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2023年11月11日 (土)

ブログで振り返る組合役員時代 Part2

戦火が消えない悲しさ や 「善悪二元論から思うこと」など最近の記事はガザ地区での戦闘などを題材にした内容を投稿しています。1年前の今頃は「組合役員を退任」や「最後の定期大会」など組合活動に関わる内容の投稿が続いていました。

組合役員を退任してから必然的に組合活動を題材にした記事は減少し、時事の話題を取り上げる時が増えています。直近の話題で言えば『勤労感謝の日に職員3000人を7時間タダ働きさせようとする大阪府・大阪市のヤバさ  これが「維新流」?』『「議員の職務が忙しくて」神田財務副大臣、税金滞納問題で答弁』に目を引かれていました。

前者は労働組合の役員だった立場から、後者は現在の職務である徴税吏員という立場から、それぞれ突っ込み所満載で、たいへん憤りを覚える話だと言えます。単体で新規記事の題材にすべき時事の話題ですが、今回は記事タイトルに掲げているとおり久しぶりに組合活動に関わる内容を書き進めていきます。

金曜夜、組合の定期大会が開かれました。執行部側ではなく、会場の座席から壇上を見上げる参加は38年ぶりのことです。昨年11月11日の定期大会で執行委員長を退き、ちょうど1年が経っています。そのような節目のタイミングだったため「ブログで振り返る組合役員時代 Part2」というタイトルの記事に向き合っています。

ブログで振り返る組合役員時代」という記事は6月末に投稿しています。青年婦人部副部長として執行委員になってからの話を綴っていました。過去のブログ記事にリンクをはり、少しだけ要旨を書き足すつもりでしたが、なりゆきから「組合役員を続けている理由」の内容をベースにして長い文章となっていました。

そのため、青年婦人部時代の内容までで一区切り付けていました。この先は次回以降、また機会を見て「Part2」として書き進められればと記し、最後に「来週末になるのか、再び半年以上先になるのかどうか分かりませんが、個人的なブログですのでご理解ご容赦ください」と結んでいました。

結局、半年近く経って「Part2」を手がけることになりました。今回、あらかじめ取り上げる期間を決めて振り返ってみるつもりです。青年婦人部を離れ、執行委員として主に情宣部長を担い、書記次長、副委員長、書記長を務めてきました。今回の記事では委員長になる前の組合役員の頃、特に印象に残っている出来事などを紹介します。

このブログの中で情宣部長時代のことは直接的な題材として取り上げていませんので、担った役割などを簡単に紹介します。『闘争ニュース』と呼称した組合ニュース、年に数回発行した機関誌、学習会などの企画運営を情宣部長として担当しました。忙しい役割でしたが、 文章を書くことが好きでしたので、あまり苦にしていなかったはずです。

1990年代のことで、当時、春闘期に組合員対象の連続学習会を催していました。講師として、菅直人さん、保坂展人さん、佐高信さんらをお呼びしています。その後、たいへん知名度を上げられていった方々と担当者として接触していたことが懐かしい思い出となっています。

書記次長時代に関わった経験談として「登録ヘルパーの組合」という記事を投稿しています。福祉部健康課に所属していたため福祉職場の担当役員とし、一つの労働組合の立ち上げから解散までを見届けました。3年半という短い期間でしたが、登録ヘルパーの皆さんと一緒に頑張れたことは自分自身にとって貴重な経験だったと言えます。

自治労都本部の福祉視察派遣団の一員としてオランダ、デンマーク、ドイツに赴いたのも書記次長の時です。強烈な思い出があります。オランダのホテルから組合事務所に国際電話し、市議3期目に挑んだ元委員長が18票差で当選できなかったことを知りました。その時の驚きと落胆は相当なものだったことを覚えています。

応援した候補者が当選」という記事があるとおり元委員長は4年後に返り咲き、市議会議員を7期務め、市議会議長も担われています。最近の記事「枝野前代表の問題意識」の最後に記していましたが、元委員長は10月2日に逝去されています。私自身が長く組合活動を続けてきた中、最もご縁の深かった大先輩でした。

副委員長を1年務めた後、書記長を5年間担っています。書記長は事務折衝の窓口となりますので、職場課題全般を掌握しなければならない重要な役目を負っています。数々の行革計画絡みの提案と対峙し、当該職場の組合員の皆さんとの懇談会に数多く関わってきました。

そのような職場課題以外に私の書記長時代、たいへんな事件が立て続いていました。1年目の2000年9月、 私どもの組合と支持協力関係のあった衆院議員の山本譲司さんが政策秘書給与流用容疑で逮捕されました。26歳という若さで都議会議員となった時から山本さんとは推薦関係があったため、そのニュースに接した時の衝撃は忘れられません。

山本さんは逮捕直後、すみやかに国会議員を辞職し、搾取金に年利5%の利息をつけた約2千8百万円を国庫に返納されていました。当時、政界での秘書の名義貸しは恒常的な問題であるような見方もあり、大半の人は執行猶予がつくのだろうと予想していました。

しかし、実刑という予想外の厳しい地裁判決に驚いた記憶があります。山本さん自身は、有権者の期待を裏切り、国民の政治不信を増大させた責任は重いものとし、控訴せず一審での判決を受け入れていました。

1年2か月ほど服役した経験をもとに山本さんは『獄窓記』という著書を上梓しています。「塀の中から見た福祉」というブログ記事の中では、 連合地区協が山本さんを講師として招いた講演会で数年ぶりに再会していたことを伝えていました。

2年目の時に自治労不祥事問題が発覚しています。貴重な税金や組合費を払っている住民や組合員に対し、不正な裏金作りは極めて重い信用失墜行為です。自治労の不祥事問題に直面した各組合の大きな教訓だったはずですが、リンク先のブログ記事では岐阜県庁の裏金問題も取り上げていました。

4年目には不正入札事件が私どもの市役所内を震撼させました。リンク先の「組織の力、大事な力」の中で、当時の市長に対して「減給という責任の取り方では不充分である。辞職という最も重い責任の取り方こそ、市の再生に向けた大きなケジメだったはずである」と組合として申し入れたことを記しています。

振り返ってみると5年間の書記長時代、労働組合の本来任務とは離れた重大事への対応に追われていたことになります。委員長になってからの話はリアルタイムで、このブログの記事として投稿を重ねてきました。そのため「Part3」以降の記事は組み立てやすいのだろうと思っています。

ただローカルでマイナーな話が中心となりますので、大半の皆さんからすれば興味の薄い記事内容になるはずです。したがって、次回以降の記事は、いつものように時事の話題を取り上げながら投稿していくつもりです。「Part3」がいつになるのか分かりませんが、また機会を見て組合役員時代を振り返ってみます。

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