『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと
このところ「組合役員を退任」「最後の定期大会」「リスタートの一週間」「近況から思い出話まで」というローカルでマイナーな記事が続いていました。今回はウクライナでの戦争を受けとめ、いろいろ思うことを書き進めてみるつもりです。10月に投稿した記事「旧統一教会と自民党」の冒頭では次のように記していました。
ウクライナでの戦争が続いています。日常が一転して生命の危機を脅かす非日常に追いやられたウクライナの人々の恐怖と絶望は想像を絶するものだろうと思います。最近『ウクライナにいたら戦争が始まった』を読み終え、そのような恐怖をわずかでも追体験しています。機会を見て「『ウクライナにいたら戦争が始まった』を読み終えて」という記事を投稿できればと考えています。
今回の記事タイトルは「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」としています。書籍の内容の紹介にとどめず、ウクライナでの戦争から派生している時事の話題などにもつなげてみようと考えているからです。
戦争なんて、遠い世界の話だと思っていた。単身赴任中の父と3か月を過ごすため、高校生の瀬里琉唯は母・妹とともにウクライナに来た。初日の夜から両親は口論を始め、琉唯は見知らぬ国で不安を抱えていた。キエフ郊外の町にある外国人学校にも慣れてきたころロシアによる侵攻が近いとのニュースが流れ、一家は慌ただしく帰国の準備を始める。
しかし新型コロナウイルスの影響で一家は自宅から出ることができない。帰国の方法を探るものの情報が足りず、遠くから響く爆撃の音に不安と緊張が高まる。一瞬にして戦場と化したブチャの町で、琉唯は戦争の実態を目の当たりにする。
上記はリンク先に掲げられている書籍の紹介文です。フィクションという位置付けですが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を女子高生の視点で綴り、凄絶な体験を描いた「実録的」小説となっています。
最初の頁には「状況と日時、各事態の発生場所に関し、現在までの情報を可能な限り網羅し、また帰国者の証言などを併せ、できるだけ正確を期した。瀬里琉唯という女子高生の視点で綴られているが、私たち日本人の誰にでも、突然起こりうる問題としてお読み頂ければ幸いである」と記されています。
したがって、そこに描かれている出来事は実際に起こった現実であるという生々しさを感じ取りながら読み終えていました。特に読み進める中で真っ先に感じたリアリティさがあります。新型コロナウイルス感染症の対策も軽視できない日常が続いている中での戦争だったという点です。
密閉された環境で密集して隠れていなければならなかった人々、感染症が猛威をふるっているような事態であれば、戦争のもらたす悲劇はいっそう倍加していくことになりました。物語の展開の中で、日本に帰国するため、空港までたどり着きながら主人公の家族は搭乗することができませんでした。
主人公の妹が検疫の結果、新型コロナの陽性の疑いがあり、空港から追い出されて帰宅を命じられてしまったからです。2月16日のことでした。新型コロナの感染拡大がなければ、家族は戦火に巻き込まれることなく、帰国できていたという不条理な物語の展開でした。
銃弾の嵐が襲ってくる。甲高い悲鳴が響き渡り、群衆は大混乱となった。わたしたちは急流に押し流されるも同然に、避難する人々の波に呑まれた。転倒する隙間すらない。なおも機関銃の乾いた掃射音が鳴り響いた。複数の絶叫が間近に迫った。被弾が近い。
ウクライナから出国できなかった家族は生命の危機と背中合わせの逃亡を強いられます。侵攻当初、ロシア側はウクライナ国内のロシア系住民を大量虐殺から解放するために必要な「軍事作戦」であり、ウクライナと戦争はしていないという詭弁を繰り返していました。
しかしながら病院や学校など民間施設も含む無差別攻撃だったことは明白な事実であり、二重三重にもロシアが国際法を逸脱した戦争犯罪を重ねていることを厳しく指弾しなけれればなりません。それにも関わらず、小説の最後のほうで在ポーランド日本国大使館の職員は次のような言葉を発していました。
まだロシア軍と決まったわけじゃないので。滞在しておられた地域に、武装勢力が攻めてきたのは事実でも、その正体ははっきりしないわけで。今回は大変だったと思いますが、海外にもいろいろありますのでね。さっき検問所でも申しあげましたけど、なにがあったかは、お友達にも内緒にしていただけないかと。
ポーランドを経て日本に帰ることができるようになった主人公たちに投げかけられた大使館職員の言葉は、たいへん違和感があるものでロシア側を刺激しないために過剰な配慮を示したものでした。事実関係を下敷きにした小説であるため、侵攻当初、このように外交関係者は及び腰だったのだろうと推察しています。
一方で、主人公は「もう誰にもこんな過酷な目に遭ってほしくない、だからこそ記憶を共有したい。みな耳を傾けようとしなくても、語るのをやめてはならない」という思いを強めていました。小説の最後には主人公が手にした新聞の内容について触れられ、作者の松岡圭祐さんの思いを感じ取ることができます。
プーチン大統領の側近による主張が載っていた。ロシアとの国境付近で、ウクライナが生物化学兵器を開発、米国防総省が資金援助した形跡がある。それが侵攻の理由ひとつだという。社説には、ロシアがいきなり攻撃するのは奇妙と書かれていた。理由があったはずだ、悪ときめつけるのはまちがっている、社説を要約すればそうなる。
別の記事には、ロシアもウクライナもどちらも悪い、戦争はよくないとあった。暖房の効いた部屋で、昼食を終えたのち、これらの記事は書かれたのだろう。わたしが見聞きしたものとは、なにもかもちがっていた。
ここからは書籍の内容から離れた話題につなげていきます。戦争を避けたいという思いは誰もが同じであるはずです。その上で、ウクライナで起こっているような戦争をどうすれば防げるのか、問われ続けられている重要な命題です。
主人公が手にした新聞のような論調は、あまり見かけなくなっています。しかし、前々回記事「リスタートの一週間」の中で紹介した森元総理の『ゼレンスキー氏を批判 「ウクライナ人苦しめた」』という報道に触れた時は「またか」という思いとともに呆れていました。ロシア寄りの見方を堂々と披露できる方が元総理で、政界引退後も各方面に大きな影響力を発揮してきていることは非常に残念な話だと言えます。
この森元総理の発言に対し、自民党の片山さつき参院議員は「鈴木宗男先生のパーティーの場、一定の国際情勢を作ってきた信頼関係の上での発言だ」と擁護していました。その鈴木参院議員に至っては「先に手を出したのが悪いが、原因を作った側にも一抹の責任がある。一方的にロシアを悪者にするのは不公平」と主張しています。
このような言い分は殺人や強姦を犯した者が悪いが、被害者にも一抹の責任があるという主張と同じ理屈になりかねません。軍事進攻前であれば、戦争は絶対回避するという目的を最優先事項として、国益の最適化をめざしながら相手方の主張に耳を貸していく外交交渉の重要さを私自身も強く支持する立場です。
しかしながらロシアは国連憲章に違反し、軍事力で他国の領土や主権を侵しています。そのため、国際社会の定められたルールは絶対守らなければならない、守らなければ甚大な不利益を被る、このことをロシアのプーチン大統領に思い知らせなければ帝国主義の時代に後戻りしてしまう危惧さえあります。
戦争が一刻も早く終わることを願いながら多くの国々が結束し、ロシアに圧力を加え、ウクライナを支援している構図は非常に重要な関係性です。国際社会の結束は、ロシアと同じように軍事力で「自国の正義」を押し通そうと考えていた権力者の「意思」に大きな牽制効果を与えるはずです。
大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めません。しかし、戦争は権力者の「意思」や国民の熱狂によって引き起こされるため、人間の「意思」によって抑えることができるはずです。そもそも脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。
鈴木参院議員のパーティーの場で、森元総理は「安倍さんさえ生きていればウクライナ戦争は収められたのに」という見方も示していました。プーチン大統領に対し、安倍元総理は「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」という言葉を贈るほどの親密ぶりが有名でした。
森元総理の見立てが正しく、安倍元総理がプーチン大統領の「意思」を変えられる可能性を持っていたのであれば本当に偉大で有為な政治家を失ってしまったことになります。ただ『ウクライナ侵攻で露呈「安倍政権の対露外交」の大き過ぎる罪』という記事が伝える下記のような内容からは、その可能性は信憑性の薄いものだったと思わざるを得ません。
安倍元首相は自身の政権下でなんと11回訪露し、プーチン大統領とは計27回の首脳会談を行っている。
「ロシアがウクライナ国境に軍隊を集結させていた昨年末から、安倍元首相に対し、この緊張時に政治的役割を果たすべきという期待がありました。が、なにもできなかった。やったことといえば、自身の派閥会合で、『岸田首相がプーチン大統領と会談することになる。日本の立場を説明し、この事態が平和裏に解決される努力をしなければならない』と、他人事のように注文するだけでした」(安倍周辺議員)
「いまの俺は首相という立場ではないのだから関係ないね」といわんばかりの対応に、党内でも失望が広がった。政権を去ったあとも、世界平和に尽くすため外交特使として老骨にむち打ったカーター元米大統領らとはほど遠い、日本の「有力政治家」の実情だ。
その一方で、プーチン大統領との対話への期待を裏切る形となっていた安倍元総理はウクライナでの戦争を受け、 核共有に向けた議論を提起するなど軍事力強化の必要性を声高に訴え始めていました。防衛費「対GDP比2%」へ倍増、反撃能力に関する議論の先鞭を着けた有力な政治家の一人となっていました。
安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立させることが重要です。抑止力、ハードパワーに偏った場合、敵対視されている側は挑発行為ととらえ、疑心暗鬼のもと一触即発の事態につながるリスクが高まることも考えられます。
加えて、際限のない軍拡競争は必然的に国家予算を逼迫させていくことになります。このあたりについては4年前の記事「平和の話、サマリー」を通し、歴史を振り返る中で広義の国防や安心供与について次のとおり説明していました。
広義の国防と狭義の国防という言葉を『ロンドン狂瀾』という書籍を通して知りました。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことをその書籍で知りました。
軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義を改めて理解していました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができるという話です。
加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。
「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」という記事タイトルのもと非常に長い記事内容となっています。主人公の「もう誰にもこんな過酷な目に遭ってほしくない」という願いがかなうためには、どのような「答え」が正解に近付くのか、今、岸田政権の進めている動きが望ましいことなのかどうか、 私たちに問われています。
実は小林よしのりさんの『ウクライナ戦争論』も読み終えていたため、少し触れてみようと考えていました。たいへん長い新規記事となっているため、ここで今回は一区切り付け『反撃能力の是非、識者に聞く』という記事に綴られた論点の紹介をはじめ、機会を見ながら改めて取り上げさせていただきます。
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