善悪二元論から思うこと
前回記事「戦火が消えない悲しさ Part2」の最後のほうで「アメリカの顔色をうかがうことなく、日本政府は停戦から真の和平の道に向かうために汗をかいて欲しいものと願っています」と書き添えていました。
10月27日、国連総会でガザ「人道休戦」決議が121か国の賛成多数で採択されています。しかしながら日本政府は棄権という判断を下しました。G7参加国の中でフランスは賛成票を投じています。
そのような意味で「アメリカの顔色をうかがうことなく」という願いは早々に裏切られてしまったようで、たいへん残念なことです。今回の国連決議に法的拘束力は伴わないからこそイスラエルに対し、より多くの国から休戦を求められているという国際社会の構図が重要だったように思っています。
パレスチナの地での動きは今後も注視していくことになりますが、ウクライナでの戦争も続いていることを忘れてはなりません。今回の記事でもテロや戦争を防ぐためには、どのように考え、どのように振る舞っていけば良いのか、個人的に思うことを書き進めていくつもりです。
昨年末に投稿した記事「2022年末に『ウクライナ戦争論』」の中で、小林よしのりさんの『ウクライナ戦争論』の内容を紹介していました。特に印象深く、私自身も共感していた小林さんの訴えを改めて紹介します。
国家がなくなることなど、ないのだから戦争は必ず起こる!「平和は大切」と何億回、訴えてもムダだ!プーチンにも習近平にも「反戦平和」は通じない!戦争は必ず起こる!!
わしはグローバリズムではなく、国家が前提の「インター・ナショナリズム」が大事であり、国家と国家の独自性を尊重して交際していくしかないのだと訴えてきた。したがって「国際法」は、国家の主権を重んじて共存していくために、大事なものである。
このような考え方のもとに小林さんは「ゼレンスキー大統領は、自国のためだけに戦っているのではない。国際法を守るためでもある。ゼレンスキーは世界の弱小国のために戦っているとも言える」と評価しています。
『ウクライナ戦争論2』も発売された直後に、すぐ手に入れて読み終えていました。このブログで取り上げるタイミングを逸していましたが、目を留めた箇所に付箋を貼っていました。「善悪二元論は決して幼稚ではない!」という見出しの頁です。
ウクライナとロシアの戦争を評する際、プーチン大統領が悪であるという論調に対し、“どっちもどっち論”という言説があります。侵略される側にも問題がある、いじめやレイプされる側にも原因がある、このような言説が「保守」を自称する者から続出していることを小林さんは痛烈に批判しています。
確かに戦争に至るまで様々な要因があり、複雑な事情や歴史的な背景が絡み合っているのだろうと思っています。しかし、先に手を挙げたほうや加害者側が免責される理由など通常では考えられません。ウクライナ戦争においては、プーチン大統領が悪であることに間違いないはずです。
一方で、ガザ地区の問題はウクライナ戦争と切り分けて考えています。正当防衛や自衛のための戦争は認められていますが、過剰防衛は処罰の対象になりかねません。そもそもイスラエルの反撃や物流封鎖は、人道上の問題から国際法違反であるという批判も高まっています。
このあたりを踏まえ、前回記事に記したとおりハマスとイスラエルの戦闘はウクライナ戦争と切り分けて考えています。つまり善悪二元論では安易に語れない複雑さを感じています。話は広がりそうですが、もう少し善悪二元論という切り口から書き進めていきます。
ナチスドイツから壮絶な迫害を受けたユダヤ人に対し、ヒトラーが悪であることに異論は示されません。ユダヤ民族を本気で抹殺しようとした狂気は信じられない暴挙であり、そこには善悪二元論につながる怖さが潜んでいることにも目を向けなければなりません。
戦争当時、ドイツ国民の多くもユダヤ人が強制収容所に送られていることを知っていたはずです。それでも大きな批判や反対する動きは見られていませんでした。そこには優れたゲルマン民族、劣ったユダヤ民族という善悪二元論があったことも否めないはずです。
テロや戦争をなくすためにも善悪二元論について考えてみる必要があります。現在の国際法規を完全に逸脱した侵略戦争を仕掛けたロシアは悪として断罪し、そのことを猛省させなければ今後の国際社会の中で新たな侵略を許してしまう危険性について、このブログを通して繰り返し訴えてきています。
一方で、中国や北朝鮮が一線を越えない限り、話し合うべき相手国として一触即発の事態を回避するための外交交渉に力を注ぐべきものと考えています。お互い容易に歩み寄れず、決着点を見出すことが困難だったとしても、外交交渉の窓が開かれている限り最悪な戦争状態だけは避けられるはずです。
相手国内で自国民に対する人権抑圧行為等があれば、国際社会が足並みを揃えて改善を求めていかなければなりません。しかしながら外交交渉にあたっては相手国を悪と決め付けず、お互いの立場や主張を認め合いながら歩み寄りをめざす姿勢が重要です。
自分たちの言い分が絶対正しく、一歩も譲らないような対応に終始した場合、労使関係も同様ですが、それは交渉とは呼べません。加えて、相手側を蔑み、敵視した態度で臨んでいた場合、信頼関係のもとの実りある交渉から遠ざかっていくばかりです。
自分の国は素晴らしいと誇りに思うことも大事です。自分自身の考えの正しさに自信を持つことも当然です。同時に相手側の立場や多様な考え方を認め、敬意を表していくことも欠かせないはずです。
このような関係性が土台になって広がっていけば、無用な争いの種も減っていくものと信じています。ただ残念ながら日本に限らず、排外主義やレイシズムの問題が取り沙汰されがちです。ナチスドイツのホロコーストという極端な事例を省みるのであれば、そのような問題から脱却していく方向性こそ求められているものと思っています。
「日本を豊かに、強く」と訴える日本保守党が結成されています。結党宣言の最初に「日本ほど素晴らしい国はないと私は断言します」という言葉が掲げられています。このような言葉や考え方を否定しません。ましてレイシズムの問題と結び付けて政党批判するものでもありません。
ただ日本保守党の理念や立場を正面から背負った政治家が、もし外交交渉の場面での責任者になった場合、前述したような私自身の問題意識からすると非常に危ういことだろうと思っています。
「善悪二元論から思うこと」というタイトルを付けて書き進めてきましたが、最後にジャーナリストの鮫島浩さんのブログ『百田尚樹氏が旗揚げした日本保守党が岸田政権に与える打撃〜河村たかし名古屋市長を引き込んだ狙いと高市早苗大臣の動向』の中の一文も紹介します。鮫島さんらしい切れ味の鋭い一つの見方だろうと思っています。
LGBT法への反対が新党結成の直接的動機となったことに象徴されるが、日本保守党の政治理念の根底にあるのは、人権擁護、差別反対、格差是正、環境重視などの理念を掲げるリベラル勢力への嫌悪感だ。
安倍晋三元首相を熱狂的に支持してきた「安倍支持層」やSNSで左派への激しい批判(誹謗中傷にあたることも多い)を展開する「ネトウヨ層」の支持を引き寄せているのは、徹底した「反リベラル」の姿勢だ。
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