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2023年6月25日 (日)

ブログで振り返る組合役員時代

前回記事「労使の信頼関係について思うこと」では、たいへん懐かしい皆さんと集まり、思い出話に花を咲かせたという近況を伝えています。思い出話に連なる記事内容として、今回は「ブログで振り返る組合役員時代」というタイトルを付けて書き進めていきます。

昨年11月の記事「組合役員を退任」の最後のほうで「委員長に選ばれた翌年の8月からブログを始めています。委員長を退任し、組合役員から離れた後も当ブログは続けていくつもりです」と記した後、次のような記述を残していました。

実は過去のブログ記事を紹介しながら組合役員としての40年余りの年月を駆け足で振り返ってみようと思っていました。ただ長々とした内容となっているため、今回は「組合役員になったイキサツ」のみ紹介します。それ以降の話は機会があれば別な新規記事を投稿し、改めて振り返ってみたいものと考えています。

このように記していながら半年以上経っていました。ようやく今回、過去のブログ記事を紹介しながら40年余りの組合役員時代を振り返る機会としています。組合役員になったイキサツ」は全文を紹介しましたが、そのような方法で続けていけば、とんでもない長さの記事になってしまいます。

したがって、過去のブログ記事に飛べるリンクをはったタイトルを紹介しながら、少しだけ要旨を書き足していくつもりです。私的な話ばかりで恐縮ですが、興味を持たれた際はリンク先もご参照いただければ幸いです。

公務員になったイキサツ」や最近の記事「公開間近な映画『渇水』」の中で、暖かみあふれた職場の雰囲気に驚き、配属後、数日間で「永久就職でいいかな」と人生設計を変えてしまったことを伝えていました。もともと希望する職業はマスコミ関係で、モノを書いて人に伝えるという仕事にあこがれていました。

このあたりについては今年1月の「大きな節目の1000回」の中でも触れています。組合役員の端くれと言える青年婦人部、略して青婦部の幹事も最初は強く断っていながら引き受け、結局のところ2年目も続け、40年余り組合役員として関わってきました。

公務員、組合役員になったイキサツ、それぞれ意志の弱さか、柔軟性があったのか分かりませんが、まったく想像していなかった道のりを歩んできました。いずれにしても公務員や労働組合に対し、実際に経験することで認識不足や思いこみが改められた証しだと考えています。

青婦部幹事を担っていた頃の話は「組合役員を続けている理由」を通して綴っていました。青婦部のレクリエーションなどを企画する責任者だった時、どうせ担うのならば、自分自身も楽しめるような発想で取り組みました。例えば社交ダンスを中心としたダンスパーティーから小さなお子さんたちも楽しめる職員家族クリスマスパーティーに改めています。

もともと文章を書くことが好きだったため、青婦部の機関誌『いぶき』の編集にも携わりました。その誌面にフォトストーリーという読み物を創作し、40年近く経て「平和への思い、2022年夏 Part2」の中で紹介したとおり「平和や人権に関わる組合方針の確立に向けて(参考資料)」に3作を添えていました。

このように自由に活動できたことは、先輩たちの寛容さがあったおかげでした。その自分も年数を重ねることにより、ある決断を迫られるようになりました。当時の規約上、青婦部の部長と副部長は執行委員となるように定められていました。

青婦部幹事に対しては自分なりの意義を見出し、背伸びしないで続けてきましたが、とても執行委員まで担うつもりはありませんでした。したがって、ずっと断り続けていましたが、私より後に幹事となった方たちが2年連続で副部長を引き受けていました。

私も「もう今年は断れないな、1年間は頑張ろう」と副部長、つまり執行委員となる覚悟を決めました。大ベテランの部長に頼り切った副部長でしたが、その部長が事情で幹事会などに出られなくなり、途中から実質的な部長の役目を負わざるを得なくなりました。

次の任期には部長を担うことになり、この時も「どうせ担うのならば」と決意し、自分なりの問題意識を持った青婦部の運営に努めていきました。組合役員を続けるモチベーション」の中で記していますが、「やらされ感」ではない自分なりの「やりがい」を常に見出すように努めてきました。

加えて、執行委員になったことで初めて団体交渉など労働組合の根幹となる場面に直接関わることになりました。経営側の発想や判断だけで労働条件の問題が決められた場合、働く者にしわ寄せが行ったり、結果的に住民サービスの低下を招く恐れもあります。

一職員の声は小さく、通常では市長や副市長らに届くことはなく、上司である課長にさえ遠慮がちとなるはずです。しかし、その声も組合という組織を通すことによって、労使対等な立場で話し合える対象となり得ます。

この交渉能力の大切さ、つまり組合の存在価値を執行委員になったことで体感することができました。実際、「組合があって本当に良かった」という言葉を数多く聞ける経験を重ねていきました。

そして、組合役員を長く続けてきた大きな理由は「組合は大事、なくしてはいけない」という思いを強めていたからでした。このような思いがあり、青婦部を卒業する時、あまり迷わずに執行委員は継続することを決めていました。

過去のブログ記事にリンクをはり、少しだけ要旨を書き足すつもりでしたが、なりゆきから「組合役員を続けている理由」の内容をベースにして長い文章を書き進めていました。このようなペースで続けると相当な長さの新規記事になってしまうのだろうと思います。

そのため、今回の記事はここで一区切り付けさせていただきます。この先は次回以降、また機会を見て「Part2」として書き進められればと考えています。来週末になるのか、再び半年以上先になるのかどうか分かりませんが、個人的なブログですのでご理解ご容赦ください。

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