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2023年4月29日 (土)

選挙戦が終わり、改めて旧統一教会の問題

土曜日、連合の三多摩メーデーが催されました。コロナ禍が続いていましたので、私どもの組合が組合員や家族の皆さんの参加を募るのは4年ぶりのことです。私自身、40年ぶりぐらいに一組合員の立場で参加し、第2部の完熟フレッシュのステージまで楽しませていただきました。

さて、前回記事「仕組みを変えたければ」の冒頭で触れたとおり先週日曜は統一地方選の後半、同時に参院大分選挙区、衆院千葉5区、和歌山1区、山口2区、山口4区の補欠選挙が行なわれていました。三多摩の自治体議員選挙では組合推薦の候補者の大半が議席を得ています。

参院大分選挙区では自治労組織内議員の吉田忠智さんが341票差という大接戦の末に一歩及ばず、議席を失った結果は非常に残念なことでした。立憲民主党としては補選を通し、1勝もできなかったため作家の古谷経衡さんから『「ネット右翼的なるもの」に秋波を送って惨敗した立憲民主党と泉健太代表』というように論じられています。

リンク先に掲げられている内容で「野党は批判ばかりで提案をしないから」という声に対して「批判という言葉そのものに既に、”提案”という概念が含意されている」という見方はその通りだと思っています。このブログでも以前の記事「支持率が上がらない民主党」の中で次のように記していました。

よく「対案を示さずに反対だけしているのは無責任だ」という批判を耳にします。しかし、ダメなものはダメであり、その案に反対すること自体が立派な「対案」になる場合も多いのではないでしょうか。

古谷さんは「刹那共闘したとしても、立民と維新はその政策的に水と油で、立民公認候補への投票には寄与が少ない」と評していますが、このあたりの見方も一致しています。さらに立憲民主党が日本維新の会に接近すること自体、リベラルに親和性を持つ既存の支持者が離れていくという問題意識も共有しています。

冒頭で「旧統一教会問題などで本来追い風となるはずの立民・泉体制の何が評価されなかったのだろうか」と古谷さんは問いかけ、上記のような見方を示しながら最後のほうで、このままでは「立憲民主党の未来は存在しえないのではないか」という辛辣な言葉につなげています。

旧統一教会の問題は昨年7月に投稿した「参院選が終わり、見えてきたこと」という記事の中で触れていました。立憲民主党への追い風になるはずだったのかどうかは分かりませんが、今回の統一地方選や補選を通して旧統一教会の問題が大きな争点にならなかったことは確かです。

衆院山口4区の補選にはジャーナリストの有田芳生さんが立候補し、旧統一教会の問題を真っ向から取り上げ、安倍元総理の後継候補に挑んでいました。しかしながら選挙期間中、有田さんは演説で「下関って統一教会の聖地なんです」などと発言し、批判を受ける格好となっていました。

2021年3月に下関で開催された「日臨節80周年記念大会」において、統一教会の幹部が「山口の下関は聖地と同等の場所です」と発言していたため、そのことを有田さんは触れたに過ぎません。それにも関わらず『国生さゆりの有田氏批判投稿に江川紹子氏「謝罪すべき」 三浦マイルドは擁護』という記事のような本筋から離れた波紋を広げていました。

少し前に統一教会問題の闇』という書籍を読み終えていました。有田さんと漫画家の小林よしのりさんとの共著です。高額献金や宗教2世の問題などが注目を集めていますが、その書籍では数多くの政治家が取り込まれていた「政治と宗教」の歪な関係性について掘り下げています。

「オウムの次は統一協会だ……」 1990年代半ば、本書の著者の一人で、かつて『朝日ジャーナル』や『週刊文春』誌上で統一協会をテーマに批判記事を精力的に書いてきたジャーナリストの有田芳生氏にこう告げたのは、取材の過程で知己を得た公安の最高幹部だったという。

「当時、公安は統一教会をマークしていました。それにはいくつもの理由があります。(中略)なぜかマスコミではほとんど報じられていませんが、1969年、日本にあった統一教会の関連企業は、韓国にある教団系武器メーカーから殺傷能力のある空気散弾銃2500丁輸入し、この問題は国会でも取り上げられました」(有田氏)

公安の次なるターゲットが統一協会と聞いてから10年の月日が流れた2005年、有田氏が再び邂逅したその元幹部らに「(この10年間)何もありませんでした。今だから話せることを教えてください」と詰め寄ると、その元幹部は苦渋に満ちた表情でこう言葉を絞り出したという。

「政治の力があった……」 なぜ捜査に突如としてブレーキがかかったのか? 待ったをかけたのは一体誰なのか? そして、そもそも統一協会は一体何を目指していたのか?

その後、統一協会はいくつのも訴訟を抱えていたにもかかわらず、いつの間にか「世界平和統一家庭連合」と名前を変え、何事もなかったかのように国家権力の中枢に近づいていったのだ。

教祖・文鮮明、北朝鮮の「建国の父」・金日成、統一協会と表裏一体の関係にある反共政治団体「国際勝共連合」、戦後の大物右翼・児玉誉士夫、笹川良一、そして、故・安倍晋三元総理の祖父。「昭和の妖怪」・岸信介……。

「70年安保」という政治の季節が過ぎ去った束の間の静けさのなか、多くの魑魅魍魎が蠢き、日本を「サタン」の国と定義する統一協会は徐々に日本社会に侵食していく。

上記はリンク先に掲げられた書籍の紹介文の一部です。ネタバレ等に注意し、このような紹介の仕方を多用していますが、読み進める中で思わず付箋を添えた箇所もそのまま掲げさせていただきます。小林さんの歯に衣着せぬ直情的な言葉です。

「反共」「勝共」と言いながら、裏では北朝鮮と繋がっている…。拉致問題をいまだに解決できていない政治家が、そんな「ならず者」国家とズブズブの「反日カルト」とヘラヘラと簡単に関係を持っていいわけがないんだよ。

ところが、日本の自称・保守の連中は、一般の国民を「平和ボケ」「頭のなかがお花畑」などと批判し、さも自分たちが国家安全保障について鋭敏な感覚や知性を持っているかのように振る舞っている…。

わしに言わせれば、国家権力の中枢をいつの間にか外国勢力に侵略されている現実にも気づかない自称・保守の連中こそ、バカの極みとしか言いようがない。

前々回記事は「多面的な情報を提供する場として 2023年春」でした。今回もそのような趣旨のもと上記のような事実関係や多様な主張を紹介しています。旧統一教会の問題において、これまでの政治との関係性に関して不明瞭な点が多々残されています。

決して終わった問題ではないはずですが、一頃に比べれば注目度が下がっています。国政選挙である補選を通し、旧統一教会の問題が焦点化されていなかったことに物足りなさを感じていました。

もちろん旧統一教会の問題が杞憂に過ぎないのであれば、それに越したことはありません。そうであれば週刊文春の記事『統一教会の解散命令請求は困難な情勢  文化庁事務方トップは「全く見通しが立っていない」』のような結論もあり得るのかも知れません。

しかし、有田さんらの訴えが本当に切迫した問題だった場合、「聖地なのかどうか」など本筋から外れた論争は残念な話であり、踏み込んだ検証や見直しが欠かせないのだろうと思っています。いずれにしても旧統一教会の問題は引き続き注視することで、歪な幕引きにならないように見守っていく必要があるのではないでしょうか。

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2023年4月22日 (土)

仕組みを変えたければ

統一地方選挙の後半、政令市以外の基礎自治体の首長と議会議員の選挙が明日投開票されます。戦後まもない1947年、新憲法施行前に自治体の首長と議員の選挙が一斉に行なわれました。その後も任期はすべて4年ですので選挙への関心を高めるため、全国的に日程を統一してきました。

ただ任期途中での首長の辞職や死去、議会の解散があった場合、統一地方選の日程から外れていきます。さらに市町村合併の広がりによって、ますます統一的な日程で実施される選挙の数は減る傾向を強めていました。ちなみに私が勤める自治体は都知事、都議会、市長、市議会、すべて統一地方選から外れています。

それでも三多摩地区では3分の2ほどの自治体で、この時期に選挙が行なわれます。組合の委員長だった時、直接お会いすることの多かった議員の皆さんのお名前を各選挙区の立候補者一覧から目にしています。私どもの組合が引き続き推薦している候補者の皆さんであり、ぜひ、最良の結果が得られることを願っています。

今回、同時に参院大分選挙区、衆院千葉5区、和歌山1区、山口2区、山口4区の補欠選挙が行なわれています。先週土曜、和歌山1区の候補者を応援するための演説場所で、岸田総理に向けて爆発物が投げ込まれました。威力業務妨害容疑で逮捕された木村隆二容疑者は「弁護士が来てから話します」と動機を黙秘していました。

翌日以降も同様なセリフの報道にとどまっていましたので、国選弁護人なのか私選弁護人なのか分かりませんが、それほど弁護士選びに日数を要するものなのか疑問に思っていました。自白は進んでいないようですが、火曜日あたりから徐々に動機につながるような事実関係が伝わってくるようになっています。

弁護士の人選については週刊文春の記事『爆弾で岸田首相襲撃  木村隆二容疑者が依頼しようとした弁護人は宇都宮健児氏だった』によって、弁護士の選任まで日数を要した事情が分かりました。結局、2日後に取り下げられたそうですが、このような要望を受け付けていたことに意外な印象を持っています。

動機や事件の背景についても明らかになりつつあります。読売新聞の記事『木村容疑者「参院選に立候補できず不当」…昨夏「本人訴訟」で国に損賠求め1審棄却』では、木村容疑者が被選挙権年齢や高額な供託金の問題を疑問視し、法の下の平等などを定める憲法に違反すると主張していたことを伝えています。

精神的苦痛を受けたとして10万円の損害賠償を求め、代理人の弁護士をつけない「本人訴訟」を行なっていました。スポニチの記事『木村容疑者 国を提訴していた 年齢など理由に参院選立候補できず 安倍元首相国葬も批判』では、次のように岸田総理や安倍元総理を批判していたことも伝えています。

提出した準備書面では「岸田内閣は故安倍晋三の国葬を世論の反対多数の中、閣議決定のみで強行した。このような民主主義への挑戦は許されるべきものではない」と、銃撃事件で死亡した安倍元首相を呼び捨てにしたり、岸田政権を批判する記載もあった。

安倍氏を「既存政治家」と評し「政治家であり続けられたのは旧統一教会のようなカルト団体、組織票を持つ団体と癒着していたから」と主張、こうした政治家がいるのは被選挙権が制限されているためと訴えていた。

この提訴に対し、神戸地裁は公選法の年齢要件や供託金制度は合理性があるとして昨年11月に請求を棄却しています。木村容疑者は、これを不服として大阪高裁に控訴し、来月5月に判決の言い渡しが予定されているとのことです。

その訴訟の準備書面では、年齢要件や供託金制度を定めた現行の選挙制度は「普通選挙ではなく、制限選挙だ」と主張。この「制限選挙」によって組織票を持つ既存政党・政治家に有利な仕組みが作り上げられ、岸田内閣による安倍氏の「国葬強行」のような「民主主義への挑戦」が可能になっていると指摘した。

産経新聞の記事『首相襲撃・容疑者「安倍氏の国葬強行、許されない」 国賠訴訟で岸田政権批判』では、上記のとおり訴訟の準備書面の内容をもう少し詳しく紹介していました。木村容疑者にとって被選挙権の側面から「制限選挙」という問題意識を抱き、既存の政治への批判を強めていたようです。

木村隆二容疑者(24)が投げ込んだ爆発物に、ナットのような部品が複数取り付けられていたことが19日、捜査関係者への取材で分かった。和歌山県警はナットを飛散させることで殺傷能力を高めようとした可能性もあるとみて、殺人未遂容疑も視野に爆発物の詳しい構造を調べる。

時事通信は『筒にナット、殺傷力向上か=60メートル先に穴―岸田首相遊説爆発・和歌山県警』という上記の内容の記事を配信していました。このような報道によって、死者や重傷者を出さなかったことは奇跡的な「不幸中の幸い」だったものと受けとめています。昨年7月に起きた安倍元総理の銃撃事件以上の大惨事となっていた可能性を想像すると、たいへんな戦慄を覚えています。

木村容疑者が選挙制度の仕組みに問題意識を持ち、岸田総理や安倍元総理を批判することは言論や表現の自由として許容されていかなければなりません。しかし、批判する相手を暴力によって抹殺するような行動は絶対容認できません。安倍元総理の銃撃事件直後の当ブログの記事明日は参院選、今、願うこと」の中では次のように記していました。

より望ましい「答え」を見出すため、自分自身の考えが正しいと信じているのであれば、異なる立場の方々が「なるほど」と思えるような言葉を駆使しなければなりません。いろいろな「答え」を認め合った上、いがみ合わないように努めながら言葉を競い合っていくことが重要です。

まして「気にくわない相手だから殺してやる」などいう発想は言語道断であり、暴力に訴える行為そのものが絶対許されません。言葉の競い合いを具現した選挙戦の最中、そのような蛮行を目の当たりにすることになった事態は様々な意味で残念でなりません。

今回も選挙戦の最中に起きた衝撃的な事件でした。そもそも被選挙権の年齢制限の緩和や供託金の廃止などの仕組みを変えたければ、言論活動によって共感者を広げ、既存のルールのもとで改めていくべきという賛同者を広げていかなければなりません。

その一つに選挙という既存のルールがあり、言葉の競い合いによる一票一票の積み上げが仕組みを変えていける可能性を残しています。地道で非常に時間がかかり、容易に実現できない高い壁ばかり立ちはだかるのかも知れません。

それでも木村容疑者が仕組みを本気で変えたいのであれば、根気よく一歩一歩積み重ねていく努力が求められていたはずです。そのような努力を放棄し、暴力に訴えた行為は、それこそ「許されない民主主義への挑戦」だったと自らが批判を受けるべき取り返しの付かない結果を招いています。

前回記事は「多面的な情報を提供する場として 2023年春」でした。ここまで事件の背景に関わるメディアの記事をいくつか紹介してきました。今回の衝撃的な事件の後、ネット上で様々な論評を目にしています。上記に紹介した記事と同様、見出しをクリックされれば当該のサイトを参照できるようになっています。

LITERAの記事『岸田首相襲撃で古市憲寿と橋下徹が安倍銃撃を持ち出し暴論!「山上被告を英雄視したせい」「統一教会被害者救済法をつくったのが問題」』は古市憲寿さんと橋下徹さんの発言を紹介した上で、それぞれの発言内容の問題性を指摘しています。普段通りのLITERAらしい立ち位置の記事内容だと思っています。

夕刊フジの記事『安倍元首相の「暗殺成功して良かった」で大炎上、作家で法大教授の島田雅彦氏 発言翌日に岸田首相襲撃 夕刊フジに寄せた全文を掲載』は島田雅彦教授の発言の問題を取り上げています。島田教授は「軽率であった」と反省していますが、政治家であれば即時に責任を問われるような失言だったはずです。

最後に、日刊ゲンダイの記事『岸田首相襲撃の根源に「アベ政治」への激しい怨嗟…見えてきた木村隆二容疑者の犯行動機』を紹介します。やはり普段からの政権との距離感が反映されている記事内容だと言えます。後半の記事内容をそのまま掲げますが、国際政治学を専攻している高千穂大の五野井郁夫教授の言葉に目を留めていました。

振り返れば、安倍政権は「民主主義への挑戦」の連続だった。選挙で勝利するたび「民意」を錦の御旗に、多くの重要法案も数の力に任せて強行採決。集団的自衛権の行使容認も閣議決定の解釈改憲で片づけてしまった。

民主的な手続きを骨抜きにする政治スタイルを岸田首相も踏襲。防衛予算倍増や原発政策の転換など、自民1強をいいことに、やりたい放題である。

「持てる者」が「強者の論理」に寄りかかり、対話と熟議に基づく民主主義をないがしろにする──。10年以上に及ぶ「アベ政治」が、木村容疑者を蛮行に駆り立てた背景にあるのではないか。

自民党内からは「テロを起こした人間の主張や背景を一顧だにしない」(細野豪志衆院議員)との意見も出ているが、「木村予備軍」は確実にいる。だからこそ、再発防止のために動機や背景を探る必要があるはずだ。

木村容疑者の犯行が民主主義の破壊行為であることは言うまでもありませんが、ゆえに動機も背景も捨て置くというのは、あまりにも雑です。政治家なら、この国の格差や世襲といった本質的な問題を問うていかないといけないと思います」(五野井郁夫氏)

政治への怨嗟を放置していては、また同じことが繰り返されるだけだ。再び襲撃犯を生みださない責任は、権力を持つ政治側にもある。

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2023年4月15日 (土)

多面的な情報を提供する場として 2023年春

前回記事「岩盤支持層という言葉から思うこと」の最後に、当ブログは多面的な情報を提供する場として、 基本的な立場が異なる方々にも届く言葉の発信を意識していることを記していました。そのため、岩盤支持層というレッテルを貼ることで、高市大臣の言動を支持されている方々を一括りに批判してしまう記事内容にならないように心がけていました。

このブログでは「多面的」という言葉を多用しています。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。

クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。このような傾向があることを認識しているため、私自身、いわゆる左や右の主張を問わず、なるべく幅広い情報や考え方に接するように努めています。

個々人が積み重ねてきた知識や経験から基本的な考え方が培われ、その違いによって物事の見方や評価が大きく分かれがちとなります。信じている「答え」が必ずしも絶対的な「正解」とは限らない、この論点は「完璧な人間はいない」「人は過ちを犯す」という見方につながります。特に物事を判断する際の情報が少なかったり、偏っていた場合、より正確な「答え」を導き出せなくなるはずです。

そのような意味合いで言えば、たいへん便利な時代になっています。インターネットさえ利用できれば、幅広く詳しい情報を手軽に素早くコストをかけずに入手できます。ただ自分と同じ意見のサイトにしかアクセスしなければ、ますます極端な考え方に固まってしまう恐れがあります。

そのため、より望ましい「答え」を見出すためには多面的な情報に触れていくことが欠かせないものと考えています。このような意義を踏まえ、多面的な情報を提供する一つのサイトとして当ブログもインターネット上の片隅に加わり、公務員やその組合側の言い分を発信してきました。

昨年11月に組合の執行委員長を退任した後は、時事の話題を中心にその時々で個人的に思うことを気ままに投稿しています。今回も前回記事までの続きにあたるような内容を取り上げることになります。ここ最近、ヤフーのトップ画面に掲げられたニュースを閲覧した時、その記事に対するコメントに目を通すことも多くなっています。

放送法を巡る総務省の行政文書の問題で、ヤフーのコメント欄に寄せられる声は圧倒多数が高市大臣を擁護するものでした。自分にとって意外な傾向だったため、安倍元総理の岩盤支持層が高市大臣の言動を全面的に支持しているという関係性を連想していました。

このブログを毎回閲覧されている方からコメントもいただきましたが、そのような連想の不適切さを前回記事を投稿する際には改めていました。物事に対して「是々非々」で臨まれている方々も含め、一括りに安倍元総理の岩盤支持層という決め付けた言い方を避けるようにしています。

それでも保守タカ派、安倍元総理の信奉者、高市大臣の言動を支持する方々、このようなイコール関係での岩盤支持層が存在していることも間違いないようです。産経新聞は『高市氏「責任痛感」も森山氏に〝恨み節〟自民党内に波紋も 奈良県知事選』という見出しを付けて次のような内容を伝えています。

高市経済安全保障担当相は11日の記者会見で、自らが会長を務める自民党奈良県連が推薦した元総務官僚が日本維新の会の公認候補に敗れた奈良県知事選について「維新の躍進に至った責任は痛感している」と述べた。

その上で「党本部が県連推薦以外の人を応援したのではないかという疑問の声が上がっている。きちんと検証することが大切だ」と述べた。高市氏の党本部に対する異例の〝恨み節〟は森山裕選対委員長らを念頭に置いたもので、今後党内で波紋を呼ぶ可能性がある。

その記事のコメント欄では、奈良県知事選の敗北の責任は自民党本部にあるという声が圧倒対数です。さらに「高市には保守タカ派の岩盤的支持層がいる。自民はこの層をないがしろにできない。現執行部が媚中であるなら、なおさら彼らは強行できないだろう」という意見も目にしています。

週刊現代の記事高市早苗、もはやこれまでか…奈良県知事選「ヤバすぎる惨敗の戦犯」と化した大臣に、自民党議員から上がる「次は無役だ」の声』の後編には、高市大臣自身「私こそが、安倍元総理の岩盤支持層を引き継いでいる」という自負があると語っていることを伝えています。

岩盤支持層という言葉にはネガティブな意味合いもあるように考えていましたが、高市大臣や支持者の方々からすれば誇示すべきカテゴリーであることを改めて理解しています。ただ奈良県知事選の問題も自民内の軋轢に怒り 県連と党本部が別々の候補を応援か』という事態に至った背景を多面的に見る必要があります。

高市大臣を擁護する岩盤支持層の方々は週刊現代が伝えるような情報には接していないのかも知れません。接していたとしても捏造だと決め付け、高市大臣に一切非はないと考えているのでしょうか。自民党奈良県連関係者の次のような声、確かに真偽は分かりませんが、高市大臣に対する評価を左右する情報の一つだと言えます。

高市さんのせいですよ。高市さんは、荒井知事が県知事を4期務めていることから『有権者には多選批判の声が多い』と言って、自分の子飼いである平木さんを立てることにした。荒井さんは以前から『次も出る』と意欲を示していたし、9月の県連会長就任時には荒井さんを支援すると約束していたのに、その約束を反故にしてしまったのです。

ちゃんと荒井さんを説得しなければいけなかったにもかかわらず、高市さんは『空気を読んで、自分から不出馬を決めるだろう』と甘い考えでした。一方の荒井さんは『高市は直接会いにも来ない』と憤って、ますます頑なになっていった。

今回の記事タイトルは「多面的な情報を提供する場として」としています。そのため、もう一つ別な話題も紹介します。今年2月の記事「『安倍晋三 回顧録』と『国策不捜査』 Part2」の中で、安倍元総理が財務省を酷評していたため「ぜひ、このあたりについては財務省側の言い分も伺いたいものです」と記していました。

このように考えていたところ最近、NEWSWEEKの『最後の大物次官・齋藤次郎氏が『安倍晋三 回顧録』に反論』という記事を目にしました。岩盤支持層の方々がよく口にする「自民党の現執行部は媚中」という見方はじめ、偏った認識だった場合、より正確な「答え」を導き出せません。そのような意味合いから多面的な情報の一つとして、最後に財務省側の言い分も紹介させていただきます。

2月に発売された『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)は、故安倍元首相が財務省を目の敵にして、厳しく批判していることでも話題を呼んでいる。多くの読者を獲得しているがゆえに、その影響について懸念するのは、元大蔵事務次官の齋藤次郎氏(87)だ。

「私が危惧しているのは、財務省の一連の不祥事や『安倍晋三 回顧録』の内容を受けて、『財務省悪玉論』が世間に広がっていくことです。官僚志望者が年々減少するなか、優秀な人材が財務省を避けるようなことになれば、最終的には日本の国益が揺らぐ事態になりかねません」

齋藤氏は1993年から95年まで大蔵事務次官を務め、細川政権では「国民福祉税」の導入を試みるなど、財政健全化を追求した“最後の大物次官”として知られる。退官から約30年、メディアに出ることは一貫して避けてきたが、今回初めて月刊「文藝春秋」のインタビューに答えた。

本人は「恐らく、最初で最後のインタビューになるかと思います(笑)」という。安倍氏の『回顧録』では、消費増税を巡る財務省との攻防について、次のように触れられている。

〈この時(編集部注:増税見送りをする直前の2014年11月)、財務官僚は、麻生さんによる説得という手段に加えて、谷垣禎一幹事長を担いで安倍政権批判を展開し、私を引きずり下ろそうと画策したのです。前述しましたが、彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない〉(p.311)

〈内閣支持率が落ちると、財務官僚は、自分たちが主導する新政権の準備を始めるわけです。「目先の政権維持しか興味がない政治家は愚かだ。やはり国の財政をあずかっている自分たちが、一番偉い」という考え方なのでしょうね。国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです〉(p.312-313)

こうしたくだりを読んだ齋藤氏は、「正直、ここまで嫌われていたとは思っていなかった」として、安倍氏の言う“省益”という言葉に疑問を呈した。「私がどうしても理解できなかったのは、財務省は〈省益のためなら政権を倒すことも辞さない〉と断じた部分です。安倍さんがいらしたらお聞きしたいのですが、“省益”とは一体何を指すのでしょう? この言葉の意味するところが、さっぱり分かりませんでした。

財務省の最も重要な仕事は、国家の経済が破綻しないよう、財政規律を維持することです。『回顧録』のなかで、安倍さんは財務省のことを〈国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです〉とおっしゃっていますが、財政規律が崩壊すれば、国は本当に崩壊してしまいます。大幅な赤字財政が続いている日本では、財政健全化のために増税は避けられず、そのため財務省はことあるごとに政治に対して増税を求めてきました。

それは国家の将来を思えばこその行動です。税収を増やしても、歳出をカットしても、財務省は何一つ得をしない。むしろ増税を強く訴えれば国民に叩かれるわけですから、“省損”になることのほうが多い。国のために一生懸命働いているのに、それを『省益』と一言でバッサリ言われてしまっては……現場の官僚たちはさぞ心外だろうと思います」(齋藤氏)

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2023年4月 8日 (土)

岩盤支持層という言葉から思うこと

このところ総務省の行政文書の問題に関わる内容の投稿が続いています。組合の委員長だった昨年までであれば新入職員の皆さんへ」「新入職員の皆さんへ 2019」というタイトルの記事が多かった時期です。退任後は組合活動の季節感から離れ、時事の話題を中心にその時々で個人的に思うことを気ままに投稿しています。

今回も「岩盤支持層という言葉から思うこと」という記事タイトルを付け、このブログのサブタイトルのとおり「雑談放談」的な内容となります。前回記事「もう少し総務省の行政文書の問題」の最後のほうで「この問題を通して安倍元総理の岩盤支持層が高市大臣の言動を全面的に支持していることも明らかになっています」と記していました。

リンク先のサイトで岩盤支持層について、保守層の中でも何があっても安倍元総理を支持した「岩盤」と言われる支持層だと説明しています。安倍内閣は森友学園や加計学園の問題などで強い批判にさらされた時も、支持率は常に20台%後半までの落ち込みでとどまっていました。

そのような時、ネット上では安倍元総理を批判する側に問題があるという岩盤支持層側からの見方をよく目にしていました。そもそも支持率の低下自体、マスメディアの偏向報道を真に受けている情報弱者が多いからだという主張も散見していました。

最近『高市早苗氏「ねつ造」説貫き岸田首相から勝ち取った擁護 ピンチをチャンスに変え「高市総理」がトレンド入り』『「辞めろ」「辞めない」の応酬で泥沼に…高市早苗の「放送法文書」騒動で、見落とされている“問題の本質”』という記事などのコメント欄を通し、同じような傾向を感じ取っていました。高市大臣には非がなく、追及している立憲民主党側の問題を指摘するコメントが大半を占めていました。

これまで当ブログでは森友学園の問題から思うこともう少し加計学園の話」など「結論ありき」ではなく、何が問題なのかという立場からの記事を数多く投稿しています。いわゆる「共謀罪」の問題で安倍内閣を批判する声が高まっていた時には、次のような考え方を示していました。

安倍首相が「国民を豊かにするため」「平和を守るため」という信念のもとに様々な政策判断を重ねているものと信じています。そのため、安倍首相が進める法案だから反対するという思考は避け、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか、色眼鏡を外して物事を見ていくように努めています。

放送法での政治的公平性を巡る最近の一連の記事も、このような立場や視点を重視しながら綴ってきています。前回記事の冒頭に記したとおり小西参院議員のサルがやること」発言は問題視していますが、総務省の行政文書の問題を追及してきたこと自体、全否定するような立場ではありません。

ネット上で確認できる資料や情報を把握した際、高市大臣側に思い違いがあり、総務省の行政文書の内容全体が大筋で事実に近いという認識です。一方で、高市大臣の指摘が正しく、総務省側が本当に捏造していたとすれば私自身の認識は甘く、猛省しなければならない点も書き添えていました。

いずれにしても高市大臣に対する先入観を排し、客観的な思考をもとに導き出している認識のつもりです。ただ真逆の見方を示されている方々からすれば私自身の認識は「結論ありき」で、ある意味で立憲民主党の岩盤支持層の一人だから、そのような思考に至っていると見られてしまうのかも知れません。

そもそも岩盤支持層という言葉が現状を正確に言い当てているのかどうか、そこから考えてみる必要があります。私自身、立憲民主党の岩盤支持層だと言われれば違和感があります。私自身に限らず、特定の政党に所属していない限り、個々人の自由な発想や思考のもとに個々の課題に対する評価や結論を下しているはずです。

さらに岩盤支持層という言葉にはネガティブな意味合いがこめられる場合もあります。多様な情報に触れることがなく、もともと支持している人物や政党の発している言葉をそのまま信じているような意味合いも感じ取れます。いわゆる左と右という立場性を問わず、それぞれから感じ取れる傾向だと思っています。

アメリカで言えばトランプ前大統領の岩盤支持層も有名です。熱狂的な支持者が議会を占拠するという暴走した事件まで引き起こしています。岩盤支持層を反知性主義者と解釈した場合「自らにとって都合の良いことが大きく見え、都合の悪いことは縮小される」という独特なプリズムを持っていると説明を受けることになります。

実は金曜日、このブログを毎回閲覧されている方と職員ロッカー室で会った時、総務省の行政文書の問題で会話を交わしていました。日頃から物事を幅広くとらえている方ですが、今回の問題では高市大臣の言い分を支持されている立場でした。私にとって意外なことでしたが、この時の会話から今回のブログ記事のトーンにつながっています。

安倍元総理の岩盤支持層が、今回の問題で高市大臣の言動を支持されている方々であるという決め付けた言い方を避けるようにしています。加えて、私自身の認識が正しく、高市大臣の言葉を信じている方々は偏った情報で判断しがちであるという論調にならないように注意していました。

そのため、前回記事の最後に「次回以降の記事では安倍元総理を信奉される岩盤支持層に関連した内容について取り上げてみたいものと考えています。その中で最近読み終えたウクライナ戦争論2』や『統一教会問題の闇』の内容にもつなげていくつもりです」と記していましたが、今回の内容からつなげていくことは不適切だろうと考え直していました。

二つの書籍の内容に絡む話は機会があれば、また別な切り口から取り上げていくことを考えています。いずれにしても当ブログは多面的な情報を提供する場として、 基本的な立場が異なる方々にも届く言葉の発信を意識しています。岩盤支持層というレッテルを貼ることで、高市大臣の言動を支持されている方々を一括りに批判してしまう記事内容にならないように心がけていました。

このような思いを強めていた時、ディリー新潮の『産経新聞に「法的措置」を取る強硬姿勢維持で「小西議員」の戦線は拡大するばかり』という記事の中で、自民党の石破茂元幹事長の言葉が目に留まっていました。最後に「味方だけを相手にしていても、支持は広がりません」という共感できる言葉とともに、その記事内容の一部を紹介します。

確かにマスコミが正確な情報を伝えてくれるとは限りません。私自身、腹立たしい思いをしたことは一度や二度ではありません。政権を取った当時の民主党のマニフェストの非現実性など、多くのマスコミはわかっていながら口をつぐんでいたのに、自民党のこととなると殊更厳しい論調になるメディアも確実に存在しています。

だから『マスコミが悪い』と言いたくなる気持ちは本当によくわかりますし、マスコミ自身が批判されるべき場合には、きっぱりとした抗議や申し入れも必要だと思います。しかし、私は自分の経験から、それだけでは理解が広がらないとも思っています。商業ジャーナリズムには、やはり一定の限界があると考えた方がいいのです。

なかには、こちらの味方をしてくれるメディアもあります。とても有難い存在ですが、そこだけ見て仕事をしても、あまり意味がありません。なぜなら私たちは常により多くの支持を得るように心がけなければいけないからです。味方だけを相手にしていても、支持は広がりません。

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2023年4月 1日 (土)

もう少し総務省の行政文書の問題

春、最後に花見をしたのは、いつだったのか思い出せないほど遙か昔の話となります。それでも通勤の行き帰り、桜並木を歩くことができ、ここ数日は満開の桜を目で楽しんでいました。そのような時期が1年の間で本当にわずかであることは寂しい限りです。

さて、ブログの題材は今回も前回記事「受けとめ方の落差」の続きに当たる内容となります。放送法に関わる総務省の行政文書の問題で高市大臣を追及していた小西参院議員が衆院憲法審査会の議論の進め方に関してサルがやること」と発言し、強い批判の矢面に立たされています。

立憲民主党内からも擁護する声はなく、参院憲法審査会の野党筆頭幹事を更迭される失態となっています。不適切な発言をはじめ、議論を重ねることの大切さを軽視した姿勢は政治家としての資質を厳しく問われるべき問題だと思っています。

さらにサル発言撤回も「切り取られた」法的措置示唆という小西議員の対応ぶりは非常に残念な振る舞いです。一部のメディアの報道の仕方に対し、過剰に反応しながら法的措置も示唆することは冷静さを欠いていると言わざるを得ません。ご自身のツイッターに寄せられる意見に対しても同様な警告を発しているようですが、政治家の皆さんには幅広い声を受けとめていく懐の深さを持って欲しいものと願っています。

河野太郎デジタル相もツイッター対応で「公人こそブロックを」という見解を示しています。リンク先の記事のコメント欄には「誹謗中傷でのブロックだと理解出来るけど、普通に質問しても都合が悪い内容だとブロックをして遮断をします。とても国民の声を傾ける大臣には見えません」という意見が寄せられていますが、そのような理解に至る振る舞いだと言えます。

私自身、このブログを長く続ける中で批判意見と誹謗中傷の違い」という記事を投稿しています。批判を受け、至らなかった点が省みれ、改善していく機会となるような構図を肯定的にとらえています。批判意見を恣意的に選別してしまうと、本来、真摯に受けとめるべき指摘まで聞き流してしまう可能性があります。

そのため、投稿されたコメントは即時に反映され、明らかなスパムや極端な商業目的の内容ではない限り、削除することはあり得ません。どのような辛辣な言葉でも、そこに投稿された思いや意味をくみ取ろうと心がけてきました。とにかく批判意見も含め、幅広い視点や立場からご意見をいただける貴重さを感じ取ってきました。

このように考えているため、小西議員や河野大臣らの振る舞い方は非常に残念なことだと思っています。多様なご意見を伺える貴重な場だった当ブログのコメント欄は寂しくなっていますが、記事本文を通して「このような見方もあったのか」と思っていただけるような多面的な内容を今後も発信していければと考えています。そのような思いのもと前回記事の続きとして、もう少し書き足していきます。

なぜ、総務省の行政文書の問題にこだわるのか、次のように考えているからです。最も重要な論点は放送法の解釈が不当な政治的な圧力によって、ねじ曲げられたのかどうかですが、高市大臣の不用意な発言で本質的な議論から脇道にそれがちです。しかし、誰かが事実をねじ曲げているという脇道の問題も、決して曖昧にすべきでものではありません。

高市大臣側に問題があるのであれば、閣僚はもちろん、国会議員としての適格性が問われます。一方で、行政文書ファイル管理簿に記載しない内部文書だったとしても、総務省の文書の中に決定的な事実誤認や意図的な記載があった場合、公文書の信頼性を失墜させる大きな問題です。公文書管理法第1条の「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」という趣旨に反する行為だと言えます。

高市大臣は安倍元総理との電話での会話内容を「盗聴でもしていたのか」と指摘し、2015年3月9日付の「高市大臣と(安倍)総理の電話会談の結果」というメモは「作成者も配布先も不明で不可解だ」と語っています。「厳重取扱注意」とされた問題の文書の中で、当該のメモは次のような内容でした。

高市大臣と総理の電話会談の結果(平成27年3月9日(月)夕刻)
○ 大臣室・平川参事官から安藤局長に対して以下の連絡。
・ 政治的公平に関する件で高市大臣から総理に電話(日時不明)。
・ 総理からは、「今までの放送法の解釈がおかしい」旨の発言。
実際に問題意識を持っている番組を複数例示?(サンデーモーニング他)
・ 国会答弁の時期については、総理から、「一連のものが終わってから」とのご発言があったとのこと。

一連の経過を記録したメモの一つとして、充分あり得る内容だと理解しています。高市大臣が安倍元総理と話した内容を平川参事官に伝え、その内容の要旨を安藤局長に連絡したというメモであり、上記の文書から不自然さを感じ取ることはできません。逆に「盗聴でもしていたのか」という言葉のほうが印象操作に当たるような気もしています。

詳細な事実関係が明らかになっていませんので、決め付けた言い方は慎まなければなりません。高市大臣の指摘が正しく、総務省側が本当に捏造していたとすれば前述したとおり公文書の信頼を損ねる大きな問題です。ただ非公開を前提にしてきた内部文書の内容を総務省側が改ざんする意図や理由を私自身は思い描けません。

前々回記事「放送法での政治的公平性 Part2」の中で「高市大臣の捏造発言や議員辞職の問題のほうに大きな注目が集まっていたため、礒崎元補佐官の存在が霞んでいました。もしかすると礒崎元補佐官自身、このような展開に安堵されているのではないでしょうか」と記していましたが、その見方を裏付けるような総務省文書問題  高市氏「自然発火」で大炎上』という記事を目にしていました。

放送法の「政治的公平」に関する総務省の行政文書を巡る野党の追及は28日の参院予算委員会でも続いたが、高市早苗経済安全保障担当相は「捏造」との見解を撤回せず、議論は平行線をたどった。この日、2023年度予算も成立し自民党は「逃げ切った」(幹部)と安堵。「もともと高市さんさえ『自然発火』しなければここまで大炎上することはなかった」(同)との徒労感も漂った。

「狙いは礒崎つぶしだ」。3月2日、立憲民主党の小西洋之参院議員が会見で明らかにした文書を見た与野党の国会対策委員会関係者から感想が漏れた。当時の首相補佐官で一連の文書の主役である礒崎陽輔氏は大分県選出の参院議員だったが落選中。今年の統一地方選の知事選の流れで想定されていた参院補選への出馬が取り沙汰された。

政府関係者によると、旧自治省出身で仕事には厳しく特に後輩の多い総務省には恐れられていた。国対関係者の文書流失の共通の見立ては「礒崎氏の出馬を封じるためのリーク」だった。「自然発火」とは文書記載当時の総務相だった高市氏の反応。小西氏会見直後の記者団の取材に「捏造」「怪文書まがい」と怒りをあらわにした。

自民の閣僚関係者は「自分自身がターゲットではないのだから『昔のことは調べないと分からない』とかわした上で『内容は不正確では』とやんわり否定すれば良かったのに」とし、「感情に走ってかつての部下を巻き込み『大臣と官僚のどちらかがうそつき』との構図にしてしまった」と惜しむ。岸田文雄首相も周囲に「だれか事前にアドバイスできなかったのか」と嘆いたという。

野党の国対幹部も「本来の追及ポイントは所管外の首相補佐官が口をはさんで放送法の解釈をねじまげたことなのだが、高市さんからけんかを売られて焦点がずれた」と認める。「言った言わないの繰り返しは与党のみならず、『何度も同じことを聞くな』という野党への不信も招いてしまった」と歯ぎしりだ。【2023年3月29日 神奈川新聞

前回記事で触れましたが、この問題を通して安倍元総理の岩盤支持層が高市大臣の言動を全面的に支持していることも明らかになっています。そのような岩盤支持層を意識した立場のFLASHは高市早苗氏「ねつ造」説貫き岸田首相から勝ち取った擁護 ピンチをチャンスに変え「高市総理」がトレンド入り』という記事を発信しています。

今回も長い記事になっていますので、ここで一区切り付けますが、次回以降の記事では安倍元総理を信奉されている岩盤支持層に関連した内容について取り上げてみようと考えています。その中で最近読み終えたウクライナ戦争論2』や『統一教会問題の闇』の内容にもつなげていくつもりです。

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