『標的の島』と安保関連3文書
81年前の12月8日、日本海軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入しました。三多摩平和運動センターは毎年、12月8日前後に不戦を誓う集会を催しています。今年は先週月曜夜に開かれ、前回記事「連合地区協役員も退任」に記したとおり協力委員の一人として参加していました。
今回『標的の島 風かたか』という映画が上映されています。『標的の村』『戦場ぬ止み』など沖縄の米軍基地問題を取り上げ続けている三上智恵監督によるドキュメンタリー映画です。
辺野古の新基地建設、高江のオスプレイのヘリパッド建設、宮古島、石垣島の自衛隊配備とミサイル基地建設など、沖縄では様々な問題を抱え、反対派の住民らによる激しい抵抗、警察や機動隊との衝突が続いています。
このような現実を描きながら沖縄の人たちの持つ県民性なども浮き彫りにした映画でした。この映画の一端について理解を深めていただくためにも長い引用となりますが、 集会当日に配られたチラシに掲げられた内容をそのまま紹介します。
「標的の島」とは、沖縄のことではない。それは今、あなたが暮らす日本列島のこと。2016年6月19日、沖縄県那覇市。米軍属女性暴行殺人事件の被害者を追悼する県民大会で、稲嶺進名護市長は言った。「我々は、また命を救う“風かたか”になれなかった」。「風(かじ)かたか」とは風よけ、防波堤のこと。
沖縄県民の8割の反対を黙殺した辺野古の新基地建設、全国から1000人の機動隊を投入して高江で強行されるオスプレイのヘリパッド建設。現場では多くの負傷者・逮捕者を出しながら、激しい抵抗が続く。さらに宮古島、石垣島でミサイル基地建設と自衛隊配備が進行していた。
なぜ今、先島諸島を軍事要塞化するのか? それは日本列島と南西諸島を防波堤として中国を軍事的に封じ込めるアメリカの戦略「エアシーバトル構想」の一環であり、日本を守るためではない。基地があれば標的になる、軍隊は市民の命を守らない—沖縄戦で歴史が証明したことだ。だからこそ、この抵抗は止まない。この国は、今、何を失おうとしているのか。映画は、伝えきれない現実を観るものに突きつける。
歌い、踊り、咲き誇る文化の力。「最前線」に集まる人々、新たなる希望。監督は『標的の村』『戦場ぬ止み』の三上智恵。大学で民俗学も講じる三上が描くのは、激しい抵抗や衝突だけではない。エイサー、パーントゥ、アンガマ、豊年祭。先祖から子孫へと連なる太い命の幹、権力を笑い飛ばし、豊穣に歓喜する農民の誇りと反骨精神。島々の自然と歴史が育んだ豊かな文化がスクリーンに咲き乱れる。
そして、県民大会で古謝美佐子が歌う「童神(わらびがみ)」、辺野古のゲート前でかき鳴らされる三線の音色。高江のテントで「兵士Aくんの歌」を歌う七尾旅人のまわりには全国から駆けつけた若者たちの姿があった。この一年で安全保障政策を大転換したこの国で、平和と民主主義を守る闘いの「最前線」はどこか? それに気づいた人々が、今、沖縄に集まっているのだ。
映画のタイトル『標的の島 風かたか』には様々な意味が込められています。名護市長の言葉は被害女性に対する「風かたか」でしたが、この映画のモチーフとして軍事戦略上の「風かたか」にされている沖縄のことを指し、軍事施設があれば真っ先に標的にされていく脅威について問題提起しているタイトルだと言えます。
そして、映画を紹介した文章の冒頭に赤字で強調されているとおり「標的の島」は沖縄にとどまらず、日本列島そのものを指していることについて認識していかなければなりません。アメリカにとって日本列島自体が「風かたか」であり、敵対する国々からすれば標的にすべき島であることを示唆しています。
基地を抱える沖縄の負担、一方で基地建設によって街が活性化することを歓迎する住民も少なくない現状など、いろいろ取り上げたい問題があります。ただ今回、間口を広げた記事タイトルにしているため、映画に絡んだ内容は絞り、2年前の記事「不戦を誓う三多摩集会、2020年冬」に掲げた下記のような問題意識だけ改めて紹介させていただきます。
「不戦を誓う集会」などに参加し、いくつか気になることがあります。まず憲法9条を変えさせない、憲法9条を守ることが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという言葉や論調の多さが気になっています。北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素があるけれど、憲法9条を守ることが必要、このような説明の少なさが気になっています。問題意識を共有化している参加者が圧倒多数を占めるため、そのような回りくどい説明は不要で単刀直入な言葉を訴えることで思いは通じ合えるのだろうと見ています。
しかし、その会場に足を運ばない、問題意識を共有化していない人たちにも届く言葉として「憲法9条を守る」だけでは不充分だろうと考えています。以前の記事「平和への思い、自分史 Part2」の中で綴った問題意識ですが、誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。
上記のような問題意識はロシアのウクライナ侵攻によって、ますます乗り越えなければならない切実な関係性だと認識するようになっています。このような問題意識を強める中、昨日、政府は今後10年程度の外交・防衛政策の指針となる「国家安全保障戦略」、防衛目標を実現するための方法と手段を示した「国家防衛戦略」、防衛費の総額やどのような装備品を整備するかを定めた「防衛力整備計画」など安保関連3文書を閣議決定しました。
戦後、政府が一貫して「持たない」と判断してきた「反撃能力」の保有を明記するなど日本の安全保障政策を大きく転換する閣議決定でした。それにも関わらず、与党税制改正大綱と同日に決めるタイミングとなり、2023年度から5年間の防衛費総額を約43兆円とするための財源確保の問題ばかりが大きな注目を集めていました。
ブックマークしているジャーナリストの鮫島浩さんの記事『防衛費財源は「増税か、国債か」の財政論争に惑わされるな!間違っているのは防衛費を倍増させる安全保障政策だ!』に掲げられているような根本的な視点が欠けたまま、日本の安全保障政策が大きく変容していくことに危機感を強めています。
私はウクライナ戦争から学ぶべき教訓を完全に間違えていると思う。ウクライナに侵攻したロシアは確かに悪い。ただ、外交の究極の目的は戦争の回避であるという立場からは、ロシアの軍事侵攻を招いたウクライナは外交に失敗したともいえる。
ウクライナはロシアを仮想敵として米国から大量の武器を購入した結果、逆にロシアの警戒感を高めて軍拡競争をあおり、軍事的緊張を高めてしまった。防衛費の増額はロシア軍の侵攻を食い止めるどころか、むしろ誘発したのである。単なる無駄遣いにとどまらず、安全保障政策上も失敗だったのだ。
同じ構図は東アジアでも当てはまる。日本は防衛費を増額して米国から敵基地攻撃能力のあるトマホークなどミサイルを購入する予定だ。米国の軍需産業を潤わせ、東アジアの軍事的緊張を高めるだけだろう。憲法の専守防衛を逸脱するという違憲性の問題だけではなく、安全保障政策としても逆効果だ。
大事なのはミサイルを撃たせない、軍事的緊張を高めない外交努力である。防衛費を大幅増額すれば日本を守ることができるという発想自体が間違っている。大切なことは東アジアの軍事的緊張を高めないことだ。最初にこの点は指摘しておきたい。
上記の鮫島さんの問題意識のとおり今回の安保関連3文書に示されているような方向性が、国民の生命や暮らしを守ることに直結していくのかどうか、根本的な議論が決定的に不足しているものと思っています。そもそも反撃能力を保有し、43兆円を費やせば実効ある抑止力を担保できるのかどうかも疑問です。
もちろん中国や北朝鮮こそが軍拡の動きを自制すべきであることは理解しています。しかしながら「安全保障のジレンマ」という言葉があるとおり疑心暗鬼につながる軍拡競争は、かえって戦争のリスクを高めかねません。いずれにしても脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。
『鈴木宗男氏 ロシア配慮発言を繰り返す理由を明かす「戦争は双方に言い分がある」』という記事にも目を留めていました。前々回記事「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」の中で記していますが、ロシアの軍事進攻前であれば、戦争は絶対回避するという目的を最優先事項とし、そのような主張に賛意を示せます。
だからこそ戦争に至る前の段階で「双方の言い分」に耳を貸していく外交努力をはじめ、国連という枠組みの中での英知が結実していくことを心から願っています。日本列島を「標的の島」としないためにはミサイル基地を叩く力よりも、ミサイルを発射する「意思」を取り除く関係性の構築こそ実効ある安全保障政策の道筋だと考えています。
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