放送法での政治的公平性
3月11日、東日本大震災から12年目を迎えています。10年という節目の時は「東日本大震災から10年」という記事を投稿していました。週に1回のみ更新している当ブログでは今回、連日報道されている別な話題に注目していたため「放送法での政治的公平性」というタイトルを付けて書き始めています。
「仮にこれが捏造の文書でなければ大臣そして議員を辞職するということでよろしいですね」という問いかけに「結構ですよ」と応じた国会質疑での一場面から様々な話題が拡散しています。質問者は立憲民主党の小西洋之参院議員、答弁したのは総務大臣だった高市早苗経済安全保障担当大臣でした。
高市早苗経済安全保障担当相は3日の参院予算委員会で、立憲民主党の小西洋之参院議員から平成26~27年に安倍晋三内閣が一部の民放番組を問題視し、放送法が規定する「政治的公平」の「解釈変更」(小西氏)を試みたことを示す総務省作成の内部文書があるとの指摘を受け、自身の言動に関する記述を「捏造文書だ」と否定した。高市氏は当時の総務相だった。捏造でなかった場合、閣僚や議員を辞職する考えも示した。
小西氏が入手し、公開した内部文書には礒崎陽輔首相補佐官(当時)が平成26年11月から総務省に放送法の新解釈などを求める過程が記されている。総務省は従来、政治的公平に関し「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」との解釈だったが、高市氏は27年5月に国会で「一つの番組でも極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と発言した。
文書にはこれに先立つ27年3月に安倍氏が「政治的公平の観点から現在の番組にはおかしいものがあり、現状は正すべきだ」と発言したとの記載のほか、安倍氏と高市氏が電話でやり取りをしたとの記述もあった。
高市氏は「放送法について私は安倍氏と打ち合わせをしたことはない」と明言。小西氏は「捏造の文書でなければ閣僚や議員を辞職するか」とただしたが、「結構だ」と応じた。松本剛明総務相は文書の正確性について「精査しなければならない事項がいろいろある」と述べた。【産経新聞2023年3月3日】
高市大臣の「結構ですよ」という即答に対し、前々回記事「『安倍晋三 回顧録』と『国策不捜査』 Part2」の中でも取り上げた安倍元総理の「私や妻が関わっていれば、総理大臣も国会議員も辞める」と答弁した場面を重ね合わせ、そこまで言い切って大丈夫なのだろうかという危惧を覚えていました。
同時に2006年の「永田メール問題」も頭に浮かんでいました。民主党の永田寿康衆院議員がライブドア事件に関連し、自民党の武部勤幹事長の疑惑を国会で追及しました。その質問の端緒とされていたメール自体が「偽メール」であったことが判明し、民主党は厳しい批判を浴び、前原誠司代表らは総退陣に追い込まれました。
永田議員は国会議員を辞職し、民主党からも除籍処分され、2009年には自殺しています。森友学園の問題では安倍元総理の国会答弁後に公文書が改ざんされ、そのことを苦にした近畿財務局の赤木俊夫さんが自殺しています。このような不吉な過去を思い起こしながら総務省の内部文書の問題を注視していました。
週に1回の更新間隔の記事内容は速報性が薄れますが、事実経過を見定めた上で取りかかれる利点もあります。今回の問題で言えば、早々に松本総務相は「すべて総務省の行政文書だった」と認め、「厳重取扱注意」とされた当該の文書を総務省のホームページから全文を閲覧できるようにしています。
黒塗りは一切なく、途中で横書きの文書が入り込むため読みづらくなっていますが、『「局長ごときが、首が飛ぶぞ」総務省文書で暴言連発「自称・安倍側近」議員のヤバすぎる「言行録」』という記事が伝えているような生々しいやり取りを確認できます。ここまで潔く情報公開に踏み切った特段の事情があるのかも知れませんが、なかなかの英断だったものと評価しています。
前回記事「ベーシックサービス宣言」の中でも触れていましたが、多面的な情報に接していくことの大切さを痛感しています。今回の記事ではそのような趣旨を踏まえ、放送法での政治的公平性の問題や高市大臣の対応を論評しているネット上に掲げられた様々な記事を紹介していきます。サイトの見出しを紹介し、興味を持たれた方はリンク先の全文をご参照ください。
まずLITERAが2回にわたって『安倍政権の言論弾圧「放送法解釈変更」をめぐる総務省内部文書のリアルすぎる中身! 高市早苗はこれでも「捏造」と言い張るのか』『総務省文書の放送法解釈変更は氷山の一角! 安倍官邸は同時期、あの手この手で言論弾圧 古舘、国谷、岸井が次々降板したのも…』という詳細な記事を掲げています。
ジャーナリストの鮫島浩さんも『安倍官邸が放送法の解釈修正を総務省に迫っていたーー高市早苗大臣が「ねつ造」と反論した内部文書を暴露した小西洋之参院議員の国会質疑を同時進行の連続ツイートで解説する朝日新聞政治部・鬼原記者の試み』『高市早苗が議員の地位を賭けて断言した「捏造」という言葉の軽さ〜総務省文書に描かれた安倍官邸の生々しい政治ドラマと「岸田vs菅」の権力闘争の影』という記事を立て続けに投稿しています。
弁護士の澤藤統一郎さんは『高市早苗は腹を切るとは言わなかったが、クビを懸けた。前言を翻してはならない。』『安倍晋三とその取り巻きによる、「不都合な放送」に対する介入が事件の本質である。』という記事を重ね、後者の記事の冒頭で次のように行政文書について解説しています。
公文書管理法や情報公開法で定義されている「行政文書」とは、「行政機関の職員が職務上作成し又は取得した文書で、組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」と言ってよい。堂々たる「公文書」である。捏造文書でも、怪文書でもない。
公文書の内容が全て正確であるかといえば、当然のことながら、必ずしもそうではない。しかし、公務員が職務上作成した文書である。その偽造や変造には処罰も用意されている。特段の事情がない限りは、正確なものと取り扱うべきが常識的なあり方である。
内容虚偽だの一部変造だのという異議は、異議申立ての側に挙証責任が課せられる。ましてや、高市早苗は総務大臣であり、この文書を管轄する責任者であった。しかるべき理由なくして、「捏造」などと穏当ならざる言葉を投げつけるのは醜態極まる。単に、不都合な内容を認めたくないだけの難癖なのだ。
日刊ゲンダイの『注目集まる放送法文書の真贋 総務省から怒りの内部告発続出!“安倍政権の膿”噴出の可能性』『放送法の公平性「番組全体を見て」は麻生太郎氏の04年国会答弁 安倍官邸に解釈“歪曲”疑惑』の記事では、もともと2004年当時の麻生太郎総務相が次のように国会で答弁していたことを伝えています。
これは(放送法)3条の2の第1項第2号の政治的に公平であることということで、基本的には、不偏不党の立場から、政治的に考えても偏ることなく、放送番組全体としてのバランスがとれたものであるようにしておかないといかぬということだと思っております。政治的に公平であるとの判断は、一つの番組ではなくて、その当該放送事業者の番組全体を見て判断をする必要があるという具合に考えております。
そもそも当ブログの位置付けについても同じような趣旨について理解を求めていかなければなりません。「多面的な情報の一つとして」「多面的な情報を提供する場として」という記事を通し、次のように説明してきています。
誤解される時がありますが、このブログの記事本文の内容そのものが多面的で、幅広い情報を提供しているものではありません。書き込まれた内容や主張は、いわゆる左に偏っているという指摘を受けてしまうはずです。世の中には幅広く多面的な情報があふれている中、そのうちの一つとして当ブログも数えていただければ幸いなことだと考えています。
そのような意味で考えた時、上記に紹介したサイトそれぞれの内容も偏っていると見られてしまうのだろうと思っています。今回はせっかくの機会ですので、基本的な立ち位置や視点の異なる論評等を伝える記事のサイトも紹介していきます。
政権与党側の立場の代表格である嘉悦大の高橋洋一教授は行政文書かどうか明らかになる前、現代ビジネスの『小西氏公表の「放送法文書」は総務省内の「旧自治」「旧郵政」の些細なバトルの産物?』という記事を通し、文書の信憑性に疑義を呈した上で陰謀論にまでつなげていました。
行政文書と認められた後は『小西文書を一刀両断「旧自治省vs.旧郵政省の内部抗争」…解説動画に「よくわかる」「論点ずらし」賛否渦巻く』という記事の中で「まず言っておくと、行政文書かどうかと言ったら行政文書。ただ、すぐに正しい文書と誤解するけど、メモも行政文書。ハッキリ言うとデタラメなものはたくさんあります」とし、陰謀論だけは強調しています。
高市大臣の対応ぶりについては『高市氏には、虚偽公文書作成罪で告発する「覚悟」はあるのか?~加計学園問題と共通する構図』『ひろゆき氏、高市早苗氏に皮肉ツイート「威勢よくタンカ切ったものの…ハシゴ外される」』『辛坊治郎氏 高市早苗氏の〝誤算〟指摘「文書が本物だと証明されることはないと踏んでいた」』という論評等に目を留めていました。
辛坊氏は「こっから先、高市さんの答弁としては『文章は本物。だけど中身に関しては、私はそんなことは言ってない』と。だとすると、かなり問題なのは、当時大臣だった高市さんが言ってもいないことが内部文書で作成されて、それが省庁でみんなで共有してたっていうことは、それって問題じゃないの?」と疑問を呈した。
上記のような指摘に対し、ここ数日の高市大臣の言葉から心底から謝罪や反省しているようには見て取れません。自分自身の経験則で言えば記憶は当てになりませんが、記録を読み返せば事実関係を思い出すことができます。今回、高市大臣は「大臣レク自体なかった」と説明していますが、そこまでして内部文書の内容を総務省側に偽ることの理由が分かりません。今後、このような不明瞭さも解明していけることを願っています。
今回の記事タイトルは「放送法での政治的公平性」としたとおり2018年4月の記事「放送法第4条撤廃の動き」で取り上げたような問題まで掘り下げるつもりでした。結局、高市大臣のことだけで相当な長さとなってしまいましたので、ここで一区切り付け、続きは次回「Part2」として改めて書き進めていきます。
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