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2021年12月11日 (土)

コロナ禍の年末、雑談放談

2年前の年末であれば忘年会をはじめ、会食する機会が立て続く季節でした。昨年末に続き、今年も外で飲むことを見合わせています。東京都は「基本的対策徹底期間における対応」を示し、12月1日から1月16日まで同一グループの同一テーブルへの入店案内を8人以内とするよう協力を依頼しています。

9人以上とする場合はTOKYOワクション又は他の接種証明書等を活用することを推奨しています。証明書を持参していなくても大半の方々がワクチン接種しているため、特に協力依頼の目安を守れば、そろそろ外で飲むことを解禁しても構わないのではないかと迷い始めています。しかしながら万が一の感染リスクを考え、今のところ誘われてもお断りするようにしています。

このように考えている最中、たいへん憤るべき報道を目にしました。『維新・松井代表 衆院選の反省会で30人の宴会 「市民から見て”違う”とお叱りがあるかも」』『松井市長 30人宴会に「問題ある?」と開き直り…“自分に甘い”姿勢に批判続出』『維新・松井一郎が掟破りの「30人宴会」も逆ギレ・開き直りの噴飯会見! コロナ失策ごまかすため大阪市職員は大量処分したくせに』という見出しの報道です。

大阪府が府民に対して“会食は2時間以内”と要請していたなか、12月初めに30名ほどの宴会を行っていたことが発覚した大阪市の松井一郎市長(57)。会見での”言い訳連発”に批判が殺到している。

「FRIDAY DITITAL」によると、10月末の衆議院議員選挙の大阪14区の「祝勝会」として大阪・心斎橋で宴会が行われ、日本維新の会の代表を務める松井市長や、同会所属の衆議院議員ら30名ほどが参加。宴会は、およそ3時間続いたという。

「報道によると、アクリル板が設置され、換気のために窓も開けられていたとのことで、店の感染対策はされていたようです。しかし、参加者が次々に松井さんのテーブルに挨拶に行っていたようですから、万全とは言い難い。市民に感染対策をお願いする立場の市長としては、意識が低すぎるのではないでしょうか」(全国紙記者)

このことが報じられる前日の9日の定例会見で、松井市長は宴会の事実を自ら打ち明け、「打ち上げじゃなくて“反省会”」と釈明した。“会食は2時間以内で”という大阪府の府民への要請については、松井市長は「2時間をめどにやろ」「2時間程度っていうのが、2時間半、3時間ぐらい、そこにいたことは事実なんでね」と言い訳に終始。

さらに、“30人という規模での宴会は不適切なのでは?”という記者から指摘されると、「だって人数の上限、アッパーはないよ」「なんか問題あります?」と、悪びれる様子はなかった。

松井市長は「1テーブル4人」「マスク会食」での“反省会”だったとしており、「要請の範囲の中でやっていると自分では思ってます」と、要請に反してはいないと強調。2時間以上の滞在を認めていながらも、問題はないとの認識を示した。しかし、前出の記者は松井氏のこの姿勢について、疑問を呈す。

「大阪府と大阪市では、少人数会食などの要請に反して会食していたとして、7月に1474人の職員を処分しています。その際、松井市長は『市民を裏切る行為で申し訳ない』『言語道断』と厳しい口調で断罪していました。それだけに、今回の宴会報道は“自分に甘い”と非難されても仕方ないと思います」

職員に対しては重い処分を下していたにもかかわらず、「反省すべきとこかなぁと思ってますけどね」と述べるのみだった松井市長。SNS上では批判が続出している。

《会食ルール違反で職員を戒告処分したのに、ご自分はどうするのでしょうか?》《市の職員も反省で済ませてやればよかったのにね》《大阪府が決めた会食ルールを、大阪市長である松井一郎氏自身が守らず、約30人で2時間半超す会食をしていた。松井市長は「反省」というが、ならば職員もまた「反省」と言えば処分されなくて済むのだろうか? どうなんですか?》【女性自身2021年12月11日

上記の記事のとおり職員には厳しく、自分自身の明らかなルール違反に対しては甘く、記者会見では「なんか問題あります?」などと居直っている態度に心底驚いています。前回記事「再び、信頼できる政治の実現に向けて」の最後のほうで国会議員の文書通信交通滞在費に絡む話なども紹介するつもりだったことを記していました。

略して文通費、国会議員になって1日だけで1か月分100万円支給されることが問題視されています。ただ必要以上に政争の具にされているような気がしています。特に日本維新の会の取り上げ方には次の記事『丸山穂高さん「それを言うたら自分もシロアリ吉村ってことに…」『シロアリ』発言の吉村知事にかみつく』のような違和感を強めていました。

自らの至らなさは棚に上げ、他者を厳しく批判する、今回の松井市長の振る舞いに見られるような体質的な問題が非常に目立ちがちです。『冨田宏治氏が喝破「大阪で維新を支持しているのは貧困層を憎悪する中堅サラリーマン層」』という記事では「身を切る改革」と称して行政を縮小する政策の方向性に対しても警鐘を鳴らしています。

松井市長の一件は強く問題提起したい事例でしたので、日本維新の会に関わる記述だけで相当な長さとなっています。今回の記事はタイトルに「雑談放談」を付けたとおり最近の出来事の紹介を中心に思うことを気ままに書き進めるつもりでした。いつものことですが長文ブログとなることをご容赦いただきながら先に進めます。

冒頭に記したとおり忘年会等は一切予定されていませんが、なかなか多忙な日が続いていました。火曜の夜は連合地区協議会の定期総会でした。長年、議長代行を務めてきましたが、副議長に替わりました。任期が2年間であり、1年後には退任する可能性があることを考慮させていただき、複数名で担っている副議長への交替でした。

したがって、議長代行として総会での閉会の挨拶は最後となります。議長と事務局長らが退任され、自分自身は継続する訳ですが、地区協の取り組みとして「拉致問題を考える」学習会を催し、2年前には「福島第一原発の現状」を視察したことなど思い出話を紹介していました。行動力のある柔軟な組織であることを伝えた上、この1年の特色ある取り組みに触れています。

8月に復興支援オンラインイベントとして南相馬市の皆さんと交流しました。観光スポットや名産品を紹介いただきながらパソコン画面を通し、懇親を深める機会でした。コロナ禍から以前のような日常に戻り、親睦を深めるために対面で語り合う場が増えることを願っています。

その一方で、オンラインであれば何百キロも離れた方々と同時進行で語り合えることの貴重さを今回のイベントを通して体感できています。このような利点はコロナ禍の後も駆使していく試みだろうと思っていることを閉会の挨拶を通して触れさせていただきました。

12月8日の水曜は太平洋戦争の開戦から80年目を迎えていました。その日、三多摩平和運動センターは「不戦を誓う三多摩集会」を開いています。東京新聞論説兼編集委員だった半田滋さんが「敵基地攻撃と日米一体化~踏み越える専守防衛~」という演題で講演されたようです。伝聞調となる訳は定例の執行委員会を前後にずらせず、残念ながら私自身は参加できていません。

協力委員の皆さんらに声をおかけし、参加された方から資料だけは受け取っていました。翌日木曜、反核座り込み行動には参加しています。マイクを持つ出番が見込まれたため、原稿をまとめて出向いていました。不特定多数の方々に発信したい私自身の率直な思いですので、最後に、駅頭で訴えた原稿の内容をそのまま掲げさせていただきます。

           ◇            ◇

1945年8月6日、広島に。8月9日、長崎に原子爆弾が落とされました。一瞬のうちに数万人の命を奪い、その後も数多くの方々が被爆によって苦しみ続けられてきました。このような悲惨な歴史を風化させないため、三多摩平和運動センターは毎月6日もしくは9日、三多摩のいずれかの地で、このような座り込み行動に取り組んでいます。

折しも昨日12月8日は太平洋戦争が始まってから80年という節目を刻んでいました。先週土曜と日曜、二夜にわたったNHKスペシャルでは太平洋戦争が開戦した当時の日本の姿を特集しています。戦時中に個人が綴った日記や手記をAIで解析した「エゴドキュメント」として、激動の時代を生きた日本人の視点から当時の戦争の姿を伝えていました。

開戦の前年、社会には戦争とは程遠い空気が漂っていました。都市部ではアメリカブームに沸き、ハリウッド映画やジャズが流行していました。国の指導者たちも、国力で圧倒的に勝るアメリカとの戦争を避けようとしていました。しかし、長引く日中戦争、アメリカなどからの経済制裁によって日本は非常に疲弊していました。

そのため、閉塞感に風穴を開けたように受けとめられた真珠湾攻撃の一報は、国民が喝采し、熱狂していたようです。その時、数年後に国が焦土と化し、広島と長崎には原爆が投下され、日本人だけで310万もの命が奪われることを予見した国民は皆無に近かったのではないでしょうか。

なぜ、悲惨な戦争を止められなかったのか、私たちは歴史から学ばなければなりません。80年経った現在、過去の過ちを教訓化できているとは思えない事例も見受けられます。いかなる国においても非人道的な振る舞いは許されません。中国の新疆ウイグルでの人権抑圧など国際社会が一致して是正を求めていかなければならない事例もあります。

しかし、北京オリンピックに際して殊更「外交的ボイコット」と声高に叫ぶことが望ましいことなのかどうか考えなければなりません。そのことによって香港をはじめ、中国国内での民主化が進むのであれば日本も率先して追随すべきだろうと思います。

また、「台湾の有事は日本の有事」「敵基地攻撃能力を備えるべき」などという勇ましい言葉も平和を保つために本当に必要な言葉なのかどうか懐疑的に見ています。

80年前、追い詰められた日本は戦争への道を選びました。中国大陸に対する利権を手放すことは10万人以上の兵士たちの犠牲を無にすることになり、自存自衛のため、やむを得ない決断だったと言われています。その決断が悲惨な結末に向かっていました。

さらにそのような決断に向け、国民からの後押しがあったことも留意しなければなりません。情報が統制され、表現や言論の自由も充分に保障されていなかった時代背景があったとは言え、NHKの特集からは国民一人一人自らの意思として開戦の報告を喜んだことも事実だったようです。

攻められない限り、武力行使しないという平和憲法の意義は敵対国に安心を与えるという広義の国防の一つだと見られています。そもそも脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと言われています。

過去の悲惨な歴史を継承し、広島、長崎の惨禍を痛切に教訓化していくのであれば、今、日本に求められていることは核兵器禁止条約を実効あるものとしていく努力であり、対話による外交力を高めていくことではないでしょうか。

ぜひ、このような点について、忙しい日常の中でも少しだけ考えていただければ幸いです。よろしくお願いします。

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