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2023年5月27日 (土)

公開間近な映画『渇水』

このところ前回記事「保守派に配慮しがちな岸田政権 Part2」のような時事の話題を受け、個人的な思いを託した政治的な内容の記事が続いています。久しぶりに今回、政治的な内容から離れ、公開間近な『渇水』という映画について取り上げます。

それでも『生田斗真「渇水」鑑賞前後では「世界が変わって見える」“震える磯村勇斗”の思い出も語る』という報道があるとおり時事の話題の一つでもあります。生田斗真さんが主演を務める映画『渇水』は6月2日から全国公開されます。

生田さんをはじめ、キャストの門脇麦さんや高橋正弥監督らが出席した公開直前ティーチインイベントは5月24日に東京・神楽座で行なわれていました。映画.comに掲げられている解説では次のように『渇水』を紹介しています。

「凶悪」「孤狼の血」などを送り出してきた白石和彌監督が初プロデュースを手がけ、生田斗真を主演に迎えて送る人間ドラマ。作家・河林満の名編「渇水」を原作に、心の渇きにもがく水道局職員の男が幼い姉妹との交流を通して生きる希望を取り戻していく姿を描く。

市の水道局に勤める岩切俊作は、水道料金を滞納している家庭や店舗を回り、料金徴収および水道を停止する「停水執行」の業務に就いていた。日照り続きの夏、市内に給水制限が発令される中、貧しい家庭を訪問しては忌み嫌われる日々を送る俊作。

妻子との別居生活も長く続き、心の渇きは強くなるばかりだった。そんな折、業務中に育児放棄を受けている幼い姉妹と出会った彼は、その姉妹を自分の子どもと重ね合わせ、救いの手を差し伸べる。

ティーチインイベントで生田さんは「この映画はエンタメ作品ではないし、心を抉られるようなシーンもあると思うのですが、この映画を観る前と観た後では世界が変わって見えると思います。長年かけて完成したこの映画をたくさんの人に見ていただければと思います」と語っています。

『渇水』は、河林満さんが1990年の文學界新人賞を受賞し、第103回芥川賞候補となった同名小説を映画化しています。河林さんは、私が勤める市役所の職員でした。河林さんが市の水道業務を担当していた頃の経験を生かし、『渇水』は「水」と「死」をモチーフに描かれています。

このようなご縁があったため、改めて『渇水』が注目を集めているタイミングで当ブログでも取り上げています。同じような趣旨を踏まえ、私どもの市の中央図書館では、河林さんが生前書いた原稿や創作ノートなど約30点を集めた企画展示会を5月23日から6月11日まで催しています。

この企画展示会については、読売新聞の多摩版で『「渇水」原作者  立川に縁  市中央図書館が企画展』という見出しが付けられて紹介されていました。公開後、映画も観てみようと考えていますが、企画展示会にはさっそく木曜日に足を運んでいました。

私が来館した時、ちょうど教育長が図書館長や担当者から説明を受けていました。読売新聞に紹介された担当者から私も直接いろいろな話を伺うことができました。特に未発表とみられる小説『ヨノモリ』の原稿について詳しく説明していただきました。

『ヨノモリ』は、福島第一原発事故で帰還困難区域となった富岡町にある桜並木の名所「夜の森(よのもり)」が舞台とみられ、死者の魂との触れあいが描かれています。「知り合いの誰がモデルになっていたのか、よく分かりますよ」という説明も受けていました。

当たり前なことでしたが、『ヨノモリ』だけは記憶にありませんでした。一方で『渇水』をはじめ、河林さんの小説の大半は目にしていました。自宅の書棚には当時の文芸誌も並んでいます。ちなみに以前の記事公務員になったイキサツ」の中で、次のような記述があります。

今の市役所へ入り、配属された職場は「水道部業務課」。それまでの公務員のイメージが初日から吹き飛びました。良い意味でのカルチャー・ショックでした。迎えてくれた先輩たち一人ひとりの強烈な個性、そして、何よりも暖かみあふれた職場の雰囲気に驚きました。

当時の市役所の中でも、その課は際立って個性的だったことを後から知ることになりますが、勝手な思い込みがあった分だけ新鮮な感動でした。さらに何とも意志が弱いことになりますが、配属後、数日間で「永久就職でいいかな」と人生設計を変えてしまったほどの素晴らしい職場との出会いでした。

暖かく迎えてくれた先輩の一人が河林さんでした。そのため、個人的にも河林さんとは深いご縁のあった方だったと言えます。河林さんに誘われ、市役所の文芸同好会の一員にもなっていました。その河林さんは2008年に57歳という若さで急逝されました。

ご存命であれば『渇水』以上の作品を世に送り出し続けられていたはずです。2回候補になりながら一歩及ばなかった芥川賞にも手が届いていたかも知れません。それでも今、『渇水』が映画となって注目を浴びていることに河林さんも喜ばれているのではないでしょうか。

河林さんとのご縁を振り返る中で、2008年3月に発行した私どもの組合の機関誌「市職労報」のことも思い出していました。組合の執行委員長である私が「追悼  河林満さんへ」という文章を寄稿していました。今回の記事の最後に、河林さんを偲びながらその時の文章を掲げさせていただきます。

          *         *

1月23日、東京に雪が積もった日でした。河林さんの告別式、悲しい灰色の空が広がっていました。

市役所に入り、水道部業務課に配属された時、職場の先輩職員の一人が河林さんでした。小説家をめざしていた河林さんは、同じく文筆活動に憧れていた私にとって素晴らしく偉大な先輩でした。

その河林さんは、1988年に『ある執行で』の自治労文芸賞受賞を皮切りに『渇水』で文學界新人賞を射止めるなど、着実に作家の道を歩んでいました。『渇水』は第103回芥川賞候補となり、1993年に発表した『穀雨』も第109回芥川賞候補となり、名実ともに小説家になる夢を実現されていました。

その間、「市職労報」にも連載で「感想の泉」という書評を寄せていただきました。1997年には自治労東京文芸集団の代表を務め、私どもの組合の特別執行委員も担われました。1998年、市役所を退職され、文筆活動に専念されていました。

年が明けた1月19日、訃報が発せられました。脳出血、突然訪れた河林さんとの別れの知らせでした。57歳、あまりにも早すぎる残念な知らせでした。

河林さんには、本当にお世話になりました。ありがとうございました。ご冥福をお祈りし、心からお悔やみ申し上げます。

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