マイナカードの混乱と政治の責任
2週続けて「労使の信頼関係について思うこと」「ブログで振り返る組合役員時代」という記事を通してマイナーな話題を取り上げてきました。今回は時事の話題を紹介しながら「解散風が吹く中で政治に望むこと」の続きに当たるような内容を書き進めていくつもりです。
時事の話題で言えばマイナンバーカードを巡る動きに注目しています。このブログでは以前「社会保障・税番号制度」「不人気なマイナンバーカード」という記事を投稿しています。
マイナンバー制度の導入に際して効果の面や情報漏洩のリスクなどを問題提起していました。より厳重に扱うべき個人情報を載せたカードであることを常に意識していかなければなりません。
もともとマイナンバー制度は社会保障、税、防災に関する事務に限定して始まっています。このような点を踏まえ、以前の記事の中で「不人気なマイナンバーカードですが、そもそも利便性の高さが認められれば自然と取得率は高まっていくはずです」と記していました。
それにも関わらず『岸田政権がもくろむ「マイナ漬け」、制度趣旨から逸脱→運転免許証・母子手帳・大学まで“狂気”の紐づけ』という動きが顕著になっています。リンク先の記事には「共通番号いらないネット」事務局の宮崎俊郎さんが次のように語っています。
マイナンバー制度が憲法に違反するとして、住民が国に利用差し止めを訴えた裁判で、最高裁は今年3月、住民側の上告を棄却する判決を出しました。マイナンバー制度が合憲である理由として、最高裁は『行政機関が利用できる範囲は、税・社会保障・災害対策などに限定されている』ことを挙げました。
つまり、マイナンバー制度は本来、その3領域に主に限定されていたのです。ところが、今月2日成立した改正マイナンバー法などの関連法によって、最高裁判決が“骨抜き”にされ、活用拡大に歯止めがかからなくなってしまった。
現在、私が原告の代表を務める『マイナンバー違憲神奈川訴訟』は、判決言い渡しを待っている状態です。法改正によって3領域という限定性が取り払われた今、マイナンバー活用の前提が大きく変わっており、司法として再度審理する必要があると思います。活用拡大を止めるため、裁判所に審理再開を求めています。
制度発足当初の原則がないがしろにされている現状を懸念している中、『河野太郎氏、マイナで陳謝 野党の批判に「おまえが始めた」愚痴も』という報道に接すると担当大臣の資質に大きな疑問を抱かざるを得ません。
ひも付けのミスに関連し、日本のデジタル化を阻む要因として、書類に判子(認め印)を押す慣習など三つの問題を指摘。銀行口座の名前はカタカナ表記だが、住民票や戸籍は漢字表記のみであったり、住所で「1丁目2番地3号」を「1-2-3」と省略したりすると、「コンピューターは同じ人か判断できない」と強調した。
相次ぐ野党議員からの批判については「マイナンバー制度は民主党政権がつくった制度。『おまえが始めたんだろ』と言い返したくもなる」と愚痴をこぼす一幕もあった。
指摘しているような問題があることを踏まえ、普及させていく責任が推進する側に求められていたはずです。3領域から利用範囲を無原則に拡大させる方針に転換し、マイナポイント事業によってマイナカードの普及を急拡大させてきたのは自民党政権であり、政治の責任です。
『「お前が始めたんだろ」発言は真っ当なのか…河野太郎氏の言い分を検証した マイナ制度のトラブル批判に反論』という記事の中で、民主党政権時には漏れたら取り返しがつかないため医療情報をはじめ、ひも付けは相当限定しなければならないという認識だったことを伝えています。
特に河野氏が問われるべきは、任意取得のマイナカードを事実上の義務にしたことだ。昨年10月、健康保険証を2024年秋に原則廃止して「マイナ保険証」への切り替えを表明した。だが、他人の情報を誤登録されたり、病院で保険資格を確認できなかったりする事例が相次いだ。
マイナンバー制度に詳しい水永誠二弁護士は「任意取得としつつ、でたらめな普及策を進めた結果、『誰一人取り残されない社会』というデジタル化の理念も崩れている。河野氏はマネジメント能力のなさを露呈しているのに、もとは民主党政権が作ったなどと言うのは責任転嫁でしかない」とあきれる。
『マイナ「家族名義の口座に紐づけ」13万件 河野デジタル相の登録者への責任なすりつけ姿勢に「本当に不快」批判殺到』という報道もありましたが、頭を下げながらも河野大臣の「自分は悪くない」という態度が目に付きがちです。総理大臣をめざしている立場であれば、もっともっと潔さや誠実さを磨いて欲しいものです。
マイナカードの普及に伴う混乱が続いていますが、来年秋に現行の健康保険証を廃止する既定方針を見直すという動きは見られません。『河野太郎デジタル相に〝逆風〟 マイナカードめぐる混乱、拙速な普及で備えや対策怠り 「総点検」は自治体のさらなる負担増に』の記事が伝えるとおり「総点検」も混乱の輪を広げかねません。
『東京 世田谷区長 マイナンバーカードの対応“政府は不合理”』の中で、保坂区長が「マイナンバーの不具合も、目に見えない人為的なミスやシステムのバグとの戦いなのかもしれないが、これに自治体の資源を短期的に集中させ、人海作戦で検証してくれというのは筋が違う。どう考えても不合理だ」と述べています。
政府は秋までにデータの総点検を終えるとしていましたが、昨日『マイナ総点検、岸田首相が前倒し指示…8月上旬に中間報告』というニュースが流れました。保坂区長らの声がまったく届いていないのか、作業のボリューム感のイメージが決定的に欠落しているのか、唖然とする話です。
強引な「スケジュールありき」で進めることで新たな混乱が生じかねず、かえって国民の不安が広がる恐れもあります。政府の意思決定に際しての最高責任者である岸田総理の「聞く力」とは何だったのか、いずれにしても的確な情報そのものが入らず、より望ましい判断を導き出せない官邸機能の低下も疑わざるを得ません。
マイナカードの問題から離れますが、『広末よりはるかに悪質な木原誠二官房副長官の“不倫”問題! 文春が続報もマスコミは完全スルー、フジ「日曜報道」に堂々出演』という記事も紹介します。木原副長官は岸田総理の最側近です。
プライベートなスキャンダルとは峻別し、公務において能力を発揮できているのかどうかを評価すべきという意見もあろうかと思います。それでも事実関係とは異なることを答えていた場合、政治家としての資質や信頼感の問題として問うことも必要です。
最も気になる点として、テレビや大手新聞が強い権力を持つ者に対しては及び腰となる、このような関係性が事実であれば憂慮すべきことです。このような問題意識のもとに以前「報道の自由度、日本は72位」「放送法第4条撤廃の動き」「放送法での政治的公平性」という記事を投稿しています。
当初、今回の記事はマイナカードの問題を切り口に他にも話を広げるつもりでした。いつものことですが、書き進める中で紹介したいサイトも増え、たいへん長い新規記事となっています。そのため、総論的な政治の責任に絡む話は次回以降に送り、このあたりで今回の記事は一区切り付けさせていただきます。
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コメント
まず以て「カード(JPKIの”鍵”)」と「個人識別番号(そのもの)」を切り分けて論じないと拙いと思うんですよ。
この主題の話になると、両者をごちゃ混ぜにした話になるから、余計にこじれると。
最低限理解しないといけないことの一つに。
日本においては、他国の類似制度のように情報を集中管理していないのであって、「個人識別番号は既存の各情報のリレーションキーでしかない(情報は各制度毎の既存のデータベースで分散管理されてる)」ということ。
それ故に「情報の紐付け」が必要になり、結果的に業務執行の過程で問題を内包しやすく、「データの品質」と言う観点からは、お粗末な結果を招来しやすくなっている(システムの構造に由来して、データの正確性という観点からは脆弱で、不整合が生じやすい)わけで。
もう一つ。
カードの方は「JPKI(公的個人認証)の”鍵”」でしかなくて、「個人識別番号そのものを送受信するようには出来ていない」ということを大前提において欲しいところで。
寧ろ「番号そのものを送受信する方が情報の紐付けを巡るミスは混入しがたい面があるのに、情報漏洩対策から敢えてそういう扱いにしていない」という。
この辺りは、住基ネットを巡る違憲訴訟において合憲判決を得た際の裁判所の論旨に従って、【わざと実務取扱上の間違いが起きやすい込み入った仕組みを採用することによって、仕組みそのものの安全性と合憲性を担保した】というところに行き着く面があるので、ここで実務上の誤取扱の多さを理由に仕組みを批判し始めると循環した論になりかねなかったり。
実務上の大きな障壁として。
「実際の居所」と「住民票上の住所」の不一致が多すぎて、住民票上の住所に実際に居住しているという「行政執行上の大前提が有形無実に陥っている」のをどうにかしないと、”そもそも”どうにもならない。という話に行き着く面もあり。
個人識別番号は住民基本台帳の概念を拡張する面があり、住民基本台帳制度の実態が穴だらけになっている現状では、番号の紐付けを巡る混乱はなくならないかと。※番号を直接送信していない以上は、なおさら。
健康保険証の話で言うと、間接的にJPKIを使って間接的に紐付けする必要があって直接番号を使って紐付けできない結果、「健保の主体に届出ている現実の居所」と「住民基本台帳に記載された住所」が一致しないので、同姓同名の別人が紐付けられるとか。そういうことも起るわけで。
※尤も食料配給制のような強い施策がない限り、住民に対して住基台帳の住所と実際の居所を一致させようという「強い動機付」は発生しないとも思う。
※電算処理においては、住所を表記する際の柔軟性も一つの重大なハードルですし。(一丁目一番地一号が、1-1-1や1-1-1と記載して許されるなど。)
違憲判決を回避する為とは言えども、先行する他国のSSNのように「義務的なものにしていなかったのが間違いの始まり」という面もあり。また、カードについてJPKIの”鍵”という他国では例のない役割を付与した事の是非も。
なんと言っても、「番号そのものは義務的なものである」わけであるので、カードを巡って中途半端なやり方にしたのが混乱の始まりという面はあり、その点は立法当時の政権側で十分に考えて欲しかったと思わなくもなく。
やり玉に挙がっている健康保険の資格情報は、資格確認が個人識別番号を介して実施できればもの凄く助かる面は、社会保険実務の上で保険者・被保険者・医療機関それぞれにあるので。
投稿: あっしまった! | 2023年7月 7日 (金) 22時57分
あっしまった!さん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。
番号そのものは本人の意思に関わらず付番され、カードの所持が任意という仕組みなどについて、詳しく解説いただきました。そのような分かりづらさが混乱の原因であることも確かだろうと思っています。本来、このような制度であることを踏まえ、政府は地道にマイナカードの普及に努める必要があったはずです。
なお、今週末に投稿する新規記事のタイトルは「マイナカードの混乱と政治の責任 Part2」としています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、貴重なコメントをお寄せいただければ幸いです。よろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2023年7月 8日 (土) 06時00分