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2022年1月29日 (土)

個人的な失敗談から省みること

新型コロナの1日あたりの新規感染確認者の数は日を追うごとに増えています。前回記事「再び東京に蔓延防止等重点措置」の中で、2類相当の新型コロナを季節性インフルエンザと同じ5類にすべきかどうかという議論があることを伝えていました。

ただ現段階で新型コロナをインフルエンザと同じ分類にすることは大半の人が違和感を抱き、医療費の個人負担や特措法に絡む自粛要請の問題なども整理しなければなりません、このようにも書き添えています。

ちなみに「インフルエンザと同じ分類」のリンク先の記事は呼吸器内科医の倉原雄さんの『新型コロナを5類感染症にすべきか?オミクロン株で高まる「5類」論』という論評です。改めて確認すると昨年8月の記事『新型コロナを5類感染症にすると医療現場はどうなるか?』をアップデートしていたことが分かりました。

昨年8月の記事では田村厚労大臣(当時)が「ワクチン接種がより進んだ場合に見直しを検討するような必要がある」と述べていることを伝えています。結局、ワクチン接種が進み、感染状況が落ち着いていた時期に見直しの検討はされていません。

5類に変えると国民から感染対策に力を抜き始めているように見られてしまう、このような政治的な思惑が優先され、岸田総理が見直しに消極的だったことは間違いないようです。しかし、2類相当の見直しを提起されている方々が必ずしも日本のコロナ禍を「さざ波だから」という楽観視した見方で訴えている訳ではありません。

新型コロナの患者と日々向き合っている医師の方々からも様々な声が上がっています。いつも当ブログの中で紹介しているDr.和の町医者日記」で有名な長尾和宏さんは『「無限ループ」を解くには』などという記事を投稿しています。いずれにしても「守れる命、守るべき命」を守れる医療体制の確保を願った問題提起だと言えます。

さて、このブログのカテゴリーは「日記・コラム・つぶやき」としています。今回の記事では最近、私自身が実際に経験した手痛い失敗談を伝えながら話を広げてみようと思っています。それこそ「雑談放談」の類いとなるかも知れませんが、自分自身、同じような失敗を繰り返さないためにもブログ記事の中に残そうと考えてみました。

まず一時停止違反の話です。裏道から表通りに出る際、自転車や歩行者に注意しながら慎重に車を進めていました。表通りに出る手前2メートルほどの所に一時停止の白線が引かれていることも認識し、しっかり左右を確認しながら普段通り安全な運転に心がけていました。

すると左折した直後、制服警官に呼び止められました。呼び止められた理由が分からなかったため「一時停止違反です」と告げられた時、たいへん驚きました。「えっ、止まっていたはずですが?!」と答えると「白線の手前で完全に停止していないことを警官2名で現認しています」と畳みかけられました。

一時停止違反の多い場所だったため、複数の警官を配置した取締りに摘発された一人になってしまったようです。表通りに出る前、左右から行き交う自転車や歩行者を確認するためには白線の位置では見通しが悪いため、確かに白線を少し越えていたかも知れません。もしくは数秒間、ピタッと停止したかと問われれば「止まったつもり」程度だったかも知れません。

帰宅後、自分自身の気持ちを納得させるためにも初めてドライブレコーダーを操作してみました。一時停止違反を指摘された場面を再生したところ完全に車を止めていた瞬間がなかったことは認めざるを得ませんでした。罰則は指定場所一時不停止等違反として7千円の反則金、違反点数2点が課されました。

巡り合わせも悪く、免許の更新を間近に控えていました。勤務している市役所の近くにある警察署での手続きはできず、遠くの試験場まで足を運ぶこととなり、数十年ぶりにゴールド免許を取得できなくなった手痛い失敗でした。

私を摘発した警官が必要な書類を記入している傍ら白線の手前で停止していない車を数台見かけています。いみじくも自分自身が綴った以前のブログ記事を思い出していました。これまで徴税吏員としての職務の話をいくつか投稿してきましたが、「職務に対する心構え」の中の一文をそのまま紹介します。

スピード違反で摘発された人が「なぜ、自分だけなのか。他にも大勢、違反しているじゃないか」という理屈を訴えるケースもあります。徴税の業務にも言えることですが、滞納者全員に差押処分を執行できている訳ではありません。そのため、差押を受けた人から「なぜ、自分だけなのか」という苦言が訴えられる時も少なくありません。その際、「法律に基づき、皆さんに対して同じように取り組んでいます」とお答えしています。

とは言え、必ずしも差押できる財産などが見つからず、決め手がないまま時効の迫る事例も決して珍しくありません。やはり交通違反の取締りと同様、「捕まるかも知れない」「差押されるかも知れない」という心理的な抑止力を与えることによって、ルールの遵守を期待する制度的な側面があることを徴税吏員の職務の中にも見出しています。確かに徴収率100%は非現実的な目標となりますが、より100%に近付けるため、私たち徴税吏員は日常的に努力しています。

数十年ぶりの交通違反によって定められたルールは守らなければならない、当たり前なことを改めて認識する機会となっていました。それ以降、道路上に引かれた一時停止の白線がよく目に入るようになっています。一方で法律の適用に関し、社会通念上の幅や実情に応じたノリシロがあることも確かです。

新型コロナへの対応が感染症法の分類からすれば大きく乖離している現状などはその一つの事例だろうと思っています。ただ「ここまでは大丈夫」「今までは許されていた」などと自分勝手な判断でルールを逸脱した際、いきなり取り返しの付かない処罰を受ける場合があることも心に刻まなければなりません。

続いて首都圏に雪が降った翌朝の失敗談です。山梨県のゴルフ場に行く予定がありました。前夜、ゴルフ場から「予定通りプレイできます」という確認の連絡を受けていたため、当日の朝、かなり余裕を持った時間に車で家を出ていました。凍結している路面に注意しながら高速道路も極力スピードを出さずに向かいました。

無事ゴルフ場に到着した時、あまりの静けさに戸惑いました。そこで携帯電話を手にして、ようやく着信履歴や留守録が複数入っていることに気付きました。一緒にラウンドする予定の方に電話し、朝早い時間にゴルフ場から「予想より雪が多くて除雪できなかったためクローズ」という連絡があったことを知りました。呆然としながら自分自身の「思い込み」に腹が立ちました。

前夜できるという確認の連絡があったから間違いなく当日プレイできるという「思い込み」です。家を出る直前、もしくは家を出てからも、せめて高速道路に入る前に「もしかしたらクローズの連絡が入っているかも知れない」という想像力を働かせるべきだったと悔やみました。この失敗談からはミスや事故を未然に防ぐための「かも知れない」の大切さを痛感する機会となっていました。

ここ最近、他にも些細な失敗が続きました。近くのゴルフ練習場が改修工事のため利用できません。そのため時々、少し遠くのゴルフ練習場に出向いています。数か月前、水曜日に立ち寄って定休日だったことを知りました。それにも関わらず最近、定休日のことを忘れて水曜の夜に出向き、静けさと建物の暗さに落胆していました。

その日の帰り道、書店に立ち寄り、新刊コーナーに置かれていた『創世のタイガ』9巻を購入しています。家に帰ってから読み始めると既に9巻は購入していたことに気付きました。新刊コーナーに置かれていたことで発売されたばかりという「思い込み」の失敗でした。

実は別なコミックで過去にも同じ巻を二度購入したことがありました。定休日に出向いてしまったゴルフ練習場と同様、以前失敗した経験を活かせず、その日は二重三重に自分自身の注意不足を省みていました。幸いにも笑い話で済む失敗談ですが、作り話ではないことがお恥ずかしい限りです。

危険予知活動とリスクアセスメントという安全衛生面での取り組みがあります。私どもの組合は特にKYT(危険予知トレーニング)を推奨しています。危険に関する情報を共有化し、危険に対する感受性や問題解決能力を高めるためには日常的な訓練が重要です。KYTに対する認知度を高め、個々人で実践できる具体的な訓練方法等の周知や啓発活動を進めることの大切さを安全衛生委員会の中で訴えていました。

いずれにしても過去の失敗を教訓化し、繰り返さないための心得を意識しながら「○○だろう」という「思い込み」を厳禁とし、いつも「かも知れない」という想像力を働かせることが求められています。今回のブログ記事に掲げた私自身の失敗談が反面教師となり、もっともっと大事な場面でお役に立つようであれば本当に幸いなことだと思っています。

最後に、先々を見通しづらいコロナ禍だからこそ岸田総理をはじめ、為政者の皆さんには「かも知れない」という心構えのもとに危険予知能力を存分に発揮して欲しいものと願っています。このような力を的確に発揮していれば第6波を防げなかったとしても、もしかしたら社会的な混乱やリスクをもう少し圧縮できたのかも知れません。

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2022年1月22日 (土)

再び東京に蔓延防止等重点措置

年明けからオミクロン株の感染拡大によって新規感染者数は急増しています。1月21日からは蔓延防止等重点措置の対象地域に東京都なども加えられました。昨年4月東京にも蔓延防止等重点措置」という記事を投稿していました。

緊急事態宣言は4回も発令されていますが、東京において蔓延防止等重点措置の適用は昨年4月以来の「再び」となります。昨年1月8日に発令された2回目の緊急事態宣言以降、飲食店に対する規制が中心となっていたため、両者の違いが分かりづらくなっています。

ちなみに大半のメディアは「まん延」と表記しています。「蔓」という字が常用漢字ではないため、そのような対応となっているようです。少し迷いながら昨年4月に当ブログでは「蔓延」と表記していましたので、今回も同様な対応をはかっています。

さて、週に1回更新している当ブログでは昨年11月末に「緩められないコロナ対策」というタイトルの記事を投稿していました。その記事の冒頭の書き出しは次のとおりでした。

新型コロナの新規感染確認者の数は激減しています。東京都内の先週水曜の感染確認は5人で今年最も少ない数となっていました。8月には5千人を超える日が続いていましたので最近の推移から見れば収束に向かっていることを期待したい傾向です。しかし、まだまだ安心できない現況であることを下記のような報道から認識しなければなりません。

下記のような報道とは、デルタ株を上回る感染力を持つと見られている変異株「オミクロン株」が確認されたこと、ワクチン接種率8割近くの韓国で感染拡大し、ワクチン効果の持続性などが懸念されていたことを伝えていました。

前回記事「間近に迫った北京五輪」の最後のほうでは「自然災害や感染症は人間の手によってコントロールできません。そのため最悪な事態を想定し、普段から必要な備えを怠らず、リスクを緩和していく心構えが欠かせません」と記していました。

果たして昨年11月末の段階で、海外での感染拡大が決して「対岸の火事」ではなく、数か月後の日本の姿であることを的確に予見していた人はどれほどいたのでしょうか。岸田総理も第6波に備えていたはずですが、ここまで急速な第5波以上の感染者数での拡大は想定していなかったかも知れません。

3回目のワクチン接種の遅れに関しては『岸田首相にブーメラン、菅政権のコロナ対応を批判もワクチン後手後手の皮肉』という記事のような批判を受けています。接種を早めようにも充分な供給量自体が確保できず、遅れてしまったことの責任は岸田総理に帰結するのだろうと思っています。

ただワクチン接種の遅れよりも、もっと備えるべき点があったのではないかと考えています。必ず第6波が来ると想定し、感染拡大した時、より効果的な対策は何か、保健所の機能不全や医療崩壊を起こさないための方策は何か、早急に検討すべき事項が多々あったのではないでしょうか。

残念ながら今回の蔓延防止等重点措置を通し、そのような検討が尽くされていたような形跡は見受けられません。飲食業界のみに大きな負担を生じさせ、不要不急な外出の自粛を求めるという既視感のある光景が繰り返されていました。

その中で新型コロナ感染症対策分科会の尾身会長の「人流抑制より人数制限」という発言は目新しく、たいへん興味深いものでした。尾身会長は会食などに的を絞ったメリハリの利いた対策の必要性を訴え、マスクを外し、大声を出した時に感染するリスクを改めて疫学調査から分析しています。

マスクを外す家庭内感染の実情も指摘し、感染を完全に防ぐことの難しさを前提に「人数制限」によるクラスター防止を重視した説明だったものと理解しています。一方で小池都知事は「不要不急の都県境を越える移動は自粛をお願い致します」など従前通りの発言に終始し、尾身会長との対比が際立ちました。

結局のところ『尾身会長「ステイホーム不要」を政府が軌道修正 分科会、医師会、知事会から批判続出』という報道の通り尾身会長の発言は軌道修正を余儀なくされています。別の分科会のメンバーは「オミクロン株でも人流抑制は必要です。尾身さんはよりリスクの高いところを重点的に対策する必要があるということを言いたかったのだと思います」と補足していました。

しかし、ネット上から蔓延防止等重点措置や人流抑制に対して様々な懐疑的な意見に触れることができます。それぞれの記事の見出しから当該のサイトに飛べるようにしていますので関心を持たれた方はリンク先をご参照ください。

コロナ問題の整理 あくまで感染症は致死率で考えよう まん延防止等重点措置はそこまで有効でないし少なくとも東京都がいう人流制限はいらないまたまん延防止か、ウンザリだ! 小池都知事はオミクロンがインフル並みだと思ってるくせになぜ人流抑制するのか』『「デルタ株とは違う」医療現場から嘆き 社会制限だけでなく適切な医療体制の構築急げ

これまで何回か紹介してきたブログ「Dr.和の町医者日記」で有名な長尾和宏医師の最新記事『5度目のデジャブ またまた保健所崩壊』『風邪の抗体はついてもすぐに落ちるもの』『検査無しでの自宅療養について』などは本当に興味深いものです。転載や引用ができないため、やはり見出しだけの紹介としています。

3回目のワクチン接種に関しても『ワクチン3回目接種の効果は慌てても「期待薄」…ウイルスの歴史から改めて学ぶこと』という見方があります。もともと新型コロナを巡り、様々な考え方が散見しています。マスクの効用、三密を避けることの有用性、ワクチンの効果やリスク、いずれも人によって評価の分かれる場合があります。

また、感染対策の大半は、あくまでも感染リスクを低減させるかどうかの問題だろうと思っています。人との接触を完全に断ち、ウイルスの侵入を防ぐ生活が送れるようであれば何よりです。しかしながら社会生活を営みながら新型コロナと向き合っていくためには尾身会長が訴えたとおり「メリハリの利いた対策」が欠かせないように思っています。

東京都の検査に対する陽性率等の推移を確認してみたところ直近の検査陽性率の7日間移動平均は24.8%です。昨年8月中旬の最も高い数字が24.0%でしたので、オミクロン株だからと言って極端に高くなっている訳ではないようです。検査人数は現在19,513人に対し、昨年8月のピーク時が17,000人でした。

検査人数が増えれば1日あたりの新規感染確認者の数は比例して増えます。「念のため」という無症状の人が多く受けていれば陽性率は下がります。そもそも検査陽性者が感染していない場合、逆に陰性者の感染を見逃す場合もあります。日々の感染者数の発表に対し、このような前提をもとに接していかなければなりません。

新型コロナウイルス対策を政府に助言する専門家の有志は20日、感染者が今後さらに急増した場合に、基礎疾患のない若者らは検査をしなくても症状のみで診断できるようにするとした政府への提言案をまとめた。医療の逼迫を避ける苦肉の策を示す一方、従来のような強い行動制限は緩める方向性を打ち出した。これまでのコロナ対策を大きく転換する案といえる。

提言案は「オミクロン株にふさわしい効果的な対策」。政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長ら20人以上が名を連ねた。この日、厚生労働省の専門家組織の会合で示された。それによると、オミクロン株による感染拡大は2週間前後でピークが来る可能性があると指摘。オミクロン株はデルタ株などと比べて感染力が高い一方、基礎疾患などがない50歳未満は軽症が多く自宅療養で症状が改善しているなどの特徴があるとした。

このため、若年層を中心に軽症者が急増してPCRなどの検査や外来が逼迫した後、高齢者らで重症化する人が増え、新型コロナ以外の救急医療の受け入れにも影響が出ることを懸念した。先行して感染拡大した沖縄県では医療機能不全が起きつつある。

これまでは検査で陽性を確認し、医師が感染を判断していたが、若い人は検査をせずに臨床症状だけで新型コロナだと診断できるよう変更を求めた。重症化しやすい人が優先的に検査や治療を受けられるようにする。さらに感染拡大すれば受診のあり方の再検討を求める。ただ提言案には、症状だけでどう診断するかは明記されていない。【朝日新聞2022年1月20日

上記の『感染者さらに急増なら「若者は検査せずに診断」 専門家有志が提言案』という見出しの記事は全文を紹介させていただきました。最も大事なことは新型コロナ感染症に限らず「守れる命、守るべき命」を守れる医療体制の確保です。検査や軽症者への対応のために医療崩壊するようであれば問題だろうと思っています。

もちろん軽症の段階でフォローし、一人の死者も出さない体制を築くことが重要です。きめ細かい保健所の対応が持続でき、誰もが即座に医療機関にかかれる体制の確保が求められています。しかし、東京都では新規感染者自身が濃厚接触者に連絡するような方式に切り替わります。当事者の方々にとって非常に不安で戸惑う変更だろうと思います。

岸田首相はコロナ患者が爆発的に増えても「2類」から「5類」に引き下げられない根拠』という見出しの記事の中で、岸田総理にとって「このまま2類を維持したほうが『コロナ対策を手厚く真剣にやっています』というイメージは作りやすいでしょう」と語る記者の言葉を紹介しています。

昨年6月に投稿した記事「もう少し新型コロナについて」の中で、新型コロナが法律上では2類感染症に分類されていることを伝えていました。ポリオや結核などと同様、保健所に全例届出が必要とされています。ただ暫定的な対応である2類相当のまま2年が過ぎようとしています。

季節性インフルエンザは5類です。確かに現段階で新型コロナをインフルエンザと同じ分類にすることは大半の人が違和感を抱き、医療費の個人負担や特措法に絡む自粛要請の問題なども整理しなければなりません。しかし、前述した通り国民にとって最も望ましい目的は医療崩壊を防ぎ、「守れる命、守るべき命」を守ることです。

類相当を支持する医療関係者からは「メリットだけを増やし、デメリットは防げるよう特例を整備すべき」という意見が出ています。本当にその通りだと思っています。2類なのか、5類なのか、政治的な思惑で語られるようでは問題であり、どのような仕組みを整えることが最適なのかどうか真摯な議論につなげて欲しいものです。

第6波「オミクロン株」の重症化率は?第5波よりどのくらい低い?東大チームが推計してみると…<新型コロナ>』という報道の通りオミクロン株の重症化率は従来株やデルタ株などと比べて明らかに低いようです。2類相当を維持すべき現状が追い付かないから変更するという消極的な姿勢ではなく、このような現状分析を踏まえた判断であれば国民の多くは納得するはずです。

加えて、現状の問題点を整理し、法的に整備した仕組みを作ることは自宅療養者の不安感をはじめ、当事者が濃厚接触者に連絡を取る際の戸惑いなどを取り除くことにつながるはずです。さらに当たり前なことですが、軽症者が突然重症化した場合、救急車を呼んで速やかに入院できる仕組みの確保が前提とされなければなりません。

たいへん長い記事になっていますが、最後に内閣参事官だった高橋洋一さんの『不安な政府のオミクロン対策…「柔軟な対応」強調するが、先読まず場当たり対応目立つ 菅政権より仕事をしていない』という記事を紹介します。2類相当の問題の先送りに対する指摘はその通りかも知れませんが、「菅政権より」という評価は個々人によって変動しがちな事例の一つだと思っています。

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2022年1月15日 (土)

間近に迫った北京五輪

前回の記事は「治療と仕事の両立支援」でした。一転して話題が変わり、今回、北京五輪について取り上げてみます。その時々に思うことを気ままに書き進めているブログですので落差の大きさについてはご容赦ください。実は年末に投稿した記事「コロナ禍が続く2021年末」の最後のほうで次のように記していました。

残念ながら2021年末、最後に投稿する記事の内容は暗い話題ばかりで締めることになります。 他にも北京冬季五輪などの時事の話題に触れるつもりでしたが、ここまでで相応な長さとなっています。中途半端に触れることは控え、機会があれば年明けの記事で取り上げてみようと考えています。

2月4日に開幕する北京五輪が間近に迫っています。史上初めて夏季大会と冬季大会が同じ都市で開かれます。オミクロン株の感染拡大の影響で無観客とするのかどうか直前まで揺れ動いています。さらに「外交的ボイコット」という言葉について後ほど触れますが、北京五輪は常に中国国内の人権問題が焦点化される引き金となります。

ちなみに1年前の記事「東京五輪の行方と都政の現場」の中で「五輪」とはオリンピックのみを指す言葉で、パラリンピックを含めていない点について説明していました。ただメディアの多くがパラリンピックも含めた意味合いとして「東京五輪」と表記していました。

そのため「本来、東京オリンピック・パラリンピックと記すべきなのかも知れませんが、このブログでも同様な意味合いで表記していくことをご容赦ください」と記していました。北京五輪という表記も同様であり、決してパラリンピックを軽視している訳ではないことを改めて釈明させていただきます。

昨年7月には57年ぶりの東京五輪が開幕」という記事を投稿し、沢木耕太郎さんの著書『オリンピア1936 ナチスの森で』について紹介していました。1940年の第12回東京大会は幻となりましたが、第11回大会はベルリンで予定通り1936年8月に開催されていました。

その年の3月、ヒトラーはロカルノ条約を一方的に破棄し、フランスとの国境に広がる非武装地帯ラインラントに大部隊を送り込んでいました。それでも1936年夏、ヒトラーはベルリン大会の開会を高らかに宣言しています。

ナチスが威信を賭けて演出した異形の大会であり、近代オリンピックの原点となったと言われています。沢木さんは、そのすべてをフィルムに焼きつけて記録映画の傑作『オリンピア』を産み落としたレニ・リーフェンシュタールさんの取材に成功しています。

激しく運命が転回した日本人選手の証言も加えながら著わした『オリンピア1936 ナチスの森で』はベルリン大会を再構築したノンフィクションでした。沢木さんの著書を読み終えた感想を添えながら私自身の五輪に対する思いを昨年7月の記事の中で次のように綴っていました。

確かにナチスの威信を賭けた異形の大会だったのかも知れませんが、非難声明を出していたフランスからも選手団が派遣され、51の国と地域から4千人の選手と2千人の役員が参加する過去最高規模の五輪となっていました。1936年8月の時点では2度目の世界大戦を回避できる可能性も残されていたのかも知れません。

オリンピックは「平和の祭典」と呼ばれています。当たり前なことかも知れませんが、戦争中であれば開催することは困難です。国連にはオリンピック停戦という原則もあり、五輪開催を通し、平和の維持、相互理解、親善という目標の推進をめざしています。いずれにしても平和だからこそ開催できる、このような思いのもとに今後の五輪開催が途絶えずに続くことを切望しています。

北京で夏季大会が開かれた2008年8月には「チベット問題とオリンピック」という記事を投稿しています。今回の新規記事「間近に迫った北京五輪」に向き合っている問題意識と当時の問題意識に変化はありません。

個々人の問題意識が容易には変わらないという当たり前な証しである一方、中国に関わる人権問題が改善されていないという残念な現状であることも省みなければなりません。その時の記事に開会式を見た後の感想を次のように残していました。

中国は56の民族で成り立っています。人口の90%以上が漢民族で、その他55の少数民族の中にチベット族やウイグル族が含まれています。北京オリンピックの開会式では、それぞれの民族衣装をまとった子どもたちが登場しました。

難しく考えずに開会式をライブで見ていましたが、この場面に対しては強い違和感を覚えました。複雑な民族問題を抱えているにもかかわらず、子どもたちの笑顔を利用し、民族の結束をアピールする欺瞞さを感じました。チベットやウイグルの人たちからすれば、最も冷ややかに見つめた映像だったのではないでしょうか。

2008年当時も北京五輪の開催に反対している人たちは少なくありませんでした。チベットやウイグルの皆さんが祖国の地で平和に暮らせることを願う私自身の気持ちは、五輪の開催を反対する人たちと大きな隔たりはないものと思っています。その上で昨年11月の記事「新疆ウイグルの問題から思うこと」に託したような問題意識を抱え続けています。

以前の記事内容をそのまま紹介していくと長い記事になりがちで恐縮です。それでも「チベット問題とオリンピック」という記事の最後に紹介したダライ・ラマ14世の印象深い言葉は改めて掲げさせていただきます。

怒りは、怒りによって克服することはできません。もし人があなたに怒りを示し、あなたも怒りでこたえたなら、最悪の結果となってしまいます。それとは逆に、あなたが怒りを抑えて、反対の態度―相手を思いやり、じっと耐え、寛容になる―を示すと、あなた自身穏やかでいられるばかりか、相手の怒りも徐々に収まっていくでしょう。

新年早々の前々回記事「虎口を脱する2022年に」の中では参院議員だった政治評論家の筆坂秀世さんの論評『なぜか支持率上昇の岸田内閣、菅内閣とどこが違うのか』を紹介しました。その論評の中で筆坂さんは次のように語っています。

12月24日、岸田内閣は、来年2月に開催される北京オリンピック・パラリンピックについて、閣僚や政府関係者の派遣を見送ると発表した。自民党内からは「遅すぎる」という批判も出ているようだが、そんなことはない。慌てる必要などもともとなかった。あえて「外交的ボイコット」という名前をつけることもしかったが、それで良い。「外交的ボイコット」など、所詮、中途半端な対応だ。やるなら選手派遣もしないくらいの強い姿勢を見せるべきだ。

あえて「外交的ボイコット」という言葉を使わなかったことを私自身も肯定的にとらえていました。欧米との足並みを意識しながら中国との距離感も見計らうバランスを重視した判断だったものと受けとめています。ただ「やるなら選手派遣もしないくらいの強い姿勢を見せるべきだ」という意見には首肯していません。

大事な目的は中国当局による香港やウイグルなどでの人権侵害行為を止めさせることです。国際社会が足並みを揃えて圧力を加え、中国を強く非難していくことで問題が解決するのであれば最適な選択肢だと言えます。しかしながら中国が反発を強めるだけで、対立が激化していくのであれば非常に悩ましい話となります。

このような悩ましさを踏まえた時、岸田政権の「対中外交の選択肢をより多く残しておく」という考え方は評価すべき一つの判断だろうと思っています。いずれにしても圧力一辺倒ではなく、相手側の言い分にも耳を傾けながら相手側の意思を変えていくためには率直な対話の場が欠かせないはずです。

対話の場を一切放棄するようであれば武力衝突の危機に近付きかねません。先週土曜に放映された『報道特集』の中で中国大使だった丹羽宇一郎さんが習近平主席の次のような言葉を紹介していました。習主席は「住所変更できないから我々は」と語り、会うたびに「隣国として良い関係を続けるべきだ」と強調していたとのことです。

このような話は「中国に籠絡されている」「綺麗事にすぎない」と見られ、「親中派」「媚中派」というレッテルを貼られてしまうのかも知れません。明らかに問題視すべき中国政府の行為を許容するようであれば批判の対象とすべきだろうと思っています。そのような点を違えないのであれば習主席と率直に話し合える場を持てるほうが望ましいはずです。

年末年始の休みに読むつもりで、いろいろな書籍をブックオフで買い込んでいました。そのうちの一冊が蓮池薫さんの『拉致と決断』でした。たいへん長い新規記事になっていますので書籍の内容を詳しく紹介できませんが、蓮池さんの拉致された24年間の辛苦は想像を絶するものです。

拉致という犯罪は絶対許せません。しかし、国家間で対話するパイプがあったからこそ蓮池さんらが帰国できたことも確かです。強い言葉で相手を批判しているだけでは事態を一歩も動かせていないという事実を直視しなければなりません。

安倍政権の末期から金正恩総書記と「条件を付けずに向き合う」という言葉が繰り返されるようになっています。その言葉の不充分さについて蓮池さんは「無条件で会うと言うのではなく、北朝鮮側に提案できるものを作り上げないといけない」と語っているようです。

自然災害や感染症は人間の手によってコントロールできません。そのため最悪な事態を想定し、普段から必要な備えを怠らず、リスクを緩和していく心構えが欠かせません。しかし、国家間の争いは「人間の意思」によって防げるはずです。

対話が途絶え、疑心暗鬼のもとに対立が激化し、武力衝突という最悪な事態に至ることを絶対避けなければなりません。最後に、間近に迫った「平和の祭典」であるべき北京五輪が国家間の争いを高める引き金にならないよう心から願っています。

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2022年1月 8日 (土)

治療と仕事の両立支援

コロナ禍が続いています。新年早々の前回記事「虎口を脱する2022年に」の中で、年賀状に「今年こそコロナ禍から脱し、平穏な日常が戻ることを願っています」と書き添えていたことを伝えていました。残念ながら年明け、日を追うごとに1日あたりの新規感染者の数が急増しています。

2年近く控えている外での会食が再開できることを楽しみにしていましたが、引き続き自重していかなければならない現状に戻りつつあります。必要な感染対策に留意している中、多岐にわたる労使課題や組合要求の前進をめざし、労使協議に関しては精力的に重ねています。

昨年末には市当局と教委当局に「人員確保及び職場改善に関する要求書」を提出しています。増員要求が示されている職場の所属長に対しては要求書の写しを渡し、要求内容の切実さの理解を求めていく行動にも取り組んでいました。今後、よりいっそう当該職場と連携を密にし、年度末まで交渉を重ねていきます。

このブログでは時々、私どもの自治体における労使課題の内容を紹介しています。積極的な情報開示は住民の皆さんとの信頼関係を高める手段だと考えています。自治体行政に限らず、労働組合と住民の皆さんとの関係も同様なことだと考えています。

労使課題において組合の要求や主張が絶対的な誤りであれば再考しなければなりません。そのような意味合いから日常的に発行する組合ニュースの内容は誰が目にしても説明責任を果たせる前提で書かれています。ネット上で不特定多数の方々に発信している当ブログの内容も同様です。

基本的な立場や考え方の違いから批判を受ける場合もありますが、そのことも貴重な機会だととらえています。どのような点が批判されるのか、どのように説明していけばご理解いただけるのか、いろいろな意味で「気付き」の機会につながるからです。

そのため、このブログに組合ニュースの内容をそのまま掲げる場合があります。今回、私どもの組合員の皆さんに対する速報的な意味合いを踏まえ、週明けに発行するニュースの内容の一部を紹介します。

ちなみに年末に投稿した記事「『うつヌケ』を読み終えて」のコメント欄で、ぱわさんに「いろいろなご意見等をお寄せいただき、問題意識を持った課題について執行委員会に諮り、1月の安全衛生委員会の議題の一つとして提起する運びとしています」とお伝えしていました。さらに下記のような思いも、そのコメント欄に記していました。

長年、組合役員を務めてきていますのでメンタル不調の方々のことを「ある程度」知っているつもりでした。しかしながら今回『うつヌケ』等に改めて接したことで、うつ病の苦しさや事例の幅広さなど認識を深める機会になったものと考えています。

例えば、これまでメンタル不調という言葉を多用してきましたが、この言葉もうつ病だった方の深刻さを希薄化しているように感じるようになっています。ただあえてうつ病と明らかにしないほうが望ましく、メンタル不調と称してきたのかも知れないことにも思いを巡らしています。

いずれにしても知識や情報は深く的確に把握できていたほうが、より望ましい「答え」を出すための議論にとって有益であることは間違いありません。そのため、ぱわさんから様々なご意見や情報をお寄せいただき、本当に感謝しています。ぜひ、これからもよろしくお願いします。

このように記したとおり労使協議の中で、いろいろ参考にさせていただいています。なお、組合員の皆さんから様々なご意見や相談が組合に寄せられます。個人的な一人の声だったとしても、その声の後ろには同じ悩みを抱える組合員の皆さんも少なくないのかも知れないという思いを巡らしています。

その上で市側と協議すべき事項なのかどうか組合役員一人ひとりの責任として判断します。さらに執行委員会等に諮り、複数の視点で取扱いを判断するという手順を踏んでいきます。つまり一人の組合員から発せられた意見だったとしても、市側に示した段階で私どもの組合の組織として責任を持つことになります。

発せられた経路が当ブログのコメント欄だったとしても同様です。加えてSNSという場だからこそ、率直なご意見やご要望がお寄せいただけているものと受けとめています。記事タイトルに掲げた本題に入る前の説明が長くなりましたが、このようなブログであることをご理解ご容赦ください。

さて、1月24日に中央の職員安全衛生委員会が予定されています。組合からは議題メモを12月24日に市当局に提出しています。治療と仕事の両立支援に向けた課題、人員要求書に掲げた安全衛生に関連する項目を提示し、委員会での議論を提起しています。今回、議題メモの中の「治療と仕事の両立支援に向けて」の内容全文(青字)を紹介します。

寄せられた組合員の声を受け、組合はメンタル不調の休職者の職場復帰プログラムについて検証し、当事者に過剰な不安を与えないような配慮を求めています。より豊かな社会を築くためにも、治療と仕事の両立に向けた職場環境や支援体制の整備が大切なことを厚生労働省も呼びかけています。今回、治療と仕事の両立支援に向けて、いくつか組合から具体的な要望と議論提起をさせていただきます。

メンタル不調者の中には、うつ病と診断されている職員が多いはずです。うつ病は誰でもかかる可能性があるため「心の風邪」と称されています。しかし、すぐに治るような病気ではなく、うつ病に苦しむ方々の悩みの深さは風邪と比べられるようなものではありません。さらに治ったと思った後に突然ぶり返しがあり、一進一退を繰り返しながら徐々に良くなる病気だと言われています。

また、がんに対する治療法が以前に比べて進歩しています。抗がん剤の投与や放射線による治療など退院後に継続的な通院を必要とするケースが増えています。このような現状を踏まえ、次の点について提案させていただきます。 

① 医師の診断や障害者手帳の所持等を前提に現行の長期通院休暇を特別休暇として確立できないか、せめて有給休暇残日数10日という条件や取得単位等を見直せないか、改善を要望します。

② かつて当市の職員が同一疾病で病休等に入る場合、一度復職していれば新たな取得として扱われていました。現在、取得期間の通算を不要とするためには1年間の勤務実績が必要とされています。クーリング期間としてとらえた場合、国の20日間に対し、非常に大きな差となっています。このような現状を踏まえ、復職後の同一疾病での再取得のあり方について議論提起させていただきます。

③ メンタル不調者が休職中に主治医から治療の一つとして気分転換のための外出等を勧められる場合もあります。また、親戚の葬儀等の用件で遠隔地に出向かなければならないケースもあり得ます。それぞれ安全衛生係に報告することが前提となるのでしょうが、どのあたりまで許容範囲となるのかどうか目安があれば望ましいという声も寄せられています。線引きは難しいと思われますが、可能であれば議論すべき事項の一つとさせていただきます。

いくつか補足させていただきます。寄せられた組合員の声とは主に「新疆ウイグルの問題から思うこと」のコメント欄で交わされた内容であり、前述したような手順のもとに執行委員会での確認を経ています。上記②③は議論提起としていますが、①は明確な要望とし、具体的な見直しがはかれるよう求めていきます。

今回の記事タイトルに掲げた「治療と仕事の両立支援」はあまり耳慣れていない言葉かも知れません。ワーク・ライフ・バランスという言葉は有名で、内閣府によると「仕事と生活の調和」と定義しています。

一人ひとりの事情に合わせて仕事とプライベートを両立させた働き方を実現するワーク・ライフ・バランスへの取り組みは、労働力が減少している現状の中で欠かせない課題となっています。人材確保の観点からも重要な取り組みだと言えます。

そのため「働き方改革」の議論の中でも「病気の治療と仕事の両立」が検討項目の一つとされていました。厚生労働省のサイト「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」の冒頭には次のように記されています。

それまで健康だった人が病気にかかり治療が必要になると、以前の通りには働けなくなるケースが出てきます。その場合、治療に専念することになるか、あるいは、治療しながら働くことができるのかはケースバイケースですが、治療しながら働くことを希望する人にとっては、治療と仕事を両立させることができるのかは大きな問題です。

一方で、働く人の職場、とりわけ、人事労務担当者や産業保健スタッフ、そして、共に働く上司や同僚にとっても、治療と仕事の両立支援は重要な課題です。治療をしながら働きたいという思いがあり、主治医によってそれが可能だと判断された人が働けるような環境の整備が求められています。

かなり前に同じ疾病での病休や休職期間の通算のあり方などを見直していました。以前、休職期間の上限が間近になった段階で復職し、また同じ疾病(主にメンタル疾患)で仕事から離れざるを得ない方々が少なくありませんでした。

結果的に10年以上休まれ、そのまま定年退職を迎えられる場合も決して稀ではありませんでした。懸命に職場復帰をめざされている方々に対して厚く配慮した制度だったものと思われます。

そのような制度や運用を見直しした際、組合にも示され、やむを得ないものと了承しています。産業医の先生との相談をもとに見直していましたが 『うつヌケ』を読み終えて」の中で取り上げたとおり暗いトンネルを抜け出すための転機として、本人のためにつながるという判断があったようにも聞いています。

ただ「公務員は恵まれすぎている」という社会的な背景があったことも記憶しています。このような社会的背景は変遷し、今「治療と仕事の両立支援」という流れが高まりつつあります。冒頭で述べたような趣旨のもと組合からの上記の要望や議論提起が不特定多数の方々からもご理解を得られることを願いながら今回の記事を綴らせていただいています。

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2022年1月 1日 (土)

虎口を脱する2022年に

あけましておめでとうございます。  Tora_2 

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであるため、せめてお正月ぐらいはイラストなどを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。

2005年8月に「公務員のためいき」を開設してから946タイトル目となりますが、必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で52点の記事を投稿していました。一時期に比べ、お寄せいただくコメントの数が減り、1日あたりのアクセス数も減っています。

以前、Yahoo!のトップページに掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録です。その頃に比べると2桁違う数で推移しています。ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり一人でも多くの人たちにご訪問いただけることを願っています。

特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。そのため、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることがブログを続けていく大きな励みとなっています。

2012年の春頃からは背伸びしないペースとして、コメント欄も含め、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わるようにしています。そのことだけが理由ではないようですが、前述したとおりお寄せいただくコメントの数は減っていました。それでも記事内容によっては貴重なコメントをお寄せいただけているため、このブログをご注目くださっている皆さんにいつも感謝しています。

さて、今年は寅(とら)年です。年賀状には【「虎口を脱する」という言葉があります。今年こそコロナ禍から脱し、平穏な日常が戻ることを願っています。と書き添えていました。文字通りの意味となりますが、「虎口を脱する」とはweblio辞書で「非常に危険な状態から抜け出る」と説明しています。

前回記事「コロナ禍が続く2021年末」の冒頭に記したとおりオミクロン株の市中感染など懸念される動きがあり、一日あたりの新規感染者の数も徐々に増え始めています。引き続きマスク着用や手指の消毒など必要な感染対策に留意していかなければなりません。

ただ社会生活や経済に大きな影響を及ぼす緊急事態宣言の5回目の発令は可能な限り避け、国や自治体のすべきこと、個々人のすべきこと、それぞれメリハリのある感染対策に力を注いでいくべきだろうと考えています。昨年7月に投稿した「驚きの4回目の緊急事態宣言」のような記事を再び取り上げなくて済むことを願っています。

岸田政権は前政権までがコロナ対策で後手に回りがちだった点を反面教師とし、迅速性を重視しているようです。しかし、いったん打ち出した強硬策をすぐ修正するなど朝令暮改となるケースも目立っています。それでも岸田首相「政策ブレブレなのに支持率堅調」のなぜ』という見出しのとおり支持率は上昇傾向です。

実務を担う省庁や自治体からは「振り回されて混乱ばかり」との不満が噴出。ただ、国民の間では「岸田首相はすぐ方針を変え、信用できない」との批判がある一方で、「間違った方針に固執するよりいい」「どんどん聞く力を発揮してほしい」と評価する声も少なくない。

岸田首相は国会論戦でも「丁寧」「低姿勢」を徹底し、安倍晋三元首相や菅義偉前首相のような挑戦的態度を見せないことが、野党の追及を鈍らせているのは事実。臨時国会での予算委論戦でも、野党側が岸田首相の答弁にいきり立つ場面はほとんどない。

9年近くも続いた「アベスガ政権」で、安倍氏は予算委論戦で、野党の激しい追及にしばしば自席からヤジを飛ばし、「悪夢の民主党政権」などと敵意をむき出しにした。また、菅氏は官僚の用意した答弁メモを読み続け、「壊れたテープレコーダー」と批判され続けた。

岸田首相は「その対極の手法」(側近)で攻撃をかわしているのが特徴だ。それが「聞く耳を持たなかった前・元首相と、聞く耳を持つ岸田首相」(維新幹部)の対比を際立たせ、堅調な支持率につながっているのが実態だ。【東洋経済2021年12月18日一部抜粋

私自身が「なるほど」と思える情報や考え方に触れた際、そのサイトの内容を当ブログの中で紹介しています。興味深かった内容であれば「誰が」発信しているかはあまり問わず、参考までに拡散するように努めています。そのような意味で『なぜか支持率上昇の岸田内閣、菅内閣とどこが違うのか』も紹介させていただきます。

菅氏は官房長官時代、記者の質問にまともに答えないことが特徴だった。だが、なぜか上手に応対していると多くの人に評価されていた。私は高い評価が不思議でならなかった。

官房長官の記者会見は、記者に回答するためだけのものではない。記者の向こう側には国民がいるのだ。だが菅氏はこのことをまったく理解していなかったと思う。菅氏の会見で伝わってきたのは、国民に何かを分かってもらおうという気はさらさらないということだけであった。

菅氏が首相になるとは考えてみなかったが、あの説明能力の無さでは苦労すると思った。蓋を開けてみると案の定だった。菅氏の会見で納得感を得ることは一度もなかった。あまりにも拙いので、聞いている方が恥ずかしくなったものだ。最後の記者会見では、若い記者に「逃げるんですか」と言われる始末だった。

政治家、なかでも首相は国民に自分の思い、考えを伝える能力が不可欠なのだ。それは上手に喋るということではない。国民に理解してもらおうという必死さだ。それがあれば伝わるものだ。

一方、岸田文雄首相はどうか。内閣が発足したときの支持率は40%台という低いものだった。それが今では多くの調査で60%台に急増している。岸田首相の持ち味について、岸田氏自身が「聞く力」と「丁寧な政治」だと語っている。それが功を奏したのだろう。人の意見を聞かないのが菅前首相だと言われてきたので、ここでもその逆と言うことなのか。【JBpress 2021年12月28日一部抜粋

上記は参院議員だった政治評論家の筆坂秀世さんの論評です。菅前総理に対する見方が筆坂さんの論評のとおりでしたので、常識的な岸田総理の振る舞いに対する好感度が際立つ構図となっています。側近や官僚との関係においても「聞く力」を発揮しているようであり、政策面で望ましい結果を出し続けていくのであれば安定した支持率を維持していくのではないでしょうか。

今年7月に参院選挙があり、その選挙戦に勝利すれば岸田総理は長期政権の道が開けると見られています。今のところ岸田総理自身に大きなマイナス評価は見受けられませんが、政権与党全体に対しては長期政権の歪みのような疑惑や公明党の遠山清彦元議員ら4人を在宅起訴でうやむやになった「口利きの系譜」』など厳しく批判しなければならない不祥事が続いています。

至らない点が続けば下野しなければならない、このような緊張感のある信頼できる政治の実現に向けて、政権交代の受け皿になり得る野党の奮起を期待しています。しかし、自らの至らなさは棚に上げながら他者を厳しく批判するケースが目立ち、行政を縮小する政策の方向性を旗印に掲げ続けている日本維新の会の躍進に対しては懐疑的な見方を強めています。

半年間でどのような政治情勢に変化があるのかどうか分かりませんが、参院選挙の比例区において私どもの組合は自治労組織内候補の鬼木まことさんの推薦を決めています。参院選に向けては取り組む意義や重要性について、3年前の記事「自治労の組織内候補は岸まきこさん」に託したような問題意識を組合員の皆さんに丁寧に伝えていくことになります。

新年早々、政治の話題だけで長い記事になっていますが、個人的な抱負も一言添えさせていただきます。昨年11月の記事「定期大会を終えて、2021年秋」でお伝えしたとおり日々の組合活動に際し、今年はバトンを着実に渡すための一年であるという意識を強めながら臨んでいます。

そのために今、私自身がすべきこと、あえて任せるべきこと、いろいろな思いを巡らしながら日常的な活動に向き合っています。実務面では可能な限りマニュアルを整えようと考えています。また、定期大会で指摘された平和や人権に関わる方針議論に向け、このブログを通して培ってきた問題意識などをまとめた資料作りにも取りかかるつもりです。

最後に、いつもお正月のみ少し変則な日程となっていましたが、今年は通常の間隔通り次の土曜か日曜に更新する予定です。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

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