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2023年9月30日 (土)

政権与党に問われている重い責任

明日から10月だと言うのに蒸し暑い日が続き、なかなか秋の気配は感じられません。それでも暦の上では今年も残り3か月です。役所の年度で言えば10月1日は半年が過ぎた折り返し地点であり、今年も様々な法律の施行日に定められています。

酒税法の改正でビールは値下げ、発泡酒据え置き、第3のビールが値上げされます。最低賃金の全国平均は前年度比43円増の1004円となります。最も大きな変化は消費税のインボイス制度が始まることです。

2015年に消費税の軽減税率とセットでインボイスの導入が決まりました。2019年に10%と8%と複数税率に分かれた時点でインボイスを導入する必要がありましたが、混乱を避けて4年間の準備期間が設けられていました。

インボイスの導入は、フリーや零細企業などで働いている人の負担があまりにも大きく、アニメ、声優業界などフリーランスの多い各種団体が相次いで反対を表明してきました。施行日を目前に控え、50万筆を超えた導入に反対するオンライン署名は9月29日に岸田総理の秘書官に手渡されています。

署名が提出された同じ日、岸田総理はインボイスの円滑な導入に向けて関係閣僚に細やかな対応を求めていますが、泥縄感が否めません。導入を決め、実施時期の先送りを決めたのは安倍政権ですが、今後、生じる可能性のある混乱の責任は現政権が負っていかなければなりません。

既視感のある事例として、福島第一原発の処理水を海洋放出した問題が重なり合います。安倍政権時代に決まった方針に沿って、あらかじめ定められていた時期に実施に移す、岸田総理にとって宿題を粛々とこなしていくという受け身の姿勢だったように思います。

とは言え、待ったなしの現在進行形の諸問題と将来にわたる責任は現政権のトップである岸田総理自身に問われていきます。前回記事「時事の話題、国政の話  Part2」の中で紹介した『防衛予算「後年度負担」の罠…支払いは政権交代があっても将来まで続く』という報道にあるとおりです。

右に行くのか、左に行くのか、もしくは進むのか、退くのか、組織のトップに対して難しい選択が迫られる場面は多いはずです。その中でも、総理大臣の職責に対するプレッシャーは想像を絶するものだろうと思っています。

国民の生命や暮らしに直結する総理大臣の判断が、大きな間違いとならないように周囲の適確なサポートも欠かせません。それでも様々な問題に素早く対処していくためには総理自身の個人的な能力や資質が問われていくことも確かです。

このような選択をした場合、どのような反応や影響があるのか、予見力や想像力が問われていきます。そのような意味合いから気になった報道に接していました。それほど注目を集めている話題ではありませんが、岸田首相「幹部は役職兼務回避を」自民』という報道です。

岸田文雄首相(自民党総裁)は26日の党役員会で、茂木敏充幹事長ら幹部に対し、党内の他の役職を兼ねることを原則避けるよう指示した。憲法改正実現本部をはじめとした総裁直属機関の人事などが調整中であることに触れ、「幅広い方に役員になってもらいたい。原則、兼務を避けてほしい」と語った。【時事通信社2023年9月26日

上記の報道に対し、ヤフコメには「さすが身内に甘いな」「言行不一致じゃないか!」という批判の声が寄せられています。『木原誠二氏 自民 幹事長代理に  政調会長特別補佐も兼務』という報道のとおり側近の木原前官房副長官は異例の厚遇といえる役職を兼務させています。

週刊文春に追及されている疑惑に対する説明も不充分なまま官邸から退き、党の要職に栄転させた人事だと見られています。このような人事だけでも批判を受けがちだったのにも関わらず、他の議員には兼務を避けてほしいと指示したという報道に接し、岸田総理の感度の鈍さに驚いていました。

岸田総理に限らず、感度の鈍さは自民党全体の問題なのかも知れません。『「ドン引き」「絶望的な人事」エッフェル松川議員の副幹事長“栄転”に世論の怒り爆発』という報道も一つですが、『“人権侵犯認定”杉田水脈議員を要職起用…自民党の“恥知らず人事”に非難殺到』のほうはもっと深刻な話だと思っています。

今回の記事タイトルを「政権与党に問われている重い責任」としているのは、このような自民党全体に対する懸念があるからでした。極めつけは『安保文書めぐり麻生氏「“がん”だったいわゆる山口代表」と批判  公明・山口代表は「評価控える」も、公明党内からは「言われっぱなしでいいのか」』という報道です。

自民党の麻生副総裁は、昨年12月に岸田政権が閣議決定した安全保障関連3文書の改定に際し、公明党の山口代表らが反撃能力の保有に慎重な姿勢を見せてきたことなどについて名指しで批判していました。

「公明党の一番動かなかった“がん”だった、いわゆる山口(代表)、石井(幹事長)、北側(副代表)等々の一番上の人たち、その裏にいる創価学会」とし、呼び捨てで批判しています。それも公の場である講演会での発言だったことに物凄く驚いています。

麻生副総裁にとって失言ではなく、あえて公明党との関係を悪化させたいという思惑があったのかも知れません。どのような波紋を広げるのか想像力を働かせ、大きく取り上げられることを予見した上での発言だったのであれば畏怖すべきことです。それにしても友党の幹部らに対し、敬意を逸した非常識な言葉遣いに対する品位は疑うことになります。

そもそも当ブログでも昨年末に『標的の島』と安保関連3文書」という記事を投稿していますが、反撃能力の保有などが実効ある平和に寄与することなのか疑問視する国民の声も少数ではありません。麻生副総裁の「がん」発言は、そのような問題意識を持つ国民の多くも「がん」だと決め付けているようなものだと言えます。

平和で暮らしやすい社会に向けて、現在の政権与党に重い責任と役割が託されています。現政権の至らなさが見受けられるのであれば、次の総選挙戦で政権交代もあり得るという関係性が重要です。このような緊張感があることで、政権与党は懸命に国民の声に耳を傾け、より公正な政治をめざしていくことになるはずです。

このあたりについては次回以降の記事を通し、いろいろな思いや願いを書き進めていければと考えています。その際なぜ「政権交代」は響かない言葉になったのか…枝野幸男が考える「立憲民主党と旧民主党の決定的な違い」』という記事に綴られている立憲民主党の枝野前代表の問題意識も参考にしてみるつもりです。

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2023年9月23日 (土)

時事の話題、国政の話 Part2

前回記事「時事の話題、国政の話」の最後に『首相補佐官に前国民参院議員の矢田稚子氏を任命へ…「自公国」構想実現への布石狙いという報道を受け、連合と政治に絡む話にもつなげていくつもりだったことを記していました。長めの記事となっていたため、改めて今回「Part2」として書き進めていきます。

このような報道の背景や事実関係について、当事者の一人である国民民主党の玉木代表がTBSのCS番組で、自民党側から連立政権入りの打診があったことを明かしています。詳細は自民との連立、政策は交渉できても選挙区調整は無理  まずは自分たちが強くなること』という記事が伝えています。

その記事の中で、矢田氏の総理補佐官起用は連立の第一歩であり、野党を分断するものではないか、連合も大反対ではないかと玉木代表は問われていました。この問いかけに対し、玉木代表は次のように答えています。

連合というよりも選挙区調整がやはり「選挙で争うのに連立」っていうと、例えば自民党と公明党でさえ新しく出た選挙区で揉めて大変なことになってたわけなので、その辺は、単なる政策協議とはまた困難さのハードルが違うなとは思います。

連合の大反対云々は巧みに避けながら連立入りについて「困難さ」という表現にとどめています。玉木代表は「連立入りというのは政策的な協議とは違った話で、政策の一致とともに選挙区調整をクリアしないと党内の理解は得られない」という認識を示しています。

連立入りの問題で、連合の芳野会長は「ありえない」と明確に玉木代表らに伝えているようです。ただNHKの次のような報道にあるとおり玉木代表の記憶では、そのような事実関係はなかったことになっています。

国民民主党の玉木代表は、榛葉幹事長とともに6日午前、支援を受ける労働組合の中央組織・連合の本部を訪ね、芳野会長と会談し、代表選挙で再選されたことなどを報告しました。

会談のあと、芳野氏は記者団に対し、自民党内から国民民主党が参加した新たな連立政権を目指す声が出ていることをめぐって意見を交わしたことを明らかにしました。

そして「連合としては連立政権はありえないと伝えた。連立政権になれば連合が割れる可能性が出てくるので、絶対に避けたいと申し上げた」と述べました。

一方、玉木氏は6日夜、記者団に対し「私の記憶では、そういった突っ込んだ具体的な話はなかったと思う。引き続き連合とは政策的にも選挙の面でもしっかり連携してやっていこうと伝えた」と述べました。NHK 2023年9月6日

過去に社会党と自民党との連立政権があったように今後、国民民主党の連立入りはありえるものと思っています。芳野会長の発言は連合の立場として「ありえない」「あってほしくない」と伝えているものと理解しています。

玉木代表が支援を受けている組織とは言え、党の行く末を拘束する断定調な意見を素直に耳を貸せないことも充分理解しています。綺麗事かも知れませんが、本質的な問題は国民民主党の連立入りが国民にとって望ましい選択になるのかどうかだろうと思っています。

玉木代表の「党内の理解」とは個々の議員それぞれの議席を守れるかどうかという意味合いに聞こえます。そのため、選挙区調整さえかなえば、すぐにでも連立入りするような意味合いにも取れます。

自民党政権の延命に手を貸し、政権交代という緊張感のないまま自民党政権が今後も続いていくことの是非をもっと深く考えていかなければならないはずです。その上で、このまま自民党を中心にした政権の継続が国民にとって望ましいことだと判断されるのであれば、あえて批判できるものでもありません。

一方の連合の立場からすれば、組合員にとって望ましい選択はどうなのかという論点になります。政党との支持協力関係を連合の方針に掲げているのも、組合員の労働条件の維持向上をはじめ、組合員が安心して暮らせる社会をめざしているからです。

政治的な影響力を駆使できることも、そのような目的につながるものなのかも知れません。とは言え、あくまでも労働組合が構成している組織であり、政治団体ではないため政党との適切な距離感に留意していくことも欠かせないはすです。

昨年7月に「朝日新聞政治部』から思うこと」という記事を投稿しています。その頃から朝日新聞の記者だった鮫島浩さんのSamejimaTimesに注目しています。最近自民党が敗れた岩手県知事選と立川市長選、そして国民民主党代表選が示したもの〜野党共闘を妨げる「維新」と「連合」』という記事に目が留まっていました。

明石市の泉房穂前市長の政治はケンカだ! 明石市長の12年』は、聞き手としての鮫島さんが共同執筆者でした。その書籍の中で「連合の持ってる組織票自体は大したことない」が、「選挙実務を頼り切っているから、関係を切れないんだ」という記述があります。

旧統一教会と自民党議員との関係性に重ね合わせたネガティブな見方も鮫島さんから示されていました。リンク先の記事も同様ですが、連合に対する鮫島さんの思い込みには少なからず違和感を抱いています。

一方で、このようなネガティブな見られ方をされていることに対し、連合側も払拭する努力を重ねていかなければなりません。連合のめざしている社会像が国民の多くから支持され、その目標に向かって共同歩調を取れる政党との関係性が明確化できることを理想視しています。

政権交代を実現させた民主党と連合は、かつて次のような3本の柱を基軸に強い絆を結んでいました。一つは連合が力を注いできたテーマを表した「働くことを軸として、安心できる社会を作っていく」であり、あと二つは「2030年代に原発をゼロにする」「強い言葉で外交・安保を語らない」という言葉です。

安倍元総理以上に強い言葉を語る党幹部を擁し、防衛費の大幅増額に踏み出している岸田政権での防衛予算「後年度負担」の罠…支払いは政権交代があっても将来まで続く』というような記事の内容を憂慮しています。将来的な原発ゼロという方針も、なし崩し的に曖昧にされつつあります。

このような対抗軸に沿った選択肢のある選挙戦になることを望んでいるため、与党か、野党かという構図では不充分だと考えています。つまり日本維新の会の立ち位置は自民党との対抗軸にならないため、立憲民主党や国民民主党が選挙協力を求めていくことには懐疑的な立場です。

時事の話題を並べれば『大阪の人以外はよくわからない日本維新の会、どれくらい信頼できる政党なのか』『1年間でガソリン代「地球4周分」!…日本維新の会・代議士「どう考えても支出多すぎ」疑惑への言い分』『維新・池下卓議員、無届けで地元市議2人を公設秘書に…議員報酬と秘書給与を「二重取り」』など政党としての未熟さも露見しています。

政治学を専攻する東北大の河村和徳准教授は「届け出をしないのは議員として怠慢で、公設秘書と地方議員との両立ができるのか疑念が残る。身を切る改革を掲げる維新が給与の二重取りを認めるのは、有権者から理解が得られないのではないか」と批判しています。

今回「時事の話題、国政の話 Part2」というタイトルを付けながらニュース等の紹介は多くありませんでした。内容的にも散漫だったかも知れませんが、いつものように「雑談放談」ブログであり、多面的な情報を提供する一つの場としてご容赦くださるようお願いします。

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2023年9月16日 (土)

時事の話題、国政の話

前回記事は「身近な政治、市長選の話」でした。選挙における一票が政治を変え、行政を変える転換点となります。私の勤める市では52年ぶりに非自民系の候補者が勝利しました。その結果、新市長が掲げた50に及ぶ公約に沿って、様々な検討が庁内の各部署で始まっています。

昨今の投票率の低さを考えた時、自分一人が選挙に行っても「どうせ政治は変わらない」と思われている方も多いようです。しかし、その一票は非常に貴重なものであり、一票一票の積み重ねによって政治が大きく変わることも確かだろうと考えています。

3日前、国政における最も重い責任と役割を負っている岸田総理は内閣を改造しました。19閣僚のうち13人が交代し、11人が初入閣しています。女性閣僚5人は過去最多の人数となっています。

今回の記事は時事の話題を紹介しながら期待したい政治のあり方について、個人的に思うことを気ままに書き進めていくつもりです。なお、リンクをはって紹介していく報道等の内容は幅広いものがあり、あくまでも多面的な情報の一つとしてとらえていただければ幸いです。

まず短期間で大臣が変わることの雑感です。このところ組閣や内閣改造によって、1年ぐらいの間隔で多くの大臣が交代しています。不祥事による辞任があれば、もっと短期間で大臣が変わっている省庁も少なくありません。

私どもの市では16年ぶりに市長が交代し、それに伴うシステム変更や消耗品等の準備に追われました。短期間でこなさなければならない必要な作業でしたが、担当された皆さんの尽力で円滑に変更できています。

国政の場合、前述したとおり多くの省庁のトップが頻繁に交代しています。当たり前なこととして、もう慣れてしまっているのかも知れませんが、その都度の事務作業や大臣レクなど煩わしく、たいへんだろうと思っています。

一般的には官民問わず、ある程度は年功で昇進していきます。それでも役員や部長の椅子は限られ、誰もがなれる訳ではありません。長年、自民党政権下で慣習化してきた大臣適齢期という考え方を改めることも一計とすべき頃合いなのかも知れません。

派閥均衡や大臣適齢期という慣習がある一方で、抜擢や重用が混在しているため、順番を先送りにされた議員らからは不満の声が示されがちです。 大臣になれなくても国会議員という重責を全うすることが「普通」になれば、このような声は減り、適材適所が疑問視される大臣の順送り人事も解消されるはずです。

今のやり方だった場合、結局のところ国民本位の人事につながりません。今回の内閣改造も国民本位とは程遠く、来年の総裁選を見据えた党内事情や支持率回復を狙ったものであることを多くの国民から見透かされ、内閣改造直後の各社の世論調査では「評価しない」という声が多数を占めていました。

軸の見えない人事の表われとして、女性の大臣は過去最多としながら副大臣と政務官に女性を一人も登用していません。「愕然とした」女性不在の副大臣・政務官人事を立憲が批判』『岸田首相「女性ゼロ」の矛盾に「ほんと国民舐めすぎ内閣」の怒りも届かない“富士急ハイランド研修会”で余裕しゃくしゃくの笑顔』という報道のような批判を招いています。

岸田総理は女性が一人もいなかったことについて「どの大臣にどの副大臣・政務官をつけるのが適切か、チームとして人選を行なった結果だ」と答えています。閣僚も含めて「適材適所で老壮青、男女のバランスになった」という説明も加えていますが、苦しい答えだと思っています。

さらに『岸田首相の「女性ならではの感性、共感力」発言  作家・甘糟りり子氏が疑問「本心で『女性活躍』を思っていない昭和的思考」』という報道も目にしています。この発言に関しては『室井佑月氏  岸田首相〝女性ならでは〟発言批判に疑問「バカみたい」「どうして問題になるの?」』と擁護する声もあります。

ここでクオータ制について考えてみます。「クオータ制とは、政治では議員、企業では役員などで、女性の割合が一定になるようにする制度のこと。女性の社会進出や、男女ともに働きやすく、多様性のある社会を実現するものと考えられている」とリンク先のサイトで解説されています。

120以上の国や地域で導入が進み、取り入れていない国が少数派となっています。実力主義に反するという指摘や男性に対する「逆差別」を懸念する声もありますが、国際社会の趨勢を踏まえ、基本的に日本も取り入れようとしている考え方であることに間違いありません。

それにも関わらず、今回の内閣改造で自民党は副大臣・政務官に女性を一人も登用していません。クオータ制への理解が不足しているのではないかと批判されても仕方のない人事だったと言えます。いずれにしても党としての軸が定まっていれば、女性をゼロにすることはあり得なかったはずです。

続いて『新副大臣・政務官、54人のうち26人が旧統一教会側と接点』という報道が気になりました。現在は接点がなく、問題ないという説明を岸田総理は示しています。しかしながら最低限、解散命令請求の問題が山場を迎えていく文科大臣だけでも、これまで一切接点のなかった人物を選んで欲しかったものと思っています。

今回の内閣改造に対し、LITERAは『岸田内閣改造で統一教会癒着政治家が入閣! 文科大臣は統一教会との関係隠し、教科書問題で灘校に圧力の盛山正仁』という記事を通して厳しく岸田総理らを批判しています。ちなみに当ブログでは昨年10月に旧統一教会と自民党」「旧統一教会と自民党 Part2」という記事を投稿しています。

実は今回の記事では首相補佐官に前国民参院議員の矢田稚子氏を任命へ…「自公国」構想実現への布石狙い』という報道を受け、連合と政治に絡む話にもつなげていくつもりでした。いつものことですが、ここまでで相当な長さの記事となっています。そのため、この続きは次回「Part2」とし、書き進めていく予定です。

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2023年9月 9日 (土)

身近な政治、市長選の話

先週土曜に投稿した前回記事は「関東大震災から100年」でした。未曾有の災害から100年という大きな節目を刻んだところですが、先週日曜夜、私の勤めている自治体でも大きな転換点を迎えていました。前々回記事「2023年夏、気ままに思うこと」の中で触れていた市長選において、非自民系の候補者が52年ぶりに勝利する開票結果となっています。

ちなみにプロフィール欄に記しているとおり当ブログの管理人は「OTSU」とし、基本的に匿名での発信としています。知り合いの皆さんらにとって匿名ではありませんが、開設した当時のインターネット上での習わしに沿ってハンドルネームでの投稿を続けています。同様に勤めている自治体名もふせています。

よくマスコミなどに顔を出されている有名人や政治家の方は、特に名前をふせることはしていません。直接お会いした国会議員の方々の場合、選挙区が広域となるため実名で紹介しています。一方で、選挙区から自治体名につながる都議や市議の方々の場合、お名前をふせた書き方としています。

今回の市長選、東京における自民党と公明党との選挙協力のあり方を巡り、いつもより注目を集めていました。普段であれば関連したニュースのサイトにリンクをはるところですが、前述したような自分なりの基準から当ブログ内では恐縮ながら匿名での紹介にとどめます。

念のため、このブログで発信している内容は匿名か実名に関わらず、一言一句、不特定多数の方々に見られることを前提に責任持った記述に心がけています。誰に見られても差し障りは一切なく、逆に一人でも多くの方々に閲覧いただきたいという思いで18年間、毎週1回土曜か日曜に更新を重ねています。

言うまでもなく、法令遵守は当然です。選挙に関わる話は自分自身の職務の立場上、制約があることを踏まえ、さらにネット上で情報発信できる線引きに細心の注意を払いながら当ブログの中で取り上げています。

前置きが長くなっていますが、このような気ままさや自由さが長く続けられている理由の一つだろうと勝手に解釈しています。

さて、市長選の動向は6月に投稿した記事労使の信頼関係について思うこと」の中でも触れたとおり大きな関心事でした。現職の市長が退任されたため新人同士の選挙戦となる中、無所属で立候補された都議会立憲民主党の団長だった方が当選を果たしています。

新市長は都議時代、私どもの組合と推薦関係があり、20年以上前から顔見知りの方です。とは言え、選挙戦とは適切な距離感が必要であり、選挙期間中は専らネット上から動画等を視聴することにとどめていました。過剰な心得なのかも知れませんが、Facebookの「いいね!」も控えるようにしています。

日曜の夜はケーブルテレビを視聴し、開票速報を見守っていました。午後10時15分過ぎ、新市長の選挙事務所にカメラが入り、当確の瞬間に歓喜する皆さんの姿が映し出されました。選挙は水物と言われますので、当確が出るまで安心できません。皆さんの喜びや安堵感が伝わってくる場面でした。

すぐメールを送ることも考えましたが、傍観者の一人に過ぎないのに差し出がましいことかも知れず、スマホには手を伸ばしていません。金曜の朝、直接お会いした時、ようやく「おめでとうございます」という言葉を新市長にお伝えすることができています。

大雨の金曜は新市長の初登庁の日でした。新市長は8時前から入口前に立ち、出勤してくる職員一人ひとりに挨拶されていました。「このような挨拶は職員が感激するのではないですか」と一言添えさせていただいたところ「私がいちばん新米ですから」という謙虚な言葉を返されています。

新市長の公約づくりなどをお手伝いされた方とも昔からの顔見知りです。金曜の朝にその方とお会いした時、前例にとらわれずに新たな視点で市政に向き合っていこうとする新市長の意欲などを伺っています。短い時間でしたが、その方のお話から52年ぶりという転換点につながっていくような兆しを感じ取っています。

新市長の応援には明石市の泉房穂前市長が駆けつけていました。その街頭演説の模様はYouTubeから拝見しています。たいへんな熱量で「もっと良いまちに」という泉前市長の訴えは、きっと新市長の心を大きく奮い立たせていたのではないでしょうか。

発売当初から興味を持っていましたが、値段が高く、手にしていなかった政治はケンカだ! 明石市長の12年』という書籍も購入しました。全体を通し、泉前市長の孤軍奮闘ぶりや明石市民のために全力を注いできた熱い思いが伝わってきた書籍です。

泉前市長は、市長の仕事と権限を大きく分けると「方針決定」「人事権」「予算編成権」とし、「お上至上主義」「横並び主義」「前例主義」と闘ってきたことを語っています。

「国の言う通りのことをしなきゃいけない」「隣の市ではやっていません」という職員の説明に対し、時には中央省庁と直接かけ合いながら明石市が「全国初」となる施策の数々を実現したきたことを誇られています。

職員の行動原理を宗教に例えている記述には少し違和感もありましたが、「前例主義」にとらわれないことなどは大いに学ぶべき点だと受けとめています。私どもの自治体でも新市長が、このような立ち位置のもとに、より良いまちをめざしていくことに対して強く期待しています。

もちろん市政運営については傍観者ではなく、職員の一人として全力で新市長を支えていかなければなりません。組合の執行委員長を退任しているため直接お話できる機会は限られ、それが職責上の関係から当たり前だと思っています。

そのため、新市長に今回のブログ記事をご覧いただけるのかどうかも分かりませんが、最後に、私自身の思いを書き添えさせていただきます。

泉前市長の素晴らしさは手本としながらも、ハラスメントになりかねない言動は反面教師としていかなければなりません。これまでの新市長の人柄から杞憂に終わるものと思っていますが、たいへん大きな権限を持たれた中、職員が萎縮して言うべきことを言えなくなるような関係性に至らないようご配慮くださることを願っています。

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2023年9月 2日 (土)

関東大震災から100年

1923年9月1日午前11時58分、激しい揺れに関東地方は襲われました。10万5千人を超える犠牲者を出した関東大震災が発生してから100年という大きな節目を刻んでいます。

2年前には「東日本大震災から10年」という記事を投稿しています。10年という歳月は私自身も含め、その日の出来事を昨日のことのように思い出せます。100年前の関東大震災になると幼少期の実際の経験談として語れる方も皆無に近くなっています。

今年は100年という節目であり、マスメディアが様々な特集を組んでいました。教訓化すべきこと、風化させてはいけないこと、いろいろな思いを巡らす機会となっています。

1973年に発刊された吉村昭さんの『関東大震災』の文庫本も第22刷として書店の新刊コーナーに並べられていました。「関東大震災から100年」というタイトルを付けた当ブログの新規記事は、最近読み終えた吉村さんの著書の紹介を中心にまとめてみるつもりです。

大正12年9月1日、午前11時58分、大激震が関東地方を襲った。建物の倒壊、直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、夥しい死者を出した。さらに、未曽有の天災は人心の混乱を呼び、様々な流言が飛び交って深刻な社会事件を誘発していく―。20万の命を奪った大災害を克明に描きだした菊池寛賞受賞作。

上記はリンク先に掲げられた著書の紹介文です。最近の報道で地震直後の死者や行方不明者は10万5千人超と数えられています。吉村さんが著書を発刊した当時「犠牲者は10万とも20万とも言われる」と見られていたようです。

著書は、関東大震災の8年前に起こっていた「群発地震」のことから始まります。この連続地震は大地震の前ぶれなのかどうか、「今村説VS大森説」という専門家の対立があったことなどを伝えています。

幅広い切り口から関東大震災を綴った著書の中で、特に興味深かった箇所を紹介します。第6章「本所被服廠跡・3万8千名の死者」の内容が衝撃的でした。2万坪ほどの陸軍省被服廠跡に避難していた人たちに四方から火が襲い、関東大震災による全東京市の死者の55%強に達する3万8千名もの犠牲を生じさせていました。

奇蹟的に生き残られた方の証言が綴られています。地震の後、被服廠跡に避難でき、のんびりとした気分で皆くつろいでいました。「清ちゃん、余り乱暴に歩かないでよ。泥水が簞笥にかかるから…」と隣の家の小母さんから証言者はたしなめられています。

そのような言葉から数時間後には火災旋風に吹き飛ばされ、絶命する危機が迫っていることをまったく想像していなかった様子がうかがえます。簞笥の汚れを気にするどころではない対比の悲劇さを感じ取っていました。

被服廠跡では避難者が家財道具を運び入れていたため、逃げるにも容易に身動きが取れなくなっていました。この著書の中では、多くの避難者が荷物を持って逃げたことで被害を拡大させていた事実を伝えています。消防隊や避難者の移動の妨げになるとともに、その荷物に火が付いて火災が広がっていきました。

火災時に搬出される荷物については江戸時代から危険性が指摘され、処罰規定があったことを知りました。大火の折に避難者の携行する荷物が災害を大きくするという教訓から発せられていましたが、関東大震災ではその経験がまったく生かされていなかったと記されています。

江戸時代の教訓が生かされていなかった事例は他にもありました。防火のために火除原と称された広場や広い道路(広小路)が作られていました。それが無駄な場所だと考えられ、いつの間にか民家で埋められてしまっていました。防火思想が江戸時代より後退していたことが著書の中で指摘されていました。

地震が起きた時、すぐ火元を消すこと、持ち出す荷物は最低限にとどめることなどが関東大震災の後に改めて教訓化されるようになっています。ちなみに最近は自動消火装置の進歩もあり、火を消そうとした時に火傷するリスクを避け、落下物から身を守ることなど、まず自分の身を守ることを優先すべきと言われています。

生死の境をさまよった避難者が平静な精神状態を保つことは困難でした。通信網は壊滅し、情報は他人の口にする話に限られました。人の口から口に伝わる間に、憶測が確実なものであるかのように変形し、突風に煽られた野火のような素早い速さで広がっていきました。

大津波や富士山爆発などの流言は拡大し、朝鮮人襲来という根も葉もない話が恐るべき悲劇を生み出しました。各地で自警団が組織され、何の罪のない多くの朝鮮人が虐殺されました。

朝鮮を日本領土として併合していた時代であり、日本内地に来ている朝鮮人労働者らが内部に激しい憤りを秘めていることを日頃から意識していたため、そのような流言につながりやすくなっていたことが綴られていました。

理不尽な犠牲を強いられたのは朝鮮人だけではありません。方言によって朝鮮人だと疑われて、惨殺された事件も多発していました。1年前にNHK千葉放送局が『99年前の悲劇  知られざる福田村事件  差別を乗り越えるには』という番組を制作しています。

この事件をもとに映画『福田村事件』も作られ、昨日から公開されています。関東大地震の5日後、千葉県福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちによって、香川から訪れた薬売りの行商団15人のうち幼児や妊婦を含む9人が殺されました。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われました。

この事件は100年近くの間、歴史の闇に葬られていました。リンク先の映画の紹介文には「行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する」と記されています。さらに森達也監督は次のように語っています。

特に不安や恐怖を感じたとき、群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色。国籍。民族。信仰。そして言葉。多数派は少数派を標的とする。こうして虐殺や戦争が起きる。悪意などないままに。善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ知らなくてはならない。凝視しなくてはならない。

吉村さんの著書『関東大震災』の話に戻ります。大地震発生後の新聞報道は伝聞をもとにした内容が中心となり、重大な過失を犯しました。朝鮮人来襲に関する記事は庶民を恐怖に陥れ、多くの虐殺事件の発生を促しました。

その結果、記事原稿の検閲を受けなくてはならなくなったと伝えています。新聞の最大の存在意義である報道の自由を失うことにつながり、治安維持を乱す恐れのある記事原稿は、内務省の手で徹底的に発表禁止や削除されるようになりました。

大地震が起こった直後から社会主義者に対する監視や弾圧も強まっていました。著書には「大杉栄事件」「大杉事件と軍法会議」 という章もあり、憲兵隊司令部の甘粕正彦大尉らによって大杉夫妻と6歳の甥まで殺害された事件の経緯や顛末が綴られています。

甘粕大尉の行為は同情の余地のない非人道的なものとして非難されていました。しかしながら一方で、国家利益に反する社会主義者を殺害した愛国的な行為として、甘粕大尉を賞讃し、一般の殺人犯と同列に扱うべきではないと主張する声もありました。

甘粕大尉は懲役15年となり、千葉刑務所に服役して3年後に仮釈放されてフランスに渡った後、満州に赴いていました。満州国成立とともに要職に就き、退官後は満映理事長として活発に行動したと記されています。満州で終戦を迎えた8月20日、青酸カリを飲んで自殺したことも書き添えられています。

震災直後の9月10日、アメリカ軍艦「ブラックホーク」とイギリス軍艦「ホーキンス」が食糧、木材、燃料等を満載にして品川沖に到着しました。この両国とは18年後に戦火を交えることになります。このような国家間の友情が続かなかったことを読み進める中で感慨を深めていました。

全世界の国々から救援物資と金銭が送られてきました。ヨーロッパ各国の船も続々と各港に入る中、例外が一隻だけありました。日本の大災害を知って医師、看護婦を集め、多量の救援物資を積んで駆け付けたソ連汽船「レーニン号」を日本政府は追い返すという判断を下しました。

ソ連から救援を受けることで、日本国内で共産主義に同調する勢力を活気付かせるのではないかと警戒した結果でした。善意を踏みにじった行為であり、ソ連船の乗員らは憤激しましたが、日本政府の戒厳司令部の命令を受け入れ、救援物資を積んだままウラジオストックに引き返していきました。

前回記事「2023年夏、気ままに思うこと」の中で、強固な信頼感があれば「あの人の言っていることだから信じよう」という関係性につながると記しています。信頼関係を築いていれば当時のソ連の善意を日本政府も疑うことはなく、そのまま受け入れていたはずです。

人と人、国と国の間で信頼関係を築くための第一歩として、嘘はつかない、不都合な事実関係も率直に認めるという姿勢が不可欠です。このことを違えると「あの人の言っていることは信じらない」という関係性に陥ることになります。

そのような意味合いから松野官房長官の「朝鮮人虐殺記録ない」という見解は非常に憂慮すべきことです。水曜の記者会見で、関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺について「調査した限り、政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらないところだ」と発言されていました。

その2日前の月曜夜の「news23」では、虐殺を目撃した子どもたちが「みんなおとなのひとは てつのぼうをもって ちょうせんせいばつにいきました」などと淡々と作文に残していたことを伝えています。吉村さんの著書でも詳述されているとおり虐殺の事実関係は争うこともできないはずです。

この番組の最後には、横浜市で中学校の教員だった方が「流言やヘイトデマに対する備えが、僕らの社会にどれだけできているかなというのは、問うていかなければいけない。切り捨てることができない虐殺の歴史を見つめ、どう向き合っていくかが、私たちに問われています」と語っています。

たいへん長い記事になっていますが、最後に最近ネット上で目にした二つの記事を紹介します。一つは非常に残念な記事『朝鮮人虐殺の追悼文、今年も送らず  小池都知事、関東大震災の式典で』です。

もう一つは『外国人記者が見た関東大震災からの「奇跡の復興」』という記事で、壊滅状態から復興を遂げた首都の姿を称えています。その姿も20数年後には戦争によって廃墟と化した歴史に思いを巡らしていました。

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