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2024年2月10日 (土)

駅頭で訴えた平和への思い、2024年冬

前回の記事は「自民党の裏金問題」でした。ルールを守れない自民党の国会議員の多さも問題ですが、明らかに嘘だろうという説明に終始する姿勢に対し、よりいっそう憤慨せざるを得ません。

昨年12月には「旧統一教会と自民党、2023年冬」という記事を投稿していました。最近、旧統一教会との関わりでも『林官房長官、盛山文科相と旧統一教会のズブズブな関係 「選挙運動を手伝い2週間で2万人に電話」「関連団体が千羽鶴で“応援”」』という報道のような問題が取り沙汰されています。過去に接点があったという問題以上に、やはり次のような不信感のもとに憤りを覚えがちです。

一昨年10月の記事「信頼できる政治のあり方」の中で「自分自身も省みる中で、完璧な記憶力はありません。すべての事象を正確に把握している知識や情報収集能力もありません。そのため、時には誤ったことを言葉にしてしまう場面もあります」と記し、次の言葉につなげていました。

大切な心構えは誤りが分かった場合、すみやかに訂正し、謝罪することだろうと考えています。最悪な振る舞いは自分の誤りを認めず、その誤りを糊塗するため、嘘に嘘を重ねることです。

ジャーナリストの青木理さんは盛山文科相の最近の振る舞いに対し、「アホですか?」「全部、ウソなんですよ」と痛烈に批判しています。解散命令請求を出している文科相という重責に照らした時、嘘を重ねているのか、本当に記憶力に問題があるのか分かりませんが、すみやかに職を辞すべき事態だろうと思っています。

このような話は次回以降の記事で改めて取り上げていくつもりです。今回の記事タイトルは「駅頭で訴えた平和への思い、2024年冬」としています。一昨年5月の記事「駅頭で訴えた平和への思い」と同じような趣旨のもとに書き進めていきます。

以前の記事「反核座り込み行動で訴えたこと反核座り込み行動で訴えたこと、2020年冬の中で紹介したとおり三多摩平和運動センターは6日もしくは9日、毎月、三多摩各地のいずれかの駅頭で座り込み行動に取り組んでいます。

1945年8月6日に広島、8月9日には長崎に原爆が投下されました。その日を忘れないために「核も戦争もない平和な21世紀に!」と記された横断幕を掲げ、駅前のデッキ上の一画に座り込みます。その座り込みの横で、駅前を通行している方々にチラシを配布したり、拡声器を使って反戦反核についての様々な主張をアピールするという行動です。

今月9日は地元のターミナル駅前での取り組みでした。センターの個人会員として呼びかけられ、当日は私どもの組合委員長らとともに参加しました。これまで地区連絡会の代表という肩書があったため、このような行動の際、必ず私自身もマイクを持つ一人として指名されていました。

今回も事務局長から事前のメールで要請を受けていましたが、「個人会員の一人という立場で恐縮ですが、時間的に余裕があるようでしたらトークも了解しました。当日、他に大勢いらっしゃるようでしたら出番がなくても結構です。臨機応変にご対応ください」と返信していました。

マイクを持って呼びかける際、以前は原稿を用意せず、その時々に思ったことをアドリブで訴えていました。そのため、時間超過気味のサインを送られる場合もあり、終わった後に「あのことも触れれば良かった」と思う時も多々ありました。

このような点を防ぐため、数年前から訴えたい内容の原稿を事前に用意するように心がけていました。これまで当ブログを通し、不特定多数の皆さんに訴えてきた論点をまとめたものが原稿の内容となります。今、私自身が切に願うことであり、どのような言葉を尽くせば良いのか、いろいろ考えながら原稿を仕上げていました。

今回、出番がなかったかも知れませんが、これまで同様、5分程度の内容の原稿をまとめて駅頭に向かっていました。ちなみに出番がなくても当ブログの新規記事の中で紹介しようと考えていたため、その作業時間が無駄になることはありませんでした。

ただ原稿を仕上げていく中で、どうせならばネット上にとどまらず、実際の場面で不特定多数の方々に訴えられればと思うようになっていました。最初の頃は、まったく知らない方々に向け、拡声器を使って話すことが気恥ずかしく、脈拍も上がっていたかも知れません。

やはり慣れなのでしょうか、もう何年も前から上がることはなく、駅頭で訴えることをたいへん貴重な機会だととらえるようになっていました。とは言え、駅前を行き交う方々の中で足を止めて耳を傾けてくださる方は、まずいません。

ほとんどの方が聞き流していくようなアピールの場に過ぎませんが、私自身の出番があるのであれば最も訴えたいことを自分の言葉を尽くして訴えてみようと考えながら、いつも駅頭の行動に臨んでいました。

今回、記事タイトルを「駅頭で訴えた」としているとおり当日、私にもマイクを持つ順番が回ってきました。せっかくの機会を得られ、一人でも多くの方に、ほんの少しでも気に留めていただけたらと願いながら、平和への思いを心を込め、時には声を大にして、訴えさせていただきました。

このブログでの発信は不特定多数の皆さんが目にすることを常に意識しています。駅頭での訴えと同様な関係性であり、一人でも多くの方に伝えたい思いをブログに託しています。このような趣旨を踏まえ、今回の記事でも反核座り込み行動の時に訴えた内容をそのまま掲げさせていただきます。

反核座り込み行動で訴えた内容

新年を迎えた日の午後4時過ぎ、能登地方を震源に震度7の地震が発生しました。穏やかなお正月の風景が一転してしまった辛苦に思いを寄せています。一日でも早く以前と同じ日常が取り戻されていくことを深く祈念しています。

一昨年2月にはロシアがウクライナに軍事進攻し、未だ戦火の消える兆しが見出せません。そのような中、昨年10月にはパレスチナの地で新たな戦火が上がっていました。

イスラム組織ハマスが突如、イスラエルへ大規模な攻撃を開始しました。これに対し、イスラエル側は空爆や地上侵攻で反撃し、ハマスを壊滅させようとしています。対立の激化によって、子どもたちを含め、多くの住民が戦闘の犠牲になっています。

尊い命を奪われた方々は、何か過ちや落ち度があった訳ではありません。自分たちでは制御できない悲運に遭遇し、平穏だったはずの日常が奪われてしまった悲劇の数々だと言えます。

しかし、自然災害と戦争には大きな違いがあります。大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めません。しかしながら戦争は権力者の「意思」によって引き起こされるため、人間の「意思」によって抑えることができるはずです。

街行く皆さんも、私自身も、誰もが戦争は避けたいと願っています。岸田総理も同様だろうと思っています。そのために防衛費を増やし、基地機能を強化し、反撃能力も高めようとしているのだろうと理解しています。

攻め入れば手痛いダメージを負うという軍事力による抑止効果こそ、戦争を防ぐ最も必要な対策だと考えている方が増えつつあります。そのような方々からすれば、私たちが取り組む座り込み行動の意味に疑問を持たれるのかも知れません。

しかし、圧倒的な軍事力で優位に立っていたはずのイスラエルがハマスから攻撃を受け、多くの住民の命が失われています。イスラエルの反撃によって、ハマスを壊滅状態に追いやるのかも知れません。それでも最初に受けた攻撃で失われた命が戻ってくることはありません。

抑止力を頭から否定するものではありません。しかしながら敵対関係が続く限り、このような事態を100%防ぐことは困難です。安全保障のジレンマという言葉があるとおり武力一辺倒での抑止力に限界があることを認識していかなければなりません。

最終的に国家として戦争に負けなかったとしても戦闘の犠牲になった命は、本人にとってはもちろん、家族や友人らにとって唯一無二のものです。そのため、為政者はそのような事態を一度たりとも生じさせてはいけないという決意と知略のもとで力を尽くして欲しいものと切に願っています。

さらに軍拡路線は国家財政を逼迫させ、国民生活にも影響を及ぼしていくことになります。そもそも軍事力の拡大ということ自体が戦争を招くという見方もあります。敵の基地や中枢を攻撃できる能力を持つということは、相手方に脅威を与え、軍事的な緊張が高まるという見方です。

戦争を未然に防ぐためには「攻めたら反撃される」という抑止効果とともに「先に攻めるつもりがない」という相手方を安心させるメッセージとのバランスが重要です。対話できる関係を築き、相手方にこちらを敵視する「意思」がなくなれば切迫した脅威は消えていくはずです。

その上で、平時の外交交渉の場面では相手方の主張にも耳を貸していくという姿勢が求められていきます。外交交渉の扉を開いていることが、武力衝突を避ける関係性につながり、戦争を防ぐための欠かせない道筋だろうと考えています。

北方領土の問題がありながらも首脳間での対話を重ねていたことで、ロシアに対する脅威が薄れていたことは一例だと言えます。そのロシアは、国際社会の中で禁止されている侵略戦争に手を染めてしまいました。

台湾有事を防ぐためにも、軍事力で「自国の正義」を押し通そうとした場合、国際社会で孤立し、甚大な不利益を被るという関係性を築いていくことが非常に重要です。

反核座り込み行動にあたり、核兵器の問題にも触れさせていただきます。核兵器の開発、保有、使用を禁止する条約が2021年1月に発効しています。核兵器は違法だという流れが国際社会の中で定められています。

しかしながら日本をはじめ、核保有国や核抑止力に依存する国々は署名・批准していません。国際社会が過去の教訓や未来への希望を託しながら定めたルールに対し、唯一の戦争被爆国である日本こそ、核兵器の非人道性や地球規模で及ぼす影響を訴えていくべきではないでしょうか。

最後に、武力で平和は築けません。憎しみの連鎖がテロや戦争を引き起こしていきます。自然災害と異なり、戦争は人間の「意思」で防げるはずです。一刻も早くいかなる国や地域で戦火が消えることを心から願っています。

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