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2023年1月 7日 (土)

失望感が募る岸田政権

新年早々の前回記事「2023年、しっかり兎の耳を立て」の最後に、私たちは今、どのように考え、どのような声を上げていけば良いのか、しっかり兎の耳を立て、とりわけ現在の政治の動きについて、幅広い情報を紹介しながら多くの方々から「なるほど」と思っていただけるような内容を発信していければと考えています、と記していました。今回、時事の話題をいくつか紹介しながら政治の動きに対する個人的な思いを書き進めていきます。

これまで一昨年8月から9月にかけて「信頼できる政治の実現に向けて」というタイトルの記事を 「Part2」 「Part3」まで続け、岸田政権が発足した直後に「再び、信頼できる政治の実現に向けて」、昨年11月には信頼できる政治のあり方」という記事を投稿していました。それらの記事を通し、信頼できない政治については次のように記しています。

偏った情報のみで判断し、そのように判断した根拠が曖昧で、国民が納得するような説明責任を果たせず、結局のところ望ましい結果も出せなかった、このようなことが繰り返されれば政治に対する信頼は失墜していきます。さらに自己の利益を優先した判断ではないかと疑われ、正当化するための釈明も説得力がなく、発する言葉に重みが欠けていくようであれば信頼感は皆無に近くなります。

岸田政権が発足した直後「怒鳴ってばかりではチーム力を発揮できない」と述べ、「聞く力」をアピールポイントにしていた岸田総理の政治の進め方に期待していました。さらに自民党の中でハト派とされる宏池会の岸田総理は、安倍元総理の路線とは一線を画すものと期待していましたが、すべて過去形になりつつあります。

元旦に配信された『防衛増税で国民を裏切った岸田首相、「聞く力」に騙されたメディアは猛省せよ』という記事の中で、岸田政権に代わって官邸の雰囲気はガラッと一変し、岸田流で官僚がのびのびしていたことを伝えていました。トップダウン型の意思決定プロセスからボトムアップ型をめざす岸田政権に対し、マスメディアが 「強権的な安倍・菅政権よりもマシだ」と評価していた点も伝えていました。

その記事では、聞く気もないのに「聞く力」を標榜してきた岸田首相の危うい本質や悪質さに気付き、ようやく岸田政権に甘かったマスメディアも慌てて猛批判を開始したと非難しています。たいへん残念ながら私自身も、今回の記事タイトルを「失望感が募る岸田政権」にしたとおり岸田総理に対する期待は裏切られてきたことになります。

それでは、のびのびした官僚の皆さんが働きがいを取り戻したのか、その点についても倫理観も夢も失った官僚達』という記事に触れると懐疑的な現状が続いているようです。「霞が関では幹部クラスが皆、事務次官や大臣、官邸、声の大きい有力議員の方を向いて仕事をしていて、しかもその内容が政治家や役所の利益のためのものである場合が非常に多い」と伝えています。

確かに官邸一強の構図は変わり、意見具申する官僚を総理大臣が恣意的に左遷するような事態はなくなっているのかも知れません。しかし、その結果として前回記事で紹介した自転車利用者のヘルメット着用の努力義務化など、影響力の大きい組織や人物の声が通りやすくなっているように思えてなりません。

岸田総理の「聞く力」は幅広い声を吸い上げるものではなく、一部の有力者の声に対して「聞く力」を発揮し、現状やデメリットをどこまで検証しているのかどうか甚だ疑問です。『木原誠二官房副長官、岸田政権“国民より党内”の指摘「やむを得ない」と認めるテレビ発言に怒号の嵐「国民の方向いて政治して」』という報道などに接すると、ますます失望感が募っていました。

1月4日の毎日新聞のトップに『反撃能力、乏しき信念 首相、総裁選にらみ発信』という見出しが掲げられていました。安倍元総理の周辺から敵基地攻撃能力の保有表明を求められたことを暗に認め、派内での反対の声を押し切り、岸田総理の強い意思や信念が見えないまま日本の安保政策の大きな転換に至った経緯を伝えています。

ブックマークしているジャーナリストの鮫島浩さんの記事『対米追従の防衛費倍増には財務省が唱える「財源論」ではなく日本国憲法が掲げる「平和主義」で反対しよう!』のとおり国民からの信を問うべき重要な論点は、日本が国際社会の中で際立った平和主義を誇示した国であり続けるのかどうかだろうと思っています。

このあたりについては機会を見て、次回以降の記事で改めて掘り下げたいものと考えています。いずれにしても岸田首相、防衛増税前の解散発言をトーンダウン 波紋広がり修正図ったか』という報道も、岸田総理に対する失望感を高めていく話だと言わざるを得ません。これほど重要な国の未来を左右する大転換に対し、国民からの「聞く力」を放棄する姿勢に深く落胆しています。

さらに岸田総理は「解散・総選挙は専権事項として時の首相が判断するものだ」と述べ、自身がフリーハンドを握っていることを強調しています。学習院大学大学院法務研究科の青井未帆教授は「解散は首相の専権事項」と言い方が正確ではなく、「内閣の一方的な都合や党利党略で行なわれる解散は不当である」と述べています。

苫米地事件判決のとおり解散という国家行為は「最終的には国民の政治判断に委ねられているもの」とされているため、岸田総理に限らず、頻繁に使われている「専権事項」という言葉には違和感を抱いています。岸田総理は見識の高いほうの政治家だと思っていましたが、最近の言葉使いの一つ一つで気になる点が目立っています。

異次元の少子化対策」もその一つです。言葉の使い方、その中味に対し、いろいろ批判的な声が上がっています。作家・ジャーナリストの河合雅司さんは『 岸田首相「異次元の少子化対策」への強烈な違和感…これでは子どもは生まれないと断言できるワケ』という記事で「政治家たちのやってる感に振り回され、付け焼刃の子育て支援策の強化だけに終わったでは日本は沈む」と批判しています。

年頭の記者会見で賃上げの必要性について岸田総理は「この30年間、企業収益が伸びても、期待されたほどに賃金は伸びず、想定されたトリクルダウンは起きなかった。私は、この問題に終止符を打ち、賃金が毎年伸びる構造を作ります」と語っています。労働組合の役員だった一人として、この言葉は歓迎すべきものです。

賃上げの実現方法を問われた際、岸田総理は「リスキリングによる能力向上を支援、日本型の職務給の確立。成長分野への雇用の円滑な移動を三位一体で進め、構造的な賃上げを実現します」と答えています。総論的な意味合いとしては理解できる手法ですが、「毎年伸びる構造」に対する答えとして充分なのかどうか少し違和感がありました。

このブログの以前の記事「八代尚宏教授の発言」などを頭に浮かべながら、結局のところ新自由主義的な色合いの残る構造改革路線の延長線上での発想であるように思いがちです。気になり始めると本当に些細な点も懐疑的な見方につながってしまいます。それほど総理大臣という職責は極めて重く、国民から注視されている表れであることを岸田総理にはご理解願いたいものと考えています。

皮肉にも「聞く力」を自負している岸田総理の身近には有能なブレーンがいないようです。「総理、この言葉は」「総理、その判断は」と諫言できる人物がいれば支持率の低下も、もう少し抑えられていたのではないでしょうか。

最後に、そのような現状を浮き彫りにした一例を紹介します。「このタイミングで困るじゃないか!」閣僚更迭でブレまくった岸田文雄首相が「朝6時半」に電話した相手』という記事の中で、下記のとおり長男を政務担当秘書官に抜擢した経緯を伝えています。

長男の岸田翔太郎を政務担当秘書官に抜擢したのもしかり。支持率低下が加速し始めていた10月、なぜそんな人事に踏み切ったのか。真相は「政務秘書官を務めていた山本高義を事務所に戻し、代わりに翔太郎が政務秘書官になる人事を、約1年前から決めていたから」(官邸筋)だという。

要するに、首相就任1年後に翔太郎を官邸入りさせることが既定路線だったから、その予定通りにしただけというわけだ。支持率低下の局面でこんな親バカ人事をしたら世間がどう受け止めるかさえわからない、岸田の鈍感ぶりを示すエピソードである。

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