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2022年11月26日 (土)

近況から思い出話まで

先週火曜日から年末ジャンボ宝くじの発売が始まっています。買わない限り、7億円の夢は見れませんので年5回のジャンボ宝くじは、ほぼ毎回3千円だけ買い続けています。発売開始日のニュースに触れ、ハロウィンジャンボのことを思い出し、今回も300円の当せんを確認したところでした。

サッカーのワールドカップはカタールで開幕しています。北半球では初めての冬の開催です。『買収疑惑や人権問題、カタールW杯に渦巻く批判』といわくつきの大会ですが、日本のメディアからあまり批判的な論調は聞こえてきません。

ブックマークしている弁護士の澤藤統一郎さんのブログでは『「W杯・開会式放送せずのBBC」と「大はしゃぎのNHK」、どうしてこんなに違うのか。』という記事を投稿されていました。政治的な問題とスポーツを切り離すことも必要ですが、批判的な声があることを同時に伝えていくことはメディアの責務だろうと思っています。

そのようなことも意識しながらピッチに立った選手たちの全力プレイに声援を送っています。水曜の夜、日本の初戦は優勝4回を誇る強豪ドイツでしたが、見事な逆転勝ちで勝ち点3を獲得しています。ワールドカップは4年ごとの開催のため、いつも私が勤めている市の議員選挙の年と重なっています。

このブログでは2006年6月のドイツ大会の時に豪州戦は残念、でも市議選は!」という記事を投稿していました。「勝ち点3は何とか取れたかなと思い始めた矢先、残り10分弱で3点も奪われる逆転負けの悪夢…。」という記述が残されています。

さて、前回の記事は「リスタートの一週間」でした。連合地区協議会の役員は12月まで引き受けているため、組合役員の任務として激変緩和的な期間となっていることを伝えていました。そのため先週日曜午後には連合地区協議会の幹事会・学習会・議員懇談会に参加しています。コロナ禍の前は宿泊で取り組まれていた催しでした。

連合地区協の幹事会は12月にもありますが、議員懇談会の参加は今回が最後です。新規記事のタイトルを「近況から思い出話まで」とし、過去のブログ記事をいくつか紹介していきます。連合地区協が推薦している議員の皆さんとの懇談会で思い出すのは、民主党の衆院議員時代の長島昭久さんと率直な意見を交わしていたことです。

2015年は安保関連法の是非が大きく焦点化されていました。そのような年、議員懇談会に参加された長島さんと直接意見を交わした内容を「憲法の平和主義と安保法制」の中で報告していました。その記事の最後に私自身の思いや問題意識を次のように綴っていました。

今回の分かりやすい説明を伺い、民主党の中に長島さんは改めて欠かせない人材だと思っています。安保関連法案に対し、私自身のスタンスとすべて一致している訳ではありませんが、問題が多い法案だったという認識を共有でき、たいへん心強くしています。ただ対案を出すことを長島さんは重視されていましたが、あまりにも違憲の疑いが高いため、国会の最終盤、岡田代表らの廃案に絞った判断を私自身は支持していました。圧倒的な与党の数の前に対案を出すことで法案成立を後押しするような見られ方があったことも間違いないようです。

長島さんは「今の民主党では政権交代できない、誰もがそう思っているはず」と話されています。私自身もその通りだと思っています。ただ単なる看板の付け替えや数合わせの野党の再編だった場合も同様だろうと思います。民主党政権の失敗は広げ過ぎた公約の問題であり、党内のまとまりのなさが原因だったように見ています。そのため、大事なことは立憲主義や平和主義、国民の生活重視など大きな理念で一致し、自民党との違いを明確に示した軸のもとの結集が欠かせないのではないでしょうか。

野党になった自民党が、わずか数年でここまで復活することを誰も想像できなかったはずです。民主党も同じように立ち直せる可能性があるはずです。再び政権交代をめざすためには理念や目標を高く掲げる一方、具体的な政策の実現に向けては現状から一歩一歩踏み出す手順を重視することの必要性を感じています。国民受けする政策や約束を広げ過ぎず、政権を担った時の経験や教訓を踏まえた政党としての信頼感が高まるよう努力して欲しいものと願っています。

ちなみに紹介した上記の記事や「もう少し集団的自衛権の話」に対し、長島さんご本人からコメントもお寄せいただいていました。たいへん残念ながら現在、長島さんは自民党の衆院議員となっています。2017年4月に当ブログでは「長島昭久さんが民進党を離党」という記事を投稿していました

日曜午後の幹事会の後、SDGsボードゲーム を利用した学習会が開かれています。リンク先のサイトに掲げられている下記の説明のとおり楽しみながらSDGsについて知識を深める貴重な機会となっていました。3グループに分かれて取り組んだため、事務局長の組合から3名の方の応援を得ていました。改めてありがとうございました。

このSDGsボードゲームは、SDGsに関する取り組み事例を分かりやすく、かつ楽しみながら学ぶツールとして、未来技術推進協会が開発したオリジナルボードゲームです。SDGsに関する世界の課題解決事例を楽しく学びながら「SDGs達成」と「自己成長」を目指します。大人から子供まで、SDGsの理解だけでなく、協力の大切さや広く深く考える思考力、現場感や課題感を養うことができます。

SDGsの各ゴールのスコアは、環境・社会・経済に関するミッションカードを実施することで上げられます。ミッションカードには、実際に取り組まれたSDGsに関する事例が、課題・解決策という形でまとめられており、楽しく事例を学ぶことができます。よりリアルな体験をしていただくため、トレードオフの関係でSDGsのスコアがダウンする場合や、実施に必要な役割を指定している場合もあります。

月曜午後は休暇を取って連合三多摩地協委員会に参加しています。こちらは私自身にとって最後の参加となっていました。これまで組合活動のために休暇を取得する機会が頻繁にありました。これからは自分中心のスケジュールで休暇を取れるため、誘われれば平日のゴルフも多くなるのだろうと思っています。

連合三多摩の地協委員会の特色は来賓の多さです。推薦している首長や議員が多いことの表れで、挨拶の時間は1時間以上続きます。参加者が組合役員中心であり、そのことを苦にするような雰囲気はなく、多くの来賓の方々の言葉を伺える貴重な機会になっているものと受けとめています。

全体を通し、印象に残った言葉がありました。司会の方が最後に添えた「価値を認め合う」という言葉です。このブログでは分かり合えなくてもいろいろな「答え」を認め合うことの大切さを訴えてきています。そのような共通項があったため、多様な価値観を認め合っていくという言葉に心を留めていました。

冒頭の挨拶で連合三多摩の議長は「7月の参議院選挙の反省に立ち、我々が支援する政党が一つになっていくことが必要。来年4月の統一地方選挙は、推薦候補全員の必勝に向け取り組んでいく。そして産別の枠を超え、心あわせ・力あわせで三多摩で働き、住んで良かったと言える運動を展開していきたい」と決意を語られています。

さらに議長は私自身の問題意識と同様、選挙で推薦候補の勝利をめざすことは「組合員のため」を目的にした取り組みであるという点についても強調されています。そのためにも連合がまとまって応援できる政治的な枠組みは必要であり、現状について憂慮された議長の発言でした。

私自身にとって最後の地協委員会に参加し、2012年11月の記事「多忙な日々、気ままに雑談放談」を思い出していました。ちょうど10年前の連合三多摩地協委員会で、私は議事の後半の議長を務めました。議長を退任する際、次のような思いを訴えていました。

当時のブログ記事には「脇役であるべき議長の退任の挨拶としては少し気負いすぎていたことを反省しています」とも記していました。「近況から思い出話まで」という新規記事の最後に、今も基本的に変わっていない当時の思いを紹介させていただきます。

解散した日に行なわれた野田首相の記者会見の中で、三つの言葉が強く印象に残りました。一つは連合が力を注いできたテーマを表した「働くことを軸として、安心できる社会を作っていく」であり、あと二つは「2030年代に原発をゼロにする」「強い言葉で外交・安保を語る風潮が強まってきたが、極論の先に解決策はない」という言葉です。個人的な思いとして、この三つの言葉こそ他党との明確な対抗軸になっていくものと考えています。

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2022年11月19日 (土)

リスタートの一週間

このブログに関わるのは土曜か日曜と決めているため、ツイッターのように日々の思うことをタイムリーに発信していません。そのため、今回も記事タイトルとは直接絡みませんが、最近、気になった時事の話題の紹介から入らせていただきます。

前回記事の冒頭で紹介した葉梨前法相と同様、政治家としての資質が非常に気になった事例です。維新・中条きよし参院議員、国会質問で新曲PRし炎上状態「完全にアウト」「国民を愚弄」の声』という報道のとおり国会の委員会の場で、自分の新曲やディナーショーを宣伝した中条参院議員が強い批判を浴びていました。

さらに驚いたのは『「宣伝と知らず」PR謝罪も「ラストディナーショーです、と言うとまた宣伝になる?」』という記事が伝えているとおり「こういうことを言っちゃいけない、ああいうことを言っちゃいけないというのを正直言って把握していないので」と釈明していたことです。

政治家、それも国権の最高機関である国会の議員としての発言の重さに対し、ごく常識的な判断を備えていなかったことが露呈した謝罪会見だったと言えます。新人議員を育成する仕組みの脆弱さも気になっていましたが、それ以前の問題として本人の資質よりも政党の看板で当選できる選挙制度の問題性が改めて顕著になった事例だったのだろうと思っています。

中条参院議員は「また宣伝になる?」と心配されていたようですが、結果的に不適切な発言によって新曲とディナーショーが大きな注目を集めたことになります。既定方針通り芸能界を引退し、国会議員を続けるのであれば新曲の発売やディナーショーを中止することが、今回の問題の責任の取り方ではないかと考えています。

さて、ここからが本題です。前々回記事が「組合役員を退任」で 前回記事は「最後の定期大会」でした。定年退職を迎えた時同じ部署で同じ職責のもとに再任用として続けています。3月31日と4月1日で職場環境に変化はなく、大きな節目であったことに間違いありませんが、卒業式を迎えた時のような感傷的な思いはありませんでした。

今回の組合役員の退任は、その時と比べられないほど環境の激変につながる大きな節目でした。そのため「リスタートの一週間」という記事タイトルを付け、新規記事に向き合っていました。リスタートとは「再出発」や「再起動」という意味があります。11月11日の定期大会を終え、自分自身はもちろん、私どもの組合にとっても再出発の一週間でした。

少し前まで退任後は組合事務所になるべく顔を出さないほうが良いのだろうと思っていました。これまで朝、昼休み、夕方、必ず組合事務所を訪れ、メールチェックや書類の決裁をはじめ、必要な組合業務に携わってきました。この習慣がなくなることで、日々の行動パターンは激変するのだろうと見込んでいました。

ただ前回記事の中で記したとおり連合地区協議会の役員は12月まで引き受けています。それまで連合絡みのメールが私あてに届くため、しばらくは組合事務所に出向くことにしています。新委員長らには年明けまでにフェードアウトしていく予定であることを伝えていました。

リスタートの一週間、これまで通り朝と昼は組合事務所に顔を出し、日常の行動パターンで言えば激変緩和的な日々となっていました。一方で、夕方のスケジュールは激変しています。賃金・一時金の団体交渉は火曜の夜遅くまでかかり、木曜の夜には第1回執行委員会が開かれていました。

新しく執行委員になられた方にとって、いきなり激務の一週間で戸惑われていたかも知れません。私自身、そのような日程の関わりから外れ、労力的にも精神的にも開放感に浸れています。これまで自らの判断で組合役員を担ってきていたため、束縛からの解放感ではなく、清々しい意味合いでの開放感という言葉を使っています。

毎日、何かしら予定が入っていた組合役員を離れ、組合員の方から「寂しくないですか?」と尋ねられた時は「寂しさが少しあっても安堵感のほうが大きいですね」と答えています。「これまで忙しかったから時間を持て余してしまうのではないですか?」と尋ねられた時は「ゴルフなど趣味の時間を増やします」と答えていました。

日常の行動パターンの激変緩和という意味合いで考えれば、このブログへの関わり方もその一つです。前々回記事の最後に「委員長に選ばれた翌年の8月からブログを始めています。委員長を退任し、組合役員から離れた後も当ブログは続けていくつもりです」と記していました。退職まではタイトルも「公務員のためいき」のままとし、プロフィール欄だけ手直しする予定であることを伝えていました。

自治労に所属している市職員労働組合の執行委員長を務めていました。誰でも簡単にできるブログと出会い、公務員側の言い分や組合の立場について投稿を重ねてきています。コメント欄はオープンな場としています。幅広い立場の方々からの投稿を歓迎していますので、ぜひ、お気軽にコメントをお寄せください。

上記の「自己紹介文」の後に「お願い」が続きますが、「執行委員長を務めていました」と過去形に改めた程度で全体的に大きな手直しはしていません。組合役員を退任していますので、リアルタイムの組合活動について触れることは少なくなるはずです。これまでも個人の責任で運営してきたブログでしたが、よりいっそう今後は私的な思いの情報発信が中心となります。

不特定多数の方々に不確かな情報は発信できないため、一つ一つの言葉や表現を吟味するように心がけています。先ほど記した開放感と解放感の違いについても曖昧だった知識を整理する機会につながっていました。このように毎週1回、ブログを更新していくことは自己啓発の機会でもあり、市役所を退職した後も「元公務員のためいき」(笑)として続けていければとも考えています。

プロフィール欄に記しているとおり公務員側の言い分や立場を発信することを目的に当ブログを開設していました。大阪市職員の厚遇問題などで公務員バッシングが高まっていた時期でした。そのためブログのサブタイトルに「逆風を謙虚に受けとめながら雑談放談」を掲げ、改めるべきことは改める一方で、主張すべきことは主張していく場として続けてきました。

同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。

上記は今年2月に投稿した「多面的な情報の大切さ」をはじめ、多面的というタイトルを付けた記事内容の中に掲げている一文です。より望ましい「答え」を見出すためには幅広い情報や考え方に触れていくことが重要であるため、このブログが多面的な情報を提供する場として受けとめていただけることを願いながら続けています。

最近はコメント投稿そのものが少なくなっていますが、これまで当ブログのコメント欄には幅広い立場や視点からのご意見等が毎週多くの皆さんからお寄せいただいていました。そのような幅広い情報を得る機会が残念ながら減っている現状ですが、私自身の主張も多面的な情報の一つとしてご理解願えれば幸いです。

冒頭で気になったニュースを紹介したように幅広い情報を拡散することをはじめ、私自身の思いを不特定多数の皆さんに発信していくことが背伸びしない一つの運動として位置付けています。そのため、これからも時事の話題や書籍等を紹介しながら政治や平和に関わる話も多く取り上げていくのだろうと思っています。

多面的な情報の一つとして最新の時事の話題も紹介させていただきますが、『森元首相がゼレンスキー氏を批判 「ウクライナ人苦しめた」』という報道には「またか」という思いとともに呆れています。ロシア寄りの見方を堂々と披露できる方が元総理で、政界引退後も各方面に大きな影響力を発揮してきていることも残念な話だと言えます。

このように組合役員は退任しましたが、ブログに関しては投稿間隔と同様、取り上げる題材もあまり変わらないまま続けていくつもりです。ぜひ、これからもお時間等が許される際、お気軽にご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

最後に、前回記事に対し、北海道のとある自治体の元執行委員長さんから「長い間お疲れ様でした。組合は必要か?自問自答している時に、いつも背中を押してもらってました。本当にありがとうございました」というコメントをお寄せいただきました。このような言葉を頂戴でき、ブログを続けてきたこと、これからも続けていくことの大きな励みとなっています。こちらこそ本当にありがとうございました。

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2022年11月12日 (土)

最後の定期大会

記事タイトルに掲げたローカルな話に入る前に時事の話題を紹介します。『葉梨法務相「複数回同趣旨の発言」認め撤回「票とお金に縁がない」発言も撤回 “死刑のハンコ”発言』というニュースですが、死刑を命じる法相の職責の重さに対する無自覚ぶりに元法相や元刑務官らから「一発アウトの発言」だと見られていました。

失言や「切り取り報道」というレベルの問題ではなく、葉梨法相は不適切さの認識がないまま受け狙いの枕詞として多用していたようです。そうであれば、なぜ、ここまで大きく取り上げられる前に諫める人がいなかったのか、話を聞いた人たちの感度の鈍さや配慮の至らなさにも驚いていました。

さらに『また遅れた首相の判断 与党幹部が進言しても動きが鈍かった官邸』という記事によると、いったん岸田総理は葉梨法相を続投させることを決めていたと伝えています。結局のところ批判がやまず、ようやく事実上の更迭を決めたという報道を耳にすると、岸田総理自身の感度の鈍さや官邸チーム力の機能不全ぶりが露呈した一件だったと言えます。

さて、前回記事は「組合役員を退任」でした。先週水曜の夜、最後の執行委員会に出席しています。同日、賃金・一時金の団体交渉もありました。その交渉において早期決着をはかり、決着できない場合は翌週の自治労都本部の統一闘争の山場まで交渉を継続する構えで臨んでいました。残念ながら私どもの市独自の継続課題である住居手当の問題で平行線をたどり、賃金・一時金交渉そのものが決着できませんでした。

次回の団体交渉は火曜夜に予定し、新執行部体制で臨みます。その場に私は参加できないため、できれば私自身にとっての最後の団体交渉で決めたかったところです。たいへん厳しい局面が続く見通しであり、心苦しいところですが、決着点を見出す努力は新委員長らに託すことになりました。

金曜の夜、私自身にとって大きな節目を刻む定期大会が終えました。青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り、執行委員長としては18年間、たいへん長かった組合活動から退く日を迎えていました。組合員としては残るため執行委員会や団体交渉とは異なり、正確に表現すれば組合役員としての最後の定期大会でした。

9年前に「定期大会の話、インデックスⅡ」を投稿し、それ以降「定期大会を終えて、2016年秋」「定期大会を終えて、2017年秋」「定期大会を終えて、2018年秋」「定期大会を終えて、2019年秋」「定期大会を終えて、2020年秋」「定期大会を終えて、2021年秋」という同じパターンの記事タイトルを付けて続けてきました。

今回は「最後の定期大会」というタイトルのもとに書き進めています。毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意していました。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介しています。今回も同様にそのまま掲げますが、退任にあたっての思いを託した内容であり、例年より少し長くなっています。

執行部を代表し、一言ご挨拶申し上げます。本日は第77回定期大会への出席ありがとうございます。コロナ禍が続く中、今年も事前申込制とし、出席者数を絞らなければならない大会となっています。

そのような中で、コロナ禍の組合活動の工夫、組合予算還元策の一つとして、今回も委任状参加者も含めた抽選会を企画しています。会場に足を運べないけれども定期大会に関心をお寄せいただく取り組みとして、コロナ禍の後も続けていくべきお楽しみ企画として定着していくのではないかと思っています。

さて、一昨年の定期大会で挨拶した際、アメリカ大統領選が大きな注目を集めていた時期だったため、次のように述べていました。

地球温暖化や感染症対策など自国中心主義では解決できない地球規模の問題に直面しています。自分の国だけ万全を尽くしても、すべての国で足並みが揃わなければ解決には至りません。そのためにも対立より協調に重きを置く国際的な流れが高まることを強く願っています。

このように願っていましたが、たいへん憂慮すべき事態に国際社会は直面しています。今年2月24日、ロシアが自国中心主義の理不尽な理由をかざし、ウクライナに軍事侵攻しました。この瞬間にも多くの方々の命や暮らしが脅かされ、未だ戦火の消える兆しは見られません。

戦争を避けたいという思いは誰もが同じであるはずです。その上で、ウクライナで起こっているような戦争をどうすれば防げるのか、問われ続けられている重要な命題です。

昨年の定期大会での質疑応答を受け、この一年間、「平和や人権」の組合方針について議論を重ねてきました。 一年間の議論を経て、今回の大会でリニューアルした「平和や人権」の方針案を提起しています。

現在の組合員の皆さんの意思を丁寧に受けとめながら必要な見直しを進める貴重な機会だったものと受けとめています。昨年の大会で、率直な質問をお寄せくださった組合員の方には、たいへん感謝しています。

労働組合として守り継ぐこと、時代情勢の変化のもとに改めていくべきこと、しっかり見極めていく柔軟さが求められています。そもそも組合は組合員一人一人のものであり、組合の活動はすべて「組合員のため」にあります。

労使交渉や福利厚生はもちろん、政治的な活動、労働金庫や全労済の取り組みなど、定期大会議案書に掲げている活動方針は「すべて組合員のため」を目的にした内容ばかりです。

そのような多岐にわたる課題に対し、結論の押し付けではない「なぜ、この取り組みが必要なのか」という丁寧な説明を常に意識していかなければなりません。そして、共感を得ることによって、組合運動の広がりや力強さが増していくのだろうと考えています。

私自身、今回の定期大会を区切りに組合役員を退任します。青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができました。市役所に入る前、私は組合に対してネガティブなイメージを持ち、あまり組合とは関わりたくないと考えていました。

それが組合役員を務めていた先輩たちと同じ職場で出会い、勝手な思いこみと単なる無知なだけだったことに気付きました。それでもプライベートな時間が削られる青婦部幹事になることは、しっかりお断りしていました。

入所2年目の職場の忘年会でも口説かれ、初めはキッパリと断っていましたが、酔いが進むうちに「やってみてもいいかな」と言ってしまったようです。その返事によって組合役員に関わることになった訳ですが、ここまで長く務めようとは、まったく想像していませんでした。

長く務めてきた理由は『組合ニュース』の退任挨拶でも記したとおり組合役員を担ったことで組合の大切さを感じ取っていたからです。執行委員長は18年務めています。毎年、責任の重さを受けとめ、継続することを判断してきましたが、そのことで組織としての新陳代謝が遅れたことも確かです。

今回、副委員長が委員長を引き受けていただけることになり、たいへん安堵しながら感謝しています。継続している重要な労使課題は数多く、組合をとりまく情勢は厳しいものがある中で、バトンを渡すことに心苦しさもあります。

とは言え『そして、バトンは渡された』、今夜地上波で初放送される映画のタイトルのとおり渡さなければならないバトンであり、これからは組合員の一人として新委員長に精一杯エールを送らせていただきます。

今年1月、組合が結成されてから75年を迎えています。組合員の皆さんから今後も信頼される組合活動が続き、よりいっそう大きな節目である結成100周年を迎えられることを心から願っています。

そのためにも機関誌『市職労報』の特集記事の見出しに掲げた「組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」という言葉を改めて強調させていただきます。

また後ほど私の出番があり、皆さんからの質問があった際にも発言させていただくかも知れません。ぜひ、最後までご注目くださるようよろしくお願いします。

冒頭で取り上げた葉梨法相、現在は前法相ですが、自分の挨拶の中に受け狙いの話を入れたことで、大臣としての資質や適格性が問われることになりました。挨拶する機会が多い場合、硬い内容の中に少しだけ受け狙いの話を入れがちです。私自身も同様で、バトンという言葉から映画のタイトルにつなげていました。

上記のとおり『そして、バトンは渡された』という言葉を挨拶の中に入れてみた訳ですが、キョトンとした会場の雰囲気で完全に滑っていたようです。ちなみに翌日、録画したその映画を観ました。予想外のストーリー展開のもと思わず涙が出てしまう場面も多く、たいへん感動的な映画でした。

定期大会での質疑応答の際、会計年度任用職員の雇用継続の問題をはじめ、住居手当や保育園民営化に関わる意見が示されています。採決にあたってはリニューアルした「平和や人権」の方針案も含め、組合執行部が提起した議案すべて承認を得られています。

新旧役員挨拶の時、サプライズの花束をいただきました。冒頭の執行部を代表した挨拶の中で退任のことについて触れていましたので、私からの最後の一言は簡潔にしています。本当に長い間、お世話になったことの感謝の言葉を表した後、このブログのことに触れています。

組合を身近に感じてもらえることを目的にブログ「公務員のためいき」を始め、週に1回の更新を重ねています。市役所を退職するまではタイトルも変えず、このまま続けていくつもりです。ぜひ、お時間等が許される際、ご覧いただければ幸いです。よろしくお願いします。

新委員長の「団結頑張ろう」で締めた後、出席されていた組合員の皆さんと直接お会いし、ご挨拶させていただきました。連合地区協議会の役員は12月まで引き受けていますので、しばらくは組合事務所にも顔を出し、年明けまでにフェードアウトしていく予定です。それでも大きな節目を刻んだことには間違いなく、たいへん感慨深い定期大会を終えていました。

最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お世話になりました。そして、ありがとうございました。定期大会が終わった後、今年も打ち上げはなく、現地で解散しています。早くコロナ禍が明け、ご縁のあった皆さんと飲み語り合える機会が持てることを願っています。

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2022年11月 5日 (土)

組合役員を退任

前回記事は「信頼できる政治のあり方」でした。リンク先を添えた時事の話題を記事本文の中で紹介しながら内容をまとめています。今回の記事は時事の話題には一切絡まず、ローカルでマイナーな話となります。ちなみに前々回記事「旧統一教会と自民党」の冒頭で次のように記していました。

私どもの組合の話に引き付ければ火曜日に役員選挙が告示され、来週中には立候補する新執行部体制の顔ぶれが決まります。昨年の今頃には「組合役員の改選期、インデックスⅢ」という記事を投稿していました。私自身、長年務めた組合役員を退任するタイミングであり、関連した内容の新規記事は必ずまとめてみるつもりです。

自分自身にとって、たいへん大きな節目を迎えるため今週末に投稿する新規記事は「組合役員を退任」というタイトルを付け、いろいろ思うことを書き進めてみるつもりです。組合役員の信任投票の実施を告知した『組合ニュース』の片隅には下記のような退任の挨拶を掲げています。

組合役員を担ったことで組合の大切さを感じ取り、ここまで長く務めてきました。継続している重要な労使課題は数多く、組合をとりまく情勢は厳しいものがあります。私自身、今期をもって退任しますが、一組合員として新執行委員長らを下支えできればと考えています。組合員の皆さんには本当に長い間、たいへんお世話になりました。これまでの組合活動へのご理解ご協力に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

このブログでは、これまで執行委員長を今期で退任することについて頻繁に書き込んできています。昨年11月の記事定期大会を終えて、2021年秋」の中で、今年度はバトンを着実に渡すための一年であるという意識を強めながら臨んでいることを記していました。

たいへん長く担ってきていますので定期大会を間近にしての退任の判断では迷惑をかけるものと思い、一年前に予告した上で引き継ぎのための一年という猶予期間に位置付けてきました。このことは組合役員をはじめ、周囲の皆さんにはお伝えしている話でした。

3月に発行した組合機関誌の特集記事の見出しは「【Will】組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」でした。【Will】という言葉は、未来形としての願いであり、バトンを託す皆さんに向けた言葉だという意味合いを機関誌の「おわりに」の中で説明していました。

婉曲な言い方だったため、この言葉から今年11月の定期大会で執行委員長を退くという表明であることは伝わらなかったようです。実は【Willという言葉には「遺言」という意味もあります。3月末に投稿した「【Will】機関誌に託した思い 」というブログ記事では、そのような暗喩があることも他愛のない逸話として触れていました。

8月の記事「平和への思い、2022年夏」では、8月下旬に職場回覧する「平和や人権に関わる組合方針の確立に向けて(参考資料)」のタイトルに【卒論】という言葉を添えようかどうか考えていたことを明かしていました。【卒業論文】という文字通りの言葉であり、ストレートな退任予告のメッセージとなります。

結局【卒論】という言葉は添えませんでしたが、結びの一言として、今年3月に発行した機関誌の特集記事の見出し「【Will】組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」のような組合活動が進められていくことを心から願っています、と添えていました。

10月初めの「安倍元総理の国葬 Part2」の冒頭では自治労都本部の中央委員会の議長を務めた話に触れています。11月11日の定期大会をもって単組の組合役員を退任することについて、他の組合の皆さんに挨拶できる貴重な機会だったため、中央委員会の議長を退任する際の挨拶の中で申し添えていたことも記していました。

経過報告や資料等も掲載した定期大会議案書は来週職場回覧します。早期配布を目的にした方針案の冊子は10月下旬に組合員全員の手元に届いています。その方針案の配布よりも一足早く、議案書の冒頭に掲げる私自身の最後の「はじめに」の全文を当ブログの記事の中で紹介していました。

私自身、今回の定期大会をもって執行委員長を退任します。青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができました。本当にありがとうございました。

上記は「はじめに」の結びの言葉です。このように不特定多数の方々が閲覧できる当ブログで頻繁に取り上げてきたとおり退任するという話は「知る人ぞ知る」オープンな情報でした。それでも『組合ニュース』等で明らかにするまで組合員の皆さんの大半は知らなかったようです。

このブログを継続的にご覧になっている方が極めて少数であるため予想していたことです。そのため最近になって、多くの方から「やめてしまうのですね。長い間、ご苦労様でした」「まったく関わらないんですか?」「市役所を退職するのですか?」というような労いの言葉や質問を受けることが増えています。

これまで執行委員長を務めた諸先輩が退任後、副委員長として残るケースは多くありました。今回、そのような選択肢は一切考えませんでした。定例の執行委員会に出席する組合役員の一人として残った場合、きっと自分なりの考えを強く主張してしまうのだろうと思っています。

そのような場面が続くと、新委員長らがやりづらいだろうと考えています。逆に言いたいことを我慢していくことはストレスをためる話であり、残った意味合い自体が薄れる関係性となります。このような点を考慮し、委員長を退任する時は組合活動そのものから距離を置く時だと決めてきました。

もちろん退任してからも相談を受ければ快く対応し、引き継ぎ面での助力を求められれば可能な限り手助けしていくつもりです。市役所を退職する訳ではないため、これからも組合事務所には気軽に足を運ばせてもらいます。冒頭で紹介した退任挨拶に記したとおり一組合員として新委員長らを下支えできればと考えています。

ちなみに「市長選に出るんですか?」という驚きの質問もありました。来年夏に市長選が予定されているため、そのような質問があった訳ですが「あり得ません」と笑い話として即答しています。ここ最近、多くの方から退任に際して温かい言葉をかけていただき、たいへん有難く感謝しています。

同じポストに同じ人物が長く続けるのは、あまり望ましいことではありません。そのような意識が働いていたため、執行委員長を何年務めてきたのか、しっかり数えてきていませんでした。退任にあたり、改めて数えてみると18年間務めてきたことになります。私どもの組合の歴代委員長の中で際立った長さとなっていました。

私の前の委員長3人は、それぞれ自治労都本部の役員となり、休職や離籍専従で組合活動を続けられていました。私自身、家庭介護の事情があり、現状よりも負担が生じる役割への転身は控えてきました。自治労や連合の関係者の方々から何回か相談を受けた時、ご期待にいつも応えらず、たいへん申し訳ありませんでした。

いろいろ振り返り始めると、新庁舎移転前の朝の風景を綴った12年前の記事「顔を上げれば満開の桜」を思い出していました。その中で「ここ数年、同世代の職員の課長昇任が続いています」と記し、次のような思いを添えていました。

その中には一緒に組合役員を担った人たちも多く、組合活動で苦楽を共にしたメンバーが管理職に登用されていくことを非常に心強く思っています。一方で、組合活動への「良き理解者」であった組合員が一人ずつ減ることでもあり、一抹の寂しさも伴っていました。また、それぞれの選択した道の違いによって、役所における立場の枝分かれが顕著になっていくことの感慨も覚えていました。

議案書の「はじめに」の最後に記しているとおり青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができたことを心から感謝し、後悔という2文字はまったくありません。

ただ18年間、私が委員長を担ってしまったことで組織としての新陳代謝が遅れたことも確かです。毎年、責任の重さを受けとめ、結果として継続することを判断してきました。今回、副委員長がプレッシャーを感じながらも委員長を引き受けていただけることになり、たいへん安堵しながら感謝しているところです。

『組合ニュース』に掲げた退任挨拶で触れているとおり継続している重要な労使課題は数多く、組合をとりまく情勢は厳しいものがある中で、バトンを渡すことに心苦しさもあります。とは言え、どこかで渡さなければならないバトンであり、これからは組合員の一人として新委員長に精一杯エールを送らせていただきます。

思った以上に今回も長い記事になっていますが、もう少し続けます。委員長に選ばれた翌年の8月からブログを始めています。委員長を退任し、組合役員から離れた後も当ブログは続けていくつもりです。退職まではタイトルも「公務員のためいき」のままとし、プロフィール欄だけは手直しする予定です。

実は過去のブログ記事を紹介しながら組合役員としての40年余りの年月を駆け足で振り返ってみようと思っていました。ただ長々とした内容となっているため、今回は「組合役員になったイキサツ」のみ紹介します。それ以降の話は機会があれば別な新規記事を投稿し、改めて振り返ってみたいものと考えています。

最後に、自分自身にとっても懐かしい組合役員になったイキサツを綴った16年以上前の記事、こちらは当時の内容の全文をそのまま紹介させていただきます。

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前回記事は「公務員になったイキサツ」でした。今回、その続編のような話となります。高校を卒業して市役所へ入り、配属された職場の人間関係が非常に暖かく感じたことを紹介しました。

その先輩たちの中に組合役員で、青年婦人部を担当している方がいました。略して青婦部と呼んでいましたが、若手と女性組合員を対象とした組合の下部組織でした。その後、青年女性部と名称変更を経て、現在ではユース部と女性部に独立しています。

その先輩から見れば、当時、十代だった自分は青婦部の幹事へ引き込む絶好の標的でした。入所前、私は組合に対してネガティブなイメージを抱いていました。したがって、あまり組合とは関わりたくないと思っていました。

それが組合役員を務めている明るい先輩たちと出会い、勝手な思いこみと単なる無知なだけだったと考え方を改めていました。それでもプライベートな時間が削られる青婦部幹事になることだけは、絶対避けたいものと考えていました。

決して真面目な大学生でなかったにも関わらず「夜間、学校があるから引き受けられません」と言い訳し、何とか1年目は逃れることができました。2年目の職場の忘年会、その先輩からまたしても口説かれ、やはり初めはキッパリと断っていました。それが酔い(注:この時点では20歳です)が進むうちに「やってみてもいいかな」と言ってしまったようです。

翌日、しっかり新幹事の一人に名前を加えられていました。幹事会は毎週1回、午後6時からでしたが、ほとんど出られませんでした。実際、まだ語学など出席を取る授業が多く、2回生である翌年3月までは比較的よく学校へ通っていました。

少し横道にそれますが、4回生まで単位は順調に取得できていました。卒業に向けて、致命傷となる必修単位を落としてしまい、5回生を経験することになりました。結構な人数が落とされ、内定していた就職先を棒に振った方が何人か出るほどでした。

さて、3回生になった春以降、出席を取る授業がなくなり、大学への足は遠のいていました。が、相変わらず青婦部幹事会への足も遠のいたままでした。したがって、ほとんど「幽霊幹事」のまま任期一年が終わろうとしていました。

それでも時々は青婦部幹事として参加した行動もありました。ある16ミリ映画会に興味を持ち、幹事の先輩数人と出かけました。その映画の題名は「光州は告発する」でした。

チョン・ドハン元韓国大統領の軍事クーデターに反対し、光州市民が大規模なデモなどを行ないました。それに対してチョン元大統領は軍隊を出動させ、自国民に銃口を向け、力ずくで鎮圧をはかりました。その虐殺の模様を記録した映画が「光州は告発する」でした。

それまでも原爆やアウシュビッツ強制収容所の話などを知ることにより、戦争への嫌悪感は人一倍持っていたと思います。ただベトナム戦争も現在進行形の世代ではなく、私の戦争に対する思いは「過去の事実」との認識でした。

それが同じ瞬間、それほど距離が離れていない半島で、戦車でひき殺される人たちがいたことに大きな衝撃を受けました。さらに今から思えば、その北の国でも非人道的な行為を繰り広げていたことになります。

この映画を見たことにより、少し考え方に変化が出ました。だから何ができるか分かりませんでしたが、青婦部幹事になって一年間、何もしなかったし、何も分かろうとしないで辞めるのも何だなと思い返すようになりました。

結論として、2年目の青婦部幹事については自らの意志で続けることになりました。その時点では、まさか組合の執行委員長まで引き受けることになろうとは夢にも思っていませんでした。その後も様々な節目で迷った場面もありましたが、組合活動を経験できて本当に良かったと振り返ることができます。

また機会がありましたら、その後についても書き込みたいと考えています。とにかく初めから組合の支持者でなかったことが、ある意味で自分自身の強みだと思っています。組合に距離を置こうとしている方たちに対しても、自信を持って「組合って、大切なんだよ」と呼びかけられるからです。

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