選挙戦が終わり、改めて旧統一教会の問題
土曜日、連合の三多摩メーデーが催されました。コロナ禍が続いていましたので、私どもの組合が組合員や家族の皆さんの参加を募るのは4年ぶりのことです。私自身、40年ぶりぐらいに一組合員の立場で参加し、第2部の完熟フレッシュのステージまで楽しませていただきました。
さて、前回記事「仕組みを変えたければ」の冒頭で触れたとおり先週日曜は統一地方選の後半、同時に参院大分選挙区、衆院千葉5区、和歌山1区、山口2区、山口4区の補欠選挙が行なわれていました。三多摩の自治体議員選挙では組合推薦の候補者の大半が議席を得ています。
参院大分選挙区では自治労組織内議員の吉田忠智さんが341票差という大接戦の末に一歩及ばず、議席を失った結果は非常に残念なことでした。立憲民主党としては補選を通し、1勝もできなかったため作家の古谷経衡さんから『「ネット右翼的なるもの」に秋波を送って惨敗した立憲民主党と泉健太代表』というように論じられています。
リンク先に掲げられている内容で「野党は批判ばかりで提案をしないから」という声に対して「批判という言葉そのものに既に、”提案”という概念が含意されている」という見方はその通りだと思っています。このブログでも以前の記事「支持率が上がらない民主党」の中で次のように記していました。
よく「対案を示さずに反対だけしているのは無責任だ」という批判を耳にします。しかし、ダメなものはダメであり、その案に反対すること自体が立派な「対案」になる場合も多いのではないでしょうか。
古谷さんは「刹那共闘したとしても、立民と維新はその政策的に水と油で、立民公認候補への投票には寄与が少ない」と評していますが、このあたりの見方も一致しています。さらに立憲民主党が日本維新の会に接近すること自体、リベラルに親和性を持つ既存の支持者が離れていくという問題意識も共有しています。
冒頭で「旧統一教会問題などで本来追い風となるはずの立民・泉体制の何が評価されなかったのだろうか」と古谷さんは問いかけ、上記のような見方を示しながら最後のほうで、このままでは「立憲民主党の未来は存在しえないのではないか」という辛辣な言葉につなげています。
旧統一教会の問題は昨年7月に投稿した「参院選が終わり、見えてきたこと」という記事の中で触れていました。立憲民主党への追い風になるはずだったのかどうかは分かりませんが、今回の統一地方選や補選を通して旧統一教会の問題が大きな争点にならなかったことは確かです。
衆院山口4区の補選にはジャーナリストの有田芳生さんが立候補し、旧統一教会の問題を真っ向から取り上げ、安倍元総理の後継候補に挑んでいました。しかしながら選挙期間中、有田さんは演説で「下関って統一教会の聖地なんです」などと発言し、批判を受ける格好となっていました。
2021年3月に下関で開催された「日臨節80周年記念大会」において、統一教会の幹部が「山口の下関は聖地と同等の場所です」と発言していたため、そのことを有田さんは触れたに過ぎません。それにも関わらず『国生さゆりの有田氏批判投稿に江川紹子氏「謝罪すべき」 三浦マイルドは擁護』という記事のような本筋から離れた波紋を広げていました。
少し前に『統一教会問題の闇』という書籍を読み終えていました。有田さんと漫画家の小林よしのりさんとの共著です。高額献金や宗教2世の問題などが注目を集めていますが、その書籍では数多くの政治家が取り込まれていた「政治と宗教」の歪な関係性について掘り下げています。
「オウムの次は統一協会だ……」 1990年代半ば、本書の著者の一人で、かつて『朝日ジャーナル』や『週刊文春』誌上で統一協会をテーマに批判記事を精力的に書いてきたジャーナリストの有田芳生氏にこう告げたのは、取材の過程で知己を得た公安の最高幹部だったという。
「当時、公安は統一教会をマークしていました。それにはいくつもの理由があります。(中略)なぜかマスコミではほとんど報じられていませんが、1969年、日本にあった統一教会の関連企業は、韓国にある教団系武器メーカーから殺傷能力のある空気散弾銃2500丁輸入し、この問題は国会でも取り上げられました」(有田氏)
公安の次なるターゲットが統一協会と聞いてから10年の月日が流れた2005年、有田氏が再び邂逅したその元幹部らに「(この10年間)何もありませんでした。今だから話せることを教えてください」と詰め寄ると、その元幹部は苦渋に満ちた表情でこう言葉を絞り出したという。
「政治の力があった……」 なぜ捜査に突如としてブレーキがかかったのか? 待ったをかけたのは一体誰なのか? そして、そもそも統一協会は一体何を目指していたのか?
その後、統一協会はいくつのも訴訟を抱えていたにもかかわらず、いつの間にか「世界平和統一家庭連合」と名前を変え、何事もなかったかのように国家権力の中枢に近づいていったのだ。
教祖・文鮮明、北朝鮮の「建国の父」・金日成、統一協会と表裏一体の関係にある反共政治団体「国際勝共連合」、戦後の大物右翼・児玉誉士夫、笹川良一、そして、故・安倍晋三元総理の祖父。「昭和の妖怪」・岸信介……。
「70年安保」という政治の季節が過ぎ去った束の間の静けさのなか、多くの魑魅魍魎が蠢き、日本を「サタン」の国と定義する統一協会は徐々に日本社会に侵食していく。
上記はリンク先に掲げられた書籍の紹介文の一部です。ネタバレ等に注意し、このような紹介の仕方を多用していますが、読み進める中で思わず付箋を添えた箇所もそのまま掲げさせていただきます。小林さんの歯に衣着せぬ直情的な言葉です。
「反共」「勝共」と言いながら、裏では北朝鮮と繋がっている…。拉致問題をいまだに解決できていない政治家が、そんな「ならず者」国家とズブズブの「反日カルト」とヘラヘラと簡単に関係を持っていいわけがないんだよ。
ところが、日本の自称・保守の連中は、一般の国民を「平和ボケ」「頭のなかがお花畑」などと批判し、さも自分たちが国家安全保障について鋭敏な感覚や知性を持っているかのように振る舞っている…。
わしに言わせれば、国家権力の中枢をいつの間にか外国勢力に侵略されている現実にも気づかない自称・保守の連中こそ、バカの極みとしか言いようがない。
前々回記事は「多面的な情報を提供する場として 2023年春」でした。今回もそのような趣旨のもと上記のような事実関係や多様な主張を紹介しています。旧統一教会の問題において、これまでの政治との関係性に関して不明瞭な点が多々残されています。
決して終わった問題ではないはずですが、一頃に比べれば注目度が下がっています。国政選挙である補選を通し、旧統一教会の問題が焦点化されていなかったことに物足りなさを感じていました。
もちろん旧統一教会の問題が杞憂に過ぎないのであれば、それに越したことはありません。そうであれば週刊文春の記事『統一教会の解散命令請求は困難な情勢 文化庁事務方トップは「全く見通しが立っていない」』のような結論もあり得るのかも知れません。
しかし、有田さんらの訴えが本当に切迫した問題だった場合、「聖地なのかどうか」など本筋から外れた論争は残念な話であり、踏み込んだ検証や見直しが欠かせないのだろうと思っています。いずれにしても旧統一教会の問題は引き続き注視することで、歪な幕引きにならないように見守っていく必要があるのではないでしょうか。
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