『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えて
前々回の記事は「市議選と参院選に向けて」で、前回の記事は「平和や人権問題の議論提起」でした。いつも申し上げていることですが、日常の組合活動は職場課題の解決に向けたものが専らで、その分量と当ブログで頻繁に取り上げている内容は大きく反比例している関係性だと言えます。
月2回定期発行している『組合ニュース』はA4判1枚に両面印刷しています。限られた紙面の中で一つ一つの課題を深く解説していくことは困難です。その点を補う手段として年に5回程度、職場回覧資料を発行しています。
他にも機関誌を春闘期に発行し、情勢や諸課題をまとめた特集記事を掲げています。それぞれ職場課題を中心にした内容を伝えているため、必然的に紙面の割合は日常の組合活動の分量に比例したものとなっています。
ただ前回記事の中で、組合が「なぜ、平和運動に取り組むのか」という意義や目的を組合員へ丁寧に周知し、問題意識を共有化した活動に努めていくという立場を重視している点についてお伝えしています。
そのため、選挙に関わる方針も含め、この「なぜ、取り組むのか」という点について当ブログの場で補えればと考え、冒頭に申し上げたとおりの関係性となっています。
さらに私自身の思いを不特定多数の皆さんに発信する場として、このブログでの投稿を背伸びしない一つの運動として位置付けているため、政治や平和に関わる話が多くなっていることをご理解ご容赦ください。
ここまで書き進め、今回も職場課題からは離れた記事内容にすることを思い描いています。当初、前々回記事「市議選と参院選に向けて」の「Part2」に当たる内容を考えていましたが、久しぶりに「…を読み終えて」という記事タイトルとしています。
これまで「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」「『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて」「『鬼滅の刃』を読み終えて」など「…を読み終えて」というタイトルの記事は相当な数に上っています。ちなみに今回例示した書籍からは戦争と平和について考えさせられる箇所に注目していました。
『鬼滅の刃』を取り上げたとおり過去に「漫画が語る戦争」という記事もあり、私自身、幼い頃から大の漫画好きです。最新刊が発売されれば、すぐに購入して読み終えている漫画がいくつもあります。最近では『紫電改343』『空母いぶき GREAT GAME』『颯太の国』『昭和天皇物語』を手にしていました。
例示した過去の「…を読み終えて」 というタイトルを付けた記事と同様、それぞれ戦争と平和という切り口から論評できる場面を感じ取れる漫画です。今回の記事タイトルに掲げた書籍の話に行き着く前に長くなっていますので、ここでは『昭和天皇物語』の一場面から感じたことに絞って紹介します。
この漫画は「史実を元に構成しておりますが、一部に創作が含まれています」という但し書きがあります。国際連盟を脱退した時の総会に出席していたのは松岡洋右全権大使でした。このことは有名な史実ですが、『昭和天皇物語』の中では松岡全権が連盟に留まることに力を尽くしていた姿を描いています。
昭和天皇からの厳命だったのにも関わらず、不本意な結果に至り、松岡全権は失意のもとに帰国します。しかし、多くの日本国民は国際連盟脱退に歓喜し、松岡全権を英雄として出迎えます。君側の奸と見なされた犬養毅総理らの暗殺、軍による政治への干渉や軍事行動の拡大、それらを許していく国民の熱狂を描いた巻でした。
戦争は権力者の「意思」によって引き起こされます。一方で、権力者の「意思」だけで止められない場合があることも忘れてはなりません。国民一人一人の「意思」が集まった結果、大きな角を曲がってしまう場合があることを思い返す機会となっていました。
さて、ようやく記事タイトルに掲げた書籍の話です。ウクライナで戦争が始まり、小説『同志少女よ、敵を撃て』が注目を集めていました。興味を持っていましたが、2千円を超える書籍でもあり、買うところまで至っていませんでした。
先日「なかなかの本でしたよ」と勧められたため買うことを決め、数日後には読み終えていました。500頁近くの長編ですが、時間さえ取れれば一気に読み進めたかったほどの面白さでした。いつものとおりネタバレに注意し、まずリンク先に掲げられている書籍の紹介文をそのまま転載します。
独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。
母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?
私自身の読んだ感想をいくつか添えさせていただきますが、 あらかじめ申し添えなければならない点があります。「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは必ずしも一致しません」という但し書きについてです。『昭和天皇物語』の「史実を元に…」よりもフィクションである点を強調した但し書きでした。
この点を念頭に置いて論評を加えなければなりません。リンク先のカスタマーレビューで星5つと4つが90%近くを占め、全体的には「とてつもなく面白い」という声があるように好評価を得ています。一方で、史実に照らし合わせた時のおかしさやストーリー展開のぎこちなさなどを手厳しく批判する星1つのレビューも見受けられます。
私自身の感想は前述したとおり星5つに相当するもので、平和な日常が戦争という非日常に一転する過酷さを生々しく伝える描写に圧倒されていました。当時のソ連はドイツに攻め入られ、主人公の女性が生まれ育った村は殺戮や強姦によって踏みにじられます。生き残った主人公は女性狙撃手として防衛戦争に従事するという物語です。
戦争さえなければ穏やかな暮らしが続き、幼なじみと結婚していたと思わせる序盤の風景が描かれています。それが戦争という場面で、女性を守りたいという主人公の正義が予想していなかった展開につながります。ネタバレに注意しなければならないため「同志少女よ、敵を撃て」という言葉の衝撃は読み終えた人だけが感じ取ることになります。
砲兵少尉となっていた幼なじみと主人公は戦場で偶然再会します。「私はまだ、たったの80人だもの」と狙撃して殺した敵の数を平然と語る主人公に対し、幼なじみは呆然とした表情で絶句します。その主人公は、ソ連兵士がドイツ人民の女性への乱暴の常態化という事実に言葉を詰まらせています。
戦争そのものの理不尽さとともに戦場に送り出された兵士が、非日常の中で人道的な感覚を麻痺させていく姿が物語の随所で描かれています。具体的な描写はフィクションかも知れませんが、実際にあった事実の数々を下敷きに描かれているはずです。そのことに思いを巡らせるたび、ウクライナの現状に心を痛めることになります。
ウクライナ出身の登場人物の言葉にも目を引きました。「食糧を奪われ続け、何百万人も死んだ。ソ連にとってのウクライナってなに? 略奪すべき農地よ」と嘆いた時、主人公は言葉を遮ります。主人公が制止した後も、さらに「本当のことを言えば殺されてしまう国に、私たちは住んでいる」と続けていました。
このような描写からはロシアとウクライナとの歴史的な関係性を垣間見ることができます。そして今、かつて同じ国だった2つの国による戦争が始まり、この書籍の注目度を高めている理由の一つになっているようです。
他にも目を引いた言葉が数多く添えられています。ドイツの加害とは「専らユダヤ人に対する大量虐殺であり、国防軍が東欧で働いた虐殺ではなく、ましてソ連女性への暴行でもなかった」と記しています。
一般のドイツ人とは別人の「ナチ・ドイツ」がもたらした「私たち善良なドイツ人」に対する被害の表象として受け止められた。ドイツは国際社会に復帰する過程で、虐殺されたユダヤ人への哀悼と謝罪を口にし、自らの被害を内面に留保することで、彼らは自らの尊厳を取り戻したようだった。
戦争の物語を通し、作者は様々な言葉によって問題提起を重ねているように感じていました。作者の問題意識が随所で伝わってくるため、単なるエンターテイメント小説ではない重厚さを兼ね備えた作品となっています。
『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えて、いっそう戦争に対する嫌悪感を強めています。そして、平和な日常が当たり前なこととして、ずっと続くことの大切さをかみしめる機会となっていました。
最後に、前回記事の冒頭でロシアの外交官の勇気ある行動をお伝えしましたが、今回は次のような動きを紹介します。『ロシア正教会トップがウクライナ侵攻に“異議アリ”! プーチン大統領は盟友の苦言に真っ青』『ウクライナ正教会、ロシアと断絶 侵攻擁護の総主教を批判 』という動きが一刻も早い停戦につながることを願ってやみません。
ウクライナメディアによると、キリスト教東方正教会のロシア正教系のウクライナ正教会が27日、ロシアのウクライナ侵攻を非難し、ロシア正教会との関係断絶を宣言した。
ロシア正教会の最高位キリル総主教はプーチン大統領との関係が深く、ウクライナ侵攻も擁護。ウクライナ正教会側は、こうした姿勢を批判した上で、ロシアとウクライナに対し交渉による停戦を呼びかけた。
ウクライナのキリスト教は、カトリックと正教会に大きく分かれる。正教会も、ロシア正教会に融和的な宗派とウクライナ独自の宗派などがある。今回断絶を宣言したのは、これまでロシア正教会に融和的だった宗派。【リビウ共同2022年5月28日】
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