戦火が消えない悲しさ Part2
前回記事「戦火が消えない悲しさ 」の最後に当ブログを通し、テロや戦争をなくしたいという共通の思いを一つにできる「答え」を探しているという言葉を書き添えています。その言葉の前には次のような問題意識を示していました。
ハマスに対し、圧倒的に軍事力で優位だったイスラエル、抑止力は万全だったはずですが、今回のような攻撃を受けています。その攻撃で失われた命はかけがえのないものであり、為政者はそのような事態を絶対生じさせないことを念頭に置いて欲しいものと切に願っています。
前回記事の続きにあたる新規記事ですので、もう少し上記の問題意識について説明を加えていきます。このブログを通し、8月に投稿した記事「平和の話、インデックスⅣ」のとおり様々な切り口から平和を願う思いを訴え続けています。
これまでの繰り返しになる言葉であり、私自身の「答え」に過ぎませんが、ガザ地区での新たな戦火を目の当たりにし、改めて今、思うことを書き進めてみます。まず抑止力についてです。
誰もが戦争を避けたいという思いは共通しているものと思っています。岸田総理もそのように考えているはずであり、そのために防衛費を増やし、基地機能を強化し、反撃能力も高めようとしているのだろうと理解しています。
攻め入れば手痛いダメージを負う、このように知らしめるための軍事力による抑止効果こそ、戦争を防ぐ最も必要な対策だと考えている方々が多いようです。その方々からすればオスプレイ配備に反対するデモ行進などは、きっと冷ややかな眼差しを送る対象になっていたのではないでしょうか。
しかし、前述したとおり圧倒的に軍事力で優位だったイスラエルがハマスから攻撃を受け、たいへん多くの住民の命が失われています。全面的な戦争になればイスラエルがハマスを壊滅状態に追いやるのかも知れません。それでも最初の攻撃で失われた命が戻ってくることはあり得ません。
抑止力を頭から否定するものではありませんが、敵対関係が続く限り、今回のような事態を100%防ぐことは非常に難しい話だろうと思っています。疑心暗鬼、窮鼠猫を噛む、安全保障のジレンマなどという言葉があるとおり武力一辺倒での抑止力に限界があることを認識していかなければなりません。
最終的に国家として戦争に負けなかったとしても戦闘の犠牲になった命は、本人にとってはもちろん、家族や友人らにとって唯一無二のものです。そのため、為政者はそのような事態を一度たりとも生じさせてはいけないという決意と知略のもとで力を尽くして欲しいものと切に願っています。
さらに軍拡路線は国家財政を逼迫させ、国民生活にも影響を及ぼしていくことになります。以前の記事「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」に綴っているとおり軍縮交渉は戦争を回避する目的とともに国家予算を疲弊させず、経済を建て直すことも念頭に置かれています。
いずれにしても武力衝突を避けるためには常に外交交渉の扉を開いていくことが最も重要です。北方領土の問題がありながらも首脳間での対話を重ねていたことで、数年前までロシアに対する脅威が薄れていたことは一例だと言えます。
「グローバルな話題に一言二言」という3年前の記事の中で、地球温暖化や感染症対策など自国中心主義では解決できない地球規模の問題に直面していることを記していました。地球温暖化の問題や感染症対策は自分の国だけ万全を尽くしても、すべての国で足並みが揃わなければ解決には至りません。
国家という枠組みをなくすことは絵空事なのかも知れません。それでも国家の枠組みがある中で上記のような問題意識を共有化し、対立よりも協調に重きを置く国際的な流れが高まることを心から願っていました。
しかしながら非常に残念なことにロシアがウクライナに軍事侵攻し、パレスチナの地でも新たな戦火が上がっています。大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めません。
しかし、戦争は権力者の「意思」や国民の熱狂によって引き起こされるため、人間の「意思」によって抑えることができるはずです。二度の世界大戦の惨禍を反省し、国連ができ、様々な国際法規が整えられています。
国連の役割の不充分さを指摘する声もあります。しかし、不充分な点があれば補う努力を重ね、各国からの期待に応えられる国連の役割強化をめざすべきなのではないでしょうか。
かつて宣戦布告すれば戦争も国際社会の中で認められていました。現在、国連憲章で一部の例外を除き、戦争は原則禁止されています。それでも「自衛のため」という理由や集団的自衛権の行使としての戦争は続いていました。
ウクライナへの軍事侵攻をロシア側は身勝手な大義を掲げ、自己正当化をはかっています。そのような言い分には到底耳を貸せず、明らかな侵略行為だと断罪しなければなりません。
武力によって他国の領土や主権を侵してはならない、このような国際的な規範が蔑ろにされ、帝国主義の時代に後戻りしてしまうのか、ウクライナでの戦争は国際社会に突き付けられている試金石だと思っています。
ロシアのように軍事力で「自国の正義」を押し通そうとした場合、国際社会で孤立し、甚大な不利益を被るという関係性を築いていかなければなりません。国際社会の定められたルールは絶対守らなければならない、このことを刻み付けるためにもウクライナでの戦争の帰趨は極めて重大だと考えています。
一方で、ガザ地区の問題はウクライナでの戦争と切り分けて考える必要があります。言うまでもありませんが、今回のハマスによる攻撃は到底容認できず、厳しい批判の対象にすべきものです。
ただ自衛権の行使という大義のもとにイスラエルが攻撃を激化させていくことには懐疑的です。過剰防衛とも言えるイスラエル側の反撃によって、ガザ地区に暮らす人たちの命が失われていくことを強く危惧しています。
人道支援のための「一時的な戦闘中断」ではなく、今後の犠牲を防ぐための最大の人道的な判断は即時に停戦を実現させることでなければなりません。その上で、30年前の歴史的な歩み寄りだったはずの「オスロ合意」を改めて実効あるものにするための努力を尽くすべきではないでしょうか。
30年前の1993年9月13日、イスラエルとパレスチナが結んだ「オスロ合意」はイスラエル軍が占領地のヨルダン川西岸やガザ地区から撤退し、パレスチナ側が暫定的な自治を始めることで合意したもので、二国家共存を目指した中東和平交渉に道を開きました。
しかしその後、パレスチナではイスラム組織ハマスが台頭し、自爆テロを繰り返したのに対し、イスラエルも空爆や軍事侵攻などをたびたび行って対立が深まり、交渉は2014年を最後に途絶えています。
上記はNHKのサイトからの抜粋です。そのサイトの最後のほうで、日本は70年にわたってパレスチナ支援を続けていると伝えています。パレスチナ人からの信頼を少しでもつなぎとめている日本であるならば、アメリカの顔色をうかがうことなく、日本政府は停戦から真の和平の道に向かうために汗をかいて欲しいものと願っています。
戦火の消えない悲しさが、戦火の消えた喜びに一刻も早く変わることを切望しています。このような思いを託した上で、最後に改めて「武力で平和はつくれない、憎しみや暴力の連鎖がテロや戦争につながる」という言葉につなげさせていただきます。
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