安倍元総理の国葬
前回記事「平和や人権の新たな組合方針」に掲げた方針案は、その後の議論を経て若干補正した内容を火曜日に発行する『組合ニュース』最新号で組合員の皆さん全員にお示しする運びとしています。どのような手直しがあったのか、機会を見て当ブログの中でもお伝えさせていただくかも知れません。
今回の記事は9月27日に執り行なわれる安倍元総理の国葬の問題を取り上げます。以前に比べるとお寄せいただくコメントの数は激減しています。そのような中ですが、最近「自治労大会の話、インデックス」と前回記事に対し、安倍元総理の国葬絡みのコメントが続いていました。
9月3日に投稿した「自治労大会の話、インデックス」の中では国葬について次のように触れていました。長い引用となりますが、このような私自身の問題意識は現在も変わらないため、参考までに関連した箇所の全文をそのまま紹介させていただきます。
まず国葬について、賛成か反対かと問われれば様々な問題が懸念されているため反対と答える立場です。その上で、いくつか思うことがあります。岸田総理は国葬とは言わず、必ず国葬儀と表現しています。この違いは岸田総理らにとって非常に大きいようです。
批判を受けている理由の一つに「国葬令は廃止されているため法的根拠がない」というものがあります。ただ今回は内閣の閣議決定で執り行なう「国の儀式」に位置付けているため、ことさら国葬儀という言葉を使っているのではないでしょうか。
この決定が発表された7月14日の時点では、泉代表も「静かに見守りたい」という談話を示していました。その段階で岸田総理らが野党に対しても丁寧な説明や合意形成をはかっていれば、ここまで野党側が声高に反対することも難しくなっていたのかも知れません。
そもそも慣例化していた内閣と自民党との合同葬だった場合も、半分は税金が投入されてきました。中曽根元総理に対する評価も人によって大きく異なっていましたが、今回のような反対運動の盛り上がりは見られていません。仮に合同葬だったとしても海外からの要人の参列は可能だったと言われています。
わざわざ前例を破り、国葬に模した国葬儀にしたことで大きな物議を醸すことになりました。さらに旧統一教会と安倍元総理らとの関係性が取り沙汰されるようになり、ますます国葬に対する逆風は強まっています。
政治ジャーナリストの後藤謙次さんは岸田総理の「国葬で政権に勢いが付くと考えていたんですが…」という思惑の誤算を指摘しています。『国民に歓迎されると思ったのに…「国葬」即断で岸田首相が犯した大きすぎる「2つのミス」』という報道も目にしていますが、今さら中止にすれば別な方面からの批判や大きな混乱が見込まれるため岸田総理は八方塞がりの状態だと言えそうです。
自治労大会で、川本委員長は「国葬に関する基準は不明確。国会を軽視して一方的に閣議決定したことは極めて問題だと言わざるを得ない。反対の声が日に日に高まっている。国民に事実上弔意を強制することは、憲法が定める思想信条の自由を侵害するものであり、断じて認められない」と批判しています。
連合の芳野会長の出席の判断に際し、れなぞさんから自治労の態度を尋ねるコメントが寄せられていました。私からは、連合中央執行委員会で「国民の理解が得られていない」「閣議決定だけで行なわれるのは問題だ」などとして欠席を求める意見を示した一人が会長代行を務めている川本委員長だろうとお答えしていました。
前回記事「平和や人権の新たな組合方針」のコメント欄でも、やはりT川良いところさんから芳野会長の出席を疑問視するコメントが寄せられました。私自身の所見も問われたため、取り急ぎ次のようにお答えしていました。
野田佳彦元総理が出席される意向を示したことに対し、立憲民主党の原口一博衆院議員がツイッターで「人生観…。それよりも法と正義が優先する。国葬儀は、憲法にも反し法的根拠もない。私たちは国権の最高機関にいる。国葬儀は、参列不可なのだ。個人を優先するなど私にはできない」と批判しています。
違法性が問われているのにも関わらず、出席することは確かに大きな問題だと思っています。できれば芳野会長にも出席を見合わせる判断を下して欲しかったものと考えています。
T川良いところさんからは具体的な質問も重ねられていましたが、個人的な思いだけで即答できないお尋ねもあり、深掘りすべき点とともに次回以降の記事本文の中で改めて取り上げることをお伝えしていました。今回、ネット上で目にした興味深い報道や識者の見解を紹介しながら書き進めていきます。
AERA dot.では「国葬を考える」特集を続け『安倍元首相の国葬「法的根拠なく国費で開催」専門家が問題視 実施理由「功績」に疑問も』『安倍元首相の国葬は「民主主義と相容れない」 宮間純一教授と歴史から国葬を考える』という見出しの記事を配信しています。
今回、法律がない中、どうやって国葬を実施するのか。政府が唯一示す法的根拠が、2001年に施行された「内閣府設置法」だ。同法は、内閣府の所掌事務(基本的な仕事)を定めたもの。その第4条3項33号に、内閣府の所掌事務として「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」との規定がある。
「国葬」と明記されていないが、政府はこの条文を根拠に、国葬を「国の儀式」と定義した。だが、成蹊大学の武田真一郎教授(行政法)は、内閣府設置法は国葬を実施する法的根拠にはならないと指摘する。
内閣府設置法は、役所を設置して、所掌事務を割り当てることを目的としている。所掌事務というのはその役所に割り当てられた仕事を例示しているだけで、その仕事を具体的に実施する権限を付与しているわけではない。具体的な権限行使のためには、別に法律の規定が必要だと解されている。
もう一つの記事では、歴史学者で国葬の歴史を研究する中央大学の宮間純一教授の見解を紹介しています。宮間教授は安倍元総理の国葬が発表された時に「まず驚いた」と振り返っています。さらに下記のような見方を示され、今回の国葬が民主主義を壊す一つのステップになることを懸念されています。
国葬は国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見・思想を抑圧しうる制度。戦後日本の民主主義とは相容れないもの。大日本帝国の遺物で、現在の日本には必要のないものと考えています。それを今、再現させるのはどういうことなのか。岸田首相はじめ国葬を決定した人たちは、その点を検証していないのではないかと思います。そういう意味でとても怖い。
『オバマも不参加、党内部からも反対派が…国葬強行で安倍元首相の“顔に泥”塗った岸田首相の勇み足』という見出しの記事では「岸田首相の国葬強行を批判するのは国民だけではない。政治家の政策立案について合理性や妥当性を検討する衆議院法制局と衆院憲法審査会事務局も待ったをかけているのだ」とし、下記のような事実関係も伝えています。
東京新聞の報道によると、同局らは先月、憲法の趣旨を踏まえると「(国葬実施の)意思決定過程に国会(与党及び野党)が『関与』することが求められていると言えるのではないか」との見解を示していたという。これは、国会での審議を経ず、閣議決定のみで国葬を実施しようとしている岸田首相に疑義を呈した形だ。
その記事では、国葬の実施に当たって再三「弔問外交」の価値を強調していながらG7からの首脳級の参列はカナダのトルドー首相のみになっていることを伝えています。安倍元総理と友好関係を築いてきたと言われているトランプ前大統領やオバマ元大統領らが参列しないという結果は「その程度の関係性だったと思われても仕方ありません」と評していました。
今年2月の記事「多面的な情報の大切さ Part2」の中でも記していましたが、岸田総理が「聞く力」をアピールされていたため、幅広い情報を踏まえながら穏健な政策判断が重ねられていくことを期待していました。しかし、残念ながら『岸田首相「国葬をやるなんて、誰が言いだしたんだ」と嘆く! 国民の批判から逃げた“証拠文書”を入手』が伝えているとおり偏った「聞く力」にとどまっているようです。
安倍さんが亡くなった直後は、内閣と自民党の合同葬を開く方向で話が進んでいました。それを巻き戻したのが麻生太郎副総裁で、“保守派が騒ぎだすから”と、岸田さんに3回も電話をしたそうです。最後は『これは理屈じゃねんだよ』と、強い口調だったといいます。国葬実施の方針が決まったのは、7月14日の会見の1時間前でした。
ネット上では「安倍氏の国葬、お金かかって反発されるし、それなりのクラスの弔問者が集まらないと面目も潰れるし、結果安倍氏のイメージ低下をアシストするだけなのでは」「安倍さん、何だかかわいそうだな。国葬強行によって国民の半数くらいからヘイト集められてるじゃないか」と岸田政権の判断ミスを批判し、安倍元総理を同情する声も多く見受けられるようになっています。
安倍元総理を評価する上で、朝日新聞の記者だった鮫島浩さんの記事『エリザベス女王と安倍元首相の「国葬」を対比して考える〜権力と権威の境界があいまいになった戦後日本の統治システムの危機』の内容が非常に興味深く、私自身の思いと重なる点が多々あります。
私が安倍元首相の国葬に反対する最大の理由は、日本社会の分断を招き、国家の連帯感や国民の統合をむしろ毀損するからである。それではなぜ安倍元首相の「国葬」への反対がここまで強いのか。
安倍元首相が権力私物化を重ね、虚偽答弁を重ねたこと。アベノミクスが格差を拡大させたこと。旧統一教会と自民党との歪んだ関係を増幅させた張本人であることーーさまざまな理由があろう。
だが最大の理由は、安倍元首相という政治家の存在が国論を二分し、社会を分断してきたからだと私は考える。そもそも安倍元首相の政治手法が「敵と味方」を二分し、敵には厳しく味方には甘いものだった。
選挙の街頭演説で自分を批判する人々に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉を浴びせたのは、社会の分断を煽って支持を引き寄せる政治手法を象徴するシーンだった。安倍政治の本質は「社会の分断」にあったのだ。
安倍元総理が意識的に「社会の分断」を煽ってきたとは考えていませんが、結果的にそのような対立構造が際立ちがちな政治を進めてきたものと受けとめています。まさかご本人は理不尽な死を強いられた後も、このように「社会の分断」を招く火種を残すとは夢にも思っていなかったのではないでしょうか。
様々な問題点が浮き彫りになっていますが、違法かどうかグレーゾーンのまま政府は国葬を押し切ろうとしています。そもそも違法だと断定されるのであれば議論の余地はなく、即時に中止を決めなければなりません。しかしながら内閣府設置法による「国葬儀」であり、かつての国葬とは異なり、実質は内閣葬という解釈を貫いているようです。
このような位置付けであり、自治体の対応は分かれがちです。NHKの報道『安倍元首相国葬 自治体調査 半旗掲げる?参列は?』によると、庁舎などで弔意を示す予定があるか聞いたところ、47の都道府県と20の政令指定都市のうち57の自治体が半旗や弔旗を掲げると回答しています。思ったよりも対応する自治体が多いという印象です。グレーゾーンである限り、やむを得ない結果なのかも知れません。
ここまで私自身が興味深く感じたサイトの内容を紹介しながら深堀りしてきました。安倍元総理の国葬に反対する立場から賛成している方々に向け、このような問題性があるという情報発信を意識した記事内容としています。
いつも心がけている点ですが、反対という結論の押し付けではなく「なぜ、反対なのか」という多面的で丁寧な説明が欠かせないものと考えています。立場や考え方が異なる方々に対して「なるほど」と思わせるような言葉を探しながら、このブログの記事本文と常に向き合っています。
最後に、もう一つ『連合会長「安倍氏国葬出席」が波紋 政府に恨み節も』という記事を紹介します。違法性が問われている中、組織として対応を決めた場合、構成員はその決定に従わなければなりません。しかし、出席しないという対応を決定していない限り、出席する芳野会長を必要以上に批判することは組織にとってマイナスでしかありません。
自治体に対しても同様です。半旗や首長の国葬出席など自治体個々の対応について批判することも懐疑的です。弔意が強要され、従わない職員が罰せられるような事態に至った場合は労働組合として絶対看過できません。そのような事態は起こり得ないと見込んでいますが、個々人の判断に裁量が認められている限り、賛否を伴う判断はそれぞれ尊重されなければならないはずです。
いずれにしても「政府が世論を分断する形で国葬を強行するからこうなる」と嘆くよりも「社会の分断」を広げ、憲法や法律を都合良く解釈しがちだった安倍元総理の政治手法、それを引き継いでいる岸田政権の問題点こそ、徹底的に追及する機会にすべきものと考えています。
| 固定リンク
コメント