« 失望感が募る岸田政権 | トップページ | 抑止力と安心供与のバランス »

2023年1月15日 (日)

大きな節目の1000回

前回記事「失望感が募る岸田政権」には書き足したい内容が数多くありますが、次回以降、機会を見て示していければと考えています。今回、記事タイトルに掲げたとおり大きな節目の1000回を迎えています。これまで当ブログの更新回数が100を刻んだ時、次のような記事を投稿してきました。

100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。

そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができています。

訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知しています。それでも節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。

このブログを開設した切っかけは以前の記事「このブログを始めたイキサツ」の中で綴っていました。NHKと朝日新聞が「従軍慰安婦」関連番組への政治介入問題に絡み、真っ向から対立した報道を繰り広げていました。真実は一つでも、どちら側の報道内容に接するかどうかで、その真偽の評価や印象がガラリと変わっていました。 

ちょうど世の中は大阪市役所の厚遇問題などで、公務員への厳しい視線や声が強まっていた頃でした。当然、公務員やその組合側も改めるべき点は即座に改める必要があります。ただ主張すべきことは主張する必要性を強く感じていた時、誰でも簡単にインターネット上で意見を発信できるブログと出会いました。

このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新間隔が定着していました。2012年の春頃からはコメント欄も含め、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わるようにし、現在に至っています。

実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、土曜日か日曜日に更新するようになってから「週刊」を習慣化できています。元旦に新規記事を投稿しようと決めているため、年末年始だけ変則な投稿間隔となっています。

2011年3月、東日本大震災の発生直後の週末も、ためらいながら「東日本巨大地震の惨禍」という記事を投稿し、被災された皆さんへのお見舞いの気持ちなどを表わしていました。

そのようにつながってきましたが、4年前の3月1日に母が亡くなり、一度だけ新規記事の投稿を見合わせていました。母が亡くなった直後、とてもブログを更新する気にはなれませんでした。深い悲しみと落胆に沈み込んでいたことはもちろん、そのような時にブログに関わることの不適切さを感じていました。

再開した際の記事「母との別れ」は自分自身の気持ちの整理を付けていくための通過点とし、苦労を重ねてきた母親を偲びながら母と過ごした年月をずっと忘れないためにも初めて私的な内容を前面に出した記事を投稿していました。これまで100回という節目で記事を投稿する際、次のような言葉を添えています。

もし定期的な更新間隔を定めていなければ、日々の多忙さに流され、いわゆる「開店休業」状態が続いていたかも知れません。それでも年月は過ぎていくことになります。一方で、投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。

800回の時には、不慮の事態に遭遇しても数字が滞ることを付け加えていました。健康上の問題、大きな天災などに直面した場合、自分自身の意欲や労力云々以前の問題としてブログの更新どころではなくなります。

そのような意味で今回、たいへん大きな節目である1000回を刻めたことのメモリアルさについて、よりいっそうかみしめる機会となっています。いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも多くの皆さんが訪れてくださるからであり、いつも心から感謝しています。

このブログを長く続けている中、いろいろ貴重な経験や機会も得られました。2007年末にはぎょうせい出版社の記者から取材を受け、月刊ガバナンス1月号の連載『「自治」サイト探訪』で当ブログを取り上げていただきました。

その記者の方が特に注目くださったのはコメント欄での意見交換のあり方で、「こうした地道なコミュニケーションが、自治体への信頼の醸成につながっていくのではないだろうか」と結んでいただいていました。自治体向けの有名な情報誌へ好意的に掲載いただき、たいへん光栄なことでした。

他にも別な出版社から書籍化の話が示されたこともありました。具体的な相談を行ない、粗い原稿を提出するところまで至っていました。最終的に「没」という判断を下された訳ではなく、私自身の力不足や怠慢によって書籍化を前提にした原稿をまとめ切れないまま望外な機会を逸していました。

貴重な機会を提供くださった皆さんにはご迷惑をおかけし、期待に応えられず、たいへん申し訳なく思っています。60年を越える人生の中で様々な分岐点がありましたが、この時の力不足が最も悔やむべき選択だったように振り返る時も少なくありません。

公務員になったイキサツ」という記事の中で、希望する職業へステップ・アップする手段としての公務員志望だったことを伝えていました。ちなみに配属後、数日間で「永久就職でいいかな」と人生設計を変えてしまったほどの素晴らしい職場との出会いだったことも記していました。

希望する職業はマスコミ関係で、モノを書いて人に伝えるという仕事にあこがれていました。そのような夢のとば口に少しでも関われるチャンスを逃してしまったことは重ね重ね残念な結果でした。

もし書籍化のチャンスに再び恵まれた場合、組合の委員長を退任し、余暇の時間もたっぷり取れる今、18年近くブログを続けてきた経験をもとに「全集中の呼吸」(💧)で対応できるはずです。

ブログを長く続ける中で注意している点は、不特定多数の方々に見られることを常に意識した記事内容の投稿に努めるという心構えです。不確かな情報や知識での断定した書き方はもちろん、賛否が分かれる問題についても結論を押し付けるような書き方は極力避けるように努めています。

誰もが閲覧できるブログでの発言の重さをいつも念頭に置きながらパソコンに向き合っています。 このような意味合いから週に1回の定期更新は自己啓発の機会であり、自分自身の主張を広く発信できる自分なりの一つの運動として位置付けています。

そして、何よりもブログを始めて良かったと思うことは本当に幅広く多様な考え方や意見に触れられたという経験です。コメント欄には辛辣な批判意見が数多く寄せられてきましたが、インターネットを介した匿名の場だからこそ触れることができた飾らない声の一つ一つだったものと考えています。

これまで多様な声があることを受けとめ、日常の職務や組合活動に臨める意義深さを感じ取ってきました。基本的な立場や考え方の違いから批判を受ける場合もありますが、そのことも含めて貴重な機会だととらえています。

どのような点が批判されるのか、どのように説明していけばご理解いただけるのか、いろいろな意味で「気付き」の機会につながっていたからです。ただ500回目の頃と比べ、コメント欄の雰囲気が大きく様変わりしています。

500回目の記事の中に「普段のアクセス数は千件から2千件ぐらいの幅で推移し、コメント数が100を超えた記事も数多くありました」と書かれています。ここ数年、日々のアクセス数は当時に比べれば大きく減り、コメントの寄せられない記事のほうが多くなっています。

それでも組合役員を退任」「最後の定期大会」などの記事に対し、 たいへん心温まるコメントをお寄せいただいていました。退職されている方から「ブログを見て委員長を退任されることを知りました」という連絡もあり、このブログを注目くださっている方々は決して少なくないものと思っています。

このような手応えがあり、個人の責任で運営してきたブログですので委員長退任後も継続しています。私自身にとってブログに出会えたことは大きな「財産」であり、引き続き次の節目である1100回をめざしています。

最後に、これからも一人でも多くの方にご訪問いただければと願っています。また、出入り自由な場として、お気軽にコメントもお寄せいただければ誠に幸いです。どうぞよろしくお願いします。

|

« 失望感が募る岸田政権 | トップページ | 抑止力と安心供与のバランス »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 失望感が募る岸田政権 | トップページ | 抑止力と安心供与のバランス »