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2024年1月27日 (土)

『国防』から思うこと Part2

自民党の裏金問題で最も憤りを覚えるのは『「秘書がやった」と言えば政治家は罪を許される…自民党裏金問題が明らかにした「検察と自民党」の異常な関係』という記事のとおりだろうと思っています。特に『「秘書に質問しながらじっくり確認」世耕弘成 裏金事件で「秘書任せ」も14年前にしていた“真逆の民主批判”』という記事に触れると、ますます国会議員としての矜持を疑わざるを得ません。

この問題は来週以降、改めて取り上げる予定です。今週末は前回記事「『国防』から思うこと」の続きとしてタイトルに「Part2」を付けて書き進めていきます。昨年末の記事「今年も不戦を誓う集会に参加」の最後のほうで「どうすれば戦争を防ぐことができるのかどうか」という宿題を課していました。

その「どうすれば」は以前の記事「平和の話、インデックスⅣ」や「戦火が消えない悲しさ Part2などを通し、私自身の思いや問題意識を綴ってきています。今回の記事でも防衛庁長官を歴代2位に及ぶ期間務めた自民党国会議員の石破茂さんの著書『国防』の中で、興味深かった箇所を紹介しながら「どうすれば」という思いを深掘りしてみるつもりです。

書籍を読み進める中で付箋を添えていた箇所があります。2003年に北朝鮮が日本海に向けて地対艦ミサイルを発射しました。当時の石破さんは、農閑期に行なう恒例行事としての訓練であり、その情報に全然驚かず、公表するものではないという認識でした。海上保安庁から国土交通省に上がった情報にマスコミが飛びつき、大騒ぎになってしまったと書かれています。

マスコミが脅威を煽り、「敵対行為である」と騒ぎ始めることの危うさを石破さんは指摘しています。相手国からすれば「いつもの訓練をしているだけで、そんなに騒ぐとは、わが国をそんなに敵視しているのか」と緊張関係を高める結果につながりかねないことを危惧されていました。

日頃から万が一に備えることや国民に向けた情報開示も必要なのかも知れませんが、私自身、北朝鮮のミサイル発射を必要以上に騒ぎ過ぎているのではないか、そのような疑問を抱いています。人間の意思によって引き起こされるのが戦争です。敵対視し合っていくことよりも、お互い対話の窓を開いていく道筋こそ「どうすれば」の答えの一つだろうと思っています。

戦争を防ぐため、一定の抑止力が必要であることも理解しています。石破さんの『国防』の中ではイージス艦や戦闘機などの性能や能力について解説しています。同時に石破さんは「軍備なんて何も生まないのですから、もし世界が平和であればどんどん軍縮すべきです」という言葉も書きしるしています。

このような知見のもとに「戦車を持つ意味は何だろうか」というゼロからの議論を提起し、防衛庁の長官だった当時、いかに合理的に予算を使うかを考え直す作業に取り組まれていました。その結果、2004年度の防衛費はトータルで見れば1%減らしたと記しています。

安全保障のジレンマのもと軍備を拡張していく路線は国家財政を逼迫させ、国民生活にも影響を及ぼしていくことになります。以前の記事「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」に綴っているとおり軍縮交渉は戦争を回避する目的とともに国家予算を疲弊させず、経済を建て直すことも念頭に置かれています。

いずれにしても武力衝突を避けるためには常に外交交渉の扉を開いていくことが最も重要です。北方領土の問題がありながらも首脳間での対話を重ねていたことで、数年前までロシアに対する脅威が薄れていたことは一例だと言えます。

前々回記事「もう少し田中角栄元総理の言葉」で紹介した総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない」という言葉を出発点として、為政者は外交力を高めることに力を注いで欲しいものと願っています。

脅威を必要以上に煽り、実効性の検証等が不確かなまま防衛費の数字だけ大幅に増やしていくという発想であれば懸念すべきことだと思っています。そもそも本当に欠かせない防衛力の増強だった場合、基幹的な税の引き上げなど恒常的な財源確保が必要とされていくのではないでしょうか。

昨年11月の参院予算委員会で立憲民主党の辻元清美さんの防衛費の増額に関わる質問に対し、岸田総理は「円安でも範囲内に収める」と答弁しています。辻元さんは「去年、5年間の防衛費を43兆円に増額すると決めた時、為替レートを1ドル108円で試算している。今の為替レートでは43兆円をはるかに突破するのではないか」と指摘しました。

これに対し、岸田総理は「43兆円という金額は必要な防衛力を用意するために検討し、吟味して積み上げた数字だ。閣議決定した数字なので、この範囲内で防衛力を強化していく方針に変わりはない。為替の動向も見ながら効率化や合理化を徹底し、現実的にどういった効果的な防衛力の強化ができるか、財源の確保と合わせて具体化していきたい」と述べています。

このようなやり取りは「43兆円という数字ありき」で、どのような装備をどれほど必要なのかという緻密な検討の不充分さを露呈させています。同日の参院予算委員会では大阪・関西万博についても議論されています。こちらは当初決めた数字を青天井に膨らませています。

いずれにしても戦争を防ぐために本当に必要な防衛予算だとすれば「数字ありき」という発想ではなく、さらなる増額などについて真摯に国民への理解を求めていくべきだろうと思っています。『国防』から今後の防衛費の話に広げてみましたが、最後に念のため、私自身は43兆円という増額そのものに懐疑的な立場であることを申し添えなければなりません。

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2024年1月20日 (土)

『国防』から思うこと

自民党の裏金問題は派閥を解散する動きにまで至っています。昨年末の記事2023年末、今の政治に思うこと」の中で、今後「ルールを変えました」と説明されたとしても、ルールを守ることを軽視した政治家が一掃されない限り、同じ過ちは繰り返されていくのではないか、そのように記していました。

そもそもリクルート事件で国民からの政治不信が高まった時、自民党は「派閥解消」を唱えていました。その時の決意は上辺だけの軽いものであったことが、浮き彫りにされている規範意識の乏しい組織体質の現状から明らかになっています。

土曜朝の読売新聞の『編集手帳』で、岸田総理は先日まで「派閥」とは極力口にせず、「政策集団」と言っていたことを伝えています。派閥解散論を煙に巻くつもりだろうと思われていたところ突然、急先鋒に立ち、自身が率いた宏池会を解散すると明言しています。派閥の功罪はさておき、数の力で支配する政治を変えられるのかどうか、岸田総理の「中身による」と結ばれていました。

私自身、派閥から離脱していた岸田総理が宏池会の解散を決めていることに違和感を抱きながら、本質的な問題や病巣に切り込まないまま論点そらしのための大胆なパフォーマンスに打って出たようにしか思えてなりません。このことで仮に内閣支持率が上がり、自民党の裏金問題が収束していくようであれば残念な話だと言えます。

この問題は、きっと機会があれば改めて掘り下げていくことになるのだろうと思っています。今回の記事タイトルは「『国防』から思うこと」としています。前回記事「もう少し田中角栄元総理の言葉」の最後のほうで、自民党の幹事長だった石破茂さんの著書『国防』を読み進めていたことを記していました。

これまで当ブログでは 「『◯◯◯』から思うこと」というタイトルの記事を数多く投稿しています。『カエルの楽園』から思うこと」「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」「『大本営参謀の情報戦記』から思うこと」などがあり、読み終えた書籍から私自身の思いを深掘りしていく内容となっています。

「『◯◯◯』を読み終えて」 との違いは、当該の書籍の紹介がメインではなく、そのテーマから派生した自分自身の思いが中心になるかどうかです。ただ「『◯◯◯』を読み終えて」のほうも直接的な書評ではありませんので、それほど大きな違いはないのかも知れませんが、個人的なこだわりとして使い分けています。

したがって、防衛庁長官を務めていた石破さんの『国防』という書籍の内容にとどめず、国防のあり方を巡る時事の話題などを絡めながら書き進めていくつもりです。そのことによって、年末に投稿した記事「今年も不戦を誓う集会に参加」からの宿題「どうすれば戦争を防ぐことができるのかどうか」に対する一つの「答え」につながればとも考えています。

北朝鮮のミサイルをどう防ぐか?  自衛隊イラク派遣に意味はあるのか?  徴兵制は憲法違反か?  日本のテロ対策は万全か?  長官在任日数・729日(歴代2位)、国防の中枢を知る著者が、いま、すべてを語る。

上記はリンク先に掲げられた書籍の紹介文です。防衛省になる前、防衛庁時代の長官を石破さんは歴代2位に及ぶ期間務め、自衛隊のイラク派遣を小泉元総理とともに決めていました。石破さんは『国防』の中で、イラク戦争の大義について次のように語っています。

大義は国の数だけあり、結果としてイラクは大量破壊兵器を持っていなかったが、国連の査察に応じなかったことによって生じた事態であると説明しています。しないことによって受けるかも知れない被害を防ぐための大義をアメリカやイギリスは判断したというロジックでイラク戦争を省みていました。

石破さんは自衛隊のイラク派遣の理由を四つあげていました。第一は石油の依存割合の高い日本にとって死活的に重要な地域であること、第二は国連からの要請であり、第三はイラクの人たちの希望に応えることを理由としてあげていました。そして、第四の理由として日米の同盟関係の信頼構築の大切さをあげています。

全体を通して分かりやすい言葉や説明ばかりで、たいへん読みやすい書籍でした。ただ「なるほど」と思える箇所が多かったとしても、必ずしも石破さんの考え方そのものに賛同していた訳でもありません。自民党の政治家として当たり前なことですが、国際社会の中では標準的な国防観に沿って語られています。

20年近く前に発刊された書籍ですが、敵基地攻撃能力がないことの問題意識など石破さんの率直な考え方に触れる機会となっていました。自衛隊の装備や法律面の不充分さをはじめ、その当時から現在までにつながる様々な論点が示されていたため「古い著書ですが、内容は色褪せていません」と前回記事に記したような感覚で読み終えていました。

石破さんの興味深い言葉として「右翼の好戦主義者みたいに思われているのでしょうが、全くそうではありません」「現実的な防衛を知れば知るほど、骨太な平和主義が必要になります」「軍事を語る時には、最低でも、その船や飛行機や戦車がどのような性能を持ったものなのか知っていないといけません」というものがあります。

国防について「行け行けどんどん」みたいな議論に与せず、どのような装備や運用、法整備が必要なのか、知見と冷静さを持って考えていくべきことを石破さんは提唱しています。新たな防衛大綱策定に際しては、石破さんの視点から期限や数値など具体的な指摘を重ねていたことも記されていました。

長官から細かい指摘を受けた側は戸惑ったかも知れませんが、このあたりまでは特に異論ありません。『国防』を読み進める中で、少し極端ではないだろうかと思った箇所がいくつかあります。防衛庁長官に就任し、長官室に世界地図が貼っていなかったため、特大のものをすぐ買うように命じたことが書かれています。

護衛艦や戦闘機のプラモデルを長官室にいっぱい並べていながら、内局の官僚からは何の反応も示されなかったことに違和感を覚えたと記しています。「自衛隊管理庁」という意識で自衛隊に愛情を持っていないような物言いを耳にした時、すごく腹が立ち「なんだ、その言い方は。もういい、帰れ」と怒ったことがあると書いていました。

長官を退任した後、隊員数名から感謝のメールが届いていたことを書籍の中で伝えています。一方で「制服偏重」などと言われ、内局の幹部からは嫌われていたことを書籍の中で明かしています。内局の一部の若手とは良好な関係を築いていたようですが、退任後に「内部で長官と内局が対立」という新聞記事が出るほどの悪化した関係性のまま防衛庁を去っていました。

石破さんは国会議員になる前、田中派の事務局に勤務し、旧田中邸に出入りしていました。前回の記事の中で「田中元総理のDNAを受け継ぎやすい関係性だったようですが、石破元幹事長と田中元総理が重なり合う印象はそれほどありません」という個人的な見方を書き添えていました。

石破さんも「国民のため」の政治を念頭に置いた政治家の一人だと思っていますが、部下となる官僚との信頼関係を強められるかどうかという点で見た時、田中元総理から学ぶべきだったDNAを受け継げていないことが明らかです。

次の総理候補としてのアンケートでは常に上位にランクされています。しかしながら国会議員からの支持が広がらない現状をはじめ、石破さんには省みるべき点が多々あるのではないでしょうか。ネット上では絶対、総理にしてはいけないざんねんな石破茂』という下記のような辛辣な内容の雑誌記事も目にしています。

防衛庁長官時代、イラク派遣部隊の現場視察が計画された際に、複数回にわたって視察をドタキャンしたことも士気を下げた。十数年前には、自民党国防部会などで、勉強不足の議員らを露骨にバカにすることもあった。自分では覚えていなくても、軽く扱われた側は忘れはしないだろう。議論で相手を言い負かしたつもりでも、相手はそうは思っていない場合が多い。

石破氏自身、その頃に、派閥の先輩で頭が切れることで知られた久間章生元防衛相からこんなことを言われたと語っていた。「石破君、君は自分が一番賢い、自分が一番正しいと考えているようなところがあるが、そう思っているうちはまだまだだよ」 結局、政治家が大成するかどうかは、周囲に人が集まるかどうかで分かる。

『国防』の中で、イラクに派遣される隊員を壮行する話は度々出てきました。しかしながら現地視察の話があったこと自体、一切触れられていませんでした。防衛事務次官だった守屋武昌さんの著書『日本防衛秘録』の中では実名を伏せて記されていましたが、身の安全が危ぶまれる現地視察を何回も直前で見送ったのは石破さんで間違いないようです。

何回も断らなければならない重大な事情が重なっていたのかも知れません。しかし、生命が脅かされるリスクに怯み、隊員を派遣していながら自分自身は断り続けていたとしたら防衛庁長官としての職責を放棄していたことになります。そのような場合、石破さんの国防に関わる数々の主張に対する説得力の低下は免れません。

リスクに怯まないという意味で比べた際、岸田総理や上川陽子外相の戦地であるウクライナへの訪問は評価すべき政治家としての行動だろうと思っています。菅直人元総理の福島第一原発視察は大きな批判にさらされていましたが、自分自身の生命や安全を優先していた場合、事故直後に出向くという発想はあり得なかったはずです。

今回、最初から想定していましたが、「『国防』から思うこと」は1回でまとめ切れないものと思っていました。時事の話題にも絡む防衛費の問題などは次回以降の記事で取り上げていきます。「Part2」を付けた記事タイトルにするのかどうか決めていませんが、このあたりで今回の記事は一区切り付け、この続きは次回に送らせていただきます。

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2024年1月13日 (土)

もう少し田中角栄元総理の言葉

年頭から能登半島地震、羽田空港での航空機衝突事故、衝撃的なニュースが立て続いています。乗員5人が亡くなられた海上保安庁機は地震の被災地に救援物資を運ぶための任務を負っていました。そのため、広義の意味合いでの関連死と呼べるのかも知れません。

1月8日には田中角栄元総理の旧邸宅敷地内の建物2棟が全焼したというニュースにも接しています。田中元総理の長女で元外相の真紀子さんは「線香を上げていた」と話しています。ろうそくの火などには注意していても、灰の中の線香の残り火からも火災につながるリスクについて初めて知りました。

このニュースは私自身、線香を毎朝上げているため、残り火まで注意を払う必要性に気付かされる機会となっていました。「蟻の一穴」という言葉もありますが、線香の残り火が大邸宅を焼き尽くす原因となったことに驚かされています。

田中元総理の旧邸宅は、かつて政財界の大物が出入りして「目白御殿」と称されていました。いみじくも当ブログの前回記事は「『ロッキード』を読み終えて」で、田中元総理に関わる内容を投稿していました。

読み終えた書籍の中で印象深かった田中元総理の言葉があり、記事の最後に「総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない。国民を飢えさせてはいけない。これに尽きる。それ以外は些末なことだ」と語っていたことを紹介していました。

昨年末の記事「今年も不戦を誓う集会に参加」の最後のほうでは、どうすれば戦争を防ぐことができるのかどうか、その「どうすれば」は少し前に投稿した記事「平和の話、インデックスⅣ」や「戦火が消えない悲しさ Part2などに綴っている内容の焼き直しでもあり、また別な機会に譲ると記していました。

今回、最初「どうすれば戦争を防ぐことができるのか」という記事タイトルを付けて書き進めていました。この問いかけに沿った自分自身の思いをまとめていくつもりですが、とても単発な記事で言い表わすことは難しく、途中で記事タイトルを変えています。

そもそも私自身の考える「答え」の一つに過ぎませんが、このような問いかけに沿った内容の記事として、リンクをはった上記の2タイトルがあります。長文が苦にならず、お時間等が許される方は、リンク先の記事もご参照願えればたいへん幸いです。

今回の記事では田中元総理の「総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない」という言葉を出発点として、いろいろ個人的な思いを書き添えていきます。まず誰もが「戦争は嫌だ」と考え、為政者の皆さんも「どうすれば戦争を防ぐことができるのか」と悩まれているはずです。

大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めません。しかし、戦争は権力者の「意思」や国民の熱狂によって引き起こされるため、人間の「意思」によって抑えることができるはずです。それにも関わらず、残念ながら戦火の消えた時代は皆無という歴史をたどっています。

ウクライナを侵略しているロシアのプーチン大統領は「軍事作戦」と称し、自らの判断の正当性を訴えています。したがって、堂々と戦争を肯定している立場ではないのかも知れませんが、「絶対に戦争をしない」という信念がある権力者であればウクライナへの軍事侵攻という選択肢は持ち得なかったはずです。

もちろん「絶対に戦争をしない」と宣言していたとしても、他国から攻め入られ、自衛のために戦わざるを得ない局面があることも想定しなければなりません。そのため、攻められたら反撃する、容易に屈しないという抑止力を高めていくことが、戦争を防ぐための手立ての一つであることも理解しています。

しかし、安全保障のジレンマという言葉があるとおり武力一辺倒によって、平和は築けないことも歴史から学ぶべき教訓だと言えます。直近の事例として、圧倒的に軍事力で優位だったイスラエルの抑止力は万全だったはずですが、ハマスから攻撃を受けています。そのことによって失われた命はかけがえのないものです。

先日、自民党の麻生副総裁はワシントンで講演し、台湾への軍事的圧力を強める中国について「性急な台湾の軍事統一は、国際秩序を混乱させるだけだ」と指摘し、衝突回避に向けた日米などによる対話の必要性を訴えています。対話の必要性や重要性は、まったくその通りです。

しかし、その前に訪れた台北市で「最も大事なことは、台湾海峡を含むこの地域で戦争を起こさせないことです。非常に強い抑止力というものを機能させる覚悟が求められている。こんな時代はないんではないか。戦う覚悟です」と強い言葉で主張し、中国側からの反発を招いています。

確かに抑止力が「張り子の虎」では意味のないものとなりますが、ことさら軍事力を誇示し、相手を威圧するような姿勢では問題だと思っています。挑発行為だと見なされ、それこそ戦争を誘発するような振る舞いにつながりかねません。

蟻の一穴、線香の残り火のような小さな綻びが、徐々にリスクを広げ、取り返しのつかない事態に至りかねないことも懸念すべきではないでしょうか。特に責任ある立場の政治家であれば、よりいっそう自分自身の発言の重さや影響力に注意を払って欲しいものと願っています。

田中元総理は日中戦争が勃発し、北満州での兵役に就いていました。戦争の実相を肌感覚で経験したことのある政治家の一人でした。そのような経験や歴史認識の乏しい政治家が「いざという時には戦う覚悟が必要」と唱えたしても、自分の身は安全地帯に置きながら勇ましい言葉を発しているように思えてなりません。

最近読み終えた『田中角栄の人を動かす力』の中で「相手が誰であろうと寛容だった角栄」という見出しの付いた頁があります。政治家によって、自分が悪く報道されると「事実無根」「記事に悪意がある」などと訴訟をちらつかせてまで黙らせようとします。

田中元総理は「新聞記者は政治家を悪く書くのが商売。政治家は悪く書かれるのが商売」と語り、自分に批判的な記者にも公平な態度で接していたと書かれています。敵対しがちな関係性でこそ、相手側の立場や思惑を洞察する能力や寛容さが欠かせないはすです。国と国との外交関係においては、よりいっそう求められる政治家の資質だと思っています。

自民党の石破元幹事長は国会議員になる前、田中派の事務局に勤務し、旧田中邸に出入りしていました。『「歴史の舞台が消えた」旧田中角栄邸全焼  石破氏明かす“目白御殿”秘話」が伝えるような関係性がありました。

田中元総理のDNAを受け継ぎやすい関係性だったようですが、石破元幹事長と田中元総理が重なり合う印象はそれほどありません。ちょうど今、石破元幹事長の著書『国防』を読み進めています。古い著書ですが、内容は色褪せていません。できれば次回以降の記事で取り上げたいものと考えています。

今回「もう少し田中角栄元総理の言葉」というタイトルを付けて、「絶対に戦争をしない」という印象深かった言葉を受けとめながら綴ってきました。田中元総理の負の側面も多々あるのかも知れませんが、「国民のため」の政治を念頭に置いた国会議員の一人だったことを最近手にした書籍を通して感じ取っていました。

最後に、今夜、即日開票で台湾の総統選挙の結果が判明する予定です。台湾の有権者の皆さんが選択した結果となる訳ですが、どの政党の候補者が勝利しても中国との戦争を絶対回避するため、対話の道を全力で探り続けていかれることを信じています。

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2024年1月 6日 (土)

『ロッキード』を読み終えて

元旦の午後4時過ぎ、能登地方を震源に震度7の地震が発生しました。被災された皆さんに心からお見舞い申し上げます。前回記事は「2024年、平穏な日常の大切さ」でしたが、まさに穏やかなお正月の風景が一転してしまった辛苦に思いを寄せています。一日でも早く以前と同じ日常が取り戻されていくことを深く祈念しています。

前回記事で、辰年にロッキード事件とリクルート事件が起きたことを伝えていました。年末の記事「2023年末、今の政治に思うこと」で自民党の裏金問題を取り上げたとおり不明瞭な政治資金の問題は辰年の今年、さらに大きな広がりを見せていく様相です。

ロッキード事件に関しては、真山仁さんの著書『ロッキード』を読み進めていたことを伝えていました。昨年末に文庫本化された600頁を超える厚さの書籍です。一気に読み切りたい面白さのドキュメンタリーでしたが、年末休みに入ってから読み終えています。『ロッキード』は多面的な情報の一つとして、このブログで取り上げたい絶好の題材だと考えていました。

昨年末12月16日、田中角栄元総理が没してから30年という節目の日を迎えていました。これまで田中元総理は金権体質の際立った「罪」多き政治家の筆頭だと思ってきました。『角栄に花束を』というコミックも愛読していますが、最近、いろいろ田中元総理の「功」の部分に触れる機会が増えています。

ちなみに当ブログでは「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」「『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて」「『鬼滅の刃』を読み終えて」「『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えて」など「…を読み終えて」というタイトルの記事を数多く投稿しています。いつものとおり今回もネタバレに注意し、まずリンク先に掲げられている書籍の紹介文をそのまま転載します。

「角栄は本当に有罪だったのか?」 今日にいたるまでくすぶり続けるロッキード事件の様々な疑問を解明すべく、著者は事件の全貌を洗い直す。辻褄の合わない検察側の主張、見過ごされた重大証言、そして、闇に葬られた〈児玉ルート〉の真相――。疑惑の背後に、戦後から現在まで続く日米関係の暗部が見えてくる! 特捜神話の真実を関係者の新証言と膨大な資料で剔抉する。

リンク先のカスタマーレビューの「田中角栄が、冤罪であるとする書物は、10年くらい前から複数出版され読んでいたが、氏に近しい方々が弁護で記述したという感想でした。しかし、本書は、証言、記事、裁判記録などを正確にかつ、また、隠された真実を想像で補うことで、真の姿を現すことができたと思います」という声が、この書籍の性格を言い表わしています。

前回記事で取り上げた大川原化工機の不正輸出を巡る冤罪事件のような事例を思い起こした時、検察側の「結論ありき」の強引な捜査や取り調べのあり方を問わなければなりません。さらに裁判所が検察側の主張や証拠に重きを起きがちな傾向も危惧すべき点です。

あらかじめ強調しなければなりませんが、安倍派を中心にした裏金問題が「冤罪ではないか」というように見ている訳ではありません。定められたルールを明らかに違反していながら「ここまでは今まで問題視されていなかった」という安直さが目に付き、結局のところ自民党側の緩みや驕りが浮き彫りになっている事件だと思っています。

もう一つ、田中元総理が退陣する引き金となった金脈問題すべてに対し、違法性が一切なかったと言い切るつもりもありません。時代背景が違い、公職選挙法の枠外とは言え、自民党総裁選で多額な現金が飛び交っていたことは周知の事実です。そのような現金は裏金の類いであり、当時の法律でもアウトだったような事案があったのかも知れません。

あくまでも真山さんが執筆した『ロッキード』を読み終え、多くのカスタマーレビューと同様、私自身もロッキード事件においては田中元総理が冤罪だったと感じ取っています。なぜ、そのような考えに至ったのか、いくつか書籍の中で興味深かった箇所を紹介していきます。

すべての現金授受は白昼堂々と行われている。さらに、四度目を除くと、いずれも屋外での授受だ。他人の目に触れない場所で、密かに行われるべき行為を、なぜこんな場所で。参加者の大半が顔を知っている総理大臣の政務秘書官と丸紅専務が、ダンボール箱を車に積み替えている姿など、もはやコメディとしか思えない。

『ロッキード』には検面調書の内容のおかしさや矛盾が数多く綴られています。「検事に調書をでっち上げられた」と被告人の大半が裁判で調書の内容を否定します。しかし、法廷での証言を裁判所は一切認めず、検面調書の内容を自白として証拠採用していきます。

このような不合理な経緯や事実関係が書籍の随所で明らかにされています。金脈問題で田中元総理を追い込めなかった検察は世間から非難されていました。そのため「今回は角栄を絶対塀の内側に落とすんだ」という言葉が漏れ伝わりながら、有罪という「結論ありき」の構図のもとに検察は突き進んでいきます。

真山さんは「若狭をはじめとする全日空関係者は、その犠牲者だったかも知れない」と評し、自治大臣を務めた石井一さんの「日本には、法の下でジャッジするという感覚が根づいていなかった。ロッキード事件で、オヤジが逮捕されると、日本人が、オヤジの有罪を確信した。主要メディアが有罪判決を下していたんだ」という言葉を伝えています。

前々回記事の中で「田中元総理の逮捕は無理筋かどうか極めて慎重な判断が必要だったはずであり、政敵関係にあった三木武夫元総理のもとでの大きな岐路となっていました」と記していました。当時の世論を踏まえた際、もしかしたら三木元総理でなくても同じ結果をたどったのかも知れません。

米国、三木総理、検察庁、そしてメディア――はそれぞれが欲しいものを手に入れるために、角栄を破滅の淵に追いやった。角栄にとっては、余りに理不尽で不運な事態が、重なった。だが、角栄を破滅させた本当の主犯は、彼らではない。政治家・田中角栄の息の根を止めたのは、別にあった。世論だ。かつては今太閤と持て囃した国民こそが、角栄を葬ったのだ。

誰も世論には逆らえない 世論とは”世間一般の人が唱える論”。”社会大衆に共通な意見”と、『広辞苑』は言う。世論は、同調圧力でもある。同調圧力の威力が凄まじいのは、今も昔も変わりなく、少数意見を持つ人は、沈黙してしまう。その沈黙が、さらに世論にバイアスをかける。

上記は、書籍の最後のほうの「角栄を葬った怪物の正体」という見出しが掲げられた章の書き出しの言葉です。『ロッキード』を読み終えて、「シロ」を「クロ」と見誤らないためにも改めて多面的な情報に触れていくことの大切さをかみしめています。

書籍の前半では、田中元総理の生い立ちなどが綴られています。政治家をめざした時、総理大臣になった時、それぞれ田中元総理自身の政治信条を表わした言葉が記されています。最後に、特に印象深かった田中元総理の言葉を二つほど紹介します。

国会議員の仕事は、国民がより良き生活をするために法律を定め、国家予算を適正に配分することだ。政治家が国民のために汗をかき、それで皆が幸せになれる。

総理大臣の仕事は、絶対に戦争をしない。国民を飢えさせてはいけない。これに尽きる。それ以外は些末なことだ。

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2024年1月 1日 (月)

2024年、平穏な日常の大切さ

あけましておめでとうございます。Tatsu

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであり、せめてお正月ぐらいはイラストを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。

2005年8月にブログ「公務員のためいき」を開設してから1050タイトル目となります。必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で52点の記事を投稿しています。昨年1月には「大きな節目の1000回」というメモリアルな記事を綴ることができていました。

一時期に比べ、1日あたりのアクセス数が減り、100件前後で推移しています。以前、Yahoo!のトップページに掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録です。その数字は突出していますが、最盛期は1日あたり千件ほどのアクセス数で推移していました。

SNSの中でブログ自体が斜陽化しています。さらにインターネット上の様々なサイトをスマホで閲覧される方が増えています。私自身労使の信頼関係について思うこと」という記事の中で触れたとおり昨年4月、ようやく「スマホデビュー」を果たしました。

このブログを自分のスマホで閲覧した際、パソコン画面に比べ、よりいっそう文字ばかりのサイトであることに愕然(👤)としました。そもそも一個人の運営するマイナーなブログが文字ばかりで長文であれば、気軽にアクセスいただけなくなることも仕方ない流れだろうと思っています。

アクセス数の落ち込みとともに、お寄せいただくコメントの数が激減しています。数年前までは一つの記事に100件以上寄せられる時が珍しくありませんでした。12年前の辰年、その頃の元旦の記事(「竜頭蛇尾」としない2012年へ) には多くの方から幅広い視点や立場からのコメントが寄せられていました。

ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり一人でも多くの方にご訪問いただけることを願っています。特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。

そのため、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることがブログを続けていく大きな励みとなっていました。ここ数年、アクセスやコメントの数が減っている現状に一抹の寂しさはあります。それでも長年続けてきたスタイルを変えることなく、今年も自分自身の思うことを気ままに書き進めていくつもりです。

さて、今年の年賀状には【組合役員を退任してからゴルフの回数が増えています。健康だからこそゴルフを楽しめ、生涯スポーツとして末永く続けられればと願っています。ブログ「公務員のためいき」は引き続き週1回更新しています。今年も最新記事は年賀状仕立てとしています。お時間がある際ご覧いただければ幸いです】と書き添えています。

もともと個人の責任で運営してきたブログ「公務員のためいき」ですので組合の委員長退任後も継続しています。毎週1回、ブログを更新していくことは自己啓発の機会であり、さらに私自身の思いを不特定多数の皆さんに発信する場として背伸びしない一つの運動として位置付けています。

より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に触れていくことが重要であるため、このブログが多面的な情報を提供する場として受けとめていただけることを願いながら続けています。「答え」の押し付けではなく、このような見方もあったのかという多面的な情報の一つとして発信しています。

これまで元旦のブログ記事や年賀状には、その年の十二支にちなんだ諺を紹介してきました。今年の年賀状は上記のとおり辰年(竜年)に絡む話に触れていません。ブログも「平穏な日常の大切さ」というキーワードだけでまとめるつもりでしたが、少しだけ辰年に関わる話を紹介します。

前回記事「2023年末、今の政治に思うこと」で自民党の裏金問題を取り上げています。その記事を投稿した数日後『自民党派閥の政治資金問題、またも「たつ年」に起きた権力に関わる大事件  まさに歴史は繰り返す』という記事に目を留めていました。辰年を振り返った時の奇妙な因縁を伝える記事内容でした。

1976年(昭51)のたつ年には、ロッキード事件が発覚した。米ロッキード社の旅客機受注を巡り、現金がばらまかれ、田中角栄元首相ら多数が受託収賄などで逮捕、起訴された。同年12月の第34回衆議院議員総選挙で、自民党は敗北し三木武夫首相が退陣。ロッキード選挙と言われた。

12年後のたつ年の88年には、リクルート事件が起きた。未上場不動産会社の未公開株が、賄賂としてばらまかれた。政治家や企業のトップなど数多くが贈収賄で逮捕、起訴された。権力にすり寄って、恩恵をこうむろうとした典型的な事件である。国民は怒り、その後の国政選挙に大きな影響を与えた。

政治資金問題は辰年の今年、さらに大きな広がりを見せ、ロッキード事件、リクルート事件に続き、またしても辰年に起きた権力に関わる大事件として、まさに歴史は繰り返す、そのような予見がリンク先の紹介した記事の最後に書き添えられています。

ロッキード事件に関しては多面的な情報を提供する場として、真山仁さんの著書『ロッキード』を題材にしたブログ記事を機会を見て投稿するつもりです。ここでは辰年に絡んだ奇妙な歴史の巡り合わせを紹介することにとどめます。

記事タイトルに掲げた「平穏な日常の大切さ」に入るまでに相当な長さの内容となっています。「竜頭蛇尾」的な内容になるかも知れませんが、ここから今回の記事の本題です。

年賀状に書き添えたとおり健康だからこそゴルフを楽しめています。ゴルフの練習等を通して日常的に体を動かしているため、健康増進につなげられるという好循環を生み出しています。

それこそ70代、80代になっても続けられることが理想です。大病を患うことなく、趣味を楽しみながら暮らしていけることが平穏な日常の大切さの一つであることに間違いありません。

昨年末、痛ましい交通事故の報道に接していました。一緒に歩いていた妻と娘がバックしてきた車にひかれ、一瞬にして永久の別れを強いられています。ご家族の無念さや憤りは想像を絶するものだと思います。

数日前に目にした『不正輸出めぐるえん罪事件 捜査は違法 国と都に賠償命じる判決』という報道からも、たいへんな無念さや憤りの深さを感じ取っています。大川原化工機の社長らが軍事転用可能な機械を中国などに不正輸出した疑いで逮捕、起訴され、1年以上も勾留されていました。

幹部3人のうち1人は、勾留中に見つかった胃がんで亡くなっています。治療を理由に保釈請求しましたが、検察側は「証拠隠滅の恐れがある」と反対し、裁判所も認めませんでした。がんが見つかった段階で適切な治療を施していれば延命できていたかも知れないと思うと、司法側の硬直した判断が本当に残念でなりません。

紹介したそれぞれの事例において、尊い命を奪われた方も、残されたご家族の皆さんも、何か過ちや落ち度があった訳ではありません。自分たちでは制御できない悲運に遭遇し、平穏だったはずの日常が奪われてしまった事例だと言えます。

個人的な力では到底制御できない事例として、3年以上続いたコロナ禍を忘れてはなりません。少し前まで「コロナ禍から脱し、平穏な日常が戻ることを願っています」という言葉を頻繁に発していました。昨年5月に新型コロナウイルスが5類感染症に位置付けられ、ようやく以前と同じ社会生活に戻りつつあります。

平穏な日常の対極に位置する非常事態は戦争が起きることです。昨年10月「戦火が消えない悲しさ 」という記事を投稿していましたが、ウクライナでの戦火の消える兆しが見出せない中、パレスチナの地で新たな戦火が上がっていました。

今年こそ一刻も早く、戦火が消えることを願っています。そして、いかなる国や地域で、戦争やテロなどによって理不尽な死に直面しないような国際社会に近付くことを切望しています。

今回、個人的なゴルフの話から「平穏な日常の大切さ」というキーワードのもとに視点を広げてみました。いずれにしても新たな年を迎え、何よりも穏やかな暮らしが続くことの大切さをかみしめています。

最後に、いつもお正月のみ少し変則な日程となっていますが、今年も通常の間隔通り次の土曜か日曜に更新する予定です。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

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