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2022年7月23日 (土)

『朝日新聞政治部』から思うこと

このブログの更新は土曜もしくは日曜に限っています。月曜から金曜までに触れるトピックは数多くあり、ブログで取り上げたい題材が見つからずに困ったことは滅多にありません。前回記事「参院選が終わり、見えてきたこと」の中で、他にも紹介したい報道等が多くありました。

山上容疑者はSNSで安倍元首相を擁護…橋下徹、ホリエモンらの“銃撃はアベガーのせい”主張が大崩壊』『「安倍やめろ」ヤジ当事者、「警察が裁判で負けて萎縮した」論に反論「こじつけだ」』『生稲晃子氏にバッシング、テレ東・池上彰氏とのトラブルも…“元タレント候補”への厳しい風当たりに広報担当の川松真一朗都議「事実を知っていただきたい」』という見出しの記事です。

それぞれ掘り下げていくと一つのテーマの新規記事をまとめられるような内容です。そのため前回記事は取り上げるべき論点を絞り、マスメディアの報道の仕方について考察するような切り口としていました。その流れの中で、最近読み終えていた『朝日新聞政治部』について触れるつもりでした。

今回の記事タイトルに掲げましたので書籍の内容等は後ほど詳述しますが、結局、そこまでつなげられないほどの分量となっていたため次回以降に先送りしたところです。今回の記事でも本筋に入る前の伏線として、安倍元総理の国葬に関わる様々な報道や考え方などを紹介させていただきます。

理不尽な死を強いられた安倍元総理に対して哀悼の意を捧げることに反意を示される方は極めて少数だろうと思っています。ただ安倍元総理の国葬に際しては様々な声が上がり、賛否が分かれていることは特に驚くような話ではなく安倍元首相“国葬適切”の自民・茂木幹事長に批判続出!「認識がずれているのはあなただよ」の声』という記事のとおりです。

このブログで普段は批判しがちな日本維新の会の松井代表の「安倍嫌いで反対しているというとらえ方をするのは茂木さん、大間違い。ピントがずれまくっている。疑念を持たれている方の疑念を解消し、理解を深める努力をするべきだ」という言葉は至極真っ当な見方ではないでしょうか。

この問題に限らず、受動的な調査での回答結果と自ら意見を寄せる調査での傾向には大きな違いが出るのだろうと見ています。それでも『森本毅郎がラジオで驚きの声 安倍元首相の葬儀でリスナー「95%が国葬反対」』という極端な結果には私自身も驚いています。

国葬の可否に関しては法的根拠の問題が指摘されていますが、同時に安倍元総理の功績についての評価が取り沙汰されるようになっています。そのような流れの中で安倍元総理を揶揄した川柳が朝日新聞に掲載されたことで『紙面づくりが「昔より過激に」なってしまう“構造”を抱えている』と激しく反発する声が上がっていました。

このような批判が高まると『朝日新聞に質問状で直撃! 安倍元首相銃撃めぐり「川柳」大炎上 事件や国葬を揶揄 OB長谷川熙氏「無責任な報道姿勢」と指弾も』という記事が伝えているとおり朝日新聞は「ご批判は重く、真摯に受けとめています。様々な考え方や受けとめがあることを踏まえ、今後に生かしていきたい」と表明しています。

ブックマークしている弁護士の澤藤統一郎さんのブログ『朝日川柳 西木空人選7句我流』 『反論 ー「弔意」を強制して「生前の罪業批判」に蓋をする論調に。』のような受けとめ方があることを踏まえれば、朝日新聞の軸のぶれ方に違和感を抱くことになります。やはり「弔意」と「政治的な評価」は峻別すべきものだろうと思っています。

いつものことですが、記事タイトルに掲げた本筋に入る前の文章だけで相当な長さとなっています。あえて「『朝日新聞政治部』を読み終えて」としなかった訳は、もともと書籍の内容を中心に展開する意図がなかったからです。朝日新聞の最近の動きが書籍からの既視感と重なり合うため、そこから思うことに絞って触れていくつもりです。

地方支局から本社政治部に異動した日、政治部長が言った言葉は「権力と付き合え」だった。経世会、宏池会と清和会の自民党内覇権争い、政権交代などを通して永田町と政治家の裏側を目の当たりにする。東日本大震災と原発事故で、「新聞報道の限界」をつくづく思い知らされた。

2014年、朝日新聞を次々と大トラブルが襲う。「慰安婦報道取り消し」が炎上し、福島原発事故の吉田調書を入手・公開したスクープが大バッシングを浴びる。そして「池上コラム掲載拒否」騒動が勃発。ネット世論に加え、時の安倍政権も「朝日新聞バッシング」に加担し、とどめを刺された。

著者は「吉田調書報道」の担当デスクとして、スクープの栄誉から「捏造の当事者」にまっさかさまに転落する。保身に走った上司や経営陣は、次々に手のひらを返し、著者を責め立てた。そしてすべての責任を押し付けた。

社長の「隠蔽」会見のあと、待っていたのは「現場の記者の処分」。このときに「朝日新聞は死んだ」と、著者は書く。戦後、日本の政治報道やオピニオンを先導し続けてきた朝日新聞政治部。その最後の栄光と滅びゆく日々が、登場人物すべて実名で生々しく描かれる。

上記はリンク先に掲げられた書籍の紹介文です。著者は朝日新聞の記者だった鮫島浩さんですので、紹介文にあるとおり朝日新聞社内の実情が生々しく描かれています。当初は称賛されたスクープ「吉田調書報道」が、大きなバッシングを浴びてしまった綻びを次のように鮫島さんは説明しています。

吉田所長が第一原発での待機命令を出したことや所員の9割が第二原発へ退避したことは事実としても、原発事故の混乱のなかで吉田所長の命令が全所員に届いた保証はなく、命令を聞いていない所員の退避を「命令違反」と報じるのは事実をねじ曲げているーという批判だった。

この綻びを突かれたことによって「吉田調書報道」そのものが強く批判され、朝日新聞のトップが全面的に過ちを認めた上で謝罪します。現場に責任を押し付け、梯子を外された鮫島さんや担当記者らは自社の上層部の保身体質やリスクマネジメントの欠如に深く失望します。今回、川柳を担当した関係者も同じような思いを抱いているのではないでしょうか。

しかるべき組織的な手続きを経ながら責任を持って紙面に掲げた内容に対し、批判を受けるたびに非を認めるような対応が重なっていけば現場の士気は下がるばかりだろうと思っています。一方で批判を受ける前に空気を読み、忖度や顔色を窺うことで現場の判断を規制する動きも目立ち始めているようです。

宮台真司氏「掲載中止よりもマシ、Twitterで捕捉」 朝日新聞がインタビューから削除した「重要なポイント」』という記事では「自民党と教会が2000年代末以降にズブズブの関係になっていたことについて、宮台氏の元の原稿では言及されていた。しかし、 朝日の担当記者がその記述を残そうと奮闘したにもかかわらず、記事公開に当たって、それらの部分が削除された」と伝えています。

最後に『鮫島浩氏「番記者制度は廃止を」元・朝日新聞記者が憂える大メディアの凋落』という記事を紹介します。その中で「吉田調書報道」について鮫島さんは「調査報道ですから、最初から100点満点ではないので、二の矢、三の矢で軌道修正するなり、足りないところがあるなら補うなりしていけば、記事を取り消すという事態にはなりませんでした」と語り、次のような言葉につなげています。

事の本質は第一報の記事の内容ではなく、記事が出てから取り消しに至るまでの4カ月間の会社の危機管理の失敗にあったというのが私の考え。多くの会社が何か失敗を犯した時に、「トカゲの尻尾切り」で下に責任を押し付け、経営者は逃げ切る。一部の官僚に責任を押し付ける政治も同じです。

こんなことをやってきたから日本全体がダメになった。そして、トカゲの尻尾切りを追及してきたジャーナリズムのリーダーみたいな顔をしている朝日新聞も自らそういうことをやった。ジャーナリズムとして失格です。本には、2014年に戻ってもう一度総括し、膿を出して欲しいという思いも込めました。

上記は『朝日新聞政治部』を上梓した鮫島さんの思いです。紹介した記事は鮫島さんのインタビューを中心に綴られています。「政治に対する忖度や萎縮は、組織ジャーナリズムに原因があると?」という問いかけに対し、鮫島さんは次のように答えています。私自身、これからも新聞は読み続けますが、鮫島さんと同様、能動的主体的なメディアの頑張りにも期待しています。

ありますね。出世に響くので、なるべく揉め事を起こさない。無難な記事で済ませる。そのための口実が「客観中立報道」という建前なんです。だから、選挙では突っ込んだ報道をしない。どの政党からも文句を言われたくないので、各党の主張を垂れ流すだけになってしまう。その結果、発信量の多い、声の大きい自民党に有利になるのは分かっているのに、一律に横並びで、分かりやすい解説はせず、踏み込まない。これではどんどん新聞離れが進みますよ。

新聞の政治記事はどこも同じだし、どこからどう出てきたか想像のつくような記事ばかり。むしろ、スポーツ紙や夕刊紙、週刊誌の方が面白い視点や参考になる記事がいっぱいある。日刊ゲンダイのように、立場を鮮明にし、覚悟を決めて強い者に切りかかっていくという記事が読者の共感を得る。これからは、そうした能動的主体的なメディアの時代だと思います。私も「SAMEJIMA TIMES」でそれを目指したい。

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