連合地区協役員も退任
サッカーのワールドカップは終盤を迎えています。残念ながら日本代表は悲願だった準々決勝進出まで、あと一歩及びませんでした。「にわかサッカーファン」の一人である私も睡眠時間を調整しながら日本戦の全試合をリアルタイムで観戦しました。まさしく一喜一憂の結果をたどった訳ですが、日本代表メンバーの健闘に胸を熱くしていました。
さて、1か月前の記事「組合役員を退任」の中で「青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができました」と記しています。青年婦人部幹事の1年目は名前だけの「幽霊役員」だったため、組合役員になってから40年余りという曖昧な数え方をしていました。
執行委員長の在任年数はしっかり数え、18年間だったことを明らかにしています。委員長に選ばれた翌年の8月からブログを始めていたため、2004年11月の定期大会から務めていることが把握しやすくなっていました。ちなみに右サイドバーの下のほうに掲げられた「ココログ」のロゴマーク下の「2005/08/16」は、このブログを開設した日を示しています。
連合地区協議会の役員は委員長になった定期大会の翌月12月から務めていました。会計監査、副議長、議長代行、最後の1年は再び副議長を担ってきました。先週火曜日の地区協委員会で退任し、単組の委員長と同様に18年間務めてきたことになります。
その日をもって組合役員としての今までの肩書きは、すべて取れたことになります。地区協委員会当日、初対面だった来賓の連合東京の方々と挨拶を交わした際には「肩書きが前執行委員長となりますが」と一言添えながら名刺をお渡ししていました。
地区協委員会の最後のほうで、私から退任にあたっての挨拶をさせていただきました。いろいろな思いが頭の中に浮かび、たいへん恐縮ながら割り当てられた1分という時間は守れませんでした。
地区協委員会の議長を私どもの組合の新委員長が引き受けていました。議長席に座る新委員長にバトンを渡したという絡みから退任挨拶の冒頭で、映画『そして、バトンは渡された』の話を11月11日の定期大会で触れたことを紹介しました。
素晴らしい映画ですが、今一つ知名度がないのか、地区協委員会に参加された皆さんからの反応も鈍かったようです。ただ定期大会当日も滑り気味だったことを申し添えることで、笑いを誘うことができていました。
退任挨拶の中で最も強調させていただいた点は連合という枠組みの貴重さです。連合地区協役員を務めたことで自治労という枠組みを越え、幅広い産別の組合役員の皆さんと交流をはかれる機会に恵まれました。特に民間企業に働く多くの皆さんと知り合え、たいへん貴重な経験を重ねることができました。
さらに前々回記事「近況から思い出話まで」に綴ったとおり連合地区協役員を務めたからこそ、幅広い政治的な立場の推薦議員の皆さんと懇談する機会にも恵まれました。安保法制の是非が取り沙汰されていた時には、民主党の衆院議員時代の長島昭久さんと率直な意見を交わしていたことも退任挨拶の中で触れていました。
そのような中で、特に印象深かった連合地区協の過去の取り組みを3つ上げさせていただきました。2005年11月の特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんによる「拉致問題を考える」学習会、2007年12月には衆院議員だった山本譲司さんの講演「塀の中から見た日本の福祉」、2019年7月には「福島第一原発の現状」を視察研修したことです。
1分という割り当て時間ですので退任挨拶の中で内容については詳述していません。それぞれ当ブログの記事としてまとめていますので、興味を持たれた方はリンク先をご参照いただければ幸いです。いずれにしても連合地区協だからこそ、柔軟な発想で幅広い切り口から取り組めた課題だったものと受けとめています。
いつも申し上げていることですが、より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に接していくことが極めて重要です。そのような趣旨から私自身にとって、連合地区協の役員を担えたことは非常に貴重な機会だったことを伝えた上、各産別の皆さんに感謝の意を表させていただきました。
このような貴重な経験や交流は、私どもの組合の活動や組合員の皆さんに対してもフィードバックできるように意識してきたことを申し添えていました。退任挨拶の原稿は用意していませんでしたので、実際の言い回しなどは異なっていますが、地区協委員会で訴えさせていただいた要旨は以上のとおりでした。
今回、前回記事「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」から一転して「連合地区協役員も退任」というローカルな話となりました。最後に近況報告です。組合活動との距離感を見計らってきましたが、4年前の記事「再び、組合役員の担い手問題」の中で創設したことを伝えていた協力委員を引き受けることにしました。
退職する訳ではなく、組合員として残っているのであれば「協力できることは協力していこう」と考えたところです。バトンを渡した新委員長とも話し、そのように判断したため、さっそく来週月曜夜に開かれる「不戦を誓う三多摩集会」には協力委員の一人として参加する予定です。
「組合役員を退任」という流れからすれば驚かれた方や違和感を持たれた方もいらっしゃるかも知れません。協力委員は定例の執行委員会や労使協議の場には関わりませんので、重圧感は大幅に緩和されています。そのような位置付けのもと新委員長らに煙たがられない適度な距離感で、できることを協力していければと考えています。
| 固定リンク
コメント