『ロッキード』を読み終えて
元旦の午後4時過ぎ、能登地方を震源に震度7の地震が発生しました。被災された皆さんに心からお見舞い申し上げます。前回記事は「2024年、平穏な日常の大切さ」でしたが、まさに穏やかなお正月の風景が一転してしまった辛苦に思いを寄せています。一日でも早く以前と同じ日常が取り戻されていくことを深く祈念しています。
前回記事で、辰年にロッキード事件とリクルート事件が起きたことを伝えていました。年末の記事「2023年末、今の政治に思うこと」で自民党の裏金問題を取り上げたとおり不明瞭な政治資金の問題は辰年の今年、さらに大きな広がりを見せていく様相です。
ロッキード事件に関しては、真山仁さんの著書『ロッキード』を読み進めていたことを伝えていました。昨年末に文庫本化された600頁を超える厚さの書籍です。一気に読み切りたい面白さのドキュメンタリーでしたが、年末休みに入ってから読み終えています。『ロッキード』は多面的な情報の一つとして、このブログで取り上げたい絶好の題材だと考えていました。
昨年末12月16日、田中角栄元総理が没してから30年という節目の日を迎えていました。これまで田中元総理は金権体質の際立った「罪」多き政治家の筆頭だと思ってきました。『角栄に花束を』というコミックも愛読していますが、最近、いろいろ田中元総理の「功」の部分に触れる機会が増えています。
ちなみに当ブログでは「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」「『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて」「『鬼滅の刃』を読み終えて」「『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えて」など「…を読み終えて」というタイトルの記事を数多く投稿しています。いつものとおり今回もネタバレに注意し、まずリンク先に掲げられている書籍の紹介文をそのまま転載します。
「角栄は本当に有罪だったのか?」 今日にいたるまでくすぶり続けるロッキード事件の様々な疑問を解明すべく、著者は事件の全貌を洗い直す。辻褄の合わない検察側の主張、見過ごされた重大証言、そして、闇に葬られた〈児玉ルート〉の真相――。疑惑の背後に、戦後から現在まで続く日米関係の暗部が見えてくる! 特捜神話の真実を関係者の新証言と膨大な資料で剔抉する。
リンク先のカスタマーレビューの「田中角栄が、冤罪であるとする書物は、10年くらい前から複数出版され読んでいたが、氏に近しい方々が弁護で記述したという感想でした。しかし、本書は、証言、記事、裁判記録などを正確にかつ、また、隠された真実を想像で補うことで、真の姿を現すことができたと思います」という声が、この書籍の性格を言い表わしています。
前回記事で取り上げた大川原化工機の不正輸出を巡る冤罪事件のような事例を思い起こした時、検察側の「結論ありき」の強引な捜査や取り調べのあり方を問わなければなりません。さらに裁判所が検察側の主張や証拠に重きを起きがちな傾向も危惧すべき点です。
あらかじめ強調しなければなりませんが、安倍派を中心にした裏金問題が「冤罪ではないか」というように見ている訳ではありません。定められたルールを明らかに違反していながら「ここまでは今まで問題視されていなかった」という安直さが目に付き、結局のところ自民党側の緩みや驕りが浮き彫りになっている事件だと思っています。
もう一つ、田中元総理が退陣する引き金となった金脈問題すべてに対し、違法性が一切なかったと言い切るつもりもありません。時代背景が違い、公職選挙法の枠外とは言え、自民党総裁選で多額な現金が飛び交っていたことは周知の事実です。そのような現金は裏金の類いであり、当時の法律でもアウトだったような事案があったのかも知れません。
あくまでも真山さんが執筆した『ロッキード』を読み終え、多くのカスタマーレビューと同様、私自身もロッキード事件においては田中元総理が冤罪だったと感じ取っています。なぜ、そのような考えに至ったのか、いくつか書籍の中で興味深かった箇所を紹介していきます。
すべての現金授受は白昼堂々と行われている。さらに、四度目を除くと、いずれも屋外での授受だ。他人の目に触れない場所で、密かに行われるべき行為を、なぜこんな場所で。参加者の大半が顔を知っている総理大臣の政務秘書官と丸紅専務が、ダンボール箱を車に積み替えている姿など、もはやコメディとしか思えない。
『ロッキード』には検面調書の内容のおかしさや矛盾が数多く綴られています。「検事に調書をでっち上げられた」と被告人の大半が裁判で調書の内容を否定します。しかし、法廷での証言を裁判所は一切認めず、検面調書の内容を自白として証拠採用していきます。
このような不合理な経緯や事実関係が書籍の随所で明らかにされています。金脈問題で田中元総理を追い込めなかった検察は世間から非難されていました。そのため「今回は角栄を絶対塀の内側に落とすんだ」という言葉が漏れ伝わりながら、有罪という「結論ありき」の構図のもとに検察は突き進んでいきます。
真山さんは「若狭をはじめとする全日空関係者は、その犠牲者だったかも知れない」と評し、自治大臣を務めた石井一さんの「日本には、法の下でジャッジするという感覚が根づいていなかった。ロッキード事件で、オヤジが逮捕されると、日本人が、オヤジの有罪を確信した。主要メディアが有罪判決を下していたんだ」という言葉を伝えています。
前々回記事の中で「田中元総理の逮捕は無理筋かどうか極めて慎重な判断が必要だったはずであり、政敵関係にあった三木武夫元総理のもとでの大きな岐路となっていました」と記していました。当時の世論を踏まえた際、もしかしたら三木元総理でなくても同じ結果をたどったのかも知れません。
米国、三木総理、検察庁、そしてメディア――はそれぞれが欲しいものを手に入れるために、角栄を破滅の淵に追いやった。角栄にとっては、余りに理不尽で不運な事態が、重なった。だが、角栄を破滅させた本当の主犯は、彼らではない。政治家・田中角栄の息の根を止めたのは、別にあった。世論だ。かつては今太閤と持て囃した国民こそが、角栄を葬ったのだ。
誰も世論には逆らえない 世論とは”世間一般の人が唱える論”。”社会大衆に共通な意見”と、『広辞苑』は言う。世論は、同調圧力でもある。同調圧力の威力が凄まじいのは、今も昔も変わりなく、少数意見を持つ人は、沈黙してしまう。その沈黙が、さらに世論にバイアスをかける。
上記は、書籍の最後のほうの「角栄を葬った怪物の正体」という見出しが掲げられた章の書き出しの言葉です。『ロッキード』を読み終えて、「シロ」を「クロ」と見誤らないためにも改めて多面的な情報に触れていくことの大切さをかみしめています。
書籍の前半では、田中元総理の生い立ちなどが綴られています。政治家をめざした時、総理大臣になった時、それぞれ田中元総理自身の政治信条を表わした言葉が記されています。最後に、特に印象深かった田中元総理の言葉を二つほど紹介します。
国会議員の仕事は、国民がより良き生活をするために法律を定め、国家予算を適正に配分することだ。政治家が国民のために汗をかき、それで皆が幸せになれる。
総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない。国民を飢えさせてはいけない。これに尽きる。それ以外は些末なことだ。
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