解き明かそうというのが本書の最大の目的だ」と著者は語っています。

「もはや戦後ではない」と叫ばれ始めた頃、戦後復興を旗印にした公営競技にとって存在意義が問われる時期を迎えていました。「社会経済の安定に伴い、廃止されるべきもの」という論調も高まる中、池田勇人総理の諮問機関として「公営競技調査会」が設けられました。

1961年7月の長沼答申と呼ばれる諮問結果は「現行公営競技の存続を認め、少なくとも現状以上にこれを奨励しないことを基本態度とし、その弊害を出来うる限り除去する方策を考慮した」というものでした。

存続する理由として「関連産業の助成、社会福祉事業、スポーツの振興、地方団体の財政維持等に役立ち、また大衆娯楽として果たしている役割も無視することはできない」とされていました。

公営競技が戦後のあだ花ではなく、恒久的な事業として認知され、新たな時代に入ったと著書に記されています。ただ「その後の展開をみると、長沼答申が桎梏となり、新たな問題の起点となったのも事実だ」とも書かれていました。

1969年1月、「ギャンブルは広い意味での公害」と述べていた東京都の美濃部亮吉知事が公営競技からの撤退を表明しました。一方で、京都府の蜷川虎三知事は苦しい地方財政制度の問題とともに公営ギャンブルの是非は総合的に論じるべきと主張した上で「競輪事業から撤退しない」と明言していました。

バブル経済の崩壊後、公営競技の収益は激減します。収益がゼロならまだしも、赤字が続き、厳しい自治体財政のお荷物と化していきます。公営競技場は地方都市における雇用の場として重要な存在でしたが、事業そのものの廃止を決断しなければならない自治体が続きました。

そして今、生き残りに賭けた関係者の努力やネット投票の浸透によって公営競技の収支は改善し、自治体財政への繰出も復活しています。それでも収益の財源上の比率は、かつてに比べると格段に小さくなっているとのことです。

「では公営競技はもうなくてもいいのか?」という意見に対して、著者は「地域社会に必要とされるものとして存在するべきだ」と訴えています。ハード面での災害対応拠点施設としての利用をはじめ、普段から会議室としての貸出や高齢者の居場所づくりを進め、迷惑施設や鉄火場というイメージの転換を推奨されています。

前述したとおり私自身、公営競技に対して親和的な立場です。以前の記事カジノ法案が成立」「ギャンブル依存症の対策」の中で綴っているとおり闇の資金源となる野球賭博などとは一線を画し、違法性が阻却されている場合、自制心を持って楽しむのであれば何も問題はないものと考えています。

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2024年5月12日 (日)

環境省のマイクオフ問題から思うこと

前回記事は「連合三多摩メーデーに絡む個人的な思い」でした。管理人「OTSU」として発信していますが、知り合いの方々からすれば匿名ブログではありません。仮に完全な匿名での発信だったとしても、インターネット上で主張する内容には細心の注意を払わなければなりません。

このブログの内容に対して評価や賛否は分かれるのかも知れませんが、どなたに読まれても差し障りのない責任ある文章の投稿に心がけています。逆に多くの方に目を留めていただきたいものと思っているため、前回記事の投稿については私どもの市長や連合三多摩の皆さんにご案内しています。

本題に入る前に前置きが長くなりがちですが、「文藝春秋」最新号を購入しています。『森喜朗元首相「裏金問題」真相を語る  240分』という特集記事に興味があったからです。森元総理は裏金問題に一切関わっていないことを安倍派関係者らとの実名でのやり取りを示しながら詳らかに語っています。

森元総理は正直に語っているのかも知れませんが、そのことで岸田総理をはじめ、ますます自民党の傷口が広がっていく暴露話であるという自覚は一切ないようです。「政治家を引退し、安倍派の一員でもない」と自己弁護している一方で、随所で岸田総理らに影響力を発揮している自慢話が語られています。

このような配慮のなさや矛盾に気付かず、240分語り続ける森元総理は、ある意味で現役当時そのままで若々しさを保たれている証しなのだろうと思っています。現役の政治家の中にも、ご自身の発言や振る舞いのチグハグさに無自覚な方々の多さが目に付く昨今です。

最近謝罪まで1週間…後手に回った環境省  消音に省内からも疑問の声』という下記のような報道があり、現職大臣の資質が疑われる新たな問題に接しています。水俣病の公式確認から68年目となる5月1日、患者らでつくる8団体と伊藤信太郎環境相との懇談の場で信じられない不手際が見受けられました。

環境省職員が水俣病被害者側の発言中にマイクの音を切った問題で、伊藤信太郎環境相は熊本県水俣市を再訪し、被害者らに直接謝罪する事態に追い込まれた。

1日の患者や被害者らとの懇談後、伊藤氏は記者会見で職員がマイクを切ったことを「認識していない」などと発言した。大型連休中にこの問題に関する報道が相次いでいたが、事務方が伊藤氏にマイクを意図的に切ったことを正式に報告したのは、連休が明けた7日午前だった。

伊藤氏は7日昼、懇談の場で司会をしていた同省特殊疾病対策室の木内哲平室長に対し、現地に謝罪に行くよう指示。木内室長は同日夕方、報道機関向けの説明の場で職員だけで赴くと説明していた。

ところが同日夜、一転して伊藤氏も謝罪に行くことを決定。8日の報道陣の取材に対し「私もいろいろ日程があるので、昨日(7日)急に行くわけにもいかなかった」と釈明し、涙ぐみながら謝罪した。

環境省幹部の1人は「水俣病は環境省(旧環境庁)が発足した原点。重く受け止めたのではないか」と話す。伊藤氏は対応が不適切だったとして、和田篤也次官と神ノ田昌博環境保健部長に対し、口頭で厳重注意した。

懇談から1週間以上経過してから謝罪するなど、環境省の対応は後手に回った。一方、懇談の場での職員の行為には「話している最中にマイクをいきなり切るなんて普通はしない」(環境省職員)など、省内からも疑問の声が上がっている。

木内室長によると、懇談の場では参加団体に3分ずつの持ち時間があり、3分を過ぎた場合にマイクを切るという運用方針を事前に決めていた。当初は会場で周知する予定だったというが、木内室長は「(メモを)読み飛ばしてしまった」と話す。昨年度も同じ運用方針だったが、実際にマイクを切ることはなかった。【毎日新聞2024年5月8日

「痛いよ痛いよと言いながら死んでいきました」と妻を昨春に亡くした水俣病患者連合の松崎重光副会長が発言していました。発言が3分を超えたため、環境省職員が「時間なのでまとめてください」と話を遮った直後、音が切られてマイクを取り上げられていました。

発言時間を3分に制約し、マイクをオフにする行為そのものが水俣病問題の深刻さを軽視し、真摯に教訓化していないような環境省側の姿勢が問われます。「3分でマイクオフ」環境省の司会の台本に明記』という報道もあるとおり事前に打ち合わせして臨んでいることが明らかになっています。

このことを伊藤環境相に伝えていなかったという話も耳にしていますが、マイクが切られたことを「認識していない」と答えたことについて大きな違和感があります。さらに「発言はすべて聞き取りメモをした」という釈明とのチグハグさに驚いています。

水俣病は環境省の前身である環境庁が発足した原点であり、伊藤環境相は水俣病の課題を重視していると語っています。しかしながらマイクオフの問題が取り沙汰され、報道陣に囲まれた時、涙ぐみながら謝罪の言葉を発する伊藤環境相の姿に胸を打つ国民がどれほどいたのでしょうか。

それほど思い入れが深かったのであれば、事前に知らされていなかったしても、懇談の場で台本を修正させる権限と責任が伊藤環境相にはあったはずです。帰りの新幹線の時間を気にしていたようですが、8団体各3分という想定でタイトなスケジュールを組んでいたこと自体、水俣病について軽視していると言われても仕方ありません。

紹介した上記の報道のとおり謝罪まで1週間、さらに最初は職員のみを派遣する運びでした。すべて後手後手の対応となっていますが、思った以上にメディアが大きく取り上げ、批判が噴出したため、急きょ謝罪する姿勢を強め始めたように見えがちです。

謝罪の言葉も事務局の不手際を強調し、事務次官と担当部長を口頭注意しながらも、自らの責任の処し方について発言している場面を目にしていません。重責を負っている立場でありながら、部下や秘書にのみ責任を転嫁していく関係性の既視感は本当に残念なことです。

最後に、ブックマークしている朝日新聞の記者だった鮫島浩さんのブログ懇談会のマイク切りで水俣病患者たちを傷つけた環境大臣を更迭できない岸田首相の事情〜伊藤大臣は麻生派所属!6月解散困難でキングメーカーの麻生氏の意向に逆らえない』を紹介します。政局的な切り口につなげている視点は鮫島さんならではの興味深いところです。

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2024年5月 4日 (土)

三多摩メーデーに絡む個人的な思い

先週土曜、心配した雨は降らずに済み、半袖が心地良かった空の下、連合の三多摩メーデーが催されました。全体で2万人以上の参加があり、私どもの組合はご家族の皆さんも含め200人近くが河川敷の会場に足を運んでいます。模擬店や復興支援物産展、こども広場などが設けられ、コロナ禍前の盛況さが戻っていました。

これまで式典の中で、メーデー会場の市民運動場をお貸ししている地元首長ということもあり、参列している市町村長を代表して私どもの市長が来賓挨拶の指名を受けていました。しかしながら今年、私どもの市長を式典のステージ上で見かけることはありませんでした。

実は今回のメーデーの数日前、秘書課の職員から私に確認のための問いかけがありました。「メーデーに市長が呼ばれていないのですが、このまま予定しなくて大丈夫なのでしょうか?」という問いかけでした。あくまでも非公式な話でしたので現職の組合役員から退いている私に対し、お声かけいただいたようです。

今年、私どもの市長に招待状が届かないこと、その理由も含めて承知していましたが、せっかくの問いかけでしたので改めて連合三多摩の事務局長に私から電話させていただきました。顔見知りの事務局長からは丁寧にお答えいただいています。

やはり何らかの事情で招待状の送付が遅れているという訳ではなく、私どもの市長は来賓の対象から外れているという説明を受けています。開催市の地元首長をお呼びするという習わしはなく、連合三多摩と推薦関係のある首長のみを招待しているというお話でした。

昨年9月の記事「身近な政治、市長選の話」で伝えていましたが、私の勤める市では52年ぶりに非自民系の市長が誕生していました。選挙前、選挙後も私どもの市長は連合三多摩と政策協定を交わしていません。そのため、推薦関係に至っていない自治体の首長の一人となっています。

ただ私どもの市長は都議時代、連合三多摩と推薦関係があり、緊密な連携がはかれていた議員だったことは衆目の一致するところだと言えます。それにも関わらず、メーデーに呼ばれないという現状は、前々回記事「残念な与党、されど野党 Part3」の最後に記した連合と政党との関係性における「反自民・非共産」という原則がネックとなっていました。

前回記事「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」の冒頭で、この原則について今回の三多摩メーデーに絡み、改めて個人的な思いを巡らす機会につながっていることを伝えていました。今回の記事を通し、昨年秋の「連合と政党との関係性」「時事の話題から政治に思うこと」に託したような問題意識を掘り下げてみます。

少し前に『連合・芳野会長、東京15区補選で立民・共産の連携「容認できず」 一貫した〝共産切り〟で改めてクギ』という報道がありました。私どもの市長も東京15区と似通った構図のもとに選挙戦を勝ち抜いてきています。そのことによって「非共産」の原則を違えてしまうため、連合三多摩側が推薦関係を求めていないという現状だと言えます。

先週日曜の午後8時、衆院補選は「ゼロ打ち」と呼ばれる開票率0%の時点で立憲民主党3候補の勝利が伝えられました。『「立憲全勝」の衆院補選、「惨敗」自民党と並んで大ダメージを受けた維新の会』という報道のとおりの結果となっています。

日本維新の会との選挙協力は自民党との政策的な対抗軸にならず、それまで立憲民主党を支持してきた方々の離反を招きかねないものと見ています。このような問題意識を抱えていたため、今回の選挙結果は今後の立憲民主党の選挙方針を明確化でき、意義深いものだったと思っています。

一方で、東京15区のような選挙戦の構図だった場合、支援できないと明言していた連合の芳野会長の受けとめ方は、いろいろ悩ましいものがあろうかと思います。支持協力関係がギクシャクしたままであれば連合側から立憲民主党に何か要望したとしても、つれない対応にとどまっていくことになりかねません。

連合三多摩は各自治体での公契約条例の制定に力を注いできています。私どもの市長は公約に公契約条例の制定を掲げていたため、就任後、条例化に向けて動き出していました。ただ連合三多摩と推薦関係がないため、連携がはかれないままとなっています。連合三多摩が蓄積してきた経験や知見を提供できない関係性は残念であり、私どもの市にとってもマイナスだろうと考えています。

いずれにしても連合が一定の政治的な活動を方針化していながら、これまでの原則を重視していくことで影響力を発揮できない場面が増えていくようであれば、結果的に組合員にとっても望ましいことではないはずです。

連合と政党との関係性において「反自民・非共産」という原則が連合結成以来掲げられています。そのような原則も「組合員にとってどうなのか」という視点を重視した際、属性のみを先行して判断するのではなく、状況に応じて柔軟な対応をはかっていくことも欠かせないように感じつつあります。

上記は、前々回記事の最後に掲げた私自身の端的な問題意識です。そもそも私どもの前市長、その前の市長も自民党から推薦を受けながら当選を重ねていました。それでも「反自民」を掲げた連合と政策協定を交わし、三多摩メーデーのステージ上で来賓挨拶をさせていただいていました。

私自身、まったく違和感を持たず、そのような関係性を築けていることのほうが、私どもの組合にとってもプラスにつながるものと受けとめていました。「反自民」という原則が柔軟に対応できるのであれば、「非共産」という原則に対しても幅広い切り口から検討していくことが可能なはずです。

最も留意すべきことは、連携がはかれる可能性のある政党や政治家の政策的な方向性であり、そのことを前提に連合と政策協定を交わせるかどうかというハードルではないでしょうか。競合組合のたいへんさを肌身で感じていない綺麗事だというお叱りをはじめ、このような柔軟な考え方には強い反発を受けてしまうのかも知れません。

それでも「組合員にとってどうなのか」という視点から判断していくことが重要なのだろうと考えています。もちろん組合役員であれば言うまでもないことで、たいへん失礼な物言いに聞こえてしまうかも知れませんが、長年、連合三多摩の活動に関わってきた一員として、よりいっそう連合という組織の発展を願った個人的な思いであることをご理解ご容赦いただければ幸いです。

現職を退き、「何を今さら」という僭越な訴えであることを重々承知した上で「乗りかかった船」という言葉を思い浮かべています。ちなみに連合三多摩の事務局長に電話した際、来年のメーデーまでには私どもの市長をご招待いただける関係性が築けられるよう要望しています。事務局長との電話の後、秘書課の課長らに連合三多摩の考え方を報告していました。

さらに私どもの市長にも私から直接、このような経緯等をお伝えしています。昨年秋に連合三多摩の政策要請書を受け取った時、市長としては連合側にボールを投げているという認識であることを伺っています。翌日には連合地区協議長とお会いする機会があり、私自身の思いを添えながらお話していました。

最後に、メーデー当日の午後、連合三多摩の議長とも偶然お会いする機会を得ています。メーデーに参加した私どもの組合のメンバーと飲み語り合い、懇親を深めていた最中だったため、言葉が走りすぎていたかも知れず、その節はたいへん失礼致しました。このブログに綴っているような個人的な思いについて、ぜひ、ご理解くださるようよろしくお願いします。

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