« 2022年8月 | トップページ | 2022年10月 »

2022年9月24日 (土)

安倍元総理の国葬

前回記事「平和や人権の新たな組合方針」に掲げた方針案は、その後の議論を経て若干補正した内容を火曜日に発行する『組合ニュース』最新号で組合員の皆さん全員にお示しする運びとしています。どのような手直しがあったのか、機会を見て当ブログの中でもお伝えさせていただくかも知れません。

今回の記事は9月27日に執り行なわれる安倍元総理の国葬の問題を取り上げます。以前に比べるとお寄せいただくコメントの数は激減しています。そのような中ですが、最近自治労大会の話、インデックス」と前回記事に対し、安倍元総理の国葬絡みのコメントが続いていました。

9月3日に投稿した「自治労大会の話、インデックス」の中では国葬について次のように触れていました。長い引用となりますが、このような私自身の問題意識は現在も変わらないため、参考までに関連した箇所の全文をそのまま紹介させていただきます。

まず国葬について、賛成か反対かと問われれば様々な問題が懸念されているため反対と答える立場です。その上で、いくつか思うことがあります。岸田総理は国葬とは言わず、必ず国葬儀と表現しています。この違いは岸田総理らにとって非常に大きいようです。

批判を受けている理由の一つに「国葬令は廃止されているため法的根拠がない」というものがあります。ただ今回は内閣の閣議決定で執り行なう「国の儀式」に位置付けているため、ことさら国葬儀という言葉を使っているのではないでしょうか。

この決定が発表された7月14日の時点では、泉代表も「静かに見守りたい」という談話を示していました。その段階で岸田総理らが野党に対しても丁寧な説明や合意形成をはかっていれば、ここまで野党側が声高に反対することも難しくなっていたのかも知れません。

そもそも慣例化していた内閣と自民党との合同葬だった場合も、半分は税金が投入されてきました。中曽根元総理に対する評価も人によって大きく異なっていましたが、今回のような反対運動の盛り上がりは見られていません。仮に合同葬だったとしても海外からの要人の参列は可能だったと言われています。

わざわざ前例を破り、国葬に模した国葬儀にしたことで大きな物議を醸すことになりました。さらに旧統一教会と安倍元総理らとの関係性が取り沙汰されるようになり、ますます国葬に対する逆風は強まっています。

政治ジャーナリストの後藤謙次さんは岸田総理の「国葬で政権に勢いが付くと考えていたんですが…」という思惑の誤算を指摘しています。『国民に歓迎されると思ったのに…「国葬」即断で岸田首相が犯した大きすぎる「2つのミス」』という報道も目にしていますが、今さら中止にすれば別な方面からの批判や大きな混乱が見込まれるため岸田総理は八方塞がりの状態だと言えそうです。

自治労大会で、川本委員長は「国葬に関する基準は不明確。国会を軽視して一方的に閣議決定したことは極めて問題だと言わざるを得ない。反対の声が日に日に高まっている。国民に事実上弔意を強制することは、憲法が定める思想信条の自由を侵害するものであり、断じて認められない」と批判しています。

連合の芳野会長の出席の判断に際し、れなぞさんから自治労の態度を尋ねるコメントが寄せられていました。私からは、連合中央執行委員会で「国民の理解が得られていない」「閣議決定だけで行なわれるのは問題だ」などとして欠席を求める意見を示した一人が会長代行を務めている川本委員長だろうとお答えしていました。

前回記事「平和や人権の新たな組合方針」のコメント欄でも、やはりT川良いところさんから芳野会長の出席を疑問視するコメントが寄せられました。私自身の所見も問われたため、取り急ぎ次のようにお答えしていました。

野田佳彦元総理が出席される意向を示したことに対し、立憲民主党の原口一博衆院議員がツイッターで「人生観…。それよりも法と正義が優先する。国葬儀は、憲法にも反し法的根拠もない。私たちは国権の最高機関にいる。国葬儀は、参列不可なのだ。個人を優先するなど私にはできない」と批判しています。

違法性が問われているのにも関わらず、出席することは確かに大きな問題だと思っています。できれば芳野会長にも出席を見合わせる判断を下して欲しかったものと考えています。

T川良いところさんからは具体的な質問も重ねられていましたが、個人的な思いだけで即答できないお尋ねもあり、深掘りすべき点とともに次回以降の記事本文の中で改めて取り上げることをお伝えしていました。今回、ネット上で目にした興味深い報道や識者の見解を紹介しながら書き進めていきます。

AERA dot.では「国葬を考える」特集を続け安倍元首相の国葬「法的根拠なく国費で開催」専門家が問題視 実施理由「功績」に疑問も』『安倍元首相の国葬は「民主主義と相容れない」 宮間純一教授と歴史から国葬を考える』という見出しの記事を配信しています。

今回、法律がない中、どうやって国葬を実施するのか。政府が唯一示す法的根拠が、2001年に施行された「内閣府設置法」だ。同法は、内閣府の所掌事務(基本的な仕事)を定めたもの。その第4条3項33号に、内閣府の所掌事務として「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」との規定がある。

「国葬」と明記されていないが、政府はこの条文を根拠に、国葬を「国の儀式」と定義した。だが、成蹊大学の武田真一郎教授(行政法)は、内閣府設置法は国葬を実施する法的根拠にはならないと指摘する。

内閣府設置法は、役所を設置して、所掌事務を割り当てることを目的としている。所掌事務というのはその役所に割り当てられた仕事を例示しているだけで、その仕事を具体的に実施する権限を付与しているわけではない。具体的な権限行使のためには、別に法律の規定が必要だと解されている。

もう一つの記事では、歴史学者で国葬の歴史を研究する中央大学の宮間純一教授の見解を紹介しています。宮間教授は安倍元総理の国葬が発表された時に「まず驚いた」と振り返っています。さらに下記のような見方を示され、今回の国葬が民主主義を壊す一つのステップになることを懸念されています。

国葬は国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見・思想を抑圧しうる制度。戦後日本の民主主義とは相容れないもの。大日本帝国の遺物で、現在の日本には必要のないものと考えています。それを今、再現させるのはどういうことなのか。岸田首相はじめ国葬を決定した人たちは、その点を検証していないのではないかと思います。そういう意味でとても怖い。

オバマも不参加、党内部からも反対派が…国葬強行で安倍元首相の“顔に泥”塗った岸田首相の勇み足』という見出しの記事では「岸田首相の国葬強行を批判するのは国民だけではない。政治家の政策立案について合理性や妥当性を検討する衆議院法制局と衆院憲法審査会事務局も待ったをかけているのだ」とし、下記のような事実関係も伝えています。

東京新聞の報道によると、同局らは先月、憲法の趣旨を踏まえると「(国葬実施の)意思決定過程に国会(与党及び野党)が『関与』することが求められていると言えるのではないか」との見解を示していたという。これは、国会での審議を経ず、閣議決定のみで国葬を実施しようとしている岸田首相に疑義を呈した形だ。

その記事では、国葬の実施に当たって再三「弔問外交」の価値を強調していながらG7からの首脳級の参列はカナダのトルドー首相のみになっていることを伝えています。安倍元総理と友好関係を築いてきたと言われているトランプ前大統領やオバマ元大統領らが参列しないという結果は「その程度の関係性だったと思われても仕方ありません」と評していました。

今年2月の記事「多面的な情報の大切さ Part2」の中でも記していましたが、岸田総理が「聞く力」をアピールされていたため、幅広い情報を踏まえながら穏健な政策判断が重ねられていくことを期待していました。しかし、残念ながら『岸田首相「国葬をやるなんて、誰が言いだしたんだ」と嘆く! 国民の批判から逃げた“証拠文書”を入手が伝えているとおり偏った「聞く力」にとどまっているようです。

安倍さんが亡くなった直後は、内閣と自民党の合同葬を開く方向で話が進んでいました。それを巻き戻したのが麻生太郎副総裁で、“保守派が騒ぎだすから”と、岸田さんに3回も電話をしたそうです。最後は『これは理屈じゃねんだよ』と、強い口調だったといいます。国葬実施の方針が決まったのは、7月14日の会見の1時間前でした。

ネット上では「安倍氏の国葬、お金かかって反発されるし、それなりのクラスの弔問者が集まらないと面目も潰れるし、結果安倍氏のイメージ低下をアシストするだけなのでは」「安倍さん、何だかかわいそうだな。国葬強行によって国民の半数くらいからヘイト集められてるじゃないか」と岸田政権の判断ミスを批判し、安倍元総理を同情する声も多く見受けられるようになっています。

安倍元総理を評価する上で、朝日新聞の記者だった鮫島浩さんの記事『エリザベス女王と安倍元首相の「国葬」を対比して考える〜権力と権威の境界があいまいになった戦後日本の統治システムの危機』の内容が非常に興味深く、私自身の思いと重なる点が多々あります。

私が安倍元首相の国葬に反対する最大の理由は、日本社会の分断を招き、国家の連帯感や国民の統合をむしろ毀損するからである。それではなぜ安倍元首相の「国葬」への反対がここまで強いのか。

安倍元首相が権力私物化を重ね、虚偽答弁を重ねたこと。アベノミクスが格差を拡大させたこと。旧統一教会と自民党との歪んだ関係を増幅させた張本人であることーーさまざまな理由があろう。

だが最大の理由は、安倍元首相という政治家の存在が国論を二分し、社会を分断してきたからだと私は考える。そもそも安倍元首相の政治手法が「敵と味方」を二分し、敵には厳しく味方には甘いものだった。

選挙の街頭演説で自分を批判する人々に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉を浴びせたのは、社会の分断を煽って支持を引き寄せる政治手法を象徴するシーンだった。安倍政治の本質は「社会の分断」にあったのだ。

安倍元総理が意識的に「社会の分断」を煽ってきたとは考えていませんが、結果的にそのような対立構造が際立ちがちな政治を進めてきたものと受けとめています。まさかご本人は理不尽な死を強いられた後も、このように「社会の分断」を招く火種を残すとは夢にも思っていなかったのではないでしょうか。

様々な問題点が浮き彫りになっていますが、違法かどうかグレーゾーンのまま政府は国葬を押し切ろうとしています。そもそも違法だと断定されるのであれば議論の余地はなく、即時に中止を決めなければなりません。しかしながら内閣府設置法による「国葬儀」であり、かつての国葬とは異なり、実質は内閣葬という解釈を貫いているようです。

このような位置付けであり、自治体の対応は分かれがちです。NHKの報道『安倍元首相国葬 自治体調査 半旗掲げる?参列は?』によると、庁舎などで弔意を示す予定があるか聞いたところ、47の都道府県と20の政令指定都市のうち57の自治体が半旗や弔旗を掲げると回答しています。思ったよりも対応する自治体が多いという印象です。グレーゾーンである限り、やむを得ない結果なのかも知れません。

ここまで私自身が興味深く感じたサイトの内容を紹介しながら深堀りしてきました。安倍元総理の国葬に反対する立場から賛成している方々に向け、このような問題性があるという情報発信を意識した記事内容としています。

いつも心がけている点ですが、反対という結論の押し付けではなく「なぜ、反対なのか」という多面的で丁寧な説明が欠かせないものと考えています。立場や考え方が異なる方々に対して「なるほど」と思わせるような言葉を探しながら、このブログの記事本文と常に向き合っています。

最後に、もう一つ『連合会長「安倍氏国葬出席」が波紋 政府に恨み節も』という記事を紹介します。違法性が問われている中、組織として対応を決めた場合、構成員はその決定に従わなければなりません。しかし、出席しないという対応を決定していない限り、出席する芳野会長を必要以上に批判することは組織にとってマイナスでしかありません。

自治体に対しても同様です。半旗や首長の国葬出席など自治体個々の対応について批判することも懐疑的です。弔意が強要され、従わない職員が罰せられるような事態に至った場合は労働組合として絶対看過できません。そのような事態は起こり得ないと見込んでいますが、個々人の判断に裁量が認められている限り、賛否を伴う判断はそれぞれ尊重されなければならないはずです。

いずれにしても「政府が世論を分断する形で国葬を強行するからこうなる」と嘆くよりも「社会の分断」を広げ、憲法や法律を都合良く解釈しがちだった安倍元総理の政治手法、それを引き継いでいる岸田政権の問題点こそ、徹底的に追及する機会にすべきものと考えています。

| | コメント (0)

2022年9月17日 (土)

平和や人権の新たな組合方針案

私どもの組合の定期大会は11月11日に予定されています。定期大会に向けた議案を執行部で集中的に討議する会議が明日日曜に行なわれます。前回記事(最後の「はじめに」)を通し、議案書の「はじめに」の原稿全文をお示ししました。

何年も前の「はじめに」は、まず直近一年の国際情勢から書き込むことが通例でした。その当時の慣例に従えばロシアがウクライナに軍事侵攻したことを真っ先に「はじめに」の中で伝えなければならない直近の国際情勢です。

ただ現在の「はじめに」は職場課題の動きを情勢より先に書き込むようにしています。労働組合の最も大事な役割は組合員の労働条件の維持向上に努めることであることを強調したいからです。私自身が「はじめに」を担当するようになってから意識的に見直したこだわりの一つでした。

もともと組合の日常的な活動は職場課題の解決に向けたものが専らで、その分量と比べれば平和に関わる取り組みはわずかです。一方で、組合を身近に感じていただくための一つのツールとして開設した「公務員のためいき」ですが、取り上げる題材の比率は実際の活動内容と反比例して平和の築き方に関わる話が多くなっています。

「なぜ、組合が平和に関わる課題にも取り組むのか?」という恒常的に示される疑問に答える場として位置付けていることが理由の一つです。加えて、自分自身の思うことを不特定多数の方々に発信できる当ブログは自分なりの一つの運動として位置付けているからでした。

今年の8月も「平和への思い、2022年夏」という記事の投稿から始まり、「平和への思い、2022年夏 Part2」「平和への思い、2022年夏 Part3」という同じ記事タイトルを「Part3」まで重ねていました。

とりわけ今年は「平和や人権問題の組合方針」「平和や人権問題の議論提起」という記事で伝えた経緯のとおり私どもの組合方針に関わる内容の投稿も加わっています。昨年11月の定期大会での質疑の際、出席者から平和や人権の方針案そのものを削除すべきではないかという意見が示されたことを契機に方針見直しの議論に入っていたからです。

5月末と8月末に資料を職場回覧し、9月7日には「平和や人権に関わる組合方針」意見交換会を開いています。千人を超える組合員数ですので百人ほど入れる会議室を確保していました。会場が満杯になることは想像していませんでしたが、最初から少人数の参加者を見込んだ会場での開催は避けていました。

当日、決して多いとは言えませんが、参加者12名で開くことができました。定期大会での質問者以外にも参加いただき、少人数ながら幅広い職場からの参加を得られています。横着な私は会議室の机の並びを大きく変えずに開こうと考えましたが、副委員長の意見で車座に並べ替えていました。

どちらの判断も間違っていないものと思っていますが、残り2か月弱で執行委員長を退任するため、なるべく引き続き担う他の組合役員の意見を尊重していこうと考えているところです。その日も車座にしたことで意見を交わしやすくなっていたはずであり、一手間を惜しまなかったことが正解だったようです。

ちなみに平和や人権の新たな組合方針案に関しても同様でした。意見交換会等を経て文章整理した草案を他の組合役員に示した際、言い回しや項目の順番などに意見が寄せられました。根幹に関わる箇所ではなかったため、このままで問題ないと初めは退けていました。

せっかく目を通してもらいながら拒むばかりの対応だったことを反省し、どちらの判断も間違っていないのであれば指摘を受け入れようと考えを改めていました。そのことをメールで連絡した際、「最後の2か月、もっと謙虚に聞く力を発揮できればと思っています」という一文も添えていました。

本題から少し離れた話が長くなりました。意見交換会に参加された皆さん、それぞれ組合の役割に期待されていることが伝わってきていました。定期大会で質問された方も決して組合の活動を全否定している立場ではなく、幅広い考え方を持っている組合員の声を受けとめた方針であって欲しいという思いであることを理解しています。

人によって評価が分かれてしまいがちな言葉を並べた平和や人権の方針を掲げ続けることで、組合への結集力の妨げになるようでは問題であることを意見交換会の参加者全員が共有されていたように思っています。一つ一つの方針に対し、詳しい説明や掲げている経緯などを盛り込むという丁寧さの発揮も求められています。

それでも組合員全員が共通の認識に立てるかどうか容易ではないことも留意しなければなりません。当日の参加者や参加できなかった方から「これまでの方針の内容で良いのではないか」という意見も示されています。また、方針を大幅に見直すべきという意見の方も、自治労や平和フォーラムとの関係性まで否定していませんでした。

このような議論を経て、今回の第77回定期大会の議案としてリニューアルした「平和や人権」の方針案を提起しています。今後も自治労や平和フォーラムとの関係性は重視していきますが、現在の組合員の皆さんの意思を丁寧に受けとめながら必要な見直しを進める貴重な機会だったものと受けとめています。

上記は前回記事で紹介した「はじめに」の中の一文です。全面的な見直しではありませんが、今回の記事タイトルも「平和や人権の新たな組合方針案」としています。明日討議する方針案「平和や人権をまもるたたかい」の原稿内容は最後に掲げていますが、基本的な姿勢の問題としてリニューアルという言葉を使っています。

「はじめに」と同様、議案討議前の原稿ですので、一部補正する箇所があるかも知れません。それでも事前に必要な調整をはかっているため、大筋の骨格は変わらない見込みです。議案討議で確認した後、9月下旬に発行する『組合ニュース』で報告し、10月上旬には議案書として組合員の皆さん全員にお示しする運びとしています。

具体的な項目に入る前に「そもそも組合が平和や人権に関わる方針を掲げる理由」について付け加えています。基本的に総論的な方向性を示す方針とし、「天皇制」「日の丸」「君が代」「靖国神社」など掲げる際に精緻な説明が必要とされる項目は外しています。

差別に関しては具体的な言葉を例示しないことによって、掲げていないため軽視しているという誤解を招かないよう「あらゆる差別に反対」という記述に改めています。もっと総論的な項目に絞るべきという考えもあるのかも知れませんが、これまでの経緯を踏まえて具体的な言葉を掲げた内容も残しています。

平和や人権の組合方針案の問題は、これまで当ブログの中で継続的に伝えてきています。そのため、少し早めのタイミングかも知れませんが、今回の記事でも下記のとおり原稿内容の全文をそのまま紹介させていただきます。

          *         *

労働組合の本務は組合員の雇用や生活を守り、労働条件の維持向上をめざすことです。一方で「組合員のため」を主目的とした組合活動も、職場内の閉じた活動だけでは結果としてその目的が達成できない恐れもあります。加えて、自分たちの職場だけ働きやすくても、社会全体が平和で豊かでなければ、暮らしやすい生活とは言えません。

そのため、労使交渉だけでは到底解決できない社会的・政治的な問題に対し、多くの組合が集まって政府などへ大きな声を上げていくことも昔から重要な組合運動の領域となっています。このような背景があり、自治労や平和フォーラムに結集し、組合は下記のような平和の課題にも取り組んでいます。

(1) 日本国憲法の平和主義を重視した運動を進めます。

(2) 人権、思想、信教、言論の自由が尊重される社会の実現をめざし、あらゆる差別に反対します。

(3) 自治労や平和フォーラムが呼びかける平和や人権尊重の行動や集会に参加します。

(4) 核兵器の廃絶を願い、反核運動を推進し、原水禁大会などに参加します。また、核兵器禁止条約への日本政府の署名・批准を求めていきます。

(5) 騒音や墜落の危険がある横田基地や立川基地の撤去をめざします。また、横田基地へのオスプレイの配備に反対していきます。

(6) 地元の立川空襲をはじめ、戦争がもたらす被害や悲劇を継承する取り組みを進めます。

(7) 砂川闘争の歴史を継承するため、平和資料館の建設などをめざします。当面は砂川学習館内にある立川市砂川地域歴史と文化の資料コーナーの存続を求めます。

(8) 組合が平和運動などに取り組む意義を組合員へ丁寧に周知し、問題意識を共有化した活動に努めます。

| | コメント (4)

2022年9月10日 (土)

最後の「はじめに」

前回記事「自治労大会の話、インデックス」の最後に「単組の責任者として力を注げるのは残り2か月余りです」と記していました。11月11日に開く定期大会までが執行委員長としての任期ですので、このブログの新規記事を投稿した後の週には残り2か月を切っていることになります。

同じポストに同じ人物が長く続けるのは決して望ましいことではありません。そのような意識が働いているため、執行委員長を何年間務めてきているのか、これまで具体的な数字を当ブログの中で示したことがありません。そもそも私自身、改めて数えない限り何年担ってきたのか頭に入っていませんでした。

このブログも長く続けています。ご縁があって「相互リンク」しているサイトは右サイドバーにあるとおりです。久しぶりに訪問させていただきましたが、現在も継続的に更新されているサイトは「うざね博士のブログ」だけでした。ある程度予想していたことですが、SNSの中でもブログ自体が少数派になっているようです。

委員長に選ばれた翌年の8月からブログを始めています。右サイドバーの下のほうにある「ココログ」のロゴマークの真下にブログの開設日が掲げられています。その日付は「2005/08/16」です。つまり2004年11月に委員長となり、改めて数えてみると18年間担ってきたことが分かります。

昨年11月の記事定期大会を終えて、2021年秋」の中でも伝えているとおり今年度はバトンを着実に渡すための一年であるという意識のもとに過ごしてきました。たいへん長く担ってきていますので定期大会を間近にしての退任の判断では迷惑をかけるものと思い、一年前に予告した上で引き継ぎのための一年という猶予期間に位置付けていました。

このことは組合役員をはじめ、周囲の皆さんにはお伝えしている話でした。他の組合の皆さんにも明かしている話であり、このブログの中ではストレートな言葉でそのことを記してきました。私どもの組合員の皆さんに向けては今年3月に発行した機関誌の中で婉曲な言い方で触れていました。

私自身の記名原稿となる特集記事「春闘期、情勢や諸課題について」の見出し「組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」の前に【Will】という言葉を付けていました。Will】という言葉には「遺言」という意味もありますが、そのことの説明は適切でないものと考え、機関誌には「未来形としての願いであり、バトンを託す皆さんに向けた言葉」という説明を加えていました。

結局のところストレートな表現を控えたため、この言葉から今年11月の定期大会で執行委員長を退くという表明であることは充分伝えられなかったようです。先月の記事平和への思い、2022年夏」の中でお伝えしていましたが、8月下旬に職場回覧する「平和や人権に関わる組合方針の確立に向けて(参考資料)」のタイトルに【卒論】という言葉を添えることも考えました。

【卒業論文】という文字通りの言葉であり、ストレートな退任予告のメッセージとなります。この言葉を付けると仰々しく、かつ重々しくなってしまうため、結局【卒論】という言葉は添えませんでした。ただ結びの一言として、今年3月に発行した機関誌の特集記事の見出し「【Will】組合は必要、ともに考え、ともに力を出し合いましょう!」のような組合活動が進められていくことを心から願っています、と添えていました。

今週発行する『組合ニュース』裏面の「組合は大事、だから幅広く、多くの担い手が必要です! 同時に貴重な経験を積める組合役員、ぜひ、手をあげてみませんか?」という見出しを掲げた呼びかけ文は私自身の記名原稿です。この呼びかけ文を通し、執行委員長を退任することについて触れることも考えました。

結局、そのことは触れず、ほぼ例年と同じ内容でまとめています。いろいろ考えてきた結果、定期大会議案書の「はじめに」の中で触れることにしました。「はじめに」も私自身の記名原稿であり、定期大会の1か月前の10月上旬に組合員の皆さん全員にお配りするため、タイミングとしては最良だろうと考えたところです。

定期大会の議案は組合役員が手分けして準備します。原稿を持ち寄って内容等を集中的に議論する場である議案討議は来週日曜です。原稿の提出期限は水曜の夜としています。私の分担している項目の中で、いつも「はじめに」は最後に取りかかっていました。組合役員を退任するため、来年の今頃は議案の原稿作りから解放されています。

まさしく最後の「はじめに」を書き上げたことになります。議案討議前の原稿ですので、一部補正する箇所があるかも知れません。それでも今回のブログ記事の中で、最後の「はじめに」の原稿内容をそのまま紹介させていただきます。

          *         

組合活動の年度で言えば、昨年の定期大会(11月5日)から今年の定期大会までの一年間が2022年度です。その2022年度の活動を総括し、向こう一年間の新たな組合方針を議論する場が定期大会です。

この一年も新型コロナウイルス感染症への対応が欠かせず、組合はコロナ禍の中で活動の範囲を慎重に見極めてきました。三密が避けづらい職場委員会は引き続き開催を見合わせてきましたが、市民会館小ホールで開く定期大会は今年も出席者数を絞るなど感染対策に留意しながら開催します。

コロナ禍の中でも必要な労使協議は精力的に重ねています。組合の最も大切な役割は労使交渉を通し、組合員の労働条件の向上に努めることです。労働条件を決める場で労使は対等な立場となります。職員一人ひとりが組合に結集することで、一人ひとりの率直な思いや声を使用者側に届けられるようになります。このような大切な役割のもとに2022年度、組合は主に次のような活動を進めてきました。

8月1日の市当局との団体交渉で、定年延長に伴う条例化を労使合意しました。その際、継続課題の住居手当も都準拠とし、35歳以降不支給としたいという意向が市当局から改めて示されました。これまでの経緯を訴えながら組合は反発し、最終的に定年延長の問題とは切り離し、別途協議を継続していくことで決着しています。組合は住居手当に年齢を区切る不合理さを訴えた上、都準拠に固執するのであれば都より大きく下回る地域手当の問題と同時決着すべきという立場です。

職場からの切実な声を反映した「人員確保・職場改善要求書」に基づく労使交渉は極めて重要です。2023年度に向けた要求を集約するための職場アンケートの実施は例年より早め、提出期限を7月29日としていました。要求を少しでも前進させるためには、要求書の提出時期を早めたほうが望ましいと判断したからです。

2020年4月から始まった会計年度任用職員制度に関わる労使協議も引き続き重要な課題です。特に65歳までの安定的な雇用継続に向け、労使交渉を本格化させています。8月1日に開いた団体交渉の中では、5年ごとに競争試験を強いられる不合理さなどを市当局に改めて訴えています。

3月4日、職場がなくなるという深刻な事態に直面していた新学校給食共同調理場の問題は大きな節目を迎えました。現評の各部会と連携をはかりながら大詰めの労使協議に臨んでいました。任用替え試験が現業職全体を対象に実施することなどを確認できたことで、小学校の単独調理方式をセンター方式に変更する計画を受け入れていました。

組合の活動は「組合員のため」を主目的として自主福祉活動や親睦行事、社会貢献や自治研活動にも取り組んでいます。また、労使交渉だけでは解決できない社会的・政治的な課題に対し、多くの組合が集まって取り組んでいる平和の課題や政治的な活動も必要な運動方針として掲げています。

2022年度、昨年の定期大会での質疑応答を受け、「平和や人権」の組合方針について議論を重ねてきました。5月末と8月末に資料を職場回覧し、9月7日には「平和や人権に関わる組合方針」意見交換会を開いています。このような議論を経て、今回の第77回定期大会の議案としてリニューアルした「平和や人権」の方針案を提起しています。今後も自治労や平和フォーラムとの関係性は重視していきますが、現在の組合員の皆さんの意思を丁寧に受けとめながら必要な見直しを進める貴重な機会だったものと受けとめています。

今年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻し、たいへん悲しむべきことに戦火が消える兆しは見られず、罪のない多くの人たちの命が脅かされ続けています。組合はロシアの暴挙を強く批判し、即時撤兵を求めた抗議文を3月3日に在日ロシア連邦大使館あてに送っていました。戦争を避けたいという思いは誰もが同じであるはずです。その上で、ウクライナで起こっているような戦争をどうすれば防げるのか、組合員全体で共感を得られる方針や取り組みにつなげていくことが重要だろうと考えています。

私たち公務員の組合にとって各級議会に緊密な連携をはかれる議員の存在は貴重なことであり、6月の市議会議員選挙で組合が推薦し、2期目の当選を果たした市議の方とは、さっそく9月議会に向けて会計年度任用職員の雇用継続の課題で情報交換等を重ねることができています。7月には参議院議員選挙があり、自治労組織内候補の鬼木まことさんを国会に送り出すことができています。

2022年1月、組合が結成されてから75年を迎えました。コロナ禍の組合予算還元策の一つとして昨年10月には組合員の皆さん全員に感謝の意をこめ、75周年の記念品として3千円のクオカードを配布しています。3月に発行した機関誌には懐かしい写真で振り返った「フォトヒストリー『組合結成75年』」を掲載しました。

今後、よりいっそう大きな節目である結成100周年を迎えるためにも、持続可能な組合活動のあり方や進め方について定期大会での率直な議論が求められています。全員参加型の定期大会にも関わらず、多くの組合員の皆さんの出席を呼びかけられませんが、出席者にご意見等を託していただくか、委任状にご意見等を記入され、お送りいただければ幸いです。定期大会の開催を通し、ぜひとも組合員の皆さんとともに力を出し合い、よりいっそう支え合っていける組合活動が実現できることを心から願っています。

私自身、今回の定期大会をもって執行委員長を退任します。青年婦人部の幹事時代から数えれば40年余り貴重な経験や交流を重ねてくることができました。本当にありがとうございました。

| | コメント (0)

2022年9月 3日 (土)

自治労大会の話、インデックス

直近の記事は平和への思い、2022年夏」「平和への思い、2022年夏 Part2」「平和への思い、2022年夏 Part3」 でした。記事タイトルを「Part2」まで重ねる場合は頻繁にありますが、「Part3」まで続ける時はそれほど多くありません。

最も新しい記事が昨年9月に投稿した信頼できる政治の実現に向けて Part3」でした。「Part1」に当たる記事「信頼できる政治の実現に向けて」の最後のほうでは次のように記していました。

水曜と木曜、自治労大会が開かれました。広島市での開催を予定していましたが、新型コロナの感染拡大に伴い、自宅からのWeb参加でした。来賓として連合の神津会長と立憲民主党の枝野代表から挨拶を受けています。次回以降の記事で野党共闘の話などを取り上げる際、この時の挨拶内容にも触れていくつもりです。

結局「信頼できる政治の実現に向けて Part2」では触れられず、「Part3」の中でお二人の挨拶内容の要旨を紹介していました。それぞれ興味深い内容だったため、このブログで取り上げる運びとしていました。あれから一年、連合は芳野友子会長、立憲民主党は泉健太代表に交代されています。

今年の自治労大会は8月末の火曜と水曜、千葉市の幕張メッセで開催しています。当初、代議員は全員、会場に足を運ぶ予定でした。今年も感染拡大の影響で対面での参加者数を絞り、Webとの併用での開催となっています。そのため、私自身は2日間、自宅のパソコンから視聴し、e投票で採決等に参加していました。

今年11月に組合役員を退任するため、今回の自治労大会が最後の参加となります。振り返れば、いろいろ思い出すことがあります。そのような節目の機会でもあり、今週末に投稿する新規記事のタイトルは「自治労大会の話、インデックス」として書き進めています。

これまでカテゴリー別に検索できる機能を使いこなせなかったため「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めています。

その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめていました。

これまで投稿したインデックス記事は「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「春闘の話、インデックスⅡ」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」「いがみ合わないことの大切さ、インデックス」「憲法の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅢ」」「原発の話、インデックスⅡ」「コメント欄の話、インデックスⅡ」「会計年度任用職員制度、インデックス組合役員の改選期、インデックスⅢ のとおりです。

「Ⅱ」以降がある場合は最新のインデックス記事のみを紹介しています。そのようなインデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えていたタイミングであり、新たなカテゴリーとして「自治労大会の話」を投稿してみようとも考えたところです。

毎年、自治労大会は開催されていますが、このブログで取り上げたバックナンバーはあまり多くありません。直接的な題材として取り上げた内容ではない記事も含め、自治労大会に関連したバックナンバーは下記のとおりです。

2005年8月はブログを開設した直後であり、週に複数回投稿していました。さすがに出張先での更新は見合わせていたため、鹿児島に出かける前と大会から帰った後の投稿でした。現在のような長文ブログではなく、短い文章の中に写真も入れていました。

翌年から介護の事情があり、連泊となる出張は見合わせていました。そのため、副委員長や書記長らに負担をかけてしまい、たいへん心苦しく思っていました。ブロック長だった時も他市職の方と交流する場に顔を出せず、ご迷惑をおかけしました。

2008年は千葉市で開かれたため、2日間日帰りで参加しています。ただ記事タイトルは「あるチラシへの苦言」であり、改めて読み返してみると感慨深いものがあります。その記事のコメント欄では、いくつか懐かしいお名前を確認できます。

自分自身が直接会場に足を運ばなかった年も、新聞報道等から自治労大会の話を取り上げていました。それでも自治労大会に一切触れなかった年も必然的に多くなっています。2019年が久しぶりに出張を伴う福岡市で開かれた自治労大会でした。その翌年からコロナ禍の影響を受け、会場での参加はかなわなくなっています。

執行委員長を担ってから出張は激減していましたが、青年婦人部の役員時代から数えれば自治労大会を中心に全国各地に出向いています。基本的に出不精な性格のため、そのような機会がなければ伺うことのない都道府県も多かったはずです。たいへん貴重な機会を得られたことに感謝しています。

個人的な「思い出」話が長くなって恐縮です。ここからは今年の自治労大会の話に触れていきます。今回、来賓として連合の芳野会長と立憲民主党の泉代表から挨拶を受けています。昨年の神津前会長の挨拶に比べれば、芳野会長の挨拶の中で特筆して当ブログで紹介するような言葉は見当たりませんでした。賃上げやジェンダーの問題など全体を通して無難な内容だったという印象です。

毎年、自治労大会にはマスメディアの記者も顔を見せています。ニュース性のある発言があった場合、テレビや新聞各社で報道されていました。今年は共同通信が『立民 泉氏「国葬は立憲主義違反」 法に明記なしと批判』という記事を配信していました。その中では「千葉市での会合」とされていますが、自治労大会での発言だったことは明らかです。

話は横道にそれますが、安倍元総理の国葬の問題に少し触れてみます。まず国葬について、賛成か反対かと問われれば様々な問題が懸念されているため反対と答える立場です。その上で、いくつか思うことがあります。

岸田総理は国葬とは言わず、必ず国葬儀と表現しています。この違いは岸田総理らにとって非常に大きいようです。批判を受けている理由の一つに「国葬令は廃止されているため法的根拠がない」というものがあります。ただ今回は内閣の閣議決定で執り行なう「国の儀式」に位置付けているため、ことさら国葬儀という言葉を使っているのではないでしょうか。

この決定が発表された7月14日の時点では、泉代表も「静かに見守りたい」という談話を示していました。その段階で岸田総理らが野党に対しても丁寧な説明や合意形成をはかっていれば、ここまで野党側が声高に反対することも難しくなっていたのかも知れません。

そもそも慣例化していた内閣と自民党との合同葬だった場合も、半分は税金が投入されてきました。中曽根元総理に対する評価も人によって大きく異なっていましたが、今回のような反対運動の盛り上がりは見られていません。仮に合同葬だったとしても海外からの要人の参列は可能だったと言われています。

わざわざ前例を破り、国葬に模した国葬儀にしたことで大きな物議を醸すことになりました。さらに旧統一教会と安倍元総理らとの関係性が取り沙汰されるようになり、ますます国葬に対する逆風は強まっています。

政治ジャーナリストの後藤謙次さんは岸田総理の「国葬で政権に勢いが付くと考えていたんですが…」という思惑の誤算を指摘しています。『国民に歓迎されると思ったのに…「国葬」即断で岸田首相が犯した大きすぎる「2つのミス」』という報道も目にしていますが、今さら中止にすれば別な方面からの批判や大きな混乱が見込まれるため岸田総理は八方塞がりの状態だと言えそうです。

横道が長くなってしまいました。今回の自治労大会の話に戻ります。第1号議案は出席代議員719名中706名という圧倒多数で採択しています。過去、執行部原案に対し、修正案が示され、激しい議論が交わされた大会も少なくありません。激論するような力が弱まったというよりも、 一枚岩に近い形になって団結力が増しているというように理解したいものです。

今回の記事では触れられませんが、 定年引き上げや会計年度任用職員の課題など多岐にわたる質疑が示されていました。大会議論全般にわたって強く感じたことは、やはり組織強化の課題です。新規採用者の組合加入率の低下、脱退者の増加など全国的に厳しい現状が報告されています。

7月の参院選においては組織内候補の鬼木まことさんの得票が組合数738,659名に対し、171,620票にとどまっていることの深刻さが各県本部から問題提起されていました。組合員一人一人の政治意識の多様化の問題もありますが、日常的な組合活動への求心力低下が大きな要因になっている現状も問われていました。

一方で、県本部と単組が緊密な連携をはかったことで新規採用者の組合加入率を劇的に改善した事例の報告もありました。今後、改善できる余地があることを励みに単組それぞれが組織基盤の強化や底上げに向けて力を注いでいかなければなりません。

私自身、単組の責任者として力を注げるのは残り2か月余りです。その後も一組合員として組合活動に関心を持ち、できる範囲で応援していくつもりです。これからも自治労大会が毎年開かれ、活発で前向きな議論が交わし続けていけることを切に願っています。

| | コメント (2)

« 2022年8月 | トップページ | 2022年10月 »