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2022年10月 1日 (土)

安倍元総理の国葬 Part2

火曜日、安倍元総理の国葬が執り行なわれた日の夜、自治労都本部の中央委員会が開かれていました。中央委員会の議長は各単組の委員長が持ち回りで務めています。今回、私が依頼され、最後の役目としてその任を引き受けていました。

議事は滞りなく進み、執行部の提案した議案はすべて承認を得ています。議長退任の挨拶の際、11月11日の定期大会をもって、青年婦人部の幹事時代から数えると40年ほど務めてきた組合役員を退任することも申し添えています。

自治労運動を通し、たいへん貴重な経験や交流をはかれてきたことの感謝の言葉とともに時節柄、率直に思うことを一言付け加えています。安倍元総理の国葬にあたり、岸田総理は「丁寧な説明をする」と表明してきましたが、言葉だけ丁寧に同じ内容を繰り返すことが丁寧な説明ではありません。

組合の活動も同様です。組合員の皆さん、さらに組合に加入されていない皆さんに向け、結論の押し付けではない「なぜ、この取り組みが必要なのか」という共感を得られるための丁寧な説明を常に意識していかなければ自治労運動の広がりも難しくなります。

私自身、組合役員を退任しますが、これからも一組合員として、OBの一人として自治労運動を下支えしていければと考えています。今回、多くの皆さんに挨拶できる貴重な機会を得られていましたので、このような言葉を中央委員会議長退任時の挨拶に添えさせていただきました。

中央委員会が終わった後、名刺交換した自治労都本部の副委員長から熱い言葉で「ブログをずっと見ています」とお声かけいただきました。最近のアクセス数は以前に比べると減っていますが、このような言葉に触れられることがブログを続けていくことの大きな励みにつながっています。

さて、前回記事が「安倍元総理の国葬」でした。今回の記事タイトルは少し迷いましたが、結局のところ「Part2」として書き進めています。安倍元総理の国葬後、様々な報道や論評を目にしています。興味深い記事を紹介しながら私自身の思うことを書き添えていきますが、前回記事でも触れた「社会の分断」という言葉を軸にした内容となります。

まず『国葬じゃなかった? 後継者争いのアピール? 専門家2人どう見た』という見出しの記事です。日本武道館近くの一般向けの献花台には2万人以上が訪れた一方、反対する集会が各地で開かれ、会場周辺でデモ行進があったことを伝えた上、日本近代史を専攻している中央大学の宮間純一教授の言葉を紹介しています。

国民が分断している状況が目に見えるような形で表現されたのは、日本の国葬の歴史では初めてでした。国葬は本来、国民を一つにまとめようとする性格を持っているのに、逆に分断を招いてしまいました。

政府は判断の責任を負いたくないから、あいまいにした。その結果、国葬の体裁をなさなくなった。国民に丸投げ状態で、踏み絵を踏まされるような自己責任の催しとなりました。

「一つの価値観を押し付けないでくれ」という考えを持つ人がたくさん出てきた。自由主義が尊重されている健全な社会だということを皮肉にもあらわした。全体主義の国家や戦前の日本のような天皇制国家だと国葬は機能しますが、今の日本で、ただ対立を生んだだけのイベントでした。

開催を巡り国論が二分される中、宮間教授は「今回のは国葬じゃなかったと思います。自由参加にしかできない中で断行した結果、ただの内輪で集まっているお別れ会のようだった」と評していました。

この男はまだ枯れていない…菅義前首相の大絶賛の「弔辞」に見え隠れした「言外のアピール」』という記事のとおり菅前総理の弔辞も注目を集めました。『「電通発言」で全面謝罪の玉川徹氏  政治記者は「これまでの失言よりはるかに問題」』という一件は、玉川さん自身が自分の勇み足や思慮不足を猛省しなければなりません。

ただ『ウーマン村本大輔、菅義偉前首相の国葬のスピーチに「原爆の日のスピーチは読み飛ばししたよね」』という記事もあるとおり菅前総理のそれまでの発言の数々を思い浮かべると、他者の関与を決め付けてしまった玉川さんの見方も分かる気がします。ちなみに村本さんは次のようにツイッターで語っていました。

あなたの安倍さんへのスピーチは素晴らしい。でもね。広島の原爆の日のスピーチは読み飛ばししたよね? あなたは自分が好きな人には心込める。だけど広島への想いは読み飛ばしする。大好きな安倍さんへのスピーチは心がある。あなたは政治家、この国に住んでるみんなに心を持ってほしい。

国葬めぐる「サイレント・マジョリティー議論」の空虚、「賛成か反対か」本当の静かなる多数派は誰なのか』という報道もあり、前述した「社会の分断」という傾向を懸念しています。3年前のブログ記事「最近の安倍首相の言動から思うこと」などを通して記してきたことですが、安倍元総理ほど極端に評価の分かれる政治家は稀だったように思っています。

改めて言葉の重さ」という記事の中では、人によってドレスの色が変わる話を紹介していました。ドレスの色が白と金に見えるのか、黒と青に見えるのか、人によって変わるという例示は、安倍元総理の評価や見方が人によって本当に大きく変わりがちな傾向と重ね合わせていました。

【“安倍政治”の功と罪】ジャーナリスト斎藤貴男「日本社会を根底から腐らせた」』『私が安倍元総理の国葬に反対する理由…「嘘が通る社会」をつくったのは誰か(三枝成彰)』という記事内容からは安倍元総理に関わる問題点が伝わり、まったく国葬に値しない政治家だったものと考えがちです。

一方で『【激論】高橋洋一VS古賀茂明 「安倍国葬問題」は岸田政権に“とどめ”を刺してしまうのか?』『【国葬前日・緊急続編】国葬賛成の月刊『Hanada』編集長の論理を、リベラル派ジャーナリストが問う【花田×斎藤 左右ガチンコ対談】』という記事からは、国葬を推奨する立場の方々の考え方に触れていくことができます。

より望ましい「答え」を見出すためには、多面的な情報に接していくことの重要さを訴え続けています。それでもお互いの主張が真っ向から対立したまま歩み寄れない場面も数多く生じていくはずです。自分自身の「答え」が正解であり、相手の「答え」が間違いだと考えると、交わす言葉も激しくなりがちです。

しかし、いろいろな「答え」を認め合いいがみ合わないことの大切さも当ブログを通して訴え続けている点です。完璧に実践できているかどうか分かりませんが、自分自身が綴る文章に関しては、基本的な考え方や視点の異なる立場の方々から感情的な反発を招かないように言葉や記述の仕方にいつも注意しています。

安倍元総理の言動を批判する時も、「批判ありき」や「批判のための批判」だと見なされるような書き方にはならないように心がけてきました。コメント投稿の際、皆さんにお願いしている関係上、私自身が率先垂範するためにも誹謗中傷の類いとなる言葉を使わないように注意してきました。

例えば「精神的自由と経済的自由」という記事の中で、安倍元総理の言動について次のように論評しています。ちなみに蛇足ですが、このブログの中で以前は総理でなく、首相という呼称を使っていました。

安倍首相は「(出演した報道番組の中で)私の考えをそこで述べるのは、まさに言論の自由だ」と言い切っています。この件で国会質問を受けた際、安倍首相は「番組の人たちは、それぐらいで萎縮してしまう。そんな人たちなんですか? 情けないですね」という反論を加えています。

表現の自由や言論の自由は国民に与えられている権利であり、権力者である安倍首相はそれらの権利を保障させていかなければならない立場です。安倍首相も国民の一人ですから「私にも言論の自由がある」という主張も分からない訳ではありませんが、自分自身が権力者であるという理解不足を露呈させているように見受けられてしまいます。

自分自身の「答え」が正しいと信じるのであれば、異なる「答え」を持つ方々にも届く言葉を探していかなければなりません。対立の果てに生じかねない物理的な力による応酬は絶対避けるべきものであり、言葉を競い合っていくことが不可欠です。そのためにも立場や考え方を異にする方々に対しても敬意を忘れないことが肝要なのではないでしょうか。

このようなことを考えていくと「社会の分断」が対立を招きがちな傾向を非常に憂慮しています。安倍元総理の国葬に対して賛否が大きく割れたことは確かであり、将来的な国葬のあり方について一つの「答え」を見出していく機会としなければならないのかも知れません。

しかし、そのような議論が「社会の分断」をさらに加速させるようなことだけは避けなければならないはずです。自民党の中でも穏健な派閥を継ぐ岸田総理には今回の問題を教訓化し、くれぐれも「社会の分断」を広げるような政治手法には自制的であって欲しいものと願っています。

最後に国葬反対派と対話したい」と呼びかけに応じて…花田紀凱、小川栄太郎両氏と対談した』という記事を紹介します。その中で、次のような言葉が印象深く、今回の記事を通して綴ってきた私自身の問題意識につながる考え方だと思っています。

歩み寄りなんかできなくたっていい。無理に妥協点を見いだす必要もない。一度でも会って話をすれば、そう簡単には相手を罵倒したり、せせら笑ったりしにくくなる。今の世の中、それだけでも素晴らしくはないか。切り裂かれてしまった社会が、一歩ずつでも包摂されていくような気がしてくる。そうならなければ嘘だ。

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コメント

とりあえず、反共と米国への基準を社是とするUAゼンセン同盟の走狗・会長芳野を駆除しろ。労働者の間に労働法規で保護される上級労働者とそうでない圧倒的多数の労働者の壁を経団連と一体化して作り出した連合と芳野、UAゼンセン同盟は大多数の労働者の敵である。

投稿: れなぞ | 2022年10月 2日 (日) 20時35分

労働者の敵・連合、滅ぶべし。
統一教会と米国共和党の走狗・会長芳野、滅ぶべし。
そして非正規公務員の生き血を啜り豪勢な社会保障を貪るインチキ労組自治労、滅ぶべし。

投稿: れなぞ | 2022年10月 2日 (日) 20時39分

れなぞさん、いつもマイナーなブログにご訪問くださり、ありがとうございます。

今回の記事本文に記していますが、いろいろな「答え」を認め合い、いがみ合わないことの大切さを訴えています。その上で、より望ましい「答え」を見出すためには、多面的な情報に接していくことが重要だと考えています。

さらに自分自身の「答え」が正しいと信じるのであれば、異なる「答え」を持つ方々にも届く言葉を探していかなければなりません。ぜひ、このような点について、最近では希少なコメント投稿者である方にご理解ご協力いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2022年10月 2日 (日) 20時55分

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