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2021年8月21日 (土)

スガノミクスと枝野ビジョン Part2

前回記事「スガノミクスと枝野ビジョン」は予想したとおり長い記事となり、読み終えた書籍『スガノミクス 菅政権が確実に変える日本国のかたち』に絞った内容で一区切り付けていました。それでも『枝野ビジョン 支え合う日本』という書籍の内容と対比した記事を考えていたため「スガノミクスと枝野ビジョン」というタイトルは変えませんでした。

今回、その記事の続きとして「Part2」を付けて書き進めていきます。今年5月に出版された『枝野ビジョン 支え合う日本』はいつも立ち寄る近所の書店には置いていませんでした。普段出向かない駅ビル内の書店で見つけ、すぐレジに運び、都議選が終わった頃に読み終えていました。手にしたのは第2刷でしたので、出足の売れ行きは好調だったようです。

「保守本流」を自称する立憲民主党の代表が、その真意と、目指す社会の未来像を提示する。明治維新以来の「規格化×大量生産社会」はすでに限界を迎えている。いま必要なのは、互いに「支え合い、分かち合う」社会だ。国民に「自助」を強いることのない、もう一つの選択肢を示す。

上記はリンク先のサイトに掲げられた『枝野ビジョン 支え合う日本』の紹介文です。ビジョンと称しているとおり枝野代表自身がめざす政治のあるべき姿を論じた一冊です。2014年頃から執筆を始め、何回も加筆修正を加えながら7年をかけて上梓しています。

「はじめに」の中で枝野代表は「政権選択選挙=衆議院総選挙までに世の中に示したいと思ってきた」と記しています。この言葉が示すとおりブログの記事タイトル「スガノミクスと枝野ビジョン」にこだわった理由は、やはり今秋までに必ず行なわれる衆議院総選挙を意識しているからでした。

私自身の問題意識として、2か月前の記事「コロナ禍で問われる政治の役割」の冒頭で「判断の誤りが続くようであれば政権の座から下ろされる、このような緊張感ある政治的な構図が欠かせないはずです」と記したとおり野党第1党である立憲民主党が政権批判の受け皿として認知されていくことを期待しています。

そのため、期待したい立憲民主党の代表がどのようなビジョンを描いているのか、しっかり把握した上で当ブログの中で論評を加えることが必要だろうと考えていました。ようやく今回、政権批判の受け皿として期待し続けることが適切なのかどうか判断していく材料の一つとして『枝野ビジョン 支え合う日本』について掘り下げてみます。

ただ立憲民主党の個別政策や総選挙に向けた選挙政策を記したものではなく、自民党に対抗しうるもう一つの選択肢として認められる上で重要な理念や哲学を示していると注釈されています。考え方を説明するのに必要な範囲で各論の記述があると枝野代表は説明しています。そのような位置付けを理解した上で、目に留まった箇所を中心に紹介していきます。

枝野代表は2017年の衆院選で「右でも左でもなく、前へ!」と訴え、ご自身の立場を「保守であり、リベラルだ」と説明してきています。有権者の皆さんから強い共感を得る一方、「何を言っているのか分からない」という批判も受けていたことを明かしています。

55年体制当時から与野党の対立を「右」と「左」、「保守」と「リベラル」という対立概念で表現されています。その「常識」に異を唱えるべく、あえてこうした言葉遣いをしていることを枝野代表は説明しています。このような考え方には強く共感しています。このブログでも二項対立の図式の問題性を以前から提起しています。

自らの考え方と相反する人たちを「敵」と見なして属人的な批判を強めることよりも、相手側の考え方や振る舞いの中で何が問題なのか、具体的に指摘していくことの大切さを意識するようになっています。「右」や「左」という立場性に関わらず、異質な考え方を尊重するという寛容さは常に求められているように感じています。

自分と異なる価値観を一刀両断で否定する姿勢は、合意形成を重視してきた日本の歴史や伝統とは異なる。自分が独善的に「正しい」と信じる社会を思い描き、あらゆる異論を排して、「この道しかない」とまっしぐらに進もうとする姿勢は、本来の「保守」主義が嫌う姿勢であり、それはむしろ「革新」に近い。

上記は著書に綴られた枝野代表の問題意識です。この前段に2001年に発足した小泉政権以降、新自由主義的な経済政策を軸に置いてきた自民党の路線を批判しています。この路線の是非については菅政権との対立軸として、総選挙戦で問われていくのだろうと思っています。ただ弱肉強食的な新自由主義という短絡的な批判にとどまるようであれば二項対立の図式に過ぎません。

選挙戦に勝利するためには明快な選択肢を示すことが欠かせず、ある面では相手方にマイナスのイメージを与える「レッテル」も必要なのかも知れません。しかし、著書の中で語っているとおり枝野代表には独善的な「正しさ」から異論を排するような姿勢に陥らないように願っています。小泉元総理や菅総理らも「国民のため」を目的にした政治に向かい合っているはずです。

その手法として新自由主義的な路線を重視してきたという見方を前提に対峙すべきなのだろうと考えています。強いものをより強くする、つまり大企業や資産家にはより稼いでもらい、多額な税金を納めてもらう、経済を活性化することで雇用を拡大する、トリクルダウンによって国民全体を豊かにするという理論の是非を問わなければなりません。

枝野代表はこれまでの路線が「効率性に偏重した経済」を生み「過度な自己責任社会」を誘発し、「小さすぎる行政」は国民を守る力を失ったと省みています。そのことが今回のコロナ対応で明らかになったとも見ています。さらに「公務員を減らせば改革だ」などという30年以上前からの発想は、もはや時代遅れとなっていることに気付かなければならないと語っています。

このような反省の上に立ち、枝野代表は著書の中で様々な考え方を提起しています。まず「支え合い、分かち合う社会」とは弱者保護を強調する社会ではないことを説明されています。病気や介護、子育てのサポートなど誰の人生にも起こりうるリスクに対し、「弱者だから」ではなく、「必要だから」サポートするという発想に改めることを提起しています。

いつか自分が同じように障がいを持ったり病気になったりすれば同様のサポートを受けられる、その安心感があるからこそ他者をサポートすることに寛容でいられる「お互い様に支え合う」リスクとコストを分かち合う社会を枝野代表は理想視されています。民主党政権で進めようとした所得制限のない子ども手当は、このような「普遍主義」の理念に基づいたものだったことも補足されていました。

老後や失業の不安、格差拡大の中で貧困に陥る不安などがなくなり、安心して子どもを産み育てることができるようになれば社会全体の安心感が高まり、消費が拡大し、少子高齢化や低経済成長という「近代化の壁」を乗り越えられると著書の中で綴っています。一見「支え合い」の直接の恩恵を受けていないように見える人にとっても明らかにメリットがあると語っています。

「安心できる支え合いの社会」を作るためには財源問題に目をつぶれないとし、再分配の財源確保のために直接税と間接税との比率や社会保険料を含めた累進性の見直しを枝野代表は例示しています。時限的な消費税の減税については「緊急時の時限的な対応」という条件を前提に全否定するものではないと記しています。

『枝野ビジョン 支え合う日本』の内容についてJ-CASTの単独インタビュ-『「皆が弱者なのだから皆で支え合うしかない」 枝野幸男・立憲民主党代表に聞く「日本の現実」』を通し、枝野代表は様々な質問に答えています。参考までにデイリー新潮取材班がまとめた記事「『枝野ビジョン』は枝野代表の政権奪取宣言かブーメランの宝庫か」も紹介します。

前回記事の中で伝えたとおりスガノミクスは成長戦略を最重視し、菅総理は新自由主義的な路線を推奨するブレーンとの親和性を高めています。めざすべき総論的な社会像としてスガノミクスと枝野ビジョンは明快な対立軸として、総選挙戦での選択肢になり得ていくものと考えています。

私自身にとって枝野ビジョンは全体を通して共感した点が多く、立憲民主党を今後も期待していくことができます。さらに立憲民主党と支持協力関係を強めている自治労に所属する組合の役員の立場からは、よりいっそう立憲民主党が政権の受け皿として広く認知されていくことを願っています。

しかし、期待している政党だから問題点を批判しない、そのように見られてしまっては当ブログを通して発信している言葉の重みが問われてしまいます。現実感を持って政権を担える政党になって欲しいという願いを込め、立憲民主党の国会議員の言動や党内ガバナンスの問題についても触れていかなければなりません。

57年ぶりの東京五輪が開幕」のコメント欄で、あっしまった!さんから立憲民主党政調会長代行の川内博史衆院議員のツイッターでの発言内容の問題性を厳しく批判するコメントが寄せられました。「陛下が開会式で『大会の中止』を宣言されるしか、最早止める手立てはない」とし、「天皇の政治利用」と疑われかねない発言の問題でした。

「川内氏の発信内容は(党の綱領にある)立憲主義に反するのではないか」という記者からの質問に対し、福山幹事長は「本人はツイートを削除し、お詫びも含めて本人の意思を発したと認識している。それ以上でも、それ以下でもない。処分などは今のところ、考えていない」と答えていました。

あっしまった!さんからのコメントを受け、私からは取り急ぎ「非常に軽率だったものと思っています。政治家としての資質や見識が問われる失態です」とお答えしていました。あわせて不適切発言で辞職した本多平直衆院議員のことも触れていました。立憲民主党ワーキングチームの会合で、本多議員は「50代の私と14歳の子とが恋愛した上での同意があった場合に罰せられるのはおかしい」と発言し、大きな問題になっていました。

問題発言だったことは間違いありませんが、発言した場面などを酌量した際、議員を辞めるところまで追い込むことが適切だったのかどうか分かりません。今回、その問題発言の時と異なり、大きく取沙汰されていません。取り上げづらい天皇制に関わる問題という性格をはじめ、あっしまった!さんが憤られているような重要な論点も一般的には理解しづらいのだろうと見ています。

波紋を広げていないことを幸いにし、ご指摘のような立憲民主党の危機感の乏しさがあるようであればそれも問題です。緊張感ある政治的な構図の必要性のために立憲民主党の奮起を期待する立場の一人として、今回のような問題についても今後記事本文で取り上げていくつもりです。

上記はその時のコメント欄に記した私自身の問題意識です。本多議員の場合、最初は口頭の厳重注意でした。当初の判断も甘かったのかも知れませんが、党内外からの批判を受けて「党員資格停止1年」という厳しい処分に変わり、最終的に議員辞職に至っています。

政治評論家の伊藤達美さんが「過剰反応は自由闊達な論議失われる」と語っていますが、そのような点についても気になった問題だったと言えます。加えて、本多議員の処分内容に比べ、川内議員が厳重注意の対象にもならなかったことに違和感を覚えていました。このあたりの判断基準の曖昧さは党内カバナンスに影響を与える問題として、しっかり総括して欲しいものと思っています。

本多発言の経緯や東京五輪の中止を求める声の迷走ぶりなどをライターの松田明さんが『立憲民主党の憂鬱――成熟しない野党第一党』という記事にまとめています。立憲民主党に期待したい立場であり、ネガティブな記事内容の紹介は残念なことですが、目に留まった最近の記事を2つ紹介します。

「動画さらすぞ」立憲民主党・石川大我参院議員が「コロナ救急搬送」強要の疑い』と『横浜市長選、山中候補の説明責任「無視」の立憲民主党に、安倍・菅政権を批判する資格があるのか』ですが、以前の記事の中に記した「政党を問わず、候補者が掲げる政策を吟味し、信頼を寄せられる候補者かどうか、個々人の見識や資質を見極めていけることが理想です」という言葉を思い浮かべています。

たいへん長い記事になりました。実は「スガノミクスと枝野ビジョン」という記事を通し、もう少し話を広げるつもりでした。『もう一隻の船を出すために 第1回/野党共闘 神津里季生・連合会長に聞く』という特集を掲げた週刊金曜日も手元に置いていました。「Part3」は考えていませんので、野党共闘の話などは機会を見て秋までに取り上げていくつもりです。

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