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2024年4月28日 (日)

新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』

ゴールデンウイークの初日となる土曜日、連合の三多摩メーデーに今年も参加しています。前回記事「残念な与党、されど野党 Part3」の最後に、連合と政党との関係性において「反自民・非共産」という原則が連合結成以来掲げられていることを伝えていました。

この原則について今回の三多摩メーデーに絡み、改めて個人的な思いを巡らす機会となっていました。書き進めていくと話は広がりそうであり、三多摩メーデーに絡む内容は次回以降の記事で掘り下げていくことを考えています。

さて、不適切にもほどがある政治家の言動が連日、報道されています。岐阜県岐南町と愛知県東郷町の町長は、奇遇にも同じ日に第三者委員会によるハラスメント認定が公表され、報道の翌日に辞意を表明しています。

岐南町長に対しては、女性職員の背後から抱き着くなどの少なくとも99件のセクハラ行為や不快な言動が認定されています。東郷町長は「お前らの脳みそは鳩の脳みそより小さい」「育休を1年取ったら殺すぞ」というような暴言を重ね、机の側面を蹴るなど日常的にハラスメント行為を繰り返していました。

それぞれ辞職が当然視される不適切な振る舞いだったことに間違いありません。それにも関わらず辞職会見で東郷町長「職員をどう守っていくか」“ひとごと”発言?「どの口が言っているのか」と告発元職員』という記事のとおり東郷町の井俣憲治町長のほうは、本当に反省しているのかどうか疑問視されています。

リンク先の記事の最後には「井俣町長は来月2日付で辞職するとしていますが、来月まで在籍すれば、6月に200万円あまりのボーナスが支給されるとみられます」と書かれ、すぐ辞職した岐南町の小島英雄町長に比べると「立つ鳥跡を濁さず」の真逆な対応に終始しているようです。

二人の町長のハラスメントは過去から現在まで続いていた不適切な問題でした。過去の問題がスクープされ、批判を受ける政治家の不祥事も少なくありません。【パパ活辞職】宮澤博行議員、夜の繁華街でキャバクラ嬢に破顔  今井絵理子議員が食べた後の骨をむさぼり食う芸も』という話も最近明らかになっています。

まさしく不適切さにもほどがある話ですが、記者からの質問に対して「記憶にございます」「そんなに事実とかけ離れている訳ではございません」と事実関係を認め、すぐ議員辞職した潔さだけは特筆できます。それほど「記憶にございません」という言葉を頻繁に耳にし、過ちに対する責任の処し方の不充分な政治家が多いことの証しだと言えます。

過ちに対して必要以上に重い責任を問うつもりはありません。しかし、過ちを繰り返さないためには事実関係を詳らかにした上で、過ちの度合いに見合った責任の処し方が欠かせません。事実関係を認めた率直な反省がなければ、同じ過ちを繰り返していく恐れがあります。

前回記事の中で、属性による決め付けた批判は避け、具体的な事例を紹介しながら、その言動や振る舞いを批判するように努めていることを記していました。日本維新の会に対しても、このような事例は「問題ではないか」という視点をもとに紹介していることを伝えていました。

つい最近の事例では維新・音喜多氏 「ミャクミャク像」損壊への投稿「万博反対派と決めつけていない」と“弁明”』という話が気になっていました。リンク先のヤフーのコメント欄には次のような意見の投稿を目にしています。私自身の懸念に近いものであり、そのまま紹介します。

「どれだけ万博に反対意見をもっていたとしても」という文言を、「賛成だとしても反対だとしても」の趣旨であると言うのは、「強弁」以外の何ものでもないのでは。謝罪をするのではなく、こうした「強弁」を通そうというのであるのだから、音喜多氏の言葉は信用できない。

維新は吉村知事が先日、「知事には拒否権がないのだから」、玉川氏の万博入場を排除したことにはならないと、ここでも「強弁」した。維新がこうした「強弁」の政党であり、いったん言い出すと、まちがっていても、発言の修正も謝罪もできない危険な政党であることだけは、今回の音喜多氏によって明らかとなったのでは。

日本維新の会については様々な懸念があります。このブログの中で、季刊誌「とうきょうの自治」の連載記事「新着資料紹介」 を担当していることを伝えていました。5月中旬に発行する予定の最新号では『「維新」政治と民主主義』(山口勝己・著 公人の友社 2023年10月刊 )を取り上げています。

先月投稿した記事「会計年度任用職員制度の課題」の中では「私自身の寄稿した内容ですが、許可を得ず、このブログに転載することは控えなければなりません」と記していました。今回、このブログに掲げることを事前に担当の方にお伝えし、了解を得ています。

そのため、初めての試みとして記事タイトルを「新着資料紹介『「維新」政治と民主主義』」としながら季刊誌の発行に先駆け、私が担当した頁の内容全文をそのまま紹介します。文体は「である調」のため、いつものブログの雰囲気とは少し異なるはずです。 

この書籍が自治労の機関紙で紹介された時、「新着資料紹介」として取り上げられないものかと考えた。ただ公益法人の季刊誌が政治色を前面に出すことには注意を払うべきだろうという自制心も働いていた。政治手法等を論じる形であれば特段支障はないという助言を得た上で、手にして読み終えた後、ためらいが杞憂だったことに気付かされていた。

著者は大阪市の元職員で労働組合の役員を務めていた。大阪で「維新」政治に真正面から対峙されてきた当事者である。大阪府に橋下徹知事が誕生した以降の「維新」政治に対し、物申したいことが山積しているのだろうと思う。あとがきに「冷静さを欠いた表現も散見される」と記していながらも著書全体を通し、厳しい言葉は抑制的であり、俯瞰した立場で「維新」政治を語られていた。

2回に及ぶ「大阪都構想」を巡る住民投票の問題など具体的な事例が綴られているが、特定の政党や政治家を批判するために上梓した著書でないことが読み進む中で伝わってきた。あくまでも大阪で圧倒的な支持を得ている「維新」の政治手法の是非を考察した著書だと言える。

著書の前半で国内外の動きも伝えながら「維新」政治の15年間を振り返っている。イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領誕生の背景と「維新」の躍進に通底するものを示唆されていた。自己の権利を代弁してくれる組織を持たず、自己の権利が労働組合など「既得権益集団」に侵害されていると受け止める層の拡大に対し、既成政党は対応できず、「身を切る改革」を旗印に掲げた「維新」の躍進につながっているという見方である。

歴史的に大阪は、お笑い芸人が参院議員や府知事に選ばれ、「お笑い百万票」と揶揄され、既成政党が弱かった。しかしながらカリスマ的な政治家や政党による「決められる政治」への渇望は、決して大阪特有の問題でないことを著者は危惧している。

意見や利害の対立と分断が深刻化し、容易に妥協点を見出せない中、「決められる政治」の実行力が評価される。しかし、あまりにも拙速で非現実的な政策は結局のところ住民に対して多大な損害を与えかねない。懸念されている問題として、人工島の夢洲を活用する大阪・関西万博やIRカジノが例示されていた。

「維新」政治は選挙で勝利すれば、すべての権力を掌握できるという政治手法である。少数意見の尊重や熟議の軽視、議会のチェック機能の否定につながっている。価値判断が多様化する社会でこそ熟議は重要になり、政治権力の側は価値観を押し付けるべきでなく、多様性を認め合う寛容を旨としなければならない。このような問題意識を著者は強く訴えている。

「分断による統治から信頼でつなぐ自治へ」を副題としている。「維新」政治を地方自治の最終到達点としないためには、賛成か反対かで敵との味方に分断し、敵を論破してその発言権を奪うことで社会を統治する政治と真逆なものをめざさなければならない。信頼関係に基づき対等につながり合い、自己責任の名のもとに他人の苦境に無関心を貫くのではなく、ともに支え合う相互依存のネットワークを重視した自治の必要性を改めて認識させてくれる著書である。

日本維新の会を支持されている方々からは批判を受けてしまう内容なのかも知れません。しかしながら私自身をはじめ、「維新」的な政治手法や具体的な言動に対し、いろいろ危惧を抱いている者が少なくないという主旨で今回のブログ記事も綴っています。あくまでも多面的な情報の一つとしてご理解願えれば幸いです。

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2024年4月21日 (日)

残念な与党、されど野党 Part3

違法賭博に関与した可能性を疑われていたドジャースの大谷翔平選手の潔白が明らかになっています。今月最初の記事「二階元幹事長と大谷選手、好対照な記者会見」の中で「大谷選手にウソは絶対似合いません」と記し、 専属通訳だった水原一平氏のほうがウソをついているという見方に変わった経緯を伝えていました。

この問題が報道された当初、私自身も『大谷翔平を〝見誤った〟北村弁護士が謝罪「大嘘つきにだまされた自分を恥じております」』という記事のとおり大谷選手にお詫びしなければならないような認識でした。やはり大谷選手がウソをつくことはなく、信じて良かったと安堵しているところです。

たり前なことですが、日頃からウソをつくような人ではないという信頼感があった大谷選手だからこそ、今回の問題でも正直に話しているという認識に至ったと言えます。逆に普段から疑いをかけられることの多い人物だった場合、誰も大谷選手の言葉を信じることはできなかったのではないでしょうか。

一昨日、児童手当や育児休業給付を拡充する少子化対策関連法案が衆院を通過しました。公的医療保険料に上乗せして徴収する「子ども・子育て支援金」について、岸田総理は「実質負担はない」と繰り返し説明しています。岸田総理や現政権に対し、日頃から強い信頼関係があれば、そのような説明を信じることができるのかも知れません。

しかし、自民党の裏金問題の対応ぶりをはじめ、正直さや誠実さから程遠い現況を目の当たりにしているため、その場だけ取り繕うような無責任な言葉に聞こえてしまいます。たいへん残念なことですが、つまり「ウソをついているのではないか」という疑いの目で見ざるを得ません。

これまで「信頼できる政治のあり方期待したい政治のあり方」などの記事を通し、現在の政権運営を反面教師としながら私自身の問題意識や要望を綴ってきています。一言で言えば「正直であって欲しい」であり、一貫した誠実さが信頼できる政治につながるはずであり、財政面の負担増なども国民から理解を得ていけるのではないかという思いを綴っています。

より望ましい政治の実現のためには、国民からの信頼を失えば政権の座から下りることになるという緊張感が必要です。しかし、政権交代を果たしたことで政治が混乱し、国民生活に悪影響を及ぼしていくようでは本末転倒です。政権交代が目的ではなく、国民の暮らしや安全を維持向上させていくための手段につながっていかなければなりません。

上記は前回記事「残念な与党、されど野党 Part2」の最後のほうに掲げた私自身の問題意識です。念のため、安倍元総理の「悪夢の民主党政権」という見方につながる問題意識ではありません。そもそも「国民のすべてが悪夢だと思っていた訳ではない」という言葉のほうに首肯しています。

ただ民主党政権時代、拙さや至らなさがあったことも確かだろうと思っています。2009年秋の政権交代直後、このブログでは「新政権への期待と要望」という記事を投稿していました。改めて今、下記のような内容を読み返してみると要望はかなわなかったという思いに行き着きます。 

特に今回の総選挙戦の勝敗を分けた鍵は、マニフェストの優劣だった訳ではない見方が強まっています。自民党政治からの「チェンジ」を願った票の積み重ねが地殻変動を起こし、民主党の勝利につながったものと受けとめています。確かに子ども手当や農業の戸別所得補償制度など、具体的な公約が民主党への支持を広げたことも事実だと思います。一方で、直接的なメリットがないどころか、負担増になる可能性を覚悟した多くの人たちも民主党へ1票を投じているはずです。

つまり個別政策への期待よりも、閉塞感を打開するため、政権選択が大きな判断材料になったものと見ています。以前から民主党の公約だった高速道路の無料化など、簡単に下ろせなかった経緯もあったのでしょうが、正直なところ優先順位の高い政策なのかどうか疑問が残っています。それでも必ず公約の大半は実現に向けて、具体的な検討に入ることが民主党の今後の既定路線です。

仮にマニフェストを軽視した場合、国民との約束を破ることとなり、一気に民主党への批判が強まっていくはずです。したがって、まずは政権公約に掲げた政策の実現に向け、全力を尽くしていくのが当たり前な話だと受けとめています。しかし、著しい歪みや将来への大きな禍根が見込まれた時は、勇気ある撤退や大胆な軌道修正も選択肢に加えて欲しいものと望んでいます。

民主党が期待されているのは、総論としての国民生活の向上であり、明るい未来を切り開くことだと思っています。党としての面子や体裁にこだわり、各論の実現を優先しすぎた結果、逆に国民を不幸せにするような事態は本末転倒なことです。公約を修正する際など、真正面から誠意を尽くして説明責任を果たしていく限り、国民からの信頼も簡単に失墜しないのではないでしょうか。

今回の新規記事を書き始めた時、タイトルを決めていませんでした。少し迷いましたが、「残念な与党、されど野党」というタイトルに「Part3」を付けています。自民党の裏金事件をはじめ、資質の問われる国会議員の多さなど様々な残念さが目立つ与党ですが、されど野党に対する支持率も伸び悩んでいます。

「政権交代を望む」という世論調査での国民の意思とのネジレが起きるようでは問題だろうと考えています。民主党が政権を担っていた時、赤字で掲げた上記の内容のとおり「総論としての国民生活の向上」という軸足さえ、しっかりしていれば各論での迷走は最低限にとどめられたように思っています。

いずれにしても民主党政権が国民から一定の支持を維持できていれば、安倍元総理の「悪夢の民主党政権」という揶揄は一笑に付され、常に「支持政党なし」が過半数を占めるような政治状況も少し変わっていたのかも知れません。

ちなみに現在、東京15区、島根1区、長崎3区で衆院補選が行なわれています。それぞれ選挙戦の構図は大きく異なっています。東京15区は与党候補不在で野党と無所属の候補9名の争いとなっています。島根1区は自民党と立憲民主党、長崎3区は立憲民主党と日本維新の会との一騎打ちという構図です。

これまで3選挙区とも自民党が議席を得ていたため、不戦敗によって2議席減らすことが確定しています。自民党にとって保守王国での1議席を死守できるかどうかの瀬戸際だと言えます。3選挙区に候補者を擁立している立憲民主党は野党第1党争いをはじめ、今後、躍進できるかどうか試金石の選挙戦となっています。

この選挙戦に絡み様々な声が伝えられています。まず『維新・馬場代表「立憲をたたきつぶす必要ある」 自民党とは将来「お互い切磋琢磨」』という過激な発言です。記者会見の場で「たたきつぶす」という言葉を発する馬場代表の傲慢さに驚きました。考え方や意見の合わない政党の存在を許さない姿勢に恐怖感を覚えます。

さらに自民党に対してはシンパシーを隠さない姿勢に分かりやすさを感じています。もともと「総論としての国民生活の向上」という軸足を考えた時、立憲民主党と日本維新の会は、自民党との距離感よりも大きく離れているものと思っています。そのため、立憲民主党と日本維新の会が手を携えて政権交代をめざす姿はまったく想像できていませんでした。

少し前に野田元総理が「立民は関東、維新は関西」とし、すみ分けを提唱したようですが、違和感のある発想でした。この機会にそのような発想はあり得ないものとし、自民党や日本維新の会との違いを強調すべきです。「政権交代を果たしたことで政治が混乱」という事態を避けるためにも、各党の軸足を大事にした選挙協力であることを願っています。

このブログでは、属性による決め付けた批判は避けるようにしています。具体的な事例を紹介しながら、その言動や振る舞いを批判するように努めています。日本維新の会だから批判し、拒絶感を示すのではなく、このような事例は「問題ではないか」という視点をもとに紹介しています。そのような意味合いで、日本維新の会に絡む問題視すべき事例は後を絶ちません。

参考までに『また維新が…元公設秘書らが党国会議員を“告発”  「陰でパワハラに泣いているスタッフばかり」』『《案内状入手》維新“関東のドン”が「企業団体お抱えパーティ」を開催する!《維新の馬場代表も発起人、特別講演の“お墨付き”》』『大阪・吉村洋文知事らの発言に非難殺到、「犯人を万博反対派と決めつけ…」「誤った印象操作」ミャクミャク像損壊事件で』という最近の報道を紹介します。

属性の問題で考えた時、『連合会長、立民候補への共産支援「容認できぬ」 東京15区補選巡り苦言、自主投票に』という芳野会長の発言が気になっていました。昨年秋に連合と政党との関係性時事の話題から政治に思うこと」という記事の中で、連合の立ち位置について個人的に思うことを記していました。

連合と政党との関係性において「反自民・非共産」という原則が連合結成以来掲げられています。そのような原則も「組合員にとってどうなのか」という視点を重視した際、属性のみを先行して判断するのではなく、状況に応じて柔軟な対応をはかっていくことも欠かせないように感じつつあります。

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2024年4月14日 (日)

残念な与党、されど野党 Part2

勤め先の市役所の周囲には多くの桜の木が植えられています。数日前まで満開の桜並木が目を楽しませてくれました。そのような時期は1年の間で、ほんのわずかであり、散っていく花びらのはかなさを感じています。

組合の委員長を退いてから春闘や新人歓迎という季節感のあるワードが、このブログから消えています。久しぶりに今回、春という季節にちなんだ書き出しとしていました。ただ本題そのものは、春とは無縁の前回記事「残念な与党、されど野党」の続きとして「Part2」を付けたタイトルとしています。

もともと政治的な話を頻繁に取り上げてきたブログですが、ますます時事の話題を紹介しながら今の政党や政治家に対する思いを綴る機会が増えています。あくまでも個人的な思いの吐露であり、受けとめ方や評価は人それぞれだろうと思っています。

ごく最近『まさかの「野合にダブルスコア近く」NHK最新世論調査で判明・与党の支持率に自民関係者も思わず驚愕』という報道を目にしています。自民党の関係者まで驚愕しているという見出しを付け、ある自民党衆院議員秘書が次のように語っていることを伝えています。

自民党があれだけの事件を起こしたにもかかわらず、3割近い支持率があります。支持政党なしは4割ありますが、まあ、いつものこと。自公合わせた支持率が32.4%なのに対し、立憲、維新、共産、国民、れいわ、社民を足しても17.3%しかありません。ダブルスコアに近い数値です。

政党支持率が、そのまま選挙結果として数字に表れるわけではありませんが、与党と野党の政党支持率は接近しているのでは、と予想していました。なので、この数字は想像を超えており、かなり驚きましたね

時事通信の調査では『内閣支持16.9%、最低更新  不支持初の6割台―時事世論調査』でしたが、自民党の支持率は16.3%で前月から1.7ポイント増えています。立憲民主党も前月比0.6ポイント増でしたが、4.1%にとどまり、自民党に大きく水をあけられています。

自民党の裏金事件をはじめ、資質が問われる国会議員の多さなど様々な残念さが目立つ与党ですが、されど野党の支持率も伸び悩んでいます。総選挙戦に突入しても「自民党はそれほど負けなかった」という結果だった場合、真摯に向き合うべきだった数々の問題も禊を済ませたとして不問に付されかねません。

「政権交代を望む」という世論調査での国民の意思とのネジレが起きるようでは問題だろうと思っています。より望ましい政治の実現のためには、国民からの信頼を失えば政権の座から下りることになるという緊張感が欠かせないはずです。そのためにも野党側はどうすべきなのか、興味深い記事を紹介しながら個人的な思いを書き添えていきます。

まず『野田元首相・田﨑史郎氏に問う今後の政局 “矜持なき自民党”とそれでも支持されない野党』という記事です。「なぜ立憲の支持率は上がらないのか」と問われた野田元総理は「政権を取った時にどういう暮らしを保障してくれるのか、安全保障は大丈夫なのかといった安心感も同時に問われている」と答えています。

野党の支持率が上がらない主因は、この一言に尽きてしまうのかも知れません。自民党政権に不満を強めても、実際の政権運営を考えた時、立憲民主党を筆頭にした野党に委ねることを不安視する方々が多いのだろうと思っています。

2009年の政権交代前は、自民党が支持率を下げるたびに民主党は支持率を上げていきました。「一度、民主党に任せてみたい」という未知の期待が大きかったはずです。当時のブログ記事の冒頭で、政権交代を果たした鳩山内閣の支持率は軒並み70%を超えていたことを伝えています。

しかしながら民主党を中心にした政権は3年3か月の短命で終わっています。この3年余りの政権運営が国民からの期待を裏切り、失望感を募らせたという評価につながりがちです。安倍元総理からは「悪夢の民主党政権」と揶揄されていたこともあり、政権交代を望む声がそのまま野党の支持率上昇につながりづらくなっているものと考えています。

それでも『民主党政権はそこまでひどかったのか? 安倍政権と比べてみると…』という論評もあり、民主党政権時に実現した政策等の中で、評価すべき点も多いという見方があることも確かです。「安倍元首相にとっては民主党政権時代は悪夢だったろうが、国民のすべてが悪夢だと思っていた訳ではない」という言葉に首肯しています。

「悪夢の政権」「批判だけ」…自民のレッテル貼りに惑わされるな  リベラルが結集すれば政権交代は可能』という記事は、明確な立ち位置のもとに綴られている内容です。経産官僚だった古賀茂明さんの論評で、少し言葉が走りすぎているようにも見受けられますが、全体を通したトーンは共感を覚えるものです。

「野党は批判だけ」というレッテル貼りに対して立憲民主党は国会に多くの法案を提出している。その内容を見れば、有権者は同党の政策立案能力に驚くはずだ」と指摘しています。このことを大手マスコミは報道せず、ネットなどで人気のある「似非有識者」たちも立憲提出の法案など読むことすらしないまま、平気で「野党は批判ばかりで……」などと無責任なコメントをしていることを古賀さんは憤られています。

野党第一党の立憲民主党に求められることは、第一に、自らの能力に自信を持つこと。第二に、「批判だけ」という批判を恐れぬ勇気を持ち、政治改革について安易な妥協をしないこと。そして、何よりも大事なのは、国民を信じること、である。強い気持ちでこれを貫徹すれば、政権交代は決して夢ではない。

上記は古賀さんの論評の結びの言葉です。より望ましい政治の実現のためには、前述したとおり国民からの信頼を失えば政権の座から下りることになるという緊張感が必要です。しかし、政権交代を果たしたことで政治が混乱し、国民生活に悪影響を及ぼしていくようでは本末転倒です。

政権交代が目的ではなく、国民の暮らしや安全を維持向上させていくための手段につながっていかなければなりません。このような問題意識のもと、まだまだ書き足したい個人的な思いがありますが、毎週末更新しているブログですので、 あまり盛り込みすぎず、この続きは次回以降の新規記事に委ねていきます。

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2024年4月 6日 (土)

残念な与党、されど野党

前回記事のタイトルが最初「二階元幹事長と大谷選手、好対照な記者会見」ではなかったと伝えていました。マイナスになるのか、プラスにつながるのか、好対照だった二つの記者会見の話は前振りのつもりでした。書き進めるうちに思った以上に長くなってしまい、途中で記事タイトルを変えていました。

今週末の新規記事に改めて「残念な与党、されど野党」というタイトルを付け、今の政治に対して個人的に思うことを書き進めていきます。自民党の裏金問題は当ブログの記事で何回も取り上げてきています。

違法だった問題性もさることながら政治家自身の資質や自民党という組織のガバナンスの不充分さが浮き彫りにされている事件です。『[深層NEWS]自民39人処分、御厨貴氏「曖昧な処分は危機コントロールできていない表れ」』という見出しの記事には次のように書かれています。

政治アナリストの伊藤惇夫氏と東大の御厨貴名誉教授が4日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、自民党派閥の政治資金規正法違反事件に関係した安倍、二階両派の議員ら39人の処分結果について議論した。

伊藤氏は、「離党勧告」や「党員資格停止」など4段階の処分の線引きが不明確だと指摘。「処分結果に納得感がない原因は実態解明が進んでいないからだ」と述べた。御厨氏は「曖昧模糊な処分は、自民党がクライシス(危機)コントロールができていない表れだ」と語った。

この問題での曖昧な幕引きは許されません。自民党としては区切りを付けたいと考えているのでしょうが、今回の処分結果の公表はかえって新たな不信感や疑念を高めていくように思っています。

個々の政治家の資質の問題で言えば『自民裏ガネで処分「武田良太」が地元で起こしていた「市長恫喝」飲み会はパワハラか』という報道などに接すると「国会議員って、そんなに偉いの?」という思いを強めることになります。

安倍派に所属していた長谷川岳参院議員はキックバックが一切なかったと答えています。うがった見方として、議員自身に人望がないためキックバックを得られるほどパーティー券をさばけなかったのではないかという話も耳にしています。

「厚労省の『過労死ライン』を優に超えている…」吉幾三が告発した“機内横柄男”長谷川岳参議院議員(53)の“要求”対応で札幌市職員の残業が月100時間超!《市側は取材に残業を認める》『《地方公務員法違反を強要か》長谷川岳参院議員(53)“恐怖の出張要求”札幌市役所職員が10カ月で26回東京出張していた!《わずか15分間のレクのために出張も》

長谷川参院議員に関しては最近、上記のような信じられない横柄な逸話が立て続けに明らかになっています。不適切にもほどがある政治家の言動は政党を問わず、個人的な資質の問題として、とらえるべきなのかも知れません。しかし、自民党の国会議員の中に占めている割合の多さは否めないように思っています。

衆院の選挙制度が中選挙区から小選挙区制に変わってから個々の政治家の資質や実績よりも、政党の看板だけで当選できるようなケースが増えています。いわゆる「◯◯チルドレン」と呼ばれるような国会議員の存在が目立つようになっています。特に第2次安倍政権以降、自民党の「魔の4回生」が有名です。

さらに選挙区に強力なライバルが見当たらない場合、自民党の公認さえ得られれば当選確実となるため地道な活動よりも党幹部や重鎮の顔色をうかがうようになりがちです。このような傾向は若手に限らず、ベテラン議員にも顕著になっているように思っています。

裏金問題に対する危機感の欠如も同じような構図を感じ取っています。自民党の看板さえ外さなければ、ひとたび選挙戦に突入しても国会に戻ってこれる、つまり禊を済ませたという大義名分が立つものと解釈している議員が多いのではないでしょうか。

したがって、離党処分を受けた塩谷立参院議員は、そのような重要な看板を剥奪されたため容易に承服できないのだろうと見ています。一方で、世耕弘成参院議員が「明鏡止水の心境であります」という言葉とともにスンナリ離党届を出していることは意外でした。

すると『自民離党の世耕氏「無所属で衆議院に出る」 衆院『和歌山2区』で二階氏の後継候補とし烈な選挙戦か』という報道があるとおり世耕参院議員はピンチをチャンスに変える、したたかな計算を働かせているように見られています。さらに日本維新の会に接近するという憶測もあり、「明鏡止水の心境」に至っている理由がよく分かりました。

少し深読みしすぎなのかも知れませんが、結局のところ自分自身の行く末を最も重視しているような国会議員の多さに落胆しています。先月末に行なわれたJNNの世論調査で次の衆院選で「政権交代を望む」が42%となり、「自公政権の継続を望む」32%を上回る結果が示されています。

しかしながら3月24日に投開票された熊本知事選は、与党側が推薦した候補者の勝利に終わっています。「保守王国」熊本で薄めた自民色  知事選初当選・木村敬氏の作戦』というステレス的な分かりづらさがあったようですが、選挙結果は厳粛に受けとめていくことになります。

様々な残念さが目立つ与党ですが、されど野党も自民党の政党支持率に水をあけられたままで躍進の兆しが見られません。総選挙戦に突入しても「自民党はそれほど負けなかった」という結果となり、世論調査での国民の意思とのネジレが起きるようでは問題だろうと思っています。

より望ましい政治の実現のためには、国民からの信頼を失えば政権の座から下りることになるという緊張感が欠かせないはずです。そのためにも野党側はどうすべきなのか、興味深い記事を二つ紹介します。

野田元首相・田﨑史郎氏に問う今後の政局 “矜持なき自民党”とそれでも支持されない野党』『「悪夢の政権」「批判だけ」…自民のレッテル貼りに惑わされるな  リベラルが結集すれば政権交代は可能 古賀茂明

上記の記事内容をもとに私自身の問題意識も書き添えていくつもりでしたが、長文ブログは敬遠されがちです。そのため最近は、ある程度の長さで区切りを付けるようにしています。毎週末、必ず更新しているブログですので、あまり盛り込みすぎず、この続きは次回以降の新規記事に委ねていきます。

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