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2023年10月28日 (土)

戦火が消えない悲しさ Part2

前回記事「戦火が消えない悲しさ 」の最後に当ブログを通し、テロや戦争をなくしたいという共通の思いを一つにできる「答え」を探しているという言葉を書き添えています。その言葉の前には次のような問題意識を示していました。

ハマスに対し、圧倒的に軍事力で優位だったイスラエル、抑止力は万全だったはずですが、今回のような攻撃を受けています。その攻撃で失われた命はかけがえのないものであり、為政者はそのような事態を絶対生じさせないことを念頭に置いて欲しいものと切に願っています。

前回記事の続きにあたる新規記事ですので、もう少し上記の問題意識について説明を加えていきます。このブログを通し、8月に投稿した記事「平和の話、インデックスⅣ」のとおり様々な切り口から平和を願う思いを訴え続けています。

これまでの繰り返しになる言葉であり、私自身の「答え」に過ぎませんが、ガザ地区での新たな戦火を目の当たりにし、改めて今、思うことを書き進めてみます。まず抑止力についてです。

誰もが戦争を避けたいという思いは共通しているものと思っています。岸田総理もそのように考えているはずであり、そのために防衛費を増やし、基地機能を強化し、反撃能力も高めようとしているのだろうと理解しています。

攻め入れば手痛いダメージを負う、このように知らしめるための軍事力による抑止効果こそ、戦争を防ぐ最も必要な対策だと考えている方々が多いようです。その方々からすればオスプレイ配備に反対するデモ行進などは、きっと冷ややかな眼差しを送る対象になっていたのではないでしょうか。

しかし、前述したとおり圧倒的に軍事力で優位だったイスラエルがハマスから攻撃を受け、たいへん多くの住民の命が失われています。全面的な戦争になればイスラエルがハマスを壊滅状態に追いやるのかも知れません。それでも最初の攻撃で失われた命が戻ってくることはあり得ません。

抑止力を頭から否定するものではありませんが、敵対関係が続く限り、今回のような事態を100%防ぐことは非常に難しい話だろうと思っています。疑心暗鬼、窮鼠猫を噛む、安全保障のジレンマなどという言葉があるとおり武力一辺倒での抑止力に限界があることを認識していかなければなりません。

最終的に国家として戦争に負けなかったとしても戦闘の犠牲になった命は、本人にとってはもちろん、家族や友人らにとって唯一無二のものです。そのため、為政者はそのような事態を一度たりとも生じさせてはいけないという決意と知略のもとで力を尽くして欲しいものと切に願っています。

さらに軍拡路線は国家財政を逼迫させ、国民生活にも影響を及ぼしていくことになります。以前の記事「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」に綴っているとおり軍縮交渉は戦争を回避する目的とともに国家予算を疲弊させず、経済を建て直すことも念頭に置かれています。

いずれにしても武力衝突を避けるためには常に外交交渉の扉を開いていくことが最も重要です。北方領土の問題がありながらも首脳間での対話を重ねていたことで、数年前までロシアに対する脅威が薄れていたことは一例だと言えます。

グローバルな話題に一言二言」という3年前の記事の中で、地球温暖化や感染症対策など自国中心主義では解決できない地球規模の問題に直面していることを記していました。地球温暖化の問題や感染症対策は自分の国だけ万全を尽くしても、すべての国で足並みが揃わなければ解決には至りません。

国家という枠組みをなくすことは絵空事なのかも知れません。それでも国家の枠組みがある中で上記のような問題意識を共有化し、対立よりも協調に重きを置く国際的な流れが高まることを心から願っていました。

しかしながら非常に残念なことにロシアがウクライナに軍事侵攻し、パレスチナの地でも新たな戦火が上がっています。大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めません。

しかし、戦争は権力者の「意思」や国民の熱狂によって引き起こされるため、人間の「意思」によって抑えることができるはずです。二度の世界大戦の惨禍を反省し、国連ができ、様々な国際法規が整えられています。

国連の役割の不充分さを指摘する声もあります。しかし、不充分な点があれば補う努力を重ね、各国からの期待に応えられる国連の役割強化をめざすべきなのではないでしょうか。

かつて宣戦布告すれば戦争も国際社会の中で認められていました。現在、国連憲章で一部の例外を除き、戦争は原則禁止されています。それでも「自衛のため」という理由や集団的自衛権の行使としての戦争は続いていました。

ウクライナへの軍事侵攻をロシア側は身勝手な大義を掲げ、自己正当化をはかっています。そのような言い分には到底耳を貸せず、明らかな侵略行為だと断罪しなければなりません。

武力によって他国の領土や主権を侵してはならない、このような国際的な規範が蔑ろにされ、帝国主義の時代に後戻りしてしまうのか、ウクライナでの戦争は国際社会に突き付けられている試金石だと思っています。

ロシアのように軍事力で「自国の正義」を押し通そうとした場合、国際社会で孤立し、甚大な不利益を被るという関係性を築いていかなければなりません。国際社会の定められたルールは絶対守らなければならない、このことを刻み付けるためにもウクライナでの戦争の帰趨は極めて重大だと考えています。 

一方で、ガザ地区の問題はウクライナでの戦争と切り分けて考える必要があります。言うまでもありませんが、今回のハマスによる攻撃は到底容認できず、厳しい批判の対象にすべきものです。

ただ自衛権の行使という大義のもとにイスラエルが攻撃を激化させていくことには懐疑的です。過剰防衛とも言えるイスラエル側の反撃によって、ガザ地区に暮らす人たちの命が失われていくことを強く危惧しています。

人道支援のための「一時的な戦闘中断」ではなく、今後の犠牲を防ぐための最大の人道的な判断は即時に停戦を実現させることでなければなりません。その上で、30年前の歴史的な歩み寄りだったはずの「オスロ合意」を改めて実効あるものにするための努力を尽くすべきではないでしょうか。

30年前の1993年9月13日、イスラエルとパレスチナが結んだ「オスロ合意」はイスラエル軍が占領地のヨルダン川西岸やガザ地区から撤退し、パレスチナ側が暫定的な自治を始めることで合意したもので、二国家共存を目指した中東和平交渉に道を開きました。

しかしその後、パレスチナではイスラム組織ハマスが台頭し、自爆テロを繰り返したのに対し、イスラエルも空爆や軍事侵攻などをたびたび行って対立が深まり、交渉は2014年を最後に途絶えています。

上記はNHKのサイトからの抜粋です。そのサイトの最後のほうで、日本は70年にわたってパレスチナ支援を続けていると伝えています。パレスチナ人からの信頼を少しでもつなぎとめている日本であるならば、アメリカの顔色をうかがうことなく、日本政府は停戦から真の和平の道に向かうために汗をかいて欲しいものと願っています。

戦火の消えない悲しさが、戦火の消えた喜びに一刻も早く変わることを切望しています。このような思いを託した上で、最後に改めて「武力で平和はつくれない、憎しみや暴力の連鎖がテロや戦争につながる」という言葉につなげさせていただきます。

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2023年10月22日 (日)

戦火が消えない悲しさ

昨年2月24日にロシアがウクライナに軍事進攻し、未だ戦火の消える兆しが見出せない中、パレスチナの地で新たな戦火が上がっています。10月7日、イスラム組織ハマスが突如、イスラエルへ大規模な攻撃を開始しました。

これに対し、イスラエル側も激しい空爆で応酬しています。今後、イスラエル軍の地上侵攻も秒読みとされ、ますます戦闘の激化が危惧されています。子どもたちを含め、すでに千人単位の多くの住民が双方の戦闘の犠牲になっています。たいへん悲しむべきことです。

NHKの解説『イスラエルにイスラム組織「ハマス」が大規模攻撃 何が起きた?』によると、1948年にイスラエルが建国されてからの中東戦争の後、内部の対立を経てパレスチナ自治政府はヨルダン川西岸地区とガザ地区に分断されてきました。

地中海に沿ったガザ地区は、鹿児島県の種子島ほどの広さの土地に220万人以上が暮らしています。ハマスによって実効支配され、ハマスを敵視するイスラエルによる経済封鎖が続き、これまでも軍事衝突で多くの民間人が犠牲となってきました。ガザ地区の周囲には壁やフェンスが張り巡らされ、移動の自由も制限されているため「天井のない監獄」と呼ばれています。

ハマスの正式名称は「イスラム抵抗運動」です。ハマスは、そのアラビア語の頭文字などをとったもので「情熱」という意味の単語になります。1987年に発足したハマスは国家としてのイスラエルを一切認めない強硬な立場をとり、武力闘争を掲げて自爆テロなどを重ねています。

その一方で、市民に対する福祉活動にも力を注ぎ、市民からの支持を得ていました。パレスチナの穏健派の政治勢力ファタハとの武力闘争を経て、2007年からガザ地区を実効支配しています。

ハマスは、アメリカやEUなどからテロ組織に指定されていますが、イスラエルによる厳しい経済封鎖にさらされる中でも武器などを調達しています。イランからの支援を受けているとも指摘されています。

今回のハマスの攻撃は、50年前の第4次中東戦争以降で最大規模とされています。これに対し、イスラエル軍は「鉄の剣」と名付けた報復作戦を実施し、ガザ地区のハマスの拠点などへの大規模な空爆を続けていました。今回の軍事衝突について、防衛大学校の立山良司名誉教授は次のように語っています。

やはり16年間の封鎖があって、ガザ地区の社会・経済はひどい状況です。そうした中で、封鎖に対するパレスチナ住民の怒りというのはイスラエルに向くのと同時に、ガザを実効支配しているハマスにも向いているわけです。不満がうっせきしている状態で、それがいつハマスに本当に向かってくるかということを恐れて、何かしなければいけないという気持ちがあったと思います。

もう一つはイスラエルとサウジアラビアの関係正常化という話が進んでいます。パレスチナ自治政府のほうは自治権限を拡大する、ある種の条件闘争で、正常化に対応しようとしています。一方で、ガザの問題は一切、その条件には出てきていません。

つまり、ガザの問題は見捨てられていく可能性がある。見捨てられることの恐怖をハマスは感じていたし、ガザの住民も感じたんだろうと思います。 ここで何か大きな軍事作戦をやれば、そうした流れを食い止める、あるいは少なくとも大きな妨げになるというふうに考えたのだと思います。

アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアの5か国は、イスラエルへの支持とテロ行為を非難する共同声明を発表しています。 一方で、アラブ連盟のアブルゲイト事務局長は「ガザでは、これまでも多くの人々が殺害され、流血の事態が起きてきた。イスラエルはこうした行為を繰り返してきた」と述べ、逆にイスラエル側を批判していました。

ハマスによる攻撃は絶対容認できません。同時に住民の犠牲が伴うイスラエルの過剰な報復攻撃も自制させなければなりません。人道支援のための人道回廊の設置や検問所を開くなどの対応策が協議されています。しかし、犠牲を防ぐための最大の解決策は即時に停戦を実現させることです。

たいへん残念ながらガザ地区の停戦実現せず  国連安保理の決議案、米国が拒否権を行使』という報道を目にしています。15か国中、日本も含む12か国が賛成し、採択に必要な賛成9票以上に届きながら常任理事国のアメリカが拒否権を行使したため決議案は否決されました。

アメリカは「決議案にはイスラエルの自衛権についての言及がない。この表現も入るべきだった。だから我々は決議を支持できなかった」と述べていますが、切実な大義から離れた反対のための理由であるように見受けられてしまいます。

ウクライナ戦争における国連決議に際し、拒否権を発動するロシアを批判していたアメリカの信頼が失墜する残念な判断だったように思っています。加えて、国連の立場や役割を改めて低下させる事態であり、ますます国連不要論という声が高まらないかどうか懸念しています。

自分自身の知識や頭の中を整理する機会として、NHKの解説を切り口に今回のブログ記事を書き進めています。いつものことですが、長い記事となっています。前回記事「連合と政党との関係性」の冒頭で「この話までつなげようと考えながらも、長くなってきたため次回に送る時が増えています」と記していました。

今回も同様なパターンとなりますが、金曜夜に協力委員の一人として参加した三多摩平和運動センター主催の「CV22オスプレイの横田基地配備に反対する10.21三多摩集会」に関しては少し取り上げてみます。全体で190名が参加し、会場内での集会後、2.3キロほどデモ行進しています。

騒音や墜落の危険性の高いオスプレイの配備に反対する集会ですが、ガザ地区での武力衝突の問題も何人かの挨拶の中で触れられていました。武力で平和はつくれない、憎しみや暴力の連鎖がテロや戦争につながる、まったくその通りだと思っています。

金曜の集会の中では横田基地の撤去をはじめ、防衛費の増大や改憲に反対する訴えが相次いでいます。そのような訴えも賛同している立場ですが、「なぜ、反対するのか」という文脈も欠かせないものと考えています。

特に基本的な立場や考え方が異なる方々に訴えていく場合、そのような一言二言がなければ運動の広がりは期待できません。平和運動センター総会で発言していますが、憲法9条を守ることが「なぜ、平和につながることなのか」など丁寧な情報発信や訴え方の必要性を認識しているところです。

ハマスに対し、圧倒的に軍事力で優位だったイスラエル、抑止力は万全だったはずですが、今回のような攻撃を受けています。その攻撃で失われた命はかけがえのないものであり、為政者はそのような事態を絶対生じさせないことを念頭に置いて欲しいものと切に願っています。

このような問題意識のもと当ブログを通し、一人でも多くの方に共感を得られるような言葉を探し続けています。戦火が消えない悲しさ、テロや戦争をなくしたいという共通の思いを一つにできる「答え」を探しています。この先の話は次回以降の記事に送りますが、ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いです。

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2023年10月15日 (日)

連合と政党との関係性

このブログは毎週1回、土曜か日曜に更新しています。以前から「文章が長い」という指摘が多く、あまり話題を詰め込みすぎないように注意しています。当初、この話までつなげようと考えながらも、長くなってきたため次回に送る時が増えています。時事の話題を取り上げる際、鮮度が落ちてしまう場合もありますが、単発で終わるブログではないためご容赦願っています。

前回の記事は「枝野前代表の問題意識」でした。ちなみに前回の記事でも、当初『【解説】岸田首相が連合大会に出席の狙いは「野党の分断と連合票の切り崩し」立憲は「ご安全に!」』という話までつなげるつもりでした。改めて今回「連合と政党との関係性」というタイトルを付けて書き進めていきます。

10月5日、連合の第18回定期大会に岸田総理が出席しました。自民党政権の総理大臣としての定期大会出席は2007年の福田元総理以来16年ぶりで「次期衆院選をにらみ、労働組合との距離を縮める思惑もありそうだ」と報じられていました。

岸田総理は「コロナ禍を乗り越えた国民は今、物価高に苦しんでいる。今こそ成長の成果を適切に国民に還元すべきである。皆様のご尽力もあり生じた賃上げの大きなうねりを持続的なものとし、地方や中堅、中小企業にまで広げていかなければならない。最低賃金についても2030年代半ばまでに1500円となることをめざす」と来賓挨拶の中で語っています。

岸田総理の出席に対し、立憲民主党の泉代表は「自民が呼ばれた訳でない」という認識を示されています。岸田総理、武見厚労相の後に来賓として挨拶した泉代表は次のように語っていました。

本日は政党としては立憲民主党、国民民主党、この2党が招待されている。これはまさに政府から来た、首相や厚労相とはまた異なり、政党として皆様とともに歩むという姿勢が明確であるわれわれにお声をかけていただいたということで、私たちもその期待に応えてまいりたいというふうに思っております。

来賓挨拶が終わった後、記者から「岸田総理の出席が野党分断につながるか」と問われた泉代表は「全然つながっていない」と答えています。国民民主党との連携については「連合運動をしている皆様は(立民と国民民主が)協力して議席獲得をめざせという声が多いのではないか。その声を受けとめて我々は進めていくべきだ」と述べています。

同じく来賓挨拶を終えた後、国民民主党の玉木代表は「立憲と分かれているのは連合が分かれているから」という見方を示しています。的を射た指摘なのかどうか分かりませんが、今回のブログ記事での論点提起とも言える見方ですので報道内容の全文を紹介します。

現状としては二大政党的な政権交代は難しい。連合は旧総評系、同盟系を一つにするためのキーワードとして「反自民・非共産」、「二大政党的な政権交代」を掲げてきたが、現状の政治状況と選挙制度のもとで、果たしてそれが実現可能なのか。

連合の中の産業別労働組合(産別)で、原発は動かした方がいいという産別があり、原発はやめろという産別もあり、究極、連合の中の問題なのかなと。連合の中で、中心的な政策について分かれていることが、政党が(立憲民主党と国民民主党に)分かれていることにもつながっている。

それをまとめていくということであれば、連合の中で、原発をはじめとしたエネルギー政策、安全保障、憲法、こういう問題について整理が必要だ。連合の中でも話し合っていただきたいし、我々と連合の中でも、しっかり話し合いをしていきたい。(国会内で記者団に)【朝日新聞2023年10月5日

確かに連合の中で産別組合ごとに個別政策に対する温度差や距離感の違いがあります。連合の結成前、総評と同盟等に分かれていた時代からそのようなカラーの違いがあり、基本的にそのような傾向は現在まで続いていると言えます。

それでも政権交代を果たした民主党時代、重要な理念や個別政策の方向性について連合内で一致させ、連合全体として一つの政党を応援できていたことも間違いありません。このブログの少し前の記事「時事の話題、国政の話  Part2」の中で、次のように記していました。

政権交代を実現させた民主党と連合は、かつて次のような3本の柱を基軸に強い絆を結んでいました。一つは連合が力を注いできたテーマを表した「働くことを軸として、安心できる社会を作っていく」であり、あと二つは「2030年代に原発をゼロにする」「強い言葉で外交・安保を語らない」という言葉です。

その記事では「連合のめざしている社会像が国民の多くから支持され、その目標に向かって共同歩調を取れる政党との関係性が明確化できることを理想視しています」とも書き添えています。

一方で、連合は政治団体ではありませんので「組合員にとってどうなのか、働く者にとってどうなのか」という視点や立場で様々な方針を決めています。そのような連合の方針を実現していくため、緊密な連携をはかれる政党や政治家と支持協力関係を築いてきています。

このような経緯や背景を踏まえ、より望ましい政治に近付けていくためにも、連合全体として応援できる政権の受け皿となり得る野党が存在感を発揮していくことを願っています。複数の政党が連携する場合は、野合と批判されないような旗印を掲げた政治的な勢力であることを期待しています。

さらに民主党政権時代の失敗を教訓化し、改めていくべき現状は一つ一つ、より丁寧なアプローチのもとに進めていく政権であって欲しいものと思っています。そのような意味で前回記事で紹介した枝野前代表の問題意識には共感するものがあり、まっとうな政治の実現に期待を寄せています。

連合と政党との関係性において「反自民・非共産」という原則が連合結成以来掲げられています。そのような原則も「組合員にとってどうなのか」という視点を重視するのであれば、状況に応じて柔軟な対応が求められているように感じつつあります。

岸田総理が連合の定期大会に出席されたことも、選挙戦において立憲民主党の候補者が共産党から支持を得ることも、個人的には大きな違和感を抱かなくなっています。その上で、前述したような問題意識のもと現政権与党の対抗軸となり得る選択肢が定まることを切望しています。

最後に、多面的な情報を提供する一つの場として、ネット上で目にした連合は決して自民党に取り込まれてはならない/中北浩爾氏(中央大学法学部教授)』という記事の中で、特に興味深かった箇所をそのまま紹介させていただきます。

これまで日本の労働運動は一貫して労働者の代表として野党を応援し、政府とは対決的な立場をとってきたが、ここにきて自民党はいよいよ連合の抱き込みを本気で図ろうとしているかに見える。そしてあろうことか連合の方も、その状況を「満更でもない」と受け止めているように見える。

政治学者で連合の歴史にも詳しい中央大学法学部の中北浩爾教授は、自民党は労働組合の票を狙っていると言う。医師会、農協、宗教団体などほとんど全ての団体が与党に寄っていく中、連合だけはこれまで一貫して野党勢力を応援してきた。加入者数は減少傾向にあるとはいえ、700万人の組合員を抱える連合が、創価学会と並ぶ日本最大の組織票であることは間違いない。

しかし、ここにきて高齢化による支持母体の先細りに直面する自民党は、いよいよ労働組合にもちょっかいを出してきた。自民党から見れば、そこに手を出さざるを得なくなってきたという面もあるが、その一方で、労働組合の側も自民党の取り込みに抗いきれなくなってきているようだ。

しかし、もし労働組合が部分的にでも自民党支持に回ることになれば、日本には与党に太刀打ちする勢力が無くなってしまう。連合票だけでは選挙には勝てないと言われるが、無党派層の票だけで戦えるほど小選挙区制の選挙は甘くない。中北氏も組織票というベースの上に無党派層の票をどれだけ上乗せできるかが日本の選挙の戦い方だと指摘する。

その意味で55年体制の発足以来、一貫して野党勢力の後ろ盾となることで日本の政治に一定の緊張感をもたらしてきた与野党対立の構図が、今ここに来ていよいよ崩壊しかねない最終局面を迎えていると考えるべきだと中北氏は言う。

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2023年10月 7日 (土)

枝野前代表の問題意識

前回記事「政権与党に問われている重い責任」の冒頭で「なかなか秋の気配は感じられません」と記していましたが、一気にひんやりする朝を迎えるようになっています。薄着のまま寝て、風邪をひかないように注意しなければならない季節の変わり目です。

さて、前回記事の最後には「現政権の至らなさが見受けられるのであれば、次の総選挙戦で政権交代があり得るという関係性は重要です。このような緊張感があることで、政権与党は懸命に国民の声に耳を傾け、より公正な政治をめざしていくことになるはずです」と記しています。

このような個人的な思いや願いについて、「枝野前代表の問題意識」という記事タイトルを付けて掘り下げていきます。まずなぜ「政権交代」は響かない言葉になったのか…枝野幸男が考える「立憲民主党と旧民主党の決定的な違い」』というプレジデントオンラインの記事を紹介します。

「自民党政権はダメだから、政権交代しよう」ということで、2009年に民主党政権が誕生しました。でも、民主党が期待に応えきれなかったのは間違いありません。

今は永田町以上に、国民の方が「ただ政権が変わればいい、というものではない」ことを、よくわかっています。だから「政権交代」だけを掲げても、全く反応しません。

では求めているのは何か。それが3つ目に感じたことなのですが、国民が不満を抱いている本質は、目の前の一つひとつの政策課題についてではない、ということです。

例えば今だったら「紙の保険証の廃止に反対」という声があります。でも、単にそのことに対応すればそれでいいのか、というと、そうではありません。国民は、保険証問題に象徴される社会構造にいら立っているのです。だから、個別のテーマに振り回されても、国民のニーズに応えたことにはなりません。

上記の言葉の後、枝野前代表は「国民が求めているのは各論ではなくビジョン」という問題意識につなげています。個別のテーマにも対応しながら「この国全体をどうしてくれるのか」という問いに答えていかなければならないと続けています。そして、次のようなめざすべき社会ビジョンを語っています。

「まっとうな社会」とはどういう社会なのか。それが「支え合う社会」です。ここで言う「支え合い」は「あなたと私が個人で支え合う」こととは違う。「政治の力で公共サービスを充実させ、社会全体で互いに支え合う」ことです。

「まっとうな経済」とは、安心を生み消費を活性化させる経済です。富の再分配によって公共サービスの担い手を支えることで、国民一人ひとりが安心して暮らすことができ、結果として消費を生み出し、お金を循環させることができます。「まっとうな社会」と「まっとうな経済」がつながるのです。

そして、公共サービスを充実させるには、政治に対する信頼を取り戻すことが欠かせません。今は国政も地方政治も、議会によるチェック機能が働かなくなり、お金の流れが見えなくなっています。政策決定のプロセスを透明化して、議会のチェック機能を回復させることで、公正で信頼できる「まっとうな政治」を取り戻さなければなりません。

このブログでは2年前に「スガノミクスと枝野ビジョン」という記事を投稿し、その「Part2」 の中で枝野前代表の著書『枝野ビジョン 支え合う日本』の内容について取り上げていました。上記のような考えは枝野ビジョンを土台にしたものであることが分かります。

さらに最近の記事「ベーシックサービスと財源論」「ベーシックサービスと財源論 Part2」で取り上げた慶応義塾大学の井手英策教授から枝野前代表は強く影響を受けていることも推察できます。

単刀直入に言えば私自身の問題意識も同様です。めざすべき社会像も枝野前代表の考え方と概ね一致しています。したがって、早ければ年内にもあり得る総選挙戦においては、総論的な立ち位置の明確化された政治の選択肢が示されていくことを願っています。

ただ総論的な分かりやすさが必ずしも有権者の投票行動に直結するかどうか、このあたりについても課題として認識していかなければなりません。紹介したプレジデントオンラインの記事の中で枝野前代表は次のように語っています。

報道は「新しいこと」を追うのが仕事なので、同じことを繰り返し言っても、ニュースにはならないのです。それでも、例えばテレビのニュースで発言が15秒くらいで切り取られる時、そこで使われやすいフレーズを、普段から繰り返し使っていかなければいけませんでした。

このようなメディアの現状を踏まえ、伝える手段、伝える能力、伝える意欲の問題を枝野前代表は課題認識されています。少し前に『映画『国葬の日』が映し出す"曖昧な日本"――あなたは国葬に賛成だったか反対だったか覚えていますか?』という記事中の言葉に目を留めていました。

ある程度予想してはいましたが、この国はいまだ『分断』にすら至っていないのだと痛感しました。編集が終わった映像を見ての率直な感想は、困惑そのものでした。ひとつは賛成でも反対でもない、そもそも関心すら持っていない人の多さと、私も含めた左派・リベラルの声がその層にまったく届かなくなっているという、二重の困惑です。

ドキュメンタリー映画『国葬の日』を手がけた大島新監督の言葉です。賛成でも反対でもなく、関心すら持っていなくても、世論調査で問われれば一つの答えを選ぶことになります。選挙での投票行動も同様です。政治に対して無関心の方の多さが低投票率につながっています。

投票所に足を運ばれた方の中でも「知っている名前だから」「何となく良さそうだから」というフワッとした判断基準で投票されている方々も多いのかも知れません。いわゆる「フワッとした民意」と呼ばれるような緩やかさを伴う投票行動です。

対比した言葉として「岩盤支持層」がありますが、一つの議席を争うような選挙戦では「フワッとした民意」を味方につけられるかどうかで勝敗が左右されていくはずです。

このブログでは以前「卵が先か、鶏が先か?」という記事を投稿しています。マスコミが世論を決めるのか、世論がマスコミの論調を決めるのかという問題意識を綴っていました。

マスコミの特性と難点」という記事もあり、同じ事実を伝える際、例えばコップの中に水が半分ある時、「半分しかない」と書くのか、「半分も残っている」と書くのでは読み手の印象が変わることなども綴ってきました。

詳述する必要はないものと思いますが、ジャニーズ事務所の問題に照らし合わせれば、まさしくマスコミの特性と難点が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

橋下徹、泉房穂前明石市長の “情けない” 発言に激怒「極めて立憲民主的」「物の言い方がある」』という記事にも目を留めていました。橋下徹氏の「極めて立憲民主的」という言葉自体、「物の言い方がある」と自分自身に跳ね返ってくる言葉であるように思っています。

とは言え、「ある意見に対して人間性を否定したり侮辱したりすること」は厳禁としなければならず、「多くの支持を受けようと思ったら物の言い方があると思う」という橋下氏の指摘はしっかり受けとめるべき心得だろうと認識しています。

「フワッとした民意」をつかむためには侮蔑的な言葉がマイナスに働くことも意識していかなければなりません。そのような観点から「素人ばかりの『第2自民党』が政権とったら大惨事」 立憲・枝野氏』という記事の見出しが気になりました。

(自民党と日本維新の会との関係について「第1自民党と第2自民党でいい」とした維新の馬場伸幸代表の発言を念頭に)「第2自民党」なら自民党でいい。だって(自民には)経験、実績がある。その方が間違いない。大臣、副大臣、政務官をやったことがない素人ばかりの第2自民党が、いきなり政権を取ったら2009年の民主党政権どころではない。大惨事が起きる。(自民と)中身が変わらず、やり方が下手になる。これでは意味がない。

自民党と何が違うか、どういう社会を作りたいか、理念は何か、(立憲民主党は)明確に訴えなきゃいけない。選挙を考えたら、できるだけ他の野党と連携できるところは最大限連携した方がいい。でも、自分の党のアイデンティティーがわからなくなるのはダメだ。どの党とどう組むとか、注目されること自体がダメ。公党間の連携だからこっそりとは言わないが、アピールせずにやらなきゃいけない。(9月30日、支持者向けの集会で)【朝日新聞2023年9月30日

記事本文まで目を通すと、それほど他党を侮蔑するような印象は伝わってきません。しかし、記事の見出しに関しては目を引かせる強い言葉が切り取られがちです。枝野前代表に限らず、支持者向けの集会などでは気が緩むのかも知れませんが、政治家の皆さんの発する言葉には慎重さが求められています。

ただ枝野前代表の日本維新の会に対する問題意識そのものは大きくうなづけるものだと思っています。岸田政権が失速しがちな中、日本維新の会が「フワッとした民意」をつかみつつあります。

しかし、弁護士の郷原信郎さんの論評『「大阪・関西万博」問題は、維新吉村知事などによる“戦後最大の自治体不祥事”』などからも日本維新の会の危うさを知ることができます。今後、マスコミの論調が変わるのかどうか分かりませんが、もう少し日本維新の会に対する情報は流されて然るべきだろうと思っています。

最後に、市議会議員を7期務め、市議会議長も担われた私どもの組合の元委員長が10月2日に逝去されました。私自身が長く組合活動を続けてきた中、最もご縁の深かった大先輩でした。本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りし、心からお悔やみ申し上げます。

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