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2022年12月24日 (土)

2022年末に『ウクライナ戦争論』雑感

このブログは毎週1回、土曜か日曜に更新しています。そのため、今回の新規記事が2022年に投稿する最後のブログ記事となります。一昨年コロナ禍の2020年末」、昨年は コロナ禍が続く2021年末」という記事をその年の最後の記事タイトルとしていました。

行動制限は緩和されていますが、新型コロナウイルスの感染者数は依然高いままです。私どもの市役所では職場での忘年会や新年会を催す動きはありません。まだまだコロナ禍が続いている2022年の暮れですが、今年はウクライナでの戦争を題材にした内容が最後の記事となります。

2月24日にロシアがウクライナに軍事進攻し、10か月が過ぎようとしています。たいへん残念ながら戦火の消える兆しが未だ見出せていません。ウクライナのゼレンスキー大統領は軍事侵攻後、初めてウクライナを離れアメリカを訪問しました。バイデン大統領との会談後には連邦議会で演説し、次のような言葉で支援の継続を訴えています。

一国の平和はもはや、あなたとあなたの国民だけによって決まるものではありません。それは隣国であって、力を持った国によって決まるのです。強さというのは、大きな領土を持つということではありません。勇敢で、自国民と世界の市民のために戦う意思があることを言うのです。人権と自由のために戦うのです。普通に生活できて、来たるときに死ぬ権利、それは隣国や誰かによって決められるものではありません。

きょう、ウクライナ人はウクライナを守っているだけでなく、未来という名のもとに西欧の価値観と世界のために命をかけて戦っています。アメリカがウクライナだけでなく、ヨーロッパと世界各国を支援しているのは、地球を持続させ、歴史に正義を刻み続けるためなのです。

これまで当ブログでもウクライナでの戦争から思うこと」などを通し、多くの国々が結束してウクライナを支援している構図は物凄く重要な関係性であることを訴えてきています。このような関係性が普遍化されることで、ロシアと同じように軍事力で「自国の正義」を押し通そうと考えていた国々に対する大きな牽制効果を与えていけるものと考えています。ゼレンスキー大統領の訴えは、そのような問題意識を背負った強い信念と覚悟を持った言葉だったものと受けとめています。

前回記事のタイトルは「『標的の島』と安保関連3文書」でしたが、書き始めた時は「『標的の島』と『ウクライナ戦争論』」でした。最後のほうで紹介した記事『鈴木宗男氏 ロシア配慮発言を繰り返す理由を明かす「戦争は双方に言い分がある」』の後、小林よしのりさんの『ウクライナ戦争論』の話につなげていくつもりでした。

いつものことですが、書き進めるうちに思った以上に長くなり、『ウクライナ戦争論』に関しては翌週に投稿する新規記事の題材として先送りしていました。結果的にゼレンスキー大統領の電撃的なアメリカ訪問という時事の話題に冒頭で触れることができ、先送りしたことが正解だったようです。

帝国主義の時代に“逆回転”する世界――。日本は戦争の当事国となる覚悟はあるのか??ロシアによる侵略行為によって始まったウクライナ戦争は、すでに両国あわせて10万人を超える死者を出したという報道も出ている。開戦当初こそ軍事大国・ロシアが圧倒的優位と見られていたが、戦況は一進一退の膠着状態が続いており停戦への道筋は一向に見えない。

9月の終わりには、ロシアのプーチン大統領が30万人規模の兵士を戦線に追加投入するため部分的動員礼を発令。銃を携えたロシア軍兵士の監視のもと行われた住民投票を根拠に、ウクライナ東部と南部4州のロシア編入を一方的に宣言するなど、ここにきてなりふり構わず戦争を継続させる姿勢を見せている。なぜ、プーチンは苛烈な経済制裁を受け、国際社会から孤立してまで、侵略戦争という暴挙に出たのか?

その答えは、ロシアとウクライナのナショナリズムの歴史に深くかかわっている。この先、プーチンが「ロシア劣勢」と判断したら、そのとき世界は核のリスクと真剣に向き合うことになるはずだ。そして、ウクライナがロシアに屈したら、次は強権国家・中国によって台湾が主戦場になるだろう。そうなれば、日本は戦争の当事国にならざるを得ない。いま、世界は大きな歴史の転換点に立たされており、日本人は覚悟を求められているのだ。

1990年代終わりに、国論を二分する大論争を巻き起こした90万部突破のベストセラー『戦争論』から25年――。「国家」とは何か?「正義」とは何か? 漫画家・小林よしのりが「お花畑国家」・日本に再び警告する。

上記はリンク先サイトに掲げられた『ウクライナ戦争論』の紹介文です。これまでも小林よしのりさんの見方や考え方について、共感を覚えることもあれば、違うと思うこともありました。今回はゼレンスキー大統領に対する評価をはじめ、概ね賛同できる点が多かった書籍だったと言えます。

戦争は賛成できるものではなく、今回のウクライナ問題は戦争と呼べるモノでは無いのですが、今回のウクライナ問題が何故危険なのかと言う事を考えさせられる一冊です。一方的にロシアが悪い、ロシアを擁護するやつは悪いやつという言い方がされますが、この一冊でずいぶんと理解が深まったような気がします。

ウクライナを守るために国連軍や、西側の軍隊が参戦した方が問題は長引かないのではと軽く考えていたのですが、ゼレンスキー大統領がロシアだけで無く何と戦っているか、衝撃でした。

日本を愛すだけでは国は守れない、軍備を拡張するだけでは国は守れない。日本が他国に侵略されたとき、日本という国は無くなって、日本人は消滅すると言うことを分からせてくれる一冊です。右、左、色々な思想の人はいますが、まずは読んでから議論したいですね。

リンク先では多くのカスタマーレビューを読むことができます。その中で上記は『ウクライナ戦争論』に託した小林さんの思いを汲み取った意見であり、多面的な見方の大切さを感じ取られている点に共感していました。

私自身が印象に残った箇所をいくつか紹介していきます。書籍の冒頭、序章「終わりなき日常は来ない」に掲げられていた小林さんの次のような言葉です。『ウクライナ戦争論』全体を通し、小林さんが最も訴えたかった考え方だろうと理解しています。

国家がなくなることなど、ないのだから戦争は必ず起こる!「平和は大切」と何億回、訴えてもムダだ!プーチンにも習近平にも「反戦平和」は通じない!戦争は必ず起こる!!

わしはグローバリズムではなく、国家が前提の「インター・ナショナリズム」が大事であり、国家と国家の独自性を尊重して交際していくしかないのだと訴えてきた。したがって「国際法」は、国家の主権を重んじて共存していくために、大事なものである。

国境をなくし、経済で結ぶつき「世界市民」となり、国家がなくなれば、戦争もなくなるという発想は「幼稚な夢だった」と小林さんは切り捨てています。さらに国際法の弱点として、国際法は慣習法であり、具体的な罰則がないことを指摘しています。

今回のウクライナ侵略は何から何まで国際法違反、「軍隊」でもなく、「山賊」や「ギャング団」のような野蛮さであり、「これでは時代が中世に逆戻りしてしまう」とロシアを厳しく批判しています。

このようなロシアの蛮行に対し、小林さんは「ゼレンスキー大統領は、自国のためだけに戦っているのではない。国際法を守るためでもある。ゼレンスキーは世界の弱小国のために戦っているとも言える」と評価しています。

国際社会が軍隊を送ってロシアの侵略を止めるという選択肢は見送られています。「戦時中でもロシアに日常があるのは、ウクライナがモスクワを攻撃しないからだ」という言葉にも着目しなければなりません。

このことが「世界大戦を恐れるとか、核の使用を恐れるとか、そんな臆病さを侮られたら、核大国の思うがままだ」と小林さんは語り、「侵略したもん勝ち」を許さないため、国際法で認められた自衛戦争を貫いているゼレンスキー大統領を書籍の随所で称賛していました。

今そんな「力と力」の世界になってしまったら、核も持たず、満足な軍隊も持たない非力な現在の日本など、ひとたまりもなく、中国かロシアに併合されてしまうに違いない。国際法が効力を持つか否かは、特に我が国にとって死活問題なのだ。

ロシアは人類が辛うじて積み重ねてきた国際法秩序を根本から崩そうとしている。ごーまんかましてよかですか?ロシアがやっていることは人類に対する攻撃である!これは「人類対ロシア」の戦いであり、我々は決して負けるわけにはいかないのである。

この言葉はゼレンスキー大統領の連邦議会での演説内容と同様な主旨となります。国際社会はウクライナに対し、引き続き足並みを揃えて可能な限りの支援を続けていくことが、たいへん重要な使命や局面であることを改めて認識しています。

『ウクライナ戦争論』の最終章「占守島の戦い」も興味深い史実を知る機会となっていました。終戦後に攻め入ってきたソ連軍に対峙し、千島列島の最北端に位置する占守島での戦いがあったからこそ、ソ連による北海道の分割占領を阻止できたという経緯を伝えていました。

北方領土の問題、南北に分断された朝鮮半島の現実を踏まえた時、リンク先のサイトで池上彰さんが「もしも日本軍守備隊の活躍がなければ、北海道北部に『日本民主主義人民共和国』ができていたかも知れない」と語っているような史実でした。

小林さんは「あとがき」の最後に「日本も我われが生きているうちに戦争に巻き込まれることは十分にある。他国の戦争、他人の戦争などと思わず、当事者意識を持つ覚悟は育てておかねばならない。ウクライナは明日の日本かも知れないのだ」と記しています。

この言葉を受け、私たちは今、どのように考え、どのような声を上げていけば良いのか、各論に対する「答え」は個々人で枝分かれしていくのかも知れません。いずれにしても、より望ましい「答え」を見出すためには幅広い考え方や多面的な情報に触れていくことが重要であり、このブログがその一助になれることをいつも願っているところです。

最後に、この一年間、多くの皆さんに当ブログを訪れていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。なお、次回の更新は例年通り元旦を予定しています。ぜひ、お時間等が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは皆さん、良いお年をお迎えください。

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2022年12月17日 (土)

『標的の島』と安保関連3文書

81年前の12月8日、日本海軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入しました。三多摩平和運動センターは毎年、12月8日前後に不戦を誓う集会を催しています。今年は先週月曜夜に開かれ、前回記事「連合地区協役員も退任」に記したとおり協力委員の一人として参加していました。

今回標的の島 風かたか』という映画が上映されています。『標的の村』『戦場ぬ止み』など沖縄の米軍基地問題を取り上げ続けている三上智恵監督によるドキュメンタリー映画です。

辺野古の新基地建設、高江のオスプレイのヘリパッド建設、宮古島、石垣島の自衛隊配備とミサイル基地建設など、沖縄では様々な問題を抱え、反対派の住民らによる激しい抵抗、警察や機動隊との衝突が続いています。

このような現実を描きながら沖縄の人たちの持つ県民性なども浮き彫りにした映画でした。この映画の一端について理解を深めていただくためにも長い引用となりますが、 集会当日に配られたチラシに掲げられた内容をそのまま紹介します。

「標的の島」とは、沖縄のことではない。それは今、あなたが暮らす日本列島のこと。2016年6月19日、沖縄県那覇市。米軍属女性暴行殺人事件の被害者を追悼する県民大会で、稲嶺進名護市長は言った。「我々は、また命を救う“風かたか”になれなかった」。「風(かじ)かたか」とは風よけ、防波堤のこと。

沖縄県民の8割の反対を黙殺した辺野古の新基地建設、全国から1000人の機動隊を投入して高江で強行されるオスプレイのヘリパッド建設。現場では多くの負傷者・逮捕者を出しながら、激しい抵抗が続く。さらに宮古島、石垣島でミサイル基地建設と自衛隊配備が進行していた。

なぜ今、先島諸島を軍事要塞化するのか? それは日本列島と南西諸島を防波堤として中国を軍事的に封じ込めるアメリカの戦略「エアシーバトル構想」の一環であり、日本を守るためではない。基地があれば標的になる、軍隊は市民の命を守らない—沖縄戦で歴史が証明したことだ。だからこそ、この抵抗は止まない。この国は、今、何を失おうとしているのか。映画は、伝えきれない現実を観るものに突きつける。

歌い、踊り、咲き誇る文化の力。「最前線」に集まる人々、新たなる希望。監督は『標的の村』『戦場ぬ止み』の三上智恵。大学で民俗学も講じる三上が描くのは、激しい抵抗や衝突だけではない。エイサー、パーントゥ、アンガマ、豊年祭。先祖から子孫へと連なる太い命の幹、権力を笑い飛ばし、豊穣に歓喜する農民の誇りと反骨精神。島々の自然と歴史が育んだ豊かな文化がスクリーンに咲き乱れる。

そして、県民大会で古謝美佐子が歌う「童神(わらびがみ)」、辺野古のゲート前でかき鳴らされる三線の音色。高江のテントで「兵士Aくんの歌」を歌う七尾旅人のまわりには全国から駆けつけた若者たちの姿があった。この一年で安全保障政策を大転換したこの国で、平和と民主主義を守る闘いの「最前線」はどこか? それに気づいた人々が、今、沖縄に集まっているのだ。

映画のタイトル『標的の島 風かたか』には様々な意味が込められています。名護市長の言葉は被害女性に対する「風かたか」でしたが、この映画のモチーフとして軍事戦略上の「風かたか」にされている沖縄のことを指し、軍事施設があれば真っ先に標的にされていく脅威について問題提起しているタイトルだと言えます。

そして、映画を紹介した文章の冒頭に赤字で強調されているとおり「標的の島」は沖縄にとどまらず、日本列島そのものを指していることについて認識していかなければなりません。アメリカにとって日本列島自体が「風かたか」であり、敵対する国々からすれば標的にすべき島であることを示唆しています。

基地を抱える沖縄の負担、一方で基地建設によって街が活性化することを歓迎する住民も少なくない現状など、いろいろ取り上げたい問題があります。ただ今回、間口を広げた記事タイトルにしているため、映画に絡んだ内容は絞り、2年前の記事「不戦を誓う三多摩集会、2020年冬」に掲げた下記のような問題意識だけ改めて紹介させていただきます。

「不戦を誓う集会」などに参加し、いくつか気になることがあります。まず憲法9条を変えさせない、憲法9条を守ることが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという言葉や論調の多さが気になっています。北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素があるけれど、憲法9条を守ることが必要、このような説明の少なさが気になっています。問題意識を共有化している参加者が圧倒多数を占めるため、そのような回りくどい説明は不要で単刀直入な言葉を訴えることで思いは通じ合えるのだろうと見ています。

しかし、その会場に足を運ばない、問題意識を共有化していない人たちにも届く言葉として「憲法9条を守る」だけでは不充分だろうと考えています。以前の記事「平和への思い、自分史 Part2」の中で綴った問題意識ですが、誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。

上記のような問題意識はロシアのウクライナ侵攻によって、ますます乗り越えなければならない切実な関係性だと認識するようになっています。このような問題意識を強める中、昨日、政府は今後10年程度の外交・防衛政策の指針となる「国家安全保障戦略」、防衛目標を実現するための方法と手段を示した「国家防衛戦略」、防衛費の総額やどのような装備品を整備するかを定めた「防衛力整備計画」など安保関連3文書を閣議決定しました。

戦後、政府が一貫して「持たない」と判断してきた「反撃能力」の保有を明記するなど日本の安全保障政策を大きく転換する閣議決定でした。それにも関わらず、与党税制改正大綱と同日に決めるタイミングとなり、2023年度から5年間の防衛費総額を約43兆円とするための財源確保の問題ばかりが大きな注目を集めていました。

ブックマークしているジャーナリストの鮫島浩さんの記事防衛費財源は「増税か、国債か」の財政論争に惑わされるな!間違っているのは防衛費を倍増させる安全保障政策だ!』に掲げられているような根本的な視点が欠けたまま、日本の安全保障政策が大きく変容していくことに危機感を強めています。

私はウクライナ戦争から学ぶべき教訓を完全に間違えていると思う。ウクライナに侵攻したロシアは確かに悪い。ただ、外交の究極の目的は戦争の回避であるという立場からは、ロシアの軍事侵攻を招いたウクライナは外交に失敗したともいえる。

ウクライナはロシアを仮想敵として米国から大量の武器を購入した結果、逆にロシアの警戒感を高めて軍拡競争をあおり、軍事的緊張を高めてしまった。防衛費の増額はロシア軍の侵攻を食い止めるどころか、むしろ誘発したのである。単なる無駄遣いにとどまらず、安全保障政策上も失敗だったのだ。

同じ構図は東アジアでも当てはまる。日本は防衛費を増額して米国から敵基地攻撃能力のあるトマホークなどミサイルを購入する予定だ。米国の軍需産業を潤わせ、東アジアの軍事的緊張を高めるだけだろう。憲法の専守防衛を逸脱するという違憲性の問題だけではなく、安全保障政策としても逆効果だ。

大事なのはミサイルを撃たせない、軍事的緊張を高めない外交努力である。防衛費を大幅増額すれば日本を守ることができるという発想自体が間違っている。大切なことは東アジアの軍事的緊張を高めないことだ。最初にこの点は指摘しておきたい。

上記の鮫島さんの問題意識のとおり今回の安保関連3文書に示されているような方向性が、国民の生命や暮らしを守ることに直結していくのかどうか、根本的な議論が決定的に不足しているものと思っています。そもそも反撃能力を保有し、43兆円を費やせば実効ある抑止力を担保できるのかどうかも疑問です。

もちろん中国や北朝鮮こそが軍拡の動きを自制すべきであることは理解しています。しかしながら「安全保障のジレンマ」という言葉があるとおり疑心暗鬼につながる軍拡競争は、かえって戦争のリスクを高めかねません。いずれにしても脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。

鈴木宗男氏 ロシア配慮発言を繰り返す理由を明かす「戦争は双方に言い分がある」』という記事にも目を留めていました。前々回記事「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」の中で記していますが、ロシアの軍事進攻前であれば、戦争は絶対回避するという目的を最優先事項とし、そのような主張に賛意を示せます。

だからこそ戦争に至る前の段階で「双方の言い分」に耳を貸していく外交努力をはじめ、国連という枠組みの中での英知が結実していくことを心から願っています。日本列島を「標的の島」としないためにはミサイル基地を叩く力よりも、ミサイルを発射する「意思」を取り除く関係性の構築こそ実効ある安全保障政策の道筋だと考えています。

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2022年12月10日 (土)

連合地区協役員も退任

サッカーのワールドカップは終盤を迎えています。残念ながら日本代表は悲願だった準々決勝進出まで、あと一歩及びませんでした。「にわかサッカーファン」の一人である私も睡眠時間を調整しながら日本戦の全試合をリアルタイムで観戦しました。まさしく一喜一憂の結果をたどった訳ですが、日本代表メンバーの健闘に胸を熱くしていました。

さて、1か月前の記事組合役員を退任」の中で「青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができました」と記しています。青年婦人部幹事の1年目は名前だけの「幽霊役員」だったため、組合役員になってから40年余りという曖昧な数え方をしていました。

執行委員長の在任年数はしっかり数え、18年間だったことを明らかにしています。委員長に選ばれた翌年の8月からブログを始めていたため、2004年11月の定期大会から務めていることが把握しやすくなっていました。ちなみに右サイドバーの下のほうに掲げられた「ココログ」のロゴマーク下の「2005/08/16」は、このブログを開設した日を示しています。

連合地区協議会の役員は委員長になった定期大会の翌月12月から務めていました。会計監査、副議長、議長代行、最後の1年は再び副議長を担ってきました。先週火曜日の地区協委員会で退任し、単組の委員長と同様に18年間務めてきたことになります。

その日をもって組合役員としての今までの肩書きは、すべて取れたことになります。地区協委員会当日、初対面だった来賓の連合東京の方々と挨拶を交わした際には「肩書きが前執行委員長となりますが」と一言添えながら名刺をお渡ししていました。

地区協委員会の最後のほうで、私から退任にあたっての挨拶をさせていただきました。いろいろな思いが頭の中に浮かび、たいへん恐縮ながら割り当てられた1分という時間は守れませんでした。

地区協委員会の議長を私どもの組合の新委員長が引き受けていました。議長席に座る新委員長にバトンを渡したという絡みから退任挨拶の冒頭で、映画そして、バトンは渡された』の話を11月11日の定期大会で触れたことを紹介しました。

素晴らしい映画ですが、今一つ知名度がないのか、地区協委員会に参加された皆さんからの反応も鈍かったようです。ただ定期大会当日も滑り気味だったことを申し添えることで、笑いを誘うことができていました。

退任挨拶の中で最も強調させていただいた点は連合という枠組みの貴重さです。連合地区協役員を務めたことで自治労という枠組みを越え、幅広い産別の組合役員の皆さんと交流をはかれる機会に恵まれました。特に民間企業に働く多くの皆さんと知り合え、たいへん貴重な経験を重ねることができました。

さらに前々回記事近況から思い出話まで」に綴ったとおり連合地区協役員を務めたからこそ、幅広い政治的な立場の推薦議員の皆さんと懇談する機会にも恵まれました。安保法制の是非が取り沙汰されていた時には、民主党の衆院議員時代の長島昭久さんと率直な意見を交わしていたことも退任挨拶の中で触れていました。

そのような中で、特に印象深かった連合地区協の過去の取り組みを3つ上げさせていただきました。2005年11月の特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんによる「拉致問題を考える」学習会、2007年12月には衆院議員だった山本譲司さんの講演塀の中から見た日本の福祉」、2019年7月には福島第一原発の現状」を視察研修したことです。

1分という割り当て時間ですので退任挨拶の中で内容については詳述していません。それぞれ当ブログの記事としてまとめていますので、興味を持たれた方はリンク先をご参照いただければ幸いです。いずれにしても連合地区協だからこそ、柔軟な発想で幅広い切り口から取り組めた課題だったものと受けとめています。

いつも申し上げていることですが、より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に接していくことが極めて重要です。そのような趣旨から私自身にとって、連合地区協の役員を担えたことは非常に貴重な機会だったことを伝えた上、各産別の皆さんに感謝の意を表させていただきました。

このような貴重な経験や交流は、私どもの組合の活動や組合員の皆さんに対してもフィードバックできるように意識してきたことを申し添えていました。退任挨拶の原稿は用意していませんでしたので、実際の言い回しなどは異なっていますが、地区協委員会で訴えさせていただいた要旨は以上のとおりでした。

今回、前回記事「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」から一転して「連合地区協役員も退任」というローカルな話となりました。最後に近況報告です。組合活動との距離感を見計らってきましたが、4年前の記事「再び、組合役員の担い手問題」の中で創設したことを伝えていた協力委員を引き受けることにしました。

退職する訳ではなく、組合員として残っているのであれば「協力できることは協力していこう」と考えたところです。バトンを渡した新委員長とも話し、そのように判断したため、さっそく来週月曜夜に開かれる「不戦を誓う三多摩集会」には協力委員の一人として参加する予定です。

組合役員を退任」という流れからすれば驚かれた方や違和感を持たれた方もいらっしゃるかも知れません。協力委員は定例の執行委員会や労使協議の場には関わりませんので、重圧感は大幅に緩和されています。そのような位置付けのもと新委員長らに煙たがられない適度な距離感で、できることを協力していければと考えています。

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2022年12月 3日 (土)

『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと

このところ組合役員を退任最後の定期大会リスタートの一週間近況から思い出話まで」というローカルでマイナーな記事が続いていました。今回はウクライナでの戦争を受けとめ、いろいろ思うことを書き進めてみるつもりです。10月に投稿した記事「旧統一教会と自民党」の冒頭では次のように記していました。

ウクライナでの戦争が続いています。日常が一転して生命の危機を脅かす非日常に追いやられたウクライナの人々の恐怖と絶望は想像を絶するものだろうと思います。最近『ウクライナにいたら戦争が始まった』を読み終え、そのような恐怖をわずかでも追体験しています。機会を見て「『ウクライナにいたら戦争が始まった』を読み終えて」という記事を投稿できればと考えています。

今回の記事タイトルは「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」としています。書籍の内容の紹介にとどめず、ウクライナでの戦争から派生している時事の話題などにもつなげてみようと考えているからです。

戦争なんて、遠い世界の話だと思っていた。単身赴任中の父と3か月を過ごすため、高校生の瀬里琉唯は母・妹とともにウクライナに来た。初日の夜から両親は口論を始め、琉唯は見知らぬ国で不安を抱えていた。キエフ郊外の町にある外国人学校にも慣れてきたころロシアによる侵攻が近いとのニュースが流れ、一家は慌ただしく帰国の準備を始める。

しかし新型コロナウイルスの影響で一家は自宅から出ることができない。帰国の方法を探るものの情報が足りず、遠くから響く爆撃の音に不安と緊張が高まる。一瞬にして戦場と化したブチャの町で、琉唯は戦争の実態を目の当たりにする。

上記はリンク先に掲げられている書籍の紹介文です。フィクションという位置付けですが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を女子高生の視点で綴り、凄絶な体験を描いた「実録的」小説となっています。

最初の頁には「状況と日時、各事態の発生場所に関し、現在までの情報を可能な限り網羅し、また帰国者の証言などを併せ、できるだけ正確を期した。瀬里琉唯という女子高生の視点で綴られているが、私たち日本人の誰にでも、突然起こりうる問題としてお読み頂ければ幸いである」と記されています。

したがって、そこに描かれている出来事は実際に起こった現実であるという生々しさを感じ取りながら読み終えていました。特に読み進める中で真っ先に感じたリアリティさがあります。新型コロナウイルス感染症の対策も軽視できない日常が続いている中での戦争だったという点です。

密閉された環境で密集して隠れていなければならなかった人々、感染症が猛威をふるっているような事態であれば、戦争のもらたす悲劇はいっそう倍加していくことになりました。物語の展開の中で、日本に帰国するため、空港までたどり着きながら主人公の家族は搭乗することができませんでした。

主人公の妹が検疫の結果、新型コロナの陽性の疑いがあり、空港から追い出されて帰宅を命じられてしまったからです。2月16日のことでした。新型コロナの感染拡大がなければ、家族は戦火に巻き込まれることなく、帰国できていたという不条理な物語の展開でした。

銃弾の嵐が襲ってくる。甲高い悲鳴が響き渡り、群衆は大混乱となった。わたしたちは急流に押し流されるも同然に、避難する人々の波に呑まれた。転倒する隙間すらない。なおも機関銃の乾いた掃射音が鳴り響いた。複数の絶叫が間近に迫った。被弾が近い。

ウクライナから出国できなかった家族は生命の危機と背中合わせの逃亡を強いられます。侵攻当初、ロシア側はウクライナ国内のロシア系住民を大量虐殺から解放するために必要な「軍事作戦」であり、ウクライナと戦争はしていないという詭弁を繰り返していました。

しかしながら病院や学校など民間施設も含む無差別攻撃だったことは明白な事実であり、二重三重にもロシアが国際法を逸脱した戦争犯罪を重ねていることを厳しく指弾しなけれればなりません。それにも関わらず、小説の最後のほうで在ポーランド日本国大使館の職員は次のような言葉を発していました。

まだロシア軍と決まったわけじゃないので。滞在しておられた地域に、武装勢力が攻めてきたのは事実でも、その正体ははっきりしないわけで。今回は大変だったと思いますが、海外にもいろいろありますのでね。さっき検問所でも申しあげましたけど、なにがあったかは、お友達にも内緒にしていただけないかと。

ポーランドを経て日本に帰ることができるようになった主人公たちに投げかけられた大使館職員の言葉は、たいへん違和感があるものでロシア側を刺激しないために過剰な配慮を示したものでした。事実関係を下敷きにした小説であるため、侵攻当初、このように外交関係者は及び腰だったのだろうと推察しています。

一方で、主人公は「もう誰にもこんな過酷な目に遭ってほしくない、だからこそ記憶を共有したい。みな耳を傾けようとしなくても、語るのをやめてはならない」という思いを強めていました。小説の最後には主人公が手にした新聞の内容について触れられ、作者の松岡圭祐さんの思いを感じ取ることができます。

プーチン大統領の側近による主張が載っていた。ロシアとの国境付近で、ウクライナが生物化学兵器を開発、米国防総省が資金援助した形跡がある。それが侵攻の理由ひとつだという。社説には、ロシアがいきなり攻撃するのは奇妙と書かれていた。理由があったはずだ、悪ときめつけるのはまちがっている、社説を要約すればそうなる。

別の記事には、ロシアもウクライナもどちらも悪い、戦争はよくないとあった。暖房の効いた部屋で、昼食を終えたのち、これらの記事は書かれたのだろう。わたしが見聞きしたものとは、なにもかもちがっていた。

ここからは書籍の内容から離れた話題につなげていきます。戦争を避けたいという思いは誰もが同じであるはずです。その上で、ウクライナで起こっているような戦争をどうすれば防げるのか、問われ続けられている重要な命題です。

主人公が手にした新聞のような論調は、あまり見かけなくなっています。しかし、前々回記事「リスタートの一週間」の中で紹介した森元総理の『ゼレンスキー氏を批判 「ウクライナ人苦しめた」』という報道に触れた時は「またか」という思いとともに呆れていました。ロシア寄りの見方を堂々と披露できる方が元総理で、政界引退後も各方面に大きな影響力を発揮してきていることは非常に残念な話だと言えます。

この森元総理の発言に対し、自民党の片山さつき参院議員は「鈴木宗男先生のパーティーの場、一定の国際情勢を作ってきた信頼関係の上での発言だ」と擁護していました。その鈴木参院議員に至っては「先に手を出したのが悪いが、原因を作った側にも一抹の責任がある。一方的にロシアを悪者にするのは不公平」と主張しています。

このような言い分は殺人や強姦を犯した者が悪いが、被害者にも一抹の責任があるという主張と同じ理屈になりかねません。軍事進攻前であれば、戦争は絶対回避するという目的を最優先事項として、国益の最適化をめざしながら相手方の主張に耳を貸していく外交交渉の重要さを私自身も強く支持する立場です。

しかしながらロシアは国連憲章に違反し、軍事力で他国の領土や主権を侵しています。そのため、国際社会の定められたルールは絶対守らなければならない、守らなければ甚大な不利益を被る、このことをロシアのプーチン大統領に思い知らせなければ帝国主義の時代に後戻りしてしまう危惧さえあります。

戦争が一刻も早く終わることを願いながら多くの国々が結束し、ロシアに圧力を加え、ウクライナを支援している構図は非常に重要な関係性です。国際社会の結束は、ロシアと同じように軍事力で「自国の正義」を押し通そうと考えていた権力者の「意思」に大きな牽制効果を与えるはずです。

大地震や感染症など自然界の脅威は人間の「意思」で抑え込めません。しかし、戦争は権力者の「意思」や国民の熱狂によって引き起こされるため、人間の「意思」によって抑えることができるはずです。そもそも脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると言われています。

鈴木参院議員のパーティーの場で、森元総理は「安倍さんさえ生きていればウクライナ戦争は収められたのに」という見方も示していました。プーチン大統領に対し、安倍元総理は「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」という言葉を贈るほどの親密ぶりが有名でした。

森元総理の見立てが正しく、安倍元総理がプーチン大統領の「意思」を変えられる可能性を持っていたのであれば本当に偉大で有為な政治家を失ってしまったことになります。ただウクライナ侵攻で露呈「安倍政権の対露外交」の大き過ぎる罪』という記事が伝える下記のような内容からは、その可能性は信憑性の薄いものだったと思わざるを得ません。

安倍元首相は自身の政権下でなんと11回訪露し、プーチン大統領とは計27回の首脳会談を行っている。

「ロシアがウクライナ国境に軍隊を集結させていた昨年末から、安倍元首相に対し、この緊張時に政治的役割を果たすべきという期待がありました。が、なにもできなかった。やったことといえば、自身の派閥会合で、『岸田首相がプーチン大統領と会談することになる。日本の立場を説明し、この事態が平和裏に解決される努力をしなければならない』と、他人事のように注文するだけでした」(安倍周辺議員)

「いまの俺は首相という立場ではないのだから関係ないね」といわんばかりの対応に、党内でも失望が広がった。政権を去ったあとも、世界平和に尽くすため外交特使として老骨にむち打ったカーター元米大統領らとはほど遠い、日本の「有力政治家」の実情だ。

その一方で、プーチン大統領との対話への期待を裏切る形となっていた安倍元総理はウクライナでの戦争を受け、 核共有に向けた議論を提起するなど軍事力強化の必要性を声高に訴え始めていました。防衛費「対GDP比2%」へ倍増、反撃能力に関する議論の先鞭を着けた有力な政治家の一人となっていました。

安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立させることが重要です。抑止力、ハードパワーに偏った場合、敵対視されている側は挑発行為ととらえ、疑心暗鬼のもと一触即発の事態につながるリスクが高まることも考えられます。

加えて、際限のない軍拡競争は必然的に国家予算を逼迫させていくことになります。このあたりについては4年前の記事「平和の話、サマリー」を通し、歴史を振り返る中で広義の国防や安心供与について次のとおり説明していました。

広義の国防と狭義の国防という言葉を『ロンドン狂瀾という書籍を通して知りました。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことをその書籍で知りました。

軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義を改めて理解していました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができるという話です。

加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。

「『ウクライナにいたら戦争が始まった』から思うこと」という記事タイトルのもと非常に長い記事内容となっています。主人公の「もう誰にもこんな過酷な目に遭ってほしくない」という願いがかなうためには、どのような「答え」が正解に近付くのか、今、岸田政権の進めている動きが望ましいことなのかどうか、 私たちに問われています。

実は小林よしのりさんの『ウクライナ戦争論』も読み終えていたため、少し触れてみようと考えていました。たいへん長い新規記事となっているため、ここで今回は一区切り付け反撃能力の是非、識者に聞く』という記事に綴られた論点の紹介をはじめ、機会を見ながら改めて取り上げさせていただきます。

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